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大阪高等裁判所 平成12年(ラ)385号 決定 2001年2月15日

主文

一  本件抗告を棄却する。

二  抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

第一  抗告の趣旨

一  原決定中、主文一項を取り消す。

二  相手方らの原決定別紙文書目録一ないし四記載の文書提出命令の申立てを却下する。

第二  抗告の理由と相手方らの反論

一  抗告人の主張

別紙「抗告の理由」、「即時抗告の理由の補充書」、「即時抗告の理由の補充書(再反論書)」(二)、「即時抗告の理由の補充書(再々反論書)(三)」記載のとおりである。

二  相手方らの反論

別紙「抗告の理由に対する反論書」、「即時抗告の理由の補充書(再反論書)(二)に対する反論書」記載のとおりである。

第三  当裁判所の判断

一  当裁判所も、相手方らの申立てた原決定別紙文書目録一ないし四記載の文書(以下「本件文書」ともいう。)の提出命令は認容するのが相当であると判断するが、その理由は、二項に記載するほか、原決定の「第二 判断」記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、次のとおり補正する。

1  原決定一三頁二行目の「右貸出稟議書は、」から同四行目末尾までを「貸出稟議書は、一般的には、民訴法二二〇条四号ハの専ら文書の所持者の利用に供するための文書に該当する。」と改める。

2  同一四頁一行目の「阻害されるおそれはないというべきであるし、」を「阻害されたりするなど、開示によって抗告人の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあるとは認められないし、」と改め、同四行目の「別紙」から同五行目の「明らかではないものの、」まで、同一〇行目の「右主張が」から同一一行目の「もとより、」までをそれぞれ削除し、同一五頁三行目冒頭から同五行目末尾までを「右によれば、本件文書については開示によって、所持者である抗告人に看過し難い不利益が生ずるおそれがあるとは認められないから、民訴法二二〇条四号ハに規定する自己使用文書に当たらないということができる。」と改める。

3  同一六頁六行目の「被告の」を「相手方らの」と改める。

二  抗告人は、原決定に対し、稟議書は原則として開示すべきではなく、したがって例外的に開示することを認める場合であっても極めて制限的に解すべきであるとして、種々の不服を述べるが、いずれも抽象的、一般的に不利益を論じ、あるいは本件で貸出稟議書の開示を認めると、債権の譲渡とともに稟議書の引継ぎを受けた金融機関の場合は、債権を譲渡した金融機関が健全であるか破綻しているかを問わず一律に稟議書の開示を認められることになって不当である等と主張するだけであって、本件の場合に、本件文書の開示によって具体的にいかなる不利益が生ずるのかを主張するものではない。

原審裁判所は、単に、本件文書を作成した木津信用組合が破綻しているから、同組合が作成した稟議書を開示すべきであると判断したものではなく、本件文書が木津信用組合作成の稟議書であることを前提として、民訴法二二三条三項によって本件文書の提示を受け、イン・カメラの手続を経て現在の所持者である抗告人及び作成者である木津信用組合のいずれにも看過し難い不利益を及ぼすものではないことを確認した上で、開示を認めたものであり、破綻金融機関から債権の譲渡を受けた場合に、当該破綻金融機関が作成した稟議書を所持しているすべての場合に、開示による不利益を有無の個別的に判断することなく、一般的に、あるいは当然に開示すべきであるとまで判断したものではないから、抗告人の不服は理由がない。

三  よって、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(別紙)

抗告人の抗告の理由

第一、原決定の主文

一、相手方(原告)は、別紙文書目録一から四まで記載の各文書を当裁判所に提出せよ。

二、その余の本件申立てを却下する。

第二、原決定の理由及びその不当性

一、原決定は、一般に貸出稟議書は、専ら金融機関内部の利用に供する目的で作成され、外部に開示することが予定されていない文書であり、開示されると当該金融機関の内部における自由な意見の表明に支障を来し、右金融機関の自由な意思形成が阻害される恐れがあるから、「特段の事情」がない限り、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるとしながら、別紙文書目録一から四まで記載の各文書は、何れも木津信用組合にて作成された貸出稟議書であり、右文書が開示されたとしても、原告の内部における自由な意見の表明に支障を来すことなく、又、原告の自由な意思形成が阻害される恐れはないこと、そして、木津信用組合は、現在清算中であり、右事情は、木津信用組合も同様であると判断し、本件の場合、民事訴訟法二二〇条四号ハに規定する「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に該当しない「特段の事情」の存在を認めている。

二、しかし、そもそも貸出稟議書が「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に該当し、文書提出命令の対象とはならない理由は、最二決平成一一年一一月一二日も認めている様に、その無条件の開示を認めると金融機関内部の自由な意見表明に支障が生じ、金融機関内部の自由な意思形成を阻害する恐れがあるからである。

そうすると、原決定の如く、本件貸出稟議書が木津信用組合にて作成されたものであり、その事業譲渡を受けた原告にて作成されたものではないとの理由で無条件にその開示を認めると、現在正常に業務を続けている金融機関も将来何らかの事情でその経営が破綻し、その事業が他の金融機関に譲渡される可能性がある以上は、正に現在正常に業務を続けている金融機関は、貸出稟議書を作成する際、将来事業譲渡が行われた場合、現在作成している貸出稟議書が無条件に文書提出命令の対象となるとの前提でその作成を強いられることとなる。それは、正に、現在正常に業務を続けている金融機関内部の自由な意見表明に支障を来し、金融機関内部の自由な意思形成を阻害する以外の何者でもない。

そして、「特段の事情」を原決定のように解釈すれば、少なくとも、金融機関が清算中であるということだけで全て無条件で貸出稟議書の提出が義務づけられることになり、これは本件のみならず他の破綻金融機関に関する事件に対しても当然妥当することになり、その影響は計り知れない。

従って、原決定の如く、その作成金融機関が破綻したか、正常に業務を続けているか(金融機関が倒産しないとの過去の神話が崩れた今日、全ての金融機関が将来破綻する可能性を抱えて経営されていると言っても過言ではない)によって、文書に対する法律的な取扱いを異にするという解釈は、余りにも法的安定性を損なう解釈であって、極めて不当である。

三、また、原告は、木津信用組合より事業譲渡を受けて、現在、その事業を営むものであるが、本件事業譲渡により、木津信用組合の事業目的のため組織化された有機的一体として機能する財産の全部又は重要な一部が木津信用組合から原告へ承継されることとなった。

そうすると、現在原告内部で行われている意見表明や意思形成は、過去に木津信用組合が行った意見表明や意思形成を前提或いは参考にして行われている場合も多く(当然木津信用組合作成の貸出稟議書も重要な参考資料である)、その限りで、原告と木津信用組合には一体性が認められる。

従って、原決定の様に、本件貸出稟議書は、木津信用組合作成であり、原告はその作成に無関係であるかの如く判断することは、正に、現在の原告の自由な意見表明に支障を来し、その意思形成を阻害するものである。

四、更に、原決定は、本件貸出稟議書を証拠として開示させる必要性に関しても、安易にその必要性を認めている。

しかし、被告の不法行為の主張に関しては、木津信用組合の不法行為は、平成元年三月以降の行為も含む(恐らく木津信用組合が原告に事業譲渡する時点までの行為も含む趣旨であろう)継続した一連の行為であると主張しながら、他方で損害発生の基準時につき平成元年三月時点を主張しており(平成一一年一一月一八日付け被告準備書面)、平成元年三月以降の不法行為が如何なる理由により平成元年三月に発生した損害と因果関係を有するのか、全く不明である。この様に、被告は、原告が再三にわたり不法行為の成立要件の該当する具体的事実を特定する旨求めたにも関わらず、主張を明確にせず、曖昧な態度に終始し続けており、この様な状況において本件貸出稟議書の証拠としての必要性自体判断することが困難であろう。そして、仮に被告の主張程度でも(具体的には木津信用組合が担保不動産の売却を妨害したなど)、木津信用組合と被告との間で不法行為が成立するに足りる具体的な要件事実が主張されているとしても、この場合は、木津信用組合が対外的に被告に対し如何なる不法行為に及んだか否かが問題となるのであって、金銭貸出という意思決定を行う際に木津信用組合の内部で作成される貸出稟議書が直接証明しうる事実とは直接関係がない。

よって、本件では、貸出稟議書を証拠として提出させる必要がないか、或いは非常に乏しいと言わなければならない。

五、よって、文章所持人が被る不利益と当該文書の証拠としての必要性の比較考慮により、「特段の事情」の有無を判断する立場をとるとしても、本件の場合、前述した様に、貸出稟議書を開示する場合には、原告の内部の自由な意見表明に支障を来し、自由な意思決定が阻害される反面、貸出稟議書を証拠として提出させる必要性も乏しいことから、「特段の事情」は認められる、それにも関わらず、原決定が本件の場合、「特段の事情」の存在を認めたことは明らかに不当である。

抗告人の即時抗告の理由の補充書

第一 はじめに

一 原決定は、最高裁平成一一年一一月一二日決定(以下「本件最高裁決定」という。)の判示を前提としつつ、「一般に、銀行、信用組合等の金融機関において作成される貸出稟議書は、専ら金融機関内部の利用に供する目的で作成され、外部に開示することが予定されていない文書であるから、開示されると当該金融機関の内部における自由な意見の表明に支障を来し、右金融機関の自由な意思形成が阻害されるおそれがあるものであるから、右貸出稟議書は、特段の事情がない限り、『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たる」旨判示し、本件文書提出命令の対象となった木津信用組合の作成した本件稟議書等(以下「本件稟議書等」という。)も右の目的で作成され、外部に開示することが予定されていない文書であることを肯認した。

しかしながら、原決定は、右に続けて、木津信用組合が現在において清算手続中であること及び本件稟議書等が木津信用組合により作成されたものである(原告が作成したものではない)ことを理由として、「木津信用金庫が作成した貸出稟議書が開示されたとしても、所有者である原告の内部における自由な意見の表明に支障をきたし、または原告の自由な意思形成が阻害されるおそれはないというべきである」から、本件稟議書等は、「民事訴訟法二二〇条四号ハに規定する『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に該当しない特段の事情がある」として民事訴訟法二二〇条四号ハ所定の自己利用文書(以下「自己利用文書」という。)該当性を否定した。

二 しかしながら、原決定は、本件最高裁決定の趣旨を逸脱し、民事訴訟法二二〇条四号の解釈適用を誤ったものであるから、被抗告人の文書提出の申立を認めた部分を取り消し、同申立を速やかに却下すべきである。

以下、その理由を詳述する。

第二 本件最高裁決定の趣旨

一 自己利用文書該当性の一般論について

本件最高裁決定は、「ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持人が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書で、開示されると個人のプライバシーが侵害されたり団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過しがたい不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情がない限り、当該文書は民訴法二二〇条四号ハ所定の『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たると解するのが相当である。」と判示した。

右最高裁決定は、自己利用文書該当性につき、一般論として、<1>内部利用目的及び非開示性と<2>実質的不利益性の二つの要件を必要としたものと解することができる。

二 銀行の貸出稟議書等の自己利用文書該当性について

次いで、本件最高裁決定は、申立に係る銀行の貸出稟議書についての自己利用文書該当性について判示し、「銀行の貸出稟議書とは、支店長の決裁限度を超える規模、内容の融資案件について、本部の決裁を求めるために作成されるものであって、通常は、融資の相手方、融資金額、資金使途、担保、保証、返済方法といった融資の内容に加え、銀行にとっての収益の見込み、融資の相手方の信用状祝、融資の相手方に対する評価、融資についての担当者の意見などが記載され、それを受けて審査を行った本部の担当者、次長、部長など所定の決裁権者が当該貸出しを認めるか否かについて表明した意見が記載される文書であること、本件文書は、貸出稟議書及びこれと一体を成す本部許可書であって、いずれも抗告人が太郎に対する融資を決定する意思を形成する過程で、右のような点を確認、検討、審査するために作成されたものであることが明らかである。」と稟議書の性質について述べ、さらに「右に述べた文書作成の目的や記載内容からすると、銀行の貸出稟議書は、銀行内部において、融資案件についての意思形成を円滑、適切に行うために作成される文書であって、法令によってその作成が義務付けられたものでもなく、融資の是非の審査に当たって作成されるという文書の性質上、忌たんのない評価や意見も記載されることが予定されているものである。したがって、貸出稟議書は、専ら銀行内部の利用に供する目的で作成され、外部に開示することが予定されていない文書であって、開示されると銀行内部における自由な意見の表明に支障を来し、銀行の自由な意思形成が阻害されるおそれがあるものとして、特段の事情がない限り、『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たると解すべきである。」旨判示した。

第三 特段の事情の解釈について

一 本件稟議書等の自己利用文書該当性について

本件稟議書等も本件最高裁決定にいう銀行の貸出稟議書等と全く同じ目的で作成された同一の性質を有する文書であることが明らかであるから、本件稟議書等は、特段の事情がない限り、自己利用文書に当たることが明らかであり、前述のとおり、原決定もこのことを肯認しているものである。

したがって、本件において、原決定にいうところの、木津信用組合が現在において清算手続中であること及び本件各文書が木津信用組合により作成されたものである(原告が作成したものではない)ことが、本件最高裁決定にいう「特段の事情」に該当するか否かが問題となる。

二 「特段の事情」の解釈

「特段の事情」については、<1>予想できない事態が将来発生することに配慮した一種の決り文句、<2>証拠としての重要性等各訴訟の個々的な事情を勘案する手掛かりと考える見解、<3>より定型的な訴訟類型の差異を勘案する手掛かりと考える見解が一応考えられる(山本和彦「銀行の貸出稟議書に対する文書提出命令」NBL六七九号一〇頁。同論文では、株式代表訴訟や商法二六六条の三等の訴訟類型においては、類型的に、提出義務を認める余地があるとする。)。また、「文書所持者に看過し難い不利益発生のおそれがあったとしても、これを減殺するような事情があること」を指すとする見解もある(加藤新太郎「貸出稟議書の自己利用文書該当性」銀行法務二一・五七〇号九頁。同論文は、他の局面で開示されたことがある文書がこれに当たるものと示唆する。)

しかしながら、いずれにしても、本件最高裁決定にいう「特段の事情」は文字どおり「特段の事情」であり、特殊・例外的な事情であることは疑いがなく、例外をむやみに認めるべきではなく、限定的に解釈すべきは当然のことである。

したがって、株主代表訴訟や商法二六六条の三等の類型の訴訟を除き(山本・前掲一〇頁)、単に、<1>争点の判断に必要であるといった一般的な理由や<2>証拠偏在を是正する必要性といった理由はこれに当たらないものであり、文書提出命令によって文書の所持人が蒙る不利益の発生を減殺する事情がある場合に限定されるべきである(加藤・前掲九頁)。

また、稟議書等が原則として自己利用文書に当たることは明らかであるから、この「特段の事情」の立証責任が被抗告人側にあることはいうまでもないことである(中村正人「稟議書の文書提出義務に関する最高裁決定」商事法務一五四五号二四頁)。

三 本件における「特段の事情」の該当性

前述のとおり、原決定は、<1>木津信用組合が現在において清算手続中であること及び<2>本件各文書が木津信用組合により作成されたものである(原告が作成したものではない)ことを理由に、抗告人の自由な意思形成が阻害されないものとし、「特段の事情」該当性を認めたものである。

ところで、抗告人(原告)は、<1>破綻金融機関から債権の譲渡を受け、これを回収すること、<2>金融再生法五三条に基づき、健全金融機関から債権を買い取り、これを回収することを、主たる業務とし、<3>一般の金融機関と同様に貸出をすることをも業務の一部としているものである。

このため、抗告人は、破綻金融機関や健全金融機関から大量の債権の譲渡を受けており、貸出稟議書等も譲受債権に付されているのが原則である。しかしながら、原決定のような理由付けによれば、少なくとも破綻金融機関からの譲受債権に係る貸出稟議書等は、すべて文書提出命令の対象となることになるが、これでは例外となる対象が広がりすぎるものといわざるを得ず、抗告人にとっては原則と例外が完全に逆転し、抗告人の所持する稟議書等についてはほとんど開示を命ぜられる結果となる。

このように、例外が余りにも広がりすぎる解釈は不相当であり、法的安定性を余りにも害するものというべきであり、本件最高裁決定の趣旨を逸脱するものである(伊藤眞「文書提出義務と自己使用文書の意義」法律協会雑誌一一四巻一二号一四五五頁、新堂孝司「貸出稟議書は文書提出命令の対象になるか」金融法務事情一五三八号一二頁、鈴木正裕「銀行の稟議書に対して文書提出命令を認めた事例」私法判例リマークス一九九九年(下)一三六頁、伊藤眞「研究会・新民訴訟法をめぐって(第一七回)」ジュリスト一一二五号一二三頁の秋山幹夫発言、同頁の伊藤発言、新堂孝司『新民事訴訟法』五一一頁等)。

また、内心の自由を保障する憲法一九条の趣旨からしても、団体内部の意思決定の過程には最大限の保護が与えられるべきである(新堂・前掲六頁、伊藤・前掲一四五五頁、)。本件最高裁決定も適切な事実認定によって得られる法益よりも意思決定の過程の秘密保護、プライバシーの保護を優先させている(加藤・前掲九頁)のであるから、かかる利益に優先する利益がある場合は相当限定されて然るべきである。

後記第五のとおり、抗告人にとって本件稟議書等を開示することには看過し難い実質的不利益があり、これを減殺して余りある事情は全く認められないのであるから、本件においても「特段の事情」は、到底認められないものというべきである。

第四 貸出稟議書の性質について

一 本件最高裁決定にも判示されているように、金融機関が作成する貸出稟議書には、融資相手の融資適格性を判断するためのあらゆる情報と稟議の参加者の意見が記載され、これをもとにして権限者による内部的な意思決定がなされるものである(永田義博「貸出稟議書の文書提出命令申立却下の最高裁判決について」銀行法務二一・五七〇号一〇ページ、吉野正三郎「銀行の貸出稟議書と文書提出命令」銀行法務二一・五六九号六頁、高橋俊樹『稟議書の書き方・考え方の基本』五四頁以下、林良平「融資契約とそれをめぐる義務論」金融法務事情一三六二号六頁、松本崇「新銀行実務総合講座(二)一三三頁」)。

銀行の融資決定の過程で、内部的に十分に意思が伝達され、適切な意思決定機能がなされるためには、稟議書の作成者の認識する事実や同人の意見、並びに稟議の参加者の意見が素直に記載される必要があり、稟議書にはかかる金融機関の意思決定の過程が正確に反映されなければならない(高橋・前掲五四頁、永田・前掲一一頁)。

このように金融機関の融資にいたる内部的な意思決定の過程が稟議書の内容を構成するが、法人の内部的意思決定の過程は、内心領域そのものであり、内心の自由を保護する憲法一九条により憲法上の保護が与えられるものである(新堂・前掲一二頁、伊藤・前掲一四五五頁、藤原静雄「審議検討情報の不開示」ジュリスト一一〇七号五一頁、中村直人「稟議書の文書提出義務に関する最高裁決定」商事法務一五四五号二五頁、吉野・前掲八頁)。

すなわち、憲法一九条の内心の自由は、個人の内心領域一般を保障するものであり、意思の形成過程も含めて動態的に把握される(佐藤幸二『憲法』四八八頁等)。自然人の場合にはその内心の動き、意思形成の過程そのものは外部からは窺うことはできないが、備忘録、メモ、日記等の文書はその意思形成の過程で作成されたり、内心そのものが反映された文書であり、民事訴訟でこれらの文書が提出を命ぜられるとすると、公開を予定した記載しかできなくなり、自然人の意思形成過程の自由・内心の自由そのものが侵害されることとなるのである(新堂・前掲一二頁、伊藤・前掲一四五五頁、吉野・前掲一〇頁、法務省民事局参事官室編「一問一答新民事訴訟法」一一頁)。そこで、民事訴訟法二二〇条四号ハは「自己利用文書」を文書提出義務の例外としたものである。(本件最高裁認定、中村・前掲二五頁、並木茂「銀行の融資稟議書は文書提出命令の対象となるか(下)」金融法務事情一五六二号四一頁)。

この点、金融機関の稟議書は内部的な意思形成の過程が記載された文書であって、およそ外部に公開することを予定していないものであり、自然人の備忘録や日記帳に類するものである。ところが、稟議書が民事訴訟において公開が命ぜられるとすると、文書の作成の保管につき自然人の場合と同様の萎縮的効果が生じてしまい、意思形成の過程が阻害されてしまうことになる。したがって、稟議書はその性質からして本来公開を予定していない文書であるといわざるを得ない(柳田幸三ほか「新民事訴訟法の概要(六)」NBL六〇五号二四頁、中野貞一郎「新民事訴訟法の成立に寄せて(上)」NBL六〇八号一〇頁、中野貞一郎・松浦馨・鈴木正裕編著「新民事訴訟法講義」二七八頁、高橋宏志「新民事訴訟法論考」二〇五頁、小室直人監修「新民事訴訟法講義」一五一頁、関沢・前掲五頁、新堂・前掲一二頁、永田・前掲一一頁、青山善充ほか「<座談会>新民事訴訟法をめぐって(一七)」一一二五号一二二頁(竹下守夫教授の発言参照)、前掲「一問一答民事訴訟法」二五一頁、並木・前掲四三頁。)。

二 このような稟議書の性質は稟議書を作成した金融機関の破綻という事情によって左右されることはない。経営破綻という偶然の事情によって、一方当事者のみが他方当事者の内心を覗き込むことができるとするのは不公平であり、当事者間の「武器対等の原則」にも反する結果となる。したがって、稟議書は個人のメモや備忘録、日記が個人の内心を反映した自己利用文書として提出命令の除外事由とされるのと同様、提出命令の対象外となり、かかる結論は金融機関の経営破綻という偶発的な事情によって左右されないというべきである(新堂・前掲一三頁、伊藤・前掲一四五五頁、関沢正彦「貸付稟議書と文書提出義務」金融法務事情一五三一号五頁、平野哲郎「新民事訴訟法二二〇条をめぐる論点の整理と考察~貸付稟議書に対する文書提出命令を契機として」判例タイムズ一〇〇四号五一頁)。

また、稟議書は金融機関内部において、外部のものに遠慮することなく自由な意見交換・討議を行いながら意思形成していく過程で作成されるものであり、その内容が外部に公開されることを気にしていたのでは十分な討議ができようはずもない。実際の融資においては稟議を通すために希望的観測や意見が記載されることがあることはもちろん、辛らつな意見が記載されることすらあり得る。金融機関も利益を追求する企業である以上、収益機会の追及と貸し倒れのリスク回避の両立点を求めて決断をすることになるから、融資にあたってはあらゆる情報に基づく忌たんのない意見が交わされることは当然である。このような自由な議論に基づく記載があって初めて適切な融資がはかられるのであり、稟議書に外部的公開に適した情報のみしか記載されないことになると、稟議書はその本来の機能・目的を果たさなくなるのである(新堂・前掲一三頁、高橋・前掲五四頁以下、永田・前掲一一頁、香月祐爾「貸出稟議書の自己使用文書性を認めた妥当な判断」銀行法務二一・五七〇号一六頁)。

三 東京地裁平成一一年六月一〇日決定(金融・商事判例一〇六九号三頁)は、本件最高裁決定にも影響を与えたといわれているが、稟議書の自己利用文書性について、分かりやすく判示しているので、引用する。

「(新法二二〇条四号の)規定は、一般的な文書提出義務を創設しながら、同号ハの掲げる『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』をその除外事由と定めたのであるが、それは、自然人であれ法人であれ、人は沈黙の自由、あるいはその意思決定の過程の公開を強いられない自由を保障されるべきところ、右のような文書までが一般的提出義務の対象となるとすると、右の自由が侵害されるのみならず、ひいては文書を作成すべき者の意思決定が萎縮させられ、その者の意思の自由自体が危うくされるおそれがあることを考慮し、そのような事態を回避することを趣旨とするものと解される。」

「右の規定のかかる趣旨にその文理を併せ考えると、法人等の団体の意思形成過程で作成される手控え、稟議書等は、個人における手控え、日記のような、内心がそのまま書き記される文書に匹敵するものであり、団体の構成員が外部の反応を忌みはばかることなく闊達に検討、討論をして団体の意思を形成する自由を保障するためには、これを一般的提出義務の対象から除くことが必要と考えられるから、右の『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たると解すべきである。」

四 本件最高裁決定が稟議書を、特段の事情がない限り、自己利用文書に該当するとした趣旨は、右東京地裁決定の判示からも十分に窺い知ることができる。

このように稟議書の性質、機能及び実態に鑑みると、稟議書は本来的に公開を予定していない文書であり、原決定のように軽々に例外を認めるべきものではないといわざるを得ない。

五 稟議書は、債権譲渡がされた場合、債権と共に譲受人に引き継がれるが、以上述べたような、稟議書についての作成者及び所属金融機関の利益も、債権譲渡とともに譲受人に承継されるものであり、主体が変更すれば、非開示の利益がなくなるとの解釈は、余りにも片面的であり、作成者及び債権譲受人の非開示の利益を無視するものである。

譲受人側で稟議書を無原則に開示するならば、債権譲受人の債権譲渡人等に対する社会的信用が低下し、今後の両者間の取引にも影響を及ぼすことは必至であり、このような不利益が「特段の事情」の解釈の際に考慮されないとすれば、余りにも不当な結果になることは明らかである。

本件最高裁決定も、「開示によって『所持者の側』に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合」と判示し、「所持者」と限定していないことからも明らかなように、所持者のみならず、債権及び稟議書等の譲渡人、作成者等「所持者の側」に看過し難い不利益がある場合も含まれるのである。

第五 実質的不利益について

前述のとおり、原決定は、<1>木津信用組合が現在において清算手続中であること及び<2>本件各文書が木津信用組合により作成されたものである(原告が作成したものではない)ことを理由に、抗告人の自由な意思形成が阻害されず、抗告人に実質的不利益はないとして、本件について「特段の事情」の該当性を認めたものである。

しかしながら、原決定のような理由で、抗告人に本件稟議書等の開示を命ぜられた場合(このような理由付けであれば、多数の債権譲渡を受けている抗告人の債権すべてについて稟議書等の開示を命ぜられることになる。)には、以下に述べるような実質的不利益があり、本件において、到底「特段の事情」該当性は認められないものである。

一 作成者のプライバシーの侵害について

1 本件最高裁決定も、一般的自己利用文書該当性の判断において、非開示によって保護されるべき利益の一番目に、「個人のプライバシー」を挙げており、作成者及びこれを引き継ぐ所持者の側の非開示に利益として、極めて重要な要素である。

2 前第四記載のとおり、稟議書には、融資の相手方の資産や業績・将来性を含む取引先の評価や意見・与信の方向性が書面上一体となって記載されており、相手方に不利益な情報も多数含まれている。資産・業績・将来性などはとりわけ重要な個人的情報であり、このような個人のプライバシーに関する情報の流通をコントロールする権利は当該作成者個人にある。自分の情報を誰に対していかなる範囲で公開するかは、個人の自由である(最判昭和四四年一二月二四日刑集二三巻一二号一六二五頁)。公表を望まない情報が記載されているにもかかわらず、稟議書が民事訴訟において提出を命ぜられるとするとならば、当該作成者個人のプライバシーに対する重大な侵害となる(上野泰男「講座民事訴訟法Ⅱ」五三頁、大越徹・伊藤治「金融実務と文書提出命令制度」銀行法務二一・五六九号一四頁、山下孝之「新民事訴訟法下の文書提出命令」銀行法務二一・五五八号三四頁も自己情報保護は軽視できない利益であることを前提としている。また、山本和彦「稟議書に対する文書提出命令(下)」NBL六六二号三二、三三頁、同「銀行の貸出稟議書に対する文書提出命令」NBL五七九号一二頁においても個人のプライバシー保護の重要性が強調されている)。

抗告人は、抗告人から文書を開示することはないとの信頼の下に、作成者から多数の稟議書等を債権と共に譲り受け、作成者のプライバシー保護の利益についても承継しているものである。

プライバシー侵害の有無は、文書の性質及び記載内容から判断されるものであり、文書の所持者が誰であるかによって変わるものではないから、文書が作成者の手を離れて、抗告人が文書を所持することになったとしても、その結論を左右するものではない(東京高決昭和五一年六月二九日判例時報八二六号三八頁、東京高決昭和五四年三月一九日判例時報九二七号一九四頁、松井秀樹「新民事訴訟法における文書提出命令と企業秘密(三)」NBL六〇六号三二頁)。

3 また、金融機関が破綻したことによって、文書を開示しないプライバシー保護の利益は消滅するものではない。

自然人の場合、仮に作成者が死亡しても自己作成文書性が失われるものではない。プライバシーの侵害の有無を判断するについては文書の性質こそが重要であるから、金融機関の破綻と自然人の死亡を区別して考える合理的な根拠は見出し難い。

例えば、自然人が不治の病気で、余命いくばくもない場合や死亡した場合、原決定の理由によれば、当該自然人の日記やメモについて、当該自然人の自由な意思形成は妨げられることはないことを理由に開示を命ずることが可能となろうが、このような結果が不当であることは明らかである。また、自然人Aが、別の信頼する自然人Bに非公開を条件として日記を譲渡した場合、裁判所がBの自由な意思形成が妨げられないことを理由に文書提出を命ずることも不当である。この場合には、日記という文書の性質に鑑み、自己利用文書性を判断すべきであり、BはAから文書非開示の利益を承継したものと解すべきである。

4 稟議書には、前記のとおり、相手方や第三者についての情報や稟議の参加者の意見が記載されている。その中には、融資判断のための公開を前提としない忌たんのない率直な意見及び相手方についての好ましくない情報も記載されている。稟議書は、自然人の日記や備忘録に相当する意思の形成過程を記載した内部的な文書であり、このような公開を前提としない情報が開示されれば、稟議の参加者や当該金融機関に対する誤解が生ずることは想像に難くない(永田・前掲一一頁)。

さらに、本件のような債権の回収段階で稟議書等の開示を命ぜられると、相手方又は第三者から、稟議の参加者に対し、有形無形の圧力が掛かり、不利益が及ぶことも懸念されるのである。これらの懸念は、稟議書等に、公開を前提としない内部の忌たんのない率直な意見や相手方についての好ましくない情報が記載されているからにほかならない。

二 第三者のプライバシーの侵害について

稟議書に記載される内容には、直接の融資相手方のみならず、相手方以外の第三者のプライバシーに関する記載もある。稟議書が公開の対象となれば、当然当該第三者の個人情報に対するコントロール権を侵害することになる(大越・伊藤・前掲一三頁、関沢・前掲五頁、長谷川敏明「新法下の文書管理マニュアル」金融法務事情一五〇三号一四頁)。

このように、第三者のプライバシーに関する記載もある以上、当事者間の利益衡量だけでは稟議書を開示するか否かを決することはできないことは明らかである(平野・前掲五二頁も、プライバシー侵害とならないのは、情報をコントロールする主体が自ら法益を放棄した場合に限ることを前提としている)。

三 自己利用文書性の判断時について

1 原判決は、木津信用組合が破綻し、清算手続に入っていることを理由の一つとして、自己利用文書性を否定する。

しかしながら、自然人の重病又は死亡を例として述べたように、自己利用文書であるかどうかは、文書作成時において、その文書の性質に照らして判断すべきである。

2 現在においては、債権者・債務者は固定されるものではなく、債権の譲渡、流動化は、当初からある程度予想された事態というべきところ、債権譲渡に伴って、稟議書も譲渡されるから、稟議書も譲渡されることを本来予定した文書であるということができる。

既述のとおり、日記と同じように、稟議書は開示しなくてもよいという信頼があるからこそ自由に記載できるものであり、かかる自由な記載をなし得ないとするならば稟議書としての機能・意義を果たしえない。稟議書についても、本来転輾流通することが前提になっていながら既述したような自由で忌憚のない記載がなされるのは、稟議書が譲受債権者以外の者に公開されることはないという信頼があってこそのことである。にもかかわらず、稟議書を所持する主体の変更があれば、稟議書が文書提出命令の客体になるとするのであれば、稟議書の作成者や稟議の参加者にとっては手痛い不意打ちとなる。

債権の主体が変わっても債権自体は変わらないし、文書の記載内容も変化するわけではない。主体が変われば、自己文書性がなくなり、稟議書の開示を求めることができるというのは余りにも偏狭な解釈である。

本来、自己利用文書であるか否かは、文書の性質そのものから判断するものであり(前掲東京高決昭和五一年六月二九日判例時報八二六号三八頁、東京高決昭和五四年三月一九日判例時報九二七号一九四頁、松井秀樹「新民事訴訟法における文書提出命令と企業秘密(三)」NBL六〇六号三二頁)、自己利用文書性の判断時期も文書の作成時において問題とすべきである。

3 木津信用組合が本件稟議書を作成した当時、本件文書が自己利用文書であったことは本件最高裁決定からも明らかであり、自己利用文書性は、文書を所持する主体が抗告人に変更したとしても影響を受けるものではない。

そして、稟議書という文書の性質に基づいて、自己利用文書性を判断すべきであり、債権譲渡と共に抗告人は木津信用組合から文書非開示の利益を承継したものである。

また、前述のとおり、本件最高裁決定も、「開示によって『所持者の側』に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合」と判示し、「所持者」と限定していないのであるから、右のような非開示の利益を承継したとの解釈を採らずとも、所持者のみならず、債権及び稟議書等の譲渡人、作成者等「所持者の側」に看過し難い不利益がある場合も含まれるのである。

四 健全金融機関の破綻の可能性について

1 現在の状況のもとにおいては、健全金融機関でさえも破綻の可能性がないとはいえない。原決定の理論を推し進めれば、金融機関の経営が破綻し、抗告人が債権譲渡を受ければ、すべて稟議書が文書提出命令の対象となることになる。そうだとすれば、結局稟議書はすべて公開の対象となることを前提として作成しなければならず、前記のとおり自由に意見・情報が記載されることでその効用が発揮される稟議書の機能は果たされないことになる。稟議書が常に公開を意識した記述しかできないこととなれば、実質的不利益は金融機関全体に及ぶものである(「座談会・新民訴法施行一年を振り返って」金融法務事情一五三八号における銀行法務担当者の発言(四五頁)、藤瀬祐司「新民事訴訟法下の金融機関に対する文書提出命令」金融法務事情一五四三号四一頁)。

2 金融機関が破綻する場合、健全金融機関により、救済のための吸収合併がされる場合もあるし、広告人に一部又は全部の債権が譲渡される場合もある。

原決定に理由付けによれば、健全金融機関に吸収合併された場合は、稟議書等を開示しなくてもよいが、抗告人に譲渡されれば稟議書等を開示させるというのであろうが、吸収合併の場合に自己利用文書性に変化が生じないのであれば、当然抗告人の場合にも自己利用文書性に変化が生じないとしなければならず、両者を区別して考えるべき理由はどこにも存しない。このような理由で結論を左右されるというのは不公平極まりないものであるが、これは、原決定が稟議書等の本質を見誤った結果にほかならない。

五 金融再生法五三条に基づく買取りについて

1 抗告人は、金融再生法五三条に基づいて債権を買い取り、回収業務を行っている。原決定のように、債権の主体が変わり、主として回収業務をする抗告人に債権譲渡されれば、抗告人の自由な意思形成が阻害されないことを理由として、稟議書が公開の対象となるということになりそうである。そうだとすると、健全銀行が、「稟議書を開示されるのであれば、売却はできない。」として、債権の売却を控えることや稟議書が公開の対象となることを避けるため、稟議書を付けないで債権売却することも今後十分に予想される。

稟議書には融資に関する情報のみならず、今後の取引の方針や債権の回収方針など債権の回収に関する重要な情報も記載されており(大越・伊藤・前掲一四頁)、稟議書を受け取らずして債権を回収しなければならないこととなれば、抗告人にとって債権回収業務への直接の影響は避けられず、ひいては抗告人の経営全体に対する影響が避けられないことになり、抗告人は看過することができない不利益を被ることになる。

2 また、いわゆるサービサー法により、多くの債権回収会社が、健全金融機関より、債権譲渡を受け、債権回収業務に従事している。原決定の理由を推し進め、債権の主体が変わり、回収専門会社に移行すれば、稟議書等の自己利用文書性が失われるとすれば、右1記載と同様に、債権回収会社には、経営の根幹を揺るがしかねない大問題となることは、容易に予想される。

本件最高裁決定が、「特段の事情」について、このような事態を想定しているものとは、到底解することはできない。

六 回収業務における稟議書非開示の利益について

1 前述のとおり、稟議書には、融資の適否を判断するためのあらゆる情報が記載される他、今後の取引方針や回収の方針、かかる事項に関する担当者の意見も記載される(大越・伊藤・前掲一四頁、「座談会・新民事訴訟法施行一年を振り返って」金融法務事情一五三八号四〇頁以下の銀行の法務担当者の発言、林良平「貸付・管理・回収概観」金融判例研究一号金融法務事情一三〇四号一四頁参照)。したがって、稟議書の記載内容は債権が回収段階に入ったからといって変化するわけでもないし、記載内容のもつ価値自体も決して低下することはない。

このように稟議書には回収に関する重要な情報も記載されているのであり、稟議書が開示されるとすれば、債権回収業務に対する直接の影響は避けられない。

2 稟議書等を開示した場合には、以下に述べるような回収段階における不利益が予想される。

(一) 稟議書には既述のとおり、融資相手についてのさまざまな客観的・主観的情報が記載されるのであり、相手方にとって好ましくない情報も記載されている。債権者が強制回収に及べば、稟議書作成者への、有形無形の圧力の行使が予想され、作成者への不利益を考慮して、債権者側で強制的な回収を控える事態も想定される。

(二) 稟議書には、当然のことながら、債務者の財産状態や回収方針も記載されている。

回収方針を相手方に知られることは、手の内を見せることになり、債務者の財産隠匿等による回収妨害を助長することにもなりかねない。

(三) 稟議書が文書提出の対象となって開示されることとなれば、相手方にとって好ましくない情報・意見によって、相手方債務者の誤解を生ずるおそれは十分にあり、円滑に回収できたはずの債権が円滑に回収できなくなるおそれがある(永田・前掲一一頁、関沢・前掲五頁、長谷川俊明ほか「座談会・新しい訴訟手続きと金融実務の対応」金融法務事情一五〇三号二五頁以下)。

裁判手続においても、相手方が感情を害したために、裁判上の和解が不成立に終わることも、十分に予想される。

七 実質的不公平について

1 既に述べてきたとおり、稟議書は日記や備忘録に相当する内心の意思形成過程を記載した文書であって、その性質上外部的な公開を一切予定していない文書である。

経営が破綻しなければ自己利用文書として文書提出命令の対象とならなかったものが、金融機関の経営がたまたま破綻し、抗告人に債権譲渡されれば、稟議書を開示させることができ、債権者の内心を覗き込むことができるというのはいかにも不公平であり、妥当な結論とは到底解することはできない。経営破綻という偶発的事情によって、稟議書を開示させることができるとすれば、相手方に予想もしない利益を与えることとなるのである。このような解釈は不当に一方の当事者に対してのみ有利になる解釈であり、当事者間の武器対等の原則に反するものといわざるを得ない。

2 文書提出命令は、現代型訴訟(製造物責任訴訟、公害・環境訴訟等)において、「証拠の偏在」という「不公平な状況」を解消させることが制度趣旨と解する見解がある(大越徹・伊藤治「金融実務と文書提出命令制度」銀行法務二一・五六九号一五・一六頁)。

しかしながら、本件では、貸金返還訴訟、不法行為に基づく損害賠償訴訟等という、右論文にいう「古典的訴訟」であり、証拠の偏在という不公平な状況はそもそもなく、一方当事者のみが他方当事者の内心を覗き込むことができる必然的な理由は何もない。被抗告人らの主張を裏付ける事実は、被抗告人ら代表者等の本人尋問や陳述書で十分であり、また、そのような事実が仮にあるとすれば、自ら日記や録音テープを準備すべきであったのである。自らの内心を吐露することなしに、木津信用組合のみの内心を覗き込むことができるとすることは、いかにも不公平・不正義であり、民事訴訟法二二〇条四号が自己利用文書を除外した理由を没却するものである。

八 まとめ

以上述べたとおり、金融機関が破綻しているとはいえ、その稟議書等を開示することは、抗告人ないし債権譲渡人を含む「抗告人の側」にとっては耐え難い実質的不利益が生ずることは明らかである。

原決定はかかる実質的不利益に何ら考慮を払うことなく、結論を導いたものであり、本件最高裁決定がこのような事態を想定して「特段の事情」の字句を挿入したものとは到底解されない。

よって、本件においては、原決定にいう理由では、到底「特段の事情」に該当するものと解することはできないのである。

第六 本件における文書提出命令の必要性(この項においては、原決定の表示に従い、「抗告人」を「原告」、「被抗告人ら」を「被告ら」と称する。)

被告らの抗弁の骨子は、原決定の要約によれば、被告らの木津信用組合に対する債務を、被告らが所有していた和歌山市友田町四丁目二三番の三及びこれと地続きの一団の土地(以下「本件土地」という)の売却代金によって返済しようとしたところ、木津信用組合は全額の弁済を受けることが可能であったにもかかわらず、根抵当権登記等を抹消することを拒絶し、売却の妨害をするとともに、更に利貸しを重ねたことなどの不法行為に基づく被告らの原告に対する損害賠償請求権を自働債権として、原告の被告らに対する債権と対当額で相殺するというものである。

一 被告らの主張が、主張自体失当であることについて

不法行為が成立するためには、故意又は過失に基づき行われた行為が違法と評価され、当該行為によって損害が発生することが必要であるところ、被告らの右主張は、以下に述べるとおり、主張自体失当である。

1 債務者が期限の利益を放棄し、元本確定の上、債務を弁済すべき旨の申入れをしたにもかかわらず、債権者が弁済の受領を拒んだ場合には、債務者側においてこれを供託した上で、根抵当権設定登記の抹消登記手続を求めることができる。

この場合においては、債権者の受領拒絶によって被った損害(供託費用及び抹消登記手続を求めるための費用)について、受領遅滞に基づく損害賠償(これは、債務不履行に基づく損害賠償と解される)を求めることができると解されよう。

しかしながら、本件の場合、被告らが木津信用組合に対し、現実に融資金の弁済の提供をすることもなく、単に、担保不動産の買主の買付け証明書を提出して担保抹消の申入れを行ったに過ぎないものである。このような場合に、木津信用組合がその申入れを拒否したとしても、売却妨害とはならず、不法行為が成立する余地はない。何故なら、被告らから買付け証明書が木津信用組合に対し提出されたしても、その後、現実に買主が土地を購入するか否かは不明であるし、更に売買契約が成立しても、実際に買主が売買代金を支払うのか否かも不明であるから、元本確定手続を踏んだ上、現実に金員の提供をしない限り、木津信用組合側には、根抵当権設定登記の抹消に応ずべき法的義務が発生していないからである。

2 ところで被告らは、木津信用組合が被告らに対して支配的、優越的地位にあったとの事情を前提として、右に述べた程度の状況の下においても不法行為が成立する旨主張する。

ところが、被告らの主張を検討してみると、「不動産業者はその資金繰りを金融機関に依存しているから、金融機関が支配的優越的地位に立つ」との極めて抽象的な一般論が述べられているのみであり、具体的に木津信用組合が被告らにどのような支配を及ぼしていたかについては何ら述べられていない。

一般に貸手責任として論じられている問題〔レンダーライアビリティ〕は、貸主である金融機関が融資先企業に対し役員を派遣するなどして、当該企業の経営自体を実質的に支配している場合に問題となるものであり、本件においてはそのような事実関係は全く存在しない。また、被告らは、被告らが木津信用組合との取引を開始する前に、他の金融機関からの融資によって本件土地の大部分を取得していたのである。その上、被告らが損害算定時期として選択している平成元年三月当時の木津信用組合の貸出額は、担保となっていた本件土地評価額の三分の一未満であり、又、本件土地の大部分については担保の順位も一番ではなかった。これらの木津信用組合の支配的地位を否定する事実関係は特に争いがあるわけでもなく、被告ら提出にかかる乙第一号証乃至乙第二三号証の不動産登記簿謄本や融資入出金明細元帳(甲第一二号証、一五号証、七一号証)等によっても容易に分かるところである。

以上のとおり、木津信用組合と被告らの関係は、実質的にも対等平等なものであり、貸し手責任が問題となるような状況は、そもそもなかったものというべきである。

3 しかも、被告らが売却しようとした価格は、八四億円余りであったというのであり、木津信用組合の債権約二六億円弱、他の担保権者の債権一九億円弱を弁済しても相当余りがある価格である。

このような被担保債権を十分上回る売却価格であれば、担保権者である各金融機関が到底容喙し得るものではなく、各金融機関がこれを不法行為に当たるような態様で妨害することなど通常考えられないことである。

また、これだけの担保余力があれあ、木津信用組合の債権をすべて消滅させることは容易であって、木津信用組合が売却を歓迎こそすれ、売却の妨害をすることはあり得ないのである。

4 また、不法行為の要件の一つである損害の発生においても、被告らの主張は、全く曖昧である。すなわち、被告らは、木津信用組合の不法行為による損害額について、平成元年三月時点を基準として算出しつつ、他方、不法行為自体は、平成元年三月以降の行為も含むと主張している(具体的には、被告らは、木津信用組合の不法行為は昭和六一年の取引開始から平成七年の木津信用組合の業務停止まで複数回の売却妨害や利貸しなど一連の行為全体で一個のものであるとしつつ、その損害額については平成元年三月の特定の売却妨害に基づく九六億円弱の主張をしている)。

しかし、不法行為として問題となる行為自体は、損害の発生以前に存在する必要があることは因果関係論の常識であり、平成元年三月に発生した損害が、何故に平成元年三月以後の行為によって生じることになるのか、法的に全く意味不明である。すなわち、行為全体を捉えて不法行為が成立するとすれば、平成元年三月の売却妨害のみでは不法行為の要件を満たしていないことになる一方、平成元年三月以降の行為は被告らの主張する九六億円弱の損害額と因果関係を持ち得ないことが明らかである。

5 また、被告らは、木津信用組合が不法な「利貸し」「両建て」を繰り返したと主張しているが、「利貸し」「両建て」自体は、不当利得の問題を生じさせることはあっても、両者の合意の上でなされている以上、直ちに不法行為が成立するものではない。そもそも、本件では、被告らへの貸出状況に関しては、特に争いとなっている訳ではなく、「利貸し」「両建て」の有無、程度に関しては、他の証拠(例えば、融資入出金明細元帳など)で容易に立証可能であり、稟議書等の提出を求める必要性はない。

6 以上のとおり、本件において被告らの不法行為についての各主張は、いずれも主張自体失当であり、不法行為を構成するものではない。被告らの主張が、主張自体失当である以上、本件訴訟において、貸出稟議書及びその付属書類を証拠として提出させる必要性も全く存在しないのである。

二 本件において文書提出の必要性がないことについて

また、仮に、被告らの主張が主張自体失当ではないとしても、本件文書は被告らの主張事実の立証に必要なものではない。

本件文書提出命令申立書第四、証すべき事実、第一項には「前記各書類には、訴外木津信用組合(以下「訴外木津信」)が、本件融資金の使途は不動産購入であること、返済方法は当該土地の売却代金によることを認識していたこと、追い貸ししたときも木津信側は不動産売却で回収できる見通しをもっていたこと、さらには代物弁済で取得する予定であったこと、福山からの売却申し出を断った経緯、兵庫クレジットの債権譲渡を受けた経緯などが記載されており」と記載されている。

この点につき、原決定は、本件文書について「証拠としての必要性がないと認めることはできない」と判示し、被告ら主張の右の事項を立証し得る可能性を否定していないのであるが、以下に述べるとおり、そもそもこれらの立証は不可能又は不必要である。

1(一) まず、被告らが証すべき事実の第一点として挙げている「本件融資の使途が不動産購入である」との点であるが、本件融資の大部分が不動産購入の用途に使用していない事実は、原告が繰り返し主張していることであり、被告らは提出した乙第一号証ないし第二三号証の不動産登記簿謄本によっても容易に理解し得るところである。

原告準備書面(六)で主張しているように、被告ら及びその関連会社が木津信用組合からの融資で取得した土地は添付図2乃至4に示した僅かな部分であり、それに要した資金は、被告ら及びその関連会社への一〇〇億円以上の融資総額のうちの一〇数億円に過ぎない。

同準備書面添付図1に示した和歌山市友田町の物件の大部分は、もともと被告らが所有していたものであり、木津信用組合からの融資で取得したものではなく、この点は被告らも自認しているところであり、更に乙第一号証ないし第二三号証の不動産登記簿謄本によっても明白である。

したがって、原告が貸出稟議書を提出したとしても、その大部分については、融資使途として「不動産購入」と記載されていることはあり得ないのである。

(二) また、原告準備書面(六)添付図2乃至4の不動産を被告らが取得した際の融資については、「不動産購入」目的であったことは、原告らも何ら争うものではない。

以上のとおり、「本件融資金の使途は不動産購入であること、返済方法は当該土地の売却代金によることを認識していたこと」との点については、あり得ない事実又は争いのない事実の立証のために、文書提出命令が申し立てられているのであり、明らかに不必要な文書提出命令の申立てというべきである。

2 次に、「追い貸ししたときも木津信側は不動産売却で回収できる見通しをもっていたこと」との点については、要するに担保不動産の価格が被担保債権の価格を上回っていたかどうかということに尽きるのであり、貸出稟議書によって立証する必要は全くない。

また、原告も、平成元年当時、担保不動産価格が被担保債権の価格を上回っていたとの点は何ら争っていない。

したがって、この点については、争いのない事実の立証のために文書提出命令が申し立てられているものである。

3 また、「代物弁済で取得する予定であったこと、福山からの売却申し出を断った経緯、兵庫クレジットの債権譲渡を受けた経緯など」との点については、そもそも貸出稟議書の記載事項ではない(なお、木津信用組合が兵庫クレジットから債権譲渡を受けた経緯については、原告は争っていない。)。

貸出稟議書には、貸出予定額、貸出予定日、使途、担保の有無、評価などが記載されているが、右事項については記載の対象ではなく、現実にも記載されていない。

したがって、これらの点について、「証拠としての必要性」は到底認められない。

4 木津信用組合においては、担保抹消について内部的な意思決定を行うに際して、「担保抹消稟議書」を作成してその意思決定を行っており、仮に、担保抹消の申入れを不法に拒否したという被告らの主張が成り立つ余地があったとしても、要証事実との関係で問題となるのは、「貸出稟議書」ではなく「担保抹消稟議書」である(ただし、本件土地については、「担保抹消稟議書」を作成する段階に至っていないから、本件土地については、「担保抹消稟議書」は一切存在しない。)。

他方、「貸出稟議書」には、借主、貸出金額、利息、貸出先、保証人、担保などの事項と貸出に関する担当者コメント等が記載されているのみであり、担保抹消に関する事項は一切記載されていない。

したがって、被告らの要証事実は、「貸出稟議書」には全く記載がないものであるから、この意味でも「証拠としての必要性」は認められない。

四 付属書類について

1 本件文書提出命令の申立及び同命令の対象となった「付属書類」が具体的に何を指すのか全く不明であり、そもそも「付属書類」として、被告らが必要と主張する事項が記載された書類は、貸出稟議書には付属していない。

2 一方、「福山からの売却申し出を断った経緯」に関連すると思われる「被告らから木津信用組合に提出された買付証明書等の書類」に関して、新たに被告らから平成一二年三月二九日付けで文書提出命令の申立てがなされている。

右書面については、当該書類の存在が確認されれば、原告において任意で提出する意向である。

3 仮に原決定の「付属書類」が「被告らから木津信用組合に提出された買付証明書等の書類」を指すのであれば、これらは貸出稟議書には付属していないから、原決定で命ぜられた提出文書の対象にはならないというべきであり、原告において、文書の存在さえ確認できれば被告らは任意に提出を受けて立証の用に供することが可能である。

以上のとおり、本件文書提出命令の対象文書について、「証拠としての必要性」が認められないことは明らかである。

第七 結び

以上に述べたとおり、破綻金融機関の稟議書等を開示することは、抗告人ないし債権譲渡人を含む「抗告人の側」にとっては耐え難い実質的不利益があり、原決定にいう理由では、本件最高裁決定にいう「特段の事情」に該当するものとは到底認めることはできない。

さらに、被告らの主張は主張自体失当であるばかりか、本件文書提出命令の対象文書について、提出を命ずべき証拠としての必要性も到底認められない。被抗告人らの要証事実については、陳述書、被告ら代表者本人尋問、証人尋問等で十分立証が可能であり、前第五で詳述した抗告人の種々の実質的不利益を犠牲にしてまで、また、民事訴訟法二二〇条四号ハ所定の趣旨を没却してまで、本件において文書提出を命ずべき理由は全くない。

よって、被抗告人の文書提出の申立を認めた部分を取り消し、被抗告人の本件申立を速やかに却下すべきである。

抗告人の即時抗告の理由の補充書(再反論書)(二)

抗告人は、被抗告人の平成一二年七月一四日付「抗告の理由に反する反論書」(以下「反論書」という)に対して以下のとおり反論する。

第一 被抗告人の主張(主として実質的不利益について)に対する反論

一 被抗告人は、最高裁平成一一年一一月一二日第二小法廷決定(以下「本件最高裁決定」という。)を前提としつつ、抗告人には本件稟議書を提出したところで、木津信用組合が破綻して清算段階に入っており、抗告人も木津信用組合から譲渡を受けた債権を回収しているのみであるから、本件文書を開示することによって、抗告人の側に「看過し難い不利益」がなく、「本件文書は自己使用文書に該当しない特段の事情がある」と主張する(反論書四~六頁)。

二 しかしながら、「特段の事情」とは、あくまで例外的な事情であるから、限定的に解釈すべきは当然のことである(即時抗告の理由の補充書(以下「補充書」という)七ないし九頁)。

本件において、稟議書等を開示することで抗告人に「看過し得ない不利益」が生ずることは、補充書一九ないし三六頁に記載したとおり明らかである。他方、右「看過し得ない不利益」を減殺して余りある事情は、本件では全く認められないのであるから、本件においては、「特段の事情」は到底認められない。

三 右で述べたとおり、また、抗告人が補充書で主張したとおり、本件稟議書を開示することにより、抗告人が「看過し難い不利益」を被ることは明白であり、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」(民事訴訟法二二〇条四号ハ)に該当するものである。

以下、本件文書の開示により抗告人に「看過し難い不利益」が生ずることについて、即時抗告の理由の補充書を引用しつつ要点を述べ、被抗告人の主たる主張について反論する。

1 作成者のプライバシー侵害について(補充書二〇頁ないし二四頁)

(一) 本件最高裁決定は、一般自己利用文書該当性の判断において、非開示によって保護されるべき利益の一番目に「個人のプライバシー」を例示しており、プライバシーの保護は作成者およびこれを引き継ぐ所持者の側の非公開の利益として極めて重要な要素である。

補充書でも引用している伊藤眞「文書提出義務と自己使用文書の意義―民事訴訟における情報提供義務の限界」法律協会雑誌一一四巻一二号一四五五ないし一四五六頁は以下のように述べる。

「先に下級審裁判例の分析にあたって用いた、会議議事録またはその基礎となるメモ、もしくは稟議書など、所持者の意思決定過程の記録文書がある。憲法一九条が内心の自由を保障していることから理解されるように、個人の場合であれ、法人の場合であれ、最終意思決定に至るまでの過程における情報には、それが外部に示されることを予定されたものでない限り、最大限の保護が与えられるべきである。この意味で、会議議事録、メモ、稟議書、個人の日記帳のうちの一定部分などは、原則として自己使用文書と認められる。政策的に考えても、この種の文書をひろく提出義務の対象とすることは、この種の文書の作成保管を抑止する効果をもち、かえって適正な組織の運営を妨げるおそれがある。」

(二) また、補充書一二ないし一九頁でも述べるとおり、稟議書は性質上本来公開を予定しない文書であり、例外的に自己利用文書にあたらないと主張する場合には、公開を求める側において例外にあたる事情を主張・立証しなければならない。補充書一二ないし一九頁で詳細に検討するとおり、銀行の融資決定の過程で、内部的に十分意思が伝達され、適切な意思決定機能が果たされるためには、稟議書の作成者が認識する事実や同人の意見が率直に記載される必要がある。

このような公開を予定しない個人の認識・意見は、個人の人格的自律の核心部分を形成するから、稟議書が公開の対象となれば、作成者のプライバシーが侵害されることは明らかである。

また、プライバシー侵害の有無は文書の所持者によって変わるものではない(補充書二一ないし二二頁、二五ないし二八頁も参照)し、金融機関の破綻によってプライバシー保護の利益が消滅するものでもない(補充書二二ないし二三頁)。

債権の回収段階で稟議書等の開示を命ぜられると、稟議の参加者に有形・無形の圧力がかかり、不利益が及ぶことも懸念されるところである。

(三) これに対し、被抗告人は、作成者個人のプライバシーが侵害される事態はおよそ考えられないと主張する(反論書一一頁)。

しかしながら、作成者個人の率直な意見・認識及びこれを記載した稟議書の記載内容こそが作成者個人のプライバシーというべきであり、稟議書が公開されれば、作成者個人、ひいては稟議書を作成した木津信用組合のプライバシーが侵害されることは補充書二〇ないし二二頁から明らかであって、プライバシーが侵害される事態が考えられないとは到底いい得ない。

(四) 被抗告人は木津信用組合の法人としてのプライバシーが保護されない理由として、木津信用組合のプライバシーが保護されるかは、「公正な裁判を受ける権利との関係で比較衡量によって決せられるのであり、記載内容が商取引に関するものであること、木津信が清算していることなどからも実質的な支障がない」とする(反論書一一ないし一二頁)。

しかし、記載内容が商取引に関するものであれば保護の必要がないというのであれば、およそ商取引に関与する企業情報の保護は不可能になってしまうし、稟議書の記載内容はほとんど全てが商取引に関するものであるから、稟議書を原則として自己利用文書に該当するとした本件最高裁決定の判旨を根底から否定するものである。

また、木津信用組合が清算中であるとしても、稟議書等の開示によって文書の「所持者の側」に不利益が生ずることは、補充書一九ないし三六頁から明らかである。

(五) 被抗告人は、自ら開示を求めている顧客(被抗告人)のプライバシーは考慮する必要がない旨主張する(反論書五頁)。

しかしながら、被抗告人のことや融資に対する意見を忌憚のない表現で記載することこそが、保護されるべき作成者のプライバシーであり、被抗告人自身のことが記載されているなら全てプライバシーの保護は考慮する必要がないとするのは暴論である。本件最高裁決定も、稟議書は、「銀行にとっての収益の見込み、融資の相手方の信用状況、融資の相手方に対する評価、融資についての担当者の意見」及びこれに対する審査担当者及び決裁権者の「当該貸出しを認めるか否かについて表明した意見」等が記載されるとしており、これらは、融資の相手方のプライバシーではなく、作成者等のプライバシーと評価すべきことは明らかである。

(六) また、被抗告人は稟議の参加者に実質的不利益が及んでも、それは証人等関係者の保護の問題であって、本件とは無関係とする(反論書一二頁)。

しかしながら、本件最高裁決定は、「開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情がない限り」自己利用文書に該当すると明言しているのであり、被抗告人は、文書提出命令の許容される範囲と証人等関係者の保護との問題を混同するものであり、失当である。

2 第三者のプライバシー侵害について(補充書二四頁ないし二五頁)

稟議書に記載される内容には、直接の融資の相手方のみならず、相手方以外の第三者に関するプライバシーに関する記載も当然なされる(補充書二四ないし二五頁)。

被抗告人は、第三者のプライバシーとは、「被抗告人のグループ会社」のことと身勝手に限定する(反論書一二頁)が、そのような場合に限定されないことは容易に想定することができる。

また、被抗告人は、第三者のプライバシーが記載されているのであれば、インカメラ手続でチェックし、その部分を除外することができる旨主張する(反論書一三頁)が、一体をなしている稟議書の一部分を除外すれば、稟議書作成者の意思が伝わらないことがあり、誤った事実認定を招来することになるのであり、その弊害は極めて大きいというべきである。

また、第三者のプライバシーの処分権は当該第三者にあるのであるから、第三者が自己の情報を開示されない権利を放棄していないのに勝手にかかる情報を開示することは許されない。

3 自己利用文書性の判断の判断時について(補充書二五ないし二八頁)

被抗告人は、自己利用文章であるか否かの判断時は、文書提出命令を発するときである旨主張する(反論書一三頁)

(一) しかしながら、自己利用文書性の判断時は、文書の性質そのものから判断するというのが判例である(東京高裁昭和五一年六月二九日決定・判例時報八二六号三八頁、東京高裁昭和五四年三月一九日決定・下民集三二巻九~一二号一三九一頁)。

松井秀樹「新民事訴訟法における文書提出命令と企業秘密(3)」NBL六〇六号三二頁は、この点について、「新法においても、自己使用文書に該当するためには、当該文書を所持する企業みずから作成したことは必ずしも要件とはならず、『もっぱら内部の利用に供する目的で作成され、外部の関係のない者に見せることを予定されていない文書かどうか』によって決まると解すべき」とし、また、平野哲郎「新民事訴訟法二二〇条をめぐる論点の整理と考察――」判例タイムズ一〇〇四号五一頁においても、「自己使用文書についての所持者の処分の自由も、文書の記載内容が問題である」としており、自己利用文書の判断時は文書の作成時であることを前提としている。

被抗告人は、前掲伊藤論文が文書提出命令発令時を前提としている旨主張する(反論書一三頁)が、同論文も、文書自体の性質及び内容により自己使用文書性を判断すべきであるとして文書作成時を基準としているものであり、それに加えて発令時の事情をも考慮すべき旨を述べているのみである。

木津信用組合が本件稟議書を作成した当時、本件文書が自己利用文書であったことは、本件最高裁決定の判旨からも明らかであり、自己利用文書性は、その後木津信用組合が清算したこと又は文書を所持する主体が抗告人に変更したことによって影響を受けることはない。

(二) また、本件最高裁決定も「開示によって『所持者の側』に看過しがたい不利益が生ずるおそれがあると認められる場合」と判示しているから、所持者のみならず、債権者及び稟議書等の譲渡人、作成者等の「所持者の側」に看過しがたい不利益がある場合も含まれることを前提としている。

4 健全金融機関の破綻の可能性について(補充書二八ないし三〇頁)

(一) 現在の経済情勢の下においては、健全な金融機関でさえも破綻の可能性が全くないとはいえない。

原決定の理論を推し進めると、経営破綻が生じ、抗告人が債権譲渡を受ければすべて稟議書が文書提出命令の対象となることになるが、これでは結局稟議書には公開を予定した記述しかできないことになる。

稟議書に十分な情報を記載できないこととなれば、稟議書に忌憚のない率直な意見が記載されなくなり、真の情報が伝わらなくなり、審査担当者や決裁権者の融資のついての判断を誤ることにもなりかねず、金融機関の被る不利益は決して小さくない。

また、金融機関の経営破綻が生じた場合、健全金融機関により、救済のための吸収合併がなされることも、抗告人に債権の一部または全部の譲渡がなされる場合もある。

原決定の理由付けによると、健全金融機関による吸収合併の場合、稟議書を開示しなくてよいことになるが、右の場合と金融機関が清算する場合とを区別すべき合理的な理由はどこにも見出し得ないのであり、このような理由で結論が左右されるのは、余りに不当である。

原決定の不当性はこの点からも明らかである。

(二) この点、被抗告人は、抗告人が「健全な金融機関が破綻して抗告人に事業譲渡されれば、すべて稟議書が提出されることになるとの前提で立論する」とする(反論書一三頁)が、これは補充書二八ないし三〇頁を正解しないものである。

また、原決定は、木津信用組合が清算中であることから、「特段の事情」があるとして本件稟議書等が文書提出命令の対象になるとする。

原決定の不当性については補充書七ないし一二頁、二八頁ないし三〇頁で詳論するところであるが、このような理論を推し進めれば、金融機関が経営破綻し、抗告人が債権譲渡を受けた場合、文書提出命令が申し立てられる限り、すべて稟議書が文書提出命令の対象となりかねないことになる。そうすると、金融機関は常に公開を意識して稟議書を作成せざるを得なくなるが、これでは稟議書がその機能を十分に果たすことはできなくなる。

抗告人は、右のような金融機関に対する萎縮効果(chilling effect)について論じているのであって、金融機関のすべての稟議書を提出させるものなどということは述べていない。原決定のような理由で文書提出が命ぜられるならば、文書提出命令が申し立てられる限り提出を余儀なくされるのであるから、稟議書にはすべて公開を予定した記載しかし得ないことになるのである。

5 金融再生法五三条に基づく買取について(補充書三〇ないし三一頁)

(一) 抗告人は、金融再生法五三条に基づいて債権を買い取り、債権回収業務を行っている。原決定の理由付けによれば、債権の主体が変わり、主として債権回収業務をする抗告人に債権譲渡されれば、抗告人の自由な意思形成は阻害されないことを理由として稟議書は公開の対象となるということになりそうである。

そうだとすると、健全金融機関が債権の売却を控えることや、稟議書が公開の対象となることを避けるため、稟議書を添付しないで債権売却をすることも十分に予想される。

稟議書には、債権の回収に関する情報も記載されており、稟議書を受け取らずして債権を回収しなければならないこととなれば、抗告人にとって債権回収業務への直接の影響は避けられないし、抗告人の経営に対する深刻な影響は免れないのであり、抗告人の被る不利益は看過できない。

また、同様の不利益は債権回収会社一般についていえることである。

(二) この点、被抗告人は、すべての稟議書が文書提出命令の対象となるとする前提が誤っているとしている(反論書一四頁)が、抗告人はそのようなことを述べているのではなく、健全金融機関の萎縮効果、すなわち、健全金融機関が債権の売却を控えることや、稟議書が公開の対象となることを避けるため、稟議書を添付しないで債権売却をすることによる実質的不利益を述べているのである。

6 回収業務における稟議書非開示の利益について(補充書三一ないし三四頁)

(一) 稟議書には債権の回収に関する重要情報も記載されているのであり、稟議書が開示されれば、債権回収業務に対する直接の影響は避けらず、抗告人には看過し得ない実質的な不利益が生ずる。

(二) 被抗告人は、本件で抗告人は「仮差押・仮処分」をしたから、ありとあらゆる回収手段を尽くしたとして抗告人に不利益がないとする(反論書一四頁)が、本案訴訟はまだ終わったわけではなく、債権の回収が終了したとは到底いうことができない。いわば、抗告人がこれまでにした仮差押、仮処分、本案訴訟の提起等の行為は、回収の準備段階であり、今後本案訴訟に勝訴して、執行文を得て現実に強制執行をし、配当を得た段階で初めて回収が終了したといえるのである。現段階において、稟議書を公開する実質的不利益が大きいことは明らかである(補充書三二ないし三四頁)。

7 実質的不公平について(補充書三四ないし三五頁)

(一) 補充書一二ないし一九頁で詳細に述べたとおり、稟議書は日記や備忘録に相当する内心の意思形成過程を記載した文書であり、その性質上外部的な公開を一切予定しない文書である。

経営が破綻しなければ自己利用文書として文書提出命令の対象とならなかったものが、金融機関が経営破綻し、抗告人に債権譲渡されれば、債権者の内心を覗き込むことができるというのでは、当事者の武器対等の原則に反する。

また、本件は貸金返還訴訟、不法行為に基づく損害賠償訴訟という古典型の訴訟であり、証拠の偏在はそもそも存しないのであって、一方当事者のみが他方当事者の内心を覗き込めることを肯定するに足る必然的な理由はどこにもない。

(二) 被抗告人は、「自己使用文書が提出義務を免れる趣旨は『プライバシー侵害や自由な意思形成の阻害という看過できない不利益』が証拠としての必要性を上回る場合にこれを尊重しようという趣旨」であるとする(反論書一四頁)。

しかし、本件最高裁決定は、「開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過しがたい不利益が生ずるおそれがあると認められる場合」としているのであって、看過しがたい不利益には抗告人が主張する実質的不公平も当然含まれるというべきである。

また、被抗告人は本件がレンダーライアビリティを問う訴訟であり、証拠の偏在が顕著な事案であるとする(同頁)が、レンダーライアビリティを問う訴訟といっても不法行為の一態様にすぎず、他の訴訟と格別に扱わなければならない理由はどこにもなく、他の手段でいくらでも立証できることである。本件においても抗告人側に証拠が偏在している事例とは到底いうことができない。

8 このように、本件で稟議書等を開示することは、抗告人ないし債権譲渡人を含む「抗告人の側」にとっては耐えがたい実質的不利益が生ずることは明らかである。

稟議書等を開示することによって、抗告人の側に「看過し難い不利益」はないとは到底いうことはできず、被抗告人の主張には理由がない。

第二 その余の被抗告人の主張に対する反論

被抗告人は反論書において抗告人の即時抗告申立書、補充書に対して、即時抗告の理由を<1>から<17>に分類して反論している(反論書二ないし四頁)。

しかしながら、すでに、第一において<1>及び<2>、<8>ないし<16>について被抗告人の主張には理由がなく、失当であることを述べたので、以下<3>ないし<7>、<17>について被抗告人の反論が的外れである点を述べる。

一 稟議書の性質について(<4>ないし<7>)(補充書一二ないし一九頁)

1 稟議書の記載内容が憲法一九条の保護の対象となる点について

(一) 本件最高裁決定においても判示されているとおり、金融機関が作成する稟議書には、融資の相手方に対する融資適格性を判断するためのあらゆる情報が記載されるのであり、これをもとにして審査担当者及び決裁権者等による内部的な意思決定がなされる。

稟議書の内部的な意思決定の過程が稟議書の内容を構成することは補充書で触れたとおりであるが、法人の内部的意思決定の過程は、内心領域そのものであり、内心の自由を保護する憲法一九条により保護される。

(二) この点、被抗告人は、記載内容が商取引に関するものであり、日記や備忘録と同視することはできないし、公正な裁判を受ける権利による内在的制約が存するとする。

しかしながら、銀行にとって融資にいたる意思決定の過程は、自然人の思想・良心にも匹敵するものであり、およそ外部に公開を予定していないという意味で日記や備忘録に類するものである。本件最高裁決定もそのような稟議書の性質に鑑みて、特段の事情の事情のない限り、稟議書が自己利用文書に該当することを認めたのである。

また、前述のとおり、商取引に関するものであれば、保護の対象となり得ないのでは企業上情報の保護はそもそも不可能になってしまうし、稟議書の記載内容はほとんど全てが商取引に関するものであるから、稟議書を原則として自己利用文書に該当するとした本件最高裁決定の判旨を根底から否定するものである。

日記や備忘録と区別して、稟議書に限って公正な裁判を受ける権利による内在的制約が一般的に存在するとは到底いえない。

2 稟議書の性質が金融機関の破綻によって変わらない点について

(一) 稟議書が自己利用文書とされるのは、稟議書に記載される内容が本来公開を予定していないからであり、このような文書の性質は文書の所持人が誰であるかによって変わるものではない(補充書一五ないし一六頁)。

稟議書に公開を予定した内容しか記載できないことになれば、稟議書は本来の機能を果たせないことになってしまう。

また、金融機関の経営破綻によって一方当事者のみが他方当事者の内心を覗き込むことができるとするのは不公平であり、当事者間の武器対等の原則にも反する(補充書一五頁)。

(二) この点、被抗告人は木津信用組合が破綻して清算段階にあるから、抗告人が債権を承継して回収にあたるような事案では、意思決定の自由を阻害する要因はないから自己使用文書にあたらないことは明らかであると主張する。

しかし、木津信用組合が清算中であることによって文書の性質に何ら変化がないことは補充書一二ないし一九、二五ないし二八頁で詳細に述べたとおりであり、被抗告人の意見には理由がない。

3 このように稟議書の性質からすれば、稟議書は本来公開を予定されていない文書であるというべきであるから、原決定のように軽々しく例外を認めるべきではないのであり、本件最高裁決定の趣旨にも反するものである。

二 証拠としての必要性について(<3>および<17>)(補充書三六ないし五〇頁)

1 被抗告人は、最高裁平成一二年三月一〇日第一小法廷決定を引用しつつ、証拠調の必要性は不服申し立ての理由とならないと主張する(反論書七頁)。

2 しかし、被抗告人が引用する右最高裁決定は「証拠調べの必要性を欠くことを理由として文書提出命令の申立を却下する決定に対しては、右必要性があることを理由として独立に不服申し立てをすることはできないと解するのが相当である。」としているのである。

これに対し、本件は、第一に、証拠調べの必要性があるとして発令された文書提出命令に対する不服申立ての事案であり、第二に、証拠調の必要性について独立して争うものでもないのであるから、被抗告人が引用する右最高裁決定は本件とは全く事案が異なるものである。

本件のように、証拠調べの必要性があるとして発令された文書提出命令に対する不服申立てにおいては、当然に証拠調べの必要性がないことについても審理の対象となるものである。

また、本件稟議書を証拠とする必要がないことは補充書三六頁ないし五〇頁から明らかである。

第三 結語

補充書および以上で述べたとおり、本件稟議書等を開示することは「抗告人の側」にとって看過しがたい実質的不利益があり、原決定にいう理由では、本件最高裁決定にいう「特段の事情」に該当するものとは到底認められず、かつ本件においては証拠調べの必要性もない。

よって、被抗告人の文書提出の申立を認めた部分を取り消し、被抗告人の本件申立を速やかに却下すべきである。

抗告人の即時抗告の理由の補充書(再々反論書)(三)

抗告人は、被抗告人らの平成一二年八月二二日付「即時抗告の理由の補充書(再反論書)(二)に対する反論書」(以下「反論書」という)に対して以下のとおり反論し、主張を補充する。

第一 被抗告人らの主張に対する反論

一 反論書第一、一について

1 被抗告人らは、「ある文書が自己使用文書か否か、あるいは自己使用文書であるとしても特段の事情があるか否かは、当該事案における訴訟物、争点、事案の内容、文書の記載事項、など具体的かつ個別的事情をもとに判断される」ものであるが、抗告人が主張する本件稟議書を開示した場合の実質的不利益性についての主張は、本件稟議書の記載内容に踏み込まない一般論であるから、抗告人の主張は失当である旨主張する。

2 しかし、被抗告人らの主張は、民事訴訟法二二〇条の規定の趣旨及び最高裁平成一一年一一月一二日第二小法廷決定(以下「本件最高裁決定」という)を正解しない主張であり、失当である。すなわち、

(一) 補充書四ないし七頁で既に述べたとおり、本件最高裁決定は銀行の貸出稟議書一般の自己利用文書該当性を判断し(山本和彦「銀行の貸出稟議書に対する文書提出命令」NBL六九七号一〇頁)、貸出稟議書は「特段の事情」がない限り一般に自己利用文書に該当すると判断したものである。

本件稟議書の金融機関の内部的な意思形成の過程を記載した文書であり、およそ外部に公開することを予定した文書でないことは、本件最高裁決定にいう銀行の貸出稟議書と同様であり、「特段の事情」がない限り、一般的に自己利用文書に該当するものである。

右「特段の事情」は、もとより例外的事由であるから、例外的事由を主張する者(被抗告人ら)において具体的に主張立証すべきであることは明らかである。すなわち、抗告人としては、提出を求める文書が金融機関内部で作成された貸出し稟議書であることを主張すれば足り、被抗告人が具体的な「特段の事情」を主張立証しない限り、自己利用文書該当性が肯定されるものである。

(二) 原決定は、右「特段の事情」について、<1>木津信用組合が現在において清算手続中であること及び<2>本件各文書が木津信用組合により作成されたものであるから抗告人の自由な意思形成が阻害されることはないことをもって、「特段の事情」に該当するものと判断したのであるが、このような理由付けによれば、破綻金融機関から債権譲渡を受け、若しくは健全金融機関から債権買取により債権譲渡を受け、これらの回収を主たる業務とする抗告人にとっては、原則と例外が逆転する事態となりかねず、本件最高裁決定がこのような事態まで想定しているものとは到底解することはできない。

被抗告人らは、抗告人が主張する実質的不利益は、一般論である旨主張するが、抗告人の側においては、特段の事情についての主張立証責任を有しないのであるから、原決定の理由付けに不足する実質的不利益の視点を一般論として補充すれば足りるのであり、右実質的不利益を減殺して余りある具体的な「特段の事情」については、被抗告人らの側で主張立証すべきものである。被抗告人らの反論は、主張立証責任を正解しない見解というべきである。

(三) 被抗告人らは、「文書の性質上、自己使用文書か否かが決まってしまうとすれば、余りにも画一的にすぎ、かつ文書提出義務を一般義務化した法の趣旨に反し、妥当でない。」と主張する。

しかしながら、民事訴訟法二二〇条は、文書提出義務を一般義務化しながらも、自己利用文書を文書提出命令の対象文書から除外しているのであり、文書の性質上、日記や稟議書を自己利用文書から一般的、画一的に除外したとしても、何ら法の趣旨に反するものではない。

むしろ、文書の性質から日記や稟議書を自己利用文書から一般的、画一的に除外し、例外的に、具体的な「特段の事情」がある場合にのみ文書提出命令の対象としたと解するのが本件最高裁決定の趣旨に適うものであり、民事訴訟法二二〇条の趣旨にも合致する。

被抗告人らの主張は、民事訴訟法二二〇条及び本件最高裁決定の趣旨から離れた独自の見解であり、到底採用することはできない。

(四) 被抗告人は、原審がインカメラ手続を経た上で決定しているところ、インカメラ手続は、自己使用文書か否かを判断するための手続に他ならない旨主張し、あたかも同手続が「特段の事情」の有無を確定する手続であるかのように主張する。

しかしながら、原審は、インカメラ手続によって、「特段の事情」の有無を判断したものではなく、このことは、原決定にインカメラ手続の結果が「特段の事情」の判断に何ら反映されていないことからも明らかである。

本件最高裁決定がいうところの「文書の作成目的や記載内容」とは、稟議書が融資案件についての意思形成過程を記載した文書であるか否かということを判示したものであり、本件稟議書についても「文書の作成目的や記載内容」が融資案件についての意思形成過程を記載した文書であることは、インカメラ手続によって明らかになったのである。原決定もインカメラ手続の結果、本件稟議書が「いずれも木津信用組合において作成された貸出稟議訴であり、いずれも専ら木津信用組合の内部の利用に供する目的で作成され、外部に開示することが予定されていなかった文書であるということはできる」(原決定一三頁)と判示しているのであり、この部分についての原決定の判示は正当である。しかしながら、原決定は右に続けて、前記(二)<1><2>記載の事情を上げて、本件最高裁決定にいう「特段の事情」があると判断し、自己利用文書性を否定したのであり、右<1><2>の事情は、インカメラ手続の結果明らかになったものではない。

右のとおり、原決定は、インカメラ手続の結果、本件稟議書については、本件最高裁決定にいうところの自己利用文書に該当するものと判断し、「特段の事情」については別の事情を考慮してその該当性を認めたのであり、その不当性については、補充書及び再反論書によって詳述したところである。

このように、インカメラ手続によって明らかになるのは、本件文書が自己利用目的で作成された文書であることの有無、文書提出の必要性の有無、客観的に明らかな個人的なプライバシーの記載の有無等であり、インカメラ手続自体によって「特段の事情」が明らかになるものではなく、実際にもそのような機能を期待している手続ではない。

(五) 被抗告人は反論書四ないし六頁で多数の論文を引用するが、被抗告人の引用部分はいずれも文書一般についての「自己利用文書該当性の判断基準」に関する記述である。

本件最高裁決定は貸出稟議書が一般に自己利用文書に該当すると判断した上で、「特段の事情」によって事案ごとの判断を行う余地を残した(山本・前掲一一頁)のであり、本件もかかる最高裁決定の示した枠組みの下で判断すべきである。

被抗告人引用の文献は、自己利用文書の該当性についての一般論にすぎず、本件最高裁決定の判断内容とは何ら関連性がないから、被抗告人の主張を裏付けるものではない。

(六) 被抗告人は、「特段の事情」について、挙証者が可能な限りの立証をすれば、あとは所持者が反証しなければならないが、本件では被抗告人が可能な限りの立証をしているのに抗告人の反証がないから、被抗告人主張のとおり、本件では「特段の事情」が認められるべきであるとする(反論書七頁)。

しかしながら、ここで被抗告人らが引用する論文も、文書一般について述べているものであり、伊藤論文は本件最高裁決定の「特段の事情」の解釈について述べたものではないし、ジュリスト一一二五号一一三頁の秋山発言も民事訴訟法二二〇条四号イ、ロの解釈についてのものであり、同号ハについて述べたものでない。

本件最高裁決定では、原則として稟議書については自己利用文書性を肯認しているのであるから、その例外的事由である「特段の事情」については、被抗告人らにおいて主張立証すべきことは、前述のとおり明らかである。

(七) 被抗告人が第一、一(四)で述べる事情は、「特段の事情」を補充したものと解されるが、本件稟議書を開示することにより抗告人に実質的不利益が生ずることは、補充書一九ないし三五頁、再反論書三ないし一五頁で述べたとおりであり、被抗告人が述べる右事情が考慮するとしても、本件では、特段の事情があるとは認められない。すなわち、

(1) 被抗告人が述べるレンダーライアビリティを問う訴訟であることによって、本件稟議書を開示した場合に生ずる抗告人の実質的不利益がなくなるわけではない。

レンダーライアビリティを問う訴訟といっても不法行為、ないしは債務不履行の一態様に過ぎず、他の訴訟と格別に扱わなければならない理由は何もない(小林秀之「レンダー・ライアビリティをめぐる近時の動向と今後の展望(上)―日米の近時の裁判所を中心に―」金融法務事情一四〇五号八ないし一二頁で紹介されている我国の裁判例でも、通常の訴訟と格別異なる取り扱いがなされているわけではない。)。

また、そもそも本件最高裁決定の事案は、被抗告人の主張するレンダーライアビリティを問う訴訟であり(山本・前掲一〇頁)、レンダーライアビリティを問う訴訟であることが「特段の事情」にならないことは、本件最高裁決定の判断するところである。

(2) 本件最高裁決定の本案訴訟は、亡AがY銀行から六億五〇〇〇万円の融資を受け、右資金で株式等の有価証券取引を行ったところ、多額の損害を被ったとして、Aの承継人であるXが、Yの支店長は、Aの経済状態からすれば貸付金の利息は有価証券取引から生ずる利益から支払う以外ないことを知りながら、過剰な融資を実行したもので、これは金融機関が顧客に対して負っている安全配慮義務に違反する行為であると主張し、Yに対し損害賠償を求めた事案である。

Xは有価証券取引によって貸付金の利息を上回る利益を上げることができるとの前提でYの貸出の稟議が行われたこと等を証明するためとして、Yが所持する貸出稟議書等の文書提出命令を求めたが、本件最高裁決定は、銀行の貸出稟議書は一般に自己利用文書に該当するとして、文書提出命令の申立を却下したのである。

このように、仮に本件の本案がインダーライアビリティを問う訴訟であるとしても、本件最高裁決定により、レンダーライアビリティを問う訴訟であることが直ちに「特段の事情」になるわけでないことが判断されているのである。

(八) また、被抗告人は証明の必要が大きい(反論書八頁)から、本件では「特段の事情」があると主張するが、文書提出の必要性がいくら強く認められるとしても、提出を求める文書が自己利用文書に該当する限り、被抗告人としては他の手持ち資料(被抗告人らのメモ、日記、又はこれに代わる本人尋問、陳述書等)で立証すべきであり、民事訴訟法二二〇条四号で文書提出命令の除外事由が規定された趣旨からしても、相手方当事者の内心を覗き込む方法により立証することは認められない。

なお、本件で文書提出命令の必要性がないことは、補充書三六ないし五〇頁、再反論書一八ないし一九頁で詳述したとおりである。

3 以上のとおり、抗告人らの主張した実質的不利益を否定して余りある「特段の事情」を具体的に主張立証しない限り、本件稟議書の自己利用文書性を否定することはできないというべきである。

二 同二について

被抗告人は伊藤論文の比較衡量説の枠組みで判断すべきであると主張する。

しかしながら、本件稟議書が自己利用文書にあたるかどうかの判断は、一学者の論文である伊藤論文ではなく、本件最高裁決定に従って判断すべきものである。

本件最高裁決定は、貸出稟議書を開示すると、「銀行内部における自由な意思の表明に支障を来し銀行の自由な意思形成が阻害されるおそれがある」として、「開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがある」と実質的不利益を認定しているのであるから、かかる最高裁決定の一般論を覆すに足りる「特段の事情」があるか否かが本件の争点になる。

本件最高裁決定に従う限り、被抗告人らの主張は、いずれも「特段の事情」について主張したものと解さざるを得ないが、原決定が認定した事情や被抗告人らの主張によっても、本件では最高裁決定が認定した実質的不利益を覆すに足りるとは到底認められない。

1 同(二)について

被抗告人が反論書一〇頁一行目ないし一一行目で述べる事情は、本件における文書提出命令の必要性についての主張であるが、本件において文書提出命令の必要性がないことは、補充書三六ないし五〇頁、再反論書一八ないし一九頁で詳述したとおりである。

また、反論書一〇頁一二行目ないし一一頁三行目で述べる事情は、原決定の「特段の事情」に係る判示と同様であり、原決定がいうところの<1>木津信用組合が現在清算手続中であること及び<2>本件各文書が木津信用組合によって作成されたものであるから抗告人の自由な意思形成が阻害されることはないことが「特段の事情」に該当しないことも、補充書及び再反論書で詳述したとおりである。

2 同(三)について

(一) 被抗告人らは、抗告人の再反論書七頁の記載をもって、「作成者は、木津信用組合ではなく、担当者個人を指すもののようである。」旨曲解して主張する。

しかしながら、再反論書七頁における作成者は、第一次的には木津信用組合であり、第二次的に担当者個人も含まれる前提で主張しているものであり、だからこそ「作成者等」と記載しているものである。

(二) また、被抗告人らは、木津信用組合の稟議書担当者の意見はプライバシー情報の定義には含まれず、また仮に含まれるとしても、法的保護の必要性は希薄であるとする。

被抗告人らが引用する佐藤幸治『憲法』によれば、本件稟議書に記載された情報はプライバシーの概念には含まれないとするものであるが、佐藤幸治『憲法』にいう憲法上のプライバシー権の概念に含まれないからといって、一切憲法上の保障が及ばなくなるわけではないことは、佐藤幸治教授自身が認めるところである(「憲法の争点」一一四頁)。

また、プライバシー権の範囲を佐藤幸治『憲法』にいうプライバシー固有情報に限定するという判断手法が、判例上確立されているということはできない(最高裁昭和四四年一二月二四日大法廷判決・刑集二三巻一二号一六二五頁、東京地裁昭和六二年一一月二〇日判決・判例時報一二五八号二二頁等参照)。

本件最高裁決定は、稟議書を開示した場合の実質的不利益の判断要素の一つとしてプライバシーに対する侵害を掲げているのであり、かかる局面におけるプライバシー侵害を判断する基準として憲法上の議論が必ずしも当てはまるわけではないし、ましてや憲法の一学者である佐藤幸治教授の判断手法により、憲法上のプライバシー権に含まれないからといって、稟議書を開示した場合にプライバシー侵害がないとは到底いえない。

(三) 被抗告人らは、抗告人の見解によると、おおよそ人間が記載した文書はすべてその人間の認識や意見が記載されているのであるから、開示を命ずれば常にプライバシー侵害をもたらすとして提出義務を負わない結論になると主張する。

しかし、抗告人の主張は、稟議書を開示した場合の実質的不利益について述べるものであり、被抗告人の主張は本件を離れた一般論でしかない。

人間が記載した文書はすべてその人間の認識や意見が記載されているとは、必ずしもいえないのであり、一般論としても妥当であるとはいえない。

(四) 抗告人が補充書二〇ないし二四頁、再反論書三ないし七頁で述べるとおり、貸出稟議書を開示した場合には、稟議書の作成者等のプライバシー侵害が生ずるのであり、本件最高裁決定が文書を開示した場合の実質的不利益性の判断要素の一番目にプライバシー侵害を掲げている点に鑑みれば、作成者等のプライバシー侵害は看過し得ない実質的不利益である。

3 同(四)について

被抗告人は稟議書に記載されている第三者のプライバシー情報が、通常は、保証人や会社代表者個人に関する事項であるとする(反論書一四頁)が、このような場合に限定されないことは容易に想定できる。

したがって、本件で保証人と会社代表者がいずれも被告であり、文書提出を求めているからといって、そのことから直ちに右以外の第三者のプライバシー侵害がないということにはならない。

また、被控訴人は、第三者のプライバシーが記載されているのであれば、インカメラ手続きでチェックし、その部分を除外することができる旨主張する(反論書一四頁)が、一体をなしている稟議書の一部を除外すれば、稟議書作成者の意思が伝わらないことがあり、誤った事実認定を将来する可能性が高く、その弊害は極めて大きいことは再反論書八頁で述べたとおりである。

4 同(五)について

被抗告人は、本件は特殊個別的事案であるから、萎縮的効果については考慮する必要がないとする(反論書一五頁四ないし一二頁)。

しかしながら、本件最高裁決定も「開示されると銀行内部における自由な意見の表明に支障を来し銀行の自由な意思形成を阻害される」として、萎縮的効果について論じているところである。

また、今日の経済情勢において、金融機関の破綻は珍しいことではなく、健全金融機関でさえも破綻する可能性は大いにあり、現に数多くの破綻金融機関の債権の相当部分が抗告人に譲渡されているという実態がある。

したがって、原決定の理由付けが裁判実務で確定したとすれば、稟議書には、公開を前提とした、当たり障りのない記述しかし得ないことになり、金融機関が将来破綻した場合を考えて当該文書の作成について萎縮的になることは十分考え得る事態である。

被抗告人は、本件は特殊個別的事案である旨主張するが、抗告人にとっては正に一般的な事案であり、金融機関担当者の萎縮的効果は、決して無視できないものである。

被抗告人は、抗告人の主張によれば、稟議書は例外なく文書提出義務を免れることになるとするが、これも本件最高裁決定を正解しないものであり、本件最高裁決定は、「特段の事情」がない限り、稟議書は自己利用文書に該当すると判示しているのであり、例外は認められているものである。しかしながら、「特段の事情」は、あくまで例外的事情であるから厳格に解されなければならず、原決定のように安易に例外的事情を認めることになれば、本件最高裁決定の趣旨に反することになるものといわざるを得ない。

5 同(六)について

被抗告人は健全金融機関が債権売却を控えることや、稟議書が公開の対象となることを避けるため、稟議書を添付しないで債権売却をするといった事態は、破綻していない金融機関の場合であるから本件で検討すべきでないとする(反論書一七頁)。

しかし、原決定を認定した<1>木津信用組合が現在清算手続中であること及び<2>本件各文書が木津信用組合によって作成されたものであるから抗告人の自由な意思形成が阻害されることはないことという事情が、本件最高裁決定が認定した稟議書を開示した場合の実質的不利益を減殺する事情であると認められないことは、補充書で詳述したとおりであるうえ、右<1><2>の事情により稟議書の開示が認められるとすれば、被抗告人が引用するとおりの新たな抗告人の実質的不利益が生ずることになる。

例えば、日記が文書提出命令の対象になるとすれば、公開されることを予定して自由闊達な記述を控えることが考えられるが、被抗告人の主張によると、そのような不利益は考慮すべきでないというのであり、その不当性は自ずと明らかである。

右<1><2>の事情は本件最高裁決定が認定した実質的不利益を減殺する事情でないばかりか、却って抗告人に新たな実質的不利益を生じさせるのであり、その事情は「特段の事情」を否定する事情として考慮すべき事情であることは、明らかである。

三 同三について

1 被抗告人は自己利用文書性の判断、特段の事情の判断は、当該事案の争点や当該文書の記載内容との相関関係において決するのであるから、文書提出命令を発するとき(裁判時)になされるべきことは明らかである(反論書一七頁)とする。

自己利用文書性を判断するのは、実際に文書提出命令の申立がなされた時点、すなわち、裁判時であるのは当然である。

しかしながら、自己利用文書性の判断をするのが裁判時であることと、文書の性質が自己利用文書であることを判断する基準時が裁判時であることは全く意味が異なる。

本件最高裁決定は、稟議書の文書としての性質から、一般に稟議書は自己利用文書であると判断したのであるが、稟議書の文書の性質は、文書の所持人が誰であるかによって変わるものではないから、文書の性質が自己利用文書であることを判断する基準時は、文書の作成時にならざるを得ない。

よって、本件稟議書がその性質上、自己利用文書であるかを判断する基準時は、文書の作成時であり、このことは、補充書二五ないし二八頁、再反論書八ないし一〇頁で述べたとおりである。

2 また、被抗告人は「平野論文の論旨からして判断時期が裁判時であることは明らかである」(反論書一九頁)とする。

しかし、平野論文が比較衡量の対象とする利益であるとするプライバシー権や沈黙の自由等は文書の記載内容から判断するものであるから、かかる保護法益の判断の基準時は、文書の作成時であることは当然である。

これに対して、立証の必要性等の事情は、文書の作成時には存しないものであるから、かかる事情が発生した時点で判断すべきことも当然のことである。

このように、平野論文は文書の所持者側の保護すべき利益は、文書の性質及び内容により判断すべきであるとして文書作成時を基準としつつ、証拠としての必要性等、文書の作成時に生じていない事情については、かかる事情の発生時を基準とすれば足りるとしたに過ぎないものである。

自己利用文書の判断の基準時が、「平野論文の論旨からして判断時期が裁判時であることは明らかである」(反論書一九頁)とは到底いえないものである。

3 さらに、被抗告人は、新民事訴訟法の下では、インカメラ手続などの立法的手当てがなされており、記載内容や事案の内容・争点との相関関係で、自己利用文書性は裁判時に判断することが明らかであると主張する。

しかしながら、インカメラ手続についての被抗告人の主張が誤りであることは、前記一2(四)で述べたとおりである。

本件最高裁決定は、稟議書の性質からして、一般的に稟議書が自己利用文書に該当するものと判断したのであり、本件稟議書が最高裁決定の認定した稟議書としての性質を有するか否かは文書の作成時において判断せざるを得ない。

抗告人引用の裁判例は、文書の性質が問題となる場合には、文書の作成時を基準として文書の性質を判断すべきことを判示したものであり、「従来の裁判例」であるとの理由で「無意味」になるわけではない。

四 同第二について

1 同一について

被抗告人の主張が失当であることは、前記一ないし三で述べたとおりである。

2 同二について

被抗告人は証拠の必要性の判断は受訴裁判所がなすべきであり、これに対する不服申立は上訴とともになすべきであり、最高裁平成一二年三月一〇日第一小法廷決定もかかる理を示したものであるから、証拠の必要性を不服申し立ての理由とすることはできないとする(反論書一九頁)。

しかし、右最高裁決定は、「証拠調べの必要性を欠くことを理由として文書提出命令の申立を却下する決定に対しては、右必要性があることを理由として独立に不服申し立てをすることはできないと解するのが相当である」としているのであり、被抗告人の主張を裏付けるものではない。

本件は、自己利用文書性を否定し、証拠としての必要性も肯定して上で発令された文書提出命令に対する不服申立において、自己利用文書性を否定した解釈及び認定判断を争い、併せて証拠としての必要性をも争うものであり、独立して証拠としての必要性を争うものではない。したがって、当然に証拠としての必要性がないことも本件において審理の対象とすべきである。

右最高裁決定は、本件と事案が異なるものであり、被抗告人の主張は、失当である。

第二 抗告人の主張(本件における文書提出命令の必要性について)

文書提出命令の対象に自己利用文書が含まれない以上、訴訟当事者は、それ以外の方法(被抗告人側が録取した録音テープ、被抗告人側の代表者、本人若しくは取引担当者のメモ、日記又はこれらの者の陳述書、本人尋問若しくは証人尋問)により立証すべきであり、それで足りるものである。本件最高裁決定も、仮に文書提出の必要性が強かったとしても、自己利用文書に該当する限り提出させない立場を採用しているのであり、そのような場合には、相手方訴訟当事者は、それ以外の方法で立証せざるを得ないことを当然の前提としているものである。

民事訴訟は、本来自己の手持ちの資料で立証すべきであり、相手方当事者の日記、備忘録若しくは稟議書等の内部文書・自己利用文書を出させることによって立証することを本来予定していないのであり、一般的に文書提出の必要性は否定されるべきである。

原決定によれば、金融機関の破綻及び抗告人への債権譲渡という偶然の事情によって、自己利用文書性が否定されるというのであり、そのような解釈が誤っていることは、先に指摘したとおりであるが、仮に自己利用文書性が偶然的・後発的事情によって否定されるとしても、金融機関が破綻しなければ本来文書提出を求め得なかった文書であることに鑑みると、その証拠としての必要性は一般的に否定されて然るべきである。

そのように解さないと、健全金融機関であれば稟議書の提出義務を免れることにより勝訴できたものが、破綻金融機関から債権譲渡を受けた抗告人であれば、稟議書の提出を命ぜられて敗訴するということになり、そのような結果は、余りにも不公平であるといわざるを得ず、妥当性を欠く結果というべきである。右の場合において、稟議書の提出の有無にかかわらず、勝敗の結論が変わらないとすれば、そもそも稟議書を証拠として提出させる必要性は初めからなかったということになるのである。

本件は、稟議書を提出したからといって、訴訟の勝敗に影響を及ぼす事案ではないから、一層証拠としての必要性は否定されるべきである。

本件においては、補充書四〇ないし四三頁で述べたように、当事者間で既に争いのない事実及び他の方法により十分立証が可能であるのに、文書提出命令が申し立てられている事案というべきであり、本件稟議書を文書として提出させる必要性は全くない。

第三 結語

補充書、再反論書及び以上で述べたとおり、本件稟議書等を開示することは「抗告人の側」にとって看過しがたい実質的不利益があり、原決定にいう理由では、本件最高裁決定にいう「特段の事情」に該当するものとは到底認められず、かつ本件においては根拠としての必要性もない。

よって、被抗告人の文書提出の申立を認めた部分を取り消し、被抗告人の本件申立を速やかに却下すべきである。

(別紙)

相手方らの抗告の理由に対する反論書

第一 抗告の趣旨に対する答弁

一、本件抗告を棄却する。

二、抗告費用は抗告人の負担とする。

との裁判を求める。

第二 抗告の理由に対する答弁

一、抗告人は原審決定を縷々論難するが、原審決定に誤りはなく、抗告人の主張は失当である。

以下理由を述べる。

二、抗告の理由の概要

(一) 抗告人は、抗告状において、<1>原審決定は木津信が破綻して事業譲渡がなされたからといって無条件に提出義務を認めたと解釈した上、将来破綻する可能性がある以上、すべての金融機関の内部の自由な意思表明に支障を来す、<2>抗告人は木津信から有機的一体としての財産を承継したから、過去に木津信が行った意見表明や意思形成を前提とする限りで一体性が認められる、<3>開示させる必要性がない、という理由を述べている。

(二) また、抗告理由の補充書においても、種々主張するが、趣旨が不明確なものもあり、重複もあるので、整理すると概ね次のようになる。<4>法人内部の意思決定過程は内心の自由を保護する憲法一九条により保護されるべきであり、日記や備忘録に類するものである。<5>作成した金融機関が破綻して事業譲渡がなされても<4>は左右されない、<6>稟議書には忌憚のない自由な議論が記載されるものであるから、外部に公開されたのでは十分な討議ができない、<7>債権譲渡がなされた場合に、譲受人側で無原則に稟議書を開示すれば、譲受人に対する社会的信用が低下し取引に影響する、<8>稟議書作成者個人のプライバシーを侵害する、<9>金融機関が破綻してもプライバシー保護の利益は消滅しない、<10>開示されると稟議の参加者に対して、有形無形の圧力がかかるおそれがある、<11>第三者のプライバシーが記載されている、<12>自己利用文書か否かの判断時期は作成時である、<13>健全な金融機関であっても破綻して抗告人に事業譲渡されれば、すべて稟議書が文書提出命令の対象となり不当である、<14>債権買取業務を行うと債権の主体が代わるために稟議書が文書提出命令の対象となるとすると、稟議書が添付されなくなったり売却を控えてしまう、<15>回収方針を知られたり、誤解を生じてかえって回収に困難を来す、<16>たまたま破綻して事業譲渡がなされたからと言って開示させることができるのは不公平である、という理由により、抗告人には稟議書を提出することにより看過し難い不利益があるというものである。

また、<17>証拠とする必要性がないとも言う。

三、反論

(一) しかし、前記主張はいずれも失当である。

そもそも稟議書が自己使用文書とされる要件は、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され外部に開示されることが予定されていないこと、開示によって所持者の側に看過しがたい不利益が生ずるおそれがあること(最高裁決定)であるが、本件では「看過し難い不利益」はなく、文書提出義務を負うものである。

すなわち、本件では木津信はすでに破綻して清算段階に入っており、事業活動を行うことはない。したがって、木津信の意思決定過程が開示されたからと言って、木津信の意思決定を阻害することはあり得ない。

また、木津信の本件担当者は、本件における証拠の申し出書をみても明らかなように、木津信の幹部クラスの者であったから(経営責任を追及されている)、抗告人に引き続き雇用されているわけでもない。そして、抗告人は木津信の債権譲渡を受けてこれを回収しているのであって、木津信の従前の営業活動との連続性がないことは明かであるし、抗告人の活動に何らの支障も及ぼさない。したがって、本件稟議書を開示したところで、抗告人の意思決定を阻害することもない。

また、当該顧客(すなわち相手方)とは、すでに紛争となっており、今後取引を継続するような余地もない(抗告人は相手方に提訴・仮処分等までしている)。

プライバシーについては、相手方が自ら開示を求めているのであるから、開示を拒む根拠とはなり得ない。

よって、本件文書を開示させることにより意思決定の自由を阻害され、「看過し難い不利益を被る」ような事情は全く存在せず、本件文書は自己使用文書に該当しない特段の事情がある(あるいは端的に自己使用文書に該当しないということもできる)。

(二) 以上より、原審決定が妥当であることは明らかであるが、念のため前記抗告人の主張について反論する。

<1>については、そもそも原決定に対する理解が誤っている。原決定は、証すべき事実との関係、証拠とすべき必要性との関係、訴外木津信が清算段階に入っているという特殊性、抗告人が文書を所持するに至った経緯等を比較考量し、さらにはインカメラ手続を経て、文書の内容を精査し、開示しても支障がない(民事訴訟法二二〇条四号各号に該当しない)と判断した上で、提出義務を認めたのであり、金融機関が破綻して事業譲渡がなされれば「常に」「無条件で」「すべての」稟議書が開示させられるなどという一般論を認めたわけではない。抗告人は本件の個別事情をことさらに無視して、極論し、抽象的に論難するにすぎない。

また、木津信の本件稟議書が開示されたからと言って、所持者である抗告人に何ら看過しがたい不利益がないことは前述の通りであるし、一般の金融機関にとっても、将来の破綻・事業譲渡、さらには顧客からの提訴・文書提出命令を想定して、意思決定が阻害されることになるなどとは考えられない。

<2>については、有機的一体として譲渡を受けたことは、債務者側の抗弁が付着していることの根拠にはなっても、意見表明や意思形成の一体性を認める根拠とはならない。抗告人が、木津信と抗告人とで、意思形成や意見表明の一体性があると言うのであるとすれば、到底理解できないものである。前述の通り、木津信が貸付時に行った意思表明が明らかになったからと言って、木津信の意思形成を阻害することにはならないし、かつ抗告人の意思形成を阻害することにもならない。

<3>及び<17>については、そもそも証拠調べの必要性は、不服申立の理由とならない。

最高裁平成一二年三月一〇日決定が述べるとおりである(本決定が出る以前から一致した見解であった)から、全く理由がない。

なお、本件では抗告人の売却拒絶が金融機関としての誠実公正義務、善管注意義務に違反するものであるか否か等が主たる争点であり、その際、抗告人が相手方の事業内容にどの程度深く関与していたか、資金使途が不動産購入であることや転売により返済する計画であることを認識していたか否か、返済の見込み・代物弁済として引き取る意思があったか否か、兵庫クレジットの債権譲渡の経緯などが重要な要証事実となるところ、本件融資取引に関する稟議書にはこれらに関する記載がなされているのが通常であるから、証拠とする必要性は極めて高いものである。

<4>については、そもそも思想良心の自由は、抗告人が引用する佐藤幸司「憲法」(新版)四三一頁によると、信仰に準ずる世界観、主義、思想、主張を全人格的にもつことととらえ、内心領域一般とすることは広凡に失するとしている。また、沈黙の自由についても、対立する要請(公正な裁判を受ける権利)との関係で、その文書の性格、記載内容などに応じて保護の範囲が画されるのであり(内在的制約)、一律に秘匿できる地位を与えられるものではないことは明かである。抗告人が引用する伊藤真論文(法協一一四・一二・一四四五)でも、対立する「裁判を受ける権利」との関係で制約を受けることを認めており、むしろ「他の利益との比較考量の余地が認められないわけではない。たとえば、当該文書が争いとなる事実の判断について必要不可欠なものであり、他に適切な証拠が存在しないとすれば、意思決定過程における秘密保護よりは、司法への協力義務が優先し、自己使用文書性が否定されることがありうる。…さらにこの種の文書の内容も比較考量の対象となる。たとえば、意思決定自体がかなり過去にさかのぼるものであれば、その過程を記録した文書が審理に提出されても、将来に渡る所持者の組織運営を阻害するとはいえないこともあろう。いいかえれば本来自己使用文書に該当するものであっても、時間の経過によってその性質を失うとも考えられる」としている。

このように、思想や信条とは異なる商取引に関する記載であり、日記や備忘録とは性質を同一視できないし、公正な裁判を受ける権利による内在的制約が存することから、抗告人がしきりに引用する伊藤論文でも自己使用文書性を否定する場合について言及しており、同論文では「意思決定自体がかなり過去にさかのぼるものであれば、その過程その過程を記録した文書が審理に提出されても、将来に渡る所持者の組織運営を阻害するとはいえないこともあろう」とまで述べているのであるから、本件のように、作成時が昭和六二年ころ、あるいは平成四年などという古い時期であることに加えて、現在ではすでに、作成主体が清算段階に入り、文書の所持者が交替してしまった場合であって、文書の所持者が旧所持者と関連性のない活動を行っている事案では、自己使用文書性が否定されるのは当然である。

しかも銀行は公共的使命を負う存在であり、単なる私企業と同一視すべきではないし、稟議書は金融監督庁の検査などの対象となる書面であるから、稟議書を個人の「日記」などと同列に論ずる抗告人の主張は失当である。

<5>については、右の通り、時間の経過によってすら保護の必要性が薄れ、自己使用文書性が認められる場合があるのであって、ましてや、本件のように、作成者が破綻して清算を開始し、抗告人が破綻金融機関の債権を承継して回収にあたるに至る事案では、意思決定の自由を阻害する要因はなく、自己使用文書に該当しないことは明かである。

<6>については、抗告人による議論のすり替えである。すなわち、原審決定は、金融機関のすべての稟議書を提出させるものではなく、木津信が破綻してもはや事業を継続できなくなった段階で、木津信から債権の譲渡を受けた抗告人が所持する稟議書を開示させても、「看過しがたい不利益」はないと判断したのであり、しかもその判断においては慎重にインカメラ手続を経ているのである。そして、当該訴訟において証すべき事実との関連性、抗告人が稟議書を所持するに至った経緯等を考慮した上での、本件対象文書に関する判断である。抗告人の主張は、これらの点を無視しており、議論の前提をすり替えるものである。

<7>についても、本件原審決定は、無原則に開示せよという決定ではなく、文書の所持者の不利益の有無を慎重に考慮して、原審に現れた事実関係のものでは「看過しがたい不利益」はないとして開示させることとしたものであり、無原則に開示させるものであることを前提とする主張は、これもまた議論のすり替えである。

さらに抗告人は<8>で稟議書作成者「個人」のプライバシーを侵害するなどと言うが、そもそも稟議書には、作成にあたった担当者個人のプライバシー情報は通常含まれておらず、作成者個人のプライバシーが侵害されるような事態はおよそ考えられない。仮に、作成者個人のプライバシーが記載されているような例外的な事態があったとしても、インカメラ手続を経て、そのような部分を除外すれば足りるのである。原審では、インカメラ手続を経ており、そのような作成者個人のプライバシーに関する記載がないからこそ提出命令が発せられたのであり、このような主張をするに至るとは、苦し紛れと言う他ない。

また<9>では、今度は作成した「個人」ではなく「金融機関」(本件では木津信)のプライバシーを保護すべきだと言うのであろうが、すでに<4>について述べたと同様、公正な裁判を受ける権利との関係で比較考量によって決せられるのであり、記載内容が商取引に関するものであること、木津信が清算していることなどから開示しても実質的な支障がないのであり、何らプライバシーを害するおそれはない。

なお、抗告人が<9>において、<8>と同様作成者個人のプライバシーを問題としているとすれば、<8>で指摘した反論がそのまま妥当する。

<10>では、開示によって、相手方等から稟議の参加者個人に対し、有形無形の圧力がかかるというが、そのような問題は一般的な証人等関係者の保護の問題であり、文書提出義務の範囲の問題ではない。抗告人の言葉を借りれば、逆に、稟議書が開示されなければ「記載内容を教えろ」との圧力がかかる可能性すら有るのであり、この点の抗告人の主張は文書提出義務の存否において考慮すべき事項ではない。

<11>については、第三者のプライバシーが記載されていることは通常想定しがたいが、仮に記載されているとすれば、それは相手方のグループ会社であろう。そのような場合、代表者である相手方福山が自ら提出を求めている以上、提出させることの障害となるはずがない。さらに、万が一、相手方らと無関係の第三者のプライバシーに関する事項が記載されているような場合は、インカメラ手続でチェックし、その部分を除外することもできるのである。しかし、本件ではインカメラを行ったが、そのようなおそれはないが故に、提出義務を認めたのである。したがって、この点の抗告人の主張も失当である。

<12>自己利用文書が否かの判断時期は、提出命令を発するときである。前掲伊藤論文でもそのことを前提とした論述がなされている。

<13>については、抗告人はここでも、健全な金融機関が破綻して抗告人に事業譲渡されれば、すべて稟議書が提出されることになるとの前提で立論するが、そもそも破綻しても抗告人に事業譲渡されると決まったわけではないし、抗告人に事業譲渡されても、常にすべての稟議書が提出させられるわけではない。この点、抗告人は誤った前提で議論を混乱させようとしている。前述<1><6>などと同様、本件では事案の争点と記載事項、抗告人が所持するに至った経緯等を考慮し、木津信が清算して事業括動を営まなくなったこと、抗告人の事業清活動に支障を及ぼさないことを、インカメラ手続を経て確認し、提出を命じたものであるから、抗告人の主張は前提を欠くものである。

<14>についても同様であり、すべての稟議書が提出命令の対象となるとの前提が誤っているのである。また債権買い取り業務において稟議書が添付されなくなるとか売却しなくなるとも限らない(不良債権を買い取ってもらう要請は大きく、その要請を犠牲にしてまでも稟議書を隠さなければならないことは少ないであろう)。いずれにせよ、抗告人の主張は失当である。

<15>については、全く筋違いの議論であり、本件では(通常のインダーライアビリティーを問題とする事件ではそうであろうが)、抗告人はすでに仮差押、仮処分とあらゆる手段を尽くして回収を図ってきており、本件訴訟はその最終段階である。したがって、この段階に及んで、「回収方針を知られる」とか「誤解を生じてかえって回収に困難を来す」などという不利益はありえない事案である。したがって、この点でも失当である。

<16>についても、おかしな議論である。自己使用文書が提出義務を免れる趣旨は「プライバシー侵害や自由な意思形成阻害という看過できない不利益」が証拠としての必要性を上回る場合にこれを尊重する趣旨であるから、これらの看過できないほどの不利益がなければ、提出義務を負わせることは自然なことである。また、本件は金融機関の公共的使命(抗告人の初代社長である中坊氏が新聞紙上などでしきりに強調していることは公知の事実である)に基づき、貸付から弁済に至る継続的な取引関係において、付随義務、安全配慮義務としてどのような注意義務を負うか、具体的には担保権者が売却に協力しなかったことが違法と言えるか否かという従来問題とされなかったインダーライアビリティを問う訴訟であり、証拠の偏在が顕著な事案である。抗告人は訴訟物が貸金請求・不法行為であるからといって「古典的」であるなどというが、主張書面を読めばそのような理解が誤りであることは明らかであろう(抗告審を担当した代理人は本案を担当してないため、本件の争点を理解していないのであろうと思われる)。

<17>については<4>で述べたとおりである。ただ、若干補足すると、何度も述べたとおり、原審決定は、インカメラ手続を経た上、必要性を認めたのである。また、抗告人は本件申立及び原審決定を勝手に「貸出稟議書に関する提出命令」と決めつけて、「貸出稟議書の記載事項ではない」などと反論しているが、本件提出命令は文書目録記載の通り、「融資取引に関する稟議書」であるから、兵庫クレジットの債権譲渡を受けた際に作成された稟議書も、「融資取引に関する稟議書」であってこれに含まれる。なお、「附属書類」が何を指すか不明であるなどともいうが、通常稟議書に附属する書類とは、「付箋」とよばれたり、本部認可書と呼ばれたり、審査記録表と呼ばれたりするものであり、名称は金融機関によって様々であるが、いずれも稟議書に附属しその内容を補充するものである。抗告人は現にインカメラ手続で本件文書を裁判所に提出したのであり、何を指すか不明であるというのであれば、一体抗告人は何を提出したのであろうか。それとも抗告人はインカメラ手続において附属書類を裁判所に提出しなかったのであろうか。

(三) 以上述べたとおり、抗告人は種々の主張をするが、いずれも原審決定を曲解して批判したり、本件でおよそ問題とならないことを取り上げるだけであり、すべて失当である。

一口に稟議書と言ってもいろいろな場合があり、かつ事件の争点との関係で稟議書のもつ意味も変わってくるのである(小林秀之「貸出稟議書文書提出命令最高裁決定の意義」判タ一〇二七・一七や判タ一〇二七・一一【春日発言】)。したがって、稟議書であるからと言って、すべて自己使用文書に該当するかのように主張する抗告人の主張は一面的であり、バランスを欠くものである。本件原審決定のごとく、事案の特殊性に照らし、インカメラ手続を経た上で、文書の所持者に「看過しがたい不利益」がないと判断される場合に提出義務を負うことは当然のことである。

(四) なお、抗告人は抗告理由の補充書で、多数の文献を引用し、あたかも抗告人の主張を支持する者がいるかのように描き出そうとしているが、その引用はミスリーディングである。

例えば、伊藤真論文が、内心の自由を保護すべきと述べていることは事実であるとしても、その直後には先に引用したとおり、比較考量によって自己使用文書性が否定されること、過去のものであれば将来の組織運営を阻害するとは言えないこともあることを指摘しているのに(前掲伊藤一四五五頁)、抗告人はそのことを無視して一面的な議論を展開している。

過去の稟議書であれば将来の組織運営を阻害すると言えないとすると、法的主体が変更し、両者間で担当者も事業内容も異質である場合に組織運営や意思形成を阻害しないことは明かであろう。

青山他座談会ジュリスト一一二五・一二二【竹下発言】でも、「法人、とりわけ企業などの場合には、単純に個人のプライバシーの権利を類推するわけにはききません」「自己使用文書にあたるか否かはやはり相対的に考えざるを得ないし、またそう考えるべきだと思います。問題となっている訴訟物なり争点なりの性格との相関においてある文書が自己使用文書にあたるか否かが決まると考えるべきではないでしょうか」「およそ稟議書はすべて自己使用文書だというわけにはいかないのではないか」と述べているのであるが、抗告人はこの点は無視して、ここでも一面だけを強調した議論を展開している。

鈴木正裕「銀行の稟議書に対して文書提出命令を認めた事例」私法判例リマークス一九九九年(下)一三六頁も「事案によっては提出を命ぜられることもやむを得ない。本例もそのような事案ではないかと思われる」と述べている。

平野判事補の「新民事訴訟法二二〇条をめぐる論点の整理と考察」判タ一〇〇四・五一に至っては、抗告人主張のように「(稟議書が)文書提出命令の対象外となり、かかる結論は金融機関の経営破綻という偶発的な事情によって左右されない」などとは書かれておらず、逆に「融資の相手方からの文書提出命令申立である場合には、申立人のプライバシーは保護法益の放棄があったと見てよいから、原則として四号ハにあたらず、提出義務があると判断すべきことになろう」と述べているのである(同論文五二頁)。(なお、相手方代理人において、すべての論文に目を通すことはできなかったが、抗告人主張のような「金融機関破綻の場合」について文書提出義務を論じた論文があるとは思えない。)

山本和彦「銀行の貸出稟議書に対する文書提出命令」NBL六七九・一二も、抗告人が主張するような「個人のプライバシー保護の重要性が強調されている」というものではなく、むしろ当該箇所において「新民事訴訟法における真実発見・武器対等重視の思想を再度強調しておきたい。新民事訴訟法が文書提出義務を一般義務としたのは、営業秘密や守秘義務、プライバシー等他の合理的な保護法益がない限り、人は訴訟における真実発見に協力する義務を負うという発送に基づいているものと思われる」と述べているのである。

このように、抗告人の文献の引用は、恣意的かつ不正確であることを付言する。

四、以上により、本件原審決定は妥当であり、これを論難する抗告人の主張はいずれも不正確かつ失当であるから、本件抗告は速やかに棄却されるべきである。

相手方らの即時抗告の理由の補充書(再反論書)(二)に対する反論書

第一 抗告人の「即時抗告の理由の補充書(再反論書)(二)」(以下単に「再反論書」という)の「第一」に対して

一、再反論書は、「第一」において、本件文書を開示することによる看過しがたい不利益があると言うため多くの部分で「即時抗告の理由の補充書」の主張を繰り返しているが、そもそも抗告人の理解には出発点において誤解がある。

抗告人は文書の一般的な性格から「自己使用文書性」が決せられる、さらには「特段の事情」の有無までも決せられると考えているようであるが、ある文書が自己使用文書か否か、あるいは自己使用文書であるとしても特段の事情があるか否かは、当該事案における訴訟物、争点、事案の内容、文書の記載事項、など具体的かつ個別的事情をもとに判断されるのであり、この点で抗告人の主張は失当である。以下、詳論する。

(一) 抗告人は、作成者のプライバシーや、第三者のプライバシー情報が記載されていると述べたり、金融機関が破綻する可能性がある以上「経営破綻が生じ、抗告人が債権譲渡を受ければすべて稟議書が文書提出命令の対象となることになる」とした上で、これでは金融機関に萎縮的効果を与える、と述べたりしている。

しかし、そこには本件の争点、当該文書の記載内容との関係では何ら具体的な主張はない。すなわち、抗告人は、稟議書一般について「作成者個人の率直な意見・認識及び記載した稟議書の記載内容こそが作成者個人のプライバシーである」(再反論書五頁)と述べたり、「相手方以外の第三者に関するプライバシーに関する記載も当然なされる」(同七頁)などと述べるが、そこには本件事案の争点との関係や稟議書の記載内容との関係は何も述べられておらず、全くの一般論である。(その一般論すら妥当でないことは後述する。)

抗告人のいう「萎縮的効果」云々(同一〇~一二頁)に至っては、本件のような特殊な事案における決定を、あたかもすべての金融機関のすべての事案に当てはめられる可能性があるかの如き前提で、将来のすべての稟議書作成、金融機関の業務一般にまで影響があるかのように述べるものであり、事案を離れた抽象論である。

(二) しかし、自己使用文書か否か、及び特段の事情の有無についての判断は個別的具体的であるべきである。

すなわち、文書の性質上、自己使用文書か否かが決まってしまうとすれば、余りにも画一的にすぎ、かつ文書提出義務を一般義務化した法の趣旨に反し、妥当でない。具体的な事件の解決を目的とする裁判手続においては、「事案ごと、文書ごと、申立時期ごとの柔軟なアプローチを認めることは、実務上適切な判断を下すためには非常に妥当であ」るから、「事案ごとの比較考量をせざるを得ない」のである(平野「新民事訴訟法二二〇条をめぐる論点の整理と考察」判夕一〇〇四・五一)。

また、「自己使用文書にあたるか否かはやはり相対的に考えざるを得ないし、またそう考えるべきだと思います。問題となっている訴訟物なり争点なりの性格との相関において、ある文書が自己使用文書にあたるか否かが決まると考えるべきではないでしょうか」(ジュリスト一一二五・一二二の竹下発言)とされたり、「自己使用文書性については作成者や所持者の主観的意図のみによって判断すべきではなく、後に述べるいくつかの要素を総合的に考慮せざるを得ない。…司法に協力すべき国民の義務との関係で相対的に決められる性質のものである。したがって、自己使用目的が司法への協力義務を凌駕するかどうかについては、記載内容等に基づく比較考量を行わざるを得ない。別の表現をすれば…新法の下での自己使用文書概念は、一般的義務を否定するに足る程度の所持者の利用の排他性が認められるかという評価概念であると考えられる」(伊藤「文書提出義務と自己使用文書の意義」法協一一四・一二・一四五四)とされていることからも明らかである。

実定法上も右の解釈が正しいことは明らかである。すなわち、新民事訴訟法は二二三条二項で文書の一部提出命令について定め、二二〇条四号の文書については二二三条三項でいわゆる「インカメラ」手続を規定した。これは、自己使用文書か否かを、実際に裁判官が文書の記載内容を見た上で判断するための手続に他ならないのであり、個別的具体的事案の内容及び記載内容に即して判断することを前提としている。もし抗告人の理解のように、文書の性質上一律に決まるものであれば、このような文書の記載内容を確認するための手続は必要ないことになる。

さらに抗告人の主張は、最高裁決定からも、乖離したものである。すなわち、最高裁決定(平成一一年一一月一二日)は、ある文書が自己使用文書か否かを判断するに際して、<1>「作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情」を判断材料として、<2>「(イ)専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、(ロ)開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合」には、「(ハ)特段の事情がない限り」自己使用文書にあたるとしているのであり、<1>記載の事項を考慮材料として、イロハのような実質的利益衡量をしているのである(引用中、イロハの符号は引用者が付した)。したがって個別事案における具体的事情の下で、右の要素について判断しなければならない。

小林「貸出稟議書文書提出命令最高裁決定の意義」(判タ一〇二七・一九)も、「最高裁は、所持者の側の『看過し難い不利益』が生ずるおそれという実質的要件を要求する。…文書の客観的性質だけでなく、実質的考量を要求して」いる、と評釈しているし、特に「特段の事情」については、「個別的な事情を最高裁は想定していると読めよう。」とされている。

(三) なお、自己使用文書でないことや特段の事情の証明責任については、「法文の構造から考えると、自己使用文書性についての客観的、証明責任は挙証者の側にあるが、挙証者が訴訟の目的や、証拠としての重要性に照らして自己使用文書が否定されるべきことを主張・立証すれば、提出による障害や不利益は、所持者の側が立証する必要がある」(前掲伊藤論文一四五六頁)。

また、ジュリスト一一二五号一一三頁の秋山発言でも、「確かに提出除外事由の挙証責任は提出命令を求める側にあることになりますが、実務的に考えた場合、除外事由は通常は文書の所持者側の事情ですので、実際の挙証の場面では、提出命令を申し立てる側がそれなりの立証を一応すれば、反証できる立場にある所持者の側のきちんとした反証がない限り、適正な判断をしていただけるのではないか、と思っております」とされており、正当である。

いずれも挙証者が立証責任を負うとしつつも、挙証者が自己使用文書でないこと、あるいは特段の事情について、可能な限り立証をすれば、あとは所持者が反証しなければならないとするものである。

(四) 以上より、議論の出発点として、個別的事案における、具体的事情の下で、看過し難い不利益の有無、特段の事情の有無を判断しなければならないのであり、この点抗告人の主張は失当である。

本件では、訴訟の目的は木津信のインダーライアビリティを問うものであり、金融機関の誠実公正義務の範囲と内容を画するとともに、本件請求は被告らが本来負うべきいわれのない債務であることを明らかにすることであり、社会的に見ても、被告らにとっても極めて重要である。レイダーライアビリティは、抗告人自身が理念として掲げる「公正」の一内容としている「関与者責任追及」(中坊公平「住管機構 債権回収の闘い」一二~一四頁)と共通のものであり、社会的にも重要なのである。

そして、本件文書は金融機関の稟議書であるから、本件の争点である、貸付時の木津信の資金使途に対する認識、返済原資に対する認識、売却申し出の有無・時期などの重要な事項が記載されており、かつ木津信の担当役員らに証言させても自己の経営責任を問われるおそれがあることから、真摯な証言は期待できないおそれが多分にあるし、金融機関と顧客では証拠の偏在が著しいから、稟議書によって証明する必要性が極めて大きい。

以上を前提に、相手方は本件では、木津信が破綻して清算され、抗告人に事業譲渡され抗告人が債権回収業務を行っていること、木津信の担当役員らは抗告人にもはや雇用されていないこと、したがって木津信にも抗告人にも開示によって看過し難い不利益はないことを主張立証してきたのであり、十分な挙証責任を果たしたということができる。

にもかかわらず、抗告人は何らの具体的事実も指摘せず、反証しない。したがって、自己使用文書とは認められない、あるいは「特段の事情」があるとして、文書提出義務が認められるべきことは明らかである。

二、次に、抗告人は一般論として、開示することによる不利益があることを述べるが、これも失当であるので、以下念のために反論する。

(一) 「自己使用文書と認められるためには、その証拠としての提出が所持人の現在及び将来の生活や組織運営等にとって著しい障害を生じ、かつ、訴訟の目的や証拠としての重要性に照らして、所持人の司法への協力義務を否定しうるに足るものでなければならない」(前掲伊藤論文一四五六頁)。

(二) そこで、本件の具体的な事案に即して検討するに、本件は相手方(本案の被告)らが担保物件である友田町の土地を売却して木津信に対する債務を全額弁済しようとしたのに(そして全額弁済可能であったのに)、木津信がこれを妨害し、弁済を不可能にしたことが違法であるか否か等が問題となっており、その際、当初貸付時に木津信が融資金の使途を知悉していたか否か、返済原資は不動産売却代金によることが当初より予定されていたか否か、融資取引の過程で木津信が積極的に本件土地の処理について関与していたか否か(売却時期をいつにするかなど)、相手方らから担保物件売却による弁済の申出があったか否か、その際に木津信の対応いかん、他の金融機関(兵庫クレジット)の債務を木津信が肩代わりしたとき木津信が本件土地を取得する意向があったか否か、などが重要な争点となっている。

そして、本件文書提出命令にかかる文書は、融資取引にかかる稟議書及び附属書類一切であるから、これらの事実が記載されているのである。

ところで、抗告人が本件文書を所持するに至った経緯は、作成者である木津信が破綻し、清算手続に入り、もはや事業を継続しないことが決定したこと、それに伴い木津信から抗告人に事業譲渡されたこと、事業譲渡に伴い稟議書の占有が移転されたことによる。このように、本件では、作成者がもはや企業活動を事実上廃止しており、抗告人においても譲渡された債権の回収業務を行っているにすぎない。そして、過去に木津信において本件取引を担当した元役員を抗告人は雇用していない。

これらの事情の下では、本件稟議書が開示されたからといって、抗告人の自由な意思形成が阻害されるおそれは全くない。なお、木津信の自由な意思形成が問題とならないことは言うまでもない。

(三) 抗告人は「作成者のプライバシー」なるものを主張しているが(再反論書三~七頁)、そこでいう「作成者」とは木津信ではなく、稟議書に記入した個人を指すもののようである。

しかしながら、そもそもプライバシーとは「個人が道徳的自律の存在として、自ら善であると判断する目的を追求して、他者とコミュニケートし、自己の存在にかかわる情報を開示する範囲を選択できる権利」とされており(佐藤幸司「憲法」新版四〇八頁)、どのような情報でもプライバシー権として保護されるものではない。

プライバシーと言っても、道徳的自律の存在にかかわる思想、信仰、犯罪歴などの情報(プライバシー固有情報)であれば、強く保護されるが、個人の道徳的自律の存在に直接かかわらない外的事項に関する個別的情報(プライバシー外延情報)は強く保護する必要はない(佐藤前掲四〇九~四一〇頁)。

本件稟議書は、木津信の業務遂行の過程で作成されたものであり、その記載事項は最高裁決定も指摘しているとおり、融資の相手方の信用状況など融資を受ける者のプライバシーに関するものである。余程特殊な事案でない限り、木津信の担当者個人のプライバシー情報は記載されていない。

抗告人は、木津信の担当者個人が、意見を記載しているから、当該意見がプライバシー情報であると主張するが、そのようなものは個人の道徳的自律の存在にかかわらないからプライバシー情報の定義には含まれないし、仮に含まれるとの見解をとるとしても、個人の道徳的自律の存在の核心部分からはるか離れた外延に位置するものであり、法的保護の必要は極めて希薄である。

前回の反論書で、相手方が商取引に関する記載であることを指摘した(反論書一二頁)のは、木津信という金融機関の商取引の一環として、自然人が文書に記入する際、自己の認識や意見を記載したとしても、そこに担当者個人の思想や信仰に関する記載が含まれることはありえないし、また稟議書は個人の文書ではなく、木津信という組織が商取引を行う過程で作成する業務文書であるから、個人のプライバシー侵害という問題は生じないという趣旨である。

もしも、抗告人の主張を前提とすれば、およそ人間が記載した文書はすべてその人間の認識や意見が記載されているのであるから、開示を命ずれば常にプライバシー侵害をもたらすとして提出義務を負わないことになってしまい、奇異な結論であるばかりか、新民事訴訟法が一般的文書提出義務を認めた趣旨に反することは明らかである。

最高裁決定も、「看過し難い不利益」という実質的要件をみたす場合に一般的提出義務を解除したのであるし、稟議書に関して看過し難い不利益としては、記入した担当者個人のプライバシー保護を挙げてはおらず、組織としての銀行の自由な意思形成阻害のおそれを挙げているのであるから、抗告人主張の点は、金融機関という組織の自由な意思形成が阻害されるか否かで考慮すれば足ると解すべきである。

平野判事補の論文で「誰に見せるかという意味での処分の自由を考えると、基本的に全ての文書は法令で義務づけられていない限り、誰に見せて、誰に見せないかは所持者の自由なのであるから、これを根拠にするなら、全ての文書の提出義務が否定されてしまう」と述べて(同論文五一頁)、このような一面的な議論を否定していることは妥当である。

(四) 第三者のプライバシーについても、抗告人は単に「相手方以外の第三者に関するプライバシーに関する記載も当然なされる」とだけ述べるが、稟議書の記載事項は最高裁決定も述べるとおりであり、そこに第三者のプライバシー情報が記載されているなどという事態は通常ありえない。

もし稟議書に第三者に関する記載がなされているとすれば、通常は、保証人や会社代表者個人に関する事項であろうが、本件では保証人や代表者はいずれも福山通夫であり被告(相手方)として自ら文書提出を求めているのであるから、これを理由に提出義務を否定する必要はない。

仮に本件各文書に第三者のプライバシー情報が記載されているような例外的な事情があり得るとしても、原審はインカメラ手続で内容を確認しているのであるから、その部分を除外して提出命令をしたはずである。抗告人も、具体的に本件文書について第三者のプライバシー情報が記載されているとまでは主張しておらず、本件ではそのような記載はないことが明らかである。

(五) さらに、抗告人は原決定を「推し進めると」「結局稟議書には公開を予定した記述しかできないことになる」として「萎縮的効果」を主張する(再反論書一〇~一二頁)。

しかし、本件は木津信が破綻し、抗告人に事業譲渡されたため相手方に対する債権も譲渡されたが、破綻以前に木津信が違法な売却拒絶、担保抹消拒絶をしたために、本来なら相手方らが債務を完済することができたのに、これを不可能ならしめ、それ故、本件訴訟に至っているという極めて特殊な事案である。抗告人は、本件がこのような特殊個別的事情のある事案であることを忘れ、「原決定のような理由付けによれば、少なくとも破綻金融機関からの譲受債権にかかる貸出稟議書等は、すべて文書提出命令の対象となることになる」(即時抗告の理由の補充書一〇頁)と論じているのであり、議論の前提において誤解がある。本件は極めて特殊な事例であるから、本件原決定によっても何ら萎縮的効果をもたらすものではない。

また、前述の通り、そもそも個別事案の具体的事情の下で、自己使用文書か否か、特段の事情があるか否かを判断すべきなのであり、一般的抽象的な萎縮的効果まで考慮すべきではない。「証拠としての提出が所持人の現在及び将来の生活や組織運営等にとって著しい障害を生じ、かつ、訴訟の目的や証拠としての重要性に照らして、所持人の司法への協力義務を否定しうるに足る」(前掲伊藤一四五六頁)ものではないのである。

原決定は、本件事案の具体的な事情の下で、文書の記載内容をインカメラ手続で確認した上で、必要性・不利益の不存在を確認して文書提出命令を発したことをわすれてはならない。

仮に抗告人がいうような「萎縮的効果」にまで配慮しなければならないのであれば、文書提出義務を認めることは不可能となろう。なぜなら、日記を含めてすべての文書は、一律に例外もなく提出義務がないというものはあり得ないのであり、どのような文書でも、一定の場合には、文書提出命令の対象となる場合はあり得るのであり、抗告人の論旨によると、そのような場合であっても萎縮的効果があるから提出を命ずべきではないことになってしまい、不当である。

最高裁決定は、そのような硬直な見解ではない。抗告人の主張によれば、要するに稟議書はどのような例外もなく、常に文書提出義務を免れることにならなければ一貫しなくなるが(抽象的萎縮的効果を論じ、かつ記載内容にかかわらず作成者のプライバシーとして保護されるべきだと述べているからそう解される)、そのような見解は、新民事訴訟法が文書提出義務を一般義務化した趣旨に真っ向から反し、到底是認できない。

(六) さらに再反論書は、一二~一三頁において、破綻していない金融機関が債権売却を控えるとか、稟議書を添付しないで債権売却をするなどということを持ち出しているが、抗告人の持ち出す事例は、そもそも破綻していない金融機関の場合であるから本件で検討すべきものではない。

三、判断時期について

前掲伊藤論文が、時間の経過によって所持者の組織運営を阻害するとは言えないこともあることから、時間の経過によって自己使用文書性を失う場合があると認めている(前掲伊藤一四五六頁)ことを再度引用するまでもなく、自己使用文書性の判断、特段の事情の判断は、当該事案の争点や当該文書の記載内容との相関関係において決するのであるから、文書提出命令を発令するとき(裁判時)になされるべきことは明らかである。

なお、抗告人は再反論書九頁において、またしても不正確かつ恣意的な論文の引用をしているので、指摘しておく。すなわち、再反論書九頁は、平野判事補の論文五一頁から「自己使用文書についての所持者の処分の自由も、文書の記載内容が問題である」との部分を引用し、自己利用文書の判断時期が文書作成時であることに根拠としている。

しかし、平野論文は、五〇~五一頁において自己使用文書の判断基準を論ずるにあたり、まず自己使用文書であることが司法への協力義務を否定する根拠から論じ、その際、<1>旧法下の「共通文書」でないことを根拠とする見解は、新法では根拠足り得ないことを述べ、次に<2>所持者の処分の自由を根拠とする見解も根拠足り得ないことを述べ、ついで<3>自説として適正・公平な裁判を受ける権利とプライバシー権等との調整(比較考量)が根拠であると展開しているのである。

抗告人が引用した部分は、所持者の文書処分の自由を根拠として提出義務を否定する他説<2>に対して、「物体としての文書の所有権の侵害」を問題にするのは不当であると論旨を展開するために、「文書の記載内容が問題なのであるから」と述べているのであり、自己使用文書の判断時期が文書作成時であることを前提としているのではない。

むしろ真実は逆であり、平野判事補は、比較考量説に立ち、「挙証者と所持者の保護法益がいずれも重要な憲法上の人権であり、優劣が一概にはつけがたいので、事案ごとの比較考量をせざるを得ない」と述べており、争点についての立証の必要性などを考慮に入れるのであるから、平野論文の論旨として判断時期が裁判時であることは明らかなのである(文書作成時には争点など存在しない)。それにもかかわらず、抗告人は、前述の通り、歪曲した引用をしているのである。

前回に引き続いて、このような指摘をしなければならないことは残念なことである。

なお、従来(民事訴訟法改正前)の自己使用文書なる概念と新法下でのそれとは異なる概念であり、再反論書八頁のように、従来の裁判例などを引用しても意味はない。新法では、自己使用文書か否かを、インカメラ手続で判断するなどの立法がなされており、記載内容や事案の内容・争点等との相関関係で、裁判時に判断することが明らかであるからである。

四、それ以外の抗告人の論述については、すでに反論書等で述べたとおりであり、これ以上反論するまでもない。

第二 「再反論書」の第二について

一、抗告人は「文書の性質が金融機関の破綻によって変わらない」などとしきりに繰り返すが、これまで第一の一で個別的事案における具体的判断であること、第一の三で裁判時に判断することを述べたところから明らかなとおり、本件事案を離れて文書の性質云々を論じても無意味である。むしろ、本件事案においては、何ら看過し難い具体的不利益がないことが、本件の弁論の全趣旨からも明らかであろう。

二、証拠としての必要性について

抗告人は、証拠調べの必要性有りと認めた原決定に対して、証拠としての必要性がないことが不服申立理由となると主張しているが、そのような見解を採らないことは旧法下でも争いがない(大阪高裁平成八年一月一九日決定(第八民事部)、同平成九年八月二八日決定(第一〇民事部)など多数)。

書証の申し出の一つである以上、証拠の必要性の判断は受訴裁判所がなすべきであり、これに対する不服申立は上訴と共になすべきである。最高裁平成一二年三月一〇日決定は、かかる理を示したものであるから、抗告人の主張は理由がない。

なお、本件において、証拠としての必要性が極めて大きいことは前述の通りである。

第三 結語

一、本件では、高度の公共性をもつ金融機関が行った業務が適正か、違法かが問題となっているのである。抗告人は、稟議書を提出したくないために、種々の議論を展開するが、いずれも失当であることは、これまで述べたとおりである。

二、新民事訴訟法は、文書提出義務を一般化し、例外は「専ら」所持者の利用に供するための文書とされている。

一口に稟議書と言っても、様々なものがあり、様々な事案で問題となるのであるから、事案に即した結論を導かなければならない。その際、新法が文書提出義務を一般義務化した趣旨を没却しないよう解釈しなければならない。

前掲最高裁決定は、当該事案において稟議書を自己使用文書としたが、本件においては、これまで述べてきたとおり自己使用文書ではない(あるいは特段の事情がある)のであり、全く事案を異にする。

本件においては、前掲最高裁決定の事案とは全く異なる事案であり、文書作成者が破綻して事実上活動を廃止しているという極めて特殊な事案であるから、前掲最高裁決定の趣旨からしても何ら文書を開示するに看過し難い不利益がない。

しかも、原決定は、インカメラ手続を経て、具体的に文書の記載内容を点検し、開示することによる不利益がないことを確認した上で決定したのである。したがって、原決定は正当であり、速やかに抗告を棄却して頂きたく意見を述べる次第である。

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