大阪地方裁判所 昭和63年(行ウ)72号 判決 1992年3月23日
原告
栄千代子
右訴訟代理人弁護士
井上二郎
同
竹岡富美男
右訴訟復代理人弁護士
上原康夫
被告
茨木労働基準監督署長斉藤鉄也
右指定代理人
山口芳子
同
山崎徹
同
苅谷信子
同
塩原和男
同
岩見武
同
宮林利正
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が原告に対して昭和五八年六月一五日付でした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取消す。
第二事案の概要
一 争いのない事実等
1 死亡の発生
栄昇(昭和七年九月三日生)は、同五六年八月七日、関西新幹線整備株式会社(以下、訴外会社という)に雇用され、国鉄(当時)新幹線大阪運転所構内の鳥飼事業所において、新幹線車両内の清掃業務に従事していたが、同年一二月一三日午後一〇時四五分ころ、右業務を終え点検を受けるため車内で待機中倒れ、千里丘中央病院に収容され治療を受けたが、翌一四日午前一一時三一分、本態性高血圧症に基づく脳出血(以下、本件疾病という)により死亡した。
2 労災給付請求
原告(昇の妻)は、同五七年一〇月一九日、被告に対し、労働者災害補償保険法一六条の二、一七条により遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたが、被告は同五八年六月一五日、昇の死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして各不支給処分をした(以下、本件処分という)。
原告は同年八月五日大阪労働者災害補償保険審査官に審査請求し、同審査官は同六二年一一月二五日右請求を棄却した。原告は同六三年三月二八日労働保険審査会に再審査請求し、同審査会は平成三年三月二七日右請求を棄却した。
3 昇の従事した業務(以下、本件業務という。<証拠・人証略>)
(一) 勤務形態等
勤務形態は、左記の四形態であり、入社後一週間は日勤で研修を受け、以後は徹夜勤と夜勤を繰り返していた。なお、昭和五六年一一月一六日から、早夜勤が午前八時三〇分まで、遅夜勤が午前五時三〇分まで、各一五分短縮された。超過勤務は八時間単位で行なわれていた。
記
日勤 午前九時から午後五時三五分まで(休憩四五分、実労働七時間五〇分)
徹夜勤 午前九時から翌日午前八時四〇分まで(休憩・休養各二四〇分、実労働一五時間四〇分)
早夜勤 午後五時から翌日午前八時四五分まで(休憩一二〇分・休養二四〇分、実労働九時間四五分)
遅夜勤 午後七時三〇分から翌日午前五時四五分(休憩六〇分、実労働九時間一五分)
(二) 勤務状況
(1) 徹夜勤
午前九時一〇分ころから就労、午前一〇時ころから同一一時ころまでの間に昼食休憩(約三〇分)、その後、午後四時ころまで就労、約四〇分の夕食休憩後、翌日午前二時ころまで就労、その後、仮眠室で仮眠をとる。食事休憩以外にも、車両入線の待機時間が若干ある。清掃車両は一二ないし一三両であるが、午後五時以降は平均して五両半である。
(2) 早夜勤
午後五時ころから翌日午前二時ころまで継続して就労、その後、仮眠をとる。清掃車両は六ないし七両である。
(3) 遅夜勤
午後七時三〇分ころから翌日午前三時ころまで継続して就労、その後、詰所で待機、休養する。清掃車両は早夜勤と同じである。
(三) 作業(清掃)内容等
(1) 標準的な作業内容は別紙一(略)のとおりである。
(2) 毎回、車両一両につき二名一組でA、B作業を分担していたが、荒ゴミ拾い、灰皿内吸殻除去及び三人掛座席下のモップ掛けは腰を屈めた姿勢で行うこと、短時間で多数の灰皿掃除をすること、窓ガラス拭きは、水拭き、空拭きを重ねて行うこと等からA作業の方がきつく、作業中、ゴミ・吸殻の搬出、モップ・雑巾洗いのため数回車両を出入りする必要もある。モップ洗浄は絞り器を利用するが、完全に絞りきれないときは手で絞ることもある。
(3) 作業は一両につき六〇分単位で行われるが、実作業は四〇分ないし五〇分で終了し、点検まで車内の座席に座って待ち、点検で不備を指摘されると手直しをし次の車両に移る。次の車両の清掃開始まで、待機時間は長短様々であったが、暫時、休憩をとることができる。
(四) 作業環境
(1) 作業は運転終了後間もない車両の清掃であるため、冬期においても車両内の温度は平均二三度前後であるが、作業場は開口されているため外気が入り、車両内外の温度差は約一〇度ある。作業員は訴外会社支給の長袖シャツを着用しているが、車外に出る時、その都度、上着を着用することは事実上困難である。
(2) 作業場構内は車両のモーター音のため相当程度の騒音状態にあり、また、作業中少なくとも一回ドア開閉試験があるため、車内圧が変化して耳鳴り等を感じるときがある。
4 昇の就労状況等
(一) 昇の就労状況は別表二(略)のとおりである。なお、一二月は臨時列車の運行がないため業務量が減少していた。
(二) 本件疾病発症日の勤務等
昇は、当日、遅夜勤であったため、午前六時過ぎ起床し、異常なく日中を過ごし、午後五時ころ出勤し、同七時三〇分点呼を受け、同七時五五分ころ一両目の清掃(同車両のみ四人で担当)を開始し同八時五〇分ころ終了した。同八時五五分ころ二両目の清掃を開始し同九時五〇分ころ終了した。同九時五九分ころ三両目の清掃を開始し同一〇時四〇分ころ終了し、点検をうけるため待機していた。昇はA作業に従事したが、作業内容は蛍光灯内の油虫の除去を除いて通常と異なるところはなかった。
5 当日の気象等(<証拠略>)
大阪管区気象台の観測によると、当日の天候は晴れ、気温は午後九時五・七度、午前〇時四・五度であり、前日に比べ寒気は強かった。
6 昇の健康状態等(<証拠・人証略>)
(一) 昇は、タカラベルモント株式会社で斫り作業に従事していた同五一年三月一七日、最大血圧一七二、最小血圧九〇(単位mmHg、以下、一七二―九〇のように表示)を示し、高血圧症の診断を受け、約三年間投薬治療を受けた(右加療中、血圧は、同年九月三日一二六―八六、同五二年三月一五日一五四―九二、同年一一月二日一五八―八〇、同五三年三月一〇日一五四―八八と推移し、治療終了後の同五五年四月一六日一四〇―八六であった)。訴外会社入社時(同五六年八月五日)の健康診断において、血圧一六八―七八、動脈硬化、若干の心肥大の所見により、健康管理上の注意が必要と診断され、同年一一月一四日の定期健康診断でも血圧は一六〇―一〇〇であった。
(二) 昇は、同年一一月七日から同月二五日まで四回、腺寫性扁桃腺炎、気管支炎、高血圧症、動脈硬化症、冠不全、腎肝障害貧血症の疑いで隅本病院の治療を受けた。血圧は、七日一六〇―一〇〇、九日一九四―一二〇、二五日一六〇―九四であり、最終診療日(同月二五日)には扁桃腺炎は快方に向かい、血圧降下剤を一週間分投与されたが、以後通院しなかった。
(三) 昇は、高血圧症に対し格別の食事療法等はせず、飲酒はしなかったが煙草は一日約四〇本吸っていた。昇は、睡眠時間が短いこと、耳鳴りや肩首の凝り以外に、特に体の変調を訴えたことはなかった。
二 争点
昇の死亡の業務起因性(労働者災害補償保険法一二条の八第二頁、労働基準法七九条、八〇条)
(原告の主張)
1 労基法七九条、八〇条にいう「業務上死亡した場合」(業務起因性)とは、業務と死亡との間に相当因果関係がある場合をいうが、基礎疾病があり、死亡の原因となった疾病が基礎疾病に基づく場合であっても、業務の遂行が、基礎疾病を急激に増悪させて死亡時期を早める等、基礎疾病と共働原因となって死亡原因たる疾病を発症させた場合には、業務と死亡との間に相当因果関係があるというべきであり、業務が、社会通念上、精神的肉体的に相当程度負担になると認められる程度に過重であれば、右共働原因性を肯定すべきである。
2 昇の死亡は、本態性高血圧症に基づく脳動脈病変が、本件業務のため自然経過を超えて増悪し、本件疾病を招いたことに起因する。
(一) 本件業務は、勤務時間が不規則な夜間労働であり、超過勤務も多かったため、生体リズムを乱し睡眠不足や食欲不振を招き、更に、生活環境の変化、家族との擦違い等によるストレスも大きく、精神的肉体的疲労の蓄積をもたらした。
(二) 本件業務は、作業内容も過重であり、迅速な作業が要求されるためのストレス、作業中の車両ドア開閉テストによる車内の気圧変動及び騒音曝露によるストレスが存在し、本件疾病発症日は、車両内外の温度差が一五度程度もある状態での頻繁な乗降による寒冷負荷、冷水使用による冷水負荷等血圧上昇の要因が多く存在した。
3 訴外会社は、定期健康診断等において昇の高血圧症を熟知しながら業務軽減などの適切な措置をとらなかった。
4 以上によると、昇の死亡と本件業務との間には相当因果関係がある。
(被告の主張)
1 業務と死亡の原因となった疾病の発症との間に相当因果関係が認められるためには、医学経験則上、業務が右疾病の発症について相対的に有力な原因であることを要する。
2 本件疾病は高血圧性脳血管病変が自然経過によって増悪し発症する例が殆どであるが、急激な血圧変動、血管収縮をもたらす過重負荷によって、自然経過を超えて発症する例もある。
3(一) 本件業務が本件疾病発症の相対的に有力な原因であるというためには、業務が、精神的肉体的な過重負荷として、急激な血圧変動等を招き、基礎疾病たる脳血管病変を自然経過を超えて急激に増悪させ、本件疾病を発症させたと認められなければならない(医学経験則上、特定の業務との関連は認められていない)。
(二) 業務が精神的肉体的な過重負荷(急激な血圧変動等を招いた)となるのは、業務に関連した異常な出来事に遭遇した場合、又は、通常業務に比較して特に過重な業務(明らかに脳血管疾患を発症させるような著しい過重負荷)に就労した場合である。そして、本件疾病発症と最も密接に関連する過重負荷は発症直前二四時間以内のもの、次いで発症前一週間以内のものであり、それ以前の負荷は関連性が薄い。
(三) 本件業務は通常の清掃作業であり、精神的肉体的に過重であるとはいえず、夜間勤務、超過勤務、作業に伴う寒冷及び冷水負荷等も急激な血圧変動等をもたらすものではない。又、昇の本件疾病発症当日ないし発症前一週間以内の業務は通常の慣行的作業であり、特に過重な負担を与えるものではなかった。
(四) 訴外会社の健康管理義務違反の有無は業務起因性と無関係である。
4 したがって、昇の死亡と本件業務間に相当因果関係は認められない。
第三判断
一 労基法上の「業務上死亡した場合」の意義
右「業務上死亡した場合」とは業務と死亡との間に相当因果関係(業務起因性)が存すること、即ち、医学経験則上、業務が死亡(死亡の原因となった疾病)の相対的に有力な原因と認められることをいう(雇主の健康管理義務違反の有無は右判断においては考慮すべき事情にあたらない)。
二 本件疾病の業務起因性(<証拠・人証略>、及び労働基準局通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患の認定基準について」参照)
1 本件疾病は高血圧症が相当期間継続したことより生じた脳動脈病変(微小動脈瘤)が自然経過によって増悪し発症する例が多いが、急激な血圧変動等の過重負荷により破綻し発症する例もある。
2 したがって、医学経験則上、業務が急激な血圧変動等を招く過重負荷となり、自然経過を超えて本件疾病を発症させた場合(特定の業務との関連性は認められていない)、業務は右発症の相対的に有力な原因であると認めるべきである。
3 業務による過重負荷の典型例は業務に関連した異常な出来事への遭遇や日常業務に比較して特に過重な業務に就労したことであり、この場合、負荷から発症まで、通常は二四時間以内、稀には数日を経過する例もある。医学経験則上、通常の業務によって受ける負荷は自然経過の範囲内と考えられ、慢性疲労による継続的精神負荷と本件疾病発症との関連は否定できないが、医学上は未解明である。しかし、業務が右発症の相対的に有力な原因であるか否かの判断は、右に尽きるものではなく、業務の内容、性質、就労状況、基礎疾病の程度、生活態度その他諸般の事情を総合的に勘案してなすべきである。
三 血圧の上昇要因等(<証拠・人証略>)
一般に、血圧は低温下で上昇し(夏低く冬高い)、五度以上の急激な寒暖差は血圧の上昇をもたらす。右血圧上昇の程度、温度差に対する順応性(血圧の回復力)は個体差があるが、中高年者は急激な血圧上昇、温度差に対する耐性が弱い。又、高血圧者は寒冷刺激に過敏に反応し血圧は上昇し、寒冷刺激を除去しても元に復するまで時間を要する。血圧は、通常、昼間に比べ夜間は低くなるが、夜勤の場合は継続して血圧が高いことになる。喫煙は血圧を上昇させ、血管壁からの栄養供給を低下させるので、血管脆弱化の原因となる。
四 夜間勤務・交代制勤務の生理的影響(<証拠・人証略>)
1 日本産業衛生学会交代勤務委員会の調査(昭和五一年実施)は、夜間勤務者は日勤者に比べ疲労や睡眠不足の愁訴が多く、疲労の回復度が低いため、慢性疲労状態に陥り易く、病気への抵抗力が減ずる、睡眠不足や疲労の蓄積は高血圧症増悪の要因ともなると報告している。
2 訴外会社における実態調査(昭和五六年八月実施)によると、夜間勤務グループは多く全身疲労感、身体不調等の疲労症状を訴えるが、非番休日後の疲労回復の度合は高く、夜間勤務と高血圧との有意の関連性は認められない。従業員の約半数は、一日置きに休日となる徹夜勤の方が自由時間が長く余暇を有効に使え、疲労の残存も少ないが、五連続夜勤は食事時間が不規則になり、睡眠は不足し、家族とのコミュニケーションも図れず疲労が蓄積すると感じている。
五 昇の死亡の業務起因性(争いのない事実等、右一ないし四認定の事実を前提に検討する)
1 昇は、訴外会社において約四か月間にわたり徹夜勤(三二回)や夜勤(二七回)に従事し、同年八月一六日から同年九月一五日まで四七時間、同月一六日から同年一〇月一五日まで三三時間二〇分、同月一六日から同年一一月一五日まで五四時間五〇分、同月一六日から同年一二月一日まで二五時間の超過勤務を行なっており、本件業務により同人には相応の精神的肉体的疲労が生じていたことは推認できる。
しかしながら、昇の訴外会社における作業内容、作業量、就労状況等に照らすと、本件業務は著しい肉体的精神的負担を伴う重労働ではないし、本件疾病発症当日の蛍光灯内の油虫の除去作業も特段過重な重労働ではないこと、昇は同月二日から本件発症まで一一日間残業を行なっていないから、発症当日の労働負荷は従前に比較して減少していたと推認されること、非番日・休暇の取得後は疲労回復が有意に認められるところ、昇は、同年一一月二一日から五日間休養し、その後も発症日の前日までに公休三日、非番・非休四日を取得しており、殊に本件発症の前日、前々日は休養し、発症当日も遅夜勤の関係で午後六時ころまで休養していたこと、昇の労働負荷は他の労働者に比較して質・量ともに格別大きいといえないこと(<証拠略>によると、新幹線車両清掃業務に従事する労働者のうち、一か月間に五〇時間以上の時間外労働をした者は、五連続夜勤では約三割、徹夜勤では約二割存在し、また、一か月の深夜勤務の回数は、徹夜勤では平均一三回、五連続夜勤では平均二一回であるから、昇の前記時間外労働・深夜労働が格別多いとはいえない)等に照らすと、夜間勤務等の生理的悪影響を勘案したとしても、昇の発症当日及びこれに近接した時期の本件業務が同人の高血圧症を自然経過を超えて急激に増悪させたり、訴外会社における約四か月間の本件業務が同人の高血圧症を自然経過を越えて急激に増悪させる蓄積疲労をもたらしたと認めることは困難である(本件発症直前に同人に本件業務と関連した突発的な出来事等が生じたものではないことも明らかである)。
もっとも、作業の際の寒冷負荷や冷水負荷(以下、寒冷負荷等という)が昇の血圧に作用したことは認められるが、その場合でも高血圧が持続するものではないし、発症三日前の一二月一〇日の外気温も発症当日と同様に低かったが(<証拠略>によると午前〇時の気温は発症日より更に約一度低かった)、昇は徹夜勤に従事し、無事勤務を終えていることが認められるから、右当日の寒冷負荷等が昇の高血圧症を自然経過を超えて増悪させたということはできない(発症当日、昇が寒冷負荷等を受けた頻度、時間が通常よりも顕著であったと認めるに足りる証拠もない)。また、昇が新幹線のモーター音に起因する騒音曝露やドアの開閉試験による車内圧の変動によってある程度の精神的ストレスを受けていたことは認められるが、前記認定の昇の就労状況等に照らすと、これが昇の高血圧症を自然経過を超えて増悪させたものと認めることは困難である。
2 他方、昇は、同五一年当時既に高血圧症の診断を受けたにもかかわらず、以後約三年間血圧降下剤の投与を受けたのみで高血圧症の治療を中止し、却って、一日約四〇本も喫煙し、食事療法も行なわなかったこと、更に、昇は訴外会社採用当時、血圧は一六八―七八の高数値を示し、心肥大も生じていたが、高血圧症の治療を継続していないこと等に照らすと、本件疾病は同人の長年にわたる高血圧症が自然経過により増悪し、発症したことも優に考えられる。
(人証略)は本件疾病の業務起因性を肯定するが、右所見は昇の業務を子細に検討したうえでなされたものではなく、また、昇が高血圧症に対する適切な健康管理を行なっていたことを前提としているから、にわかに採用することはできない。
3 以上のとおり、昇の従事していた本件業務が本件疾病発症について相対的に有力な原因であったと認めることはできない。
六 よって、本件疾病の業務起因性を否定した本件処分は正当であり、原告の請求は理由がない。
(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 市村弘 裁判官 岩佐真寿美)