大阪地方裁判所 昭和63年(ヨ)1084号 決定 1988年9月06日
申請人
武川文一
右申請人代理人弁護士
田中康之
被申請人
塩野義製薬株式会社
右代表者代表取締役
吉利一雄
右被申請人代理人弁護士
藤井栄二
主文
本件申請を却下する。
申請費用は申請人の負担とする。
理由
第一当事者の申立て及び主張
一 申立て
申請人は、「被申請人は申請人に対し、金五七四万八三一〇円を仮に支払え。」との裁判を求め、被申請人は主文同旨の裁判を求めた。
二 主張
1 申請人は、申請の理由として要旨次のとおり述べた。
(一) 申請人は昭和三八年二月一日ころ被申請人会社に雇傭された者である。
(二) 申請人は昭和六二年三月一三日ころ被申請人会社研究所の開発品評価研究担当部長平井瑛三(以下「平井部長」という。)及び同研究所総務部次長遠藤健(以下「遠藤次長」という。)から、同年九月三〇日付けの退職願を作成提出するよう要求され、これを作成提出した。
(三) しかし申請人は、被申請人会社取締役永田亘宛の同年九月一一日付け郵便により前項の退職願を撤回する旨意思表示し、右意思表示は遅くとも同年一〇月一三日には被申請人会社に到達した。
(四) 申請人の右退職願の提出は、雇傭契約の合意解約の申込みであるが、これに対する退職の承認は、一般の慣行や被申請人会社の就業規則一三四条が「従業員の採用及び任免は、社長がこれを行い、辞令をもってする。」と定められていることからして辞令の交付をもってなすべき要式行為であるところ、申請人が前項のとおり退職願を撤回するまで被申請人会社が申請人に対し辞令をもって退職を承認したことはなかったから、申請人の右撤回は有効である。
また申請人が退職願を作成提出するに当たって、平井部長や遠藤次長から、退職期限の同年九月三〇日までの間に退職願が受理されないよう取り計らってやる旨の話があり、申請人はこれを信じて退職願を提出し自宅勤務に入ったものであり、また平井部長や遠藤次長には退職承認の権限はなく、社長の決定事項であり、このような事情からしても、退職願提出の段階で被申請人会社が退職を承認した事実はないといえる。
(五) しかるに被申請人会社は申請人が退職願を撤回した後の同年一一月一三日、同年九月三〇日付けの「退職を承認する」との辞令を申請人に送付し、右辞令は同年一一月一四日申請人に到達した。そして以後被申請人会社は申請人の就労を拒否しており、したがって右退職承認の辞令交付は実質的に解雇の意思表示である。
(六) よって申請人は被申請人会社に対し次のとおり給与等の支払請求権を有する。
(1) 同年一〇月一日から同年一一月一四日までの未払給与金七四万一四〇〇円(一か月当たり能力給四九万二〇〇〇円、調整給一万三五〇〇円の合計金五〇万五五〇〇円)
(2) 就業規則一四五条二項に基づく解雇予告手当金三〇三万三〇〇〇円(給与の六か月分)
(3) 夏期賞与及び冬期賞与として、それぞれ能力給の二・六か月分の支給を受けるべきであるのに、同年七月に金四九万二〇〇〇円(一か月分)を、同年一二月に九万二四九〇円を各受領したのみであり、その未支給額金一九七万三九一〇円
以上合計金五七四万八三一〇円
(七) 申請人は妻子を抱えて失職し雇傭保険給付のみで生活しているが、長男が大学に進学する時期に当たりその学費等の支出もあって、生活に困っており、雇傭保険給付も三〇〇日で打切られることになっており、このままその時を迎えると生活が破綻することは必定であり、本案判決を待つことはできないので前記未払給与等の仮払を受ける必要性がある。
2 被申請人は、申請人の右主張に対し、次のとおり認否、反論した。
(一) 申請の理由(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実中、申請人が同年九月三〇日付けで退職する旨の退職願を提出したことは認め、平井部長、遠藤次長が退職願の作成提出を要求したことは否認する。
(三) 同(三)の事実中、申請人が被申請人会社取締役永田宛に郵便を出したことは認め、同郵便により退職願を撤回したことは争う。
(四) 同(四)のうち、退職願の提出が雇傭契約の合意解約の申込みであること及び就業規則一三四条の規定の存在は認め、その余は争う。
申請人は同年三月一六日被申請人会社に対し「昭和六二年九月三〇日付けで退職する」旨の退職願を提出した。これに対し被申請人会社は同月二三日小河泰二人事部長を含めた内部協議により退職承認を決定した上、申請人に対し同月二四日に右期限付退職の申出を承認する旨告知し、これにより申請人と被申請人間に雇傭契約の期限付合意解約が成立したのである。そして右期限の到来により申請人は当然に退職したものである。
なお退職の承認は辞令の交付を要する要式行為ではなく、被申請人会社が申請人に事後的に辞令を交付したのは単に形式的、慣例的なものである。また、就業規則一三四条にいう「任免」は、会社が一方的専権的に決定し得る従業員の「職務」に関する任免であり、退職は含まないのであり、このことは就業規則第五章人事につき、第一節を採用及び任免とし、第三節を退職としており、一三四条が第一節に置かれている構成から明らかである。
仮に退職の承認が辞令の交付を要するとしても、申請人は被申請人会社が辞令を作成しこれを交付すべく再三呼出したのに応じなかったのであるから、申請人が退職願を撤回し、あるいは同年九月三〇日までに辞令の交付がなかったことを主張するのは信義則に反し許されない。
(五) 同(五)の事実中、被申請人会社が申請人に退職承認の辞令を交付したことは認め、その余は争う。
(六) 同(六)、(七)はいずれも争う。
第二当裁判所の判断
一 申請の理由(一)の事実並びに、申請人が被申請人会社に対し、「昭和六二年九月三〇日付けで退職する」旨の退職願を提出したこと及び被申請人会社取締役永田宛に郵便を出したこと、申請人による右退職願の提出が雇傭契約の合意解約の申込みであること、被申請人会社の就業規則一三四条の規定の文言が申請人主張のとおりであること、以上の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで申請人の退職願に対する被申請人の承認について検討するに、右当事者間に争いのない事実並びに本件全疎明資料及び審尋の結果を総合すると、右退職願提出の経緯及びこれに対する被申請人会社の対応は以下のとおりであることが一応認められる。
1 申請人は昭和三八年二月一日に被申請人会社に入社後、被申請人会社研究所研究員としてステロイドホルモンの基礎研究等に従事し、昭和五〇年以降は抗生物質関係の文献調査や研究所年報の編集等に従事していたものであり、昭和六三年一二月二日をもって満六〇才を迎え被申請人会社を定年退職する予定となっていた。
2 しかるところ、昭和六〇年一一月ころ申請人は母校の東京理科大学が学科増設を計画し、これに伴い教授を募集していることを知り、同大学の理事長である恩師に採用方を申込んだところ、候補者になり得たものの文部省の教員資格審査のために新しい論文を作成する必要がある旨教示されたので、被申請人会社に対し右転職に必要な論文作成のための研究・実験をさせて欲しい旨申し出た。当時被申請人会社は申請人の職務上自ら実験を行わせないこととしていたが、申請人の右申し出に対し、特に転職の便宜を図る趣旨でこれを許可した。そこで申請人は被申請人会社研究所の施設や実験機器等を利用して研究・実験を進める一方、東京理科大学への就職活動を続け、それらの状況を直属の上司である平井部長に随時報告していた。
3 ところが、東京理科大学教授への就職は、他に有力な候補者が出たためご破算となり、申請人は同大学の付属機関として将来設立される生命科学研究所に採用が予定されることとなった。そこで申請人は昭和六二年二月ころ平井部長や永田取締役に手紙<証拠略>を送り、右就職活動の結果を伝えるとともに定年まで被申請人会社に在籍したい旨の希望を申し出た。
4 そのため同年三月一二日平井部長及び遠藤次長は申請人と面会し、就職活動の経過や今後についての意向などを聴取したところ、申請人は転職ができなくなったので定年まで在籍させてほしい旨申し述べた。これに対し平井部長らは、申請人に転職のための研究・実験が特に許可されたのは、転職に伴い定年前に退職するということが前提であり、会社から特別の便宜を受けておきながら転職が駄目だから定年まで会社に残りたいというのは身勝手であるとの認識の下に、申請人に対し自ら退職を申し出るのが筋であるとして退職を勧告した。これに対し申請人は前記の生命科学研究所への転職が同年秋ころには具体化しそうであり、今退職すると浪人の身になり転職にマイナスになるので、秋ころまで会社に在籍させて欲しい旨述べた。そこで遠藤次長は申請人に対し、米野太一郎研究所長宛に右退職時期の希望を含め出処進退を明らかにする文書を作成し、それに退職願を添付して翌朝九時までに平井部長に提出するよう指示した。
5 しかし翌一三日朝、申請人は米野研究所長の秘書を通じ同所長に直接文書(<証拠略>)を提出したが、同文書には前日平井部長から受けた退職勧告に納得できないとの趣旨が含まれていたため、右文書を見た平井部長と遠藤次長は同日再び申請人と面会し、前日の指示どおりの文書を作成、提出しなかったことを難詰するとともに、文書の一部内容を口述するなどしてその作成方を促した。そして同日申請人が同人らの指示に沿う同日付け文書(<証拠略>)を作成したので、平井部長において右文書の一部修正と同月一六日までの再提出を指示した。
6 しかるところ同月一六日申請人は米野研究所長宛の文書(<証拠略>)とともに同年九月三〇日付けで退職する旨の退職願(<証拠略>但し最終出社日等一部空白あり。)を提出したので、平井部長らはこれを米野研究所長に取り次ぎ、同所長が小河泰二人事部長と協議の上、申請人の右退職願を受理し、同年三月三〇日から退職期限の同年九月三〇日までを自宅勤務とし、その間の給与については能力給及び調整給は従来どおりとし、役職給はカットし、夏期賞与は休職に準じて能力給の一か月分とすることなどを同年三月二三日までに決定した。そこで同月二四日平井部長及び遠藤次長は申請人と面会し、被申請人会社が申請人の退職を承認すること及び前記のとおりの処遇を決定したことを伝えるとともに、申請人との間で、最終出社日を同月二七日とすることなどを申し合わせた上、退職願の未記入部分に申請人自ら記入せしめた。
7 そして同月三〇日以降申請人は従来使用していた被申請人会社の部屋を明渡した上自宅勤務に入り、被申請人会社との間で処遇等に関し特に接衝を持つこともなく推移したが、同年八月末被申請人会社が申請人に対する退職手続の一環として社会保険関係の書類(雇傭保険被保険者資格喪失届出等)を申請人に送付したところ、申請人は右書類を返送するとともに、これに添えて「先の遠藤、平井(瑛)両氏の私への処置につきまして代理人と相談しており、現在では法の判断を頂いた時点で従へば良いと思っておりますので御諒承下さい。」と記載した文書(<証拠略>)を送付した。そこで遠藤次長は申請人の意図を確認すべく電話で連絡をとったが、申請人は同人との話合いを拒否した。
8 被申請人会社人事部では申請人の退職手続として同年九月四日に退職連絡票を作成し関係部署に配付するとともに、退職辞令を作成し、退職日ないしその翌日に交付すべく準備した。しかしその後遠藤次長において申請人が健康状態が悪く通院中であることを知り、人事部に対し申請人に対する退職手続の遂行を一時留保してくれるよう要請したので、退職日における辞令の交付は差し控えられることになった。
しかるところ申請人は、かつて研究所の上司であった永田取締役に対し、同年九月一一日付で「結論を申し上げますがこれらの退職願および研長あての書簡は返却して頂く措置を講じて頂きたいと思います。」などの記載を含む手紙(<証拠略>)を送付していたが、同取締役が海外出張で長期不在であったため、同年一〇月一三日に至り帰国した同取締役が右手紙を読み、被申請人会社にこれを知らせた。
9 そこで遠藤次長が申請人宅に架電したが申請人と連絡がとれず、さらに米野研究所長名の文書(<証拠略>)や遠藤次長の手紙(<証拠略>)により申請人に出社を要請したが応じなかったので、遠藤次長が申請人宅を訪問したが申請人は面会を拒否した。
そこで被申請人会社は同年一一月一三日付けで前記辞令を申請人に郵送した。
以上の事実が一応認められ、(証拠略)中の申請人の陳述ないし供述記載のうち、右認定に反する部分はいずれも措信できず、他に右認定を左右するに足る疎明はない。
三 右認定事実に照らすと、申請人が被申請人会社に対し退職願を提出し雇傭契約の合意解約の申込みをなしたのに対し、被申請人会社は昭和六二年三月二三日までに申請人の退職を承認することを内部決定した上、同月二四日申請人に対しこれを告知したのであるから、申請人と被申請人会社との雇傭契約を同年九月三〇日限り解約するとの合意が同年三月二四日に成立したものと認めるのが相当である。
ところで申請人は、退職承認は辞令交付を必要とする要式行為である旨主張するが、私企業における労働者からの雇傭契約の合意解約の申込みに対する使用者の承諾の意思表示は、就業規則等に特段の定めがない限り、辞令書の交付等一定の方式によらなければならないものではないところ(最高裁第三小法廷昭和六二年九月一八日判決・労働判例五〇四号六ページ参照)、申請人が援用する被申請人会社の就業規則一三四条は、「従業員の採用及び任免は、社長がこれを行い、辞令をもってする。」と定めているが、右就業規則の第五章人事の第一節を「採用および任免」とし、第三節を「退職」とする構成となっており、右一三四条が第一節に置かれた規定であることからすると、右規定にいう「任免」は退職の承認を含まないというべきであるから、右規定は退職承認が辞令交付を要することの根拠とはならない。また退職承認が辞令交付を要する要式行為であることが一般的慣行であるとは認め難いし、被申請人会社において、そのような労働慣行が存することの疎明もない。もっとも、本件において被申請人会社が申請人に対し退職承認の辞令を交付しており、かかる辞令の交付自体は慣行として行われていることが窺われるけれども、審尋の結果によれば被申請人会社においては定年退職、希望退職の別なく辞令の交付が行われており、そうだとすると、慣行として行われている辞令交付は退職の確認的措置にすぎないと認めるのが相当である。よって申請人のこの点に関する前記主張は理由がない。
なおまた、退職承認につき右就業規則一三四条の規定の適用はないから、退職承認が社長の決定を要する行為であるとも認めることはできず、むしろ(証拠略)によれば、被申請人会社の就業規則で様式が定められた退職願の決裁欄は人事部長の決裁をもって最終のものとしていることが明らかであり、退職承認は人事部長が決定し得ることとしていることが窺われる。
さらに申請人は、申請人の退職願提出に際し平井部長らは退職願が受理されないよう取り計らう旨申し向けたと主張し、(証拠略)中の申請人の陳述ないし供述記載には右主張に沿う部分があるが、申請人が退職勧告を受けた経緯、状況の説明において、申請人が無断で実験を行ったとの理由でとがめられたというなどの点で極めて不自然であり、到底措信できず、他に右主張につき疎明はないから、申請人の右主張もまた採用できない。
四 そうだとすると、申請人と被申請人間の雇傭契約については、昭和六二年三月二四日をもって同年九月三〇日限り解約する旨の合意が成立したのであるから、それ以後においてもはや申請人が退職願を撤回することはできないといわねばならず、従って申請人の右撤回に関する主張は、その撤回時期の点で主張自体失当であることが明らかといわねばならない。
五 そうすると、申請人は同年九月三〇日の経過をもって被申請人の従業員たる地位を喪失したものと認められるから、申請人主張の給与等の支払請求権のうち、同年一〇月一日以降の未払給与は認められないことはいうまでもないし、解雇予告手当の請求も理由がないことは明らかである。さらに(証拠略)及び審尋の結果によれば、被申請人会社は役付の休職者に対する賞与として能力給の一か月分を支給する慣行があり、これに準じて自宅勤務中の申請人の夏期賞与として能力給の一か月分金四九万二〇〇〇円を支給したこと、冬期賞与については被申請人会社と労働組合との協定により、同年九月三〇日から同年一一月一九日までの退職者には金一封とするとされ、役職者に対する金一封は一〇万円とされており、被申請人会社は右協定を踏まえ申請人に対する冬期賞与として金一〇万円を支給したことが一応認められる。なお(証拠略)によれば、被申請人会社と労働組合との協定により、組合員の賞与については最低支給額を保障する運用がなされていることが窺われるが、非組合員である申請人について、最低支給額の保障があることの疎明はない。よって申請人が賞与として既受給額以外に支払請求権を有することは肯認できない。
六 以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく本件申請は理由がないので却下し、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 田中澄夫)