大阪家庭裁判所 昭和45年(少)6966号 1970年10月14日
主文
少年を中等少年院に送致する。
理由
(虞犯理由)
少年は、昭和四五年六月一七日当裁判所において保護観察に付されたにもかかわらず、その後も遊惰な生活態度を改めることなく、保護者の指導や監督に服さないで、正業に就かず、継続してシンナー、ボンド等を吸飲し、又、繁華街の深夜喫茶に出入りして所謂フーテン生活をしていたが、同年七月末から暴力団の事務所で電話番をし、同年八月末に右暴力団の組員と共に上京して、同年九月一四日東京で補導され家に帰つたものの、その後は家に籠りシンナーを吸飲していた者で、このまま放置すれば少年の性格環境に照らし、将来犯罪を犯す虞れがあり、右は少年法三条イ、ハ、ニに該当する。
(処遇の理由)
一 非行歴及び行動歴
(1) 少年は中学卒業時までは問題行動なく過したが、昭和四二年四月高校に入学後、怠学不純異性交遊等の問題行動が次第にあらわれ、一年修了時に学校が面白くないという理由で退学した(昭和四三年三月)。その後一時、就職したり定時制高校に通つたりしたが、軽躁性が強く我儘な性格のため一つのことに持続した努力をすることをしないで、学校にも職場にも適応出来ず、急速に大阪市南区の繁華街の所謂フーテン族の仲間の中に接近して昭和四三年一一月初ごろ家出してからは、時たま喫茶店のボーイ等して働いたが主にフーテン仲間の友達や女に依存して生活し、女と同棲したり遊興に耽り自堕落な生活を送つていた。
(2) 昭和四四年八月虞犯保護事件(前項の事由)で保護観察に付されたのではあるが、上記のような生活態度を改めることなく更に窃盗事件を犯すに至つたので昭和四四年一〇月一三日中等少年院に送致された。更に同月二一日窃盗道交法違反の余罪について審判不開始の決定を、次いで、昭和四五年二月少年が申立てた余罪(窃盗五件、強姦四件)の中窃盗の一件につき警察で捜査を遂げ送致があつたので不処分決定を受けた。
(3) 昭和四五年五月六日上記少年院を仮退院したが叔父の経営している○○紙工に一日勤めたのみで再び前記南区の繁華街でフーテン生活を始め、まもなく銃砲刀剣類所持等取締法違反で当裁判所に事件が係属するに至つたので、当裁判所は昭和四五年六月一七日、審判のうえフーテン生活を断つて一定の職場に定着し健全な生活態度を身につけるように論し、更に保護司の指導を強化するため改めて保護観察に付した。
(4) ところで少年はここに至つてもなお何ら反省することなく前記虞犯事由記載のとおりの生活態度を続けていたものである。
二 シンナー嗜癖について
少年はシンナーを吸飲するようになつてからすでに三年近くなり、かなり強度の嗜癖を有し、特に昭和四五年九月一四日東京から帰つた後は、家に籠つて連日シンナーを吸飲し、これを止めさせようとする母や弟に対して手当り次第に物を投げつけたり、又、夜中大声を出して叫んだりする奇行があらわれるようになつた。保健所の医師の診断によると入院加療を要するとのことである。
三 家庭について
少年の家庭は両親と弟二人の五人家族で一応健全な家庭である。しかし両親ともに従来少年に対して、きびしさに欠け甘やかし、放任的態度であつたため、少年の我儘な性格を助長し、親として権威に欠け少年に全く無視されている。父親は少年の問題が深刻化するにつれて追諸められた気持になり、弟に対する影響を虞れて、離婚して母親と弟を別居させ、少年を近かづけないようにしようと考えるに至つている。
四 性格、その他の問題点
少年は知能は普通であるが、我儘で自己主張が強く、自分は自由で普通の人よりも進んだ考えを持つていると信じ、なにかと理屈をこねて、自分の怠惰な生活態度を合理化し、健全な勤労意欲や、社会規範意識に欠ける。しかして調査及び審判の過程において自己の非行についての反省の態度を遂に見ることが出来なかつた。
以上の諸点ならびに少年調査記録及び事件記録によつて明らかな諸汎の事情を勘案すると、少年はすでに在宅保護の限界を超えており、この際少年を施設に収容して、自己を客観的に眺めて内省する機会を与えると共に、厳しい訓練を施して、健全な生活意欲と、生活目標に向つて努力する忍耐力を養い、社会に適応出来る様に指導する必要がある。よつて少年法二四条一項三号少年審判規則三七条一項少年院法二条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 赤塚健)