大阪地方裁判所堺支部 平成16年(ワ)718号 判決 2006年5月26日
原告
X1
原告
X2
原告
X3
原告
X4
原告ら訴訟代理人弁護士
岡崎守延
同
村田浩治
同
高橋徹
同
大西克彦
被告
学校法人Y学園
同代表者理事
A
同訴訟代理人弁護士
山崎武徳
同
草尾光一
同
山本和人
同
秦周平
同
福本洋一
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 (主位的請求及び各予備的請求に共通)
(1) 被告は,原告X1(以下「原告X1」という。)に対し,2041万9258円及びこれに対する平成16年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 被告は,原告X2(以下「原告X2」という。)に対し,2465万0796円及び内2041万9258円に対する平成16年4月1日から,内423万1538円に対する平成18年2月21日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 被告は,原告X3(以下「原告X3」という。)に対し,2153万6999円及びこれに対する平成16年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 被告は,原告X4(以下「原告X4」という。)に対し,2832万7252円及び内2348万8509円に対する平成16年4月1日から,内483万8743円に対する平成18年2月21日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2(1) 被告は,原告X1に対し,1500万円及びこれに対する平成16年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 被告は,原告X3に対し,1500万円及びこれに対する平成16年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1 事案の要旨
本件は,
(1) 被告に雇用されて被告の設置運営するa高等学校附属幼稚園(以下「幼稚園」という。)の教諭として勤務し,平成5年7月,被告との間で,給与体系の据置き(ベースアップの停止)及び賞与の減額の合意をした原告らが,被告に対し,
ア 主位的に,原告らと被告は,上記合意をするに際し,給与体系の据置き(ベースアップの停止)及び賞与の減額は被告の経営状態が改善するまでとするとの条件を付する旨合意していたにもかかわらず,被告は,被告の経営状態が改善し,幼稚園教諭以外の職員についてベースアップを再開した平成6年度以降も,原告らの賞与を従前の水準に戻す措置をとらず,かつ,被告の経営状態がさらに改善した平成8年度以降も,原告らについてベースアップを再開しなかったと主張し,上記条件の成就によって発生した差額賃金請求権に基づき,原告X1につき2041万9258円(平成6年度から平成15年度までの未払賃金合計),原告X2につき2465万0796円(平成6年度から平成15年度までの未払賃金合計2041万9258円と平成16年度及び平成17年度の未払賃金合計423万1538円との総合計),原告X3につき2153万6999円(平成6年度から平成15年度までの未払賃金合計),原告X4につき2832万7252円(平成6年度から平成15年度までの未払賃金合計2348万8509円と平成16年度及び平成17年度の未払賃金合計483万8743円との総合計)並びに平成6年度から平成15年度までの未払賃金については支払期日より後である平成16年4月1日から,平成16年度及び平成17年度の未払賃金については支払期日より後である平成18年2月21日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,
イ 予備的に(次の(ア)と(イ)の請求は選択的併合の関係にある。),
(ア) 原告らを他の職員と平等に取り扱うべき雇用契約上の義務(均等待遇義務)に違反して原告らに上記各未払賃金額相当の損害を被らせたと主張して,これによる損害賠償請求権に基づき,上記各未払賃金額と同額の損害金及び上記と同内容の遅延損害金の支払を,
(イ) 事情変更によって給与体系の据置き(ベースアップの停止)及び賞与の減額の合意の効力は失われたと主張して,これによる差額賃金請求権に基づき,上記各未払賃金額及び上記と同内容の遅延損害金の支払を求め,
(2) 平成16年3月31日をもって幼稚園を定年前に退職した原告X1及び原告X3が,被告に対し,原告X1及び原告X3についても被告における早期退職加算金制度の適用があると主張して,被告における早期退職加算金の定めに基づき,それぞれ早期退職加算金1500万円及びこれに対する支払請求をした日の後である平成16年4月1日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 前提事実(争いのない事実並びに後掲各証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認定できる事実)
(1) 被告は,A(以下「A」という。)を理事長(なお,法人登記上は「理事」とされている。)とし,a高等学校,b高等学校,c高等学校,d中学校,e中学校,f中学校及び幼稚園(以下,幼稚園以外を「系列校」という。)等を設置運営する学校法人である。
原告らはいずれも,被告に雇用されて幼稚園の教諭として勤務し,被告の職員で組織されている大阪私学教職員組合g分会という労働組合(以下「組合」という。)に所属してきた者である。
(<証拠省略>)
(2)ア 被告の平成8年10月1日施行(同年8月1日適用)の給与規程には,次の内容の定めがある。
(ア) 職員の給与は,基準内賃金,基準外賃金及び賞与とする。
(イ) 給与は月額制とし,毎月1日から末日までの分をその月の20日(休日であるときは,その前日)に支払う。
(ウ) 基準内賃金は,基本給(本俸・調整手当),扶養家族手当,役職手当,住宅手当,研究手当,保育手当及び事務手当とする。
(エ) 職員が現に受けている号俸を受けるに至った時から12か月間を良好な成績で勤務したときは,1号俸上位の号俸に昇給させるものとする。
(オ) 基準外賃金は,特別手当,通勤手当,時間外勤務手当,休日勤務手当,特殊勤務手当及び退職金とする。
(カ) 賞与は,3月1日,6月1日,12月1日(以下これらの日を「基準日」という。)にそれぞれ在職する職員,及びそれぞれ基準日前1か月以内に退職した職員に対して,それぞれ基準日から起算して30日を超えない日に支給する。
(キ) 賞与の額は,基準内賃金に一定の倍率を乗じ,これに一定の加算額を加えて得た額を基準として決める。
イ 被告の昭和60年4月1日実施の給与規程には,前記ア(ア)(イ)(エ)(カ)(キ)と同内容の定めがあるほか,基準賃金は,基本給,扶養家族手当,役職手当,住宅手当,研修手当及び校務分掌手当とする旨,基準外賃金は,通勤手当,時間外勤務手当,休日勤務手当,宿日直手当,特殊勤務手当及び退職金とする旨の各定めがあるが,被告においては,少なくとも平成3年度以降,幼稚園教諭に対し,前記ア(ウ)(オ)と同内容の基準内賃金及び基準外賃金を支給する取扱いが定着していた。
(<証拠省略>,弁論の全趣旨)
(3)ア 幼稚園教諭の給与表(月額)は,別表1のとおりであり,平成3年度以降,現在に至るまで,一度も改定されていない。
イ 原告らの平成6年度及び平成7年度の号俸及び基準内賃金(月額),並びに平成8年度から平成17年度までの号俸及び実際の給与は,概ね別表2記載のとおりである(ただし,号俸の上昇する月は,原告X1が4月,原告X2が12月,原告X3が4月,原告X4が11月である。また,平成17年度の給与は,同年4月から平成18年2月までの11か月分である。)。
ウ 原告らの賞与(年額)は,被告における経営危機が明らかとなった平成3年ころまでは,被告で勤務する幼稚園教諭以外の職員(以下「事務職員及び系列校教師」という。)と同じく基準内賃金6.22か月分+10万6000円とされてきた。しかし,当時の被告の厳しい経営状況を踏まえた労使交渉の結果,平成5年7月,組合と被告との間で,原告らの賞与を基準内賃金2.5か月分とすることが合意され,原告らもそれぞれ,これを了承した。
(<証拠・人証省略>,弁論の全趣旨)
(4)ア 事務職員及び系列校教師の給与表(月額)は,平成3年度から平成5年度までは改定がされなかったが,平成6年度から平成10年度までは毎年度ベースアップが実施され,その後,平成11年度から平成17年度までは改定がされなかった。
イ 事務職員及び系列校教師の号俸は,平成3年度から平成17年度まで,平成15年度を除いて毎年度1号俸ずつ上昇させる措置がとられた。ただし,平成12年度及び平成13年度は,前年度の号俸との差額の約29パーセントを,平成14年度は,前年度の号俸との差額の50パーセントを,平成16年度は,前年度の号俸との差額の10パーセントないし50パーセントを,それぞれ減額する措置がとられた。
ウ 事務職員及び系列校教師の賞与は,平成4年度から平成16年度まで,基準内賃金6.22か月分+10万6000円とされてきたが,平成17年度は,基準内賃金5.8か月分+10万6000円とされた。
(<証拠省略>,弁論の全趣旨)
(5) 被告は,平成9年10月25日,系列校の校長及び幼稚園の園長等に宛てて,「職員の退職金等に関する特別措置要綱」(以下「早期退職加算金の定め」という。)を制定した旨を文書で通知した。
早期退職加算金の定めの概要は,①年齢満55歳以上64歳未満で,②20年以上勤続した者が,③その者の非違によることなく,平成10年3月31日に退職した場合には,退職時の年齢に応じて一定の金額を退職金に加算するが(退職時55歳の場合は1500万円。以下,退職時の年齢が1歳上がるごとに,150万円ずつ加算額が減額される。),幼稚園教諭(給与規程の教育職給料表(二)を適用される者)については,その対象者から除外するというものであり,平成10年度以降も同内容で実施されている。
(<証拠省略>)
(6) 原告X1及び原告X3は,平成16年3月31日,幼稚園を退職した。被告における職員の定年は65歳であったが,上記退職時,原告X1は51歳であり,原告X3は53歳であった。
(弁論の全趣旨)
(7) 原告らは,平成16年3月31日,被告に対し,次の金員を支払うよう求めた。
ア 原告X1につき,平成6年度から平成15年度までの差額賃金合計2315万円及び早期退職加算金1500万円
イ 原告X2につき,平成6年度から平成15年度までの差額賃金合計2315万円
ウ 原告X3につき,平成6年度から平成15年度までの差額賃金合計2338万円及び早期退職加算金1500万円
エ 原告X4につき,平成6年度から平成15年度までの差額賃金合計2148万円
(<証拠省略>)
3 争点及び当事者の主張
(1) 原告らと被告は,平成5年7月に給与体系の据置き(ベースアップの停止)及び賞与の減額の合意をした際,給与体系の据置き(ベースアップの停止)及び賞与の減額は被告の経営状態が改善するまでとするとの条件を付する旨合意したか。合意していた場合,上記条件が成就し,原告らに未払給与が発生しているか。(前記1(1)アの請求関係)
ア 原告らの主張
(ア) 被告は,平成2年ころ,前経営者による株取引の失敗及び無謀な高等学校新設によって,多額の負債を抱え込み,経営危機に陥った。
従前,被告は,系列校及び幼稚園の職員に対し,基準内賃金6.22か月分+10万6000円の賞与(年額)を支給していたが,上記経営危機をうけて,幼稚園教諭に対し,早期退職か,賞与の減額及び給与体系の据置き(ベースアップの停止)を内容とする雇用継続か,の選択を迫った。
原告らは,不本意ながらも,幼稚園の存続を優先する立場から,雇用継続案を受け入れることとし,平成5年7月13日,被告との間で,被告の経営状態が回復するまでとの条件付きで,給与体系を別表1のまま据え置くこと及び賞与を基準内賃金2.5か月分とすることを合意した。
(イ) 平成6年度以降,被告は,事務職員及び系列校教師につきベースアップを再開するなど,その経営状態は改善し,原告らの賞与を従前の水準に戻すための条件が成就した。しかし,被告は,原告らの賞与を従前の水準に戻す措置をとらなかったため,平成6年度及び平成7年度において,各原告につき,それぞれ別表2の差額欄記載の未払賞与が生じている。
また,平成8年度以降,被告は,学園全体で巨額の黒字を生み出すなど,その経営状態はさらに改善し,原告らの賞与を従前の水準に戻すだけでなく,ベースアップを再開するための条件も成就した。しかし,被告は,原告らについて,ベースアップを再開せず,かつ,賞与を従前の水準に戻す措置をとらなかったため,平成8年度から平成17年度までの間(平成17年度については,同年4月から平成18年2月までの11か月間)において,各原告につき,それぞれ別表2の差額欄記載の未払給与(本来の給与,すなわち事務職員及び系列校教師と同様のベースアップが実施され,かつ,賞与を従前の水準に戻す措置がとられていた場合の給与と,実際の給与との差額)が生じている。
イ 被告の主張
原告らは,組合に加入しており,賃金交渉を組合に一任し,その結果に基づいて,給与体系を別表1のまま据え置くこと及び賞与を基準内賃金2.5か月分とすることに同意する旨の文書を被告に差し入れている。その際,原告らの主張するような条件の合意があったのであれば,組合としては当然その合意について労働協約を作成するはずであるが,このような条件の合意が記載された文書は存在しない。
また,上記交渉に当たった組合役員が,被告の収支が回復したら,組合は昇級を要求すると述べたのに対し,Aは,話し合うことが大事だと応じたにすぎない。
したがって,原告らの主張するような条件を付する旨の合意は存在しない。
(2) 被告の原告らに対する給与に関する処遇は均等待遇義務に違反しているといえるか。違反している場合,原告らの被った損害額はいくらか。(前記1(1)イ(ア)の請求関係)
ア 原告らの主張
(ア) 雇用契約関係において,使用者は,被用者全体を同一の労働条件で取り扱うべき法的義務(均等待遇義務)を負っており,被用者の従事する職務内容の相違以外を理由として労働条件に差異を設けることは許されない。使用者の上記義務は,直接的には労働基準法3条の定める均等待遇の原則に,間接的には民法90条を介して憲法14条の定める平等原則に根拠を有する強行規定であって,当事者の合意によって排斥することができないものである。
(イ) 被告は,平成6年度以降,事務職員及び系列校教師に対しては,ベースアップを再開するとともに,従前どおり賞与を基準内賃金6.22か月分+10万6000円とする一方で,幼稚園教諭に対しては,ベースアップを再開せず,かつ,賞与を基準内賃金2.5か月分としてきた。このような取扱いは,担当する職務内容の相違によっては説明できない不合理な差別であって,均等待遇義務に違反する。
被告の経営危機は,重大な経営の誤りに起因するものであって,幼稚園教諭には何ら責任がないこと,幼稚園は,子どもの対象年齢が低く,子どもの数に比した職員の割合が多くなるため,中学校,高等学校よりも多額の人件費を要する性質を有することからすれば,幼稚園経営が赤字であることや,幼稚園の人件費比率が高いことは,上記差別の合理性を基礎づける事情にはならない。
(ウ) 被告が原告らを他の職員と平等に取り扱っていれば,原告らは,別表2の「本来の賞与」欄及び「本来の給与」欄記載の賞与ないし給与を受給していたはずである。
したがって,各原告は,被告の上記債務不履行によって,それぞれ別表2の差額欄記載の金額の損害を被った。
イ 被告の主張
労働基準法3条は,使用者に,労働者の国籍,信条又は社会的身分を理由とした労働条件の差別を禁じているのみであり,これを超えて,一般的に労働者を平等に取り扱うべき義務まで課したものではない。また同条は,均等待遇義務に違反する使用者の行為を無効とすることはあっても,さらに進んで特定の状態を回復すべき義務まで使用者に課していない。
さらに,原告らの給与水準は,労使協議の結果としての労使合意に基づいて,各原告の個別の同意も得て決定されたものであるから,被告の債務不履行を論じる余地はない。
(3) 事情変更の原則の適用があるといえるか。適用がある場合,原告らに未払給与が発生しているか。(前記1(1)イ(イ)の請求関係)
ア 原告らの主張
前記(1)ア(イ)のとおり,平成6年度以降,被告の経営状態は改善し,幼稚園教諭のみを対象とした給与減額措置を維持すべき必要性は消失した。また遅くとも平成9年度には,幼稚園の経営は完全に黒字状態となり,人件費比率も系列校と同水準以上に改善していることからすれば,幼稚園教諭につき給与減額措置を維持すべき必要性が消失したことは明白である。
したがって,原告らは,平成6年度以降,事情変更の原則により,事務職員及び系列校教師と同様のベースアップ及び賞与の支給をうけることができるというべきであるから,各原告につき,それぞれ別表2の差額欄記載の賞与ないし給与が未払となる。
イ 被告の主張
事情変更の原則とは,合意の基礎事実について,合意の当時予測できなかったような事情の変更が生じた場合に,信義誠実の原則により,合意内容の変更を認めるものであるが,原告らの給与を減額する合意は,まさに幼稚園の経営改善を目的としたものであるから,給与減額措置の結果として幼稚園の経営が改善されたとしても,合意の目的を達成したということにすぎず,事情の変更には当たらない。
(4) 原告X1及び原告X3に対して被告における早期退職加算金制度が適用されるか。(前記1(2)の請求関係)
ア 原告X1及び原告X3の主張
早期退職加算金の定めは,年齢満55歳以上の者を対象としているが,現実の運用としては,55歳未満の者にも適用されているから,退職時に51歳であった原告X1及び53歳であったX3にも適用される。
また,早期退職加算金の定めには,幼稚園教諭を対象者から除外する旨が規定されているが,早期退職加算金の定めは,幼稚園の園長宛てに文書で通知され,園長を通じて幼稚園教諭全員に配られた上で,園長から「こういう制度がありますけども,早期退職をされる方はいらっしゃいますか。」との確認がなされたのであり,幼稚園教諭にも適用があるものとして合意されたというべきである。
仮に,早期退職加算金の定めが幼稚園教諭を対象者から除外しているとしても,早期退職加算金の定めは,被告の就業規則の一部を構成するものであり,これを幼稚園教諭にだけ適用しないとする合理的理由はないから,幼稚園教諭を対象者から除外する旨の規定は,就業規則の差別適用禁止の原則に反し,無効である。
したがって,原告X1及び原告X3は,早期退職加算金の定めに基づき,各1500万円の早期退職加算金の支払を求めることができる。
イ 被告の主張
早期退職加算金の定めは,幼稚園教諭を対象者から除外している。これは,幼稚園においては,平成6年3月末日までに退職応募した者について退職金を加算する措置がとられたため,そのこととの均衡を図ったものである。
したがって,原告X1及び原告X3は,早期退職加算金の支払を求めることはできない。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)について
(1) 前記第2の2の事実,証拠(<証拠・人証省略>)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実を認めることができる。
ア 被告は,平成3年4月にc高等学校を開校したが,その設置費用及びこれに先立って開校したb高等学校の設置費用等を合わせて,金融機関に約43億円の負債を負っていた。また平成2年ころ,当時の理事長が株取引の失敗で約20億円の損失を出し,株取引に関する借入金が約44億円に達していた。このように,平成3年当時,被告は,合計約87億円の負債を抱えて経営危機に陥っていた。
このため,被告においては,a高等学校等を地価の安い地域に移転し,その敷地の売却差益をもって返済に充てる案が浮上していたが,生徒の保護者らはこれに強く反対していた。
イ 平成3年9月,外食チェーン「グルメ杵屋」社長のAが被告の新理事長に就任し,経営再建に乗り出すこととなった。Aは,金融機関と交渉し,私財を担保に供して借換えをするなどして,金利の軽減を図り,a高等学校等の移転という事態を回避するとともに,全職員について平成4年度及び平成5年度のベースアップを見送るなどの経費節減措置をとった。
またAは,金融機関に実効性のある経営改善策を提示する上で,人件費比率が高く支出超過状態にあった幼稚園の存在が障害となっていると考え,幼稚園を廃園にしてその用地を売却するという方針を打ち出した。これに対し,幼稚園職員や保護者らは強く反発し,以後,被告と幼稚園職員及び組合との間で,幼稚園の存廃及び職員の労働条件等をめぐって交渉が行われるようになった。
ウ 被告は,平成4年12月以降,保育料の値上げ,希望退職の募集,早期退職の推進,人件費の削減,幼稚園の移転,3年後の廃園といった合理化案を示し,幼稚園職員及び組合と交渉を行った。そして,平成5年4月1日,幼稚園の職員会議において,定年までの残勤務年数を5分の1に短縮して早期退職を図るという合理化案,及び退職金を加算して希望退職を募るという合理化案を提示した。
しかし,原告らは,上記提案はいずれも,幼稚園の廃園を念頭に置いたものであり,絶対に受け入れられないとして拒否し,同月28日朝には短時間のストライキを決行するに至った。
エ 被告は,このような事態を踏まえ,①定年までの残勤務年数を5分の1に短縮し,40歳以上の教諭の給与は,平成5年度ベースで固定し,40歳未満の教諭の給与については,以後定期昇給(号俸の上昇)のみを実施し,ベースアップは行わないという内容の合理化案(以下「第1案」という。),②継続勤務を認める代わりに,賞与を基準内賃金1.5か月分とするという内容の合理化案(以下「第2案」という。),③平成6年3月31日までに退職応募した者については,退職時の勤続年数に第1案の残任期間を加算した年数を勤続年数として積算し,退職金を加算するという内容の合理化案(以下「第3案」という。)の3案を策定し,平成5年5月22日の団体交渉の席で提示した。その際,Aは,第2案について,「特に変動があった場合は,その時考慮する。」「良くなっていけば,元に戻していく。」などと述べた。
原告らは,被告の経営危機は被告自身の経営ミスによるものであり,幼稚園教諭が合理化案を受け入れなければならない理由はないとして,被告の上記提案を拒んだが,同年6月16日の団体交渉の席で,被告が,第1案ないし第3案のいずれかを受け入れないのなら幼稚園を廃園にするしかないとの姿勢を示したため,やむなく第2案を選択することとし,その条件交渉を組合執行部に一任した。
オ 同年7月1日,被告と組合との間で団体交渉が行われた結果,第2案の内容について,今後は定期昇給(号俸の上昇)のみを実施し,ベースアップは行わないこと,賞与を基準内賃金2.5か月分とすることで妥結した(以下この案を「修正第2案」という。)。その際,大阪私学教職員組合副委員長のB(以下「B」という。)が,「こういう切下げはあくまでも一時的なもので,財政状況が好転すれば元に戻すべきだ。」と述べたのに対し,Aは,「よっしゃよっしゃ,わかってるがな。」と述べ,被告事務局長のC(以下「C」という。)は,「それは激変があったらということですな。」と述べた。これに対し,Bが,「激変と言われるほどの財政状況回復があればもちろんのこと,そうでなくても組合としてはちゃんと要求していきますよ。」と述べたところ,Aは,「わかってるがな,話し合うことは大事や。」と応じた。
Cが作成した同日の議事録には,「昇級は定昇のみとしベアは行わない(ただし激変の場合は協議する)」「分会=必要に応じてベアを要求する」と記載されている。
カ 同月5日及び12日,被告は,幼稚園教諭に対し,上記団体交渉の結果を踏まえて,第1案,修正第2案及び第3案の内容説明を行った。その際,Aは,「激変があったときは,この限りではない。」などと述べた。
同月13日,原告らは,修正第2案を選択し,これに同意する旨の書面を被告に差し入れた。また原告らを除く幼稚園教諭10名はいずれも,第1案を選択し,これに同意する旨の書面を被告に差し入れた。
(2) 原告らは,平成5年7月13日,被告との間で,被告の経営状態が回復するまでとの条件付きで修正第2案を受け入れる旨合意したと主張する。
しかし,前記(1)オ,カ認定のとおり,被告と原告らないし組合との交渉では,原告らないし組合の側から,「こういう切下げはあくまでも一時的なもので,財政状況が好転すれば元に戻すべきだ。」「激変と言われるほどの財政状況回復があればもちろんのこと,そうでなくても組合としてはちゃんと要求していきますよ。」といった発言が出たのに対し,被告側は,「良くなっていけば,元に戻していく。」「話し合うことは大事や。」などと応じたのみであり,いかなる条件を満たした場合にどのような措置をとるのかということについては,具体的な協議はされていない。また仮に,原告らの主張するとおり,「被告の経営状態が回復すれば,原告らにつき,ベースアップを再開し,かつ,賞与を基準内賃金6.22か月分+10万6000円とする。」というような重要な合意が成立したのであれば,合意内容が書面化されているはずと考えられるが,そのような書面は作成されておらず,かえって,原告らは,特段の留保なく修正第2案に同意する旨の書面を被告に差し入れているのである。
そうすると,原告らと被告との間では,上記のような口頭でのやり取りを通じて,将来的に経営状態が改善した場合には,給与体系や賞与の問題を再度交渉する必要性があるとの共通の認識が確認されたにとどまるというべきであり,原告らの主張するような条件を付する旨の合意が成立したと認めることはできない。
したがって,上記合意が成立したことを前提とする原告らの請求は,理由がない。
2 争点(2)について
原告らは,「被告は,平成6年度以降,事務職員及び系列校教師に対しては,ベースアップを再開するとともに,従前どおり賞与を基準内賃金6.22か月分+10万6000円とする一方で,幼稚園教諭に対しては,ベースアップを再開せず,かつ,賞与を基準内賃金2.5か月分としてきた。このような取扱いは,担当する職務内容の相違によっては説明できない不合理な差別であって,均等待遇義務に違反する。」と主張する。
しかし,雇用契約の内容は,原則として使用者と労働者との合意によって決まるものであり(修正第2案に基づく労働条件も,被告と原告らないし組合との合意によって決まったものである。),合意の結果として,個々の労働者の労働条件が異なるということは当然あり得ることであるから,労働基準法3条及び4条による国籍,信条,社会的身分又は性別に基づく差別的取扱いの禁止という規制を超えて,使用者が,一般的に,すべての労働者を均等の労働条件で取り扱うべき義務まで負っているとする法的根拠はないものといわざるを得ない。
したがって,事務職員及び系列校教師の労働条件と,幼稚園教諭である原告らの労働条件とが異なっているからといって,被告に均等待遇義務違反があるとは認められないから,被告に均等待遇義務違反があることを前提とする原告らの請求は,理由がない。
3 争点(3)について
原告らは,「平成6年度以降,被告の経営状態は改善し,幼稚園教諭のみを対象とした給与減額措置を維持すべき必要性は消失したから,原告らは,平成6年度以降,事情変更の原則により,事務職員及び系列校教師と同様のベースアップ及び賞与の支給をうけることができる。」と主張する。
事情変更の原則とは,契約成立後,契約の基礎となっている事情につき,当事者にとって当初予測し得なかった著しい変化が生じ,元の契約内容をそのまま履行させることが当事者間の公平を損なう場合に,信義則を根拠として,契約の改定又は解除を認めるものである。そして,証拠(<証拠省略>)によれば,被告の学園全体の収支及び借入金,並びに幼稚園の収支,人件費比率及び借入金は,別表3のとおりであり,学園全体について見れば,少なくとも平成8年度以降,一貫して黒字基調で推移しており,幼稚園においても,平成9年度以降は,収支が黒字に転じ,人件費比率及び借入金の面でも大きく改善しているものと認めることができる。
しかしながら,被告における経営の改善は,人件費の節減を含む経営の合理化及び経営努力によって達成されたものであって,事情変更の原則が想定するような特殊な原因によってもたらされたものではない。また,前記1(1)のとおり,被告が原告らを含む職員に合理化案の受入れを求めたのは,経営改善を目的としてのことであるから,その結果として経営改善の効果が生じることは,むしろ自然な経過というべきであって,当事者にとって当初予測し得なかった著しい事情の変化と捉えることはできない。
したがって,本件について事情変更の原則を適用することはできないから,その適用があることを前提とする原告らの請求は,理由がない。
4 争点(4)について
前記第2の2(5)のとおり,早期退職加算金の定めは,幼稚園教諭を早期退職金加算の対象外としている。
原告X1及び原告X3は,早期退職加算金の定めは幼稚園教諭にも適用があるものとして合意されたと主張するが,早期退職加算金の定めがそのような趣旨で制定されたものであることを認めるに足りる証拠はない。
また,原告X1及び原告X3は,「早期退職加算金の定めは,被告の就業規則の一部を構成するものであり,これを幼稚園教諭にだけ適用しないとする合理的理由はないから,幼稚園教諭を対象者から除外する旨の規定は,就業規則の差別適用禁止の原則に反し,無効である。」と主張する。しかし,前述のとおり,使用者は,国籍,信条,社会的身分又は性別に基づく差別的取扱いの禁止という規制を超えて,一般的に,すべての労働者を均等の労働条件で取り扱うべき義務まで負うものではなく,また平成5年の労使交渉の結果,幼稚園教諭については事務職員及び系列校教師とは異なる独自の労働条件が採用されている状況にあることに照らせば,被告が,幼稚園教諭を早期退職金制度の対象外としているからといって,そのことが債務不履行ないし公序良俗違反と評価されるものではない。原告X1及び原告X3の主張は採用できない。
したがって,原告X1及び原告X3の早期退職加算金の支払を求める請求は,理由がない。
第4結論
以上の次第で,原告らの請求は,いずれも理由がないから,これらを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 谷口幸博 裁判官 川畑公美 裁判官 徳田祐介)
別表3
学園全体
幼稚園
年度
収支
借入金
収支
人件費比率
借入金
平成5年度
-22,878,797
95.09%
14,628,070
平成6年度
-19,310,022
86.86%
10,541,790
平成7年度
-8,224,902
77.28%
6,800,000
平成8年度
564,597,601
6,984,518,045
-10,619,673
83.20%
3,400,000
平成9年度
562,453,134
6,364,647,738
9,945,304
69.08%
0
平成10年度
724,085,397
5,642,674,393
23,616,337
64.00%
0
平成11年度
891,186,902
4,944,176,014
25,056,325
63.10%
0
平成12年度
971,353,947
4,088,692,000
24,463,868
64.30%
0
平成13年度
722,506,428
6,654,248,000
26,119,506
64.80%
0
平成14年度
630,549,973
6,359,804,000
30,299,989
60.00%
0