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大阪高等裁判所 平成10年(ネ)3105号 判決 1999年7月21日

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  第一審被告井藤正孝、同井藤建夫及び同井藤慶子は第一審原告千里株式会社に対し、各自、金四〇二〇万八四〇二円及び同井藤正孝についてはこれに対する平成五年九月二日から、同井藤建夫及び同井藤慶子についてはこれに対する平成五年八月一三日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  第一審被告井藤正孝、同井藤建夫及び同井藤慶子は第一審原告株式会社丸中に対し、各自、金二五〇五万九〇四〇円及び同井藤正孝についてはこれに対する平成五年九月二日から、同井藤建夫及び同井藤慶子についてはこれに対する平成五年八月一三日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  第一審被告井藤正孝、同井藤建夫及び同井藤慶子は第一審原告藤塚商事株式会社に対し、各自、金一三二〇万円及び同井藤正孝についてはこれに対する平成五年九月二日から、同井藤建夫及び同井藤慶子についてはこれに対する平成五年八月一三日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

五  第一審被告井藤正孝、同井藤建夫及び同井藤慶子は第一審原告株式会社小西恵商店に対し、各自、金一〇三八万九八三六円及び同井藤正孝についてはこれに対する平成五年九月二日から、同井藤建夫及び同井藤慶子についてはこれに対する平成五年八月一三日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

六  第一審被告井藤正孝、同井藤建夫及び同井藤慶子は第一審原告株式会社トキワに対し、各自、金五八三万三九八五円及び同井藤正孝についてはこれに対する平成五年九月二日から、同井藤建夫及び同井藤慶子についてはこれに対する平成五年八月一三日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

七  第一審原告らの第一審被告井藤正孝、同井藤建夫及び同井藤慶子に対するその余の請求並びに第一審被告井藤裕子、同井藤好子及び同寺尾寛に対する請求をいずれも棄却する。

八  訴訟費用は、第一、二審を通じ、第一審被告井藤裕子、同井藤好子及び同寺尾寛に生じた費用はすべて第一審原告らの負担とし、その余はすべて第一審被告井藤正孝、同井藤建夫及び同井藤慶子の連帯負担とする。

九  この判決の第二ないし六項は仮に執行することができる。

理由

一  第一審被告正孝の責任について

1  真柴に対する前渡金について

(一)  《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) 真柴は、丹後の織利商店という機屋に勤めていた白生地織物の技術者であったが、昭和四二年ころ、独立開業にあたり、井藤正が独占的に真柴の商品を仕入れることとなった。真柴の商品は高級な白生地であったので、井藤正の看板商品となり、真柴からの商品の仕入れは、毎月三〇〇〇万円から四〇〇〇万円にも及び、井藤正の仕入額の約三割を占めるに至っていた。

(2) 真柴は、開業当初から資金に乏しかったため、井藤正は同人に対し、恒常的に材料代や工賃等の運転資金として前渡金を約束手形で交付し、それを株式会社京都銀行等で割り引いて使用させていた。井藤正は真柴から商品が納入されるとその代金債権と前渡金(実質的には貸金)債権とを相殺処理してきたが、昭和五〇年ころから白生地の価格が低下してきたことのほか、真柴が商品開発に資金を投入しすぎたことや高金利で借入をしていたことなどから、原判決別紙一記載のとおり、真柴に対する前渡金の未回収額が急増する結果となった。

(3) 第一審被告正孝は、前渡金の総額が約五〇〇〇万円になったとき、真柴との間の取引を中止することも考えたが、同人と話し合った結果、同人の商品は井藤正の看板商品でもあることからこれを失うことは井藤正の営業上マイナスであることや、井藤正が取引を打ち切れば真柴は倒産必至であるうえ、そうなれば井藤正の信用も低下することをおそれ、結局、取引中止には踏み切らなかった。

その後も、第一審被告建夫が真柴との取引中止を第一審被告正孝に具申することもあったが、担保をとっておくようにするとのことでその場は収まり、同被告も何度も取引打切を考えたが、結局取引は継続させた。

(4) 井藤正は、真柴所有の京都府中郡大宮町《番地略》所在の宅地一〇六〇平方メートルと同土地上の建物に、昭和五四年二月、極度額五〇〇〇万円の根抵当権を設定し、平成二年一〇月には極度額を二億円に変更したが、平成四年三月五日には、丹後中央信用金庫の同日設定の極度額六〇〇〇万円の根抵当権と順位変更する旨の登記をした。また、同日、井藤正の根抵当権よりは高順位の京都信用保証協会の極度額六〇〇〇万円の根抵当権が同日放棄を原因として抹消された。右土地、建物には、昭和四八年に極度額六〇〇万円の根抵当権を株式会社京都銀行が設定しており、平成四年三月当時まで、抹消されないまま井藤正の根抵当権より高順位の根抵当権として登記されていた。

(5) 井藤正は、真柴に対する前渡金の総額が膨れ上がる一方であったので、税理士を用いて真柴の財務状況を監査させるなど真柴に対する管理を強化したが、右増加は解消されなかった。

(6) 真柴は平成六年五月に死亡したが、同人の相続財産管理人が平成七年二月に作成した財産目録によると、真柴の資産は、右(4)記載の土地、建物のほか、電話加入権一つと丹後中央信用金庫に対する一万円の出資金(ただし、相殺予定)のみであり、一方負債は、振出人井藤正、受取人真柴の約束手形の割引に基づく買戻請求権五七〇〇万円余りにかかる株式会社京都銀行に対する債務、同じく振出人井藤正、受取人真柴の約束手形の割引に基づく買戻請求権六九〇〇万円余りにかかる丹後中央信用金庫に対する債務、井藤正破産管財人に対する前渡金三億円にかかる債務及び振出人井藤正、受取人真柴の約束手形の買戻請求権二三〇〇万円にかかる丹後織物工業組合に対する債務とされている。

(7) 井藤正は、真柴に対する前渡金と後記株式取引の失敗がなければ、倒産することなかった。

(8) 井藤正の自己破産申立書に添付された非常貸借対照表には、貸付金につき、簿価三億四〇〇〇万円余り、評価〇とされているが、同表の他の記載と対照すれば、これは真柴に対する前渡金を指すものと考えられる。

(二)  右事実によれば、第一審被告正孝は、井藤正の代表取締役として、真柴に対する前渡金につき、回収不可能な金額に膨れ上がらせることのないよう対処すべきであったのに、担保価値に乏しいうえ、株式会社京都銀行の先順位の根抵当権が付された土地、建物を担保にとっただけで、真柴との取引を継続したものということができる。原判決別紙一の前渡金残高の経過を見れば、少なくとも昭和六一年度末には、真柴に対する前渡金の残高が前年度末に比べて約六〇〇〇万円増加して二億円を超え、残高の急激な減少は望み得ないことが判明していたものということができる。したがって、この段階で、真柴との取引を縮小するなどの根本的な改善策を立てるべきであったというべきである。

第一審被告正孝本人は、真柴所有の前記土地、建物のほか真柴の生命保険や自動車も井藤正が担保にとっていたと供述しているが、これを裏付けるに足りる証拠はない。また、真柴の商品が井藤正の看板商品であり、真柴との取引縮小ないし打切が井藤正の営業上マイナスで、かつ、井藤正の信用低下の一因となるとしても、このことにより井藤正の営業が成り立たなくなるとまで証拠上認められない。井藤正との取引が打切となった場合、真柴の倒産は必至で井藤正の同人に対する債権が回収不能に陥るおそれがあったとしても、前渡金増大を避けることにより井藤正の損失増大を防止はできたというべきである。そして、本来、真柴から徴求していた土地、建物の担保だけでは、土地所在地、面積、付されている根抵当権の被担保債権額からすると、せいぜい一億円程度の前渡金が限界であったと認められるのに、昭和五六年には既に前渡金残高は一億円を超え、その後も増加の一途をたどったのであるから、少なくとも、前述の昭和六一年末には、前渡金増大を避止する措置を講じるべきであったことは明らかであり、こうした措置を講じることなく真柴との取引を継続した第一審被告正孝の経営判断は、もはや取締役としての合理的裁量の範囲を著しく逸脱した不合理なもので、取締役としての会社に対する善管注意義務に違反するものであるというべきである。その結果、井藤正に生じた損害は、少なくとも、昭和六二年一月以降の前渡金増大額約八〇〇〇万円(甲五の4によれば、平成四年一月にも一一〇〇万円以上の前渡金が増大したことが認められる。)である。

更に、第一審被告正孝本人は、前記(一)の(4)の丹後中央信用金庫との間の根抵当権の順位変更は、井藤正の真柴に対する前渡金を金融機関からの借入により減少させる目的であったと供述しているが、右供述どおりに丹後中央信用金庫からの借入金が使用されたとの証拠はなく、かえって前記(一)の(4)によれば、京都信用保証協会に対する真柴の債務の弁済のために使用されたものであると推認できる。そうすると、真柴所有の土地、建物の価格次第では、右順位変更により井藤正の前渡金にかかる債権の一部が回収不能となり井藤正に損害が生じたことになるということができる。

(三)  ところで、職権調査の結果及び弁論の全趣旨によれば、井藤正に対する破産事件は、平成一〇年一月に破産終結決定がなされて終結したことが認められるところ、破産終結に至った場合、会社に残余資産があり清算の必要が存する限りは、その目的の範囲内で会社は存続するものと解するのが相当であり、そうすると、前記(二)によれば、井藤正の第一審被告正孝に対する善管注意義務違反に基づく損害賠償請求権があるということができるから、第一審原告らが債権者代位権に基づく同請求権を代位行使することはできるということができる。そして、後記四で認定のとおり、第一審原告らは井藤正に対して売掛金債権及び手形金債権を有していると認められる。

2  株式取引について

(一)  《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) 第一審被告正孝は、昭和六〇年ころ、株価が上昇傾向にあり、京都の室町で株式投資を行っている呉服問屋も多く、株式投資で莫大な利益を上げた者もいるとの風評を耳にし、金融機関からの融資も比較的容易に受けられる状況にあったことから、井藤正の代表取締役として株式取引を開始した。

(2) 第一審被告正孝は、株式取引資金のほとんどすべてを金融機関からの借入によって調達した。

(3) 第一審被告正孝は、現物取引のみならず信用取引も行い、投資額も五億円前後まで拡大したが、総じて損失を出すことが多く、平均すると毎年二ないし三〇〇〇万円程度以上の損失を重ねていた。当初は、井藤正の資金繰りに余裕が出るようにするために株式取引で利益を上げることを目論んでいたが、次第に発生した損失を取り戻すために取引を継続するという悪循環に陥っていった。

(4) 井藤正の株式取引は、株式会社野村証券との間でのみ行っていたが、第一審被告正孝は、同社の助言、指導に従って取引をしていた。同社に対する調査嘱託の回答による井藤正の株式取引の各年度の損得は、株式本券を同社が預かり売却した分は損得勘定から除外するなど、必ずしも各年度の損得を正確に反映したものであるとはいえないが、右回答によっても、平成元年度には三七一万円余りの利益が出たものの、平成二年度には二九二二万円余りの、平成三年度には三〇九〇万円余りの損失が発生した。

(5) 第一審被告正孝は、井藤正の代表取締役として、平成四年三月まで株式取引を続けたが、最終的に約四億円の損失を発生させた。

(6) 第一審被告正孝は、株式取引を開始し継続するについて、他の取締役らに相談せず、独断で行っていた。

(7) 第一審被告正孝は、後記のとおり、平成三年一一月に、スタッフ会議で株式取引を中止することが決定された後も同取引を継続し、その結果、新たな取引により少なくとも三〇〇〇万円程度の損失を発生させた。

(二)  ところで、《証拠略》によれば、井藤正の売上粗利益は、平成元年度(同年一月一日から一二月末日まで)で二億五〇〇〇万円余り、平成二年度で二億七〇〇〇万円余り、平成三年度で一億五〇〇〇万円余りであることが認められるところ、井藤正が行っていた株式投資の総額は、右粗利益の二年分にも相当する過大なものであり、しかもその資金のほぼ全額を銀行借入によっていたのであるから、当然支払利息の負担も加わるものである。右証拠によれば、平成元年末の借入金残高は六億八九〇〇万円余りであったが、平成二年末には一〇億三四〇〇万円余りに、平成三年末には一二億九九〇〇万円余りに増大していったことが認められ、右増大分の相当部分が株式取引に注入されたものと推認できる。

一般に、株式の信用取引は、現物取引に比べて、株価が下落したときに被る損失が大きくなるおそれがあるものであり、まして追加証拠金の支払等のために新たな借入をするというような場合、その支払利息も相俟って損失が更に増大するおそれがあることは明らかであって、会社の代表者がこのような取引を行うにあたっては、慎重な検討をし、他の取締役とも相談し、また、定款上有価証券取引が会社の目的とされていないようなときには、株主の同意を得て、株主総会決議に基づき定款の変更も行った上株式取引を開始するべき義務があるものである。《証拠略》によれば、井藤正の目的としては「白生地卸販売、上記に附帯する一切の業務」とされているに過ぎないことが認められる。

以上の検討によれば、第一審被告正孝のなした井藤正のための株式取引が例え会社の目的の範囲外の行為であるといえないにしても、株主や他の取締役の同意を得ることもなく、会社の売上粗利益の二年分にも及ぶ過大な株式取引を、しかも、より危険が大きい信用取引も含めて行い、その資金はほとんどを銀行借入によっていたというのであるから、同被告の右行為は、取締役としての経営判断の合理的裁量の範囲を逸脱する違法なものであるというほかない。したがって、同被告は、井藤正に対する善管注意義務に違反して株式取引を開始、継続して井藤正を倒産に至らせたものということができ、同取引により生じた損害を井藤正に賠償すべき責任があるものというべきである。

(三)  第一審原告らが右損害賠償請求権を代位行使できることは、前記1の(三)のとおりである。

二  第一審被告正孝以外の取締役の監視義務違反について

1  《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(一)  井藤正では取締役会という名称で実際に会議が開かれることはなく、月一回程度の割合で開かれる営業会議ないしスタッフ会議が取締役会の役割を兼ねていた。

(二)  真柴に対する前渡金の増大に対する危惧は何度も右営業会議等で取り上げられたが、担保を確保するようにするという程度の結論で済ませられてきた。実際には、全く不十分な担保しか徴求されてこなかったことは前記認定のとおりである。

(三)  第一審被告正孝が株式取引を井藤正の名義及び計算でなしたことは、毎年の井藤正の財務諸表を見れば簡単に把握することができた。

(四)  しかし、株式取引中止の話が出たのは平成三年一〇月下旬ころからで、右中止が決定されたのは同年一一月二二日のスタッフ会議においてであった。

(五)  スタッフ会議や営業会議には、第一審被告正孝、同建夫及び同寺尾はほぼすべてに出席し、第一審被告慶子も出席することがあった。

(六)  第一審被告寺尾は、第一審被告正孝に対し、株式取引を中止するよう進言したり、株式会社京都銀行の支店長を通じて右取引の中止、縮小を図るよう尽力したことがあったが、効果はなかった。

2  右1の認定事実によれば、第一審被告建夫及び同慶子は、取締役として第一審被告正孝の会社の業務執行を監視すべき注意義務に違反したもので、会社に対する善管注意義務違反の責任を負うべきものであると認められる。

株式会社の取締役会は、会社の業務執行を決定し、取締役の職務執行を監督する権限を有するから、取締役会を構成する取締役は、会社に対し、取締役会に上程された事項について監視するだけにとどまらず、取締役の業務執行一般につき、これを監視し、必要があれば、取締役会を自ら招集し、あるいは招集することを求め、取締役会を通じて会社の業務執行が適正に行われるようにすべき職責を負うものであると解される。

この見地から見ると、第一審被告建夫及び同慶子は、スタッフ会議や営業会議という実質的には取締役会に匹敵する会議で、会社の業務執行について意見を出して具体的方針を決定する機会を有していたにもかかわらず、第一審被告正孝の業務執行、具体的には真柴に対する前渡金増大にかかわらず何ら有効な対策を立てることなく同人との取引を昭和六二年以降も継続したこと及び銀行借入資金により株式の信用取引を行ったことについて、右会議でこれらを取り上げて有効な対策を講じるよう他の取締役を説得しなかったものであって、取締役としての右義務に違反することは明らかである。

しかし、第一審被告寺尾は、平成三年二月二八日に取締役に就任したのであるが、当時は既に真柴に対する前渡金が三億二〇〇〇万円にも膨れ上がっていたもので、この関係では同被告の監視義務違反があったとしても井藤正に生じた損害との間に相当因果関係があるとはいえないうえ、株式取引についても、既に長年の取引歴があり相当額の損失が発生していたと思われる時期に取締役に就任し、自己以外の取締役や監査役の役員はすべて井藤一族関係者に占められている中で、第一審被告正孝に同取引を中止するよう進言するなど精一杯の努力をしたものと評価でき、会社に対する善管注意義務に違反したとか、悪意又は重大な過失により取締役としての監視義務に違反したとまで認めることはできない。

したがって、第一審被告建夫及び同慶子は、右監視義務違反(少なくとも井藤正に対する善管注意義務違反を構成するものと解される。)に基づき井藤正に生じた損害を賠償すべき責任がある。その損害額は、第一審被告建夫については、同正孝と同様、昭和六二年以降の真柴に対する前渡金増大額である約八〇〇〇万円と株式取引による損失額の全額であり、第一審被告慶子については、右同額の前渡金と、株式取引による損失のうちの昭和六二年以降の分(少なくとも六〇〇〇万円は超えると認められる。)である。

3  第一審原告らが右井藤正の第一審被告建夫及び同慶子に対する右損害賠償請求権を代位行使できることは、前記一の1の(三)のとおりである。

4  第一審原告らは、第一審被告正孝の福島に対する監督責任についても、第一審被告寺尾の監視義務違反を主張しているが、原判決四一頁二ないし八行目までの事実認定によれば、第一審被告正孝が福島の不法行為を防止できなかったことについて、同被告に故意又は過失による任務懈怠や善管注意義務違反があったとは認められないから、この点に関しても第一審被告寺尾の監視義務違反を問うことはできない。

なお、第一審被告寺尾の、民法七〇九条、七一九条第一項、第二項(共同不法行為、教唆、幇助)及び商法二六六条ノ三第二項、二八〇条第二項(不実の情報開示)に基づく責任については、三においてまとめて判断する。

三  第一審被告寺尾のその余の責任及び監査役らの責任について

1  第一審原告らは、井藤正は、平成三年一〇月下旬には倒産必至の状況であったのに、第一審被告正孝は、これを知りながら第一審原告らに商品を注文してこれを詐取したものであるが、第一審被告寺尾、同好子及び同裕子は、同正孝に加担し、又は同正孝を教唆、幇助した旨主張(争点1の(二)、(三))するが、《証拠略》によれば、第一審被告寺尾は主に商品開発及び販売の業務に従事し、同好子は具体的な業務には従事していなかったこと、同裕子は専ら東京支店における業務に従事していたことが認められ、右各被告とも第一審原告らからの仕入れ業務に関与していた事実を認めるに足りる証拠はないから、その余の点を判断するまでもなく、第一審原告らの右主張は理由がない。

また、第一審被告寺尾の右の点に関する監視義務違反の主張についても、前記二で認定のとおり、同被告がスタッフ会議等に出席して、井藤正の財務状況を知りうる立場にあったことは認められるが、同被告が取締役を辞任した平成四年三月三一日までの間に、井藤正が倒産必至の状況であることを知っていたことを認めるに足りる証拠はなく、同被告本人によれば、同被告は井藤正の決算書類を見せられたことはなかったのであり、右供述を覆すに足りる証拠もないから、同被告に過失があったとすることもできないので、右の主張も理由がない。

2  第一審被告好子及び同裕子の商法二六六条ノ三第一項、二八〇条第一項(監視義務違反)の責任(争点1(四))について

井藤正は資本金三〇〇〇万円の株式会社であるから、監査特例法二二条、二五条により、監査役の任務はいわゆる会計監査に限定され、監査役は業務監査権限を有しないので、第一審被告好子及び同裕子には代表取締役の業務執行を監督是正すべき権限も義務もないものであるから、同被告らの同一審原告ら主張の責任を問うことはできない。同被告らに井藤正に対する善管注意義務違反の主張についても同様である。

3  第一審被告寺尾、同好子及び同裕子の商法二六六条ノ三第二項、二八〇条第二項(不実の情報開示)の責任(争点1(五))について

右責任を問うためには、第一審原告らが井藤正の計算書類等に虚偽の事実が記載されていた結果、取引を継続したために損害を被ったという因果関係があることを必要とするが、本件全証拠によるも右のような因果関係があったとは認められない。確かに、第一審原告らが計算書類そのものを見ていなくても、銀行等他の第三者が真実の計算書類等を見ていれば井藤正の信用不安が増大して、その結果第一審原告らも取引を中止していたであろうといえるような事情があれば、右因果関係を肯定することも可能ではあるが、本件では、前記一の認定によれば、井藤正のメインバンクであった株式会社京都銀行は井藤正の真柴に対する前渡金や株式取引の実態を把握していたものと推認されるところ、同銀行はこれを公表しなかったばかりか平成四年五月まで井藤正に対する支援を続けたのであるから、井藤正の計算書類等に虚偽記載がなかった場合に同社に対する信用不安の結果に違いが生じたであろうとまで認めることはできない。また、甲五五にあるとおり、第一審原告らの中にも平成三年一〇月ころに井藤正の信用不安の風評を耳にした者がいるのであり、この事実をも勘案すれば、計算書類等に虚偽記載があったことと第一審原告らの取引継続との間に相当因果関係があったことを認めるには足りないというべきである。

したがって、その余の点を判断するまでもなく、この点に関する第一審原告らの主張は理由がない。

四  第一審原告らの債権

《証拠略》によれば、第一審原告らは井藤正に対し、原判決別紙四の1、2のとおりの売掛金債権及び手形金債権を有していると認められる。井藤正の同被告らに対する損害賠償請求権の金額は、右第一審原告らの債権額合計より大きいから、結局、第一審原告らの第一審被告正孝、同建夫及び同慶子に対する債権者代位に基づく請求は、遅延損害金の起算日が訴状送達の日の翌日である、第一審被告正孝については平成五年九月二日、同建夫及び同慶子については同年八月一三日とすべき(催告により遅滞に陥るものと解される。)ほかは、すべて理由がある。

五  結論

以上のとおりであり、第一審原告らの請求は、債権者代位に基づく請求につき、第一審被告正孝、同建夫及び同慶子に対する請求について遅延損害金の起算日を除いてすべて理由があり、第一審被告寺尾、同好子及び同裕子に対する請求はすべて理由がないので、これと一部異なる原判決を主文のとおり変更することとする。

(裁判長裁判官 井関正裕 裁判官 將積良子 裁判官 前坂光雄)

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