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大阪家庭裁判所 昭和43年(少)8639号 決定 1969年4月24日

少年 N・Y(昭二九・一・六生)

主文

本件について少年を保護処分に付さない。

理由

第一  本件通告事由は「少年は小学生のころより金銭を持ち出す等嘘をつく習癖があり、中学二年生の昭和四三年二月ごろより学校等の不良仲間と夜遊び、怠学、喫煙等をして四回もの補導歴があり、正当な監護に服さず無断外泊も往々していたが、中学校の不良仲間と同年一〇月ごろよりボンド遊びを覚えていたところ、同年一二月○日午後八時一〇分ごろ、自宅近くの大阪市大正区南○○町○○番地先空地において、友人の○○○○中学校三年生村○修(当一五年)を誘つて接着剤『ボンドG一七』をポリエチレン袋に入れたのを鼻口腔部より発生するガスを吸引して自己陶酔する生命に危険な行為(いわゆるシンナー遊び)をしていたものですでに中毒化しており、このまま放置すれば自己の徳性を害するは勿論、連続乱用による副作用として精神錯乱をきたし、将来暴行、傷害等の罪を犯すおそれがある。」というのである。

第二  1.ところで、いわゆるシンナー遊びに使われるシンナーの成分および用いた場合の症状については、日本医学新報(昭和四三年一一月二三日-二三二六。一〇七ページ)によるとつぎのように説明されている。

「シンナーは少なくとも数種から十数種の有機溶剤混合物で、一般に主成分はトルエン、キシレン、ベンゼン等の芳香族炭化水素のことが多く、その他脂肪族炭化水素、エステル類、アルコール類等が含まれている。動物実験の上では、シンナー吸入時の症状は純粋のトルエン等を吸入せしめた時と最も類似しており、市販のシンナーは殆んど同様で区別出来ない。接着剤遊びも同様、接着剤中に含まれている有機溶剤の蒸気を、故意に吸入することによつて生ずる陶酔感や異常体験を享楽する行為である。(中略)

シンナー吸入の代表的作用は中枢抑制であり、大抵の動物は終局には完全な麻酔状態におち入り、次いで呼吸抑制の下に死亡する。この作用の強さはクロロホルムの約半分、エーテルの二~三倍に匹敵している。また粘膜刺激も強い故分泌亢進や口渇が起こる。大量の蒸気を急激に吸入した際には呼吸困難や心不全を来たし、急性死をひき起す。たとえ少量でも長時間吸入した場合には、遂に昏睡におち入りはなはだ危険である。そうでなくともシンナー吸入時には速やかに意識混濁を生じ、見当識障害、感覚鈍麻、運動失調が発現し、時には幻覚を体験する。同時にしばしば頭痛、悪心を訴え宿酔のような症状を覚えるという。このような酩酊状態はアルコールの場合とは少々異なり放歌高吟するようなことは少ない。しかしシンナー酩酊時には自制力を失ない、非行と結びつく例が多い。シンナーを自殺の手段に使う者もある。

実験動物では、麻酔に前後しててんかん様のけいれんや四肢のふるえが著明であるが、人間では必発の症状ではない。また行動薬理学的にエーテルやバルビタール類による中枢抑制と有機溶剤のそれ等とは相違する点が証明されている。

シンナー、接着剤、ガソリン、クリーニング液等の有機溶剤吸入は習慣しやすく、精神的依存を形成し欲求もはげしい。しかし連用による耐性の発現はそれ程著明ではない。また中断により明瞭な禁断現象は証明されていない。有機溶剤吸入による精神障害は意外に強いことがある。トルエンやガソリンの慢性吸入により中枢神経系の器質的変化や人格崩壊、精神異常が発生することは既に指摘されている。またてんかん様発作が高率に起こるともいわれている。

シンナー常習者に他覚的に証明される身体症状は特殊な例を除いては少ない。それ故、日常施行される血液や尿の臨床検査から、異常を見出すことは困難のことが多い。しかし吸入量、回数、吸入時間によつては身体的障害が発生する危険性に留意しなくてはならない。(後略)」

2.そこで、いわゆるシンナー遊びが医学上人の健康の上にすこぶる有害危険なものであることは上記説明によつて明らかである。

しかし、これが少年の犯罪化ないし非行化にどのように関係付けられるのか、どのような影響を及ぼしてくるのかは同説明によつても明らかでない。同説明に「シンナー酩酊時には自制力を失ない、非行と結びつく例が多い。」とあるが、単にそれだけでは左記説明中に使われている非行が何を意味するのか、即ちいわゆる刑罰法令に触れる行為ないし犯罪を意味するのか或いはそれに触れる行為をする虞即ちぐ犯事実を意味するのか、或いはその虞の端緒をなすのか、明らかでない。けだし、複雑多岐な人間の犯罪化を解明するには、生物学的側面、心理学的側面、社会文化的側面など凡ゆる側面から科学的合理的見地に立脚した照明をあて、能う限り多くの適切な認知手段を構じて、犯罪化に至る有意味的因子を多角的に発見し、これらの力学的相互関連性から人間の犯罪化を高度の蓋然性を以て予測しなければならないのみならず、犯罪現象には必然的に意思主体性をもつた人間の自由意思が介在するものであれば、そのような予測をもつてしても個体としての人間が犯罪化に至る必然的な因果の系列におかれるものではなく、せいぜい百分比や確率などの方法を以てするあくまでも一応の確からしさ即ち蓋然性で予測されるにすぎないからであり、更に犯罪化の段階もいろいろな段階に分岐することができるからであつて、単にいわゆるシンナー遊びという一契機からそれが自制力を失うとしても直ちにそれだけで非行即ち犯罪と結びつくと考える事は極めて危険な態度であるからである。更に自制力を失うというが、自制力を失つた場合に発現する人間の行動形態も色々であり、必らずしも反社会的方向にのみ発現するとは限らず精神障害者の犯した犯罪の全体における比率はさほど高いものではないことが一般講学上いわれてきており、当裁判所における事例を検討するも、犯罪少年がいわゆるシンナー遊びの故に、いい換えればそれが直接間接の原因となつて犯罪を結果したという事例は余り見聞しない事柄である。いわゆるシンナー遊びは社会現象としては輓近二、三年の間にいわゆるフーテン族と呼称される都会の繁華街に蝟集して定職なく無為徒食の怠惰な毎日を送つている若者達の間に拡まり、それが漸次主として社会の他の若年層に流行したといわれるが、若年層にも性格、環境、行動傾向など各個人特有のものがあつて様々であり、いわゆるシンナー遊びをしたらそれをした少年が虞犯少年であるというのは発想が逆であつて、他の犯罪化の人格的環境的負因をもつた少年がいわゆるシンナー遊びをするから自制力を欠き、かような人格的環境的負因による犯罪的危険性が社会的に実現可能な状態に陥いることがありうるといつた意味で虞犯少年を考えるべきである。

要するに、いわゆるシンナー遊びは人の健康上不健全な遊びであることはいうまでもないが、それが刑事政策的犯罪予防的見地から見て危険であるかどうかは自制力を失うこと以外は現在のところ明確でないといわざるを得ない。

果してしからば、いわゆるシンナー遊びは犯罪化の人格的環境的負因をもつた少年がその遊びをすることにより自制力を欠ぎその負因による犯罪的危険性が社会的に実現可能な状態に陥いることがありうるといつた意味で、当該少年の他の虞犯事由に該当する行状と併せて考慮さるべき虞犯事由(少年法第三条第一項第三号イおよびニ)であると解すべきであり、いわゆるシンナー遊びそれ自体のみでは同項同号イないしニ所定の虞犯事由の何れにも該当しないと解するのが相当である。のみならず、同号本文の虞犯性については慎重に検討を要するものであつて、如何なる当該少年の性格環境により将来如何なる犯罪を犯す虞れがあるかどうかが具体的に判断されなければならない。

第三  そこで、以下少年の具体的行状についてその虞犯事由を考察し、ついで少年の性格環境に照らし虞犯性を検討する。

一、虞犯事由

(一)  少年の当審判廷における供述、参考人早○広○の当審判廷における供述、山○(旧姓N)テ○子の司法警察員に対する供述、大阪市立○○中学校長作成の「上申書」と題する書面によると、つぎの事実が認められる。

少年は昭和四三年一一月上旬ごろから司法官憲に補導される同年一二月○日までの間、毎日のように大体夜間約二〇回に亘り、肩書住居地附近の空地などにおいて、接着剤として使用する「ボンドG一七」「セメダインコンダクト」などにより発する有機溶剤の芳香性蒸気を吸引して陶酔するいわゆるシンナー遊びをしていたものであるが、なおその他に中学校二年生のころより喫煙を覚え現在でも日に少なくとも五本は喫煙し、これまでに四回程補導されており、殊に実母山○(旧姓N○)テ○子が同年八月中旬ごろ怪我をして同年九月中旬ごろまで入院している間、自宅(大阪市○○区○○通○の○)が留守であることを奇禍として七ないし八人位の友人を連れて来ては夜遅くまで喫煙したり交談したり、又友人を宿泊させていたりし、同年一〇月ごろ肩書住居地に転居してからは大半は同市同区○○町○○○所在の祖母山○キ○方に滞在しており、大阪市立旭○中学校三年生になつてからは同年一一月末現在出席すべき日数一六二日のうち七六日も怠学して学校を欠席している。その間実母山○テ○子や同人の内夫岩○敏○からいわゆるシンナー遊びや喫煙などについて再三の注意を受けているに拘わらず、少年は一向にこれを改めようとしなかつた。

(二)  かくて、この少年にはいわゆるシンナー遊びの他、喫煙、怠学などの問題行状があるので、形式上少年法第三条第一項第三号イ(保護者の正当な監督に服しない性癖のあること)およびニ(自己の徳性を害する行為をする性癖のあること)に該当する少年であるといいうる。

(三)  なお、当審判廷において少年はいわゆるシンナー酩酊時における状態を「体がふわふわし、ボヤーとして夢をみたりします。空が回り出したり、雪が降る夢をみたり、生えている草が体にひつついて動き出したように感じます。そして草がひつついてきて気色が悪いなあとか、空をみていて奇麗だなあと思つたりします。何かしようなどとは思いません。ボンドを吸うといろんな夢をみることができ、その夢が楽しいので吸います。ボンドを吸い終つて正気に戻るには一五分ぐらいかかります。」と述べている。

二、虞犯性

少年の当審判廷における供述、参考人岩○敏○の当審判廷における供述、鑑定人鑢幹八郎作成の鑑定報告書、少年調査票、鑑別結果通知書を総合して以下のとおり判断する。

(一)  少年は昭和二九年一月六日N・Tを父として、山○(旧姓N○)テ○子を母として出生した。その後まもなく実父母は別居し、同年末ごろ少年は実母と共に祖母山○キ○方に同居し、実母は和歌山市内の某料理店で住込仲居をしていたが、昭和三二年辻○一と関係ができて帰阪し少年を引取り間借生活をし、鉄工所女工として就労した。実母は昭和三五年辻と別れた後まもなく山○寺○蔵と昭和四一年ごろまで同棲したが、同人は大酒飲みでだらしなく少年は大嫌いだつた。昭和三七年以来実母は仲居をして働く為夜遅くまで帰宅しないので、少年はいつも大人しく一人で留守番をし、幼いころより未恐ろしいくらい目先のきく賢い子だといわれていたが、小学校高学年になるに従つて学業成績も低下し、怠学、虚言が多くなり、学費を流用することが多くなつた。少年は昭和四二年四月大阪市立○○○○中学校から同市立○○○中学校に転校したが、そのころより夜遊びが盛んとなり、怠学も多く、喫煙を覚え、同級生である定○ろ○、菅○む○子を当時異父兄○福○が借り受けていたアパート「北○荘」に連れ込み性的関係を結んだこともある。尚実母は昭和四三年一月から岩○敏○と同棲し同年一〇月肩書住居地に転居した。実母は現在クラブ「○さ○し」のホステスをしており、岩○は暴力団神○山○組々員である。

(二)  少年は活動性、自己顕示性、自己中心性が著しい。軽卒で落つきがなく調子にのり易く、集団の中で自分をきわだたせようとする。子供つぽい甘えが強く、我がままで独断的である。生活態度は場当り的で、のんき、安易な方に流れ忍耐力を欠く。これが問題行動として怠学、夜遊びなどに結びつくようである。行動に裏表が著しく嘘言が多く、困難場面に直面せず逃避的である。父、母、先生など強者に対しては服従的依存的であるが弱者に対しては支配的攻護的である。対人関係は基本的信頼感が不充分な為関係が不安定である。表面的には社交的で友人が多いようにみえるが、常に淋しさ、孤独感がある。

(三)(イ)少年は出生後一年を経ずに実父と生別、その後実母の就労により実母とも別離している。乳児期のいわゆる対人関係の基礎となる信頼感を母の優しい愛撫の中で作りあげるべき時期を上記(一)記載のような不遇な生い立ちにより不全なままに成長している。少年は未だ分離できない段階で無理に分離させられた分離不安が大きく、常に母を求める気持が末熟な接触欲求、愛情欲求となつて現存している。この分離不安は正常な心理的発達を妨げる大きな要因となつている。

(ロ)少年は表面的には依存的で大人しく攻撃傾向は乏しい。これは不遇な生い立ちの中で攻撃を表出すことは、最も恐れている母との別離につながることで深く抑圧されたようである。従つて服従し依存することによつて適応する機制を身につけたのである。非常に不満が高まつても素直にその表出ができない。幼少期からある側面では妙に大人ぶつた聞きわけの良さを示しているが、それは少年の防衛機制であつて、一般にいう充分な統制が効いた聞きわけの良さではない。そこには欲求不満は大きく、現実的な満足がはかれないところから、空想の中で充足しようとする傾向がみられる。いわゆる逃避機制である。いわゆるシンナー遊びもそれにつながるもので、嘘言、怠学、家出など問題に直面せず逃避するという面では一連のものである。

このような適応機制を身につけ、一見依存的で服従しているように見えるが、反面依存することによつて相手を支配しようとする動きがある。これは幼児的な甘えの本質で少年の精神的未熟さを示すものである。

(ハ)少年は幼児期に実父と別れ、その後も祖母ないし実母からは実父のことを「モルヒネ中毒で怠惰な父」(但し、その真偽のほどは判らない)としてイメージづけられ、少年は実父を嫌悪している。少年が男となる為に見本となるべき実父を嫌悪するということは少年の男性化への妨げとなる。

更に幼少年期、実母は内夫を次々に変えており、その男達をも少年は嫌悪の目をもつて見ており、少年にとつて父の代替者はいなかつた。現在の義父岩○は頭初あこがれの感情を含め、よい関係にあるかに見えたが、少年にとつて同一化すべき男性とはなり得ていない。

このように少年が男性同一化に失敗しているのは、その対象に恵まれなかつたこともあるが、同時に分離不安に根ざす実母との密着したい欲求とも関連があり、実母への依存となり、独立できなくさせている。

心理面での性的発達に問題があるが、肉体的には性的な発達は順調に進むので、そのギャップが不純異性交遊などの問題行動に結びつくようである。

(四)  環境面は、家庭はややヒステリックな実母とヤクザの義父という表見適切な監護能力を欠くように見えるが、少年は実母のことを苦労しながら生活に負けない偉い人だと思い、実母は感情的に厳しい圧力を加えるので、少年を逃避的にさせており、義父は少年を監護する意思と能力はあり、決して少年をして犯罪をそそのかすような接し方でなく、少年に対しては相当強い行動の規制力を持ち、犯罪から少年を守ろうとする機能をもつている。

交友関係としては坂○光○の他同級(○○中学校技術学級)の者として小○実、中○和○がいるが、それらは皆怠学、喫煙、シンナー遊びなどの友達でいまだ犯罪性のある人であるとはいえない。

(五)  かくて、以上の諸点を総合して考えれば、少年は現在実母の強い枠内にあつて、その圧力をはねのけることができず、心理的な逃避をいわゆるシンナー遊び、怠学、夜遊びなどの中に求めていたともいえるのであつて、前項(虞犯事由の項)(三)記載のように、シンナー酩酊時には、少年の場合粗暴な振舞に出るとか窃盗などの行動を起すことは少年の日常行動から推察して余り考えられず、むしろその非現実的世界に酔つて耽溺していく可能性が強い。

四、以上のとおりであるとすれば、この少年には虞犯性がないので、少年を保護処分に付することができず、他に審判に付すべき理由がないから少年法第二三条第二項を適用して主文のとおり決定する次第である。

(裁判官 宗哲朗)

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