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大阪地方裁判所岸和田支部 昭和33年(わ)60号 判決 1958年11月04日

被告人 山下武志こと山下武吉

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は

被告人は吉田某外二名と共謀の上「真打」「サクラ」「見張り」と役割を分担し、被告人が真打となり、吉田外二名がサクラ、見張り役となり、真打が台の上に布を置き、その上にトランプ三枚をならべ、内キング絵の札を「当り札」とし他の二枚を「空札」としてこの三枚を交々繰りかえ客をして当り札を指摘させ、的中した場合には賭金の三倍の金員を客に返還し、的中しない場合にはその儘真打の勝とし客の賭金は真打が取上げる取決めで勝負を争う如く装い、客をして真実的中し得るものであつて的中した場合には賭金の三倍の金員を貰えるものと思い込ませた上、最初は誰でも当るように当り札を配置して真打が客に対し「ひやかしでもよいから云つて見よ」と誘引し客をして当り札を指摘させ普通三千円位を客に手渡し、恰もそれが真実の勝負で客が勝つたかの如く言葉巧みに申向け客をしてその旨誤信させて賭金として千円位を交付させ、次に真打は真実の勝負と称してトランプを繰りかえ手先の熟技を弄し客をして空札を当り札であるかのように錯覚させて空札を指示させるか、客が指示しないでも直ちに客が空札を指示したものの如く装うて客をしてその旨誤信させて勝負を決し以て賭金名下に金員を騙取しようと企て、昭和三十三年八月三日午後五時十五分ごろ岸和田市春木若松町岸和田競輪場裏の路上で被告人が真打、吉田外二名がそれぞれサクラ、見張りとなり折柄通りかかつた河井保次に対し、真実は前記のように同人が勝つことのできない方法を講じておきながらこれを秘し、前記取決どおりの賭博を為す如く申向け、同人をしてその旨誤信させ因つてすぐその場で同人から賭金名下に現金千五百円を交付させてこれを騙取したものであるというのである。

よつて審按するに被告人の当公廷の供述及び司法警察員並びに検察官に対する各供述調書、証人河井保次、同浦井国男の当公廷の各供述、就中右各供述によつて認められる被告人が河井保次から金員の返還を求められるや賭博台の附近にいた数名のサクラあるいは見張りと思われる者から暴力を以て阻止された事実並びに、浦井国男の検察官に対する供述調書を考え合せると次の事実が認められる。すなわち、

被告人は吉田某外二名と共に俗に「モヤ返し」と称する街頭賭博をするように装うて金もうけをしようと思つて、昭和三十三年八月三日午後五時十五分ごろ岸和田市春木町所在の岸和田競輪場裏に来て、被告人が真打になり附近にあつた有合せのビール箱の上にこれも有合せの板をのせこれを台にしてその上にトランプ三枚をならべ内キング札を当り札とし、他の二枚を空札としてこの三枚を交々繰替え、客に当り札を当てさせ、もしそれが当つた場合には賭金の三倍の金を客に渡し、当らなかつた場合は真打の勝としその儘賭金を真打が取上げるという方法でその勝負をするよう装うて客を誘引していたこと、その際吉田ほか二名は客を装うサクラあるいは見張り役となり右賭博台の附近にいたこと、ところが一向に客が金を賭けようとしないので被告人は何とかして客に金を賭けさせようとして、その心を動かす為当り札が何処にあるかが誰でも判るようにゆつくり札を配置しておいてそれを見物人の一人である河井保次(以下被害者と称する)に対し、「ひやかしでもよいから当てて見よ」と言つて勧誘したところ、同人もこのような街頭賭博は一般にインチキだと思つていたのでそれまでただ見物をしていただけであつたが、ひやかしでもよいからと言われそのつもりで当り札を指示したところ、意外にも被告人は「千円出せば三倍にして返してやる」旨言はれ、同人も意外に思いながらもそのひやかしの勝負でも真実の勝負をして当り札を当てたときのように三倍の金を貰えるのかと思い、被告人から三千円を受取ると共に被告人に対し千円を手渡した。ところが被告人は更に「もう千円あれば六千円にしてやる」と言つたので同人は「五百円しかない」と答えると「五百円なら四千五百円にしてやる」というので更に五百円を被告人に手渡したところ被告人はその金を受取るや直ちに被害者の知らない間に手早くトランプを繰替え巧みに空札が真中に来るように配置した上、勝手に「真中だね」と言いながら素早くその真中の空札をあけ被害者がそれを当てたもののように言いこめてしまい「あんたの負けやからこの金は貰つて置く」と言つた上さきに被害者に渡していた三千円の金も返させた、このようにして被害者にはひやかしでもよいからと言つて当てさせてその分の賭金のようにして金を出させてその三倍の金を渡し、その実右の賭金を次の勝負の賭金にすりかえてしまい而もその勝負には被害者を参加させないで勝手に勝負を決めてしまい金を取上げてしまつたこと、

以上の事実が認められる。被告人の当公廷の供述及び前掲供述調書、証人浦井国男の当公廷の供述中右認定に反する部分は信用し難い、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

検察官は右事実関係にもとずいて、被告人は被害者に対し「ひやかしでもよいから当てて見よ」と言つて当り札を指示させそれが真実の勝負で勝つたときのように装うて賭金の三倍に相当する金を手渡し次で再びトランプ札を繰替えて被害者が空札を指示したように装うて勝負を決したことを以て、一連の欺罔手段であるとし前示千五百円はこの欺罔手段にもとずいて騙取したものと主張し、一方被告人は右金員は真実の賭博をするつもりで次の勝負の賭金として受取つたものと弁解する。

しかしながら前認定の事実関係に徴すると被告人が真実相手方と偶然の勝負を争う意思で本件「モヤ返し」を行つていたものとは認め難いからこれが賭博に該当しないことは言うを俟たないところである。従つて被告人の右弁解は理由がない。

しかしそうだとするともし被害者が本件「モヤ返し」が真実の賭博であると誤信して被告人と勝負を争うつもりでその賭金名下に現金を提供したとするならば固より詐欺罪の成立を見るべきであろうけれども本件はそのような場合でないことは前認定のとおりである。然らば被告人の所為が検察官の主張する如く欺罔手段に該当するであろうか、この点少しく検討を加える必要がある。

なるほど被害者は本件のような街頭賭博は一般的にインチキだと思つていた、だからこそ金を賭けようとはしないで唯見物していた、ところが「ひやかしでもよいから」と言れてはじめてそのつもりで当り札を当てた、それにも拘らず千円あれば三倍にして返すと言つて三千円手渡されたので意外に思いながらもそれに対応する賭金のつもりで千円渡した、そして更に五百円を渡した、というのであつて右のひやかしでもよいと言つて当てさせそれを真実の勝負のように賭金の三倍の金を被害者に渡しその分の賭金として金を交付させたことは詐欺罪の成立要件としての欺罔手段を用いたもののようであるけれども後記証人河井、浦井の各証言によれば被害者が果して検察官主張の如く錯誤に陥つて金を交付したかどうか疑わしいのみならず凡そ詐欺罪において欺罔手段と言い得るためには一般的に見て他人を錯誤に陥れるに足りるものでなければならないし、又もし被害者が一般人の用うべき注意を払わず、軽卒であつたため錯誤に陥つたような場合には被害者を欺罔したとは言い得ないものと解すべきところ被告人が賭金名下に千五百円を交付させるために用いた手段が前記のとおりであるならば、それが策を弄して終局的には自己にその金員を収得してしまうためであつたとしてもそれが人を錯誤に陥れるに足りる行為であると一般的に認められるかどうか甚だ疑はしいところであり、又被害者としてもひやかしの勝負で賭金の三倍もの金が而も一旦そう言はれて千円を手渡し更に「もう千円あれば六千円にして返す」旨言はれてなおそれを信じて五百円出しその三倍もの金をその儘無条件に貰えるものと考えること自体一般人の用うべき注意を著しく欠いていたものというベく軽卒のそしりは到底免れないところである、このことは河井証人が「もう千円出せば六千円にしてやる」と言はれたが五百円しかなかつたので五百円出すと「五百円なら四千五百円にしてやる」と言はれたがそれは「当つたら」という意味であると述べているほか被告人の「ひやかしのときは当りを見せるだけで仮に当つてもひやかしだから金は渡さない、私は千円あるかと言つた時はじめて勝負に入つた(勿論真実勝負をするつもりのなかつたことは前認定のとおりである)のであつて三千円渡したのは当ればこれをやるという意味で勝負の前に渡しておいたのではないか」との反対尋問に対して「そう言えばそのようにも思える」旨答えていること、又その場に居合せた前掲浦井証人も「被告人が河井に三千円渡すときは「予けて置く」と言つて渡していた、それでその三千円は次の勝負のために渡したもの」と述べ、又「その三千円は勝負で当れば貰える金であつてひやかしで当てたから貰つた金とは思はなかつた」旨述べていることによつてもこれをうかがい知ることができるところである。

次に検察官は被害者から金を受取るや「真打は真実の勝負と称してトランプを繰替え手先の熟技を弄し客をして空札を当り札であるかのように錯覚させて空札を指示させるか、客がしないでも直ちに客が空札を指示したものの如く装うた」ことも前記ひやかしの勝負で三千円を手渡した行為と相俟つて欺罔手段であると主張するけれども前認定の事実関係のとおり被告人が被害者に対し真実の勝負と称してトランプを繰替えたものでなく被害者の知らない間にそれが為されたこと、従つて又客をして空札を当り札であるかのように錯覚させて空札を指示させたことは勿論認められないところであつて問題は被害者に改めて勝負することも告げず、従つてその勝負に参加もさせず勝手に被害者が空札を指示したようにその場をつくろつて被害者が負けたように強引に言いこめてしまうことが果して欺罔手段と言えるかどうかにある。しかし右のような行為を以て被害者に対し欺罔手段を用いたとは到底言い得ないことは勿論であろうし、もともと右行為はすでに金員受領後の行為であつてそれを交付させる為の手段でもないのである。固より行為の価値判断はその行為の一部のみを捉えてこれを為すべきではなく行為全体を具さに検討した上で為さなければならないことは勿論であり、従つて被告人の本件行為もひやかしで当てたからと言つて三千円を手渡した行為とその直後被害者を勝負に参加させないで勝手に被害者が負けたように言いこめてしまつた行為とは一連の行為としてそれを切り離して考えるべきではないけれども、これを全体的に観察しても以上認定の程度を以てしては被害者の考えの如何に拘はらず未だ欺罔手段があつたものと認めるに足りないものと考える。

してみると本件はこの点において未だ証明が十分でないものというべきであるから刑事訴訟法第三百三十六条に則り被告人に対し無罪の言渡を為すべきものとし主文のとおり判決する。

(裁判官 瓦谷末雄)

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