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大阪家庭裁判所 昭和38年(家)2931号 審判 1963年12月14日

申立人 山田京子(仮名)

相手方 山田正男(仮名)

主文

相手方は申立人に対し、婚姻費用の分担として、昭和三八年五月から同年八月末まで毎月金一万円ずつ、同年九月から双方が別居して婚姻を継続する間、毎月一万五千円ずつを毎月末日限り(すでに期限を経過した分は本審判確定の日の翌日限り)申立人住所に持参または送金して支払え。

理由

本件申立の要旨は、申立人は、相手方家族と別居し、相手方および双方間の長男と三人で同居して婚姻生活を継続することを希望し、相手方および相手方家族との婚姻関係および家族関係の調整を求めるものであるが、同居して生活することが円満に実現できない以上、申立人および長男の生活費の分担支払いを求める。

相手方は、両親の家を出て申立人と同居する気持は全くないし、申立人が勝手に出て行つたのであるから生活費を分担しなければならぬ理由はないと思う旨を述べた。

本件は昭和三八年五月八日調停の申立がなされ同年六月三日調停不調となり審判に移行した。

よつて審案するに、調査の結果によるとつぎの実情が認められる。

(一)  申立人と相手方とは昭和三六年五月見合いし、双方はもとより父母らも世間普通の結婚前の交際をつづけ翌三七年三月二七日に結婚した。相手方家庭には両親の外妹弟ら六名がおり、大家族であるところから、相手方の母は、婚姻に際して、家族と同居して生活することについて、自分も姑にかかつて苦労したから嫁にはつらい思いをさせない旨を述べて申立人の了承を求めたところ、申立人は、相手方の母は話の分る人でありこの母となら旨くやつていけると喜んでこれを承諾し、しかしいずれ将来は事情によつて別居できるものと理解して、相手方家族と同居して新婚生活をはじめた。

(二)  結婚後、申立人は大家族と生活することを納得の上結婚生活に入り、しかも自分も多人数の家庭で育つたので旨く協調して生活できるものと考えながら、相手方家の生活様式になじめないこともあつて、家族のなかに融和して生活する努力と忍耐に欠け、また相手方および父母らは、多人数の家族のなかに入つてはじめて結婚生活をする申立人の若い嫁としての立場に理解と寛容を示さず、早急に山田の家風乃至やり方に従うことを求めたため、申立人と相手方の母とは日常生活上のごくささいなこと(双方および関係人の供述によると、申立人が持参したレース編みを家庭全体の用に供さなかつたとか、帰宅した夫を礼儀正しく迎えなかつたとか、夜分部屋に早く引き込むとか、洗濯炊事掃除が早くできないとか、相手方家族が申立人の結婚祝いの返しに実家へ帰ることを喜ばないことなど)から協調を欠くようになり、これが双方の婚姻関係にも反映し結婚後数ヵ月にして夫婦関係はもとより家族関係も冷めたく気まずいものになつた。この間はじめは、双方の親族も仲に入り、相手方も一度は家を出て別居することを決意して、それぞれ円満解決に努めたが、後記のような双方の婚姻観生活態度の相違から事態は好転するに至らなかつたところ、同年八月三一日申立人は、相手方の母から申立人の母が不必要な発言をしたと責められ、また相手方から子をおろして話をつけようといわれたこともあつて、相手方家族との同居生活に堪えられなくなり、妊娠四月の身で実家へもどつた。ところでこのような事情であつたのに仲人が双方の仲に入つて婚姻関係の調整につとめることを回避したため遂に申立人は同年九月一九日当裁判所へ婚姻関係および相手方父母らとの親族関係の調整を求める旨の申立をなした。

そこで当裁判所調停委員会は、申立人はすでに懐胎しており(当時懐胎していたにかかわらず婚姻届さえなされていなかつたが、調停委員会において相手方に勧告した結果、一一月二〇日に至つてようやくその届出がなされた)しかも双方の婚姻関係は、二人だけに限つてみれば、必ずしも破綻していないが、申立人家族と相手方父母とが相互に理解と尊重の念を欠くため親族としての情が充分にあたたまつていないのと、相手方父母殊に母が結婚について自主独立心を欠く相手方をかばい婚姻生活関係に干渉し過ぎるため破綻に瀕している状況にある、と認められたので、相手方父母に対し双方を相手方家族から別居させて生活させることを勧告した。しかし同人らは委員会の勧告を独断的な押しつけと曲解しこれを受けいれなかつたので、委員会は、次善の方法として、相手方の母には申立人の若い妻としての座を尊重すること、申立人には相手方家族とよく融和して同居生活を送ることを期待して、同年一二月一九日双方間に「双方は互いにその人格を尊重し婚姻生活を誠実に営むこと、申立人はなるべく早く相手方の許に復帰して同居する」旨の調停の成立を認めた。

(三)  かくて申立人は上記調停の趣旨に従い同年一二月二二日頃相手方の許へもどつた。帰宅後双方の関係は暫らくは平穏であつたが、その状態も旬日にしてくずれ、申立人と相手方母との関係はもとより双方の関係も従来より一層険悪になつた。このような事情のなかで、申立人は、三月五日長男久男を分娩し、ついで同月一九日頃盲腸炎に罹患しその手術を受けて四月一日頃退院した。入院中相手方は申立人を見舞いよく面倒をみたし申立人もこれに感謝し、二人の間はうまくいくかに見えたが、相手方の母は、入院中の申立人の附添や子の世話について、申立人の母に対し子を世話するから附添いを頼む旨要請した際、申立人の母が即答しなかつたことにいたく憤慨し、かねて抱いていた悪感情も重なつて、申立人に対し、真田の家の人になるにはあのような母と親子の縁を切れとせまるようなこともあつて、事態は矢張り好転しなかつた。

またその頃、相手方と母らは、申立人の実家からの出産祝いを、申立人の母に対する不信の念と従来の感情的なしこりもあつて、心のこもつていない形式だけのものに過ぎないと判断し、これを受けとることができないとして、申立人に実家に送りかえすことを命じたり、相手方の妹の縁談が申立人の縁者の悪口によつて破談になつた-その真相は不明である。-と固く信じ込むあまり、分娩および手術後さして日数も経つていない折柄申立人をきびしく詰問した。

かくて申立人は、相手方と母らのかように行為態度に追いつめられたかように感じ、とてもこれ以上同居して生活することができないと考え込むに至り、遂に同居に堪えきれなくなつたとして、同年四月七日に相手方が在宅していたにも拘わらず無断で、幼児を連れて相手方の家を出て中須の叔父宅に身を寄せた。相手方は、申立人が幼児のおしめなども持たずに家を出たので、その安否を気づかい、直ちに申立人の行方を探して叔父宅を訪ねたが、これまでに双方の婚姻生活の実情を知らされかねて心良く思つていなかつた叔父は、相手方に対し、はじめから感情的な応待をしたため、二人の間に口喧嘩がおきるような状態であつた。その直後同月一二日申立人は相手方に電話をかけ、二人は阪急梅田の喫茶店で会い、申立人は親の許を出て夫婦と子と三人で生活することを懇請したが、相手方はまともにこれを取り上げて検討しようともせず、いたずらに中須の叔父に責任をとつてもらえ、というばかりであつた。また相手方の母は申立人が家を出て後二度程申立人方を訪れ、子の安否をたずね、申立人に対しては「ふらつと出たのであればふらつと帰れば良い。親がそう言つているのだから帰つてはどうか」などと帰宅を促したが、申立人は相手方家族と引続き同居して生活することに全く自信が持てなかつたので、相手方家族と別居して夫婦と子と三人で生活することを希望して帰宅のすすめに応じなかつた。なお相手方の母は申立人方を訪れた際、さきに申立人実家が贈つた出産祝い品を持参し、また宮参りのとき、子のおしめ肌着ミルク一かん(三〇〇円程度)等に添えて金五〇〇円(宮参りの神楽料)を送りとどけただけであつた。

(四)  申立人は、中須の叔父宅に暫らく身を寄せた後実家へもどり九月初旬まで実方父母の許で生活し、同月一一日頃以降末広町アパートの一室(権利金五万円部屋代毎月五千円)を借り受けて居住し、権利金部屋代などは実家で立替つて支払つてもらい、食事風呂などについては実家の配慮援助を受けて母子二人の生活を維持して現在に至つているが毎月の生活費として一万八千円を要する旨述べている。

相手方は、昭和二八年三月高校卒業後直ちに○○ビールに入社して吹田工場機械課運転場に勤務し、その本給月額は三万〇、三九〇円(本年六月までは二万六、二九〇円)であり、これに超過勤務手当等を加えると昭和三八年一月から同一一月までに俸給額等四一万四、七七六円賞与額一五万四、七八七円(いずれも所得税社会保険料等を差し引いた支給額)を得ている。

(五)  なお申立人はかねて日常の暮しにも差し支えるとして衣類等嫁入荷物の引取りを希望していた。そこで当庁調査官が、相手方の意向を確かめたところ、相手方は、離婚したわけではないから荷物を引き渡すことができないと述べていたが、結局、調査官の勧告をいれ九月一九日に引渡すことを了承した。しかるに申立人は、この旨を調査官から知らされながら、相手方さえ承諾すればそれ以前同月一五日でも差し支えないものと誤解して、同日多人数で相手方宅へ引取りに赴いたため、相手方父母の感情を著しく害し、かくて双方の間にはげしい口争いがおきた。

双方が結婚後別居して現在に至つた経緯およびその間の主要な実情は上記のとおりである。

ところで本件では、上記認定のように婚姻関係は次第に破綻の度を加えてきているが、結婚前やその直後の状況としては、誰一人円満な家族共同生活の実現を望まぬものはなかつた筈であるし、双方やその父母らも大家族との共同生活や姑嫁の同居から予測される障害について適切に配慮する心構えもできていた筈であり、しかも現在の状況としては双方の間には子までなし、申立人としては両親の許を出て相手方と子と三人で同居して婚姻生活を継続することを極力希望しており、相手方としても父母と同居して婚姻を継続することは可能であるとしているので、双方が別居同居の問題さえ充分に話し合い納得して自主的に解決すれば、婚姻継続は可能である。そこで当裁判所は双方の希望を斟酌しまた前件調停の経過をも考慮した上、当庁調査官に双方の婚姻関係および親族関係の調整を命じた。

同調査官は、六月三日から九月二日までの間に、相手方については一一回申立人については一三回にわたつて面接をつづけ、主としてカウンセリングの方法によつて、双方がよく話し合いその生活関係や環境を夫婦を中心として婚姻維持の方向へ自主的主体的立場で改善し問題を解決するよう助言(いわゆるケースワーク的調整活動)してきたが、双方とも、いたずらに婚姻生活中の日常の些事についての不平親族に対する不満等を繰りかえすのみで問題の自主的解決への熱意に著しく欠けていたため、同調査官の人間関係に関する科学と経験に基づく助言と格段の努力にも拘わらず、調査活動は遂に成功するに至らなかつた。

因みに、この三箇月にわたる調査官による調整期間中、相手方側は一一回申立人側は一三回それぞれ当庁へ出頭したが、この間、申立人は、唯一度父が同伴したのを除き、終始一人で出てきたのに比し、相手方は、逆に唯一度の例外を除き、いつも父母同伴であつたのは、本件婚姻関係および相手方の家族関係殊に保護過剰の母子関係の在り方を暗示するものとしてまことに象徴的である。なお当庁調査官の指摘するところによると、一般に子が成人するまでは親の愛情と権威は不可欠のものであるが、子の成人するにつれて、健全な母子関係では、親の愛情と権威は徐々に制限さるべきであるが、本件では子が成人しても母の権威は依然として強く働らいている。

ついでここで上記認定の実情や調整活動の結果うかがえる双方の婚姻観生活信条同居問題についての考えなどを摘記する。

相手方は、婚姻が個人人格尊重と両性の平等の原理に立脚し、当事者の愛情と理解を基礎としてその協力によつて維持さるべきものであることを理解せず、申立人との婚姻生活についても、婚姻当初から現在に至るまで、婚姻関係よりも親子関係を第一に重視し、親との同居を何よりも大事と考え母との関係さえうまくいけば、婚姻関係は自然に良くなるものと考えている。従つて日常の生活においても、夫婦間の問題はもとより出産育児その他家事万般に至るまで、何ごとも母と相談してきめよ母に任せておけと話すのみで、すべて母に依存し主体性自主性を欠く態度で終始した。

相手方の父母は、憲法が家庭生活において個人の尊重両性の平等あるいは自由な意思を尊重するといつても、家族が共同生活する以上、嫁には親としての教育と監視が必要であり、また妻は、古い型の女が良く、自らを犠牲にして夫や子の矢面に立つてつくすべきであり、憲法や法律がいくら立派でも、それだけでは生活できないと考えている。また相手方の母は、別居を拒む理由として、信仰上長男である相手方は外へ出せない子であること、家も同居可能な広さがあり別居は経済的に無駄であることなどを挙げている。

申立人は、婚姻生活が対等な人格をもつ夫婦の自主的協力によつて維持さるべきことを理解し、相手方の自主独立心の喚起を強調するが、納得の上大家族のなかに入つて結婚生活をはじめるからには、夫との生活だけではないのであるから、相手方の父母その他の家族との融和協調を特に心がけねばならないのに、そのための工夫と努力にかけ、自己および夫婦の利益を中心に考え過ぎる傾向が強く、またことあれば実家に帰り、婚姻生活の維持や問題解決については相手方と同じく自主性を欠くきらいがあり、なお同居問題については、親の許を出て相手方と同居することによつてはじめて真の結婚生活がはじまるものと考えている。

さて上記認定の実情調査官による調整活動の経過等によると、双方の婚姻関係は実質的にかなり破綻している。しかしその破綻の原因は、相手方および相手方父母の典型的な家族制度的婚姻観と申立人の生硬な近代的婚姻観の衝突、双方ともに認められる婚姻が夫婦の愛情と理解に基づく協力によつて維持さるべきものであることについての未成熟な自主性を欠く態度、二人で直面する問題を解決するための工夫と努力と能力に欠けていたこと(この点については、相手方は、その家庭環境にてらしやむを得ない事情があるにしても、特に自主独立心に欠け、その主観的意識はどうであれ、常に夫婦の問題を姑嫁の問題にすりかえていた)にあるといつてよい。

このようにみると、双方の婚姻関係は破綻しているにしても、双方はいまなお法律上夫婦であり、しかもその破綻乃至別居の原因が、もつぱら申立人に存することの認められない本件においては、相手方は申立人に対し、夫としてまた子の父として、同人およびその許にある長男のために、自己の収入社会的地位にふさわしく、自己と同一程度水準の生活を保障するに足る婚姻費用の分担義務を負うこと明らかである。

そしてその分担の程度方法については、相手方の収入申立人の生活状況(相手方の許を出て以来乳幼児をかかえもつぱら実方の配慮援助を受けて生活してきた)によると、相手方は申立人に対し主文に掲記した額以上の費用を分担すべきであるが、いまその全額の給付を命ずることは双方の婚姻関係をさらに一層破局に追い込むおそれがあるし、申立人がいまなお婚姻の継続を強く希望していることを考慮すると、申立人実方においてもその一部を援助して婚姻生活の再建に資するのが適切であると認められ、その他本件に現われた一切の事情を勘案すると、さしあたつて相手方は申立人に対し、申立人母子の生活費として本件申立後である昭和三八年五月から八月末まで毎月一万円ずつ、同九月から別居したまま婚姻を継続する間、毎月一万五千円ずつを毎月末日限り(なおすでに期限のきている分については本審判確定の日の翌日)申立人住所へ持参または送金して支払うのが相当である。

おわりに当裁判所は、双方および関係親族らが、結婚前および結婚当時誰一人として幸福な家族共同生活の実現を望まぬものなく、また申立人も相手方の母も互いにその立場を理解して平和な家庭生活をつくろうと念願していたことを想いおこして、初心にもどり、今後の共同生活の再建維持についてさらに一段と反省と努力を重ね、早急に現在の事態を打開されることを期待し、かつこの審判確定後においても、双方は良識と寛容をもつて定められた義務を平穏に履行し、強制執行の手続を必要とするような事態を招くことのないように切望する。

(家事審判官 西尾太郎)

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