大阪家庭裁判所 平成20年(家)2607号 審判 2008年7月03日
申立人
○○児童相談所長 E
事件本人
A
父
B
親権者母
C
主文
本件申立てを却下する。
理由
第1申立ての趣旨と理由
1 申立ての趣旨
申立人が,事件本人を乳児院に入所させることを承認する。
2 申立ての理由
(1) 事件本人の父Bと同母Cは,平成×年×月×日に婚姻し,同年○月○日に長女Dが,平成○年○月○日に事件本人がそれぞれ出生した。
(2) 事件本人は,平成20年×月×日深夜,痙攣し意識のない状態で救急車で○○病院に搬送され,次いで○○病院(以下「本件病院」という。)に搬送されたが,症状は脳挫傷,眼底出血,頭蓋骨骨折,前胸部・背部皮下出血であり,虐待が疑われたことから,同月×日未明,申立人に虐待通告がされた。
(3) 事件本人の上記受傷について,事件本人の父母は,当初,思い当たる原因はないと説明していたが,同年×月×日に至り,父Bがあやしているとき1回事件本人を落としたと言い始め,受傷原因は父Bの過失であると説明するようになった。
しかし,事件本人を診断した医師は,損傷の性状や程度から事故とは考えにくく,意図的な外力が加えられた可能性が高いと判断しており,事件本人の父母の説明に疑問を呈している。
このように,事件本人が生後3か月に満たない乳児であり,父母と長女との4人家族の中で生じた結果であることからすれば,事件本人の受傷は父母のいずれかの行為によるものと考えざるを得ないところ,父母の説明が不合理な変遷をしていることに鑑みて,父母が事件本人に生じた事態の重大性を真摯に受け止めているとは考えられず,このまま家庭に帰すと,再び身体的虐待が生じかねず,ひいては生命の危険にもさらされるので,事件本人の福祉を害することは明らかである。
(4) 現在,事件本人は本件病院に入院中であるが,退院後も引き続き厳重な観察と異常時の緊急対応が必要であり,乳児院において専門スタッフによる適切な養育環境が必要不可欠である。
しかし,事件本人の父母は,乳児院では事件本人に発達の保障がないとして,自宅に引き取ることのみに執着しており,事件本人に必要な養育がいかなるものかについて真剣に考えている様子はない。母方祖父母も同様に事件本人を引き取ることのみに執着しているから,現在の状況では,母方祖父母にも適切な養育を期待することはできない。
(5) したがって,当面は,事件本人を乳児院に入所させ,適切な養育環境を整えて事件本人の生命身体の安全を確保した上で,父母に対しては事態の重大性を真摯に受け止めさせ,事件本人の障害に適した養育の指導を行いながら,父母の意識改善を図り,その後,家族再統合に向けて,父母と子の関係調整を図っていくことが必要不可欠であるが,父母は施設への入所を拒否している。
よって,児童福祉法28条1項1号に基づき施設(乳児院)入所の措置につき承認を求める。
第2当裁判所の判断
1 一件記録によれば,次の事実が認められる。
(1) 事件本人の父Bと母Cは,平成×年×月×日,婚姻し,同年○月○日に長女Dが,平成○年○月○日に事件本人がそれぞれ出生した。
(2) 母Cは,平成20年×月×日午後7時ころ,事件本人を入浴させたが,その際には事件本人の背部や胸部に痣は見当たらなかった。夕食後,事件本人を和室のベビーベッドに寝かせたまま,母Cは自ら入浴した。入浴後,母Cは,長女を寝かしつけるために授乳をしたが,ベビーベッドにいる事件本人が泣き出したので,父Bに事件本人をあやすよう頼んで,そのまま授乳を続けた。同日午後11時過ぎころ,父Bが和室で事件本人を抱いているとき,事件本人が突然泣き出した。母Cが代わって抱くと泣き止んだが,ベビーベッドに寝かせるとまた泣き出し,再び抱くと急に泣き止み,動かなくなって痙攣を始めた。驚いた母Cは,母方祖母に連絡し,救急車を呼んで,○○病院に事件本人を搬送してもらった。同病院では,事件本人が重篤な症状であったので,本件病院に再搬送したが,症状は脳挫傷,眼底出血,頭蓋骨骨折,前胸部・背部皮下出血であり,虐待が疑われた。そのため,同病院は,同月×日午前2時過ぎ,申立人に虐待通告をした。
(3) 事件本人の症状は,右後頭部・左前頭部に硬膜下出血があり,脳実質は広範に低吸収を呈し(その後,大脳皮質はほぼ全て失われた),両側の眼底出血や右側頭部の頭蓋骨骨折があり,前胸壁・背部にも皮下出血が認められた。これらの症状からみて,眼底出血は頭部への強い揺さぶりが加わり,皮下出血は前胸壁や背部が強く圧迫され,硬膜下出血や頭蓋骨骨折は右後頭部が比較的広い面を持つ鈍体と急激に衝突した結果と判断され,他からの外力により,相当程度の高さから相当程度の加速度で鈍体と衝突して生じた損傷であると認められた。
(4) 父Bと母Cは,同年×月×日の日中に外出を予定していたが,長女が発熱したため,外出を取り止め,1日中家で過ごしていた。当日夜,母Cが入浴を済ませ,長女に授乳したころまでは家族間に何事もなく平穏であった。
母Cは,保育士等の資格を有しており,育児にも熱心で,これまで長女の育児に関して問題が生じたことはなく,事件本人に関しても,本件以外には格別の問題は生じていなかった。父Bは,長女に対する虐待などはなかったが,育児にはさほど熱心ではなかった。
(5) 申立人は,同年×月×日,事件本人の父母に事件本人を病院で一時保護する旨を通告した。母Cは泣いて反対したが,父Bは,「嘘でもよいから僕がやりましたといえば子どもは帰してもらえるのか。」と尋ねていた。
申立人は,同月×日,事件本人を施設(乳児院)に入所させる方針を父母に伝えたところ,母Cは泣いて抗議し,母方祖父母も祖父母宅へ事件本人を引き取る意向を表明して反対した。
2 上記事実によれば,事件本人は,いまだ首の据わらない乳児であるにもかかわらず,その受傷は,強く揺さぶりを加えられ,かつ,広い面のある鈍体に一定の高さと速度で急激に衝突させられた結果,発生したものであるから,故意による外力によって生じたものであり,虐待によるものと認めるべきである。
3 そこで,誰が虐待を加えたかについて検討する。
事件本人が受傷したのは当日の午後7時ころから午後11時ころまでの間であり,場所は自宅内であるから,加害者は家族以外にあり得ないところ,年齢からして長女ではあり得ず,母Cも,事件本人が受傷した前後の行動からみて,虐待を加える動機や状況はうかがえないから,結局,父B以外には考えられない。
この点につき,一件記録によれば,父Bは,当初,同年×月×日に申立人の担当者と面接した際には,虐待に思い当たることはないと説明し,また,母Cの実父から責任を問われて怒鳴られた際にも,反応を示していなかったが,同年×月×日に申立人から一時保護の通告を受けると,「嘘でもよいから僕がやりましたといえば子どもは帰してもらえるのか。」と尋ね,次いで,同年×月×日には,申立人の担当者に対し,「事件本人に『高い高い』をしていた際,事件本人が反り返ったので,びっくりして力一杯握ったが,落としてしまったことがある。」と話すに至り,さらに,同月×日にも,同旨の説明をしていたことが認められる。ところが,審問においては,父Bは,再び事件本人の受傷の原因に思い当たることはないと陳述し,「落としたことがある」と認めたのは,事件本人を自宅に帰してもらうための虚偽の供述であると述べるに至った。
このように,父Bの述べる内容は,不自然な変遷を繰り返しているといわざるを得ず,事件本人が痙攣を起こした前後の状況に関しても,父Bの供述等をそのまま採用することはできない。
4 そこで,次に,事件本人を保護者に監護させることが著しく事件本人の福祉を害するか否かについて検討する。
(1) 一件記録によれば,次の事実が認められる。
ア 父Bと母Cは,母Cの申出により,平成20年×月×日,長女Dと事件本人の親権者をいずれも母Cと定めて協議離婚をし,母Cは,婚姻前の姓に復した上,同年×月×日,子の氏の変更手続をして,2人の子らにつき母の氏を称する入籍をした。
婚姻中の住居は母Cの実母が所有する建物であったが,離婚に伴い,父Bは,同住居から退去した。
イ 離婚原因は,母Cにとって,事件本人の受傷が父Bの行為に原因しているのではないかとの疑念を拭えないことや,父Bの実父が事件本人の受傷につき母Cやその実父母を罵ったり脅迫まがいの電話を架けたりしたことから,不和となり,親族関係を続けることを嫌ったことなどにあった。
父Bも,その実父が母Cやその実父母にした暴言などについては批判的であるが,双方の親同士が不和となったり,事件本人の受傷につき母Cやその実父母から責められたり,自らも責任を感じていたことなどから,やむなく離婚に応じた。
ウ 父Bは,自らが事件本人に傷害を負わせたことは認めていないが,母Cがこれまで長女のみならず事件本人に対しても虐待を加えたことはなかったことは認めている。
エ 母Cは,事件本人の入院以来,ほぼ毎日本件病院を訪れ,午後3時から午後8時の面会時間一杯に面会を続けて,授乳や投薬,さらには脳機能回復のための感覚刺激などを行っている。
現在,事件本人は,痙攣抑制薬の投与を受けているが,呼吸に問題はなく,免疫不全はないので集団生活も可能で,手術の必要もなく,診察は二,三か月に1回程度でよいので,退院は可能である。ただし,機能回復訓練には週一,二回の通院が必要であると診断されている。
事件本人の症状も,聴力は正常で,明暗の識別がわかる程度の視力はあり,微笑みもできる状態にある。
(2) 上記事実によれば,事件本人の症状は,障害の程度はともかくとして,現在では治療上も入院の必要まではなく,診察や機能回復訓練のために通院は要するものの,在宅での監護養育は十分に可能である。
申立人は,事件本人につき,退院後も引き続き厳重な観察と異常時の緊急対応が必要であり,乳児院における適切な養育環境が不可欠であると主張する。
しかし,上記のとおり,医師の診断によれば,事件本人については危機的な状況は脱しており,入院による継続的な観察や治療は必要ないとされているのであるから,症状の観察のために乳児院に入所させるまでの必要は認められない。
また,申立人は,事件本人の父母は,事件本人に生じた事態を軽くみた無責任な対応が目立つので,事態の重大性を真摯に受け止めさせ,父母の意識改善を図った後,家族再統合に向けた関係調整を図る必要があり,その間は事件本人を乳児院に入所させる必要があるとも主張する。
確かに,事件本人の父母が婚姻同居中であれば,虐待の加害者と疑われる父Bの下に事件本人を戻すことは不適切と考えられるが,現実に離婚にまで至り父Bが自宅を退去した現在では,事件本人を母Cの下に戻すことが養育上特に不適切とは考えられない。
事件本人の父母の離婚が事件本人を親元に取り戻すための仮装や便法であれば,申立人の抱く疑念も理解はできるが,上記(1)で認定したとおり,その離婚は,現実に婚姻関係が破綻した結果と認められるのであって,単なる仮装や便法ではない。
そうであれば,父Bに関しては虐待の疑念を抱かざるを得ないものの,母Cに関しては別異に考えるのが相当であり,母Cについては,保育士の資格も有し,これまで長女や事件本人の養育に関して虐待に類する行為は一切うかがわれず,むしろ養育に熱心であったとうかがわれるのであるから,事件本人を母Cに監護させることが著しく事件本人の福祉を害するとは認められない。
母Cが,申立人に対し,事件本人への虐待を否定し,原因について思い当たることはないと述べたのも,自らの行為に関しては事実に反するものではなく,父Bの行為に気付いていない以上,その対応をもって,事件本人に生じた事態を軽くみた無責任な対応と評することはできない。また,母Cが,一時保護の措置に対し執拗に抗議したのも,熱心に育児に携わっていた母親として自然な感情の表れであると認められ,これをもって事態の重大性を真摯に受け止めていない対応と評することもできない。
以上のとおり,父Bと母Cの離婚が成立し現実に別居に至っている現在では,母Cに関して,事件本人を監護させることが著しく事件本人の福祉を害するというべき事情は認められない。
5 してみると,現在,事件本人を乳児院に入所させる必要があるとは認められないから,本件申立ては理由がないので却下することとして,主文のとおり審判する。
(家事審判官 小原卓雄)