大阪高等裁判所 平成12年(ネ)3479号 判決 2002年4月17日
控訴人
大岩石油株式会社
右代表者代表取締役
大岩智
右訴訟代理人弁護士
水野八朗
同
平山成信
同
平山博史
同
桑原秀幸
被控訴人
国
右代表者法務大臣
森山眞弓
右指定代理人
北佳子
外五名
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
(一) 原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
主文と同旨
第2 事案の概要
本件事案の概要は、後記2のとおり当審における控訴人の主張を付加し、1のとおり付加、訂正、削除するほか原判決の「事実及び理由」中の「第二事案の概要」のとおりであるから、これを引用する。
1(一) 原判決九頁九行目<編注 本号二〇〇頁一段八行目>から一〇行目<同二〇〇頁一段一一行目>までを削除し、同末行の「7」を「6」と改め、同一一頁四行目<同二〇〇頁二段四行目>の「被告は、」の次に「後記本件契約の解約に基づき、」を、同一二頁末行<同二〇〇頁三段四行目>の「充当されないとしても、」の次に「本件契約は昭和六〇年六月一六日○○社の即時解約申し入れにより終了し、同時点で、①昭和六〇年六月一日から同月一六日までの未払賃料二三六万六三三七円、②同期間の未払共益費六四万五六〇〇円、③解約予告金二六六二万〇九九二円、④短期解約金一九九五万四二四〇円、⑤原状回復費用合計三七〇〇万円、以上合計八六五八万七一六九円の債権が発生していた。」をそれぞれ加え、同一三頁二行目の「右1(二)の債権」を「上記債権を本件敷金に当然充当したうえ、残債権額七三七四万九三六九円」と改める。
(二) 同一三頁一〇行目<同二〇〇頁三段二四行目>の「通知した」を「通知をした」と、同一四頁三行目<同二〇〇頁三段三一行目>を「控訴人は、被控訴人に対し、平成一二年五月二五日の原審第六回口頭弁論期日において、右消滅時効を援用するとの意思表示をした。」とそれぞれ改める。
2 当審における控訴人の主張
(一) 国税債権の不存在
本件滞納処分の基礎となった国税債権は物品税であるが、同税が課税されるのは贅沢品であるダイヤモンドが現実かつ適正に取引されるところに担税力があるとされたからであるところ、○○社が行っていたのは、粗悪なダイヤモンドをあたかも高額のダイヤモンドであるかのように偽って消費者に売りつけていた詐欺的マルチ商法であって、物品税の課税対象であるダイヤモンドの取引が現実かつ適正に行われていたものではなく、物品税が課税されるべきではないから、国税債権は存在しない。
取立訴訟においては債務名義の内容である執行債権の存否を争うことはできないとの見解は、請求異議訴訟によってこれを争う途があることを前提としているが、本件では債務者である○○社にはこれを争う実益がないから同異議訴訟の提起は期待できず、第三債務者である控訴人も滞納処分による差押えに対しては債権者代位により請求異議訴訟を提起して争う法的手段もないのであるから、取立訴訟で争うほかはなく、そうでないと実質的に不服申立の手段を奪うことになる。
(二) 本件保証金の法的性質について
本件保証金は、本件契約上の債務を担保する目的で差し入れられたもので実質は敷金である。この点は①乙26で○○社の代表取締役であった甲野太郎(以下「甲野」という。)もこれを認めているほか、②本件建物の建築資金は銀行借入や個人資金で賄っており、本件保証金は建設協力金の目的で差し入れられたものではないが、仮にそうであるとしても、保証金の担保的機能と矛盾するものではない、③本件契約書(甲5)には、本件保証金が賃借人の債務を担保するものであることを窺わせる明文の規定がないとしても、店舗としての賃貸借の場合、終了時の原状回復に多額の費用を要するのが一般であるから、同費用に関して生じる債権を含めて、敷金及び保証金の合計を本件契約上の債権の担保としたとみるのが合理的であって、賃貸借の中途終了の場合には本件据置規定は当然に失効し、賃借物件の返還時に敷金と共に清算する合意があったというべきであって、file_3.jpg本件建物のパンフレット(乙18)には本件保証金が賃借人の債務を担保することが明示されており、file_4.jpgまた同一ビル内の店舗賃貸借契約で、甲12、乙8の契約書では保証金が賃借人の債務の担保であることが明示されており、また乙3、4、6の契約書では上記趣旨の規定が存在しないが、両者でその性質が異なることはあり得ないし、現に控訴人は後者の契約でも据置規定があっても建物退去時に清算して保証金の残金を借主に支払っている、file_5.jpg××商事と○○社とは系列会社であって、ほぼ同水準の保証金を徴収しながら、これが前者との契約では賃借人の債務の担保の性質を有していながら、後者ではその性質を有しないこととなるのは不合理である、file_6.jpg契約書上で上記の差異が生じたのは、控訴人が貸しビル業の素人であるため、契約条項を十分検討せず二種類の定型的契約書を適当に使用した結果にすぎない、④file_7.jpg本件保証金が多額であることについても、近隣の例に比して敷金の性質に反するほど高額であるとはいえない、file_8.jpg本件据置規定を適用する結果、本件契約が更新されると担保が逓減することにはなるが、控訴人は、優良な賃借人との関係では担保が減少しても、これに代わる信用と収益が確保されると考え、一〇年以上賃借してもらった優良な賃借人に有利な条項を入れたものであり、敷金の性質に反するとはいえない。
(三) 相殺について
本件差押えの通知書が控訴人に送達されたのは昭和六〇年七月一日であるところ、○○社はそれ以前の同年六月一六日控訴人に対し本件契約を即時解約している。そしてこれにより○○社は控訴人に対し原状回復義務を負担するが、すでに同時点で○○社は事実上倒産の状態にあり同義務を履行することは不可能であったから、同義務の不履行による損害賠償義務も発生していたというべきである。したがって、自働債権である原状回復義務不履行による損害賠償請求権は本件差押え前に発生したといえるもので、控訴人は受働債権につき期限の利益を放棄した上、相殺をもって被控訴人に対抗できるというべきである。
また民法五一一条の趣旨からすれば、第三債務者が差押債権者に相殺をもって対抗できる場合とは、第三債務者が自己の債務を免れうる正当な期待を有し、その利益が差押債権者の利益を上回る場合と解すべきである。本件のようなビルの店舗賃貸借の場合、賃借人が自己の賃借目的に合致するように内装工事をすることにより、明渡時には多額の原状回復費用が生じることが通常であり、かような原状回復費用は実際に工事を行うことにより債務が確定するが、その必要性は内装工事がなされた時点で既に生じているから、原状回復債務あるいはその原因はその時点で発生しているというべきである。そして賃貸人及び賃借人は将来の明渡時において敷金や保証金などを原状回復費用との相殺で処理することを期待しており、差押債権者も上記類型の賃貸借では上記相殺があり得ることは十分予測可能である。以上の事情によれば、ビルの店舗賃貸借における原状回復費用、特に内装の原状回復費用については、その工事が実際に行われていなくても、相殺適状にある限り、賃貸人からの相殺をもって差押債権者に対抗できると解すべきである。そして本件では差押の効力が生じた昭和六〇年七月一日までには既に二か月分の賃料、電気料金などの債務が合計一二〇〇万円未払となっており、親会社ともいうべき××商事は破産し、賃借人の詐欺的営業実態に関する新聞報道などがなされ、本社及び代表取締役の家宅捜索も行われて、正常な営業ができない状態にあった(乙22)から、上記差押の効力が生じた時点までには、賃借人には法定解除事由その他解除事由があったというべきであり、客観的に本件賃貸借契約が解除される可能性が高かったといえる。したがって本件保証金返還請求権と原状回復請求権は相殺適状にあったというべきである。
(四) 消滅時効について
本件据置規定は専ら賃貸人である控訴人の利益のため定められたものであるから、賃貸人が期限の利益を放棄することが可能である(民法一三六条)。本件では、①控訴人は○○社との間で、昭和六〇年六月初旬には本件契約を解約する予定であり、敷金及び保証金で原状回復など全債務を清算して欲しい旨の要請を受け控訴人がこれを承諾し、同月一六日正式に解約通知を受けたことにより、控訴入が期限の利益を放棄して本件据置規定を失効させたことになり、②仮にこの時点で期限の利益の放棄がなかったとしても、遅くとも本件差押え後の昭和六三年七月二日ころ、控訴人は被控訴人に対し、○○社の本件敷金及び保証金返還請求権と控訴人の債権とが相殺済みである旨の通知(甲6)をしており、同通知をもって期限の利益を放棄したことは明らかであり、被控訴人も控訴人の上記通知や控訴人代表者に対する事情聴取(甲16)の結果これを熟知していた。これにより被控訴人は権利を行使し得る状態になったのであるから、昭和六〇年六月一六日または昭和六三年七月二日に消滅時効の進行が開始し、商事債権として五年を経過した平成二年六月末若しくは平成五年七月末には時効により消滅した。仮に民事債権としても、上記時点から一〇年を経過した平成七年六月末若しくは平成一〇年七月末には時効により消滅した。
(五) 予備的主張―相殺
控訴人は本件契約の連帯保証人である甲野に原状回復費用等の請求ができたはずであるのに、被控訴人の担当者鈴木正(以下「鈴木徴収官」という。)は保証金による相殺処理について何ら問題視しないばかりか、これを是認するかのような言動をなしたため、これを信用した控訴人は甲野に対する上記連帯保証債務履行請求権八六五八万七一六九円を時効消滅させ、同額の損害を被るに至った。鈴木徴収官には上記過失があるから、控訴人は被控訴人に対して国家賠償法に基づく上記損害の賠償請求権を有しているので、控訴人は、平成一三年一一月六日の当審第六回口頭弁論期日において、上記債権を自働債権として被控訴人の本件請求と対当額で相殺する旨の意思表示をした。
第3 争点に対する判断
当裁判所は、被控訴人の本件請求は理由があると判断するが、その理由は、後記2のとおり当審における控訴人の主張に対する判断をし、1のとおり訂正するほか、原判決の「事実及び理由」中の「第三 争点に対する判断」のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決一八頁一行目の「前記第二、二3の(一)ないし(八)」を「前記第二、一3の(一)ないし(八)」と、同二一頁六行目から七行目にかけての「有するものとあるとすれば」を「有するとすると」とそれぞれ改める。
2 当審における控訴人の主張に対する判断
(一) 国税債権の不存在
控訴人は、①本件滞納処分の基礎となった国税債権は物品税であるが、本件では物品税の課税対象であるダイヤモンドの取引が現実かつ適正に行われていたものではなく、物品税が課税されるべきではないから、国税債権は存在しない、②取立訴訟においては債務名義の内容である執行債権の存否を争うことはできないとの見解は、請求異議訴訟によってこれを争う途があることを前提としているが、本件では債務者である○○社にはこれを争う実益がないから同異議訴訟を提起することは期待できず、第三債務者である控訴人も滞納処分による差押えに対しては債権者代位により請求異議訴訟を提起して争う法的手段もないのであるから、取立訴訟で争うほかはなく、そうでないと実質的に不服申立の手段を奪うことになると主張する。
しかしながら、被控訴人は、本件差押えにより、国税徴収法六七条一項に基づき差し押さえた債権の取立権を取得したもので、取立権は執行法上の効果として生ずるものであって執行債権の実体的存否にはかかわりがないから、第三債務者は、取立訴訟においては、債務名義の内容である執行債権の存否を争うことはできないものと解すべきであり、このことは国税滞納処分としての差押えに基づく取立訴訟においても同様である(最高裁昭和四五年六月一一日第一小法廷判決民集二四巻第六号五〇九頁、最高裁平成五年四月九日第二小法廷判決税務事例二五巻一一号一八頁)。民事執行法が取立訴訟を含む執行手続についての争訟手続と債務名義に表示された実体法上の請求権の存否についての争訟手続とを訴訟法上全く別個の手続としていることに照らせば、控訴人が主張する②の事情があったとしても、上記主張は失当であり採用できない。
(二) 本件保証金の法的性質について
控訴人は、本件保証金は、本件契約上の債務を担保する目的で差し入れられたもので実質は敷金である、この点は①乙26で甲野もこれを認めているほか、②本件保証金は建設協力金の目的で差し入れられたものではないが、仮にそうであるとしても、保証金の担保的機能と矛盾するものではない、③本件契約書(甲5)には、本件保証金が賃借人の債務を担保するものであることを窺わせる明文の規定がないとしても、店舗としての賃貸借の場合、終了時の原状回復に多額の費用を要するのが一般であるから、同費用に関して生じる債権を含めて、敷金及び保証金の合計を本件契約上の債権の担保としたとみるのが合理的であって、賃貸借の中途終了の場合には本件据置規定は当然に失効し、賃借物件の返還時に敷金と共に清算する合意があったというべきである、④file_9.jpg本件保証金が多額であっても、近隣の例に比して敷金の性質に反するほど高額であるとはいえず、file_10.jpg本件据置規定を適用する結果、担保が逓減することはあるが、優良な賃借人との関係では、これに代わる信用と収益が確保されると考え、一〇年以上賃借してもらった優良な賃借人に有利な条項を入れたものであり、敷金の性質に反するとはいえないと主張する。
しかしながら、①については、乙26(甲野作成の平成一三年三月一日付け陳述書)にはこれに沿う供述記載があるものの、上記甲15(同人作成の同年四月一〇日付け陳述書)には、甲野は本件契約の締結を社員に任せており、甲5の契約書も見たことはなく、上記乙26は控訴人代表者に依頼されるまま署名したものである趣旨の供述記載があることに照らして(なお乙32《控訴人代表者作成の陳述書》には、上記甲15は被控訴人の圧力によって無理矢理作成させた書面である旨の供述記載があるが、その裏付けもないし、他にこれを窺わせる証拠もないから措信できない。)、乙26は採用できない。②については保証金を差し入れた主たる目的が、賃貸借契約上の債権を担保する趣旨か、あるいは建設協力金かについては、引用にかかる原判決の判示(原判決二三頁九行目から二四頁六行目まで)のとおりであるほか、控訴人代表者本人は本件建物の建築資金は金融機関からの借入や自己資金で賄った旨の供述をするが、本件保証金が差し入れられたのは本件建物の建築資金が必要な時期であって、本件保証金は多額であるほか無利息で返還する約定があること(甲5)からすれば、銀行からの借入金に比して金利分の節約ができることから控訴人にとって有利であることは明らかであるから、通常であればこれを建設資金などに充当すると考えられるし、控訴人は本件保証金の使途について客観的な裏付け証拠に基づく説明をしていないことに照らして、上記供述部分は採用できない(乙23の1ないし3は単に昭和五九年一二月三一日時点における控訴人の預金を明らかにするものにすぎず、その原資が証拠上明確でなく、賃借人からの保証金などである可能性もあるから、控訴人の上記供述の裏付けとなるものではない。)。また乙24(竹中工務店和歌山所長の陳述書)には一般的なオフィスビルの場合には建設協力金の預託を受けることはない旨の供述記載があるが、推測の域を出るものでなく、すぐには採用できない。そうとすれば、本件保証金は本件建物の建設資金に充当することを主目的として差し入れられたと推認すべきである。③もっとも建設協力金の性質を有する場合でも、なお敷金としての担保機能も果たすことはあり得るから、本件契約の各条項に基づき、当事者の合理的意思を解釈して、同担保機能の有無について検討すべきであるが、本件契約では、敷金と保証金を別個に規定し、敷金については、賃借物件明渡後、債務完済を確認したときに返還する旨規定する一方で、保証金については本件据置規定が存在するのみで、賃貸借終了時の返還義務の有無については何ら触れていないし、(ア)確かに控訴人がビル入居者を募集した際のパンフレット(乙18)には、条件として、file_11.jpg敷金、保証金は契約の担保として預かり、file_12.jpg敷金は退去時に無利息で全額返還し、保証金は一〇年間無利息で預かり、一一年目以降毎年均等分割返還するが、中途解約の場合退去時に無利息で短期解約金を差引き、残額を返還するなどの記載があることが認められるが、一般的にパンフレットなどの広告は申込の誘引であるに止まり、原則として広告の内容がそのまま契約の内容とはならないというべきであり、本件契約では広告内容を契約の内容とすることを当事者が合意したなどの事情も証拠上窺えないから、契約書記載の条件によることになると解すべきである。(イ)また本件建物の他の店舗賃貸借上、甲12、乙8では契約書に保証金が賃借人の債務の担保となることが明示されたり、○○社と系列会社である××商事株式会社とで、異なる契約書(甲5、乙8)を使用していることについても、上記各契約書でも、保証金の据置規定があり、賃貸借終了に伴い保証金を返還する旨の規定がないことは同様であるほか、引用にかかる原判決の認定によれば、控訴人代表者は契約締結の際各契約書を相手方に読み聞かせしているのであるから、控訴人が契約条項を十分検討しないまま契約を締結したとはいえず、各契約書の定めに従うべきであり、上記事情が当然に本件契約についても保証金を敷金として統一的に扱うことに結びつくものともいえない。さらに乙3、4、6の契約では据置規定があるにもかかわらず、控訴人が賃借物件明渡時に保証金を清算しているとしても、これが慣行であったとまでは証拠上認められないし、結局契約上の債務額、借主の資力などの当時の諸事情を考慮して妥当と考えられる処理をしたものというほかはない。そして保証金につき据置規定が設けられている場合にも、賃借人保護の見地から、これを制限的に解釈して賃借物件の明渡時に返還すべき場合があり得るとしても、保証金が多額であって一時に返還することになった場合貸主においてその資金を準備できず予測できない事態が生じうることも考慮すると、本件のように少なくとも賃借人側の都合による中途解約の場合にはなお本件据置規定が当然失効するものでないとするのが当事者の合理的意思に合致するというべきであり、通常の場合においては、このように解しても、賃貸人としては、原状回復義務不履行による損害額が多額で敷金をもってしては賄えない場合には、本件保証金返還債務の期限の利益を放棄したうえ相殺処理をすることが可能であるから、賃貸人に有利ではあれ、不利益を被らせることはないというべきである。④その他、本件据置規定により担保が逓減する点につき、優良な賃借人に賃貸借存続中に敷金の一部を返還する有利な条項を入れたものであるとすると、上記規定によれば入居後一五年を経過すると敷金の八八パーセントを占める保証金部分を失うことになり、敷金の性質上合理的とはいえないし、本件保証金及び本件敷金の合計額と同等に多額な金員を敷金として預かる例(乙19、20の1ないし3)があるとしても、かような定めをした経緯や事情は証拠上明らかでないから、同事情が直ちに本件の判断を左右するものともいえない(ちなみに、上記の例では賃貸借終了による明渡後にこれを返還する旨の明確な規定があるから、これを欠く本件契約を同様に論ずることはできない。)。以上のとおりで、本件保証金が、敷金と同様の担保的機能を有し賃借物件の明渡時に契約上の債務と清算したうえで賃借人に返還すべきものであるとはいえず、控訴人の上記主張は採用できない。
(三) 相殺について
控訴人は、①本件差押えの通知書が控訴人に送達されたのは昭和六〇年七月一日であるところ、○○社はそれ以前の同年六月一六日控訴人に対し本件契約を即時解約しており、これにより○○社は控訴人に対し原状回復義務を負担するが、すでに同時点で○○社は事実上倒産の状態にあって同義務を履行することは不可能であったから、同義務の不履行による損害賠償義務も発生していたというべきで、控訴人は相殺をもって被控訴人に対抗できるというべきである、②また民法五一一条の趣旨からすれば、第三債務者が差押債権者に相殺をもって対抗できる場合とは、第三債務者が自己の債務を免れうる正当な期待を有し、その利益が差押債権者の利益を上回る場合と解すべきであるが、ビルの店舗賃貸借における原状回復費用、特に内装の原状回復費用については、その工事が実際に行われていなくても、その必要性は内装工事がなされた時点で既に生じているから、原状回復債務あるいはその原因はその時点で発生しているというべきであり、相殺適状にある限り、賃貸人からの相殺をもって差押債権者に対抗できると解すべきであるなどと主張する。
しかしながら、①については、確かに○○社が昭和六〇年六月一六日控訴人に解約通知をした旨の書面(乙27)があり、控訴人代表者本人の供述(当審)には、同書面は○○社から受領していたもので、平成一三年三月一〇日に本店物置内で発見した旨の部分があるが、他方同代表者は原審において上記解約は昭和六〇年八月の盆過ぎであると供述しており、また甲17(昭和六〇年七月三一日付け解約通知書)、甲16、18によれば甲17の書面は昭和六三年六月一五日ころ鈴木徴収官が控訴人代表者から事情聴取した際、甲野から昭和六〇年七月三一日受領したものとして同代表者から提示されてコピーを受領したものと認められる(控訴人は同書面は被控訴人が偽造したものであると主張するが、これを窺わせる証拠はないし、仮に○○社が両書面を作成交付していたのであれば、控訴人がこれを全く別の場所に保管することも考え難く、控訴人の供述する発見した経緯も不自然である。)ことに照らして、上記証拠はすぐには採用できず、他に控訴人が主張する日時に解約通知がされたことを認めるに足りる証拠はなく、上記主張は採用できない。また②については、民法五一一条によれば第三債務者である控訴人が被差押債権と相殺ができるのは差押え前に取得した債権であることを要するところ、控訴人が主張する点は独自の見解であって、いまだ上記要件を備えるものといえないことは明らかであるから、上記主張は採用できない。
(四) 消滅時効について
控訴人は、①控訴人は○○社との間で、昭和六〇年六月初旬には本件契約を解約する予定であり、敷金及び保証金で原状回復など全債務を清算して欲しい旨の要請を受け控訴人がこれを承諾し、同月一六日正式に解約通知を受けたことにより、控訴人が期限の利益を放棄して本件据置規定を失効させたことになり、②仮にこの時点で期限の利益の放棄がなかったとしても、遅くとも昭和六三年七月二日ころ、控訴人は被控訴人に対し、○○社の本件敷金及び保証金返還請求権と控訴人の債権とが相殺済みである旨の通知(甲6)をしており、同通知をもって期限の利益を放棄したことは明らかであり、被控訴人も控訴人の報告(甲6)や控訴人代表者に対する事情聴取(甲16)の結果これを熟知していた、これにより被控訴人は権利を行使し得る状態になったのであるから、昭和六〇年六月一六日または昭和六三年七月二日に消滅時効の進行が開始し、商事債権として五年を経過した平成二年六月末若しくは平成五年七月末には時効により消滅した。仮に民事債権としても、上記時点から一〇年を経過した平成七年六月末若しくは平成一〇年七月末には時効により消滅したと主張する。
しかしながら、①については、乙26、27にはこれを沿うかのような記載があるが、前記のとおりいずれも信用し難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない(仮に本件契約が昭和六〇年七月三一日解約されたとみても、その時点で本件保証金をもって本件契約上の債務を清算する旨の合意が成立したことを認めるに足りる証拠はない。)。②については、甲6、16によれば、昭和六三年六月一五日ころ鈴木徴収官の事情聴取に対し、控訴人代表者が本件据置規定を適用せず、原状回復費用などと本件保証金を相殺処理する予定であると答え、同年七月二日ころ控訴人が同相殺処理したことを被控訴人に報告したことが認められるが、これは被控訴人に対抗できない、差押え後に生じた原状回復義務不履行による請求権を自働債権として本件保証金返還請求権と相殺するにあたり、その前提として受働債権について期限の利益を放棄する旨を表明したものにすぎず、被控訴人に対し本件保証金について直ちに履行の請求を受けてよい旨の意思表示をしたとは認められないから、上記主張は採用できない。
(五) 予備的主張―相殺
控訴人は、本件契約の連帯保証人である甲野に原状回復費用等の請求ができたはずであるのに、鈴木徴収官は保証金による相殺処理について何ら問題視しないばかりか、これを是認するかのような言動をなしたため、これを信用した控訴人は甲野に対する上記連帯保証債務履行請求権八六五八万七一六九円を時効消滅させ、同額の損害を被るに至ったもので、鈴木徴収官には上記過失があるから、控訴人は被控訴人に対して国家賠償法に基づく上記損害の賠償請求権を有していると主張する。
しかしながら、鈴木徴収官に上記のような相殺処理を是認するか否かを決する権限があるものではなく、また同発言を対外的になした事実を認めるに足りる証拠はないから、同主張は採用できない。
第4 以上によれば、被控訴人の本件請求は理由があるから認容すべきであり、これと同旨の原判決は相当である。よって本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・武田多喜子、裁判官・松本久、裁判官・小林秀和)
《参書・原審判決抄》
主文
一 被告は、原告に対し、七九八一万六九六〇円及びうち一五九六万三三九二円に対する平成七年四月一六日から、うち一五九六万三三九二円に対する平成八年四月一六日から、うち一五九六万三三九二円に対する平成九年四月一六日から、うち一五九六万三三九二円に対する平成一〇年四月一六日から、うち一五九六万三三九二円に対する平成一一年四月一六日から、それぞれ支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
主文と同じ。
第二 事案の概要
一 前提事実(証拠の摘示のない項目は、当事者間に争いがない事実である。)
1 原告(所管庁・東京国税局長)は、○○株式会社(○○社)に対し、昭和六〇年六月二九日現在、別紙租税債権目録一記載の物品税(本件国税)について、本税四億六一二五万九九〇〇円及びその延滞税三二九三万八三九二円の合計四億九四一九万八二九二円の国税債権を有していた。(甲第一、第二号証)
○○社の平成一一年四月三〇日現在における本件国税に係る滞納税額は、別紙租税債権目録二の順号一ないし一四のとおり、本税一五七七万二九六〇円及び延滞税二億一一二三万四五七八円の合計二億二七〇〇万七五三八円である。(甲第三号証)
2 被告は、各種石油製品の販売、不動産賃貸等を業とする株式会社である。
3 被告は、昭和五九年三月六日、○○社に対し、被告所有の別紙物件目録一記載の建物(本件建物)のうち同目録二記載の事務所・店舗部分(本件賃借部分)を次の約定で賃貸し(本件契約)、引渡した。
(一) 使用目的 事務所・宝石貴金属類用店舗・ショールーム
(二) 期間 昭和五九年四月一六日から一〇年間
ただし、期間満了六か月前までに当事者から何らの意思表示がないときは、さらに二年間期間を継続するものとし、その後の期間満了に際しても同様とする。
(三) 賃料 月額四四三万六八三二円を毎月末日までに翌月分を支払う。
(四) 敷金・保証金
(1) ○○社は、敷金一二八三万七八〇〇円(本件敷金)、保証金九九七七万一二〇〇円(本件保証金)の合計一億一二六〇万九〇〇〇円の三〇パーセント(三三七八万二七〇〇円)を本件契約と同時に被告に預託する。
(2) ○○社は、入居日の前日である昭和五九年四月一五日までに、敷金、保証金の残額合計七八八二万六三〇〇円を被告に預託する。
(3) 敷金は、本件賃借部分の明渡しその他本件契約に基づく○○社の債務が完済されたことを被告が確認したとき同社に返還する。
(4) 保証金は一〇年間据置き、一一年目以降昭和七四年(平成一一年)四月一五日まで、合計五回、毎年均等分割して○○社に返還する(本件据置規定)。
(5) ○○社が一〇年以内に本件契約を解除したときは、次の短期解約金を同社において負担する。
五年以内 保証金の二〇パーセント
一〇年以内 保証金の一〇パーセント
(6) 敷金、保証金は無利息とする。
(なお、本件保証金の法的性質について当事者間に争いがあることは後記のとおりである。)
(五) 期間内解約
(1) 賃貸借期間中の中途解約は、解約の日の六か月前までに、当事者の一方から他方にその旨申し入れるものとし、この場合、申入れ後六か月の経過又は当事者が合意により指定した解約日の到来をもって本件契約は終了する。
(2) ○○社は、右(1)の予告に代えて、賃料の六か月分相当額を被告に支払うことにより本件契約を即時解約することができる。
(六) 付帯費の負担
○○社は、賃借部分に付帯する共益費、電力使用料等の付帯費を負担し、賃料とともに支払う。
(七) 明渡し
(1) 期間の満了、解約又は解除により、本件契約が終了したときは、○○社は直ちに自己が設置した造作、諸設備等を収去するとともに、本件賃借部分の破損箇所を修復して被告に明渡す。
(2) ○○社が右(1)の義務を履行しないときは、被告は、同社の費用をもってこれを代行することができる。この場合、同社が収去しない物件は被告において任意に処分する。
(3) ○○社は、造作等の買取請求又は必要費、有益費、移転料、立退料等名目に関係なく一切の請求をしない。
(八) 通知方法
本件契約により当事者がすべき通知又は承諾はすべて書面による。
4 ○○社は、被告に対し、本件契約に基づき本件敷金一二八三万七八〇〇円及び本件保証金九九七七万一二〇〇円を預託した。
5 原告は、昭和六〇年六月二九日、本件国税を徴収するため、国税徴収法六二条に基づき、○○社の被告に対して有する本件敷金及び本件保証金の返還請求権を差押え、右差押えに係る債権差押通知書は同年七月一日被告に送達された(本件差押え)。
6 ○○社は、昭和六〇年八月、被告に対し、本件契約の解約を申し入れた。(乙第一五号証、被告代表者尋問の結果)
7 ○○社は、昭和六〇年八月三一日、本件賃借部分を明渡した。
二 原告の主張
1 右一により、被告は、○○社に対して、同社が被告に預託した本件保証金九九七七万一二〇〇円から二〇パーセントに相当する短期解約金を控除した残額七九八一万六九六〇円の保証金を、平成七年から平成一一年までの毎年四月一五日に一五九六万三三九二円宛返還すべき義務を負っているところ、原告は、国税徴収法六七条に基づき、本件敷金及び本件保証金の返還請求権について取立権を取得した。
2 よって、原告は、被告に対し、保証金七九八一万六九六〇円及びこれに対する各弁済期の翌日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
三 被告の主張
1(一) 本件保証金は、本件敷金と一体として敷金の性質を有し、賃借人の滞納賃料や債務不履行に基づく損害賠償債務を担保するものであり、建設協力金や貸金の性質を有するものではない。
(二) 被告は、○○社が本件賃借部分を明渡した当時、同社に対して次の債権を有していた。
(1) 昭和六〇年六月分から同年八月分までの滞納賃料
一三三一万〇四九六円
(2) 期間内解約に伴う六か月分の賃料債権 二六六二万〇九九二円
(3) 昭和六〇年六月から同年八月までの共益費 三六三万一五〇〇円
(4) 昭和六〇年五月から同年八月までの電力料金 一四二万二〇三一円
(5) 原状回復による損害賠償金
三七〇〇万円
① 二階、四階内部解体撤去費用内金 一一五〇万円
(昭和六一年九月一六日清水建設株式会社に支払い)
② 三階原状回復費用
一五五〇万円
(昭和六一年一〇月三一日株式会社淺川組に支払い)
③ 二階、四階原状回復費用
一〇〇〇万円
(昭和六三年に株式会社竹中工務店が工事)
(6) 保証金よりの短期解約金
一九九五万四二四〇円
合計 一億〇一九三万九二五九円
(三) よって、本件敷金及び本件保証金は右(二)の○○社の被告に対する債務に当然充当されるから、本件敷金・保証金返還請求権は合計一〇六六万九七四一円しか存在しない。
2 仮に、本件保証金が右1(二)の債務に当然充当されないとしても、被告は、昭和六三年七月二日ころ、原告に対し、被告の○○社に対する本件保証金返還債務と被告が同社に対して有する右1(二)の債権とを対当額において相殺する旨の意思表示をした。
また、被告は、平成一一年一〇月二〇日被告が受領した本訴の準備書面により、原告に対し、右同様の相殺の意思表示をした。
3(一) 本件賃貸借契約においては、被告の都合により賃貸借契約が契約期間中途で終了したときは、本件据置規定も効力を失い、本件保証金は本件敷金と一体となって明渡時に返還時期が到来する。
(二) 被告は、昭和六三年七月二日ころ、原告に対し、本件敷金・保証金返還債務と前記1(二)の債権とが清算済みである旨の通知した。
(三) したがって、本件保証金返還請求債務は、遅くとも昭和六三年七月二日ころから五年を経過した平成五年七月末日までには、もしくは一〇年を経過した平成一〇年七月末日までには、時効により消滅した。
被告は本訴において右消滅時効を援用する。
4 原告は、昭和六三年七月当時、被告が本件敷金と本件保証金を一体として扱い本件据置規定を適用しないこと、反対債権をもって相殺し、本件敷金・保証金の返還すべき残金は一〇六六万九七四一円しかない旨通告していることを知り、平成一〇年一月末日ころの調査でもこのことを再確認していた。
原告は、本件保証金返還請求権の内容を早急に調査することが容易であるのにこれを怠り、賃貸人たる被告が行使しないことが明白な本件据置規定を盾に、差押後一四年を経過して本件訴訟を提起したものであって、原告の本訴請求は、公平の見地から著しく不正義であり、権利の濫用であって許されない。
四 被告の主張に対する原告の反論
1(一) 本件保証金は敷金の性質を有するものではなく、建設協力金もしくは貸金の性質を有するものである。
(二) したがって、本件保証金が本件契約に基づく○○社の被告に対する債務に当然には充当されない。
2 被告主張の前記三1(二)の債権のうち、昭和六〇年七月一日以前に発生した滞納賃料(八八七万三六六四円)・共益費(二四二万一〇〇〇円)及び電力料金(五〇万九六五三円)以外の債権については、いずれも本件差押えの効力発生後に発生し、又は相殺適状に達したものであるから、相殺の自働債権とすることはできない。
3 本件保証金は平成七年四月一五日から平成一一年四月一五日まで毎年均等分割して返還する旨定められているから、消滅時効は完成していない。
4 本件保証金については、契約書上前記のとおり据置期間及び返還期限が定められていたのであり、原告は、全額について返還期限が到来した後に本訴を提起したものであるから、このことについて何ら非難されるべき事情はなく、仮に被告が本件差押通知から本訴提起までの間に何らかの不利益を被ることがあったとすれば、被告としては供託や任意弁済を行い、あるいは原告と右不利益を避けるために交渉をすることができたはずであるところ、被告はそのような措置を何ら採っていない。
したがって、被告の権利濫用の主張は失当である。
五 争点
1 本件保証金が本件契約に基づく○○社の被告に対する債務に当然充当されるか、すなわち本件保証金が敷金の性質を有するか。
2 本件保証金が敷金としての性質を有しないとすれば、被告が原告に対し相殺を対抗できる範囲、すなわち本件差押えの効力発生以前に発生し、相殺適状に達していた債権の範囲はどうか。
3 本件保証金返還請求権が時効消滅したか、すなわち賃貸借の中途解約によって本件措置規定が効力を失ったか。
4 本件請求が権利の濫用に当たるか。
第三 争点に対する判断<省略>
別紙
物件目録<省略>
租税債権目録(一)、(二)<省略>