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大阪高等裁判所 平成12年(う)1762号 判決 2001年9月14日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は検察官落合俊和作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は弁護人黒田宏二作成の答弁書に,それぞれ記載されたとおりであるから,これらを引用する。

論旨は,要するに,原判決は平成10年6月11日付起訴状記載の公訴事実(覚せい剤の使用及び所持)につき犯罪の証明がないとして無罪としたが,原判決は逮捕状呈示に関する証拠の評価を誤ると共に,検察官の追加証拠調べの請求を却下して審理を尽くさず,さらに違法収集証拠の証拠能力に関する判例を誤解し憲法及び刑訴法の解釈適用を誤り証拠を排除したのであるから,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある,というのである。

そこで,所論にかんがみ,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するに,原判決が「一部無罪の理由」の項で認定説示するところは相当として是認することができ,当審における事実取調べの結果によってもその判断は左右されない。以下所論に即して補足する。

1  逮捕状呈示の有無について

(一)  A証言について

所論は,Aは本件逮捕状況の一部始終を目撃しておらず,その証言内容は正確性に乏しく極めて曖昧である,またAは被告人と利害関係のない中立的立場にあったとは到底いえないから,同証言の信用性を過大に評価できないと主張する。

そこで検討すると,A証言中には,①被告人を2人の男が追いかけてA宅の方向に来た場面及び被告人が捕まって紐で巻かれた場面は見たが,その間に家の中に入ったので目撃は中断した旨述べる部分と,②電柱のあたりで被告人がこけたのでそこで捕まり紐で巻かれていたと逮捕状況の全容をほぼ目撃していた旨を述べる部分とがあり,これらを整合的に解釈することは困難といわざるを得ないところ,①について近所付き合いをしている被告人が助けを求めてきたという緊迫した場面のさなかに家の中に入るというのも不自然な話であるし,②については同人の検察官調書(原審検甲85)とも符合していること,警察官らも述べる制圧状況と整合していることから信用性を否定し難いから,①の供述は虚偽である可能性が高く,その意味でA証言には誠実さに欠ける点があるといわれてもいたしかたない。そして,Aが原審証言をするまでの手続経過には同人が証言を回避したいという心理状態にあったことが表われている上,Aが被告人と長年近所付き合いをしてきたこと,本件後被告人から逮捕状の呈示がなかった旨を証言してくれるよう手紙で再三にわたり依頼を受けたことに加え,被告人の姉や内妻の訪問を受け同趣旨の供述を求められたことなどを考えると,所論が指摘するとおり,真実は警察官による逮捕状呈示を目撃したAが,逮捕状呈示がなかったという積極的な虚偽供述まではしたくないものの,被告人に不利な供述もしたくないという心理から上記①②のような矛盾する証言をしたと解する余地も全くないではない。

しかし,ごく普通の主婦であるAの立場にたってみると,自己の証言が警察官が違法行為をしたとの決定的証拠となることへの恐れを感じていた可能性もまた十分考えられるところであって,このことが上記証言回避的態度をとらせ,所論とは逆に,上記の心情と真実を証言すべき義務観念との相克から当初は制圧状況は目撃していない(①)と証言していたが,その後の尋問の中で被告人が制圧された後紐で巻かれるまでの状況を継続して目撃していたことを思わず吐露してしまった(②)と解する余地もあるというべきである。

以上要するに,A証言には,それ自体の中に矛盾があるからその証拠価値が高いとまでいうことはいささか危険であるものの,その矛盾を来した理由については上記の二通りの理解の仕方が可能であり,被告人をかばうために虚偽供述をしたと断ずることはできないから,少なくとも逮捕状を呈示したとの警察官証言に疑いを生じさせる限度での証拠価値は否定されないと解するのが相当である。よって,所論は採用できない。

(二)  警察官証言について

(1)  逮捕状の折り目がないこと

所論は,B警察官が本件逮捕状を携行した状況につき証言を変遷させたことは事実であるにしても,同人にとって本件逮捕状をどこに入れていたかは枝葉末節にわたる部分であって記憶の低下や他事件との混同が生じたとしても不合理ではないなどと主張する。

しかし,本件逮捕時の状況は,B自身が被告人を制圧することで手一杯だったため,逮捕状をC警察官に手渡して呈示読み聞けさせたというかなり特異なものであり,Bがどこにどのようにして逮捕状を携行していたかという点はCに手渡した点と結びつけて記憶に残りやすい事柄といえるから,記憶の混乱低下が生じたとは考え難い。そしてBは逮捕状の呈示が争点となった本件の証人として出廷するに当たり,その職責上逮捕状を呈示した前後の状況をできる限り記憶喚起したと考えられるから,その上での変遷を枝葉末節にわたる部分であるとして過少評価することはできない。よって所論は採用できない。

なお,仮にBが逮捕状を柔らかく折って上着内ポケットに入れていたことを前提としても,Bは,呈示の前後において被告人とかなりの揉み合いになったことがB自身の証言によっても認められ,そうした際に内ポケットに入れていた逮捕状に折り目やしわが全くつかなかったというのもやはり不自然であることは否定し難く,ひいては原審公判調書中の検証調書に現れた本件逮捕状の状況が逮捕状不携行の疑いを生じさせることは否定できないというべきである。

(2)  捜索差押令状の不持参

所論は,本件逮捕当日に捜索差押令状を持参しなかったのは捜索差押要員が確保できなかったためであり,被告人の身柄確保のため被告人方に赴いたBらが逮捕状を携行しないことはあり得ないなどと主張する。

しかし,3名の警察官が滋賀県大津警察署から三重県a市所在の被告人方まで赴くというそれなりの手間をかけた捜査手続を実施するのであるから,その際に捜索差押を実施して証拠品を確保できればそれが望ましいことはいうまでもなく,かつ捜索に当たって被告人に抵抗がなく立会人が確保できる可能性もないとはいえないから,特に携行に支障があるはずのない発付済みの捜索差押令状を持参しなかったことは,やはり不自然というべきである。そうすると,警察官が犯人の身柄確保をする際,逮捕状を携行していた場合でもできる限り任意同行を求めることが捜査の常道であるとの所論(この点も,現に逮捕状が出ている事実を明らかにして犯人を説得する方が犯人を観念せしめる効果があるから,より有効な場合が多いのではないかとも考えられるので,全面的には賛同し難い。)を前提としても,捜索差押令状の不持参の事実を根拠として逮捕状の準備を失念した可能性を指摘する原判決の認定に誤りがあるとはいえない。よって所論は採用できない。

(3)  その他の事情

その他,原審において,①Bが被告人を捕縛後念のために再度逮捕状を呈示したと証言する点は,2度目の呈示を行う必要性が乏しいことは明らかである上,車両を取りに行ったD警察官はともかくとして,かなり異例なことと思われる2度目の呈示について,同じ場所に居たCが覚えていないというのも不自然であること,②Dが,自分が電柱にしがみついている被告人の手を離そうとしている時に,Bが大津警察署に逮捕状執行の許可を携帯電話で求めたと証言しながら,後でその電話は逮捕したという報告であったと訂正する証言をした点は,どちらにしても同僚警察官が身柄確保に奮闘しているすぐ横で電話するほどの必要性があることとは到底考えられず,極めて不自然な証言といわざるを得ないことなどの事情が認められる。

また,当審における事実取調べの結果によれば,Cが逮捕状の呈示をした状況が具体的に記載されたB作成の本件逮捕当日付けの捜査報告書(当審検2)が存在することが認められるが,被告人の言動から逮捕状の呈示の有無が将来の公判審理の争点となることは容易に想像できたと考えられ,本件証拠関係に照らすと,逮捕状の持参し忘れという不始末を糊塗するために同報告書を作成した可能性すら否定し得ないから,同報告書の存在によっても上記の認定を覆すに足りないというべきである。

(4)  小括

以上を総合すれば,所論がそのほか種々主張することを含めて検討しても,逮捕状を呈示したとの警察官らの証言は信用できないというべきであり,この判断は,一方において,被告人が本件窃盗事実につき明らかに不合理な弁解に終始するほか,覚せい剤の所持や採尿の状況に関して不自然不合理な供述をするなど,その供述態度の真摯性が認められないことによっても左右されない。

(三)  証拠請求却下について

原審はB及びCの再度の証人尋問請求を却下し,これに対する検察官の異議申立ても棄却しているが,両名は既に逮捕時の状況を具体的かつ詳細に証言しており,検察官の証人尋問請求書によっても再度の証言の必要性が疎明されているとは到底認められず,かえって同請求書は,立証が必要な事実として,Cは逮捕状を呈示したが被告人がこれを認識し得なかった可能性もあるなどと極めて不合理な内容にも言及しているのであるから,この請求を却下した原審の判断に誤りはない。

(四)  以上のとおり,結論として,警察官が被告人に逮捕状を呈示しなかった疑いが残るとした原判決に証拠評価の誤り及び審理不尽の違法はない。

2  証拠排除の当否について

(一)  原判決は,逮捕状の呈示は令状主義の基本に関わるものであり,特に本件逮捕は被告人を実力で制圧したのであるから呈示が不可欠な態様であったとした上で,本件逮捕に当たった警察官が逮捕状の緊急執行(刑訴法201条2項,73条3項)の手続を知りながら,そうではなく逮捕状を呈示したと不自然な供述を一致して続けている以上,将来の違法捜査抑制の見地からみても,事後的に救済的解釈をすることは相当でなく,本件逮捕状の不呈示の疑いは,令状主義の精神を没却すると認め,その違法な逮捕状態を利用して獲得されたと認められる証拠を違法収集証拠として証拠排除した。

(二)  これに対し,所論は,本件逮捕に際し被告人に逮捕状が呈示されなかったとしても,本件逮捕には原判決が説示するような違法はないとして,i本件逮捕状が携行されていなかったため呈示されなかったとしても,逮捕状の緊急執行として当然に許容される,ii本件逮捕状が携行されていながら呈示されなかったとしても,逮捕状の緊急執行と同様に,緊急性及び相当性が認められると共に,被疑事実の要旨が告知されているから違法性は認められず,iiiさらにいずれの場合も,適正な逮捕状が発付されている本件窃盗につき被告人を逮捕したもので,令状主義を潜脱する意図は有しておらず,およそ令状主義の精神を没却するような重大な違法はないと主張する。

(三)  そこで検討するに,まず前記1のとおり警察官らの原審公判供述は信用できないから,逮捕状が発付されている事実及び被疑事実の要旨が告知されたことを認めるに足りる証拠はなく,この緊急執行の手続要件が具備されたとはいえない。もっとも,逮捕状が発付されていたのであるから実体的な逮捕の要件には問題がない上,そこで執行しなければ以後逮捕することが不可能ないし著しく困難になるという緊急性の要件もないとはいえないから,手続要件に瑕疵があるにすぎないと解することができ,逮捕の場面だけをみる限り,逮捕状不呈示の違法は証拠排除をもたらすような重大なものとはいえないという救済的解釈をする余地がないでもない。

しかしながら,逮捕状の不呈示という明白な違法(刑訴法201条1項違反)を救済するのであるから,それにはあくまでそれ相応の実質的な根拠がなければならず,違法を犯した原因,帰責性の程度,事後の対応なども含めて総合考察した上で,将来同様の違法が繰り返されることを抑制するような解釈が求められることもまた当然といわなければならない。このような見地から本件を検討すると,原判決は前記のとおり「本件逮捕に当たった警察官が逮捕状の緊急執行の手続を知りながら,そうではなく逮捕状を呈示したと不自然な供述を一致して続けている」旨判示しているのであるが,その趣旨は,端的にいえば,警察官らが逮捕状の点検を怠って携行をし忘れたのに,逮捕状を呈示したという明らかに証拠に反する事実に固執し,原審公判においても揃って不自然不合理な供述をしている旨を判示していることに他ならないと解するのが相当である。そして,本件全証拠を素直にみる限り,原判決の認定はまことに無理からぬ認定というべく,所論がその誤りを主張して縷々指摘する点は上記事実認定を左右するものではない。

そこで,原判決の上記事実認定を前提に以下考察する。確かに,逮捕状の携行し忘れはある意味で単純な過失であって帰責性の程度が大きいとはいえない。しかし,逮捕状を呈示して通常の執行をするということと,逮捕状を呈示しないで緊急執行をするということは紛れようもない明らかに別個の事実であるから,本件においては逮捕状を携行していない事実を素直に認めて緊急執行をするしかなく,かつその方途を採ることに障害があったとは考えられないのに(前記のとおりDの原審証言の中で,Bが逮捕現場で大津警察署に電話をかけたというのも,その点を問い合わせたと解するのが自然である。),前記のとおり緊急執行は行わず上記のような事後の対応をしたことは,自らの過誤を隠すことに汲々とするばかりでその職責の重大さに対する謙虚な姿勢が感じられず,緊急執行ができたのであるから違法性が小さいとして証拠排除をしなかったとすれば,結局,過誤は隠ぺいすればよいとの認識を許容することになってしまい,これが将来の違法捜査の抑制の見地から相当でないことは多言を要しない。換言すれば,逮捕の現場など緊迫した場面で判断ミスを犯したこと自体については救済する余地はあるが,そのミスを糊塗しようとして虚偽といわれてもいたしかたのない証拠(逮捕手続に関する捜査報告書を含む)を作出するがごとき行為を救済することはできないのである。したがってこれらの点をも総合考察すると,本件逮捕状不呈示の違法は証拠排除をするのを相当とする程度に重大であるというべきであり,原判決の判断に誤りは認められず,論旨は理由がない。

よって,刑訴法396条,181条3項本文を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河上元康 裁判官 細井正弘 裁判官 水野智幸)

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