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大阪高等裁判所 平成12年(う)488号 判決 2002年8月21日

主文

原判決を破棄する。

被告人Aを禁錮1年6か月に、被告人Bを禁錮1年2か月にそれぞれ処する。

原審における訴訟費用は、これを3分し、その1ずつを各被告人の負担とする。

理由

第1本件控訴の趣意等

本件控訴の趣意は、弁護人滝口克忠、同荒尾幸三、小原正敏、同田端晃連名作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官山田一清作成の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、量刑不当を主張し、要するに、被告人Aを禁錮2年に、被告人Bを禁錮1年6か月に処した原判決の各量刑はいずれも重過ぎて不当であり、被告人らに対しそれぞれ刑の執行を猶予するのが相当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。

第2本件結果及びその直接的原因等

1  本件結果

本件の被害者は、肝疾患に罹患して、昭和60年11月、C病院に入院し、昭和61年4月1日、肝疾患に伴う食道静脈瘤の硬化手術を受けた。同病院医師は、同日から同月3日までの間、被害者に対し、止血ないし出血防止用薬剤として、非加熱濃縮血液凝固第IX因子製剤であるクリスマシン(以下、「非加熱クリスマシン」ともいう。)3本(合計1200単位)を投与した。

被害者は、まもなくその非加熱クリスマシンに含まれていたエイズウイルス(ヒト免疫不全ウイルス)に感染し、平成5年9月ころまでにエイズ(後天性免疫不全症候群、以下、「エイズ」という。)を発症させ、平成7年12月4日、同病院において死亡した。

2  本件の直接的原因

本件被害者が、上記のように、エイズウイルスに感染し、エイズを発症させ、これによって死亡したのは、エイズウイルスが含まれていた非加熱クリスマシンを投与されたからであって、非加熱クリスマシンの投与がなければ、被害者がエイズによって死亡することはなかったと認めることができ、この点に合理的な疑いを差し挟む余地はない。したがって、本件結果の直接的原因は非加熱クリスマシンの投与にある。

3  DによるC病院への非加熱クリスマシンの販売等

本件非加熱クリスマシンは、医薬品の製造販売を業とする当時の株式会社D(以下、「D」という。現在は、吸収合併により、E株式会社)が製造したものである。

DのC病院営業担当者は、非加熱クリスマシンは国内原料で製造されているのでエイズ感染のおそれがない旨のDの社内文書等を信じて、同病院側に対応し、昭和61年1月中旬ころ、同病院の薬剤担当者に対して、上記社内文書等に従って、加熱濃縮血液凝固第IX因子製剤であるクリスマシンHT(以下、「加熱クリスマシンHT」ともいう。)の供給量に問題があるためその納入は4月まで待って欲しい旨を依頼した。

Dは、同年1月13日から同年2月10日までの間、医薬品卸販売業者のF商事株式会社に非加熱クリスマシン160本を販売し、同社は、同年3月27日及び同月29日、同病院に対して、うち7本を販売した。

本件被害者の主治医は、食道静脈瘤の硬化手術に際して非加熱クリスマシンを使用していた同病院医師作成の投与医薬品指定書に従って処方箋を作成し、これによって本件非加熱クリスマシン3本が本件被害者に投与されたものである。

第3本件における主たる問題点

本件結果の直接的原因は非加熱クリスマシンの投与によるエイズの感染・発症であることは前記のとおりである。したがって、本件においては、この非加熱クリスマシンのエイズ危険性及びその予見可能性が重要な問題となることはいうまでもない。

ところで、後記のとおり、本件非加熱クリスマシンが本件被害者に投与された昭和61年4月1日から同月3日までの間には、すでにDによって加熱クリスマシンHTが販売されていたのである。しかしながら、Dは、加熱クリスマシンHTの販売開始後も非加熱クリスマシンを併行販売していた。濃縮血液凝固第IX因子製剤の加熱化はエイズ危険性対策のはずであった。そうすると、本件における主たる問題点は、非加熱クリスマシンのエイズ危険性と濃縮血液凝固第IX因子製剤の加熱化の意味にあるということができる。

第4当裁判所の基本的立場

人の生命は最も重視されるべき保護法益であって、これを凌駕する利益は存しない。したがって、濃縮血液凝固因子製剤にエイズ発症危険性があり、人の生命を侵害する危険性があるとするならば、これに対するその予見や結果回避に対する可能性及び義務については、厳しい目をもって判断するべきである。濃縮血液凝固因子製剤投与→エイズ発症→死という因果関係が、それが合理的な理由によって偶然的なものと認められる場合ではない限り、たとえ、当時、その蓋然性が高い、すなわち確実なものと認識できない場合であっても、保護法益が人の生命という高度なものである以上、予見義務や結果回避義務を否定する理由とはならないというべきである。死亡率が低いと認識していたとしても、死んだ人は運が悪かったと思えとは到底いえることではない。また、濃縮血液凝固因子製剤投与によるエイズ発症と人の生命侵害(死)との間に客観的な因果関係がある以上、濃縮血液凝固因子製剤投与によるエイズ発症は人の生命侵害(死)という結果発生の原因力になるのであるから、この結果発生の原因力である濃縮血液凝固因子製剤投与によるエイズ発症の危険性の認識可能性がある限り、濃縮血液凝固因子製剤投与→エイズ発症→死という因果関係の機序等が客観的、科学的に証明されてなく、したがって、そのような因果関係の経路についての認識が困難であったとしても、生じた結果についての予見可能性を肯定するのが相当である。量刑上といえども、因果関係の経路についての認識の困難性は決定的というべきではない。因果関係の経路についてまで科学的に解明され、客観的に証明されるまで予見義務や結果回避義務を負わないとかこれが軽減されるということはできない。これを肯定するならば、未曾有の悲惨な被害が出てしまうからである。この点は、これまでの公害、薬害等の事件に照らして明らかである。

第5本件に至る経緯等

Dでは、血友病の患者の止血治療のため非加熱濃縮血液凝固第IX因子製剤である非加熱クリスマシンを製造販売していたが、その原料の血漿の多くを米国の子会社から輸入していたところ、米国において、エイズ発症者やエイズウイルス(後にHIVとして同定された。)の感染者が増え、エイズウイルスに汚染された血漿を原料とした非加熱血液製剤の使用により血友病患者のエイズ発症例も増加していた上、わが国内においても、Dが製造するものを含め、米国で採取された血漿を原料とする非加熱血液製剤を使用した血友病患者の中にエイズウイルス感染者(抗体陽性者)が相当数確認され、エイズ発症により死亡する例も発生していた。その対策として、厚生省は、製造過程で加熱処理をしてエイズウイルスを不活化しそれによる感染の危険性を除去した加熱血液製剤の導入を図り、昭和60年7月に第VIII因子製剤についてのD外4社の加熱血液製剤の承認に引き続き、同年12月には、第IX因子製剤についても、同業の他1社がその輸入承認を受けて販売を開始し、Dにおいては、同月17日に加熱第IX因子製剤であるクリスマシンHTの輸入承認を受け、昭和61年1月10日からその販売を開始した。

しかしながら、Dにおいては、その後も、加熱クリスマシンHTを販売すると共に非加熱クリスマシンをも併行販売し、販売済みの非加熱クリスマシンを回収する措置を取らないでいた。その結果、前記のとおり、昭和61年1月13日以降にDから出荷され、F商事を介してC病院に販売された非加熱クリスマシンのうちの3本が、同病院医師らを介して、同年4月1日から同月3日までの間、本件被害者に投与され、まもなく、同人をその非加熱クリスマシンに含まれていたエイズウイルスに感染させて、平成5年9月ころまでにエイズを発症させ、平成7年12月4日、同病院において死亡させた。

第6非加熱濃縮血液凝固因子製剤の危険性

1  問題点

本件は、前述したように、加熱クリスマシンHT販売開始後における非加熱クリスマシン投与が問題となる事件であって、この点は、加熱濃縮血液凝固因子製剤販売開始前における非加熱濃縮血液凝固因子製剤投与(昭和60年5月12日から同年6月7日までの間の非加熱第VIII因子製剤投与)が起訴事実となっているいわゆるG大事件(東京地裁平成13年3月28日判決)やいわゆる厚生省事件(東京地裁平成13年9月28日判決)とは異なるものである。したがって、本件においては、最終的には、濃縮血液凝固第IX因子製剤の加熱化の意味が問題となることは前記のとおりである。しかしながら、その加熱化の意味を見定めるためには、非加熱因子製剤の危険性についても検討する必要がある。

2  エイズウイルスの特質など

エイズの出現、原因ウイルスの分離、エイズウイルスの特質については、ほぼ原判決が補足説明の二「本件犯行に至る経緯」の1「加熱クリスマシンHT販売開始時点(昭和六一年一月一〇日)までのエイズに関する状況」の(一)「エイズの出現、原因ウイルスの分離」(二)「HIVの特質」に記載のとおりであると認められる。

エイズでは、感染すると、生体の免疫機能が不可逆的に破壊されて、感染が持続する、感染から発症までの潜伏期間が長い、健常人では発症しない日和見感染症やカポジ肉腫などの重篤な症状に至る、治療が著しく困難であり、死亡率が極めて高いなどの特質がある。

3  血友病患者とエイズ

エイズは、昭和56年頃から米国で同性愛者の中にその症例が発見されて以来、急速な広がりを見せ、米国国立防疫センター(CDC)の機関誌MMWRによると、全米のエイズ患者は、昭和59年1月現在で3215人、同60年4月現在で1万人、同61年1月現在で1万6458人を数え、これが非加熱血液製剤を感染経路として血友病患者にも広がり、全米で昭和59年1月には20人、同60年4月には71人、同61年1月には135人の血友病患者にエイズを発症させていたとされている。わが国においても、厚生省のエイズ調査検討委員会が昭和60年3月に、男性同性愛者1名をエイズ第1号患者と認定公表し、次いで、同年5月に、血友病患者3名を含む5名を、同年7月に、血友病患者2名をそれぞれエイズ患者と認定公表した。同省感染症対策室がまとめた昭和61年1月末のエイズ患者の累計数は合計14人(既死亡9人)であり、うち7人は血友病患者(既死亡6人)であった。エイズは、その後も、世界中で増加の一途をたどり、わが国では、特に、血友病患者の間で猛威を振るい、米国からの輸入血漿を原料とした非加熱血液製剤を使用していた血友病患者に、感染後相当長期の潜伏期間を経過して発症する者が続出し、平成8年5月末現在で、非加熱濃縮血液凝固因子製剤を感染源とするエイズ感染者数は1868人に上り、うち630人がエイズを発症しており、非加熱濃縮血液凝固因子製剤を感染源とするエイズの感染者の死亡者数は累計438人にも及んだとの報告がされているように、その悲劇は拡大し、これは現在に至るも引き続いていることが窺われる。

4  非加熱濃縮血液凝固因子製剤のエイズ発症の危険性に関する諸見解

(1)  エイズが感染後数年から10年といった長期の潜伏期間を経た後に高い確率で発症するということが明らかになったのは、血友病患者等の抗体陽性者の追跡調査が相当進んだ1980年代の後半以降である。後記のとおり、エイズウイルスに対する世界的な知見は進み、これらが紹介されるなどしたにもかかわらず、わが国においては、エイズウイルスの感染が長期の潜伏期間を持つことについて、過去の類似ウイルスの実例等を通して経験的に予想できなかったことに加えて、わが国では、全国に3000人を超える血友病患者の中にエイズウイルスに対する抗体陽性の反応を示す者が約3割いるといわれるのに、エイズの発症例は、上記のとおりまだ相当に少数にとどまっており、抗体陽性の反応がある血友病患者であっても、一定期間の観察によっては必ずしも発症しない者がほとんどであったことなどから、エイズ問題に関する医師・研究者の間でさえも、昭和61、62年ころまで、抗体陽性の意味を不明としたり、血友病患者の抗体陽性者の発症率は低いとみるなどの見解がみられた。

(2)  その中で、昭和60年4月に、米国厚生省と国連世界保健機関(WHO)の共同企画により世界各地のエイズ関係の専門学者が参集し、米国アトランタ市で開催されたエイズ国際研究会議が、わが国においても、エイズに対する医学的認識を深めさせた。同会議に参加したわが国の研究者は、昭和60年6月ころ、同会議で報告され大方の承認を受けた見解として、<1>抗体陽性は、感染性ウイルス陽性として対処しなくてはならないこと、<2>最も解析の症例の多い報告によると、抗体陽性者のうち7ないし14パーセントがエイズを発症し、23ないし26パーセントがエイズ関連疾患(ARC)になること、<3>エイズウイルスによる原因の確立とそれに基づく血清疫学的データの蓄積で、エイズの発現以来考えられていた輸血及び第VIII因子製剤等の血液製剤の投与によるエイズの伝播が実証されてくるとともに、伝播に関連した恐るべき事実が明らかになりつつあること、<4>エイズウイルスを有する血液の注入と、これによる受血者のエイズまたはARCの発症の間には、成人で4年ないしそれ以上の潜伏期があるから、血液ないし血液製剤の投与を受けた者の追跡調査と対策は、今後10年近く続けなければならないことなどを報告した。また、同じく上記会議に出席した他の研究者も、同年9月ころ、<1>抗体陽性がエイズウイルス保有を意味し、発病までの潜伏期間が非常に長く5年あるいはそれ以上といわれること、<2>ウイルス保有者集団はいつでも真のエイズを発症する可能性があり、その発症率が7ないし15パーセントともいわれること、<3>エイズウイルスは、熱に弱いことから加熱処理した第VIII因子製剤が許可になり、入手できることになったことなどの見解を発表した。エイズ問題に関する当時のこれらわが国の研究者の説くところは、その後に起こったエイズ被害の大規模な惨状からみると、まだ相当に甘い見方であったとはいえ、世界的学者らによって承認された先進的知見を論拠にウイルス学ないし疫学的見地からの有力な見解と評価し得る。

(3)  上記の(2) の見解が非加熱濃縮血液凝固因子製剤の危険性を指摘するのに対して、(1) のわが国における見解はこれを楽観視するものといいうる。しかしながら、(1) の見解は、(2) の見解を客観的、科学的に否定するものではなく、1つの可能性を指摘するにとどまるとみるべきである。そうすると、一般的に、当時有力に主張された(2) の見解に基づく非加熱濃縮血液凝固因子製剤のエイズ発症の危険性に対する認識可能性が十分存したことを否定できない。

5  被告人らの非加熱濃縮血液凝固因子製剤の危険性に関する認識可能性

Dの医学研究ないしこれに関する情報伝達分野の最高責任者である被告人Bは、遅くとも加熱濃縮血液凝固第IX因子製剤が承認、輸入承認、販売開始された昭和60年12月ないし昭和61年1月当時において、エイズに関する上記4の(2) の有力な見解に基づく報告等の情報を広く収集し、慎重に考察していれば、エイズ発症の機序はまだ十分に分かっておらず、エイズを巡る知見には混迷があり、また、後に判明したような被害の恐るべき増大まではとても予測できなかったとしても、その職務上当然の任務として、わが国においても、<1>血友病関連のエイズ患者が5名程度は認定公表されるに至っていること、<2>専門家らにおいて、エイズウイルス抗体検査が行われた結果、かなりの割合の抗体陽性者が存するとの報告がされていたこと、<3>抗体陽性者がエイズウイルス保有者であること、<4>抗体は防御的作用が乏しく、エイズウイルスは将来にわたって保有され続けると想定されることなどから、血友病患者の抗体陽性者の中で、近い将来、エイズそのものの発症率が10パーセント前後、ARCを含めると30パーセント程度にまでは上るかも知れないと、そのことだけでも十分大きな危険性を認識し得たと認められる。したがって、同被告人は、上記の当時、非加熱濃縮血液凝固因子製剤のエイズウイルス感染、エイズ発症・死亡の危険性を十分予見し得たものと認められる。

現に、すでに第VIII因子製剤である加熱コンコエイトHTの製造承認を受け、子会社を通じて米国からエイズ抗体検査キットを入手した後、D社内においても、昭和60年8月に開かれた営業企画部や学術部の担当者による「HTLV-III 抗体検査に関する検討会」の席で、「エイズクリニカルリサーチセンター所長によると、毎年陽性患者(ARC)の2から7パーセントがエイズになっている」「エイズウイルスは、80年以降にまん延し始めており、感染から発症までの期間は、4年9か月であるから、今から1、2年後にエイズ発症のピークがくる」「日本における血友病患者のうちの抗体陽性者、すなわち潜在患者1015人のうち、20人から71人が発症する可能性がある」旨の資料が提出された。また、同年10月には、G大学研究者と抗体検査に関する打ち合わせをした際、同研究者から、「現在の予想では、来年あるいは再来年に日本で数百人のエイズ患者が出現すると思われる。」との情報を受け、さらに、同年11月に社内で作成された「調査研究録」には、「HTLV-III の場合、その保有者が必ずしも発症するものではないが、100パーセント近くHTLV-III に対する抗体が出現し、普通の病気とは異なり、その抗体を持っている事がウイルスを保有している事になる。従って、HTLV-III 抗体陽性者の血液は同時に抗原、即ちHTLV-III を含有していて、感染の原因となるとされている」と記載されているほか、エイズの発症過程として、エイズウイルス保有者の7ないし15パーセントが真のエイズを発症するとした専門家の論稿中の図表(氷山説)が転載されているのであって、Dの内部でも、必ずしも医学面の専門家でない社員の間でさえも、その時点の発症者の少なさが決して楽観を許すべき事情ではないとの情報が浸透しかけていたのである。

Dにおける最高責任者あるいはこれの補佐者、医薬品の研究に関する業務の統括者として、すでに血液製剤のエイズ発症の危険性が大きな社会問題となりかけていて、主宰する常務会等で何度もこの問題の検討を重ねていた被告人らは、エイズ情報には細心の注意を払い、丹念に報告を求め、密接に協議しつつ、これに対処すべきであった。

なお、被告人Bは、原審公判において、血液製剤を使用するわが国の血友病患者について、昭和60年3月ころには、抗体陽性者はその約30パーセントであると思っていたが、エイズ発症率は、昭和60年から昭和61年にかけては、0.6パーセント以下程度だったと思っていたので、その危険性を重視しなかったとの趣旨の供述をし、被告人Aも同趣旨を述べるが、発症率が低いからというのは、前述したように、運が悪かったと思えと言うに等しく、その因果関係に相応の根拠があるとして、非加熱濃縮血液凝固因子製剤のエイズ発症の危険性を訴えた前記4の(2) の有力な見解などのエイズ危険性に関する情報があるにもかかわらず、これを正視しようとしない被告人ら、とりわけ、どのような方法で測定したかなどについて、その信頼性が分かっていなかった、信憑性を疑っていたなどとして、これらの情報に疑問を呈しがちな被告人Bの態度は、都合の悪いことについては目をつぶっていたから見えなかったというに等しい。

第7濃縮血液凝固因子製剤の加熱化の意味

1  濃縮血液凝固因子製剤の加熱化の経緯等

わが国においては、濃縮血液凝固因子製剤の加熱化、すなわち、加熱濃縮血液凝固因子製剤導入の検討は、当初は、主としてB型肝炎対策として、製剤会社担当者らによって始められたが、米国で加熱濃縮血液凝固因子製剤が開発、承認され、これがエイズ感染の危険性を低下させるとの情報が伝えられたことなどから、厚生省生物製剤課内に設けられた血液製剤小委員会などで加熱因子製剤の問題が検討されるようになった。その結果、加熱処理によるタンパク変性等の懸念が残されていたものの、エイズ対策として加熱因子製剤導入を急ぐ必要があると判断されて臨床試験が進められた。昭和60年3月、血友病患者2名がエイズを発症し、死亡したこと、米国からの輸入原料による非加熱濃縮血液凝固因子製剤使用によるエイズ感染が疑われること、わが国における血友病患者のかなりの割合のものが抗体陽性ないし感染していること、エイズ調査検討委員会によってエイズ第1号患者が認定されたことなどが報道されたことなどから、厚生省は、血液製剤会社に対して、加熱第VIII因子製剤の早期申請を促した。その結果、血液製剤会社は加熱第VIII因子製剤の承認申請を行い、製造承認又は輸入承認を得るに至った。

Dは、加熱第VIII因子製剤の承認申請に向けて厚生省と折衝を行うなどして、加熱製剤の開発、申請手続を進め、臨床試験を行い、これを基に、昭和60年5月、厚生大臣に対して、エイズウイルスなどのウイルス感染の危険性を軽減し得るものと期待されるなどの説明を盛り込んだ加熱第VIII因子製剤コンコエイトHTの製造承認申請書を提出し、昭和60年7月1日、製造承認を取得し、同年8月13日から供給を開始した。営業本部は、同年12月24日付けの営業本部長名の「拡売ニュース」において、「我々にとって特に重要な問題は、血友病A患者にAIDSが発生したことで、第VIII因子製剤の投与が疑惑の対象となったことである。」、「AIDS問題の発生以来、第VIII因子製剤の加熱処理する方向が打ちだされた。」と、昭和60年5月11日付けの営業本部長名の業務連絡文書において、「エイズ問題を源とし、抗血友病製剤の加熱化へ、大きな市場の転機を迎えつつある。」と、同年8月13日付けの社長名の社令特号には、「非加熱の第VIII因子製剤の輸注は、本剤中に迷入していたかも知れない肝炎ウイルスによる肝炎を発症し、さらに1981年AIDS(後天性免疫不全症候群)が血友病患者にも発見、確認されるに及んで病原ウイルスの不活化が重要かつ緊急の課題となった。このような背景において、第VIII因子製剤に対する加熱処理法が検討された。本剤には60℃72時間の加熱処理がなされている。本加熱処理により、AIDS病原ウイルスのHTLV-III をはじめ・・・各種ウイルスがいずれも検出限界以下にまで感染性を消失することが確認されている。コンコエイト-HTの製造承認にあたっては、5月30日に厚生省AIDS調査検討委員会より5人のAIDS患者が確認されたことも相俟って、異例のスピード審査によって7月1日に製造承認された」とそれぞれ記載して連絡し、濃縮血液凝固因子製剤の加熱化がエイズ対策であることを明らかにしていた。

また、昭和60年8月ころ以降においては、わが国の専門家らは、大方において、加熱処理によってエイズウイルスの感染はみられなくなるだろうと予測していた。

2  Dの非加熱コンコエイト及び加熱コンコエイトHTに対する受け止め方

D営業本部においては、加熱コンコエイトHTの販売開始にあたって、できるだけたくさんの加熱コンコエイトHTの余力を手許に留めおくこととして、他社にシェアを奪われるおそれの乏しい「コネが強く無理の言える先」には、非加熱コンコエイトの継続使用を依頼する一方、他社と競合し激しい競争が予想されるなどの「緊急に納入を必要とする先」には、早急かつ優先的に加熱コンコエイトHTを納入し、非加熱コンコエイトから加熱コンコエイトHTへの切り替えを相当期間にわたって行うという販売戦略をとることとした。この営業方針は、Dの常務会等において格別の異議なく了承された。D営業本部は、昭和60年8月12日付けの営業本部長名の業務連絡文書において、上記の営業方針を明らかにしてこれを指示し、「コネが強く無理の言える先」については、「できるだけ多くの納入先で事情を理解していただき非加熱製品の使用を依頼する」旨を指示した。同月20日、加熱コンコエイトHTの販売を開始したが、その一方で非加熱コンコエイトも併行販売していた。

3  前記2のDの受け止め方に対する評価

前記1のとおり、濃縮血液凝固因子製剤の加熱化は、当初は肝炎対策であったが、エイズ対策の必要性が強まって、研究者や厚生省や血液製剤製造会社等の努力によって急いで実現されたものであることは明らかである。しかしながら、前記2のDの血液凝固因子製剤の加熱化に対する受け止め方には、このようなエイズ対策であるとの意識が感じられない。もし非加熱因子製剤にはエイズの危険性があり、早急にとられた加熱化がこれに対する対策であることを認識していれば、少なくとも、可能な限り加熱製剤の供給を優先し、非加熱製剤の供給は、加熱製剤の供給が困難であって、非加熱製剤を使用せざるを得ないような場合に限るという方針をとるべきであったことは明白である。これに対して、前記2のDの受け止め方は、非加熱製剤のエイズ危険性から加熱化された経緯を何ら考慮していない。「できるだけ多くの納入先で事情を理解していただき非加熱製品の使用を依頼する」とは何事であろうか。これだけで非加熱コンコエイトの在庫処分を図ったことを疑わせるに十分である。

この誤りは絶対に2度と繰り返してはならないことであった。

第8濃縮血液凝固第IX因子製剤の加熱化と非加熱濃縮血液凝固第IX因子製剤との併売

1  濃縮血液凝固第IX因子製剤の加熱化の経緯等

厚生省生物製剤課は、加熱濃縮血液凝固第IX因子製剤の承認を急ぐ方針をとることとし、昭和60年7月、血液製剤会社担当者に対し、加熱第IX因子製剤についての取扱い説明会を行い、その際、これがエイズ危険性対策であることから、加熱第VIII因子製剤に比べ著しく簡易な臨床試験で足りる方針を示すなどした上、同年内に承認する旨説明した。

Dにおいては、前記のような厚生省生物製剤課の加熱第IX因子製剤の早期承認の方針を知り、同月ころ、米国における同社の子会社であるH社がすでに米国内で承認を受けて製造販売している加熱濃縮血液凝固第IX因子製剤プロフィルナインHTを輸入した上、これをクリスマシンHTの名で販売することとした。Dは、同年9月から臨床試験を行った上、同年10月9日、厚生大臣に対し、国民衛生の上からもエイズ対策として加熱製剤の緊急性が増してきたことなどの説明を盛り込んだ承認申請書類を提出して輸入承認手続を行い、同年12月17日、輸入が承認され、昭和61年1月10日から加熱クリスマシンHTの販売が開始された。そのころDが作成配布していたクリスマシンHTのパンフレットにおいては、「近年補充療法に伴う肝炎やAIDS等のウイルス感染が危惧されるようになった。そこで、製剤中に迷入されているかもしれない病原ウイルスを不活化し、より安全性を高めた製剤の開発が急を要することとなった。」、「クリスマシン-HTは・・・迷入しているかも知れない病原ウイルスの不活化を図っている。」、「60℃、20時間の加熱処理で十分にAIDSウイルスが不活化されるものと考えられる。」などと、また、後記の同月9日付け社令特号においても、「クリスマシン-HTは製剤中に迷入するかもしれない病原性ウイルスを不活化する目的で加熱処理を施した乾燥人血液凝固第IX因子複合体製剤である。本年7月に製造承認・許可された血友病A治療剤コンコエイト-HTと同様に異例のスピード審査によって、12月17日付でクリスマシン-HTが輸入承認・許可された。今回の承認・許可により血友病A、B双方に使用される加熱処理製剤の時代を迎えたこととなった。」などと、それぞれ濃縮血液凝固第IX因子製剤の加熱化の意義を強調した。

そうすると、遅くとも、加熱クリスマシンHTが販売開始された上記時点においては、加熱第IX因子製剤は、非加熱第IX因子製剤に比して、エイズに対する安全性の点において顕著に優れ、格段の有意さが認められていたというべきである。すなわち、濃縮血液凝固第IX因子製剤の加熱化によって状況は決定的に変化するに至った。

2  Dの加熱クリスマシンHTの販売方針

上記1のとおり、Dが輸入申請手続を行った際には、D自身、加熱クリスマシンHTがエイズ対策であることを明示していたのである。しかしながら、Dが現実にとった加熱クリスマシンHTの販売方針はこれと全く矛盾するものであった。これは、非加熱濃縮血液凝固第IX因子製剤がエイズ感染・発症の危険性があり、ひいては死の結果という最も重視されるべき保護法益侵害にもつながることを著しく軽視した態度であって、それがDの体質であったと評さざるを得ない。

すなわち、加熱クリスマシンHT販売に先立ち、D営業本部においては、加熱クリスマシンHT販売開始後も非加熱クリスマシンを継続販売する方針を打ち出し、営業本部長が、昭和60年10月ころから12月ころにかけて、常務会等においてその旨説明し、その了承を受けた。社令特号は当時Dの代表取締役社長であった被告人Aをはじめとする被告人Bらの幹部役員が決裁する同社の基本方針であるところ、昭和61年1月1日付け社令特号においては、「クリスマシンは非加熱ではあるが国内原料なのでAIDSの危険性はほとんどないことを主張し当面非加熱クリスマシンを進める。」などとして加熱クリスマシンHT販売後も非加熱クリスマシンを積極的に継続販売(併売)することを指示した(なお、「クリスマシンは非加熱ではあるが、国内原料なのでAIDSの危険性はほとんどない」というのは明白な虚偽であるが、この虚偽宣伝については別途検討する。)。さらに、同月9日付けの「血友病B治療薬『クリスマシン-HT』発売のこと」と題する加熱クリスマシンHTの販売に関する社令特号においては、上記の同月1日付けの社令特号と同様の指示を行うとともに、前記第7の2の加熱コンコエイトHT販売時における販売戦略を全くそのまま踏襲し、またしても、「コネが強く無理の言える先」には、「できるだけ多くの納入先で事情を理解していだだき非加熱製品の使用を依頼する。」と非加熱クリスマシンの継続販売を依頼し、加熱クリスマシンHTについては、他社と競合するなどの事情で「緊急に納入を必要とする先」には、「競合品との兼ね合いその他から早急に必要とする場合は必要最少量を届ける。」という販売戦略をとった。

誤りは再び繰り返されたのである。人の生命の重大さをどこまで深刻に考えていたのであろうか。

3  加熱クリスマシンHTの在庫品薄感

所論は、Dの加熱クリスマシンHTの販売に当たっては、毎月2000本程度の販売数が予想されたので、その安定供給のためには、販売を開始した昭和61年1月10日の時点で6000本程度の在庫(3か月分)が必要であり、輸入先の米国子会社H社からの入庫予定数は到底これを満たすことができないと予想され、実際にも同月末までに入庫したのはようやく3326本に過ぎず、また、仮にこれまでの販売実績に近い月1500本を予想したとしても、同月中の上記の入庫実数は安定供給の3か月分4500本になお足りなかったものであり、こうした深刻な品薄感のもとで、やむなく非加熱クリスマシンも併売せざるを得なかったのであって、この点を量刑上斟酌しなかった原判決の認定判断は誤っている、という。

しかしながら、前記のとおり、濃縮血液凝固因子製剤の加熱化はエイズ対策にあったのであり、被告人Aが、非加熱クリスマシンの併売を決めた前提には、非加熱クリスマシンの危険性に対する認識の甘さがあった、エイズ感染の危険性が分かっていたら、併売の決定をしなかったとの趣旨を述べて自認しているところにも照らすと、所論程度の在庫不足という周辺的事情は、たとえこれが真実であったとしても、量刑上にさほど重視できる情状とはなり得ない。

そもそも、非加熱クリスマシンの販売実績は、昭和60年下期当時、多い月で1450本余程度であったにもかかわらず、加熱クリスマシンHTについて、その販売予想を月2000本と拡大し、これを基礎に必要な初期在庫を算出したのは、血液製剤分野のシェア拡大に向けての販売戦略を加味した結果であると認められるので、加熱クリスマシンHTの品薄感を理由とする所論は、危険性の指摘されていた非加熱クリスマシンの併売を合理化する根拠とはなり得ない。

また、もとより、安定供給のためには初期在庫に十分な数量のあることに越したことはないが、最低限必要なことは、たとえ初期在庫にやや不足感があったとしても、その後の入庫が安定的に確保される見込みがあったかどうかである。その観点からみると、Dにおいては、H社から、昭和60年12月20日時点で、加熱クリスマシンHTを昭和61年1月に3800本、同年2月に4500本を出荷する旨、さらに、同年1月9日時点で、同月までに合計約7340本、同年2月には4000本が出荷可能である旨の連絡を受けていたのであって、この出荷予定本数のうちには、日本での規格に合わないものも含まれていたことを差し引いても、同月以降も引き続いて相当数の入庫が見込まれていたことは否定できないのであって、現実にも、同月以降も入庫が続いていたことからしても、その見込みが信頼性の薄いものであったともいえない。当時の営業本部長自身、そのころ、同月12日付けの社内文書に、「実消化は少ない」「実消化は徐々に増えるが、輸入予定からして非加熱品販売中止は可能とみられる」旨のコメントさえしていたのである。その上、本件非加熱クリスマシンが本件被害者に投与された同年4月1日ないし3日よりも前である同年3月には加熱クリスマシンHTの在庫過多となり、同月2日に国内に到着した2532本より後は同年6月に至るまで米国の子会社であるH社からの輸入はしていなかったのである。同年4月3日に行われた同社とのビジネスミーティングの会議メモに「予定数量(4月以降1500V)でも多すぎる」と記載されているところ、同会議に被告人Bも出席していたのであるから、同被告人は上記の状況を当然知っていたものと考えられる。なお、加熱クリスマシンHTについてのD内部の初期輸入予定量、予定初期在庫量それ自体が重要であるとはいえない。

結局のところ、所論にもかかわらず、Dにおいて、従来の販売実績に見合った適切な販売計画を立てておれば、加熱クリスマシンHTの販売開始の時点で、あえて非加熱クリスマシンを併売しなければならないほどに深刻な品薄感があったとは到底認められない。

4  厚生省の対応

所論は、種々の行政指導の権限を有する厚生省において、Dに対して、販売中止なり回収を促す何らの指導的措置もとらなかったのであって、同省のこれらの態度を被告人らのために十分斟酌すべきである、という。

確かに、加熱クリスマシンHTの輸入承認をした際には、そのころまでに同省に集積された非加熱血液製剤の危険性情報にかんがみ、その販売中止や回収に向けて最小限何らかの行政的指導があってしかるべきではなかったかと考えられ、この点に関して、厚生省担当者の責任を論じる余地のあることは否定できない。

しかしながら、原判決も指摘するとおり、医薬品については、これを製造販売する製薬業者がその製品についての第一次的かつ最終的な責任を負うべきものである。そもそも、加熱クリスマシンHTの輸入承認とその販売開始それ自体が、非加熱クリスマシンにエイズ危険性のあったことから取られた措置であったのであり、そのことは、被告人らにおいて十二分に分かっていた事柄である。「被告人らの責任を大幅に減軽する理由とすることはできない」とした原判決の判断が誤っているとはいえない。濃縮血液凝固因子製剤の加熱化の意味を重視しないで虚偽宣伝までしていたD及びその幹部であった被告人らが厚生省の責任を過度に云々するのは相当ではない。

第9非加熱クリスマシンの原料が国内血であるとの虚偽宣伝

1  虚偽宣伝の経緯等

虚偽宣伝の経緯等については、概ね、原判決が、補足説明の二「本件犯行に至る経緯」の4「加熱クリスマシンHT承認までの状況」及び5「加熱クリスマシンHTの販売」の項で説示するとおりである。

すなわち、きっかけは、I製薬の営業員が同社の血液製剤は全て国内血漿であるからエイズの危険性は少ないが、Dの非加熱クリスマシンは輸入原料を使用しているためエイズの危険性が高いと宣伝しているという情報がDの営業本部に寄せられたことである。この情報内容は相応の根拠があるものであった。ところが、当時の営業本部長は、このようなことは営業活動上支障があると考え、昭和60年5月から6月にかけて、常務会等で上記のI製薬の売り込み状況について説明した上、当時の製造本部長のJから、非加熱クリスマシンは、輸入血漿も混じっているが大部分は国内血漿である、輸入血漿もスクリーニングをしているから国内血漿と同じように安全であるかのように聞いたこともあって、同年6月5日、営業企画部長名の業務連絡文書を発し、「I薬の誹謗に対処するために、関係得意先にはクリスマシンが国内原料で製剤されている事実を積極的に知らせてください。」と各支店に指示した。これが虚偽宣伝のはじまりである。

上記業務連絡文書に続き、同月25日付け社令特号においては、国内原料をアピールするI製薬のシェアが増加していると指摘した上、非加熱クリスマシンについて、「クリスマシンの原料血漿は日本人(国内血漿)のもののみ使用していることをPRする。」旨記載し、これをD社員らに配布した。

さらに、同年9月9日、他社の第IX因子製剤の原料にエイズ患者の供血が含まれていたことからその製剤の回収を行っている旨の新聞報道がされたことから、D営業本部は、同日、営業企画部長名で「クリスマシンについては国産原料より製造されていることから安心されたい。」旨の業務連絡文書を発し、翌10日の常務会においてその旨の報告がされた。

その上、昭和61年1月1日付け社令特号において、「クリスマシンは非加熱ではあるが国内原料なのでAIDSの危険性はほとんどないことを主張し当面非加熱クリスマシンを進める。」と記載し、同月9日付けの社令特号においてもこれを繰り返した。

2  虚偽宣伝に対する評価

「関係得意先にはクリスマシンが国内原料で製剤されている事実を積極的に知らせてください。」と記載された営業企画部長名の業務連絡文書が発せられて本件虚偽宣伝が開始されたのが、昭和60年6月5日である。わが国において、第VIII因子製剤と第IX因子製剤とは事情が全く同じであるとはいえないとしても、Dにおいて、加熱第VIII因子製剤コンコエイトHTの製造承認申請をした同年5月から製造承認を取得した同年7月までの間に、このように虚偽宣伝がスタートしているのである。しかも、上記の間の同年6月25日には、被告人らが決裁している社長命令でもある社令特号に「クリスマシンの原料血漿は日本人(国内血漿)のもののみ使用していることをPRする。」旨記載し、これをD社員らに配布したのである。その上、あろうことか、同年12月17日、輸入が承認されて、昭和61年1月10日から加熱クリスマシンHTの販売が開始された間である同年1月1日付け及び同月9日付けでさえ、社令特号で相変わらず虚偽宣伝の指示を繰り返したのである。

前記のとおり、虚偽宣伝の開始は、I製薬の営業員が、自社の血液製剤は全て国内血漿であるからエイズの危険性は少ないが、Dの非加熱クリスマシンは輸入原料を使用しているためエイズの危険性が高いと宣伝しているということに対する対抗措置であった。そこには、非加熱因子製剤のエイズ危険性よりも営業、すなわち、いかにして非加熱クリスマシンを売りさばくかという販売戦略しかなかったのである。その後、その営業本部の業務連絡文書の内容は、被告人らが決裁した社令特号によって追認され引き継がれ、加熱クリスマシンHT販売開始前日の昭和61年1月9日付け社令特号にまで掲載されたのである。

以上のようなDの虚偽宣伝は、前記の濃縮血液凝固因子製剤の加熱化の意味を重視しないというより何ら考慮しなかったというに等しく、非加熱第IX因子製剤である非加熱クリスマシンのエイズ感染・発症・死の危険性を軽視したからにほかならない。問題とすべきはそれのみにとどまるものではない。虚偽宣伝によって、非加熱クリスマシンのエイズ危険性を否定し、加熱クリスマシンHTの販売開始後でありながら、併売方式によって非加熱クリスマシンの販売を積極的に押し進めようとし、しかも、加熱クリスマシンHT販売開始前日の社令特号にまで掲載した点において、エイズ感染・発症・死の危険性を拡大し、増幅させたものと評さざるを得ない。被告人らD幹部はいったい濃縮血液凝固因子製剤の加熱化を何と考えていたのであろうか。加熱クリスマシンHTの安全性よりも非加熱クリスマシンの在庫処理の方が大事であったと推測するに十分である。

3  虚偽宣伝に関する4者会談

所論は、虚偽宣伝に関し、被告人らが、当時の製造本部長や営業本部長と寄り集まって4者会談を持ち、営業本部が始めたこの虚偽宣伝を追認して了承したという事実はなかった、という。

しかしながら、上記の4者会談の事実を是認する当時の製造本部長のJの捜査段階の供述は、これが逮捕されてから3日目の早い段階での供述であることや、被告人Aも捜査段階でこれに符合する供述をしていることなどからすると、被告人ら及びJの公判段階の否定的供述にもかかわらず、そのような会話が4者だけの集まりの際のものであったかどうか、あるいは会話の問答が正確なものであるかどうかの点はともかく、被告人らが虚偽宣伝を明確に承認する態度を示した場面のあったことの大筋において、その信用性を認めるに十分である。

もっとも、虚偽宣伝については、被告人らが出席する常務会で非加熱クリスマシンが国内血漿だけで製造されているかどうかについての話題が出たことがあり、その後、加熱クリスマシンHTの販売開始ころまでの間、社令特号に国内原料で製造されているとの虚偽宣伝の方針が記事として何回も掲載されていたのであって、Dが営業活動としてそのような虚偽宣伝をしていることを十分知っていたにもかかわらず、被告人らは、これを中止ないし訂正させるなどの行動を一切取らず、加熱クリスマシンHTの販売開始後も非加熱クリスマシンの販売を継続する方針を決めた後まで、そのような宣伝をすることを容認していたことが明らかである。そうしてみると、虚偽宣伝に関する被告人らの情状を考える上では、この虚偽宣伝の容認こそが強く責められるべき問題点であり、4者会談それ自体はさほど重要な意味を持つわけではない。

4  営業本部主導の社内事情

所論は、当時のD内においては、飛躍的に売上げを伸ばして会社隆盛に貢献した当時の営業本部長の力が強く、特に営業本部長の決した営業方針に関しては、他の部門から疑問を呈したり、再考を求めたりする雰囲気になく、そのような風潮の下で、加熱クリスマシンHTの販売開始後の非加熱クリスマシンの併売方針や前記の虚偽宣伝に対して、被告人らといえども、口出しし難い事情があった、という。

しかしながら、被告人らにおいて、非加熱クリスマシンの併売方針や虚偽宣伝に対して、常務会や経営会議等の席で異論ないし慎重論を発言してその再検討を求めたことは全く窺えないのである。これは、被告人らが、営業本部長と同様に当時なおエイズの危険性を低く考え、同様な営業感覚を身につけ、そうした認識・態度の下で、漫然と営業本部の方針に追随したとみるほかない。このような経緯からすると、会社経営のトップないしこれに次ぐポストにある被告人らの刑責を考えるにあたって、営業方針の実質的なイニシアチブが他の者にあったとの点を格別に斟酌できる事情とみることはできない。

5  虚偽宣伝と罪証隠滅行為との関係

本件後、昭和63年に入ってから、エイズ患者等からDを含む血液製剤製造会社及び国に対する損害賠償請求訴訟問題が起こり、また、マスコミによって本件におけるような加熱血液製剤販売開始後の非加熱血液製剤の継続販売(併売)問題が取り上げられて、社会的に大きな問題となり、Dでもその対応策が考慮されていたところ、その当時の代表取締役専務ないし代表取締役副社長であり、本件当時の製造本部長であったJは、同年2月ないし4月ころの間、部下に対して、「昭和60年に製造したクリスマシンについて国内血だけで作られたということとつじつまが合うように記録を作り替えて欲しい。後で見ても分からないように投入血漿の欄を書き換えて欲しい。このことは秘密にしてくれ。」などと指示し、非加熱クリスマシンの製造記録を国内血だけで製造したかのように改ざんさせた。これは上記の虚偽宣伝と整合性を持たせようとした罪証隠滅工作であることは明らかである。そうすると、これがJの独断であるはずがない。同人が捜査段階で供述するように、上司に当たる被告人らと何らの相談をすることもなくできる事柄とは到底思えない。とすると、上記の虚偽宣伝は、営業本部の既定方針に追随し、これを追認したにせよ、被告人らを含むDの幹部らによる全社的方針であったと推認するほかはない。

第10被告人らの責任

被告人Aは、血液製剤等の医薬品の製造販売等を業とするDの代表取締役社長として、同社の業務全般にわたる重要な案件について協議し決定する機関である常務会と経営会議を主宰し、営業方針等について報告を受けるなど同社の業務全般を統括していたもの、被告人Bは、同社の代表取締役副社長兼研究本部長として、常務会等を構成して同社の意思決定に参画し、被告人Aを補佐して同社の業務全般に関与すると共に、エイズと血液製剤との関わりについての情報収集等の調査を含む医薬品の研究に関する業務を統括していたものであり、いずれも同社の医薬品の製造販売に伴う危険の発生を未然に防止すべき地位にあった。

被告人らは、加熱クリスマシンHTの販売開始時点において、濃縮血液凝固第IX因子製剤の加熱化がこれによって状況を決定的に変化させた極めて重要な意義を有するエイズ対策であって、非加熱クリスマシンの販売を継続し、また、医療機関等に販売済みの非加熱クリスマシンを放置すれば、その投与により患者らをエイズウイルスに感染させ、エイズ発症により死亡させる危険性があることを予見することができ、かつ、血友病等の治療のため非加熱クリスマシンを販売することも販売済みの非加熱クリスマシンを留め置くこともその必要がなかったのであるから、直ちに非加熱クリスマシンの販売を中止するとともに、販売済みの非加熱クリスマシンの回収措置を取るべき業務上の注意義務があった。すなわち、被告人Aは、代表取締役社長として、常務会等に諮るなどして、販売中止、回収の措置を実行すべき義務があり、被告人Bは、代表取締役副社長兼研究本部長として、常務会等において、販売中止等の措置を取ることを提言するとともに、被告人Aにその旨を進言すべき義務があった。ところが、被告人両名は、いずれもこの義務を怠り、加熱クリスマシンHTの販売後も引き続き非加熱クリスマシンを販売するとの営業方針を常務会等で了承し、その後も、非加熱クリスマシンの販売を継続するとともに、販売済みの非加熱クリスマシンを回収する措置を採らないという過失を犯したものである。

第11被告人らに対する量刑判断

1  まず、被告人らの責任が重いものと考えるべき点として、次の諸点が挙げられる。

第1に、被告人らは、加熱クリスマシンHT販売後にもかかわらずなおも非加熱クリスマシンの販売を継続すれば、これが投与された者に不治の病と言われていたエイズを罹患させ、死の結果を招来させる危険性を予見し得、それぞれの職責を通して、その販売中止及び回収を図るべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、それがため1人の貴重な生命を奪うという業務上過失を犯したもので、人の生命、健康にかかわる医薬品を製造販売する業者の責任ある地位にあったものとして、そのこと自体からすでに相当の非難を免れない。

非加熱血液製剤を介したエイズ発症の予見可能性については、すでにみたように、昭和60年6月ないし9月ころには、わが国の専門家らによって、その後の定説に直結する先見的な医学的見解が世界的な医学水準を論拠として説得的な形でいくつか現れ始めていた。非加熱因子製剤のエイズ危険性については、社内の常務会等で何回も検討されてきたテーマでもあって、マスコミ報道も盛んで社会的な関心も高まっていただけに、被告人らは、血液製剤を製造ないし輸入販売する会社の責任者として、その医薬品の安全性に細心の注意を払うべきであった。被告人らが、上記の専門家らの意見等に注目し、慎重に検討すれば、エイズ危険性から濃縮血液凝固因子製剤の加熱化によって加熱クリスマシンHTの販売が開始された昭和61年1月から本件被害者に非加熱クリスマシンが投与された同年4月までの間には、非加熱因子製剤を介したエイズの発症率が、従来漠然と考えられていたよりはるかに高まる可能性があり、憂慮すべき事態になるやもしれぬことを予見することができたはずである。その予見を欠いた点こそが、被告人らをしてその販売中止や回収措置の判断を誤らせた決定的な原因であったのであって、この予見可能性とその程度は、被告人らに対する非難の中心に置かれるべき事情である。

濃縮血液凝固因子製剤が、血友病という放置すれば死にも至る確率の高い難病に対する特効薬として、これが血友病治療にとって欠かせぬものになっていたことは否定できない。しかしながら、本件で問題となる場面は、従来の非加熱クリスマシンによるエイズ危険性に対する対策として、かつ、血友病に対する薬効を維持するものとして、加熱処理を施した加熱クリスマシンHTという新たな血液製剤が輸入販売できるようになった時点以降のことである。この点が本件で最も重要なことである。Dにおいては、加熱クリスマシンHTの販売開始の時点では、前記のとおり、これを安定的に供給できるそれなりの見通しがあったのであるから、非加熱クリスマシンについては、その販売を継続する合理的な必要性はなかったのである。にもかかわらず、併売方針をとった背景には、加熱クリスマシンHTに比べて、利幅が大きく、しかも多量の在庫を抱えた非加熱クリスマシンをできるだけ処分し、営業利益を確保したいとの本音部分もかいま見えるのである。エイズ罹患という人命にかかわるリスクの大きさを慎重に見極めることなく、営業上の利益に重きを置いた会社方針は明らかに間違っていた。

第2に、Dにおいては、非加熱クリスマシンについて、その原料の相当部分を米国からの輸入血漿に頼って製造していたにもかかわらず、加熱クリスマシンHTの販売開始後にもなお非加熱クリスマシンを併売するに当たって、エイズ危険性がほとんどない国内血漿だけで製造されているとの虚偽宣伝を、被告人らの承認のもと会社ぐるみで実践していた。この点は、被告人らの過失行為の態様にかかわる事柄として、特に強い非難に値する。

医薬品の製造販売に際しては、その危険な一面のあることを利用者に知らせて、これを使用するかどうかの判断の参考に供することは、製薬業者の義務である。とりわけ、利用者の生命、健康にかかわる重大な情報であれば、営業上の不利益を捨象し、できる限りそうした情報を開示して利用者に知らせ、使用するかどうかをその判断に委ねる態度こそ、製薬業者に求められているというべきである。あえて虚偽の情報を流して安全性を強調するにおいては、医薬品を用いる医療機関、患者らのその選択判断を誤らせる危険性が極めて大であって、製薬業者として決して取ってはならない態度である。

本件の虚偽宣伝の場合、Dの血液製剤のシェアを奪おうとする他社が、自社製品が国内血漿だけからできていることをうたい文句に攻勢を仕掛けてきていることに対抗して、Dの営業本部が、被告人ら会社幹部の了解のもとにこれを始め、社長である被告人Aの指示として伝える「社令特号」において、クリスマシンは非加熱ではあるが、国内原料なのでエイズ危険性はほとんどない旨の虚偽宣伝を利用して、当面非加熱クリスマシンの販売を推進する積極的な営業方針が採られた。被告人ら会社幹部は、かかる宣伝が虚偽のものであることを知っていたが、下部の営業部員らのほとんどは、これを真実と信じ、それをそのまま宣伝しつつ、その非加熱クリスマシンの販路の維持ないし拡張に奔走したのである。このような営業実態は、製薬業者として絶対にあるまじき最悪のものであったというほかない。営業部員を介してなされたこの虚偽宣伝が、本件被害者に対する治療に際し、医師らに非加熱クリスマシンの使用を躊躇させなかった原因ともなっているといわれても仕方のないところであり、その影響も小さくない。被告人Aは、昭和60年6月ころ、この虚偽宣伝を知ったにもかかわらず、「そういう虚偽の宣伝をいっぺんやった後、これをまた撤回するのは、会社全体の信用を傷つける」などというまことに会社本位の理由でこれを容認したばかりでなく、営業本部が、以後半年以上にわたって、何回も社内文書でこの宣伝の徹底を図る指示を出し続けているのを知りながら、それを控えさせ、あるいは制限する何らの行動を起こすことなく容認し続け、被告人Bもこれに追随したのであって、被告人両名のこれらの態度を到底軽くみることはできない。

第3に、本件の非加熱クリスマシンが、血友病患者でない肝臓疾患の手術をした被害者に対して用いられた点である。血液製剤は、これを必須とする血友病患者以外の患者にも、第4ルートと称せられ、止血剤として使われる場合があった。しかし、本件被害者に非加熱クリスマシンを投与する以外に代替方法がなかったわけではない(現に、本件被害者に対する第2、第3回目の食道静脈瘤の硬化手術に際しては、他の止血剤が投与され、非加熱クリスマシンは投与されなかった。)。本件被害者にとって、濃縮血液凝固因子製剤の不使用が、場合によっては生命を脅かしかねない血友病患者のような厳しい選択を迫られていたものではなかったのである。せめて、加熱クリスマシンHT販売開始後においては、血友病患者以外の第4ルートの使用に対しては、非加熱クリスマシンを投与することを控えるよう警告を発するなどの配慮ができていたなら、本件被害を防ぎ得た可能性さえあるのである。その意味で、このような製薬業者としての対策を怠っていた被告人らの態度も、本件の情状として考慮せざるを得ない。

第4に、被告人らの過失により生じた被害結果についてみると、被害者にとって、長年にわたる悲惨な闘病生活の中で、肉体的な苦しみの外に、身に覚えのない社会的偏見の目で見られた病気を告知されたことで精神的にも悩みつつ、壮絶な闘病生活の後に命を奪われたもので、その苦悶と無念の思いは筆舌に尽くしがたく、その結果はまことに重い。これを必死に看護し励ましつつ、共に苦しみ抜き、今なお癒されることのない家族の悲痛な思いも察するに余りある。

第5に、非加熱クリスマシンのエイズ危険性、ひいては死の結果惹起の危険性に対する配慮があれば、被告人Aは、Dの最高責任者として、常務会等でも強い発言力を持っていたのであるから、加熱クリスマシンHTの販売開始後、非加熱クリスマシンの販売中止と回収の措置についてイニシアティブを発揮し実行させるべきであったのに、特に慎重な検討を促すことさえなく、安易に営業本部の方針を容認したのみならず、「社令特号」などの形で、自らの指示として、この併売方針を虚偽宣伝とともに社内に徹底させたこと、被告人Bは、被告人Aを補佐する地位にあるだけでなく、医師資格を持った研究本部長として、社内における医学情報の収集及びその啓蒙に関する最高の責任者であったにもかかわらず、次第に明らかになりつつあった当時のエイズに関する医学的知見の進化とその危険性の増大を警告する諸見解に注目することなく、また、エイズ危険性から濃縮血液凝固因子製剤の加熱化によって加熱クリスマシンHTの販売が開始されたにもかかわらず漫然と血友病患者のエイズ発症率は低いとの楽観的知見に甘んじ、社内ことに営業本部の者らの非加熱クリスマシン併売についての危険性認識を低い次元にとどめるに大きな影響を与えた点など、それぞれの個別事情も指摘されるべきである。

以上の諸点等からすると、被告人らの刑事責任は重く、厳しい対処が求められるのも当然と考えられる。

2  他方で、以下の諸点は、被告人らのため量刑上斟酌されるべきである。

第1に、本件当時のエイズ発症の機序等に関するわが国の医学界全体の知見は、未だ混迷があり、血液製剤に対する不安はあったものの、エイズ発症が後の時点にみるような恐ろしい増大傾向を示していなかったこともあって、感染から発症に至るまでの潜伏期間が従来のウイルスに見られないほど長期に及び、それでいて発症率が異常に高いことについて実感的理解が及ばす、その発症率に関しては、種々の理由を挙げての相当に楽観的な見方もあったことは否定できない。

第2に、本件は、長年にわたって累積的に非加熱製剤を投与され続けてきた例ではなく、わずか3日間にわたって被害者に投与された3本の非加熱クリスマシンにエイズウイルスが混入していたものであること、担当医師らにおいても非加熱クリスマシンのエイズ危険性を十分理解していなかった過失があったことなどという複数の不幸な事情が関与したものであった。

第3に、加熱クリスマシンHTの販売が開始された当時、わが国においては、他数社の製薬会社においては、非加熱クリスマシンと同様に米国輸入の血漿を原料とした非加熱第IX因子製剤の販売がなお継続されていたのであって、この点について、薬事行政に大きな権限と影響力を持つ厚生省からはこれを制限する措置はとられていなかった。また、Dに対しても、厚生省は、加熱クリスマシンHT販売開始後の非加熱クリスマシンの併売について、これを制約するような指導、助言なども一切しなかったのである。厚生省のこのような態度が、被告人らに対して、非加熱血液製剤の危険性認識を低い次元のまま安住させた理由の一つとなったばかりでなく、加熱クリスマシンHTの販売開始を機に、非加熱クリスマシン販売中止とその回収を進めるという徹底した方針を採用するかどうかの選択の場面で、誤った判断をさせた一つの動機となったことも否定できない。この点も、被告人らのためになにがしか斟酌すべき事情と思われる。

第4に、Dにおいては、わが国において、血友病患者に欠かすことのできない血液製剤について、エイズ等の感染の危険性を除去する加熱血液製剤の製造ないし輸入販売の承認をとり、いち早く医療現場にこれを提供する努力をしたのであり、被告人らのその面の努力はそれなりに評価されるべきである。

その他、Dから本件被害者の遺族らに対して合計2826万円余の和解金が支払われたこと、被告人らが薬害エイズにかかわったとして種々の社会的批判にさらされ、相当の社会的制裁を受けたこと、Dが抗血友病製剤の開発供給や血友病患者の支援について種々の社会的貢献をしており、被告人らもそうした事業に職責を通して貢献したこと、被告人らは自らの刑法上の責任自体を争わず、被害者に対し、謝罪の言葉を法廷で述べるなどそれぞれ反省の情を示していること、被告人Aには約40年前の公職選挙法違反の罰金刑の外に前科はなく、被告人Bには前科が全くないこと、被告人両名とも相当の高齢であることなどのほか、その健康状態も考慮されるべきである。

3  以上の諸点を総合考慮すると、被告人らの刑事責任はこれを軽視することは到底できず、上記の被告人らについて酌むべき事情をできるだけ考慮してみても、被告人Aを禁錮2年に、被告人Bを禁錮1年6か月に処した原判決の各量刑は、その宣告時においてみる限り、いずれも相当であったものと認めることができる。

4  しかしながら、当審に至って、被告人らは、平成13年2月、本件被害者の遺族を訪れ、被害者の仏前で遺族に謝罪して冥福を祈り、弔慰金を支払い、また、平成14年3月、被告人らを含む被告に対する株主代表訴訟において、「被告人らは、いわゆるHIV薬害事件に関し、安全な医療品を供給すべき製薬会社の取締役として、任務に欠ける点があったことについて深く反省する。」「被告人らは、亡J訴訟承継人らと連帯して、和解金1億円の支払義務があることを認め、これを平成14年5月31日限り支払う。」旨の和解条項を含む訴訟上の和解が成立し、これによって被告人らはそれぞれ3000万円ずつの和解金を支払い、反省の情を深めていることが認められる。これに前記2の情状を斟酌すると、被告人らに対しては、いずれも禁錮刑を選択すべきことは当然であるものの、その刑の執行を猶予するのが相当であるとまでは認められず、実刑に処することはやむを得ないものと考えられるが、原判決の各量刑は、現時点でみる限り、いずれの被告人についても、その刑期の点で重きに失するものとなったといわざるを得ない。

第12自判

よって、刑訴法397条2項により原判決を破棄し、同法400条ただし書により、更に次のとおり判決する。

原判決が認定した犯罪事実に原判決の掲げる法条(刑種の選択を含む。)を適用し、その所定刑期の範囲内で、被告人Aを禁錮1年6か月に、被告人Bを禁錮1年2か月に各処し、原審における訴訟費用は、刑訴法181条1項本文を適用して、これを3分し、その1ずつを各被告人の負担とする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 豊田健 裁判官 伊東武是 裁判官 永渕健一)

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