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大阪高等裁判所 平成12年(う)366号 判決 2001年1月30日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一五年に処する。

原審における未決勾留日数中一〇〇〇日を右刑に算入する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人仲田隆明、同梶谷哲夫、同池上哲朗、同武田信裕、同田渕学、同伊山正和連名作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官武部正三作成の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、被告人のA及びBに対する各殺人の訴因は、いずれも共謀の事実が日時、場所、方法等をもって特定されていなければならない。すなわち、(1)Aに対する殺人の訴因は、被告人自らも実行行為をなしたとされる実行共同正犯の訴因であるが、この場合においても、共同正犯が同時犯と区別される客観的な要件は共謀の事実なのであるから、右共謀が日時、場所、方法等をもって具体的に特定されていなければならない。また、(2)Bに対する殺人の訴因は、被告人の発射した弾丸がBに命中しなかったことを前提とするものであり、共謀共同正犯の訴因と理解するほかないから、その共謀共同正犯における共謀の日時、場所、方法等が、被告人の防御の範囲を明示するために特定されていなければならない、仮に右殺人の訴因が実行共同正犯の訴因と理解しうるとしても、原判決は被告人の発射した弾丸によってBが死亡したのではないと判示しているのであるから、被告人にBに対する殺人の罪責を負わせるためには、被告人とBに弾丸を命中させた氏名不詳者らとの間におけるB殺害の共謀の事実が認定されなければならず、そうである以上、被告人の防御の利益確保のため、右共謀の訴因が、日時、場所、方法等をもって特定されなければならない、しかるに、本件においては、右いずれの訴因についてもその特定がなされていないというほかなく、右各訴因特定の措置をとらず、公訴棄却もせずに、公判を追行した原審の訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある、というものである。

そこで、検討すると、まず、本件Aに対する殺人の訴因は、被告人自身の実行行為が明示された実行共同正犯の訴因であることが明らかであり、訴因の明示に欠けるところはないと解されるから、この点についての訴因の不特定をいう所論は採用することができない。次に、本件Bに対する殺人の訴因は、Aに対する殺人と併合罪の関係に立つ別個の訴因であり、Bに対する被告人自身の実行行為が明示されていないのであるから、共謀共同正犯の訴因と解されるところであるが、共謀共同正犯における共謀の事実は、共謀に基づく他の共犯者の実行行為と相まって犯罪事実を構成するものであり、その共犯者の実行行為の日時、場所、方法等が特定され、これが被告人との共謀に基づくものであることが明示されている限り、その共謀の日時、場所、方法等が明示されていないとしても、訴因の特定に欠けることはなく、公訴を棄却すべきであるなどということにはならないというべきである。本件においても、被告人と共謀した氏名不詳者がけん銃を使用してけん銃弾三発を発砲し、これをBに命中させて殺害したものであるとする公訴事実の記載によって、共犯者の実行行為も明示されているのであるから、訴因の特定に欠ける点はない。

そもそも、本件のように、共謀の存在が、これを裏付ける諸般の具体的事実の積み重ねによって総合的に推認されざるを得ないという証拠構造になっている事案の場合にあっては、公訴事実の記載の他に、裁判長の求釈明やこれに対する検察官の釈明なども加えて、できうる限り共謀の内容が特定されておれば、被告人の防御という観点からも、訴因の特定に欠ける点はないと考えられるところである。本件においても、所論指摘の共謀の点については、裁判長の求釈明に応じた検察官において、「被告人は、本件犯行時より以前の時点において、C方、被告人方、A野会事務所内、B山組事務所内、C川ハイツ及びその周辺地域等において、Cの護衛警護に従事する役目を負っていたA野会関係者らと、Cが襲撃されそうになった場合や現実に襲撃された場合には、Cの生命や安全を確保するとともに、襲撃者に対する攻撃行動を取り、相手を殺害することもあり得ることの共同認識を有していたところ、本件の時に至り、公訴事実記載のD原系組員AらによるCに対する襲撃行為を目の当たりにするや、Cの安全等を確保するとともに、被告人らが携帯するけん銃を使用して弾丸を発射し、襲撃相手のAやBらを殺害することの意を通じて、共謀の上、こもごも、A及びBに対する本件の各実行行為に及んだものである」と釈明しているなど、その共謀の内容については、できうる限りこれを特定して、明示していることが明らかであり、所論指摘の訴因の特定に欠ける点はない。

以上のとおりであり、訴因の不特定をいう訴訟手続の法令違反の主張は理由がない。

第二控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、(1)被告人と氏名不詳者数名との間における原判示共謀及び右共謀に基づく原判示A及びB殺害の事実は認められない、(2)被告人の原判示行為は、急迫不正の侵害に対する正当防衛であって、被告人は無罪である、したがって、右共謀並びにこれに基づくA及びB殺害の事実を認定し、かつ、被告人に正当防衛が成立しないとした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というものである。

そこで、記録を調査し、当審における事実調べの結果を併せて検討すると、原判決が、「事実認定の補足説明及び弁護人らの主張に対する判断」の項の三ないし八において、取調べ済みの関係証拠により、原判示の本件襲撃及び銃撃戦の具体的経過、A及びBらの被弾状況と死因、本件襲撃後の現場及びその周辺の関係箇所から発見された弾痕、遺留車両、遺留けん銃その他の遺留物並びにこれらについての鑑定結果、本件犯行前におけるC会長の身辺警護の状況、その他、本件に関する諸般の具体的事実を認定した上、これらに基づいて被告人とA野会関係者と目される氏名不詳者らとの間に共謀の存在すること及び本件が右共謀に基づく犯行であることが認定され、かつ被告人には正当防衛が成立しないと判断される旨説示しているところは、以下に述べるとおり、相当として是認することができる。以下、当裁判所の判断を述べる。

一  まず、被告人と氏名不詳者らとの共謀について検討すると、原判決の認定するC川ハイツB棟二〇二号室賃借の経過、同室の日常の使用状況などからみて、同室が現にB山組ないしその上部のA野会関係者によって使用されていたことが認められる。そして、このことは、本件発生時に現場で目撃されたセンティア及びディアマンテが、本件発生後にC川ハイツの近くなどの関係箇所で発見されたこと、両車両の所有名義人がB山組組員であったこと、両車両に搭載されていた無線機が相互に交信可能であったこと、これらの車両は普段からC会長の外出時に同人の近辺を走行しており、本件当日も、前記C川ハイツから出発して三名位ずつの組員が乗車していたこと、B山組組長であった被告人は、普段からC会長の外出時にけん銃を携帯してその身辺に付き従い、同人の警護に従事していたことなどの事実を併せ考えると、被告人及びC川ハイツに出入りするB山組又はA野会関係者らは、普段からセンティア及びディアマンテを警護用車両として使用し、C会長の身辺警護に従事していたものであることを推認することができるというべきである。

そして、さらに、原判決の認定する本件犯行目撃状況を併せて考えると、本件は、トヨタクラウンと日産シーマに乗車してE田理容店前に乗り付けた七、八人のD原系組員が、店内にいたC会長及び被告人を狙ってけん銃で一斉襲撃に及び、これに対し、被告人並びに襲撃を知って現場に乗り付けたディアマンテ及びセンティアに乗車した氏名不詳のB山組ないしA野会関係者数名が所携のけん銃で反撃し、右D原系組員であるA及びBを殺害したものであることが認められる。

すなわち、襲撃者であるD原側の者らは、周到な計画の下に七、八各で襲撃を行い、当初の一斉射撃によりE田理容店内に弾丸数発を撃ち込んだものの、そして、店内からの発砲は被告人が行なった四発だけであったというのに、誰一人として店内に立ち入れず、それ以上の攻撃に及ぶことなく、結果として被告人らにより撃退され、しかも、A及びBが店内又は店外からの銃撃を受けて殺害されていること、本件襲撃及び銃撃戦は、原判決の認定するように、Dの目撃状況からは、約三、四分程度の、E子の目撃状況によると、最初の一斉射撃を見て一一〇番通報した後にはE田理容店前にいた襲撃者らがいなくなっていたという程度の、ごく短時間内の出来事であったこと、Fの目撃状況によると、本件道路を北側から進行してきたセンティアは、他からの連絡を受けて現場に急行し、現場付近に到着したときには、E田理容店の方向から、男らが銃撃されながらA田歯科医院の方向へ逃げてきていたところであったことなどから考えて、付近にいて襲撃を知った被告人側のディアマンテがいち早く現場に到着し、同車に乗り込んでいた者が、事前共謀に従って、被告人と意思を相通じ、D原側の襲撃者らに対してけん銃を発射して反撃に及んだものであることを推認することができるというべきである。関係証拠によれば、E田理容店前軒下通路にあるコンクリート支柱やプラスチック製回転灯に、それぞれ道路側から発砲された弾丸が撃ち込まれたと窺える跳弾痕あるいは貫通痕などの痕跡のあることが認められるが、その位置が襲撃者側の七、八人のいる位置付近であることなどに照らし、それらは襲撃者側からの発砲によってではなく、襲撃者側の人物に向けられた発砲によって形成されたものと思われること等も、襲撃開始の直後に、その反撃として、店内に向けて発砲中の襲撃者に向けて、道路側から発砲する者のいたことを裏付けているというべきである。そして、ディアマンテに乗った人物が原判示銃撃戦の現場において、襲撃者らに向けて発砲した事実も、その車体等に襲撃者側の人物が発砲した銃弾を受けて形成されたと思われる多数の弾痕等が認められることからも裏付けられているところである。

この点に関し、所論は、E子の供述によっても、ディアマンテから人が降りるところや、同車から降りた者がけん銃を発射したところが同女によって目撃されているわけではなく、ディアマンテが現場に到着したころには既に銃撃戦が終了していたことが明らかであると主張する。しかし、この点に関する同女の検察官調書(原審検察官請求証拠番号書八一)における供述は、ディアマンテが襲撃者側の車両であるクラウンの右前方に北向きに停車したところを見たというものであるにとどまり、E由理容店前の方を間断なく見ていたのではなく、一一〇番通報をしたり、救急車を呼ぼうとしたりして、目を離していた場面もあり、ディアマンテがどこから来たのか、同車から人が降りたのかどうかなどの一部始終についてまで目撃していたものではないというのであるから、同車がその時初めて現場付近に到着したという趣旨を述べる供述であるとまでは理解できず、既に現場に到着していた同車が、その後その位置をクラウンの前方に移動したところを同女に目撃されたものであると理解することもできるのであるから、同供述を理由に、ディアマンテの現場到着時には既に銃撃戦が終了していたとする所論は採用することができない。

次に、被害者らの被弾状況についてみると、関係証拠によると、Aの死体の右頬下部盲管銃創から摘出された被甲弾丸一個と、E田理容店内に遺留されていた二五口径自動装てん式けん銃用被甲弾丸様一個とは同一の銃器により発射されたものと認められること、事件当時同店内から発砲したものは被告人のみであること及び店内における実包、打殻薬きょう、被甲弾丸様の発見地点、同店東側窓ガラスの貫通痕の状況などから考えて、これら二五口径自動装てん式けん銃用二個の弾丸は、いずれも被告人がその所携のけん銃で発射したものと考えられるところである。被告人は、当審公判廷において、自分の携帯しているけん銃を発砲する際に手間取った状況について供述しているが、この供述は、店内における前記実包等の遺留状況に符合すると考えられる。そして、Aの右背面外側部及び右側胸部の各盲管銃創のそれぞれから摘出された三八口径回転弾倉式けん銃用弾丸各一個は、同一の銃器から発射された可能性が大きいものであるが、これら二個の弾丸は、前記クラウンの車内から発見された三八口径回転弾倉式けん銃(平成一二年押第六〇号符一七)、「喫茶B野」前付近から発見された三八口径回転弾倉式けん銃二丁(同押号符一二、一四)及びE田理容店裏手空地から発見された三八口径回転弾倉式けん銃(同押号符二一)のいずれから発射されたものでもないことは、鑑定書(原審検察官請求証拠番号書三八)により明らかであり、また、本件銃撃戦の直後に乗用車に乗車中のD原C山会若頭補佐Gが警察官から職務質問を受けた場所近くの水田から発見された三八口径回転弾倉式けん銃(同押号符二三)にも発砲の跡がないことから、当該けん銃で発射されたものでもないことが明らかである。そして、関係証拠によると、Aは、襲撃者らによる一斉射撃が開始されたころ、E田理容店の窓付近の東方約一メートルないし一・五メートルの軒下通路上にまで近付き、その位置で被告人の発射したけん銃の弾丸に被弾したものであり、そのころ、右一斉射撃に臨んだその他の襲撃者らも、右軒下通路上又は同店前の道路から右軒下通路に至る階段上か、その付近に位置し、そこから店内に向けて一斉射撃に及んだと認められるところであるが、そのころ右軒下通路及び階段付近には襲撃者側の者しかいなかったのであるから、右のようなAとその他の襲撃者らとの位置関係から見て、仮にAが被告人の発射した弾丸に当たったことにより位置を移動したことがあったとしても、襲撃者側の者がAに向けてけん銃を誤射するような事態があったとはにわかに考えられず、ましてや同一のけん銃でAの背面及び側胸部に二発も誤射するという同士討ちの事態があったとは想定できないといわなければならない。その他の本件襲撃時の状況から見ても、Aが、襲撃者側の同士討ちにより被弾したのではないかとの所論指摘の合理的疑いは見出せない。

また、Bの死体には、身体の正面からほぼ水平に被弾したと考えられる左胸部貫通銃創一か所、前方から撃たれて生じたと考えられる左腋下及び左足膝蓋骨左下側各擦過銃創のあることが認められるところ、同人は、事件後「焼肉D川亭」前で倒れていたものであり、Fの供述のとおり、本件銃撃戦が行われていたころ、「焼肉D川亭」前で、柱につかまって立ち上がろうとするところを四、五人の男に取り囲まれて殴る蹴るの暴行を加えられていたものであるが、右暴行を加えていた男のうちの一人がディアマンテに乗車して本件現場を離れたことが認められるから、Bに右暴行を加えた四、五人の者は、A野会もしくはB山組の関係者、ひいては被告人側の人物であると考えられるところである。そして、Bを解剖した医師上村公一の原審公判廷における供述によると、心臓貫通射創を受けた場合には、一瞬のうちに意識を失い、転倒するであろうというのであるから、Bが死因となった左胸部貫通銃創の傷害を受けたのは、同人が立ち上がろうとした地点付近においてであり、かつ、その立ち上がろうとした前後のことであったと考えられ、そのころ同人の付近には、前記被告人側の四、五人の者らのいたことが窺われるけれども、関係証拠を検討しても、D原側の者がそのころBのいる付近に向けてけん銃を発砲するという状況にはなかったと考えられる(関係証拠によれば、そのころ、本件道路西側歩道上をA田歯科医院方向に向かっていた者のうちの一人が、車道上の男らに向けてけん銃を発射している事実のあることが認められるが、その発射方向等に照らし、これがBに当たったとは考えられないところである。)。このことに、原判示の本件襲撃及び銃撃戦の経過を併せて考えると、襲撃者らによるC会長らに対する一斉射撃が行われた際には、いまだBが右致命傷となった創傷を負っていたとは考えられないこと、更には、Bの左胸部貫通銃創が、身体の正面からほぼ水平の方向に、一発で心臓を撃ち抜くようにして形成されていることなどの被弾状況をも併せ考えると、Bが本件襲撃の際に同士討ちに遭ったという合理的な疑いも否定されると考えられる。したがって、Bは、被告人と共謀した者の銃撃により殺害されたものであることが優に推認されるというべきである。

以上の事実によると、原判決の説示するとおり、被告人とB山組ないしA野会関係者と目される氏名不詳者らとは、本件発生時までの間に、けん銃等を使用して、C会長の生命、身体等を狙う襲撃のあり得ることを予期して、本件襲撃の発生前から、前記の警護用車両二台を用い、C会長の周辺を警護し、かつ、けん銃を適合実包と共に携帯し、C会長が襲撃を受けた場合には、C会長を守るとともに、襲撃者らに対しけん銃を発砲して反撃する旨の謀議を遂げており、本件の当日も、C会長がE田理容店で散髪をするなどの外出に際し、警護のために、前記氏名不詳者約六名が、ディアマンテ及びセンティアに分乗し、同会長が同店で散髪をしている間、同所付近で待機又はパトロールしながらその警護に当たっていたものであり、犯行当時、いち早くC会長及び被告人に対する襲撃者らの一斉射撃に気付き、その現場において、前記謀議に基づき、意思を相通じて、襲撃者らに対し、けん銃を発砲して反撃に及び、本件各犯行を敢行したものであると推認することができるというべきである。

二  次に、本件襲撃及び銃撃戦並びにこれに関連する諸事情に関する原判決の認定に対し、種々論難している所論について検討する。

所論は、第一に、原判決が、H子の原審公判廷における供述に基づき、事件当日午前一〇時ころ、原判示C川ハイツから男たちが三人位ずつセンティアとディアマンテに分乗して出発した旨認定している点につき、右供述の評価を誤ったものであると主張しているので、検討すると、H子の供述の趣旨は、原審における証言当時の記憶としては、事件当日にC川ハイツから出発した車両がセンティアとディアマンテの二台であったかどうか、それらに乗車した人数が三人ずつであったかどうかについて、正確に断定できるわけではないが、前記二台の車両に三人ずつ位の男が分乗して出発したと思う、自分の警察官及び検察官に対する各供述調書についても、取調べを受けた当時の記憶に従って供述していると思うというものであり、H子の平成八年一〇月一日付け検察官調書には「ディアマンテが出発しているところは直接見ていませんが、大抵は二台とも出るので、一緒に出たものと思います」との供述記載があることに関して質問されたことに対しても、そのときの記憶が正しいと思うと供述しているものである。H子の警察官調書にはセンティアないしディアマンテに乗り込んで出発したとする供述記載がないとしても、そのことが同人の検察官調書やこれに沿う原審公判廷における供述の信用性を左右するものではない。この点についての原判決の認定に所論指摘の誤りがあるとは考えられない。

所論は、第二に、I子の供述について、同供述によっても、普段からC会長の身近警護に当たっていたのはセンティアかディアマンテのいずれか一台だけであり、それに乗車していたのも運転手一人だけであることが認定できるにすぎないが、これでは、警護態勢としてはあまりに手薄であり、到底本件襲撃を予測していたとは思われないと主張する。しかし、同供述の趣旨が、たとえC会長の来院中、付近に来ていた車両がセンティアかディアマンテかのいずれか一方のみであったとするものであったとしても、日によって来ていた車が異なっていたというにすぎず、両車両がいずれもC会長の身辺警護にあたっていたことを否定しているものではなく、また、I子は、普段はおそらく運転席だけにしか乗車していなかったと思うと供述しているが、このことから直ちにC会長の通院時以外の時や、本件犯行当日にも一人しか乗車していなかったことが証明されているということにはならないし、また、I子は、犯行当日には、銃声を聞いたあとでセンティアを目撃したものであるから、本件犯行後の状況を目撃したものと考えられ、その目撃の時点では仮に運転手が一人しか乗車していなかったとしても、その前後の時点においても同車には運転手だけしか乗車していなかったということにはならないというべきである。この点に関する所論も理由があるとは思われない。

所論は、第三に、原判決が、現場付近に向かって北方から走行してきたセンティアの運転手が運転席の窓を開けて携帯電話で通話しており、その後に急加速し、E田理容店の方からA田歯科医院の方向へ走ってきた二人の男に向かって切り込む形で停車し、運転席と助手席から男が降りようとしていたとするFの原審公判廷における供述を信用できるとしている点について、センティアの運転手が窓を開けて携帯電話で通話したとか、同車の運転席と助手席から男が降りようとしていたなどという右Fの供述部分は、捜査段階から二転三転していることなどから見て信用できないと主張するので、検討すると、Fの供述は、①センティアを初めに見た時の同車の速度、同車が加速した場所、加速の回数、加速後の速度、②センティアの運転手が窓を開けて携帯電話のような物で通話していたかどうか、③A田歯科医院に向かって歩道を進んできた二人の男が歩いてきたのか走ってきたのか、これら二人の男に向けて発砲したのは、ディアマンテから降りてきた二人の男か、E田理容店の側にある歩道の方向から走ってきた三人の男か、④「焼肉D川亭」付近にいた男が出血していたかどうかなどの点で、捜査段階と原審公判段階とで異なる内容を述べたり、捜査段階でも時期によりその供述内容に微妙な変遷が見られるところであり、右Fも、捜査段階ですでに記憶があいまいになっていたり、供述はしたが調書化されなかったりした点があるし、原審公判段階では記憶が不十分で、捜査段階で述べた方が正しいと思うと供述している点もあるのであるが、結局のところ、Fの供述を全体としてみると、同人は、捜査機関による取調べ及び公判廷において、それぞれその場の記憶に従って供述しているものの、本件事案の経過に関し、大筋ではその捜査段階の供述と原審公判段階の供述とはほぼ一貫しており、供述の根幹部分の信用性が否定されるほどの変遷や不一致があるとまでは考えられず、所論指摘の同人の供述部分の信用性が否定されるとまではいえないというべきである。

所論はまた、襲撃者側と迎撃者側との双方がほぼまとまって行動していたとのFの供述は、襲撃者らのE田理容店内へ向けての一斉射撃から相当時間が経過し、同所から北方へ移動した後の目撃状況を供述したものであり、その時点では既にA及びBは被弾していたものであるから、右Fの供述をもとに、Aらが同士討ちに遭ったとの合理的疑いを容れる余地はないとする原判決の説示は誤りであるとも主張する。しかし、前記のとおり、A及びBが致命傷となる銃創を負わされたのは、本件襲撃の最初の段階である一斉射撃の際においてであると決めつけることはできないし、Aらが同士討ちに遭ったのではないかとの疑いが否定されることは、襲撃者側と迎撃者側の双方がほぼまとまって行動していたとする右Fの供述のみを根拠とするものではなく、その他の目撃者らの供述などをも含めた関係証拠により認められる本件襲撃及び銃撃戦の経過、Aらの被弾状況などの諸事情をも総合した上で導かれる判断であることは既に述べたとおりであるから、所論指摘の点から、Aらが同士討ちに遭ったとの合理的疑いを否定した原判決の判断が誤りであるとすることはできないと考えられるところである。

所論は、第四に、原判決が、C川ハイツB棟二〇二号室について、同室には普段から被告人を含むA野会関係の組員と思われる者が出入りし、センティアやディアマンテも同ハイツ付近にたびたび乗りつけて来ていたとし、C川ハイツがC会長の身辺警護の拠点となっていた旨認定している点をとらえて、右認定を導く証拠となったH子の原審公判廷における供述は、反対尋問に対して証言を拒否する理由が不合理であり、C川ハイツ付近に出入りしていた人物や車両の目撃状況も不確かであって信用できない、同室は単に若い組員のたまり場となっていたにすぎないと主張するので、検討すると、確かに、H子は、自宅がC川ハイツの近隣であるため、暴力団関係者からの報復を恐れて、自宅の位置が特定されるような質問に対しては供述を極力拒否しているが、そのことから同女の供述が直ちに信用できないことにはならない。C川ハイツに出入りしていた者の中に被告人及びA野会関係者が含まれていたかどうかについて、H子は、警察官による取調べの際には複数の者の顔写真を示され、そのうち同ハイツに出入りしていた覚えのある者を特定する方法で、被告人及びA野会関係者一名を特定したと供述しており、その供述の信用性を否定し得るほどの事情はない。C川ハイツで目撃された組員らしき者が乗っていた乗用車の車種についても、同女が警察において車両の写真を見せられて記憶を確認したことも事実ではあるが、車両を目撃した頻度や、目撃した時の状況などによって、印象が強く残っているものとそうでないものとがあり、ディアマンテとセンティアについては印象が強くて記憶に残っており、その他の車両はそれほど印象に残っていないという趣旨の供述と理解できるのであって、その信用性が否定されねばならないほどの事情のあるものではないというべきである。この点についてのH子の供述の信用性についての疑問をいう所論も理由に乏しいというほかない。

所論は、第五に、原判決は、I子の供述に基づき、C会長が自宅から徒歩で外出したり、A田歯科医院に通院する際には、センティア又はディアマンテがC会長の後方から走行したり、C会長の受診中には同医院の近くに駐車するなどしてC会長の身辺警護に従事していたと認定しているが、右の点に関するI子の供述は、右二台の車両についてはよく記憶しているのに、通院時にC会長自身が乗車していたベンツやセルシオの特徴については記憶が曖昧であるなど、警察による誘導のあとが窺われること、事件当日は車種をアンフィニのクロノスと述べていたのに、後日センティアと訂正したことなどから見て信用できないなどと主張する。しかし、I子が目撃したというC会長の後方から付いていた車両については、目撃した頻度や、そのときの印象によって、車種による記憶の濃淡があっても格別不自然ではなく、直ちに警察官による誘導があったとまではいえないところである。また、I子は、車種について当初アンフィニのクロノスと供述したのは、事件当日、A田歯科医院に来た警察官から取調べを受けた際には、センティアという言葉をど忘れして、その警察官がA田歯科医院に乗ってきていた車両と似ていると供述したところ、その車種であるアンフィニのクロノスと断定的に供述調書に録取されたため、そのような供述記載になったと供述しているところであり、後日センティアと訂正した理由が必ずしも納得できないものでもないところである。この点についてのI子供述の信用性の疑問をいう所論も、前同様、理由に乏しいものである。

所論は、第六に、E子の供述によると、襲撃者らは横一列になって一斉射撃を始めたものではなく、E田理容店のドアの前まで進んでいた襲撃者側の一名に一斉射撃の銃弾が命中し、同士討ちになった可能性が高いと主張する。そこで、検討すると、E子の検察官調書(原審検察官請求証拠番号書八一)によると、襲撃者ら七、八人は、二、三人がE田理容店前の階段の一番上におり、二段目に一人、三段目には二人位、居酒屋「E原」前に二人立ったというのであるが、同人らは、これから店内に向けて一斉射撃をしようとしていたのであるから、それぞれの立っていた位置は店の前の階段の各段にわたっていたとしても、味方側の者を射撃するような位置に立つということは考えられず、一直線ではないとしても横並びの状況であったと考えられるところである。関係証拠によれば、襲撃者らがいた同階段の一番上と、三段目との前後の間隔も、せいぜい一メートル二、三〇センチ前後でしかないことも、そのことを裏付けるものである。この点の所論も採用することができないというべきである。

三  所論は、更に、被告人らは、本件襲撃を予期しておらず、不意討ちを受けたのであるから、原判決の認定するようなC会長の身辺警護態勢の存在や事前共謀の事実を推認することはできないと主張する。

しかし、本件襲撃及びこれに対する被告人及び前記氏名不詳者らによる反撃の状況等に照らすと、被告人らとしては、襲撃者らによる最初の一斉射撃については、それが現に行われた日時、場所で行われるであろうことをまで具体的に予期していたものでないのは所論指摘のとおりと考えられる。しかしながら、仮に、被告人らにおいて、予期された襲撃に対抗する迎撃態勢ができていなかったのであれば、けん銃を携帯した七、八名の者が乗用車二台で乗り付けて一斉射撃を行うというほどに周到な準備をした襲撃者らとしては、たとえ被告人らからある程度の反撃を受けたとしても、そのまま理容店内になだれ込むなどして、C会長の殺害に至るまで攻撃を止めなかった筈である。しかるに、本件襲撃に対しては、被告人において即座に所携のけん銃で反撃し、前記警護用車両二台もまた素早く現場に駆けつけて襲撃者らを追い払うとともに反撃を加えているのであって、被告人らにおいて、このように敏速かつ的確に襲撃に立ち向かって銃撃戦に及び、C会長を守るとともに襲撃者らを撃退しているという経過からは、被告人らがC会長の身辺警護の役割を果たしていなかったとか、C会長と被告人とが助かったのは奇跡に近いなどということはできず、被告人らの側において、本件のような襲撃のありうることを予期し、その襲撃に対応しうるだけの迎撃態勢を整えていたものと推認されるのであり、このことは、襲撃者側と被告人及び前記氏名不詳者らの反撃者側の人数、それらの者が各自それぞれにけん銃を準備していたと目される状況などからも首肯しうるところである。

したがって、本件襲撃は、その日時、場所の特定された形態で具体的に予期されていたものではなく、その意味では不意討ちであったという側面もあるとはいえ、それは、襲撃者らが先制攻撃を仕掛けたことの必然の成り行きにすぎないのであって、被告人らによって予期されていた範囲を上回るような予想外の襲撃であったということにはならないと考えられるところである。

所論はまた、けん銃を使用した襲撃に対し、けん銃によって反撃するのは、銃砲刀剣類所持等取締法違反の点は別として、社会的に許容された防衛行為であるから、そのような防衛行為を行う旨の意思の合致があったとしても、それは、殺人罪の事前共謀たりえない、本件では、相手方による襲撃の機会を利用して、それに対し、防衛の程度を超える反撃を行い、より積極的に相手方を殺害する旨の謀議が成立したといえるのでなければ、殺人罪の事前共謀が成立したということはできない。そして、防衛の程度を超える反撃を行うためには、相手方による襲撃の日時、場所、態様等を具体的に予期したうえ、これに対し、より積極的に反撃するための態勢を敷くことについての具体的計画が存在することが必要であるというべきであるが、本件ではそのような事前共謀の成立は立証されていない。被告人らにおいて、右のような具体的予期を有していたのであれば、相手方に対して先制攻撃を仕掛けているはずであるが、そのような先制攻撃を仕掛けた事実はなく、本件の全証拠によっても、本件襲撃は被告人らにとって不意討ちであり、それに対する十分な反撃態勢が敷かれていたとはいえないなどと主張するものである。

しかしながら、銃砲刀剣類所持等取締法に違反してけん銃を所持する行為は、同法の趣旨やけん銃所持の規制目的に照らし、所持の目的がたとえ外部から受けるかもしれない襲撃に備えて他人を護衛するためであっても、単に同法に違反するというにとどまらず、およそ社会的に許容されない違法な行為であるというべきである。けん銃を使用した襲撃に対し、けん銃を発砲することによって反撃する旨の謀議は、人の殺害という結果の発生することをも容認しているものであって、もとより適法行為の認識といえるものではなく、殺人罪の事前共謀を構成するものというべきである。所論はその前提において失当であり、採用することができない。

所論はまた、被告人と共謀したとされる氏名不詳者らがセンティアやディアマンテを使用し、けん銃を適合実包とともに携帯しながらC会長の身辺警護に当たっており、事件当日も本件現場に現れた右各車両に乗車していた者がけん銃を所持し、けん銃を発射したとの事実を認めるに足りる証拠はない、両車両に積載されていた無線機が交互に交信できるものであったという証拠もない、被告人は無線機を所持せず、被告人と右各車両に乗車していた氏名不詳者らが共謀していた事実は立証できないなどとも主張するが、既に述べたように、本件襲撃が、日時、場所の特定された襲撃として予期されていなかったにもかかわらず、被告人及びセンティアやディアマンテに乗車していた者らが本件襲撃時にけん銃を携帯していたということは、C会長を日常警護する上でも、これらの者がけん銃を携帯して警護に当たっていたことを推認させるものというべきであるし、所論指摘の無線機が交互に交信可能であることも、そのことが捜査段階で実験によって確認されていないとしても、これらの無線機が相互に周波数が固定され、割り込み通信ができないように設定されていたこと(Jの原審公判廷における供述。この供述の信用性を左右するに足りる事情は見当たらない。)から十分に立証されているものである。

四  次に、本件では正当防衛が成立しないことについて述べることとする。

正当防衛の制度は、法秩序に対する侵害の予防ないし回復のための実力行使にあたるべき国家機関の保護を受けることが事実上できない緊急の事態において、私人が実力行使に及ぶことを例外的に適法として許容する制度であるところ、本人の対抗行為の違法性は、行為の状況全体によってその有無及び程度が決せられるものであるから、これに関連するものである限り、相手の侵害に先立つ状況をも考慮に入れてこれを判断するのが相当であり、また、本人の対抗行為自体に違法性が認められる場合、それが侵害の急迫性を失わせるものであるか否かは、相手の侵害の性質、程度と相関的に考察し、正当防衛制度の本旨に照らしてこれを決するのが相当である。そして、侵害が予期されている場合には、予期された侵害に対し、これを避けるために公的救助を求めたり、退避したりすることも十分に可能であるのに、これに臨むのに侵害と同種同等の反撃を相手方に加えて防衛行為に及び、場合によっては防衛の程度を超える実力を行使することも辞さないという意思で相手方に対して加害行為に及んだという場合には、いわば法治国家において許容されない私闘を行ったことになるのであって、そのような行為は、そもそも違法であるというべきである。

前記認定の事実によると、本件襲撃は、これのみを客観的に見ると、E田理容店前に複数の自動車で乗り付けた七、八名の者が降車するや否や、いきなり一斉にC会長及び被告人に向けてけん銃で狙撃するという切迫した態様のものであったことは否定できない事実であるし、被告人らにおいて、日時、場所、態様等の特定された形態で本件襲撃を予期していなかったこともまた否定できないところである。

しかし、被告人らが普段から取っていた前記認定のC会長の身辺警護の態勢は、けん銃を携帯した被告人が外出時のC会長に同行し、けん銃を携帯した者が乗り込んだ乗用車二台でC会長の周辺を見張るというものであり、そのこと自体、法の許容しない凶器を所持した態様の迎撃態勢であったというべきである。

そして、本件襲撃が被告人らの予期していた程度を超えた予想外のものでなかったことは、既に述べたとおりであり、被告人らは、これと同種同等の反撃を相手方に加え、場合によっては防衛の程度を超える実力行使をも辞さないとの意思で本件犯行に及んだものというべきである。したがって、本件襲撃は、それのみを客観的に見ると切迫した事態であったけれども、それだけで正当防衛の成立が認められる状況としての急迫性が肯定されるものではなく、これに対する被告人らの普段からの警護態勢に基づく迎撃行為が、それ自体違法性を帯びたものであったこと及び本件襲撃の性質、程度も被告人らの予想を超える程度のものではなかったことなどの点に照らすと、本件犯行は、侵害の急迫性の要件を欠き、正当防衛の成立を認めるべき緊急の状況下のものではなかったと解するのが相当である。正当防衛の成立を否定した原判決に、所論指摘の誤りはない。

所論は、被告人及び氏名不詳者らがC会長に対しけん銃等を使用した襲撃があり得ることを予期していた事実を裏付けるに足りる背景事情、たとえば、A野会と対立関係にある組織とが抗争状態にあるというような事情もなく、被告人らが襲撃を予期していたとはいえないと主張し、その根拠として、右主張に副うKの各警察官調書(当審弁護人請求証拠番号三、四)をあげ、被告人も当審公判廷において、所論に副う供述をしているところである。しかしながら、検討すると、C会長自身の山口組内における地位の高さや、前記認定のC会長の警護態勢が、組長の地位にある被告人自身が会長の外出時にけん銃を携帯し、加えて二台の車両も身辺警護に当たるという態様のものであったことなどから見て、そのような警護態勢を採用していたこと自体、それを必要とするような何らかの事情のあったことを窺わせるものというべきである。右Kの各警察官調書中には、事件当時、D原が本拠を構える京都にはA野会系の組織もあったが、目立った揉め事もなく、どちらかといえばA野会の方が優位であった、C会長が本件襲撃を受けた翌日、同人の意見も聞かず、山口組若頭LらがD原と和解を成立させたことから、本件襲撃の背景は、むしろ山口組内部の権力争いにあったのではないかと憶測され、C会長が襲撃されたことについて、当時C会長警護の責任者であったMが責任を感じ、勝手に暗殺部隊を編成してL殺害を行ったのではないかと思うなどという供述部分がある。そして、右Kの各警察官調書中には、C会長に対する本件襲撃について、Cのボディーガードをしていた被告人の反撃によりD原系組員二名を殺害したという本件公訴事実に副う供述部分もあるのであり、その点はしばらく置くとしても、D原とA野会との間では目立った揉め事もなかったなどという右Kの供述部分は、同会の間に表沙汰になるような事件がなかったという趣旨にとどまり、直ちに両会が対立関係になかったことの証左とまですることはできないし、これによって、被告人がC会長の身辺に対する襲撃を予期していなかったことが裏付けられるものでもない。この点の所論も採用の限りでない。

以上のとおりであって、所論指摘のその余の諸点を検討しても、原判決の事実認定を左右するものではなく、論旨は理由がない。

第三控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、原判決の量刑は、主刑の刑期が長きに過ぎ、これに算入された末決勾留日数も少な過ぎる点で、不当に重過ぎる、というものである。

そこで、記録を調査し、当審における事実調べの結果を併せて検討すると、本件犯行の動機、態様、結果など、ことに、本件は、暴力団山口組内A野会の幹部で、B山組組長でもある被告人が、A野会又はB山組の関係者と目される氏名不詳者数名と共謀の上、C会長に対する銃器を用いた襲撃のありうることを予期し、襲撃を受けた場合には、けん銃を用いてこれに積極的な反撃を加えて襲撃者を殺害することを企て、自らけん銃を適合実包と共に携帯して会長の身辺に付き従うとともに、けん銃を携帯して乗用車に乗車した者らと協力して、外出中の会長の身辺を警護する態勢をとり、当初から法秩序の許容ないし態様の警護態勢で臨んでいたものであるところ、犯行当日の白昼、住宅街の道路に面した理容店内にいたC会長及び被告人らに向けて、D原系の暴力団組員から突如銃撃を受けることとなった機会に、右店内及び周辺の路上において、襲撃者らに対し、素早くけん銃を発砲するなどして反撃を加え、襲撃者らのうち二名の者を殺害するに至ったという事案であって、反社会的な動機の下、組織的に敢行された無法かつ凶悪な犯行といわなければならず、被害者二名は、C会長及び被告人に対し、けん銃を用いた先制攻撃を仕掛けたものであるとはいえ、本件犯行によりかけがえのない生命を断たれたという結果はまことに重大であるといわなければならないこと、被害者らの遺族に対しては何らの慰謝の措置も講じられていないこと、犯行当時、現場付近に居合わせた一般人が生命の危険にさらされたほか、地域社会の住民らにも大きな不安を与えるなど、社会的にも看過できない影響をもたらした事案であり、けん銃を使用した凶悪事犯に対する社会的非難が高まり、暴力団や銃器の取締り強化が求められている社会情勢にかんがみても、強い非難に値するといわなければならないこと、とりわけ、被告人は、暴力団組長として自らけん銃を携帯して会長の身辺警護に従事していたものであり、自ら直接被害者らに致命傷となる銃創を負わせたとまでは認められないものの、自らもAに対するけん銃発砲の実行行為に及んだものであること、本件犯行についての反省悔悟の態度も十分とは思われないこと、被告人には粗暴犯の前科があり、傷害罪又は暴力行為等処罰に関する法律違反により罰金刑を四回受けたほか、平成四年一〇月には傷害罪により執行猶予付の懲役刑を受けたものであることなどの諸事情に照らすと、被告人の帰りを待つ妻子がいること、その他、被告人に有利な事情を考慮に入れたとしても、被告人の刑事責任は重大であるというべきであって、被告人を懲役一五年に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとまでは考えられない。

次に、所論は、原判決が本刑に算入した未決勾留日数が少な過ぎて不当であると主張するので、この点について判断する。

本刑に算入されるべき未決勾留日数は、被告事件の規模及び性質、審理経過、被告人の責に帰すべき事由など諸般の事情を勘案して、審理に要する通常の期間に相当する勾留日数を除外し、その余の日数を本刑に算入するのが相当であると考えられ、その具体的日数の算定については、裁判所の裁量に委ねられているところではあるが、その裁量が著しく妥当を欠いている場合には量刑不当になることもあるものというべきである。これを本件についてみるに、記録によると、被告人は、本件公訴事実と同一性のある殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反の被疑事実について、平成八年九月一三日に勾留された上、同年一〇月二日に公訴を提起され、平成一二年一月二〇日に原判決の言渡しを受けたものであり、起訴前の勾留日から原判決言渡しの前日までの間、合計一二二四日間勾留されていたものであることが認められる。そして、原裁判所は、平成八年一二月一一日以来一九回の公判期日を重ね、前記平成一二年一月二〇日の第二〇回公判期日において原判決を言い渡したものであるが、原判決は、被告人を懲役一五年に処した上、本刑に算入することが可能な右未決勾留日数のうち五〇〇日を右刑に算入したにとどまるものである。本件事案の重大性や、本件は状況証拠の積み重ねによって公訴事実を立証する必要があるという事案の性質、審理の経過、ことに、被告人が、捜査段階以来、公訴事実を全面的に争い、検察官請求の証拠書類のうち、多数のものの取調べに同意せず、多数の証人の尋問や検証をも実施するなど、その審理に長期間を要する事情のあったことは否定し難いところではあるけれども、そのような事情を考慮しても、原判決が本刑に算入しなかった未決勾留期間の全てが審理のために必要とされる合理的な期間であったとまではいえないところであって、原判決の未決勾留日数の本刑算入は、被告人に対し、看過することのできない不利益な結果を来たしているものであり、裁量権の範囲を逸脱した不当に過少なものであるといわざるを得ず、ひいては、その量刑が重過ぎて不当であるといわなければならない。原判決は、この点において、破棄を免れない。

第四結論

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により更に判決することとし、原判決が認定した罪となるべき事実に、その挙示する各法条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栗原宏武 裁判官 水島和男 五十嵐常之)

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