大阪家庭裁判所 平成10年(少)2042号 決定 1998年12月14日
少年 N・I(昭和58.2.15生)
主文
本件について、少年を保護処分には付さない。
理由
1 少年は、「Aの長男であるが、平成10年5月11日午前9時30分ころ、大阪府豊能郡○○町○○×××番地の×所在の自宅において、殺意をもってA(当時53歳)の胸部、首、顔面等を家庭用包丁(刄体の長さ約18センチメートル)で20数回にわたって突き刺し、よって、その場で、両肺刺創、前胸部多発刺創等による失血死に至らしめて殺害したものである。」との非行事実につき、保護処分とする場合には医療少年院に、そうでない場合には適切な医療的措置を講じるのが相当との検察官意見を付されて送致されたものであるところ、当審判廷において、少年自身は、非行事実を認めるものの、付添人において、犯行当時、少年は心神喪失状態にあり責任能力を欠いていたから不処分とするのが相当である旨陳述するので、以下、検討する。
2 一件記録及び鑑定人○○、同○□作成にかかる鑑定書により認められる事実は以下のとおりである。
(1) 少年は、A、B子の第三子長男として出生し、両親から大切に育てられ、また両親にも親和し、小学校、中学校を通じて真面目で明るく、成績も良好で、その人柄は友人や教師からも好かれていた。平成10年3月○○町立○○中学校を卒業後、自らの意思により同年4月私立○△高校I部(昼間コース)II類(進学コース)に進学し、同月6日○○寮に入寮して同校2年生C及び3年生Dらと共に3人部屋での寮生活を始めたが、この環境の変化から、とりわけ寮内では年長者に対する挨拶が厳格であったことから、少年は、同月中のうちに次第に精神疲労状態に陥っていった。ただ、この精神疲労は、同月18日及び25日に寮を訪れた実母には新生活に刻苦している様子に映るなど、異常さまで伴うものではなかった。
(2) 翌5月初めの頃に至ると、少年は、前記の精神疲労状態のほか断続的な亜昏迷状態にも陥り、記憶が途切れ頭が働かないなどの「ぼけるような感じ」を自覚するとともに、周囲から見つめられたり奇異に思われたり悪口を言われているような気になるなど、関係妄想や注察妄想、幻聴などの症状も呈するようになった。この精神疲労状態や断続的な亜昏迷状態、妄想や幻聴による混乱はその後も進行し、連休明けの5月7日にはそれまでと異なり寡黙になって同級生らに最近記憶がなくなると洩らし、同月8日に実施された数学の試験では答案を一部白紙で提出し、同級生の激励には首を傾け小さく「ウッー。」と唸る仕草をし、同夜の夕食時にはやはり寡黙な上鋭い眼光を示すなどの態度を取るようになったが、これら少年の精神状態の変調や奇矯な行動はまだ比較的少数の者が気付く程度のものに限られていた。
(3) 同月9日、前記のような精神疲労状態と妄想幻覚による混乱状態、それに亜昏迷状態が混合した状態はさらに進行し、少年は、朝食時に自ら寮幹事のもとへ行き、「申し訳ありませんでした。早朝ひのきしんが。」などと意味不明のことを大声で言ったり呆然として髪の毛や着衣を無造作に触ったり、最近記憶がなくなる旨述べたり、「僕、臭いますか。」などと尋ねたり、入浴中に手を洗ったり体に水を掛ける動作を繰り返したり、さらには寮の窓を開け閉めしながら同級生に「死のうかと思ってる。」などと洩らすなど、一見して明らかに異常な行動を示すようにもなり、新たに自己臭妄想や自殺念慮などの症状をも呈するに至った。
(4) 少年は、連絡を受けて寮に駆け付けた両親に引き取られて同日中に帰宅したが、帰宅後も前記の精神異変の混合状態を継続させ、両親に対しても丁寧語で話したり、母親に自己臭の有無を尋ねたり、着衣を自ら脱ぎ出したり、就寝後も急に「はい。」と返事をして起き出したり、部屋から飛び出して「殺して。」と叫んだり、両親と共にドライブに出掛けるも車中において「どこに行くんや。」と怯えた態度を示したり、途中から同道した長姉に対しても無表情な様子を示したり、「僕何か悪いことしたのかなあ。」と呟いたり、急に立ち上がって「すみません。」と言ったり、自分の様子を見に来る両親を偽のそれと思うようになったり、家全体が萎んでフニャフニャになっていくように感じるなど、さらに迫害妄想、妄想的罪悪感、人物誤認妄想、知覚変容体験を出現させるなど、症状を進行させていった。
(5) 同月11日午前8時55分ころ、少年が落ち着いた様子を見せていたため母親は少年のことを父親に託して仕事に出掛け、残った父親は卵焼きを作って少年に与えたが、少年は、実父が偽の父親でありそれが自分に毒を盛ろうとしているものと感じてこれを食べなかった上、この人物誤認妄想や被毒妄想それに迫害妄想を一層深めて恐怖感を突出させるに至ったため、少年は、台所に向かい、同所にいた父親の頭部を周辺にあったバットで殴打した上、さらにまた周辺にあった包丁を用いて父親を刺殺して本件犯行に及んだ。
(6) 犯行後、少年は、まだ偽の父親が複数人いてそれらが連絡を取り合いさらに自分を殺害に来るとの妄想を抱き、自宅を飛び出して約1キロメートル離れた工事現場まで疾駆し、裸足で震えた状態にいるところを作業員らに保護された。そして上記妄想から「殺される。警察に連絡して下さい。」と訴え、連絡を受けて少年の身柄を捕捉した警察官に対しても「お父ちゃんを包丁で刺しました。身体全部を何回も刺しました。お父ちゃんが何人もいて、僕に嘘をつくので、刺して殺しました。」と述べ、同日午後1時35分に緊急逮捕されたが、同日及び翌12日の取調べにおいても、父親は偽者であるから殺害した旨の供述に終始した。
(7) 同月12日以後、少年は、殺害したのは偽の父親であるとの妄想のほかに取調べの刑事もその一味であるとの人物誤認妄想や迫害妄想まで抱くようになり、またその精神状態もうつ病性の亜昏迷状態へと変容させ、緩慢な動作や沈黙の状態を呈するようになり、同月20日及び27日大阪地検刑事部精神保健診断室医師○△により簡易精神診断を受け、「精神分裂病の疑。犯行時の理非弁別の能は無い。」旨診断を受けるほどになった。
(8) 同年6月1日観護措置決定を受け、同年7月1日まで大阪少年鑑別所に収容された後、同月2日から同年12月3日まで○○大学医学部付属病院に鑑定留置されたが、同年8月後半ころまでは諸妄想を抱き続け、少年鑑別所や病院職員の殆ど全てが偽の父親の一味であり自分に危害を加えるなど人物誤認妄想、迫害妄想はかなり強固なものを保ち、うつ病性の亜昏迷状態も継続させて、緩慢な動作や髪を何度も触るなどの常動行動も示し、食事や排尿・排便などの基本的な日常の所作においても介助を必要とする状態にあった。しかしながら、少年は、同年8月後半ころからは諸症状を消失の方向に向かわせ、そのころから9月前半ころにかけて、精神状態をうつ状態から軽躁状態へと急激に変化させ、笑顔を見せたり冗談や軽口を言うなど自発性や活動性も示すようになった。少年のこのような精神状態は、終局審判時においても認められるところであり、前記の人物誤認妄想も衰退させて自身が実父を殺害した事実を理解はしているものの、軽躁状態にあるが為にそのことについて罪障感や悲壮感などは示さない状態にある。
3 上記認定の各事実、とりわけ少年の精神状態の推移によれば、少年が、本件犯行当時、非定型精神病による精神障害のため、是非善悪の弁識とこれに基づく自己の行為を統制する能力を全く欠いた状態にあったことは明らかであり、本件は、心神喪失者の行為として非行とならないから、少年法23条2項により少年を保護処分に付さないこととし、主文のとおり決定する。
(裁判官 三村義幸)