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大阪家庭裁判所 昭和47年(家)1189号 審判 1973年6月30日

申立人 岩田宏子(仮名)

相手方 岩田勝(仮名)

主文

相手方は申立人に対し金三一万七、〇〇〇円を昭和四八年七月三一日までに、及び昭和四八年六月一日以降申立人と相手方の別居解消または婚姻解消に至るまで毎月金二万五、〇〇〇円を毎月末日までにそれぞれ支払え。

理由

一、申立人は、相手方に対し、婚姻費用の分担として毎月相当額の金員の支払を求めた。

二、婚姻関係の経過について

本件の調査結果並びに関連記録を総合すると、下記の事情が認められる。

(1)  申立人と相手方とは、昭和四四年一一月に見合をした。申立人は三人姉妹の長姉としてサラリーマン家庭に育ち、短期大学を卒業して会社に就職していた。相手方は一人息子として同様にサラリーマン家庭に育ち、大学を卒業して会社に就職していた。当事者双方が結婚を決意する過程において、相手方の両親と申立人らが同居するかどうかについて特別に協議されたことはなく、相手方の希望にそつて両親と同居することに異存なくきまつた。

(2)  申立人と相手方とは、昭和四五年四月九日結婚式をあげて相手方の住所で結婚生活に入り、同年六月三日に婚姻の届出をすました。ともに初婚であつた。住居は木造二階建であり、申立人と相手方とがその二階全部を、相手方の両親が一階をそれぞれ使用した。申立人は就職しないでもつぱら家事を担当し、間もなくして家計も預かるようになつた。家計は相手方の給料から約四万円と相手方の両親から約二万円の合計六万円位でまかなわれ、毎日の食費や光熱費などにあてられた。当初、炊事は申立人が相手方の両親の分も一緒にしていたが、料理についての考え方のくいちがいや相手方の父の食餌療法の関係もあつて次第に一つの台所で別々にするようになつた。また日常生活でも申立人と相手方の母とは、ごくささいなことで時々対立し、互いに不快な思いをしていた。申立人はこのことを夫である相手方に相談して解決するということまではせず、相手方とその父が会社に出勤したあとの家事の相間を、二階に上るか外出するかして、在宅勝ちの相手方の母と一緒に過すことをひかえるようにしていた。

(3)  昭和四五年七月二〇日頃から相手方の父が病気(胆嚢炎と胃腸炎という。)で会社を休んで自宅で療養するようになつてから、相手方の両親は自分達の部屋で過すことが多くなり、食事も別個にし、申立人との会話も用事だけの程度になつてきた。このような家庭環境にあることに緊張を感じ続けた申立人は、同年八月頃相手方の諒承をえて現住所にある申立人の実家に帰つた。そして、相手方に対してその両親と別居して生活することを求めた。仲人らも参加して当事者間で話合がなされ、相手方の父の病気や申立人の妊娠の事情などが考慮された結果、申立人は同年一〇月初頃相手方のもとに帰つてきた(しかし、この時点での話合で当事者双方がこれから何をどう改善することになつたのか、という点については詳らかでない)。その後も、申立人と相手方の母との折合は好転せず、申立人は稽古事や友人宅へなどと外出することが度々となつてきた。時には外出して帰宅の遅いことを相手方が申立人に詰問して口げんかになることもあつた。同年一二月中旬頃相手方の上司が相手方の父の病気見舞に来宅した際、その接待のことで申立人と相手方の母とが衝突し、相手方の母は休んでいた床から起きて接待に出たことがあつた。

(4)  医師から流産予防のため静養をすすめられていた申立人は、昭和四六年一月一五日相手方の諒承をえて実家に帰つた。

同年二月三日申立人は病院からの帰途相手方のもとに立寄つて一泊したが、このとき当事者間で今後の婚姻生活についてかなりに徹底した話合がなされ、申立人は相手方に対しその両親と別居して生活することを切に求め、これに対し相手方は申立人に対し両親の老齢と病弱を訴えて同居を固執して譲らず、このため問題は別居か離婚かの形になつてしまい、翌四日申立人は相手方に対し問題の再考と選択を求め、かつ、その選択の結果については申立人にも覚悟がある旨の置手紙を残して実家に帰つた。このころから相手方は申立人との離婚を考えるようになつた。

その後も話合は電話などで続けられ、同年三月四日申立人は早産しそうになつて病院で手当を受けたことがあつたのち、同月一四日喫茶店に当事者双方及び仲人らが集つて離婚か別居かということで話合がなされたが、まとまるに至らず、同月一六日相手方は申立人の荷物を整理していて手帳を発見し、これで申立人の婚前の男性関係を知つたとして、離婚の気持をより一層強めたという。申立人は、同年四月一〇日頃相手方のもとから申立人の荷物(ただし、身回り品)を実家に持つて帰つた。このなかに約三万円の預金通帳(相手方名義)と約七万二、〇〇〇円の預金通帳(申立人名義)が含まれており、いずれも相手方の給料から預金されたものである(なお、すでに生活費に費消ずみ)。

申立人は同年五月二一日長男を出産し、相手方は滋と命名して出生届をしたが、このとき相手方は申立人と長男に一度位面接しただけであつた。

同年七月一七日、料亭に当事者双方及び仲人らが集つて離婚問題の話合がなされたが、このときも結論が出るまでには至らなかつた。そして、このころ、申立人は長男を連れて相手方のもとに一度戻つたが、相手方の母からは冷たくあしらわれ、相手方からも一緒に生活する気持はない旨告げられたため、即日実家に帰つた。

(5)  相手方は、昭和四六年九月九日神戸家庭裁判所尼崎支部に申立人との離婚を求める旨の調停を申立てた(同庁昭和四六年(家イ)第四三一号)。一方、申立人も同年九月一一日大阪家庭裁判所に婚姻費用分担を求める旨の調停を申立てた(当庁昭和四六年(家イ)第二八九一号)。相手方の申出により上記第四三一号事件は当庁に移送され、当庁昭和四六年(家イ)第四〇九八号事件として係属した。

各調停期日では、解決のための具体的な条件が彼此検討されたのであるが、しかし終局的には申立人は婚姻の継続を、相手方は離婚を各主張して譲らなかつたため合意の成立を見るに至らず、昭和四七年五月一三日両事件とも不成立に終つた。そして、上記第二八九一号事件は本件審判手続に移行した。また、相手方は同月二六日申立人を被告として離婚訴訟を大阪地方裁判所に提起した(同庁昭和四七年(タ)第一二〇号)。

なお、昭和四六年一二月一四日の調停期日において、暫定的に長男のミルク代として同年六月分以降毎月金八、〇〇〇円を相手方において申立人に対し支払う旨の話合が成立した。よつて相手方は同年六月分から昭和四七年五月分までの分の支払を実行し、以後は上記の預金で充当されたものとしている。

(6)  調停不成立後、当事者本人間での話合は中絶したままになつていたところ、昭和四七年一二月一七日頃相手方は仲人を介して予告しただけで申立人の荷物(嫁入道具)を申立人の実家に送つたが、申立人はその受取を拒絶した。そのため荷物は相手方の友人の納屋に保管されることになつた。

(7)  ところで、相手方の父(明治四一年七月二七日生)は、上記(3)に記載の疾病により病気休暇に入つてから昭和四六年に休職になり、同年五月二五日から同年九月二四日まで病院で入院治療を受け、昭和四七年一月退職し、現在概ね健康を回復している模様であり、無職であるが年金、配当などで生計を立てている。相手方の母(明治四二年五月一五日生)は、神経痛で右半身を使い過ぎると痛みが出るが、日常生活は普通にできるということである。

三、以上の認定事実にもとづいて考えるに、申立人と相手方との婚姻生活が破綻的な夫婦別居といいうるような事態にまで悪化した要因として、申立人と相手方の母との不和並びにこの解決にあたつての当事者双方の確執を指摘することができる。申立人と相手方との夫婦仲は、昭和四六年一月の別居までは、悪いというほどのものではなかつた。ただ、申立人と相手方の母とがいわゆる主婦権をめぐつて対立したというよりも、いわば世代の相違ということから物事の考え方にずれがあり、これを互いがことさらに意識し合い、性格的な面でも馬が合わないというのか、反発するところがあつて、不和を来したものといわざるをえない。この不和の解消にあたつて昭和四五年八月の一時別居までに申立人のとつた態度は消極的であり、夫婦の問題としてこれを受止め相手方と協力して対処すべきであつたといえる。同年一〇月初頃以降の同居生活は、当事者双方の話合の結果によつて出発したにも拘らず、双方(両親を含めて)ともに円満な共同生活を回復しようとする努力の跡はほとんど認められず、このなかでも申立人の非協調的な言動が目につくのである。一月の別居は、申立人の健康上の理由から相手方の諒承をえてなされたものであるから、もとより正当である。しかし、その後の別居生活は、話合のこじれによつて、離婚か別居かの紛争に覆われてしまつたのである。

思うに、夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない(民法七五二条)と同時に、直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない(民法七三〇条)とされている。だから、夫婦にとつて同居ということは婚姻生活の基礎をなすものであり、この基礎の上に立つて親族間の扶け合い義務(ただし、別居の場合は申立人については民法七五二条の規定による義務として)を考慮しなければならないことになる。それでは、相手方の両親が相手方の援助を具体的にどんな形でどの程度に必要としたかである。相手方の主張する両親の老齢と病弱の点からは、上記二の事情のもとでは必ずしも常に同居による援助を必要としたとはいえないが、相手方の父の五箇月に及ぶ入院に対しては適切な手当がなされるべきであつたわけであり(この点、申立人にどのような配慮があつたか詳らかでなく、置手紙の件でみられるように、申立人には自己中心的、短絡的な嫌がある)、少なくともいわゆるスープの冷めない距離での親密別居ということが進んで検討されて然るべきであつたといえる。そうすると、相手方が父母との同居を固執したことは、余りにも自己の主張に拘泥するものであり、妻の置かれた立場を理解し夫としての自己の役割をどれだけ認知していたのか多分に疑問があり、そして、申立人が両親との同居に応じないからとして、婚姻生活を維持するための努力を惜しみ、早々に婚姻継続の意思を無くしたとして申立人と長男を迎え入れず、また荷物を送り付けるなどして拒否的な態度に出たことは相当でなく、婚姻関係の破綻を決定づけたものといわざるをえない。

かくして、円満な夫婦共同生活の回復は期待すべくもない現状であつて、婚姻生活は破綻したものと認めざるをえない。そして、以上を総合すると、婚姻破綻の責任は当事者双方にあるが、相手方の方が申立人よりもやや大きい責任を負うものということができる。

そうだとすれば、婚姻破綻の責任が当事者双方にある以上、婚姻が破綻しているからといつて相手方が全面的に婚姻費用分担義務を免れるということは許されず、一方、申立人については自己にも責任がある以上、相手方の収入に応じて相手方と同程度の生活を維持するに足りる婚姻費用を請求することは許容されず、その責任の程度に応じて分担額の範囲を削減されることになる。というわけは、婚姻費用分担は、本来、夫婦共同生活体を基礎とし、その生活は相互に協力扶助義務をつくすことによつて営まれるべきものとされており、正当な事由もなくこれらの義務の履行に欠けるところがあれば、それに応じた内容の婚姻費用分担額とならざるをえず、義務履行に欠ける者とそうでない者とを同等に扱うことは、公平に反する結果となるからである。ただし、長男の生活費については、夫婦間の事情によつて左右されるべき筋合ではなく、それぞれ親として、申立人は養育監護の実際を、相手方はその費用を分担するという関係に立つのであるから、相手方は長男の分につき自己と同程度の生活を維持するに足りる費用を婚姻費用の一部として分担しなければならない。

四、当事者双方の生活状況

本件の調査結果並びに関連記録を総合すると、下記の事情が認められる。

(1)  申立人は引続き実家に居住して長男を養育している。その同居家族は申立人の両親と妹二名となつていて、父と次妹とが会社員として働いており、世帯は家族と一緒にしている。申立人は現在まで就職していないので定収入はなく(なお、申立人は長男が幼稚園に行くようになつたら就職したいとしている)、上記の養育料一か月金八、〇〇〇円並びに預金の引出や両親からの援助で生活を維持してきた。申立人の従来の家計費の実情は詳らかでなく、申立人提出の資料では、昭和四七年六月分の支出関係は金五万一、〇〇〇円となつているが、これを裏付ける資料に乏しいので、実態に即したものと直ちに受取ることはできない。また、他に臨時、多額の出費は見当たらない(なお、長男の出産費については別途に話合によつて解決されるべきである)。

(2)  相手方は引続きその両親と同居している。家計は、申立人との別居後も両親と共同でしており、相手方のつぎの収入の大部分と父の年金収入月額約二万円とでまかなわれてきた。相手方の収入(給与所得)は、毎月支払を受ける給料の総支給額から各種社会保険、税金、組合費、共済会費及び立替金(暮しの保険、昼食代、慶弔費、雑費で最近では毎月一万一、〇〇〇円ないし一万三、〇〇〇円位となつている)の諸控除額を差引いた実収入についてみると、

昭和四六年一月分から同年一二月分 合計金 七一万五、二〇七円

昭和四七年一月分から同年一二月分 合計金 八二万三、二七三円

昭和四八年一月、二月分      合計金 一四万〇、六一〇円

となつており、さらに年間臨給(ボーナス)につき失業保険料、所得税を控除した差引支給額をみると、

昭和四六年度分(六月、一二月) 合計金 三一万六、六八二円

昭和四七年度分(六月、一二月) 合計金 三六万六、五三二円

となつており、従来、年間臨給の大半は貯蓄にあてられていた模様である。

相手方の従来の家計費の実情は詳らかでなく、相手方提出の資料では、昭和四七年六月分の支出関係は金九万二、九九七円となつているが、これを裏付ける資料に乏しいので、実態に即したものと直ちに受取ることはできない。なお、相手方は毎月交際費として申立人が同居していたころから現在まで毎月金一万円位を給料からあてており、また住居費については建物と敷地が相手方の父の所有であるので固定資産税として月平均で金二、六四〇円を家計から支出していた。そして、他に臨時、多額の出費は見当たらない。

五、そこでまず婚姻費用分担額算出のための基礎となる収入を検討するに、相手方の平均月収については、年間臨給分をその使途からみてこれを除外して算出するのが相当であるから、年間実収入を当該月数で除することとし、昭和四六年度で約五万九、六〇〇円、昭和四七年度で約六万八、六〇〇円、昭和四八年度で約七万〇、三〇〇円となるが、上記の立替金の一部と交際費は、いわゆる職業所要費とみることができるので、平均月収から交際費の一万円を控除した(立替金は会社で控除ずみ)ところの、

昭和四六年度 月額 約四万九、六〇〇円

昭和四七年度 月額 約五万八、六〇〇円

昭和四八年度 月額 約六万〇、三〇〇円

をもつて、毎月の婚姻費用分担額算出のための基礎となる金額とみることができる。

つぎに、上記の月額をどのような基準によつて配分すべきであるかということが問題になつてくる。通常、婚姻費用分担請求者に婚姻破綻の責任がない場合には、各人の生計費に応じて按分することが考えられるが、本件では申立人にも破綻責任がある場合であるから、この方法によるのは相当でない。そこで、ここに一応最低生活費の目安として、厚生省の生活保護基準額表により生活保護費を算出してみると(第I類と第II類(冬期加算と期末一時を除く)の合計額による)、つぎのとおりであるが(同表は最近では毎年四月一日付で改定されている)、従前申立人が同居していたときも上記のとおり相手方の両親と家計を共同にしていた事情などに鑑み、相手方についてはその両親の分を含めて算出した。

申立人と長男の二人の場合 昭和四六年六月分 一万七、四六五円

昭和四七年四月分 一万九、九三〇円

昭和四七年五月分 二万一、五六〇円

(長男一歳となつたため)

昭和四八年四月分 二万四、六一〇円

相手方と両親の三人の場合 昭和四六年六月分 三万一、七九五円

昭和四七年四月分 三万六、二六五円

昭和四八年四月分 四万一、三八〇円

そして、相手方がその両親と家計の収入(四万円+二万円)を共同にしてきた事情に鑑み、毎月の婚姻費用分担額算出のための基礎となる金額に各二万円を加算した金額をもつて、具体的な分担額を算出する場合の対象とすべきである。

よつて、上記の生活保護費の金額と具体的な婚姻費用分担額算出のための対象となる金額とをそれぞれ対照し、これに婚姻関係の経過、その破綻責任の度合、長男の養育状況、親族より受けている援助の実情、その他一切の事情を勘案して、本件分担額を決定するのが相当であると認める。そうすると、結局、相手方が申立人に対して婚姻費用の分担として毎月支払うべき金額は、昭和四六年六月分から同年一二月分までは毎月金一万八、〇〇〇円あて、昭和四七年一月分から同年一二月分までは毎月金二万二、〇〇〇円あて、昭和四八年一月分から別居または婚姻の解消に至るまでは毎月金二万五、〇〇〇円あて、と認定するのが相当である。

おつて、申立人は婚姻費用分担の調停を昭和四六年九月一一日に申立て、分担の始期を明示していないが、その趣旨は別居時以降と解しうるものの、本件調停事件の経過及び暫定的な養育費取極の経緯並びに別居前後の事情を斟酌すると、昭和四六年六月分以降の婚姻費用の分担を認めるのが相当である。また、申立人の生活費の不足分は、申立人の預金の引出やその両親からの援助によつて補うことにならざるをえないが、申立人自身も今後就職するなりして自己の生計を維持するよう努力しなければならないこともまた当然である。

以上の次第であるから、相手方は申立人に対し、婚姻費用分担金として、すでに履行期の経過した昭和四六年六月分から昭和四八年五月分までの分は、合計金五一万五、〇〇〇円となるところ、上記のとおり養育料として昭和四六年六月分から昭和四七年五月分まで合計金九万六、〇〇〇円を支払ずみであり、かつ、上記の預金二口の合計を金一〇万二、〇〇〇円をみてこれを分担金に充当することとしたので、これらを控除したところの残額金三一万七、〇〇〇円については昭和四八年七月三一日までに支払うべきものとし、さらに、昭和四八年六月一日以降別居または婚姻の解消に至るまで毎月金二万五、〇〇〇円あてを毎月末日までに支払うべきである。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 福島敏男)

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