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大阪高等裁判所 平成12年(う)1462号 判決 2001年9月13日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は,弁護人阿津地勲作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから,これを引用する。

1  控訴趣意中,事実誤認の主張について

論旨は、被告人が,平成11年7月25日ころにAの身体に覚せい剤を注射してこれを使用し(原判示第五の1),同月26日ころには自らの身体に覚せい剤を注射してこれを使用した(原判示第五の2)という覚せい剤取締法違反の事実を認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある,というものである。

しかし,記録を調査し,当審における事実調べの結果を併せて検討しても,原判決が【判示第五の事実認定の補足説明】の項で説示するところは正当であって,その挙示する関係証拠を総合して,上記覚せい剤使用の事実を認定した原判決に事実誤認があるとは認められない。

以下,所論に則して検討する。

(1)  本件毛髪鑑定の証拠価値について

所論は,被告人は平成11年8月4日に,Aは同月16日に,尿の任意提出をしているが,これらの尿の鑑定では覚せい剤が検出されておらず,また頭部毛髪の鑑定により,被告人の頭髪から覚せい剤が検出されたものの,毛髪鑑定では,せいぜい1か月単位で覚せい剤を使用したことを証明できるに止まるから,同年7月25日及び同月26日に使用された薬物が覚せい剤であったとの事実を証明する証拠とはいえない,というのである。

関係証拠によれば,本件における尿鑑定及び毛髪鑑定の経過及び結果については,以下のとおりであったものと認められる。

①  被告人は,平成11年7月30日,旅券法違反の被疑事実により逮捕され身柄を拘束され,同年8月4日に尿を任意提出して,被告人の尿につき鑑定がなされたが,この時点の被告人の尿からは覚せい剤が検出されず,Aについても,同年7月26日旅券法違反の被疑事実により逮捕され身柄を拘束された後,同年8月16日尿を任意提出し,同人の尿につき鑑定がなされたが,この時点のAの尿からもやはり覚せい剤は検出されなかった。

②  捜査官は,被告人及びAの頭髪につき裁判官の身体検査令状を得て,医師により平成11年8月19日被告人の頭部の毛髪100本(約75ミリグラム),Aの頭部の毛髪100本(約108ミリグラム)をそれぞれ採取し,大阪府警察本部刑事部科学捜査研究所において同所技術吏員Bがこの毛髪に覚せい剤の成分が含まれているか否かの鑑定を行った。

③  毛髪鑑定は,まず対象の毛髪を,共栓付き試験管に移し,蒸留水,メタノール,及び1パーセントのドデシル硫酸ナトリウム水溶液を用いて数回洗浄した後に,5N塩酸-メタノール混合液(1:20)で抽出を行い,得られた抽出物について,薄層クロマトグラフィー(TLC)の検査及びガスクロマトグラフィー質量分析(GC-MS)の検査を行うというものであって,この結果,被告人の毛髪,Aの毛髪から,いずれも覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンが検出された。

④  更に,被告人については,裁判官の身体検査令状を得て,医師により平成11年9月21日採取した被告人の頭部の毛髪(300本約285ミリグラム)について,頭髪は1か月に1.1ないし1.3センチメートル程度伸びることや頭髪採取の際の鋏の厚さ(約0.9ミリメートル程度)等により毛根側に切り残しの部分がある程度出ることなども考慮して,各毛髪を毛根側先端部から1.5センチメートルまでの部分,1.5ないし2.5センチメートルまでの部分,2.5ないし3.5センチメートルまでの部分,3.5センチメートルから先端までの部分の,4区画に分けて切断し,この4区画に分画した毛髪の各部分について,前項同様の手順により技術吏員Bが分画分析の方法で毛髪鑑定をおこなったところ,毛根側から1.5センチメートルまでの部分の毛髪からは,フェニルメチルアミノプロパンの検出はなかったが,それ以外の3つの部分の毛髪からはいずれもフェニルメチルアミノプロパンが検出された。

⑤  他方,同様に同年9月23日裁判官の身体検査令状の下に医師により採取したAの頭髪については,これを4区画に区分し,同様の分画分析の方法による鑑定を同所技術吏員Cが実施したが,高感度のガスクロマトグラフィー質量分析(GC-MS)の検査では,フェニルメチルアミノプロパンが検出されたものの,感度の劣る薄層クロマトグラフィー(TLC)の検査ではこれが検出されなかった。

以上の事実が認められる。

ところで,毛髪は毛根部と毛幹部からなり,毛根部の毛細血管から血液中の薬物が毛髪内に取り込まれ,毛髪の成長速度に応じて薬物の摂取された時期に伸長した部分から薬物が検出されるものである。しかし,もともと毛髪に取り込まれる覚せい剤は極微量のため,1回か2回の通常の使用量による覚せい剤の使用では検出されないが,逆に,毛髪から覚せい剤が検出されたということは,長期間又は多量の覚せい剤を使用したことを物語るものであり,分画分析によれば,毛髪の成長速度に応じて,ある程度の時期を画した覚せい剤の使用の推定が可能となるのである。尿鑑定が血液中の薬物が腎臓を通して尿中に排泄される作用に着目してなされるのと同じく,毛髪鑑定においても,血液中の薬物が毛髪に排出蓄積されるという点に着目してなされるのであって,両鑑定の基礎にある科学的原理はほぼ同一であり,毛髪鑑定の原理は基本的に承認できるものであるから,毛髪鑑定の結果については,その証拠価値を肯定してよいと考えられる。

そして,被告人の分画分析による毛髪鑑定において,毛根側先端から1.5センチメートルまでの分画の毛髪からはフェニルメチルアミノプロパンが検出されなかったということは,平成11年7月30日逮捕後の身柄拘束により覚せい剤が使用されなかったことと符合しており,また,その他の分画からいずれもフェニルメチルアミノプロパンが検出されたことは,被告人がそれまでの長期間覚せい剤を使い続けていたことを裏付けるものであり,更に,毛根側先端部から1.5ないし2.5センチメートルの分画の毛髪からフェニルメチルアミノプロパンが検出されたということは,被告人が逮捕前の平成11年7月の段階で覚せい剤をかなりの程度で使用していたことを裏付けるものといえるのである。

そして,原判決は,上記の2度にわたる被告人とAの毛髪鑑定の結果に加え,被告人が警察官及び検察官の取調べにおいて,被告人が平成11年7月25日にホテルDにおいて,自らとAに対し覚せい剤を注射して使用し,また翌26日にはホテルEにおいて自ら覚せい剤を注射して使用した旨,ホテルにおけるAとの性行為を含めその前後の事情等につき記憶に基づき具体的かつ詳細に供述し,原審公判廷においても,覚せい剤を使用したこと自体は一貫して認める供述をしていたものであること,被告人は防犯畑の現職の警察官として,多年にわたり覚せい剤事犯の捜査に当たっていたもので,覚せい剤の薬効等にも詳しく,また,被告人は平成9年7月ころに初めて覚せい剤を使用して以来,F,G,Hから覚せい剤を入手しては,常習的に多数回にわたり覚せい剤を使用してきたものであって,被告人はこれらの経験に基づき,上記両日注射使用した薬物が覚せい剤を含むものであったと認識し,その旨の供述をしてきたものと認められること,Aも,検察官に対する供述調書において,同月25日にホテルDで被告人から注射されて,それまで何度も注射して貰ったのと同じ薬効を感じたと述べていること,被告人が同年7月中にGやHから現実に覚せい剤を入手していた事実も認められること,これらの事実を総合考慮して,Aに対する使用については平成11年7月25日を,被告人の使用については同月26日を,それぞれ覚せい剤の最終の使用日と特定した上で,原判示第五の1,2の覚せい剤使用の事実を認定した原判決の事実認定は正当として是認できる。所論は理由がない。

(2)  被告人の自白の信用性について

所論は,被告人の捜査段階における覚せい剤使用に関する自白は捜査官の押し付けによる供述であって,起訴されないとの見通しを告げられてしたものであるから信用性に乏しい,というのである。

しかしながら,被告人は,原審においては,捜査段階の供述調書について記憶に基づきありのまま供述し作成されたものであると述べていること,被告人は平成11年11月16日付け検察官調書で述べているとおり,被告人は,自ら覚せい剤を使用し,またAに対して使用したことを現職の警察官であった者として大いに反省し,自分の人生をやり直そうと決意して,進んで上記両日の覚せい剤使用の事実を詳細に自白したものと認められること,殊に,被告人が平成11年11月17日に保釈された後の同年12月27日付け検察官に対する供述調書においても,上記両日の覚せい剤の使用を明確に認めていることからすれば,覚せい剤取締法違反の起訴が同日まで遅れたことは弁護人の主張のとおりであるが,これも被告人及びAの尿鑑定からは覚せい剤が検出されなかったことから,起訴するかどうかにつき慎重に検討が加えられた結果と考えられるのであって,関係証拠によっても,捜査官が起訴しないなどと告げて覚せい剤の使用についての被告人の虚偽の自白を引き出したものとの被告人の当審公判廷における供述は措信しがたく,これらの覚せい剤使用に関する被告人の捜査段階における供述調書が任意性や信用性のないものとは到底いえない。所論は理由がない。

(3)  Aの供述の信用性について

所論は,Aの検察官調書についても,取調べた検察官の押し付けによって作成された調書であり,信用性がない,というのである。

しかしながら,Aの4通の検察官調書は,同人が平成11年11月25日に旅券法違反,電磁的公正証書原本不実記録・同供用罪で懲役1年6月,3年間執行猶予の判決の言い渡しを受け,実家のある島根県の隠岐島に帰った後の,同年12月16,17日の両日に,松江地方検察庁西郷支部において作成されたものであり,これらの経過からしても,同人がこの時点においてことさら虚偽の事実を述べなければならない理由も見当たらないところであるから,Aの検察官調書の任意性および信用性につき,疑念を差し挟む余地はないものというべきである。所論は理由がない。

(4)  薬効について

所論は,上記覚せい剤を使用したという両日の注射の際に,被告人についても,Aについても覚せい剤の薬効はなかったものと考えられるから,覚せい剤を使用したとはいえない,というのである。

そして,被告人は,当審において,平成11年7月25日のホテルDでAに注射した際,Aが非常に気分が悪いと言い,うつらうつらして吐き気もするように言っていたし,自分も注射の後,吐いてしまって,30分も経たないうちに寝てしまったと供述している。

しかし,Aは,その検察官調書(甲105,平成11年12月16日付け,本文10丁のもの)において,この日の夕方にホテルDに入り,被告人にそこで注射して貰った後では,いつものように喉の部分がカーと熱くなり,喉が渇くような感じがするとともに,陰部の方が熱くなった感じがして,その後セックスしたが,性感が高まっていた,などと具体的に供述しており,被告人も,警察官調書(乙60,同年10月15日付け,本文11丁のもの)において,このAの注射後の様子につき,Aさんはいつもの感じで「体が熱くなってきた。」と言い,その効果を感じ取っている様子であったと,これに符合する供述をしているのであって,これらの供述からも注射後にAの気分が悪くなったり,吐き気を催したりしたなどとは窺えず,また,この日両名の間に性行為があったことは,押収された同ホテルのコンドームのケースなどからも裏付けられており,このことからもAの気分が悪くなった等の状況がなかったことは明らかである。また,Aは,同年7月25日午後9時過ぎにホテルDを出て,Iと会って,Aが旅券法違反で取調べを受けたこと等を話し,その後Hと会ったりした後,翌26日の午前2時過ぎに,被告人と一緒にホテルEに入ったものであるが,その検察官調書(甲106,同年12月17日付け,本文10丁のもの)において,この日は,Iに旅券法違反の件で迷惑を掛けることになったこと等で気分が沈み,体調が悪く注射自体を断ったと,同年7月26日の時点で初めて体調の不調を感じた旨供述しているのである。したがって,前日25日のホテルDにおけるAの身体に対する注射及び被告人自身に対する注射の内容液は,上記のような薬効からして覚せい剤の成分を含む水溶液であったと認められ,翌26日は,被告人のみが注射をして使用しているものの,使用状況に照らし,その注射の際に覚せい剤であると思って使用した薬物は前日に使用したものと同一のものと推認されるのであるから,これも覚せい剤の成分を含む水溶液であったと認められるのである。覚せい剤の薬効がなかったとする所論は理由がない。

その他,弁護人の所論を検討しても,原判示第五の1,2のとおり覚せい剤使用の事実を認定した原判決に事実誤認があるとは認められない。

論旨は理由がない。

2  控訴趣意中,量刑不当の主張について

論旨は,原判決の量刑は重過ぎて不当である,というものである。

そこで、記録を調査し、当審における事実調べの結果を併せて検討すると、本件は,密入国し不法滞在中の中国人Gの駐車違反につき身代わり犯人を出頭させた犯人隠避教唆(原判示第一),犯罪集団Jの手引きにより本邦に不法に上陸した集団密航者約51名を木造家屋に一時居住させて蔵匿した出入国管理及び難民認定法違反(同第二),Gのため日本国政府発行の旅券を取得させようとして,知人の名を使って架空の住民異動届を提出して住民基本台帳ファイルに不実の記録をさせてこれを供用させた電磁的公正証書原本不実記録・同供用(同第三),これを利用して知人の日本人名で旅券を申請し,Gに対し日本国政府発行の旅券を交付させこれを不正取得させた旅券法違反(同第四),被告人が自己及びAに覚せい剤を注射使用した覚せい剤取締法違反(同第五の1,2)の各事案である。

本件犯行に至る遠因としては,被告人が銃器等の情報収集のため協力者を確保する必要に迫られ,協力者として暴力団幹部のFを確保し便宜を図っているうちに深みに嵌ったとの一面も窺うことができるが,しかし,銃器の情報収集につき特別の困難性があるからといって,自ら犯罪行為に加担することが許されないことは自明のところといわなければならない。被告人は,Fとの付き合いの中で,平成9年7月ころから覚せい剤を使用するようになり,その後はF,その後釜の密入国中国人G,その配下のHから,ほとんど無償で覚せい剤を譲り受けては長期間にわたり使用して,原判示第五の1,2の覚せい剤の使用の行為に及んだものであって,被告人には覚せい剤につき常習性,親和性が認められるのみでなく,平成10年2月ころからは愛人であるAの身体にも使用するようになり,覚せい剤の害悪を他に拡散させてきたものであって,本来取り締まるべき現職警察官の行為としてあるまじく,極めて悪質といわなければならない。そして,Gのため身代わり犯人を出頭させたりした(原判示第一)だけでなく,Jの手先となったGらと手を組んで,集団密航者を蔵匿しJが密航者からの手数料の支払いを確保するため手錠をかけたり下着一枚の姿にして密航者を家屋に一時軟禁するのに加担した犯行(原判示第二),Gに対し日本国政府発行の旅券を交付させこれを不正取得させた一連の犯行(原判示第三及び第四)に加担するなど,被告人は,自ら覚せい剤におぼれ,密入国中国人に便宜を図る中で,次から次へと現職警察官としては到底許されない犯罪行為を積み重ねたものであって,被告人の本件一連の犯罪行為は,国民の警察組織,警察活動に対する信頼を根底から破壊する悪質な犯行といわざるを得ず,被告人の刑事責任にはまことに重いものがあるといわなければならない。それ故,被告人はかつて警察官として数々の業績を挙げてきたものであり,その人柄は捜査対象者からも敬愛されるものであったこと,本件の発覚によりマスコミの指弾を浴び,懲戒免職処分を受ける等,相応の社会的制裁を受けていること,被告人は,反省し更生を誓って,保釈後は民間企業で真面目に働いてきていること,被告人には業務上過失傷害罪の罰金刑以外の前科がないこと,その他,被告人の家庭の状況等所論指摘の被告人のために酌むべき諸事情を十分考慮しても、被告人を懲役4年6月に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとまでは考えられない。

論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法396条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

( 裁判長裁判官 池田真一 裁判官 平澤雄二 裁判官 奥田哲也)

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