大阪高等裁判所 平成11年(ネ)4141号 判決 2001年6月28日
控訴人
甲野太郎
同訴訟代理人弁護士
小林務
同
中村和雄
同
大脇美保
同
遠藤達也
被控訴人
株式会社京都銀行
同代表者代表取締役
柏原康夫
同訴訟代理人弁護士
森川清一
同
吉永透
主文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人は,控訴人に対し,72万5580円及びこれに対する平成9年7月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 控訴人のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は第1,2審を通じて,これを10分し,その9を控訴人の,その余を被控訴人の負担とする。
5 この判決の主文第2項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は,控訴人に対し,960万1526円及びこれに対する平成9年7月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は第1,2審を通じて被控訴人の負担とする。
4 仮執行宣言
第2事案の概要
本件は,控訴人が被控訴人に対し,労働契約に基づき,平成8年1月から平成9年5月までの未払時間外勤務手当205万0763円及びこれと同額の付加金の支払を求めるとともに,被控訴人の幹部らから嫌がらせと昇進差別を受けて退職を余儀なくされたとして,民法709条又は715条に基づき,慰謝料500万円及び弁護士費用50万円の支払を求めた事案である。
1 争いのない事実
(1) 控訴人は,平成4年5月1日,被控訴人に入行し,府庁前支店に配置され,外国為替事務(以下「外為事務」という。)を担当し,平成6年8月1日,九条支店に転勤し,外為事務を担当するとともに,貸付係の業務(融資業務)をも担当し,平成7年7月1日紫野支店に転勤し,平成9年6月30日に退職した。
(2) 被控訴人の就業規則では,始業時刻は午前8時35分,終業時刻は週初,週末及び月末の各営業日が午後5時35分,それ以外の日が午後5時であり,休憩時間は午前11時から午後2時までの間において60分間業務に支障のないよう交替して取るものとされている。
(3) 仮に,控訴人が平成8年1月から平成9年5月までの間に原判決別紙<2>ないし<18>記載のとおり時間外勤務をしたとすれば,その時間外勤務手当の計算関係は原判決別紙<1>記載のとおりであるから,未払時間外勤務手当の合計は205万0763円となる。
2 争点
(1) 被控訴人は,控訴人に対し,時間外勤務手当の支払義務を負うか。すなわち,控訴人は,平成8年1月から平成9年5月までの間,原判決別紙<2>ないし<18>記載のとおり時間外勤務をしたかどうか。
<1> 控訴人の主張
ア 就業規則上,始業時刻は午前8時35分とされているが,それより前に男子従業員全員が出勤して地下1階の金庫を開扉し,開店の準備作業が行われていた外,少なくとも毎週月曜日と木曜日には午前8時30分ころから午前9時ころまで朝礼が行われ,毎週水曜日には午前8時ないし8時10分ころから融得会議が行われていた。
イ 就業規則上,午前11時から午後2時までの間において60分間休憩時間を取ることが認められていたが,実際には,原則として外出が禁止されており,30分に満たない時間しか休憩することができず,被控訴人の黙示の命令や承認のもとに被控訴人の業務に従事していた。
ウ 就業規則上,終業時刻は午後5時又は午後5時35分とされていたが,その後も残業しており,その中には,付合い残業などと呼ばれるものもあるが,仕事をしていないのに付合いで残業しているというのではなく,帰りたくても帰ることが許されないために,どうしても残業してまでやらなくてはいけない仕事ではないが,それを残業して処理していたのであり,従業員の平均退行時間は午後8時過ぎころであった。
エ 控訴人は,平成8年1月から平成9年5月までの間に原判決別紙<2>ないし<18>記載のとおり時間外勤務をしたから,時間外勤務手当として205万0763円,付加金として同額の金員を請求をする。
<2> 被控訴人の主張
ア 被控訴人においては,始業時刻前に従業員2名が金庫を開扉してキャビネット類を運び出し,当日の処理案件を仕分け整理して各担当者に配布していたのであり,男子従業員全員で搬出するよう指示したことはない。朝礼は,午前8時30分ころからではなく,金銭出納係4名の準備完了後に行っており,融得会議は,開始時刻の定めのない自発的なものであり,被控訴人が控訴人に同会議への出席を強制したことはない。また,控訴人の担当業務は午前8時35分から午前9時までの25分間で十分に執務の準備が可能なものである。
イ 昼の休憩時間を30分しか認めないような労務管理はしていない。
ウ 控訴人は,主として外為事務を担当しており,その仕事量は外交担当の従業員と比べて少なく,終業時刻を過ぎても仕事をしなければならないほど多忙ではなかった。
エ 以上によれば,控訴人の時間外勤務手当の請求は失当である。
(2) 被控訴人及びその幹部らは,控訴人に対して控訴人の主張する不法行為に及んだか。不法行為が成立する場合,その損害額はいくらか。
<1> 控訴人の主張
控訴人は,被控訴人が控訴人その他の従業員に日常的に違法な時間外労働を強制し,時間外勤務手当の支給については実残業時間のごく一部しか認めなかったので,平成7年6月ころ上司の課長にその改善を申し入れた。しかし,逆に支店長らから部下が上司にクレームを付けたとして非難された外,このことが原因で同年7月1日付で九条支店から紫野支店に転勤となり,同年8月には係長に昇進するはずであったが,これを見送られるなど,被控訴人の幹部らから嫌がらせと昇進差別を受け,平成9年6月に退職を余儀なくされ,多大の精神的苦痛を被った。そして,これに対する慰謝料は500万円が相当であり,更に,控訴人は,本件訴訟の提起及び追行を弁護士に委任せざるを得なかったので,弁護士費用として50万円を要した。
<2> 被控訴人の主張
ア 被控訴人は,かねてより最終退行時刻の月平均を午後7時台前半とするように全店舗で業務内容を見直し,各従業員が効率的な仕事をして早帰りが実行できるよう勧めていた外,午前8時以前の店舗への立入りを原則として禁止するなど,できる限り時間外勤務をさせないよう努めてきた。
イ 控訴人が平成7年6月ころ課長から注意されて口論となったとき,残業問題等の改善の申入れはなかったし,その後の紫野支店への転勤は,控訴人の希望と被控訴人の人事配置の都合によるものである。同年10月1日時点で控訴人と同期扱いの同僚34名中17名が係長に昇進した際,控訴人を係長に昇進させなかったのは,対人関係が苦手で協調性の乏しい控訴人に部下を掌握させ指導育成させることに不安があったからである。また,控訴人が退職を希望したときには,当時の支店長が慰留に努めており,控訴人を退職に追い込んだことはない。
(3) 控訴人の付加金請求権は,2年の除斥期間が経過したことによって消滅したか。
<1> 被控訴人の主張
仮に被控訴人が時間外勤務手当の支払を怠ったとしても,違反のあった時から2年の除斥期間が経過したので,控訴人の付加金請求権は消滅した。
<2> 控訴人の主張
被控訴人に対する付加金請求権の除斥期間は被控訴人の悪質性が明らかになった本件訴え提起時から起算すべきであって,除斥期間は問題とならないし,仮にこれが問題となるとしても,除斥期間が経過したのは付加金請求権のうち一部についてのみである。
第3当裁判所の判断
1 控訴人が被控訴人に入行し,退職に至る経緯
争いのない事実に証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨を総合すると以下の事実を認めることができる。
(1) 控訴人は,大学卒業後,約5年間の生命保険会社勤務を経て,平成4年5月1日,被控訴人に雇用され,府庁前支店勤務となり,外為事務を担当した。平成6年8月1日,九条支店に転勤となり,同支店において,外為事務,融資業務などを担当することとなった。控訴人は,同支店では,出勤時間,休憩時間,退行時間などについて就業規則が守られていない実態があり,また,時間外勤務手当の請求も抑えられているなど不当な労務管理がなされていると強く感じるようになり,また,上司である同支店の森誠一営業課長(以下「森課長」という。)の部下に対する上記の点などに関する指導が不当で,しかも強圧的であると感じていた。そこで,平成7年春ころから,勤務開始時間,終了時間などを手帳にメモし,また,同年6月ころ,時間外勤務に関して森課長が部下に示した態度が行き過ぎであると感じて,同人に対して上記の点などについて抗議したところ,同課長と口論となった。その翌朝,同支店幹部らは,控訴人を呼び出した。同支店幹部らは,これまで,控訴人がカードローンの延滞者に電話した後,その父親が九条支店に怒鳴り込んできたことがあり,その際,控訴人は自己に非はなかったと主張したことなど,控訴人の日頃の言動に適切でない点があり,協調性に欠ける面があると考えていたこともあり,前日の森課長に対する言動は組織の秩序を乱すものであるなどとして,呼び出しに応じた控訴人に対し,控訴人は若手の中で見本を示さなければならない立場ではないかなどと,その言動について強く注意をした。しかし,控訴人は,これに納得できず,その後,同支店の華垣支店長と面談した際,森課長ともうまくやっていけないから支店を変(ママ)えて欲しいと要請した。そのころ,被控訴人の紫野支店において外為事務担当者が負傷し長期休暇を取らざるを得ない事態が発生していたこともあって,被控訴人は,控訴人を同年7月1日付で紫野支店に転勤させた。(<人証略>)
(2) 控訴人は,平成7年7月1日,紫野支店に転勤し,外為事務,融資業務などを担当することとなった。紫野支店の当時の支店長は内海進(以下「内海支店長」という。)であったが,内海支店長は,転勤してきた控訴人と面談した際,控訴人の九条支店でのトラブルを聞き及んでいたことなどから,控訴人に対し,控訴人を役席にしようという話は1,2年様子をみようということになった,何でも自分が正しいと思ってはいけないなどと述べた。
被控訴人は,平成7年10月1日の時点で控訴人と同期扱いの同僚34名のうち17名を係長に昇進させたが,その際,控訴人については,外為事務には問題がなかったものの,九条支店での顧客への対応,上司や部下との人間関係等に照らし,対人関係が苦手で協調性が乏しいものと判断し,そのような控訴人を係長に昇進させ,部下を掌握させて指導育成させることに危惧の念を抱いたため,控訴人の係長への昇進を見送った。
控訴人は,紫野支店においても,九条支店と異ならない労務管理が行われていると感じながら勤務を継続していたところ,平成8年2月ころ,内海支店長と面談する機会があった。その際,内海支店長は控訴人に対し,人事部から昇進の件について照会があったが,まだ役席にはさせないと回答したなどと述べた。紫野支店の支店長は,同年4月1日に内海支店長から高木幾久雄支店長(以下「高木支店長」という。)に代わった。高木支店長は,着任後しばらくしてから,午前8時までは営業室に入らないことと,金庫開扉時刻も午前8時15分以降とすることを指示した外,支店長が残っていても気にせずに退行し,また仕事をできるだけ持ち帰らないよう指示するなどした。
控訴人は,同年10月ころから被控訴人を退職することを考えるようになっていたところ,平成9年1月13日ころ,自己開発ノートを作成し,被控訴人に提出した。そのノートには,人事部役席との面談を希望するとともに,「仕事の量は適当である。」,「仕事の程度はやさしい」についてはいずれもプラス2という自己評価をし,また,被控訴人に対する意見欄に「労務管理面での扱いについて上司にクレームをつけた事によって人事ペナルティーを課すのは不当な取扱いです。問題を究明し納得いく対応を求めます。」と記載した。前記面談希望に基づき,控訴人は,同年4月2日と同月10日の2回にわたり,人事部次長小林正幸(以下「小林」という。)と面談し,時間外勤務手当について労働基準法に違反していること,上司にクレームを付けたことが原因で昇進が遅れたことなどを訴えた。しかし,控訴人は,人事部が自ら訴えた問題を取り合ってくれなかったと感じたこともあって,被控訴人における将来を悲観して退職の意思を固め,同年5月22日に高木支店長に退職を申し出て,同年6月30日,退職するに至った。(<証拠・人証略>)
2 争点(1)(時間外勤務手当の請求)について
(1) 事実関係
前記認定事実に証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実を認めることができる。
<1> 被控訴人は,従来から,従業員の健康促進と時間外勤務手当の削減のために,「グッバイ・セブン」と名付けた運動月間を設け,全店舗で最終退行時刻の月平均を午後8時以前(平成5年8月2日付人報第991号)あるいは午後7時台前半(平成7年8月3日付人報第336号,平成8年2月1日付人報第432号)とするよう全行員に求めていた。また,被控訴人人事部長は,平成7年7月5日付で各部店長宛に,最終退行時刻午後7時台を厳守されたい旨の書面を発していた。(<証拠・人証略>)
<2> 被控訴人従業員組合は,平成5年3月12日付で,被控訴人宛に「総労働時間短縮にむけての要請書」を提出していた。また,被控訴人従業員組合が平成7年10月に実施した職場点検実態調査の結果では,平成7年度における,係別最終退行時刻は,内部(除役席)が18時28分であり,内部(役席),貸付係,得意先係,本部が19時45分ないし50分であり,また,金庫開閉平均時刻は,開扉時刻が8時16分であり,閉扉時刻が19時37分であった。また,職場点検アンケート集計結果では,出勤時刻(男子)について,88パーセントが午前8時までに出勤し,退行時刻(男子)については,午後8時までが80パーセント(午後7時台が60パーセント)を占めていた旨の報告がなされた。(<証拠略>)
<3> 内海支店長は,紫野支店に午前8時から8時10分ころに出勤し,また,高木支店長は,午前8時過ぎころ出勤していた。高木支店長が出勤したときには,男子行員は,8割ないし9割は既に出勤していた。内海支店長時代には毎日朝礼が行われていたが,高木支店長着任後は,しばらくしてからは,月初めと月曜及び木曜にだけ朝礼が行われるようになった。その朝礼は,金庫が開扉され開店の準備が完了した後で,午前8時30分ころから約10分間程度行われることが多かった。
<4> 紫野支店では,重要な書類や物品を約17,8個のキャビネットに収納して地下1階の金庫に保管し,開店前に,同金庫を開扉してキャビネットを運び出し,これをリフトに乗せて1階に上げ,各担当者が開店の準備をしており,その準備完了まで約25分程度を要していた。高木支店長は,着任後に金庫開扉時刻を午前8時15分以降とすることを指示した。控訴人を含め,金庫が開扉されるまでには,男子行員はほとんど出勤していた。
<5> 紫野支店では,2階の会議室に営業関係の課長と男子従業員が集まり,融資先の状況等を報告して情報を交換するため,課長を主催者として,原則として週1回の割合で始業時刻前,午前8時10分ころからいわゆる融得会議が行われていた。平成9年5月以降,同会議についてはすべて労働時間として扱われることとなった。(<証拠略>)
<6> 被控訴人は,従業員は午前11時から午後2時までの間に60分間業務に支障のないよう交替して休憩時間を取るものとしていたが,顧客の来訪や電話があった場合,担当者しか分からないこともあるので,昼休みにも連絡が取れるようにするため,従業員が各支店から外出できるのは,予め行先を届け出て承認された場合に限っていた。紫野支店では,従業員は,基本的に同支店2階の食堂を利用するなどして休憩を取っていた。
<7> 被控訴人では以前から従業員の早帰りを推進し,退行時刻が遅くとも午後7時台前半となるよう注意を喚起していたが,実際には多数の男子従業員が午後7時以降も支店内に残って仕事をしていた上,いわゆる持ち帰り残業も行われており,その事情は,紫野支店でも同様であった。紫野支店に平成7年8月から平成10年1月まで,支店長代理兼営業課長代理として勤務した半田達彦は,同支店勤務中に営業課員に対し,「本日以降,夜7時を超えて残業する場合は,必ず事前に高嶋課長または半田(両者不在の場合は事務長)まで残業理由と終了予定時刻を申告のこと,申告無い場合の7時以降の残業は認めない。」旨記載した文書を回覧したことがあった。また,平成8年5月27日から同年6月21日までの間についてみても,紫野支店営業課では,勤務終了予定時間を記載した営業課週間予定表を作成したところ,同予定表によれば,午後6時30分ないし同7時30分が予定されたことが多いが,午後8時及び同9時という場合もあった。(<証拠略>)
<8> 被控訴人における時間外勤務に関しては,タイムカードはなく,時間外勤務命令票による自主申告の制度がとられていた。紫野支店において,時間外勤務命令票は課長が管理し,課長がその必要性を認め,従業員が自主申告した分について時間外勤務扱いとされてきた。(<証拠略>)
<9> 控訴人は,紫野支店においては営業課に勤務し,外為事務及び外為取引のある顧客に対する渉外事務も担当していた。控訴人は,おおむね午前8時過ぎころまでに出勤し,出勤後は,支店の金庫が開扉されたらその中から取り出されるキャビネットの運搬を手伝うことがあり,その後は,自らの担当である外為業務に関するファイル,キャッシュボックスなどを運び出し,その後の業務に関する準備などをしていた。開店後は,担当業務である外為事務に従事するとともに,他の行員が多忙なときなどは,融資,預金,為替関係業務について助勢し,客の応対などに追われることもあった。また,毎日午後4時30分から同5時30分までは,支店の周囲を幾つかのエリアに区切ってそれぞれ担当を決め,金融商品の販売や預金加入を勧める業務(店周外交)を行うこともあった(高木支店長時代)。そして,控訴人は,終業時刻後に稟議書の作成,報告書の作成などを行っていた。なお,控訴人は,時間外勤務命令票に基づいて,月初めに時間外勤務について自主申告していた。控訴人が申告した時間外勤務時間は,少ない月で10時間30分(平成8年8月)であり,多い月で36時間(平成8年9月)であった。(<証拠略>)
(2) 検討
<1> 始業時刻前の時間外勤務について
ア 前記認定事実によれば,紫野支店においては,男子行員のほとんどが8時過ぎころまでに出勤していたこと,銀行の業務としては金庫を開きキャビネットを運び出し,それを各部署が受け取り,業務の準備がなされるところ,金庫の開扉は,内海支店長時代には8時15分以前になされ,高木支店長時代になってもその時刻ころにはなされていたと推認されること,このような運用は,被控訴人の支店において特殊なものではなかったこと,また,紫野支店において開かれていた融得会議については,前記認定のとおり男子行員については事実上出席が義務付けられている性質の会議と理解できることなどを総合すると,被控訴人紫野支店においては,午前8時15分から始業時刻までの間の勤務については,被控訴人の黙示の指示による労働時間と評価でき,原則として時間外勤務に該当すると認めるのが相当である。また,融得会議など会議が開催された日については,それが8時15分以前に開催された場合には,その開始時間以降の勤務はこれを時間外勤務と認めるのが相当である。
イ これを基準に,控訴人の時間外勤務について検討する。控訴人は,本訴において,勤務開始時間を自らの手帳におけるメモ(<証拠略>)に基づいて主張するとともに,手帳に記載のない時間については,午前8時05分が男子行員の全員がいずれの時期においても遅くとも,間違いなく労働を開始していた時刻であることからして,上記時刻を控訴人の勤務開始時間とみなしたと主張する。
前記認定事実によれば,控訴人は,勤務先には午前8時過ぎ頃までに出勤することを常としていたことが認められるから,手帳に記載のあるなしにかかわらず,上記基準に従い,午前8時15分までには出勤して勤務に従事していたと推認するのが相当である。そうすると,控訴人の始業時刻前の時間外勤務手当については,本判決別紙記載の額について認めるのが相当である。
<2> 昼の休憩時間中の時間外勤務について
被控訴人において,昼の休憩時間については,従業員が支店から外出できるのは行先を届け出て承認された場合に限られていたが,それは顧客が来店したときや顧客から電話があったときの便宜のためであり,そのことをもって被控訴人が従業員に休憩時間中に労務を遂行すべき職務上の義務を課していたとまではいえない。そして,従業員が顧客の来訪や電話に対応することがあったとしても,それだけで労働から解放されて自由に利用できる時間が60分間は保障されていなかったとはいい難い。前記認定事実によれば,被控訴人の支店において,従業員が昼の休憩時間を事実上,十分に確保できない場合があったのではないかと疑われるとしても,それが常時のことであったま(ママ)で認めるに十分な証拠はなく(<証拠略>もこの認定を左右するものではない。),被控訴人によって,従業員の昼の休憩時間が常に30分以下に制限されていたと断定することは困難である。そして,控訴人が昼の休憩時間に業務をしたことがあったとしても,その理由,また,その内容,程度については具体的に明らかではないというほかはなく,昼の休憩時間についての時間外勤務に関する控訴人の主張は採用することができない。
<3> 終業時刻後の時間外勤務について
ア 前記認定事実によれば,紫野支店においては,多数の男子行員が午後7時以降も業務に従事していたこと,このような実態は,被控訴人の支店において特殊なものではなかったこと,紫野支店では,前記認定にかかる文書(<証拠略>)が回覧され,勤務終了予定時間を記載した予定表が作成されていたことなどからすると,紫野支店においては,終業時刻後,少なくとも午後7時までの間の勤務については,被控訴人の黙示の指示による労働時間と評価でき,原則として時間外勤務に該当すると認めるのが相当である。また,それ以後の時間帯であっても,被控訴人が時間外勤務を承認し,手当を支払っている場合には,その時間も時間外勤務に該当するというべきである。
イ この基準に従い,控訴人の時間外勤務について検討する。控訴人は,本訴において,勤務終了時間を自らの手帳におけるメモ(<証拠略>)に基づいて主張するとともに,手帳に記載のない時間については,支店における平均退行時刻である午後8時を控訴人の勤務終了時間とみなしたと主張する。しかしながら,控訴人のメモによっても,控訴人は比較的早い時間帯に退行している日もあるのであって,控訴人のメモに記載のない日について一律に午後8時が勤務終了時間であったと認めることは困難である(始業時刻前とはその時間帯の性質において事情が異なる)。そして,また,前記認定のとおり,原判決別紙<2>ないし<18>記載の時間外勤務(終業時刻後)の中には控訴人が時間外勤務を自主申告してその手当が支払われている日が相当程度存在することが認められるところ(控訴人において自認している。),その日については,その時間が時間外勤務の対象であったと認めるのが相当であり,仮に,事実上,申告時刻以後に退行したことがあったとしても,これをもって控訴人の終業時刻後の時間外勤務を認定するのは相当ではないというべきである。
そうすると,控訴人の終業時刻後の時間外勤務手当(未払分,但しその計算においては,自主申告分と同様,10分間の休憩時間を控除したものとする。)については,本判決別紙記載の額を認めるのが相当である。
この点について,被控訴人は,控訴人は終業時刻を過ぎても仕事をしなければならないほど多忙ではなかった旨主張するが,前記認定事実によれば,控訴人は,時間外勤務を自主申告し,被控訴人においてその必要性を認めた日も相当あること,また,控訴人が仕事もないのに居残りをしていたとは考え難いし,この点に関する控訴人の供述内容については信用性を有すると考えられることなどからして,被控訴人の前記主張は採用することができない。
(3) 付加金について
付加金について裁判所は,使用者による労働基準法違反の程度や態様,労働者の受けた不利益の性質や内容,この違反に至る経緯,その後の使用者の対応など諸事情を考慮して,その支払を命ずるか否かを決定できるものである。そして,前記認定事実によれば,本件の始業時刻前の時間外勤務については,始業時刻前の準備行為という性質をも伴うものであることなどから,これまで原則として時間外勤務の対象とされてこなかった面もあると推認され,そのことについては,その時間帯の性質上,あながち理由がないとはいえないこと,被控訴人紫野支店においても,平成9年5月からは融得会議についてはこれを時間外勤務に該当するという扱いに改めたこと,終業時刻後の時間外勤務については,被控訴人において,なるべくこれを減少させようとそれなりに努力し,また,そのすべてではないといえ,従業員の自主申告分についてこれを支払ってきたこと,控訴人に対しても在職中はその申告分の支払がされてきたこと,また,平成9年5月分については,控訴人の勤務日はほとんどその請求がされ,時間外勤務手当が支払われていることなどの諸事情を総合考慮すると,本件については,付加金の支払までは命じないのが相当であると判断される。
3 争点(2)(不法行為に基づく損害賠償請求)について
控訴人は,被控訴人の幹部らから嫌がらせと昇進差別を受け,退職を余儀なくされ,多大の精神的苦痛を被ったなどと主張する。控訴人が昇進差別と主張している点に関しては,平成7年10月1日時点で,被控訴人は,控訴人と同期扱いの同僚34名のうち17名を係長に昇進させたが控訴人を昇進させなかったことが認められるところ,同期のうち半分が昇進しなかったのであるから,その事実だけから直ちに被控訴人の控訴人に対する不当な昇進差別行為を推認することはできない。そして,そもそも係長に昇進させるか否かについては,控訴人の具体的担当業務についての能力のみならず,部下に対する指導力,その他の評価に基づく総合的な判断であって,被控訴人に広い裁量権があると解されるところ,前記認定事実によれば,被控訴人は,控訴人について,上司や部下との人間関係等に照らし,対人関係が苦手で協調性が乏しいものと判断し,そのような控訴人を係長に昇進させ,部下を掌握させて指導育成させることに危惧の念を抱いたため,控訴人の係長への昇進を見送ったものと認められ,本件各証拠を検討しても,この点について被控訴人に裁量権を逸脱した違法な行為があったとまでは認め難い。確かに前記認定事実によれば,上記判断に九条支店における控訴人の言動が影響していないとはいえず,控訴人が紫野支店に転勤した際,内海支店長から,控訴人を役席にしようという話は1,2年様子をみようということになったなどといわれたことが認められるが,これらの点を考慮に入れても,被控訴人の上記判断が直ちに違法となるとまではいえない。そして,控訴人は,この昇進差別と被控訴人幹部らの嫌がらせにより退職を余儀なくされた旨主張するが,被控訴人の幹部らがその後も控訴人に対し,不法行為と認定できるほどの嫌がらせをしたと認めるに十分な証拠はなく,前記認定事実よれば,控訴人が退職に至ったのは,前記九条支店における出来事やその後の上司の対応,自己に対する評価などから,被控訴人における自己の将来を悲観して自らの判断で退職を選択したというべきであって,本件において,時間外勤務をめるぐ被控訴人の対応には問題がないとはいえないが,被控訴人が違法な行為によって控訴人を退職に追い込んだということはできない。
そうすると,被控訴人の不法行為を理由とする控訴人の損害賠償請求は理由がない。
4 まとめ
以上によれば,控訴人の請求は,72万5580円及びこれに対する平成9年7月1日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由があり,その余は理由がない。
第4結論
よって,これと異なる原判決を変更することとし,主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結日 平成13年3月13日)
(裁判長裁判官 浅野正樹 裁判官 東畑良雄 裁判官 古久保正人)
別紙
(始業時刻前時間外勤務手当の計算方法)
控訴人の勤務日について,原則として8時15分から8時35分までの20分間を,会議があったことにより8時15分以前の勤務開始時間が認められるものについてはその時間から8時35分までの時間をそれぞれ時間外勤務手当の対象とする。その手当の単価については,原判決別紙にそれぞれ記載された額(争いがない)とする。
(終業時刻後時間外勤務手当の計算方法)
控訴人の勤務日について,時間外勤務手当が既に支払済みの日(乙10~27により認定できる日)については,対象外とする。その他の日のうち,勤務終了時間が明確でない日(控訴人の手帳のメモに記載のない日)についても対象外とする。そして,勤務終了時間が控訴人の手帳のメモにより午後7時以後と認められる日については午後7時まで,それまでに控訴人が勤務を終了している日についてはその時間までを時間外勤務手当の対象とする。その場合の勤務時間は,午後7時まで勤務した場合,終業時刻が午後5時の日は110分,午後5時35分の場合は75分となる(いずれも休憩時間10分を控除する)。その手当の単価については,原判決別紙にそれぞれ記載された額(争いがない)とする。
1 平成8年1月分
(1) 始業時刻前時間外勤務
20分×12日間(原判決別紙<2>記載の控訴人の勤務日,但し下記の日を除く)
25分×2日間(17日,24日)
(2) 終業時刻後時間外勤務
ア 時間外勤務手当支払済みの日
12日,16日,18日,19日,25日,26日,29日,31日
イ 時間外勤務手当対象外の日
17日,30日
ウ 時間外勤務手当対象日
75分×1日間(22日)
110分間×1日間(23日)
50分間×1日間(24日)
(3) 合計
525(分)÷60×2368.588=2万0725円
2 平成8年2月分
(1) 始業時刻前時間外勤務
20分×20日間(原判決別紙<3>記載の日)
(2) 終業時刻後時間外勤務
ア 時間外勤務手当支払済みの日
1日,2日,13日,16日,19日,20日,22日,23日,26,(ママ)27日,28日,29日
イ 時間外勤務手当対象外の日
5日,6日,9日,14日,15日,21日
ウ 時間外勤務手当対象日
85分×2日間(7日,8日)
(3) 合計
570(分)÷60×2368.588=2万2501円
3~17<略>
18 まとめ
平成8年1月分 2万0725円
2月分 2万2501円
3月分 4万2713円
4月分 5万7622円
5月分 3万7321円
6月分 1万8660円
7月分 4万0397円
8月分 5万1265円
9月分 4万4826円
10月分 7万2591円
11月分 5万2331円
12月分 6万7260円
平成9年1月分 2万9913円
2月分 4万7570円
3月分 4万6739円
4月分 6万2437円
5月分 1万0709円
合計 72万5580円