大阪高等裁判所 平成11年(行コ)103号 判決 2002年1月30日
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求める裁判
1 控訴人ら
1) 原判決を取り消す。
2) (主位的)
兵庫県伊丹市α18番畑1834平方メートルを含む24筆の土地について伊丹廃寺跡として史跡に指定する旨の文化財保護委員会の昭和41年3月22日付け処分(同年文化財保護委員会告示第15号)は,上記18番の土地に関する関係で無効であることを確認する。
3) (予備的)
2)の史跡指定処分を解除すべき旨の控訴人らの申請に対し被控訴人が何らの判定をしないのは違法であることを確認する。
4) 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
主文と同旨。
第2争いのない事実等
1 兵庫県伊丹市α18番畑1834平方メートルの土地(以下「控訴人ら所有地」という。)は,もとAが所有していた。同人は昭和40年1月14日死亡し,承継前控訴人BとCが控訴人ら所有地を持分2分の1の割合で相続し,同年12月10日その旨の所有権移転登記がされた。Cは,同人の持分をB及び控訴人らの4名に各8分の1宛を遺贈して昭和43年1月11日死亡し,昭和44年3月8日その旨の持分移転登記がされた。(甲5の3,乙22)
2 Bは平成12年3月9日死亡し,その相続人のうち控訴人らが,控訴人ら所有地のBの持分を平等割合で承継し,同年10月12日その旨の持分移転登記がされた。その結果,控訴人ら所有地は控訴人らが共有する土地になった。
3 文化財保護委員会委員長名義で,昭和41年3月22日付け官報で,控訴人ら所有地を含む24筆の土地につき,昭和43年6月15日法律第99号による改正前の文化財保護法(以下「法」という。)69条1項に基づき「伊丹廃寺跡」として史跡に指定する旨の処分(以下「本件指定処分」という。)が告示(同年文化財保護委員会告示第15号。以下「本件告示」という。)された。
4 昭和41年7月19日付け官報の正誤の項目に本件告示の「兵庫県伊丹市α18番」が誤りで,「兵庫県伊丹市α16番,18番,21番,22番,23番,25番,26番,27番」が正しい旨の掲載がされた。
5 昭和43年6月15日法律第99号附則3項,同法による改正後の文化財保護法69条1項により,文化財保護委員会のした史跡指定処分は,承継前被控訴人文部大臣がした処分とみなされた。
6 B及び控訴人らは,昭和62年8月7日付けで,文部大臣に対し,控訴人ら所有地について本件指定処分の解除申請をした。
7 中央省庁等改革関係法施行法(平成11年法律第160号)1301条により,承継前被控訴人文部大臣がした史跡指定処分は,同法522条による改正後の文化財保護法69条1項に基づき被控訴人文部科学大臣がした処分とみなされた。
第3争点
1 本件指定処分は無効か。
控訴人らは,本件指定処分の無効事由として,次のとおり主張する。
1) 文化財保護委員会は控訴人ら所有地を具体的に特定した史跡指定の決定をしていない。
(控訴人らの主張)
文化財保護委員会は,昭和40年3月26日開催の委員会で,伊丹廃寺跡を史跡に指定する旨の決定をしたものの,史跡指定の対象となる土地の具体的特定は一切していない。上記委員会決定後,文化財保護委員会事務局と伊丹市及び兵庫県の職員との協議・調整により,対象土地の具体的特定がされた結果,昭和41年3月22日付けの本件告示がされたが,文化財保護委員会は,その間に委員会を開催せず,史跡に指定すべき対象土地の具体的特定について何も決定していない。したがって,文化財保護委員会の控訴人ら所有地を史跡に指定する旨の意思決定がないままで,本件告示がされたものである。
(被控訴人の主張)
昭和40年の前記委員会決定から本件告示までの間に,史跡に指定すべき対象土地の地番を特定することのみを目的とする文化財専門審議会への諮問・文化財専門審議会の答申・文化財保護委員会の決定という手続はなかった。しかし,本件指定処分がされてから30年も経過した現在,明確な証拠は存在しないものの,最終的に,本件告示で史跡の範囲について地番を特定する形で外部的に表示されているのであるから,その前提として,文化財保護委員会の内部部局である事務局が伊丹市や兵庫県の職員との間で協議・調整するという経緯を経て史跡指定の対象土地を具体的に地番で特定し,その作業を受けて,文化財保護委員会が,本件指定処分の対象土地の具体的範囲を特定する形で決定したという手続過程が当然に存在したと推認すべきである。
2) 本件指定処分は,控訴人ら所有地の共有者であったC及びBに通知されていない。
(控訴人らの主張)
史跡指定処分は,土地所有者等の権利を制限するものであるから,法69条3項の指定処分通知は書面によるべきである。当時の控訴人ら所有地の共有者であったCとBにはそのような通知はされていない。
(被控訴人の主張)
法は,69条3項の通知について,文書形式の要否等の具体的な方法については何も規定していない。史跡指定処分による権利制限は,将来において具体的な権利の行使が制限される可能性があるというものにすぎないから,史跡指定処分の通知は,文書によることを要せず,口頭による通知その他便宜の方法によることでもよい。伊丹市教育委員会のF係長らは,本件指定処分の通知書を持参してC宅を訪問し,Cに控訴人ら所有地について本件指定処分がされた旨を説明して,通知書を交付しようとしたが,Cにその受取を拒否されたので,Bに本件指定処分があった旨を伝えるように依頼して帰った。CとBは親子であり,本件指定処分の直前まで同居していたから,Bは,少なくとも本件指定処分を了知可能な状態にあり,Bに対しても通知があったというべきである。また,伊丹市教育委員会は,後日,Bに本件指定処分の通知書を郵送した。
3) 伊丹廃寺の中心伽藍跡地区の土地は,本件指定処分の対象土地となっていない。遺跡の中心部分を欠落するような本件指定処分は無効である。
(控訴人らの主張)
史跡指定処分は,一定範囲の土地を対象として官報告示がされることにより成立し,当該史跡を構成する土地所有者等に通知することによりその効力を当該土地所有者等に及ぼすことができるとされている。本件告示は昭和41年3月22日付けの官報でされたが,そこでは伊丹廃寺の中心伽藍地区の土地は対象にされていなかった。また,その後に所有者等に通知がされたとしても,その通知は本件告示の内容と同様であるから,通知でも中心伽藍地区は対象とされていなかった。その後に官報の正誤表で本件告示の対象土地に中心伽藍地区を付け加える趣旨の訂正がされたが,いったん本件告示と通知により成立した本件指定処分について,何者かが正誤表という形で訂正を試みたとしても,それにより中心伽藍地区をも対象とする史跡指定処分が成立したことになるものではない。そして,中心伽藍地区を欠落するような史跡指定処分は法69条所定の実質的指定要件を欠き,当然無効である。なお,史跡は一定の範囲の土地により全体として形成されるのであり,史跡指定処分は一体不可分の一個の行政処分であるから,本件指定処分に上記のような無効事由があることは,控訴人らにおいてもこれを主張することができる。(被控訴人の主張)
控訴人らは,自己の法律上の利益に関係のない無効事由を主張することは許されない。控訴人らは,中心伽藍地区の土地については何も法律的な関わりを持たないのであるから控訴人らの主張は理由がない。
中心伽藍地区は,本件指定処分の官報告示及び告示の正誤訂正という経緯を経て,本件指定処分の対象とされている。
4) 伊丹廃寺の中心伽藍跡地区以外の土地に対する本件指定処分は裁量権の逸脱又は権限濫用により無効である。
(控訴人らの主張)
史跡指定処分は,これがされても土地所有者等に対して損失補償がされないが,それは,文化財たる性格を具有する土地の所有権等は,もともと公共の利益に奉仕する内在的制約を伴った権利であることに基づくものであると考えられる。したがって,史跡指定処分は,その内在的制約を超えない範囲,程度,方法によるものでなければならない。それ故,特に関係者の所有権等を尊重してされなければならないのであって,その旨を規定する法70条の2第1項は,単なる訓示規定ではなく,規範性,法規制を持つ規定である。とりわけ,本件の場合は,次の事実を指摘することができるのであるから,指定庁の裁量の範囲は狭く,必要最小限ないし必要不可欠の範囲にとどめるべきである。中心伽藍跡地区以外の控訴人ら所有地等についてまで対象とした本件指定処分は,裁量権の逸脱又は権限の濫用に該当し,違法無効である。
① 遺跡等はほとんど偶然の機会に発見されるものであり,土地所有者が土地を取得する際にはわからない。本件の遺跡も昭和33年に畑の耕作中に水煙等が発見されたのが発掘調査のきっかけであった。② 伊丹廃寺跡の保存は中心伽藍跡地区の史跡指定のみで十分目的を達成できる。伊丹市は昭和40年2月23日に主要伽藍跡地区に絞って史跡指定申請をし,その範囲の土地を買って整備し,昭和43年4月1日から史跡公園に供用している。伊丹市はその限度で必要かつ十分と考えていたのである。③ 伊丹廃寺より高い価値のある遺跡でも,土地利用計画との関連で史跡指定がされなかった例は多い。伊丹廃寺跡についても,発掘調査により遺跡,遺構が多数存在するとされている自衛隊伊丹駐屯地内については史跡指定がされていない。④ 前記史跡公園の四周は舗装道路で区画され,史跡公園こそが伊丹廃寺跡であると一般に認識され得る状態で公開,活用されている。⑤ 史跡公園の外側の土地を史跡として整備するには国又は公共団体が所有権等の権原を取得する必要があるが,現在の土地利用状況にかんがみると,そのようなことは実際上不可能である。
(被控訴人の主張)
法1条,69条1項の規定にかんがみると,史跡指定処分は,専門的,技術的観点からする広範な裁量権を前提とするものと考えられる。史跡指定処分自体に損失補償が伴わないのは,史跡指定処分だけでは軽微な制約を課すにすぎないからである(法80条5項参照)。
控訴人ら主張の①の点は,裁量権の範囲に直接関わるものではない。②及び③については,史跡の指定範囲は,遺跡の範囲,遺構等の保存状況,遺跡地の現状,指定をしなければ破壊を受けることになるかどうか,指定後に史跡公園等として整備し公開することを期待できるかどうか等を総合的に勘案して決められるものである。調査結果によると,伊丹廃寺跡は,中心伽藍地区の外側にも重要な遺構があり,控訴人ら所有地内にも築地跡及び外溝が存在することが明らかであるから,控訴人ら所有地を含め中心伽藍地区外の土地をも史跡に指定したのであり,このことについて裁量権の逸脱等はない。④,⑤については,現在史跡公園として整備され,公開されているのは中心伽藍地区のみであるが,伊丹市においては,それ以外の地域についても,所有者の理解が得られた部分については順次国庫補助により買収を行っており,これが整備,公開に適する一定の範囲としてまとまれば,地下の遺構に即して整備し公開することとしている。史跡保護事業の進行途中の状況をもとにする控訴人らの主張は,適切ではない。
2 本件指定処分に無効とされる瑕疵があっても,本件指定処分を基礎として新たな事実上,法律上の関係が形成されており,法的安定性,公益的見地から,控訴人らはその無効を主張することができないか。
3 本件指定処分の解除申請に対する不作為違法確認請求の訴えは適法か。
第4当裁判所の判断
1 争点1の1)について
1) 争いのない事実等と証拠(乙2,4,5,7~9,10・11の各1・2)及び弁論の全趣旨によると,次の事実を認めることができる。
ア 伊丹市長は,昭和40年2月23日,文化財保護委員会に対し,伊丹市α22番,23番,25番ないし27番の土地にある伊丹廃寺跡を史跡に指定することを求める申請書を上記5筆の土地の実測図等を添付して提出し,同委員会は,同月27日,これを受領した。
イ 上記の各土地は,いずれも,それまでの長期間の発掘調査により,伊丹廃寺の金堂跡,塔跡,回廊跡等が存在することが判明していた地域であり,伊丹廃寺跡の中心的な地域であった。
ウ 文化財保護委員会は,同年3月19日,文化財専門審議会に対し,伊丹廃寺跡の史跡指定について諮問したが,その諮問書には,伊丹廃寺跡の所在地として,伊丹市αと記載されているだけで,史跡として指定すべき伊丹廃寺跡の所在地の地番や範囲は記載されていなかった。
エ 伊丹市長は,同日,文化財保護委員会に対し,伊丹廃寺跡の所在地の範囲を追加する史跡指定申請の追加書類として,控訴人ら所有地を含む43筆の土地の地番,地目,所有者等を記載した地籍調書,これらの土地の所在場所が記載された地図等を送付し,文化財保護委員会は,同月24日,これを受領した。これらの土地は,おおむね,それまでの発掘調査の結果,回廊跡の一部,その外側の築地跡等の遺構があると認められ,あるいはそのように推認されていた土地である。
オ 文化財専門審議会は,同月24日,文化財保護委員会の前記諮問に対し,伊丹廃寺跡の史跡指定について原案のとおり議決した旨答申したが,その議決書には,史跡として指定すべき伊丹廃寺跡の所在地の地番,範囲は記載されていなかった。
カ 文化財保護委員会は,同月26日,伊丹廃寺跡の史跡指定について,同委員会を構成する5人の文化財保護委員によって,答申のとおり決定する旨を原議書による書面決裁の方法で決定したが,原議書には,史跡として指定すべき伊丹廃寺跡の所在地の地番,範囲は記載されていなかった。
キ 文化財保護委員会の上記決定後,同委員会事務局と伊丹市及び兵庫県との間で,本件指定処分の対象土地の具体的特定のための協議,調整がされた。
ク その後,文化財保護委員会は,昭和41年3月22日付け官報で控訴人ら所有地を含む24筆の土地を所在地とする伊丹廃寺跡を史跡に指定する旨の本件告示をし,同年7月19日付け官報で,前記のとおり本件告示に記載された地番の訂正をした。
ケ 文化財保護委員会の事務を引き継いだ旧文部省には,同委員会が本件告示に見合うような土地の地番,範囲を明確にした史跡指定の決定をしたことを示す会議記録,原議書,議決書,決定書等の書類は残されていない。
2) 上記認定によると,文化財保護委員会は,史跡指定の決定をした昭和40年3月26日当時,文化財保護委員会に提出された資料により,伊丹廃寺跡の史跡として指定すべき範囲を認識し得たというべきであるところ,その後に,文化財保護委員会委員長名で,その範囲に属する土地の地番を特定した本件告示がされているのであるから,上記決定をするについて,文化財保護委員会が指定すべき史跡の範囲等を全く顧慮しないということは想定しがたいことであって,同委員会が史跡の範囲等を顧慮しなかったことをうかがわせるような事情がない以上,同委員会において伊丹廃寺跡の史跡として指定すべき範囲を認識していたものと認めるのが相当である。そして,上記の消極的な事情があることを認めるに足りる証拠はない。また,同委員会事務局が同委員会の所掌事務を遂行するために置かれる補助機関であることにかんがみると,同事務局が同委員会において史跡指定の対象とした土地の具体的特定のための作業を行ったことは,同委員会の意に基づいて本件告示に必要とされる事項を明らかにするための補助事務として行ったものとみるべきであり,これをもって,本件告示が同事務局の意思によるもので同委員会の決定に基づくものでないということもできない。
また,前記認定によると,主要伽藍の存在する区域は,最も早くから発掘調査が進められ,伊丹廃寺跡の遺跡の中心的な部分である。このことと,本件指定処分がされた前記認定の経緯に照らすと,本件指定処分は当初から主要伽藍の存在する区域を含むものとしてされたものであり,昭和41年3月22日付けの本件告示は単なる事務的な誤りにより主要伽藍地区の表示が落ちていたものと認めるのが相当である。同年7月19日付けの官報によりされた正誤訂正は,当初の告示のこのような過誤を補正する性格のものであったと認めるのが相当である。
以上によると,文化財保護委員会は本件告示(訂正後のもの)に示されたとおりの史跡指定の決定をしたものと認めるのが相当である。したがって,控訴人らの争点1の1)に関する主張は,採用することができない。
2 争点1の2)について
1)法69条3項は,史跡指定は,官報で告示するとともに史跡の所有者等に通知してする旨を定め,同条5項は,史跡指定は官報の告示があった日からその効力を生じる旨,ただし,史跡の所有者等に対しては3項の通知が到達した時からその効力が生じる旨を定めているところ,控訴人らは,本件指定処分は,C及びBに対して法69条5項の適法な通知がされなかったから無効であると主張する。
上記法の規定によると,史跡指定処分は,所有者等でないものに対する関係では官報による告示により発効するのであり,所有者等に対して適法な通知がされていないことはそれ以外の者に対する関係では効力発生の要件ではないと解されるから,所有者等でない者は上記適法な通知の欠缺を主張して史跡指定処分の効力を争うことはできない。そして,控訴人らは,本件指定処分について本件告示がされた当時は控訴人ら所有地の所有者等に該当しなかった。しかし,控訴人らは,その後Cから控訴人ら所有地の持分の遺贈を受けたほか,Bの相続人として同人の権利義務を承継したのであるから,前記適法な通知の欠缺を主張して本件指定処分の効力を争うことができると解するのが相当である。
2) そこで,控訴人ら主張の通知の点について検討する。
ア 前記争いのない事実と証拠<甲2,5の3,6,7の1・2,9の1・2,乙1~3,6,11の1・2,16~20)及び弁論の全趣旨によると,次の事実を認めることができる。
伊丹廃寺跡の発掘調査は昭和33年暮れに着手され,昭和40年まで断続的に行われた。控訴人ら所有地の発掘調査は,昭和37年3月~4月の第11次調査及び昭和39年12月~40年1月の第22次調査として行われた。調査はDらが中心となって行った。その当時,Cと夫のAは,控訴人ら所有地に続く17番の土地上の自宅に住んでいた。Bは昭和31年に医師免許を取得した医師であったが,昭和41年1月7日頃まで上記住居に両親であるA夫婦と同居し,そのころ豊中市に転居した(CとBの正確な身分関係は甲7号証の1・2に記載されているとおりであろうが,実際には母と子であった。)。この間の昭和40年1月14日にAは死亡した。控訴人ら所有地はAの所有名義に登記されていたが,同人の死亡後は,昭和40年12月10日に,CとBが2分の1の持分で相続した旨の所有権移転登記がされた。前記の昭和40年3月19日付で伊丹市長から文化財保護委員会に提出された地籍調書は,上記相続登記の前でA名義の時に提出された書類ということになるが,そこではBが所有者とされている。
Dは,第11次調査の際Bの両親(C及びA)から発掘調査の承諾を得たこと及びその際Cから控訴人ら所有地の竹が枯れたことについて小言を言われたと記憶している。また,Dは,第22次調査の際には,Bから,発掘調査がAの病気が悪くなった原因であるという理由で中止を求められ,すぐに中止したが,Bは埋戻し作業をすることも承諾しなかったと記憶している。
伊丹市教育委員会に昭和41年3月22日付けで文化財保護委員会委員長から本件指定処分の所有者宛の通知書が届けられ,伊丹市教育委員会社会教育課社会教育係長であったFと伊丹市文化財保存協会事務局長のEが関係土地の所有者等を回って交付した。C及びBの関係では,前記C方を訪ねて,Cに対し,本件指定処分があったことを説明して,通知書を交付しようとしたが,Cは受取りを拒絶した。Fは,この受領拒絶に際して,Bにも用件を伝えてもらうよう頼んだと記憶している。
伊丹市文化財保存協会には沿革誌という簿冊があり,出来事が記録されているが,当時のものが現存している。これには,上記の通知書の宛先がBだけであるかのように記載されているが,Bの欄に,赤字で,不承認,S42.3と付記されている。他の土地の所有者等に該当する者3名についても赤字でS42.3という付記がありその付記が通知書を郵送した旨を記載したものである旨も付記されているが,Bについては,上記年月の付記だけで,郵送した旨の付記はない。
前記沿革誌には,昭和41年9月1日の欄に,Bに対する指定書は本人が受領せざるにつき県を通じて文化財保護委員会に返戻する,という記載がされている。
イ Bは,指定通知を直接口頭でされたことはなく,Cから伝言されたこともなく,郵送されたこともない旨,また,指定があったことは,昭和50年ころに他の人から聞いて初めて知った旨を供述している。
3) 上記認定によると,通知の手続が行われていた頃は,控訴人ら所有地はCとBの共有であったから,両名に通知される必要があったと認めることができる。ところが,沿革誌に記載されている氏名による限りでは,文化財保護委員会がBのほかにてCも所有者等に該当すると認定していたかどうかは明らかでない。また,前記地籍調書上ではBが所有者とされているが,その当時は後にされたC及びBの共有とする相続登記が未了であったから,なぜその時期に所有者がBと記載されているのかは明らかでない。そして,これらの情況によると,理由はわからないが,文化財保護委員会及びその補助者は,Aの死亡後は控訴人ら所有地の所有者をB一人として史跡指定処分の手続を進めたか,あるいはBが相続人を代表する立場にあるとして手続を進めた可能性を否定することはできない。したがって,前記通知書の宛先もB一名であった可能性を否定することができないであろう。何しろ相当昔のことであるから,これらの点をこれ以上に確認するに足りる資料はない。
しかし,Fは,通知書をC方に持参し,本件指定処分がされたことを説明して受領するよう要請している。Cはそれまでの間に控訴人ら所有地が発掘調査の対象とされ現に発掘調査が行われたことを知っていた。Cが通知書の受領を拒絶した理由ははっきりしないが,発掘調査を嫌ったことと同じ理由であったと思われるのであり,少なくとも通知の宛名を問題とするものであったという証拠はない。Cが通知書の宛先を問題とした形跡はない。これらの事実によると,Cは,Fほか一名が訪問して説明したことにより,控訴人ら所有地について本件指定処分がされたこと及び通知書がその所有者に本件指定処分の通知をする趣旨のものであることを十分認識しながら,史跡指定処分に非協力的な立場であったため通知書自体の受領を拒絶したものと推認することができる。そうすると,本件指定処分の通知書は,Cの認識し得る範囲内に到達したが,Cは特段正当な理由がないのにその受領を拒絶したものであるから,このような場合には,仮に通知書の宛先がBだけであったとしても,Cに通知された効果が生じると評価するのが相当である。
Bに対する通知について検討する。Bは,Fらが通知書をCの自宅に持参する少し前に豊中市に転居していた。そして,Bに通知書が郵送されたかもしれないが,それを確認できる証拠はない。しかし,Bは,直前までCと同居していた。そして,控訴人ら所有地はCの住居に隣接しているから,前記のDの記憶と考え併せると,Bが控訴人ら所有地の発掘調査を知らなかったとは到底考えることはできない。Bの供述中この認定に反する部分は,あいまいでもあって,にわかに採用することができない。また,前記認定によると,CとBは両名とも発掘調査に協力的でなく,これを嫌っていたと認めることができる。そして,Cは,発掘調査の最終的結果ともいうべき史跡指定処分通知書の受領を求められながらこれを明示的に拒絶し,なお,Bに伝えてほしいと依頼されたのである。このように,史跡指定処分がCとBの共通の関心事であったこと,控訴人ら所有地はCとBの共有であることに確定していたこと,Bは直前までCと同居していたこと,CはBの母親であったこと,なおCはBにも伝えるよう依頼されていたことなどの事実にかんがみると,Cが通知書の件をBに連絡しなかったとは到底考えがたい。次の税金に関する事実もこれを裏付けるものということができる。Bの供述中この認定に反する部分は,にわかに採用しがたいというべきである。また,証拠(乙21~23,B本人)と弁論の全趣旨によると,伊丹市は,本件指定処分の対象となった土地についても昭和46年まで固定資産税等を課していたが,昭和47年以降に非課税とする手続を行ったこと,その際,伊丹市教育委員会社会教育課長名義で,関係土地の所有者に対し「史跡地内の非課税申請について」と題する書面で,手続が遅れたことを謝るとともに,非課税申請書を提出するよう求めたこと,この手続に際して伊丹市教育長は関係土地について史跡指定土地であることの証明書を発行したこと,Bもこの手続の対象者とされていて,上記証明書は昭和47年3月27日に発行された記録になっていること,同年度から控訴人ら所有地は非課税となったが,Bは史跡指定があるため非課税措置が講じられていることを知っていたことを認めることができる(ただし,Bは,上記の手続に関与したかどうか,どのような契機で非課税であることを知ったかというような詳細なことは供述していない。)ところで,前記法の規定による通知は,書面によるべきものと定められていないから,相当な方法でこれを行うことが許されるというべきである。そして,以上の認定判断によると,本件の場合には,Bに対する通知は書面にされ,直前まで居住していた場所でBの母親であるCに対して提出されたところ,Cは自分の判断でその受領を拒絶したが,交付担当者が依頼したとおりBにその旨を告知し,Bは,その後きわめて長期間,この関係で苦情を述べず,かえって非課税措置の利益を受けていたのである。これらの事実によると,本件指定処分があったことは,Bについても法の要求する相当な方法による通知がされたと認めるのが相当である。なお,仮にそのように評価するのが相当でないとしても,上記のような場合に通知されたと認めることができるかどうかは判断の難しいところであり,通知に瑕疵があるため史跡指定処分が無効であることが明白であるとまではいえない。
以上によると,通知を問題とする控訴人らの主張は,採用できないというべきである。
3 争点1の3)について
前記のとおり,主要伽藍区域は,当初から本件指定処分に含まれていたというべきであるから,控訴人らのこの点に関する主張は,採用することができない。
4 争点1の4)について
1) 争点1の4)に関する双方の主張の詳細及びこれに対する当裁判所の判断は,次のとおり付け加えるほかは,原判決書9枚目裏4行目から同30枚目裏11行目までと同じであるから,これを引用する。
ア 原判決書12枚目表4行目の「原告は」を「控訴人らは」に,同16枚目裏5行目の「前記二1(一)で認定したとおり」を「先に認定したとおり」にそれぞれ改め,同枚目裏9行目の「堀立柱」の次に「,築地塀」を加え,同17枚目裏1行目の「絶え間なく」を「更に」に,同19枚目裏3行目の「史跡に」を「史跡の」に,同20枚目表8行目の「前記第二1(四)で認定したとおり」を「先に認定したとおり」にそれぞれ改め,同27枚目表2行目から同29枚目表11行目までを削り,同29枚目裏11行目の「前記二3(二)(3)③で判示のとおり」及び同30枚目表2行目の「前記二3(二)(3)①のとおり」をいずれも「先に判示したとおり」に,同枚目表10行目の「事情は」から同枚目裏2行目の末尾までを「事情は認められない。」に,同枚目裏4行目の「前記二1(四)で判示のとおり」を「先に判示したとおり」にそれぞれ改める。
イ 控訴人らの当審における主張の要旨は先に摘示したとおりであるが,いずれも原審で主張されたところと同じ趣旨のものと考えられるところ,これに対する認定判断は,上記のとおり引用して判示したとおりである。本件指定処分については,先に見たところによると不手際というべきことが重なっている上,遺跡の価値に関する評価は人それぞれという面がないとはいえないから,控訴人ら(あるいはとりわけB)がその有効性について法律的判断を求めたいと考えた(Bはそのように供述する。)にはそれなりに理解できる面もある。しかし,手続上の不手際については,いずれも前記のとおり本件の史跡指定処分を無効ならしめるほどのものと認めるのは相当でなく,また,文化財保護委員会の判断の当否についても,前記のとおりその専門的な事実の認定及び評価についてこれが裁量権を逸脱し,あるいは権限を濫用したものに該当すると認めるだけの証拠はないというべきである。したがって,前記争点に関する控訴人らの主張は,採用することができない。
5 争点3について
争点3に関する双方の主張及びこれに対する当裁判所の判断は,原判決書43枚目表9行目から同44枚目裏1行目までと同じであるから,これを引用する。
6 結論
以上によると,控訴人らの主位的請求を棄却し,予備的請求にかかる訴えを却下した原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから,これを棄却することとし,控訴費用の負担について行訴法7条,民訴法67条,61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 加藤英継 裁判官 小見山進)
裁判官窪田正彦は転補されたため署名押印できない。裁判長裁判官 加藤英継