大阪家庭裁判所 昭和50年(家)3315号 審判 1976年7月09日
申立人 松沼哲司(仮名)
主文
遺言者岡田宏二郎が昭和五〇年一一月二二日別紙記載の趣旨の遺言をしたことを確認する。
理由
一 本件申立の要旨
遺言者岡田宏二郎は大阪○○病院に入院中のところ、死亡が危急に迫つたので、昭和五〇年一一月二二日同病院において証人松沼哲司(申立人)、同谷沢美枝、同杉山登美茂、同松本よしゑの立会のもとに別紙記載の遺言を行い、松沼哲司がこれを筆記し、各証人はその筆記の正確なことを承認してこれに署名押印した。
そこで、申立人は別紙記載の遺言書の確認を求める。
二 本件申立後の経過
本件申立は昭和五〇年一一月二六日当庁になされたが、遺言者は同年同月二八日、上記病院において死亡した。
三 当裁判所の判断
1 岡田宏二郎の原戸籍および戸籍の謄本、公証人町田四郎作成の遺言公正証書(昭和四七年第八六七九九号)謄本、加来弘臣作成の診断書、岡田宏二郎についての外来カルテ、入院カルテ、手術日誌、昭和五〇年一一月一四日以降の看護日誌、診療費明細書、参加人岡田充子、松本よしゑ、谷沢美枝各作成の各上申書に、杉山登美茂、松本よしゑ、谷沢美枝、岡田充子、岡田善之助、医師加来弘臣および申立人に対する各審問の結果を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 遺言者は明治四〇年八月四日生れ、昭和一二年五月八日に妻充子と婚姻し、夫婦仲も円満であり、また、昭和一六年に設立した岡田○○株式会社の経営も順調であつたが、充子との間に実子なく養子縁組をした章一および昭江夫婦とも別居し、充子との二人暮しをしていた。
(2) 遺言者は昭和五〇年六月二六日から三日間大阪○○病院のいわゆる人間ドツクに入院して検査を受け、その際、胃潰瘍の瘢痕、すい臓炎、動脈硬化等の症状が認められたけれども、早急な治療を必要とする程の状態でもなかつたので、以後通院しながら経過を観察していたところ、同年八月二九日の診察時に白血球数の異常な増加(正常値五、〇〇〇~八、〇〇〇であるのに、四〇、〇〇〇を測定)が認められたため、同年九月一日胃潰瘍および白血病(正式の病名は単核細胞性白血病であると、同年一〇月三日に認定)の病名で、同病院に入院した。そして、同年九月六日胃切除手術を施行し、また、同年一〇月三日からは白血病に対して、抗白血治療を行つた結果、一時小康を得たので同年同月三一日一旦同病院を退院した。しかし、遺言者は退院して間もない同年一一月一三日には黄疸が発症したので同月一四日同病院に再入院し、以後、死亡する同年同月二八日まで、同病院において、単核細胞性白血病、胃潰瘍切除後胃症兼陳旧性梅毒、術後神経症、肝炎兼肝性こん睡等の病名で治療を受けていた。
(3) 遺言者は再入院時、黄疸が認められ、白血球数も増加し、全身倦怠感著しく、衰弱が激しい状態であつたが、この状態は同月一九日頃までさしたる変化もなく継続した。そして、同月二〇日頃からは更に全身倦怠感著明となり、また食欲もなく、活気もなくなるなど全身症状が悪化したばかりではなく、重篤な肝疾患において出現することのある肝性昏睡の一症状である、はばたき振顫が見られるようになり、これは同月二二日頃まで継続した。しかし、この間、意識状態に特に混乱があることはなく、看護婦らの身体状況等に関する問いかけに対しては一応正確な返答をなし得る状態であつた。同月二三日頃からは遺言者の全身症状は次第に悪化し、同月二八日午前一時五分死亡するに至つたが、二三日以後死亡までの意識状態は日によつて清明となつたり興奮状態となつたりするなど一定してはいなかつた。
(4) こうした状況の中で、昭和五〇年一一月二一日夜看病のために、遺言者の甥である岡田善之助が遺言者の病室に宿泊したが、同夜遺言者と善之助との間で遺言書作成の話が出たので、その翌日である二二日、善之助は二男貞夫を通じて弁護士である申立人に遺言書の作成を依頼し、同日午前一一時頃から約一時間にわたつて遺言者の病室内において本件遺言書が作成された。作成時、同室内には申立人の外、本件遺言書に証人として署名した杉山登美茂、松本よしゑ、谷沢美枝(看護婦)、および遺言者の妻充子、上記岡田善之助、善之助の子洋一郎らがいたが、遺言者は申立人の問に対し、不明瞭かつ小声ではあるが本件遺言書の内容と同趣旨の返答をし、これに基づいて申立人が遺言書を作成し、遺言者および各証人に読み聞けをしたところ、遺言者もこれに対してうなづいたので、各証人が遺言書に署名押印した。なお、遺言書作成時、遺言者は酸素吸入はしていなかつた。
2 以上認定の事実によると、遺言者が上記病院に再入院した後、死亡に至るまでわずか二過間であり、この間の遺言者の病状は極めて重く、ただ病気と闘うことで精一杯の状態であり、また、その意識状態についても特に混乱がなかつたとはいえ、当時、遺言者にははばたき振顫が認められ、それがある以上昏睡状態ではないまでも昏睡の近いことが予測される状態なのであるから、総合的判断力は相当程度低下していたと認められる。そうすると、本件遺言者について自己の財産の処分等につき、適正な判断を十分になし得る状態であつたかという点については、甚だ疑問の存するところである。
しかしながら、危急時遺言については遺言者の精神的、肉体的能力の低下はある程度予想されるものであるから、遺言者の真意の有無を判断する際に、心身ともに健全な人間の客観的、合理的な判断力を基準とすべきではなく、精神的、肉体的に限定された状況下ではあつても、当該遺言者なりの自由な意思の表示である限りは、これを遺言者の真意であると認めるべきであると考える。
これを本件について考えるに、本件遺言をなした当時の遺言者の心身の状況は上記のとおり極めて重篤であり、判断力の相当の低下はあつたものと考えられるけれども、未だ自由な判断をなし得る状態であつたというべきである。してみると、本件遺言書は遺言者の真意に基づいて作成されたものということができる。
よつて、別紙記載の遺言は遺言者の真意に基づくものであることを確認し、主文のとおり審判する。
(家事審判官 佐野久美子)