大阪家庭裁判所 平成19年(家ホ)348号 判決 2008年10月28日
主文
一 平成一四年四月三〇日大阪市城東区長に対する届出による亡甲山A(大正○年○月○日生、平成一六年一〇月一七日死亡、本籍<省略>)と被告との間の養子縁組は無効であることを確認する。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
主文と同旨
第二事案の概要
一 本件は、原告が、被告(昭和○年○月○日生)に対し、亡甲山A(以下「A」という。)を養母、被告を養子とする養子縁組(以下「本件養子縁組」という。)が無効であることの確認を求めた事案である。
二 前提となる事実
(1) Aは、昭和四八年一〇月一日に、B(婚姻後の氏は甲山。以下「B」という。)と婚姻したが、BとAとの間に子はなく、平成四年二月二〇日、Bは死亡した。
(2) 平成一四年四月三〇日、大阪市城東区長に対し、本件養子縁組の届出がなされ、その旨戸籍に記載されている。
(3) 平成一六年一〇月一七日、Aは死亡した。
(4) BとBの前妻Cとの間の子であるD(以下「D」という。)及びE(以下「E」という。)は、平成一七年四月八日、被告を相手方として、本件養子縁組の無効確認を求める調停を当庁に申し立て、同年六月二二日に調停不成立となった後、同年九月、被告に対し、養子縁組無効確認請求訴訟(当庁平成一七年(家ホ)第五〇六号事件。以下「前件訴訟」という。)を提起した。
(5) 平成一八年九月二一日、当庁家事第二部は、前件訴訟について、D及びEに訴えの利益を認めることはできないとして、訴えを却下する判決を言い渡した。なお、D及びEは控訴したが、平成一九年二月二三日、大阪高等裁判所は、D及びEの控訴を棄却する判決を言い渡した。
(6) 平成一八年一〇月二四日、D及びEは、Aの相続財産管理人選任を求める審判を当庁に申し立て(当庁平成一八年(家)第六七〇四号事件)、平成一九年二月九日、当庁家事第三部財産管理係は、原告代表者をAの相続財産管理人として選任する審判をした。(以下「別件審判」という。)
三 本案前の答弁
(1) 被告の主張
ア 原告代表者がAの相続財産管理人に選任された手続は違法である。
原告代表者をAの相続財産管理人に選任した別件審判は、戸籍上、被告が養子であることが明らかであるにもかかわらず、戸籍の記載を無視して相続財産管理人を選任したところ、その理由の論法に飛躍があり、「相続人のあることが明らかでないとき」(民法九五一条、九五二条一項)という要件を認定した形跡がなく、仮に認定しているとしても、どのような事実に基づいて認定したかが不明である。また、申立人であるD及びEに申立人となる資格はなかった。
さらに、別件審判の手続において、被告には、別件審判についての意見を述べる機会が与えられておらず、裁判を受ける権利(憲法三二条)が侵害されている。
このように、違法な手続によって選任された相続財産管理人(違法な手続によって選任された相続財産管理人を代表者とする原告という趣旨であると解する。)は、本件の当事者適格を有しないことから、本件は却下されるべきである。
イ 原告に養子縁組無効確認訴訟の当事者適格はない。
養子縁組無効確認訴訟を相続財産管理人が提起した場合(相続財産管理人を代表者として提起した場合という趣旨であると解する。以下、本項において同じ。)、その効果は、身分関係、相続関係全てに及ぶことになる。判例(最高裁判所昭和六三年三月一日第三小法廷判決・民集四二巻三号一五七頁)は、養子縁組無効確認訴訟を提起できる当事者の範囲を限定的に解釈しているところ、養子縁組無効確認訴訟の当事者適格がないとされた者が、相続財産管理人選任を申し立て、その相続財産管理人が養子縁組無効確認訴訟を提起できるというのでは、結局、養子縁組無効確認訴訟の当事者適格がない者でも、相続財産管理人をあたかも代理人として養子縁組無効確認訴訟を遂行することができることになり、養子縁組無効確認訴訟の当事者適格の範囲を限定したことが無意味となってしまう。
したがって、養子縁組無効確認訴訟の当事者適格を有しないD及びEにより申し立てられた別件審判によって相続財産管理人に選任された原告(養子縁組無効確認訴訟の当事者適格を有しないD及びEにより申し立てられた別件審判によって原告代表者が相続財産管理人に選任されている原告という趣旨であると解する。)は、養子縁組無効確認訴訟の当事者適格を有しないと解すべきであるから、本件は却下されるべきである。
ウ 本件は前件訴訟の蒸し返しである。
本件は前件訴訟の蒸し返しであることから、一事不再理を類推して、本件は却下されるべきである。
(2) 原告の主張
①原告代表者が、Aの相続財産管理人に選任された手続は適法であること、②原告に養子縁組無効確認訴訟の当事者適格があること、③本件は、一事不再理の問題ではないことから、被告の本案前の答弁には理由がない。
四 争点(Aに本件養子縁組をする意思(以下「本件縁組意思」という。)及びその届出意思(以下「本件届出意思」という。)があったか。)
(1) 原告の主張
ア 平成一一年一一月から、Aは、慢性気管支炎で在宅酸素療法を受けていた。
イ 平成一四年四月二四日ころから、Aは、呼吸困難の状態となり、同月二五日には三八・五度の発熱があり起きあがれなくなった。同月二六日に発熱は治まったものの、呼吸困難は持続していた。
ウ 同月二八日、Aは、食欲不振となり、城東中央病院に入院した。Aは、入院した時点で、急性肺炎を発症していた。同日の看護記録には、「マスクでの酸素吸入で状態落ち着いている様子だが、自覚症状が乏しいのかあまり訴えることがない様子なので注意が必要と思われる」との記録がある。
エ 同月二九日の看護記録には、「日中傾眠傾向にて経過」、「両肺のエア入り弱くクー音全体的にあり」、「自覚症状ないがエア入り悪く肺理学必要」、「尿意は訴えず失禁状態」、「昼食介助にて五割摂取」との記録がある。
オ 同月三〇日、本件養子縁組届(以下「本件縁組届」という。)が城東区役所に提出され、これが受理された。同日の入院診療計画書には、「高齢のこともあり、入院経過中に不測の事態が発生することも考えられます」との記載がある。なお、Aは、当時八四歳であった。同日の看護記録には、肺のエア入り不良、肺音不良でずっと傾眠傾向、食事摂取中も開眼せず二、三割程度しか摂取しなかった、意識レベルがはっきりしていなかったことが記録されている。
カ 同年五月一日の医師診療録には、「昨日からずっと睡眠中。叩いて起こそうとしても少し開眼するのみ。」、「独居老人のために急変時にどうするか?が問題」と記録されている。また、同日の看護記録には、発熱があること、喀痰が多く肺炎の悪化予防が必要なことが記録されている。なお、同日、従兄弟の面会があったとの記録があるが、同年四月二八日の入院以降、初めての面会者の記録であり、被告が面会に訪れたという記録はない。
キ 同年五月四日以降の看護記録には、独語が多い、不眠で意味不明言動あり、幻聴、幻視あり、ベッド柵を外したり点滴自己抜去しようとする行為がみられるとの記録や、「仏さんなおしといて」、「このくらいのタヌキがそこでタバコ吸いよる。注意してや。煙がほら!」など言ったという記録がある。
ク 同月三一日、Aは、多発性脳梗塞(急性ではなく陳旧性)、脳萎縮(中程度)、両側後大脳動脈近位部の狭窄あるとの診断を受けた。
ケ 同年六月二四日、Aは、同病院を退院した。同日の看護記録には、Aは、知人とともに退院したと記録されている。
コ 本件縁組届が提出されこれが受理された後も、被告は、養子としてAの看護や介護を行ったり、精神的な支えになっていたことは窺えない。一方、被告は、Aの死後、相続を原因として、Aの所有していた不動産の所有権移転登記手続をした。
サ 以上のとおり、平成一四年四月二四日ころから、Aは、呼吸困難、発熱と症状が悪化しており、そのようなときに、本件養子縁組をすることの合意をし、本件縁組届を作成したとは考えられない。
また、①本件縁組届の記載は、「養母」欄の署名の筆跡と、それ以外の部分の筆跡とは明らかに異なることなどから、Aが、本件縁組意思に基づいて署名したと断定することはできないこと、②本件養子縁組の届出当時及びこれに近接する時期において、Aは、陳旧性の多発性脳梗塞、脳萎縮により、自身の身分関係に大きな変動を生じるようなことを行うだけの能力はなかったことが推認されることなどの事実を総合すると、本件縁組届が提出されこれが受理された当時及びこれに近接する時期に、Aに、本件縁組意思及び本件届出意思があったとは認められない。
(2) 被告の主張
ア 被告の母であるF(以下「F」という。)とAは、昭和二〇年ころから、隣同士ということで親しくしていた。Fは、昭和三七年ころ、夫(被告の父)であるG(以下「G」という。)との婚姻を契機に転居したが、昭和六一年ころ、再び元の場所に転居し、Aとの付き合いを続けていた。
イ 平成九年ころ、Aが足を骨折して入院したことがあり、その後、歩行が困難になったので、Fは、買い物や身の回りの手伝いなどをするようになった。なお、Fは、Aから預かった金員の収支については、こまめに記帳していた。
ウ 平成一二年ころから、Aは、Fに対し、養子になってくれるよう頼むようになった。しかし、Fは、高齢であったのでその申し出を断っていたところ、Aは、被告を養子にすることを望むようになった。そこで、Fは、被告に対し、Aの養子になることを持ちかけたところ、被告はこれを承諾した。
エ 同年四月一〇日、Aは、本件養子縁組をすることを明らかにするために、その旨を帳面に書き留めた。
オ 平成一四年四月中旬ころ、Aは、正式に本件養子縁組をすることを望んだので、Fは、F及び被告が信者となっているa教会の牧師である乙川H(以下「乙川H」という。)及びその妻である乙川I(以下「乙川I」といい、乙川H及び乙川Iのことを「乙川夫婦」という。)を伴ってAの本件縁組意思を確認するため、同月二〇日(土曜日)午後六時ころ、A宅を訪問し、被告もA宅に呼んだ。Aは、椅子に座って乙川夫婦らと話をしたが、その場で、Aは、Fはもう高齢であるので被告を養子にしたいと述べ、被告も、「それでかまへん。」と答え、そこにおいて、相互に本件縁組意思を確認しあった。
カ 同月二一日午後一〇時ころ、乙川夫婦は、本件縁組届の証人欄に署名押印し、同月二二日、本件縁組届をF宅に届けた。
キ 同月二三日午後七時ころ、被告は、自宅において、本件縁組届の養子欄に署名押印した。
ク 同月二六日午後七時三〇分ころ、Fは、A宅に本件縁組届を持参して、署名押印を求めたところ、Aは、寝床で起きあがり、署名をした。なお、押印については、Aの指示で、FがAに代わって行った。
ケ 同月三〇日、F及びGは、A及び被告の依頼により、本件縁組届を大阪市城東区役所に提出した。
コ その後、乙川Hは、F又は被告に対し、Aに迷惑をかけないよう、被告が借金をしていないか確認したところ、被告の同僚が、被告の勤務する会社が発行していた被告の従業員証明書であるカードを示して、勤務会社内の売店で多額の商品を購入し、その購入代金が、毎月、被告の給料から天引きされていたことが明らかになった。なお、これに関し、被告は弁護士に依頼して、従業員証明書を取り戻すことはできたが、費消された金額の返還を受けることはできなかった。
(3) 原告の反論
ア(ア) 被告は、平成一九年一一月五日付け準備書面において、初めて、乙川Hが、Aと面談して本件縁組意思の確認をしたと主張したが、これは、確認をした日時・場所を明確にしない不自然なものであった。
(イ) 被告は、同年一二月一八日付け準備書面において、①平成一四年四月二四日、Fは、乙川夫婦に本件縁組届の証人欄に署名押印してもらったこと、②同月二五日、Aは、熱を出して寝込んでしまったこと、③同月二六日、Aの熱が下がったので、そのころ、乙川夫婦は、Aの本件縁組意思を確認し、Aは、布団の中で体を起こし、Fが準備した本件縁組届に署名押印したと主張したが、これは、確認をした日時を「そのころ」とぼやかしている不自然なものである。
(ウ) 原告は、平成二〇年二月一日付け準備書面において、被告に対し、本件縁組意思の確認をした日、場所、会話内容、同席者等について説明を求めたところ、被告は、同年三月一八日付け準備書面において、前記(2)オのとおり、乙川HがAの本件縁組意思を確認したのは、平成一四年四月二〇日午後六時ころA宅を訪問したときであると、本件縁組意思の確認という重要な事実に関する主張を変更した。
(エ) 被告は、平成二〇年三月一八日付け準備書面における主張について、平成一九年一二月一八日付け準備書面における主張と齟齬する部分があるが、被告、F及び乙川夫婦が相互に確認しながら記憶喚起した事実であり正確であると弁明するが、不自然である。被告は、生存している当事者であり、本件養子縁組に最も深く関わったF及びFと長年懇意にしている乙川夫婦も、前件訴訟の段階で、記憶喚起をし、被告訴訟代理人弁護士に対し、真実を積極的に伝達するはずである。それにもかかわらず、本件係属中にその主張を変更したのは、被告が真実を語っていないからである。
(オ) したがって、平成一四年四月二〇日に、F及び乙川夫婦が、A及び被告の本件縁組意思を確認したという事実は、存在しなかったものである。
イ Aは、同月二五日に三八・五度の高熱を出し、同月二六日も呼吸苦の状態であったことからすると、Aが、同日、本件縁組意思をもって本件縁組届に署名押印したという事実はない。なお、仮に、Aが、同日、本件縁組届に署名押印をしていたとしても、これはAが自発的に行ったものとは考えがたい。
ウ 同月三〇日、Aの容態は前記(1)オのとおりであったことからすると、同日、Aが本件届出意思を有していたとは考えられない。
第三当裁判所の判断
一 本案前の答弁について
相続財産管理人は、必要な場合には、家庭裁判所の許可を得て、民法一〇三条に規定する保存行為等の権限を超える行為をすることができることから(民法九五三条、二八条)、原告が養子縁組無効確認の訴えを提起することは可能であるものと解されるところ、原告代表者は、当庁家事三部裁判官から、権限外行為(訴え提起)許可を受けた上で本件を提起していること、原告に訴えの利益が認められることから、原告による本件提起及びその訴訟遂行に違法な点はない。
なお、被告は、本件について、一事不再理を類推して却下すべきであるとも主張しているが、前件訴訟は当事者を異にする別の訴訟であるから、本件において、一事不再理の法理が適用又は類推適用されることはない。また、被告は、別件審判について、申立人であるD及びEに申立人となる資格がなかったことなどを指摘して、原告代表者をAの相続財産管理人として選任した手続は違憲、違法であるとも主張しているが、これは、本件において判断できる事項ではない。
以上のとおりであるから、被告の本案前の答弁には理由がない。
二 争点について
(1) 被告の主張について
原告は、前記第二の四(1)のとおり、本件養子縁組は無効であると主張するのに対し、被告は、同(2)のとおり、A及び被告の本件縁組意思を確認した経緯について、被告、F及び乙川夫婦が相互に確認しながら記憶を喚起した結果として詳細に主張しているところ、原告は、同(3)のとおり、被告の主張する事実は真実ではないなどと主張していることから、本件においては、まず被告の主張する事実について検討することとする。
ア 被告の主張について
被告の主張によれば、①Aは、平成一二年四月ころから本件縁組意思を有しており、②平成一四年四月二〇日に、F及び乙川夫婦が、A及び被告の本件縁組意思を再確認した上で、③同月三〇日に本件縁組届が提出されたのであるから、被告の主張する事実を前提とすると、A及び被告に本件縁組意思及び本件届出意思があったことが推認され、原告の主張する請求原因事実を認めることが困難になることはいうまでもない。
(ア) 平成一二年四月一〇日の時点におけるAの本件縁組意思について
被告は、平成一二年四月ころ、Aが、Fに対し、被告を養子にしたい旨の話をし、Fから話を聞いた被告の承諾が得られたことから、Fが、Aから預かった金員の収支について記帳していた金銭出納帳の最終頁付近にそのことを書き留め、その下にAが署名したと主張する。
しかし、これは、本件縁組届が提出された平成一四年四月三〇日から約二年前のことであり、その後、Aの意思に変化が生じる可能性は十分考え得ることからすると、仮に、平成一二年四月一〇日の時点において、Aに本件縁組意思があったとしても、そのことから当然に、平成一四年四月三〇日までその意思が継続していたとすることはできない。また、そもそも、金銭出納帳の最終頁付近の記載は、Fが、その時の気持ちとして、「甲山さん(Aのことを指す。)がY(被告のことを指す。)を養女としてせきを入れるように言ってくださったのでうれしいです。甲野養子えんぐみを言ってくださった。」と書き記した部分の下に、Aの氏名が手書きされているにすぎず、Aの本件縁組意思を明確に記しているものではないことからすると、この記載のみから、そのころ、Aに本件縁組意思があったと認めることはできない。
ところで、被告は、Fから本件養子縁組の話が持ち出された時期について、平成一四年四月ころであるという内容の陳述書を提出するとともに、同内容の供述をしていること(乙二〇、被告本人)、Fも同内容の陳述書を提出するとともに、同内容の証言をしていることからすると(乙一九、証人F)、そもそも、平成一二年四月一〇日の時点において、Aに本件縁組意思があったとする被告の主張は、その事実経過が被告の供述等によって破綻しており、到底採用することができない。
(イ) 平成一四年四月二〇日に行われたとされる本件縁組意思の確認について
a 被告が、平成一九年一二月一八日付け準備書面において主張していた事実経過(以下「従前の主張」という。)は、以下のとおりである。
平成一四年四月ころ、Aは、早急に正式な本件養子縁組の手続を進めたいと求めるようになった。そこで、被告及びFは、乙川夫婦に相談して本件養子縁組の証人になってもらうこととし、同月二四日、Fは、乙川夫婦に本件縁組届の証人欄に署名押印してもらった。同月二五日、Aは、熱を出して寝込んでしまったが、同月二六日、Aの熱が下がったので、そのころ、乙川夫婦は、Aの本件縁組意思を確認し、Aは、布団の中で体を起こし、Fが準備した本件縁組届に署名押印した。
b ところが、被告は、平成二〇年三月一八日付け準備書面において、被告、F及び乙川夫婦が、相互に確認しながら記憶を喚起した結果として、前記第二の四(2)のとおりの主張に内容を変更している。
そこで、この主張の変更の合理性について検討するに、①従前の主張においては、被告が平成一四年四月二〇日に行ったと主張している本件縁組意思の確認について、その具体的な時期・方法等に関しては全く触れていない極めて漠然としたものであったこと、②被告は、Aと乙川Hが初めて会った時期及び場所について、前件訴訟においては、平成一五年四月に城東中央病院においてであると主張しており、平成一四年四月二〇日に行ったと主張している本件縁組意思の確認については全く主張していなかったものと考えられること(乙七の八。被告は、平成二〇年九月五日付け準備書面において、Aと乙川Hが初めて会ったのは平成一四年四月であり、前件訴訟における城東中央病院という場所の主張は誤りであったなどと主張しているが、乙七の八によると、平成一五年四月と記載されているので、平成二〇年九月五日付け準備書面における被告の主張は、誤記又は前件訴訟における主張の内容を変更しているものであるといわざるを得ない。)、③Aが本件縁組届に署名押印した経緯について、従前の主張においては、Aが布団の中で体を起こし、Fが準備した本件縁組届に署名押印したと、具体的かつ詳細に主張していたにもかかわらず、被告は、押印はFが行ったと主張を変更し、乙川夫婦が本件縁組届に署名押印等をした日時について、従前の主張においては、平成一四年四月二四日と主張していたが、被告は、同月二一日午後一〇時ころであると主張を変更しているにもかかわらず、これらの変更の合理的理由は説明していないことからすると、被告の主張は、不自然かつ不合理に変遷しており、その内容の真実性に疑問が残るといわざるを得ない。
なお、被告は、主張が変遷した理由について、被告訴訟代理人弁護士の事情聴取が十分でなかったなどと説明しているが、本件の根幹部分に関わる重要な事実に関する主張が変遷した理由としては不十分である。また、被告は、前件訴訟においては、本案前の答弁をすれば十分であり、実体的審理に入るべきでないと考えていたため、前件訴訟における主張内容には不正確なものも含まれていると主張しているものとも解されるが、これは、答弁書において、前件訴訟は訴え却下となったが、当事者間では実質的な主張を出し合ったなどと主張していることと明らかに矛盾しており、やはり本件の根幹部分に関わる重要な事実に関する主張が変遷した理由としては不十分である。
c さらに、乙川夫婦が、本件縁組届の証人欄に署名押印等を行った点についてみるに、本件縁組届における養親及び養子の氏名、住所、本籍等の記載事項については、乙川Hによりほぼ正確に記載されているところ(甲一。この点については、当事者間に特に争いはない。)、乙川Hは、これについて、平成一四年四月二一日に、F又はGから預かった資料を見ながら記入したと証言しているが、本件縁組届に添付されているA及び被告の戸籍謄本は同月二六日に交付されており(甲一)、それ以前に、乙川Hが、少なくともAの身上に関する正確な情報を知っていた又は知り得たとは考え難いことからすると、同月二一日に本件縁組届の記載事項を記入して署名押印等を行ったとする被告の主張は、不自然かつ不合理なものであるといわざるを得ない。なお、Aが、同月二一日以前に、F、G又は乙川Hらに対し、Aの身上に関する正確な情報を伝えていた可能性も否定できないが、本件において、被告は、そのような主張はしていない。
d 以上のとおりであるから、平成一四年四月二〇日の時点において、Aに本件縁組意思があったという被告の主張は、不自然かつ不合理なものであるといわざるを得ず、被告の主張に基づく事実を認めることはできない。
(ウ) 前記(ア)、(イ)のとおりであるから、被告の主張する事実経過は、不自然かつ不合理なものであるといわざるを得ず、被告の主張に基づいて、Aに本件縁組意思があったと認めることは到底できない。
イ 被告の供述について
ところで、被告は、被告の主張に沿う内容の陳述書を提出しているにもかかわらず(乙二〇)、被告本人尋問においては、陳述書の作成時期について記憶がない旨の供述をしていること、平成一四年四月二〇日に行ったと主張している本件縁組意思の確認に関し、その時期・内容についての記憶が曖昧かつ不鮮明であること、前記ア(ア)のとおり、Fから本件養子縁組の話が持ち出された時期は平成一四年四月ころであると、被告の主張する平成一二年四月ころとは異なる供述をしていることから、被告の供述は、本件の根幹部分に関わる重要な事実に関し、自らが主張している事実と内容が異なっていたり、不正確なものであったりしており、その信用性は極めて低いといわざるを得ず、被告の供述から、Aの本件縁組意思を認めることも到底できない。
(2) Aの本件縁組意思及び本件届出意思について
前記(1)の事実認定を踏まえ、《証拠省略》によると、以下の事実を認めることができる。
ア 平成九年ころから、Fは、従前からの知り合いであり隣人でもあったAが、足を骨折して歩行が困難となったことから、Aの買い物を代わりに行くなどするようになり、次第に、食事の支度、入浴の手伝いなどもするようになった。
イ 平成一三年ころ、Fは、Aから、葬式費用として約一四〇万円を預かった。
ウ 平成一四年四月下旬ころ、乙川Hは、本件縁組届の養親及び養子の氏名、住所、本籍等の記載事項を、F又はGから預かった資料を見ながら記入し、乙川H及び乙川Iが証人として署名押印した。
エ 同月二四日ころ、Aは呼吸困難となり、同月二五日に三八・五度の発熱をした。
オ 同月二六日、Fは、Aの戸籍謄本並びにF及び被告らの戸籍謄本の交付を受けた。
カ 同月二八日、Aは、城東中央病院に入院した。同日の看護記録には、「マスクでの酸素吸入で状態落ち着いている様子だが、自覚症状に乏しいのかあまり訴えることがない様子なので注意が必要と思われる」などと記録されている。
キ 同月二九日の看護記録には、「日中傾眠傾向にて経過」、「両肺のエア入り弱くクー音全体的にあり」、「昼食介助にて五割摂取」、「尿意は訴えず失禁状態」、「自覚症状ないがエア入り悪く肺理学必要」などと記録されている。
ク 同月三〇日、F及びGは、本件縁組届を城東区役所に提出し、これが受理された。同日、Aの主治医は、病名を急性肺炎、慢性気管支炎、発作性上室性頻拍症とする入院診療計画書を作成し、「その他」の欄に、「高齢のこともあり、入院経過中に不測の事態が発生することも考えられます」などと記載している。同日の看護記録には、「肺のエア入り不良」、「肺音は不良である」、「食事中も開眼することなく、二、三割程度摂取」、「日中も傾眠続く」、「意識レベルはっきりせず」などと記録されている。
ケ そのころ、被告の同僚が、被告の勤務する会社が発行していた被告の従業員証明書であるカードを示して、勤務会社内の売店で多額の商品を購入し、その購入代金が、毎月、被告の給料から天引きされていたことが明らかとなった。被告は、乙川Hから紹介された弁護士に依頼して、従業員証明書を取り戻すことはできたが、結局、費消された金額の返還を受けることはできなかった。
コ 同年五月一日の医師診療録には、「昨日からずっと睡眠中。叩いて起こそうとしても少し開眼するのみ。」、「独居老人のために急変時にどうするか?が問題」などと記録されている。また、同日の看護記録には、「発熱あり」、「喀痰多し!適宜吸引にて肺炎悪化予防に努める」、「従兄弟の面会あり機嫌よく会話する」などと記録されている。
サ 同月三一日、Aは、多発性脳梗塞、脳萎縮(中程度)、両側後大脳動脈近位部の狭窄あるとの診断を受けた。
シ 同年六月二四日、Aは、城東中央病院を退院した。
ス 平成一五年一二月二一日、Aは、再び同病院に入院した。
セ 同月二四日、乙川Hは、Aに対し、同病院で洗礼を行った。
ソ 平成一六年一〇月一七日、Aは死亡した。Aの葬儀は、a教会において、乙川Hを司式者として行われた。
(3) 以上の事実によると、本件縁組届は、Fが主体となって作成したものであり、本件縁組届の記載事項の大部分は、乙川Hが記入していること、本件縁組届の提出は、平成一四年四月二八日にAが入院した後に、F及びGによってなされていること、そもそも、A及び被告は、いずれも本件養子縁組に関する手続を主体的に行ったことはないこと、本件縁組届が提出・受理された時点におけるAの病状は、決して軽微なものではなかったこと、本件縁組届が提出・受理されたころ、被告の勤務する会社の従業員カードが無断で使用され、被告は給料からその返済をさせられていたという事実が発覚していること、Aは、Fとは懇意にしていたことが窺われるものの、証拠上、被告とは特に交流はなかったといわざるを得ないことなどの事情から総合的に判断すると、本件養子縁組は、少なくともAの本件縁組意思及び本件届出意思を欠いており、民法八〇二条一号に該当する無効なものであると認めることができる。
なお、本件養子縁組後も、被告が、Aの死亡後に、Aの遺産を相続する手続をとったこと以外に、A又は被告が、本件養子縁組が成立したことを前提とした行動をとっていた事実は、証拠上、なかったといわざるを得ないこと、Aは、本件養子縁組前の平成一三年ころ、Fに対し、葬式費用として約一四〇万円を預けるとともに、平成一五年一二月二一日に入院した後においても、法律上の権限のないFが、A名義の貯金を引き出すなどしたことがあることは、いずれも前記認定と矛盾しない。また、Aの葬儀は、a教会において、乙川Hを司式者として行われたが、Aに対し、Aがキリスト教徒となるための儀式である洗礼が行われたのは、平成一五年一二月二一日にAが入院した後、乙川Hが、FからAの容態がよくないと聞いた直後である同月二四日であること、乙川Hは、Aが教会に通うなどしたことはないにもかかわらず、Aの信仰を確認するための具体的なやりとりを行わないまま、病院内において洗礼を行ったと証言していること、Aは、退院した後も教会を訪れたことは一度もないことからすると、Aの主体的な言動のないままに行われた洗礼の経緯も不自然であるといわざるを得ない。
三 よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 柴田憲史)