大阪家庭裁判所 昭和46年(家)3557号 審判
〔主文〕本件申立は却下する。
〔理由〕本件申立理由の要旨は、申立人は、笹原治郎と有山信子との間に生まれた嫡出でない子であるが、昭和四六年四月八日に父治郎の認知を受け、その親権者を母信子との協議により父治郎と定められ、現に父母のもとで監護養育されているので、その氏を父の氏へ変更することの許可を求める、というのである。
よつて審案するに調査の結果によると、上記申立理由要旨と同旨の実情のほか、つぎの事情が認められる。
(一) 申立人の親権者父治郎と申立外笹原元子は、昭和二二年一〇月八日結婚しその間に長女俊子(同二三年二月二四日生)をもうけ、じ来二〇有余年夫婦として平穏円満な家庭生活を送つてきたが、治郎が一両年前からその自営する会計事務所の事務員有山信子(同二三年一二月四月生)と婚外関係をもつに至つて、治郎、元子夫婦間に風波を生ずるようになり、ついに同四五年七月四日頃治郎が家を出て、元子らに所在を明らかにすることなく、信子と同棲するに及んで、両名の婚姻関係は実質的に破綻した。
元子は当初、夫の上記婚外関係には、夫がそのようなことは絶体ないと述べるので、気付かなかつたが上記七月四日頃夫が家を出る直前に、信子と同人の親族ら数名が、元子に対し信子を嫁と認めてくれるよう申し入れがあつて、ようやく治郎・信子の情事の急速な進展を知つて驚き強い打撃を受けた。
(二) 元子は治郎が大阪へ出奔して以後、水田を耕作するかたわら、長女の嫁ぎ先で雑役などの手伝いをして暮らしを立て、笹原家を守り、年月が経過するうちに、夫が一時の浮気として迷いからさめて「必ず自分のもとに帰つてくれる」人であると信じ切り、そのことのみを念願して生活している。
(三) 本件子の氏変更の申立について、元子は、当裁判所の照会に対し、同四六年五月一一日付回答書で、氏変更には絶体反対するが、治郎が信子と別れてもとの状態に復帰することを条件として入籍を考慮する旨の意向を明らかにし、またその後、八月三〇日当庁受付の書簡で、「互いに話し合つた上納得がいけば、申立人にはなんの罪もないので氏変更を受け入れてもよいと、電話で話したことはあるが、治郎から申立人と元子とは関係がないから話し合う必要はない旨の返事があつただけで、その後なんの連絡もないので現在のところ氏の変更には反対する」旨を表明している。
ところで、本件申立のように民法第七九一条による非嫡出子の氏の変更の審判にさいし、家庭裁判所は、氏変更を求める申立が、同条所定の形式的要件を具備するかどうかの判断だけでなく、改氏に異議をとなえ、また反対する関係人(たとえば本件のように父の妻、あるいは嫡出子など)がある場合には、民法第一条の二と家事審判法第一条の趣旨を指針として、氏の変更を求める子の保護と正当婚姻の尊重という二つの要請を調和ある姿で実現すべく、まず改氏による非嫡出子の受ける利益ないし福祉を基本的に考慮するとともに進んで関係人の感情上ならびに社会生活上の利害を十分に斟酌し、この両者の利害得失を比較考量して、許否を決めるべきである。
いまこれを上記認定の実情その他本件の経過に明らかな一切の事情によつて検討するに、申立人は、父治郎から認知を受けその親権者も父と定められ現に父のもとで養育されているので、同居中の父の氏を称することはその福祉のために望ましいことではあるが、他方、申立人の年令等からみて、いま直ちにその氏を父の氏と同じにしなければ、社会生活上とくに不利益を受けるような事情にあるとはとうてい考えられないしまた本件申立は、実質的にみると、申立人の父治郎または母信子の意思によるものと推測されるところ、治郎はその雇傭関係にあつた年若い信子と不倫な関係を結び同棲生活をつづけることによつて、元子との婚姻関係を実質的に破綻させ、同女にこの一両年並々ならぬ精神的打撃、苦悩を与えながら、同女との婚姻関係の調整に夫としてつくすべき努力を怠たり、また本件申立に関しても誠意を以て同女の納得を得るように手段をつくさず、あたかも当然のことのように子の氏の変更を求めるものであつて、妻元子が、これに対し、当裁判所の照会に応じ再度にわたり婚姻生活の実情、本件申立の経緯を述べ、氏の変更に強く反対する心情は、正当な婚姻関係にある妻の感情上の利益としても十分考慮に値するが、たんにそれにとどまらず、婚姻関係破綻に無責の妻として、一種の社会生活上の利益保持の主張にほかならず、法的保護に値する生活利益に準ずるものというべきである。もし本件のような事情のもともに、子の氏変更が認められるとすれば、妻にとつて、それはまさしく俗にいう踏んだり蹴つたりに近いといわなければならない。
このようにみてくると、本件においては、申立人が父の氏への変更によつて受ける利益・福祉もさることながら、正当婚姻家庭にある妻の感情上ならびに社会生活上の利益の保持の主張をこそ尊重するのが相当であり、このように解することが、民法第一条の二に立脚し、また、個人の尊厳と両性の本質的平等を基本として、家庭の平和と健全な親族共同生活の維持を図ることを目的とする家事審判法(第一条)の精神にそう所以である。
以上の次第で、本件申立は相当でないからこれを却下することとし、主文のとおり審判する。 (西尾太郎)