大阪地方裁判所堺支部 昭和45年(人)2号 判決 1972年3月31日
請求者 甲野花子
右代理人弁護士 宮崎乾朗
同 河上泰広
右復代理人弁護士 川崎寿
拘束者 乙山太郎
<ほか一名>
右両名代理人弁護士 新垣忠彦
被拘束者旧氏名 乙山正
甲野和郎
右国選代理人弁護士 竹内靖雄
主文
請求者の請求を棄却する。
被拘束者を拘束者両名に引渡す。
本件手続費用は請求者の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
請求者が請求外丙川良夫と昭和四三年頃から交際を始め、昭和四四年に入ってから情交関係を持ち同人の子を懐胎したこと、請求者が丙川側の案内した産婦人科○○診療所で診察を受け、昭和四五年三月八日同診療所で被拘束者を分娩し、拘束者側が名付けた正という名前で拘束者夫婦の嫡出子とする出生の届出がなされたこと、その後請求者主張の審判に基づき右戸籍簿の記載を抹消し、請求者が被拘束者を和郎と命名し自己の子として出生の届出をしたこと、その後良夫が被拘束者を認知し、大阪家庭裁判所堺支部に同人が親権者指定の申立を拘束者両名が監護者指定の申立をし、それらが現に同庁に係属中であることは当事者間に争いがない。
そうして、≪証拠省略≫を綜合すると、請求者は○市内にある幼稚園の教諭をしていたとき、園児の父であった請求外丙川良夫と知合い、同人の子を懐胎するに至ったが、妊娠中絶を拒み、生れる子は良夫の方で引きとるように申向けたため、良夫は実兄の丁田一郎、戊村二郎、丙川三郎らと相談し、同人らと請求者の母甲野雪子等との交渉の結果、私生児とするのは可哀そうで、養子にやれば万事うまくおさまるとし、丙川の側で養親となる人を捜すうち、拘束者乙山太郎、同月子夫婦を知り、その養子とする話がまとまったが、拘束者夫婦が生れる子を実子として届出したい旨希望し、そうすれば請求者の戸籍にも傷がつかないとの配慮もあり、その旨丙川側から請求者側に伝えたところ、前記雪子等にすすめられて請求者もその気になり、丙川側の用意した乙山月子名義の母子手帳を使用し○○診療所で診察を受け、乙山月子になりすまし同診療所で被拘束者を分娩し、名も拘束者側で選んだ正を請求者から○○医師に伝え、その名で出生届出がなされたこと、そして被拘束者の引渡しは請求者退院の日に行うとの予ての打合せに従い、退院の日を請求者の方から丙川側に伝えた上、昭和四五年三月一六日丙川三郎の自宅で、丙川良夫、その姉丙川星子、請求者、その母甲野雪子、兄甲野弘、拘束者夫婦及び仲介人山田英男列席の上、先ず各自の紹介を了えた後、山田から「実子同様に育ててくれる人が見付かったので、請求者及び被拘束者の両者にとり最善の途と考えこの方法をとった」旨あいさつし、次で雪子及び請求者から拘束者等に対し、育児日記(請求者記載のもの)、母子手帳、哺乳瓶、ミルク缶等を渡して、「ミルクはメーカーを変えないように」との注意を与えるとともに、被拘束者のための布団、衣類等を贈り、拘束者等も砂糖の鯛(鯛の形に造った砂糖)を内祝として列席者に贈って、この地方の風習に従う養子縁組の式を了り、平穏裡に、請求者の面前で、その母雪子が被拘束者を抱き上げて拘束者月子にこれを渡した後、拘束者等は、請求者等に対し、「被拘束者が貰い子であることを本人や世間に秘したいので、今後は請求者からの通知により、日時と場所を打合せ、拘束者等方以外の場所で被拘束者に会うようにしてほしい」旨を述べ、請求者とは部屋で別れ雪子、弘の見送りを受けて、一足先に被拘束者を抱いて辞去し、請求者等も約一時間歓談した後、円満に辞去したこと、その間請求者は被拘束者の引渡につき終始これを拒否する態度を示さなかったこと、なお拘束者月子は夫たる同太郎と相談の上、それまでの数ヶ月間を姉川上敏子方に止宿した上、当日当初の約に従い大鳥神社に直行し、次で前記丙川方に赴き以て被拘束者が自己の実子であると世間に見せかけるための努力をしたものであること、その後同年同月二八日には請求者、前記甲野雪子、甲野弘の三名が五月人形、ミルク、ショール等を持参して拘束者宅を訪れ、拘束者夫婦に被拘束者の養育等後事を託して立去ったこと、しかるにその後になって請求者の気が変り、知人の中田美子を連れて同年四月二五日拘束者宅に赴き、拘束者月子に被拘束者を返して欲しい旨申入れたが、同拘束者が拒んだため力づくで被拘束者を奪おうとして争いとなり、以後今日まで請求者が拘束者夫婦に被拘束者引渡しの要求を続けていること、請求者は両親、兄弘と共に両親の家に住み、私立の短期大学を卒業して現在○○大学通信教育課程文学部教育学科に在学する傍ら、○市教育委員会に勤務し、約七万円の月収を得、今後も小学校の教諭を続ける意思を有し、勤務中の子の監護は六〇歳の実母雪子がこれに当る事情にあるのに反し、拘束者夫婦は義務教育を受けただけではあるが拘束者太郎は既製服の縫製加工業を営み、最低一六万円以上の月収があり、被拘束者の監護には拘束者月子が主としてあたるほか同居している月子の老母もこれにあたることができ、月子は結核で入院したことがあるけれども現在では全治していること、生後九日目に貰った被拘束者を今日まで健康に育て上げ、育ての親として拘束者夫婦の被拘束者に対する愛情も深いことの各事実が疏明せられる。≪証拠判断省略≫
ところで拘束者ら代理人は本件のような請求は人身保護規則四条但書に違反し、一般の民事訴訟ないし仮処分によるべきであると主張するが、当裁判所はこの種の幼児引渡請求についても人身保護法による救済を求めることができると考えるのでこの点の拘束者ら代理人の主張は採用しない。
次に拘束者ら代理人は、被拘束者と拘束者両名との間には養子縁組をする意思で嫡出子として届出したものであるから、無効行為転換の法理により養親子関係が成立していると主張するが、この点についても、未成年者養子についての家庭裁判所の許可がないのみならず、当事者間に養子縁組意思が認められるとしても、所定の要式を経ていない本件届出に養子縁組の効力を認めることはできないと考えるので右主張も採用しない。
したがって民法上は現在被拘束者の親権、監護権は請求者に属するといわねばならないが、人身保護法による救済を請求するには同規則四条本文に規定する「拘束が権限なしにされていることが顕著である」ことを要し、前記争いのない事実によれば、被拘束者は現在二歳未満で意思能力のない幼児であるから拘束者が被拘束者を手許において監護すること自体、同規則にいう「拘束」であると解することができ、拘束が「権限なしにされている」とは、元来人身保護法が不法な拘束から救済することを目的とした法律であるから、拘束が違法ないし不当に行われていることを意味するものと解すべきところ、幼児の親権者が拘束する場合は、法律上の監護権の有無にかかわらず拘束する際の状況が違法ないし不当であっても、現在の拘束状態が違法ないし不当でなければ、その拘束を肯定する場合を認めるのが一般であるが、本件のように親権、監護権を共に有しない者が拘束する場合は、人身保護法本来の精神から考えて現在の拘束状態が違法ないし不当でないばかりでなく、拘束する際の状況も違法ないし不当でないことを要すると解するのが相当であるから、まずその点につき判断するに、本件拘束者両名が被拘束者を拘束するに至った際の状況は、前記認定のとおり事実上の養子として請求者から平穏、公然のうちに引渡しを受けたもので戸籍上の手続の違法は別論として拘束に関し何等の違法性ないし不当性は認められない。次に現在の拘束状態についても、本件は法律上監護権を有する者から監護権を有しない者に対する請求ではあるが、前記認定事実によれば、拘束者らは、請求者の態度が豹変するまでは何等の問題もなく平穏に被拘束者の監護を続けてきたのであり、また前記争いのない事実によれば、大阪家庭裁判所堺支部に被拘束者を認知した請求外丙川良夫が親権者指定の申立を、拘束者両名が監護者指定の申立をし、拘束者夫婦と被拘束者との養子縁組を法律上も成立させ、拘束者両名を監護者とする試みがなされていて、これらの申立が現に同庁に係属中であるなど被拘束者を監護するについて全く無縁の第三者でない拘束者両名の地位に徴すれば、その拘束状態が違法ないし不当であるか否かの判断は、請求者と拘束者両名のいずれに監護させるのが子の幸福に適するかを主眼として定めるのを相当とするところ、前記認定事実によれば、請求者は何よりも被拘束者の実母であり、また拘束者夫婦に比し高等教育を受けてはいるが、他面未婚の身で幼児を育てる立場にあり、自己の勤務中は高令者の母雪子が事実上子の監護に当ることになり、幼稚園の教諭の身で園児の父と情交関係を結び、生れる子にとって所謂私生児という不幸な境遇になることが予想されるのに、請求者本人尋問の結果によってもその養育に確たる見込、方針もないままに被拘束者を生んだ態度等から請求者の被拘束者に対する真の愛情の存在については疑問なしとせず、その他前記認定にかかる両者の立場を比較考量すれば、本件は請求者の許で監護させる方が子にとって幸福であること、逆にいえば、拘束者らに監護させる方が子にとって不幸であることが明白であるとは認めがたいところである。そうすると、現在の拘束状態についても違法性ないし不当性が顕著であるとは認められず、結局拘束者両名の本件拘束は人身保護規則四条にいう「拘束が権限なしにされていることが顕著な場合」に当らないものといわねばならない。
よって請求者の請求を理由がないものとして棄却することとし、人身保護法一六条一項、一七条により主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹内貞次 裁判官 高橋水枝 浦上文男)