大阪高等裁判所 平成元年(ネ)2542号 判決 1991年2月27日
平成元年(ネ)第二五四二号事件控訴人
同第二四二六号事件被控訴人
同第二四三四号事件被控訴人
(第一審原告)
甲野春男
平成元年(ネ)第二五四二号事件控訴人
同第二四二六号事件被控訴人
同第二四三四号事件被控訴人
(第一審原告)
甲野一夫
右第一審原告甲野一夫法定代理人親権者母
甲野夏子
平成元年(ネ)第二五四二号事件控訴人
同第二四二六号事件被控訴人
同第二四三四号事件被控訴人
(第一審原告)
甲野二夫
平成元年(ネ)第二五四二号事件控訴人
同第二四二六号事件被控訴人
同第二四三四号事件被控訴人
(第一審原告)
甲野秋子
右第一審原告ら四名訴訟代理人弁護士
伊賀興一
同
早川光俊
同
福原哲晃
同
川谷道郎
平成元年(ネ)第二四二六号事件控訴人
同第二五四二号事件被控訴人
(第一審被告)
大阪府
右代表者知事
岸昌
右訴訟代理人弁護士
前田利明
右指定代理人
西沢良一
外三名
平成元年(ネ)第二四三四号事件控訴人
同第二五四二号事件被控訴人
(第一審被告)
東住吉森本病院こと
森本譲
平成元年(ネ)第二五四二号事件被控訴人
(第一審被告)
松岡修二
右第一審被告両名訴訟代理人弁護士
前川信夫
主文
一 第一審原告らの本件各控訴を棄却する。
二 原判決中第一審被告大阪府、同森本譲の各敗訴部分を取り消す。
第一審原告らの第一審被告大阪府、同森本譲に対する請求をいずれも棄却する。
三 第一審原告らと第一審被告大阪府及び同森本譲との間において生じた訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告らの負担とし、第一審原告らの第一審被告松岡修二に対する控訴費用は、第一審原告らの負担とする。
事実
第一 当事者双方の求める裁判
一 平成元年(ネ)第二五四二号事件
1 控訴の趣旨(第一審原告ら)
一 原判決を次のとおり変更する。
第一審被告大阪府、同森本譲及び同松岡修二は、各自、第一審原告甲野春男及び同甲野一夫に対して各金二〇八七万八五〇七円、同甲野二夫及び同甲野秋子に対して各金五〇〇万円、並びにこれらに対する昭和五五年一〇月四日から各完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告らの負担とする。
との判決を求める。
2 控訴の趣旨に対する答弁(第一審被告ら)
(一) 第一審原告らの本件控訴を棄却する。
(二) 控訴費用は第一審原告らの負担とする。
二 平成元年(ネ)第二四二六号事件
1 控訴の趣旨(第一審被告大阪府)
一 原判決中、第一審被告大阪府敗訴部分を取り消す。
二 第一審原告らの第一審被告大阪府に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告らの負担とする。
との判決を求める。
2 控訴の趣旨に対する答弁(第一審原告ら)
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は第一審被告大阪府の負担とする。
との判決を求める。
三 平成元年(ネ)第二四三四号事件
1 控訴の趣旨(第一審被告森本譲)
一 原判決中、第一審被告森本譲敗訴部分を取り消す。
二 第一審原告らの第一審被告森本譲に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告らの負担とする。
との判決を求める。
2 控訴の趣旨に対する答弁(第一審原告ら)
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は、第一審被告森本譲の負担とする。
との判決を求める。
第二 当事者双方の主張
原判決の事実摘示と同一であるから(但し、原判決三枚目裏末行の「経営者であり、」とある次に「辻川覚志及び」と、同八枚目表一二行目の「担当した」とある次に「履行補助者である」と各加入し、同裏六行目の「金三一七五万七一〇五円」とあるのを「金三一七五万七〇一五円」と、同九枚目表八、一〇行目、一一行目から一二行目の各「精神的苦痛」とあるのを、いずれも「精神的苦痛に対する慰藉料」と、各改める。)、これを引用する。
第三 証拠関係<略>
理由
一請求原因1の事実のうち、一部が当事者間に争いがなく、一部争いのある事実についても、第一審原告ら主張のとおり認められること、亡甲野太郎が死亡するに至るまでの経緯のうち、第一審原告らと第一審被告大阪府との間で争いがない事実、第一審被告森本譲、同松岡修二との間において争いのない事実、並びに、右各事実について争いのある当事者間にも、これを認めることのできることは、原判決一八枚目表一八行目から同二〇枚目表三行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。
なお、原審における共同原告乙山冬子(当時、丙山姓)は、第一審被告大阪府、同森本譲及び同松岡修二の各自に対して、太郎の死亡による慰藉料の支払を求めて訴えを提起していたが、原判決は、同女の右請求を全て棄却し、同女から控訴の申立てがないまま、いずれも同女の敗訴に確定している。
以上の事実に、<証拠略>並びに弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認められる。
1 亡太郎(昭和一九年一月一五日生)は、昭和四二年二月一四日、乙野月子(昭和一九年一月三一日生)と婚姻し、同女との間に、長男春男(昭和四二年七月二八日生)及び二男一夫(昭和四六年四月一八日生)をもうけて、<住所略>で暮らしていたが、太郎は、昭和五一年ころ、ホステスをしていた乙山冬子と知り合い、その後まもなく、妻子を捨てて大阪市に移り、月子とは、昭和五二年一〇月一八日、協議離婚し、二人の子の親権者には、母の月子がなった。亡太郎は、離婚後暫くは、乙山冬子とアパートで同棲していたが、同女が昭和五四年九月ころ、肺結核で入院している間に、丁川夏子とも同棲するに至り、昭和五五年八月末に乙山冬子が退院してからは、これが原因で丁川夏子との間でいさかいが絶えなかった。
2 昭和五五年一〇月三日夜、亡太郎は、いつものように丁川夏子と争いをきたし、同女がカッターナイフで手首を切り、なおも自殺をほのめかすので、同女にはてんかんの持病もあったところから、心配となり、警察に同女の保護を求めるべく、同夜、午後九時四五分ころ、最寄りの阿倍野警察署三明町派出所に赴き、右保護を依頼した。当夜、同派出所には七名の警察官がいたが、亡太郎は、その直前に飲んだビールとウイスキーの酔いも手伝って、警察官の対応の仕方が悪いと激高し、突如として、同派出所のカウンター上にあった電話機を警察官の一人に向かって投げつけ、さらに、右カウンターを越えてその奥にいる警察官に飛びかかろうとしたが、勢いあまってカウンター内部の床の上に落ち、午後一〇時一〇分ころ、その場で公務執行妨害罪の容疑により現行犯逮捕された。なお、同派出所一階の模様の概略は、原判決添付「三明町派出所一階見取図」に記載のとおりである。
3 亡太郎は、同日午後一〇時三〇分ころ、パトロールカーで阿倍野警察署に引致され、取調べを受けたが、取調中、腹痛を訴えるので、同署警察官は、診察を受けさせるため、午後一一時五〇分ころ、パトロールカーで東住吉森本病院へ同人を搬送した。
森本病院は、救急病院の指定を受けた夜間救急施設のある病院で、昭和五五年一〇月当時、ベッド数二〇〇床を擁し、常勤の医師は、約十五名、他に約三〇名の非常勤の医師及び看護婦約七〇名が勤務し、診療科目は、内科、外科、脳神経外科、整形外科で、外来診療の時間は、午前九時から正午まで、午後は六時から八時までである。
午後八時以降の救急事態に対応する体制は、翌日の午前零時までは、脳神経外科、外科、内科の医師計三名、外来担当の看護婦一名が各当直し、午前零時以降翌日の午前八時までは、看護婦一名及び医師の内の一名が残って急患の診療等に当たる定めになっていた。
また、血液検査、尿検査等も普通の検査は、病院独自で行うことができ、その衝にあたる検査員三名と、レントゲン技師四名がいて、午後五時以降は、検査員一名が午後九時まで当直し、レントゲン技師は、内二名が午後九時まで残り、それ以降は、翌日の午前零時まではその内の一名が当直することに定められていた。
なお、外科を専門とする院長の第一審被告森本譲の自宅は、病院の敷地内にあり、緊急のときは、いつでも診療に当たることが可能であった。
4 太郎は、翌四日の午前零時一〇分ころ、森本病院に到着し、当直医師第一審被告松岡修二の診察を受けた。同医師は、当時、大阪市立大学医学部第二外科で腹部外科を中心に研修中の医師であった。
同医師は、太郎が、腹部を警察官に殴打されて急に痛くなったと訴えるのを聴いて、立ち会いの警察官が、いい加減なことをいうなと抗議したにもかかわらず、カルテには太郎が警察官から腹部を殴打された旨を記載し、右太郎の言い分を前提にして、内蔵破裂や腹部内出血の可能性の存在をも念頭におきつつ、入念に、同人の腹部の触診をした。
一般に、腹部内出血とか腸管穿孔で破裂がある場合や空気漏れの有る場合には、腹部が膨満しているが、その時の右触診の結果では、腹部には外傷はなく、触診すると、全体に平坦でやや硬い感じがあるが、太郎の気をそらせて腹部を触ると柔らかく、触診に対してわざと腹部に力をいれているのではないかとの疑いがあり、その旨をカルテにも記載した。また、同人は、腹部のうち、局所的に特に痛い部分があるとは申し立てず、腹部全体が痛いといい、圧痛、腹膜刺激症状等もなかったし、肺肝領域も明瞭で、肝肥大はなく、膵臓の腫れ等も認められなかった。腹部の聴診では、腸雑音は正常であると認められ、眼検結膜検査では貧血症状は認められず、亡太郎の胸腹部レントゲン写真によると、腹腔内に内蔵が破裂した場合に、その部分から空気が漏れることによってできるガスの像はみられなかった。
また、第一審被告松岡修二は、尿潜血反応を検査するために採尿を指示したところ、亡太郎は、尿意はあるが、排尿できないというので、やむなく導尿の方法により採取した約三〇〇ミリリットルの尿で潜血反応を調べたところ検査結果は陰性であった。
右採尿に際して、同行してきた警察官は、亡太郎がシャブ中毒だから採尿を嫌がっているのではないかと、根拠のないことを申し立てたが、第一審被告松岡修二は、この疑いをカルテに記載した。
第一審被告松岡修二は、約三〇分を費した右診察の結果から、現在のところ、特に内蔵破裂や腹腔内出血を疑わせるような徴候は少なく、経過観察をして様子を見ることで足りると判断し、亡太郎及び同人を連行してきた警察官にその旨を伝え、病状が好転しなければ、再来院するよう指示して、同人らを帰えした。
5 警察官に連行されて阿倍野警察署へ帰ってきた亡太郎は、午前三時過ぎころまで取調べを受け、その後、署内の長椅子の上に横臥していたが、腹痛は、依然として持続し、加えて嘔吐をもするに至ったので、このまま警察署内に留置を続行するのは、適当でないと判断した担当の警察官の上申により、太郎は、乙山冬子を身柄引受人として釈放され、また、同警察署の依頼した救急車によって、再度、東住吉森本病院まで搬送された。
亡太郎は、四日午前四時三五分ころ、森本病院に到着し、当直医の辻川覚志の診察を受けた。同医師は、昭和五三年の春、大阪市立大学を卒業し、同年六月に、同大学の脳神経外科に入局し、昭和五五年の春から臨床研究医となった脳神経外科の専門医である。
辻川医師は、先に、第一審被告松岡修二医師が第一回目の診察において記載したカルテ及びそのとき撮影された太郎の腹部レントゲン写真を見たうえで、太郎に容態について問診したところ、同人は、昨夜遅く警察官に逮捕され、その際、逮捕に当たった警察官から腹部を殴られ、その以後腹痛が続いていると訴えたが、嘔吐については、辻川医師から尋ねられないまま、同医師に対して申告していない。
同医師は、亡太郎が腹痛を訴えて再び来院したところから、一応腹腔内の損傷や腸管の破裂などを疑い、第一審被告松岡修二医師が記載したカルテ及び同医師の指示によって撮られた太郎の腹部レントゲン写真を見ながら、ほぼ、同医師の行ったのと同様の手順にしたがって診察をし、同医師の診察結果と比べて時間の経過による変化が認められるか否かを見ようとした。その結果、腹部の触診では同医師がカルテに記載しているのと同じで、やや硬いが、患者の気をそらして触ると柔らかく、筋性防禦はないと判断した。また、太郎の腹部の痛みは、軽度の自発痛で、圧痛や、腹膜刺激症状は認められず、痛むのは、腹部全体で、強いていえば上腹部であると認め、その他の触診、聴診の各結果も松岡医師のカルテに記載されたところと同じであると判断した。
尿検査の結果は潜血反応陰性で、今回も太郎は尿意はあるが、自力排尿ができず、導尿によって尿を採取したが、辻川医師は、そのことには取り立てて疑問を持たなかった。
また、同医師は、検査員、レントゲン技師が全員勤務を終えて帰宅した後のことでもあり、これを呼び帰えしてまで、あらためて、その他の血液検査やレントゲン写真の撮影をすべき必要性は認められないと考え、その措置を採らなかった。
結局、同医師は、診察の結果は第一審被告松岡修二の診断とさしたる違いはないと判断し、太郎の飲酒量から胃炎等の胃疾患の可能性があることを認め、コランチルを投与したが、その他の内蔵疾患の可能性をも捨てきれなかったので、とりあえず、点滴をしながら経過を観察し、午前九時から開始される院長の第一審被告森本譲医師の外来診察に繋ぐこととし、なお、容態の急変があれば、直ちに院長あるいは内蔵外科の専門医に連絡をして指示を仰ぐべく、看護婦に命じて、血圧を測定し、手術の際に必要とされている血管の確保を兼ねて、ハルトマン補液にビタミンと整腸剤を加えたものを五〇〇ミリリットル点滴するよう指示した。
右血圧の最大値は一四〇ミリメートル水銀柱であり、最小値は九〇ミリメートル水銀柱で、いずれも正常域にあった。点滴を始めてからも太郎の腹痛は改善されず、点滴中は姿勢を崩すことができないので、太郎は、点滴の中止を訴え、看護婦や辻川医師の説得も効なく、午前五時前から開始した点滴は、約二〇〇ミリリットルを残して中止され、太郎は、帰ろうとしたので、辻川医師は、午前九時から始まる院長の診察を受けるよう熱心に勧めた。
6 太郎は、乙山冬子と午前六時四〇分ころまで森本病院の外来待合室で休息していたが、乗用車で迎えに来た警察官の求めに応じて、乙山冬子とともに阿倍野警察署に出頭し、丁川夏子が所持していたカッターナイフのことを聴かれただけで、その後は刑事課室の長椅子の上で、乙山冬子とともに休息していたが、この間に嘔吐することもあり、腹部の痛みもなくならず、はた目にも衰弱していることが認められたので、阿倍野警察署の警察官は、病院に行くことを勧め、太郎らを自動車で森本病院まで搬送した。
太郎らは、午前一〇時五〇分ころ、森本病院に到着し、直ちに、第一審被告森本譲院長の外来診察を申込み、午前一一時五〇分前ころ、右院長の診察を受けたが、そのときには、太郎は、もはやベッドに横たわったままで歩けない状態であり、腹痛、嘔吐、悪心を訴え、顔面は苦悶の表情を呈し、腹部は膨満し、筋性防御が認められ、腸雑音は聞こえない状態で、全身にチアノーゼがあり、強い脱水症状が認められた。
第一審被告森本譲は、直ちに汎発性腹膜炎であると診断し、腸管破裂を疑い、すぐさま試験開腹をすることを決定し、手術準備を指示した。
手術は、同日午後一時三〇分ころ開始され、十二指腸下部に約半周分を横断したような破裂があることが肉眼でも確認できたので、この破裂創部位を縫合して、午後三時ころ手術は終了したが、予後が悪く、太郎は、鈍性外力による非解放性の十二指腸後腹膜破裂に起因する腹膜炎及び執下性肺炎が直接の死因となって、同日午後一〇時四九分ころ死亡した。
なお、右術後の予後不良は、亡太郎の体内に、いわゆるエンドトキシンショックによる非可逆的な状況が起こっていたことも、その一因と考える余地がある。
以上のとおり認められ、右認定とあい容れない<証拠略>は、いずれも、直ちには採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
二<証拠略>を総合すると、次のとおり認められる。
外力が加えられることによって発症する十二指腸破裂発症の機序については、(1)十二指腸が解剖学的に後腹膜腔に固定され、また、脊椎の前面に位置する部分があるため、前方からの鈍性外力そのものによって脊椎との間にはさまれて圧挫されることによるとするものと、(2)上腹部に前方から外力が加わった場合、十二指腸部にいわゆる閉鎖係蹄が形成され、この部分の十二指腸の内圧上昇によって穿孔が起きるとする考え方があるが、いずれにしても、亡太郎の罹患した鈍性外力による非解放性の十二指腸後腹膜破裂は、漏出液が後腹膜腔に流入し、腹腔内に散逸しないために、症状発現が遅れがちで、早期の診断、手術前の診断は困難であり、かつ、予後も不良である。右十二指腸後腹膜破裂は、肝・十二指腸靭帯の伸展などによっても裂傷を起こすといわれており、僅かな外力でも破裂することがあり、裂傷の程度は、必ずしも外力の強さとは比例しない。
右疾病による患者の症状は、一般に、上腹部痛、圧痛、腹壁緊張、悪心、嘔吐、さらには背腰部痛であり、これらの症状、所見も、初期においては一般に軽度かつ局所的であり、本症に特有なものではなく、ショック症状も認められないため、外来処置で帰宅させたり、観察入院ですますことが多い。しかしながら、時間の経過を加えてみると、これらの症状は、漸次増強して、全身状態までに及んでくるので、この変化を注意深く観察する必要がある。また、鈍性外傷による場合には、発症部位が、単に十二指腸のみにとどまるものは少なく肝・胆道系、膵臓、胃、小腸、さらには、腎尿路系も同時に損傷していることが多く、これが腹部の所見を一層不明瞭にしている。
臨床血液検査では、白血球の増加がみられ、膵臓損傷を伴う場合には、血清アミラーゼ値の上昇がみられるが、いずれも十二指腸破裂の診断上、その価値は大きくない。
腹部単純レントゲン写真によって、腎臓の周囲や腸腰筋に沿ったガス像が認められれば、十二指腸破裂の診断上、極めて有効であるといえるが、これについては、発症後の時間的経過の因子が大きく関係し、その出現率は低く、また、腎周囲の厚い脂肪層が同様の所見を呈する場合もあり、このほか、後腹膜腔への血液、胆汁、十二指腸液などの漏出による腎腸腰筋陰影の不鮮明化、横隔膜下骨盤腔内の後腹膜腔ガス像などが発症の根拠としてあげられるが、いずれも決定的とはいえず、鈍性外傷による十二指腸破裂の術前の診断は、極めて困難であり、このため、診断、処置が遅れて、致命的結果をもたらすことともなりかねないので、腹部に外力が加えられた場合の腹痛については、本症の発生可能性をも常に念頭において経過を観察することにより、開腹手術を含む治療行為の時機を失することにならないようにすることが必要である。
なお、亡甲野太郎が死亡した昭和五五年一〇月四日当時、右知見は、一般開業医の間に広く普及して認識され、臨床医学的にも定説となっていた。
以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
三このような医学的知見に基づいて勘案するのに、前記認定にかかる第一審被告松岡修二の亡甲野太郎に対して実施した診察の方法、並びにその結果に基づいて、亡太郎及び同行してきた警察官に対して行った、今のところ心配はないが、その後の経過観察を怠ることなく、好転することがなければ、再来院するようにとの所見の開示及び指示は、夜間救急病院の当直医師として相当であったものというべく、その過程に注意義務を尽くさなかった過失があるとは認められない。
なるほど、同医師は、亡太郎の血液検査を実施していないが、前記認定にかかる東住吉森本病院の救急体制により、午後九時をもって検査員は全員帰宅した後のことであり、また、<証拠略>によれば、血液検査実施の結果、例えば、白血球の増加が認められたとしても、当時の医学的知見としては、それが加わっただけでは、亡太郎に十二指腸等、内蔵の損傷があることを認定するに充分な資料とはなり得ないことが認められることを併せ考慮すると、深夜に、検査員を呼び出してまで血液検査等を実施する必要性があったとは認められず、右血液検査等をしなかったことに同医師の注意義務を尽くさなかった過失があるとは到底考えることができない。
四昭和五五年一〇月四日午前四時三五分ころ、亡甲野太郎は、東住吉森本病院に再度来院し、痛みが激しくなるし、嘔吐もした旨を訴え、第二回目の診療を求めたこと、今回は、当直医辻川覚志が診療に当たったこと、同医師の診療行為の具体的態様は、前記認定のとおりである。
右認定によれば、辻川医師の診察は、同日午前零時過ぎに第一審被告松岡修二医師が第一回目の診察で採った方法とほぼ同様の手順で実施され、その所見も、同第一審被告がカルテに記載したところと変わらず、ただ、胃炎の可能性をも疑い、その治療としてコランチルを投与しているが、なお、内蔵破裂の可能性をも捨てておらず、手術の際に必要とされる血管の確保を兼ねて、ハルトマン補液をベースにした五〇〇ミリリットルの点滴を実施し、併せて経過を観察することにしたことが明らかである。
右認定事実からは、辻川医師の採った診療行為の過程において、前記認定にかかる当時における一般の医師の医学上の知見に照らし、同医師において過失を問われる注意義務違反があったとは未だ断ずることができないと認めるのが相当である。
もっとも、原審証人辻川覚志の証言によれば、同医師は、当直のレントゲン技師及び検査員が当時の病院の制度上既に帰宅した後であり、太郎の他の症状をも勘案して(ちなみに、<証拠略>によれば、血圧は、当日の午前四時三〇分ころ、最大値が一四〇ミリメートル水銀柱、最小値が九〇ミリメートル水銀柱であって、正常域の範囲内にあったと認められることは、前記認定のとおりである。)、帰宅後のレントゲン技師あるいは検査員らに出頭を命ずることなく、その時間における、新たなレントゲン写真の撮影または血液検査等を実施しなかったことが認められるが、他の検査による亡太郎の容態及び院長の第一審被告森本譲医師の診察が午前九時から始まることをも考慮すると、点滴を続けながら亡太郎の容態の経過観察を行って、院長の診察に繋ぐとともに、容態の急変が認められれば、直ちに院長あるいは内蔵外科の専門医に連絡して、指示を仰ぐべく、病院内において経過観察を兼ねた点滴を実施しようとした、同夜における辻川医師の処置に、一般の医師として注意義務を尽くさなかった過失があるとは、到底これを認めることができないというべきである。
前記認定のとおり、右点滴は、亡太郎の意思により、二〇〇ミリリットルを残したところで中断され、辻川医師の熱心な説得にもかかわらず、これを継続することができなかったが、同医師にこれを強制する権限のないことはいうまでもなく、やむなく、午前九時から始められる院長の外来診察を受けるようにすることを勧めただけで、同人が退去するのにまかせた措置を採った同医師に、注意義務違反を問い、右措置を採った過程に過失があったと断ずることができないことはいうまでもない。
また、原審における乙山冬子本人尋問の結果の一部には、同女が外来の当直の看護婦に太郎の入院をさせてもらいたいと申し入れたのに対して、同看護婦から拒絶された旨の供述部分があるが、直ちには採用することができない。
五以上のとおりであって、第一審被告松岡修二医師及び辻川医師には、亡甲野太郎を診療するにあたって、当時の一般開業医としての知見に基づく注意義務に違反し、これを尽くさなかった過失があったとは認められないから、右過失があることを前提とする、第一審原告らの、第一審被告松岡修二に対する民法七〇九条に基づく損害賠償請求、第一審被告森本譲に対する民法七一五条あるいは診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償請求は、いずれもこの点において理由がなく、その余の点について判断するまでもなく、棄却を免れない。
六昭和五五年一〇月三日午後九時四五分ころ、亡甲野太郎が、酔余、阿倍野区三明町派出所の警察官に、内妻の丁川夏子が自殺するおそれがあるので保護してほしいとの保護願をしたが、それに対応する警察官の態度が不親切であるとして腹を立て、同派出所内において、卓上電話機を警察官の一人に投げつけるなどの暴行に及び、間もなく、同派出所内にいた警察官六、七名によって、公務執行妨害罪の容疑で現行犯逮捕され、直ちに阿倍野警察署に引致され、取調べを受けたこと、亡太郎は、その間、腹痛を訴え、嘔吐するなど、はた目にも衰弱していると映ったので、阿倍野警察署の警察官は、翌四日零時過ぎ、午前四時半ころ及び午前一〇時五〇分ころの三回にわたって、亡太郎を、救急病院である東住吉森本病院にパトロールカー、救急車等で搬送し、診察を受けさせたこと、亡太郎は、院長である第一審被告森本譲の三回目の診断により開腹手術を受け、約半周に及ぶ十二指腸管破裂創の縫合自体は終了したが、予後が悪く、第二次的に発症した腹膜炎及び執下性肺炎により、同日午後一〇時四九分ころ死亡したことは、いずれも、先に認定したとおりである。
第一審原告らは、亡太郎の十二指腸破裂創は、三明町派出所において逮捕された際、太郎が腹部を警察官によって殴打され、あるいは足で蹴られたことによって発症したものであると主張し、<証拠略>によれば、亡太郎が、第一審被告松岡修二医師及び辻川覚志医師、さらには第一審被告森本譲医師の各診察を受けたとき、あるいは、乙山冬子と阿倍野警察署で一緒になったときに、右同人らに対し、警察官に殴られたと述べたことが認められる。
しかし、(1)警察官が亡太郎の腹部を殴ったとの事実は、第一審被告大阪府の強く争っているところであり、また、<証拠略>によれば、前記昭和五五年一〇月三日の夜、三明町派出所で、亡太郎と対応した警察官の右前原弘道、同富永武木は、右派出所で警察官が亡太郎の腹を殴ったことを強く否定する証言をしている。(2)さらに、原審証人外間長福の証言によれば、同人は、阿倍野警察署で亡太郎を取り調べた警察官であるが、亡太郎が森本病院で第一回の診察を受けた際、松岡医師に対し、警察官に殴られたと述べたことを聞き、その後、亡太郎に対し、同人が警察官に殴られたという場所、時点、殴った警察官が誰であるか、等のことを具体的に聞いたが、亡太郎は、これに全く答えなかったところから、右外間長福は、亡太郎が警察官に殴られたと述べていることは、虚偽であると判断したことが認められる。
そして、右(1)(2)の事実に、<証拠略>に照らして考えると、亡太郎が、前記松岡医師ら三名の医師や乙山冬子に対し、「警察官から腹を殴られた。」と述べたことがあることや、その後、十二指腸破裂による腹膜炎で死亡したとのことから、警察官が亡太郎の腹部を殴打したものとは到底認め難く、他に第一審原告ら主張の右暴行があったことを認定するに足りる証拠はない。
かえって、前記認定にかかる逮捕に至るまでの一連の事実に、十二指腸破裂についての前記医学上の知見についての認定と、<証拠略>を総合すると、太郎の右十二指腸破裂創は、同人が三明町派出所において警察官に対する暴行に及んだときに、誤ってカウンターから落ちた際、腹部を強打して生じたものであるか、ないしは、同人が同派出所に来る数時間前までに、なんらかの機会に腹部を強打したことにより発症した可能性を否定することは困難であると認めるのが相当である。
また、第一審原告らは、阿倍野警察署の警察官は、四日午前四時二〇分までは太郎を逮捕して法的に拘束状態に置き、同人を釈放した右時刻以降も、事実上同人を拘束状態から解放しないで置きながら、腹痛を訴えている同人に対して適切な治療方法を与えるべき安全配慮義務に違反し、その結果開腹手術の時機を失して太郎を死亡させ、あるいは、第一審被告松岡修二医師の診断に際し、太郎が三明町派出所において警察官から腹部を殴打されたと訴えたのを、すぐさま否定し、また、同人が自力で排尿できないのは、シャブ中毒であることを知られたくないからである旨の虚偽の申告をしたことによって、それがカルテにも記載され、同医師及び辻川医師の診断を誤らせたものであると主張するが、同医師らが右警察官の発言により、診断を誤ったとは到底認められず、また、亡太郎が、辻川医師に対し、「警察官から殴られた。」と述べていること、その他、前記一に認定の各事実からすれば、亡太郎の第二回の診察の際に、警察官が、右辻川医師に対して、亡太郎の受傷の原因、容態の変化等の説明義務があったとは認められない。
さらに、前記一に認定の事実に、<証拠略>によれば、前記認定のように、阿倍野警察署の警察官は、四日午前零時ころ、救急病院である東住吉森本病院に太郎を連れて行き、当直医の第一審被告松岡修二医師の診断を仰ぎ、その結果、同医師の所見に基づく指示のとおり、経過をみながら取調べを実施しており、それにもかかわらず、太郎の腹痛が続き、状態の悪化が認められたので、同日午前四時二〇分ころ、同人を釈放するとともに、身柄引受人の内妻乙山冬子に介助させて同人を救急車で再度森本病院まで搬送し、午前四時三〇分ころ、当直の辻川医師の診察を受けさせ、さらに、右辻川医師の診察を受けたのち、阿倍野警察署警察官の求めにより同署に出頭し、その後、廊下で休息をとっていた太郎の様子をみて、三たび同病院の診察を受けさせるために、同人らを同病院に搬送して、院長である第一審被告森本譲の診察を受けさせていることが認められるのであって、その過程に第一審原告らが主張するような安全配慮義務の違反があったものとは認められない。
したがって、阿倍野警察署の警察官に第一審原告らが主張するような違法行為があったことを認めるに足りる証拠はなく、第一審原告らの第一審被告大阪府に対する国家賠償法に基づく請求は、この点において失当であり、その余の点についての判断をするまでもなく棄却を免れない。
七以上のとおりであって、原判決中、第一審原告らの第一審被告松岡修二に対する請求を棄却した部分及び第一審被告大阪府、同森本譲に対する請求の各一部を棄却した部分はいずれも正当であって、第一審被告らに対する第一審原告らの控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、また、第一審原告らの第一審被告大阪府、同森本譲に対する請求を各一部認容した原判決部分は、相当とはいえないので、原判決中、右の部分を取り消して、第一審原告らの右第一審被告らに対する請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法九五条、九六条、八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官後藤勇 裁判官東條敬 裁判官小原卓雄)