大阪高等裁判所 平成13年(う)1249号 判決 2002年2月15日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中120日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人大政正一作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は検察官岡本誠二作成の答弁書に,それぞれ記載されたとおりであるから,これらを引用する。
1 控訴趣意中,事実誤認の主張について
論旨は,要するに,原判決は,原判示第2事実につき未必の殺意を認定しているが,被告人に殺意はなく,本件は重過失致死罪ないし業務上過失致死罪によって処断されるべきであるから,殺人罪の成立を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある,というのである。
そこで,所論にかんがみ,記録を調査し,当審における事実取調べの結果もあわせて検討するに,原判決挙示の証拠を総合すれば,被告人に少なくとも未必の殺意があったことは優に認められ,原判決が「事実認定の補足説明」の項で説示するところも相当として是認することができ,これは当審における事実取調べの結果によっても左右されない。
所論は,原判決は,本件交差点を右折した際の状況及び被告人の心理状態を正確に把握していないと主張し,①もし被告人に未必の殺意があったのであれば,信号が青に変わるのを待たず,直ちに発進して逃走を図ったはずである,②しかも,被告人は直進すればまともに単車にぶつかるとの判断のもとに右折しているのであり,被害者の居た位置や状況,被告人車両の発進状況に照らすと,被害者がトラックの発進を見て,当然に飛び退いて逃げるであろうと考えるのはむしろ自然な思考であり,右折であれば,多少単車にぶつかっても,被害者自身は逃げてくれるであろうと思ったとの被告人供述は首肯できる,③被告人は,下車した場合の恐怖心によるおののきや,焦りでいらいらした気持ちがあって信号を一心に見つめていたから,下方の単車に注意を払わなかったとしても不自然でない,④発進後,単車にトラックを衝突させながら加速して進行した点も,被告人は被害者が逃げてくれるであろうとの判断のもとに懸命に逃走を図っているのであるから,被害者の安否の確認を怠ったとしても,それは過失の範疇に属する,などと主張する。
確かに,客観的状況として,被害者が飛び退いて逃げる余地が全くなかったとまではいえず,また,原判決も説示するように,被告人としてはとりあえず被害者らの妨害を排除してその場を逃れればよかったのであり,被害者を殺害しようというまでの積極的な理由は見出し難いから,被告人の主観において,被害者が逃げてくれたらという意識が全くなかったとはいえない。しかしながら,被告人は,少なくとも単車に車体が衝突したことは認識していたのであり,まして被害者が単車に跨ってトラックと正対するという身体の自由が利きにくい体勢でいたことの認識もあったのであるから,被害者を轢過する可能性が相当高いことに思いが至らなかったとは到底考えられない。所論②は被害者が逃げると考えるのが自然な思考というが,単車に跨った人が行く手をさえぎっているのに,単車に車体をぶつけてまでしてトラックを発進させるというような無謀極まる行動をとる者がいるということの方がはなはだ考えにくいというべく,被害者が予期せぬことに慌て,逃げることができない状況に陥ることも十二分に予測されることである。そしてその場合,被害者が転倒して頭を打ったり,あるいはトラックが被害者を車体下部に巻き込み轢過するなどして死亡させてしまう可能性が高いことも容易に認識し得ることである。それにもかかわらず,被告人は,発進前に警告を発するとか,フロントガラス越しの目の前に居た被害者の顔の表情や身体の動きに注意するなどの行動を全くとらずに発進し,しかも発進後,車体下部に何かを引きずっていることを認識していたことが認められるところ,被害者を引きずっている可能性を排除するに足りる事情は特に認められないのに,被害者が無事に逃げることができたかどうかを確認するような行動を一切とっていない。以上によれば,被告人が信号が青に変わるまでは発進しなかったこと(所論①),全く身勝手なこととはいえ,逃げることに急で周囲への注意力が散漫であったことは否定できないこと(所論③)を考慮しても,被害者を死亡させてしまう可能性が高いことを認識しながら,これを意に介さずに敢えて発進,進行したといわざるを得ないから,所論④が主張するような過失にとどまるものとはいえず,未必の殺意は明らかに認められる。論旨は理由がない。
2 控訴趣意中,量刑不当の主張について
論旨は,原判決の量刑不当を主張するので,所論にかんがみ,記録を調査し,当審における事実取調べの結果もあわせて検討する。
本件は,トラックの窃盗(原判示第1)と,その窃取されたトラックを見つけて追跡してきた被害者らに取り囲まれたため,トラックのすぐ前に停車していた被害者運転の単車に構わず発進して被害者をトラック下部に巻き込み,引きずった上,轢過して死亡させた殺人(同第2)並びにその際無免許であった道路交通法違反(同第3)の事案であるところ,原判決が「量刑の理由」の項で説示するところは相当である。とりわけ,殺人について,自分でトラックを盗んでおきながら,被害者らに謝罪するどころか,捕まることを恐れて被害者を死亡させることを意に介することなく逃走しようとしたその動機・経緯は身勝手で人命軽視の態度が甚だしく,酌む余地がないこと,いきなりトラックを発進させて単車もろとも転倒させ,トラック下部に巻き込んで100メートル以上も引きずった上,車輪で轢過した犯行態様は残虐というほかなく,被害者の抱いた恐怖及び苦痛,29歳で命を失った無念さは考えるだに忍びないこと,遺族の悲しみも深く処罰感情も峻烈であること,それに対し被告人は何らの慰謝の措置を講じていないことなどの事情が認められる。そのほか,被告人は服役前科多数を有しており,規範意識の鈍麻は深刻であること,あくまで殺意を否定して不合理な公判供述を繰り返す態度をみると真摯な反省に乏しいといわざるを得ないことなどを総合すると,被告人の刑事責任は重大である。
したがって,殺意が未必的なものにとどまること,被害者の冥福を祈る言葉を述べていることなど所論指摘の諸事情を十分考慮しても,被告人を懲役13年(求刑懲役15年)に処した原判決の量刑は相当であって,これが重すぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。
よって,刑訴法396条,刑法21条,刑訴法181条1項ただし書を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河上元康 裁判官 細井正弘 裁判官 水野智幸)