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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)11579号 判決 1991年1月28日

原告

前川保清

外三名

右原告四名訴訟代理人弁護士

瀬戸俊太郎

瀬戸精二

針谷紘一

被告

箕面市

右代表者市長

中井武兵衛

被告

清水洋良

右被告両名訴訟代理人弁護士

小林淑人

被告

大正海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

小室俊一

右被告訴訟代理人弁護士

谷口宗義

主文

一  被告大正海上火災保険株式会社は、原告ら各自に対し、それぞれ金五二五万円及びこれに対する昭和六三年一二月二四日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らに生じた費用の三分の一と被告大正海上火災保険株式会社に生じた費用を同被告の負担とし、原告らに生じたその余の費用と被告箕面市及び被告清水洋良に生じた費用を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項につき仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一(昭和六三年(ワ)第一一五七九号事件)

被告箕面市、被告清水洋良(以下「被告清水」という。)は、各自

1  原告前川保清に対し、金一三二四万八〇四一円及び内金九七四万八〇四一円に対する昭和六三年八月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員

2  原告菅原由美、同森山利美、同伊藤則子(以下「原告則子」という。)に対し、それぞれ金八三四万八〇四一円及びこれに対する昭和六三年八月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二(昭和六三年(ワ)第一一五八一号事件)

主文一項と同旨

第二事案の概要(両事件共通。一ないし三の事実は、証拠を摘示したものを除き争いがない。)

一事故及び診療の経過について

1  訴外前川数雄(以下「数雄」という。)は、昭和六三年七月二九日(以下「七月二九日」のように表示する。)午後四時ころ、箕面市坊島四丁目一九番先路上において、軽貨物自動車を運転中電柱に衝突し(<書証番号略>。以下「本件交通事故」という。)、救急車により被告箕面市の経営する箕面市立病院(以下「本件病院」という。)に搬入された。

本件病院では、被告箕面市に雇用され本件病院で医師として診療に従事している被告清水が、同日午後四時三〇分ころから数雄の診察にあたった。

2  初診時の数雄の状況は、下顎部挫創及び右前腕、右膝、右肘に各擦過創があるほか、上腹部をかなり痛がり、触診でも上腹部に圧痛があった。被告清水は、問診、触診及び腹部レントゲン検査等を実施し、レントゲン室から帰室後も診察したが、問診、触診及びレントゲン所見等から腸管破裂等の腹腔内臓器損傷を疑わせる他覚的所見に乏しいと判断し、それ以上腹部CTスキャン検査等は行わず、数雄を帰宅させて経過観察することとした(<書証番号略>、被告清水本人)。

そして、数雄に付き添っていた原告則子に対し、疼痛の増悪化、意識障害、血便、血尿、腹部の腫れ等の症状悪化があれば、すぐに救急車で病院に搬送し受診すること、症状が悪化しなくても翌日外科で受診することなどを指示し、同日午後五時三〇分ころ、数雄を帰宅させた(原告則子本人、被告清水本人)。

3  数雄は帰宅後も腹部の痛みを訴えたので、同日午後九時ころ、原告則子は被告病院に電話し、宿直医である中村宣雄医師に、鎮痛剤の座薬を入れたが痛みが治らない旨伝えたところ、同医師は、血便、血尿、腹部の腫れがないか注意してしばらく経過観察するように指示した(原告則子本人)。

4  その後、翌朝まで、数雄の痛みは鎮静化せず、翌三〇日午前九時ころに本件病院を訪れ、被告清水及び大植雅之医師の診察を受けて入院し、更に、以前数雄の胆嚢摘出手術を担当したことのある本件病院の外科部長水本正剛医師(以下「水本」という。)の診察を受け、水本の判断で同日午後二時五〇分から四時五〇分まで試験開腹手術を施行したところ、空腸穿孔(空腸輸入脚に径二センチの穿孔)及び汎発性腹膜炎の症状を呈していたため、空腸穿孔部縫合止血術及び腹腔ドレナージ術を施した(<書証番号略>、原告則子本人、被告清水本人、水本証人)。

5  しかし、数雄は翌三一日午後〇時五五分腸管破裂による汎発性腹膜炎により本件病院で死亡した(<書証番号略>)。

二原告らの地位について

原告らはそれぞれ、数雄の長男、長女、次女、三女であり、数雄には他に相続人はいない(<書証番号略>)。

三保険契約について

1  数雄は、被告大正海上火災保険株式会社(以下「被告会社」という。)との間で、昭和六二年一〇月五日、数雄を保険契約者、被告会社を保険者、本件交通事故の際数雄が運転していた軽貨物自動車を被保険自動車、保険金を自損事故傷害一四〇〇万円、搭乗者傷害七〇〇万円、保険期間を昭和六二年一〇月一一日から同六三年一〇月一一日までとする自家用自動車保険契約(保険証券番号第〇〇二五八六五七二一号)を締結し、所定の保険料を支払った。

右契約では、被保険者が事故により傷害を被り、その直接の結果として死亡したときには、前記自損事故傷害金及び搭乗者傷害金を死亡保険金としてその相続人に支払う約定となっている。

2  原告らは、数雄の死亡後、被告会社に対し、本件交通事故発生及び数雄の死亡の事実を告知した。

四本件各請求権について

原告らは、被告清水に対し不法行為による損害賠償、被告箕面市に対し被告清水の使用者責任による損害賠償として、それぞれ逸失利益一五三九万二一六四円、数雄の慰謝料八〇〇万円、原告ら固有の慰謝料一人当たり二五〇万円、葬儀費用一四〇万円、弁護士費用三五〇万円合計三八二九万二一六四円及び事故発生後の遅延損害金の支払いを求め、被告会社に対し、保険契約に基づく約定保険金合計二一〇〇万円及び訴状送達後の遅延損害金の支払いを求め、被告会社への訴状は昭和六三年一二月二三日に送達された。

五本件争点について

1  被告清水の注意義務違反及び因果関係

原告は、被告清水には、①初診時の処置として、CT検査等本件で実施した以上の検査及び開腹手術を実施すべき注意義務、②初診時において、非開放性腹部損傷に十分な知識経験を有する他の外科医師の協力を求めるべき注意義務、③経過観察に際し、入院措置をとり医師自らが観察すべき注意義務、④宿直医に適切な引継ぎをすべき注意義務があるところ、被告清水の右各注意義務の違反と数雄の死亡との間には相当因果関係がある旨主張するのに対し、被告清水、被告箕面市は、①、②、③の注意義務の存在を争い、また④の注意義務は尽くした旨主張し、さらに、被告清水の右各注意義務違反と数雄の死亡との間の因果関係を争う。

2  原告らの損害額

被告清水、被告箕面市は、原告ら主張の損害を争う。

3  本件交通事故と数雄の死亡との因果関係

被告会社は、数雄の死亡は、本件病院における医療過誤によるものであるから、本件交通事故の直接の結果として死亡したものではないと主張し、原告らは、医療過誤の有無にかかわらず、数雄の死亡は本件交通事故の直接の結果であると主張する。

第三争点についての判断

一診察時の状況について

前記事実に加えて、<書証番号略>、原告則子本人尋問の結果、被告清水本人尋問の結果、水本証人の証言及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

1  七月二九日の初診時の数雄の症状

被告清水は、診察に際して、数雄及び搬送にあたった救急隊員から、自動車を運転中電柱に正面衝突して腹部、下顎部等を打撲したとの説明を受けた上で診察し、問診、触診をしたところ、数雄は下顎部挫創及び右前腕、右膝、右肘に各擦過創があるほか、腹部には、表面に外傷はみられないが、上腹部をかなり痛がり、触診でも上腹部に圧痛があった。他方、数雄は意識は清明で、筋性防禦や反跳現象はなく、腹部は柔らかであり、肝臓、脾臓、腎臓の圧痛は認められなかった。なお、尿検査を実施しようとしたが、排尿が得られないため実施できなかった。

また、数雄の既往症としては、昭和六一年の本件病院での胆嚢摘出手術を含め二度腹部の手術歴があることが診療録上認められた。

その後被告清水は、臥位と立位の腹部レントゲン撮影を指示したが、数雄の痛み等により立位の撮影はできず、臥位及び側面座位の撮影がなされ、そのレントゲン所見では、腸腰筋の陰影は明瞭であり、フリーエア、即ち腹腔内への空気の漏出所見は見られず、大腸と腹壁との間隔はレントゲン写真の影像が切れてよく見えない状態であった。

更に、レントゲン室から帰室後も診察したが、腹部所見に変化・異常はなく、血圧測定の結果は一六〇から九〇とやや安定し、疼痛緩和のためにペンタジン一アンプルを筋肉注射したところ、痛みが軽減した。

なお、退院の際は、数雄は独立歩行はできず、ストレッチャーに乗せられて病院を出て、原告則子の車で同原告宅(病院から車で約一〇分かかる)に帰宅した。

2  七月三〇日の診察時の数雄の症状

七月三〇日の被告清水、大植の各診察でも、筋性防禦や反跳現象はなく、腹部は柔らかであるなど腹膜炎の典型的症状はみられなかったが、数雄の前日からの自発痛、上腹部の圧痛は治らず、苦悶状顔貌、呼吸促迫等が認められるなど異常状態であったため、検血、検尿、立位のレントゲン検査等を施行し、数雄を入院させることとした。右検査の結果は、BWC(白血球数)は五五〇〇で正常値(八〇〇〇まで)の範囲内であり、血尿は認められず、レントゲン撮影による腹腔内への空気の漏出の有無については判断不能であった。

その後、同日午前一一時ころ、水本が数雄を診察し、その所見も前記大植らの所見とほぼ同様であったが、浅在性呼吸促迫、苦悶状顔貌、自発痛等からみて腹部臓器に何らかの損傷又は異常がある疑いが濃いと判断し、腹部臓器の損傷の有無、部位等を明らかにするための試験開腹手術を実施することとした。その後、水本の指示でCT検査等を実施した。CT検査では腹腔内に管腔臓器から漏出した体液の貯溜が認められた。

右試験開腹手術は、同日別件の緊急手術の予定があったため、同日午後二時五〇分から実施された。

二初診時の検査不足等について

原告は、被告清水にはCT検査等の実施及び早期開腹手術による腹腔内臓器損傷の発見とその洗浄をすべき注意義務があったと主張するので検討する。

1  腹部打撲の場合の留意事項

一般に、本件のような交通事故により腹部に打撲をうけた場合、ハンドル外傷等により腸管破裂等の非開放性腹腔内臓器損傷が生ずる相当の危険性があり、右危険の程度は外傷の程度とは必ずしも平行しないものであるから、診察に当たる医師としては、腹部に特段の外傷の見られない場合でも腹腔内臓器損傷の有無、その症状の発現には相当の注意を払うべき注意義務があり、腹部に加わった外力の部位、程度が明らかでない場合には、より慎重な検査、経過観察が必要である。

そして、一般に、腹腔内臓器損傷発見のための決定的な検査方法は存在しないが、CTスキャンによる検査は、レントゲン検査や超音波検査よりも有力な検査方法とされている。

また、腸管破裂等の腹腔内臓器損傷が生じている場合、筋性防禦や反跳現象などのいわゆる腹膜刺激症状が見られるのが通例であり、腸管破裂があっても腹膜刺激症状が見られない場合としては、中等度以上の出血性ショックを伴ったり、頭部外傷のため意識障害を伴う場合、肋骨・骨盤骨折を合併している場合等が指摘されている。腹膜刺激症状の発現時期については、受傷直後から何らかの症状が発現する場合が多いが、受傷直後には発現せず、受傷直後の一時性ショックと一過性の疼痛が治り受傷数時間経過後に発現することもある。

そして、腹腔内臓器損傷の存する相当の疑いのある場合には、たとえレントゲン等の画像診断により確定診断がつかない場合であっても、試験開腹手術そして右損傷がある場合は腹腔内洗浄等の処置をとるべきである(<書証番号略>、水本証言、被告清水供述)。

2  本件初診時の腹腔内臓器損傷の予見可能性

前記認定によれば、本件の初診時の状況では、被告清水は、数雄が腹部等を打撲したとの説明を受けたこと、問診、触診の結果数雄が上腹部をかなり痛がったこと等から腹腔内臓器損傷に留意すべき状況にあったことは認められるが、他方、数雄には筋性防禦や反跳現象などのいわゆる右損傷に特有の腹膜刺激症状はなく(前記例外に該当するケースではない。)、腹部も柔らかで、レントゲン所見でも腹腔内への空気の漏出所見は見られず、約一時間の診察時間終了時にも、腹部所見に異常変化はなく、血圧もやや安定し、鎮痛剤投与の結果ではあるが痛みも軽減したこと等の状況からみて、腹腔内臓器損傷を積極的に推測させる事情はなく、被告清水が、その時点で症状は軽快に向っており腸管破裂等が生じている可能性が低いと判断したとしても、被告清水の判断に誤りがあったということはできない。

3  CT検査の要否

前記のように、CTスキャンによる検査は、腹腔内臓器損傷発見のためには有力な手段であるが、被告清水や水本証人の供述によれば、少なくとも本件病院では、CT検査は、問診、触診、レントゲン検査等により腹膜刺激症状その他腹腔内臓器損傷を窺わせる何らかの他覚的所見がある場合にはじめて実施するのを通例としているが、これは、腹腔内臓器損傷があるのに前記症状、所見がみられないのは稀れであるのに反し、右検査に伴う患者の苦痛、その高額な費用負担(原則として本人負担)、更に、後記のとおり、受傷直後の診察時に右症状、所見がなく受傷数時間後に右症状が発現しても受傷後二四時間以内に開腹手術・腹腔内洗浄等の処置をすれば救命できるのが通常であることなどを併せ考慮してのことであり、右取扱いは医師の診察・検査義務との関係においても違法不当なものとはいえない。

そうすると、腹部打撲による腹腔内臓器損傷の一般的可能性に止まる段階では右検査をせずに、腹腔内臓器損傷を疑わせる何らかの症状、所見がみられた場合にはじめて(受傷後数時間経過後に発現したときは受傷時刻を考慮してその段階で)右検査をすることが違法不当とはいえない以上、被告清水が前記初診時の数雄の症状からみてCTスキャン検査等をしなかったとしても、被告清水に検査義務に違反した違法があるということはできない。

4  早期開腹手術の要否

早期開腹手術やそれによる腹腔内洗浄は、それ自体患者に相当の苦痛と危険を伴うものであり、CT検査、その他諸検査により腹腔内臓器損傷を疑うに足る相当の症状、所見がある場合にはじめて実施すべきものといえる。

特に数雄は腹部に二回の手術歴があり、そのために上腹部にはかなりの癒着が生じて開腹手術が困難であることも予想される(現実の手術でも、通常の倍以上の約二時間を要している(水本証人)。)ので、腹部打撲による腹腔内臓器損傷の一般的可能性に止まる段階では、これを実施しないことが医師としての検査義務に違反するものとはとうていいえない。

そうすると、被告清水が前記初診時の状況から判断して試験開腹手術をしなかったとしても、検査診療義務に違反した違法なものとはいえない。

三他の外科医の協力要請の要否について

原告らは、被告清水は一般外科専門医でないので、初診時において水本ら一般外科専門医の協力を求める義務があると主張するので検討する。

被告清水本人尋問の結果、水本証人の証言によれば、被告清水は、大学では脳外科を専攻し、昭和五九年六月に医師免許を取得し、すぐに大阪府立千里救命救急センターで救急医療に携わり、交通事故によるハンドル外傷の患者数百例を経験していること、同六一年一月から大阪大学脳神経外科に、同年七月から摂南病院の神経外科に、同六三年一月から本件病院の脳神経外科にそれぞれ勤務したこと、他方、本件病院において、初診時の七月二九日午後五時ころには、外科部長である水本をはじめとする一般外科の専門医が、本件病院内で検討会をしており、直ちに連絡可能な状況にあったことも認められる。

従って、数雄の診察に際し、より慎重確実を期するという意味では、水本らに協力を求めることがより有効適切であったといえるが、他方、右協力を求めなかったことが協力要請義務に違反するというためには、平均的医師の知識・経験・能力をもってすれば腹腔内臓器損傷についての専門的知識・経験・能力を有する医師に協力を依頼することが必要かつ相当な状況にあることが必要であり、本件では、被告清水自身も本件病院の当日の救急担当医師であり、かつ今迄に前記救命救急センターで多数の救急医療の経験があること、前記のように初診時においては、腹部打撲による一般的危険性を超えて腹腔内臓器損傷を窺わせる症状、他覚的所見はなかった(一般外科専門医によっても看取できる状況にはなかった)ことなどからみて、他の一般外科専門医に協力を依頼することが相当な事情があったとまでは認められない。

そうすると、被告清水が他の一般外科専門医の協力を要請しなかったとしても、右協力義務違反の違法があるとはいえない。

四経過観察方法の適否について

原告は、腹膜刺激症状等は受傷数時間後に発現することがあることから、被告清水は少なくとも右時間内は数雄を入院させる等により医師自ら注意深く経過観察すべきであるのに、帰宅させ素人である原告則子に委ねた点に経過観察義務違反があると主張するので検討する。

1  自宅で経過観察することの当否

腹膜刺激症状は、前記のとおり、受傷直後には発現せず、受傷直後の一時性ショックと一過性の疼痛が治り受傷数時間後に発現することもあるので、受傷直後である初診時に腹膜刺激症状が出ていないとしても、その後数時間程度は、右腹膜刺激症状が発現する相当の危険性があることを前提に、患者の症状を注意深く経過観察する必要がある。

そして、被告清水は、数雄が午後四時ころに腹部を自動車のハンドルで強打したことの説明を受けていたので、本件初診終了時の午後五時三〇分ころ、腹膜刺激症状が認められず、その他腹部臓器の損傷を疑わせる事情が認められなかったとしても、未だ受傷後約一時間三〇分しか経過していない右終了時において腹腔内臓器損傷の可能性を否定することはできず、その後もなお注意深い経過観察が必要である(とりわけ本件においては、数雄は腹痛を訴え、単独歩行できなかった)。

そして、注意深い経過観察を行う上では、腹膜刺激症状が発現する相当の危険性がある時間内においては、医師自らが頻回に診察検査し臨機の処置が可能な入院措置が最も望ましいが、これには病院の人的・物的施設上限界があり、これが通常困難であることは否定できないので、単に腹膜刺激症状が発現する一般的危険性があるというだけでは、入院措置が常に必要かつ相当とは言い難く、腹膜刺激症状発現の際の対応策を講じたうえで病院に代えて自宅において経過観察させることも医師の裁量内と言わざるを得ない。

2  説明義務の内容・程度

しかし、自宅において素人である家族の者らに経過観察を委ねるのであるから、医師の経過観察と同様の状態におくうえで、家族の者らに対して数雄の経過観察の必要性とその内容、緊急時の適切な対応策を指示説明し、かつ緊急時の病院側の受入態勢(宿直医に対する引継説明)を整えおくべきことは多言を要しないところである。

これを本件についてみると、被告清水は原告則子に数雄の経過観察を委ねたのであるから、原告則子に対し、数雄には腹腔内臓器損傷のおそれもありその経過観察中であること、腹腔内臓器損傷に伴う症状の具体的内容、数雄の症状に変化・異常の留意事項、とりわけ腹腔内臓器損傷を疑わせるような顕著な症状が発現した場合には宿直医に連絡しその指示により直ちに救急車で搬送し宿直医の診察を受けることを十分に指示説明し、また、宿直医に対しては数雄が目下腹腔内臓器損傷のおそれがあって自宅経過観察中であり、家族からの連絡時における応急処置の依頼などの点に遺漏なきようにしておくべきである。

そして、本件においては、原告則子は緊急時には直ちに数雄を病院に搬送しうる状況にあった(車で約一〇分で搬送可能)が、被告清水が原告則子にした指示説明内容については、被告清水は、数雄の疼痛悪化、意識障害、血便、血尿、腹部の腫れ等の症状悪化があれば、すぐに救急車で病院に搬送し宿直医の診察を受けること、数雄の症状が悪化しない場合でも外科医の診察を受けることを指示説明したと供述し、原告則子は、右のうち血便・血尿が出た場合、腹部が腫れた場合には救急車で病院に搬送し宿直医の診察を受けること、翌日は外科医の診察を受けることの指示説明を受けたと供述し、被告清水の供述と原告則子の供述で多少食い違いがあるうえ、被告清水は数雄の腹腔内臓器損傷のおそれは少ないとの判断の下に、右損傷に伴って発現する症状の具体的説明、その経過観察の方法、その際における宿直医との連絡態勢、宿直医に対する引継説明などの点において、後述のとおり不十分な点があったことは否定できない。

そこで次に、被告清水が右経過観察上充分な注意を払えば、数雄の死亡という結果を回避できたか否かという因果関係の観点からなお検討を要する。

3  早期開腹手術の可能性

腹腔内臓器損傷による腹膜炎においては、エンドトキシンショック、即ち腸内細菌等が腹腔内に放出されて腹膜炎を起こし、再吸収されて内毒素が血中を還流し主要臓器に影響を与えるまでの時間が約二四時間であることから、受傷から約二四時間以内に開腹手術と腹腔内洗浄をすれば救命できるのが通例であり、水本らの経験でも、右二四時間内に手術した場合は殆ど一人も死亡していない(水本証人)。

本件では受傷時から約二三時間経過した同日午後二時五〇分から、腹腔内臓器損傷の有無等を確認するための試験開腹手術が施行されているが、エンドトキシンショックが予想以上に進行していたため救命することができなかったものである(水本証人)が、右手術が二四時間以内に実施されたにもかかわらず、数雄の死亡という結果を生じた原因及び本件において腹膜刺激症状等腹膜炎の典型的な症状が現れなかった原因については明らかでない。

そして、前述のとおり、右自宅経過観察中においても、数雄は座薬を使用しても腹痛が鎮静化しなかったり、便所に行く時間が多かったほかは、血便、血尿、腹部の腫れなどの留意事項について特に見るべき症状変化もないまま一夜を過し、翌三〇日午後九時三〇分ころの外科医による受診時においても、腹腔内臓器損傷に伴う顕著な腹膜刺激症状は発現していなかったが、前日からの疼痛の持続悪化のために諸検査と試験開腹手術をした結果、右損傷が判明したものであり、まして右時点において、エンドトキシンショックの予想外の進行を予測できるような状況のみられなかった本件においては、たとえ被告清水が数雄の自宅経過観察における留意事項の指示説明に遺漏がなかったとしても、数雄の症状について、夜間宿直医が右諸検査や開腹手術を必要とするような緊急状況にあると判断すること及び夜間に右諸検査や開腹手術を実施することは、いずれも困難であり、結局、数雄の七月二九日午後五時以降翌三〇日午前九時三〇分ころの受診時までの症状等からみて、数雄の容態が急に悪化したとして本件手術時よりも早く前記諸検査、手術ができたかは疑わしいものといわざるをえない。

そうすると、被告清水に右経過観察の際の指示説明に不十分な点があったとしても、数雄の死亡との間に相当因果関係を肯認することはできない。

五宿直医への引継義務について

原告らは、被告清水が、宿直医に適切な引継ぎをすべき義務があるのにこれを怠ったために原告則子が夜間電話をかけた時点で適切な対応ができなかったと主張するので検討する。

1  <書証番号略>、原告則子及び被告清水の各本人尋問の結果によれば、七月二九日の初診終了後、被告清水は、数雄の腹腔内臓器損傷の可能性は低いものと判断して数雄ないしその家族からの夜間の電話連絡は殆ど予測しておらず、数雄の症状等について、診療録に記載した以外には、宿直医に口頭での引継ぎはしていないこと、右診療録には、数雄が腹部を打ってかなり痛がったことやレントゲン検査の結果等の記載はあるが、本件で最も危惧される腹腔内臓器損傷の可能性、とりわけ経過観察中であることについての記載はないこと、数雄が帰宅後も腹部の痛みを訴えたので、同日午後九時ころ、原告則子は被告病院に電話し、宿直医である中村宣雄医師に、鎮痛剤の座薬を入れたが痛みがおさまらない旨伝えたところ、同医師は、血便、血尿、腹部の腫れがないか注意し、しばらく様子を見るように指示したこと、その後原告則子は病院に数雄の症状について電話連絡しなかったし、中村医師からも電話照会もなかったことが認められる。

してみると、被告清水は宿直医に対する引継説明において、数雄が腹腔内臓器損傷のおそれについて目下自宅において経過観察中であることを口頭又はカルテにおいて明らかにしておくべきであったのに、この点の引継説明が不十分であったことは否定できない。

2 しかし、被告清水の宿直医に対する引継説明において右のように不十分な点があったとしても、前記同様の理由により、数雄の死亡との間に相当因果関係を肯認することはできない。

以上のとおり、被告清水の不法行為についての原告らの主張はいずれも理由がない。

六数雄の死亡と本件交通事故の因果関係について

被告会社は、事故現場の状況、車両の損傷態様、事故後の数雄の症状等からみて、同人が本件交通事故により死亡するに至る程度の傷害を負ったとはいえず、同人の死亡は、医療過誤によるもので本件交通事故とは相当因果関係はないと主張するが、前記の通り、本件病院の処置には少なくとも数雄の死亡との間に相当因果関係のある過失があったとは認められないから、数雄の本件交通事故による傷害とその死亡との間には相当因果関係が肯認できる。また、被告会社と数雄間の本件保険契約の締結、数雄の保険料の支払、原告らの被告会社に対する本件交通事故の発生と数雄死亡事実の告知については当事者間に争いがない。

七結論

従って、原告らの被告会社に対する本件請求は理由があるからこれらを認容し、原告らの被告箕面市、被告清水に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これらをいずれも棄却することとし、訴訟費用については、民事訴訟法八九条、九三条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林一好 裁判官田中澄夫 裁判官齋木稔久)

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