大阪地方裁判所堺支部 昭和44年(ワ)366号 判決 1973年7月30日
原告
柳楽亨
被告
旭塗料株式会社
ほか三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
(当事者の求めた裁判)
原告
1 被告らは原告に対し、各自、一一〇〇万八〇一八円および内金九一七万四〇一八円に対する昭和四七年六月二〇日から、内金一八三万四〇〇〇円に対する本判決宣告の翌日から各完済まで、年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言。
被告旭塗料株式会社(以下被告旭塗料という)、同竹村
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
被告株式会社遠藤商店(以下被告遠藤商店という)、同中村
1 原告の請求を棄却する。
(当事者の主張)
原告
一 本件事故の発生
(一) 発生時 昭和四三年五月二三日午後二時一五分頃
(二) 発生地 広島市已斐上町一五七三の一平岡一之方前道路上
(三) 事故車 (イ) 被告旭塗料所有、自家用小型貨物自動車(広四す一六九九号)(以下(イ)車という)
(ロ) 被告遠藤商店所有、軽四輪貨物自動車(広六う六八二九号)(以下(ロ)車という)
(四) 運転車 (イ) 車―被告竹村
(ロ) 車―被告中村
(五) 受傷者 原告
(六) 態様 原告が被告竹村の運転する(イ)車の助手席に同乗して(二)附近道路を南から北に向つて進行中、進行方向左側に駐車中の車があつたため、被告竹村がハンドルを右に切つたところ、対向して来た被告中村運転の(ロ)車と正面衝突し、その結果原告は左眼視束萎縮疑、外傷性散腫、近視、左眼上斜筋不全麻痺、頸部挫傷鞭打症等の傷害を受け、現在もなお治療中である。
二 責任原因
(一) 被告竹村は、前記道路左端に駐車していた車両の右側を追越すさい、同所は幅員約五・五メートルの道路であり、追越すためには道路右側に進出しなければならないのであるから、同車の前方および対向車との交通の安全を充分確認のうえ追越すべき注意義務があるのに、これを怠つて漫然道路右側に出て追越しにかかり、被告中村の運転車が対向して来るのを約三〇メートル前方に気付きながら、なお追越しができるものと速断して進行し、左側に移行せんとしてはじめて駐車車両前方に歩行者がいるのに気付き道路左側に移行することもできず、漫然急制動の措置をとつた過失により、本件事故を発生させたのである。
(二) 被告旭塗料は、(イ)車を保有し、これを自己のため運行の用に供していた者である。
(三) 被告中村は、前記事故現場を通過するさい、急な下りの坂道であり、かつ、前方右側に自動車が駐車し、これを追越して来る被告竹村の運転車がセンターラインを越えて進行して来るのを認めながら、僅かに自車を左側に寄せ少し速度を落しただけで被告竹村運転の車とすれ違いができるものと過信して漫然進行した過失、および、得意先を探すためわき見をしており、かつ、右手を窓にかけ左手のみで運転していたため、とつさの間に事故回避をすることができなかつた過失がある。
(四) 被告遠藤商店は、(ロ)車を保有し、これを自己のため運行の用に供していた者である。
被告竹村・同中村は民法七〇九条、被告旭塗料・同遠藤商店は自賠法三条にもとづき、各自、本件事故により原告に生じた損害を賠償すべき義務がある。
三 損害
(一) 逸失利益
原告は、本件事故後左記のとおり入院または通院して治療を受けた。
記
(1) 昭和四三年五月二四日から同年一〇月二四日まで
入院(五ケ月間)中高下病院
(2) 昭和四三年一〇月二五日から昭和四四年四月上旬まで
通院(約六ケ月間)中高下病院
(3) 昭和四四年四月二一日から同年九月二三日まで
通院(五ケ月間)堀野病院
(4) 昭和四四年九月二四日から同年一二月一七日まで
入院(三ケ月間)国立大阪南病院
(5) 昭和四四年一二月一八日から昭和四五年四月一五日まで
通院(四ケ月間)国立大阪南病院
(6) 昭和四五年四月一六日から同年九月一六日まで
入院(五ケ月間)国立大阪南病院
(7) 昭和四五年九月一七日から同年一一月一六日まで
通院(二ケ月間)国立大阪南病院
(8) 昭和四五年一一月一七日から昭和四六年二月六日まで
入院(二ケ月半)国立大阪南病院
(9) 昭和四六年二月七日から同年一二月二三日まで
通院(一〇ケ月半)国立大阪南病院
原告は、右の四一ケ月間治療に専念して全く稼働することができず、昭和四三年五月二四日から同年一二月三一日までは月収約二万八〇〇〇円、昭和四四年度はボーナスおよび定期的な昇給により月収三万円、昭和四五年度は同じくボーナス、定期昇給を含め月収三万五〇〇〇円、昭和四六年度は同じくボーナス、定期昇給を含め約四万円の収入を得られず、合計一四五万六〇〇〇円の損害を蒙つた。
原告の労働能力の喪失は、労働基準法施行規則所定の身体障害等級表第七級に該当し、労働能力喪失率は五六パーセントである。原告は、請求の趣旨変更申立書陳述当時二七才で、以後三六年間稼働することができ、そのホフマン係数は二〇・二七五であるから、原告の労働能力喪失による損害は次の算式のとおり五四四万九九二〇円となる。
四〇、〇〇〇×一二×56/100×二〇・二七五=五、四四九、九二〇
よつて、逸失利益の合計は六九〇万五九二〇円となる。
(二) 通院並びに諸雑費
(1) 通院費
原告は、前記通院中自宅より国立大阪南病院へ一ケ月のうち一五日は通い、一日当り交通費として二二〇円を費し、通院一七ケ月間にわたつて合計五万五一〇〇円の損害を蒙つた。
(2) 入院諸雑費
原告は前記のとおり一五ケ月間入院し、この間一ケ月当り一万円の諸雑費を費消し、合計一五万円の損害を蒙つた。
(三) 慰藉料
原告は、前記のとおり一五ケ月間にわたり入院し、この間昭和四五年一一月二五日には右前斜角筋切断の手術を、昭和四六年一月二七日には両側大後頭神経切断の手術をし、治療に精進しているが、未だに完治せず、後頭部の刺すような痛み、右手の強度なしびれ、視力の極度の衰え、二重に見える状態で、鞭打症の後遺症を残している。右の事情からすると、原告の慰藉料は、入院期間中一五〇万円、通院期間中一三五万円、後遺症につき一二五万円の合計四一〇万円が相当である
(四) 弁護士費用
(1) 着手金
原告は、被告らが損害賠償請求に容易に応じなかつたため訴提起のやむなきにいたり法律扶助協会大阪支部より立替えてもらい、四万五〇〇〇円を着手金費用として弁護士村林隆一に支払い同額の損害を蒙つた。
(2) 成功報酬金
原告が第一審判決によつてうる金員の二割と契約した。前記(一)ないし(四)の(イ)の合計額は一一二五万六〇二〇円である。原告は自賠責保険金として、被告旭塗料、同遠藤商店の加入する保険会社より各七八万円の合計一五六万円(自賠責保険の認定は第九級)および労災保険より五二万二〇〇二円の給付を受けたので、これを差引くと九一七万四〇一八円である。したがつて原告が弁護士村林隆一に支払うべき成功報酬金は一八三万四〇〇〇円(百円未満切捨)となる。
なお、原告の入院治療費五九万二六三五円については保険より給付を受けた。
四 結論
よつて、原告は被告らに対し、各自、前記損害金合計一一〇〇万八〇一八円、および、内金九一七万四〇一八円に対する「請求の趣旨変更申立書」を本件口頭弁論期日で陳述した日の翌日である昭和四七年六月二〇日から、内金一八三万四〇〇〇円に対する本判決言渡の日の翌日から各完済まで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
五 被告旭塗料・同竹村の主張第四項(損害のてん補)は争う。(一)のうち被告旭塗料の弁済(休業補償)は否認する。仮処分決定で支払を受けたことは認めるが、仮の処分であるから減額の対象にならない。(二)のうち一五六万円のほか一〇〇万円が保険会社より支出されていることは認めるが、右一〇〇万円はすべて保険会社から医療機関に直接支払われたものである。
被告旭塗料・同竹村
一 原告の主張第一項の(一)、(二)の事実、(三)のうち(イ)車に関する部分、(四)の事実、(六)のうち(イ)車と(ロ)車が(一)(二)の日時場所で正面衝突したこと、第二項(二)の被告旭塗料が(イ)車の保有者であること、第三項の(四)の(2)のうち、原告が被告旭塗料・同遠藤商店の加入する保険会社より各七八万円(合計一五六万円)、労災保険より五二万二〇〇二円の給付を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。
被告竹村は前方を充分注視していたのであるが、追越しをはかつた駐車中の車両の前に小学生がいることが全くわからずその予想もできない状況であつた。一方対向車の運転者被告中村は、駐車中の車の北側に子供が立つており、かつ、被告竹村運転の車が駐車中の車を追越さんとするのを認識していた筈で、したがつて被告竹村が子供がいるため車を道路左側に寄せることができず、道路中央附近を直進せざるを得ないことを充分察知できた筈である。この場合被告中村としては、一たん停止するか徐行して車を道路際に寄せ進行するなど適宜の措置をとるべきであつたのに、これを怠り漫然と直進したため本件事故が発生したのである。なお、被告中村運転の車は被告竹村運転の車の右側を通行し得たのである。
右のとおり被告竹村には運転上の過失はなく、本件事故発生は駐車中の車の蔭に立つていた子供および被告中村の過失に基因するものである。被告竹村運転、被告旭塗料の(イ)車には構造上の欠陥も機能上の障害も存しなかつた。
二(一) 原告は自賠法三条の「他人」に該当しない。原告は、被告竹村とともに被告旭塗料の従業員で運転免許を有し、被告竹村と同乗して適宜運転者となり運転助手となつて外交の仕事に従事していた。本件事故は左側駐車車両の北側に小学生がいることに気付かず運転したことに原因があるのであつて、被告竹村に前方不注意の過失があるとすれば、同乗中その危険を注意しなかつた原告にも過失があるという関係にあり、ともに自動車の安全進行を図る義務があつたというべきである。したがつて、原告は自賠法二条の運転補助者であり本件事故はその義務遂行中のもので、かつ、被用者が就業中他の被用者に損害を与えたもので、いわゆる共働者の原則の適用がある。
(二) 原告には固有の過失がある。すなわち原告は運転免許を有し運転助手として同乗し、衝突の危険があつたのに一たん停止を示唆するなどの適切な注意を被告竹村に与えず、むしろ脇見をしていた疑いがある。したがつて、被告旭塗料に対する関係では被告竹村の過失は被害者側の過失であり、被告竹村に対する関係では同僚としての過失であるから、相当額の過失相殺による減額を求める。
(三) かりに、原告に過失といえるべきものがないとしても、前記のとおり、原告は被告旭塗料の従業員で就業中の事故であり、事故車の運転者被告竹村とは同僚であること、原告は運転免許を有し、事故車の助手席に助手として同乗していたこと、原告と被告竹村とは一組となつて一緒に仕事をし、運転、運転助手を交替していた関係にあること、原告も前方左右を注視し、危険があるときは注意するなど運転を補佐すべき立場にあつたのに、本件事故にさいしては、何らの注意示唆を与えていないこと、被告竹村に運転上の過失があるとしても、その過失は甚だ小であること、以上の点は他の事案と異なる特別事情として損害額の算定においてしんしやくされるべきである。
三 原告の主張する主な愁訴のうち頭痛、目まい、嘔気、時折発症する複視、羞明、疲労し易い等の症状は、本件外傷とは関係のない原因不明の左眼視神経障害によるものである。原告にはその主張するような重い外傷による後遺症を残すものでないことは、本件事故の態様、事故後の行動からも充分にうかがわれるのである。すなわち、本件事故は正面衝突ではあるが両車ともに停止間際のもので、衝撃は少なく、被告竹村はもとより、被告中村も右肘を窓から出していたことによる加療約一週間を要する右前腕打撲のほかは、頭部外傷等の傷害を受けていないし、両車ともにバンパー、ボンネツトがやや凹んだ程度である。原告は左膝部分をすりむいた程度で、昭和四三年一〇月二四日中高下外科医院を退院後昭和四四年四月まで被告旭塗料広島営業所に在勤していたが、その間自動車を運転して塗料を運搬する仕事をし、昭和四四年四月には三泊四日の被告旭塗料の職員慰安旅行に参加し、その後義兄の仕事の手伝いをして昭和四六年三月頃には富田林市から倉敷市まで自動車を運転して知人宅を訪問し、昭和四六年四月頃には紙回収業を営む会社に勤めトラツクを運転して名古屋まで往復し、昭和四六年一二月頃からは肉販売店で働き、朝七時頃出勤し夜七時頃帰宅するという勤務に就いている。そして鑑定人桐田良人の鑑定結果からも、原告の症状は、本件事故に関係のない固有の疾患(視神経障害)および原告の特異性格に由来される心因性のもので、事故に直接基因する後遺症なるものは存していないというべきである。
四 損害のてん補
(一) 被告旭塗料は原告に対し、現在までに次のとおり合計三三万〇八四一円を支払つた。
昭和四三年一二月から昭和四四年四月までの間に計一〇万五八四一円(休業補償担当分)
内訳 一万一一二五円 昭和四三年一二月分
二万七〇九六円 昭和四四年一月分
二万五九〇八円 同年二月分
二万九五〇四円 同年三月分
一万二二〇八円 同年四月分
昭和四六年四月から同年一二月まで毎月二万五〇〇〇円計二二万五〇〇〇円(大阪地方裁判所堺支部昭和四六年(ヨ)第一一三号仮処分決定にもとづく内払金)。
(二) 原告は、自認している一五六万円のほか、被告旭塗料・同遠藤商店が加入している保険会社より、合計一〇〇万円を被害者請求により給付を受け、そのうち中高下外科医院に支払つた五〇万三二六六円(入院治療費五九万二六三五円のうち八万九三六九円は労災保険より支払われた)を控除した四九万六七三四円を受領している。
(三) 原告は、自認している労災保険の休業補償給付金五二万二〇〇二円(昭和四四年四月二一日から昭和四六年六月三〇日まで)のほか、岡山社会保険事務所より厚生年金保険障害年金給付を昭和四六年六月から年額一二万一六八〇円、昭和四六年一一月から年額一三万二四八〇円を受給している。
被告遠藤商店・同中村
一 原告の主張第一項中(一)ないし(五)の事実は認め、(六)のうち原告の負傷の部位・程度は不知、その余は認める。第二項中(一)(二)の事実は認め、(三)の事実は否認、(四)のうち被告遠藤商店が(ロ)車の保有者であることは認める。第三項の事実は原告が自賠責保険金の支払を受けたことは認め、原告に生じた損害についてはすべて不知。
二 本件事故につき被告遠藤商店保有の(ロ)車には構造上の欠陥も機能上の障害もなかつた。また(ロ)車運転の被告中村には何らの過失もなかつた。本件事故は専ら(イ)車を運転していた被告竹村の過失により発生したものである。
すなわち、
(1) 被告竹村は本件事故までに速度違反、一時停止違反があり、さらに人身事故を起している。
(2) 被告竹村は、駐車車両の右側に出るときあらかじめ前方をよく見て右側に出るべきであつたと、取調官に述べて過失を全面的に認めている。
(3) 一方被告中村は取調官に対し、時速三五キロメートル位で道路左端を急な下り坂であるから時々ブレーキを踏みながら進行していた旨、前方に右側通行して来た相手の車を発見したので速度を落し相手の車が通行できる幅を開け道路左端に寄つて進行していた旨供述し、その運転方法は完全で何の過失もない。
(4) 実況見分調書をみても、道路の幅員五・五二メートル、したがつて中央部分まで二・七六メートルのところ、(イ)車(被告竹村運転)の右車輪スリツプ痕の先端は路端から一・五〇メートルのところではじまつており、道路中央から一・二六メートルも右側にはみ出していたこと。(イ)車の幅が一・三八メートルであるから車全体が完全に中央より右に入つていたのである。一方(ロ)車(被告中村運転)は衝突後左側面前部が路端から〇、九メートル、左側面後部が〇・五五メートルとやや斜めに停車し、車の幅一・三メートルを考えても完全に左側道路すなわち自己の運行区分帯内において進行していたことが明らかである。しかも被告竹村が、衝突後相手方車両は少し後退して停車した旨取調官に述べていることおよび、(ロ)車のスリツプ痕がないことから、(ロ)車は衝突の時殆んどスピードが出ておらず相手の車の力で後ろに押し戻されたもので、衝突のさいの衝撃で(ロ)車がやや斜に停止したのである。したがつて、(ロ)車は衝突直前〇・九メートルと〇、五五メートルの間約〇、七メートル(路端から)の位置にあり、左端に寄つて進行していたことが明白である。
(5) 被告竹村は処罰されているが、被告中村は被疑者ともされず完全に被害者として取扱われていることからも、被告中村に過失がなかつたことが認められるのである。
三 かりに被告中村に過失があつたとしても、主たる過失は被告竹村にあり、しかも原告と被告竹村は同じ会社に勤務する同僚であつたから、被告中村・同遠藤商店に対する関係では被告竹村の過失を被害者側の過失として過失相殺すべきである。
(証拠)略
理由
一 昭和四三年五月二三日午後二時一五分頃広島市已斐町一五七三の一平岡一之方前道路上において、被告竹村運転、原告同乗の(イ)車と被告中村運転の(ロ)車とが正面衝突したことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕をあわせ考えると次の事実を認めることができる。
(1) 被告竹村は、(イ)車を運転し右道路を南方から北方に向け時速約四〇キロメートルで進行中、道路左端に駐車していた車両の右側を追越すべく道路右側に出たところ、被告中村の(ロ)車が対向して来るのを約三〇メートル前方に気付きながらそのまま進行したのち、道路左側に移行しようとしてはじめて右駐車車両の北側に歩行の小学生がいるのに気付いて移行できず、あわてて急制動の措置をとつたが間に合わず(ロ)車に衝突した。右小学生は、南側から駐車車両の左側(西側)を通つて同車両の前(北側)に出たもので、当時駐車車両の南北には小学生が通行しており、被告竹村もこれを認めていた。
(2) 被告中村は、(ロ)車を運転して北方から南方へ向け時速約三五キロメートルで、下り坂のため時々ブレーキを踏みながら進行中、前方に右側通行で対向して来る(イ)車を発見したが、やや速度を落したのみで道路左端に寄つて進行をつづけたところ、約一〇メートル接近しても(イ)車がそのまま進行して来るので急制動の措置をとつたが(イ)車と衝突した。
(3) 事故現場は歩車道の区別がなく、道路幅員は五、五二メートル、したがつて片側の幅員は二、七六メートル、南方から北方へ上り勾配となつているアスフアルト舗装で、見通しのよい直線道路である。(イ)車の右車輪スリツプ痕の先端は道路東端より一、五〇メートルのところではじまり、(イ)車の車幅が一・三八メートルであるから、(イ)車は車体の殆んどを道路右側部分(進行方向からみて)にはみ出していた。(イ)車のスリツプ痕は左側五、三五メートル、右側五、七メートルである。(ロ)車の停止位置は車の左側面前部が道路東端から〇、九メートル、左側面後部が道路東端から〇・五五メートルであり、(ロ)車の車幅は一・三メートルである。(ロ)車は、その右前部と(イ)車の右前部とが衝突して後ろに押し戻されたためやや斜めに停車し、左前輪スリツプ痕一、〇メートル、左後輪スリツプ痕〇・六二メートルを残した。衝突の結果(イ)車のバンバー右側が少し凹み右の方向指示器が割れた程度で、衝撃の程度はさ程強いものではなかつた。なお右衝突による修理代は(イ)車につき三万円位、(ロ)車につき二万円余りであつた。
(4) 原告は、被告旭塗料の従業員で事故当時先輩の被告竹村の指導のもとに品物の配達、外交販売の仕事に従事し、被告竹村運転の(イ)車の助手席に同乗していたが、原告が運転し被告竹村が助手席に坐ることもあつた。本件事故の翌日、原告は頸椎挫傷、右膝部打撲傷で中高下外科医院に入院した。なお、本件事故で被告中村は加療約一週間の右前腕打撲を受け、被告竹村は何らの傷害も受けなかつた。
以上のとおり認められ、原告、被告竹村各本人の供述中右認定に反する部分は措信できないし、ほかに右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、被告竹村としては、駐車々両の追越しのため道路右側部分に出なければならず、右車両の前後を小学生が歩行しているのを認めていたのであるから駐車々両の前方および対向車両との交通の安全を充分確認して追越すべき注意義務があるのにこれに違反し、しかも追越しをはじめた後、被告中村運転の(ロ)車が対向して来るのに気付きながら、なおも進行を続けた点に過失があるといわねばならない。また、被告中村は、被告竹村運転の(イ)車が自己の進路部分を対向して来るのを認めており、しかも自己の進行方向は下り勾配となつているのであるから、直ちに停止して(イ)車の異常な運転態度に留意すべきであるのに、なおも進行を続けた点に過失があるというべきである。
二 被告旭塗料が(イ)車を、被告遠藤が(ロ)車を保有し、それぞれ自己のために運行の用に供していたものであることは原告と右各被告との間でそれぞれ争いがないので、右各被告はそれぞれ自賠法三条により、被告竹村・同中村はそれぞれ民法七〇九条により、本件事故により原告に生じた損害を賠償すべき義務がある。
被告旭塗料は、原告は自賠法二条の運転補助者であるから同法三条の「他人」に該当せず、いわゆる共働者の原則からも、被告旭塗料には損害賠償責任はないと主張する。しかし、自賠法三条の他人性を判断するにあたり、共働者の原則、すなわち同じ使用者のもとで働く被用者が他の被用者の行為によつて被害を受けた場合に、使用者は被害を受けた被用者に対し損害賠償責任を負わないとの原則を考慮すべき法的根拠はないから、加害者の被告竹村と同じく被告旭塗料の従業員であるとの理由で、原告が自賠法三条の「他人」に該当しないとすることはできない。また前記認定事実によると、原告は自動車運転の補助に従事する者(運転補助者)の地位にあつたということができるけれども、運転補助者が右の「他人」にあたらないというためには、当該事故のさいその者が単に一般的な運転補助者の地位にあつたというだけでは足りず、少なくとも運転行為の一部を分担する等直接の運転者と実質的に同視できる立場にあつたことをも要すると解すべきである。本件では、前記のとおり被告竹村が(イ)車を運転して見通しのよい道路上を進行中、被告竹村の過失により衝突事故の発生をみたのであり、当時原告は(イ)車の助手席に同乗していたというにすぎず、運転席から死角にあたる部分の監視、または発車・停車・踏切・後退の誘導等、事故当時運転者の手足となり眼となつて運転者の運転行為の一部を分担していた場合にあたらないことは前記認定事実により明らかであるから、原告は自賠法三条の「他人」にあたると認むべきである。次に、被告旭塗料・同竹村は、原告にも、前方左右を注視し危険があるときは注意するなど運転を補佐すべき義務がありこれに違反した過失があるというが、運転補助者にも右のような注意義務が要求される場合のあることは前記のとおりであるけれども、本件において、原告につき右注意義務があつたと認むべき事情はない。なお、被告旭塗料・同竹村は、過失相殺のほか損害額算定につきしんしやくすべき特別事情の存在を主張し、被告遠藤商店・同中村は、被告竹村の過失を被害者である原告側の過失として考慮すべきであると主張するが、右各主張を肯認する理由を見出し難く、いずれも採用できない。
三 〔証拠略〕によれば、鑑定のために昭和四七年七月一五日から同年八月八日まで原告を入院させ検査した結果、事故後四年を経過するも原告には頸椎部、右肩胛部、右上肢に外傷性頸椎症候群兼バレーリユー症候群の症状があることが認められるところ、被告旭塗料・同竹村は原告の右のような症状は、本件事故との間に因果関係がないと主張する。
(一) まず、原告の治療の経過をみるに、〔証拠略〕によると、次の事実を認めることができる。
原告は、事故直後は警察官に尋ねられて膝部が一寸痛いといつていたのみで、頭部を打ちつけたこともなく、右前腕打撲を受けた被告中村のみが被害者とされ被告竹村も被告中村に対する業務上過失傷害で処罰された。事故のあつた日の翌日の朝になつて、原告は頭痛、手のしびれを訴え、直ちに中高下外科病院に入院し、昭和四三年一〇月二四日に退院、昭和四四年四月一〇日まで通院したが、その間頭痛、眩暈、頸部疼痛、左瞳孔反射不能、流涙、悪心が持続し、症状は一進一退の状態で、症状は固定していた。なお、右入院中大西眼科医院で複視、視力障害、眼痛を訴え治療を受けた(治療実日数二一日)。
原告は、昭和四四年四月被告旭塗料を退職して富田林市内の姉の嫁ぎ先に身を寄せ、同年四月二一日から九月二四日まで堀野医院に通院し、頸部より後頭部、肩部への放散痛、両腕のシビレ感、頭重感、眩暈、耳鳴の訴えがあつたが、右症状は一進一退で改善しないまま、原告の神経症々状が強くなり精神的に不安定で不安感が強くなり、入院の希望もあつて国立大阪南病院へ移つた。
昭和四四年九月二四日国立大阪南病院に入院時の原告の症状は、頸、項部の疼痛、右手の疼痛、眩暈、悪心、嘔気、頭痛、眼痛を訴え、同年一〇月には左上肢尺骨側に知覚鈍麻、シビレ感、両手部にシビレ感を訴え、頸椎の牽引療法、同側星状神経節ブロツク療法、または右側星状神経節ブロツク療法によつて、右愁訴は緩解または著しく軽快した。頭痛、眩暈、嘔気に対する原因究明のために行なわれた脳血管撮影、脳波検査では特に異常所見はなく神経学的所見も全くなかつた。昭和四四年一二月一七日退院したが、昭和四五年一月五日には自覚的な不定愁訴が多くなり、右手の振戦がつよく外傷性ノイローゼの疑があるとされ、右上肢の交感神経障害の症状がつよくなり、四月には右手が腫れ紫色に色づき振戦もつよくなつてきたので、四月一五日同病院に入院した。四月二五日椎骨動脉撮影を行なつたが、そのさい椎骨の方へ流れる血管部分につき狭窄がみられたが、これが本件事故によるものかは判明せず、右上肢の諸症状、頭痛、眩暈、嘔気、視力障害を解明する程の所見は認められなかつた。在院中は軽快しているが、一時外出を許可すると悪化する状態を繰返していた。八月には右足が紫色に色づき冷たくなると訴え、九月には両足底部、手掌が熱く感ずるようになり、交感神経失調の症状がみられた。九月一六日に退院したが、一〇月になると右膝足の痛みと歩行障害を訴え、足関節に包帯をまき固定しないと歩きにくいと訴え、右上腕神経叢圧痛、同上肢の疼痛、振戦がつよくなつてきたので、一一月一六日同病院に三たび入院した。一一月二五日筋肉の肥厚、固まりによる神経の圧迫、上肢・肩の痛みを除くため、右前斜角筋切断術を受け、右手の症状はやや軽快したが、右足の熱感、紫色の着色等の交感神経失調症状が認められた。昭和四六年一月になると、右手の振戦は減少し、同上肢挙上運動のさいの疼痛はなくなつたが、頸部より後頭部への痛みを訴えるようになつたので、一月二七日頭痛を和らげるため末梢神経を切る両側大後頭神経切断術を受けて後頭痛は軽快し、二月六日退院した。以後昭和四七年七月一二日まで時折通院しているが、昭和四六年七月一日労災保険関係で治ゆと認定され、療養補償給付打ち切りとなつた。その間右手部の発汗が著明となり、特に右半身の交感神経失調の症状が発来してはまた消退し、右手の企図振戦(何かしようとして緊張するときみる振戦)はほぼ固定的に認められている。国立大阪南病院加療中、頭痛、眩暈、嘔気、複視、羞明等は一進一退しつつ継続し、病名は頭部外傷後遺症頸部捻挫であつた。
(二) 次に、原告の現症であるが、鑑定人桐田良人の鑑定結果によると、次のとおり認められる。鑑定のための検査時において、頭痛、悪心、眩暈、左耳鳴等の訴えがあるが、これらの愁訴は主として視神経障害によつて惹起されるもので外傷時頭部左外側頭部を強打していないことからもこの視神経障害は、本件の外傷により直接惹起されたものではなく、受傷前より存在していた(原因不明)もので、本件外傷によりはつきり他覚的に把握されたもので、要約すると、右症状は原因不明の視神経障害を基盤として発症し、頸椎の外傷を誘因とした交感神経失調症が発現し、生来の特異な傾向を持つた性格とが相互に作用し合つて認められるもので、心因性要素を多分に含んでいる。また、項・頸部の疼痛、右上肢の振戦、右肩運動時の右上肢の疼痛が認められるが、これらの症状は頸椎部の外傷により発症し、この症状を基盤として外傷と関係のない視神経障害による愁訴と後記性格の三要素がそれぞれ因となり果となり相互に作用し合い、心因性要素によりいろいろに修飾され、症状は長い経過の間に固定してきたとみられる。なお諸検査の結果ではX線所見として、頸椎の最大後屈時第四、五頸椎間に椎体の後方ずれ(約二、五ミリ)が認められるが(中間位、前屈時異常なし)、この頸椎不安定性が、前記交感神経失調症、項・頸部痛、右上肢に関する症状に直接結びつくものではなく、またこの頸椎不安性が、受傷直後のX線所見でみられた第二、三頸椎間、第四、五頸椎間の亜脱臼(当時はバレーリユー症候群を示す症状はなかつた)と同一であるかは全く不明であるが、頸椎の外傷により頸椎不安性が出現し、または従前から存在したものが増悪する可能性はある。原告の性格検査の結果として、全体的には情緒不安定で社会的不適応を生じ易く内向的である、客観性に欠ける傾向がつよく現実的な状況を無視して主観的な考えに固執する傾向がある、対人関係および社会に対して不信感がつよく現状否定的攻撃的であるがその気持が行動としてよりも内向し易い、感情が動揺し易くやや神経質である。と指摘され、また、鑑定のための入院時諸検査を行なう前日か当日には必ず体温上昇を認める感情が不安定な状態になると右上肢全体に熱感を生じ温度の上昇を触知すると報告されている。なお諸検査の結果では、前記X線所見での椎体の後方ずれのほか特記すべき異常はない。
(三) また、〔証拠略〕によると、原告は昭和四四年四月被告旭塗料で行なわれた三泊四日(車中二泊)の従業員旅行に参加していること、その後富田林市内の姉婿の営む電気工事業の手伝いを二、三年行ない、その間自動車を運転することもあつたこと、昭和四六年三月頃には私用で自動車を運転して倉敷市内に赴いたこと、大阪府南河内郡河南町の紙の回収業者のもとで働き、自動車を破損させ主人から叱られて約一〇日間でやめたがその間に貨物自動車を運転して名古屋まで往復したこともあること、また昭和四六年一二月から昭和四七年五月まで高石市内の肉店に通勤し、午前七時から午後七時までの勤務時間で三食付で一ケ月六万円の給料を得ていたことが認められる。肉店の主人がよく休む原告を悪くいうのでやめたと、原告は述べている。
以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定の事実に鑑定人桐田良人の鑑定結果、および、本件事故の衝撃の程度、弁論の全趣旨をあわせ考えると、原告の前記症状は必ずしも本件事故によつて発生したものとばかりは認め難く、そうかといつて本件事故と全く関係がないとまでは断定することはできない。要するに、原告の前記症状は、本件事故を契機に発生した頸椎部の病変に起因する諸症状を基盤に、原告が従来有していた左眼視神経障害による愁訴および原告の特異な性格による心因性要素が加わつて、右症状が複雑に進展し増強されたものであると認めるのが相当である。このように傷病が単に交通事故を唯一の原因とするものでない場合、傷病と事故との因果関係について、直ちに民法四一六条一項にいう通常生ずべき損害とみるか、二項にいう特別事情による損害として予見可能性を認めるかは別として、傷害と事故との間に因果関係を認め、右傷病による全損害を事故による損害とすることは、損害の公平な分担という見地からして相当でなく、むしろこのような場合には、事故が傷病に寄与した限度において相当因果関係を認め、その限度において賠償責任を負担させるのが相当と解すべきである。本件についてこれをみれば、原告の本件傷病に対する事故の寄与度は六割程度と認め、全損害の六割の限度において、被告らに賠償責任を負担させるのが相当と考える。
四 そこで、原告主張の損害について検討する。
(一) 逸失利益 二二三万〇四四四円
原告がその主張のとおり昭和四三年五月二四日から昭和四六年一二月二三日まで入院、通院をして治療を受けていたことはさきに認定したとおりであり、その間稼働したこともあつたが、これらはいずれも臨時かつ手伝程度であつたことが原告本人の供述により認められ、その収入額を認定できる資料もないので、(ただし、昭和四六年一二月については肉屋勤務の収入六万円を控除する)、右期間中休業したものと認め、その額を算定する。〔証拠略〕によると、原告主張のとおり、昭和四三年中は一ケ月二万八〇〇〇円、以後定期昇給を加味すると、昭和四四年中は一ケ月三万円、昭和四五年中は一ケ月三万五〇〇〇円、昭和四六年中は一ケ月四万円の収入が得られたものと認められる。
昭和四三年中 二八、〇〇〇円×六=一六八、〇〇〇円
昭和四四年中 三〇、〇〇〇円×一二=三六〇、〇〇〇円
昭和四五年中 三五、〇〇〇円×一二=四二〇、〇〇〇円
昭和四六年中 四〇、〇〇〇円×一二-四八〇、〇〇〇円-六〇、〇〇〇円=四二〇、〇〇〇円
合計 一三六万八〇〇〇円
次に、労働能力低下による逸失利益であるが、〔証拠略〕によると原告の稼働能力は中等度低下しており、労働者災害補償保険法施行令の別表「身体障害等級表」の九級に該当することが認められる。〔証拠略〕中には、「身体障害等級表」の七級四号に該当とする部分があるが、これらは前掲証拠および前記認定の事実に照らし採用できない。そして労働能力喪失率は労働省労働基準局長の通牒(昭和三二年七月二日付基発五五一号)により三五パーセント、その継続期間は前記認定の原告の症状からして六年をもつて相当と考えるので(ホフマン係数五・一三三六)、右により算定すると、八六万二四四四円(円未満切捨)である。
四〇、〇〇〇円×一二×〇・三五×五・一三三六=八六二、四四四円八〇銭
(二) 通院、入院の諸雑費 一九万一五〇〇円
(イ) 通院交通費 四万八四〇〇円
さきに認定したとおり、原告は国立大阪南病院に昭和四四年一二月一八日から昭和四五年四月一五日まで、同年九月一七日から同年一一月一六日まで、昭和四六年二月七日から昭和四七年七月一七日まで通院しているが、〔証拠略〕によれば、右のうち昭和四六年七月一二日頃まではほぼ隔日、以後は一週間に一回位の割合で通院し、一回につき二二〇円の交通費を要したことが認められるので、昭和四四年一二月一八日から昭和四六年七月一二日までは右のとおり三回にわたる通院期間の通算三三六日で一六八回、翌日以降約一年間は一週間に一回として五二回の通院をしたものと認められる。
二二〇円×二二〇=四万八四〇〇円
(ロ) 入院中の雑費 一四万三一〇〇円
さきに認定したとおり、原告は、昭和四三年五月二四日から同年一〇月二四日まで、昭和四四年九月二四日から同年一二月一七日まで、昭和四五年四月一五日から同年九月一六日まで、同年一一月一六日から昭和四六年二月六日まで、通算四七七日間入院し、入院の必要経費としてその間一日につき三〇〇円程度の支出をしたものと認める。
三〇〇円×四七七=一四三、一〇〇円
(三) 慰藉料 一七〇万円
前記認定の入通院の各期間、後遺障害の程度、その他の諸事情を考慮して、本件事故による傷害および後遺障害についてのすべての苦痛を慰藉すべき額としては一七〇万円をもつて相当と認める。
以上(一)ないし(三)の合計額は四一二万一九四四円である。
五 そして、被告らの賠償責任の負担割合は前示のとおり六割であるから、その額は二四七万三一六六円(円未満切捨)となるところ、原告が自賠責保険による給付金として一五六万円、労働保険による給付金として五二万二〇〇二円を受領していることは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると、右五二万二〇〇二円は昭和四四年四月二一日から昭和四六年六月三〇日までの休業補償であることが認められる。〔証拠略〕をあわせ考えると、前記認定の逸失利益の休業による減収のうち、昭和四三年五月二四日から昭和四四年四月二〇日までの分については、労災保険による給付でなく、被告旭塗料から毎月二万円程度の支給がなされていたことが認められる。また、自賠責保険からの給付金として、前記一五六万円のほか一〇〇万円が支出されていることは当事者間に争いがない。右一〇〇万円につき、原告はすべて直接医療機関に支払われたとし、被告旭塗料・同竹村は、そのうち五〇万三二六六円は中高下外科医院の治療費として支払われ(労災保険から八万九三六九円が支出され、その合計額が甲第三号証の五九万二六三五円である)、残りの四九万六七三四円は原告が受領していると主張するところ、仮に原告主張のとおりであるとしても、一〇〇万円のうち四〇万円については、前記理田により原告負担分として損益相殺と同様、原告の損害に充当されるべきである。以上の総計は二七〇万余円であるから、被告らの賠償債務(二四七万三一六六円)は、右給付金等の給付により履行されたものというべきである。
六 以上のとおりであつて、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 金田育三)