大阪高等裁判所 平成元年(行コ)21号 判決 1991年1月25日
控訴人
松田勲
右訴訟代理人弁護士
仲田隆明
同
後藤貞人
被控訴人
大阪府教育委員会
右代表者委員長
若槻哲雄
右訴訟代理人弁護士
比嘉廉丈
右指定代理人
谷口廣
同
中田敏夫
同
辻田宣伸
同
西村嘉一
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の申立
一 控訴の趣旨
1 原判決を取消す。
2 被控訴人が昭和六〇年一二月一九日付で控訴人に対してした懲戒免職処分を取消す。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
次に訂正、付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の訂正
1 原判決三枚目表七行目末尾の「右」を削除する。
2 同四枚目表六行目の「二九条」の次に「一項」を加える。
二 控訴人の主張
1 本件集会およびデモ行進の性格
(一) 本件集会(「成田闘争二期工事阻止、不法収用法弾劾、東峰十字路裁判闘争勝利」一〇・二〇全国総決起集会)は、主催者は地元の住民で結成されている三里塚芝山連合空港反対同盟(以下「空港反対同盟」という)であったが、当日の参加者は、右空港反対同盟の農民、中核派全学連のみではなく、弁護士、宗教家、岡山県日本原の農民、山梨県北富士の農民、長崎県佐世保の漁民、国鉄労働者、部落解放同盟員、労働組合、学生団体、障害者団体、女性団体、その他親子連れを含む老若男女と、多様であって、そのことからも、本件集会が単一の主義主張を有する集団のみによって構成されていたものでないことは明らかであり、いわゆる過激派集団による集会やデモ行進ではない。
(二) 例年数回開かれてきた本件集会以前の同種の三里塚現地集会においては、たとえ「空港突入」のようなスローガンが掲げられていたとしても、集会およびその後のデモ行進は、空港反対同盟の責任のもとに、平穏に行われてきたものである。
(三) 空港反対同盟と三里塚闘争は、当初より「実力闘争」を運動理念として掲げてきたが、それは「空港突入」を意味するものではなく、また、成田空港問題の当初からの経緯を見れば、三里塚闘争の参加者がその運動理念を当然のものとして参加してくることは十分に理解できることであって、「実力闘争」というスローガンは、個々の集会、デモ行進の戦術提起として出されているものではないと考えるべきである。
(四) なお、本件集会会場に掲げられていたとされる「機動隊をせん滅し、空港に突入せよ」というスローガンは、本件集会の主催者である空港反対同盟が掲げたものではなく(乙第七号証の五の左下の写真と同号証の七の下方写真に「機動隊をせん滅し、空港に突入せよ」というスローガンが見えるが、これは、本件集会会場の背後に当たる位置に掲げられているものであり、それは、参加した支援団体のいずれかが掲げたものと考えられる)、本件集会の主催者が本件集会のスローガンとして呼びかけた内容は、「二期工事阻止」「不法収用法弾劾」「東峰十字路裁判闘争勝利」「動労千葉支援」だけであり、多くの参加者は、このスローガンの内容だけを見て本件集会に参加したものと考えるべきである。
(五) 本件集会に先立ち、豊中市で一〇月八日に開催された「一〇・八 三里塚大集会」(以下「一〇・八集会」という)は、本件集会の全関西規模の前段集会であるが、これも精神科医、大学教授、牧師など多様な人々が挨拶に立っており、これをいわゆる過激派集団の集会として見るべきではない。
(六) 本件集会およびその後に予定されていたデモ行進は、集会会場管理者の成田市と千葉県公安委員会の許可を受け、適法に開催されたものであり、控訴人がこれらに参加することは、適法な行為であって、何ら非難されるべきものではない。
2 機動隊と集会参加者の一部との衝突についての控訴人の責任
(一) 本件集会に先立つ「一〇・八集会」において、そのプログラム(<証拠略>)に、機動隊にガス弾を浴びせられた場合の対策の記載があること(<証拠略>)、メッセージの中に「実力闘争」とか「一〇・二〇空港突入」の記載があること(<証拠略>)、などの事実があったとしても、右集会は、様々な立場の人が意見を表明し、メッセージを寄せているのであり、また、右集会に寄せられたメッセージは、集会自体には参加していない者からのものであり、その記載内容によって集会の性格を判断すべきではないし、それが本件集会の参加者全員の意識、行動と一致するはずのものではない。右「実力闘争」とか「一〇・二〇空港突入」という字句は、「北富士忍草母の会」および「杉並革新連盟の長谷川英憲」からのメッセージの中にあるものであるが、その文章全体を見ても具体的に兇器準備集合罪や公務執行妨害罪に言及しているところは皆無であり、これをもって「一〇・八集会」あるいは本件集会の性格を判断することはできない。
(二) 機動隊にガス弾を浴びせられた場合の対策の記載(<証拠略>)も、「三里塚野戦病院(現地対策本部)」ないし「神戸市民救援会議」なる救援団体の発行とされており、そのうち後者は「一〇・八集会」の参加団体であり、主催者の発行したものではないし、その文面も、三里塚闘争参加者に対する一般的心得の説明に過ぎない。
したがって、これらのメッセージやガス弾対策が記載されたプログラムが配布されたということから、「一〇・八集会」や本件集会の参加者全員が、過激派集団が行ったような犯罪行為に及ぶことを当然のこととしていたとすることはできない。
(三) また、前述のように、本件集会は、三里塚芝山連合空港反対同盟北原派グループや中核派全学連の二つの集団だけで構成されていたわけではなく、もっと多くの多様な集団が参加していたのであるから、本件集会の参加者のすべてを、最初にデモに出発した中核派を中心とする約一〇〇名あるいは第一公園付近で角材等を使用した者らと同視すべきではない。
(四) 本件集会の参加者数は、主催者の発表で約一万四、五千人、控訴人の目測でも約一万人程度であり、約四〇〇〇人という少ない人数ではなかったのであるが、いずれにしても三里塚交差点付近で機動隊と衝突したのは中核派を中心とする約一〇〇名にすぎず、集会参加者全体から見れば精々数パーセントの者の行為である。
(五) 集会の参加者全員が一つの団体に属している場合や、参加者全員が兇器を所持していたような場合は格別、様々な団体、個人が多数参加している本件集会のような場合は、その一部の者が鉄パイプ等を持って機動隊と衝突したからといって、その責任が参加者全員に及ぶわけではない。
(六) 第一公園付近で起こった機動隊と集会参加者の一部の者との間の衝突は、機動隊の攻撃によって突発的に生じたものであり、後方にいた控訴人があらかじめ予想していたような事態ではない。
(七) 控訴人が、あらかじめ、ともに集会に参加した友人である宮武章治や同僚教師に、自分が逮捕された場合の有給休暇の手続などについて依頼していたということも、犯罪行為をしに行くから逮捕される場合の準備をしたというのではなく、控訴人自身過去に不当逮捕された経験を持ち、かつ、三里塚闘争において常々過剰警備がなされ、不当逮捕が行われていることを知っていたから、それに備えたにすぎず、また、本件集会参加者全員にヘルメットが配られ、控訴人もそのヘルメットを着用していたということも、ヘルメットは元来防御用のものであり、攻撃的な性格のものではなく、いずれも、特別に本件集会やデモ行進のために取った措置というよりは、闘争参加者の一般的心得に過ぎないから、そのことによって、控訴人が兇器準備集合罪等の犯罪行為を予想していたことと結びつくものではない。
(八) また、前述のように、実際に三里塚交差点付近等で機動隊と衝突したのは、本件集会参加者の中の極く一部の者の行為に過ぎないから、控訴人が、最初にデモに出発した約一〇〇名のグループの中にいたというのであれば、たとえ控訴人自身が兇器等を所持していなくとも、三里塚交差点付近へ行くまでにその集団から離脱しない限り、共謀を推認されても仕方がないともいえるが、約一万名にも達する集会参加者の極く一部の者が兇器を有して機動隊と衝突したからといって、本件集会参加者のデモの集団から離脱しなかったことをもって、共謀の責任を問われることは不当である。
(九) 以上を総合して考えれば、控訴人が、本件集会およびその後のデモ行進に参加したことをもって、デモ行進参加者の一部が兇器を所持し、機動隊員に暴行を加えた行為につき、控訴人に、共謀関係を認めることの不当性は明らかである。
3 控訴人の現行犯逮捕の不当性
右のように、機動隊と衝突し、機動隊員に暴行を加えたデモ行進参加者の一部の行為について、控訴人との間に共謀関係が成立しないばかりでなく、控訴人の逮捕自体が全くの不当逮捕であった。
すなわち、本件集会における機動隊の警備状況は、不当に厳しく、空港反対同盟主催の過去の全国総決起集会を上回る異常な程に厳重な警備体制であって、このような過剰警備が、本件当日の機動隊とデモ参加者との衝突の要因となった。
そして、本件集会終了後、三里塚交差点での衝突のため、集会参加者の大半は、デモ行進に出発できないまま第一公園に待機していたが、その一部が迂回路を通ってデモコース方向に向かっていた途中に、機動隊が第一公園内に乱入、控訴人を含む大量逮捕を行ったものである。もともと、そのときの第一公園内は、デモ参加者が待機していただけであり、第一公園内から機動隊に対して投石などの暴行の事実はなかったのに、機動隊は、第一公園前で応戦した集団がいた方向とは別の方向から、放水車による放水やガス銃の乱射を伴って、乱入してきたものであり、第一公園内での無差別的大量逮捕は、「公園前で応戦した集団」に対する規制としてなされたものとはいえない、全くの違法、不当かつ過剰なものであったといわなければならない。
4 教育公務員の服務規律、職務専念義務と本件逮捕について
教育公務員の服務規律、職務専念義務については、公務員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、かつ、職務の遂行に当たっては、全力を挙げてこれに専念しなければならず、また、その職の信用を傷つけ、職員全体の不名誉となるような行為をしてはならないとされ、特に教育公務員にはそのことが強く求められるとされる。
しかし、以下のとおり、控訴人が本件集会に参加したことに関し、地方公務員あるいは教育公務員としての服務規律、職務専念義務に反する行為はない。
第一に、控訴人に対する本件逮捕については、その容疑事実がなかったのであるから、「信用を傷つけ、職員全体の不名誉となるような行為」がそもそもなかった。
第二に、既述のように、本件逮捕自体不法、不当なものであるから、本件逮捕とそれに続く勾留についての責任は、すべて警備当局および検察当局にあるといわなければならない。
第三に、控訴人が本件集会およびデモ行進に参加しようとした行為は、憲法第二一条で保障された集会や表現の自由を行使したものにすぎないのであって、教育公務員の服務規律に反することはなく、その信用を傷つけるものではない。たとえ教育公務員の服務規律を厳格に求めるにしても、それによって憲法で保障された自由を制限することがあってはならない。
本件集会の参加者の一部の者と機動隊との衝突が、大々的に報道され、その結果、本件集会とデモ行進の政治的主張全体を批判する反響が拡がったとしても、その参加者全体について「社会的信用を失墜する行為」があったとすることはできない。
たしかに本件集会とデモ行進は政治的な性格を持つものとして、その評価については意見が分かれることになるが、その評価は、歴史的になされるほかはない性格のものである。集会および表現の自由は、たとえ肯定的評価が社会的に少数であっても、法的に認められる範囲で集会、デモ行進に参加する自由を保障したものであって、その参加をもって、「地方公共団体の行政の公正な運営を確保するために政治的な中立を守る」べき立場に反するものとすることはできない。
第四に、公務員に対する身分保障は、争議行為等の禁止に対する代替措置であり、また、教育公務員の待遇上の優遇は、人材確保のための措置であって、いずれも、特に教育公務員に対し厳格な服務規律を求める根拠となるものではない。
第五に、控訴人は、知人の宮武章治を通じて、有給休暇の申請をし、東豊中高校の豊田義一校長も一旦これを受理したのであり、同校長が、その後、一一月二日付で不承認通知をしても、既に受理した後の措置であるから、時季変更権の行使としても認めることはできず、まして、右休暇申請は、控訴人が恣意的にしたものではなく、勾留中で出勤したくてもできないためであり、同校長もその事情を承知している以上、そもそも時季変更を求める意味がないものであるうえ、その不承認とした期間について、同校長が控訴人に対して自宅研修および謹慎を命じ、控訴人の欠勤中も通例の代替措置で賄われていることから見ても、格別校務運営上の支障がなかったことは明らかであるから、控訴人は、適法に有給休暇によって欠勤したものであり、職務専念義務に違反することにはならない。
5 本件免職処分の不当性について
控訴人は、熱心で真面目な国語教師であり、職務への専念という点でも、特によく休暇をとるということはなく、また、職務能力の点でも、教科教育、校務分掌、クラブ指導、クラス経営という教育活動の基本的な全領域において能力と努力が認められ、生徒、保護者から十二分に教職としての信用を得ていたものであり、そのため、本件処分に際しては、同僚教職員の相当数や卒業生、保護者から署名や要望書が差し出された。しかるに、被控訴人は、これらの点について十分な調査を行わなかった。
本件集会に参加して逮捕された公務員についての処分例によると、控訴人と同様、逮捕された後不起訴になって釈放された事例では、教員以外の地方公務員では精々休職六月止りであり、教育公務員だけ懲戒免職という厳しい処分になっているのは、前述のような教育公務員に対する服務規律についての不適切な解釈によるものである。
更に、控訴人に対する本件処分に関しては、既述のように、明確な根拠を欠く共謀関係論のみによって免職処分とした点で、いわゆる起訴休職との関係でも整合性を著しく欠くものであること、被控訴人においては、教育委員会関係のみで情報交換し、しかも、第一公園内での逮捕であったのかどうかなども含めた十分な調査、検討がなされなかったことなどからしても、本件処分の不当性は明らかである。
三 控訴人の主張に対する被控訴人の認否
いずれも争う。
四 被控訴人の主張
1 本件集会およびデモ行進について
(一) 本件集会は、当時、新東京国際空港の二期工事の着工が近く予想され、また、東峰十字路裁判の判決の言渡が翌年に迫っており、成田用水の事業が菱田工区で全面的に開始されようとしているなど、成田闘争にとって異常な緊迫感に満ちた時期と状況において開催されたものである。
(二) そして、本件集会に先立つ「一〇・八集会」においては、「ゲリラ」、「実力闘争」、「一〇・二〇空港突入」等のメッセージが寄せられていた。
(三) また、本件集会当日は、機動隊が第一公園周辺を厳重に警備し、異様な雰囲気に包まれており、本件集会にも「空港突入」等のスローガンが掲げられ、本件集会終了直前には、トラックで石等の兇器が会場に運び込まれた。
(四) これらのことから見て、本件集会終了後、鉄パイプ、角材等の兇器を手にしてデモ行進の先頭に立って出発し、三里塚交差点付近で機動隊員に暴力を振るった者らおよび第一公園付近で角材等により機動隊員に暴力を振るった者ら(以下「実行正犯者ら」という)の行動は、機動隊の過剰警備によって引き起こされた突発的なものではなく、デモ行進が、当初から機動隊に対し、右のような兇器で抵抗し、空港突入を意図していたものであることは明らかである。
(五) 本件集会の主催者である空港反対同盟の北原事務局長を始め、多くの同盟員は、右「実行正犯者ら」が機動隊に対して行ったような、過激派の反社会的な行為を肯定し、礼賛さえしているのであり、また、それまでの空港反対同盟の集会には、常々「空港突入」、「空港解体」等のスローガンが掲げられていたことからして、「実行正犯者ら」は、本件集会の主催者、参加者らの意思、行動と全く無関係に、突発的に犯行に及んだものではなく、控訴人ら本件集会参加者にとっても、当日のような事態が起こる可能性は十分に認識し得たものである。
2 控訴人の現行犯逮捕について
(一) 控訴人は、本件集会に参加し、集会終了後、兇器を手に出発したデモ隊の第一陣に続いてデモ行進に出発しようとして第一公園を出たが、三里塚交差点における混乱のため前進できず、第一公園付近で待機していたところ、控訴人らの属する集団の中にも、角材等の兇器を所持する者がいて、機動隊との衝突が起こり、その結果、控訴人も、公務執行妨害罪、兇器準備集合罪の容疑で現行犯逮捕されたものである。
(二) 控訴人は、「一〇・八集会」にも参加し、本件集会が前記のような緊迫した状況の中で行われること、事前に「空港突入」等が叫ばれていることを知っていたのであるから、本件集会後のデモ行進においては、過激派らによる機動隊との衝突という事態が起こる可能性も十分に認識していたものというべきであり、事実、控訴人は、ともに本件集会に参加した宮武章治と、前もって互いに逮捕された場合の年休の手続をすることを相談し、同僚の教員にも、前もって逮捕された場合の年休の手続を依頼して、本件集会に参加しているのであり、自らも逮捕されることがあり得ることを予想して本件集会に参加しているのである。
(三) そして、本件集会当日も、控訴人は、デモ行進の第一陣の者らがそれぞれ兇器を手にして出発したことを認識し、「何かあるな」と感じながら、第一陣に続いて、角材等を所持している者が先頭部分に加わっている集団の一員としてデモ行進に出発し、更に、控訴人らの集団が、第一公園を出た時点で、既に三里塚交差点付近は騒然としており、控訴人自身も同所でデモ隊と機動隊とが衝突していることを察知し、しかも、控訴人らの集団の中の兇器を所持した者らが機動隊員に暴行を加えるに至っても、なおその集団から離脱せず、それらの者と行動を共にしていたものである。
(四) このような状況からすれば、控訴人は、兇器を手にした過激派集団が実力で空港突入を図り、警備の機動隊と衝突し、機動隊員に対して暴行を加えることが不可避であると認識していながら、これを認容し、しかも、控訴人自身も、兇器を所持した集団の一員として行動を共にした結果、現行犯逮捕されたものであるから、控訴人の逮捕は適法であることは明らかである。
3 控訴人と「実行正犯者ら」との共犯関係の成立について
控訴人は、前述のように、デモ行進に出発した第一陣に続いて、兇器を所持した者が加わっている集団の一員として、デモ行進に出発するために第一公園付近で待機していたものであるから、空港反対同盟の指示に従って第一公園内で待機していた大部分の参加者や、単に三里塚交差点の方を窺うために第一公園前の路上に出ていた者、あるいは、空港反対同盟の誘導により三里塚交差点とは別のルートからデモ行進に出発した参加者らと同一に論ずることはできない。
また、第一公園付近での衝突は、控訴人の主張するように、機動隊の一方的な攻撃で突発的に始まったものではなく、機動隊の規制に対し、角材を手にした過激派集団が抵抗したことにより起こったものであり、既にデモ行進の第一陣が機動隊と激しく衝突していた三里塚交差点と第一公園は二〇〇メートルしか離れておらず、第一公園付近で、第一陣に続いて出発しようとしている兇器を所持した者を含む集団があれば、機動隊がこれを規制しようとし、これに対して右のように衝突の事態が起こることは必至であり、控訴人もそのことを当然予想し得た筈であるから、第一公園付近で角材等の兇器をもって機動隊員に暴行を加えたデモ隊員と控訴人との間には、すくなくとも共謀共同正犯の関係が成立するものというべきである。
4 本件懲戒処分について
右に述べたとおり、控訴人は、本件集会当日、兇器を手にして機動隊員に暴力を振るうという反社会的な行為を行った過激派集団の一員として、それらの者と行動を共にし、その結果、公務執行妨害罪、兇器準備集合罪の容疑で現行犯逮捕されたものである。
控訴人のこのような行為は、教育を通じて国民全体に奉仕すべき責務を持ち、一般の地方公務員より高度の服務を要請される教育公務員の名誉を毀損し、その社会的な信用を著しく損なう重大な非行であって、地方公務員法第三三条に違反し、同法二九条一項一号、三号に該当することは明らかであり、本件懲戒処分に裁量権の逸脱、濫用はなく、適法な処分である。
五 被控訴人の主張に対する控訴人の認否と反論
被控訴人の右主張は、いずれも争う。
第三証拠(略)
理由
一 控訴人は、大阪府立東豊中高等学校(以下「東豊中高校」という)の教員であったが、被控訴人は、控訴人に対し、昭和六〇年一二月一九日付で、懲戒免職処分(以下「本件処分」という)をしたこと、控訴人は、本件処分を不服として、昭和六一年一月二二日、大阪府人事委員会に対して不服申立をし、三か月以上経過したが、同委員会が裁決または決定をしないこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
そこで、以下、本件処分の当否について判断する。
二 昭和六〇年一〇月二〇日、千葉県成田市三里塚の三里塚第一公園(以下「第一公園」という)において、「成田闘争二期工事阻止、不法収用法弾劾、東峰十字路裁判闘争勝利」全国総決起集会(本件集会)が開かれ、デモ行進が行われ、控訴人も右集会に参加したこと、右集会およびデモ行進は、あらかじめ千葉県公安委員会の許可を受けていたが、集会終了後、集団の一部が、警察部隊に対し、石、火炎びん、角材、鉄パイプ等で応戦し、右集会参加者のうち二四一名が兇器準備集合罪、公務執行妨害罪、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、傷害罪により現行犯逮捕されたこと、このことがテレビ、新聞等で大きく報道されたこと、控訴人が、兇器準備集合罪、公務執行妨害罪により現行犯逮捕され、引き続き同年一一月一一日まで千葉県船橋西警察署に勾留されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
右争いがない事実のほか、成立に争いのない(証拠・人証略)の各証言(原審証人宮武章治、当審証人萩原進、同北原鉱治の各証言については、後記信用しない部分を除く)、原審および当審における控訴人本人尋問の結果(後記信用しない部分を除く)ならびに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、原審証人宮武章治、当審証人萩原進、同北原鉱治の各証言および原審及び当審における控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できず、ほかに右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 昭和四一年六月頃、新東京国際空港建設に反対する地元住民らを中心に結成された空港反対同盟は、三里塚に新東京国際空港の設置が決定されて以来、多年にわたり、同空港の設置を阻止するための闘争を続けてきたものであるが、同空港二期工事の着工が近く予想され、また、成田闘争関連の東峰十字路裁判の判決言渡しの時期が迫った昭和六〇年一〇月二〇日に、千葉県成田市三里塚上町二番地所在の第一公園において、空港反対同盟主催による「成田闘争二期工事阻止、不法収用法弾劾、成田用水実力阻止、東峰裁判闘争勝利、動労千葉支援、脱落派粉砕一掃」を標榜する「一〇・二〇全国総決起集会」(本件集会)が行われた。
本件集会は、空港反対同盟をはじめ、関西新空港反対住民代表、動労千葉、部落解放同盟、佐世保・小松ファントム訴訟団、全学連中核派、解放派などの過激派グループ等各種共闘団体併せて約四〇〇〇名が参加して、同日午後零時三〇分頃から開かれ、午後四時頃に終了し、引き続きデモ行進に移った。
2 本件集会には、かねてから、空港反対同盟の成田闘争を支援し、これと共闘関係にあった中核派などの過激派集団が、本件集会を「今年最大の決戦」と位置付け、これに呼応して、「空港突入、占拠、解体」を目標に動員を呼びかけて多数参加していた。
そして、本件集会の会場で参加者に配られたプログラム(<証拠略>)の中のスローガンや集会宣言には、「二期工事実力阻止、二期工事用道路建設阻止、敷地内切り崩し攻撃粉砕、成田用水工事実力阻止、空港関連事業粉砕」などという文句が記載され、それと同じスローガンを書いた幟が会場内の演壇周囲に立てられていたほか、会場周辺には「機動隊をせん滅し、空港に突入せよ」等のスローガンが掲げられ、基調報告に続いて、過激派集団の参加者によるアジ演説などがあって、会場は戦闘的な雰囲気に包まれ、更に、集会終了間近には、過激派集団により、トラック三台で、投石用の石やコンクリート破片、鉄パイプ、角材、火炎びんなどの武器類が会場内に運び込まれてきた。
3 次に、本件集会終了後、デモ行進の先頭に立って出発した中核派を中心とする約一〇〇名の一団は、そのほとんどが右鉄パイプ、角材、火炎びんなどを手にし、第一公園から東北東約二〇〇メートル先の三里塚交差点からあらかじめ公安委員会に届け出ていたコースを外れ、「空港突入」を叫びながら、同交差点を直進し、第三ゲートから空港内突入を図り、これを阻止しようとした警戒中の警察の機動隊と衝突し、石や火炎びんを投げ、鉄パイプ、角材をもって機動隊員に襲いかかり、一方、機動隊は、催涙ガス、放水でこれに対抗し、市街戦さながらの乱闘状態になり、機動隊とデモ隊の双方に重症を含む多数の負傷者を出し、付近一帯は約二時間にわたり大混乱となった。
そして、三里塚交差点から第一公園付近にかけての区域で、控訴人を含む二四一名が兇器準備集合罪、公務執行妨害罪、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の罪、傷害罪等により現行犯逮捕され、そのうち三里塚交差点付近で逮捕された五六名が、傷害、兇器準備集合罪、公務執行妨害罪等の罪で、千葉地方裁判所に起訴された。
これらの事実は、当時いわゆる三里塚闘争として、新聞、テレビ、週刊誌等で広く報道され、大きな社会的反響を呼んだ。
4 控訴人は、昭和五二年三月京都大学卒業後、東豊中高校の教員として就職したが、その頃から、反戦運動の一環として、成田闘争に関わりを持つようになり、それ以降、三里塚の現地集会をはじめ、関西地区などで行われる成田闘争関連の空港反対集会やデモ行進には、年三、四回程度の割合で参加していた。
5 本件集会に先立ち、昭和六〇年一〇月八日に、三里塚決戦勝利百万人動員全関西実行委員会と空港反対同盟の主催で、大阪府豊中市の豊中市民会館において、「二期工事粉砕、空港廃港」を標榜し、本件集会への総決起を呼び掛ける「一〇・八 三里塚大集会」(一〇・八集会)が開かれ、控訴人も、右三里塚決戦勝利百万人動員全関西実行委員会の一員としてこれに参加した。
右集会で参加者に配布されたプログラム(<証拠略>)には、機動隊のガス弾を浴びた場合の対策を記載したビラがあり、これには「三里塚野戦病院」の名で「差入れ用品、着換え用衣類を野戦病院に集中しよう」という注意書きが記載されており、また、各支援あるいは共闘団体等から寄せられたメッセージの中には「今こそたちあがり、ゲリラで、実力闘争で中曽根戦争政治を打倒」とか、「一〇・二〇空港突入のたたかいをやりぬく」などの文句が記載されていた。
6 控訴人は、同じ反戦運動の仲間である宮武章治とともに、本件集会に参加するため、その前日、貸切りバスで大阪を出発し、本件集会当日に第一公園の会場に到着したが、右宮武と、あらかじめ、本件集会あるいはデモ行進の際に逮捕されるような事態になることを予想し、その場合は、互いに各自の家族に連絡をしたり、勤務先に年次休暇の請求などの措置を取り合うということを打ち合わせていた。
7 本件集会の会場では、デモ行進に備えて、参加者にヘルメットが配られたところ、控訴人も、黒色で「中核派」と書いた白いヘルメットを着用し、本件集会終了の前後までに手拭いで覆面するなどして、デモ行進のための身仕度をした。
また、前述のように、会場にトラックで投石用の石、コンクリート破片、鉄パイプ、角材、火炎びんなどの武力闘争用の兇器類が搬入されたこと、最初に第一陣として出発したデモ行進の集団の者が、それらの兇器等を携行して行ったことを、控訴人も現認していたし、控訴人が属していたデモ隊の集団の中にも、角材を持っている者があり、控訴人もそのことを知っていたから、当然、機動隊と有形力を行使した衝突の起きることが予測されたのに、控訴人は、その場から去ろうとせず、敢てデモ行進に参加すべく第一公園から、北西側の道路に出て、待機をしていた。
8 その頃には、既に鉄パイプ、角材、火炎びんなどを手にして出発して行った第一陣の集団が、三里塚交差点付近において、前述のように機動隊と衝突しており、控訴人らのいるところからも、その衝突や乱闘の騒音が聞こえていたが、次第にそのデモ隊と機動隊との衝突にともなう騒ぎと混乱が第一公園付近に迫り、第一公園周辺の路上にも機動隊が現れて、警備に当たった。そして、第一公園付近に待機していた控訴人の属する集団を含むデモ隊の中からも、機動隊に角材等で応戦する者があって、第一公園付近でもデモ隊と機動隊との衝突が起こり、機動隊に立ち向かうデモ隊と放水やガス銃でこれを鎮圧しようとする機動隊とで乱闘状態になった。そこで控訴人は、その場から逃げ出したが、同日午後五時八分頃、第一公園内において、警戒警備中の警察官に対し、他の多数の者と共謀して多数の石を投げつける暴行を加え、警察官の職務の執行を妨害したとして、兇器準備集合罪、公務執行妨害罪の容疑で、機動隊員により現行犯逮捕された。右逮捕されたときの控訴人の服装は、黒色で中核派と書いた白いヘルメットをかぶり、手拭いで覆面をし、破れにくいズボンと身体の動きやすい上着、軍手等を着用し、運動靴を履いていた。
9 控訴人は、その後、逮捕に引き続いて、右各罪のほか、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の罪の容疑も加えて、同年一一月一一日まで千葉県船橋西警察署に勾留され、取調を受けたが、右一一日に、起訴猶予による不起訴処分となり、釈放された。
なお、本件集会当日の三里塚闘争の際に、現行犯逮捕された者のうち、控訴人を含む第一公園付近での逮捕者約一〇〇名は全員不起訴となっている。
10 右逮捕、勾留のため、控訴人は本件集会の翌日の同年一〇月二一日から同年一一月一二日まで勤務先の東豊中高校に出勤せず、翌一三日から出勤したところ、本件集会の当日、控訴人と行動を共にしていた前記宮武章治は、第一公園内の混乱の中で控訴人を見失い、そのまま控訴人が姿を見せなかったところから、翌日の一〇月二一日に控訴人の勤務先の東豊中高校を訪れ、控訴人が出勤していないことを確かめて、控訴人が三里塚で確実に逮捕されたものと考え、同月二六日、かねての控訴人との打合せのとおり、再び同高校に行き、校長の豊田義一に対し、控訴人名義の同校長宛の同月二一日より二〇日間の休暇届(<証拠略>)を提出した。
これに対し、同校長は、同年一一月二日付内容証明郵便(<証拠略>)で、控訴人の弁護人である弁護士山下俊之に対し、右休暇請求は、校務運営上の支障を理由に承認しない旨通知したが、その後、被控訴人と協議のうえ、右休暇請求については、同年一〇月二一日から同年一一月五日までは有給休暇を承認し、翌六日から同月一二日までの期間は不承認とすることにした。
11 なお、控訴人がその勤務先の東豊中高校に出勤しなかった昭和六〇年一〇月二一日から同年一一月一一日までの間に、右高校では、同年一〇月二二日から同月二六日まで、控訴人が出題、採点、解説等をすることになっていた中間考査があった外、一〇月三〇日には全校遠足があり、さらには、控訴人の担当していた三年生の国語の代替要員を出さなければならないことなどもあって、控訴人が二〇日以上も引き続き休んだことが、法律上認められた年休権の行使であるにしても、右東豊中高校としては、控訴人が右の如く休んだことにより、現実に多大の迷惑を受けた。
さらに、控訴人は、昭和五八年七月頃にも、成田闘争に関する集会が大阪市内の中之島公会堂で開催された際、建造物侵入罪の嫌疑で逮捕され、不起訴処分になったことがある。
12 控訴人は、前述のように同年一一月一三日に出勤した当日、豊田校長から、本件集会およびデモ行進への参加や逮捕、勾留されたことに関し、事情聴取を受け、更に、同月一八日から同月二七日にかけて三回にわたり、被控訴人の係官が、控訴人に対する事情聴取を行って控訴人の行動を調査した。
また、被控訴人においては、その間、担当職員が、千葉県警察本部および千葉地方検察庁において、控訴人が逮捕されたときの模様を聴取するなどの調査を行った。
13 そして、被控訴人は、昭和六〇年一二月一九日付で、控訴人に対し、控訴人が、本件集会当日の昭和六〇年一〇月二〇日、新東京国際空港建設(第二期工事)実力阻止闘争に参加し、第一公園において、過激派集団の一員として行動を共にし、兇器準備集合罪、公務執行妨害罪および火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の罪で逮捕され、同年一一月一一日まで勾留され、その間、勤務先の東豊中高校を欠勤し、同校の校務運営に多大な支障を生ぜしめたとし、これらの行為は、地方公務員法二九条一項一号ないし三号に該当するとして、本件処分をした。
三 ところで、すべて地方公務員は、その官職の信用を傷つけ、又は、官職全体の不名誉となるような行為をしてはならないところ(地方公務員法三三条)、右にいわゆる官職の信用を傷つける行為や、官職全体の不名誉となる行為のなかには、職務に関する行為のほか、職務と関係のない個人的行為も含まれるものと解すべく、また、右のような行為があったか否かは、社会通念に照らし、具体的に判断をすべきである。
これを本件についてみるに、前記認定の事実、殊に、(1)控訴人は、成田二期工事阻止等のスローガンを掲げた本件集会に参加するに当たり、事前に本件集会ないしその後に予定されていたデモ行進の際に、機動隊員に逮捕されるような事態になることを予想し、本件集会に一緒に参加した宮武と、右逮捕された場合には、互いに各自の家族にその旨連絡したり、勤務先に年休の請求をする等の措置をとること等を打合せていたこと、(2)本件集会の会場で、デモ行進に備えて、参加者にヘルメットが配られたところ、控訴人も、黒文字で「中核派」と書いた白いヘルメットを着用し、手拭いで覆面をするなどして、右デモ行進に参加する準備をしたこと、(3)本件集会終了後、最初にデモ行進に出発した第一陣の集団のほとんどの者が、石、コンクリート破片、鉄パイプ、角材、火炎びん等の兇器となり得るものを所持していたことや、右第一陣の集団の後続としてデモ行進をすべく待機していた控訴人らの属する集団のなかにも、角材等を所持している者がいたが、控訴人は、右の事実を知りながら、引き続き右集団の中に留まって、デモ行進に参加すべく待機していたこと、(4)その後、先にデモ行進に出発した第一陣の集団が、前記の如く、機動隊と衝突して、乱闘状態となったが、控訴人は、右衝突の騒音を聞いた後も、その場に留まってデモ行進に参加しようとしていたこと、(5)次いで、控訴人の属していた集団の先頭部分にいた者等が、機動隊と衝突し、乱闘状態となったところ、その後において、その場から逃げようとした控訴人は、右乱闘状態となった現場から間近かの第一公園内において、兇器準備集合罪、公務執行妨害罪の嫌疑で、機動隊員に現行犯逮捕されたこと、(6)右逮捕されたときの控訴人の服装は、中核派と書いた白いヘルメットを被り、手拭いで覆面をし、破れにくいズボン、身体を動かしやすい上着、軍手等を着用し、運動靴を履いていたこと、(7)控訴人は、右兇器準備集合罪、公務執行妨害罪(その後火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の罪も追加)の嫌疑で逮捕・勾留された後、終局的には不起訴処分となったけれども、その理由は、「嫌疑なし」ではなく、起訴猶予であったこと、以上のような諸事実からすれば、控訴人は、共謀による兇器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと推認するのが相当であり、仮にそうでないとしても、少なくとも、右各犯罪を犯した疑いは充分であって、客観的に、右兇器準備集合罪、公務執行妨害罪の各犯罪を犯したと疑うに足りる充分な行為をしたものというべきである。したがって、右逮捕・勾留は、もとより法律上正当なものであって、控訴人主張の如く、不当な逮捕・勾留ではないというべきである。そして、右のように、大阪府立高校の教師である控訴人が、五六名もの者が兇器準備集合罪、公務執行妨害罪等で起訴された成田二期工事阻止等の闘争に参加し、控訴人自身も、共謀による兇器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したか、少なくとも、右各犯罪を犯したと疑うに足りる充分な行為をし、かつ、右各罪により、現実に二二日間も逮捕・勾留されたことは、高校教育にたずさわる地方公務員としての官職の信用を傷つけ、右官職全体の不名誉となる行為をしたものと認めるのが相当であるから、控訴人には、地方公務員法二九条一項一、三号に所定の懲戒理由があるものというべきである。
もっとも、控訴人は、兇器準備集合罪、公務執行妨害罪を構成する行為をしたことはないし、また、本件集会後のデモ行進が、機動隊と過激派の激突による流血と破壊の騒動に至ったのは、もっぱら機動隊の過剰警備と行き過ぎた規制に原因があり、特に、第一公園付近においては、ただ平穏にデモに出発するために待機中であったデモ隊に、機動隊の方が、ガス銃を発射して襲いかかって来たものであって、控訴人を逮捕・勾留したことは、全く不当な逮捕・勾留であると主張し、原審証人宮武章治、当審証人萩原進、同北原鉱治の各証言、原審および当審における控訴人本人尋問の結果中には右主張に添う供述部分があるが、いずれも信用できず、ほかに右事実を認めるに足りる証拠はない。
四 次に、控訴人は、控訴人が本件集会およびデモ行進に参加することは、憲法で保障された集会や表現の自由の範囲内のことであって、何ら地方公務員あるいは教育公務員としての服務規律に反することではないと主張する。
なるほど、思想、信条の自由や、集会、結社、表現の自由は、憲法で保障された国民の基本的人権として、最大限に尊重されなければならず、このことは、教育にたずさわる地方公務員についても、全く異なるところはない。しかし、右自由は、現行法秩序を侵害しない範囲で認められるべきものであって、集会や表現の自由があるからといって、刑罰法令に触れる行為ないしは客観的に刑罰法令に触れる行為があったと疑うに足りる充分な行為であって、かつ、そのために適法に逮捕・勾留をされるような行為をすることは許されないものというべきである。本件において、控訴人が、本件集会やデモ行進に参加したこと自体は何ら地方公務員あるいは教育公務員としての信用失墜行為の禁止に反する違法なものではない。
しかし、前記認定のとおり、控訴人は、本件集会に参加し、かつ、その後のデモ行進に参加しようとしたに止まらず、共謀による兇器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したが、少なくとも客観的に兇器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと疑うに足りる行為をしたため、その場で現行犯逮捕をされ、かつ、その後、二二日間も適法に逮捕・勾留をされ、起訴猶予処分になったものであるから、控訴人の右行為は、集会、表現の自由として許された範囲を逸脱した違法のものというべきである。
また、控訴人は、控訴人が本件で逮捕、勾留されたことにつき、結局不起訴になったのに、被控訴人が、控訴人の逮捕、勾留されたことを理由に、免職処分をするのは、地方公務員法二八条二項二号が、刑事事件で起訴された場合に職員を休職にするとしていることと整合性を欠くものであると主張する。
しかし、逮捕、勾留された被疑事実について不起訴になったとしても、同法二九条一項各号所定の事由に該当する事実があれば、これを理由に懲戒処分をすることは妨げられないと解すべきところ、控訴人には、前述の如き各犯罪を犯したか、右各犯罪を犯したと疑うに足りる行為をして、逮捕、勾留されたのであるから、右同法二九条一項一、三号所定の事由に該当する事実があるというべく、また、右に該当する事由がある場合に、如何なる懲戒処分を課するかは、後記の如く、懲戒権者の自由裁量に属することであるから、控訴人の右主張は理由がない。
五 控訴人は、控訴人が、勤務先の東豊中高校では、真面目で、職務能力にも優れ、熱心な教師であり、生徒、保護者からも信頼され、同僚教職員、生徒、保護者から控訴人の職場復帰を願って署名簿や要望書が差し出されているのに、被控訴人は、これらの点について十分に調査、斟酌せず、また、一般の地方公務員の処分例では、本件と同様の事案でも、精々休職六月程度の処分であり、控訴人を免職にした本件処分は過酷に過ぎ、不当、違法であると主張する。
しかし、公務員の懲戒権者が懲戒処分を発動するか否か、懲戒処分をするとしてそのうちいずれの処分を選ぶべきかを決定することは、その処分が全く事実上の根拠に基づかないと認められる場合であるか、もしくは、社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き、懲戒権者の裁量に任されているものと解するのが相当であり、裁判所が懲戒権者の裁量権の行使としてなされた公務員に対する懲戒処分の適否を審査するにあたっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と右処分を比較してその軽重を論ずべきものでなく、それが社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法と判断すべきものである(最高裁昭和三二年五月一〇日第二小法廷判決・民集一一巻五号六九九頁。同昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁)。
これを本件についてみるに、控訴人に対する本件処分に関しては、前記認定のとおり、その処分事由とされた事実が存在しているのであるから、事実上の根拠に基づかない場合には当たらず、かつ、前記認定のような本件集会およびデモ行進の経緯、デモ隊と機動隊との衝突から控訴人の逮捕に至る状況、その際の過激派集団による武力闘争の激烈さ、その社会的影響の重大さを勘案すれば、控訴人の前記認定の行為は、教育を通じて国民全体に奉仕すべき教育公務員の職務とその責任の特殊性に照らし、地方公務員法三三条所定の信用失墜行為に該当し、かつ、教職適格性を疑われても止むを得ないものというべきである。したがって、控訴人が、その主張の如く、勤務先の高校においては、熱心で真面目な教師であって、これまでの勤務態度にも格別の問題はなく、処分の前歴もないこと、本件処分に関し、同僚教師、生徒、保護者らの一部の者から、控訴人の職場復帰を願う要望書や署名簿が、被控訴人あるいは勤務先の学校長宛に提出されていたことなどの諸事情があったとしても、本件処分が、社会観念上著しく妥当を欠くものとはいえず、懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えこれを濫用したものと認めることはできない。
また、控訴人は、被控訴人が、本件処分をするに当たり、被控訴人の内部関係でのみ情報収集を行うなど、十分な調査、検討をなさなかったことは不当であると主張するが、前記認定のとおり、被控訴人は、控訴人が、本件集会およびデモ行進に参加し、逮捕・勾留されるに至った事実関係につき、東豊中高校豊田義一からの報告、控訴人自身からの事情聴取、千葉県警察、千葉地方検察庁への照会や事情聴取等により、調査、検討を遂げたうえ、本件処分を行ったものであるから、その過程に違法はない。
その他、控訴人が、本件処分が違法、不当である理由として主張するところは、いずれも独自の見解であるか、あるいは、本件処分を取消すべき事由とするに足りないものであるから、これを採用できない。
六 以上のとおり、被控訴人が、控訴人に対してした本件処分は正当であって、違法ではないから、その取消を求める控訴人の本件請求は、理由がなく、失当である。
したがって、控訴人の本件請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法第九五条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 後藤勇 裁判官 髙橋史朗 裁判官 小原卓雄)