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大阪高等裁判所 平成元年(ネ)2352号 判決 1992年7月30日

控訴人

東喬

金城実

日根英一

宮入昭午

山本幸美

和田洋一

右控訴人六名訴訟代理人弁護士

井上二郎

大川一夫

中北龍太郎

矢島正孝

上原康夫

被控訴人

右代表者法務大臣

田原隆

右指定代理人

高山浩平

外六名

被控訴人

中曽根康弘

主文

一  本件各控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、各自、控訴人らに対し、それぞれ金一〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一・二審とも、被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

主文と同旨

三  被控訴人国

仮執行宣言を付するときは、担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

次に付加する外は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人らの主張)

一  本件訴訟は、昭和六〇年八月一五日に、当時の内閣総理大臣被控訴人中曽根康弘(以下、「被控訴人中曽根」という。)が靖国神社を公式参拝したことにより、戦没者として同神社に肉親を合祀されている控訴人ら遺族が、同公式参拝は、日本国憲法の定める政教分離原則、信教の自由の保障、平和原則、個人の尊厳に反するものとし、これにより、精神的損害を受けたとして、その賠償を求めるものである。それと同時に、国民主権原理に支えられた国民の国家機関に対する民主的統制の観点に立ち、とりわけ国家賠償制度のもつ国家機関の違法行為抑止機能と、裁判所が、違憲審査制によって有する憲法秩序保障機能に着目し、本件損害賠償請求を通じて、本件公式参拝の如き重大な違憲行為の抑止をも目的とするものである。

裁判所は、憲法違反の行為が、明白であり、かつ、国民の精神的自由権の侵害が問題となる場合には、その事態を放置することによって、憲法体制が破壊することを防ぐために、違憲立法審査権に基づき、積極的な司法判断を示さなければならない。

二  本件公式参拝の違憲性

1 被控訴人中曽根は、本件公式参拝を挙行するに当り、事前に供花の配置を打ち合せて、これを本殿に供え、参拝の方式についても、予め靖国神社の了解を取りつけた上で、神官に導かれて本殿に至り、内閣総理大臣として、公式に、その内陣深く進み入り、同神社独特の霊体(霊璽)に向って直立し、黙祷の上深く一礼を行った。その方式は、正式参拝の方式ではないとしても、宗教施設である靖国神社の許容する方式で拝礼した以上、その目的をどのように飾っても、神道の宗教的儀式であることを否定することはできない。

政教分離の原則は、公権力が、当該宗教の方式にかなった儀式を行うのを禁止しているのみではない。靖国神社に祀られている戦没者に対する追悼を目的とする参拝は、とりもなおさず、同神社の祭神に対する畏敬崇拝の念を表す宗教的行為であり、追悼と拝礼とは、不可分一体で、これを分別することはできない。本件公式参拝が、国家機関の宗教的活動を禁止した憲法二〇条三項に違反する重大な違法行為であることは明らかである。

戦前、「神社は宗教に非らず。」との詭弁の下に、国家神道体制が正当化されていたが、本件公式参拝をもって、宗教行為に非らずとする主張は、正に、戦前の政府の詭弁と軌を一にするものに他ならない。

2 本件公式参拝は、特有の神道観念に基づいて、靖国神社に祭神として合祀され、国家の英霊と位置づけられている死者に対する国家の慰霊行為である。

靖国神社は、かつて、神道上、最高の祭祀者であった天皇から特別の待遇を受け、陸、海軍省の管轄のもとにあって、他の神社に比べ、超越的な優位をしめ、全国各地の護国神社・忠魂碑を従える巨大な神社群の頂点に位置していた。「靖国神社忠魂史」には、「国家非常の秋に際して、二つなき一身の生命を国家の生命に継ぎ出した靖国神社の祭神は忠勇義烈の御霊であり忠君愛国の全国民精神を表現し給うところの神である。」と記されている。国民にとっては、天皇のために忠義を尽くし、天皇の名による戦争で、一命を捧げることが、「臣民」としての当然の義務であり、名誉であるとされた。靖国神社は、戦没者を、続々と新祭神として合祀し、発展し続け、天皇の参拝を受けるという「臣民」として至上の「栄誉」を与えられた。国民教育のうえでも、靖国神社に祀られている軍人は、国家的英雄として讃えられた。このようにして、靖国神社は、軍国主義の精神的・教育的基盤となったのである。

戦後、神道指令と政教分離を定めた憲法によって、靖国神社国家護持体制は破壊したが、靖国神社の本質的な性格は、何一つ変らず、今もなお、戦没者を、祭神=国家の英霊として祀り、顕彰する神道施設であり続けている。そのことは、靖国神社自らが、「尊い生命を、国家に捧げられた二四六万余の同胞を御祭神としてお祀りしている・・・靖国神社では、世相の推移とは関係なく、ご創建以来百十数万に及ぶ伝統の祭祀を日夜励行して英霊を顕彰し、奉慰して今日に至っている。」と自己規定していること、昭和二七年九月制定された宗教法人靖国神社規則も、その目的を、「本法人は、明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基づき、国事に殉ぜられた人々を奉斉し、神道の祭祀を行い、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇拝者を教化育成し、社会の福祉に寄与して、その他本神社の目的を達成するための業務事業を行うことを目的とする。」と定めていることからも明らかである。

また、戦争の重大な責任者であった戦犯を、国家のために殉じた昭和殉難者と呼称して合祀してもいる。戦前戦後を通じ、戦死者を英霊と評価し顕彰するのは、過去の戦争を聖戦として肯定する歴史観と、不可分一体のものである。

このような靖国神社に公式参拝することは、国家が、祭神(英霊)を慰霊し、畏敬崇拝することに外ならず、国家自身の手によって、戦没した死者を、国家の英霊として意味づけること、すなわち、国家が靖国神社の神道観念=英霊思想に加担し、それを容認するものであり、かつ、その意味づけを、公然化する行為である。

3 わが憲法は、二〇条一項後段・三項、八九条によって国家と宗教との完全な分離の立場をとっている。右各規定は、比較法的にみても、世界に類のない程の絶対的な国家と宗教との分離を要請していると解される。これは、過去の国家神道体制の下で、内に言論、出版、集会の自由等あらゆる精神的自由が抑圧され、外に侵略戦争という、苦い歴史的経験を経たことに鑑みて、設けられたもので、その経緯に照し、国家と神社神道、とくにその支柱であった靖国神社とのあらゆる結び付きを否定するものである。国家神道、とくに、靖国神社と国家との結合の解体は、政教分離原則の本質的要素であった。靖国神社と国家との結合の禁止は、国家が靖国神社の神道観念に基づく死者を英霊とする意味づけに加担しないところに本質がある。なぜなら、国家が戦没者を英霊と祀りあげることによって、軍国主義の精神的基盤を形成する危険を抑止することに、政教分離原則の本来的な意義があるからである。

したがって、国家が、本件公式参拝によって、靖国神社の英霊思想に加担し、それを公認することは、政教分離原則の著しい侵害であることは明白である。

4 政教分離原則に違反するか否かの判断につき、津地鎮祭違憲訴訟最高裁判決の採用した目的効果基準は、これを国の行う宗教的活動に適用するのは相当でなく、仮に適用するとしても、厳格に解釈すべきである。国の行為が政教分離原則に違反するか否かは、客観的にその行為の意義を考えて判断しなければならず、宗教的多数派に対し、国が支持しているとみられる外観を作り出す行為は許されない。なぜならば、多数派の国民と宗教上の意見を異にする少数者の自由を保障するうえで、政教分離原則は、不可欠の制度であり、その厳格な解釈が要請されるからである。

わが国特有の宗教意識の雑居性や多重信仰を前提とした社会通念を振りかざして、政教分離原則を、空虚なものとすることは許されない。

そして、本件公式参拝は、靖国神社の祭神に対する畏敬崇拝の念を表すことを目的とする宗教的行為の側面を否定できず、靖国神社の祭神に対し、各人の信仰の如何にかかわらず、畏敬崇拝の念を持つのが当然であるとの意識を浸透させ、かつ、国家と靖国神社との結び付きの象徴としての役割を果し、その結果、靖国神社の宗教活動を、精神的に援助、助長、促進する効果を有し、ひいては靖国信仰を有しない者に対して、靖国神社の祭神を信仰するよう圧迫、干渉する効果を有していたことは明白であるから、右の目的効果基準に照しても、本件公式参拝が、憲法二〇条三項にいう宗教的活動に該当し、政教分離原則に違反することは否定できない。

三  本件公式参拝による法益侵害

1 政教分離原則ないし信教の自由

憲法二〇条が保障する信教の自由には、直接的強制による侵害を受けない自由のみならず、間接的強制(圧迫)による侵害も受けない自由も含むものと解すべきである。その憲法上の根拠を二〇条一項のみに求めるか、二〇条一項と三項と相まって考えるか、二〇条三項のみから導かれるとするかについては、様々な理解があり得るが、いずれにせよ、現代では、自己の信仰あるいは無信仰を、不安なく貫徹できる自由、信仰生活に対する不合理な圧迫と干渉を受けない自由という、間接的強制からの自由を保障することが重要である。これを政教分離原則に基づく利益、あるいは、信教の自由のいずれと理解するかはともかく、要するに、憲法二〇条は、国民の信仰に関し、間接的に圧迫を受けない権利をも含め、広く個人の信教の自由を保障していることは疑いない。

しかるに、被控訴人中曽根は、国内外の注視の中、従来の慣例をあえて変更し、控訴人らのように、国家機関の宗教的扇動によって、二度と戦死が賛美されることのないよう切望している国民に反対のあることを熟知しつつ、政教分離原則に違反して、本件公式参拝を強行した。控訴人らは、憲法の平和主義と政教分離原則に依拠するが故に、二度と国家機関が宗教的活動をしたり、あるいは、宗教的分野に干渉することにより、過去の軍国主義の精神的支柱であった靖国神社と結び付いて、戦死賛美の社会的、政治的圧力をかけることのないよう保障されて、はじめて宗教的、精神的な平穏を保つことができるにもかかわらず、本件公式参拝により、個人としての尊厳を踏みにじられ、不快感、焦燥感、憤りなどの人格感情を害され、不安や圧迫を受けたものである。

2 宗教的人格権

人は、故人に対し、他人から干渉を受けない静謐の中で、様々な感情と思考を巡らせる自由を有する。遺族の死者に対する敬愛追慕の情も、また法的保護に値する人格権の一内容である。

控訴人らの肉親は、太平洋戦争に従軍させられ、戦死したが、戦前、戦死は、国家に命を捧げた行為として、格別に名誉なことと誉め讃えられてきた。しかし、一五年戦争が侵略戦争であったことは、いまや明白で、政府も、これを認めている。まさに、戦死は、侵略戦争への加担であり、国家による侵略戦争政策の犠牲に外ならなかった。然るに、靖国神社は、独特の神道教義に基づいて、戦後も、戦死を天皇・国家に命を捧げた尊いものとして、戦死者を英霊と観念し、宗教行事を通じて英霊を顕彰し続けている。控訴人らは、戦死した肉親に対するこのような評価が誤りであると断定し、その評価を拒否している。しかし、靖国神社は、遺族が合祀の取消を求めても、これに応じない。控訴人らの肉親が「英霊」として靖国神社に合祀され、「天皇の為に死ぬ」との評価を与えられることは、現在の憲法的価値観に照し、極めて不名誉である。一切の戦争を放棄した憲法の下では、戦死賛美は、最高規範に反する否定的評価に外ならないからである。英霊顕彰は、戦争賛美と不即不離の関係にあって、死者の評価を根本から著しく毀損するといわなければならない。

靖国神社への公式参拝は、国家自身の手によって、戦没した死者を国家の英霊と意味づけること、すなわち、国家が、靖国神社の神道観念=英霊思想に加担し、それを容認するものであって、英霊思想の公権的追認であり、その公然化である。本件公式参拝によって、故人に対し、「英霊」という不名誉な評価が社会的に定着させられることになり、控訴人ら遺族の肉親に対する敬愛追慕の情が著しく侵害され、その宗教的人格権が侵害されたのである。

3 宗教的プライバシー権の侵害

人は、憲法一三条、二〇条一項・三項に基づき、宗教的生活におけるプライバシー権として、国家や他人から宗教的意味づけをされない自由、宗教事項に関しては干渉されない自由があると観念される。本件においては、そのうち、特に、国家から死者に対する誤った意味づけをされない自由が重要である。遺族には、自己の宗教的、非宗教的立場において、他人から干渉・介入を受けない中で、死を意味づけ、故人に対する思いを巡らせる自由が保障されなければならない。控訴人らは、いずれも先の大戦で肉親を奪われ、その肉親の死を、侵略戦争の加害者として、国家から無駄死を強いられたものと意味づけていることは、前述のとおりである。

しかるに、控訴人らの思いを無視して、国家が、本件公式参拝により、肉親の死を英霊と意味づけることに加担し、これを公然化することは、控訴人らの肉親の死への思いに対する干渉、介入に外ならず、宗教的プライバシー権の侵害に当るものである。

4 仮に、以上の法的利益が、いまだ権利として認められないとしても、いわゆる相関関係説によれば、被侵害利益と侵害行為との相関関係において、不法行為の成否を判断しなければならないところ、被控訴人中曽根の行った本件公式参拝は、全国民注視の中で、公然と故意に、憲法という最高法規に違反して行われたもので、その不法性は、最大規模である。侵害行為の態様・内容が著しく不法で、規範違反が著しいときは、被侵害利益が未だ十分強固なものでなくても、違法と判断される。のみならず、自衛隊合祀違憲訴訟最高裁判決で、伊藤裁判官の反対意見がいうように、現代社会においては、他者から自己の欲しない刺激によって心を乱されない利益、いわば宗教上の心の静謐の利益も、また不法行為上、被侵害利益となりうると解される。

四  被控訴人らの責任

1 被控訴人中曽根個人の責任

被控訴人中曽根は、控訴人ら国民各自が、戦死賛美と靖国神社の政治的利用によって、軍国主義への回帰をもくろむ勢力が強大になるのではないかとの危惧を抱いていることを熟知しながら、本件公式参拝により、これらの者に、不快感、焦燥感、憤りなどの精神的不安を呼び起こし、その精神的自由を圧迫・侵害する事態に至ることを容認し、かつ意図しつつ、右参拝を強行したものであるから、内閣総理大臣としての地位を著しく濫用して、控訴人らの信教の自由を圧迫し、戦没者の遺族としての宗教的平穏を侵害したものとして、民法七〇九条に基づき、個人として控訴人らに対し、不法行為による損害を賠償する責任がある。

2 被控訴人国の責任

被控訴人中曽根は、内閣総理大臣としての公的地位に基づく行為であることを宣言して本件公式参拝を強行し、かつ、内閣総理大臣の公的行為であるとの外形を濫用して、憲法二〇条三項の政教分離原則に違反し、控訴人らに保障されている信教の自由、思想良心の自由あるいは宗教的人格権もしくは人格感情を侵害して、控訴人らに対し、精神的苦痛を与えたのであるから、その不法行為について、被控訴人国は、国家賠償法一条により、控訴人らに対し、慰藉料を賠償する責任がある。

(被控訴人国の主張)

一  被控訴人中曽根のした本件公式参拝は、その目的、方式いずれの観点からみても、宗教的意義を有するものではない。すなわち、

本件公式参拝は、国民や遺族の多くが、靖国神社をわが国の戦没者追悼の中心的施設であるとして、同神社において、総理大臣その他の国務大臣による戦没者追悼が実施されることを強く望んでいるという事情を踏まえて、専ら、戦没者に対する追悼という宗教とは関係のない目的のために行われたものである。

また、本件公式参拝の方式についてみても、宗教施設ではあるが、国民や遺族の多くから戦没者追悼の中心的施設であるとされている靖国神社において、あらかじめ戦没者の追悼という非宗教的目的で行うことを公にした上で、神社の行事としてではなく、神職による主宰なしに行われたものであり、しかも、その方式は、手水の儀、修祓の儀、玉串奉奠、二拝二拍手一拝、直会等の神道の儀式を一切排除して、本殿又は社頭において、直立し、黙祷の上一礼するという戦没者の追悼にふさわしい方式によっているのであり、それが宗教的意義を有しないことは明らかである。

したがって、本件公式参拝は、靖国神社に、戦没者が神として祀られていることに着目して行われたものではなく、ましてや、戦没者を、国家によって英霊と意味づけ、公然化するために行われたものではない。本件公式参拝は、社会通念上、その目的において、宗教的意義を有せず、その効果においても、靖国神社に対する援助、助長、促進となる行為ではなく、また、他の宗教に対する圧迫、干渉となる行為でもない。本件公式参拝は、宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものではなく、憲法二〇条三項にいう宗教的活動に該当するものではないというべきである。

三  本件公式参拝に際して支出された供花料三万円は、戦没者追悼の気持を表すためのもので、靖国神社への玉串料ではなく、その金額も、社会的儀礼の範囲内であることは明らかであり、これをもって、憲法二〇条一項後段に定める「国から特権を受け」たことにも、同法八九条所定の「宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため」支出されたことにも当たらないことはいうまでもない。

四  そもそも、政教分離規定に違反するということ自体は、国家賠償法上の違法性を基礎づけることにはならない。国家賠償法一条にいう違法性とは、究極的には、他人に損害を加えることが、法の許容するところかどうかという見地からする行為規範に対する離反性を内容としており、それは、公務員としての行為規範違反、あるいは、職務上の法的義務違反としてとらえることができるものである。この場合の職務上の義務は、単なる内部的な公務員法上の義務では足りず、第三者(被害者)に対して負う職務上の法的義務でなければならないのである(いわゆる在宅投票制度訴訟上告審判決、最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁参照)。そして、内閣総理大臣が負っている政教分離規定遵守義務は、その性質上、主権者たる国民全体に対して負担しているものであって、個別の国民に対して負担するものではない。

したがって、憲法の政教分離規定に違反するということをもって、国家賠償法上の違法性を基礎づけることはできない筋合である。

五  国家賠償法一条は、直接、個別の国民の法的利益を保護することを目的とする規定であるから、公務員による憲法の政教分離規定違反の行為が、国家賠償法上も違法となるためには、政教分離規定違反の行為が、同時に国民個々人の法的利益の侵害に結び付く場合でなければならない。控訴人らが右の法的利益の中核として主張する信教の自由については、その侵害があったというためには、少なくとも、信教を理由とする国家による不利益な取扱い、あるいは、宗教上の強制といういわゆる強制の要素(不利益取扱いを含む)の存在することが、不可欠である(いわゆる自衛官合祀訴訟上告審判決、最高裁昭和六三年六月一日大法廷判決・民集四二巻五号二七七頁参照)。そして、本件においては、本件公式参拝によって、控訴人らが不利益な取扱いや、宗教上の強制を受けたとの事実は、何ら存しないのであるから、本件公式参拝による信教の自由の侵害を肯認する余地は、全くないといわなければならない。

さらに、宗教的人格権及び宗教的プライバシー権なるものを、右の被侵害利益として認めることができないことは、既に右自衛官合祀訴訟上告審判決が明確に判示しているところであり、また、平和的生存権なるものも、実定法上の根拠を欠き、法的利益というには足りないことは明らかである。

第三  証拠<省略>

理由

第一被控訴人中曽根が、昭和六〇年八月一五日当時、内閣総理大臣であったこと、被控訴人中曽根が、右昭和六〇年八月一五日午後一時四〇分ころ、公用車で、靖国神社に赴き、拝殿において、「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し、引き続き本殿に至り、内閣官房長官藤波孝生及び厚生大臣増岡博之とともに、内陣に向かって黙祷の上、深く一礼をして、いわゆる公式参拝(本件公式参拝)をしたこと、供花の代金として、公費から三万円が支出されたこと、被控訴人中曽根が、参拝後、報道陣の質問に対し、「内閣総理大臣の資格で参拝した。」「いわゆる公式参拝である。」と述べたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

第二控訴人らは、被控訴人中曽根の、右本件公式参拝は、憲法二〇条、八九条に違反し、これにより、控訴人らの信教の自由や、平和的生存権等種々の権利を犯されたと主張する。

ところで、憲法二〇条三項所定の宗教的活動とは、政教分離原則の意義に照らしてみれば、およそ国及びその機関の活動で、宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが、社会的、文化的諸条件に照らし、相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が、宗教的意義をもち、その効果が、宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。その典型的なものは、宗教教育のような宗教の布教、教化、宣伝等の活動であるが、そのほか、宗教上の祝典、儀式、行事等であっても、その目的、効果が、政教分離原則の意義に照らし、相当と認められる限度を超えるものは、これに含まれる。そして、この点から、ある行為が、右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するにあたっては、当該行為の主宰者が、宗教家であるかどうか、その順序(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が、当該行為を行うについての意図、目的、及び、宗教的意義の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断をすべきである(最高裁昭和五二年七月一三日判決・民集三一巻四号五三三頁)。

そこで、以下に、被控訴人中曽根の行った本件公式参拝が、右の基準に従い、憲法二〇条三項所定の宗教的活動に該当するか否か、そして、本件公式参拝が、憲法二〇条三項、八九条に違反するか否かについて、検討する。

一靖国神社の性格等

まず、靖国神社の沿革・性格等について検討する。

1  <書証番号略>、原審証人平野武、当審証人戸村政博の各証言、並びに、弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 靖国神社の起源は、戊辰戦争のいわゆる官軍側戦死者の招魂慰霊のため、天皇の命により、明治二年に創建された東京招魂社に遡る。

東京招魂社は、明治一二年に、靖国神社と改称され、別格官幣社に列せられたところ、「靖国」の名は、中国の史書「春秋」に由来するものであって、「安国」「護国」と同義であり、国のために戦死した者の勲功を讃え、皇国の安泰を祈願することを意味し、また、「別格官幣社」は、「臣人」を祭神とする神社のために創案された最高の社格である(<書証番号略>)。

靖国神社は、当初は、内務・陸軍・海軍各省の共同管轄下にあったが、明治二〇年以降は、神職の任免等の人事権も含めて、陸・海軍省の管轄下(一般の神社は内務省の管轄であった)におかれ、両省で、戦没者を審査して、天皇に上奏し、その裁可を経て、右戦没者を祭神として合祀していた。靖国神社の神体は、東京招魂社以来の神鏡と神剣であるが、その祭神は、当初より、天皇及び政府の側に立って戦った戦没者等の国事殉難者であって、戦争の都度、その数が増加するため、祭神名簿(霊璽簿)に氏名を記入して、これを副霊璽(副神体)としている(<書証番号略>)。

(二) 靖国神社は、「戊辰戦役」「佐賀の乱」「西南の役」「日清戦役」「日露戦役」「第一次世界大戦」「満州事変」「太平洋戦争」等の事変、戦役を経て、その祭神も増加したが、日露戦争以後は、祭神を「英霊」と呼称することが一般化した(<書証番号略>)。

また、靖国神社は、その合祀祭には、天皇の親拝を仰ぎ、境内には、国内唯一の公開軍事博物館である「遊就館」を設ける等、第二次大戦の終了まで、祭政一致の国策の下で、国家神道の中心的施設として、とりわけ、戦前の皇国史観教育とも相俟って、いわゆる軍国主義の精神的基盤として、国家の手により、維持管理されてきた。

(三) 靖国神社は、神道指令の発せられる直前の昭和二〇年一一月に、第二次世界大戦での未合祀戦没者を一括して招魂する臨時大招魂祭を行い(<書証番号略>)、その後、一般の宗教法人となって以後も、従来どおり「軍人軍属」「準軍属、その他」を合祀対象者と定め(靖国神社合祀基準)、以後三七回にわたる合祀祭を行って、右の未合祀戦没者を、順次祭神に加えた。

その結果、合祀数は、第二次大戦の戦没者二一三万余柱を中心に総計二四六万余柱(昭和六〇年七月現在)に上っている(<書証番号略>)。

(四) 第二次大戦後、昭和二〇年一二月に出された後記神道指令によって、国家神道の廃止を中核とする政教分離の政策がとられるに至り、昭和二一年二月には、神祇院官制をはじめ、神社関係全法令が廃止され(<書証番号略>)、国家神道は、制度上も消滅した。これに伴い、靖国神社は、宗教法人令に基づく宗教法人と看做され、直ちに東京都知事にその旨の届け出をしたことによって、民間の宗教法人となり、制度上は、従来の公的性格の一切を払拭した。

また、昭和二六年二月、新たに宗教法人法が施行されたのに従い、靖国神社は、東京都知事の認証を受けて、昭和二七年八月、神社本庁に加盟しない単立の宗教法人を設立して公告をしたが(<書証番号略>)、「靖国神社社憲」や、「靖国神社規則」では、後記のとおり、前身の東京招魂社や戦前の靖国神社との同一性、継承性を謳い、別格官幣社当時の目的も継承している(<書証番号略>)。

そして、境内には、鳥居、神門、拝殿、本殿等、神社特有の礼拝の施設を有し、神職として、宮司、権宮司、禰宜、権禰宜、主典、宮掌等を置き(<書証番号略>)、春秋例大祭(毎年四月と一〇月)、合祀祭(毎年秋)を、重要な祭典として執り行い、他に、みたま祭(毎年七月)、月次祭(毎月)、慰霊祭(随時)等の祭典を、いずれも神道形式で行っている(<書証番号略>)。

(五) 靖国神社の祭典は、神饌・幣帛の供進、祝詞の奏上、玉串奏奠、拝礼の各方式に従って行われるが、神饌幣帛料の供進は、「官幣諸社官祭祭式」(明治六年)に則り、神官が神前に供え、玉串奉奠は、「神社祭式」(明治三年)あるいは「靖国神社祭式」(大正三年)に則り、参拝者が神前に供えるもので、いずれも神道儀式の中心であり、また拝礼も、修祓、昇殿、玉串奉奠、二拝二拍手一拝の順で行うのが正式参拝の方式である。

(六) なお、「靖国神社社憲」(昭和二七年制定)の前文には、「本神社は、明治天皇の思召に基き、嘉永六年以降国事に殉ぜられたる人々を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その『みたま』を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため、明治二年六月二九日創立せられた神社である。」とあり、同社憲二条には、「本神社は、御創立の精神に基き、祭祀を執行し、祭神の神徳を弘め、その理想を祭神の遺族崇敬者及び一般に宣揚普及し、(中略)以て安国の実現に寄与するを以て根幹の目的とする。」と定め、また、同時に制定された「靖国神社規則」にも、「本法人は、明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基き、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行ない、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成する(中略)ことを目的とする。」を明記している(<書証番号略>)。

2  以上に認定の事実によれば、靖国神社は、宗教法人法に基づき、東京都知事の認証を受けて設立された宗教法人であって、宗教上の教義、施設を備え、神道儀式に則った祭祀を行う宗教団体(宗教法人法二条、憲法二〇条一項)であり、神道の教義をひろめ、儀式行事を行い、また、信者を教化育成することを主たる目的とする神社というべきである。

そして、靖国神社の有する右の特徴に鑑みれば、国の機関である公務員が国の機関として、靖国神社に参拝することは、その目的、方法等の如何によっては、憲法二〇条三項所定の宗教的活動に該当するといわなければならない。

二本件公式参拝が、憲法二〇条三項所定の宗教的活動に該当するか否かについて

1  本件公式参拝に至る経過

<書証番号略>、原審証人平野武、当審証人小川武満、同菅原龍憲、同戸村政博の各証言、並びに、弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一) わが国では、昭和二〇年の敗戦に至るまで、神社神道は、事実上、国教的地位を保持し、国家神道は、いわゆる軍国主義の精神的基盤ともなっていたが、同年一二月一五日、連合国最高司令官総指令部から、日本政府に宛てて、「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(いわゆる神道指令)が発せられ(<書証番号略>)、これにより、国家と神社神道との完全な分離が命ぜられ、神社神道は、一宗教として他の一切の宗教と同じ法的基礎のうえに立つこと、そのために、神道を含むあらゆる宗教を国家から分離すること、神道に対する国家、官公吏の特別な保護監督の停止、神道及び神社に対する公の財政援助の停止、役人の公的資格での神社参拝の廃止、等の具体的な措置が明示された(<書証番号略>)。

戦前わが国における国家神道の中心的存在であった靖国神社も、神道指令によって、国家管理の手を離れ、前述の如く、昭和二一年に、宗教法人令に基づく宗教法人となり、昭和二七年八月には、宗教法人法に基づく宗教法人の設立公告をして、純然たる宗教法人となった(<書証番号略>)。

(二) ところで、昭和二七年一一月に、日本遺族厚生連盟(翌二八年に財団法人後の日本遺族会となる)は、全国戦没者遺族大会において靖国神社の慰霊行事に対する国費の支弁を求める決議を採択し、昭和三一年一月には、日本遺族会が靖国神社の国家護持を求める決議を採択した(<書証番号略>)。そして、この日本遺族会を中心に、国民の中に、靖国神社を再び国営化ないし国家護持をすべきであるとの運動が生じた(<書証番号略>)。

また、昭和四四年から同四九年にかけて、毎年のように、靖国神社法案が議員立法として国会に提出されたが、同法案については、政府筋の一部にも、靖国神社の宗教性が現状のままでは、憲法上、問題があるとの意見があったことや、各種団体の反対運動もあって、同法案は、いずれも廃案となった(<書証番号略>)。

(三) 次いで、昭和五〇年頃から、右の運動に代わり、内閣総理大臣やその他の国務大臣が、靖国神社に公的資格で参拝すべきであるとの運動が展開されたが、一方、これに対しては、このような公式参拝は、憲法二〇条三項の禁止する国の機関の宗教的活動に当たり、違憲であるとの憲法論からする反対論も主張され、様々な政治的、社会的反響を呼ぶに至った(<書証番号略>)。したがって、右のような公式参拝については、これを是認する圧倒的多数の国民的合意は、得られていない。

なお、昭和五四年六月一四日に、自由民主党本部で開かれた「英霊にこたえる議員協議会」小委員会で、当時の衆議院法制局長大井民雄は、「公人の公式参拝は、天皇、内閣総理大臣等が私人の資格で参拝するのとは質的に異なり、結果として、憲法第二〇条第三項の国又はその機関による宗教的活動に該当し、政教分離の原則に抵触するものである。」との見解を発表した(<書証番号略>)。

(四) 戦後、内閣総理大臣やその他の国務大臣が、靖国神社の春季や秋季の例大祭に出席して参拝したことはないわけではなかったが(<書証番号略>)、八月一五日の終戦記念日に、靖国神社に参拝したことはなかったところ、昭和五〇年八月一五日、当時の内閣総理大臣三木武夫は、政府主催の全国戦没者追悼式に出席後、戦後の内閣総理大臣としては初めて靖国神社に参拝した(<書証番号略>)。

右の参拝は、修祓の後、本殿に昇殿し、玉串を奉奠して、二拝二拍手一拝を行う、正式参拝の方式によったものであった。

そして、政府は、右の参拝は、私人としての参拝であるとして、(イ) 公用車を使用せず、(ロ) 玉串料を国庫から支出せず、(ハ) 記帳には、公的肩書を付さず、(二)公職者を随行させないこと、の四点が私的参拝の基準であることを初めて明らかにした(<書証番号略>)。

(五) 次いで、昭和五三年八月一五日、当時の内閣総理大臣福田赳夫は、靖国神社に正式参拝するに当り、公用車を使用し、三名の公職者を随行させ、「内閣総理大臣福田赳夫」と記帳したが、玉串料のみは私費で支払った。そして、右の参拝について、

「・・政府の行事として参拝を実施することが決定されるとか、玉串料等の経費を公費で支出するなどの事情がない限り、それは、私人の立場での行動とみるべきものと考えられる。」と説明して、右参拝は、憲法二〇条三項所定の宗教的活動に該当しないとした。その後の内閣総理大臣大平正芳、同鈴木善幸も、前記内閣総理大臣福田赳夫とほぼ同一の参拝方式を踏襲して、靖国神社に参拝をした(<書証番号略>)。

なお、昭和五五年一一月一七日、政府は、参議院議員運営委員会理事会において、次のような政府統一見解、すなわち、「政府としては、従来から、内閣総理大臣としての資格で靖国神社に参拝することは、憲法第二〇条第三項との関係で、問題があるとの立場で一貫してきている。右の問題があるということの意味は、このような参拝が合憲か違憲かということについては、いろいろの考え方があり、政府としては、違憲とも合憲とも断定していないが、このような参拝が違憲ではないかとの疑いを、なお、否定できないということである。そこで、政府としては、従来から、事柄の性質上慎重な立場をとり、国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは差し控えることを、一貫した方針としてきたところである。」という統一見解を発表した(<書証番号略>)。

(六) 次に、内閣総理大臣に就任した被控訴人中曽根は、昭和五八年四月二一日、靖国神社の春季例大祭に「内閣総理大臣たる中曽根康弘」として参拝したが、この時も、政府は、「内閣総理大臣として」とは若干異なり、私的参拝に変りはないと説明した(<書証番号略>)。

このような状況の下で、日本遺族会を中心に、靖国神社は、宗教施設ではあるが、同時にわが国における戦没者追悼の中心的施設であり、内閣総理大臣その他の国務大臣が、戦没者追悼のため同神社に公式参拝することは、憲法の諸規定に違反することにはならないとして、同神社の春秋例大祭や八月一五日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」等に、右各大臣らが公式参拝をすることを要望する意見が強まり、各地方議会においても、総理大臣その他の国務大臣の公式参拝を実施すべきであるとの決議が相次いでなされ、その数は、昭和六〇年三月末までに、全国四七都道府県中三七県議会、三二七六市町村議会に及んだ(<書証番号略>)。

(七) そこで、政府は、昭和五九年七月一七日、内閣官房長官の私的諮問機関として、各界の有職者一五名からなる「閣僚の靖国神社参拝問題懇談会」(以下「靖国懇」という。)を発足させ、同懇談会に、その検討を委ねた。

靖国懇は、以後、約一年間にわたり、計二一回の会合を重ねて検討したうえ、昭和六〇年八月九日、報告書(以下「靖国懇報告」という。)(<書証番号略>)を当時の内閣官房長官藤波孝生に提出したが、その内容の要旨は、「戦後、政府は、戦没者を追悼するために、全国戦没者追悼式を主催し、これに内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格で参列しているが、国民や遺族の多くは、戦後四〇年に当たる今日まで、靖国神社をその沿革や規模から見て、依然としてわが国における戦没者追悼の中心的施設であるとしており、同神社において、多数の戦没者に対して、国民を代表する立場にある者による追悼の途が講ぜられること、すなわち、内閣総理大臣その他の国務大臣が同神社に公式参拝することを望んでいるものと認められる。」「公式参拝とはどのような参拝を言うかについては、内閣総理大臣その他の国務大臣が、公的資格で行う参拝のことであり、閣議決定などは、特に必要ではないと考える。参拝の形式については、いわゆる正式参拝(靖国神社の定めた方式に従った参拝であり、昇殿を伴う。)、又は、社頭参拝等の形式に左右されるものではなく、さらに、神道の形式にも限定されない。すなわち、閣僚が、自らの思うところの方式に従って拝礼するとしても、その資格が公的であれば、やはり公式参拝であると考える。」「靖国神社公式参拝が憲法二〇条三項で禁止されている『宗教的活動』に該当するか否かについては、多様な意見(合憲論から違憲論まで六つの意見が併記されている)が主張されたが憲法との関係をどう考えるかについては、最高裁判決を基本として考えることとし、その結果として、最高裁判決に言う目的及び効果の面で種々配慮することにより、政教分離原則に抵触しない何らかの方式による公式参拝の途があり得ると考えるものである。」「政府は、この際、大方の国民感情や遺族の心情をくみ、政教分離原則に関する憲法の規定の趣旨に反することなく、また、国民の多数により支持され、受け入れられる何らかの形で、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきであると考える。」というものであった。

なお、右報告は、公式参拝の実施に当たって「配慮すべき事項」として、(1) 最高裁判決が言及しているように、相当とされる限度を超えて、宗教的意義を有するとか、靖国神社を援助、助長、促進し、または、他の宗教・宗派に圧迫・干渉等を加えるなどのおそれのないよう、慎重な態度で対処すること、(2) 靖国神社には、いわゆるA級戦犯とされた人々が合祀されていることは、依然問題として残るものであることに留意をすること、(3) 戦前の国家神道・軍国主義の復活という不安を招くことのないよう、十分配慮すること、(4) 制度化によって参拝を義務付ける等、閣僚の「信教の自由」を侵すことのないよう配慮すること、(5)国内の政治的対立の解消、国際的な非難の回避に務めること、という五項目に上る条件を付したものであった(<書証番号略>)。

(八) 右の靖国懇報告を受けて、内閣官房長官藤波孝生は、昭和六〇年八月一四日、「靖国神社懇報告を参考として慎重に検討した結果、参拝形式は、神道形式によらず、一礼にとどめ、名入りの生花一対を本殿に供え、その代金を公費から支出する方式によるならば、公式参拝を行っても、社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しないと判断した。したがって、今回の公式参拝の実施は、その限りにおいて、従来の政府統一見解を変更するものである。」との談話を発表して、翌一五日の内閣総理大臣の靖国神社公式参拝実施を正式に表明した(<書証番号略>)。

(九) 靖国神社では、本件公式参拝につき、予め内閣官房長官藤波孝生から、神道の参拝方式によらず、本殿または社頭で、黙祷のうえ一礼する形式になる旨説明を受け、当初はこれに難色を示していたが、最終的には略式でも拝礼に変りはないとしてこれを承認した(<書証番号略>)。

そして、翌八月一五日、被控訴人中曽根は、前記のように、内閣総理大臣として靖国神社に本件公式参拝を行った。

(一〇) 右公式参拝は、靖国神社の行事とは無関係に、かつ、神職の主宰なしに行われたもので、その方式も、靖国神社の定めた正式の参拝のうち、手水の儀、修祓の儀、玉串奉奠、二拝二拍手一拝、直会等の神道の儀式はこれを行わず、靖国神社の本殿において、直立し、黙祷の上、一礼するという方法で行われた。

なお、右参拝にあたり、内閣総理大臣である被控訴人中曽根は、靖国神社本殿に「内閣総理大臣中曽根康弘」と名入りの生花一対を供えたが、その代金三万円は、国費から支出され、参拝当日に随行した内閣総理大臣秘書官から靖国神社に現金で交付された。これは、内閣総理大臣被控訴人中曽根が予め靖国神社に対し、同金額相当の生花一対を花屋に注文し、本殿に配置してもらいたい旨依頼したうえ、同神社が生花を購入するについて支払うべき代金額として、同神社に交付したもので、後日、右金員は、全額同神社から花屋に支払われた(<書証番号略>)。

(一一) 本件公式参拝については、日本国内では、日本キリスト教協議会、新日本宗教団体連合会、真宗教団連合、日本キリスト教団、全日本仏教会、日本カトリック司教協議会、日本バプテスト連盟等の宗教団体、日本婦人有権者同盟、国民文化会議、靖国神社公式参拝問題についての憲法研究者団体、靖国違憲訴訟全国連絡会議、自由人権協会等の市民団体、その他から、抗議の声明等が多く寄せられ(<書証番号略>)、外国からも、中国を始め、フィリピン、シンガポール、南北朝鮮、香港等から反発と疑念が表明され、特に中国では、靖国神社が東条英樹元首相らいわゆるA級戦犯を合祀している事実を重大視して、侵略戦争の最高指導者を賛美する行為として、強い糾弾の意思が表明され、日中間の外交問題にまで発展した(<書証番号略>)。

そのため、被控訴人中曽根は、同年一〇月の靖国神社秋季例大祭への参拝を見送り、翌年以降の八月一五日の同神社への公式参拝も取り止めるに至り、以後、現在まで内閣総理大臣その他国務大臣による靖国神社への公式参拝は実施されていない(<書証番号略>、当審証人戸村政博の証言・<書証番号略>)。

(一二) なお、国家社会に貢献のあった著名な政治家等の葬儀がキリスト教の方式や仏式等で営まれる場合に、内閣総理大臣やその他の国務大臣が、国の機関である内閣総理大臣や国務大臣として、右葬儀に出席し、弔辞を読み、供花を献ずることがあるが、右は、経験則上一回限りであって、現在の我が国社会における習俗ないし儀礼的なものといえる。

これに対し、本件公式参拝は、将来も、継続して、内閣総理大臣やその他の国務大臣が、国の機関である内閣総理大臣やその他の国務大臣として、靖国神社に公式参拝をすることを予定してなされたもので、右一回限りの葬儀に出席する場合のように、単に、儀礼的、習俗的なものとして行われたものとは、一概にいい難い。

以上の事実が認められる。

2(一)  以上の事実からすれば、(1)靖国神社の神体は、神鏡、神剣であるが、戊辰戦争以来太平洋戦争までの戦没者等を祭神(英霊)として合祀し、右合祀された戦没者等の数は、昭和六〇年七月現在で、総計二四六万余柱に上っているところ、昭和二七年一一月に、日本遺族厚生連盟(後の日本遺族会)が、靖国神社の慰霊行事に対する国費の支出を求める決議をし、ついで、日本遺族会を中心に、国民の中に、靖国神社を再び国営化ないし国家護持をすべきであるとの運動が生じ、その後、さらに、内閣総理大臣やその他の国務大臣が、靖国神社に公的資格で参拝すべきであるとの運動が展開されるようになったこと、(2) 昭和五〇年当時の内閣総理大臣三木武夫が、同年八月一五日、私人の資格として、靖国神社に参拝し、それ以後、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸ら、歴代の内閣総理大臣も、私人の資格で、八月一五日に、靖国神社に参拝したこと、(3) 被控訴人中曽根は、内閣官房長官の私的諮問機関である靖国懇の報告を受けて、昭和六〇年八月一五日、国の機関である内閣総理大臣として、靖国神社に本件公式参拝したこと、(4) 被控訴人中曽根が行った本件公式参拝は、靖国神社の行事とは無関係に、かつ、神職の主宰なしに行われたもので、その方式も、靖国神社の定めた正式の参拝のうち、手水の儀、修祓の儀、玉串奉奠、二拝二拍手一拝、直会等の神道の儀式はこれを行わず、靖国神社の本殿において、直立し、黙祷の上、一礼するという方法で行われたこと、(5) 被控訴人中曽根の行った本件公式参拝に際して支出された供花料三万円は、靖国神社に納められたものではなく、被控訴人中曽根が、靖国神社の本殿に供えた生花の代金として支払われたものであること、(6) 被控訴人中曽根が靖国神社に公式参拝したのは、靖国神社に合祀されている戦没者等の霊を慰めることを主目的としたもので、靖国神社ひいては神道を援助、助長、促進をすることを、主目的とするものではないこと、等の諸事実が認められるところ、右事実にあるような被控訴人中曽根の行った靖国神社に対する本件公式参拝の目的、その方法等に照らして考えれば、右本件公式参拝は、未だ、憲法二〇条三項所定の宗教的活動には該当せず、憲法二〇条三項、八九条に違反しないと解する余地もないではない。

(二)  しかしながら、他方、前記認定の事実からすれば、(1) 靖国神社は、宗教法人法に基づき、東京都知事の認証を受けて設立された宗教法人(宗教団体)であって、神道の教義をひろめ、そのための儀式・行事を行い、信者を教化・育成することを目的とし、そのための社殿等の施設を有する宗教団体(神社)であること、(2) したがって、このような宗教施設を有する靖国神社の本殿や社殿において、参拝する行為は、それが、靖国神社の主宰するものではなく、かつ、戦没者の霊を慰めることを主目的とするものであっても、外形的・客観的には、神社、神道とかかわりをもつ宗教的活動であるとの性格を否定することはできないこと、(3)わが国の衆議院法制局長等の政府機関は、かつて、内閣総理大臣やその他の国務大臣が、国の機関(公人)として、靖国神社に公式参拝することは、憲法二〇条三項所定の宗教的活動に該当し、政教分離の原則に抵触するとの見解をとり、政府も、靖国懇報告が出されるまでは、公式参拝は、違憲ではないかとの疑いを否定できないとする見解をとっていたこと、(4) 本件公式参拝の行われた昭和六〇年当時は勿論のこと、現在においても、内閣総理大臣やその他の国務大臣が、国の機関として、宗教団体である靖国神社に、公式に参拝することに対しては、強く反対する者があり、未だ、右公式参拝を是認する圧倒的多数の国民的合意は、得られていないこと、(5) 内閣総理大臣や国務大臣が、国の機関として、公式に、靖国神社に参拝した場合のわが国の内外に及ぼす影響は、極めて大きいこと、(6) そして、現に、被控訴人中曽根が、本件公式参拝を行ったことに対し、日本国内では、日本キリスト教協議会、新日本宗教団体連合会、真宗教団連合、日本キリスト教団、全日本仏教会、日本カトリック司教協議会、日本バプテスト連盟等の宗教団体、日本婦人有権者同盟、国民文化会議、靖国神社公式参拝問題についての憲法研究者団体、靖国違憲訴訟全国連絡会議、自由人権協議会等の市民団体、その他から抗議の声明等が多く寄せられ、外国からも、中国を始め、フィリピン、シンガポール、南北朝鮮、香港等から反発と疑念が表明されたこと、(7) 本件公式参拝は、一回限りものとして行われたものではなく、将来も、継続して、内閣総理大臣やその他の国務大臣が、内閣総理大臣や国務大臣(すなわち国の機関)として、靖国神社に公式参拝をすることを予定してなされたもので、単に、儀礼的、習俗的なものとして行われたものとは、一概にいい難いこと、等の諸事実が認められる。

そして、ほかに立証のない本件においては、右の事実のみから、直ちに、被控訴人中曽根の行った本件公式参拝が、憲法二〇条三項、八九条に違反するとまでは断定し難いが、右のような本件公式参拝の行われた場所、本件公式参拝が一般人に与える効果、影響、その他右(二)の諸事実を総合し、社会通念に従って考えると、昭和六〇年当時におけるわが国の一般社会の状況の下においては、被控訴人中曽根の行った本件公式参拝は、憲法二〇条三項所定の宗教的活動に該当する疑いが強く、公費から三万円を支出して行った本件公式参拝は、憲法二〇条三項、八九条に違反する疑いがあるというべきである。

第四控訴人らの法益等侵害の有無

被控訴人中曽根の行った本件公式参拝が、憲法違反とまでは断定し難いことは、前述のとおりであるが、仮に、本件公式参拝が、憲法の前述各規定に違反するとしても、控訴人らは、本件公式参拝により、法律上、保護された具体的な権利ないし法益の侵害を受けたことはないし、また、慰藉料をもって救済すべき損害を被ったこともなく、さらに控訴人らが、被控訴人中曽根個人に対して、その主張の損害賠償を求めることはできず、結局、控訴人等の被控訴人らに対する本訴請求は、以上の点で、すべて理由のないことは、次に付加する外は、原判決一七三枚目表末行から同一八四枚目表九行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

一控訴人らは憲法二〇条三項の政教分離規定は、国民に対し、信仰に関して、国から間接的に干渉や圧迫を受けない権利を保障した人権規定であるところ、本件公式参拝によって、控訴人らの右権利が侵害されたと主張する。

ところで、憲法二〇条一項前段にいう信教の自由は、直接、個人に自由権を保障するものであるのに対し、憲法二〇条一項後段、同三項、八九条にいわゆる政教分離の原則は、国家の制度として、国家と宗教との結合を禁止する法原則である。政教分離の原則は、国家機関に対し、一定の宗教上の行為を禁止することによって、国家と宗教との分離を制度的に保障し、もって、信教の自由を間接的に保障しようとするものであって、右政教分離の原則は、これを、国民個人に対する具体的権利として保障したものではないと解すべきである。

そして、国の機関が、憲法二〇条三項に違反し、政教分離原則に違反する行為をしたとしても、そのことのみから、直ちに、国民個人が特定の宗教を強制され、信仰の自由に対する国民個人の具体的権利・利益が侵害されたものとは認め難いから、控訴人らが、その主張のような経歴を有し、また、その肉親が靖国神社に合祀されているからといって、被控訴人中曽根の行った本件公式参拝により、その信仰の自由に関する具体的権利が侵害されたものとは、到底認め難い。

したがって、控訴人らの右主張は、採用できない。

二次に、控訴人らは、憲法二〇条が保障する信教の自由は、直接・間接の強制(圧迫)による侵害を受けない自由、すなわち、信仰生活(無信仰も含む)に対する不合理な圧迫と干渉という間接的強制を受けない自由も含むものと解すべきであるところ、本件公式参拝により、控訴人らは、個人としての尊厳を踏みにじられ、不快感、焦燥感、憤りなどの人格感情を害され、不安や圧迫等の間接的な強制を受けたと主張する。

しかし、控訴人らが、内閣総理大臣である被控訴人中曽根の行った本件公式参拝によりその主張のような不快感、焦燥感、憤りなどを抱いたとしても、右のような人格感情は、名誉感情のように法的保護に値するものとして社会的に是認されたものとか、法律上、一定の金銭をもって償われるべき精神的苦痛ということはできないから、これをもって、損害賠償を請求する等の法的救済を求めることはできないと解すべきである。

したがって、右控訴人らの主張も採用できない。

三また、控訴人らは、その主張の故人である肉親らに対し、他人から干渉を受けない静謐の中で様々な感情と思考を巡らせ、死者を敬愛追慕するという宗教的人格権や、戦没者の遺族として、自己の宗教的、非宗教的立場において、他人から干渉・介入を受けないなかで、死を意味づける自由である宗教的プライバシー権があるところ、本件公式参拝により、右権利が侵害されたと主張する。

しかし、人が、自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によって、害されたとして、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことのないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、このような宗教上の感情は、法律上保護された具体的権利・利益とは認め難いから、右のような宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに、損害賠償を請求する等の法的救済を求めることはできないと解すべきである(最高裁昭和六三年六月一日判決・民集四二巻五号二七七頁参照)。

したがって、控訴人らの右主張も、採用できない。

四さらに、憲法は、その前文において、恒久の平和を念願し、全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認する旨を謳い、平和主義を基本原理の一つとして採用しているが、右にいわゆる平和的生存権の権利としての内容は、抽象的で、いまだ、国民各個人に対して、法律上保護された具体的な権利ないし利益ではないと解すべきであるから、右前文による権利を侵害されたとの控訴人らの主張も、採用できない。

五以上の外、控訴人らは、死者に対する意味付けをされない自由を侵害されたとか、信教の自由を間接的にも圧迫されない権利を侵害されたとか、本件公式参拝の違法性が強度であるから、仮に控訴人らの侵害された権利・利益が多少弱いものであっても、損害賠償請求ができるとか、その他、種々の主張をして、本件公式参拝によって控訴人らはその主張の損害を被ったから、本件損害賠償請求は認められるべきであると主張するが、控訴人らの右主張は、いずれも控訴人らの独自の見解であって、前記説示に照らし、すべて採用できない。

第五結論

してみると、控訴人らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないので、これを棄却すべきところ、これと同旨の原判決は、相当であって、本件各控訴は、理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官後藤勇 裁判官小原卓雄 裁判官東條敬は退官につき署名押印できない。裁判長裁判官後藤勇)

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