大阪簡易裁判所 昭和34年(ハ)603号 判決 1960年4月15日
原告 橋詰一男
右代理人弁護士 鮫島武次
同 中村健太郎
被告 谷沢常一
右代理人弁護士 能勢喜八郎
主文
大阪簡易裁判所昭和三十二年(1)第一一五号所有権移転登記抹消登記手続調停事件の執行力ある調停調書正本に基く被告より原告に対する強制執行は許さない。
訴訟費用は被告の負担とする。
本件について当裁判所がさきに発した強制執行停止決定は認可する。
前項に限り仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は主文第一、一項同旨の判決を求め
その請求原因として
一、原告は昭和三十年十二月被告から金百三十万円を利息一ヶ月三分弁済期三ヶ月の約定で借受けその担保として原告所有の
大阪市北区曽根崎中一丁目三九番地の一
一、宅地 二十四坪三合四勺
右地上
一、木造瓦葺二階建店舗一棟
建坪 十坪四合四勺 二階坪八坪二合八勺
に対し所有権移転請求権保全仮登記をしたところ被告は未だ登記原因が発生しないのに拘らず原告の委任状等を所持するのを奇貨として昭和三十一年三月十五日代物弁済を原因として原告に無断で之を被告名義に所有権移転登記をした事実を発見したので原告は大阪地方裁判所に右登記の抹消登記請求の訴訟を提起した。
二、右訴訟は大阪簡易裁判所の調停に回付せられ同裁判所昭和三十二年(ノ)第一一五号調停事件として調停せられ昭和三十二年九月二十七日調停が成立した。
右調停条項の主要な部分は
1 原告が被告に対して昭和三十四年三月十五日までに金二百三十万円を被告代理人能勢弁護士事務所に持参支払したときは被告は前記所有権移転登記を抹消して原告に返還すること。
2 原告が右期日までに前記二百三十万円の支払をしなかつたときは前記物件は被告の所有と確定し原告は同物件を被告に明渡すこと
であつた≪以下省略≫
理由
調停条項に依る弁済期限が昭和三四年三月一五日であつたのを同月末日まで猶予せられたことについては当事者間争がない。
一、しかし原告は右期限を更に二、三日の猶予を受けたものであると主張し被告は之を否認するから、この点について判断する。
イ 証人安田正一の証言に依れば、同人が原告及坂下新一と共に昭和三四年三月末能勢弁護士事務所へ行つた際「三、四日は待てるでしようね」と尋ねたら同弁護士は「それ位なら待つてやる四月五日位までに金を作つて来なさい」と答えたと証言し
ロ 証人坂下新一は、三月三一日に同人、原告及安田正一と能勢弁護士方へ行き「明日全額持つて来るから待つてもらいたい」と頼んで帰つた、そのとき「四月五日まで待つてやろう」ということは聞かなかつたが「金さえできたら話をしてやる」というた旨証言し
ハ 原告本人は、三月三一日までには金策の見込がないのでその前日三〇日に安田正一、坂下新一と共に能勢弁護士を訪ねて四、五日猶予してほしいことを頼んだところ「早く現金を持つて来い」と言われた、次に三一日に右安田と二人で再び同弁護士に四、五日間の猶予を乞うたら「とにかく金をこしらえて来い」と繰返し言われたと供述し
ニ 証人安田は、四月二日に原告、坂下、岡本徳三郎の四人で能勢弁護士の自宅へ小切手を持つて行つたところ同弁護士は「小切手ではいかんから現金を持つて来なさい、一、二日遅くてもよいからとにかく現金を持つて来たら松本に話をしてやろう」と言いました、と証言し
ホ 証人坂下は四月二日岡本、安田、原告等の四人が能勢弁護士自宅へ小切手を持つて行つたところ同弁護士は「松本のところへ行つてくれ」というたので「あなたは代理人だからあなたから松本に話してくれ」と頼んだが結局証人等に松本の家へ行けというて受取つてくれなかつた、と証言し
ヘ 証人岡本徳三郎は、四月二日に能勢弁護士方へ四人連れで小切手を持つて行つたところ同弁護士は「松本に相談せねばならん」と言うて受取つてくれなかつたそのとき原告等三人はそれでは約束が違うということを極力主張していた。
同弁護士は「期限に遅れているから駄目だ」ということは言わなかつた、旨を証言する。
以上掲記の如く三月末と四月二日とにおける各証言が証人により区々であつて就中イの証言に依ればあたかも四月五日までの猶予を受けたものの如く受取れるところ、右証言は
ロの如く証人坂下は「四月五日まで待つてやろう、とのことは聞かなかつた」旨証言し
ハの原告本人も四月五日まで猶予を受けた事実については何の供述もしないこと、と
イの証言が真実であつたとすればニ、ホの如き小切手不受領の問題も生じない筋合であること、
に徴し措信できない
そこで右ロ、ニの証言とハの供述を綜合すれば同弁護士の右証人等に対する返事は「とにかく現金を早く持つて来い、持つて来たら松本に話(受領についての交渉)をしてやろう」というに在て協力することについての好意あることを認め得るのであるが、この外に二、三日の猶予を承諾した事実も自ら受領することを約した事実も認められない、さればへの証書「それでは約束が違う、ということを極力主張していた」との如き事実のあろう筈もない、従つて原告主張の如き四月二、三日頃まで支払の猶予を受けたものであるとの事実は肯認できない。
二、しかし原告が四月二日夜右弁護士宅へ額面二百五十万円の小切手を持参した事実は前記証人等の証言に依り肯認できる。
そこで右四月三日の現金の提供が果して債務の本旨に従いたる提供であるかどうかについて考えるに
イ 理論上よりすれば原告の債務履行期限は猶予の結果三月末日までであつたのであるからこの期限に遅れた四月三日の提供が債務の本旨に従つた履行と言い得ないことはまことに明かである。
ロ しかし一方原告は当初の履行期三月十五日の履行に間に合うように前以て近畿相互銀行あるいは大阪相互銀行福島支店に金借の手配をしたのであるが期限までに実現できないおそれがあつたため更に原田某に借用方を申入れたところ余りに高利であるため已むなく之を断わつた事実と遂に銀行よりの借入を待たず訴外岡本徳三郎を介して訴外神野宅佑より借入れる手配をしてこの結果四月二日額面二百五十万円の小切手の交付を受け之を同夜能勢弁護士自宅へ持参し、翌三日現金化して同弁護士事務所へ持参したものであることが夫々前記証人三名及原告本人の供述に依つて認められる。
ハ されば右四月三日の提供は結果からみれば金策の拙劣であつたこともうかがえるが原告本人は前記能勢弁護士の好意的協力の意企を真解せずに前項ハに記載の如く現金さえ持参すれば遅れても受領してもらえるものと早合点したものと認められる点もあり更に二百三十万円乃至二百五十万円という金額の金策が意の如く易く短期間内に出来得るとも思われないことからして原告が履行のために努力したものであることが推知できるから原告の怠慢の結果遅延したものとは思われないされば仮令三日間の遅延(中間二日)を生じたとしても本件の場合においてはそれは信義に従つて誠実に為したものと看るのを相当とする。
ニ してみれば被告は右四月三日の提供を受領すべきであつたのに之を履行遅滞であるとして受領しなかつたのは却つて被告側に受領遅滞があるといわねばならない。
三、原告が四月十六日に金二百三十万円を弁済のため供託したことは被告の認めるところである。
されば右供託は前記認定の如く原告の提供は適法の提供であつたから被告は之を受領すべきであつたのに受領を拒んだため供託したものであること明かであるから右供託は有効なる供託といわねばならない。
してみれば原告は右供託に依り本件調停調書に基くその債務を履行した訳であるから被告に対する債務は消滅したものであること明かである。
従つて被告の右調停調書の執行力ある正本に基く原告に対する強制執行は許されないものであることも又明かであるに依り原告の本訴はその理由がある。
依て本訴を正当として認容し民事訴訟法第八九条第五四八条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 本田武蔵)