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大阪高等裁判所 平成元年(行コ)20号 判決 1991年4月23日

控訴人

佐々木和恵

右訴訟代理人弁護士

津留崎直美

岩永惠子

被控訴人

地方公務員災害補償基金大阪府支部長

中川和雄

右訴訟代理人弁護士

今泉純一

主文

原判決を取消す。

地方公務員災害補償法に基づき、被控訴人が昭和五三年九月四日付で控訴人に対してした公務外認定処分を取消す。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、次のとおり訂正・付加する外は原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決の訂正

原判決二枚目表一一行目の「傷害」の次に「、本件障害」を加え、同三枚目裏八行目の「同月」を「同年五月」と改め、同四枚目表初行の「病院」の次に「の赤星」を加え、同六枚目表二行目の「による受傷の」を「によって生じ、持続していた」と、同八枚目表末行の「及ぶものではない」を「及ぶものではなく、症状固定により補償関係は消滅している」と、それぞれ改める。

2  当審における控訴人の主張

本件事故は第一事故後控訴人に存在した両下肢の筋力低下、知覚鈍麻が原因となって引き起こされたものであるところ、右筋力の低下や知覚鈍麻は、次のとおり控訴人の基礎疾病たるレックリング病によるものではなく、公務に起因する第一事故の外傷(背中への打撃)に基づく脊髄損傷による神経障害であることは明白である。

すなわち、控訴人は第一事故前には何ら支障なく勤務及び日常生活を送っていたのに、第一事故後は一転して短時間しか起立できず、杖歩行を余儀なくされるようになったのであるが、事故を機に段階的に急激に神経障害が悪化したのは、レックリング病という内因的なものでは説明できず、外傷性のものと解するのが自然である。また、仮に控訴人に第一事故前からレックリング病による神経障害があったとしても、ミエログラム検査の結果、腫瘤が椎間孔を圧迫して脊髄までその効果が及んでいなかったことが明らかであり、赤星医師の診断や鑑定の結果及び控訴人の日常生活に照らしてもその程度は軽微であった。そして、第一事故後控訴人の脊柱の変形が大きくなった形跡がないこと、鑑定人が控訴人は脊柱の変形が高度であるにもかかわらず、進行が遅い旨証言していること及び仮にレックリング病が進行していたとすれば、控訴人の神経障害が改善することはありえないところ、控訴人は第一事故の傷病が完全に治りきっていない段階で職場復帰したにもかかわらず、神経症状は改善の方向にあったことに照らせば、右のようなレックリング病の状態が自然的経過の中でわずか半年足らずの間に本件事故の原因となるような状態に進行したとは考えられない。

3  当審における控訴人の主張に対する被控訴人の反論

当審における控訴人の主張は争う。控訴人のレックリング病に伴う脊柱変形は、若年で神経症状を呈して進行が急とされる椎体破壊型であるから、第一事故がなくともこれにより本件事故直前の中等度の脊髄圧迫症状が発症していたことは明らかである。仮に本件事故の時点ではレックリング病の進行が右中等度の脊髄症の段階に至っていなかったとしても、右中等度の脊髄症の症状の大半がレックリング病の寄与によるものであることは明白であり、第一事故がその唯一又は相対的に有力な原因であったとはいえない。したがって、本件障害は公務に起因するものではない。

三  証拠関係<省略>

理由

一  請求原因1の事実及び同2の事実中、裁決の送達日以外の事実については当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、控訴人は昭和五九年四月四日地方公務員災害補償基金審査会から裁決の送達を受けたことが認められる。

二  公務起因性について

1  控訴人の健康状態及び症状の経過について

前記一の事実に、<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  控訴人(昭和二八年一月二六日生)は、生後間もなく左腕皮膚に痣ができて徐々に拡大したため、五才のころ鳥取医科大学付属病院で検査を受けて痣の範囲を縮める手術を受けたが、その外には何ら異常なく生育した。その後、控訴人は一〇才ころから突背になったため、右病院や国立皆生病院等で診察を受けたが確定診断は得られなかった。控訴人は皮膚の痣が若干大きくなったものの、痣や突背による機能障害や痛み等はなく、自転車で中学校に通学し、バスで高校に通学するなど通常の学校生活を送っていたが、昭和四六年三月高校を卒業して大阪府堺市にある身体障害者職業訓練校に入学するに際し、身体障害者手帳(体幹機能障害二種五級)の交付を受けた。

控訴人は同校で印刷技術を習得した後、私企業に二年間勤務したが、その間、昭和四八年ころ大阪市西区所在の住友病院において診察を受けた際、「神経線維腫」と診断され切除を勧められた。しかし、その後北野病院において診察を受けて「レックリング病」と診断され、機能障害が生じていないから経過をみるように勧められたため、再度の検査や治療をしないまま経過していた。

(二)  控訴人は昭和四九年四月大阪府職員に採用され、大阪府身体障害者福祉センターの職業指導員として勤務した。右採用に先立って同年三月一四日に実施された健康診断の際の控訴人の状況は、身長一三二センチメートル、体重三二キログラム、胸囲六四センチメートル、全身状態はほぼ良であるものの、突背と左上腕から前腕にかけて表皮増殖性病変があるというものであったが、健康上問題がある旨の指摘はなかった。

控訴人は、職場から約五〇〇メートル離れたアパートで一人暮らしをしながら自転車で通勤し、同センターの授産施設で脳性麻痺等による重度身体障害者約一〇名に対し軽印刷(活版印刷)とタイプ印刷の訓練及び授産指導を行っていた。ところで、控訴人は同センターにおける唯一の印刷関係の職業指導員であって、軽印刷とタイプ印刷の指導のため一日に数回軽印刷作業所とタイプ印刷作業所との間を往復しなければならないところ、両作業所の間は一〇〇メートル以上離れていた。また、印刷の技術指導のため重たい版面を持ち運んだり、症状の程度や技術習得の程度が異なる重度身体障害者らに対し個別に指導したり、更に印刷の受注等の事務処理もしなければならなかったが、控訴人は身体に何ら異常を感じることなく勤務していた。また、控訴人は昭和五〇年四月から一年間右勤務の傍ら夜間に大阪府立社会福祉事業研修所に電車を乗り継いで通学したり、手話の講習会を受講したり、社会福祉関係のボランテァ活動をするなどの活動をし、自宅では炊事、洗濯等の家事を一人で行い、北海道や萩に旅行するなど通常の日常生活を送っていた。

(三)  ところが、昭和五二年五月二四日控訴人(当時二四才四か月)は左指(人指指、中指)の痺れ、左手に力が入らない、トイレが近く間に合わないことがある等の自覚症状を訴えて、耳原総合病院神経内科の赤星伸一医師の診察を受けた。その際、控訴人には「四肢腱反射の亢進、但し、病的反射や知覚障害は認められず、筋力はほぼ正常、歩行は継ぎ足歩行で動揺が見られるが、通常の歩行では動揺は見られず、階段歩行も可能」との神経学的な臨床所見が認められたうえ、同年六月七日に実施したレントゲン撮影の結果、第二頸椎と第三頸椎の間に透亮像(欠損像)が認められたため、同医師は頸椎レベルで脊髄が圧迫されることによる脊髄障害を疑い、控訴人を同月二二日から一週間入院させてミエログラム検査(脊髄造影撮影)を実施した。しかし、右検査の結果脊髄に通過障害は認められず、脊髄が圧迫されている病変は認められなかったため(但し、脊柱弯曲のため腰部から造影剤を注入することができなかったため、胸椎以下の状況は把握されていない。)、同医師は傷病名を「変形性頸椎症、レックリング病」としたうえ、控訴人にムスカルム剤(痙性を緩和する薬剤)、ビタミン剤等の薬物治療と経過観察をするため月に一度の割合で通院するように指示した。なお、同医師は控訴人の突背の原因については「真性くる病」と判断していた。

その後、控訴人は右指示に従って月に一度の割合で通院し、同年八月ころには左手の痺れ感を訴えなくなり、同医師に対しトイレは改善したものの、階段が下がりにくく、スリッパが脱げる旨愁訴した。その後、控訴人は同年九月ころには足がわからない、背中、頚筋及び胸が痛い等と、同年一〇月ころには腰以下の痺れ感やスリッパが脱げる等と、同年一一月ころには寒くなると左肘以下が痺れてきて、左手の巧緻性が悪くなり、尿をちびちび洩らす等と愁訴したが、同年一一月二七日には全体としては変わらないものの、階段を下りるのは良くなったと述べ、臨床所見としては四肢の腱反射が亢進していたが、病的反射は認められなかった。また、昭和五三年一月一〇日にも通院したが、著変はなかった。

同医師は控訴人の愁訴は神経症状の愁訴としては軽微であったため、右以外に特段の投薬や検査をせずに経過を観察していた。また、控訴人も、通院の際に同医師に前記のような愁訴をしていたとはいえ、右神経症状によって日常生活に支障を来したわけではなく、従前同様自転車で通勤して通常の勤務を継続していたうえ、昭和五二年七月一五日から一七日まで二泊三日で九州旅行をしたり、同年一〇月一一日に四国に一泊旅行をするなど以前と変わらない生活を送っていた。

(四)  昭和五三年二月一日、控訴人は右センターにおいて業務に従事中、風で飛んだ車椅子の入所者の手袋を取って通路の鉄製手すりを潜って戻る際に右手すりに突背部を強打して転倒し、その際胸部も打撲した(第一事故)。控訴人は直ちに担架で同センター付属病院に運ばれ、同病院の整形外科東医師の診察を受け、突背を強打したしたときは感覚麻痺、運動麻痺により両下肢が動かなかったが、診察時には少し動くようになっていたものの、両下肢に軽度の痺れ感があり、背中から腹部にかけて痛い旨を訴えた。

控訴人の右初診時の臨床所見は、突背に著名な圧痛があり、筋力が低下し(但し、自動運動は可能)、平常は亢進している腱反射が正常レベルであったというものであって、中枢神経系統の障害が考えられたが、知覚異常はなく、ケントゲン写真上著明な所見はなく骨折像も認められなかった。東医師は、打撲したときは完全麻痺であったものが初診時にはある程度回復していたことから、脊髄の異常から一過性に症状が出たものの、機能障害まで至っていないものと判断して「脊髄振盪症」と診断し、安静を主たる目的として入院を指示した。なお、入院時の控訴人の脊柱の状況は、胸椎部分で前方に九〇度、右凸に一八〇度弯曲していた。

入院後の診察によっても、控訴人には第一一胸椎以下に右が左より強い知覚鈍麻が認められ、中枢神経系統(錐体路)の障害を示す病的な反射であるバビンスキー反射がプラスマイナスであって、錐体路障害が疑われた。その後、控訴人は胸部痛、背部痛や下肢の痺れ感(皮膚の違和感)が持続したが著変はなく、同月六日にはベットの上で自由に体位交換が出来るようになり、介助なしに歩行ができるようになったため、一旦同月七日に退院予定とされた。しかし、控訴人は足が地についていない感じを持ち、両下肢(特に右下肢)の痺れ感を訴えたため退院が延期され、同月九日両下肢の痺れ感(特に右下肢が強度)と臀部感覚の鈍麻があって入院時とさして変化していなかったが、同病院を退院した。

(五)  控訴人は退院したものの歩行に不安を覚えて同年二月一四日赤星医師の診察を受けた。その際、控訴人には「四肢腱反射亢進、バビンスキー反射右マイナス、左プラスの疑い、第一腰椎以下の知覚鈍麻、臍より若干下の異常感覚、両下肢の筋力の低下(ダニエル徒手筋力検査二ないし三・正常人の約半分)」との神経学的臨床所見が認められたため、同医師は控訴人の右症状は脊髄の異常により一過性に症状が出た「脊髄振盪」ではなく、神経学的に器質的な異常があるとして「脊髄損傷(不完全)」と診断した。ところで、脊髄損傷には骨折を伴うものと伴わないものとがあり、神経内科の領域では治療対象として骨折を伴わない脊髄損傷の事例も多いところ、控訴人の症状は脊髄損傷による運動麻痺が主たる症状であり、このような症状の治療方法としては残存の筋力等を誘発して筋力を回復するリハビリテーション治療が最良の治療方法であるため、同医師は控訴人にリハビリテーション治療による機能回復及び検査を目的として入院するように指示した。そこで、控訴人は同月一六日耳原総合病院に入院し、同月二三日から藤田理学療法士の指導により器械器具を用いた機能訓練、変形徒手矯正術等を内容とするリハビリテーションを開始した。

なお、控訴人は、第一事故による傷害(傷病名・脊髄振盪、脊髄損傷)について同月六日付で公務災害認定申請をしたが、同年三月一一日付で被控訴人から「公務上災害(但し、療養の範囲は急性症状の消退するまでの間とする。)」と認定された。

その後、控訴人は下肢筋力の低下や知覚異常の外、排便・排尿障害を訴えていたが、投薬やリハビリテーションの結果やや改善し、同月二五日時点では「四肢腱反射亢進、両バビンスキー反射プラス、第二腰椎以下で軽度の、第四腰椎以下で強度の知覚鈍麻」という神経学的臨床所見が認められた。また、そのころ控訴人の左手皮膚の腫瘍が過剰発育していたため、これを切除する外科手術を実施することが検討された。しかし、前記身体障害者福祉センターには控訴人以外に印刷関係の職業指導員がいなかったため、控訴人の入院により入所者に対する印刷技術の指導訓練が中断しており、入所者から早期に職場復帰して欲しいと要望されていたので、控訴人は同年五月から職場復帰したいと強く希望し、右外科手術のために退院が遅れることを望まなかったことから、控訴人の右意向に従って結局外科手術は実施されなかった。

控訴人は、知覚鈍麻や筋力低下のために病院内で歩行中転倒したこともあったが、同年四月上旬ころから外出できるようになり、同月二二日退院した。控訴人の退院時の症状は、両膝以下の知覚鈍麻、筋力はダニエル徒手検査で三ないし四と入院時よりも回復したが、全体的に弱く、特に股関節周囲の筋力の低下が目立ち、また、筋の痙性(筋肉の引きつり)が出現し、筋運動の随意運動が障害されて協調性が低下していた。そのため、控訴人は、歩行の際には補助具として一本杖を使用しなければならず、階段の昇降の際には伝い歩きをしなければならなくなり、排尿及び排便障害は未だに残っている状況であった。そこで、同医師は控訴人に対し、当分の間は勤務時間を短縮するように指示した。また、藤田理学療法士は控訴人の職場に赴いて、前記印刷作業所の段差等の改善と仕事量の軽減等を要望したが、右要望は実現されなかった。

(六)  控訴人は、当初はほぼ毎日通院して従前同様のリハビリテーション治療を受け、同年五月一日からは午前中半日勤務に従事し、午後年休を取ってリハビリテーション治療に通っていた。控訴人は同月九日赤星医師の診察を受けた際、左膝以下の知覚障害及び痙性が強くなったことを愁訴したものの、全日勤務に復帰するためには症状固定の診断書が必要なので症状固定の診断をして欲しい旨要望した。同医師は、控訴人の右状態は治癒ではなく、機能維持及び症状の改善を期待してリハビリテーション治療の継続を必要とする状態と判断していたが、控訴人の右希望を考慮し、また、症状がある程度安定しており、短期間に改善或いは増悪することはないであろうとも判断して、二週間に一度の割合による通院治療と一週間に一、二度の割合によるリハビリテーション治療を継続するように指示したうえで、同月一〇日より症状固定、全日勤務に復帰可能の診断を行った。そこで、控訴人は同月一〇日から全日勤務に就いた。

なお、同医師は被控訴人からの照会に対し同年五月末日付「療養の内容について(回答)」で「症状が一応固定したものと考える。」と回答したため、被控訴人は同日をもって急性症状が消退したものと認めて療養補償を打ち切り、本件事故後である同年七月二四日付でその旨を通知した。

(七)  その後も控訴人は通院して赤星医師の診察を受け、同年五月二三日には歩行は少しよくなったが、一〇分以上は歩けず、杖がないと歩きにくい、膝以下の知覚障害は以前より良くなったと、同年六月八日には排尿、排便障害を、同月二七日には歩行するとだるくなる等と愁訴し、その際の検査によれば両膝以下の知覚鈍麻や知覚過敏が認められ、更に同年七月一一日には排尿については改善したが、左下肢の筋力低下が目立つ旨愁訴し、その際の検査によれば、バビンスキー反射は陰性化していたが、錐体路の異常を示す腱の震えがあり、膝以下の知覚鈍麻や知覚過敏が認められ、右下肢の筋力は全てについてダニエル徒手筋力検査が三程度であって正常人の約半分であった。同医師は右通院の際控訴人に前記ムスカルム剤やビタミン剤及び排尿や排便をコントロールする薬剤による治療を行っていた。

他方、控訴人は、右通院とは別に全日勤務を開始してからは週に二日行われていた夜間のリハビリテーション治療に通院していたが、仕事が遅くなった場合は通院できずに父親にマッサージをしてもらっていた。なお、右リハビリテーション治療における藤田理学療法士の観察によれば、控訴人の筋力低下はほとんど変化していなかったが、痙性麻痺の増強により関節のコントロールが困難となり、両下肢の知覚障害とあいまって歩行障害及び立位障害が存在していた。

控訴人は、右障害のため職場復帰後自転車に乗ることができなくなり、従前七分位で歩いていた通勤区間を杖をついて二〇分位かかってたどたどしく歩いて通勤するようになり、家事をすることもできなくなった。そのため、郷里から父親が来て同居し、炊事、洗濯等の家事を行い、控訴人を自転車に乗せて送り迎えをするようになった。しかしながら、控訴人は、リハビリテーション等により徐々に回復し、六月ころには足の安定性が増して一度に歩ける距離が長くなり、七月ころには他人のカメラのシャッターを押す程度の時間は杖なしで起立することができるようになった。

(八)  控訴人が復職した後の業務内容や業務量は第一事故前とほぼ同じであり、特に長時間の時間外勤務をしたことはなかったものの、控訴人は右のような障害を有して杖歩行を余儀なくされ、しかも、前記のとおり軽印刷作業所とタイプ印刷作業所の間が離れているという職場環境の中で重度身体障害者の技術指導や作業介助の勤務を続けていたため、従前より強く疲労を覚え、とりわけ、昭和五三年六月からは結婚してタイプ印刷の内職をすることとなった入所者への指導援助、新機材購入の予算要求、業者との交渉等で忙しくなり、同月末から七月にかけて暑さも募ったため、疲労が増大した。

(九)  控訴人は、同年七月一九日午後六時ころ帰宅して夕食を済ませた後、同日午後七時三〇分ころ入浴するために浴室に入り、浴槽の上の洗桶を取ろうとして腰をかがめたところ、足の裏の感覚が鈍かったことなどから体のバランスを失って片足が前に滑ったため、後足で踏み止まろうとしたが、力が入らずに後ろに転倒して背中(突背部)を浴室のタイル床に打ちつけ、同年二月の第一事故で打撲した部分とほぼ同じ部分を強打して、呼吸困難の状態となった。控訴人は、直ちに前記耳原総合病院に搬送されて赤星医師の診察を受けて「脊髄損傷」と診断された。なお、控訴人や父親は、滑りやすい浴室での転倒事故を避けるために、控訴人が最初に入浴することとしていたうえ、予め父親が入浴前に浴室を点検して床面が乾いていることを確認し、濡れていればこれを拭くなど相応の注意を払っていた。

控訴人は、右下肢の伸展が僅かに残る程度の両下肢完全麻痺及び第四胸椎以下の知覚鈍麻が認められ、独立歩行ができなくなり、車椅子に頼る生活をしている。

<証拠>中、右認定に反する部分は、いずれも前掲各証拠に照らしてたやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  レックリング病について

前記1の(一)で認定したとおり控訴人はレックリング病に罹患していたところ、<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  レックリング病は、遺伝性家族性に発生することの多い腫瘍性奇形であり、皮膚に神経線維腫と大小様々の茶褐色の色素斑(ミルクコーヒー斑)が存するのが特徴である。皮膚腫瘍は帽針頭大から指頭大あるいは更に大きい半球状の腫瘍で、全身の皮膚に多発する。色素斑は種々の大きさのものが多発しており、これに血管腫、リンパ管腫が併発することもある。中枢及び末梢神経線維にも腫瘍が発生することがあり、末梢神経にできると硬い腫瘍として触れて疼痛があり、神経根に発生すると神経痛様疼痛が生じ、中枢神経に発生すると麻痺あるいは刺激症状が生じる。予後は不良であって、対症療法以外に適切な治療方法はない。

(二)  また、レックリング病の患者には多発性の髄膜腫、脊髄の上衣の増生や腫瘍、視神経腫等が合併することがあり、脊椎側弯、後弯その他の骨の異常、頭蓋骨の部分的欠損等の病変を見ることもある。

そして、レックリング病に伴って脊柱の変形がある割合は一般に一〇ないし二〇パーセントとされ、そのために神経症候を呈する割合は全体の二ないし一〇パーセントとされている(なお、昭和六三年に発表された神経皮膚症候群のアンケートによる実態調査においては、調査対象の約半数にレックリング病に伴って脊柱の変形が存在し、約八パーセントが神経症候を呈した旨報告されているが、これは調査対象が脊柱の変形を治療対象とする整形外科領域であったためとされている。)。右神経症候の機序は、①腫瘤が髄外性に生じて椎間孔を圧迫し、更に脊髄にまでその圧迫効果が及ぶ場合と、②脊柱の変形もしくはそれに伴う各種の奇形(髄膜瘤、潜在性二分脊椎)が高度となって脊髄又は周辺組織を圧迫した場合があると考えられる。

(三)  レックリング病と合併した脊柱側弯に関しては、従来X線所見からレックリング病に伴う側弯症と診断できるような脊柱側弯はないとする見解とレックリング病に特徴的な脊柱側弯があるとする見解があったが、一九七五年九月ころ東京大学医学部整形外科教室が昭和三二年一月から昭和四八年六月までカルテやX線写真が保存されていた四八例のレックリング病患者のうち、脊柱変化が認められた二六例を対象にレックリング病における脊柱変形の特色について検討して次のとおり報告した。すなわち、右二六例のレックリング病に伴う脊柱側弯のうち、レックリング病に非特異的な型のものが九例であったが、いずれも一五度以下の側弯症であり、側弯の進行は認められなかった(但し、進行する旨の報告もある。)。レックリング病に特異的な型のもののうち、特有な鋭角楔状椎を伴った短く鋭い型が一〇例であり、初診時年令は五才六月から四八才(最終診年令は一〇才から五九才)であり、成長期に急速かつ著しく進行する傾向があり、骨成長期終了後もたえず進行し続けるが、脊柱変形に伴う神経症状は稀である。他方、椎体破壊を伴う型が六例であり、初診年令は四八才という一例を除き、七才九月から一九才四月(最終診年令は一二才一月から一九才五月)と若年であり、いずれも高度の頸椎後弯が認められ、六例中五例に四肢不全麻痺の神経症状があるが、その程度は神経線維腫が脊椎周辺に見られた事例及び脊柱管内に腫瘍が及んでいた事例では重度であるが、その余は軽度と報告されており、若年で神経症状を呈し、進行が急であるため、予後は深刻であるが、高度の頸椎後弯にもかかわらず、上肢の痺れ感を訴えたのみの事例も存する。

3  鑑定の結果について

<証拠>によれば、原審において鑑定を求められた高柳哲也(奈良医科大学神経内科教室教授)の見解は次のとおりである。

(一)  控訴人はレックリング病に罹患しており、第一事故前からこれに合併した脊柱の変形による軽度の神経障害(脊髄障害)があったと推定される。しかし、一般的にはレックリング病は緩徐進行性であるから段々に脊柱が変形して脊髄、神経根を圧迫し、これによって神経根症状(痺れ感や痛みを伴い節性の知覚障害を内容とする神経症状)等の神経症状が出現すると考えられるところ、控訴人の知覚障害の分布状況について充分な検査がされていないので右所見の有無は不明である。しかし、第一事故前の神経症状の程度や年令(二四才当時に発症していること)からみて、脊柱の変形が高度の割には神経症状は軽微に推移しており、突然症状が出るような状況ではなく、第一事故がなかったならば神経障害が急激に進行することはなかったと考えられる。

(二)  控訴人は、第一事故によって変形部位を強打したことによって圧迫性脊髄障害を高度に惹起したが、第一事故は控訴人にレックリング病による突背がなければ起こらなかった事故であり、その意味でレックリング病と打撲が共働して右障害を惹起したものである。

(三)  その後、第一事故による圧迫性脊髄障害は本件事故直前には中等度まで回復したが、下肢の運動知覚障害が存在したため、下肢が滑り転倒して打撲し、脊髄損傷及びこれによる両下肢完全麻痺の神経障害を惹起した。本件事故後の脊髄損傷は第一事故による傷病が本件事故により更に助長悪化され、高度な神経症状を惹起したと考えられ、別の損傷とは考えがたい。

控訴人の神経障害は第一事故によって全体として悪化したため、本件事故直前にレックリング病による神経障害が進行していたか否かをいうことは困難であり、第一事故による脊髄損傷に基づく神経障害とレックリング病による神経障害の共働の割合をいうことは困難である。

4  控訴人の神経障害の程度及び原因について

以上認定の事実に基づき、控訴人の神経障害の程度及び原因について検討する。

(一)  まず、第一事故前の控訴人の神経障害について検討するに、前記1で認定した事実、とりわけ控訴人の第一事故前の日常の生活状況や耳原病院に通院期間中の神経学的な臨床所見、愁訴の内容及び前記3で認定した鑑定人の見解等によれば、控訴人には昭和五二年五月ころから運動障害、錐体路障害及び排尿障害等の軽度の神経障害があったものというべきである。そして、前記2で認定したとおりレックリング病は脊柱弯曲症を合併することがあり、その場合脊髄が腫瘤又は脊柱の変形によって圧迫されることによって神経障害が出現するところ、控訴人はレックリング病に罹患しており、しかも脊柱が高度に変形していることに照らせば、レックリング病に合併する脊柱弯曲症による神経障害が出現する可能性があるうえ、他に原因疾患は窺われないから、控訴人の第一事故前に存在した軽度の神経障害はレックリング病に合併する脊柱弯曲症による神経障害と認められる。また、前認定のとおり控訴人の場合腫瘤が生じて椎間孔を圧迫し、それが脊髄にまで及んで神経根症状を呈していたか否かは不明であること及び<証拠>によれば、腫瘤の圧迫状況を診断するにあたっては、ミエログラム検査が有効であるところ、昭和五二年六月実施の控訴人のミエログラム検査においては胸椎までの脊髄に著変を認めなかったことが認められることに照らせば、右神経症状の機序は腫瘤が椎間孔を圧迫し、それが脊髄にまで及ぶ場合とは考えがたく、脊柱が高度に変形して脊髄や神経根を圧迫したことによって神経症状を呈するに至ったものと推認するのが相当である。

しかし、控訴人が通常の勤務に就いて家事等日常生活に支障がなく、旅行もしていること、継ぎ足歩行で動揺が見られるものの、独歩が可能であったうえ、昭和五二年一二月末の検査においても病的な反射は認められなかったこと等の臨床所見や左手の痺れ感については一時愁訴しなくなり、スリッパが脱げることは訴えているものの、歩行については特段の愁訴がないなどの愁訴の内容、程度、経過に照らせば、脊柱の変形の割に神経障害の程度は軽度であり、進行していなかったものと認めるのが相当である。

控訴人は、第一事故より前にはレックリング病に伴う脊柱弯曲症による神経障害は生じていなかったと主張し、<証拠>中には、左手の痺れ感は疲労性のものであって、この期間の障害は脊髄レベルの障害ではない旨右主張に副う供述部分があるが、前認定の事実及び鑑定の結果に照らしてたやすく採用できない。また、前記1、(三)で認定したとおり赤星医師は控訴人の突背の原因を「真性くる病」と判断しているが、検査の結果によって判断したものではなく、当審における証言で訂正しているうえ、反対趣旨の<証拠>に照らして採用できない。

(二)  次に、第一事故による神経障害について検討するに、前認定の事実によれば、控訴人は第一事故の突背部打撲により圧迫性脊髄損傷の傷害を高度に惹起し、打撲直後には感覚麻痺、運動麻痺により両下肢が動かない程であったが、その後急性期を過ぎてやや回復したのであるから、右神経障害の原因が第一事故による圧迫性脊髄損傷であることは明らかである。なお、前記1、(四)で認定したとおり東医師は第一事故による受傷を「脊髄振盪」と診断したが、前認定のとおり控訴人に各種の神経症状が認められるのは脊髄が器質的に損傷されたためと解されるうえ、同医師も原審において「脊髄損傷」と訂正する旨証言していること及び前記3認定の鑑定人の見解に照らせば、控訴人の右受傷は脊髄振盪に止まらず圧迫性の脊髄損傷であったというべきである。

(三)  さらに、本件事故直前の神経障害について検討するに、前認定の事実によれば、控訴人は本件事故直前においても両下肢の筋力低下や知覚鈍麻等の中等度の神経障害(運動知覚障害)が存在して杖歩行を余儀なくされており、赤星医師により昭和五三年五月一〇日付で症状固定と診断されてはいるが、右診断は前記1、(六)で認定したとおり控訴人の職場復帰の希望に沿って早めになされたもので、現に控訴人は第一事故による症状につき通院治療及びリハビリテーション治療を継続し、しかも、その効果が若干上がっていたのであるから、実際には症状固定の時期ではなく、依然として第一事故による障害に対する治療の継続を必要としていたものというべきである。<証拠>によれば、控訴人は昭和五四年八月九日被控訴人に対し障害補償一時金等の支給を求めるために昭和五三年五月一〇日付で症状固定したと記載していることが認められるが、これをもって右認定を覆すに足りず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そこで、本件事故直前において控訴人に存在した下肢の筋力低下や知覚鈍麻等の中等度の神経障害(運動知覚障害)の原因について検討する。

前認定のとおり控訴人の神経症状は、第一事故前の神経症状が軽度であったのに対し、事故後に残存した症状は中等度であって、事故を機に段階的に急激に悪化しているところ、一般的にはレックリング病は緩徐進行性であるから段々脊柱が変形して脊髄、神経根を圧迫し、これによって神経症状が出現するものであるから、右のような急激な悪化はレックリング病に伴う脊柱変形による自然的な経過としては考えられないこと、仮に控訴人がレックリング病に伴う脊柱側弯によって神経症状を呈する型(脊椎破壊型)であるとすれば、二〇才より前に症状がでるのが通常であるところ、控訴人は二四才四か月の時に初めて下肢の運動障害や左指の感覚障害等の症状が出始め、しかも、仕事や日常生活に支障を生じておらず、脊柱の変形が高度の割には神経症状が比較的軽微に経過しており、鑑定人も控訴人は進行が遅い症例であると判断していること、医学文献上も脊柱の変形が高度でも比較的神経症状が少ない場合があること及び仮にレックリング病が進行しているとすれば、耳原総合病院を退院した後にも神経症状は悪化するはずであるが、その後控訴人の神経症状は若干改善されていることに照らせば、レックリング病に伴う脊柱変形が自然的経過によって急激に進行したため本件事故直前のような下肢の筋力低下や知覚鈍麻等の中等度の神経症状が生じたとは認められず、右神経障害は主として右第一事故による脊髄損傷が回復せずに残存していたことによるものというべきである。

被控訴人は、控訴人のレックリング病に伴う脊柱の変形が高度で、椎体が破壊されていたから、控訴人の両下肢の筋力低下、知覚鈍麻等の神経障害(運動知覚障害)はレックリング病の自然の進行によっても起こりうる旨主張し、<証拠>中には控訴人の神経障害の大半はレックリング病によるものであり、段々脊柱が曲がってきて自然の経過から障害がでる可能性がある旨これに副う供述部分がある。しかし、<証拠>によれば、レックリング病は慢性疾患で、外傷が起これば急激に悪化することがあるが、そうでないかぎり緩徐に発生し、徐々に進行すること及び控訴人の従前のレックリング病の進行に照らせば急激に症状が出るとは考えられないことが認められるから、右供述は直ちに採用できない。また、<証拠>中には控訴人の椎体が破壊されている旨の供述部分があるが、本件事故によって脊髄を打撲した後の鑑定時点において控訴人の椎体が破壊されていたとしても、前記のとおりレックリング病において脊椎が破壊されていた事例においても高度の頸椎後弯にもかかわらず、上肢の痺れ感を訴えたのみの事例も存すること、控訴人に椎体破壊による神経根症状が存在したか否か判然としないうえ、第一事故後に脊柱の変形が進行して高度になったことを認めるに足りる証拠はないから(なお、<証拠>によれば、控訴人は再審査請求の際に二度の負傷により背中の歪みがひどくなった旨陳述していることが認められるが、具体的な時期、程度等は不明であって、これをもって第一事故後脊柱の変形が高度となったことを認めるに足りるものではない。)、脊柱変形によって急激に圧迫症状を呈したとは考えがたい。そうすると、鑑定時に椎体が破壊されていたことをもってレックリング病に伴う脊柱の変形が高度になって急激に神経症状が出たものと見ることはできず、被控訴人の右主張は採用できない。

5  公務起因性の有無について

(一)  地方公務員の負傷に起因する疾病が地方公務員災害補償法上の「公務上の疾病」というため、すなわち公務員の疾病に公務起因性があるというためには、公務上の災害と負傷との間及び負傷と疾病との間にそれぞれ相当因果関係があることが必要であるが、当該公務員が基礎疾病や既存疾病を有している場合には、公務上の災害がこれらを誘発又は急激に増悪させて発症を早める等、それが基礎疾病等と共働原因となって疾病をもたらした場合には右相当因果関係があるというべきである。

(二)  これを本件についてみるに、控訴人には第一事故前に基礎疾病としてレックリング病に合併した脊柱の変形による軽度の神経障害があったところ、公務上の災害である第一事故によって変形部位を強打したことによって圧迫性脊髄障害を高度に惹起したのであるから、右打撲が右基礎疾病と共働して右障害を惹起したものと認められ、これに公務起因性が認められることは明らかである(被控訴人も第一事故による傷害を公務災害と認定している。)。

次に、前記4で認定したとおり控訴人は右基礎疾病による軽度の神経障害があったものの、主として第一事故による脊髄損傷に基づく神経障害(下肢の運動知覚障害)が未だに中等度存在して通院治療を継続中であったところ、前記1、(九)で認定したとおり入浴の際両下肢の筋力低下や知覚鈍麻等の運動知覚障害のため、体のバランスを失って片足が前に滑り、踏み止まろうとした後足に力が入らずに後ろに転倒し、第一事故で打撲した箇所と同一箇所を再度強打して高度の神経障害である本件障害を惹起したものである。

そこで、公務に起因する第一事故による障害と本件障害との間の相当因果関係の存否について検討するに、本件事故は右のとおり下肢の運動知覚障害が原因となって惹起されたものであるところ、右運動知覚障害は、その中に基礎疾病たるレックリング病に合併した脊柱の変形による軽度の神経障害が存在しているとはいえ、主として通院治療中の第一事故に基づくものと解されること(換言すれば、仮に第一事故に基づく下肢の筋力低下や知覚鈍麻等の運動知覚障害が存在しなかったならば、本件のような転倒打撲事故は生じなかったものと考えられること)、一般的に同一箇所を再度打撲すれば機能障害はより高度になるところ、本件事故により第一事故時の受傷部位と同一の部位を再度打撲したことにより、第一事故がなかったならば生じたはずの障害よりも高度の障害を生じたものと推認されること、前記のとおり鑑定人も本件障害は第一事故による神経障害が本件事故により助長悪化したもので別の損傷とは考えられない旨鑑定していること及び入浴が社会生活上不可欠な通常の行動であって、その際控訴人に落度があったとは認められないことに照らせば、第一事故による傷害及びこれによる下肢の運動知覚障害が共働原因となって本件障害を惹起したものというべく、公務に起因する負傷(第一事故)と本件障害との間に相当因果関係があるというべきである。そうすると、本件障害には公務起因性があるといわねばならない。

(三)  被控訴人は、本件事故は公務に関係なく生じたものであるから公務起因性がないというけれども、前記のとおり本件障害と公務に起因する負傷(第一事故)による障害との間に相当因果関係が認められる以上、本件事故が公務と関係のない時間、場所で生じたとしても、公務起因性を否定することはできないから、右主張は採用できない。

また、被控訴人は、控訴人の第一事故による受傷についての補償関係は症状固定により消滅しているというけれども、前認定のとおり赤星医師による症状固定の診断は控訴人の要望に応じて第一事故に起因する脊髄損傷による神経障害の症状が実際に固定する時期よりも早期になされ、控訴人は右障害について通院加療中であったから、右主張は前提を欠き失当というほかはない。

三  結論

以上によれば、控訴人の本件障害を公務上の事由によるものとは認められないとした被控訴人の本件公務外認定処分は違法として取消を免れない。

よって、これと結論を異にする原判決は失当であるからこれを取消し、控訴人の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官篠原幾馬 裁判官長門栄吉 裁判官永松健幹)

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