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大阪高等裁判所 平成11年(う)1267号 判決 2002年4月23日

【目次】

被告人等の表示

主文

理由

第一  本件各控訴趣意等について

第二  被告人両名の瑞浪案件について

一  事案の概要と原判決の判断の骨子

二  被告人河村の主張に対する判断

(理由不備ないし理由齟齬の論旨について)

被告人河村の図利加害目的について

(法令適用の誤りの論旨について)

1 「加害目的」の意味について

2 経営判断の法則について

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

2 瑞浪案件等の採算性について

(1) 銀座物件の資産価値について

(2) 銀座物件と南青山の土地の交換について

(3) 銀座のビル計画の採算性等について

(4) 瑞浪ゴルフ場の開発利益について

(5) 関ゴルフ場の会員権独占販売権の取得による利益について

(6) 本件融資の担保について

(7) 企画料の意味について

3 被告人河村のイトマンに損害を加えることの認識等について

4 被告人河村の任務違背の認識等について

5 被告人河村の図利加害目的について

三  被告人伊藤の主張に対する判断

(理由不備ないし理由齟齬の論旨について)

1 銀座物件の資産価値に関する判示部分について

2 銀座物件と南青山の土地の交換に関する判示部分について

3 銀座ビル計画の採算性に関する判示部分について

4 瑞浪ゴルフ場の開発利益に関する判示部分について

5 企画料に関する判示部分について

6 被告人伊藤の立場に関する判示部分について

(法令適用の誤りの論旨について)

商法四八六条一項の「使用人」について

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

2 銀座物件の資産価値について

3 銀座物件と南青山の土地の交換について

4 銀座ビル計画の採算性について

5 瑞浪ゴルフ場の開発可能性等について

6 本件融資の担保について

7 企画料等について

8 被告人伊藤の身分等について

9 被告人伊藤の任務違背及びイトマンに損害を加えることの認識並びに図利加害目的について

第三  被告人両名のさつま案件について

一  事案の概要と原判決の判断の骨子

二  被告人河村の主張に対する判断

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

2 担保評価等について

3 被告人河村の任務違背とその認識について

4 被告人河村のイトマンに損害を加えることの認識及び図利加害目的について

三  被告人伊藤の主張に対する判断

(理由不備ないし理由齟齬の論旨について)

1 さつまゴルフ場の会員権販売計画による債権回収の可能性及び被告人伊藤らの右認識等について

2 野田産業株式の担保評価額に関する被告人伊藤の認識について

(法令適用の誤りの論旨について)

商法四八六条一項の「使用人」について

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

2 さつまゴルフ場の会員権販売可能価格と被告人伊藤の右認識ついて

3 野田産業株式の担保評価額と被告人伊藤の右認識等について

4 被告人伊藤のイトマンに損害を加えることの認識について

5 被告人伊藤の任務違背とその認識について

6 被告人伊藤の図利加害目的と共謀について

第四  被告人両名のアルカディア案件について

一  事案の概要と原判決の判断の骨子

二  被告人河村の主張に対する判断

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

2 被告人河村の任務違背について

3 被告人河村のイトマンに損害を加えることの認識及び図利加害目的について

4 各論的主張に対する判断

三  被告人伊藤の主張に対する判断

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

2 被告人伊藤のイトマンに損害を加えることの認識について

3 被告人伊藤の図利加害目的について

第五  被告人河村の業務上横領案件について

事案の概要と原判決の判断の骨子

(事実誤認の論旨について)

一  本件一〇億円の趣旨及び被告人河村の横領の故意等について

二  各論的主張に対する判断

1 本件協定書の性格について

2 被告人河村の業務上横領の故意等について

3 伊藤交付にかかる五億円の性格等について

第六  被告人河村の自己株取得案件について

事案の概要と原判決の判断の骨子

(事実誤認の論旨について)

一  被告人河村の自己株取得の故意等について

二  各論的主張に対する判断

第七  被告人河村の控訴趣意中、被告人河村にかかる全案件に関する訴訟手続の法令違反の論旨について

一  被告人河村の自白調書の任意性について

二  被告人伊藤の検察官調書の証拠能力について

第八  被告人伊藤の絵画案件について

事案の概要と原判決の判断の骨子

(理由齟齬ないし理由不備の論旨について)

一  被告人伊藤及び加藤に対する河村の指示等について

二  河村の供述について

(法令適用の誤りの論旨について)

商法四八六条一項の「使用人」について

(事実誤認の論旨について)

一  論旨と本件絵画取引の概括的経緯

二  被告人伊藤の地位、権限等について

三  本件絵画取引の法的性格について

四  被告人伊藤の任務違背について

五  被告人伊藤及び加藤のイトマン側に損害を加えることの認識について

六  被告人伊藤らの図利加害目的及び共謀について

七  原判決の認定する本件絵画取引の損害額について

第九  被告人伊藤の府民信組案件について

事案の概要と原判決の判断の骨子

(事実誤認の論旨について)

一  論旨と本件融資の概括的経緯

二  被告人伊藤と雅叙園観光の実質的経営について

三  南野の任務違背及び南野、被告人伊藤の府民信組に損害を加えることの認識並びに図利加害目的について

四  被告人伊藤と南野との共謀について

五  各論的主張に対する判断

第一〇  被告人両名の各控訴趣意中、量刑不当の論旨について

第一一  結論

本籍

山口市堂の前町二四番地

住居

大阪府羽曳野市島泉九丁目六-一二

無職

河村良彦 大正一三年九月二一日生

本籍

名古屋市天白区表台一一〇番地

住居

右同所

会社役員

伊藤寿永光 昭和一九年一二月一六日生

右河村良彦に対する業務上横領、商法違反、右伊藤寿永光に対する商法違反、背任、有価証券偽造、同行使、有印私文書偽造、同行使各被告事件について、平成一一年九月九日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人両名から各控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官小西俊雄出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用中、証人吉田修一に支給した分は、被告人両名の連帯負担とし、証人松尾翼に支給した分は、被告人河村の負担とする。

理由

第一  本件各控訴趣意等について

本件各控訴の趣意は、被告人河村の弁護人(主任)甲田通昭、同藤田正隆、同中道武美、同小坂井久及び同三嶋周治連名作成の控訴趣意書、被告人伊藤の弁護人(主任)井上經敏、同酒井清夫、同霜鳥敦及び同長文弘連名作成の控訴趣意書(一)、控訴趣意書(二)及び控訴趣意書補充書、同井上經敏作成の控訴趣意書訂正申立書、控訴趣意書(一)第二回訂正申立書及び控訴趣意書訂正申立書の補正書、同井上經敏、同酒井清夫、同霜鳥敦及び同長文弘連名作成の控訴趣意書補充書(二)、同井上經敏作成の控訴趣意書(一)第三回訂正申立書に、これらに対する答弁は、検察官柿原和則作成の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する(なお、被告人伊藤の主任弁護人は、有価証券偽造、同行使、有印私文書偽造、同行使事件に関する控訴趣意は、量刑不当の主張に尽きる旨法廷で釈明した。)が、論旨は、多岐にわたるので、概ね、原判決が認定した事件の順序に従い、事件毎に被告人両名の各自の主張を個別的に検討することとする。(以下、本件各事件中、被告人両名にかかる商法上の各特別背任事件及び被告人伊藤にかかる背任事件を、各事件の融資先や融資元、出金名目等に基づき、瑞浪案件、さつま案件、絵画案件、アルカディア案件、府民信組案件と、被告人河村のイトマン株の取得に関わる商法違反事件を自己株取得案件、同被告人にかかる業務上横領事件を業務上横領案件、被告人伊藤にかかる有価証券偽造、同行使、有印私文書偽造、同行使事件をまとめて偽造案件とそれぞれ略称することとし、関係者の氏名や会社名等についても、文脈で紛れがない限り、原則として初出以外は、断り書きなく原判決の例に習って略称することがある。また、本判決で、取り上げる商法、刑法の各法条については、その改正関係について特に断ることなく本件に適用される法条を指すものとして使用することがある。)。

そこで記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討し、次のとおり判断する。

第二  被告人両名の瑞浪案件について

一  事案の概要と原判決の判断の骨子

関係証拠によると、本件は、被告人河村は、伊藤萬株式会社(以下、「イトマン」という。)代表取締役社長であったもの、被告人伊藤は、株式会社協和綜合開発研究所(以下、「協和」という。)代表取締役社長であり、かつ、平成二年二月一日からイトマン理事・企画監理本部長であったものであるが、さきに、協和が、銀一商業協同組合(以下、「銀一」という。)所有にかかる東京都中央区銀座一丁目七番所在の四〇〇坪余りの土地につき、組合員の持つ出資証券を買い取って銀一自体を買収する方法で地上げを遂げるなどして、同所所在の土地(以下、「銀座物件」という。)を支配下におさめるとともに、岐阜県内において、「瑞浪ゴルフ場」と「関ゴルフ場」の開発の実行に着手するなどしていた(以下、これらを総称して「協和プロジェクト」ということがある。)ところ、被告人伊藤において、右銀座物件取得などの関係で負っていた、債権者をファーストクレジット株式会社(以下、「ファーストクレジット」という。)、株式会社アルファ(以下、「アルファ」という。)、芙蓉総合リース株式会社(以下、「芙蓉総合リース」という。)とする総額約六六六億円の債務を、イトマンに肩代わりしてもらう約束を被告人河村から取り付け、右約束に基づき、平成元年一一月下旬ころ、イトマンから、借受の相手方を名目上銀一として、協和のファーストクレジット及びアルファ関係の債務合計約四六五億円の肩代わり融資を受けていたが、平成二年三月に入って、協和が芙蓉総合リースから借り入れていた二三〇億円についても、その返済方を強く求められるに至ったことから、被告人伊藤において、イトマン取締役名古屋支店長加藤吉邦に対し、被告人河村との前記約束に基づき、その肩代わり融資の実行を要請し、加藤から右要請の報告を受けた被告人河村においてもこれに応じることとし、同年四月二日ころ、将来瑞浪ゴルフ場の運営主体とするため協和が全額出資して設立した株式会社瑞浪ウイングゴルフクラブ(代表取締役は被告人伊藤、以下「瑞浪ウイング」という。)に対し、ゴルフ場の開発工事資金の名目で二三四億円余りをイトマンから貸付実行させた(以下、本項において、「本件融資」というときはこれを指す。)、という事案であるところ、原判決は、本件融資が、被告人両名及び加藤において、それぞれその任務に背き、共謀の上、自己らの利益を図り、イトマンに損害を加えることを認識、認容しながら実行され、イトマンに振込金額に相当する二三〇億円余りの損害を与えたものであるとして、被告人両名に対して、加藤との共謀による商法上の特別背任罪(以下、「特別背任罪」という。)の成立を認めたものである。

二  被告人河村の主張に対する判断

(理由不備ないし理由齟齬の論旨について)

被告人河村の図利加害目的について

所論は、要するに、原判決は、瑞浪案件について、被告人河村に図利加害目的が存在したと判示しているが、その判示する認定事実自体、図利加害目的を肯認するに足りないし、判示相互に矛盾がみられるから、原判決には理由不備ないし理由齟齬がある、すなわち、(1)原判決は、被告人河村の意図、主観的要素について、被告人河村が「(イトマンに)将来大きな利益が出る可能性もある」「イトマンが事業主体になれば多額の利益を上げることができる」と考えていた事実を認定しているところ、右の認定からすれば、被告人河村に本件における図利加害目的(とりわけ加害目的)が存在すると判示することはできないはずである、(2)原判決が被告人河村の犯行態様の問題点として認定するところは、要するに、イトマンが将来事業として取り組む場合の採算性等について全く調査、検討をすることなく、銀座物件関連での協和等の債務全額を肩代わり融資することを決めたと認定していることに尽きているのであり、原判決が認定する融資経緯や被告人河村の加藤、イトマン副社長髙柿貞武及び被告人伊藤に対する各種の指示内容や幹部役員への融資説明資料用である「(株)協和綜合開発研究所融資関係資料」の記載内容、平成元年一一月六日開催のいわゆる六人委員会における被告人河村の発言等が、その図利加害目的を導くようなものとはいえない、(3)原判決の瑞浪案件に関する(罪となるべき事実)の説示は、被告人河村らの任務違背についての言及はあっても、図利加害目的(とりわけ加害目的)についての言及はおよそ乏しく、むしろ唐突ですらある、(4)原判決は、「経営判断の法則」に関する判断においても、被告人河村の本件融資に関する調査、検討の不存在のみをもって同被告人を断罪しており、原判決の説示する「安易な経営姿勢」であるということは、何も図利加害目的を導くわけではなく、それが過失でしかないことは明白である、というのである。

しかし、刑訴法三七八条四号にいう「判決に理由を附せず」とは、同法四四条一項、三三五条一項により要求される判決理由の全部又は一部を欠くことをいうのであり、「理由にくいちがいがある」とは、主文と理由の間又は理由相互の間にくいちがいがあり、これが、理由を附さない場合と同程度の重大なものであることを要すると解されるのであって、原判決の瑞浪案件に関する認定、説示にこのような瑕疵があるとは認められず、所論が指摘するような諸点は、そもそも刑訴法三七八条四号にいう理由不備ないし理由齟齬に該当するといえないことは明らかである。

なお、所論にかんがみ、当裁判所の見解を若干付加して説明を加えておくと、(1)の点については、原判決が、被告人河村において「リスクはあるが将来大きな利益が出る可能性もあるなどと考えていた」と指摘した箇所は、被告人伊藤と初めて対面した際、同被告人に対し、イトマンとの共同事業を提案した際の動機を説明したものであり、また、「イトマンが事業主体になれば多額の利益を上げることができると考えた」と指摘した箇所は、被告人伊藤の全プロジェクトをイトマンと協和の共同事業とし、その借入金全額をイトマンで肩代わり融資する方針を固めた動機等を説明したものであって、いずれも被告人河村が、ゴルフ場等の開発事業一般あるいは被告人伊藤の持ち込むプロジェクト全体によってイトマンで将来利益が上げられる可能性を考えたというにとどまり、瑞浪案件を含めた個々の案件の直接的な融資の動機、ひいてはその際の図利加害目的の有無について言及をしたものとは必ずしもいえないのであって、原判決が、所論指摘にかかるような事実を認定したことと、本件融資について被告人河村に図利加害目的があったと認定したこととは、必ずしも論理的に矛盾するものではない。そして、原判決は、本件融資にあたり、被告人河村に図利加害目的があったことについては、瑞浪案件に関する(罪となるべき事実)や(争点に対する判断)の各箇所において、所論が指摘する点を含めて、別個に詳細な説示をしていると解されるのであって、両者の各認定部分を対比しても、その間に所論がいうような不整合性があるものとは認められない。

(2)の点については、原判決は、本件融資につき、被告人河村に図利加害目的が認められるとする根拠として、単に、被告人河村が、イトマンが将来事業として取り組む場合の採算性等について全く調査、検討することなく、銀座物件関連における協和等の右債務全額を肩代わり融資することを決めたことのみをその理由としているのでないことは、(1)に対する判断の項で説示したとおりの原判決の詳細な判断から明らかである。また、所論が指摘する、銀座・瑞浪(本件)両案件に対する融資経緯や被告人河村の加藤、髙柿及び被告人伊藤に対する各種の指示内容や幹部役員への融資説明資料の記載内容、平成元年一一月六日開催のいわゆる六人委員会における被告人河村の発言内容については、原判決は、直接的には、被告人河村の任務違背を基礎付ける事実として認定、説示しているものと解されるけれども、原判決は、これら事実をもって、本件融資において、被告人河村に図利加害目的があったことを推認させる重要な間接事実として指摘していることも、その説示全体の趣旨から自ずと明らかであり、所論は、原判決の論旨を正解していないというべきである。

(3)の点については、そもそも(罪となるべき事実)の判示の程度については、構成要件に該当すべき具体的事実を、当該構成要件に該当するか否かを判定するに足る程度に具体的に明らかにし、罰条を適用する事実上の根拠を確認できるようにすれば足りるものと解されるところ、原判決は、瑞浪案件に関する(罪となるべき事実)において、右要件を満たすだけの十分な記載をしていることが明らかである。

(4)の点については、原判決は、所論が主張する「経営判断の法則」の趣旨を踏まえて検討してみても、被告人河村において、本件融資を決定、実行したことが、正常な企業活動を逸脱しており、企業経営者として有する経営判断の裁量を大きく逸脱していることについて、具体的な理由を示して説明していることは明らかであって、被告人河村の本件融資に関する調査、検討の不存在や「安易な経営姿勢」のみをもって断罪しているものではないことが明らかである。

(法令適用の誤りの論旨について)

1 「加害目的」の意味について

所論は、要するに、本件のような貸付実行の事案において、犯人に、特別背任罪の故意と同一視しない形で「加害目的」があるというためには、債権の回収が不能になるという意味での「実害」に対する確定的な認識ないし認容があったことを要すると解すべきであるのに、原判決は、被告人河村は、せいぜい損害(実害)の危惧の認識を有していたにとどまるにもかかわらず、同被告人に加害目的を認めているから、この点、原判決は、特別背任罪の法令解釈適用を誤っていることが明らかである、というのである。

そこで検討すると、法が、特別背任罪において、故意のほかに、図利加害目的という主観的要件を設けたのは、商法四八六条所定の身分を有する者が、会社に対して、財産上の損害を加えることを認識しながらあえて任務違背行為に及んだ場合において、その者が会社の利益を意図していなかった場合に限って当該行為を処罰の対象とし、もって、処罰の範囲を適正に画そうとした点にあるものと考えられる。そうすると、特別背任罪における図利加害目的があるといえるためには、その者が、任務違背行為を行うにあたり、会社の利益を意図していなかったことが必要であると解すべく、その者が、もっぱら若しくは主として自己又は第三者の利益を図る動機に出たものであるときは、会社の利益を意図していない場合に該当し、右にいう図利目的があると認めることができるものというべきである。そして、任務違背行為を行うにあたり、右のように、会社の利益を意図せず、自己又は第三者の利益を図る動機に出た場合において、これと表裏の関係をなすものとして、会社に対し、財産上の損害を加えることを認識、認容していることも十分あり得るところ、そのような認識、認容があれば、特別背任罪における故意の要件としての損害を加えることの認識が肯定されるのはもちろん、図利目的に加えて、加害目的も存すると認定して差し支えないと考えられる。

また、右にいう「財産上の損害を加える」とは、経済的見地において会社の財産状態を評価し、被告人の行為によって、会社の財産の価値が減少したとき又は増加すべかりし価値が増加しなかったときをいい、必ずしも、債権の回収が不能になるという意味での「実害」が現実に発生することまでは必要としないと解されるのであり、このことを、借り手側の資力が十分でないのに担保も徴求しないで貸付が行われるいわゆる不良貸付の場合についてみると、当該貸付債権が、回収不能の蓋然性が高い不良債権であって、会社の資産を、かかる回収不能の蓋然性が高い不良債権に変換させること自体、会社の財産内容を悪化させるものということができるから、これをもって、右にいう「財産上の損害を加えた」ものと評価することができるというべきである。

以上の見地に立って本件をみると、原判決は、図利加害目的の点につき、被告人河村は、被告人伊藤から企画料等を取得することによって、イトマンの決算対策用の見せかけの利益計上に協力してもらい、公表予想経常利益を達成したとみせかけ、イトマン社長としての自己の地位を保持することを目的とし、かつ、被告人伊藤の利益を図る目的をもって、本件融資を決定し、これを実行させたものであって、従としてでも、イトマンの利益を図る目的があったとは認め難い旨、被告人河村の図利目的について認定、判示した上、この認定事実を踏まえて、これと表裏の関係をなすものとして、イトマンに損害を加えることを認識、認容していた旨認定していることが明らかである。

そして、右損害を加えることの認識、認容の具体的内容についても、原判決は、まず、被告人河村が、本件融資債権を確保するに足りる担保の提供がないにもかかわらず、債権保全のための担保徴求等の措置を講じることなく、本件融資を実行したことによって、当該債権の回収を著しく困難にさせたこと、すなわちイトマンの資産を不良債権に変換させ、その財産内容を悪化させた点をとらえて、イトマンに財産上の損害を発生させたと認定し、かつ、被告人河村が、右のように、本件融資金を出金させること自体が、イトマンの積極財産を減少せしめ、債権回収が著しく困難な不良債権を生ぜしめたという意味において、イトマンに財産上の損害を発生させることについての認識、認容があったと認定していることは、その判文自体から明らかである。

そうすると、原判決は、結局、特別背任罪における図利加害目的につき、当裁判所と同様の法的解釈に立脚しつつ、被告人河村に、同罪にいう図利加害目的の存在を認めたものといえるから、この点に関し、原判決が、法令の解釈適用を誤った違法を犯しているということはできない。

所論は、特別背任罪の「図利加害目的」について、独自の見解に立脚した上、原判決の法令解釈適用を不当に論難しているにすぎないから、採用することができない。

2 経営判断の法則について

所論は、本件融資につき、被告人河村の所為が特別背任罪となるか否かを判断する際には、まず、「経営判断の法則」を適用して、リアルタイムに即して、違法性があるか否かを判断し、次いで、仮に違法性があるとして、それが可罰的違法の域に達しているか否かという判断をしなければならないところ、右法則を適用すれば、被告人河村は、本件融資につき、自らの情報収集を含めて一定の与えられた情報のもとに判断したものであり、かつ、自己保身だけに駆られていたものではない上、なによりも、本件当時においては、だれもが右肩上がりの経済情勢を前提として、被告人河村と同じ様な経営判断を行っていたものであるから、これらからすれば、本件は、まさに「経営判断の法則」が適用されるべき事案といえるから、本件融資につき、被告人河村に、特別背任罪の図利加害目的や故意を認めて同罪の成立を肯定することは到底できないのに、原判決は、右法則の解釈を誤り、右のような事情、とりわけ、バブル経済やその崩壊、イトマン報道、本件捜査公判などのため、事業が未完成になったという事情を全く考慮せず、債権の回収が困難になったという事後的な結果から本件を判断し、被告人河村に特別背任罪の成立を認めた点で、法令の解釈適用を誤ったものである、というのである。

そこで検討すると、いわゆる「経営判断の法則」は、概要、取締役らが、その業務を執行するに際して、ある決定を下した場合、それが会社及び自己の権限内に属し、それに合理的根拠があり、かつ会社の最良の利益であると誠実に信じた事柄以外に影響を受けずになされた場合には、裁判所が経営判断の内容に介入したり、その結果生じた損害について、取締役らに賠償責任を負わせることはしないとする米国の判例法に由来するものであると解されるところ、この法則が我国の商法の解釈にあたってそのまま適用されるべきものであるか否かの点はさておき、その趣旨とするところを特別背任罪の解釈にあたって敷衍すると、企業活動における経営判断においては、変動する社会経済情勢を前にして、いわゆる冒険的取引を行うか否かなどの困難かつ危険な決断を迫られることが多いという特殊性から、任務遂行に当たる取締役らの刑事責任が過度に苛酷なものとならないよう配慮すべきであるという一つの観点としてこれを理解することができる。しかし、もとより「経営判断の法則」が実質的に有するとみられる右のような趣旨を尊重するとしても、取締役らが任務を遂行するに当たっては、まず、当該行為が、平均的経済人から判断して、損失を招く危険性が著しく大きなものでなく、通常の経済取引の在り方から著しく逸脱するようなものでないことが要求されるのはいうまでもない。そして、右任務遂行過程の中で、仮に任務違背行為として問題とすべき点が存したとしても、右経営判断に基づく行為が、もっぱら、もしくは主として会社の利益を目的として行われたものである限りにおいて、取締役が特別背任罪の責任を問われることは原則としてないものというべく、このように解することによって、冒険的取引等、困難な経営判断を迫られる取締役らの刑事上の処罰範囲を適正に画することができるものと考えられる。

これを本件についてみると、原判決は、商取引ないし企業活動が、しばしば投機的色彩を帯び、危険を伴うのが一般であるから、そのような取引を一切否定することはできないとしつつ、取引通念上許される限度において、社会的に相当と認められる方途を講じつつ、通常の業務執行の範囲内で行ったものである限り、任務違背があるとはいえないし、主として会社の利益を図る目的に出たものとみることができ、たとえ損害発生の未必的認識があったしても、特別背任罪の成立は否定されるとした上で、被告人河村が、伊藤関連プロジェクトの事業としての採算性につき、何ら具体的に検討をすることなく、借入金全額約二〇〇〇億円をイトマンで肩代わり融資することを決め、その見返りに被告人伊藤側から、多額の企画料を還流させて、公表予想経常利益額を達成しようとして、採算性を度外視して実質無担保で本件融資を決定、実行したことは、バブル経済下にあったとしても、もはや正常な企業活動を逸脱しており、任務違背の著しさや自己及び第三者の利益を図る目的の存在からも、会社経営者としての裁量の範囲を逸脱している旨を判示することによって、本件について、所論のような考え方は採用することができず、被告人河村に特別背任罪の成立を否定すべき場合には当らないという判断を示したものとみられる。そうすると、原判決は、当裁判所と基本的に同様の見解に立脚した上で、所論が指摘する本件当時における経済情勢などをも十分踏まえた上で、本件融資に関する被告人河村の企業経営者としての判断内容及び目的等を検討して、被告人河村に特別背任罪が成立する旨判断していることは明らかであって、単に融資金の回収が困難になったなどという事後的な見地だけからこれを判断しているものではないから、原判決に、所論がいうような法令解釈適用の誤りがあるとは到底いえない。

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

所論は、要するに、本件融資は、銀座案件を含めて考察するならば、イトマンにとって十分に採算を取ることができる見込みのあるものであり、被告人河村においても、そのような認識を有しつつ、イトマンに右融資を実行させたものであるから、同被告人には、特別背任罪における任務違背やイトマンに損害を与えることの認識はもちろん、図利加害目的もなかったのに、銀座案件を含めて考察しても、本件融資が、イトマンにとって採算を取ることのできないものであり、被告人河村もこのことを認識しながら、被告人伊藤と共謀の上、それぞれその任務に背き、自己らの利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることを認識、認容しながら、その任務に違背して、イトマンに右融資を実行させ、右融資金振込額に相当する約二三〇億円の損害をイトマンに与えたと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

しかしながら、記録によると、原判決が、本件瑞浪案件の背景及び犯行に至る経緯、犯行状況として、「第二 被告人両名に対する瑞浪案件」における(犯行に至る経緯等)、(罪となるべき事実)及び(争点に対する判断)第一項において、認定、説示するところは、所論指摘の点を含めて、すべて正当として是認することができ、右判断は、当審における事実取調べの結果によっても特に動かないものというべきである。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明することとするが、所論を判断するのに必要な範囲で、本件融資の経緯の概略を改めて摘示すると、以下のとおりである。

<1> 被告人河村は、昭和五〇年五月株式会社住友銀行取締役から転じて、当時、経営危機に瀕していたイトマン副社長となり、同年一二月には代表取締役社長に就任して、その再建に取り組んで、多大の功績をあげ、昭和五三年には復配にこぎつけて「イトマン中興の祖」といわれるようになったが、昭和五九年ころを境にイトマンの売上高が伸び悩み始めるとともに、経営多角化による新規事業への進出の過程で巨額の損失を被るなどしたことから、昭和六二年には、投下資本金約八五〇億円が固定化するなどして、経営を圧迫する状況となっていたところ、自らの社長在任期間も相当長期に及んでおり、メインバンクで自己の出身会社でもある住友銀行から後任社長を送り込まれ、イトマンの社長の地位を追われる事態となることを痛く危惧し、これまでの自己の最大の実績である昭和五三年以来の毎期連続の増収増益路線を維持して、住友銀行の意向をはねのけてイトマン社長の地位を保持しようと思い定め、不動産融資案件関連での企画料・融資斡旋手数料等の名目でみせかけの利益を計上して、公表予想経常利益額を達成しようと、当面の決算対策用の利益計上のための材料探しに躍起となっていた。

<2> 被告人伊藤は、前記のとおりの事業を経営し、昭和六二年四月決算期までは比較的順調に推移していたが、コスモポリタングループの池田保次に対し、同人が実質的に支配経営していた雅叙園観光株式会社(以下、「雅叙園観光」という。)の連帯保証で約二七〇億円を融資していたところ、同年一〇月のいわゆるブラックマンデーの株式大暴落により打撃を受けた池田が、雅叙園観光振出の手形を簿外で乱発したあげく、失踪したことから、巨額の貸付金が焦げ付いて資金繰りに窮するようになっていたため、少しでも、コスモポリタングループに対する債権を回収しようと企図するとともに、自らも雅叙園観光の経営者となることに魅力を抱き、雅叙園観光経営にかかるホテルの敷地を国から払下を受けるなどしてその再開発を行い、利益を上げたいとの思惑の下に、池田の後を継いで雅叙園観光の経営に当たっていた野村栄中こと許永中からその経営を引き継ぐとともに、平成元年二月ころより、南野洋が代表理事(理事長)をしていた大阪府民信用組合(以下、「府民信組」という。)から多額の無担保融資を受けて、雅叙園観光の簿外債務の処理にあたっていたが、同年七月末ころを最後として、右融資を打ち切られるに至ったことから、資金繰りに一層窮する事態となっていた。

<3> そのような折の同年八月三日ころ、住友銀行栄町支店長大野斌代の紹介により、大阪の料亭「たに川」で、被告人河村と被告人伊藤が初めて会って、右大野やイトマン取締役名古屋支店長加藤らと会食した際、被告人河村は、被告人伊藤から、協和プロジェクトを始めとする伊藤関連プロジェクトについての説明を受けたことが端緒となって、折から高金利時代を迎え、地上げ屋の不動産業者への単なるファイナンス業務では利益が薄く、ゴルフ場の開発プロジェクトであれば、当初は融資を行い、最終的にプロジェクトごと買い取ってイトマンで事業展開をすれば、融資時点で多額の企画料が取れる上、リスクはあるものの、将来大きな利益が出る可能性もあるとの思惑を抱くに至り、同被告人に対し、協和プロジェクトをイトマンの資金提供の下に共同事業として遂行していくことを提案した。これに対して、被告人伊藤も、右の提案を受け入れることによってイトマンから多額の資金を引き出し、協和等の借入金返済や、自己が経営を引き受けていた雅叙園観光の簿外債務の処理資金等に当てることが出来るとの思惑からこの提案に応じようと考えた。そして、平成元年九月下旬ころ、被告人河村は、加藤とともに被告人伊藤と話し合った際、同被告人から、銀座物件の状況や同物件関連の協和等の借入金額についての説明を受けるや、これらをイトマンが将来事業として取り組む場合の採算性等について全く調査、検討することなく、銀座物件関連での協和の債務全額を肩代わりすることを決めた。

<4> 同年一〇月中旬から下旬にかけて、被告人河村と加藤、被告人伊藤が話し合った結果、被告人河村から、銀座物件関連での協和の借入債務のうち、銀一名義によるファーストクレジット及びアルファからの借入金(合計約四三六億円)は、同年一一月中にイトマンから返済資金を貸し付けて肩代わりすること、協和の芙蓉総合リースからの借入金約二三〇億円については、将来、瑞浪ゴルフ場への融資名目で、金利分を含めて二三四億円を出金して返済に充て、その後、瑞浪名目で出金された協和の債務は、イトマンと被告人伊藤が銀座物件で事業を営むため共同出資して設立する新会社に振り替えること、瑞浪ゴルフ場の関係でも企画料を取ることなどが指示されたが、その際、被告人河村は、被告人伊藤や加藤に、「関と瑞浪で銀座を浮かすこと」「関ゴルフ場の会員権を一〇〇〇億円、瑞浪ゴルフ場の会員権を八〇〇億円で売ることにすればいい」などといった現実離れの指示をしたり、「加賀田、千葉我孫子、相武」を関連プロジェクトとして余剰金を出し、無利息の資金を銀座に投入できるという資料を作るよう指示するなどして、イトマン内部からの異論に備えるよう企図した。

<5> 右指示を受けて、加藤は、協和に四六五億円(ファーストクレジット及びアルファへの返済資金に一〇か月分の金利を上乗せした金額)を融資する件につき、限度決裁申請を上げる一方、被告人伊藤と協議を重ねながら、イトマン幹部役員に対する右融資等の説明用資料を作成したが、その内容は、協和の借入金残高が一八八〇億円あり、これに対する担保が、銀座物件を過大に評価したとしても、債務額を一一一億円下回り、かつ、銀座物件にビルを建てた場合の採算性についても、三七二億円の資本金を投入する必要があると記載される一方で、被告人河村の前記指示に沿って、「我孫子、相武、加賀田」の宅地造成利益によって担保不足分がまかなえる旨記載されるとともに、協和は、関、瑞浪のほか、三重、相武、京都、柏でもゴルフ場開発を行っており、イトマンで資金援助し、会員権募集を行えば四七〇億円の余剰資金を集めることができる旨記載され、さらには、銀座関連の四六五億円の融資と併せて計画されていた雅叙園観光の債務処理のための七三億円の融資に関しても、雅叙園観光のホテル敷地の払下を受けられるとして、五八二億円もの含み益があり、マンション建設をして分譲すれば、一二〇〇億円もの利益が上がる旨の記載までなされていたが、右の各記載内容は、協和が手がけているゴルフ場開発等については、関ゴルフ場はともかくとして、他は、開発の目途が立っていないか、そもそも協和のプロジェクトとは言い難いものばかりであり、雅叙園観光の土地の払下を受けて有効利用することなども極めて困難な状況にあったものであるなど、いずれも、単に、イトマンが、被告人伊藤関連のプロジェクトに共同事業として取り組むことにより、莫大な収益が得られるかのように見せかけただけのものであった。

<6> 同年一一月六日、被告人河村は、イトマン東京本社に藤垣頼母、髙柿、芳村昌一の三副社長及び管理本部長木下久男専務を集めて、いわゆる六人委員会を開き、右資料に基づき加藤に説明させ、被告人河村自らも補足説明するなどした後、協和のプロジェクトに、イトマンの事業として共同して取り組んでいくとの方針を表明したが、これに対して異論を唱えるものはなかった(なお、このとき、加藤は、銀座プロジェクトに四六五億円の融資をする旨説明しただけで、銀座関連の債務六六六億円の残額について、瑞浪ゴルフ場への融資名目で出金する意向であることには、一切触れなかった。)。そして、同年一一月二〇日、イトマンから名古屋伊藤萬不動産を介し、協和に対して、四六五億円の融資が実行された。

<7> ところで、被告人河村は、既に、平成二年三月期の公表予想経常利益を一三〇億円と予想していたが、同年一月中旬ころ、財務経理担当副社長の髙柿に、決算の見通しを早期に立てるよう指示したところ、同月下旬ころ、同人から、約一〇〇億円の利益が不足する旨の報告を受けた。そこで、被告人河村は、髙柿に対し、被告人伊藤と相談して、伊藤関連プロジェクトを利用した決算対策用の利益出しを行うよう指示する一方、被告人伊藤にも、直接、一〇〇億円を企画料などとしてイトマンに入金し、三月末の利益出しに協力するよう要請し、これを受けた被告人伊藤及び加藤において、右決算対策用の利益出しのためのプロジェクト選定作業を進めた。この間の同年二月一日より、被告人伊藤は、イトマン企画監理本部長に就任し、イトマンが行う不動産開発事業の企画、監理及び融資に関する業務等を統括する業務に携わってきたものであるところ、かねてより、芙蓉総合リースから再三にわたり前記借入金二三〇億円の返済を迫られ、債務保証予約をしていた青木建設の承認を得て、同年三月三〇日までに返済する旨の延期願を提出していたのに対し、芙蓉総合リース側から、必ず同日までに返済するよう強く申し渡されるに至った。

<8> そこで、被告人伊藤は、前記プロジェクト選定作業を進めていた同月一二日ころ、加藤に対し、芙蓉総合リースへの返済期限が迫っているので、当初からの被告人河村との約束どおり、二三〇億円の肩代わりの実行するよう求めたのに対し、加藤は、被告人河村にもその旨報告してその了承を得た上、融資金額を二三四億円(二三〇億円に二か月分の金利を加算した金額)、返済期限を同年六月末とする限度申請書を作成するとともに、これに、右資金が瑞浪ゴルフ場の開発資金に使われるものであるように装った記載をしたが、その一方で、右ゴルフ場が、未だ開発行為等の許認可を取得していないこと及び許認可を取得する見込みやその時期については全く記載することがなかった。

<9> そして、同年四月二日、本件融資が実行されたものであるが、被告人河村が、被告人伊藤からの本件融資方の要求に応じることにしたのは、当時、同年三月期における公表予想経常利益達成が当面の最優先課題であり、そのための決算対策用に約一〇〇億円の利益を計上する必要があり、被告人伊藤の協力が不可欠であると考えていたことから、被告人伊藤に、イトマンの決算対策用の利益計上に協力してもらい、瑞浪ゴルフ場への融資の関係でもイトマンへ企画料を入れてもらおうと意図したことによるものであり、被告人伊藤及び加藤も、被告人河村の右意図を見抜いていた。

<10> なお、イトマンにおける企画料取得は、被告人河村の指示に基づき、期末の時期に集中して徴収、計上されていたところ、その実態は、企画料取得に見合う役務の提供がなされない場合が多く、本件融資に関連した同年三月期における被告人伊藤側からの企画料等の入金も、右と同様に、なんら、企画料取得に見合う役務の提供がなされていないばかりでなく、そもそもイトマンから大平産業株式会社への融資金の流用を黙認したり、関ゴルフ場の会員権一括購入前渡金名目で出金するなどして、被告人伊藤側の資金の便宜を図った上で、何十億円という企画料を期末に集中して入金させており、単にイトマンの資金を還流させたにすぎないという態様のものであった。

<11> イトマン内部においては、本件融資が、銀座案件に対する前記四六五億円の融資に引き続いて行われたものであることから、既にトップの了解があるとのことで、審査らしい審査がほとんど行われず、しかも、その融資債権を保全するためのなんらの担保も徴求することなく、被告人河村を含めた決裁担当者による最終的な融資決裁がなされて実行されたものであり、被告人河村及び髙柿を除くその余の決裁担当者らは、本件融資金の使途が、瑞浪ゴルフ場の開発資金ではなく、協和の芙蓉総合リースからの借入金の返済に充てられることすらも知らされていなかった。

<12> 被告人両名及び加藤らにおいては、本件融資に際しても、銀座案件に対する四六五億円融資の際と同様、ビル建築等による開発計画など、銀座案件の採算性が取れる見通しがなく、その資産価値や利用価値にも多大の疑問があることを認識しており、さらに、本件融資の直接的な名目である瑞浪ゴルフ場の開発利益や、協和プロジェクトの一つとして挙げられていた関ゴルフ場の会員権独占販売権による取得利益などを含めても、これらが、実質無担保で実行される本件融資を補うに足りるような性質のものではないことについても認識していた。

<13> 本件融資金は、その出金名目であった瑞浪ゴルフ場の開発資金には全く使用されず、当初からの被告人伊藤のもくろみ及び被告人河村、加藤らの認識どおり、協和の芙蓉総合リースに対する債務の返済に使用された。

2 瑞浪案件等の採算性について

所論は、原判決が、銀座・瑞浪両案件の採算性について、(1)銀座物件の資産価値について、(2)銀座物件と南青山の土地の交換について、(3)ビル計画の採算性等について、(4)瑞浪ゴルフ場の開発利益について、(5)関ゴルフ場の会員権独占販売権取得による利益について、の五点につき個別に検討を加えているものの、これらすべての点につき、個々に事実誤認を犯しており、かつ、総体としては被告人らの「損害」の認識、認容に結び付かないのに、個々に分断して判断することにより、これを「損害」に結び付けた誤りがある、というのである。以下、順次所論を検討することとする。

(1) 銀座物件の資産価値について

所論は、原判決が、銀座物件につき、せいぜい五〇〇億円までの資産価値しかないと判示しているとすれば、その価値が右金額に止まると断ずる根拠はなく、被告人河村としても、右価値が最低でも五〇〇億円であり、五〇〇億円以上であると認識していたから、原判決の右資産価値に関する判断には誤りがある、という。

そこで検討すると、原判決は、(争点に対する判断)第一の三2(一)「銀座物件の資産価値について」の項で、「被告人らが銀座物件について五〇〇億円程度の価値があるものと認識していた旨の弁解を無下に排斥することはできない」と判示しており、その前後の記述をも照らし合わせると、原判決は、銀座物件の資産価値につき、多めに見積もって、被告人両名が五〇〇億円程度であると考えていた可能性があると認定した趣旨であると解すべきところ、原判決は、その根拠として、被告人伊藤は、国土利用計画法の関係で、銀座物件の転売価格は、四〇〇億円程度に規制されることを十分認識しており、被告人河村も、同法上の規制の関係で、銀座物件を四〇〇ないし四三〇億円でしか売却することができないという認識を有していたこと、他方、住友銀行名古屋支店長の大上信之が、銀座物件は五〇〇億円程度の価値があるとみて、被告人伊藤のためにその処分先の斡旋をしていたこと、日本生命保険相互会社不動産部長名で取得価格の上限を総額五〇〇億円弱とする買付証明書が出されていたこと、ダイエーの子会社である日本ドリーム観光と銀一・協和との間で、協和側が総額五〇〇億円の対価を得る内容で覚書が交わされていたこと、被告人河村がダイエー側よりも有利な条件を提示してきたため、被告人伊藤がダイエー側との右交渉を打ち切った側面があること、平成二年二月二八日申請の住友銀行名古屋支店の極度外取引認可申請書中の銀座物件の「売却予定価五四〇億円」との記載が協和側の資料に基づく予定価にすぎないと認めるべきことなどを指摘しているのであって、原判決挙示の関係証拠によれば、右認定自体に不合理な点があるとは認められない上、他に、被告人河村が、銀座案件の全額肩代わり融資を決めるについて、銀座物件について五〇〇億円を超える資産価値があると信じたことについて合理性を認めるに足りるような証拠も見当たらないから、銀座物件の資産価値に関する被告人河村の認識について、原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

(2) 銀座物件と南青山の土地の交換について

所論は、被告人河村は、本件融資の実行前に銀座物件とイトマン側が地上げ中の南青山の土地との交換のメリットを認識し、右交換が確実視される状況にあったことが明らかであるのに、イトマン側が右交換の可能性を融資実行前に具体的に検討しておらず、具体的な成算や確実な展望がなかったことなどを理由として、銀座物件を支配下に置くことによるイトマンの利益を評価するに当たり、南青山の土地との交換により長寿庵の立ち退きに成功したことを前提とすることは相当ではないとした原判決の判断には誤りがある、という。

しかし、関係証拠によれば、イトマンが構想した銀座物件の第一の利用法はビル計画であり、被告人河村も、平成元年一二月末ころ、被告人伊藤に銀座物件を利用したビル事業計画案の作成を指示し、平成二年一月ないし二月にかけて、被告人伊藤からいくつかの計画案の説明を受けていたこと、イトマン側は、本件融資の決定、実行前には南青山の土地交換の可能性を具体的に調査検討しておらず、長寿庵にも右交換の打診をしていなかったもので、それが相手方の意向等を踏まえたものではなく、交換実現の具体的な成算や確実な展望が認められない客観的情勢にあったことなどは原判決が指摘するとおりであると認められる。そして、被告人河村としても、協和の銀座関連物件の債務について、イトマンによる全額肩代わり融資を決意した時点において、銀座物件と南青山の土地の交換が実現すれば、虫食い状態であった南青山の土地の資産価値が上がるかも知れないという期待を抱いていたとしても、それは、銀座物件の複数の利用方法の一つに対する可能性に関する期待にとどまるもので、未だ交換の具体的実現性の見込みを前提としたものではなかったものと認められ、右交換の実現性を十分吟味することなく、イトマンの決算対策用の見せかけの利益出しを優先させ、銀座・瑞浪両案件の融資を決定したものと認められる(所論は、右交換の確実性について、銀座物件が一等地であるのに対し、長寿庵の土地の地形が悪いこと、銀座物件は、交換比率の点で弾力的運用が可能なこと等を指摘するが、これらの事情があったがために、被告人河村が、右交換が確実であるという認識を抱いていたとは認められないし、右認識が、右肩代わり融資を決意するにつき主要な動機になったものとも認められない。)から、被告人河村の右期待の存在は、本件融資における同被告人の「損害」に関する認識を左右するような性質のものではなく、この点に関する原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

(3) 銀座のビル計画の採算性等について

所論は、確かに、被告人伊藤が協和時代に立てた計画によれば、銀座のビル計画は採算性の取れないものであったが、右の採算性は、結局、調達資金の金利負担あるいは時間的射程の問題に帰着するところ、被告人河村は、自己資本を投入する考えや、イトマン直営の百貨店やパチンコホールを経営する構想も有しており、これによって採算性の問題は解消することができると考えていたのに、被告人河村としては、イトマンでパチンコ店を経営することまでは考えてはおらず、銀座物件にビルを建築してもイトマンの投下資金を回収することはできず、被告人らも、右事実を十分認識していたと判示した原判決の認定、判断には誤りがある、という。

そこで検討すると、なるほど被告人河村は、原審第一二三回公判において、銀座物件の採算性については、イトマンで検討し、貸しビルで百貨店やパチンコ店、画廊等の小売店、飲食店等をすることにより、十分採算が取れるという認識だった旨所論に沿う供述をしているものの、その検察官調書(原審検第一二三一号証)中においては、本件融資当時における銀座の土地、瑞浪ゴルフ場、関ゴルフ場の三事業の採算性及びこれらに関する認識について、個別具体的に詳細な供述をするとともに、三つの案件をトータルしても、利益は出ず赤字になることは分かっていたが、企画料等による利益出しを優先させて、採算性を二の次にして融資を決定したと述べており、特に、銀座の土地については、国土法価格の制限があるため、四〇〇ないし四三〇億円でしか売却できず、右土地に関する協和の借入金約六六六億円については、損失を穴埋めすることができない状態であったこと、杉本満らが策定した右土地にビルを建てて賃貸したり結婚式場をする計画案も見たが、どの案も採算が取れないことが分かったこと、平成元年に加藤や被告人伊藤に対して、三〇〇億円位でしか売れないと思っていた関のゴルフ場会員権を一〇〇〇億円で売れと言ったのは、一番案件がまともな関のゴルフ場でそれ位の予算を組んでおかないと損失をカバーできないと思ったからであるなどと供述していることに加えて、被告人伊藤も、その検察官調書(原審検第一二六五号証)中で、平成元年暮れに、被告人河村から宝石、絵画等の事業を含め、銀座で収益の上がる事業を策定するよう指示を受け、翌年一月から二月にかけて四種類位の銀座資金計画案を作らせたが、借入金による資金では採算性が取れるビル計画案を策定することができず、その旨被告人河村にも説明したこと、参考のため自己資金四四〇億円をつぎ込む前提で策定したところ、やっと収支がとれる計画案ができたことからこれを被告人河村に見せたものの、何も反応がなく、被告人河村も、銀座案件で採算が取れないものと理解していたと思う旨供述していること、イトマンの企画監理本部副本部長であった証人杉本満は、原審第一四二回公判において、銀座の土地にパチンコホールを作った場合には借入金によっても採算が取れるという計画案を策定し、被告人河村に提示したところ、同被告人は、イトマンがパチンコ屋かと言って、一流商社のプライドから腰引けになったと証言していること、当時、一部上場会社であるイトマンが、銀座でパチンコ店を経営することは、企業としての信用やイメージの保持からも困難な情勢にあったことが窺われることなどに照らすと、直営百貨店やパチンコ店等を営むことによって採算が取れると考えていたとする被告人河村の前記公判供述は、到底信用することができない。また、被告人河村の検察官調書(原審検第一二三〇号証)、証人髙柿の原審第三回及び第六回公判証言、証人十合威夫の原審第三六回公判証言、資料入手報告書(原審検第六四号証)等によれば、本件融資当時、イトマンは、金融収支や企画料などを除いた実質的な営業利益だけでは黒宇が出ない状態が続いており、多額の自己資本や極めて低利の長期資金の調達をすることが困難な苦しい財政事情にあり、エクイティファイナンスによって、多額の自己資金を調達して、銀座案件に長期間つぎ込むことも困難な情勢にあったことが認められ、被告人河村も、イトマンの社長として、右のようなイトマンの財政事情は、十分に把握していたものと認められるから、自己資金や極めて低利の資金を銀座案件に投入することにより、銀座案件の採算が取れるものと被告人河村が考えていたとする所論は、前提を誤っている。

(4) 瑞浪ゴルフ場の開発利益について

所論は、本件融資当時、瑞浪ゴルフ場の開発行為は、既に事前協議が終了して、最終的な許可の取得が間違いないと見込まれる状況にあり、被告人河村も、そのような認識でいたこと、瑞浪ゴルフ場は、平成元年一〇月ころの段階で、総額二〇〇億円(一口平均二五〇〇万円で八〇〇口)程度で会員権の募集を行う計画をしていたが、イトマンが共同事業として参加し会員権販売を独占的に行うことになったことや当時のゴルフ会員権相場の著しい高騰状況から、本件融資実行当時、被告人河村において、従前の五割増し程度の価格で募集できると確信していたし、イトマンが事業に乗り出せば、その後の瑞浪ゴルフ場完成までの経費として見込まれていた八五億円余りよりも相当低額の経費でできると認識していたことなどに照らすと、瑞浪ゴルフ場の開発は、事業として明らかに採算が取れると認識される事業であって、被告人河村もそのように認識していたのに、右事情を排斥して、瑞浪ゴルフ場の開発は、その事業の成否や時期の見通しは不明であり、未だイトマンの開発利益を具体的に算定できる段階にあったとはいい難いとした上、被告人河村につき「損害」発生の認識を肯定した原判決には事実誤認がある、という。

そこで検討すると、瑞浪ゴルフ場の開発計画の概況、被告人伊藤がその事前協議結果通知を昭和六二年八月に岐阜県から受けて、これに伴う各種申請行為を行った状況、平成元年ころ、同県から進入路を変更するよう指導があり、協和がこれに伴う問題に対処して、最終的に開発行為等の許認可を平成五年五月に取得した状況等については、原判決が認定するとおりであると認められる。そして、瑞浪ゴルフ場については、平成元年秋ころの段階で、協和側において、総額二〇〇億円(一口平均二五〇〇万円で八〇〇口)程度で会員権の募集を行う計画が立てられていたこと、ゴルフ場会員権相場は、バブル経済の影響などにより、平成二年春ころまで値上がり傾向が続いていたこと、本件融資当時、イトマンが、瑞浪ゴルフ場の会員権を独占的に販売する契約を締結した上で将来その経営にも関わっていく方針であったことについては、所論が指摘するとおりであると認められる。しかし、協和のゴルフ事業部長であった証人福川恵璽の原審第五一回、第五二回、第五四回及び第五七回公判証言、資料入手報告書(原審検第一九四七号証)及び「経緯」と題する文書(原審検第一九六〇号証)などによれば、ゴルフ場開発行為というものは、一般的に事前協議さえ終了すれば、開発許可等が確実に下りるといえるような性質のものとみることはできない上、瑞浪ゴルフ場については、岐阜県から保安林解除問題に伴う進入路変更の指導があったため、進入路の設計変更、調査図面の作成や砂防法等の関係法令との適合性の検討、進入路が通る地区長の建設同意や水質等問題に関わる住民の個別の建設同意を得る必要などが生じ、これらを解決するために大変な作業と労力を要したことが認められ、本件融資がなされた同年四月の時点においては、いつまでに明確な住民の同意が得られるかの見通しが明らかではなく、瑞浪ゴルフ場について県から許認可が下りる時期についてのめども立っていなかったことが認められる。また、瑞浪ゴルフ場の会員権を総額二〇〇億円(一口平均二五〇〇万円で八〇〇口)程度で募集するという計画は、もともとその策定当時続いていたゴルフ場会員権の値上がり傾向を見込み、将来の期待値を含んだ上での販売計画であったもので、福川としては、本件融資時の同年四月にあっても、瑞浪ゴルフ場の会員権の販売可能総額は、やはり二〇〇億円程度であると考えていたことが認められる。また、イトマンの企画監理副本部長であった証人石井利男の原審第三五回及び第三六回公判証言等によれば、ゴルフ場の会員権の値段は、コース設計、立地条件、会員数、経営母体の姿勢、周辺ゴルフ場の相場等多様な要素で決定されるものであって、会員権販売業者や経営母体がどこかは、会員権相場を形成する多様な要素のうちの一つにすぎないものと認められ、単に、瑞浪ゴルフ場の経営にイトマンのような一部上場企業が関わったり、同社が会員権を独占的に販売するというだけで、従来の会員権販売予定額が、一気に五割も跳ね上がることは、一般的には考え難いことであって、被告人河村も、その検察官調書(原審検第一二三一号証、第一二三二号証)中において、瑞浪ゴルフ場の会員権販売総額は、瑞浪ゴルフ場の資料などを見て、二〇〇億円かぜいぜい二五〇億円までであると考えていたこと、瑞浪案件の融資限度申請書中で、その会員権販売額が三一〇億円と記載されているのは、会員権を担保として七掛けとして、本件融資額の約二三〇億円から逆算して出した数字であって、根拠のないものであること、本件融資がその開発資金には使用されないことや、瑞浪ゴルフ場の完成までに相当額の工事費等が別途必要であったことから、その会員権の販売によっては、採算が取れないことが分かっていたことを認める供述をしており、イトマンにおいて、瑞浪案件の事業的採算性について、具体的な検討もされないまま、本件融資が決定されていることは、右供述を裏付けており、所論が指摘するような事情から、被告人河村において、前記募集計画の五割増しの三〇〇億円程度の価額で右会員権を募集できると確信していたなどとは認めることはできない。そうすると、所論は、原判決が認定する諸事情とは異なる前提に立ち、本件融資に関する被告人河村の「損害」発生の認識について、原判決を不当に非難しているにすぎないと認められるから、この点に関する原判決の判断に誤りはない。

(5) 関ゴルフ場の会員権独占販売権の取得による利益について

所論は、イトマン側は、関ゴルフ場の会員権独占販売権を得ることにより、少なくても総額三六〇億円程度が見込まれた会員権販売額の一割五分ないし二割程度の手数料収入が入るから、これにより数十億円単位の収益が見込め、被告人河村も、本件融資実行当時、関ゴルフ場の関わりにおいてイトマンに相当の収益が見込めると判断していたのに、原判決が、右会員権を販売するためには、それ相当の費用もかかるのであるから、銀座案件による損失を填補する程の収益が上がるとは考え難いと認定したのは明らかな事実誤認である、という。

そこで検討すると、関係証拠によれば、本件融資当時、関ゴルフ場の会員権の販売によって、総額三六〇億円程度を集められる可能性があったことは否定できないこと、平成二年四月当時、被告人伊藤が関ゴルフ場関連で合計約四三二億円の債務等を負担しており、三六〇億円程度の預託保証金等を集めることができたとしても、銀座案件に回すだけの資金的余剰が出る見込みはなかったこと、被告人河村においても、被告人伊藤から聞くなどして、関ゴルフ場関連の右負債状況やその借入金の使途状況を知っていたことは、原判決が認定するとおりであると認められる。そして、被告人河村の検察官調書(原審検第一二三一号証)によれば、同被告人は、関ゴルフ場の会員権販売総額は、本件融資当時は、三〇〇億円程度か高く売れたとしてもその上限はせいぜい三六〇億円程度に止まることを認識しており、関ゴルフ場案件からは、銀座案件の損失を填補するに足るような余剰金が出ないことを知悉しながら、瑞浪案件について、企画料を取得し、イトマンの決算対策用の名目上の利益出しを優先させて、本件融資を決定したことが認められる。しかも、仮にイトマンが関ゴルフ場の会員権を販売することによって、販売額の一割五分ないし二割の手数料を取得できたとしても、その相当額の販売費用等を差し引いてイトマンが上げた純益は、銀座案件の損失を填補するに足るような金額まで達しないことは明らかである上、右純益は、右会員権販売というイトマンの役務提供に対する相応の対価であって、イトマンにとって通常の商行為として以上に特段の経済的メリットが認められるような取引であったとは考えられず、右純益を銀座案件に回すことができるという期待が、銀座案件の融資あるいはさらに進んで瑞浪案件に関する実質的な無担保による本件融資を積極的に推進する強い動機となり得るようなものとはいえないことは明らかであって、被告人河村も、捜査段階において、右手数料収入を当てにして、銀座・瑞浪案件の融資を決めたなどとは供述しておらず、同被告人が関ゴルフ場の会員権販売による手数料収入が入るというイトマンのメリットがあるがために、本件融資を決定、実行したものでないことは明らかである。所論は前提を誤っており、採用することができない。

(6) 本件融資の担保について

所論は、本件融資に伴って、平成二年三月二〇日、協和からイトマンに対し、小倉南カントリークラブ全株式二四万株、雅叙園観光株式五二四万八〇〇〇株、関カントリークラブ会員権一〇〇〇口、関カントリークラブ所有土地六四万三六五二m2、瑞浪カントリークラブ会員権一〇〇〇口が担保として差し入れられていた事実が、原判決言渡後の資料によって判明し、イトマンにおいて、本件融資の債権保全のため、担保徴求措置が講じられていたことが明らかになったから、本件融資の際、右措置等が講じられていなかったと認定した原判決には事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、なるほど、所論指摘の「差入書」(当審検第三号証在中のものの原本)は、平成二年三月二〇日付で、協和の代表取締役である被告人伊藤が、イトマンから仮称ウイング蘭仙カントリークラブの開発資金の融資を受けるに当たり、同日までの既融資金の確認を行い、その時点までの担保として、所論指摘の各株式、所有土地及び会員権をイトマンに対して差し入れることを内容とするものであることが認められ、この点について、被告人伊藤は、当審第九回ないし第一一回公判において、本件融資の際、この「差入書」と同一内容の書面をその作成日付ころ、加藤の求めに応じて、自分でその内容を確認した上、その作成を了解したことから、これに押印がなされて、協和から加藤を通じてイトマンに差し入れられたものであって、本件融資に際しては、この「差入書」に記載されているとおりの担保がイトマンに対して差し入れられたことに間違いがないとして、所論に沿う供述をしていることが認められる。

しかし、被告人伊藤は、捜査段階及び七年余りにも及ぶ原審公判において、本件融資についての担保の差入れ状況等について、関係者から何度も繰り返し説明を求められていて、それが本件融資における自己の特別背任罪の成否を左右する重要事実であることを熟知していたと考えられるにもかかわらず、右「差入書」の存在や所論のいう担保差入れの事実については一切触れてはいないのであって、この点につき、被告人伊藤が、当審公判において、右「差入書」が協和本社事務所から東京国税局によって押収され、更に大阪地方検察庁によって押収された書類の中に保管されているのを原審判決後に至って、その謄写書類の中から自ら発見するまでは、その存在はもとより、これに記載されている各物件が、本件融資の担保として、イトマンに差し入れられていた事実を完全に失念していたと説明するところは、かなり不自然なものがあるといわざるを得ない。しかも、本件融資の決裁関係書類であるその限度申請書、限度設定通知書及び限度決裁書には、右「差入書」のことやこれに記載された担保が本件融資の担保として協和から提供されている旨の記載は一切ないばかりか、右「差入書」の添付もなく(なお、被告人伊藤は、瑞浪案件関係ファイル(原審検第一四六一号証)中の瑞浪案件の限度設定通知書及び取引先貸付金限度決裁書・審査所見書の条件欄に記載のある「(株)協和総合開発研究所法人保証徴求のこと」という各記載は、本件「差入書」そのもののことを指しているかのように当審で供述するが、右「法人保証」という人的な保証を求める趣旨の前記の文言と、物的担保のみが列記されている本件「差入書」の内容とは、全く符合していないから、右説明供述は到底信用することができない。)、かえって本件融資の延長に関する受付日を九〇年六月二一日とする不動産案件与信申請書(原審検第一二六七号証添付)の「3与信内容」の下の「担保」欄には、本件「差入書」の記載内容に沿うような何らの担保の記載もみられない上、瑞浪ウイングゴルフクラブを取引先とし、申請日を平成二年九月一三日、受付日を九〇年九月二一日とする不動産案件与信申請書(同号証添付)の「主査所見」欄には、同月二六日付で「担保差入書大至急入手のこと」と主査市川によるとみられる記載がなされ、同じく同クラブを取引先とし、申請部確認が(同年)一〇月一七日付でなされている限度設定通知書(同号証添付)の「条件欄」には、「指示事項・会員権担保差入書大至急入手の事」との記載がなされていることが認められ、これら二通の書類は、本件「差入書」の作成日付の約半年後の作成にかかるものとみられるにもかかわらず、イトマンの本件融資審査担当者においては、平成二年九月あるいは同年一〇月の各時点においてすら、瑞浪ゴルフクラブの会員権の担保差入書が未だイトマンには差し入れられていないという認識でいたことは明らかであって、この事実は、同クラブの会員権を含む本件「差入書」の記載どおりの担保が、本件融資に当たり差し入れられたとする被告人伊藤の当審公判供述とは、明らかに矛盾しているといわざるを得ず、その信用性を著しく減殺するものというべきであり、むしろ、本件「差入書」が、前記二通の書類の作成後に、いわゆるバックデイトで作成されたものではないかという合理的な疑念を生ぜしめるものというべきである。

なお、吉田修一は、当審第三回公判において、平成元年から平成二年にかけて、イトマン東京本社法務部主任部員を務めていたところ、平成元年一二月末ころ、伊藤関連案件を東京本社法務部が引き取ってみることになり、伊藤関連案件をトレースした結果をまとめるなどの作業に従事していたが、本件「差入書」を見た記憶は全くなく、これが東京本社法務部に来たことはないと明確に証言している。

加えて、本件「差入書」(当審検第三号証在中のものの原本)は、協和本社事務所に対する東京国税局の捜索差押えによって、押収され、その後更に大阪地方検察庁において押収保管されていたものであるところ、これには、朱肉のついた協和の代表印が押捺されていることから、書類の性質としてはそれ自体が「原本」と考えられるところ、仮に、被告人伊藤が当審で供述するように、その作成日付のころにイトマン側に同内容の「差入書」が提出されていたとすると、書類の性質上からも用法上からみても、それが本当の意味における「差入書」の「原本」であったと考えられ、これにも朱肉のついた印鑑が押捺されていたとみざるを得ないところ、これが提出された後に朱肉のついた本件「差入書」が、なおも、協和本社事務所に残されていた理由については、被告人伊藤の当審公判供述によっても明らかではなく、かえって被告人伊藤は、当審第一一回公判においては、「差入書」に押印したのは、当初は一通のみであるかのような供述をしながら、検察官及び裁判官から、協和本社事務所から押収された「差入書」の押印に朱肉があることを指摘されるや、二通の「差入書」に押印した可能性がある旨供述を変更させるに至っていること、前記指摘の本件融資関係書類の記載内容と本件「差入書」の記載内容との間に矛盾があることをも考え併せると、むしろ、本件「差入書」と同じ記載内容のものが、本件融資当時、イトマンに提出された事実がなかったことを強く推認させるというべきである。そして、本件融資の事後的な回収処理経過についてみても、証人永島治典の原審第一五一回公判証言によれば、本件融資金については、イトマンから債権譲渡を受けたティージーエスが、その回収に努力したものの、結局、瑞浪カントリークラブの株式五〇〇株(額面五万円)の代物弁済により一〇〇〇万円、関ゴルフ場の第二次競売配当によって三〇〇〇万円、新井組株式配当の差押によって三〇〇〇万円の合計七〇〇〇万円を回収することができたにとどまり、小倉南カントリークラブや雅叙園観光の株式、関ゴルフ場の会員権などによっては、本件融資金の回収は全くできておらず、これらが実際に、本件融資の担保として差し入れられたものとみることはできないし、瑞浪ゴルフ場の会員権は、同ゴルフ場について許認可を受けておらず、造成工事も開始されていない段階のもので、仮に本件融資当時から、その差入れがなされていたとしても、当時は、担保としての価値が認められないものであったことなどの事実も認められる。そうすると、本件融資の時点においては、イトマンにおいて、同融資について、本件「差入書」に記載されたような担保を徴求していなかったことは明らかというべきであるから、所論は採用することができない。

(7) 企画料の意味について

所論は、イトマンが取得した企画料は、客観的に企画料としての資金がイトマンに支払われて、イトマンの収入となりその旨計上されており、客観的、形式的にイトマンの利益となっており、その分をイトマンの出捐額から控除すべきであるから、イトマンの銀座プロジェクト(瑞浪案件を含む)への資金投入額は、六六六億円から銀座・瑞浪案件の企画料等合計二八億八四〇〇万円を控除した六三七億円余りとなり、瑞浪案件を含んだ銀座プロジェクトの採算性は、この額をもって判断されるべきであるのに、原判決は、この点の判断を遺脱し、採算性についての事実を誤認している上、銀座プロジェクトから派生的に生じた協和プロジェクトの企画料は、すべからくイトマンの利益とみることができるのに、かかる判断を欠いている点でも原判決には事実誤認がある、という。

しかし、イトマンにおける企画料等の取得の実態の概要は、前記<10>のとおりであり、かつ、その詳細は、原判決が(争点に対する判断)第一の三3(二)項で詳細に認定するとおりのものであったことが認められる上、協和側からイトマンに支払われた一連のいわゆる協和プロジェクト関連の企画料や融資斡旋手数料等は、イトマン側から大平産業に対し出された融資金の中から協和側が流用した資金あるいは関ゴルフ場の会員権買取りの前渡金としてイトマンからウイングゴルフクラブに出された一二〇億円の資金等の中から、実質的にイトマンに還流されていたものであって、協和側で独自に調達したものではなく、しかも、右支払いは、イトマン側の役務の提供の伴わない決算対策用の名目上の利益出しを目的としたものであり、被告人伊藤においても、被告人河村や加藤から聞いて、イトマン側の右意図をよく理解しており、真に協和側で支払い義務があるような性格の金銭とは考えていなかったことが認められる。また、イトマン側から出された本件融資金(前受利息天引後のもの)は、<13>のとおり、もっぱら協和の借入金の返済資金として使用されており、その中からイトマンに企画料等として戻されたものはなく、瑞浪案件の企画料の名目で支払われた一〇億三〇〇〇万円を本件融資金額から差し引くべき理由は全くない上、銀座案件を含むその他の融資は、瑞浪案件とは別個の案件による融資として、イトマン内部の独立した審査、決裁手続によってそれぞれ出金されているのであって、別案件の融資に対するものとして支払われた企画料等を、本件融資金額から差し引くべき理由は一層ないものといわなければならない。所論は、誤った独自の見解に立脚しており、到底採用することができず、企画料等に関する原判決の判断に何ら不当とすべき点はない。

3 被告人河村のイトマンに損害を加えることの認識等について

所論は、イトマンは、本件融資実行当時、純客観的にみても、六三七億円余りの支出で、少なくとも五〇〇億円以上の値のついている銀座物件と、三一〇億円と見込まれる瑞浪ゴルフ場の開発利益を獲得し、さらに、相当の販売手数料利益が見込まれる関ゴルフ場会員権の独占販売権をも手中にしており、瑞浪ゴルフ場の完成までの費用支出を考慮しても、被告人河村に「損害」発生の認識など、およそ生じえないのに、被告人河村に右認識などを認めた原判決には事実誤認がある、という。

しかし、前記2の(1)ないし(5)に認定したように、本件融資当時、被告人河村は、銀座物件の資産価値について、多めに見積もっても、せいぜい五〇〇億円程度のものであると認識していたこと、さらに、銀座物件と南青山の土地交換や、銀座ビル計画などについても、なんら具体化したものではなかったこと、瑞浪ゴルフ場の開発利益についても、その会員権販売総額は二〇〇億円かせいぜい二五〇億円位までであり、これに対して、同ゴルフ場の完成めどは具体的に立っていなかった上、瑞浪案件名目での本件融資が、現実にその開発資金には利用されないことや、同ゴルフ場完成までに相当額の工事費等が別途必要であることなどから、上記会員権販売によっては採算が取れないこと及び関ゴルフ場の会員権独占販売権の取得による利益についても、総額三六〇億円程度を集められる可能性はあったものの、同ゴルフ場関連で、被告人伊藤において、既に合計約四三二億円の債務を負担しており、銀座案件や瑞浪案件への融資に回すだけの余剰は見込める状況にはなく、これらの事情についても、被告人河村においては認識していたものと認められる。

そして、上記認定のとおり、銀座物件の資産価値が五〇〇億円程度のものであるとの認識を前提としてみても、関係証拠によると、原判決も認定するとおり、本件融資時点において、銀一はエムアイ銀座ビル及び名古屋伊藤萬不動産に対して、前記<6>の貸付及びこの借換え手続に基づく合計五一三億円余りもの債務を負っていたものと認められ、右貸付に加えて追加融資された本件融資額二三四億円を回収する余地はなかったことが明らかである。

してみると、被告人河村に、所論が指摘するように「損害」発生の認識などがおよそ生じ得ないといえるような特殊な事情があったものとは、到底認めることはできない。そして、協和プロジェクトは、いずれも赤字となる見込みであったものであり、本件融資についてもそのままだと債権の回収ができず、イトマンに損害が発生すると思っていたが、その融資を行ったとする被告人河村の検察官調書(原審検第一二三一号証)中の供述は、上記にみたような協和プロジェクトの客観的情勢ともよく符合しており、十分信用することができるというべきである。結局、所論は、原判決の認定事実とは異なる独自の前提に立って、これを不当に論難しているものというべきであるから、採用することができない。

4 被告人河村の任務違背の認識等について

所論は、本件融資につき、被告人河村に任務違背があるとされる理由は、採算性の点を別とすれば、瑞浪案件の申請と決裁でなされた融資が、実際は銀座プロジェクトに投資されることになっていたという点にあるが、本件融資の実質は、銀座プロジェクトへの積み残し分の投資であると同時に瑞浪ゴルフ場の開発利益の掌握であって、融資名目の如何によって、その実態が変わるわけではなく、被告人河村が、その名目の違いを知っていたからといって、その実態に着目すれば、せいぜい手続齟齬の認識のレベルにすぎず、これを特別背任罪における任務違背の認識と評価すべきではないのに、原判決が、右名目の違いの認識をもって被告人河村に任務違背の認識を肯定した点で事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、本件融資の実質は、被告人両名が原審公判で弁解するような銀一の出資証券あるいは銀座物件の買取り資金のためのものではなく、右融資の時点においては、銀座物件につきイトマンが支配権を確保することが念頭に置かれていたとはいうものの、協和の芙蓉総合リースからの借入れの肩代わりをするためになされたものであったことは明らかであり、その債権の確実な回収を図るためには、被告人河村において、協和側から十分かつ適切な担保を徴求するなどして、イトマンに損害を与えることがないように務めるべき職責があり、被告人河村もそのことは十分認識していたとみられること、しかるに、前記<3>ないし<6>にみたとおり、被告人河村は、銀座・瑞浪案件に関する事業の採算性を調査、検討することなく、銀座関連物件に関する協和等の借入金全額を肩代わり融資する方針を決めた上、虚偽や誇張のある協和の融資関係資料を配布した六人委員会などにおける発言を通じて、社内から反対意見が出るのを押さえ込み、銀座案件について、協和に対し、四六五億円の融資を実行したばかりか、本件融資においても、<11>ないし<13>でみたように、瑞浪ゴルフ場の事業の採算が取れず、担保がないに等しいことを知悉しながら、その融資金を将来イトマンの子会社の債務に振り替える意図であることを加藤以外には知らせず、本件融資金の実際の使途等についても加藤及び髙柿以外のイトマン審査担当者や決裁者に知らせず、同人らに誤った情報を与えて、融資審査などを実質的に骨抜きにさせてその社内決裁を通過させているのであるから、被告人河村には、本件融資を決定実行するにつき、イトマンの社長としての任務に違背していること及びこれについての認識があったことは明らかであり、本件融資の実態が、被告人河村にとって手続齟齬の認識のレベルにすぎないなどとは認めることができないものである。原判決が同様の主張に対する判断として、(争点に対する判断)第一の三3(一)の「被告人河村の任務違背について」の項で詳細に認定、説示するところは、十分是認することができる。所論は、独自の見解に立って原判決の認定を不当に論難しているというべきであるから、到底採用することはできない。

5 被告人河村の図利加害目的について

所論は、本件融資実行時、被告人河村は、イトマンの利益を図ろうとしたものであって、被告人伊藤の利益やイトマンの社長としての地位の安定確保という自己の利益を図ろうとしたことはなく、少なくとも、イトマンの利益よりも被告人伊藤や自己の利益を優先させようとしたことはなく、そのような証拠もないのに、被告人河村に図利加害目的を認めた原判決には事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、確かに、前記<3>で認定したように、被告人河村は、将来、大きな利益が出る可能性もあるとの思惑もあって、協和プロジェクトをイトマンの資金提供の下に共同事業として遂行して行くことを決意したことは、それ自体としては否定することができないと認められる。

しかしながら、そもそも、協和プロジェクトをイトマンの資金提供の下に共同事業として遂行して行くことを決意したり、銀座物件関連での協和の債務全額を肩代わりすることを決めた時点においては、協和プロジェクトなるものの共同事業としての採算性については、イトマン側において、なんら具体的調査検討を経てはおらず、被告人河村においても、これをイトマン内部に指示したことなどなく、現に、被告人河村自身も、これには大きなリスクも伴うものと認識していたものである。

その一方で、<1>及び<3>で認定したように、その当時から、被告人河村は、イトマンの社長としての地位を保持すべく、同社の公表予想経常利益を達成するための決算対策用の見せかけの利益出しの材料探しに躍起となっており、そのために、被告人伊藤への銀座物件関連での借人金全額をイトマンで肩代わりすることを利用して、イトマンへ企画料を入れさせ、利益出しに協力させようと意図して銀座物件関連での協和の債務全額を肩代わりすることを決めたことが明らかである。

また、その後、<4>ないし<6>で認定したとおり、被告人河村は、被告人伊藤や加藤に対して、「関と瑞浪で銀座を浮かすこと」「関ゴルフ場の会員権を一〇〇〇億円、瑞浪ゴルフ場の会員権を八〇〇億円で売ることにすればいい」などといった現実離れのした指示をしたり、無利息資金を銀座に投入できるという資料を作ることを指示するなどして、イトマン内部からの異論に備えるよう企図したり、銀座物件の利用価値や交換価値、交換可能性などを含めた銀座案件の採算性について具体的な調査、検討もせず、かえって、イトマンにおける六人委員会等を通じて、他の決裁権者らに対し、これら案件がイトマンに大きな利益をもたらすかのような誤った情報を与えているのであって、その中には、被告人河村が、なんとしても利益出しのために被告人伊藤の協力を得るという自己の方針を貫こうとする強い意思が働いていたことが看取される。

そして、本件融資の直接的な背景には、<9>のとおり、当時、平成二年三月期における公表予想経常利益達成が当面の最優先課題で、そのために一〇〇億円の決算対策用利益を計上する必要があり、被告人伊藤の協力が不可欠と考えていたという事情があったものであり、これを実行するにあたっても、<11>、<12>のとおり、イトマン内部における実質的な融資審査を経ることも、十分な担保を徴求することもなく、かつ、その融資金の使途が協和の芙蓉総合リースからの借入金の返済に充てられることについて、被告人河村及び髙柿を除いた他の決裁担当者らに知らせることなく、また、被告人河村及び被告人伊藤、加藤らにおいて、銀座案件の採算が取れる見通しがないことを十分に認識していたのであって、これらの事実からすると、本件融資の動機は、もっぱら、決算対策用の利益出しのために被告人伊藤に協力してもらう点にあったと認めることができるのであり、前記のような協和プロジェクトの共同事業化とその中での本件融資の回収なるものは、被告人伊藤と初めて対面して、同被告人に対して、イトマンとの共同事業を提案した際における、また、協和プロジェクトをイトマンの共同事業とし、その借入金全額をイトマンで肩代わり融資する方針を固めた際における、当初の被告人河村の文字通りの思惑ないしは願望にすぎないものであって、少なくとも、本件融資の際におけるイトマンの利益を図る目的の存在に結びつくような動機というには程遠いものであったというほかはない。

そして、被告人河村において、本件融資が、被告人伊藤を利する結果となることを認識、認容していたことも明らかであり、以上にみたような本件融資の動機と、前記2、3で認定した事情を総合すると、被告人河村には、自己及び被告人伊藤らの利益を図る目的があったことは明らかであり、かつ、これと表裏の関係をなすものとして、イトマンに損害を加えることの認識、認容があったことも否定できないと認められる(この点、企画料をイトマンに入れることがイトマンの利益になるとの所論については、<10>でみたような同社における企画料取得の実態に照らし、イトマンの害になるものにすぎず、到底採用できないことは、さきに説示したとおりである。そして、右企画料取得は、とりもなおさず、イトマンにおける見せかけの利益計上となり、被告人河村の意図したとおりの同被告人の利益に結びつくものであったと評価できるところ、このような企画料取得を意図したこと自体、被告人河村に、自己の利を図ることをもっぱら優先させる動機があったことを強く裏付けるものということができる。)。

よって、被告人河村に、特別背任罪における「図利加害目的」を認めた原判決に、なんら事実誤認はない。

三  被告人伊藤の主張に対する判断

(理由不備ないし理由齟齬の論旨について)

1 銀座物件の資産価値に関する判示部分について

所論は、原判決が、被告人伊藤につき、銀座物件の資産価値についての認識を五〇〇億円程度の限度でしか認定せず、証拠上明白な本件融資の経緯との整合性に全く言及していないのは、実質的に理由不備であるとともに、被告人伊藤が「銀座物件につき、現に融資を受けていた金額(六六六億円)相応の担保価値があるものと認識していた」旨の主張を明確に展開しているのに、これを排斥しないまま、同被告人の図利加害目的及び背任の故意を認定したのは理由齟齬である、というのである。

そこで検討すると、刑訴法三七八条四号にいう理由不備及び理由齟齬の意味については、被告人河村の理由不備ないし理由齟齬の論旨に対する判断の項で説示したとおりであって、所論が指摘する点が、これに該当するような性質のものといえないことは明らかであり、この点は、以下2ないし6の箇所でとりあげる所論についても、同様であると解されるが、なお、所論にかんがみ、当裁判所の見解を若干付加説明しておくこととする。

原判決は、「銀座物件の資産価値について」の判示中で、その売却価格については、国土法上の規制があり、それが四〇〇ないし四三〇億円程度であることを被告人両名において、認識していたものの、住友銀行名古屋支店長の大上信之が、銀座物件は五〇〇億円程度の価値があると判断し、被告人伊藤のためにその処分先を斡旋していたこと、日本生命相互会社不動産部長名で取得価格の上限を総額五〇〇億円弱とする買付証明書が出されていたこと、ダイエーの子会杜である日本ドリーム観光と銀一商業協同組合・協和との間で協和側が五〇〇億円の対価を得る内容で覚書が交わされていたこと、被告人河村が有利な条件を提示してきたため、被告人伊藤がダイエー側に右交渉を断ったことなどを根拠として、「被告人伊藤らが、銀座物件を五〇〇億円程度の価値があるものと認識していた旨の弁解を無下に排斥できない」と認定しており、右認定自体に不合理な点があるとは認められないことは、既に被告人河村の事実誤認の論旨に対する判断中で指摘したとおりである。そして、なるほど、被告人伊藤は、被告人河村から、銀座物件関連で協和等が従前ノンバンク三社から借り入れていた総融資金額六六六億円の肩代わり融資の提案を受け、これに基づき、その後、銀座・瑞浪案件の融資が順次実行された事実は認められるものの、本件融資の実行に至るまでの間に、被告人伊藤は、被告人河村や加藤から、銀座案件への融資と本件融資によってイトマンに対し、労務提供等の実態を伴わない多額の企画料を入れてイトマンの決算対策(いわゆる利益出し)に協力するよう要請されたり、イトマンの大平産業案件に対する融資金を協和で一時流用することを被告人河村に黙認してもらうなどの便宜を図ってもらっていたのであり、銀座物件に対するイトマンの肩代わり融資の申出が、そのままイトマンの銀座関連物件に対する評価額を示すものではなかったことを知悉していたものと認められるから、被告人河村から前記提案を受けたことから、被告人伊藤において、六六六億円が銀座物件の客観的資産価値であると認識していたはずであるという所論は、既に前提を誤っている(なお、銀座物件関連の協和等の債務のうち、昭和六三年四月に協和が芙蓉総合リースから融資を受けた二三〇億円については、青木建設の債務保証予約によって融資を受けたものであって、銀座物件に抵当権を設定するなどこれを直接物的担保にした融資ではなかったことが認められるから、銀座物件の資産価値ないし担保価値及びこれに関する被告人伊藤の認識を判断するにあたっては、右二三〇億円の融資額を銀座物件の価値の評価に含めるのは相当とは認められない。)。そして、原判決は、明示的な判断までは示していないものの、被告人伊藤が銀座物件について、五〇〇億円以上の資産価値があるものと認識していたとする弁護人の主張を実質的に排斥した趣旨であることは、前記引用した原判決の判文や被告人伊藤に背任の故意や図利加害目的を認めていることなどに照らして明らかであり、銀座物件の資産価値に対する被告人伊藤の認識に関する点について、原判決の判示に所論のような実質的不備ないし不整合性はない。

2 銀座物件と南青山の土地の交換に関する判示部分について

所論は、被告人伊藤において、同被告人が長寿庵との土地交換が実現するという見通しを抱いていたことを具体的に主張していたのに、原判決は、右土地交換の見通し等につき、被告人河村の関係で言及しているだけで、被告人伊藤の関係では言及しておらず、これは実質的に理由不備であるとともに、同時に、被告人伊藤における同種案件の経験ないし実績等の背景事実、交換の見通しに関する同被告人の供述や重要証人の各証言等に全く言及せず、その意味や信用性も吟味せず、被告人伊藤が「交換は実現するであろう」との見通しを抱いていたとの主張を排斥せず、これを否定しないままで、同被告人の図利加害目的及び背任の故意を認定しているのは理由齟齬である、という。

そこで検討すると、なるほど原判決は、被告人伊藤が、右土地交換の実現可能性について、いかなる認識を有していたかについては直接的な言及をしてはいないものの、その判文中で、本件融資時点においても、イトマン側では、長寿庵等に銀座物件との交換を打診しておらず、交換の成否について、具体的な成算や確実な展望があったとは認められないこと、その後長寿庵等南青山の土地所有者に銀座物件との交換案につき打診して何度か交渉をしたものの、長寿庵を営む渡辺は顧客の関係で南青山での営業継続を希望しており、銀座物件との交換には消極的であり、最終的には、青山通りに面したイトマン所有の別の買収地との交換が成立したことなどの事実を関係証拠から認定した上で、「被告人伊藤の(土地交換の)提案は、ユニークなものであったにせよ、その相手方の意向等を的確に踏まえたものではなく、その実現可能性は相当低かったといわざるを得ない」と結論付けているところ、被告人伊藤の提案が相手方の意向等を的確に踏まえたものではなく、客観的に交換実現の可能性が低かった旨判示している以上、被告人伊藤が右交換実現についての確実な見通しを抱いていたとする被告人伊藤の主張を実質的に排斥した趣旨であることは、その論旨から明らかであり、この点に関する原判決の判断に問題はない。また、原判決が、地上げに関する被告人伊藤の経験や実績、あるいは右交換の実現可能性などに関する大上ら関係者の原審証言に言及していないとしても、これは原判決の認定事実に対する個々の証拠評価の問題に帰するから、理論上は事実誤認の問題が生じうることはさておき、原判決が、その挙示した関係証拠によって、被告人伊藤に図利加害目的及び背任の故意を認定したこととの関係において、理由齟齬になるものではない。

3 銀座ビル計画の採算性に関する判示部分について

(1) 所論は、被告人伊藤は、原審において、銀座ビル計画の採算性について、イトマンの資金調達コストに関する同被告人の認識を具体的に供述し、弁論でも強く主張し、イトマンが低コストの資金を調達できていたことは明白な事実であったのに、原判決は、この具体的な主張や証拠について全く言及せず、「銀座物件にビルを建築してもイトマンの投下資金を回収することはできず、被告人らも右事実を十分認識していたものと認めることができる」と結論付けているのは、何ら争点に対する判断を示したことにはならないから、実質的に理由不備である、という。

しかし、銀座ビル計画の採算性については、原判決が、(争点に対する判断)第一の三2(三)の「ビル計画による採算性について」の項において、被告人伊藤が、銀座ビル計画を飛世真治や水野弘志らに複数検討させた結果、資金の借入れによっては、パチンコ店を営む以外いずれも採算が取れないことが判明したこと、採算を取れるようにするためには、金利負担のない多額の資金を投入する以外に方法がなかったが、当時のイトマンの極めて苦しい資金的状況からその余裕がなかったこと、巨額の自己資金を銀座に投入できたとしても、長期にわたる資金の固定化は、かえってこれがイトマンに損失をもたらしかねないことなどを関係証拠によって総合認定をしているのであって、その判示するところに何ら不合理な点はない上、同項の後段においては、付加的説明として、被告人河村の弁護人の主張に対する判断としてではあるが、被告人河村が、銀座ビル計画が採算が取れないと認識していた理由を具体的事実に基づいて敷衍する説明を示しているのであるから、銀座ビル計画の採算性に関する原判決の説示に、所論のような問題はない。

(2) 所論は、コマーシャルペーパーであれエクイティファイナンスであれ、その眼目は低コストによる資金調達であるのに、原判決は、平成元年一一月二〇日の四六五億円の融資資金をイトマンが現にコマーシャルペーパーで調達できたことを指摘しつつ、何らの補足説明も付さないまま、「平成元年九月以降は、エクイティファイナンスの実施ができず、イトマンでは金利負担がないかその負担が軽い巨額の資金を投入するような余裕などなかった」と判示しているのは重大な矛盾であって、理由齟齬である、という。

なるほど、原判決は、所論が指摘する箇所においては、銀座案件に対するイトマンの資金調達の余裕の有無に関して、平成元年九月以降、イトマンにおいて、エクイティファイナンスの実施ができない状態にあったことを指摘しているにとどまり、コマーシャルペーパーによる資金調達については、触れていないものの、原判決は、(争点に対する判断)第一の二2(二)項において、四六五億円貸付の際のイトマンの原資が、コマーシャルペーパー等により調達したいわゆる短期資金であったことを認定した上、その後住友銀行のイトマン担当者から長期資金に切り替えるのが相当であると言われ、イトマンが住友銀行に対し、これを長期資金の融資に切替えを求めるための手続を取ったものの、直接貸付を求めた株式会社エムアイ銀座ビルの信用の低さや銀座物件の与信評価問題あるいは銀座案件の事業の収支計画上の問題から、平成二年三月下旬から四月上旬までの間に、ようやく住友銀行からの融資金三〇〇億円(ただし、その貸付先は、伊藤萬不動産である。)を含む一連の借換えができた経過などを詳細に認定しているのであって、そもそもコマーシャルペーパーによる資金調達は、原則として無担保でかつ一般の借入の場合に比してやや低利で融資を受けることを可能とするものではあるが、その性質上、通常は三か月ないし六か月程度の短期の資金の調達を目的としたもので、資金的安定性を欠いたものであり、長期の投融資用資金の調達には不向きな方法であって、それ故、イトマンとしても、住友銀行から指摘を受けて、銀座案件の融資金の原資についても、長期資金への借換えが行われているのであるから、平成元年一一月に四六五億円をコマーシャルペーパー等によって、イトマンが一時的に短期資金の調達ができていた事実は、採算を取るためには、相当長期間にわたり極めて低利で巨額の資金を投入することが必要とされていた銀座案件について、イトマンにそのような資金を調達するだけの余裕がなかったと原判決が認定した事実と何ら矛盾するようなものとはいえない。

(3) 所論は、原判決は、被告人伊藤から協和等のプロジェクトの概略等を聞いた被告人河村が「イトマンが事業主体になれば、多額の利益を上げることができるなどと考えた」旨認定しておきながら、この認定事実とは明らかに矛盾する内容の「銀座物件にビルを建築してもイトマンの投下資金を回収することはできず、被告人らも右事実を十分認識していた」と認定し、この間の矛盾ないし整合性如何につき全く言及しないまま、被告人両名についての図利加害目的及び背任の故意並びに共謀の認定につなげており、明らかに経験則に反した論理展開であり、理由齟齬がある、という。

しかし、この点については、既に被告人河村の同旨の主張に対する判断の項で説示したとおりであって、原判決の説示に前後の矛盾があるとは認められない。

4 瑞浪ゴルフ場の開発利益に関する判示部分について

(1) 所論は、瑞浪ゴルフ場の開発利益につき、原判決は、「協和における事業計画として右差額一〇〇億円程度を見込んでいた」と認定しているが、その旨の被告人伊藤の認識を覆す判示を、原判決は何ら示しておらず、この見込みに変化があったのか否かに言及しないまま、客観的事後的観点からのみ検討を加えて、「未だイトマンの開発利益を具体的に算定できる段階にあったとはいい難い」として、被告人伊藤における背任の主観的要件を認定しているのは、理由齟齬、理由不備である、という。

しかし、原判決は、被告人伊藤が、瑞浪ゴルフ場の開発利益につき、一〇〇億円程度を見込んでいたことを認定しているものの、あくまで右見込みを抱いていたことを指摘したにとどまり、それが確実なものとみていた旨認定しているものではないことに加え、瑞浪ゴルフ場の許認可の進展状況、進入路の問題の存在等を詳細に説示した上、これらの事実から、瑞浪案件の融資時点においては、未だイトマンの開発利益を具体的に算定できる段階にあったとはいい難いと判示しているのであり、瑞浪ゴルフ場の開発利益に対する被告人伊藤の前記見込みの存在が、本件特別背任罪について、被告人伊藤の損害の認識や図利加害目的等の主観的要件を失わせるような性質のものではないことを間接的に判断しているものと認められるから、その説示になんら問題はない。

(2) 所論は、瑞浪ゴルフ場は、イトマンが事業主体となる構想であったのであり、その旨は、原判決自身も認定しているのに、当該ゴルフ場開発資金につき、「協和で別途資金を調達する必要がある」と決めつけているのは理由齟齬である、という。

しかし、所論が指摘する「被告人河村は、・・・イトマンが事業主体となれば」などと原判決が説示した箇所は、被告人河村が、被告人伊藤の持ち込んだプロジェクトをイトマンとの共同事業にしようと考えた理由に関する一般的な構想を説示したにとどまり、本件融資当時、イトマンが瑞浪ゴルフ場の事業主体となるという具体的な構想を有していたことまでも認定したものではなく、原判決は、その(争点に対する判断)第一の三2(四)「瑞浪ゴルフ場の開発利益について」の項の説示にみられるとおり、当時は、協和がその主体となって同ゴルフ場開発することが予定されていた旨の認定をしているから、協和において瑞浪ゴルフ場の開発資金につき別途資金を調達する必要があると認定した原判決の説示になんら問題はない。

(3) 所論は、原判決が、瑞浪ゴルフ場の事業主体を協和からイトマンに移行することに伴う事情変更(会員権募集価格の上昇要因)に関して、被告人伊藤が強く主張していた事項につき、全く判断を示していないのは実質的に理由不備であるとともに、被告人伊藤における「イトマンであれば三〇〇億円程度の会員権募集ができる」との認識を排斥しないまま、本件特別背任の主観的要件を認定しているのは重大な理由齟齬である、という。

しかし、原判決は、瑞浪ゴルフ場の開発利益をイトマンが具体的に算定できる段階にあったとはいい難いと認定するとともに、イトマンが瑞浪ゴルフ場の会員権販売を行うことになるとしても、それ以前に二〇〇億円程度と見込んでいた会員権を五割も増した三〇〇億円程度で募集販売できると期待できるような客観的な状況にはなかったことをも指摘しており、被告人伊藤が、イトマンであれば三〇〇億円程度の会員権募集ができると認識していたとする所論を実質的に排斥して、被告人伊藤の特別背任罪の主観的要件の存在を認定していることは明らかである。

5 企画料に関する判示部分について

所論は、原判決は、イトマンに巨額の企画料が支払われていることにつき、被告人伊藤が詳細に主張したのに、被告人伊藤に対する関係では全く言及しておらず、これは実質的に理由不備であり、かつ、イトマンへ企画料等を支払うメリットも加味すれば、銀座・瑞浪案件に関するイトマンの出捐とその見返りは十分に見合っているものと認識していた旨の被告人伊藤の主張を排斥しないまま、同被告人の特別背任罪の主観的要件を認定したのは理由齟齬である、という。

しかし、原判決は、瑞浪案件について、被告人伊藤の特別背任罪の故意を含めた主観的要件などにつき、同罪の成立を認めるに足りる十分な理由をその判文中で示しているものと認められ、かつ、これによって、同被告人において、銀座・瑞浪案件に関するイトマンの出捐と見返りが十分に見合っていると認識していたとする主張を実質的に排斥していることは明らかである(なお、瑞浪事件の損害の算定に当り、イトマンに支払われた各種企画料を差し引くべき理由がないことは後述する事実誤認の論旨に対する判断の項で説示するとおりである。)。

6 被告人伊藤の立場に関する判示部分について

所論は、瑞浪案件の名目でイトマンが二三〇億円の出金をすることは、従前に成立していた約束の履行だったのであり、その「約束」が成立したのは平成元年段階のことであって、原判決自身も、その旨の認定をしているのであるから、その段階では、名実ともにイトマンの部外者であった被告人伊藤の同社に対する任務を云々する余地はないから、原判決には理由齟齬がある、という。

しかし、原判決は、被告人伊藤が企画監理本部長・理事に就任した平成二年二月一日以降において、同被告人が本件融資に関与したことについて、特別背任罪が成立すると判示していることは、後述の事実誤認の主張に対する判断の項で説示するとおりである。

(法令適用の誤りの論旨について)

商法四八六条一項の「使用人」について

所論は、商法四八六条一項に定める「使用人」は、文理上「商業使用人」の趣旨であって、その概念は、雇傭関係を前提とすると解すべきであり、イトマンとの雇傭関係が認められない被告人伊藤は、「商業使用人」ではないから、同被告人に商法四八六条一項を適用したのは、明らかな法令適用の誤りであり、仮に、同条項に定める「使用人」の要件に雇傭関係を必要としないという見解に立つとしても、本件融資は、遅くとも平成元年九月ないし一一月段階で決定され、平成二年四月二日に実行されたものであって、その決定時においては被告人伊藤が名実ともにイトマンの部外者であり、その実行時においても、未だ企画監理本部なる部門は、実体がなく、稟議を受け付ける体制になく、現に稟議を受け付けた事実もなかったから、被告人伊藤が商法四八六条一項にいう「使用人」に該当するとみる余地はないのに、原判決が、商法四八六条一項に定める「使用人」については、雇傭関係は不要という見解に立ち、被告人伊藤が、イトマンという企業経営組織に組み込まれて経営活動等を補助するかたわら、同社から何らかの利益を得ていたとみられる者であるとして、同条項所定の「使用人」に当たるとしたのは、その解釈適用を明らかに誤ったものである、というのである。

そこで検討すると、商法四八六条一項にいう「使用人」とは、同法四三条一項にいう、「営業ニ関スル或種類又ハ特定ノ事項ノ委任ヲ受ケタル使用人」を指していることは、両条文の酷似した文理に照らして明らかであるところ、同法が、企業における補助者のうち、同法四六条所定の「代理商」やその他の一般的使用人らを除外して、右の使用人を処罰の対象とした趣旨は、その者が、特定の企業に従属し、その指揮命令に服して補助者として活動することにより、企業に対する忠実義務が期待されるとともに、その企業から、部分的とはいえ包括代理権を与えられているところから、その委任にかかる事務を誠実に取り扱うことが期待されるのであり、これら従属関係に基づく指揮命令に伴う忠実義務及び委任の趣旨に対する背信行為に対し、一般の場合に比し重い非難が加えられるべきであるとした点にあると考えられる。そして、右にいう背信行為を基礎付ける忠実義務や委任関係は、企業との間における民法上の雇傭契約が存することによって生じるのが典型的かつ一般的といえるが、必ずしもこれに限るものではなく、原判決も説示するように、その者が当該企業の経営組織に組み込まれ、相当程度従属して指揮命令に服しながら、企業活動を補助し、部分的とはいえ包括代理権を与えられることによりその結果が企業に帰属するとともに、企業から何らかの利益を得ているなど、前記忠実義務及び誠実義務を負わせるのを相当とする関係が企業との間で成立しているとみられる場合には、民法上の雇傭契約の有無等企業との関係の法的形式にかかわらず、商法四八六条一項所定の「使用人」に当たるものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、原判決は、「被告人伊藤がイトマンから通常の意味での労務の給付に対する報酬の支払いを受けていたとは認められず、その間に雇傭関係があったと認定するのは困難」であるとの事実認定を前提とした上で(右事実認定が是認できることは、後に、事実誤認の論旨に対する判断の項で説示するとおりである。)、「商法四八六条一項の立法趣旨にかんがみると、企業の経営組織に組み込まれて、相当程度経営者に従属しながら、経営者の企業活動ないし経営活動を補助し、その結果が企業に帰する関係にあり、同時に企業から何らかの利益を得ているとみられる者は、雇傭契約の有無等企業との関係の法的形式にかかわらず、商法四八六条一項所定の『使用人』に当たるものと解するのが相当である。」旨説示し、もって、商法四八六条一項の解釈につき、当裁判所と概ね同一の見解に立った上、被告人伊藤が、イトマンとの間で、右の各要件を満たす関係にあったと認定して、同条項にいう「使用人」に該当すると判示していることが明らかであるから、原判決に、所論のような法令適用の誤りがあるとはいえない。

また、原判決は、被告人伊藤が、イトマンに入社する以前に、被告人河村との間でしていた銀座・瑞浪案件関係での融資の約束に関与したことではなく、平成二年二月一日に、被告人伊藤が入社した以降において、同被告人が企画監理本部長として、瑞浪案件の融資に関与した事実について、特別背任罪の成立を認めていることは、既に繰り返し説示したとおりであって、所論は、原判決に対する適切な批判とはいえず、この点に関しても、原判決に法令解釈適用の誤りはない。

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

所論は、要するに、本件融資は、銀座案件を含めて考察するならば、イトマンにとって十分に採算を取ることができる見込みのものであり、被告人伊藤においても、そのような認識を有しつつ、イトマンに右融資の実行をさせたものであるから、同被告人には、特別背任罪における図利加害目的も、任務違背の認識やイトマンに損害を加えることの認識もなく、被告人伊藤は、当時、特別背任罪成立の前提となるイトマンの「使用人」たる身分を有していなかったのに、銀座案件を含めて考察しても、瑞浪案件の融資が、イトマンにとって採算を取ることのできないものであり、被告人伊藤もこのことを認識しながら、同社の「使用人」としての任務に違背して、図利加害の目的をもって、イトマンに右融資を実行させ、右融資金振込額に相当する約二三〇億円の損害をイトマンに与えたと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

しかしながら、記録によると、原判決が、本件瑞浪案件の背景及び犯行に至る経緯、犯行状況として、「第二被告人両名に対する瑞浪案件」における(犯行に至る経緯等)、(罪となるべき事実)及び(争点に対する判断)第一項において、認定、説示するところは、所論指摘の点を含めて、概ね正当として是認することができ、右判断は、当審における事実取調べの結果によっても動かないものというべきである。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明することとするが、前提となる本件融資の経緯の概略については、被告人河村の事実誤認の論旨に対する判断の冒頭で説示したとおりである。

2 銀座物件の資産価値について

所論は、被告人伊藤は、銀座物件の資産価値について、イトマンに関わる前に、既にファーストクレジット、アルファー及び芙蓉総合リースの三社から右物件関連で融資を受けていた総額の「六六六億円」相当であると認識しており、控えめに言っても、ファーストクレジット及び芙蓉総合リースの融資分の合計五六六億円相当については、銀座物件は、銀行に準ずるこれらノンバンクの担保評価基準に見合っているものと認識していた上、イトマンの社長である被告人河村から約六六六億円という金額の提示を受けたことから、その資産価値につき再認識をさせられていたのに、原判決は、右の背景事実や経過を無視し、銀座物件の資産価値についての被告人伊藤の認識を五〇〇億円程度の限度でしか認定しなかったのは、重大な事実誤認である、というのである。

しかし、銀座物件の資産価値及びこれに関する被告人両名の認識については、既に被告人河村の同様の主張に対する判断の項及び被告人伊藤の理由不備ないし理由齟齬の主張の項で説示したとおりの事情が認められ、これによれば、被告人伊藤においても、右資産価値が多めに見積もって五〇〇億円程度であると認識していた可能性までは認めることができる。なお、前述したように、銀座物件関連の協和等の債務のうち、昭和六三年四月に協和が芙蓉総合リースから融資を受けた二三〇億円については、青木建設の債務保証予約によって融資を受けていたものであって、銀座物件に抵当権を設定するなどこれを直接物的担保にした融資ではなかったことが認められるから、銀座物件の資産価値ないし担保価値及びこれに関する被告人伊藤の認識を判断するにあたっては、右二三〇億円の融資額を銀座物件の価値評価に含めるのは相当であるとは考えられない。また、被告人伊藤は、平成元年九月下旬ころから同年一〇月中下旬ころにかけて、被告人河村から、協和のプロジェクトについて、協和の債務を全部イトマンで肩代わりして、将来はイトマンと協和の共同事業としてやっていくことなどを提案された際、それまでに加藤から協和の全プロジェクトに融資して協和の債務全部の肩代わりを実行する代わりに、協和には企画料の計上に協力してもらう必要があることなどを聞かされていたことから、被告人河村が、イトマンの決算対策用の見せかけの利益出しを優先させ、採算性等の検討をせず、これを度外視して協和のプロジェクトを丸抱えする積もりであることをよく理解していたものと認められ、銀座物件関連の債務の肩代わり融資の申出についても、被告人河村に右意図があることを見抜いていたものと認められる。そうすると、被告人伊藤は、被告人河村によってなされた銀座物件関連債務の肩代わり融資の申出が、直ちに銀座物件の資産価値ないし担保価値を示すものではないことについても十分気付いていたものと認められるから、被告人河村から右申出を受けた事実は、原判決が認定する被告人伊藤の銀座物件に関する資産価値についての認識を左右するような事情であったとは認められない。

3 銀座物件と南青山の土地の交換について

所論は、被告人伊藤は、銀座物件と南青山の土地を交換すれば、南青山の土地の資産価値が大幅に上昇し、イトマンには銀座・瑞浪案件の出金に十二分に見合う経済的メリットがあるものと理解しており、かつ、長寿庵が右土地交換に応じることは必定と考えられる情勢にあり、被告人伊藤においてもこれを実現し得るものと考え、然るべく行動していたことが明白なのに、原判決は、銀座物件の一部を右交換用地に提供するということが、実務上いかに有望なアイデアであったかを理解せず、かつ、被告人伊藤における同種地上げ案件の経験や実績をも考慮せず、右交換の可能性等に関する市川淳、平岡煕、大上信之ら重要証人の原審証言等も無視して、被告人伊藤において、長寿庵との土地交換が実現できると認識していたことを認定しなかったものであって、これは重大な事実誤認である、というのである。

そこで検討すると、本件融資をイトマンが決定、実行する際、銀座物件と南青山の土地の交換実現について、具体的な成算や確実な展望が認められない客観的情勢にあったことなどについては、既に、被告人河村の同様の主張に対する判断の項で説示したとおりであるが、この点に関する被告人伊藤の認識について付言すると、前述のように、被告人伊藤は、被告人河村による銀座物件関連債務についての肩代わり融資の申出が、事業の採算性等を十分検討せず、イトマンにおける企画料等による見せかけの利益出しを優先させることを意図したものであることを知っていたこと、被告人伊藤は、被告人河村から銀座物件にビルを建設した場合の利用計画案の作成を指示されたことから、被告人河村に対し、作成した右計画案を説明するなどしていたもので、イトマン側における銀座物件の利用方法は、ビル建設とその利用計画が第一であると理解していたこと、しかも、被告人伊藤は、本件融資決定及び実行時点において、イトマン側が、長寿庵に対して、銀座物件との土地交換について具体的な提案をしておらず、相手方の意向等を踏まえた上での交換実現の見通しが立っていないことを知悉しており、被告人河村から長寿庵との土地交換交渉を指示され、右交渉に向けて実際に動き始めたのは、本件融資実行以降のことであったことなどに照らすと、被告人伊藤においても、イトマン側が、南青山の立退き交渉における代替地として銀座物件を使用できることから、その資産価値ないし利用価値について特段に高い評価をし、そのために、銀座物件関連債務の全額肩代わり融資を決めた上、本件融資を決定、実行したものとは認識していなかったことが明らかである。なお、所論が指摘する銀座物件と長寿庵の所有地との利用価値の比較や交換交渉における弾力的運用の可能性、被告人伊藤における同種地上げ案件の経験や実績、あるいは、土地交換の実現可能性等に関する市川らの原審証言等を検討しても、右認定を左右するに足るような事情があるとは認められない。

4 銀座ビル計画の採算性について

所論は、銀座ビル計画の採算性について、被告人伊藤は、被告人河村から聞かされて、イトマンであれば、銀座案件に金利負担がないか極めて金利負担の軽い巨額の資金を投入する余裕があり、右ビル計画は容易に採算が整うと認識しており、実際にも採算が合う状況にあったのに、原判決が、銀座物件にビルを建築してもイトマンの投下資金を回収することはできず、被告人らも右事実を十分認識していたと認定した原判決には、明白な事実誤認がある、というのである。

しかし、被告人伊藤は、その検察官調書(原審検第一二六五号証、第一二六七号証)中において、平成元年一〇月下旬ころ、銀座の賃貸ビル事業計画の資料を加藤に提出しており、被告人河村も、これを見て、銀座物件で六〇〇億円位の無利息の資金を投入しなければ採算が取れないことを分かっていたことから、開発のめどが立っていない加賀田や我孫子、相武のプロジェクトを銀座の関連事業としてこれらで余剰金を出し、無利息の資金を銀座に投入できるよう役員向けの資料作りを指示したと思ったこと、同年暮れころ、銀座(案件)で採算が取れる事業を計画するよう被告人河村から指示を受けて、土地取得費や総事業費用を低めに見積もったり、あるいは関や瑞浪の各ゴルフ場の会員権販売代金の中から多額の資金を投入することを前提とするなどして、銀座物件のビル利用計画をいろいろ立ててはみたものの、計画自体に無理があり、パチンコ店でもしない限り採算が取れないことが判明し、平成二年一月から二月にかけて被告人河村にその旨の説明をしたこと、右検討過程で総事業費を六〇〇億円と見積もり、金利がかからない資金四四〇億円を投入すれば、何とか採算が合う資金計画案ができたことから、その旨を被告人河村に説明した際も、「そうか」というだけで実行されずに終わったことから、被告人河村も、銀座物件に巨額の自己資金を投入することは無理だと考えていることが分かり、それ故、被告人河村が「関と瑞浪で銀座を浮かせろ、関は一億円で一〇〇〇口会員権を売れ」などと無理なことを言ったと思った旨供述しているところ、右供述には、具体性があり、六人委員会用の資料や被告人伊藤が当時付けていたノートあるいは銀座資金計画案の記載内容によく沿ったものである上、被告人河村も、その検察官調書(原審検第一二二七号証、第一二三〇号証、第一二三一号証)中で、被告人伊藤に銀座のビル計画案を見せられるなどして、銀座(案件)で採算が取れないことは分かっていたこと、そのため関と瑞浪(各案件)で銀座(案件)を浮かすことを被告人伊藤や加藤に指示していたこと、右三事業をトータルしても利益は出ず赤字になり、そのままでは瑞浪案件の融資金の回収ができないことを知っていたが、イトマンの利益出しを優先させて融資を決定したことなどを供述しており、これが被告人伊藤の右供述とよく一致していること、前述のとおり、本件融資当時、イトマンが巨額の自己資金や極めて低利の長期資金を調達することは困難な財政事情にあったことなどに照らすと、被告人両名の右各供述部分は十分信用することができ、被告人河村のみならず、被告人伊藤においても、本件融資を受ける際、イトマンが銀座のビル事業計画に多額の自己資金を投入することは無理であることを認識していたことは明らかである。これに対し、予め被告人河村から金利負担がないか、極めて低利の資金をイトマンが投入することができると聞かされていたことから、銀座物件のビル計画の採算が取れるものと信じていたとする被告人伊藤の原審公判供述は、前記証拠等に照らして信用することができない。所論は、前提を誤っており採用することができない。

5 瑞浪ゴルフ場の開発可能性等について

(1) 所論は、瑞浪ゴルフ場の開発に関し、被告人伊藤においては、進入路変更の件は、相応に対処して解決する意図であり、また解決可能な問題であると確信しており、少なくとも当該進入路変更の問題の故に瑞浪ゴルフ場事業の採算の見通しまで不明になったなどという認識を抱いていなかったのに、進入道路の変更問題などもあって、許認可の時期は不明であり、イトマンの開発利益を具体的に算定できる段階にあったとはいい難いと認定した原判決は、被告人伊藤における同種事案の経験及び実績等の明らかな事実や、開発行為に付随する実務上の常識を無視し、進入路変更の問題が存したという一事をもって、被告人伊藤が瑞浪ゴルフ場に関して(協和の事業計画としての試算でも)一〇〇億円程度の利益を見込んでいたこと自体まで覆した点において、経験則に反した不合理な認定であり、重大な事実誤認である、また、瑞浪ゴルフ場事業については、イトマンを事業主体に移行して行くことが大前提となっていたことが明らかであるのに、原判決が、本件融資金が瑞浪ゴルフ場の開発資金には充てられないため、瑞浪ゴルフ場の開発資金は、協和で別途資金調達をする必要があると決めつけたのは、明白な事実誤認である、というのである。

しかし、ゴルフ場の開発は、県から事前脇議結果の通知を受けさえすれば、開発許可が間違いなく取得できる性質のものではないこと、瑞浪ゴルフ場の開発許認可について、岐阜県から変更を指導された進入道路の問題が、変更自体の手続のみならず、これに伴い住民の同意をとる必要などがあって簡単に解決することが見込めるような性質のものではなかったことは、前述したとおりであって、本件融資の決定、実行時点において、許認可の時期は不明であり、イトマンの開発利益を具体的に算定できる段階にあったとはいい難いとした原判決の認定に誤りがあるとは認められないことは、被告人河村の同様の主張に対する判断の項で説示したとおりである。なお、この点に関する被告人伊藤の認識について付言すると、被告人伊藤は瑞浪ゴルフ場の許認可申請に関して、福川から報告を受けるなどして、進入路変更の必要性及びこれに伴う多様な問題があることはよく知っていたとみられること、瑞浪案件の開発利益については、協和において、会員権販売予定額からゴルフ場の造成工事等の諸費用を差し引いた金額が一〇〇億円程度になると見込んではいたものの、その許認可の取得時期は明らかではなく、もとより造成工事の着工もされておらず、未だ会員権を販売できるような状態にはなかったこと、しかも、右利益は、会員権販売によって上げるものであるから、預託金については、その償還時期が来れば返還義務がある金銭であって、それがそのまま実収益になるという性格のものではなかったこと、将来、瑞浪ゴルフ場については、被告人伊藤と被告人河村の間で、協和とイトマンで共同事業化する話が持ち上がってはいたものの、その細部が煮詰められていなかったばかりか、正式の契約が締結されるには至っておらず、これが実行されるとしても、イトマン側がその開発利益の中から幾らを実際に取得することができるかについてすら明らかではなかったことなどに照らすと、イトマンにおいて、本件融資を実行しても、瑞浪ゴルフ場の開発利益を確実に取得できるような客観的なめどは立っておらず、被告人伊藤においても、イトマン側において、決算対策用の名目上の利益出しを意図して、銀座物件や瑞浪ゴルフ場の事業の採算性の調査検討もせずに、本件融資を決定、実行したことを知悉していたことから、イトマンが右開発利益を当てにして、本件融資を決定したものではないことも十分認識していたものと認められる。なお、所論が指摘する被告人伊藤における同種案件の経験や実績等も、被告人伊藤の右認識を左右するものとはいえない。そして、右のとおり、本件融資の時点においては、イトマンと協和との間の瑞浪ゴルフ場の共同事業化の話は、なんら具体化しておらず、協和が事業主体となって瑞浪ゴルフ場造成のための工事を行うことが前提とされていたことが認められるから、本件融資金が、瑞浪ゴルフ場の開発資金には充てられないため、その資金は、協和で別途調達をする必要があると認定した原判決の判断にも誤りがあるとは認められない。

(2) 所論は、瑞浪ゴルフ場の会員権募集の見通しにつき、被告人伊藤は、本件融資当時において、控えめにみても、従前の総額二〇〇億円での募集計画の五割増し程度は募集できると確信し、イトマンであれば、総額三〇〇億円程度は楽に募集できるであろうと考えていたもので、右認識は、特別背任罪の主観的要件(損害発生の認識・図利加害目的等)の存否に直結する重要な事柄なのに、これを認定しなかった原判決には、明白な事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、福川が、瑞浪ゴルフ場の会員権募集可能額は、平成二年四月の時点にあっても二〇〇億円程度であると考えていたこと、ゴルフ場会員権募集業者の信用如何が、会員権相場に与える影響は、右相場を形成する多数の要因の一つにすぎず、仮に、一部上場会社が会員権を募集することになったとしても、会員権の値段が一気に五割も跳ね上がる可能性があると一般的に認めることができないことは、前述したとおりである。そして、被告人伊藤は、その検察官調書(原審検第一二六七号証)中において、瑞浪ゴルフ場の会員権は、総額二〇〇億円程度でしか販売できないと考えていたが、平成二年三月一三日付けの限度申請書(当初は会員権販売代金前渡金名目によるもの)に加藤が会員権募集計画を総額三一〇億円と記載をしたのは、(イトマンが)瑞浪のゴルフ場会員権の販売元になることから二三〇億円を前渡金として出すという申請を上げる以上、二〇〇億円位の販売しかできないとは記載できないことから、事実を曲げてもっともらしく記載したものに間違いないと供述しているところ、被告人伊藤は、長いゴルフ歴がある上、本件に至るまで瑞浪ゴルフ場を含むゴルフ場の開発に当ってきたもので、福川らと瑞浪ゴルフ場の会員権の販売額についても検討を遂げていたとみられることから、ゴルフ場会員権相場に関しても相当の知識を有していたことが強く窺われ、かつ前述したように瑞浪案件で融資を受けるに際して、被告人河村の真の意図を熟知していたと認められることなどに照らすと、右供述は十分信用することができる。そうすると、被告人伊藤において、二〇〇億円の募集計画の五割増し程度は募集できると確信し、イトマンであれば、総額三〇〇億円程度は楽に募集できるであろうと考えて本件融資を受けたものとは到底認めることはできない。所論は前提を誤っており、原判決が、所論に沿う認定をしなかったことについて何ら不当とすべき点はない。

6 本件融資の担保について

所論は、本件融資に伴って、平成二年三月二〇日、協和からイトマンに対し、小倉南カントリークラブ全株式二四万株、雅叙園観光株式会社株式五二四万八〇〇〇株、関カントリークラブ会員権一〇〇〇口、関カントリークラブ所有土地六四万三六五二m2、瑞浪カントリークラブ会員権一〇〇〇口が担保として差し入れられていた事実が、原判決言渡後の資料によって判明し、イトマンにおいて、債権保全のための担保徴求措置が講じられていたことが明らかになったから、本件融資の際、右措置等が講じられていなかったと認定した原判決には事実誤認がある、というのである。

しかし、この点については、既に、被告人河村の同様の主張に対する判断の項で詳細に説示したとおりであって、本件融資当時、イトマンが、協和側から所論のような「差入書」の差入れを受け、その融資債権を保全することのできる担保の提供を受けていたとは認められないから、所論は採用することができない。

7 企画料等について

所論は、イトマンが協和側に提供した資金の一割見当を協和側が企画料として支払うことが両社間で合意されていたところ、銀座・瑞浪案件として被告人河村が「全額肩代わり」を表明した約六六六億円の一割相当の六六億円(瑞浪案件名目の企画料一〇億三〇〇〇万円、銀座案件名目の企画料一八億五四〇〇万円の計二八億八四〇〇万円、銀座・瑞浪案件以外の名目でも、実質的に銀座・瑞浪案件に関する企画料と認められる分の約三七億円余り)は、銀座・瑞浪案件関連の企画料としてイトマンが協和から終局的に得ており、少なくとも資金が「還流」した限度においてはイトマンの「損害」ではないから、これを控除して考えるべきであったのに、これを控除せずにイトマンの出捐を認定し、特別背任罪の「損害」を算定した原判決には、重大な事実誤認がある、というのである。

しかし、瑞浪案件の損害額を認定するにあたり、本件融資金額中から、銀座・瑞浪案件名目で支払われた企画料等、あるいはその他の協和プロジェクトのために出金された企画料等を差し引くべき理由がないことは、既に被告人河村の企画料に関する主張に対する判断の項で説示したとおりであって、瑞浪案件についてのイトマンの損害の算定に関する原判決の判断に何ら誤りはない。

8 被告人伊藤の身分等について

所論は、本件融資が決定された平成元年九月ないし一一月段階では、被告人伊藤が名実共にイトマンの部外者であったことは明白である上、企画監理本部が稟議の受付を開始した時期は、早くとも平成二年四月一六日以降であり、瑞浪案件が実行された同月二日の時点において、企画監理本部が同案件を受け付けた事実も、これを処理した事実もおよそあり得ないから、原判決が、瑞浪案件が企画監理本部の所管であり、被告人伊藤の身分等につき、「企画監理本部長として、イトマンから営業に関する或る種類若しくは特定の事項の委任を受けていた」と認定したのは重大な事実誤認である、というのである。

商法四八六条一項にいう「使用人」とは、企業との間における民法上の雇傭契約がある者、又は、企業の経営組織に組み込まれ、相当程度従属して指揮命令に服しながら、企業活動を補助し、その結果が企業に帰属するとともに、企業から何らかの利益を得ているなど、企業との間で雇傭契約が締結されている者と同視できる程度に、企業に対する忠実義務及び誠実義務を負わせるのを相当とする関係が企業との間で成立しているとみられる者をいうと解すべきことについては、先に、法令適用の誤りの論旨に対する判断の項で説示したとおりである。

ところで、被告人伊藤の身分等についての具体的事実関係は、原判決が(争点に対する判断)第一の四2及び3項で詳細に認定、説示するとおりであると認められるところ、被告人伊藤は、平成二年二月一日、イトマンに入社すると同時に企画監理本部長・理事に就任し、大阪と東京の各本社にその専川の執務室として顧問室を与えられてこれを使用していたほか、両本社にはいずれも被告人伊藤専属の秘書が置かれて、そのスケジュール管理等が行われていた上、社の企画監理本部長・理事として、不動産開発や不動産関連案件を中心とする同部の所管業務を担当するなどして、右業務に関するイトマンの対外的法律行為の包括的代理権の行使を中心とした企業活動の一端を担っていた事実が認められるから、商人(営業主)であるイトマンの「営業ニ関シテ或種類若ハ特定ノ事項ノ委任ヲ受ケ」ていたものと認めることができる。

次いで、被告人伊藤とイトマンの間に、忠実義務などを負わせるのを相当とする関係が成立していたといえるか否かについて検討すると、イトマンが協和に対して実質無担保による瑞浪案件融資を含む巨額の貸付をし、経済的利益を与えていたことは事実であるが、右の経済的利益の供与は、あくまでも法人としての協和に帰属するものであり、いかに被告人伊藤が、協和においてワンマン社長として君臨していたとしても、これが、被告人伊藤の、イトマン企画監理本部長としての労務給付に対する対価としての性格を有していたとみることには無理があるし、他に、被告人伊藤がイトマンから右労務給付の対価としての報酬を受けていたことを認めることもできないから、イトマンと被告人伊藤との間に正式な雇傭契約が成立していたということはできない。

しかしながら、イトマンにおける企画監理本部の設置準備から正式に発足するに至る経過、同本部設置の目的及び業務内容、その担当者及び決裁権限等並びに被告人伊藤が、被告人河村の勧めによって、次期株主総会で取締役に就任する予定で、平成二年二月一日、イトマンに入社し、企画監理本部長・理事に就任して以降、同社社長である被告人河村の指揮命令を受けた上、専属秘書にスケジュール管理をしてもらいつつ、イトマンの不動産開発案件等に関して担当者と面談したり、不動産資金会議等各種の会議に出席し、あるいは不動産関連案件等の各種案件の決裁や企画、監理等の業務に従事してきた状況については、原判決が(争点に対する判断)第一の四2項で詳細に認定するとおりであると認められる上、被告人伊藤は、協和の全プロジェクトをイトマンが資金を提供して丸抱えするという被告人河村の申出を受けて、平成元年秋以降、銀座・瑞浪案件を含む各種プロジェクトに巨額の資金を提供してもらっていたばかりか、被告人河村の依頼により被告人伊藤が担当していた大平産業案件の処理に当っても、同社に対するイトマン側からの融資金の一部について、協和の資金繰りのために一時的に流用することを加藤に認められ、被告人河村からも、これを黙認してもらっていたこと、しかも、被告人伊藤は、協和のいわゆるワンマン社長であって、協和がイトマンから提供を受けた資金的利益は、同時に協和の資金繰りに窮していた被告人伊藤の大きな有形、無形の利益にもなっていたと見られること、被告人伊藤も、イトマンからこのような資金的利益を協和が享受しており、これに恩義を感じていたことなどから、イトマンに入社した間もない時点で、小野秘書室長から自分の最初の出張について、精算明細表等の記入を求められた際も、自分はいらない旨述べたり、その後も、個人的な給与や報酬等の支払いをイトマンに対しては要求せずに、企画監理本部長としての職務に従事していたとみられること、他方、被告人河村も、被告人伊藤のイトマン入社後、同社が同被告人に対して報酬等の名目では労務の対価を支払っていなかったことは知っていたものの、被告人伊藤の入社の前後を通じて、その経営する会社にかなりの額の融資を行い、その利便を図っていたことが報酬であると考えるとともに、被告人伊藤のイトマンにおける人件費のコスト等については、イトマン側で何らかの形で後日補填してあげる積もりであった旨供述していることなどの事実関係に照らすと、被告人伊藤は、イトマンとの間において、正式な雇傭契約が締結されていたとまではいえないものの、イトマンの経営組織に組み込まれ、相当程度従属して指揮命令に服しながら、イトマンの企業としての活動を補助し、その結果がイトマンに帰属する関係にあり、かつ、イトマンから、協和を介するなどして巨額の経済的利益を受けていたものであるから、雇傭契約に基づく場合と同様、イトマンとの間で、同社に対する忠実義務及び委任関係に基づく誠実義務を負う関係が成立していたものと認めることができ、商法四八六条一項所定の「使用人」に当たると解するのが相当である。

そして、原判決は、商法四八六条一項につき、当裁判所と同様の解釈及び事実認定に立脚した上で、被告人伊藤が、同年三月一二日ころ、加藤に対して、被告人河村から従前約束をされていた二三〇億円の肩代わり融資をイトマンに求めたことを契機として、瑞浪案件による具体的な融資手続が進められ、本件融資が実行されたことをとらえて、被告人伊藤にイトマンの企画監理本部長・理事として、その任務違背の前提となるイトマンの「使用人」としての身分があったことを認定していることは、その判文から明らかであり、被告人伊藤が、イトマンに入社する以前に、被告人河村及び加藤との間で、銀座物件関連融資の一部を瑞浪案件の名目で肩代わり融資することを約束したとして、その時点における被告人伊藤の身分を取り上げて特別背任罪を認定したものではない。したがって、平成元年九月ないし一一月段階では、被告人伊藤が名実共にイトマンの部外者であったことを理由とする所論は、原判決に対する適切な批判であるとは認められない。また、被告人伊藤は、前記のとおり、平成二年二月一日以降、企画監理本部長としての各種の業務に従事していたのみならず、各種不動産関連案件等の多数の申請書類に企画監理本部長として多数の決裁をしていたことは、資料入手報告書(原審検第一四〇八号証)中の各種申請書における伊藤の署名や押印等の存在によって明らかであり、同年四月二日の本件融資実行当時において、企画監理本部が、不動産関連案件等の稟議の受付をすることができる状態にあり、かつ被告人伊藤においても、企画監理本部長としてこれを決裁できる一般的な権限を有していたことについては疑問の余地はない。なお、本件融資は、前述のとおり、同年三月一二日ころ、芙蓉総合リースから二三〇億円の返済を強く迫られていた被告人伊藤が、加藤に対し、イトマンによる同額の肩代わり融資の実行を求めたことから、瑞浪案件で融資する旨の限度申請書等が作成されて、社内決裁を経て、右融資が実行されるに至ったものであり、本件融資を直接実行することについて、被告人伊藤の強い意向が働いていたことが明らかであるから、その限度決裁書に被告人伊藤の決裁印が押捺されていないことが、同被告人が、本件融資の決定及び実行につき、企画監理本部長として実質的に関与したことを何ら否定するものではないことは原判決が説示するとおりであると認められる。したがって、同本部がその受付を開始した時期は、早くとも同年四月一六日以降であるとする所論は、前提を誤っており、これを採用することはできず、被告人伊藤は、本件融資の決定及び実行当時、イトマンの企画監理本部長として、「イトマンから営業に関する或る種類若しくは特定の事項の委任を受けていた」もので、その「使用人」の身分を有していたことは明らかである。

9 被告人伊藤の任務違背及びイトマンに損害を加えることの認識並びに図利加害目的について

所論は、被告人伊藤が、イトマン企画監理本部長になる前の部外者の段階で、瑞浪ゴルフ場名目による二三四億円融資が実質的に決定されていたことが明らかであって、その約束がされた当時は、被告人伊藤は、イトマンの取引相手として協和プロパーの立場に尽きており、イトマンに対する任務を云々する余地はなく、平成二年三月に被告人伊藤が加藤に約束どおりの融資の実行を求めたのは、協和の代表取締役として求めたものである上、被告人伊藤において、銀座・瑞浪案件に関するイトマンの出金(総額六六六億円の肩代わり)は、それに見合う価値を有する銀座物件の取得によって十分バランスが取れており、銀座ビル計画は、イトマンであれば採算が整い、イトマンに帰した企画料等のメリットや南青山の地上げを成功させるメリット、瑞浪ゴルフ場事業から生ずる利益等を加味すれば、経済的見地においては、イトマンの出捐と見返りのバランスは完全に取れていると認識していたことは明白なのに、原判決が、被告人伊藤は、本件融資の受益者の立場に立つものであったのだから、より厳格に、イトマンのため、右責務を尽くすべきであったのに、同被告人は、銀座案件が事業として採算が取れないことやイトマンにおいて融資金を回収することが極めて困難であることを認識しながら、取りあえず、自己が必要とする芙蓉総合リースへの返済資金をイトマンから引き出し、その見返りに、被告人河村らの保身のための決算対策用の利益計上に協力することとして、本件融資を実行させたなどと判示して、被告人伊藤につき、任務違背及び図利加害目的等を認定したのは、重大な事実誤認である、というのである。

そこで、まず、被告人伊藤の任務違背及びイトマンに損害を加えることの認識の点について検討するのに、前項で説示したように、原判決は、被告人伊藤がイトマンに入社する以前に、本件融資を受ける約束をしたことについて、その責任を問うているのではなく、同年三月一二日ころ、被告人伊藤が加藤にその融資の実行を求めてから、本件融資に関する限度決裁書が決裁され、これが実行されたことによる被告人伊藤の企画監理本部長・理事としての任務違背を認定していることは明らかである。そして、なるほど被告人伊藤の入社前に二三〇億円を含めた合計六六六億円について、イトマンが協和のために肩代わり融資する約束が、被告人河村らとの間でできていた事実は認められるものの、その融資の具体的な出金名目や実行時期、更には担保を含めた融資条件等の詳細は未確定の状態にあり、同月一二日ころ、被告人伊藤が、加藤に対し、二三〇億円の肩代わり融資を要請したことを契機として、本件融資が一気に現実化し、最終的に瑞浪ゴルフ場の開発資金という名目で、瑞浪ウイングゴルフクラブに対する実質的な無担保融資が決定され、これが実行されたものであるところ、右要請時点において、被告人伊藤は、協和の代表取締役であると同時に、イトマンにおける理事兼不動産開発事業等の企画、監理及び融資等の業務を統括する企画監理本部長の地位にもあったものであり、しかも、本件融資は、イトマンと協和の利害が対立する性格の強い取引であったから、このような立場にあった被告人伊藤としては、実質的な無担保融資を実行させることによってイトマンに損害を与えないように極力務める責務を有していたことは、委任ないし商業使用人が有する忠実義務の趣旨に照らしても明らかであったというべきである(なお、企業との間に、民法上の正式な雇傭契約が存しない者であっても、それと同視できる関係が企業との間に存する場合には、その趣旨が及ぼされるべきことについては、さきに、被告人伊藤の法令適用の誤りの論旨に対する判断の項で、説示したとおりである。)。しかるに、これまで説示してきた本件融資の経緯、銀座物件の資産価値、銀座ビル計画の採算性、銀座物件と南青山の土地の交換の可能性、企画料の性格、瑞浪ゴルフ場の開発利益の見込み等及びこれらに関する被告人伊藤の認識内容に照らすと、被告人伊藤が、本件融資につき、イトマンの出捐とその見返りとのバランスが取れているなどという認識を有していなかったにもかかわらず、イトマン理事・企画監理本部長として、あえて、本件融資を決定、実行させ、イトマンに右融資額に相当する財産上の損害を与えたものであるから、被告人伊藤に、任務違背及びイトマンに損害を加えることの認識があったことは明らかである。

次いで、被告人伊藤の図利加害目的についてみるのに、前記<2>ないし<4>で認定したように、被告人伊藤は、被告人河村の提案を受け入れることによってイトマンから多額の資金を引き出し、協和等の借入金返済や、自己が経営を引き受けていた雅叙園観光の簿外債務の処理資金等に充てることが出来るとの大きな期待を抱き、現に、本件融資金もそのように利用されているほか、<9>でみたように、その見返りとして、多額の企画料をイトマンに提供することによって、決算対策用の見せかけの利益出しをさせ、イトマン社長としての地位を保持せんとする被告人河村の意図を見抜いていたものと認められる。

以上のような事実関係に加えて、<12>にみたような本件融資実行の状況や、さきにみたとおりの被告人伊藤の任務違背の著しさなどに照らすと、本件融資の動機は、もっぱら、被告人伊藤自身が、多額の融資をイトマンから引き出して利益を得るとともに、イトマンにおける決算対策用の利益出しに協力し、被告人河村の利益を図るという点にあったものと認められ、このような本件融資の動機と、前記認定のような損害発生についての認識状況等に照らすと、被告人伊藤は、自己及び被告人河村らの利益を図る目的をもって、かつ、これと表裏の関係をなすものとして、イトマンに損害を加えることを認識、認容しながら、本件融資を実行したものと認めることができる。

そうすると、被告人伊藤に任務違背や損害発生の認識及び図利加害目的等を認めた原判決に何ら事実誤認はなく、所論は採用できない。

第三  被告人両名のさつま案件について

一  事案の概要と原判決の判断の骨子

関係証拠によると、本件は、株式会社ケー・ビー・エスびわ湖教育センター(以下、「びわ湖教育センター」という。)の実質上の経営者であった許永中において、ゴルフ場の建設・経営を目的として設立され、鹿児島県日置郡内ゴルフ場(以下、「さつまゴルフ場」という。)の造成工事の途上にあったさつま観光株式会社(以下、「さつま観光」という。)を買い取り、同社をも実質上支配、経営する体制を確立していたところ、その一方で、当時、売りに出ていた大阪証券取引所二部上場の野田産業株式会社(以下、「野田産業」という。)の過半数の株式約八三〇万株を一括購入して、同会社をリゾート開発事業を行う際の受け皿会社として利用することを企図し、右株式購入資金を調達するため、平成二年三月中旬ころ、かねて相互に資金を融通し合う密接な間柄にあり、イトマン企画監理本部長に就任していた被告人伊藤に対し、右購入のための資金としてイトマンから一四〇億円を融資してほしい旨申し入れたのに対し、被告人伊藤及び加藤らからこのことを聞いた被告人河村において、これに応じることとし、許側に対し、さつま観光に対するさつまゴルフ場開発工事資金名目で、同年四月一一日金八三億円、同月一七日金二五億円、同年五月八日金一六億円、同年四月一七日金二六億円を、それぞれ振込入金するとともに、同月二六日額面合計五〇億円の小切手三通を交付することによって、合計二〇〇億円をイトマンから貸付実行させた(ただし、同月二六日交付にかかる五〇億円分については、全てイトマンに実質的に返戻されているから、実質的貸付額は一五〇億円と認められる。以下、本項において、「本件融資」というときはこれを指す。)、という事案であるところ、原判決は、本件融資は、被告人両名及び加藤において、それぞれその任務に背き、許とも共謀の上、許及び自己らの利益を図り、イトマンに損害を加えることを認識、認容しながら実行され、イトマンに損害を与えたものである(ただし、損害額については、実質的貸付額である一五〇億円と担保株券の担保評価額約五四億円との差額分である約九六億円)として、被告人両名に対し、加藤及び許との共謀による特別背任罪の成立を認めたものである。

二  被告人河村の主張に対する判断

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

所論は、要するに、本件融資にあたり、イトマンは、さつまゴルフ場の会員権の独占販売権取得や担保の徴求など、債権保全のための措置を十分に講じていた上、被告人河村には、特別背任罪における任務違背の認識も、図利加害目的もなかったのに、同被告人が、その任務に違背し、図利加害の目的をもって、右融資を実行させ、イトマンに約九六億円の損害を与えたと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

しかしながら、記録によると、原判決が、さつま案件の背景及び犯行に至る経緯、犯行状況として、「第三 被告人両名に対するさつま案件」の(犯行に至る経緯等)、(罪となるべき事実)及び(争点に対する判断)第二項において認定、説示するところは、所論指摘の点を含めて、すべて正当として是認することができ、右判断は、当審における事実取調べの結果によっても動かないものというべきである。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明することとするが、所論を判断するのに必要な範囲で、本件融資に至る概要を改めて摘示すると、以下のとおりである。

<1> さつま観光を買い取った後の平成元年五月、許は、本件ゴルフ場の設計、監修を従前の杉本英世からグラハム・マーシュに代え、造成工事についても数回にわたり計画変更するなどしたため、造成工事代金が四八億九四〇五万円余りに達していたが、実際に支払われたのは合計二〇億六五〇〇万円にすぎず、平成二年一月末を最後に残額支払いが全くされない状態に立ち至っており、また、許は、自己のグループ企業の運転資金捻出のため、さつまゴルフ場用地に第二順位(極度額五〇億円)及び第三順位(極度額七五億円)の根抵当権を設定して融資を受けるなどしていたほか、同用地には、許がさつま観光を買い取る以前からの借入金について設定されていた第一順位の根抵当権も存していて、結局、同年三月三一日時点におけるさつま観光の借入金及び未払金は、合計約一一三億七一四三万円にも上っていた上、その後も、さつまゴルフ場の工事は継続しており、その工事代金債務の一層の増加負担が見込まれる状況にあった(現に、その後、鹿島建設株式会社、株式会社佐藤組、株式会社大建企画設計などに対して、造成、建築、設計等が発注され、さつま観光は、合計約六八億円余りもの工事代金支払い債務を負うに至っている。)。また、ゴルフ場会員権募集販売については、昭和六三年九月ころ、個人会員権一八口(一口二五〇万円)を、許が経営権を取得してからは、法人会員権五口(一口八〇〇万円)、個人会員権二七口をそれぞれ販売するにとどまるという状況であった。

<2> 許は、右のような状況の下で、イトマン側に対して、前記のとおり、自己が、リゾート開発事業を行う際の受け皿会社として利用すべく、売りに出ていた野田産業の株式買い受け資金を捻出するため、本件融資の申し入れをしたものであるところ、これを受けたイトマン側においては、平成二年三月一二日ころから、被告人伊藤及び加藤らにおいて、伊藤関連プロジェクトによる決算対策用の利益出しにつき検討を重ねていた折から、加藤が被告人伊藤に対し、「許から申し入れのあった融資にからめて企画料を入れてもらいたいが、野田産業株買収資金の融資では企画料は取れない。許はさつま観光のゴルフ場をやっていたが、まだ会員権を売っていなかったら、イトマンで販売を行うことにして、その手数料として企画料を入れてもらうことができないだろうか。」と持ちかけ、イトマンから許に二〇〇億円を融資する代わりに、利息二〇億円を天引するほか、企画料として三〇億円をイトマンに入れてもらうことについての許の意向を打診するよう依頼した。その一方で、そのころ、加藤及び被告人伊藤は、被告人河村に対し、「鹿児島に野村会長(許)が実権を握っているゴルフ場があり、そこに二〇〇億円融資すれば、企画料三〇億円と前受利息二〇億円をバックしてもらうことを検討している。」旨報告したところ、被告人河村は、被告人伊藤及び加藤らに対し、その計画を進めるよう指示をした。

<3> 同年三月二〇日ころ、被告人伊藤が、許のもとを訪れたところ、同人から、「コースはほとんど出来上がっているが、グラハム・マーシュの設計に切り換えてグレードの高いコースにしている。会員権は縁故募集で少し売ったことがある。」などといった説明を受けた上で、野田産業株買収資金の融資依頼につき、被告人河村の指示に沿って、イトマンからのさつま観光に対する融資という形にした上での、これに伴うイトマンへの企画料などの納入方についての了解を取り付けた。そして、同月二四日ころ、被告人伊藤及び加藤において、このことを被告人河村に報告し、さらに、同月二八日、被告人河村、同伊藤、加藤及髙柿同席の場で、加藤から、許の了解を得た旨の報告がなされ、ここに、被告人河村において、許への融資の見返りに、同人からイトマンの公表予想経常利益達成のためのみせかけの利益出しの手段として企画料を入れてもらうべく、四月早々にも右の内容に沿った融資を実行することが事実上決定され、以後、前記のとおり、本件融資が累次実行されていった。

<4> 右決定に際して、被告人河村は、本件融資金の大半が野田産業株取得のために使われ、さつまゴルフ場開発資金には回らないことを知っていたが、さつまゴルフ場開発にまつわる一連のさつま観光の債務などは、許が返済すれば足りる問題であり、また、実質融資額は一五〇億円であって、ゴルフ場会員権が売れれば融資金の回収はできるとの思惑を抱く一方で、前記のとおり、イトマンの公表予想経常利益達成のための見せかけの利益出しの手段としての企画料を許から入れてもらうことに目を奪われて、加藤の進言を入れて、イトマンでゴルフ場会員権の独占販売権を取得することと、さつま観光の株式を担保に取るとともに、さつまゴルフ場用地に根抵当権設定仮登記を付けること、イトマン側から、被告人伊藤及び加藤らがさつま観光の役員に入ること、監査法人対策に、一応会員権証書を担保に取ることなどを指示しただけで、それ以上に、さつま観光の経営状態や信用状態、先順位の根抵当権の有無及び金額、工事代金の未払いの有無等を確認したり、それらの調査を命じることはなかったものであり、被告人伊藤及び加藤らにおいても、被告人河村の右意図を見抜いていた。また、右の被告人河村からの指示内容についても、結局、野田産業株式八三〇万株が担保に差し入れられたほか、さつまゴルフ場用地に根抵当権設定仮登記が付されたものの、さつまゴルフ場の会員権証書がイトマン側に差し入れられることはなかった。

<5> 被告人河村は、融資金の回収可能性について、前記のような思惑を抱いていたものであるところ、さつまゴルフ場の会員権は二〇〇億円位で販売されるものであると認識し、被告人伊藤及び加藤並びに許らも同様の認識を持っていたが、仮に、右認識どおり、さつまゴルフ場の会員権が総額二〇〇億円で販売できたとしても、当時、さつま観光は、前記のとおり多額の借入金を負担し、かつ、ゴルフ場完成までの費用を負担しなければならなかったところ、会員権販売代金の中から本件融資金債権を回収するとしても、これら他の債権者との間で特段の法律上の優先関係があったとは認められないことに照らすと、その中から本件融資金の一部でも回収できた可能性は客観的にはかなり乏しく、また、本件融資に付された担保による回収可能性についても、さつまゴルフ場用地自体には、既に先順位根抵当権が設定されており、許傘下のびわ湖教育センター、富国産業株式会社(以下、「富国産業」という。)及び株式会社ファイブ・スターズ・カンパニー(以下、「ファイブ・スターズ・カンパニー」という。)三社の連帯保証についても、同会社らに巨額の債務保証能力はなく、わずかに、差し入れられた野田産業株式についても、当時の担保価値として約五四億円分が回収に見合うものとして評価できるだけであり、これらのことは、合理的な経済人として通常の注意義務をもって配慮、調査をすれば容易く認識できた性質のものであったのに、被告人河村、同伊藤、加藤らは、前記のとおりの利益出しのための企画料捻出に目を奪われて、これらの諸点について配慮し、調査などをすることがなかった。

<6> 平成二年四月四日、加藤は、本件融資に関する限度申請書を作成したが、その中には、「資金使途 ゴルフ場建設資金」「会員権販売代金により返済 募集計画 平均二四〇〇万円×一二五〇 三〇〇億円」「担保 <1>さつま観光株式三二〇〇株、<2>ゴルフ場用地所有分仮登記、<3>野田産業株式八三万株 大証二部 株価九三〇円 七・七億円(これは、それぞれ八三〇万株、七七億円の明白な誤記とみられる。)等の記載がなされていたが、ゴルフ場用地についての先順位抵当権の有無及び極度額の記載はなく、融資先であるさつま観光の信用状態、事業の成否、採算見通し、融資金回収の確実性、担保価値を判断するための資料等の添付もなかった。そして、右限度申請書について、社内の決裁ルートを経て、被告人伊藤及び被告人河村を含めて決裁がされていったが、その際には、被告人河村らの上層部が決めた決定であるとして、十分な融資審査も行われることがなかった。

<7> また、被告人伊藤は、自己の顧問弁護士に依頼して、本件融資に関する契約書作成を依頼したり、司法書士にさつまゴルフ場用地に対する根抵当権設定仮登記申請を依頼するなどし、右弁護士から、これに関する書類を受領して加藤にファックスを送付し、加藤において、契約書を完成させるなどした。

2 担保評価等について

所論は、本件融資に際し、イトマンが取得あるいは徴求したさつまゴルフ場の会員権販売権や担保の評価等に関して、(1)さつまゴルフ場の会員権販売価格の総額は、平成二年四月当時三〇〇億円として考えるべきであったのに、右会員権は、せいぜい総額二〇〇億円でしか販売することができないものであったと認定した原判決には誤りがある、(2)同年四月当時の野田産業株式八三〇万株の時価は、一株平均の株価が一〇〇〇円前後であったから、総額約八三億円とみるべきであり、かつこれは発行済株式総数の過半数の経営権付株式であるから、プレミアム含みの時価評価からすれば、右八三〇万株の時価は一二〇億円程度であり、これを担保評価する時は、少なくとも約一〇〇億円とみるべきであるのに、同月三日当時の野田産業株式八三〇万株の時価は、七七億一九〇〇万円で、担保価値をその七割の約五四億円であると評価した原判決の認定には誤りがある、(3)原判決は、さつま観光が倒産した時点の評価を基に、さつまゴルフ場用地の担保価値は約四〇億円程度であり、同用地に極度額合計一三一億円の先順位根抵当権が設定されていたため、本件融資債権を担保する余力はなかったと認定するが、本件融資当時、さつまゴルフ場は、未だ倒産前であったからゴルフ場の営業権という付加価値があるのに、この点がゴルフ場用地のみの鑑定によっては評価されていないし、南野洋は、三〇億円程度が支払われれば、さつまゴルフ場用地に付された大信ファイナンス株式会社(以下、「大信ファイナンス」という。)及び大信リース株式会社(以下、「大信リース」という。)の先順位抵当権を抹消すると許に確約していたから、原判決の右認定には誤りがある、(4)本件融資に対する許の関連会社等の連帯保証は、本件融資の担保として意味を有していたのに、右連帯保証に担保としての意味を認めなかった原判決の認定には誤りがある、(5)さつま観光は、同年四月当時、鹿島建設に対するゴルフ場造成工事代金未払分金二八億三〇〇〇万円ほか合計約金七八億三〇〇〇万円を債務として負担していたが、右ゴルフ場の開設費用等についてイトマンが負担しなければならない必然性はないのに、右負担のため、イトマンがさつまの会員権を販売しても、その売却代金をイトマンの債権回収に回すことは事実上できなかったとした原判決の認定には誤りがある、という。

そこで順次検討すると、(1)の点については、原判決が、(争点に対する判断)第二の三2の「返済原資としてのゴルフ会員権販売代金について」の項で、本件融資当時におけるさつまゴルフ場の会員権総販売可能額につき、同ゴルフ場の立地条件、コース設計等のグレード、経営主体ないし理事等役員に対する社会的信頼度及びその周辺ゴルフ場の会員権価格の相場等の各点について、詳細な認定をした上、ゴルフ場会員権の相場に詳しく、さつまゴルフ場を視察したり、あるいはその会員権販売の試算をした経験を有する信川雅洋及び渡辺彰のさつまゴルフ場の会員権販売可能額等に関する各原審証言内容、被告人両名及び許の右会員権販売可能額に関する各供述の信用性などについても子細に検討を加えた上、本件融資が実行された平成二年四月当時、ホテルを建ててリゾート形式の高級ゴルフ場にすることを前提としても、さつまゴルフ場の会員権を総額三〇〇億円で販売することなど到底不可能であり、せいぜい二〇〇億円でしか販売することはできなかったと結論付けたところは、十分是認することができるから、この点に関する原判決の認定に誤りはない。所論は、さらに、aさつまゴルフ場の会員権総販売可能額に関する原判決の認定につき、いわゆるバブル経済下で会員権価格が上昇傾向にあったことを考慮していない、bイトマンがさつまゴルフ場の会員権を販売すれば高額での売却が可能であった、c本件融資を審査した者が誰も、本件限度申請書に加藤が記載した三〇〇億円の会員権販売価格に疑問を呈していないというが、aの点は、原判決は、さつまゴルフ場の周辺地区の会員権相場の状況やさつまゴルフ場の会員権販売可能額に関する信川雅洋及び渡辺彰の各原審証言(信川は、右会員権販売可能額を一四〇ないし一六〇億円と、渡辺は、これを一〇〇ないし一二〇億円という。)よりも、かなり多い目である二〇〇億円を同ゴルフ場の販売可能額の上限とみていることなどに照らして、当時の経済情勢等をも踏まえた会員権の評価をしているものと認められるから、所論の批判は理由がない。bの点は、原判決は、ゴルフ場の経営主体等を含めた諸事情を総合考慮して、さつまゴルフ場の会員権販売可能額を認定しているのであって、イトマンがさつまゴルフ場の会員権の販売をしたとしても、それのみで周辺ゴルフ場の会員権相場とは掛け離れて、所論が指摘するほどの高額で会員権を売却することが可能であったとは考えられない。cの点は、イトマンの管理本部審査部長の山口幸夫は、本件限度申請書を審査した際、会員権を三〇〇億円で販売するのは鹿児島では高すぎると考えて、加藤に電話でその旨問合せをしたが、加藤から上の了解を得ているなどと言われたものの、その数字について、特段根拠のある説明は聞けなかったと原審第三九回公判で証言しているのであり、加藤記載の会員権販売価格に誰も疑問を抱かなかったという所論は前提を誤っている。その他、所論は、会員権販売可能額に関する原判決の認定をるる論難するけれども、すべて前提を異にするか、独自の見解に基づいて、原判決の認定よりもはるかに高額での会員権販売が可能であったと強弁しているにすぎず、これに合理性があるとは認められないから、原判決の認定を左右するに足るものがあるとは認められない。

また、(2)の点については、原判決は、加藤が本件限度申請書等を作成した前日である平成二年四月三日の野田産業株式の証券市場における終値が一株九三〇円であったことから、この単価を評価基準として、八三〇万株の時価を七七億一九〇〇万円であると認定した上、これを融資の担保とした場合の株価下落の危険も考慮に入れてその担保価値を七割程度と評価をして、これを約五四億円程度と認めているところ、右計算方法は、上場株式を担保として融資をする際の担保価値の算定方法において、一般的かつ合理的なものということができる(山口幸夫の原審第三九回公判証言、佐々木文彦の原審第四五回公判証言など参照)から、何ら不当とすべき点があるとは認められない(付言するに、本件限度申請書において、野田産業株式の株価が九三〇円と記載されたのは、その作成前日の右の株価終値が記載されたものと考えられ、所論のように平成二年四月当時の同株式の平均株価を一〇〇〇円として記載するよりもより直近の正確な数字の記載といえる。)。なお、所論は、野田産業株式八三〇万株は、同社の発行済株式総数の過半数を占めるから、経営権付のプレミアム分を考慮して一株の時価の約一・五倍から二倍高く評価するのが業界の常識であるというが、イトマンは、本件融資の担保として野田産業株式を取得しようとしたものであって、その経営権を取得しようとしたものではないこと、右株式を売却して債権回収を図ろうとする際に、経営権を掌握しようとする者に一括して市場の株価よりも高く売却できるという保証はないこと、市場を通じて大量に売却しようとすれば、値崩れを起こして株価が下落するおそれが高いことなどは原判決が指摘するとおりであると認められる。加えて、イトマンでは、本件融資の担保として野田産業株式を取得するにあたって、野田産業の当時の株価以外に同社の資産内容、収益性や将来性、経営陣の概要など、その経営状態を具体的に調査した形跡は認められず(本件限度申請書にもその資料の添付はない。)、東証一部上場企業で総合商社であるイトマン自体が、大証二部上場企業で農機具製造などの異種業種である野田産業の経営権を取得した場合のメリットを考慮して、その市場株価以上に過半数の株式を特に高く評価すべき特段の事情があったとは認められない(そもそも佐々木文彦は、本件融資の審査をした際、野田産業株式八三〇万株が、同社の発行済株式総数に占める割合を確認していなかったと原審第四五回公判で証言しているのであり、それが支配株であるという前提事実さえ知らなかったことが推認される。)上、一般的にみても、上場企業の経営に強い意欲を有したり、その有効な利用価値を考える者にとっては、その株式を過半数取得することはそれなりに魅力があるとはいえるものの、当該企業の業績を図る尺度であるとされている株価以上にその株式の価値を高く評価し、これを超える多額の資金を投入して企業の経営権を取得することは、当然これに伴うリスクを負担することをも意味するのであるから、上場企業の経営権付きの株式の時価を一株の時価の一・五倍ないし二倍に評価するのが所論のように「業界の常識」であるとみることなどはできない。また、所論は、経営権を取得したいという買主が現れるまで支配株の売却の機会を待つか、株価が値崩れしないよう一括売却を避ければいいというが、そのような買主が見つかる保証はない上、小出しに処分を図るとすれば、株価変動のリスクに加え、債権の回収に要する時間と費用(手数料や利息、遅延損害金等)がそれだけ増えることになり、債権回収のための手段として必ずしも得策であるとは考えられない。

(3)の点については、原判決は、さつまゴルフ場用地の担保評価をするにつき、右土地の購入価格にその後投下した資金を加算した金額で評価をするのが相当であるとして、右手法を採用した鑑定評価の結果によれば、さつまゴルフ場用地の平成二年四月一日時点における評価額が三三億五九一二万五〇〇〇円であったこと及び平成四年六月一〇日時点における右用地の実際の競落額が一五億三一〇〇万円であり、これと鹿島建設が有する留置権の被担保債権額(未払工事代金額)である二三億二二一万円を合計した金額が三八億三三二一万円となり、これが右落札時点での右用地の一応の評価額といえるとし、これらの事情を考慮して、本件融資当時の本件用地の担保価値は四〇億円程度であったと認定した上、本件融資当時、同土地に極度額合計一三一億円の先順位根抵当権(平成二年三月末時点における被担保債権額は合計一〇一億五八〇〇万円である)が設定されていたことから、本件融資債権を保全するに足る担保余力はなかったと結論付けているのであり、さつまゴルフ場用地の価格を鑑定評価した今村元秀が、開発許可を受けた造成中のゴルフ場用地としてこれを評価したと原審第五〇回公判で証言していることに照らしても、同人が、所論のように、倒産ゴルフ場の用地としての土地の評価のみをとりあげてさつまゴルフ場用地の価値を評価したものではないことは明らかである。また、未だ開業前であったさつまゴルフ場の用地につき、その営業権を付加価値とみて、前記鑑定評価額よりも大幅に高く評価すべきであるという所論の見解には、合理性が認められないから、当裁判所としてはこれに左袒することはできない。さらに所論は、被告人伊藤や許の各原審公判供述に基づき、南野が、三〇億円程度が支払われれば、大信ファイナンス及び大信リースの先順位根抵当権を抹消すると許に確約していたというが、南野は、原審第二二回公判において許との間で右のような確約をしたことを明確に否定する証言をしているところ、瀬良勇が原審第四三回及び第四五回公判において、右南野証言に沿う証言をしていること及び前記両社がさつまゴルフ場用地の競売手続に際し、合計一一二億円余りの債権届を行い、これに異議申立がなされることもなく、配当表に基づきその債権承継先会社である新千里興産株式会社にその一部配当がなされていること(原審検一七〇二号証参照)などに照らして、十分信用することのできるものであって、それ自体不自然でかつ原審供述相互間においても矛盾を含む許の前記供述及び前記抹消約束を許から聞いたとする被告人伊藤の原審供述は到底信用できないから、所論は前提を欠いている。したがって、本件融資当時、さつまゴルフ場の用地には本件融資債権を担保する余力がなかったとした原判決の判断に何ら誤りはない。

(4)の点については、本件融資の連帯保証をした許の関連会社三社のうち、びわ湖教育センター、富国産業は、いずれも赤字会社であって、みるべき資産を有しておらず、ファイブ・スターズ・カンパニーはいわゆるペーパーカンパニーであって、本件融資債権譲受会社二社が、許自身やこれらの会社を含む許の関連会社の資産から実際に回収できた額も、本件融資額に比して極僅少であったことは、原判決が説示するとおりであると認められるから、右三社の連帯保証に担保負担能力はなかったとした原判決の判断に誤りはない。

(5)の点については、原判決は、所論がいうように、イトマンが、平成二年四月の時点において、さつま観光が負担していたゴルフ場造成工事代金未払分金二八億三〇〇〇万円等を含む債務の合計金約七八億三〇〇〇万円を必ず負担しなければならないなどと認定しているものではなく、右債務は、契約当事者であるさつま観光あるいはこれを支配下に置く許が本来負担すべきであることを所与の前提としながらも、本来ゴルフ場の会員権の販売代金は、その性質上、当該ゴルフ場の開発費用の支払いなどに充てられるべきものであるのに、さつまゴルフ場の会員権の総販売代理権を取得したイトマンが、右販売によって集めた預託金を同社の債権回収に優先的に充てようとすれば、さつま観光に対し未払工事代金債権等を有する他の債権者らが、これを不満として、ゴルフ場工事の中止や留置権の行使などの対抗手段に出て、ゴルフ場の完成、営業が困難となり、ひいては会員権総販売元であるイトマンの責任問題になることも予想されること、さつま観光にはさつまゴルフ場用地以外にみるべき資産はなく、かつ許も当時資金繰りに窮する状態にあり、右会員権販売とは別途の方法で返済資金を調達することは困難であったこと、当時さつま観光が、建設会社等に多額の債務を負っていた状況などを総合考慮して、ゴルフ場の工事などとは無関係に使用されることが予定されていたイトマンの本件融資債権について、イトマンがその一部でも回収できた可能性はほとんどなかった旨説示しているのであって、会員権販売代金の中から債権を回収するについて、イトマンと他のさつま観光に対する債権者との間に、特に法律上の優先関係があったとは認められない(さつま観光がイトマンに対し、さつまゴルフ場の会員権募集販売権を与えると約した「契約書」中にも、その代金をイトマンが優先的に取得できるとした約定はない。)ことに照らすと、「ほとんどなかった」という原判決の右表現は、やや適切さを欠く感は否めないとしても、抵当権や質権等の物権上の排他的優先権が認められる担保権とは性質を異にする会員権販売代金の中から、イトマンが本件融資金を最終的に回収できた可能性がかなり乏しかったことを説示した限度では是認することができるといえ、所論は、原判決の論旨を正解しているとはいえない。

3 被告人河村の任務違背とその認識について

所論は、被告人河村は、被告人伊藤や加藤から本件融資を実行したいという報告を受けた際には、十分に担保をとり、従来どおりイトマンの審査部の審査を受けて上に上げて来るようにと指示しただけであって、本件限度決裁書等が回付される前の平成二年三月中旬及び同月二八日に、本件融資を決裁した事実はなく、従来どおりの決裁手続を経て決裁しているから、本件融資につき、任務違背やその認識があったとみるべきではないのに、被告人河村には任務違背とその認識が認められるとした原判決の認定には誤りがある、という。

そこで検討すると、確かに、本件融資は、前記<2>認定のとおり、許側から被告人伊藤に対する要請を受けて、同被告人及び加藤から被告人河村への意向打診が発端となったものであって、被告人河村の自発的発案によるものでなかったことは、所論のとおりである。しかしながら、被告人河村は、<2>のとおり、同年三月中旬ころ、被告人伊藤及び加藤から、許が経営するさつま観光に二〇〇億円を融資した上、企画料として三〇億円、一年分の前受金利約二〇億円の合計約五〇億円をイトマンにバックしてもらうことを検討している旨の報告を受けた際には、右計画を進めるように指示をしたこと、<3>、<4>のとおり、同月二四日ころ、被告人伊藤と加藤から、許が右融資話と五〇億円のバックを了解した旨の報告を受け、さらに、その限度決裁書等が回付される前の同月二八日にも、被告人伊藤、加藤、髙柿らと、本件融資に際して徴求すべき担保の内容や融資後のさつま観光の債務の処理方法等に関する相談をした上、同年四月に入ってすぐ融資を実行するよう指示を出した事実が認められ(原審検第一二三四号証、第一二三五号証、第一二六八号証、髙柿の原審第七回及び第四四回公判証言等)、これら事実によると、被告人河村が、同年四月一七日に本件融資の限度決裁書等に決裁印を押捺する前に、さつま観光に対する本件融資が事実上被告人河村らによって決定されて、これに基づき原判示のとおり同月一一日以降順次本件融資が実行された事実は優に認めることができる。そして、被告人河村は、<5>、<6>で認定したように、これら一連の経緯の中において、利益出しのための企画料捻出に目を奪われて、本件融資金の具体的な回収可能性などについて調査、検討することなく、イトマン内部における審査においても、さつま観光の信用状態、事業の成否や採算の見通し、担保評価等に関する資料が上げられないまま、既にイトマンの上層部が融資を了解していることを前提として、形式的にこれを行って体裁を整えたにとどまり、実効性を持った審査はなされなかったものであるから、被告人河村について、任務違背の存在及びその認識に欠けるところはなかったということができ、この点の所論は採用することができない。

4 被告人河村のイトマンに損害を加えることの認識及び図利加害目的について

所論は、本件融資当時、イトマンがその実質融資額一五〇億円の担保として、少なくとも一〇〇億円はする野田産業株式八三〇万株、担保余力があったさつまゴルフ場用地への根抵当権仮登記の設定、許関連会社による連帯保証の取得、さらには、三〇〇億円で売却が可能なさつまゴルフ場の会員権独占販売権の取得などをしている事実からすれば、右実質融資額は、十分回収することが可能であった上、被告人河村は、本件限度申請書記載の内容の融資であれば、さつまゴルフ場の会員権の独占販売権をイトマンが取得することができれば、決裁当時の経済情勢からして融資金全額の回収が十分に可能である旨認識し、野田産業株式の担保価値にも十分なものがあると考えて、右決裁をしたものであって、イトマンに損害を与えるという認識はなかったし、許側から前受け利息を含めて三〇億円もの企画料を負担させていることからも明らかなように、被告人河村においては、本件融資がイトマンの実質的利益になると考えていたものであって、許側の利益を図るような動機はなく、また、右企画料取得が被告人河村の社長の地位を安定させる要素であったとしても、それは多くの動機のうちの一つにすぎず、本件融資について、イトマンの利益を図ることよりも優位な動機であったとは到底いえないから、被告人河村には図利加害目的もなかった、という。

そこで、まず、被告人河村のイトマンに対して損害を与えることの認識の点について検討すると、確かに、前記<4>で認定したように、被告人河村においては、本件融資の実質融資額は一五〇億円で、ゴルフ場会員権さえ売れれば融資金の回収ができるとの思惑を有しており、これを確実にするために、さつま観光の株式を担保にとるとともに、さつまゴルフ場用地に根抵当権を設定するなど指示していたことは、一応これをうかがうことができる。しかしながら、他方、<5>認定のとおり、被告人河村らは、さつまゴルフ場会員権はせいぜい二〇〇億円位でしか販売できないと認識していたと認められる上、仮に右価格で販売できたとしても、当時、さつま観光が、ゴルフ場完成のための費用なども含めて多額の借入金を負担しており、右販売代金全額が本件融資に全て充当できる保障はどこにもなく、また、本件融資に際し実際に付された担保等による回収可能性も、差し入れられた野田産業株式の客観的担保評価額約五四億円を除き、ほとんど担保能力のないものであり、このことは、合理的な経済人として通常の注意義務をもってすれば、容易く調査、認識できた性質のものであったのに、後記のとおり、許及び自己らの利益を図ることを優先させる意図の下に、被告人河村らにおいては、それ以上の調査も、担保の徴求をすることもなく、あえて本件融資に及んでいるのであるから、被告人河村に、イトマンに損害を加えることの認識があったことは明らかというべきである。

次いで、被告人河村の図利加害目的についてみるのに、<1>及び<2>認定のとおりの本件融資の発端及び経緯に照らすと、被告人河村が本件融資を実行させた動機は、もっぱら、許からの融資申し入れがあったのを幸い、右融資の見返りに、同人から企画料を出させることによって、公表予想経常利益額の数字上での達成のためにイトマンの利益出しを狙い、自己の保身を図る点に存したものと認められる。また、イトマンにおける利益出しのための企画料なるものの実態などに照らしても、許から企画料を出させることが、同人の利益を図る意図があったこととなんら矛盾しないばかりでなく、右企画料等合計約五〇億円を先取りされたとしても、残額一五〇億円で野田産業株式を一括購入するなどの極めて大きな利益を許が取得することになるのであり、このことは、被告人河村も、当然に認容していたと認められるのであり、このような本件融資の動機に加えて、前記認定のような損害発生についての認識状況とを併せると、被告人河村には、自己ら及び許の利益を図る目的があったことは明らかであり、かつ、これと表裏の関係をなすものとして、イトマンに損害を加えることの認識、認容が存したことも否定できないと認められる。

したがって、これと同旨の原判決に事実誤認があるとはいえない。

三  被告人伊藤の主張に対する判断

(理由不備ないし理由齟齬の論旨について)

1 さつまゴルフ場の会員権販売計画による債権回収の可能性及び被告人伊藤らの右認識等について

所論は、被告人伊藤が、原審において、さつまゴルフ場の会員権販売計画につき、本件融資債権の回収可能性に密接に関連する重要事実を具体的に主張したのに、原判決は、これに対する判断を示していないだけでなく、原判決自身が摘示、引用した証拠自体から明らかに認められる事実と矛盾する事実を認定し、その整合性についても全く言及していない上、加藤が計画した「一口平均二四〇〇万円で一二五〇口」という計画は、当時の募集計画として決して不合理ではなかった旨主張したのに、被告人伊藤らが、右募集計画は辻褄合わせであることを認識していたとした上、同被告人らに損害発生の認識、図利加害目的、共謀を認定した原判決には、理由不備ないし理由齟齬がある、という。

しかし、前述した刑訴法三七八条四号にいう理由不備及び理由齟齬の意義内容に照らすと、所論が、原判決中のさつま案件に関する認定、説示に理由不備ないし理由齟齬があると指摘する各点が、これに該当するような性質のものといえないことは明らかである。

なお、所論にかんがみ若干の検討を加えておくと、さつまゴルフ場の会員権の販売代金の中から、本件融資債権を回収する可能性が乏しかったことについては、原判決が、(争点に関する判断)第二の三2項で詳細に認定、説示しているところであり、特に、加藤が本件限度申請書に記載した「一口平均二四〇〇万円で一二五〇口」という会員権販売計画については、さつまゴルフ場の立地条件等やその周辺ゴルフ場の会員権相場等に照らして、その販売可能額は、ぜいぜい二〇〇億円にとどまっており、それ自体が無理な計画であったと認められ、かつ、さつま観光に対し、多額の未払い工事代金債権などを有する債権者がいたため、イトマンが会員権販売代金から、本件融資債権を回収することは客観的にみて困難な情勢にあったこと、被告人伊藤らにおいても、加藤の会員権販売計画が困難であるという認識を有していたことや、本件について、共謀を遂げ、図利加害目的を有していたことについて、具体的な理由を示しつつ説明していることは明らかであって、弁護人の所論のすべてについて逐一応答することまではしていないにしても、原判決がその認定、説示に反する証拠については、信用性を認めず、三〇〇億円で会員権を販売することが可能であって、イトマンがその中から本件融資債権を回収することができるものと被告人伊藤らが認識していたとする所論を採用していないことは、その判文自体から明らかであって、原判決の説示の中には、なんら問題はない。

2 野田産業株式の担保評価額に関する被告人伊藤の認識について

所論は、発行済株式総数の過半数である野田産業株式八三〇万株の担保価値の評価をするに際し、原判決のように時価の七割程度と査定するのがベターであったと仮定しても、そのような担保の掛け目を適用していないことが不当であるという認識を被告人伊藤が抱いたのか否かを何ら検討、論証もしないまま放置した原判決には、実質的に理由不備がある、という。

しかし、この点も、刑訴法三七八条四号にいう理由不備ないし理由齟齬に該当するような性質のものといえないことは前同様であるが、なお若干の補足説明を加えておくと、なるほど、野田産業株式の担保の掛け目について被告人伊藤がいかなる認識を抱いていたかについては、原判決が直接的な説示をしていないことは所論が指摘するとおりである。しかし、原判決は、イトマンが本件融資を実行するにあたり、野田産業株式八三〇万株及びゴルフ場用地を担保に取ったことや会員権販売による回収方法を含めて考えてみても、本件融資に際しては、右債権の回収を確実なものとするための十分な担保が徴求されておらず、大幅な担保不足が生じることが明らかであったのに、被告人伊藤において、右担保不足を知りながら、本件融資債権回収を保全するためのその余の確実な担保徴求等の措置を講じることなく、本件融資を実行した旨認定し、併せて、被告人伊藤が、他の共犯者らと本件融資の協議を重ね、本件限度申請書の決裁未了状況を把握しつつ、髙柿に出金を促し、本件融資関係契約書類の作成にも関与してその内容を知っていたことなど本件融資に積極的に関与し、これを推進させていた経緯等を指摘して、被告人伊藤が、担保不足であると認識していた根拠となるべき事実関係を具体的に認定しているのであり、原判決が、被告人伊藤において、厳密な意味で、野田産業株式の当時の担保評価を幾らであると考えていたかについては説示していないにしても(ただし、被告人伊藤は、当時、少なくても野田産業株式一株の時価が九三〇円であって、八三〇万株では約七七億円になることや上場株を融資の担保にとる場合は、六〇~七〇パーセントの掛け目を適用するのが通常であることは知悉していたことが認められる。)、被告人伊藤が、本件融資につき大幅な担保不足が生じていることを十分知っていたと認められる限り、その任務違背や損害発生の認識に欠けるところがないことは明らかであるから、所論が指摘する被告人伊藤の認識までを認定しなければならないものでないことは当然である。

(法令適用の誤りの論旨について)

商法四八六条一項の「使用人」について

所論は、被告人伊藤は、商法四八六条一項に定める「使用人」ではなかったのに、被告人伊藤が、イトマンの企画監理本部長なる地位に就任したことをもって、右「使用人」に該当するとした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある、という。

しかし、この点については、既に、瑞浪案件における同様の主張及び後述する事実誤認の項で判断を示すとおりであって、被告人伊藤が、商法四八六条一項に定める「使用人」であったと認められ、企画監理本部長である被告人伊藤が、同条項にいう「委任」に基づき、本件融資に関与したものであることが明らかであるから、同条項の法令解釈適用について原判決に誤りはない。

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

所論は、要するに、本件融資にあたり、イトマンは、さつまゴルフ場の会員権の独占販売権取得や担保の徴求など、債権保全のための措置を十分に講じていた上、被告人伊藤は、特別背任罪における任務違背の認識も、図利加害目的もなく、当時、特別背任罪成立の前提となるイトマンの「使用人」たる身分も有していなかったのに、イトマンの「使用人」である被告人伊藤が、その任務に違背し、図利加害の目的をもって、右融資を実行させ、イトマンに約九六億円の損害を与えたと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

しかしながら、記録によると、原判決が、「第三 被告人両名に対するさつま案件」の(犯行に至る経緯等)、(罪となるべき事実)及び(争点に対する判断)第二項において認定、説示するところは、所論指摘の点を含めて、概ね正当として是認することができ、右判断は、当審における事実取調べの結果によっても動かない。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明することとするが、前提となる本件融資の経緯の概要については、被告人河村の事実誤認の論旨の判断についての冒頭で説示したとおりである。

2 さつまゴルフ場の会員権販売可能価格と被告人伊藤の右認識について

所論は、さつまゴルフ場の会員権につき、一部上場企業であるイトマンが売り出した場合、当時の会員権相場からして、合計三〇〇億円程度を募集することは十分可能と見込まれる状況であったのに、原判決が、「一口平均二四〇〇万円で一二五〇口の合計三〇〇億円」という加藤の募集計画につき、「七掛けした数値が融資金額に見合うよう辻褄合わせをしたにすぎない」とか「本件ゴルフ場の会員権を総額三〇〇億円で販売することなど到底不可能であり、せいぜい二〇〇億円でしか販売することはできない」などと断じたのは、重大な事実誤認であり、かつ、さつまのゴルフ場事業に全く関与せず、許や加藤から聞かされた限度でしか情報を得られていなかった担当外の被告人伊藤においても、加藤の右会員権募集計画について、無理であると判断できたはずはない、という。

しかし、さつまゴルフ場の立地条件やコースグレード、経営母体や周辺ゴルフ場の会員権相場などに照らして、さつまゴルフ場の会員権がせいぜい二〇〇億円程度でしか売却できなかったと判断した原判決の認定に誤りがあるとは認められないことは、被告人河村の同旨の主張に対する判断の項で既に説示したとおりである。なお、所論は、年間の半分以上がクローズとなるザ・ノースカントリークラブや北海道クラッシックゴルフクラブなどの北海道のゴルフ場でさえ、一五〇〇万円を超える高額で会員権が募集されて順調に売れていたというが、そのような高額で売れていたのは、所論が比較事例として取り上げる両ゴルフクラブの六~八回にもわたる各会員権募集過程の後半における限られた会員権販売数についてのみ当てはまるのであって、両ゴルフ場において全体で募集できた総額は、いずれも一一〇億円を若干上回る程度であったことは、原判決が適切に指摘するとおりであり、また、所論が指摘する福岡センチュリーゴルフ倶楽部の会員権販売状況についてみても、同クラブゴルフ場とさつまゴルフ場の会員権販売額の違いの理由付けに関する原判決の説示に何ら不当とすべきものは認められないから、他のゴルフ場の会員権販売状況から原判決の認定を論難する所論は、何ら加藤の前記会員権募集計画の合理性を支える根拠となるものではない。

また、被告人伊藤は、その検察官調書(原審検第一二七〇号証)中において、さつまゴルフ場の会員権販売の総額は、リゾート用ゴルフ場としても、通常に考えれば一五〇億円位で販売できればいいところで、多く見積もっても二〇〇億円どまりの資金しか得られないと思っていた旨供述しており、原審第一〇一回公判においてもほぼこれと同旨の供述をするとともに、他の検察官調書(原審第一二六九号証)中においても、加藤がさつま案件の稟議書に記載した「平均二四〇〇万円×一二五〇=三〇〇億円」という会員権募集計画は、三〇〇億円で会員権の募集ができるかなどの検討をイトマンでは全く行っておらず、二〇〇億円の融資を実行するというのに、二〇〇億円の会員権募集計画だと記載すると、本件融資が全くでたらめであることがすぐ監査法人等にばれてしまうので数字を膨らませて、加藤がもっともらしく記載したものにすぎない旨供述し、さらに原審第一〇一回公判においても、与信申請書の三〇〇億円を会員権で集めるという記載は辻褄合わせだと思う旨これに沿う供述をしているところ、被告人伊藤は、単に長いゴルフ歴を有するのみならず、本件融資に至るまでに瑞浪や関の各ゴルフ場の開発を自らの事業として推進し、協和のゴルフ事業部長福川恵璽に指示してその全体計画や会員権販売計画を策定させその報告を受けるなどしていたものであって、ゴルフ場やその会員権相場等に関して、一般ゴルファーよりもはるかに豊富な知識を有していたとみられること、被告人伊藤は、本件融資に関する許との交渉に際し、許本人や加藤を通じて、さつまゴルフ場のコース概況、設計変更、工事進捗状況、会員権募集状況などを聞いていた上、同ゴルフ場を視察させた大坪郁夫及び石井利男からも、平成二年四月七日に同ゴルフ場の概況の説明を受けるとともに、その会員権相場は、周辺ゴルフ場の相場等に照らして、七〇〇ないし八〇〇万円位であるとみられることや、五〇〇万円位から募集を始めるのが相当であるなどという視察結果の報告を受けていた事実が認められるから、被告人伊藤の前記検察官調書中の供述は、当時さつまゴルフ場等に関して得ていた情報や自己の計画した瑞浪や関のゴルフ場に関する知見等に基づいて、その会員権販売可能総額について、その供述当時抱いていた認識を率直に明らかにしたものと認められ、十分信用することができる。これに対し、リゾート型にしてイトマンが住友銀行と組んで販売すれば総額三〇〇億円位で右会員権を販売することが可能であると認識していたとする被告人伊藤の原審第一一七回及び第一三三回公判供述等は、原審公判の途中からさしたる理由もなく従前の供述を変遷させており、その内容も合理的な裏付けに欠けるものであるから到底信用することはできない。その他、所論がるる指摘する諸点を検討してみても、被告人伊藤において、さつまゴルフ場に関する会員権募集計画が無理であることを認識していたことを認めた原判決の判断に誤りはない。

3 野田産業株式の担保評価額と被告人伊藤の右認識等について

所論は、野田産業株式八三〇万株の担保評価に関し、発行済株式総数の過半数が取りまとめられた経営権付きの上場株について、担保掛け目とプレミアム分を見合いとして評価する方法は、商社金融の場面においては十分許容範囲内というべきで、被告人伊藤においては、加藤が行った右査定方法が不当なものであるとの認識など抱きようがなかったのに、原判決が、野田産業株式八三〇万株の担保評価額は、約五四億円にとどまり、大幅な担保不足が生じることが明らかであるなどと判示して、被告人伊藤の認識を検討しなかったのは、重大な事実誤認である、という。

なるほど、加藤は、前記<6>認定のとおり、本件限度申請書に、本件融資の担保となるべきものとして、さつま観光の株式三二〇〇株、ゴルフ場用地所有分仮登記と並べて「野田産業(株)株式八三万株、時価九三〇円、七・七億円(これは、それぞれ八三〇万株、七七億円の明白な誤記とみられる)」と記載しているものの、加藤は、右記載をする際、その当時の野田産業株式の一株の時価九三〇円に単に八三万株(正確には八三〇万株)を乗じた時価をそのまま記載したものと考えられ、所論のように、それが発行済株式総数の過半数の株式であったことから、そのプレミアム分と担保の掛け目を見合いとして、担保の掛け目を考慮せずに通常の担保評価よりも高い評価をして記載したと解釈することは、同申請書に発行済株式総数を含め何の記載や説明もみられないこと等に照らして、そもそも無理があるというべきである。また、過半数が取りまとめられた経営権付きの上場株について、当該会社の資産状態、経営環境等他の要素を一切考慮することもなく、単純に担保掛け目とプレミアム分を見合いとして時価と同等に評価するという方法が、商社金融の場面において、一般的に許容範囲内であるなどとはみることはできない上、前述のように、イトマンでは、本件融資にあたり、野田産業の株価以外には同社に関する詳細な情報を得ていなかったのであって、その過半数の株式の担保価値を評価するにあたり、担保の掛け目を考慮する一般的な評価方法を採用せず、これに特別の高い評価を与えるべき格別の事情はなかったものと認められる(佐々木の原審第四五回公判の裁判官調書・原審検第一九三〇号証等参照)。加えて、被告人伊藤は、本件融資直前である平成二年四月九日ころ、加藤が作成した本件限度申請書を見たとした上で、その中の担保欄の野田産業株式の七・七億(正確には七七億円)という記載は、野田産業株式の時価が記載されているものと認識し、二部上場株は通常であれば掛け目を七割位にしか担保としての評価をしない取扱いであることも認識していた旨検察官調書(原審検第一二六九号証)中で供述しており、加藤がプレミアム分を担保の掛け目と相殺して右取扱いよりも高く評価したものと考えたなどとは供述していないことが認められる。そうすると、本件限度申請書の記載から、加藤が、発行済株式の過半数の野田産業株式について、担保の掛け目を採用しない特別に高い担保評価をし、かつ被告人伊藤がこれを認識していたとする所論は、前提を誤っており採用することはできない。

4 被告人伊藤のイトマンに損害を加えることの認識について

所論は、被告人伊藤は、さつまゴルフ場の会員権販売によって三〇〇億円程度が得られるという認識を抱き、かつ野田産業株式の担保価値は七七億円程度あるものと認識していたことが明らかであり、原判決がいう工事代金や未払い債務等一八二億円余りを全て計算しても、イトマンの出捐額(実質一五〇億円)の回収の引当てとしては十二分の保全がなされていたことが明らかであるから、原判決が、「大幅な担保不足が生じることが明らかである」と断じ、被告人伊藤にイトマンに損害を加えることの認識があったと認定したのは明らかな事実誤認である、という。

しかし、この点については、既に説示したところから明らかなように、被告人伊藤は、さつまゴルフ場の会員権は、せいぜい一五〇億円ないし二〇〇億円程度でしか販売できないことを認識していたこと、被告人伊藤において、イトマン側が、発行済株式の過半数の野田産業株式について、担保の掛け目を考慮しない特別に高い担保評価をしたと認識していた事実は認められないことから、所論は既に前提において誤りがある。付言すると、被告人伊藤は、その検察官調書(原審検第一二六八号証ないし第一二七〇号証)中において、被告人河村や加藤が、自己保身とイトマンの名目上の利益出しのため、さつまゴルフ場開発事業の採算性について十分な検討もせず、かつ、さつま観光の債務状況や担保設定状況を全く調査せずに本件融資の実行に踏み切ることにして、自分に許との折衝を指示したものと認識し、本件融資金が、本件限度申請書に記載されたようにさつまゴルフ場の建設工事資金として使用されるものでないことも知悉していたこと、野田産業株式は、大証二部上場株で流動性が低く、限度申請書の七七億の時価ではなく、その六〇~七〇パーセントで担保評価されるべきものであったこと、そして未払い工事代金やクラブハウス建設費、先順位根抵当権の返済分等を差し引くと、会員権販売代金の中からイトマンが本件融資金を回収することは到底無理であるという認識を有していたことを認める供述をしており、右供述は、被告人伊藤が、被告人河村や加藤との間で本件融資に関して度々打合せを重ねていた状況や前述のように被告人伊藤がゴルフ場に関する豊富な知見を有しており、かつ本件融資関係書類の作成や実行に深く関与していた状況に照らして、十分信用することができるというべきである。そうすると、本件融資の決定実行に際し、被告人伊藤において、イトマンが、さつま観光から十分な担保を徴求していないことを認識していたことは明らかであるから、この点に関する原判決の判断に誤りはない。

5 被告人伊藤の任務違背とその認識について

所論は、被告人伊藤は、イトマンと雇傭関係になく、企画監理本部長という地位は、商法四八六条一項の「使用人」には該当しないし、仮に、右の「使用人」に該当するとしても、被告人伊藤が「営業ニ関スル或種類若ハ特定ノ事項ノ委任ヲ受ケタ」事実はないから、本件融資について、被告人伊藤には、任務違背はなく、かつ、その認識もなかったのに、企画監理本部長として、イトマンの不動産開発事業の企画、監理及び融資等に関する業務を統括しており、同社の「使用人」に該当すると認定して、本件融資につき、被告人伊藤の任務違背とその認識を認定した原判決には、事実誤認がある、という。

しかし、商法四八六条一項の「使用人」の解釈については、瑞浪案件における「使用人」に関する主張に対する判断の項で示したとおりであって、本件融資当時、被告人伊藤は、イトマンの「使用人」であったと認められる。

そして、被告人伊藤は、本件融資の決定及び実行当時、イトマンの企画監理本部長として、その不動産開発事業の企画、監理及び融資等に関する業務を統括する立場にあったところ、本件融資に際し、イトマンが取得あるいは徴求したさつまゴルフ場の会員権販売権や担保の評価などの具体的状況については、さきにみたとおりであり、かつ、この点に関する被告人伊藤らの認識状況や本件融資に際して取った具体的行動状況、とりわけ、被告人伊藤は、前記<2>、<3>でみたように、被告人河村らと相談を重ねた上、加藤と並んで許と融資条件等に関する交渉を続けたのみならず、<7>のように、本件の「金銭消費貸借契約並びに根抵当権設定契約書」「契約書」などの融資関係書類の作成にも深く関与したり、さらには、関係証拠によると、本件融資限度申請書の決裁前に髙柿にその出金を強く催促し、自己の所で右申請書の決裁が止まっていたことが判明した後は、これに自らの意思で「可」の決裁をするなど重要な役割を果たしていると認められることなどからすると、被告人伊藤に、任務違背及びその認識があったことは明らかであるから、この点に関する原判決の判断になんら誤りはない。

6 被告人伊藤の図利加害目的と共謀について

所論は、本件融資につき、被告人伊藤、同河村、加藤においては、「(イトマンの)実質融資金額は一五〇億円で、ゴルフ会員権さえ売れれば本件融資金の回収はできる」という認識でいたもので、少なくとも、被告人伊藤においては、本件融資は、イトマンに高額の企画料及び相当の利息収入をもたらす案件であり、イトマンの利益を図る目的に出たものであると認識していたのであるから、図利加害目的はなく、被告人河村及び加藤、許らとの共謀もなかったのに、被告人伊藤につき、図利加害目的及び被告人河村及び加藤、許らとの共謀を認めた原判決には重大な事実誤認がある、という。

しかし、前述のとおり、ゴルフ会員権の販売は、ゴルフ場開設に投下した資本を回収することなどを主たる目的としたものであることから、本件のように多額の未払い工事代金債権などを有する他の債権者がいる場合、さつまゴルフ場の会員権販売権を取得したイトマンが、その販売代金を同社の融資債権の弁済に充てようとすれば、他の債権者がこれに不満を抱き様々な対抗手段に出てくる可能性が高く、客観的にみて、イトマンにおいて、本件会員権販売代金を優先的にその債権回収に充てられるという保障は何らなかったと認められるから、仮に、所論のように被告人伊藤が、被告人河村と同様イトマンにおいてゴルフ会員権さえ売れれば本件融資金の回収はできると考えていたとしても(もっとも原判決は、被告人河村がそのような認識でいたと説示しているにとどまり、被告人伊藤も同様の認識でいたという言及をしているものではない。)、右判断は、合理的根拠に欠けたあまりにも楽観的なものといわざるを得ない上、右判断は、イトマンがさつまゴルフ場会員権販売権の取得とその販売によって、同人らが本件債権の回収が確実にできるものと信じて疑わなかったことまでを意味するものではなく、それが物的担保といえるようなものではなく、本件融資の回収財源としての単なる思惑にとどまるものであったことは、同人らが、会員権販売権の取得以外の融資債権確保の方法について、相談を重ねた末、野田産業株式八三〇万株の取得やゴルフ場への根抵当権仮登記設定など他の債権保全手段を取っていること、被告人伊藤において、本件融資にあたり、本件事業の採算性の検討もせず、さつま観光の債務状況や担保設定状況を調査することなく、融資が決定されたことを知悉していたことに照らしても明らかである。また、さつま観光からイトマンに支払われた企画料及び前受利息等五〇億円の実質は、原判決が指摘するように、元々イトマンの融資金の「還流」であって、この点のイトマンの資産に増減はなく、そのことによってイトマンが多額の利益を上げたとは到底みることができない。そして、本件の実質融資額である一五〇億円についてみても、本件融資に際して、客観的にみて、右金額よりもはるかに満たない評価しかすることのできない野田産業株式八三〇万株(ゴルフ場用地に担保余力はないことは前述したとおりである。)が徴求されていたにすぎなかったのであって、前述したように被告人伊藤においても、被告人河村及び加藤と同様、本件融資が客観的に担保不足で、その回収が不確実なものであることを認識しながら、被告人河村や加藤がイトマンにおける名目上の利益出しを優先させて本件融資の決定をしたことを知っていたと認められる。そして、前記<2>、<3>に認定したとおりの本件融資が実行されるに至った経緯をも踏まえると、被告人伊藤が、本件融資を決定、実行した動機は、被告人河村と同様、もっぱら、許及び自己らの利益を図ることにあったといわざるを得ないから、被告人伊藤には、右の図利目的があったことは明らかであり、かつ、これと表裏の関係をなすものとして、イトマンに損害を加えることの認識、認容が存したことも否定できないものである。そして、これらのことと、前記認定のような、本件融資が実行される中で、被告人伊藤が取った具体的行動状況などに照らすと、自己ら及び許との共謀があったことも明らかであるから、原判決に、所論のような事実誤認はない。

第四  被告人両名のアルカディア案件について

一  事案の概要と原判決の判断の骨子

関係証拠によると、本件は、不動産業を営む株式会社アルカディア・コーポレーシヨン(以下、「アルカディア」という。)及び月刊誌「創」(発行部数月間約一万部)を発行する有限会社創出版の代表取締役として、右各会社を経営するとともに、月刊誌「ビッグ・エー」(発行部数月間約六〇〇〇部)を発行する株式会社ビッグ・エーの社主ともなっていた小早川茂こと崔茂珍(以下、「小早川」ないし「崔」という。)が、イトマンから融資を引き出すことを企図して、平成二年九月ころ、被告人伊藤に対し、その旨の申し入れをしたことに対し、被告人両名において、この要求に応じることとし、同年一〇月九日ころ、イトマンから、名目上はその子会社の伊藤萬不動産販売株式会社(代表取締役被告人伊藤)の名義により、アルカディアに対して、アルカディアが富士箱根伊豆国立公園の区域内にある神奈川県足柄郡内所在の同会社所有地に開発する予定と称する墓地造成事業の開発資金名目で、現金一〇億円を貸付実行させた(以下、本項において、「本件融資」というときは、これを指す。)、という事案であるところ、原判決は、本件融資は、被告人両名において、それぞれその任務に背き、崔と共謀の上、崔の利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることを認識、認容しながら実行され、イトマンに振込金額に相当する九億九六〇〇万円の損害を与えたものであるとして、被告人両名に対し、崔との共謀による特別背任罪の成立を認めたものである。

二  被告人河村の主張に対する判断

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

所論は、要するに、本件融資は、執拗にイトマンからの融資を引き出そうとする崔への対応に苦慮していたイトマン取締役で広報担当の中野政幸から相談を受けた被告人伊藤が、そのような崔を排除するため、なんとか決着を付けようと意図したことによるものであり、被告人伊藤から右融資方の話をされた被告人河村においては、イトマン内部の手続を踏むよう指示しただけであり、その後は自己の全く関与しないところでこれが実行されたものであって、崔を味方につけてイトマン側のマスコミ対策に利用しようなどと考えたことや、自らの保身を図るために崔への融資を考えたことはもちろん、崔側への融資を積極的に指示ないし了解したこともないから、被告人河村には、任務違背、損害発生の認識、図利加害目的のいずれも認められないのに、崔を敵に回すよりも味方につけてマスコミ対策に活用しようと考え、そのためにはある程度の融資もやむを得ないと判断して、崔の利益を図り、イトマンに損害を加えることを認識、認容しながら、崔の支配下のアルカディアへ九億九六〇〇万円を融資したと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

しかしながら、記録によると、原判決が、本件アルカディア案件の背景及び犯行に至る経緯、犯行状況として、「第四 被告人両名に対するアルカディア案件」における(犯行に至る経緯等)、(罪となるべき事実)及び(争点に対する判断)第三項で認定、説示するところは、所論指摘の点を含め、概ね正当として是認することができ、右判断は、当審における事実取調べの結果によっても動かないものというべきである。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明することとするが、所論を判断するのに必要な範囲で、本件融資の経緯の概要を改めて摘示すると、以下のとおりである。

<1> 崔は、昭和六三年八月発売の「創」九月号に「伊藤萬・河村商法の疑惑をえぐる」と題する記事を掲載する一方で、中野に対して、「イトマンと一緒に仕事がしたい。是非河村社長と会わせてくれ。」と執拗に要求したため、同年一〇月二六日、赤坂プリンスホテルで被告人河村と崔の会談が持たれたが、その際、被告人河村が、崔の共同事業方の執拗な提案、要請に対して、同人と一緒に仕事をすることは出来ないが、怒らすのも得策でないとの思惑から、「何かあったら協力しましょう。」と当たり障りのない返事をしたことから、崔は、被告人河村の右言辞は、同被告人が、イトマンにプロジェクトを持ち込めば融資をすると約束したものだとして、同年一一月ころ、箱根の墓地霊園開発事業への融資申込みをしたのを手始めに、中野を窓口として各種プロジェクトを持ち込み、事業資金名目での融資申込みを執拗に繰り返すようになった。

<2> このような中で、平成二年二月、被告人伊藤がイトマンの企画監理本部長に就任したものであるが、被告人河村は、就任後間もない被告人伊藤に対し、中野を助けて、崔の対応に当たるよう指示をし、被告人伊藤もこれを了承していたところ、同年七月末には、前記「ビッグ・エー」九月号に掲載予定の「衝撃レポート<1>住友銀行のドン磯田一郎にしのび寄る『老害』」と題するゲラ刷りがイトマンに持ち込まれたことから、被告人河村は、一層危機感を強め、被告人伊藤に対して、崔のようなブラックジャーナルを含むマスコミ対策を行うよう指示をした。

<3> ところで、平成元年一〇月下旬ころ、金融機関に対して土地関連融資の厳正化を求める大蔵省銀行局長通達が、さらに平成二年三月下旬ころ、不動産関連融資の総量規制を求める通達が出された上、公定歩合の相次ぐ引上げなどにより、同年春ころから不動産取引が困難な状況が生じていたにもかかわらず、イトマンでは、被告人伊藤の持ち込んだ開発案件などに対する不動産関連投融資額を急速に拡大させ、これに伴う借入額も急増していたことから、マスコミの関心を惹くようになった。そして、同年五月から九月ころにかけては、日本経済新聞や週刊新潮誌上に、被告人伊藤関連プロジェクトなど不動産関連投融資に急傾斜した被告人河村の経営姿勢を批判する記事が相次いで公表され、イトマンの信用不安説が広まり、各金融機関が一斉に融資金の引き揚げに動くなど、資金繰りが逼迫してきたところ、被告人河村は、このような事態は、自己の出身母体であり、かつ、イトマンのメインバンクである住友銀行が、自己をイトマン社長の座から引き下ろそうとして、意図的にマスコミに情報を流しているのではないかと疑い、対抗する記事を「経済界」なる雑誌に掲載させるとともに、被告人伊藤に対し、マスコミにもできるだけ手を打つよう指示をしていた。

<4> 崔は、同年二月ころ、被告人伊藤がイトマンに入って実力を振るっている旨を聞き及んだことから、同被告人を利用して、イトマンに接近しようと考え、同年九月一九日ころ、知人の仲介により、帝国ホテルで被告人伊藤と会合を持つに至ったが、その際、崔は、被告人伊藤が、自分を敵に回したくないだろうし、自分の力でマスコミを押さえることを期待するかも知れないという思惑の下に、このことを利用して、イトマンから融資を引き出そうと意図し、「JR京都駅北側の土地を買って転売したいので、イトマンから一五〇億円を融資してほしい。」旨の申し入れをした。これに対して、被告人伊藤は、崔が、日経新聞や週刊新潮対策も出来るとの趣旨の話をしたことから、同人が、ブラックジャーナリズムを含むマスコミに顔が利くのであれば、敵に回すより味方に引き込んでマスコミ対策に利用した方がよく、そのためにイトマンが融資せざるを得なくなっても、ある程度は仕方がないと考えるに至った。そして、崔に対して、情報提供等の協力方を依頼し、崔からの前記一五〇億円の融資方の要求に対しては、その場では、婉曲にこれを断ったものの、同年九月二六日ころ、崔から、「月末までに四〇億円いるので、何とかして欲しい。」といって、箱根の墓地開発プロジェクトの事業計画書を手渡されるに至った。

<5> そこで、被告人伊藤は、同年一〇月一日、イトマン企画監理本部副本部長市川淳及び同社東京開発部部長平岡煕に現地調査を命じる一方、同月二日午前八時ころ、イトマン東京本社社長室において、被告人河村に対し、右市川らの調査報告を待つことなく、「小早川が京都駅の北側の地上げのプロジェクトを持ってきたが断った。その代わり、箱根の霊園のプロジェクトで四〇億円を融資して欲しいと言っている。土地を担保に取っても、四〇億円の価値はないし、先順位の担保が二五億円もあると言っていた。許認可は取ってみないと分からない。小早川には新潮のことでいろいろ世話になっているし、これから新潮に抗議の内容証明を出す協議をするところだ。小早川は金に困っている。どうしましょうか。」とその意向を打診したところ、被告人河村は、被告人伊藤に対し、「それじゃあ、一〇億円くらいで話をつけてくれ。」と指示をし、これに対して、被告人伊藤も「分かりました。」と答え、ここに、被告人河村と同伊藤の間で、本件融資の実行が事実上決定されるに至った。

<6> 被告人伊藤から前記指示を受けた市川及び平岡において、企画監理部員の宮原昭に命じて現地調査をさせたところ、宮原は、その調査結果を、「箱根(墓地用地)現調報告」と題する書面にまとめたが、その内容は、本件山林には抵当権者を株式会社東方土地とする債権額二五億円の根抵当権が設定されており、国立公園内にあって法令上の制限が厳しすぎること、ゴミ消却場に隣接し、悪臭がありイメージも良くないこと、駅からの交通の便が悪く、造成に費用を要する可能性があることなどの問題点が指摘され、事業化は困難であるといったものであった。

<7> 右報告書は、同月三日、市川及び平岡から被告人伊藤に提出され、右内容どおりの報告がなされたが、被告人伊藤は、前記のとおり、被告人河村との間で、本件融資の実行を事実上決定していたことから、これを聞き流し、同目、崔と会い、四〇億円の融資方を執拗に求める同人を説得して、融資金額を一〇億円とすることで了承を取り付け、翌四日、被告人河村にその旨を報告し、さらに、同月八日、被告人河村に対し、再度、本件融資を実行するか否かを確認したところ、同被告人から、イトマンの名前を表面に出さないようにして予定どおり実行するよう指示を受け、本件融資が実行されるに至った。

2 被告人河村の任務違背について

前記<1>ないし<5>に認定した経緯により、本件融資が事実上決定されたものであるところ、被告人河村が、被告人伊藤に対して、「それじゃあ、一〇億円くらいで話をつけてくれ。」と指示して、右のように本件融資の実行を事実上決定した際には、未だ、崔及びその関係会社等の信用状態、墓地再開発事業の採算性、見通しなどについて、なんら客観的な調査結果が出ておらず、かつ、崔の言い分の裏付けも取っていなかったものである上、その後、<6>、<7>のとおり、前記の諸点についての悲観的な調査結果が出て、その旨の報告書が被告人伊藤に提出されたのに、同被告人においては、既に、被告人河村との間で、本件融資を実行することを事実上決定していたことから、これを聞き流してしまい、再度、被告人河村に対し、本件融資の実行方についての確認を取り、同被告人において、イトマンの名前を出さないようにして予定どおり実行することを指示するなどしているのであって、被告人河村には、被告人伊藤とともに、本件融資実行に当たり、任務違背及びその認識があったことは明らかである。

3 被告人河村のイトマンに損害を加えることの認識及び図利加害目的について

本件融資は、九億九六〇〇万円もの高額に上るところ、崔は、担保余力のない土地を担保に右融資を受けたものであって、これが崔を一方的に利するものであることは明らかであり、一方、被告人両名は、前記認定のように、客観的調査結果を待つこともなく、本件融資を事実上決定し、その後、悲観的調査結果が出たのに、これを無視して本件融資を実行しているのであり、これがイトマンに損害を加えることを認識していたことが明らかである。

また、本件融資の経緯は、前記<1>ないし<5>に認定したとおりであるところ、その中で、崔の執拗な融資要求が繰り返され、その結果、本件融資が決定、実行されたという側面があったことは、それ自体としては否定できないと認められる。しかしながら、被告人両名が、崔からの執拗な要求に応じて本件融資に応じるに至ったのは、<3>、<4>で認定したように、不動産関連融資の総量規制を求める大蔵省通達が出されたり、公定歩合の引上げなどにより、不動産取引が困難な状況が生じていたにもかかわらず、イトマンにおいて、被告人伊藤の持ち込んだ開発案件に対する不動産関連投融資に急傾斜していった被告人河村の経営姿勢を批判するマスコミの記事が相次いで公表され、資金繰りが逼迫するに及んで、このような事態は、住友銀行が、被告人河村をイトマン社長から引き下ろすために、意図的にマスコミに情報を流しているのではないかと疑う中で、崔が、マスコミ対策が出来るとの趣旨の話をしたことから、同人を敵に回すより味方に引き込んで、右のようなマスコミの批判に対する対策に利用し、被告人両名の個人的な利益を守ろうとした点にあると認められる。そして、前記のとおり、被告人両名に、高額の本件融資が崔を一方的に利することの認識、認容があったことはもとよりであり、以上のような本件融資の動機に照らすと、被告人両名には、イトマンの利益を図ろうとする目的はなく、もっぱら、崔の利を図る目的があったことは明らかであり、かつ、これと表裏の関係をなすものとして、イトマンに損害を加えることの認識、認容があったことも否定できないと認められる。

4 各論的主張に対する判断

所論は、被告人伊藤は、崔がうるさいたかり屋で非常に金が高くつく男で警戒が必要であると知っていたものであるから、金銭を強要され続けかねないという危険を冒してまでも、同人を味方に引き込んでマスコミ対策に利用した方がよいとするだけの事情はなく、崔を排除するため、やむなく一定の融資を行わざるを得ないと覚悟はしていたものの、同人を引き込んで利用しそのために融資を行うなどと考えたことなど全くないから、被告人伊藤がマスコミ対策に崔を積極的に利用したと認定した原判決は誤りである、という。

なるほど、関係証拠によると、被告人伊藤が、イトマン側において、被告人河村や従前から崔との交渉に当たっていた中野から、崔がブラックジャーナルを発行しているうるさいたかり屋で警戒が必要な男であるなどと聞かされていた事実は認められる。しかし、他方、被告人伊藤は、被告人河村が、<1>で認定したように、かつて崔と面談した際に、その持ち込むプロジェクトへの協力を約束するかのような発言をしたため、崔がこれを根拠に、交渉窓口となっていた中野を通じて、イトマンに対し、自己のプロジェクトへ融資をするよう強く求めていたという経過があったことや、イトマンや被告人河村を批判する記事が掲載された「ビッグ・エー」のゲラが同誌関係者によってイトマン東京本社に持ち込まれたことなどを知っており、当時、日経新聞や週刊新潮にイトマン側に不利な報道がなされ、これを非常に気に掛けていた被告人河村からも、マスコミにできるだけ手を打つようにと指示をされていたことから、崔の融資要請を無下に断ることができないという難しい立場に立たされていたものである。そして、そのような中で、知人の中村又司から紹介を受けていた崔が、イトマンの力になると言っている旨を伝え聞いたことから、<4>でみたように、平成二年九月一九日ころ、帝国ホテルで面談したところ、崔との間で京都駅北側の地上げの融資話などが出るとともにマスコミのイトマン批判が話題となった際、崔の方から、「週刊新潮の元記者を知っており同誌の情報を取ったりまずい記事を止められる、日経新聞にも手を打つことができる。」などと聞かされたことから、この際、同人を敵に回すよりは、味方につけた方が得策だと考え、崔に対して、マスコミ対策へ協力方を要請するに至ったことが認められるのであって、右のような経緯を踏まえると、被告人伊藤が、崔が警戒すべき男であるとの情報を得ていたことがあったとしても、同人を、マスコミ対策に利用しようと考えたことは、何ら不自然であるとはいえない。しかも、関係証拠によると、右当日における崔と被告人伊藤の会談の中で、崔が、イトマンに融資要請をするについて、被告人伊藤に対し、脅迫的言動を取った形跡は全く認められない上、むしろ崔は、被告人伊藤に対し、マスコミ対策に力になる姿勢を示して、イトマンから融資を引き出そうとする方針で会談に臨んでいたことを認めており、被告人伊藤も、右当日、イトマンの内部資料であって、その使用方法如何によってはイトマンの信用に傷を与えかねない「大口資金使途明細」を日経新聞対策の背景事情を説明する際の資料として崔に交付していることや、その後も被告人伊藤が崔と頻繁に面談を重ねるなどして、週刊新潮に対する抗議文の作成や住友銀行関係者の告発についての協力を得ていることが窺えるのであって、このような事実は、被告人伊藤において、右にみたような崔の協力的姿勢を受け入れて、マスコミ対策の相談を持ちかけていたことの証左といえるのである。したがって、原判決の認定の中に、所論のような誤りはない。

さらに所論は、原判決が、被告人伊藤が崔を味方に引き込もうとした旨認定した一事情として、平成二年七月二七日、雑誌「ビッグ・エー」の九月号掲載予定記事のゲラがイトマン東京本社に持ち込まれたとき、被告人伊藤が、被告人河村から、小早川(崔)のようなブラックジャーナリズムを含むマスコミ対策を十分行うようにと指示されたこと、同年九月六日発売の週刊新潮や同月一六日発行の日経新聞にイトマンの記事が掲載されたとき、被告人伊藤が、同河村から、マスコミに対してできるだけの手を打つよう指示されたことを指摘するが、被告人河村は、右ゲラを見たことはないし、ブラックジャーナリズムの存在を問題にしておらず、他に広報担当組織が存在するのに、社内組織を無視して、被告人伊藤に右のような指示をするはずはないから、右認定には誤りがある、という。

しかし、被告人伊藤は、その検察官調書(原審検第一二七二号証)中において、同年七月下旬ころ、イトマンに持ち込まれた雑誌「ビッグ・エー」の「住友銀行のドン、磯田一郎にしのび寄る『老害』」と題し、被告人河村を批判する記事のゲラを池尻一寛か中野から受け取ったころ、被告人河村から、「あの記事が出ないようにしてくれ。」と言われ、更に、同年八月中旬ころにも、「マスコミ対策を十分にしなければならん。小早川みたいなブラックジャーナリズムに対しても、十分気を付けておかなければならないのでよろしく頼む。」と指示され、さらに、同年九月六日発売の週刊新潮に「伊藤萬が常務に迎えた『地上げ屋』の『力量』」と題し、被告人両名を批判する記事が掲載され、次いで同年九月一六日発行の日経新聞にイトマンの記事が掲載された際にも、被告人伊藤が、同河村から、「マスコミに対しては、打てるだけの手を打て。」と指示されたと供述しており、被告人河村も、その検察官調書(原審検第一二三九号証)中において、これとよく一致し、かつ原判決の認定にも沿う具体的かつ詳細な供述をしていること、被告人両名共に、原審の被告人質問において、一部ではあるものの、被告人河村から同伊藤に対してマスコミ対策の指示がなされていたことを認める供述をしていること(被告人河村の原審第一〇〇回公判供述、被告人伊藤の原審第一二四回公判供述)、さらにイトマン副社長の藤垣も、原審第六三回公判において、「ビッグ・エー」のゲラを金子広報部長に見せられた二日後位に被告人河村にゲラを見せたところ、被告人伊藤に任せるからと言われたので、被告人伊藤、池尻、中野のラインでブラック(ジャーナル)対策が取られると思ったなどとして、被告人河村からその指示が出されていたことを認めた被告人両名の供述によく沿う証言をしていることなどに照らすと、被告人河村が、原判決が認定する各機会に、被告人伊藤に対して数度にわたりマスコミ対策を指示していた事実は優に認めることができ、これに反する被告人両名の原審公判供述部分は信用することができないから、所論は理由がない。

また所論は、原判決は、平成二年一〇月二日、被告人河村が被告人伊藤から崔へ融資を実行することを打診された際、「それじゃあ、一〇億円位で小早川と話をつけてくれ。」と指示したと認定しているが、その時点で、いきなり被告人河村の口から一〇億円という数字が出てくるような経緯は全く存せず、かつ崔を嫌悪していた被告人河村は、右のような指示をする理由がなく、「下で社内決裁を取って上に上げてくるように。」と言ったに止まるから、原判決の右認定には誤りがある、という。

しかし、被告人伊藤は、その検察官調書(原審検第一二七三号証)中において、「(平成二年)一〇月二日、東京本社社長室で河村に『小早川が箱根の霊園のプロジェクトを持って来て四〇億円の融資をして欲しいと言ってきています。私の見たところでは土地を担保にとっても四〇億円もの価値はなく先順位の担保が二五億円もあると言っていました。小早川には新潮の記事のことでいろいろ世話になっていますしこれから新潮に抗議の内容証明を出す協議をするところです。小早川は非常に金に困っているようです』等と言うと河村が『それじゃあ一〇億円位で小早川と話を付けてくれんか』と言ってきた。」旨原審認定事実に沿う供述をしているところ、所論が指摘するように、それ以前の経緯からして、被告人河村が崔に対して悪感情を抱いていたとしても、当時、マスコミの批判にさらされ、その対策に神経質になっていた被告人河村が、被告人伊藤から右のような報告を受けたことから、崔に週刊新潮の記事のことで協力を得ているという被告人伊藤の方針を同調追認し、併せて崔の要請しているという四〇億円という融資額をできるだけ低額に押さえ、相応の金額で納得させようとする意図から、自ら一〇億円という融資額を口にして、被告人伊藤に対してその融資の許可を与えたとしても、イトマンを取り巻いていた当時の客観的情勢や被告人河村と被告人伊藤との強い信頼関係等に照らして格別不自然であるとは認められない。これに対し、被告人河村は、捜査段階あるいは原審公判において、「小早川が、箱根の墓地霊園の開発費用として一〇億円を融資してくれと言っていますので、融資してもいいでしょうか。」と被告人伊藤が言ってきたので、「社内の決裁を取って上に上げなさい。」と指示しただけであると供述し、被告人伊藤に対して一〇億円の融資の指示ないし了解をした事実を否定しているものの、同日以前に崔が被告人伊藤に対して、箱根の墓地開発に関して融資を求めていた金額が四〇億円であったことは、被告人伊藤のみならず崔も一致して供述していることから明らかであるところ、被告人伊藤が、崔から求められた融資額について、四〇億円ではなくて一〇億円であると被告人河村に対しあえて嘘を言う必要があったとは認められない上、被告人伊藤が崔に対して、どうしても一〇億円しか融資ができないなどと言って、右金額を初めて出して崔に納得をさせたのは、翌三日のことであって、このような多額の融資額を自ら決定できる立場になかった被告人伊藤から右発言がなされたということは、その時点で既に被告人河村から融資額に関する指示を得ていたことを強く推認させること、その後イトマン内部において、本件与信申請書等に決裁がなされる前に本件融資が実行され、その後に申請日付をさかのぼらせてその与信申請書が作成された上、被告人河村を含む各決裁者によってその決裁がされており、被告人河村が被告人伊藤に「社内の決裁を取って上に上げなさい。」と指示したとする弁解内容とは明らかに矛盾する出金や決裁処理が行われていることなどに照らすと、被告人河村の右供述は到底措信し難いものである。百歩譲って、被告人河村の検察官調書(原審検第一二四〇号証)やその原審供述(第一〇〇回公判など)中にみられるように、むしろ被告人伊藤の方から、一〇億円程度を崔に融資したいという言葉が出たとしても、右金額を被告人両名のうちのいずれが最初に口にしたかということ自体は、その際に被告人河村が、同伊藤に対し、同額を融資する了解を与えたという点が動かないものと認められる以上、被告人河村に特別背任罪の成立を認めた原判決の判断を左右するような事情であるとは認められない。

以上のとおりであって、被告人河村に、本件融資につき、被告人伊藤及び崔との共謀による特別背任罪の成立を認めた原判決に、所論のような事実誤認はない。

三  被告人伊藤の主張に対する判断

(事実誤認の論旨について)

1 論旨と本件融資の概括的経緯

所論は、被告人伊藤は、本件箱根の土地には一〇億円程度の担保余力があると考えており、アルカディアに対する本件一〇億円の融資がイトマンに損害を生じさせるという認識、認容はなかったのに、被告人伊藤が、箱根の土地に担保余力がないこと及び本件融資がイトマンに損害を与えることを認識、認容し、かつ、図利加害目的の下に本件融資をしたと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実誤認がある、という。

しかしながら、記録によると、原判決が、本件アルカディア案件の背景及び犯行に至る経緯、犯行状況として、「第三 被告人両名に対するアルカディア案件」における(犯行に至る経緯等)、(罪となるべき事実)及び(争点に対する判断)第三項において、認定、説示するところは、所論指摘の点を含めて、概ね正当として是認することができ、右判断は、当審における事実取調べの結果によっても特に動かないものというべきである。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明することとするが、前提となる本件融資の経緯の概要については、被告人河村の事実誤認の論旨の判断についての冒頭で説示したとおりである。

2 被告人伊藤のイトマンに損害を加えることの認識について

まず、被告人伊藤は、原審第一一三回公判において、「当日(平成二年一〇月二日)の朝会で、市川に箱根事業計画の調査結果を尋ねたら、調査未了であるという報告を受け、当日崔への返事を約束していたことから困ってしまい、市川に箱根の土地の価格の大体の目星を聞くと、事業計画書は六五億になっているが、(土地全体の価格につき)四〇億位とみておけばまあ間違いないのではないかと言われたので、第一勧業銀行の子会社である東方土地が一番抵当で二五億円の融資をしており、担保の掛け目なしに融資するということは通常考えられなかったので、坪二万五〇〇〇円で約一五万坪を三七億五〇〇〇万円と評価しても一〇億円位の余力はあると考え、一〇億円で崔と話を付けようと思った。」などと、所論に沿うかのような供述をしているが、他方、その検察官調書(原審検第一二七三号証)中においては、市川から箱根の土地の価値が四〇億円位と聞いた旨の説明は全くしておらず、前記のように被告人河村から一〇億円で崔と話をつけるよう指示されたことをアルカディアへの融資額が決定された理由であると供述するとともに、右指示を受けた際、「プロジェクトの検討を何もしていないので融資の名目でマスコミ対策のために小早川に一〇億円を出すのを(被告人河村が)決定したのだろうと思った。イトマンに損害が発生する恐れが強いのは分かってたが苦しそうな河村にとても融資すべきでないとは進言できなかった。」と当時の心境を交えて述べており、崔を被告人とするアルカディア案件の公判の証人として出廷した際にも、被告人河村から一〇億円位で話をつけてくれと言われたとして、捜査段階と同趣旨の証言をしていたこと(原審検第二一五八号証、第二一五九号証)、加えるに、当時被告人伊藤の部下であった市川及び平岡も、平成二年一〇月二日ないし三日の時点において、箱根の墓地事業は国立公園内であることなどから極めて困難で、右土地が担保にはならない旨を被告人伊藤に説明や報告をした旨そろって供述する一方、被告人伊藤との間で、右土地が四〇億円の価値があるという話が出た旨の供述は全くしておらず、平岡は、むしろ被告人伊藤は、その報告を聞き流す態度であったと供述していること(原審検第五〇九号証、第五一一号証、市川の原審第八〇回及び第八一回公判証言)、しかも、市川と平岡は、同月八日に至り、被告人伊藤から、翌九日にアルカディアに一〇億円を融資する旨の連絡を急に受けたことから、同額を融資することが可能な体裁を整えるために、箱根の土地に設定されていた二五億円の先順位抵当権と担保の掛け目の八割を考慮し、全く辻褄合わせのために、坪単価を三万円と計算して、箱根の土地の時価が四四億円である旨をアルカディアに関する不動産物件評価申請書(申請日付は平成二年一〇月九日)に平岡が記載したもので、その時点までに、宮原の現調報告(これには担保余力についての言及はない。)以外に崔やアルカディアに対する信用調査や本件土地の担保価値の調査などはされていなかったとそろって供述(原審検第五一〇号証、第五一一号証、市川の原審第八〇回公判証言)しているのであって、被告人伊藤において、本件融資決定に先立ち、箱根の土地に一〇億円の担保余力があると合理的に信じるに足るような情報を得ていた事実はなかったことが窺える(なお、東方土地が一番抵当で二五億円の融資をしており、担保の掛け目なしに融資するということは通常考えられなかったので担保余力があると判断したという被告人伊藤の法廷供述を前提としてみても、それだけで、箱根の土地に一〇億円もの担保余力があると被告人伊藤が信じるに足りる合理的な根拠となり得るものではない。)。そうすると、本件融資が決定される前に、被告人伊藤が箱根の土地に一〇億円の担保余力があると信じていたとする所論は前提自体を欠いている。そして、これらのことと、前記<5>ないし<7>認定の事実を併せると、結局、被告人伊藤にイトマンに損害を与えることについての認識があったことを認めた原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

3 被告人伊藤の図利加害目的について

この点については、被告人河村の論旨に対する判断「3 被告人河村のイトマンに損害を加えることの認識及び図利加害目的について」の項で説示したとおりである。

第五  被告人河村の業務上横領案件について

事案の概要と原判決の判断の骨子

関係証拠によると、本件は、被告人河村が代表取締役会長を務め、イトマンが経営権を掌握していた立川株式会社(以下、「立川」という。)の株式が、株式会社アイチ(以下、「アイチ」という。)の実質的経営者であった森下安道によって買い付けられ、アイチ側の立川株の持ち株比率が五三パーセントを占めて、イトマン側を制するに至ったことから、被告人河村において、立川及びイトマン関係者に対しては、第三者割当増資を行い、その全株をイトマングループで引き受けてアイチ側に対抗するとの方針を示す一方で、森下と面識のある伊藤寿永光に依頼してアイチ側と交渉に当たらせ、密かに、森下との間で、イトマン及びその関連会社が保有し、あるいは取得すべき立川株を、協和を介してアイチに譲渡する旨合意し(以下、「本件協定」という。)、平成元年一〇月一三日、被告人河村、森下及び伊藤の三者間で、その旨の「立川株式会社の経営および株主総会運営に関する大株主間協定書」(以下、「本件協定書」という。)を作成し、伊藤から、本件協定締結に伴い、現金一〇億円を支払う旨の申出を受けてこれを承諾し、同日、アイチ大阪支店長土屋賢一から現金五億円を、同月一八日、伊藤から現金五億円をそれぞれ受領した上、これらを、いずれも自己のための株式購入資金等に充てる目的で、自己の甥阿形昭夫に引き渡した、という事案であるところ、原判決は、右の各五億円(合計一〇億円)は、いずれも、アイチ若しくは伊藤から、本件協定の履行を保証するとともに、立川株の売買代金の一部に充当する趣旨の下に交付されたもので、あくまでも、被告人河村が、イトマンのため預かり保管中のものであったから、これらを株式購入資金等に充てる目的で阿形に引き渡した被告人河村の行為は、業務上横領罪に該当すると判断したものである。

(事実誤認の論旨について)

一  本件一〇億円の趣旨及び被告人河村の横領の故意等について

所論は、要するに、本件協定書は、その作成経過や内容等に照らして、あくまでも、被告人河村、森下、伊藤の三者個人の努力目標を確認した紳士協定的な書面にすぎず、本件一〇億円は、森下及び伊藤が、個人として右紳士協定の履行確保のために被告人河村個人に手交したいわゆる裏金であったから、被告人河村は、イトマンの代表取締役として本件一〇億円をイトマンのために業務上預かりこれを不法に領得した事実も、横領の故意もなかったのに、被告人河村に業務上横領罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、記録によると、本件協定書の内容、とりわけ、その表題には、「大株主間協定書」という文言が用いられており、これが立川の大株主であるイトマンとアイチの両社を指し示していることは明らかなこと、また、その第五条には、イトマン等が保有する株式七一二万株を一株あたり一六四五円の価格で、いったん協和を経由して、アイチに一一七億一二四〇万円でイトマン自体が売り渡すことを約する条項が含まれていること、本件協定書の調印後、被告人河村に対して二度にわたって渡された合計一〇億円の趣旨については、被告人河村、伊藤及び森下(ただし、森下においては被告人河村に手渡されたのは当時アイチの五億円だけであると認識していた。)は、本件協定の履行を確実なものとするために授受される手付金ないし申込証拠金的な性質を有するもので、本件協定書中の立川株の売買が履行された場合には、その代金の一部に充当されるという共通の認識があったと認められること、本件協定に関連して、立川株譲渡代金の一割近くを占める一〇億円という大金が右三者間で実際に授受されていることからみても、本件協定が拘束力の弱い努力目標を相互に確認した紳士協定などという性質のものではなく、本件協定(その中核は立川株売買の約束にあることは明らかである。)の確実な履行を相互に求める右三者の強い意思の表れがみられること、加えて、被告人河村には、本件協定を離れて、森下や伊藤から、裏金やリベートなどとして、合計一〇億円もの大金を個人的に受け取るべき理由は客観的にみて全くなく、被告人河村もそのことを十分認識していたとみられること、などの関係事実が認められ、これらの諸状況に照らすと、本件一〇億円は、本件協定を締結、調印した三者が、その履行(とりわけ立川株の売買)を確実なものとすることを目的として、アイチの実質的経営者である森下及び協和の代表取締役である伊藤から、被告人河村がイトマンのために受け取ったものであって、同被告人のものではなかったことが明らかである。

そして、イトマン側が保有する大量の立川株の譲渡は、商法二六〇条二項所定の「重要なる財産の処分」に該当すると解されるところ、本件協定締結に際して、右の点に関するイトマンの取締役会の承認はなく、その後、同取締役会の追認もなされておらず、被告人伊藤及び森下もこのことを知っていたか、少なくとも知り得た状況にあったと認められ、したがって、立川株の譲渡に関する契約は、私法上、未だ法律効果が有効に発生していなかったといわざるを得ない。しかし、被告人河村は、イトマンにおいて、長年にわたり、いわゆるワンマン社長として、同社の経営全般を主導してきた者であって、その決定に反対が出て覆る可能性は、客観的にみてもまず考えられない状況にあったこと、他方、森下及び伊藤も、このことを熟知しており、被告人河村がイトマンの社長として、速やかにその取締役会の承認等を得て社内手続を履践することを期待していたからこそ、本件協定書を作成した上で、本件一〇億円を、立川株売買の履行を確実にする趣旨のものとして被告人河村に交付したものと推認され、被告人河村がイトマンの取締役会の承認を得るまでの間、本件一〇億円を被告人河村がその判断と計算で自由に使用してよいなどと考えていたとは到底考えられないこと、森下及び伊藤は、イトマンの代表取締役社長本人である被告人河村に一〇億円を交付した以上、それが自分達の手を完全に離れて、イトマン側の支配領域下(占有)に入ったと信じたものと認められ、客観的にも、右金銭処理については、イトマンにおける内部手続だけが残された状態に立ち至っていたものとみるのが相当であること、取締役会の承認を要する重要な法律行為をした取締役は、これを速やかに取締役会に報告をして、その承認を得る努力をすべき義務を負っていることはその職責として当然であることなどの事実関係からすると、本件一〇億円は、私法上の観点はともかくとして、少なくとも、刑法上の観点からは、被告人河村が、イトマンの代表取締役として、イトマン側保有の立川株処分につき、イトマンの取締役会の承認を得るべき法的義務を負って、イトマンのために業務上預かったイトマンの物であると認めるのが相当である。

しかるに、被告人河村は、本件一〇億円を受領した事実をイトマンの取締役会に報告したり、イトマンの経理関係者や同社の顧問弁護士らに打ち明けたりして、その処理について協議するなどしなかったばかりか、その受領後は、直ちに自己が密かに借りていたマンションの一室に搬入するなどした上、本件一〇億円の入手経過を秘したまま、甥の阿形昭夫に対し、二人だけの秘密にしておくよう命じた上、右金銭をいわゆる財テク資金として株取引のために運用するよう指示し、同人をして、その親族名義を使用させて、証券会社を通じて株の購入資金として運用させたり、その同族会社である株式会社アーネストの増資資金に使用させ、あるいは自らもその一部を持ち出して、自己の個人的な銀行借入金の利息の返済に充てていたことが認められるのであって、これらの事実関係に照らすと、被告人河村において、本件一〇億円を、株式購入資金等に充てる意図で、阿形に引き渡した所為につき、業務上横領罪が成立することは明らかであり、原判決が、(争点に対する判断)第四項で説示するところは、概ね正当と認められるから、被告人河村に業務上横領罪の成立を認めた原判決には、所論のような事実誤認はない。

二  各論的主張に対する判断

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を若干付加して説明する。

1 本件協定の性格について

所論は、本件協定は、会社間の合意書ではなく、被告人河村、伊藤及び森下の個人間の合意であったことは、本件協定書の内容及び位置付け及び外形・様式、それに関連する書面の外形・様式並びにその作成状況等から明らかである、すなわち、(1)本件協定書の内容をみると、a住友銀行をバックにひかえる「立川」をいわゆる街金であるアイチの森下に無傷で身売りするというものである、b売買の対象となる立川株には、イトマン以外の住友銀行等の保有株まで含まれている、c株価の確定もできないのに一年ないし二年後の譲渡価格を決めることなど法律上も実務上もまっとうな合意としては不可能である、また、(2)本件協定書の形式をみても、aその署名、押印が、被告人河村、森下、伊藤の各個人名及び個人印でなされている、bその第一条「基本精神」の主語が、被告人河村、森下個人である、c本件協定書の前文は、被告人河村、森下、伊藤の各個人がどのような地位にあるかをうたっている、d本件売買の対象である立川株中五〇七万株は、住友銀行等イトマン以外の第三者保有の株式であり、自社が保有もしていない株式の譲渡をすることを、イトマンが会社としての合意文書にかかる条項、方式で盛り込むことはありえない、e本件協定書の起案、作成には森下サイドの弁護士が複数関与しているのに、イトマン関係の弁護士は一切関与していない、fこれに関連して授受されることが調印時決まっていた一〇億円につき、本件協定書中には一言も触れられていないし、金銭授受に関する別念書等の作成も全く予定されていない、g本件協定書にはイトマンの取締役会の承認につき一言も触れられていない、h本件協定書の調印の場所は被告人河村がひいきにする料亭「たに川」であった、さらに、(3)平成元年一〇月一〇日付けで作成された「大株主間協定書」の原案をみても、その延長として本件協定書が作成されているところ、被告人河村といえどもイトマンの代表取締役社長として立川一族の議決権行使の承認及び代理人による議決権行使の承認、修正動議の提出及びその承認等に関する条項が盛り込まれた右原案に合意し、翌一一日午前一〇時の立川の株主総会までにイトマン及び立川内部での根回しを完了させることは不可能であったから、右原案も、個人としての紳士協定的なものであったとみるべきである、(4)同月一三日付けの「覚書」についても、これが本件協定書の調印直後に授受された五億円につき作成された書面であるのに、伊藤の個人名で署名がされ、押印すらなく、右金員の意味内容や「覚書」という表題も趣旨不明である、(5)弁護士並木俊守作成にかかる立川株の譲渡契約の履行を求める平成二年九月二七日付け「通知書」は、その形式上森下個人の代理人として同弁護士が作成した文書である上、その中身も「貴殿」と何箇所か記載されていて、被告人河村との連絡にこだわっているその内容などから、その宛先は被告人河村個人であったとみるべきである、(6)法人間の書式で作成されていることが明らかなアイチと株式会社日本ゴルフ証券外一社間の平成二年一二月一八日付け「協定書」と本件協定書との対比からも、後者が法人間のものでないことは明らかである、という。

そこで順次検討すると、(1)のうち、a及びbの各点については、本件協定が個人間、会社間のいずれでなされたかを決するにあたり、それ自体は中立的な性格を有する内容であり、それだけでは、いずれであるかを推認するための前提資料となり得るような事実とみることはできない上、cの点については、本件協定書第五条4項に「第1項及び第2項の株式数及び代金額単価及び総額は、本日以降の立川の株式の価格の変動にかかわりなく厳守されるものとする。」という条項があり、契約当事者は、一年ないし二年後に譲渡される予定の立川株の譲渡価格を本件協定書中で事前に取り決めることができるものと考えていたことは明らかであって、右条項に法律上の障害があるとも考えられず、これが会社間合意であったとみても何ら不合理とはいえないから、結局、(1)のaないしcの各点が、本件協定が個人間の紳士協定的なものであるとする所論の根拠となり得るものではない。

(2)のaの点については、本件協定書末尾の三者の署名が個人名でなされ、その押印に各個人名が刻印された印鑑が使用されていることは所論が指摘するとおりと認められるところ、森下側は、本件協定書の署名、押印を元々会社間で行うことを予定していたところ、伊藤を通じた被告人河村側の希望が受け入れられて、結局、各個人名で署名、押印をすることになった経緯が一応認められるものの、そのことが直ちに本件協定がアイチやイトマンを法的に拘束するものであることを否定するような事情とみるのは相当ではなく、本件協定が、会社間を法的に拘束することを予定していたものであるか否かを決するについては、本件協定書の作成経緯及び作成者の意図等の外、本件協定書全体の文言を総合的に考察する必要があるというべきである。この観点から本件協定書についてやや詳しく検討すると、本件協定書は、前記認定のとおり、イトマンとアイチ間に生じていた立川の経営権(特に支配株)を巡る会社間の紛争を解決する目的で作成されたものであること、本件協定書の内容についてみても、表題がイトマンとアイチを指し示す「大株主間協定書」とされていること、その第二条では監査役選任の件で立川の臨時株主総会を開催すること、第三条では立川の取締役及び監査役の地位の存続について、第四条では被告人河村の立川の代表取締役会長の地位の存続についての各取決めがされ、これらは立川という会社機関の構成員やその重要な活動に関わるものであること、本件協定書中、最も枢要な条項とみられる第五条中では、「伊藤萬株式会社は下記の立川株を・・・売り渡す」とされ、立川株譲渡の主体がイトマンであることが明示されている上、イトマンの保有財産たる立川株の全面的な譲渡やイトマンと関連の深い住友銀行等の持株の大量譲渡を含んでいて、その売買価格も一一七億円を超える巨額であり、かつ、被告人河村が、個人の資格や立場では、これを履行することがおよそ不可能といえる内容であって、本件協定書がもっぱら被告人河村個人の資格で調印されたとするにはそぐわないものであることなどからすると、本件協定は、立川の大株主であるイトマンとアイチ及び協和という会社間で成立したものであって、その内容も、右の各会社を拘束することが予定されていたことが明らかといわねばならない。

なお、付言するに、本件協定書は、三者の個人名で署名、押印がされており、代理行為における顕名主義との関係が問題となり得るが、関係証拠によると、被告人河村、森下及び伊藤は、本件協定書が、被告人河村と森下及び伊藤のそれぞれ個人名で署名、押印されているものの、それは、イトマン及びアイチ、協和の各代表者としての立場で、右の各会社のために本件協定を締結したものと信じていたと認められるから、これが右の各会社間の協定として成立したと認定することの妨げとなるものではない。

(2)のb及びcの点については、なるほど第一条の主語が河村、森下の個人名になっていることは所論指摘のとおりであるが、その前文では、イトマン、立川、アイチ各社における両名の地位(代表取締役あるいは社主)がそれぞれ明記されているのであり、これを含めて本件協定が法的に拘束することを予定した当事者が誰であるかについて考察する必要があると認められるところ、本件協定書の前文については、その原案を起案したアイチ側の松尾翼弁護士において、他のアイチ側弁護士らとも協議しつつ、本件協定書が、最終的に会社間あるいは個人間のいずれの名義で署名、押印された場合であっても、それが会社間の協定であって、その会社の行為としてやる趣旨であることを明らかにする目的で、被告人河村、森下、伊藤のそれぞれの会社における地位をその原案として記載したことが認められる(松尾翼の当審第五回公判証言参照)上、平成元年一〇月一〇日、松尾弁護士と同席しアイチ側で右原案以前の原稿の作成に関与した小林英明弁護士は、会社間の合意にできないという議論はその場では出ておらず、立川株を持っていたのはイトマンであり、イトマンと合意しなければ立川の株主総会に関してや株譲渡の約束はできないから、右原案は会社間の協定だと思ったと原審第一五九回公判において証言しており、その理由とするところは自然かつ合理的であり信用できるというべきである。

(2)のdの点については、被告人河村は、本件協定中のイトマン保有以外の立川株については、その保有会社とイトマンとの密接な関係等に照らして、イトマンの社長として、その持株の譲渡を説得できるという見込みを有していたものと認められる(特に、住友銀行と第一勧業銀行については、本件協定成立前にその各保有する立川株を譲渡する内諾をイトマンが得ており、イトマンが株式会社丸正(その筆頭株主はイトマンである。)に依頼して、平成元年一〇月一二日の時点において、同社と右両行との間で既に立川株の売買契約を締結させていた事実が認められる。原審検第八九六号証ないし第八九八号証の各同意部分参照)のであり、かえって、被告人河村がイトマンの社長としての立場を離れた個人の資格や立場で、他の会社に対しその保有する立川株の譲渡をするよう説得することができたとは考えられず、イトマンと関係の深い他の会社の持株の譲渡までを約した点は、被告人河村が、イトマンの代表取締役である自己の地位を強く意識して本件協定を締結したことを推認させる事情というべきである。付言するに、森下は、本件協定書の調印前に、被告人河村に対し、「住友銀行等を無理に説得しなくてよく、(株が)残って結構だ、その場合は除外しましょう。」などと話した旨原審第七五回及び第七七回公判において証言しており、既に相当数の立川の株式をアイチの支配下に治めていた森下としては、イトマンの保有する立川株を譲り受けることができさえすれば、支配株を占め続けることができる立場にあったため、同社以外の立川株の譲渡についてはそれほどのこだわりを有していなかったことが窺われるから、森下のこのような提案を受けた被告人河村がイトマン以外の会社保有の立川株の譲渡条項をも盛り込んだ本件協定書に調印したのは、それがイトマンを代表しての約定としてみても、何ら不合理とはいえない。

(2)のeの点については、所論が指摘するとおり、イトマン側の弁護士が本件協定書の作成に関与した形跡は認めることはできないが、本件協定書の内容は、法律的にみてそれほど複雑なものとはいえず、イトマン側の弁護士を関与させるか、自らが単独で対処するか否かの判断については、イトマンの社長等として長い実績のある被告人河村が有する合理的裁量の範囲内のものであったとみることができるから、これにイトマン側の弁護士が関与していない事実が、被告人河村が個人の資格で本件協定を締結したことを推認させるような事情であるとはいえない。

(2)のfの点については、本件協定書中に本件一〇億円の授受に関する条項がないことは、所論が指摘するとおりであるが、森下は、原審第七七回公判において、元の協定書の原稿には五億円授受に関する条項があったが、伊藤の要望によりこれを削除した旨証言するところ、右削除が、被告人河村の要請を受けたことによるものであったか否かは、証拠上必ずしも判然とはしないものの、伊藤は、被告人河村と森下の信頼関係の維持を図るため、本件協定に関連して授受する金銭の額につき、被告人河村に対しては、森下が当初了解していた一〇億円と告げる一方で、その後に減額を求めた森下に対してはその希望どおり五億円とすることを告げ、その差額の五億円については、協和で負担する意図であったことから、右齟齬を二人に隠すために授受金額の条項を森下に削除させた可能性が十分にあるものと考えられ、本件協定書に授受予定の金銭に関する記載がされなかった事実が被告人河村の意向をそのまま反映したものとみることはできないし、仮に、その削除について被告人河村の意向が強く働いていたとしてみても、右金額の不記載が、本件協定が個人間のものであったことの証左になるとは考えられない。

(2)のgの点については、なるほど、本件協定書には、イトマンの取締役会の承認に関する条項が記載されておらず、当時はすぐに右承認を取ることが困難であった事情も窺われるが、前述したように、被告人河村は、イトマンにおいてワンマン体制で経営を主導してきたものであって、その意向や決定に反対が出る事態はまず考えられなかったことから、被告人河村としても、自分が決めた本件協定の締結につき取締役会による事後的承認が得られない事態は想定しておらず、他方、森下や伊藤においても、同様の認識でいたため、これを問題視していなかったと窺えるから、本件協定書に取締役会の承認に関する条項がないことが、これが個人間の協定であったことを推認させる事情であるとまではいえない。

(2)のhの点については、森下は、伊藤を通じてアイチ又はイトマンいずれかの会社事務所において本件協定書を調印するよう希望していたが、結果的に、相手側の指定する「たに川」が調印場所になった旨原審第七七回公判において証言するところ、その調印場所に「たに川」が選ばれた理由としては、被告人河村において、その時点で、イトマンの取締役会の承認が得られていなかったことや、他のイトマン関係者に本件協定の存在を知られたくないと個人的に考えるべき事情があったことが一応推認されるものの、右調印が、料亭でなされたことが、本件協定が会社間を拘束する契約であることを否定するような事情であるとまではいえない。

(3)の点については、平成元年一〇月一〇日付け「大株主間協定書」の原案は、本件協定書作成以前におけるイトマンとアイチの紛争を解決する目的で作成されたものであって、本件協定書の土台をなす性格のものであると認められるものの、最終的には調印されたものではなく、その条項中の翌一一日開催の立川の株主総会に関する議決権行使等に関する約定も実際には遵守されていないのであるから、このような文書を前提に本件協定書の当事者や本件一〇億円の授受の趣旨等を推測することは必ずしも適当とはいえないし、所論が指摘する時間の切迫の点も、それが単なる個人間の協定であったことを直接裏付けるに足るような事情とは到底いえない。

(4)の点については、森下の原審第七五回公判証言によれば、所論の「覚書」は、同年一〇月一三日、アイチ側が、伊藤に対し、五億円を渡す際、同人から受領したものであるが、その時点では、未だ本件協定書には調印がなされておらず、右金銭がアイチ側に戻されてくる可能性があったため、伊藤による金銭の領収を単に証する意味で、アイチ側が作成していたものに被告人伊藤の署名をもらったものであることが認められるから、その記載内容や押印の欠如の事実からは、五億円の趣旨等を決定付けるような事情を看取することはできない。

(5)の点については、なるほど並木弁護士は、原審第一五三回公判において、本件協定書が個人名で作成されているのなら、その履行を求める「通知書」(内容証明郵便)も、森下個人の代理人名で出し、被告人河村個人に宛てたものだと思う旨証言するものの、他方で、右内容証明の宛名には、「伊藤万株式会社社長河村良彦」と肩書を付して記載するなどしていて、これを出す時には混乱していたことを認めるとともに、本件協定書原案を作成する時に、その契約相手が会社、個人のいずれであるかは意識していなかったとも証言していることが認められるから、右「通知書」の存在が、本件協定書の契約当事者に関する所論を裏付けるようなものとみることはできない。

(6)の点については、所論指摘の平成二年一二月一八日付け「協定書」と本件協定書では、作成当事者や作成の経緯や目的、合意内容等を全く異にしたものであるから、両書面の書式上の差異をもって、本件協定の法律上の合意当事者が誰であるかを推認することはできないというべきである。

2 被告人河村の業務上横領の故意等について

所論は、被告人河村の主観面及び本件金員授受前後の被告人河村の客観的行動の面においても、本件はおよそ業務上横領行為とはほど遠いことを示している、すなわち、(1)原判決の事実認定を前提とすれば、本件金員を自己の株式運用に使用することが業務上横領になることは被告人河村ならずとも分ることなのに、その横領金を甥の阿形昭夫名義でしかも名義書替えまでするよう念を押して同人に株式を購入するよう指示し、その直後の平成元年一〇月一六日には現実に「東洋紡」株を購入させるなど、犯行の発覚を防ごうとするはずの犯罪者としては、常識的には考え難い行動をとっている、(2)被告人河村は、同年一〇月当時、経済的に困っていた訳ではなく、万一発覚すればイトマンの社長としての地位、名声を一挙に失うことになる業務上横領という危険な行動に走る動機、契機は全くなく、本件金員に対する被告人の認識は、本件協定書の履行期まで、すなわちイトマンとしての契約が整うまでは、自己の計算において自由に運用していい「裏金」という認識があったからこそ、阿形に右指示をして本件金員を株式運用等に充てさせたものである、という。

しかし、(1)の点については、被告人河村は、本件金銭のうち、最初の五億円を受け取るや、阿形に対して、同人外一名と被告人河村のみが賃借の事実を知っており、その鍵を持っていたマンションの一室にこれを搬入し、その押入れに本件現金を保管することにして、右現金を使用して阿形の名義で株取引をするよう命じ、併せてこれを二人だけの秘密にするよう固く口止めをしており、更に二度目の五億円を受け取った直後にも、阿形に対し、同様の措置を取るよう命じているのであって、本件金銭の存在や出所を、伊藤を除くすべてのイトマン関係者から長期間にわたり隠し通し、本件金銭を使用した株取引にあたっても、その親族名義を使用させるなどしており、これがイトマンに渡すべき金銭であることを第三者からは容易に発覚しないようにするための慎重な措置を講じていたことが認められるから、所論の批判は当らない。

また、(2)の点については、被告人河村は、イトマン株合計四八万五〇〇〇株を個人的に購入するための資金として、昭和六三年一一月ころ、第四銀行大阪支店から五億円を借り入れ、その利息として毎月二〇〇万円ないし三〇〇万円位を支払う必要に迫られる経済状態にあったところ、当時、イトマンからは年額二〇〇〇万円程度の役員報酬の支払いを受けていたのみであって、他に報酬などは受け取ってはいなかったこと、被告人河村は、イトマンの取引先で個人的にも親しい関係にある株式会社ハイムの社長原幸一郎に対し、第四銀行から多額の借入をしていてその利息の支払いが大変である旨話していたところ、平成二年四月から同年一二月にかけて、原から三回にわたって、一〇〇〇万円ずつ、合計三〇〇〇万円を自宅に持参してもらい、右利息の支払いに充ててもらいたいという趣旨であることを知りながら、その場では借用証書も書かず、利息などの定めもしないまま、これを受け取っていたこと、被告人河村は、イトマンの社長を解任された後である平成三年三月、伊藤との間で、本件協定を解消して本件一〇億円の処理を取り決めるための交渉をした際には、全額までは返還しなくて済むよう本件一〇億円による株式運用の可否や右現金の保管経費等について明らかな偽りを述べたり、本件一〇億円を使用した株式投資によって大きな損失が出ていたのに、個人的にその穴埋めをすることができず、購入していた株の現物(時価評価額約七億三〇〇〇万円相当)とファンドの売却金約六七七万円を返還しただけであったことなどの事実関係に照らすと、所論のように本件当時、被告人河村が金銭的に全く困るような状態になかったとは認められず、業務上横領の犯行動機にも欠けるところがあったとは認められない。なお、所論は、本件一〇億円は、本件協定書の履行期までは被告人河村が個人的に使用してよい裏金であったというが、なるほど本件協定書の第六条には、(秘密条項)として「本協定は、当事者間で秘密を厳守するものとし、外部に対しては一切これを発表しないものとし・・・」との規定があり、右秘密条項の趣旨は、本件一〇億円の授受についても及ぶと考えられるのであり、アイチ、協和及びイトマン以外の第三者に対し、その授受段階において、公表することが禁じられた性質の金銭であったものと認められる(裏金の意味は多義的であるが、右の限度においては本件一〇億円を裏金と呼ぶこともできよう。)。しかし、仮に、右秘密条項によって、さらに本件協定の締結等をイトマンの取締役会にかけることまで禁じられていたとすると、その承認が得られない限り、イトマンが保有する立川株のアイチへの譲渡という本件協定の最大の眼目を果たすことができなくなり、前記秘密条項は自家撞着に陥ることは明らかであるから、右秘密条項も、イトマン内部において、被告人河村が、本件協定の締結や本件一〇億円の受領の事実について、イトマンの取締役会にかけてその了承を得たり、あるいは信用できる経理担当者などに事情を打ち明けてその保管や仮受金としての然るべき会計処理をさせることまでを禁じたものでないことは明らかというべきである(なお、五億円を支払ったアイチ内部においては、協和に対する仮払金として、その会計処理が速やかになされていたことが認められる。)。そうすると、前記の秘密条項の存在は、被告人河村が、本件一〇億円を個人的に自由に使用できることの根拠にはなり得ないというべきである。ちなみに、本件一〇億円が、イトマンに速やかに帰属させるべき性格の金銭であることについては、その授受の時点までにおける森下及び伊藤との話合いの経過内容から、被告人河村においても十分理解していたと認められるのであって、被告人河村が、例えば本件協定書中の株式売買の履行期までや株式譲渡に関する取締役会等の承認をもらうまでは、これを個人的に預かって自由に利用してよいという趣旨の金銭であると誤解するような特段の事情があったとも認められない。

3 伊藤交付にかかる五億円の性格等について

所論は、平成元年一〇月一八日、伊藤が、被告人河村に手渡した五億円は、伊藤の計算において調達したものであって、アイチあるいは森下から本件協定の手付金等として出された金銭ではなく、アイチあるいは森下は、右授受当日はもとよりその後も長らく伊藤が被告人河村に五億円を渡していた事実を知らず、同日時点で、森下あるいはアイチと全く無関係に出捐されているのであって、アイチとイトマン間の合意に基づく内金や手付金ではあり得ず、他方、伊藤あるいは協和とイトマンの間にはおよそ債権債務関係などはないから、右五億円を「被告人河村がイトマンのために保管する」などといったことは客観的にあり得ないし、仮に被告人河村が右五億円についても同月一三日に授受された五億円と同性格の金員と認識していたとしても、客観的にはイトマンのために保管されるべき金員でない以上、業務上横領罪が成立する余地はない、という。

しかし、伊藤は、その検察官調書(原審検第九二三号証)において、既に本件協定に関する手付金を一〇億円にすることで被告人河村の了解を得ていたところ、伊藤からその金額を聞かされた森下が、その額を五億円に引き下げたいと希望したことから、伊藤において、これを被告人河村に伝えた場合、森下に対する信用だけでなく、自分に対する信用も、被告人河村から失うことになって、立川株等の紛争解決を目指した本件協定が成立しなくなるばかりか、当時、期待を寄せていたイトマンの協和に対する支援も受けられなくなることを危惧し、一方では、自分が本件取引の仲介をしたことについての手数料を確実にもらえるようにするため、本件協定の契約当事者にもなっている協和の立場を強くしたいという独自の判断から、残りの五億円については自ら調達して支払い、後日森下に事情を打ち明けこれを精算してもらおうと考え、森下に対しては、本件協定の手付金を五億円に減額することを了承する一方で、森下の右意向を被告人河村には伝えず、かつ残りの五億円を協和で調達したことも告げないまま、アイチが支払った五億円とは別個に、本件協定の履行を確実にする趣旨で、協和の計算において調達した五億円を被告人河村に対し、手渡したとの趣旨の供述をしていることが認められ、これによると、右五億円についても、本件協定に関連して立川株の売買を実質的に仲介(本件協定書上においては、協和がイトマンからの直接的買主と定められている。)する立場にあった協和からイトマンに対して支払われた本件協定の履行を確実にする趣旨のものであったとみるべきであり、被告人河村としては、二度目に支払われた五億円について、アイチと協和のいずれから支払われたものか、明確には知らなかったことが窺われる(平成三年三月に被告人河村側が、本件協定を解消して本件金員の返還交渉をしようとする際、一〇億円の返還問題については、森下とは直接交渉をせず、もっぱら森下との間に立った伊藤を交渉相手としていることは、右事実を客観的に裏付けている。)ものの、これも本件協定の履行を確実なものとする趣旨のものであると認識した上で受領したことは明らかであり、その他の理由で、被告人河村が、個人的に右五億円を受け取るべき理由は全くなかったものと認められる(なお、右五億円について、本件協定に従って立川株の取引が将来行われた時点において、協和の伊藤とアイチの森下との間で、その精算問題が生じることが見込まれることは当然であるが、この点が右金銭の趣旨やその帰属すべき先の認定評価を左右するようなものとはいえない。)。したがって、伊藤が調達して被告人河村に交付した五億円についても、本件協定の履行を確実にする趣旨で、イトマンに納められることを当然の前提として、伊藤から被告人河村に交付されたものであって、被告人河村においても、これがイトマンのために預かったもので、速やかに同社に入金する必要のある金銭であることを十分認識して受領したことが認められるから、その不法領得は、アイチが支払った五億円についてと同様に、イトマンに対する業務上横領罪を構成するというべきであり、この点に関する原判決の判断に誤りはない。

その他、所論がるる主張するところを検討してみても、被告人河村に対する業務上横領罪の成立を認めた原判決の認定、判断を左右するに足るようなものがあるとは認められない。

第六  被告人河村の自己株取得案件について

事案の概要と原判決の判断の骨子

関係証拠によると、本件は、<1>平成元年一二月七日から平成二年一〇月二日までの間、前後四九回にわたり、有価証券市場において、東海振興信用株式会社(以下、「東海」という。)若しくは内外商事株式会社(以下、「内外」という。また、この二社を併せて「両社」ということがある。)名義で、イトマンの株式合計六七八万二〇〇〇株が八七億六八一七万三〇〇〇円で、<2>平成二年一一月九日、高木証券株式会社本店において、内外名義で、イトマンの株式一〇〇万株が一一億三七八三万円で、<3>同月三〇日、野村証券株式会社大阪支店において、東海名義で、イトマンの株式五〇万株が四億五五二五万円で、それぞれ買い付けられた、という事案であるところ、原判決は、東海若しくは内外名義による右の各イトマンの株式の買付は、いずれも、イトマン代表取締役社長であった被告人河村が、同社代表取締役副社長髙柿貞武と共謀して、イトマンの計算において、株価操作等の不当な目的をもって、不正に取得したものであるとして、商法四八九条二号違反の罪の成立を認めたものである。

(事実誤認の論旨について)

一  被告人河村の自己株取得の故意等について

所論は、被告人河村は、東海及び内外によるイトマン株の取得は、イトマンの計算において行っているという認識はなかったし、イトマンの株価を不当に操作するという目的等も全くなかったのに、イトマンの自己株取得を理由とする商法違反の罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

しかしながら、記録によると、原判決が、本件自己株取得案件の犯行状況として、「第六 被告人河村に対する自己株取得案件」における(罪となるべき事実)及び(争点に対する判断)第五項において、認定、説示するところは、所論指摘の点を含めて、すべて正当として是認することができ、右判断は、当審における事実取調べの結果によっても動かないというべきである。

二  各論的主張に対する判断

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を若干付加して説明する。

1 所論は、(1)東海及び内外の業務内容は、イトマンにおけるエクイティファイナンス実施に伴う安定株主対策のために一時的にイトマン株を保有するという有価証券投資事業を中心とするものであったことや、両社が、イトマンの子会社であるエムアイクレジット株式会社(以下、「ミック」という。)から運営資金を借入れる際には、その都度消費貸借契約書を作成し、ミックにおいても、両社から金利を取得し、かつ、取得株券の保護預り証を徴求していたこと、平成元年一二月以降は、イトマンによる東海、内外両社の株式の保有はなく、両社とも、イトマンとは別個の独立した会計処理がなされていたこと等に照らすと、そもそも被告人河村においては、両社がイトマンの自己株取得を隠蔽するためのダミー会社であり、したがって、両社名義でのイトマン株取得がイトマンの計算により行われるものであると認識できる状況にはなかった、(2)原判決は、「平成元年一二月以降のイトマン株取得は、もっぱら買付のみで売却はなされておらず、それまで行われていた安定株主工作とは明らかに態様を異にするものであった」と認定し、これをもって、被告人河村に、本件株式取得が不正なものであったことの根拠の一つとしているとみられるところ、確かに、同年一二月以降、両社によるイトマン株取得はもっぱら買付のみで売却はなされていなかったのは事実であるが、それは、昭和六三年後半以降に新株引受権行使による新株発行、転換社債の株式への転換が重なるとともに、流通株式数の増加が見込まれるなどといったイトマン株の起債、流通状況がある一方で、安定株主へのはめ込みが順調に進まなかったといった事情に起因するものであるから、原判決は、この事情を看過し、誤った評価をしているといわざるを得ず、被告人河村としても、平成元年一二月以降の東海、内外によるイトマン株取得については、あくまでも、従前と同様に安定株主対策のための一時的な保有であると認識していたにすぎない、という。

そこで検討すると、(1)の点については、関係証拠によると、イトマンからミック経由で東海、内外に対してなされたイトマン株の買付資金の全額提供状況、右貸付に際しては、イトマン内部でその審査、決裁、担保徴求手続等がなされていなかったこと、両社における株式の買付注文やその代金支払がイトマンの職員によって行われていた事実、右買付にかかる株式の株券保護預り証をイトマンが保管していたこと、両社の株式売却益等をイトマン側が吸い上げて処理していた状況、両社における各担当者の事務処理の状況については、原判決が、(争点に対する判断)第五の二項で認定するとおりであると認められ、これらの事実関係に照らすと、東海及び内外が、商法の自己株取得の禁止の規制を免れ、イトマン株等の取得の事実を隠蔽するためのイトマンのいわゆるダミー会社の地位にあったことは明らかである。そして、被告人河村は、その検察官調書(原審検第一二四三号証ないし第一二四五号証)中で、東海と内外の設立目的の一つには、インサイダー的取引によるイトマン株式の売買利益の取得にあったこと、両社の人事、資金、収支等はイトマンが決定管理していたこと、ミックは、両社による自己株取得が発覚しないようにするため、株式購入資金を両社に貸し付ける目的で、両社に資金を流すためのトンネル会社として設立したものであったこと、髙柿に両社を使った株式の売買を担当させ、イトマン株の取引については、被告人河村自身が指示を出し、その成果の報告を受けていたこと、自己株取得が発覚しないようにするため両社の存在を社内でできるだけ知られないようにさせていたこと、昭和六二年一二月ころ、宮本雅長公認会計士から、両社によるイトマン株の売買が、自己株取得になると注意を受け、商法違反になることをはっきりと知り、安本税理士からもイトマン株を早く減らすよう忠告されたことなど、平成元年一二月以降に東海及び内外名義でなされた本件イトマン株の取得が、イトマンの計算により行われ、したがって、商法違反になることを認識していたことを裏付ける事実を具体的かつ詳細に供述しているところである(なお、被告人河村の右供述を含めた検察官調書に任意性、信用性が存すると認められることは、後に、被告人河村の訴訟手続の法令違反の論旨に対する判断の項で摘示するとおりであって、所論のように、右供述が、検察官の作文であるなどとは到底認められない。)。また、髙柿は、原審第六六回及び第六七回公判において、東海及び内外は、イトマンから独立した会社という意識はなく、イトマンの自己株取得等を目的としたイトマンのダミー会社であると認識していたこと、被告人河村から両社の存在は極秘だと厳命された上、その事務をみるよう指示され、その後も同被告人の指示を受けてイトマン株を含む株式等の売買を部下にさせていたこと、両社に対するミックを通じての貸付につき、被告人河村から内部資金の移動のようなものだから社内の稟議は不要だと言われていたこと、自己株の取得を止めるよう国税当局から指摘されたことを被告人河村に報告した際も、どこでもやっていることだと一蹴されその継続を指示されたことなどを具体的に供述するとともに、平成元年一二月以降の本件イトマン株の取得も、同年一二月初め、被告人河村から、イトマン株について「二〇〇〇円にぼつぼつ持っていったらどうか。例のところでやったらいいやないか。」と指示されたのを始めとして、被告人河村の度重なる指示に基づいて行われてきたものであることを明確に証言しているところ、髙柿は、イトマンにおいて、被告人河村に抜擢され同社の代表取締役副社長に就任するなど、その直属の部下として忠実に仕えてきた者であって、右証言当時は、既に本件と同一の自己株取得案件で執行猶予付きの有罪判決を受けて、その刑が確定していたことなどから、被告人河村にあえて不利な虚偽の証言をする動機が見当たらないことなどに照らして、その証言には高い信用性が認められ、これが被告人河村の前記供述を的確に裏付けているということができる。以上にみた事情に照らすと、被告人河村において、両社がイトマンのダミー会社であることを熟知しており、したがって、両社名義による本件イトマン株の取得が、イトマンの計算において行われるものであることを知悉していた事実は優に肯認することができる。

なお、所論が指摘する東海及び内外の設立経緯、両社の業務内容や運営資金の借入状況、イトマンによる両社の株式の保有状況、両社の会計処理状況等は、その主張する内容を子細に検討してみても、株式保有の状況以外の点については、そもそも前提事実を異にしている部分が目立つなど、誤った前提や独自の見解に立脚しているものが多く、前記認定を左右するに足るような事情であるとはいえない。

(2)の点については、関係証拠によると、平成元年一二月より前に東海、内外名義で取得されたイトマン株については、比較的短期間内に、金融機関やイトマンの取引先等に依頼して買ってもらうことによってはめ込みが行われており、一応安定株主対策であったと認めることの可能な措置が講じられていたのに対し、同年一二月以降の両社名義によるイトマン株の取引については、もっぱらイトマン株の買付がされるのみで、その売却ないしはめ込みはなされず、そのまま保有され続けていたこと、平成二年四月一一日ころ、髙柿が、被告人河村に対し、両社によるイトマン株の買付が合計三六〇万株に上っていることを説明して、はめ込みによる株式の安定化を依頼したのに、「心配せんでいい。」と言われたにとどまり、その後自己株の保有を解消するための何らの対策も講じられなかったこと、被告人河村自身も、イトマン株の取得は、他社株とは異なり、売買によって利益を上げなければならないものではなく、二、三年塩漬けにして持っていてもよいという感覚でおり、髙柿にもその旨伝えていたことを認めていること、被告人河村は、平成元年九月初めころ、知人の原幸一郎に「イトマン株を五〇万株買ってくれ。二〇〇〇円位まで上げたい。」と依頼したり、平成二年四月以降、イトマンでは、同年九月に予定されていたエクイティファイナンスのクリーン期間に入ったため、両社名義でのイトマン株の取得を差し控えざるを得なくなるや、被告人河村と髙柿は、相談の上、大正不動産株式会社やアーネスト等に依頼してイトマン側の資金で証券市場からイトマン株を大量に取得をさせていること、同年九月一七日以降両社名義によるイトマン株の取得が再開されたのは、その前日にイトマンの不動産業への多額の貸付金の存在を報道する日経新聞の記事に対する対策会議が大阪ヒルトンホテルで開かれた際、被告人河村が、髙柿に対し、「明日(イトマン)株が下がるかも分からんから例のところで買うていけよ。五〇〇万株ぐらいまでなら買うていいよ。」などと指示したことに基づくものであって、右発言内容や、その当時マスコミによる批判的報道にさらされ、イトマンが窮地に立たされていた状況等からみても、それが市場の動向に逆らって、イトマン株を買い支え、その株価の下落を防止することを目指したものであることが明らかであること、右発言当時、イトマンは資金難のためイトマン株の買付資金の捻出すら困難な状態にあったことから、髙柿は、同月一八日からはリスクの高い信用取引によって両社名義によるイトマン株の大量買付を繰り返し行ったほか、イトマンとは取引関係になかった大建工業株式会社や日本コンベア株式会社に対し、後日取得原価に手数料を上乗せして買い取るとまで約束して、証券市場からイトマン株の買付をさせていることなどに照らすと、本件における一連のイトマン株の取得が、「安定株主工作と明らかに態様を異にし不当な目的を持ったもの」であると認定した原判決の判断に、なんら誤りは認められない。

2 また所論は、(1)仮に、被告人河村が髙柿に対し、平成元年一二月初めにイトマンの株価につき、「一株二〇〇〇円ぐらいにぼつぼつ持っていったらどうか。」と言ったとしても、これは、財務担当者の髙柿にイトマンの財務面を含めて、イトマンの株価が高目に推移するよう努力目標を告げたものであり、また、同年九月初めに被告人河村が知人の原幸一郎に対し、「イトマン株五〇万株買って持ってくれ。二〇〇〇円位まで上げたい。」と言ったとしても、右は、イトマン株の長期保有を依頼する関係でイトマン株の高目推移の展望を述べたものであって、被告人の右発言のみを把えて、被告人において「株価操作の意図があった」「株価操作の指示があった」等と認定し得るものではない、(2)平成元年一二月当時のイトマン株の発行済株式総数は二億株弱であり、そのうち浮動株が三〇%弱の約五〇〇〇万株であったから、仮に、被告人河村が、髙柿に対し、「五〇〇万株位なら買っていい。」と言ったとしても、全体で約二億株あるイトマン株の浮動株約五〇〇〇万株の一〇%(全体では三%弱)を買ったからといって、直ちにイトマンの株価上昇には至らないことは明らかで、被告人河村において、東海、内外両社でイトマン株を取得させることによりその株価を高目に操作し得るはずはなかった、(3)マスコミ報道の過熱化でイトマンの浮動株のある程度の売却が予測される平成二年九月一六日に、仮に、被告人河村が、髙柿に対し、イトマン株五〇〇万株位までの買受けを指示したとしても、イトマン株の急落を防ぎ、イトマン財務、経営を安定させるために、右浮動株を一時に引き受けることは当然の安定株主対策であり、原判決が評価するような不当な株価操作ではない、という。

しかし、(1)の点について、関係証拠によって認められる、髙柿は、平成元年一二月初ころ、被告人河村から「例のところ(東海、内外を指す。)で取引をして一株二〇〇〇円ぐらいに持って行くように。」と言われて間もなく、両社名義でイトマン株を継続的かつ大量に取得し始めていること、被告人河村は、日頃から公表予想経常利益の必達を部下に指示するとともに、株価は会社経営者の業績評価であり、その経営能力が反映されたものであると公言し、イトマン株の高株価を常時指向していたこと、同年末にも、一株二〇〇〇円は達成できないと報告してきた髙柿に対して、イトマン株を更に買い進めるよう指示を出していること(髙柿の原審第六六回、第六七回証言参照)などの事実に照らすと、被告人河村の髙柿や原に対する各発言がイトマンの株価についての単なる努力目標や展望を告げたに止まるものではなく、イトマン株の取得によるその株価の高目誘導を目的としたものであったことが認められる。(2)の点については、仮に、被告人河村において、本件におけるイトマン株の取得によって、どの程度その株価に影響を与えることができるかについて、正確な知識までは有していなかったとしても(なお、髙柿は、原審第六七回公判において、株価操作のためにどの位浮動株を動かす必要があるかは分からず、素人判断で本件株取引をしていたと証言している。)、需要と供給のバランスの上に成り立つ株式市場の原理に照らして、相当数のまとまった買い注文を入れれば、株価が高目に誘導できることは、その知識経験等に照らして十分認識していたものと認められる上、被告人河村は、髙柿に対して、日頃からイトマンの株価について、より高い目標株価の達成を口にしていたことに照らしても、東海、内外両社等を利用したイトマン株の大量買付によって、イトマンの株価を高目に操作し得ると考えていたことは明らかというべきである。したがって、所論のいうイトマンの発行済株式総数やそのうちの浮動株数が占める割合等の点は、そのとおりであったとしても、それが被告人河村における株価操作の意図の存在を左右するような事情とはいえない。(3)の点については、関係証拠によると、平成二年九月一六日における被告人河村の髙柿に対するイトマン株の買付を指示する発言は、マスコミ報道等によってイトマンに対する世間の信頼が大きく揺らぐ中、当時イトマンの財務状態が極めて逼迫しており、イトマン株を取得するとなれば、イトマンの自己資本を流失させ、資金を自己株に固定させることになって、さらに財務が悪化することが容易に十分予想される状態であったのに、これを無視して、当時下落する見込みの高かったイトマン株を、無理にでも買い支えて、株式市場におけるイトマン株下落の動向に対抗しようとしたものであって、これがイトマンの財務や経営を安定させることを目的としたものではなく、また安定株主対策のためになされたものでないことも明らかである。

第七  被告人河村の控訴趣意中、被告人河村にかかる全案件に関する訴訟手続の法令違反の論旨について

一  被告人河村の自白調書の任意性について

所論は、被告人河村の捜査段階の供述(自白)は、任意性に疑いがあり証拠能力が認められないのに、これを証拠採用し、被告人河村に対する各公訴事実の認定の用に供した原審の措置は、刑訴法三一九条一項、三二二条一項に違反しており、これは判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、というのであり、その理由とするところは、(1)被告人河村は、当時六六歳という高齢で、十二指腸潰瘍、糖尿病、痔瘻という持病を抱え、逮捕直後から監獄職員や検察官に身体の不調を訴え、長時間の取調べに耐えられるような健康状態ではなかったのに、検察官らは適切な医療措置をとらず、被告人河村の健康状態が著しく損なわれていることを知りながら、連日深夜に及ぶ長時間の取調べを続けた、(2)取調べ検察官は、被告人河村の逮捕当初の段階から、その弁解を聞き入れず、検察官が描いた物語を認めろと迫ることに終始し、被告人河村が弁解をし始めると、机を叩き大声を出して怒鳴りつけ弁解を聞こうともせず、被告人河村の横に回ってその肩を小突いて床の上に転倒させたり、「(調書に)署名指印しなければ舎房に帰さない」、「いつまでも、何年でも置いとくぞ」、「拘置所の中で死んでしまうぞ」などと言って、うち続く身体拘束と取調べに疲弊し切っている被告人河村を精神的に追いつめて、検察官調書に署名指印させた、(3)被告人河村の取調べを担当した警察官らは、同被告人を三人で取り囲んで執拗に自白を迫り、具体的事実についての被告人河村の言い分を全く聞こうとせず、疲労困憊した夜には検察官が更に同被告人を取調べ、これが連日長時間続いた、というのである。

しかし、取調状況報告書(原審弁第七〇号証)、被告人河村の取調べを担当した検察官水落徹男の原審第一六〇回証言、被告人河村の各検察官調書の記載形式及び記載内容等に照らすと、捜査官が、被告人河村に対して、所論のような不当な取調べをしたと疑念を抱かせるような事情は全く認められず、被告人河村の捜査段階における供述(自白)には、優に任意性を認めることができるから、その検察官調書に証拠能力を認めてこれを採用をした上、事実認定の用に供した原審の措置には何ら訴訟手続の法令違反があるとは認められない。以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を若干付加すると、(1)の点については、関係証拠によると、被告人河村は、逮捕当時は六六歳であり、比較的高齢ではあったものの、水落検察官の取調べに際しては、姿勢を正してしっかりした態度でこれに応じており、その際、身体の不調を訴えたり、取調べ時間等に関して苦情を訴えたりしたことはなかったこと、当時、被告人河村の弁護人は、毎日のように被告人河村と接見をしていたのに、捜査官の取調べ方法や被告人河村に医療措置を受けさせないことなどについて、苦情や異議を申し立てた形跡はみられないこと、被告人河村に対する取調べは、午後から夕方にかけて開始された日もかなり多く、一番遅い場合でも、午後一〇時台には取調べが打ち切られていた上、取調べ中に食事や休憩のための時間も適切にとられていた事実が認められ、その取調べが、被告人河村の健康状態に配慮されないまま続けられたり、その時間が異常に長かったりすることはなかったと認められ、これらの事実に照らすと、所論は、その前提を誤っている。また、(2)及び(3)の各点については、なるほど被告人河村は、原審第一二六回、第一四四回及び第一六一回公判において、捜査官側から所論のような暴行や脅迫を受けたため、署名指印を拒否できなかった旨の供述をしていることが認められるものの、同じ原審第一六一回公判中においては、水落検察官から暴行を受けた事実を否定するような供述をしたり、検察官から身体に触れられたことはない旨大阪地裁第一二刑事部で証言した事実を認める供述をしているなど、首尾一貫しておらず、捜査官側から暴行や脅迫を受けたとする供述自体にもかなりあいまいなものがあること、水落検察官は、被告人河村の取調べ中に、被告人河村が嘘を言っていると追及したことなどはあっても、所論のような暴行や脅迫的言動をとったことは全くなく、被告人河村の検察官調書は、すべて取り調べた内容をその場でメモした上、被告人河村の面前で検察事務官に口授して手書きで作成させており、同被告人の取調べ前に予め作成していたことはないし、被告人河村は、その読み聞けをしっかり聞いた上で、渋ることなく署名指印に応じ、追加申立てがある場合にはこれに応じた旨原審で明確に証言をしていること、前記のとおり弁護人が、被告人河村の取調べ方法を問題視して、捜査当局に申し入れをした形跡が認められないことなどに照らすと、捜査官から暴行、脅迫を受けるなどしたため調書に署名指印したという被告人河村の供述は、到底信用することができない。また、被告人河村の検察官調書は、極めて具体的かつ詳細に記載されていることに加え、その中には、自己株取得案件や業務上横領案件関係の調書にみられるように、必ずしも全面的な形での自白調書になっているとはいえないものがみられる上、被告人河村が被疑者として取調べを受けた全事件についてみても、随所で同被告人に有利な弁解や情状事実が記載されていたり、その中には、訂正や付加の申立ても記載されており、特に重要な部分や被告人河村が否認している部分については、検察官が意識的に問答体を使用して調書が作成されていること、さらに、被告人河村の検察官調書は、被告人伊藤や許を含めた他の事件関係者の捜査官に対する供述内容とは、必ずしも一致しない独自の事実認識や自己の心情を語った部分も数多くみられるのであって、捜査官が、被告人河村の供述を度外視して予め勝手に作り上げていた筋書を被告人河村に無理やり押し付けて作成したなどとは到底認めることはできないものである。以上に照らすと、所論は、いずれも前提を誤っているといわざるを得ず、採用することはできない。

二  被告人伊藤の検察官調書の証拠能力について

所論は、被告人伊藤の捜査段階の自白調書は、任意性に疑いがある上、少なくとも特信性を欠いており、証拠能力が認められないのに、これを証拠採用した上、事実認定の用に供した原審の措置は、刑訴法三二一条一項二号に違反しており、これは判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、というのであり、その理由とするところは、被告人伊藤は、(1)八木検察官から取調べを受けた際、「イトマンはもう何年も前から実質的には潰れていて、最初から伊藤プロジェクトを肩代わりする積もりなどなく、ただ企画料を出させるために被告人伊藤を格好のえじきにした。」等と告げられ、イトマンや被告人河村に対する怒りをかき立てられ、「悪いようにはしないから俺の言うとおりにせい。」という同検察官の言葉に従い、その描く事件の筋書に迎合してしまった、(2)逮捕勾留の中で冷静な判断力を失い、取調べ中に正しい事実を再現するための必要な資料を見せられなかった、(3)狭心症により体調が極めて悪かった、(4)兄の伊藤泰治が逮捕されたことに衝撃を受けたなどの事情から、検察官の誤りを正すことができず、検察官の描く筋書を記載した調書に求められるまま署名指印した、というのである。

そこで検討すると、なるほど、被告人伊藤は、原審第八七回、第一〇一回、第一〇九回、第一三五及び第一六四回公判(ただし、第一〇九回及び第一三五回公判については、被告人河村との併合審理はなく、同被告人の関係では、被告人伊藤の裁判官面前調書(原審検第二三七〇号証、第二四四二号証)として取調べがなされている。)などにおいて、所論に沿う供述をしていることが認められる。しかし、他方において、被告人伊藤は、原審第一三五回公判においては、担当検察官らから大声で怒鳴られたり、机を叩かれたりしたことはなかった旨明言しているのみならず、「八木検事のストーリーに私が迎合していったことはある。」と述べる一方で、「捜査段階で、河村被告人とかイトマンに対する怒りがあったために嘘の話をしたことがあるか。」と検察官に質問された際、「嘘の話はしておりません。」と供述していること、被告人伊藤は、最初の逮捕後早い段階から、協力的に取調べに応じ、各犯行状況について、具体的かつ詳細な供述をしており、再逮捕以降も右供述態度を維持し続けていたもので、検察官が、被告人伊藤に対して、脅迫を加えたり、あえて虚偽の事実を告げてイトマンや被告人河村に対する反感をかき立てることによって、被告人伊藤から無理やり供述を引き出すような必要性があった事情は見当たらないこと、被告人伊藤は、検察官調書の作成方法に関して、検察官が質問し応答した内容をワープロでまとめて調書の原稿を作成し、その原稿を見せてもらった上、これに意見を述べたり、訂正を申し立てたりして、検察官とやり取りを重ねた後、検察官が供述調書用紙に印字したものを自分で読んで内容を確認した上、署名指印した旨原審公判で供述しているところ、事件によって取調べ検察官の入れ替わりがあるにもかかわらず、身上経歴調書以外の被告人伊藤の検察官調書の末尾には、すべてこれを閲読させた上誤りのないことを申立て署名指印した旨の記載がなされており、被告人伊藤が、調書の正確さにこだわり、自ら調書を閲読してその内容をよく確認した上で、署名指印したことが窺われること、しかも、被告人伊藤の検察官調書は、各事件に関し具体的かつ極めて詳細な内容となっており、その中には、被告人伊藤に有利な事実や弁解内容も随所に記載され、被告人河村や許ら事件関係者との供述とは一致しない箇所も相当程度認められる上、被告人河村やイトマン側を一方的に非難して悪者に仕立てることによって、被告人伊藤や協和側の立場をことさらに有利にしようとした作為的な供述があるとは認められず、かえって、協和が資金的に行き詰まり、窮地に陥っていたところを被告人河村が肩代わり融資を約束してくれ、大変感謝したという心情等も記載されるなどしているのであって、検察官が、被告人伊藤の供述を無視して自ら作り上げたストーリーを同被告人に押し付けたとは到底考えられない内容となっていることが認められる。また、被告人伊藤の検察官調書には、その供述内容に関わる多数の関係書類の写し等が添付されている上、右供述調書中には、関係書類や証拠物を被告人伊藤に示して、その意味内容や正確性等について、同被告人に供述を求めつつ調書を作成した経過も記載されているのであって、被告人伊藤の記憶を喚起するために検察官が必要と判断した書証や証拠物は、十分に同被告人に提示されていたことが認められ、資料不足のために、被告人伊藤が正確な記憶を喚起することができず、真実を供述することができなかったような事情は窺うことはできない。その他、所論が指摘する被告人伊藤の持病の存在や被告人伊藤の兄が逮捕された事実などの点が、被告人伊藤の検察官調書の任意性や特信性の存在を左右するような事情であったとは認められない。そうすると、被告人伊藤の各検察官調書を被告人河村の関係で、刑訴法三二一条一項二号書面として採用し、事実認定の用に供した原審の証拠判断に誤りはない。

第八  被告人伊藤の絵画案件について

事案の概要と原判決の判断の骨子

関係証拠によると、本件は、(1)イトマンが、許永中が実質的に経営する富国産業及び関西コミュニティ株式会社(以下、「関西コミュニティ」という。)、株式会社関西新聞社(以下、「関西新聞社」という。)より、平成二年二月二二日ころから、同年八月末ころまでの間、前後一二回にわたり、百貨店における店頭表示価格約二四一億二〇〇〇万円相当の絵画等合計一八六点の納入を受け、これに対して、同年二月二三日から同年九月四日までの間に、前後一八回にわたり、イトマンから、前記関西コミュニティ等三社に、現金合計三二五億八〇〇〇万円及びイトマン振出の約束手形二一通(額面合計一三九億七四一〇万円)が交付され、(2)イトマンの子会社である株式会社エムアイギャラリー(以下、「エムアイギャラリー」という。)が、前記関西新聞社より、平成二年七月二六日ころ、百貨店における店頭表示価格約二二億六〇〇〇万円相当の絵画合計二五点の納入を受け、これに対して、同月三一日、エムアイギャラリーから、関西新聞社文化事業部普通預金口座に現金六三億円が振込送金された、という事案であるところ、原判決は、右(1)及び(2)の各絵画取引(以下、両者を併せて、「本件絵画取引」ということがある。)は、いずれも、イトマン理事・企画監理本部長であり、イトマン代表取締役社長である河村の命により、同社が新規事業として行う絵画等美術品の仕入及び販売等の事業を管理統括する地位に就くとともに、平成二年六月二九日から、エムアイギャラリーの代表取締役として、同社が行う絵画事業に関する業務全般をも統括していた被告人伊藤及びイトマン名古屋支店長の地位にあり、かつ、同年六月二九日から、エムアイギャラリー代表取締役として、同会社が行う絵画事業に関し、被告人伊藤を補佐する立場にあった加藤が、いずれもその任務に背き、前記許とも共謀の上、許及び被告人伊藤の利益を図り、その反面、(1)については、イトマンに損害を加えることを認識、認容しながら、関西新聞社等が申し出た価格が著しく不当に高額であることを知りつつ、あえて申出金額のまま買い取り、イトマンに対し、約二二四億三〇〇〇万円相当の財産上の損害を、(2)については、エムアイギャラリーに損害を加えることを認識、認容しながら、関西新聞社が申し出た価格が著しく不当に高額であることを知りつつ、あえて申出金額のまま買い取り、エムアイギャラリーに対し、約四〇億四〇〇〇万円相当の財産上の損害を、それぞれ加えたものであるとして、被告人伊藤に対し、加藤及び許との共謀による特別背任罪の成立を認めたものである。

(理由齟齬ないし理由不備の論旨について)

一  被告人伊藤及び加藤に対する河村の指示等について

所論は、原判決が判示する河村の被告人伊藤に対する「責任をもって」及び「加藤と十分打ち合わせて」云々の発言の意味は、「伊藤と加藤で協議しつつ進めるように」との河村の指示や、加藤に対する「絵画取引は名古屋支店で扱い、仕入代金の支払や管理等をするように」との指示とあいまって、いかなる趣旨であったか明確ではなく、右発言のみによって、被告人伊藤に対し、絵画事業の統括者に指名したとか、決定権、決裁権を与えたとは評価できない上、原判決は、河村の右発言を受けた被告人伊藤の認識にも言及していないから、「委任」と「受任」が成立したとはいえないのに、原判決が、「被告人伊藤は、絵画事業についてイトマンの委任を受け、特に仕入と販売に関しては、これを管理統括する地位にあった」と無造作に結論付けたのは、理由齟齬、理由不備である、という。

しかし、所論が、理由不備ないし理由齟齬があると指摘する点が、刑訴法三七八条四号にいう理由不備、理由齟齬に該当するような性質のものといえないことは、前述したその意義内容に照らして明らかである。

なお付言すると、後述するように、平成二年一月三一日に河村が被告人伊藤に対してなした「絵画の取引は君が責任を持ってやってくれ。」などという発言が、その翌日から企画監理本部長に就任することが予定されていた被告人伊藤をイトマンにおける絵画取引の責任者に指名することを意図するものであって、客観的にもその趣旨であると容易に理解できる言葉であったことは明らかであり、被告人伊藤においても、河村の右発言の意味内容を十分理解した上で、これを引き受けたものであることは、その後の本件絵画取引にあたって、被告人伊藤が枢要な役割を果たしていることや加藤との間でその役割を分担している状況等に照らしても疑問の余地はなく、原判決も、河村から絵画取引の責任者となるよう指示を受けた被告人伊藤の受任を当然の前提として認定、説示していることは明らかであり、なんら問題はない。

二  河村の供述について

所論は、原判決は、「河村も、捜査段階では、一貫して、『絵画事業の責任者は被告人伊藤であり、加藤はその補助者であって、取引の窓口となった名古屋支店で事務方として働く者であった』旨供述している」と指摘するが、原判決が証拠の標目として掲げている河村の「捜査段階」の供述の中に「加藤は、事務方として働く者であった」という供述はないのであり、もっとも、起訴後に作成された河村の検察官調書(原審検第一五五四号証)中には、その旨の記載があるが、これは、原判決がいう「捜査段階」のものとはいえず、仮にその中に含まれると善解しても、右調書が作成されるより以前においては、加藤が「補助者として監督する」「補佐して監督する」などと記載されているだけであって、河村の供述が一貫しているとはいえないから、原判決には理由齟齬がある、という。

しかし、この点も、刑訴法三七八条四号にいう理由齟齬に該当するような性質のものといえないことは、その意義内容に照らして明らかである。

なお付言すると、河村の捜査段階における供述の趣旨が、絵画事業の実質的責任者は被告人伊藤であり、加藤はその補佐役ないし補助者であったことについて一貫しているとみることができることについては、後述する被告人伊藤の地位等に関する事実誤認の主張に対する判断の項で説示するとおりであって、原判決が、補充捜査の段階で作成された検察官調書(原審検第一五五四号証)を含めて河村の捜査段階における供述と表現したことについても不当とすべきところはないから、所論の批判は失当である。

(法令適用の誤りの論旨について)

商法四八六条一項の「使用人」について

所論は、被告人伊藤は、イトマンと雇傭関係にはなく、商法四八六条一項に定める「使用人」とはいえず、仮に、右「使用人」の要件に、雇傭関係を必要としない見解に立ったとしても、本件に関して、被告人伊藤が同条項にいう「営業ニ関スル或種類若ハ特定ノ委任ヲ受ケタ」とは認められないのに、被告人伊藤を同条項の「使用人」であると認定した原判決には、法令適用の誤りがある、という。

しかし、商法四八六条一項の「使用人」の解釈については、瑞浪案件における同旨の主張に対する判断の中で既に示したとおりである上、被告人伊藤が、同条項の「使用人」にあたるとした原判決の判断に誤りがないことは、この点に関する事実誤認の項で説示するとおりであるから、同条項の「使用人」の法令解釈適用について、原判決に誤りはない。

(事実誤認の論旨について)

一  論旨と本件絵画取引の概括的経緯

所論は、要するに、被告人伊藤は、本件絵画取引に関して、イトマンから委任を受け、これを統括する地位にはなかったし、任務違背の事実も、イトマンに損害を加えることの認識はもとより、図利加害目的及び許らとの共謀もなかったのに、これらの事実を認めた原判決は、事実を誤認したものである、というのである。

しかしながら、記録によると、原判決が、本件絵画取引の経緯及び犯行状況として、被告人伊藤に対する絵画案件の(犯行に至る経緯等)、(罪となるべき事実)及び(争点に対する判断)第六項で認定、説示するところは、所論指摘の点を含めて、概ね正当として是認することができ、右判断は、当審における事実取調べの結果によっても大きく動かないものというべきである。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明することとするが、所論を判断するのに必要な範囲で、本件絵画取引の概略を改めて摘示すると、以下のとおりである。

<1> 前記富国産業、関西新聞社等多数の企業をその傘下におさめて実質的に経営していた許は、右グループ企業全体の資金繰りを行っていたが、コスモポリタングループの池田から経営を引き継いだ雅叙園観光の簿外債務処理のための資金需要の拡大などによって、金利の支払に追われるなど資金繰りが逼迫した状態にあった。

<2> 被告人伊藤は、平成元年一月中旬、許及び南野と協議の上、許から、雅叙園観光の経営を引き継ぐこととし、南野が府民信組から貸し付ける資金で雅叙園観光の簿外債務の処理に当たることとなったが、許の側でも、その保有するゴルフ場等の不動産関連プロジェクトを提供して被告人伊藤ないし協和を支援し、必要に応じて、相互に資金を融通し合うこととなり、その結果、許グループと協和との間では、同年三月から平成二年八月までの間に、合計約二〇〇億円ないし三〇〇億円の資金を互いに融通し合うという状況にあった。

<3> 被告人伊藤は、平成元年一一月中旬ころ、河村から、イトマンでロートレックコレクションを仕入れて転売する取引を任され、許が絵画等の美術品を蒐集していたことから、その購入方を持ちかけたのに対し、許もこれに応じ、この取引実務は、河村の指示により、加藤が支店長をしていたイトマン名古屋支店で取り扱うこととなったところ、河村は、右取引によって多額の利益を上げる見込みがついたと判断して、絵画事業がイトマンに有用な事業であると考えるに至り、同月下旬ころ、被告人伊藤及び加藤に対し、今後、不動産関連の融資事業から順次撤退して資金回収をし、これを絵画事業などに投入する意向であることを話し、「絵画事業については、伊藤君と加藤君とでよく打合わせて進めてくれよ。」と指示をした。

<4> 被告人伊藤及び加藤は、平成二年一月から二月にかけて、許との間で、許グループ企業がイトマンから資金提供を受けて絵画を買い付け、それを転売して得た利益を両者で折半することなどを内容とする共同事業計画を検討し、同年一月三一日、河村から了承を得たが、その際、河村は、被告人伊藤が絵画取引関係者をよく知っていると考えていたことから、翌二月一日からイトマン理事・企画監理本部長に就任することになっていた同被告人及び加藤に対し、「絵画の取引は君(被告人伊藤)が責任を持ってやってくれ。」「窓口は加藤君の名古屋支店でやってくれ。」と念を押して指示をした。

<5> 右事業計画は、その後、仕入れた絵画の所有権の帰属をどうするかを巡って、許との間で折り合いがつかず、不成立に終わったことから、被告人伊藤及び加藤は、今後は、許から絵画担保の融資の申し入れがあってもこれには応じず、許が絵画の売買に応じるなら、イトマンがその代金を支払うとの方針で対応することとし、同年二月中旬ころ、許にその旨伝えて同人の承諾を得た。

<6> 右の状況の下で、本項冒頭に認定したとおり、イトマン側において、約六か月間にわたり、二一一点の多数の絵画が、約五三五億円という巨額の買い取り値段(その支払額は約五二八億円)を投じて仕入れられてきたものであるところ、これら取引は、いずれも、その都度、絵画の専門業者でもなく、単なる一個人蒐集家にすぎない許からの要請を、被告人伊藤及び加藤らが受け入れる形で行われたものであり、かつ、その際には、取引対象である絵画について、許が一方的に選別してきた絵画をそのまま購入することを決め、許から絵画代金の請求書を受領するや、その絵画の真贋や価格について専門家の意見を徴することなく(イトマンにおいては、そのような知識経験を有する担当者を置いたり、絵画専門家との提携を図ることもなかった。)、許と価格について減額交渉するでもなく、許の請求金額どおりの代金の支払いを直ちに決定するとともに、その支払いも、イトマン名古屋支店の資金調達が可能な限り、許の要請に応じて極めて短期間内に実行していたものであり、一方、許においては、イトマンに絵画を売却した資金によって、絵画を次々に購入し、それを、また同社等に多額の利益を上乗せして売却していた。

<7> 加藤は、前記のとおり、イトマン名古屋支店長の地位にあるとともに、平成二年六月二九日から、エムアイギャラリー代表取締役に就任したものであるところ、許との間で上記のような絵画取引を行う中で、同年五月以降、許の紹介により、イトマン本体が東邦生命から融資を受けたり、同年七月末エムアイギャラリーが京都ファイナンスから一〇〇億円を融資して貰うなどの利益を受けていた。

二  被告人伊藤の地位、権限等について

所論は、要するに、イトマンと雇傭関係になかった被告人伊藤は、商法上の「使用人」に該当せず、商法四八六条一項が適用される余地がない上、仮に、商法四八六条一項にいう「使用人」の要件として雇傭関係を必要としないという見解に立ったとしても、本件絵画取引に関して、原判決がいうような河村から被告人伊藤に対する「委任」ないし「特命」は認められず、本件絵画取引の責任者は、加藤であったのに、「被告人伊藤は、絵画事業についてイトマンの委任を受け、特に仕入と販売に関しては、これを管理統括する地位にあったと認められ、取締役に就任する前には、商法四八六条一項所定の『使用人』に当たる」と判示した原判決には事実誤認がある、というのである。

しかし、商法四八六条一項にいう「使用人」の解釈については、瑞浪案件における同旨の主張に対する判断の中で既に説示したとおりである上、原判決が挙示する関係証拠によれば、被告人伊藤は、平成二年一月三一日に河村から、「絵画の取引は君が責任を持ってやってくれ。」と指示を受けるなどして、本件絵画事業についてイトマン側から委任を受け、その翌日から就任したイトマンの企画監理本部長として、あるいはその後就任した常務取締役、エムアイギャラリーの代表取締役として、絵画取引の仕入と販売に関して、これを管理統括していた事実は優に認められるから、被告人伊藤が、取締役に就任する以前は、商法四八六条一項所定の「使用人」に該当するとした原判決の認定に誤りはない。以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明する。

1 所論は、原判決が、絵画取引が都市開発事業の一環として企画監理本部で所管し得る業務であったと認定した理由として、(1)企画監理本部新設の際のイトマンの内部配布資料中に絵画販売の記載があること、(2)事後的に同本部都市開発部に業務を引継ぎ、在庫を移管していることを挙げているが、(1)の点については、そのような記載のない内部資料も多数存在するし、(2)の点については、右引継移管の経過等を説明した小西平太郎の原審証言によれば、当初は絵画取引が名古屋支店固有の取引とする体制で取り組まれていたことが認められるから、(1)及び(2)の各事実から絵画取引が企画監理本部の所管であったと推認することはできない、という。

しかし、(1)の点については、なるほど九〇年(平成二年)二月二日付け「企画監理本部の組織(案)」や九〇年(平成二年)三月九日付け「企画監理本部内組織(案)及び業績管理」(いずれも原審検第一三九七号証在中のもの)の中には、絵画取引を企画監理本部事業開発部が担当する旨の記載がみられないものの、新設組織の構成や業務内容等が決定されるまでの検討過程において、複数の案を多様な角度から検討するのは当然のことであって、所論指摘のものはいずれもその表題にあるとおり企画監理本部の組織の構成等に重点が置かれた文書で、かつ文字通りの(案)にすぎないものであるのに対し、原判決が指摘する企画監理本部新設の際の内部配布資料、例えば平成元年一二月二九日配布の「企画監理本部新設の件」(原審検第一三九〇号証中のもの)、平成二年一月二五日、二六日開催の説明会配布の「企画監理本部新設の件」(原審検第一三九七号証中のもの)には、このような(案)という記載はないことに加え、これらの文書には企画監理本部の事業として、いずれも絵画販売が明記されていること、また、副社長の藤垣は、平成元年一二月二一日の経営会議において、企画監理本部の新設が決定された際、その事業中に絵画ビジネスが入っていたことや、平成二年一月二六日の経営会議で、企画監理本部が絵画等も扱うことが決定されたことを原審第一〇回公判で明確に証言していること、また、(2)の点については、イトマン名古屋支店開発本部名古屋物資事業部部長(平成二年四月一日からは企画開発本部名古屋第二本部部長)の小西は、同年一月二六日、河村から、企画監理本部新設についての説明を聞き、当日の配布資料を見て、絵画事業は、企画監理本部が手掛ける事業の一つとしてやっていくと理解したことや、加藤と被告人伊藤の話合いによって、イトマン名古屋支店から企画監理本部都市開発課に絵画取引関係を移管することになり、同年九月一一日付けで「絵画取引移管の件」が作成されたが、この書類で移管できるということは、もっと以前から企画監理本部で勘定付けしようと思えばできたものである旨大阪地裁第一二刑事部第六七回公判において証言していること、さらに右書類には移管の理由として「当本部(企画開発名古屋第二本部を指す)が代行した仕入窓口業務は概ね完了したので、9月17日をもって貴本部(企画監理本部を指す)に在庫を移管し、絵画関係取引の引継を御願いする」と記載されていることなどにかんがみると、原判決が指摘する(1)及び(2)の各事実から、絵画取引は、企画監理本部が所管し得る事項であったと認定した原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

2 所論は、原判決が判示する河村の被告人伊藤に対する「責任をもって」及び「加藤と十分打ち合わせて」云々という発言の意味は、「伊藤と加藤で協議しつつ進めるように」という河村の指示や、加藤に対する「絵画取引は名古屋支店で扱い、仕入代金の支払や管理等をするように」という河村の指示とあいまって、いかなる趣旨のものであったか明確ではなく、右発言のみによって、被告人伊藤を当該事業の統括者に指名したとか、被告人伊藤に決定権、決裁権を与えたとは認定できない、という。

しかし、被告人伊藤の検察官調書(原審検第一二七七号証)、河村の検察官調書(原審検第六一五号証、第一二二一号証)等によれば、平成元年一一月中旬ころ、河村が、イトマンで絵画取引を始めると言い出した際、被告人伊藤と加藤に「絵画事業については、伊藤君と加藤君でよく打ち合わせて進めてくれよ。」などと指示したこと、平成二年一月三一日、被告人伊藤と加藤が、許とイトマンとの間の絵画共同事業計画について、河村に報告してその了承を得た際、河村が、被告人伊藤に対し、「絵画の取引は君が責任を持ってやってくれ。」「窓口は加藤君の名古屋支店でやってくれ。」などと指示し、加藤に対しても、名古屋支店が絵画取引の窓口となって、仕入れ代金の支払や管理をするよう命じたこと、さらに、河村は、平成元年一一月ころ及び平成二年一月末ころ、被告人伊藤及び加藤に対し、イトマンで仕入れる絵画については、「西武などの一流百貨店か一流画廊を通して鑑定評価証明を必ず取るように。仕入れた絵画は一流倉庫で保管して保険をかけるように。」などと指示したことが認められるところ、河村が、被告人伊藤に「絵画の取引は君が責任を持ってやってくれ。」などと指示したのは、当時、イトマンにおいては絵画に関する知識を有する者が誰もおらず、被告人伊藤が絵画取引関係者をよく知っていると判断したことによるものであって、右指示がなされるまでにイトマンが売主となったロートレックコレクションの取引に被告人伊藤が関与した経緯やイトマンの絵画事業に関して被告人伊藤及び加藤が検討していた状況及びこれが河村に報告された状況、当時既に企画監理本部において、絵画取引を所管することができるものと決定されており、被告人伊藤が同年二月一日からその本部長に就任することが決まっていた事実などとあいまって、被告人伊藤をイトマンにおける絵画事業の責任者として指名したと認めるに足る明確なものであったことが認められるから、この点に関する原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

3 所論は、(1)被告人伊藤は、許側との絵画取引につき必ず加藤と協議をしており、加藤のみの判断で絵画取引が決定、実行されたこともあった事実は、加藤が取引を自己決定できる立場にあり、現にその場で決定権を行使していたことを示している、(2)被告人伊藤が絵画取引の責任者であったと認定した根拠として原判決が取り上げる小野信一の大阪地裁第一二刑事部における証言は、漠然とした感想、印象の類であり、被告人伊藤に反感を持っている者の証言であって、これに反する大野斌代や髙柿の各原審証言に照らして信用できない、(3)「加藤はその補助者であって、取引の窓口となった名古屋支店で事務方として働く者であった」という河村の検察官調書(原審検第一五五四号証)中の供述は、原判決がいうような捜査段階の供述とはいえず、それ以前の河村の検察官調書中における加藤が「補助者として監督する」「補佐して監督する」という記載を含めて考察しても、その内容が不自然不合理で一貫性がなく信用できないから、これらを根拠として、本件絵画取引に関する被告人伊藤の地位、権限等を認定した原判決には誤りがある、という。

そこで検討すると、(1)の点については、前記のように被告人伊藤は、河村から、加藤と協議して絵画取引を進め、名古屋支店をその窓口とするよう指示を受けていたのであり、かつ、加藤がその資金調達を担当することとされていたのであるから、本件絵画取引に際して、被告人伊藤と加藤が協議を繰り返していた事実は、絵画取引に関して、必ずしも加藤が、絵画取引の決定権を有していたという根拠とはならないというべきである。また、平成二年四月二日付け請求書にかかる絵画取引(原判決別紙一覧表(二)番号3)については、当時、許が被告人伊藤と連絡をとることができなかったことから、加藤に対して直接その申込みがなされ、イトマンに絵画が搬入されているものの、その翌日、被告人伊藤は、加藤と協議して右代金の支払い手続を進めているのであるから、そもそも加藤が被告人伊藤の意向とは無関係に単独で取引を決定した事例とは認めることができないし、同年八月三一日付け請求書にかかる絵画取引(同(二)番号12)については、その取引申込みから代金支払い等に至る経過は、原判決が詳細に認定するとおりであって、許から絵画取引の申込みを受けていたのに、回答を留保したまま出国していた被告人伊藤が、同年九月三日に帰国した後、加藤から約一五〇億円の絵画が許側から入ったがまだ代金を支払っていない旨の報告を聞いて、秘書の櫛田章博に指示して右絵画の受領証を発行させるなど、取引を中止させるどころか、むしろ積極的にこれを進める行動を取っていた事実が認められるから、これについては実質的に被告人伊藤による追認があったものと認められる。また、(2)の点については、小野は、イトマンにおける絵画の取扱いや取引状況について、加藤、河村、被告人伊藤らが発言するのを直接見聞するなどして知った事実をもとに、被告人伊藤が、本件絵画取引の責任者であると判断していた旨を証言しているのであって、その内容は、自己の実体験を伴った具体的なものであって、単なる感想や印象の類とは到底いえないものである上、小野は、事件当時はイトマンの秘書室長として同社側の人間であったとはいえ、虚偽の証言をしてまで被告人伊藤をあえて罪に陥れるような動機があったとは認められず、所論が指摘する大野や髙柿の各原審証言にも、小野の右証言の信用性を揺るがすようなものがあるとは認められず、かえって髙柿は、大阪地裁第一二刑事部第六八回公判においては、被告人伊藤が絵画の仕入販売の担当責任者であったと認識していたと証言していることなどに照らすと、小野の右証言は十分信用することができるといえる。さらに、(3)の点については、河村はその各検察官調書中において、「イトマンで絵画取引事業をした件については、企画監理本部長の伊藤寿永光を担当責任者としていた。」「企画監理副本部長を兼務していた加藤吉邦をその補佐役としていた。」「平成二年二月一日に伊藤が企画監理本部長になってからの絵画取引については伊藤が責任者であったことは間違いない。」「伊藤は絵画の仕入れについては責任者でしたし、また加藤はそれを補佐して監督する立場でした。」(原審検第一二二一号証)、「伊藤がイトマンの企画監理本部長になってイトマンの絵画事業の責任者となった平成二年二月ころには・・・」(原審検第六一五号証)、「絵画事業の責任者は伊藤寿永光だったので・・・」(原審検第六一六号証)、「イトマンでの絵画取引の責任者ですが、組織的には専務の加藤君が責任者となり、伊藤君はその下で働くような形をとっておりましたが、実際の仕事は伊藤君が責任者としてやり、加藤君は取引の窓口となった名古屋支店で事務方として働くものでした。」(原審検一五五四号証)などと供述しているのであって、その趣旨は、絵画事業の実質的責任者は被告人伊藤であり、加藤はその補佐役ないし補助者であったことについて一貫しているとみることができる上、所論が指摘する「加藤が補佐して監督する」などという表現は、形式面における被告人伊藤(企画監理本部長)と加藤(常務取締役)の組織上の地位、肩書の格差と、絵画取引において、河村が右両名に対し指示した実質的な責任分担の役割の間の相違を自らの言葉で表現したものとみて何ら不自然不合理といえるようなものではない(なお、最後の検察官調書は、本件公判請求後に作成されたものではあるが、補充捜査の過程で作成されているから、原判決がこれを含めて「捜査段階の供述」と表現したことが特に不当とまではいえない。)。

4 所論は、(1)平成二年一月中旬ころ、加藤が絵画取引の基本方針を被告人伊藤に表明した席で、値段の打合せ等は「加藤が決裁する」旨を加藤自身が明確に表明していたこと、(2)一連の絵画取引の中で、被告人伊藤は、自己の判断で返答したことは一度もなく、必ず加藤に取り次いで、加藤の判断を仰いでから返事をしていたのに対し、被告人伊藤が一切関与せず、加藤固有の立場で、加藤のみの判断によって、取引が決定、実行されているものがあること、(3)平成二年八月三一日付け請求分の絵画取引は、被告人伊藤が明確に反対の意向を示していたのに、加藤において、従前の取次ぎ体制を変更し、直接イトマン名古屋支店で請求書を受領し、その判断のみで決定、実行したこと、(4)起訴された絵画取引に関する申請書、稟議書等に被告人伊藤ないし企画監理本部が決裁したものは何一つ存在しないこと、(5)絵画事業の方針変更等に関する稟議決裁等が、被告人伊藤及び企画監理本部を関与させないまま行われていること、(6)絵画取引から生じる利益は、イトマン名古屋支店で独占する方針であったこと、(7)加藤自身、部下である副支店長の大野に対し、絵画取引は自分が仕切って行う旨を述べていたこと、(8)本件絵画取引を巡って、被告人伊藤と許が対立した際、加藤は、被告人伊藤を制し、自分が責任者であると口にし、被告人伊藤を封じたこと、(9)絵画事業の進め方に関する河村の指示ないし命令は、「伊藤君、君が仕入れて、加藤君、君がよく見て行けよ。」というような言い回しでなされたもので、指示の仕方自体、趣旨不明確な表現でなされていることなどの各事実にかんがみれば、河村が、被告人伊藤ないし加藤に指示命令した事実が、原判示のとおりであったと仮定しても、右指示命令の趣旨は、被告人伊藤を絵画取引の統括者、決定権者とした趣旨ではなく、統括者、決定権者が加藤であることを当然の前提としたものであり、現に、加藤が統括者、決定権者として采配を振るっていたことは明白というべきであって、被告人伊藤において、「絵画事業についてイトマンの委任を受け、特に仕入と販売に関してはこれを統括する地位」にあったと見る余地など皆無であり、かつ、絵画取引が企画監理本部の所管とされていたとみる余地も皆無というべきであるから、原判決の事実誤認は明らかである、という。

そこで検討すると、(1)の点については、なるほど、平成二年一月中旬ころ、加藤が、被告人伊藤に対して、イトマンにおいて絵画取引事業を開始するにあたっての構想を述べた内容を、被告人伊藤が自分のノート(いわゆる「ラッキーグロリアノート」)に書き留めたことがあり、その中には、「値段の打合せは常務(加藤)が決裁する」旨記載されている事実が認められるものの、右は、被告人伊藤のイトマンへの入社が未だ正式に決まっていない段階における絵画取引の構想であったとみられることから、その時点においては、被告人伊藤がイトマンの取引の責任者となることができないのはむしろ当然と考えられる(なお、右ノートの同頁には「協和グループに紹介料を利益の3%~5%支払う」と記載されており、これによって加藤構想における協和グループないし被告人伊藤の位置付けが推測される。)上、前述のように、その後の同月三一日には、絵画取引に関して、河村から、その翌日企画監理本部長としてイトマンに入社することが決まっていた被告人伊藤に対し、「絵画の取引は君が責任を持ってやってくれ。」「窓口は加藤君の名古屋支店でやってくれ。」などと、被告人伊藤が中心になって絵画取引事業を推進するよう直接的指示が出されていることなどに照らすと、右指示に先立つ加藤の前記構想の存在が、本件絵画取引の統括者、決定権者が加藤であったことを何ら推認させるようなものであるとはいえない。(2)及び(3)の点については、既に説示したとおり、前記二回の絵画取引についても、加藤は、自分のみの判断で絵画取引を決定、実行したものではなく、被告人伊藤と協議するなどして、その了解ないし追認を得て代金の支払いを含めた取引を実行したことが認められるから、加藤固有の判断で右取引が実行されたとする所論は前提を誤っている。(4)ないし(7)の点については、本件絵画取引の法的性格は、後述するとおり、売買であったため、イトマンにおいては、融資取引等の場合とは異なり、稟議決裁を経ることは不要(ただし、見越し契約をするについては必要)とされていたことから、本件絵画取引については稟議書は作成されず、許側との間で請求書のやり取りをした上、出金伝票の決裁によって一連の取引が進められていたものであること、本件絵画取引は、河村の加藤に対する指示によって名古屋支店がその窓口となることとされ、これと同時に企画監理本部長であった被告人伊藤が、河村から絵画取引について責任を持ってするよう直接指名されていることから、実際の取引責任者(伊藤)とこれを取り扱う窓口(名古屋支店あるいは加藤)、ひいては絵画取引関係書類上の申請者、決裁者等に齟齬が出ることは、当初から予定されていたとみられること、名古屋支店が取引窓口となる以上、同支店に利益が落ちることや、被告人伊藤に対する協力を河村から要請されていた加藤が名古屋支店長として一定の責任を持って絵画取引に取り組むことは当然のことと考えられるから、絵画案件に関する稟議書類(絵画事業の方針変更等を含む)に企画監理本部ないし被告人伊藤が決裁したものが存在しないことや、名古屋支店が利益を独占することとされていた点、あるいは加藤の大野に対する所論指摘の発言内容が、必ずしも被告人伊藤や加藤の地位に関する所論を裏付けるようなものであるとみることはできない。(8)の点については、なるほど、平成二年六月ころ及び同年八月二三日の二回にわたって、絵画取引の値段を巡って、被告人伊藤と許との間で意見が対立したこと、二回目の際には、加藤が右対立をとりなして、今後も許との間で取引を進める趣旨の発言をした事実は一応認められるものの、加藤が許に対して、取引を継続する意向を示したのは、当時、許の斡旋でエムアイギャラリーが東邦生命から同月末に融資を受けることになっていたこと、イトマンが仕入れた絵画の販売について許の協力を期待していたこと及び許に対し野尻湖のプロジェクトでイトマンの企画料計上(同年九月末の中間決算対策用)に協力を求めるなどの特別の事情ないし意図があったためとみられ、被告人伊藤も加藤の右意図を察知して、加藤の意向を尊重しこれにあえて反対しようとしなかったためであったと認められる(被告人伊藤の検察官調書・原審検第一二八二号証参照)から、加藤の右とりなしが、絵画取引の統括責任者であったが故になされたものとみることはできない。(9)の点については、河村の被告人伊藤に対する前記発言が、被告人伊藤をイトマンの絵画取引責任者として指名したものと優に認められることについては既に説示したとおりであって、これと異なる前提に立つ所論は採用できない。

以上のとおりであって、その他、所論がるる主張するところを含めて検討しても、被告人伊藤の本件絵画取引における地位、権限に関する原判決の認定、判断に誤りがあるとは認められない。

三  本件絵画取引の法的性格について

所論は、被告人伊藤は、本件絵画取引について、その法的契約形態について判定できる立場にはなく、本件絵画取引は、被告人伊藤が供述するとおり清算義務を伴った商社融資取引の一形態であって、イトマンと許の共同事業構想の眼目を維持しつつ取り組まれていたものであるのに、本件絵画取引は絵画を担保とした融資であり売買ではないという許の弁解を排斥するにあたって、原判決が、絵画取引に関する被告人伊藤の供述は、尋問者に応じて合理的理由のない変遷を繰り返しているなどと不当に論難しているから、この点誤りがあるという。

しかし、関係証拠によって明らかに認められる本件絵画取引に関する被告人伊藤及び加藤と許間の合意の内容、本件絵画取引の態様及びその清算態様、イトマン側及び許グループにおける右取引の経理取扱い状況、イトマン側における本件絵画の倉庫への寄託契約及び保険契約の締結状況並びに子会社への絵画転売実行状況等、原判決が詳細に認定、説示する諸状況に照らすと、本件絵画取引が、絵画を担保とした融資取引ではなく売買であったと認められることについては、疑問の余地がない上、本件絵画取引の法的性格については、被告人伊藤が原審、第一〇一回、第一一八回、第一一九回、第一二六回、第一六四回各公判あるいは大阪地裁第一二刑事部における証人尋問調書謄本(原審検第二三四〇号証ないし第二三四四号証)中等において、繰り返し説明しているところであるが、被告人伊藤が法的な専門知識、経験を有していない者であるという点を考慮しても、その供述が前後一貫せず、変遷していることは明らかであり、絵画取引の法的性格に関する許の弁解を排斥するにあたって、被告人伊藤の供述が、尋問者に応じて合理的理由のない変遷が認められると原判決が指摘したことについて、何ら不当とすべきものがあるとは認められないから、所論の批判は当らない。

四  被告人伊藤の任務違背について

所論は、被告人伊藤は、本件絵画事業を統括する地位に就いたことも、本件絵画取引につき任務違背をした事実もなく、右取引は、名実ともにイトマン名古屋支店の所管であり、本件絵画取引を統括し、その決定権、決裁権を有していたのは加藤であったから、被告人伊藤は、企画監理本部長に就任すると同時に河村の命により、絵画事業を管理統括する地位に就き、加藤が、被告人伊藤を補佐する地位にあったと認定し、このような認定を前提にして、被告人伊藤の任務違背を認めた原判決には事実誤認がある、というのである。

しかし、平成二年一月三一日の河村の指示などによって、その翌日から企画監理本部長に就任した被告人伊藤が、イトマンにおける絵画事業を管理統括する地位に就いたこと、同事業につき加藤が被告人伊藤を補佐する立場にあったと認められることについては、被告人伊藤の地位、権限等に関する判断の項で詳述したとおりであって、所論は、これと異なる前提に立って、本件絵画取引について、被告人伊藤の任務違背を認めた原判決の認定、判断を不当に論難しているにすぎないから、これを採用することはできない。

五  被告人伊藤及び加藤のイトマン側に損害を加えることの認識について

所論は、被告人伊藤と加藤は、一連の本件絵画取引の価格が著しく不当に高額であるとは認識しておらず、本件絵画取引によって、イトマン側に損害を与えるという認識がなかったのに、被告人伊藤及び加藤につき、「イトマン側に損害を加えることを認識、認容」していたとか、「許永中側が申し出た価格が著しく不当に高額であることを認識」していた旨認定した原判決には事実誤認がある、という。

しかしながら、前記<6>で認定したとおり、本件絵画取引において、イトマン側では、絵画の専門業者や小売業者ではなく一個人蒐集家にすぎない許(名義上の売主は、許の関係企業)から絵画を仕入れていること、収益を上げる目的で絵画事業をするには、その性質上、絵画等の美術品に関する専門家や取引経験者の関与が不可欠であるのに、イトマンは、本件絵画取引において、右知識経験を有する担当者を置かず、絵画の専門家との提携を図ることもなく、かつ仕入れる絵画の種類、転売先、事業の採算性等の検討も全くしないまま、約半年間に二一一点もの絵画等を約五三五億円(うち支払額は約五二八億円)という巨費を投じて仕入れていること、被告人伊藤らは、許から絵画取引の申込みを受けた際、事前に当該絵画を確認するなどしてその真贋や来歴、適正価格、保存状態等の調査や検討をせず、かつ許との間で値引き交渉も全くせずに、その請求どおりの代金を支払う決定をした上、その手続を進めていたこと、被告人伊藤らは、イトマン名古屋支店の資金調達が可能な限り、許の要請を受けるや、極短時間のうちにその支払いに努め、許に資金的便宜を図っていたことなどの事実が認められ、これら事実に徴すると、いかに絵画ビジネスがイトマン側にとっては、未経験の新規分野への参入事業であったとはいえ、一部上場企業である商社が、利益を上げることを目的として、巨額を投じ、反復継続してこのような大規模の取引を行ったにしては、あまりにずさんかつ異常な取引方法であったといわざるをえないこと、加えて、関係証拠によると、被告人伊藤らは、許が本件売買の利益に課税されることを恐れていたことから、同人が仕入価格に相当多額の利益を上乗せした金額の請求をしてきていることを知悉していたこと、特に、被告人伊藤においては、平成元年五月ころ、許からその保有する絵画リストを入手したことがあり、その備考欄や欄外の一部には個々の作品の評価額が書き込まれていたことから、「花明り」「花の雲」など同リストに一部掲載されていた本件取引にかかる絵画について、許がイトマンに法外な価格で売りつけようと認識し得た蓋然性が高いこと、被告人伊藤は、平成二年四月一三日付け請求書に関わる絵画取引以降、許から売買の申出があった絵画につき、価格の照会をした西武ピサの齋藤から回答を得て、その結果を加藤にも知らせており、右回答が本件購入価格や許側提出の鑑定評価書の評価額を大幅に下回る金額であったことを知悉していた上、齋藤からも、そのような高額での取引をしないよう繰り返し諌められていたのに、「あんな高い買物はしない。」などと弁解しながら、齋藤に対し、本件絵画の仕入先を秘匿しつつ、その後も許との絵画取引を漫然と続けていたこと、さらに、平成二年七月ころ、許から購入したビュッフェの絵画につき、妻から市場価格よりも相当高額であると聞かされたことから、許が大幅な利益を上乗せしてイトマンに絵画を売りつけていると再認識する機会があったことなどが認められ、これらの関係事実に照らすと、被告人伊藤及び加藤において、許側の請求額が著しく高額であって、その申出価格で本件絵画取引に応じることがイトマン側に損害を加えることになることを認識しながら本件絵画取引を続けていた事実は優に認めることができるのであり、一方、許においても、<6>でみたとおり、イトマン側に絵画を売却した資金によって、次々に絵画を購入し、それをまたイトマン側などに多額の利益を上乗せして売却するなどしていたものであって、それらの差額分について、イトマン側に損害を与えることを認識していたことも明らかである。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明する。

所論は、(1)許側からイトマン側に届けられた西武百貨店作成名義の鑑定評価書は、福本玉樹らによって偽造されたものであったのに、被告人伊藤及び加藤は、それが偽造であるとは認識しておらず、これが事後的に届けられたものであるとしても、本件においては、その評価額の六ないし七割程度の取引価格になっていることが確認されつつ継続的取引が重ねられたから、右鑑定評価書の評価額を信用するに足るものと認識していた、(2)被告人伊藤らが、偽造などとは知らず、西武百貨店が正規に発行したものと信じていた鑑定評価書につき、その入手目的を「イトマン内部における監査法人対策用」であったとした原判決の認定は、それ自体経験則に違反している、(3)被告人伊藤が平成元年五月ころ入手した「絵画リスト」には極めて多数の絵画が羅列されており、その一部の絵画の価格記載をもって、被告人伊藤が「イトマンの損害を認識していた」と根拠付けることはできず、右認識の可能性も著しく低かったから、この点の原判決の指摘は適切ではない、(4)被告人伊藤において、「許が、自己の資金需要に応じて、仕入価格に相当多額の利益を上乗せした金額を請求してきている」「税金対策に気を回さなければならないほどだった」などの事情を認識していたことと、「イトマンと許の絵画取引は、現在の相場においては適正な範囲内の価格で行われている」と認識していたことは、絵画の値段が高騰していた本件当時にあっては、完全に両立する事実であるから、前者の認識やその可能性をもって、被告人伊藤らにおいて、本件取引額が「著しく不当に高額である」とか「当該絵画の販売可能価格、いわば当該絵画の商品としての価値の上限」を超えた額であるとの認識を抱いていたことを根拠付けることはできない、(5)被告人伊藤から本件絵画価格の問合せをされた際、西武ピサの齋藤がとった不誠実な態度や、許とイトマンとの絵画取引に対する齋藤の嫉妬や右取引への割込みの意図が考えられた状況に照らすと、被告人伊藤や加藤において、齋藤の右価格回答を西武百貨店作成名義の鑑定評価書の評価額よりも信頼できるような状況にはなかった、という。

そこで順次検討すると、(1)の点については、なるほど本件絵画取引の際、被告人伊藤及び加藤において、西武百貨店作成名義の鑑定評価書が、福本らによって偽造されたものであるとまで認識していたと認めることができないことは、所論が指摘するとおりである。しかし、被告人伊藤らが、右鑑定評価書を偽造であると認識していたか否か、すなわちそれが真正に作成されたものであるか否かという作成権限に関する認識の問題と右鑑定評価書が表記する評価額を全面的に信じて、これを本件絵画の売買価格の妥当性の判断資料として有効に活用したか否かという問題は、自ずから別の問題であることは明らかである。そして、イトマン側の損害発生について、本件絵画の売買価格の適正さに関する被告人伊藤らの認識が問題とされる本件においては、後者の点こそが重要であるというべきである。この観点からみると、本件鑑定評価書は、いずれも絵画売買取引終了後にイトマン側に提出されたものである上、中には取引後に初めて作成されたものもあること、本件鑑定評価書は、被告人伊藤及び加藤が、許との間で絵画の売買取引を決定する際の代金額の妥当性を判断するための資料としては一切使用されていないことは原判決が適切に指摘するとおりであると認められる。しかも、被告人伊藤らは、本件鑑定評価書は、売主側である許が作成させたものであるから、その高い評価額を鵜呑みにはできないものと判断して、先に住友銀行の磯田会長から紹介されており、信頼できる人物と考えていた西武ピサの齋藤剛に対し、改めて別個に絵画の評価を依頼していること、後述のように被告人伊藤には、許の請求額のままで絵画取引に応じることによって、当時資金繰りが逼迫していた協和に許からその代金の一部を回してもらい、協和の資金需要を満たすという意図があったとみられることなどに照らすと、本件鑑定評価書の評価額を被告人伊藤らが本件絵画の客観的価値を示す間違いのないものと信じて、これを根拠に本件絵画取引に応じる決定をし、その後もこれを継続していたとは認められないから、所論は前提を誤っている。

(2)の点については、本件鑑定評価書が、本件絵画取引後にイトマン側に提出されており、本件絵画取引の諾否を判断するための資料としては使用されていなかった事実や、当初は、福本個人の作成名義でその個人印が押捺されたものから株式会社西武百貨店の作成名義でかつ「株式会社西武百貨店関西」の印が押捺されたものに変更させられ、かつ装丁についても貧弱なものから豪華に見えるものにするよう被告人伊藤から繰り返し指示が出されるなどしたその作成経緯、前述のように被告人伊藤らにおいてその表記する評価額には必ずしも信頼を置いていなかったとみられる状況があること、さらに、被告人伊藤も、当初はその表装が貧弱でもっともらしく見えないことから、イトマンの会計監査の際不審がられると思い、加藤と相談の上、これを豪華なものにするよう櫛田を通じて許側に要請したことを検察官調書(原審検第一二八〇号証)中で自認しており、櫛田の検察官調書(原審検第二三八六号証)中の供述も、これを一部裏付けていること、小西は、大阪地裁第一二刑事部第七〇回公判において、西武ピサの齋藤から、「福本はただの外商の人で客から頼まれれば鑑定書位書く。」と言われたので、これを加藤に伝えたところ、「形だけの鑑定評価書で伊藤が売ると言っているから気にしなくていい。」と加藤に言われた旨証言していることなどに照らすと、本件鑑定評価書がイトマン内部における監査法人対策用にいわば形だけ必要だったものであると認定した原判決の判断に所論のような経験則違背があるとは認められない。

(3)の点については、所論の絵画リスト(原審検第二二八八号証)は、東京国税局が協和本社から押収していた雅叙園観光の関係資料の中から発見されたものであるが、許が絵画を担保にアイチから借入れをしていた債務を協和で肩代りしたことから、許所有の絵画六点を担保として協和で寄託を受け取ることになった際、許側からその所蔵絵画の一覧表がファックスされたものとみられる(原審検第二三四四号証参照)ところ、被告人伊藤は、右のような経過や、アイチの森下から聞いていた内容から、許が絵画等美術品の大蒐集家であることをよく知っており、本件絵画取引を開始する契機となった「花びら」「花吹雪」については、当初はこれを担保とした融資取引であったことなどから、本件絵画取引の対象となった絵画の中には許の所蔵品が含まれていることを容易に知り得たものとみられ、右絵画リストの備考欄の個々の絵画の評価額あるいはその欄外に書込まれていた数宇(欄内の評価額より更に大幅に下回るもの)と、許側が本件絵画取引において請求した金額の格差から、許が相当の高額でイトマンに本件絵画を売り付けようとしているものと認識できた蓋然性が高かったことが認められる。そうすると、被告人伊藤の右認識の蓋然性を指摘した限度においては、原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

(4)の点については、被告人伊藤は、許が自己の資金需要に応じて必要資金を絵画代金として請求してきていることや、これに伴い許が課税を恐れる言動をしていることを知りながら本件絵画取引に応じており、許が単に当時のいわゆるバブル経済の影響で高騰していた絵画の相場を基準として、本件絵画の代金を請求しているものでないことについてはよく認識していたとみられ、原判決の説示も同趣旨であると解せられるから、この点に関する原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

(5)の点については、前述のように被告人伊藤及び加藤は、本件鑑定評価書の評価額を鵜呑みにすることはできないと判断し、信頼できる人物と考えた齋藤にその評価を依頼するようになったものであること、被告人伊藤らは、本件鑑定評価書の作成担当者の福本が、齋藤の部下をしていた人物であることを齋藤から聞いて知っており、被告人伊藤は、当初、本件絵画の評価依頼を齋藤が引き受けるのを渋るのは、その勤務先が福本と同系列の会社であったことから、仲間の仕事にけちを付けることになりかねないからであると推測していたこと、齋藤が、被告人伊藤に対し、許の申込価格よりも安価に入手できると告げた横山大観作の「三保之不二」が、結局齋藤からは入手することができなかったことや、イトマンが許側から購入した絵画の現物を見る目的で齋藤が大阪まで来ながら、これをキャンセルして帰京したという事実があったことは認められるものの、被告人伊藤は、その後も齋藤に対して価格照会を依頼し続けていた上、齋藤の評価や助言を根拠に、許に対し金経板を返品したり、請求額が高いのではないかと苦言を呈したりしていることから、齋藤の評価回答を必ずしも軽視していたとは認められないことなどに照らすと、齋藤の評価額が、絵画の現物を見ないまま、イトマン側から送付された限定的な資料に基づき出されているという限界があったことを考慮しても、被告人伊藤及び加藤が、齋藤の評価を全く考慮に入れないまま、本件鑑定評価書の評価額を信じ切っていたなどとは到底考えられない。

さらに、所論は、(1)齋藤への本件絵画の価格照会及びその回答は、被告人伊藤や加藤によって、イトマン内部において一切秘匿されていなかったこと、(2)加藤は、本件絵画取引当時、部下の小西や副支店長の大野に対し、右取引による転売利益を期待する言動をしており、これは当事者にとっても争いのない事実であったことなどに照らすと、被告人伊藤らにおいて、本件絵画取引の価格が「著しく不当に高額である」とか「当該絵画の販売可能価格、いわば当該絵画の商品としての価値の上限」を超えた額であるという認識など全くなく、適正価格で正常な取引を行っているという認識であったことが明らかである、という。

(1)の点については、なるほど、被告人伊藤が櫛田を通じて齋藤へ本件絵画の価格照会をした結果の回答は、齋藤から被告人伊藤宛のファックスでイトマンの大阪本社または東京本社の秘書室に送られており、櫛田を含む秘書らが受け取って、被告人伊藤に手渡されたり、櫛田から加藤宛に名古屋支店ヘファックスで転送されるなどして、加藤に渡っていたもので、櫛田以外の秘書らの目にも触れる機会があったことが認められる。しかし、大阪本社あるいは東京本社において、絵画取引を担当していたのは、被告人伊藤とその指示を受けて動いていた櫛田だけであって、名古屋支店は、その支払い等の窓口とされていたにすぎず、被告人伊藤と絵画取引の協議を重ねていた加藤以外の者は、本件絵画取引の具体的経過や状況を十分知りうるような立場にはなく、絵画取引に関する経験や専門知識を有する者がイトマン内部にはいなかったのであるから、仮に、他の秘書その他の社員が、齋藤からファックスを受け取って、被告人伊藤や加藤に届ける際、これに記載された価格をたまたま目に留めたとしても、本件絵画取引の価格が不当なものであることに容易に気付くような状況にはなかったものと認められるから、イトマンにおける齋藤からのファックスの取扱い状況等が、所論を裏付けるようなものであるとはいえない。

(2)の点については、加藤が、小西や大野に対し、名古屋支店で仕入れた絵画を転売することによって、同支店にその利益を落としたいなどと発言していた事実は認められるものの、許が、雅叙園観光の経営を引継いでいた被告人伊藤に対して、相武カントリー案件などのプロジェクトを提供し、イトマンがこれに融資を行って企画料等を取得して決算対策用の利益出しを行っていたことから、加藤は、本件絵画取引に応じて許に資金的な便宜を図ることによって、今後も許の協力を得て、イトマンにおける決算対策用の見せかけの利益計上を期待できることや許の紹介先から同支店やエムアイギャラリーへ多額の融資を受けたいという独自の思惑を有していたこと、加藤が前記のような極めて異常な方法による絵画取引を、それと知りながら継続して実行していた事実に照らすと、加藤が、本件絵画取引の時点においては、目先の事情をイトマンの利益に優先させたものというべきであり、加藤には、イトマンに対する損害を発生させる認識があったことを強く推認することができる。他方、加藤においては、前記発言当時、将来絵画の転売によって利益が上げられるという具体的なめどは有していなかったのであって、加藤が、単なる決算対策上の利益出しのためではなくて、本件絵画の実質的な転売利益を同支店に落とせるものと確信した上で発言したものとは認めることができないから、右発言がなされた事実が、右推認を覆すに足るようなものであるとは認められない。

六  被告人伊藤らの図利加害目的及び共謀について

所論は、要するに、被告人伊藤及び加藤は、本件絵画取引の価格が「著しく不当に高額」であるとか、「当該絵画の販売可能価格、当該絵画の商品としての価値の上限」を超えた価格であるなどという認識はなく、将来他に転売してイトマン側が利益を得られるという見通しの下で取引を進めていたから、本件絵画取引につき、被告人伊藤には、図利加害目的及び加藤や許との共謀はないのに、これらの存在を肯認した原判決には事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、前記<1>、<2>に認定した事実からすると、原判決も説示しているように、被告人伊藤は、許の資金が潤沢になれば、被告人伊藤自身の巨額の資金需要を満たすことが可能となり、逆に許の資金が逼迫すれば、被告人伊藤自身の資金繰りにも大きな影響を及ぼすという、いわば運命共同体的な関係にあったと認められ、このことと、<6>で認定したような本件絵画取引の状況、とりわけ、絵画購入に際しては、真贋や価格について、専門家の意見を徴することなく、許の言い値どおりの代金の支払いを決定するといった異常な形態、方法でこれらを行ってきたこと、<7>にみたように、加藤においては、本件絵画取引を行う中で、許の紹介により、イトマン本体が東邦生命から、また、エムアイギャラリーが京都ファイナンスからそれぞれ融資を受けたこともあったこと、さらには、前記「五 被告人伊藤及び加藤のイトマン側に損害を加えることの認識について」の項で詳細に説示したところを併せ考慮すると、被告人伊藤及び加藤は、<3>、<4>のような経緯によって、河村から、本件絵画取引を行うことを任されたのを幸い、もっぱら、許及び被告人伊藤の資金需要をよくすることを意図し、他方、許においても同様の意図の下に、本件絵画取引を行ってきたものと認められ、このような本件絵画取引の動機からすると、被告人伊藤及び加藤並びに許には、被告人伊藤及び許の利益を図る目的があったものと認めることができ、かつ、これと表裏の関係をなすものとして、イトマン若しくはエムアイギャラリーに損害を加えることの認識、認容があったことが認められる。そして、前記認定のような本件各絵画取引の経緯及び状況によると、被告人伊藤及び加藤並びに許との間の共謀の点も、優に肯認することができるから、これらの点について、原判決に事実誤認はない。

所論は、(1)許の資金状態が被告人伊藤の資金繰りにも大きな影響を及ぼす関係にあったことについては、企業間の貸借において、一方の資金状態が他方のそれに連動することは珍しいことではないから、それ自体が被告人伊藤らの図利加害目的の存在を裏付けるようなものではない、(2)a被告人伊藤らが、許に対し、「三保之不二」の取引をキャンセルしたり、金経板の差替要求をしていること、bロートレックコレクションの売却交渉において被告人伊藤が許にこれを高額で売却しようとして偽りの原価を説明していること、c本件絵画取引に際して、被告人伊藤と許が二度にわたり対立したこと、d右対立の際、絵画取引を進めるか否かに関して、被告人伊藤と右対立をとりなした加藤の意思に齟齬がみられたことなどの事実が存在しており、これらは、被告人伊藤に、許の利益を図る目的や、許や加藤との間における「共謀」などがなかったことの証左である、という。

しかしながら、(1)の点については、関係証拠によると、許と被告人伊藤は、単に企業間の通常取引のように資金を融通し合っていたというのではなく、被告人伊藤の経営する協和が許から雅叙園観光の経営を引き継いだ際、その債務を肩代りしたり、許においてはプロジェクトを提供して被告人伊藤側による雅叙園観光の再建を支援する約束をしていたものである上、本件絵画取引期間を含む約一年半もの間、金銭消費貸借契約書を作成せず、かつ金利の定めもなく無担保で、二〇〇ないし三〇〇億円もの巨額の資金を融通し合っていたという極めて密接な関係にあったのであり、このような状況下で、被告人伊藤が、許が多額の利益を上乗せしていると知りながら、その請求する金額どおりに本件絵画を購入していることからすると、被告人伊藤には、互いに資金を融通しあう関係にあった許に対して、本件絵画取引を通じて多額の資金提供をさせることによって、許の利益を図るとともに、自己の利益をも図る目的があったことは明らかといわねばならない。

(2)のうち、aの点についてみると、被告人伊藤の検察官調書(原審検第一二七九号証、第一二八〇号証)によれば、「三保之不二」については、許から五〇億円でイトマンに対して取引の申込みとその納品があったところ、被告人伊藤が、その価格照会を受けていた齋藤に対し、西武百貨店関西が関西新聞社宛に発行したお買上品明細書を示した際、五〇億円という売買価格があまりに高いので何か事情があったのではないかと指摘された上、西武ピサで二〇億円位で納品できると言われたことから、許がその購入先である西武百貨店の収益目標達成のため高額で買い取って協力しているのではないかと疑い、そのような負担をイトマンに振られてはかなわないという判断から、加藤と協議の上、右取引をキャンセルして返品したこと、平成二年六月一八日納品にかかる金経板一点については、被告人伊藤は、その価格照会をした齋藤から「金経板」はまがいものが多く、そうでなくても市場性に乏しいので、取扱わない方がいいという助言を受けたことから、いくら許の資金的便宜を図ってやるにしてもこんな物を買っては大変なことになるという判断から、加藤と相談の上、許に対し、絵画との差し替えを要求して返品したことが認められ、いずれの場合においても、単に、齋藤から、許の請求代金額よりかなり低額の評価額を回答されたに止まる他の絵画取引事例とは明らかに事情を異にしていると認められるから、右二事例の存在が、許との共謀を左右するような事情とはいえない。bの点については、被告人伊藤の検察官調書(原審検第一二七七号証)によれば、イトマンからロートレックコレクションの売却を持ちかけられた被告人伊藤は、予め西武ピサの齋藤からその見込みの売値を六〇ないし七〇億円と聞いていたことから、平成元年一一月ころ、許に六五ないし七〇億円でその売却を持ちかけたところ、許がその計画中の美術館の完成時に買うという条件でこれを承諾したというのであり、被告人伊藤が、約一六億円であった同コレクションの原価を許に言わなかったことは売買交渉における駆引きの域を出ないものと認められる上、右売買交渉は、被告人伊藤が、本件絵画取引の開始より約三か月もさかのぼるイトマン入社前のものであったこと、被告人伊藤は、イトマンの中間決算対策用に利益を出すため、平成二年九月八日ころ、右代金の支払いを許に促す目的で、許への売却代金に近い金額を商品代として記載した原価表を同コレクションの原価であると偽って説明して交付してはいるものの、右のとおり許の買受価格は、平成元年一一月ころ既に決まっていたのであるから、右原価表の交付は、許に対して右代金の早期支払いを促す意味しか有していなかったというべきであって、本件絵画取引によって被告人伊藤と許が相互の資金融通を図ろうとしていたのとは大きく事情を異にしており、右原価表の交付の事実が、本件絵画取引における被告人伊藤の許に対する図利目的や同人との共謀の存在を左右するような事情であるとはいえない。また、c及びdの各点については、本件絵画取引を巡って二度にわたり被告人伊藤と許が対立し、二度目の際は、加藤がとりなしたことは前述したとおりであるが、右対立の根底には、許がいったんは作成を約束していた絵画の売買契約書の作成になかなか応じようとはしなかったことがあったものとみられ、特に二度目の対立は、許がそれまでの態度を翻して本件で取引された絵画の所有権は自分側にあるなどと言い出したことから、被告人伊藤は、許の言い分を承認すれば、絵画の所有権を巡って許ともめる虞れがあり、イトマンの監査等において自分や加藤の責任が追及されかねないという懸念を抱いて、売買契約書の作成を強く迫ったものであって、本件で取引された絵画の減額を求めたものではない(この点については、許も原審第一二一回公判で被告人伊藤から絵画の値段を値切られたなどとは思わなかった旨これを裏付ける供述をしている。)こと、また、二度目の対立の際、両名の対立をとりなし、許に対し、今後も絵画取引を進めたいと発言した加藤の内心の意図を、被告人伊藤は、前記のように理解し、これにあえて異を唱えず、許との会談を終了させているのであって、加藤の右発言を結局は了承したものと認められ、被告人伊藤と加藤の絵画取引継続の意思に齟齬が生じていたとは認められないことなどに照らすと、二度の対立の存在や右加藤発言が、本件絵画取引に関する右三名間の共謀や図利目的の存在を左右するような事情であるとみることはできない。

七  原判決の認定する本件絵画取引の損害額について

最後に、職権をもって、原判決の認定する本件絵画取引の損害額について検討しておくと、長谷川徳七の原審裁判所の尋問調書などによれば、本件絵画取引のうち、モーリス・ブラマンク作「風景」(平成二年四月二日付請求分)については、同人の公定鑑定人的な立場にあるポール・ペトリベスに対し、長谷川がその真贋の鑑定を依頼したところ、これがブラマンクの作品ではない旨の鑑定がなされたことが認められ、原判決は、同作品が贋作で価値が認められないという検察官の意見を採用して、同作品の価格は零であると認定した上、同作品が一億円の価格でイトマンに納入されていることから、その納入価格相当分である一億円全額をその絵画取引によるイトマンの損害として認定したことが認められる。しかし、平成一二年一一月九日付捜査報告書(当審検第一号証)によれば、「風景」については、検察官による原判決後の調査結果によって、これが真作である可能性が高くなったことが認められ、これを前提とすると、同作品には市場価格があると認められることから、原判決が認定する本件絵画取引の損害額を訂正する必要が生じたことが認められる。そして、関係証拠によれば、同作品については、前記の長谷川関係以外に、日下部裕らの梅田画廊、中宮時男、積田政宏という絵画専門家らによる三種類の価格評価がなされたことが認められるところ、本件絵画取引の損害額に関する基本的な算定方法については、当裁判所も、原判決が(争点に対する判断)第六の三5項で認定、説示する判断手法を十分是認することができるものと考えるので、その中で最も高額の価格評価であって、被告人側に最も有利と考えられる積田の評価額である一億二〇〇〇万円を同作品の評価額として採用することとした上、右評価額を踏まえて本件絵画取引全体における損害額を考察するのが相当であると考える。そうすると、原判決が、原判示第七の一の事実につき、イトマンが、関西コミュニティ等三社から絵画等合計一八六点を代金合計四七二億四一〇万円で買い受けたことによって、イトマンに生じた財産上の損害額として認定した合計約二二四億三〇〇〇万円から、積田による「風景」の価格評価額である一億二〇〇〇万円を減じた約二二三億一〇〇〇万円が、右取引によってイトマンに生じた財産上の損害額であると認定するのが相当である。したがって、原判示第七の一の事実について、原判決がイトマンに生じた財産上の損害額であるとした認定した金額については誤りがあるといわざるをえないが、その差額である一億二〇〇〇万円という金額は、それ自体はかなり大きな金額ではあるものの、原判決は、「風景」の絵画取引を含む原判示第七の一の事実が包括一罪の関係にある旨判示しており、その罪数判断は正当であると認められるところ、原判決が、同事実において、イトマンの財産上の損害額であると認定した約二二四億三〇〇〇万円という金額に比すると、一億二〇〇〇万円という金額は、その約〇・五パーセントという極小さな割合に止まるものである上、被告人伊藤は、原判示第七の一及び二の絵画案件以外にも、これと併合罪関係にある瑞浪・さつま・アルカディア・府民信組・偽造という各重大案件でも、その責任を問われているのであり、原判決が、その併合罪の処理につき、結局、最も重い偽造案件の罪の刑で被告人伊藤を処断していることなどに照らすと、右損害額に関する原判決の事実誤認が、被告人伊藤に対する原判決の主文に影響することが明らかな場合であるとはいえない。

第九  被告人伊藤の府民信組案件について

事案の概要と原判決の判断の骨子

関係証拠によると、本件は、府民信組は、中小企業等協同組合法に基づき昭和二六年に設立された信用組合であり、昭和六一年四月より、南野洋が代表理事(理事長)に就任したものであるところ、平成元年二月七日ころから同年七月二六日ころまでの間、合計三一回にわたり、協和から同信組への手形割引名下による資金の借入申込みに関し、同信組から協和に対し、直接、又は大信リース若しくは大信ファイナンスを経由して手形割引を実行し、手形割引名下に合計二六七億一七四五万六九四円を振込入送金して貸し出した(以下、本項において、「本件融資」というときは、これを指す。)、という事案であるところ、原判決は、右の本件融資は、被告人伊藤及び南野が、自己らにおいて経営権を掌握しようとしていた雅叙園観光の簿外債務の処理等に充てるため、府民信組の資金を、協和に対して不正に貸出しようと企て、同信組相談役山田一美及び同信組審査部長瀬良勇らと共謀の上、南野が同信組に対して負っている任務に背き、南野及び協和の利益を図り、府民信組に損害を加える目的で実行され、府民信組に損害を与えたものであるとして、被告人伊藤に対し、南野らとの共謀による刑法上の背任罪の成立を認めたものである。

(事実誤認の論旨について)

一  論旨と本件融資の概括的経緯

所論は、本件は、府民信組の理事長であった南野洋が雅叙園観光の倒産を防止し、府民信組の経営危機を回避すべく、雅叙園観光の簿外債務である乱発手形を処理するために資金を提供していくことを決断し、そのための便法として、被告人伊藤に依頼して、協和の名義を利用してこれを借主としていく形を取りながら、資金を提供して行った事案であって、被告人伊藤が実質的に雅叙園観光を経営したことはないのに、被告人伊藤が、同社を実質的に経営し、南野らと共謀の上、雅叙園観光の簿外手形債務の整理のため、本件を引き起こしたと認定し、被告人伊藤に対する背任罪の成立を肯認した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

しかしながら、関係証拠によると、原判決が、本件府民信組案件の背景及び犯行に至る経緯、犯行状況として、「第八 被告人伊藤に対する府民信組案件」の(犯行に至る経緯等)、(罪となるべき事実)及び(争点に対する判断)第七項において認定、説示するところは、所論指摘の点を含めて、概ね正当として是認することができ、右判断は、当審における事実取調べの結果によっても動かない。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明することとするが、所論を判断する上で必要な範囲で、本件融資及びその前後の経緯の概要を、若干補足の上改めて摘示すると、以下のとおりである。

<1> 南野は、新千里ビル株式会社(以下、「新千里ビル」という。)を中心とする新千里ビルグループの実質的経営者として、大阪府北部を中心に不動産業を営む一方、昭和六一年四月、府民信組の代表理事に就任し、その積極的経営に携わってきたものであるところ、昭和六二年三月ころから、かねて面識があり、地上げや仕手株の売買をしていた池田保次が実質上経営するコスモポリタングループに対して資金貸出を始め、同年九月ころのピーク時には、その額が一六〇億円位に達していた。一方、池田は、雅叙園観光が内紛状態にあったのを幸い、その株式を買い占めて、同会社の経営権を実質的に掌握しており、府民信組からの貸付金の担保として、雅叙園観光所有にかかる神戸ニューポートホテルの土地建物とその株式その他を府民信組に差し入れるなどしていたところ、同年一〇月のいわゆるブラックマンデーの株式大暴落により、池田は大打撃を受けて、資金繰りに窮するようになり、昭和六三年八月失踪するに至った。

<2> 被告人伊藤は、昭和六二年三月ころ、池田から、雅叙園観光の株式二〇〇〇万株を二五〇億円で買い取って同会社を経営してみないかとの話を持ち掛けられ、そのころ、協和の側に資金的余裕があったことから、この話に乗ることを決めたが、池田は、雅叙園観光の株が担保に入っているので引き出すまでに時間がかかるなどとした上で、他社の株券を譲渡担保にするなどと言って、被告人伊藤に融資方の申し入れをしてきたところから、被告人伊藤は、最終的には、雅叙園観光の株式二〇〇〇万株が入手できるとの思惑から、これに応じるようになり、昭和六三年七月時点においては、池田と協和との間で、雅叙園観光の連帯保証の下、協和から池田側への貸付額が総額二八四億九二七万一六〇〇円であるとの確認書を交換するまでになっていた。

<3> そのような中の昭和六二年一一月ころ、被告人伊藤は、資金難に陥っていた池田から、雅叙園観光所有にかかる前記ニューポートホテルの買い受け方の話が持ち込まれたところ、右ホテルの土地建物には、前記のとおり府民信組の抵当権が設定されていたことから、その処置の仕方を巡って、池田から南野を紹介され、そのころ、被告人伊藤において、池田から、神戸ニューポートホテルを買い受けるとともに、コスモポリタングループの府民信組に対する前記債務を肩代わりして支払い、その土地建物に設定されていた抵当権を抹消するとの話がまとまり、同年一一月二八日、神戸ニューポートホテルの土地建物の所有名義が雅叙園観光から協和へ所有権移転登記がなされるとともに、昭和六三年一月二五日、府民信組から協和に対して右土地建物に、協和を債務者とする極度額一五〇億円の根抵当権を設定して一二七億五〇〇〇万円が貸し付けられ、被告人伊藤は、これを資金として、コスモポリタングループの府民信組に対する債務の大半を肩代わりして弁済した。

<4> 府民信組は、同年四月、許が実質的に支配している豊国信組を合併したが、右豊国信組は、許主宰にかかるコスモスグループに対する約一二〇億円の不良債権や、全国信用組合連合会が肩代わりしている為替交換尻欠損に係る約四二億円の債務を有していた。そして、同年一月ころから、許が池田に代わって雅叙園観光を支配し、池田乱発にかかる手形債務等の処理に当たっていたが、同年一二月上旬ころ、その資金繰りに窮した許から、南野に対し、資金援助方の依頼があったので、南野は、同月中旬ころ、府民信組相談役で新千里ビル代表取締役社長山田一美らと雅叙園観光の土地建物を視察し、また、山田に簿外債務の実態を調査させた上、雅叙園観光が倒産すると、担保として取っている雅叙園観光の株式が無価値となるほか、豊国信組から引き継いだ不良債権の回収もできなくなるとの思惑に加えて、かねてより、新千里ビルを一部上場企業にしたいとの願望を抱いており、同社を雅叙園観光に合併させれば、一部上場企業にすることができるし、東京都目黒区所在の雅叙園観光ホテル敷地の払下を受けて再開発すれば多額の利益が見込まれるなどとして、雅叙園観光を経営することに強い意欲を抱いていたこともあって、雅叙園観光の乱発手形処理のための資金提供方を決意し、府民信組から、自己のグループ会社である株式会社茨木興産あるいは株式会社高橋ビルを介して合計九〇億円を許側に貸し付けた。

<5> 被告人伊藤は、前記<2>のとおり、雅叙園観光連帯保証の下に、協和から池田側に対し多額の貸付をしていたが、池田の失踪により、その回収ができずに苦慮していたところ、<4>のとおり、南野が府民信組から雅叙園観光の乱発手形処理資金を許に貸し付けていることを聞き及んだことから、この機会に、池田に対する前記債務を連帯保証している雅叙園観光にその履行を求めることによって、その一部でも回収しようと図り、平成元年一月上旬、協和から雅叙園観光宛に、元利合計約二九八億円の連帯保証債務の履行を求める内容証明郵便を送付した。

<6> このことを聞いた南野は、雅叙園観光には、右支払い請求に応じる資力がなく、そのまま放置して雅叙園観光が倒産にでもなると、これまで府民信組が許を通じるなどして同社に融資した資金が貸倒れとなって、自己に対する責任追及を免れないばかりでなく、府民信組が担保として取得していた大量の雅叙園観光の株式や、新千里グループが保有していた同会社の株式が無価値となること、ひいては、雅叙園観光を経営したいという願望も潰えることを懸念し、同年一月一〇日ころ、自己の経営する割烹旅館千里石亭に、被告人伊藤及び許を呼んで、会談し、その後も被告人伊藤らと話合いを重ねた。その結果、同月中旬ころ、許が雅叙園観光の経営権を被告人伊藤に譲り、同被告人において、府民信組からの資金提供の下に、約三〇〇億円と見積もられていた簿外手形の処理を行い、許においても、手持ちプロジェクトを提供するなどして被告人伊藤を援助し、府民信組からの貸付金は、将来、雅叙園観光の敷地を再開発するなどして得られる利益で回収するとの合意が成立した。

<7> 以上の合意に基づき、本件融資が実行されたものであるところ、右の貸付は、いずれも、被告人伊藤が、府民信組に対して確実な担保を提供しないまま、協和の手形を振り出したり、あるいはライフベルモニー振出の手形に協和が裏書をして、これを府民信組において割引を受けて、府民信組あるいはそのダミー会社である大信ファイナンスや大信リースを経由して協和が資金の貸付を受けるという形で行われたものであり、被告人伊藤は、これら融資金を、雅叙園観光の銀行口座に送金させるなどして、雅叙園観光の乱発手形の決済処理を続けていた。

<8> この間、府民信組からの資金手当てが雅叙園観光の手形決済に間に合わない場合には、被告人伊藤が、協和において、独自に資金を調達して、これを雅叙園観光の銀行口座に送金してその手形を決済したこともあったほか、協和からは、雅叙園観光に対し、乱発手形決済資金以外の運転資金(従業員の給料、税金、業者や取引先への支払い資金等)も繰り返し送金され、雅叙園観光においては、これに対して、協和からの借入金としての処理がなされていた。

<9> また、本件融資開始後間もなく、被告人伊藤は、府民信組から出された雅叙園観光の乱発手形決済用の貸出金の一部を、南野の了解を得て、協和の資金繰りのために流用したこともあった。

<10> さらに、雅叙園観光の代表者印、銀行取引印及び小切手帳は、平成元年二月ころから都内の協和の事務所でその経理課長畠山仁によって保管されるようになり、畠山や被告人伊藤が、雅叙園観光振出の小切手及び手形の作成に関与したりその指示を出したりしていた。

<11> 被告人伊藤は、協和の取締役会長であった山本満雄に依頼して、同人及びその知人らを平成元年五月ないし六月、雅叙園観光の取締役や代表取締役に就任させ、雅叙園観光の運営に当たらせていたが、これに対して、南野の指示を受けた人間が雅叙園観光の役員などとして派遣されたことはなかった。そして、雅叙園観光の社長となった山本は、被告人伊藤の意向を受けて、同社と民事訴訟で紛議のあった細川一族との和解を目指して積極的に動いたり、その敷地国有地部分の払下を大蔵省から受けるための活動にも携わるなどしていた。

<12> 同年五月ころ、協和は、ドリーム開発株式会社が所有する雅叙園観光の株式三〇〇万株を時価で買い取ってこれを保有していたこともあった。

<13> 同年七月末、南野は、府民信組から協和に対する雅叙園観光の手形決済資金提供を停止するに至ったが、被告人伊藤は、右資金停止後も、雅叙園観光の乱発手形の決済処理を続けるため、協和の資金繰りが極めて逼迫していたにもかかわらず、同社において、アイチなどから多額の資金を調達して、これを決済する努力を続けた。そして、被告人伊藤は、同年八月初め、イトマン代表取締役河村と面談して以降、雅叙園観光の再建につき、イトマンの支援を受けるようになり、南野と相談をすることもなく、被告人河村との間で雅叙園観光の第三者割当増資をする方針を決めて、平成二年二月末ころイトマン側にその新株を引き受けさせた。

<14> 同年一二月七日ころ、雅叙園観光に投下した資金を回収することを目的として、被告人伊藤、南野、許が話し合い、それぞれのプロジェクトを出し合って、その果実で出資した資金を回収しようという内容の合意確認書を作成した。

二  被告人伊藤と雅叙園観光の実質的経営について

南野及び被告人伊藤が、許とともに、前記<6>のとおりの合意をするに至ったのは、<1>ないし<5>にみたように、当時、南野においては、雅叙園観光関係で生じていた府民信組の融資債権の貸倒れや自己が支配する新千里グループ保有にかかる雅叙園観光の株式の下落を防ぐとともに、自己が経営する新千里ビルを雅叙園観光と合併させて一部上場企業にし、かつ、雅叙園観光の敷地を再開発して利益を上げ、立て直したいという願望を抱いていたものの、府民信組理事長という公的立場にあったため、雅叙園観光の簿外債務処理について表に立つことができず、その経営者になることはできないという事情があったことは疑いのないところであり、他方、被告人伊藤においては、前記のとおり、雅叙園観光を立て直すことによって、コスモポリタンの池田保次に対し協和が有していた元利約二九八億円の債権を連帯保証していた雅叙園観光から、その一部でも回収したいとの思惑に加えて、同被告人が、その検察官調書(原審検第一二八六号証等)で供述しているとおり、かねて、被告人伊藤自らも、雅叙園観光の経営に魅力を感じており、同会社の簿外債務処理のための資金は、すべて府民信組が面倒を見ると南野が明言したことに加えて、許においても、鹿児島、京都、東京にあるゴルフ場のプロジェクトを提供するとの申し入れがあったことから、右資金によって、雅叙園観光の簿外債務を処理した上、雅叙園観光ホテルの敷地である国有地の払下を受けるなどして再開発し、協和の事業とタイアップすることができることや、表面的とはいえ、一部上場企業の経営者になることができるのを期待したことによるものであることが、いずれも認められるのであって、そのような経緯は、まことに了解可能なものであり、その中に特段の不合理な点は見当たらない。そして、右合意がなされた後の雅叙園観光の経営実態及び府民信組からの融資金の使途などは、<7>ないし<12>認定のとおりであり、かつ、<13>認定のとおりの、府民信組からの融資が停止した後の被告人伊藤がとった行動及び<14>認定のような雅叙園観光経営を巡る後始末の状況などは、いずれも、被告人伊藤が、<6>の合意に基づき、雅叙園観光を実質的に経営し、府民信組からその簿外債務処理のための融資を受けていた事実を明確に裏付けているということができる。

三  南野の任務違背及び南野、被告人伊藤の府民信組に損害を加えることの認識並びに図利加害目的について

関係証拠によると、南野は、府民信組代表理事として、貸出条件等を審査決定するに当たっては、法令や同組合の貸出規定等に定めるところに従ってこれを遵守し、誠実にその職務を執行しなければならない任務があるところ、右法令等によれば、資金貸出しは、貸出条件等に照らし回収確実と認められる場合に限られ、かつ、貸出額に相応する確実な担保を徴求することとされ、また、同一取引先に対する貸出限度額が定められ(本件当時四億円)、商取引の裏付けのない手形割引は禁止されていたのに、上記貸出制限を潜脱するためのいわゆるダミー会社を経由して貸出限度額を超え、かつ、確実な担保を徴求することなく本件貸付を実行したものであって、南野の本件貸付が、その任務に背くものであることは明らかである。

そして、右のような態様による本件貸付が、府民信組に損害を加えることについて、南野はもちろん、被告人伊藤も、従来からの南野との関係などに照らし、当然に認識していたと認められる上、前記二の冒頭にみたような被告人伊藤及び南野の本件貸付に至る経緯及び動機に照らすと、同人らが、被告人伊藤ひいては協和及び南野の利益を図る目的を有していたことが明らかであり、かつ、これと表裏の関係をなすものとして、府民信組に損害を加えることの認識、認容があったと優に認めることができる。

四  被告人伊藤と南野との共謀について

被告人伊藤及び南野が本件融資に至った動機は、先にみたとおりであるところ、前記認定のとおりの本件融資に至る一連の経緯に照らすと、その際、互いに、相手方の動機についても、これを熟知していたことが明らかである上、被告人伊藤自身、その検察官調書中(原審検第一二八六号証)において、上記の点を含め、南野から、「府民も信用組合だから、大阪府の検査もあるんで、形を整えんといかんので、なんか担保になるものがあるか。形だけでいいんだ。」などと言われたことから、実質的な担保価値のない担保を形だけ提供することとしたことなどを具体的に供述しているほか、<9>認定のように、融資金の一部を協和の資金繰りに利用したこともあったことなど、本件融資に際して、被告人伊藤及び南野が取った客観的な行為とその内容及びその際の被告人伊藤及び南野の主観的な認識状況とを総合すると、本件融資に関して、背任罪所定の身分のない実質上の借受人である被告人伊藤についても、その身分を有する南野らとの共同正犯が成立することは明らかというべきである。

五  各論的主張に対する判断

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を順次付加して説明する。

1 所論は、原判決は、「本件貸出金のうち右五億円(平成元年二月一五日大和銀行八重洲口支店の協和の口座振込送金分を指す)を含む二二億円余りは協和の資金繰りに使われている」旨認定したが、協和が大信ファイナンスから同年二月一五日付けで振込を受けた五億円を含む二二億円を協和の資金繰りに費消したことはないから原判決の認定には誤りがある、という。

しかし、被告人伊藤は、その検察官調書(原審検第二三七三号証)中で、平成元年二月一五日、協和が大信ファイナンスから借り入れた約一五億二九〇〇万円のうち、五億円を協和の大和銀行八重洲口支店の当座預金口座に振込んでもらったのは、コスモポリタンの池田が、丸益産業のオーナー種子田益夫からゴルフ場の会員権を買って、その代金の支払いのため池田の関連会社の手形を入れていたのに、その決済ができなかったため、被告人伊藤が協和振出の一五億円の手形を貸して種子田の元に入れていたところ、池田が失踪したことから、同日五億円分の手形を決済する必要に迫られ、資金がなかったので、南野に依頼して五億円を右口座に送金してもらったこと、右検察官調書添付の畠山仁作成の府民信組からの借入金使途一覧表中には、府民信組からの貸出金のうち協和の運転資金として使用したものを特定する記載があり、これを合計すると二二億円余りとなるところ、被告人伊藤は、前記検察官調書中で、右一覧表の記載に間違いがないことを認める供述をしているのみならず、南野洋を被告人とする府民信組案件の第一審公判の証人尋問調書謄本(原審検第二一六〇号証)中においても、南野の了承を得て、府民信組からの貸出金を協和のために使用していたことを認める供述をしていること、畠山も、原審第三九回公判やその検察官調書(原審検第一〇三八号証、第一〇三九号証)中で、協和の資金繰りが逼迫しており、府民信組からの本件貸出金の一部を協和の運転資金などにしばしば利用させてもらっていたことや、同年二月一五日に府民信組側から大和銀行八重洲口支店の協和の当座預金口座に送金を受けた五億円は、丸益産業グループ会社から購入したゴルフ場会員権代金の手形決済資金に使用するためだったことなど、被告人伊藤の前記供述に沿う供述をしており、その送金状況関係を調査した捜査報告書(原審検第九七二号証、第九七三号証等)も、右両名の供述を的確に裏付けていることが認められるから、前記五億円を含めて、府民信組からの貸出金のうち二二億円余りが協和の資金繰りのために使用されたと認定した原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

2 所論は、平成元年七月三日付けの大信リースの協和に対する手形割引による六〇億円の貸付金(原判決別紙一覧表(三)番号27)は、同日、大信リースに弁済された後、大信リースから富士銀行天満橋支店に送金されて南野に返済されており、被告人伊藤において、貸出限度や担保の徴求をしない手形割引であると考える余地はなかった、という。

しかし、右六〇億円の使途が所論指摘のとおりであるとしても、その手形割引を実行するについても、府民信組において、確実な担保の徴求がなされないまま、右六〇億円の融資が実行されたことについては、一連の本件融資における他の手形割引の場合と格別異なるところがあるとは認められず、被告人伊藤においても、府民信組において、十分な担保が徴求されておらず、これに損害を与えることを認識、認容しながら、府民信組から協和振出の手形割引の方法により右融資を受けたものと認められるから、所論は採用できない。

3 所論は、平成元年七月二四日、府民信組から協和の口座に送金された九一〇九万四一三七円(原判決別紙一覧表(三)番号30)のうち、四〇〇〇万円は、大和銀行八重洲口支店の協和の預金口座に振込送金され、右口座から茨木興産に二九五八万一六四三円が送金されているが、同社は南野がオーナーの新千里グループ企業に属するから、これは協和側で費消したものではない、という。

しかし、原判決は、平成元年七月二四日、府民信組の協和の口座から、大和銀行八重洲口支店の協和の預金口座に振込送金された四〇〇〇万円の一部を協和側がその運転資金として費消したと判文中で認定しているものではない(原判決の認定の元になったと考えられる畠山の検察官調書(原審検第一〇三九号証)添付の資料1や捜査報告書(原審検第九七二号証)中には、所論の二九五八万一六四三円について、「茨木興産に対する支払い利息」という備考欄の記載がされているにとどまり、これが協和の運転資金である旨の記載はされていない。)から、所論の批判は失当である。

4 所論は、原判決は「被告人伊藤が、平成元年二月一〇日ころ、本件貸出金の一部を協和の資金繰りに使いたい旨申し入れ、南野の了解を取り付けたうえ、大信ファイナンス経由で三〇億円の貸出枠を設定してもらった」旨認定したが、被告人伊藤が南野に対し協和の資金繰りのために貸出枠の設定を依頼したことはないし、被告人伊藤は、南野の要請で登記をしないことを条件に関ゴルフ場を形式的担保として府民信組に提供したが、その貸出枠は五〇億円であったから、原判決の右認定には誤りがある、という。

しかし、南野は、原審第八五回公判において、平成元年二月一〇日ころ、協和の事務所で、被告人伊藤から、協和のゴルフ場事業資金として、三〇億円を限度として府民信組からの貸出金の一部を使用する許可を求められたので、後始末(穴埋め)をすることを条件として、これを承諾し、瑞浪ゴルフ場の開発許可が下りてゴルフ場計画用地取得及び地上権設定後、これに四〇億円の第一順位根抵当権を設定することを大信ファイナンスに対して約する同月一〇日付の覚書を受け取った旨証言しており、被告人伊藤も、その検察官調書(原審検第二三七三号証)中において、同月一〇日ころ、府民信組からの借入資金を協和の資金繰りや瑞浪ゴルフ場建設のための地元との交渉費用等にも一部使用したかったので、南野に対して、協和の運転資金にちょっと使わせて欲しいと依頼したところ、穴埋めをすることを条件にその承諾を得たこと、同日ころ、南野から、本件貸出を続けるため、形だけの担保の提供を求められたので、瑞浪ゴルフ場の開発許可取得後、その敷地に四〇億円の根抵当権を大信ファイナンスに設定することを約する覚書の作成に応じたと供述しており、被告人伊藤の供述は、本件資金流用の話と覚書作成との直接的関連性の点は明らかではないものの、両者の供述は概ね一致していること、その後、府民信組側から出た資金が、協和の運営資金などとして、約二二億円余りが実際に使用されていることなどに照らすと、南野の前記証言を採用し、被告人伊藤において、協和のため府民信組側から出る貸出資金流用につき南野から了解を得るとともに、大信ファイナンス経由で三〇億円の貸出し枠を設定してもらったとする原判決の認定に誤りがあるとは認められない。なお、所論が指摘する、登記をしないことを条件に関ゴルフ場用地に五〇億円の根抵当権を府民信組のために設定する話が被告人伊藤と南野との間で出たのは、その登記関係書類の受理証明書が司法書士によって作成された日付である同月七日当日かその直前のことであったと認められ、瑞浪ゴルフ場の根抵当権設定の覚書(その作成日付は同月一〇日で同日付の公証役場印がある)の作成とは全く別の話であったことが明らかであるから、原判決の前記認定とは何ら矛盾するものではない。

5 所論は、原判決は、「被告人伊藤は、同年(平成元年)二月下旬ころ、南野に、雅叙園観光の振出手形が突然取立てに回されて決済が間に合わないときがあるから、ある程度まとまった資金を協和の右口座(大和銀行八重洲口支店の当座預金口座)に入金しておいてほしい旨依頼し、これについても同人の了承を得た」旨認定したが、被告人伊藤が右日時ころ、雅叙園観光振出の手形の決済の資金繰りに関与したことも、雅叙園観光の簿外振出手形の管理及び決済に関与したこともないから、右のような依頼をするはずはない、という。

しかし、被告人伊藤は、その検察官調書(原審検第二三七三号証)中において、また、南野は、原審第八五回公判において、それぞれ、原判決の前記認定に沿い、しかも相互によく一致する供述や証言をしているほか、被告人伊藤は、南野を被告人とする府民信組案件の第一審公判の証人尋問調書謄本(原審検第二一六〇号証)中においても、平成元年二月二七日から、大和銀行八重洲口支店の協和の口座に府民信組の資金が入金されるようになった経緯は、自己の検察官調書中で述べたとおり間違いないと証言していること、協和が府民信組から借り入れた資金で雅叙園観光の簿外手形の決済処理をし始めてから、予定外の手形が回ってくるなどしてその処理を急がされ、府民信組において正規の貸出し手続をしていては間に合わずに、これに先行して出金されるような事態が当時生じていたこと、同日以前は、府民信組側から協和に対する貸付金が、府民信組の協和の普通預金口座に入金された後、三井銀行目黒支店等の雅叙園観光の口座に直接送金されていたのに、同日からは、府民信組の協和の同口座に入金された後、大和銀行八重洲口支店の協和の当座預金口座に一旦送金された上、その資金の中から雅叙園観光の前記口座等に送金されるようになり、協和がその一部を運転資金として使用できるようになったこと、さらに、被告人伊藤は、その検察官調書(原審検第二三七三号証、第二三七五号証)中で、協和の前記当座預金口座から、畠山に指示して雅叙園観光の銀行口座に送金をさせていたことや、平成元年二月一日から同年七月二六日までの間、協和が約一一億円を独自に調達して、雅叙園観光の乱発手形決済のため、送金していたことを認める供述をしており、畠山も、その検察官調書(原審検第一〇三九号証)中でこれを裏付ける供述をしていることなどに照らすと、被告人伊藤が、南野に対し、雅叙園観光の乱発手形の決済手続をし易くするともに、府民信組側からの資金の一部を協和で使用できるという利点をも考え、南野に対して、原判示のような依頼をしてその了承を得たとする原判決の認定に誤りがあるとは認められない。

6 所論は、原判決は、「丸益産業については本件犯行後の平成二年四月二五日にも元金一二〇億円に対する金利二三五万円を支払っており、本件貸出金により返済されたものではなく、本件とは直接関係がないことが明らかである」旨認定したが、協和は、原判決別紙一覧表(三)の番号27の金六〇億円のうち金四〇億円を丸益グループ企業に対する内金として支払い、平成元年一一月二九日までに残金八〇億円の支払もしているから、協和が、平成二年四月二五日に右一二〇億円に対する金利を支払うはずはなく、原判決は、協和が丸益グループに属する東条ゴルフ株式会社に振出していた約束手形二通を決済した二三億五〇〇〇万円について、桁を間違った上、これと誤認したものである、という。

なるほど、原判決が、丸益産業に対し、平成二年四月二五日に元金一二〇億円に対する金利二三五万円を支払っていると認定した点は、所論が指摘するとおり、原審検第一〇〇一号証の中の資料No.3「雅叙園観光精算内訳明細書」Bの「協和別途資金調達送金内訳」の表中に示された数字につき、これがその表の右肩に記されている(千円)という単位であることを見落としたものと考えられ、同表中の平成二年四月二五日欄の「2350000」という記載は、二三億五〇〇〇万円を意味するものとして読むのが正しいことが明らかである。しかも、被告人伊藤の検察官調書(原審検第二三七三号証、第二三七五号証)や種子田益夫の証人尋問調書(原審検第二四二七号証)添付の「一二〇億円に対する精算書」の記載などに照らすと、平成元年一一月末ころまでに、本件貸出金の一部が利用されるなどして、所論の一二〇億円が既に全額精算されていた可能性が高いことが認められ、その返済金が、本件貸出金により返済されたものでないとする原判決の前記認定には疑問があるといわざるを得ない。しかしながら、そもそも原判決の前記判示部分は、本件貸出金の使途先である丸益産業に対しては、同社から雅叙園観光が融資を受けるにつき、予め株式が担保として差し入れられており、府民信組側は、雅叙園観光の丸益産業に対する債務を弁済することによって解放された当該担保株式によって、本件貸出金を回収することが可能であったから、被告人伊藤には背任罪は成立しないとする弁護人の主張を退ける理由中の説示であるところ、被告人伊藤が協和名義で振出し、これに雅叙園観光と許が裏書をした額面合計一二〇億円の約束手形一〇通は、雅叙園観光の経営を池田から引継いで平成元年一月まで経営していた許に対し、丸益産業が雅叙園観光の簿外債務の処理用に貸し付けていた資金を、同年二月から雅叙園観光を経営することになった被告人伊藤において、協和としてその債務を肩代り負担する目的で振り出されたものであるところ、右肩代り以前に雅叙園観光側(池田、許を含む)から、肩代り前の債権担保として丸益産業に担保株式が差し入れられていたことを認めるに足るべき的確な証拠はない上(種子田益夫の証人尋問調書・原審検第二四二七号証、許の検察官調書・原審検第一一二六号証参照)、仮に、何らかの株式担保が、雅叙園観光側から丸益産業に予め差し入れられていたとしても、協和が右債務を弁済することによって、当該担保株式が、丸益産業から雅叙園観光ないし協和に戻されることにはなっても、その返済の原資を協和に貸し出した府民信組において、当該担保株式を当然に取得できるような法律関係にあったとは認められず、その取得のためには、府民信組による返済原資の貸出し前に、丸益産業から請け出す担保株式を改めて府民信組に担保提供する旨の契約等が、雅叙園観光ないし協和と府民信組の間でなされることが必要であったと考えられる。しかるに、本件貸出に際して、被告人伊藤ないし雅叙園観光側と南野ないし府民信組側との間で、右担保株式を府民信組側に担保として差し入れる旨の契約等がなされた形跡は認められないから、本件融資を実行するにあたり、府民信組が丸益産業の有していたとする担保株式によって、本件融資債権を回収することが客観的に可能な状況にあったとは考えられない。そうすると、いずれにしても、所論の主張は、前提自体を欠いているといわざるを得ず、原判決に前記指摘の点につき誤りが認められるとしても、これが、府民信組による本件貸出金の回収可能性を否定した原判決の結論までをも左右するようなものとはいえない。

7 その他、南野が、府民信組のために神戸ニューポートホテルに根抵当権設定仮登記を設定し、その本登記を経由した後、これが抹消され、新たに根抵当権設定登記がされるなどした事情、南野が雅叙園観光の簿外債務一覧表に、協和の有する債権を掲示しなかったこと、被告人伊藤が、丸益産業の種子田に対し、協和振出にかかる額面合計一二〇億円の手形を振り出すにつき南野が関与した経緯やその処理状況、雅叙園観光の建物に対し、協和のために平成元年二月一日に根抵当権設定及び条件付賃借権設定仮登記が、同月一四日に所有権移転請求権仮登記がそれぞれ経由された事情、被告人伊藤の雅叙園観光株式の取得とその保有状況など、所論がるる主張するところを子細に検討してみても、府民信組案件について、被告人伊藤に背任罪の成立を認めた原判決の認定を左右するに足るようなものがあるとは認められない。

8 なお、原判決別紙一覧表(三)中、番号3の「割引した約束手形」の「手形金額(円)」欄中において、「54579643」と記載されているのは、「545796431」の、番号4の同欄中において、「30586432」と記載されているのは、「305864325」の各誤記であると認める。

第一〇  被告人両名の各控訴趣意中、量刑不当の論旨について

一  被告人河村、同伊藤の各所論は、要するに、被告人両名が、その各起訴事実について、仮に有罪であったとしても、被告人河村を懲役七年に、被告人伊藤を懲役一〇年にそれぞれ処した原判決の量刑は、いずれも重すぎて不当である、というのである。

二  そこで検討すると、本件は、イトマンの代表取締役社長であった被告人河村及び同社企画監理本部長であった被告人伊藤が、同社代表取締役名古屋支店長であった加藤あるいは許らと共謀の上、いずれも十分な担保を徴求することなく、ゴルフ場開発工事資金の名目で、イトマンから瑞浪ウイングゴルフクラブ及び許が実質的に経営するさつま観光に対して、約二三〇億円と二〇〇億円の各融資を行い、イトマンに対し、それぞれ約二三〇億円及び約九六億円相当の財産上の損害を与えたという瑞浪案件及びさつま案件、被告人両名が、ブラックジャーナルを主宰していた崔と共謀の上、イトマンのマスコミ対策等に崔を利用しようとして、十分な担保を徴求することなく、墓地造成事業開発資金の名目で、イトマンから崔の経営するアルカディアに対して、約一〇億円の融資を行い、イトマンに同額相当の財産上の損害を与えたというアルカディア案件、イトマンの企画監理本部長等の地位にあった被告人伊藤が、許及び加藤と共謀の上、イトマン及びその子会社において、許が実質的に経営する会社三社から、前後一三回にわたり、合計二一一点の絵画等を五二八億円余りの不当に高額の代金を支払って買い取り、イトマン側に約二六三億五〇〇〇万円の損害を与えたという絵画案件(以上の四件はいずれも特別背任事件)、被告人河村が、副社長の髙柿と共謀の上、イトマン株式の株価操作等の不当な目的を持って、前後五一回にわたり、購入代金一〇三億円余りに上る自社株八二八万株二〇〇〇株をダミー会社二社の名義を使用して、イトマンの計算において、証券取引所等から不正に買い付けて取得したという自己株取得案件(商法違反事件)、被告人河村が、立川の経営権を巡る紛争を解決するため、イトマン側の保有する立川株をアイチ側に売り渡すことなどを内容とする大株主間協定を締結した際、右協定の履行確保と立川株の売買代金の一部に充当する趣旨でアイチ及び伊藤から預かり、イトマンのために保管中の現金各五億円(合計一〇億円)を二度にわたり着服して横領したという業務上横領案件、さらに、協和の代表取締役であった被告人伊藤が、府民信組の理事長であった南野らと共謀の上、自らが実質的に経営する雅叙園観光の簿外債務を処理するなどのために、府民信組の貸出規定等による貸出限度額を超え、確実な担保を徴求しないまま、直接あるいはダミー会社を経由して、前後三一回にわたり、商取引の裏付けのない金融手形の割引を同信組から協和に対して実行させて、合計約二六七億円余りの不正貸出しを行い、同信組に同額相当の損害を与えたという府民信組案件(背任事件)、被告人伊藤が、実兄と共謀の上、相武カントリー倶楽部の株券三九枚を、また、自ら単独で、日本ドリーム観光株式会社名義の買付証明書一通を、それぞれ偽造して、これらを協和や雅叙園観光がイトマンから融資を受ける際の担保や必要書類として名古屋伊藤萬不動産社員らに交付あるいは提示して行使したという有価証券及び有印私文書の各偽造・同行使の案件である。

三  各案件の犯行動機、その態様及び結果等量刑に関わる事情については、原判決が、その(量刑の理由)の項において、詳細に認定、説示するところであって、原審で取調べ済みの関係証拠によれば、右認定、説示に誤りがあるとは認められず、当審における事実取調べの結果を踏まえて検討してみても、これを正当なものとして是認することができる。以下、所論にかんがみ、各案件に関する量刑事情について、被告人両名の各自の刑責を中心として、当裁判所の見解を若干付加して説明することとする。

四  まず、被告人河村の罪責についてみると、瑞浪、さつまの両案件は、被告人河村において、イトマンの社長としての在任期間が約一四年とかなり長くなっていたことから、同社のメインバンクである住友銀行が、イトマンに後任の社長を送り込もうとする動きがあるのを察知し、折から知り合った被告人伊藤の経営する協和などの全プロジェクトに、イトマンが融資をしてこれを丸抱えし、イトマンが出す融資金等の中から企画料等の名目で資金を還流させることによって、同社の決算対策のために名目上の利益計上を行い、また、許の経営するさつま観光に対しても同様の意図から融資して、企画料等を受け取ることによって、同社の公表予想経常利益を達成したかのように見せかけ、イトマンの社長としての自己の保身を図ることを目的として、各案件の融資を決意し、これを実行させたものであり、アルカディア案件は、イトマンの経営状態の悪化等に関するマスコミ報道が過熱し、その信用不安が広まる中で、ブラックジャーナルを主宰する崔を味方につけ、イトマンのマスコミ対策等に利用することによって、マスコミの批判をかわし、自己の社長としての地位を守ろうとして、崔の利益を図る目的から融資を決意し、これを実行させたものであり、さらに自己株取得案件も、イトマンの株価が同社社長としての自己の業績評価を示す証券市場の指針であるという考えから、大量のイトマン株式を同社の資金で取得することによってその株価を操作してこれを上昇させ、あるいはその下落を防ぎ、イトマンの業績が好調であるかのように見せかけるとともに、自己の実質的な支配株を増やしてイトマンの住友銀行離れを進めることによって、自己の社長としての地位の安泰を図ろうとしたものであって、以上の四案件は、そのいずれについても、被告人河村が、イトマンにおいて、新規事業等の失敗を重ねて多額の損失を出し、その業績が思わしくなかったにもかかわらず、イトマンの社長の地位に執着し、これに居座ろうとして、正に目的のためには手段を選ばないという同根の発想や意図に出たもので、各融資や自己株の取得がイトマンにとって何の利益となるものではなく、巨額の自己資金をいたずらにイトマンから流失させる性質のものであったのに、もっぱら自己の目先の利益を図ろうとした誠に自己中心的な動機から出た犯行であったとみざるを得ず、酌むべきものに乏しい。

また、各犯行の態様及び結果をみても、前記三融資案件においては、社長である被告人河村らイトマントップの了解済みの案件というだけで、他案件においてはかなり厳格になされていた社内の融資審査が、いずれもないがしろにされ、事業の成否や担保に関する実質的な調査、検討がほとんど行われないまま、高額の融資が繰り返されたため、その当然の帰結として、イトマンに巨額の不良債権を発生させて大きな損害を与えたものであり、特に、瑞浪、さつまの両案件においては、被告人河村は、イトマンの社長として、被告人伊藤や加藤らに対し、融資先との交渉や融資額あるいは企画料取得等に関して、具体的かつ積極的な指示を与え、これに従って両案件の融資手続が進められてこれが実行され、多額の企画料等が見せかけの利益として実際にイトマンに計上されているのであり、アルカディア案件についても、被告人河村が、被告人伊藤から崔との折衝状況についての報告を受け、その了解によって、初めて本件の具体的融資額が決定されて、実行されたものであって、いずれの融資案件においても、被告人河村は、主導的ないし中心的な役割を果たしていたものであり、いわゆるワンマン社長としてイトマンの実権を握っていた被告人河村の任務違背の程度には甚だしいものがあるというべきである。また、自己株取得案件においては、被告人河村が、公認会計士らからイトマンにおいて自己株の取得をしないようになどと忠告を受けていたのに、髙柿に対し、自己株取得に関する秘密の保持を厳命した上、ダミー会社二社の名義を右取引に使用することや、取得すべき株式の時期及び総数あるいは株価操作によって達成すべき株価目標についての具体的な指示を出すなどして自ら右犯行を主導し、これを受けて、イトマンでは、右取引に際して証券会社九社に株式の買付先を分散させたり、あるいは取引関係のない会社に手数料の支払いまでを約束してイトマン株の購入を図らせるなどし、株式購入資金についても、社内で適切さを欠く経理操作をさせるなどして捻出し、長期間にわたり継続的に、違法な自己株の大量買付を実行してきたものであって、計画的かつ巧妙な犯行といえ、これによって、単にイトマンの自己資本を社外に流失させたのみならず、その後の経営危機によるイトマンの株価の下落と合わせて、同社に二重の損失を与えており、イトマンが被った損害は大きく、イトマンのみならず証券市場に対する投資家の信頼をも損なった点も軽視することはできない。さらに、業務上横領案件についてみると、被告人河村は、立川の経営権の獲得をねらうアイチに対し、イトマン内部や立川に対しては、立川の第三者割当増資をイトマン側が引き受けることで企業買収に対抗するかのような姿勢を示しつつ関係者と協議を進めながら、その裏では、アイチ側と秘密裡に交渉を重ねて、取締役会の議決も経ずに、自己の独断で立川のいわゆる身売りをアイチ側に約束して、これを証する大株主間協定書に調印をした上、イトマンの社長として、これに関わる立川株式売買の履行を確実にする趣旨としての性格を有する合計一〇億円の現金を預かったのを奇貨として、これを直ちに着服して横領しているのであって、イトマンに対しては、二重の裏切りともいうべき背信性の高い反規範的行動に出ている上、横領した金銭を自己が密かに借りていたマンションの一室に保管させた上、甥に指示して、親族名義で株式を購入、運用させたり、同族会社の増資資金に使用させるなど、正に私利を図るための手段として使用しているのであって、その動機において全く酌むべきものがないばかりか、社長の地位権限を大きく濫用した犯行態様は悪質で、一部上場企業の社長による大金の使い込みが明らかとなったことから、イトマン関係者のみならず社会にも大きな衝撃を与えたものである。

被告人河村による叙上の本件各犯行は、イトマンの社会的信用を大きく低下させるとともに、イトマンに回復することが極めて困難な巨額の損害を与えて、その経営状態を一層悪化させ、これが大きな要因となって、イトマンは、結局、自主再建の途をとることができず、平成五年四月、非上場会社である住金物産に吸収合併されて、名実ともに消滅し、老舗商社としての長い歴史の幕を閉じるに至ったものであって、同社の多数の従業員やその家族に正に物心両面において辛酸を嘗めさせたことはもとより、多くの株主やその関係取引先にも有形無形の損失や犠牲を強いる結果となっており、中堅商社の社長が会社をその意のままに私物化した本件各犯行が、いわゆるイトマン事件として、世人を震撼せしめ、社会に対して与えた衝撃もまた甚大である。

これに対し、被告人河村は、イトマンの社長としての思慮分別を欠いた身勝手な判断や行動が、このような重大な犯罪を引き起こし、取り返しのつかない結果を生ぜしめたことが明白であるにもかかわらず、原審はもとより当審に至っても、すべての犯行を否認した上、不自然かつ不合理な自己弁解に終始し、その責任を共犯者を含む部下、あるいは住友銀行、さらには当時のいわゆるバブル経済のせいにするなどして、自己の立場の正当化を図ろうとしており、真摯な反省の態度を全く示そうとはしていないのは、当裁判所としても遺憾であるといわざるを得ない。以上に照らすと、被告人河村の刑責は、誠に重大であるというべきである。

被告人河村の所論は、(1)原判決は、被告人河村が本件各案件に及んだ動機や目的を把えるにあたり、被告人が昭和五〇年当時経営危機に瀕していたイトマンを再建し業績を伸長させるにあたって展開した「総合商社化の経営の転換」「財務の健全化」、とりわけ平成元年以降の中堅商社イトマンが当時の経済政策、市場経済の動向、金融機関の動向等の中で採り得た経営戦略という観点を全く看過し、結果責任の追及という中で、その「動機」「目的」を当てはめる誤りを犯している、(2)原判決は、瑞浪、さつま両案件の融資は、被告人河村が自己保身の動機から企画料欲しさに被告人伊藤や許の利を図るに及んだとして、動機の利己性及び背信性から厳しい非難を免れないというが、被告人河村がイトマンの再建に止まらず、イトマンの継続的発展と増収増益態勢の確立に心血を注いできており、イトマンで採った政策等において、私利私欲の追及に及んだことが全くなかった点を見誤っている、(3)アルカディア案件は、仮に、被告人河村が崔に対する融資を了解していたとしても、これが崔による恐喝にも似た融資強要案件であり、崔を味方につけて利用する等の積極的意図を持った融資ではなく、被告人河村はむしろ被害者側の立場にあった、(4)業務上横領案件にかかる一〇億円は、被告人河村個人に対し、表に出せない金として渡されたという色彩が濃く、被告人河村が、本件一〇億円を受け取り、使用した各時点において、それがイトマンに帰属する財産であって、これを領得、使用するという認識は稀薄であった、(5)自己株取得案件に関する原判決の量刑判断は、イトマン報道の過熱後、東海、内外両社に滞留したイトマン株式の量の多さと下落したイトマン株価からの結果責任を重視する余り、被告人河村が採ったイトマンの財務政策により、瀕死のイトマンが再建されて、その業績を伸長させ、その道中におけるイトマン報道の過熱等により右の如き結果を招いたという観点を看過している、という。

しかし、(1)、(2)の点については、原判決は、被告人河村が経営危機に瀕していたイトマンを再建させるとともに、その業績を伸長させるなどした過去の業績に対して正当な評価を与えていることは明らかである上、本件当時の経済情勢や商社の経営戦略等も踏まえた上で、被告人河村の各犯行の目的や動機を的確に捉え、その責任に関する認定をしていることは明らかであって、被告人河村に対してその結果責任のみを追及したものではない。また、瑞浪、さつまの両案件は、被告人河村が自己の保身を図る動機から出た犯行で、利己性と背信性が認められることは、瑞浪、さつま両案件における被告人河村の事実誤認の論旨に対する判断の項で示したとおりであって、この点の原判決の判断に何ら誤りがあるとは認められないし、被告人河村がイトマンにおいてとった政策等が、右動機の認定を左右するような事情であるとはいえない。

(3)の点については、原判決は、崔がイトマンに融資を強く迫るようになった経緯については、正確に認定しているものと認められる上、被告人河村が、崔を味方につけマスコミ対策に利用しようとして融資に応じたのは、社長としての地位と名声に傷がつかないようにしたいという利己的な動機によるものであると原判決が評価した点についても、これが正当として是認できることは、アルカディア案件における被告人河村の事実誤認の論旨に対する判断の項で説示したとおりであって、その中に、なんら不当とすべきものはない。

(4)の点については、一〇億円が受領されるに至るまでの経緯や授受の趣旨から、被告人河村において、これが直ちにイトマンに帰属させるべき性質の金銭であって、一時的とはいえ、身勝手な私的運用が許されるような金銭ではないことを容易に認識し得たものと認められるから、所論は採用できない。

(5)の点については、原判決は、イトマン報道過熱後、東海と内外に滞留した株式の量やその後のイトマンの株価の下落等の事実から、被告人河村の結果責任を問うているものではなく、同被告人の髙柿に対する自己株取得に関する指示内容やその際の言動、自己株取得の態様や規模等に徴して、株価操作等の不当な目的をもって、イトマンの計算においてなされた違法な自己株の取得であったと正当に認定評価していることが認められるから、所論は採用できない。

そうすると、アルカディア案件については、自己の主宰する雑誌にイトマン関連記事を掲載したこと等を背景に、被告人河村に面談し、同被告人から融資の言質を得たとして、イトマンに執拗に融資を迫っていた崔の側の態度にも、相当程度の責任が認められること、業務上横領案件については、その起訴以前の段階において、被告人河村から一〇億円の拠出元である被告人伊藤及びアイチ側に対して、時価約七億三〇〇〇万円相当の株式及び現金約六七七万円が返還されていること、被告人河村が、長年にわたり、銀行員としてまじめに稼働し、昭和五〇年に住友銀行からイトマンに派遣されてからは、同社の代表取締役社長等としてその再建に真摯に尽力し、その業績を回復、伸長させ、同社のために相当期間にわたって貢献をしてきたこと、平成三年一月にイトマンの代表取締役を解任され、その後間もなく退社するに至っているほか、本件により逮捕、勾留され、あるいはマスコミ等により大きく報道されたことなどによって、相当程度の社会的制裁を受けたものとみられること、被告人河村には前科前歴がないこと、現在七七歳と高齢であり、いくつかの持病を抱えていることなど、被告人河村のために酌むべき事情を十分斟酌しても、同被告人を懲役七年に処した原判決の量刑は、現時点においても、なおやむを得ないものというべきであって、これが重すぎて不当であるとは認められない。

五  次いで、被告人伊藤の罪責についてみるに、瑞浪案件は、被告人伊藤が、協和のずさんな事業展開のため、巨額の借入金を抱えてその経営に行き詰まり、新たな融資先を模索していたところ、折から住友銀行の支店長の紹介で知り合った被告人河村が、協和のプロジェクトに大きな関心を示したことから、イトマンから融資等の資金協力を得ようとして、当時、同社の企画料を捻出する取引先を物色していた被告人河村に言葉巧みに取り入ってその歓心を買い、被告人河村が、協和の全プロジェクトについてイトマンが肩代わり融資することを申し出たことから、イトマン側の要請に応じて同社に企画料等を支払って、同社が決算対策として見せかけの利益を計上することついて協力することを約束し、不動産開発案件等の事業を所管するイトマンの企画監理本部の本部長兼理事に就任した後、協和の銀座案件関連債務である二三〇億円の肩代わり融資をイトマンに要請し、その使途とは無関係な瑞浪ゴルフ場の開発資金の名目で融資を実行させたものであって、被告人河村及び加藤が企画料欲しさに実質無担保融資をする意図であることを知悉しながら、企画監理本部長としての職責をないがしろにして、協和の資金繰りひいては自己の利益を優先させたその動機には、酌むべきものが認められない。また、イトマンとは実質的な利益相反関係にあるのに、巨額の実質的な無担保融資を積極的に実行させた点において、被告人伊藤の任務違反の程度は大きく、右融資金がもっぱら協和の借入金の返済のために使用されて被告人伊藤側の直接的な利益となる一方で、それがそのままイトマンの実質的な損害につながったものであって、その額は巨額である。

また、さつま案件は、被告人伊藤が、企画監理本部長として、イトマンの決算対策用の利益出しに関する被告人河村の指示に従い、同社に見せかけの利益を計上するため、親しい関係にあった許の融資要請に応じて、さつまゴルフ場の開発資金の名目で融資を実行するのと引き換えに、その中から企画料等をイトマンに支払うよう持ちかけ、二〇〇億円の融資を実行させたものであり、また、アルカディア案件は、イトマンに事業資金の融資を執拗に迫っていた崔との交渉を被告人河村から指示された被告人伊藤が、崔との交渉の過程で、崔が持込んだ墓地造成事業への融資に応じる代りに、崔をイトマンの味方につけて、マスコミ対策に利用しようとの判断から、被告人河村に右事情を説明した上、その了解を得て、実質無担保で約一〇億円の融資をイトマンに実行させたものであって、右両案件は、被告人河村の意向に従った部分があるとはいえ、本来なら到底許されない性質の融資案件であることを熟知しながら、自ら積極的に許や崔との間で交渉を行って、各融資話を煮詰め、これを実行させたものであって、いずれの場合も、被告人伊藤が、犯行に不可欠の重要な役割を果たしており、従属的な犯行とみることはできず、特にアルカディアへの融資と引換えに崔をマスコミ対策に利用することは、被告人伊藤自身の発案にかかるものであって、その任務違反の程度は、決して小さいとはいえない。

さらに、絵画案件は、イトマンの新規事業である絵画取引の責任者となった被告人伊藤が、当時自己と密接な資金的融通関係を有していた許から、絵画の売買取引を持ちかけられ、その申込価格が、市場価格をおよそ顧みない法外な値段であったのに、その言いなりの値段でイトマン側に絵画を買い取らせることによって、イトマン側の経済的犠牲において、許の資金繰りの便宜を図るとともに、自らも許からその代金の貸与を受けて、許や自己の利益を図ることを意図したものであって、その動機は、誠に利己的なものであり全く酌むべきものが認められない。しかも、被告人伊藤は、被告人河村から厚い信頼を受けて絵画取引の責任者として指名されており、イトマン側には絵画取引に詳しい者がいないことをこれ幸いとして、齋藤の鑑定評価やその助言等によって、許が持込む絵画等について、その資金的都合から出た法外な価格の請求をしていることを知りながら、十分な価格調査を遂げることなく、かつ販売の具体的めども全く立っていないのに、許の申出に応じて次々と大量かつ高額の絵画の購入を決定し、イトマン側に巨額の代金の支払いをせしめた上、許を通じてその一部を協和の資金繰り等に利用していたものであって、許と並んで正に犯行の中心的な役割を果たしており、イトマンを自分達の意のままに利用できる金づるの地位に貶めることによって、イトマン側に巨額の損害を与えたものであって、その背信性は著しく、極めて悪質な犯行といえる。イトマンでは、本件絵画等を健全な商取引からおよそ掛け離れた値段で購入させられたため、これが大量かつ長期の不良在庫となって、同社の経営を圧迫し、最終的に巨額の経済的損失をもたらしたのみならず、イトマンがその代金の支払いのために使用した手形のコピーが街金融に出回ったり、絵画相場を無視した不明朗な絵画取引の実態がマスコミで喧伝されるなどしたため、イトマンの社会的信用を大きく失墜せしめた影響も見逃すことはできない。

次に、府民信組案件についてみると、被告人伊藤は、協和が多額の融資をしていた雅叙園観光が、旧経営陣の乱発手形発行によって、巨額の簿外債務を抱え、その再建や同社の敷地の再開発計画等についての確固たる見通しがなく、自らは雅叙園観光の簿外債務を整理して同社を再建するための資金力などは全くなかったにもかかわらず、一部上場会社の経営者になれるという誘惑や雅叙園観光の再建によって、同社が連帯保証していた協和の貸金債権を一部でも回収したいという思惑から、資金援助を約束する南野らの依頼に応じて、雅叙園観光の実質的経営者となることを安易に引き受けたものである上、その態様及び結果も、雅叙園観光の簿外債務処理用資金等を府民信組から得るため、不正な無担保融資であることを熟知しながら、府民信組側と密接に連絡を取り合い、割引に使用する手形用紙を自ら手配したり、南野の要請に応じて、府の検査をごまかすための見せかけの担保を府民信組に提供するなどしつつ、約半年間にわたり継続的に多数かつ多額の商取引の裏付けのない金融手形の割引を受けて、府民信組から巨額の資金を引き出し、これを雅叙園観光の簿外手形の決裁資金や協和の資金繰りなどに使用していたものであって、本件犯行についても重要かつ不可欠な役割を果たすとともに、府民信組に巨額の損害を与え、その反面で、自己の経営する雅叙園観光と協和に大きな利益を得せしめたものである。

最後に、偽造案件は、被告人伊藤が、雅叙園観光の簿外債務の処理資金などに使用する目的で、協和や雅叙園観光が、イトマンからその子会社を介して融資を受けるに当たり、右子会社に差し入れるべき担保や提出書類として使用する目的で、実兄に指示して、印刷屋に印刷させた多数の株券に、偽造にかかる代表者印等を押捺させるなどしてその偽造を遂げさせ、あるいは偽造にかかる上場会社の代表者印等を自ら使用するなどして、同社の買付証明書を勝手に偽造して、これらをイトマンに差し入れて、これを本物と信じたイトマンから、その所期するとおりの多額の融資を受けたものであって、自己の目的を達成するためには手段を選ばない計画的で巧妙かつ悪質な犯行といえ、特に背信性の高い絵画案件と相俟って、被告人伊藤の規範意識の欠如を顕著に物語る犯行といえる。しかも、実兄において、偽造などをすれば大変なことになると被告人伊藤を諌めて協力を渋っていたのに、被告人伊藤が強い説得をすることによって、実兄までを事件に巻き込んだ責任も軽視することはできない。

被告人伊藤の叙上の各犯行は、被告人河村との共謀による三融資案件に絵画案件を加えると、同被告人をはるかに上回る巨額の損害をイトマン側にもたらしており、これが同社の経営にも甚大な打撃を与えて、その消滅という重大な結果の大きな一因となったことは、前述したとおりである。また、多数の職員や組合員を抱え、平成三年には一六店舗を擁していた府民信組も、本件犯行による損害が一因となって、他の信用組合に吸収合併されて消滅するに至っているのであり、本件各犯行による社会的影響にも大きなものがある。本件犯行に関し、被告人伊藤側からなされた被害弁償は、その巨大な被害額に比すると、現時点においても極僅少なものに止まっている。加えて、被告人伊藤は、原審及び当審各公判において、被告人河村と同様、自己の責任を免れ、あるいはその軽減を図ろうとして、種々の不自然不合理な弁解や場当たり的な応答を重ねており、特に、絵画取引については、共犯者とされた加藤が、本件絵画取引の行われた平成二年の末に死亡していることから、その全責任を同人に転嫁するかのような弁解に終始している点は、とりわけ強い非難を免れないというべきである。以上に照らすと、被告人伊藤の責任には、被告人河村以上に極めて重大なものがあるといわなければならない。

そうすると、アルカディア案件については、前述のとおり崔の側の態度にも相当程度の責任が認められること、さつま及びアルカディア案件については、被告人伊藤において、もっぱら自己の利益を図る目的があったとまでは認められないこと、府民信組案件については、同じく雅叙園観光の再建等による利益の獲得等を狙う南野らの強い勧めに乗って、財務内容が不明朗な同社の経営等に深入りした面がみられるほか、府民信組の協和への不正融資の決定は、南野側の主導によって行われていたこと、偽造株券については、後日、イトマンに対し正規の株券が差し入れられ、これとの差し替えが行われていること、被告人伊藤の関連会社に対する債権の譲渡をイトマンから受けた会社と被告人伊藤側との間で、瑞浪案件を含めた被告人伊藤関連の融資案件についての残債務の確認がなされた上、平成一〇年八月以降、毎月五〇万円ずつを、その元本に充当して弁済する旨の合意が成立し、現在に至るまで、その弁済が続けられているとみられること、また、協和の府民信組に対する債務については、南野の関連会社が全額を引き受け、一億一三八五万円を支払うことで訴訟上の和解が成立していること(なお、被告人伊藤の所論は、本件の被害弁償や被告人伊藤側のとった事後処理、イトマン側の被害感情等について、原判決が被告人伊藤に有利な事情を十分斟酌していないなどとして、るる主張するが、被害弁償や事後的経過等に関する原判決の認定、説示に特に不当とすべきものがあるとは認められない。)、被告人伊藤には、科料以外には前科がないこと、被告人伊藤は、国際的な地雷の除去活動に関心を寄せており、そのための機器の開発等を含めた社会的な活動を熱心に行っていること、原判決以後に、がんの子供を守る会及び法律扶助協会に各三〇〇万円をそれぞれ贖罪寄付していること、その家庭事情など、被告人伊藤のために有利に斟酌すべき事情を十分考慮しても、本件各犯行の重大さ及び悪質さ、他に容易に類例をみない被害額の大きさ、その社会的影響等にかんがみると、被告人伊藤を懲役一〇年に処した原判決の量刑は、現時点においても、なお維持するのが相当であるというべきであり、これが重すぎて不当であるとは認められない。

第一一  結論

以上のとおりであって、被告人両名の各論旨は、いずれも理由がないから、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用中、証人吉田修一に支給した分については、同法一八一条一項本文、一八二条により、これを被告人両名に連帯して負担させることとし、証人松尾翼に支給した分については、同法一八一条一項本文により、これを被告人河村に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 那須彰 裁判官 樋口裕晃 裁判官 宮本孝文)

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