大阪高等裁判所 平成13年(う)1407号 判決 2003年7月07日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中250日を原判決の懲役刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人山田一夫作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官作成の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。
第1 控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は、原判示第2の事実(大麻樹脂の営利目的所持)について、本件で麻薬取締官が行ったおとり捜査は、いわゆる犯意誘発型の違法なものであって、このような違法なおとり捜査によって得られた証拠物である本件大麻樹脂は、違法収集証拠として証拠能力が認められないのに、本件おとり捜査が適法なものであるとしてこれに証拠能力を認め、これを有罪認定の証拠とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。
そこで、記録を調査して検討するに、原判決がその「争点に対する判断」の1項、2項において、本件おとり捜査に至る経緯、おとり捜査の状況に関するA(本件の情報提供者であり、おとり捜査の協力者。以下「A」という。)やC(麻薬取締官であり、本件のおとり役)らの各供述の信用性を認め、これらの供述を前提として本件おとり捜査の適法性を肯定した点は、概ね相当としてこれを是認できるのであって、当審における事実取調べの結果によっても、この判断は動かない(なお、以下の説明では、当審での公判手続更新前の各供述調書中の被告人及び証人の各供述部分についても、単に「供述」として引用する。)。
すなわち、いわゆるおとり捜査の適否については、おとり捜査によることの必要性とおとり捜査の態様の相当性を総合して判断すべきものと解されるところ、まず、おとり捜査の必要性を検討するに、本件は、大麻樹脂約2キログラムの営利目的所持という重大薬物事犯である。そして、一般に、この種薬物の取引は隠密裡に行われることから、その証拠収集には困難を伴うところ、本件では、Aからの情報によっても、麻薬取締官において、被告人の住居や立ち回り先、大麻の隠匿場所等を把握することができず、他の捜査手法によって証拠を収集し、被告人を検挙することは極めて困難であったと認められるから、おとり捜査による証拠収集の必要性は強かったと認められる。
次に、おとり捜査の態様の相当性、特に、Aらを含む麻薬取締官側の被告人に対する働き掛けの程度を検討するに、この点につき、Aは、原審において、「平成12年2月26日ころ、被告人の方からAに対して大麻の買い手を紹介するように電話をしてきたので、大阪であれば紹介できると回答した上、その旨を以前から被告人に関する情報を提供していた近畿地区麻薬取締官事務所所属の麻薬取締官Dに連絡し、本件おとり捜査を行うことになった」旨供述しており、当審においても、その供述を維持している。Aの上記供述は、原判決が7項から8項の(3)ア、イにかけて説示する事情によって裏付けられているほか、当審での証人B(Aの弟。以下「B」という。)の供述によって一層強く裏付けられている。すなわち、Bの供述によると、同人は、<1>被告人から仕事があるのでタイに来てくれと誘われ、渡航費用として25万円の振込送金を受けたことから、薬物を運ぶ仕事をすることになるとは分かっていたものの、平成11年5月11日にタイに赴いたこと、<2>同所で、被告人からスーツケース2個を東京まで運ぶように依頼され、同月15日に帰国する際、スーツケース2個を預かったが、手荷物検査でスーツケース内に大麻合計約11.8キログラムが隠匿されていることが発覚し、同国で懲役3年に処せられて服役したことが認められるのであって(なお、タイ王国警察発行の無犯罪証明(当審弁10号証)は、被告人がタイ王国内において検挙歴がないことを証明するにとどまるものと解される。)、この事実は、Bが逮捕されたことにより被告人に恨みを抱いて麻薬取締官に情報提供をするようになったとのAの供述を裏付けている。また、被告人がBを利用してタイから大麻を本邦に密輸入しようとしたことからすれば、被告人は、本邦において、単独又は他の者と共謀の上、密輸入した大麻を売りさばこうとしていたと推認できるのであって、この点は、被告人から大麻の買い手を紹介するように依頼された旨のAの供述を裏付けるものといえる。したがって、上記のAの供述は、十分にこれを信用することができる。そして、Aの上記供述によれば、本件大麻樹脂の取引は、被告人の方から買い手を探してくれと持ち掛けてきたものであって、麻薬取締官はもとより、Aにおいても、被告人に対して犯意を誘発するような働き掛けは行っていないと認められる。もっとも、本件では、麻薬取締官側が取引日と想定した平成12年3月1日に被告人が大麻を大阪に持参しなかったことから、おとり役となったC、Aと被告人との間で具体的な大麻取引についての話し合いが行われ、被告人が翌同月2日朝一番の新幹線で東京に戻り、大麻を持参して同日午後1時か2時ころに大阪に再来し、前日と同一の場所で取引を行うことになったが、その過程で、Cにおいて、東京に行くことはできないとか、東京までの往復の交通費は持つなどと一定の働き掛けをしたことが認められる。しかし、この点の働き掛けは、すでに大麻樹脂譲渡の犯意を抱いている被告人に対し、単にその取引場所を大阪にするか東京にするかという点についての働き掛けを行ったにすぎない。そうすると、本件において、Aを含む麻薬取締官側が行った被告人に対する働き掛けは、すでに犯意を有する被告人に対して実行の機会を与えたにすぎないのであって、おとり捜査の態様もまた相当なものといえる。
以上からすると、本件おとり捜査は、証拠収集の必要性の強い事案において、相当な態様で行われたといえるから、何ら違法な点はなく、その結果得られた本件大麻樹脂も、証拠能力に欠けるところはないというべきである。
これに対し、所論は、<1>Aの供述は、原審でのそれと当審でのそれとの間に変遷が見られる、<2>Aは、当審において、同人が東京に赴いた際、被告人に対して覚せい剤があるかとの電話をかけ、東京においてもおとり捜査による被告人の逮捕を企てていた疑いがある、などとして、Aの供述は信用できない、と主張する。このうち、ます、<1>については、確かに、Aの供述は、平成12年2月ころ東京方面に行ったことがあるか、その際被告人と連絡を取ったことがあるかという点において、捜査段階、原審、当審の間に変遷が見られる。すなわち、Aは、麻薬取締官及び検察官の取調べでは上記のいずれをも否定していたのに、原審では「平成12年2月ころ、千葉、東京、静岡へ行っているが、その際被告人に連絡したことはない」として東京方面に行ったことのみを認め、さらに、当審では「平成12年2月ころ東京に行った際、被告人に電話をして『シャブどないかならんか』ということを聞いたが、被告人からは『何とかできることはできますけどね。だけど、時間が夜遅いから、できたら明日にしてください。』と言って断られた」と上記のいずれをも認める供述をするなど、その内容が被告人の供述に沿う方向に変遷している。しかし、Aの供述がこのように変遷したのは、同人において、同月ころ東京方面に赴いた際、共犯者3名と共に窃盗を行っていたことから、その直後に行われた麻薬取締官や検察官からの取調べの際には、その発覚を恐れ、東京方面に行ったことはもちろん、携帯電話の発信履歴を調べればどこで携帯電話をかけたかも発覚すると思っていたので、被告人に携帯電話をかけたことも否定し、また、原審でも、上記窃盗を含む窃盗、覚せい剤取締法違反等被告事件の被告人という立場にあったので、東京方面に行ったことは認めたものの、携帯電話をかけたことは否定していたが、すでに同被告事件の刑も確定し服役をしていた当審では、当初から事実関係をありのままに供述するに至ったという理由に基づくものと考えられる。そして、このような変遷理由は、それなりに合理的なものといえるから、上記の点に関するAの供述の変遷は、同人の供述全体の信用性に影響を及ぼさないものというべきである。次に、<2>については、関係証拠によれば、AがDに対して被告人から大麻樹脂の取引話を持ち掛けられたと申告したのは平成12年2月28日のことであり、同事務所において被告人検挙に向けた具体的な動きが見られるのも同日以後のことと認められるのであって、それ以前に、AとDら麻薬取締官が被告人検挙に向けた行動をとったことをうかがわせる証拠はない。また、Aの当審での供述でも、同人は、その友人(前後の文脈からして、東京方面に同行した窃盗の共犯者と解される。)から依頼され、被告人に対し、覚せい剤の入手方を依頼したと認められるのである(なお、Aが、平成12年2月ころに、同人の供述するD、E、Fの3名と共に東京方面に赴いて窃盗に及んでいることは、Aに対する前記被告事件の判決書抄本(当審検5号証)によって裏付けられている。)。したがって、Aが被告人に対して行った覚せい剤入手方の依頼は、友人からの依頼に基づく単発の取引の申込みと解され、このことからAが東京においてもおとり捜査により被告人を逮捕させようと企てていたとはいえず、ましてや、被告人を逮捕させるために、それ以後、何回も被告人に電話をかけ、大麻の入手方を強く依頼する行為に及んだなどともいえない。所論は採用できない。
所論はまた、被告人は、Aから、被告人に頼めば何とかなると思って大麻を売る約束をしてしまった、この約束を守らなければ自分の命が危ないので1回だけ何とかしてほしいと懇請され、さらに、Aに誘われて出向いた大阪で、同人が大麻の取引先だと思っていたCから怒鳴られているのを見て、Aを助けるために大麻を入手し、これを譲渡する決意をしたと捜査段階から一貫して供述しており、この供述は信用できるから、これに反するAらの供述は信用できない、とも主張する。しかしながら、原判決が8頁から9頁のウで指摘している点のほか、当審におけるBの供述等から、被告人が大麻の密輸事犯に関与していることは明らかであるのに、Bとは会ったこともないなどとしてこれを否定したり、平成12年2月にAからあった覚せい剤入手方依頼の電話をとらえて、この時すでにAと麻薬取締官は被告人をおとり捜査により逮捕しようとしていたと主張したりするなど、被告人の上記弁解は、主要な点で信用性に乏しいというべきである。したがって、この所論も採用できない。
このほか、所論や被告人が当審での被告人質問等においてるる主張する点を検討しても、本件おとり捜査の適法性を認め、本件大麻樹脂の証拠能力を認めた原判決に訴訟手続の法令違反はない。
論旨は理由がない。
第2 控訴趣意中、事実誤認の主張について
論旨は、原判示第2の事実について、被告人は、Aに頼まれ、同人を助ける目的のみで本件大麻樹脂を所持したにすぎず、営利の目的はなかったのに、これを肯認して被告人を有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。
そこで、記録を調査して検討するに、原判決がその挙示する証拠によって、本件大麻樹脂の営利目的所持につき被告人を有罪としたのは正当であり、また、その「争点に対する判断」の1項、3項において、所論と同旨の原審弁護人の主張に対し、被告人の供述の信用性を否定するなどしてこれを排斥するところも、相当として是認できるのであって、当審における事実取調べの結果によっても、この認定、判断は動かない。
所論は、被告人の供述が信用できると主張するが、これが信用できないことは前記のとおりである。そして、前記のとおり、被告人が、Bをタイに呼び寄せて大麻を本邦に密輸させようとするなどしていること、本邦に入国した後も、Gに対して国内外での運び屋をやるように勧誘していること、現に、被告人は、約2キログラムもの大量の大麻樹脂を調達し、これを、報酬を支払う旨約束したGに持たせてわざわざ大阪まで取引に赴いていること、被告人方からは、電子秤や手袋等も発見されていること、さらに、被告人は、平成5年11月にあへんの営利目的輸入、大麻の営利目的所持等により懲役6年及び罰金80万円に処せられた前科がありながら、本件でも大麻樹脂の取引に関与していることなどを考慮すると、被告人に営利目的があったことは優に推認することができる。
この論旨も理由がない。
第3 控訴趣意中、量刑不当の主張について
論旨は、仮に、被告人が原判示第2の事実についても有罪であるとしても、原判決の量刑は重過ぎる、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討するに、本件は、偽造旅券を使用した不法入国及び大麻樹脂約1977.33グラムの営利目的所持各1件の事案である。原判決も「量刑の理由」の項で説示するように、これらの犯行は、いずれも動機に酌量の余地がないこと、大麻樹脂の営利目的所持については、その所持にかかる大麻樹脂の量が多いこと、共犯者であるGを本件犯行に引き入れ、同女に運び屋をやらせることによって自らは保身を図るなど、犯行態様も卑劣で悪質なものであること、しかも、被告人にあっては、平成5年11月に本件と同種事案を含むあへん法違反、関税法違反、大麻取締法違反の罪により懲役6年及び罰金80万円に処せられ、同10年7月に仮出獄の恩典を受けて本国に強制送還されたにもかかわらず、その後も、本邦への大麻の密輸入に関与し、偽造パスポートを使用して本邦に不法に入国した上、またしても大麻樹脂の営利目的所持に及んでいるもので、この種薬物に対する親和性とともに規範意識の希薄さも認められること、加えて、本件は、いずれも前刑の仮出獄中の犯行であることに照らすと、その刑責は相当に重いといわなければならない。したがって、他方で、被告人が現行犯逮捕されたことから、結果として本件大麻樹脂が社会に拡散されることは未然に防止されたこと、不法入国については罪を認め反省の態度を示し、大麻樹脂の営利目的所持についても、所持の事実そのものは認めていること、本国では高齢の父親と心臓病を患う母親が被告人の帰国を待ちわびていることなど、被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても、被告人を懲役6年及び罰金100万円に処した原判決の量刑が不当に重いとはいえない。
この論旨も理由がない。
よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし、当審における未決勾留日数の算入につき刑法21条を、当審における訴訟費用を被告人に負担させないことにつき刑訴法181条1項ただし書を各適用して、主文のとおり判決する。