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大阪地方裁判所 昭和63年(わ)376号 判決 1988年11月25日

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

押収してある刺身包丁一丁(昭和六三年押第一一〇号の一)及びビニール袋入り覚せい剤二袋(同号の二の1及び2)を没収する。

理由

(殺人の犯行に至る経緯)

被告人は、本籍地中学校を卒業後、サッシ製作工場に就職したが長続きせず、その後職を転々とした後、成人になってからは定職に就かず、パチンコなどで生計を立てる毎日を送っていたものであり、昭和五九年七月ころ甲野花子と知り合い、同年八月ころから大阪市内で同棲するようになったが、そのうち同女が売春をしていることに気づき、そのことは納得したものの、同女が売春を離れて交際している男性も何人かいることを知って、同女との間でいさかいが絶えず、時には暴力を振るうこともあり、また、その相手の男性二人に対し、同女との関係を問い詰めたり、包丁で脅したりしたこともあった。昭和六二年一〇月ころにも、同女が外出したまま二、三日間帰ってこなかったことに立腹し、家を出て金沢に行ったが、同女が跡を追ってきたことから同年一二月初めころ同女と大阪に戻ったものの、自宅に帰ってみると、同女の男友達らが上がりこんでおり、また、同女がその男友達に部屋の鍵を渡していたことを知って、同人との仲を疑い、一向に男性関係の改まらない同女に対し腹立たしさを感じる一方、同女に対する愛情を断ちきることができずに思い悩みながら同棲を続けていた。他方、被告人は、昭和四六年ころから時時覚せい剤を使用するようになったが、多量の覚せい剤を注射して病院に運び込まれる騒ぎを起こしたこともあって一旦その使用を中断していた。その後、甲野花子が覚せい剤の常用者であったことから、被告人も昭和五九年一二月ころから覚せい剤を使用するようになり、昭和六二年二月ころからはほとんど毎日、少ない時で一回、多い時には五回も注射するようになり、一回当たりの使用量も耳かき一二、三杯分(約〇.一八グラム)に達するほどであったが、同年の夏ころからは幻聴・幻視などの覚せい剤の中毒症状が頻繁にあらわれるようになっていたところ、同年一二月二四日の夜から翌二五日の未明にかけて二回にわたり覚せい剤を注射した後にも幻聴などの中毒症状があらわれていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  前記の経緯で、甲野花子(当時四〇歳)に対する愛憎の葛藤に悩まされていたところ、大阪市浪速区恵美須西○丁目××番△△号ユーハイツえびす南三階C号の自宅において、昭和六二年一二月二五日未明、同女に性交を求めたが、これを拒否され、そのころから覚せい剤中毒の症状として同女を殺せという幻聴や同女を殺さないと自分が殺されるという被害妄想に襲われる状態が続いているうち、同日午後五時ころ、同所において、殺意をもって、就寝中の同女に対し、その胸部、腹部等を刺身包丁(刃体の長さ約二二センチメートル、昭和六三年押第一一〇号の一)で多数回にわたり突き刺しあるいは切り付け、よって、そのころ、同所において、同女を胸部及び腹部刺創に基づく出血により失血死させて殺害し、

第二  いずれも法定の除外事由がないのに

一  昭和六二年九月一三日午前一一時ころ、大阪市天王寺区生玉町一〇番九号ホテルビバリーヒル六〇三号室において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤結晶約〇.一八グラムを水に溶かし、自己の身体に注射して使用し、

二  同年一二月二六日午後一一時ころ、兵庫県神戸市中央区東雲通一丁目三番一五号喜楽別館二階桐の間において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤結晶〇.一八グラムを水に溶かし、自己の身体に注射して使用し、

三  同月二七日午前三時四五分ころ、同所において、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤結晶約一.〇三二グラム(昭和六三年押第一一〇号の二の1及び2はその鑑定残量)を所持したものであるが、第一の犯行当時覚せい剤を反覆使用した結果、その影響により精神障害に陥り、心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の標目)

<中略>

なお、弁護人は、判示第一の事実につき、被告人には殺意はなかったと主張し、被告人も公判廷においてこれに沿う供述をするので検討するに、前掲関係各証拠によれば、判示第一の犯行に使用された兇器は、刃体の長さ約二二センチメートルの鋭利な刺身包丁であり、これをもって人体の枢要部を刺せば優に人を殺害するに足りるものであるところ、本件犯行当時被告人はその兇器の危険性を認識していたと認められること、被告人は右包丁を使用して、無防備の被害者に対し身体の枢要部である胸部、腹部等を多数回にわたり突き刺していることが認められ、これらの兇器の性状、加害の態様、部位等に徴すれば、被告人は確定的殺意をもって本件第一の犯行に及んだものと認めることができる。

(判示殺人の犯行時における被告人の精神状態について)

弁護人は、判示殺人(以下、本件犯行という。)は、被告人が覚せい剤中毒による夢幻様状態においてなしたものであって心神喪失中の行為であり、仮にそうでないとしても心神耗弱中の行為であったと主張し、これに対し、検察官は、本件犯行当時、覚せい剤中毒により被告人の人格はさほど変容を受けておらず、本件犯行自体も幻覚、妄想に直接支配され、または動機付けられたものとは言えず、是非弁別能力及びこれに従って行動する能力の減退は認められるものの、その程度は著しいとまでは言えないと主張するので、以下この点について検討する。

一  前掲関係各証拠によれば、以下の事実を認めることができる。

1  被告人は、判示のとおり、覚せい剤使用により中毒症状に陥っていたものであるが、昭和六二年夏ころからは、クーラーから被害者などの声が聞えたり、テレビにポルノ映画が写ってみえたり、さらに「風呂で立っていろ。」との命令を受けるなど幻聴、幻視が頻繁に出現し、長時間風呂に立ち続けるという被影響体験もし、同年九月一三日には大阪市天王寺区内のホテルに投宿した際、幻視によりホテルに備え付けられていたドライヤーを損壊する騒ぎを起こした。本件犯行直前においても右状態にほぼ変わりはなく、幻聴に悩まされて睡眠も十分に取れず、本件犯行前日の昭和六二年一二月二四日の午後には、幻聴によって数時間も街頭で人を待ち続けており、その後飲酒したり、深夜から翌日未明にかけて覚せい剤を少くとも二度使用した。

2  本件犯行当日の同月二五日正午すぎからは、被告人は大勢の者に狙われる妄想に襲われ、「銃で撃つ。」「正面から行く。」などの幻聴に応じて被害者を盾にするようにして抱いたり、ドアに向けて花瓶を投げつけたりするうちに、「被害者が被告人を売った。」「花子を殺せ。殺さなければ、お前を殺す。」との幻聴を聞いたことを契機に、同女を殺すかどうかについて長時間迷った末、午後五時ころ、手近にあった刺身包丁で就寝中の同女の胸腹部や背部を刺し、頭部や手足に切りつけて、そのころ同所で同女を失血死せしめた。

3  右犯行後、被告人は疲れを感じ眠ったが、午後一〇時ころ、友人のAが尋ねて来た際、被害者を殺した旨打明け、「逃げるから金を用意してくれ。」と依頼したところ、同人が出ていったまま戻って来ないため、血で汚れた手を洗い、着替えをして、室内にあった覚せい剤を持って神戸方面に向かい、さらに友人のB、Cにも被害者を殺した旨打明けるとともに、合計三万三〇〇〇円の逃走資金を借り、また弟に電話をかけ、被害者を殺したことを告げるとともに、事件が発覚すると同人が失職するのではないかとの心配を話していた。

4  ところで、被告人は判示のように、被害者の男性関係に悩んでいたが、特に同女の交際相手二人がいずれも暴力団員であると思っていたことから相当の覚悟で同人らとの喧嘩に臨んでいた。このため、被告人は同女を愛する一方で、多くの男性と交際することを止めない同女に対する憎悪の感情も増幅させ、昭和六二年一〇月に、同女に対しもう帰らない旨言い残して金沢に行ったが、その際、同女の所持品を損壊、放棄するなどして同女への憎しみ、怒りを見せており、その後、同女が被告人を追って金沢に来たことで、被告人は改めて同女とやり直そうと思い、同年一二月初めころ、大阪に戻ったが、自宅にかつて被害者との喧嘩の原因となったDらが上がり込んでおり、同女が右Dに部屋の鍵を手渡していたことも知るに及び、右Dと喧嘩となり、その後同女が右D方にいるという幻聴により右D方へ赴き、押入れを探したが、同女がいなかったことなどがあり、ますます、同女に対する愛憎の葛藤に悩むようになっていた。

二  鑑定人林三郎はその作成にかかる精神鑑定書において、被告人の本件犯行時における精神状態について、「被害者甲野花子に対する愛憎の両価的葛藤及び覚せい剤中毒による幻覚、妄想状態、夢幻様状態において被告人は殺人に至ったと判断する。」と指摘し、さらに、証人として公判廷において、<1>被告人は、本件犯行当日の午前七時ころから本件犯行時まで幻覚、妄想状態が続いていた、<2>同日正午ころから本件犯行までの約五時間、被害者を殺すか否かの葛藤の中にあり、最終的には被害者を殺さなければ、自らが殺されるという二者択一に迫られ、本件犯行に至った、<3>本件犯行時は夢幻様状態にあり、状況は分かっているが夢を見ているようなピンと来ない状態であったが、自己の行動はよく記憶しており、意識障害は浅い段階であった、<4>覚せい剤中毒の幻覚、妄想が非常に盛んであることが条件としてあり、愛憎の両価的葛藤が加わって本件犯行に及んだとの要旨の供述をしている。

三  前記事実関係及び鑑定人の意見を総合すると、被告人の本件犯行当時の精神状態は、幻聴、被害妄想が非常に活発であったことは認められるものの、「被害者が被告人を売った。」「花子を殺せ。」という幻聴は、被告人自身の実際に経験した事実と密接不離なものであり、ただ内心の動機が幻聴という形で表われている点において、覚せい剤中毒に基因する精神状態の異常を認めうるのであって、換言すれば幻聴とこれに基づく被害妄想のような病的な体験はあってもなお意思、判断の自由は残されており、被告人の人格全体が支配されていなかったと認めることができる。右のように意思、判断の自由が存したからこそ、数時間もの間、殺すか殺さないかの葛藤で悩んだと考えられる。また、右の点のほか、被告人の本件犯行時の記憶が清明であること、前記認定の如く犯行後に冷静に対処していることも併せ考えると、被告人は、本件犯行当時、是非善悪を弁識する能力及びこれに従って行動する能力を未だ欠くには至っていなかったものと認められる。

しかしながら、被告人の覚せい剤中毒はかなり進行し、被害者に対して有していた攻撃性が、中毒による幻覚を介し尖鋭化、顕在化するに至ったことも明らかであって、本件犯行当時、被告人は是非善悪を弁識し、これに従って行動する能力を著しく減弱した状態、すなわち心神耗弱の状態にあったと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法一九九条に、判示第二の一及び二の各所為はいずれも覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に、判示第二の三の所為は同法四一条の二第一項一号、一四条一項にそれぞれ該当するので、判示第一の罪については有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから刑法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第二の三の罪の刑に法定の加重をした刑期(但し、短期は判示第一の罪の刑のそれによる。)の範囲内で被告人を懲役六年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入し、押収してある刺身包丁一丁(昭和六三年押第一一〇号の一)は判示第一の犯罪行為の用に供した物で被告人以外の者に属しないから同法一九条一項二号、二項本文を適用し、押収してあるビニール袋入り覚せい剤二袋(同号の二の1及び2)は判示第二の三の罪に係る覚せい剤で被告人が所持するものであるから覚せい剤取締法四一条の六本文によりいずれも没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件殺人の事案は、被告人が、内縁関係にあった被害者の男性関係を嫉妬し、同女に対する愛憎の念の板ばさみに悩んでいたところ、覚せい剤中毒の影響が相まって、殺意をもって、就寝中の被害者の身体を刺身包丁でめった突きにして殺害したというもので、その加害態様は執拗かつ残忍なものであって、右犯行が心神耗弱状態の下でなされたとはいえ、被告人の従前からの覚せい剤の常用がこれを招いた点を看過することはできず、また、本件覚せい剤取締法違反は自己使用二件、所持一件の事案であるが、その使用歴、使用頻度及び一回当たりの使用量の多さからして被告人の覚せい剤についての常習性は顕著であり、以上によれば、被告人の刑事責任は重大であるというべきで、被告人が現在では本件各犯行、特に殺人の犯行を深く反省していることを考慮しても主文掲記の量刑が相当であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野間洋之助 裁判官 杉本啓二 裁判官 渡部勇次)

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