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大阪高等裁判所 平成11年(う)171号 判決 1999年10月07日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年六月に処する。

原審における未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

理由

本件各控訴の趣意は、検査官佐々木茂夫提出及び弁護人下村忠利作成の各控訴趣意書に、検察官の控訴趣意に対する答弁は、同弁護人作成の各記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一  控訴趣意に対する判断

一  検察官の事実誤認の主張について

論旨は、原判決は、被告人がガラス製の灰皿で甲野一郎(以下「一郎」という。)の頭部を殴打した行為について、それが過剰防衛に当たるとした上で、右行為とその後電気コードで同人の頸部を絞めつけた行為を一体的に評価し、結局過剰防衛は成立しないと認定しているが、右灰皿で頭部を殴打した行為についても過剰防衛に当たる余地はないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。

1  被告人の捜査段階の供述調書等関係証拠(なお、右供述調書に信用性の認められることは、後記二2のとおりである。)によると、本件に至る経過及び犯行状況等は、おおむね次のとおりであったと認められる。

(一) 被告人は、本籍地の中学校を卒業後、工員やトラック運転手等の職を転々とし、その間、昭和四〇年に妻花子と結婚し、同女との間に長男一郎(昭和四一年四月五日生)のほか、二人の男の子をもうけていた(ただし、二男は交通事故で死亡)ものであるが、平成元年ころから心臓病を患い、その後、身体障害者等級一級の認定を受けて、平成三年ころからは、専ら生活保護による受給生活をしていた。

(二) 一郎は、中学校を卒業したころからシンナーを乱用するようになり、以来これまで二〇回以上も病院に入院して治療を受けてきたものであるが、入院中にシンナーを吸って強制退院させられたり、あるいは自ら無断退院したりということの繰り返しで、一向にその治療の効果は挙がらなかった。

(三) もっとも、その一方で、一郎は、「今度こそ立ち直って仕事を始める。」などと、シンナー依存を断ち切りたい旨を被告人に訴えることも少なくなかった。

(四) 被告人は、そのような一郎の心情を不憫に思い、一郎に立ち直ってほしい一心で、苦しい生活の中から同人に入院費用や退院時の生活費等の金銭的援助を続け、また、自らの体調が優れないときでも、一郎のいる遠方の入院先まで出かけるなど、献身的に同人の世話を行なってきたが、同人のシンナー乱用は一向にやまないため、常々、その将来に対する悩みを深くしていた。

(五) 平成一〇年五月三一日、一郎は、それまで入院していた大阪府枚方市所在の関西記念病院を退院した後、母(被告人の妻)に保証人となってもらい、同府寝屋川市所在の原判示Aマンションの一室を借りて一人暮らしを始めたが、これに対し、被告人は、一郎の身を案じて、日に一度は同人方を訪れ、同人に食べ物を差し入れるなどしていた。

(六) 同年六月四日午前八時ころ、被告人は、いつものように一郎方を訪れたところ、その窓越しにシンナーの臭いがしたことから、同人が再びシンナーを吸い始めたことに気づいたが、同人が玄関の鍵を開けず入室を拒んだため、その場は同人方に入るのをあきらめて、日課としていた大阪市鶴見区所在の金剛寺での奉仕活動に赴いた。

(七) しかし、被告人は、その後も一郎のことが頭を離れず、同人をもう一度入院させなければならないと考え、知人に病院を紹介してもらった上、奉仕活動を早めに切り上げて、同日午後四時一〇分ころ、再び一郎方を訪れた。

(八) 被告人が一郎方に入ってみると、室内にはシンナーの臭いが充満し、台所の窓の網戸の一部が焼け落ちており、そうした中に、一郎は、奥の六畳間に敷いた布団の上でたばこを吸っていた。また、右室内を掃除していたところ、敷布団の下からシンナーの入ったペットボトルも見つかった。そのため、被告人は、一郎に火災の危険性を注意した上、入院を勧めたが、同人は、被告人の説得に耳を貸そうとしないばかりか、逆に反発して、被告人に「帰れ。」などと怒鳴り散らした。

(九) 一郎の右態度を見て、被告人は、「火事でも起こしたらどうする。お母さんがこの部屋を借りるのにどんな思いで保証人になったんや、こんなことするのにこの部屋借りたんと違うぞ。」などと、なおも一郎に説教したところ、同人は、ますます興奮して、「なんやねんこら、こんな部屋燃やしたろか。」などと言いながら、持っていたライターで敷布団のシーツに火をつけようとした。

(一〇) 被告人は、右ライターを手でたたき落としたが、一郎がまたシーツに火をつけようとしたため、同人の行為に腹を立て、再度ライターをたたき落とした上、同人の顔面を手拳で殴ろうとした。しかし、一郎にかわされて空振りし、前のめりになったところを同人から押し戻されて、後ろの柱に背中をぶつけ、中腰でかがむような体勢になった。

(一一) その拍子に、押入れの扉が開き、被告人は、その中にシンナーの臭いのする一斗缶があるのを発見したことから、一郎に「これどうしたんや。」などと問い詰めたところ、同人は、膝立ちの状態になり、被告人の方へ寄って来て、「それはおれのと違う。友達から預ってるから触るな。」などと答えた。

(一二) 被告人は、右一斗缶をこのまま放置するわけにはいかないと考え、「持って帰るで。」と言いながら左手で持ち上げようとしたところ、一郎は、「触るな言うとるやろ。」などと怒鳴りながら、膝立ちのまま、中腰になって柱にもたれていた被告人の頸部下部に、両手を掛けて押さえつけた。被告人は、頸部下部を押さえられて苦しかったが、一郎の両手は被告人ののどぼとけには掛かっておらず、息はできたし、声を出すことも可能であった。

(一三) そして、被告人は、一郎に「お前、親とシンナーとどっちが大事なんや。」と大声で言ったところ、同人から、「シンナーに決まってるやん。ぼけー。」と怒鳴り返された。

(一四) このため、被告人は、一郎がいつかは立ち直ってくれることを願って献身的に尽くしてきたのに、そのような被告人の思いを意にも介さない一郎の言動に対し、痛く憤慨するとともに、この子は身も心もぼろぼろで人間の心を持っていない、この子はもう立ち直れないと絶望し、同人がこれ以上世間に迷惑をかけないようにとの思いも加わって、とっさに同人を殺害することを決意した。

(一五) 被告人は、何か凶器になる物はないかと少し腰を落として手探りで探してみたところ、右手にガラス製の灰皿(直径約一九センチメートル、高さ約五センチメートル、重さ約1.2キログラム、以下「灰皿」という。)が触れたので、これをつかみ、さらに、その周縁の角ばった部分で殴打できるよう握り直した。

(一六) そして、被告人が立ち上がると、一郎の両手は被告人の頸部下部から外れ、そのとき、一郎は、膝立ちのまま前のめりになって、両手で被告人の胸を押すような恰好になった。そこで、被告人は、その体勢から灰皿を握った右手を振りかぶり、灰皿の縁で一郎の頭部を力一杯殴りつけ、さらに、頭を抱えて上半身を丸めた同人の手を頭から振りほどいて、同様に頭部を一〇回くらい殴打したところ、同人は、頭から血を流して、その場に仰向けに倒れた。

(一七) 被告人は、一郎の様子をうかがうと、同人が未だ息をしていたので、早く殺して楽にしてやろうと思い、両手で同人の頸部を絞めつけたが、手が血で滑って十分に絞めることができなかったため、今度は、その場にあった電気コードを同人の頸部に巻いて絞めつけ、これにより、間もなく同人を窒息死させて殺害した。

(一八) ところで、本件当時の被告人は、身長が約一七九センチメートル、体重が約九七キログラムであり、他方、一郎は、身長が約一八〇センチメートル、体重が約八二キログラムであった。

(一九) 被告人は、若いころから港湾労働や自衛隊等で身体を鍛えており、右退院をしていたころには柔道二段くらいの実力も有していたもので、腕力は人一倍強かった。

2  急迫不正の侵害の点について

所論は、一郎が被告人の頸部下部を両手で押さえつけた行為は、侵害行為といえるような程度の強いものでなく、被告人が灰皿を持って立ち上がった時点で既に終了しており、また、被告人が予期し得た喧嘩闘争中の行為でもあって、急迫不正の侵害に当たらない、と主張する。

しかし、①一郎が被告人の頸部下部を両手で押さえつけた行為は、なるほど、両手がのどぼとけには掛かっておらず、被告人が息をすることも声を出すことも可能であったとはいえ、その態様からして、少なくとも被告人に苦痛を与えるものであったことは明らかであること、②被告人が立ち上がった時点で一郎の両手は頸部から外れてはいるものの、一郎は、前のめりになって、依然被告人の胸を押しているのであり、右時点で直ちに一郎が攻撃意思を失ったとみることはできないこと、③また、一郎の右行為に至るまでの間に、口論となって、被告人が一郎を殴打しようとしたり、逆に同人が被告人を突き飛ばしたりした経過はあったものの、これらの行為は、被告人が一郎にシンナーをやめさせようとし、それに対し同人が反発する中で生じたものであって、これを、双方が互いに相手に対し攻撃意思をもってする、いわゆる喧嘩闘争とみることはできないこと、④被告人が一斗缶を持ち出そうとすれば一郎が何らかの阻止行動に出ることは予想できたとしても、平素これまで同人が被告人に暴力を振るうことはほとんどなかったことなどから、被告人としては、一郎から右のような態様の暴行を受けることまで十分予期し得たとは認められないこと等の諸点にかんがみると、所論は採用できず、原判決も説示するように、一郎の前記行為が急迫不正の侵害に当たることは否定できないところである。

3  防衛の意思の点について

所論は、被告人が一郎の頭部を灰皿で殴打した行為は防衛の意思を欠く、と主張する。

そこで検討するのに、一般に、相手の急迫不正の侵害に対し、憤激して反撃を加えたからといって、直ちにそれが防衛の意思を欠くことにはならないが、侵害を受けた機会をとらえ、侵害の態様及び程度等に比して著しく過剰な結果を生じさせることを意図して反撃に出た場合には、その行為はもはや防衛の意思によるものとはいえないと考えられる。

これを本件についてみるに、前記のとおり、一郎は、シンナー缶を持ち帰られまいとして、両膝立ちの状態から両手を伸ばし、その手で中腰状態になっていた被告人の頸部下部を押さえつけたものであるが、このとき、のどぼとけに手は掛かっておらず、被告人は息をすることも声を出すこともできたというのであるから、一郎の侵害行為の態様及び程度は、決して被告人の生命を脅かすようなものではなく、単に身体に対する比較的軽いものであったと認められるし、しかも、被告人が中腰状態から立ち上がった時点では、一郎の手は頸部下部から離れ、同人は、両膝立ちのまま前のめりになるのを支えるようにして、両手で被告人の胸付近を押す状態になっていたというのであるから、その侵害の程度等はより一層軽くなっていたものと認められる。そして、このような本件犯行直前における一郎の侵害の程度等に加え、同人に勝るとも劣らない被告人の体格とその腕力の強さにも照らすと、被告人が一郎からの侵害を排除するには、素手でも足りたものと考えられ、また、たとえ灰皿で殴打するにしても、生命に危険を及ぼさない部位や態様を選択することは十分可能であったはずである。しかるに、被告人は、一郎からこれまでになかった暴力を振るわれ、更には、親よりもシンナーの方が大事であると罵倒されたことなどから、これに憤慨するとともに、もはや一郎が立ち直ることはないだろうとの深い絶望感に陥り、この上は同人を殺害するほかないと決意して、同人の頭部を相当重い灰皿の縁で力を込めて約一〇回も殴りつけ、これにより同人に頭蓋骨骨折、くも膜下出血、硬膜下出血及び脳挫傷等の重大な傷害を発生させているのである。

右のような一郎の侵害行為の態様及び程度、これに対する被告人の反撃の意思の内容、その反撃の態様及び程度等にかんがみると、被告人が一郎の頭部を灰皿で殴打した反撃行為は、同人からの侵害を排除するためのものとしては余りにも過剰である上、被告人は確定的殺意をもって右行為に及んでいるのであるから、右行為は、侵害を受けた機会をとらえ、その態様及び程度等に比して著しく過剰な結果を生じさせることを意図してなされたものと認めるべきで、結局のところ、それは、もはや防衛の意思によるものとはいえず、専ら相手を攻撃する意思でなされたものというほかない。

4 そうすると、被告人が一郎の頭部を灰皿で殴打した行為は、防衛の意思を欠くから過剰防衛は成立せず、この点につき原判決には事実の誤認があるといわなければならない。もっとも、原判決は、右行為直後の電気コードで一郎の頸部を絞めつけた行為については、侵害の急迫性及び防衛の意思を欠くとした上、被告人の行為を一体として評価すると過剰防衛に当たらない旨認定しているが、当初の灰皿で殴打した行為が防衛の意思に基づく過剰防衛行為であるか否かは、本件の犯情にかなりの差異をもたらすと考えられるから、この点の事実誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかなものというべきである。論旨は結局理由がある。

二  弁護人の事実誤認の主張について

1  過剰防衛に関する主張について

論旨は、原判決は、被告人が一郎の頭部を灰皿で殴打した行為とその後電気コードで同人の頸部を絞めつけた行為を一体的に評価し、結局過剰防衛が成立しないと認定しているが、右各行為を一体的に評価するならば、全体として過剰防衛が成立するとみるべきであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、既に説示したとおり、そもそも右灰皿で殴打した行為自体、既に防衛の意思を欠き、過剰防衛に当たらないのであるから、論旨は理由がない。

2  責任能力に関する主張について

論旨は、被告人は、本件犯行当時、憤激ではなく、絶望と恐怖により極度の激情にかられており、いわゆる情動行為の状態に陥っていたため、心神喪失又は心神耗弱の状態にあったのに、完全責任能力が具わっていたことを前提として被告人を殺人罪で処断した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、記録を調査して検討すると、原判決が「争点に対する判断」の項二の2ないし5で説示するとおり、犯行状況を詳しく述べる被告人の捜査段階の供述調書や犯行状況を再現する写真撮影報告書、実況見分調書の説明部分は、十分信用性を認めることができ、これに対し、犯行状況については覚えていないという被告人の原審及び当審公判廷での供述は不合理であって、被告人は犯行状況について鮮明な記憶を有していると認めるべきである。そして、右捜査段階の供述調書等によると、被告人は、頭部を殴打した後、仰向けに倒れた一郎の様子をうかがっているが、その際、同人の腹が波打って、のどぼとけがぴくぴくと動いていたこと、そのため、同人を早く楽にさせてやろうと考えて、両手で同人の首を絞めたものの、首が太くて絞めにくかった上、血で手が滑ってうまく絞めることができなかったこと、そこで、今度は、電気コードを首に巻きつけて絞めたが、その際、電気コード二本を首に巻きつけようとしたところ、一本しか巻くことができず、巻きつけたコードと重なって邪魔になったもう一本のコードは取り除いていることがそれぞれ認められるが、このように、被告人は、犯行の際、その場の状況に即応した合理的な行動をとっているのである。また、右証拠によると、被告人は、六畳間で一郎を殺害した後、台所に行って手を洗い、次いで、知り合いの弁護士に電話をしようとしたが通じず、気持ちを落ち着かせるためにたばこを吸い、その際、一郎が本当に死んでいるかどうか不安になって、再度その様子を見に行ったことが認められるが、このように、犯行後においても、被告人が激情からさめて我に帰り、一郎を殺害したことに気づいてひどく狼狽したような様子はうかがえないばかりか、かえって、被告人は、殺害の目的を果したかどうかの確認さえしているのである。これらの諸点に照らすと、本件犯行が被告人の責任能力に影響を及ぼすようないわゆる情動に基づくものということはできず、被告人は、右犯行当時、心神喪失や心神耗弱の状態にはなかったものと認められる。この論旨もまた理由がない。

三  よって、検察官及び弁護人のその余の論旨(量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、被告事件について更に判決する。

第二  自判

(罪となるべき事実)

被告人は、かねてより、シンナーの乱用を断ち切れないでいる長男一郎(当時三二歳)のことで深く悩んでいたものであるが、平成一〇年六月四日午後四時四五分ころ、大阪府寝屋川市寿町<番地略>Aマンション一階一〇四号室において、またもや同人がシンナー吸引を再開しているのを知り、入院を勧めてもこれに全く耳を貸そうとしないばかりか、その場にあったシンナーを持ち帰ろうとしたところ、同人から頸部下部付近を両手で押さえつけられ、更には、親よりもシンナーの方が大事であるなどと罵倒されるに及んで、痛く憤慨するとともに、その際、もやは同人がシンナーを立って立ち直ることはないだろうとの深い絶望感に陥り、とっさに殺意を抱き、同室内にあったガラス製の灰皿(当庁平成一一年押第三二号の2)で同人の頭部を約一〇回にわたって強打した上、さらに、仰向けに倒れた同人の頸部に電気コード(同押号の1)を巻いて絞めつけ、よって、そのころ、同所において、同人を窒息死させて殺害したものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年六月に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入し、原審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、長年シンナーを乱用して入退院を繰り返す長男を、灰皿でその頭部を多数回強打した上、電気コードでその頸部を絞めつけて殺害したという事案である。

確かに、原判決が「量刑の理由」の項で指摘しているように、被害者は、成人してからもシンナーを断ち切れず、被告人ら両親が手を差し延べるのをよいことに、被告人らに経済的にも精神的にも負担をかけ続けていたこと、それにもかかわらず、被告人は長年にわたり献身的に被害者の入院治療等を助け、その立ち直りに尽力してきたこと、本件の発端は、被害者が退院して間もなくシンナー吸引を再開し、もう一度入院治療をするよう勧める被告人に暴言をはき、更には、シンナーを取り上げようとした被告人の頸部下部付近を両手で押さえつけるなどの粗暴な行動に出て、その絶望感を募らせたことにあり、被告人の本件犯行を誘発した点で、被害者にも相当の落ち度があると認められること、被告人は、本件について自首し、反省もしていること、これまで業務上過失傷害罪による罰金前科が一犯あるものの、社会生活においては特に問題がなかったこと、その他、被告人が拡張型心筋症という難病を患い、日頃から発作の不安に付きまとわれていることなど、本件においては、被告人のために酌むべき事情も決して少なくない。しかしながら、人一人の尊い生命を奪った結果は余りにも重大であること、被害者は、急性期のシンナー中毒症状が治まったときには、本来の優しい性格を取り戻し、自ら入院を希望してシンナーを断ち切りたいとの意欲を示すこともあり、全く立ち直りが期待できないほど絶望的な状況に至っていたわけではなく、また、被告人の方でも、被害者が右症状にあるときの対処の仕方は十分わきまえており、しかも、本件当時既に、被害者を入院させる先の目処もついていたというのであるから、本件犯行は、やはり動機において短絡的であるとの非難を免れないこと、さらに、犯行態様をみても、執拗かつ無残なものというほかないことにかんがみると、被告人の刑事責任はなお重く、前記被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても、主文程度の実刑はやむを得ない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・白井万久、裁判官・東尾龍一、裁判官・増田耕兒)

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