大阪高等裁判所 平成13年(う)1472号 判決 2002年8月22日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人塚本誠一、同宮本恵伸共同作成の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官篠〓和人作成の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、被告人は原判示の日時場所で株式会社オリエントコーポレーション発行の登〓康弘名義のクレジットカード(以下「本件クレジットカード」という。)を使用しておらず、仮に、被告人が上記日時場所で本件クレジットカードを使用したとしても、他人によるクレジットカードの使用を名義人が同意している場合には詐欺罪は成立しないと解すべきところ、本件でも、本件クレジットカードの使用及びこれによる代金債務の負担を名義人である登〓や同人から使用権限を与えられていた川嵜浩市が承諾しているとみられるし、これらの点について登〓らの承諾がなかったとしても、被告人はこの点について登〓らの承諾があるものと誤信していたのであって、事実の錯誤により詐欺の故意を阻却するから、いずれにしても被告人は本件について無罪であるのに、被告人が原判示の日時場所で本件クレジットカードを使用したと認定した上で、登〓や川嵜と被告人との間には、被告人に対しこの使用や代金債務の負担について登〓らが了解したものと強く推認されるような関係はなく、川嵜自身代金債務を負担することまで了解していなかったとして詐欺罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認ないしは法令適用の誤りがある、というものである。
しかしながら、記録を調査しても、原判決がその挙示する各証拠を総合して被告人が原判示の日時場所で本件クレジットカードを使用したと認定し、被告人には詐欺罪が成立すると認めたのは正当であり、当審における事実取調べの結果を併せて検討しても、原判決の事実認定及び法令の適用に誤りがあるとは認められない。
以下、所論に即して検討する。
1 被告人による本件クレジットカードの使用について
関係証拠によれば、原判示の日時場所で本件クレジットカードが原判示山川株式会社五条大橋営業所ガソリンスタンドの店員島拓也及び張本こと張厚仁に呈示され、同人らが上記クレジットカードの使用者に原判示の財物を交付したことが争いなく認められるところ、島は、原審公判廷において、被告人が上記クレジットカードを呈示して、その運転する自動車(アコードワゴン白色、以下「アコード」という。)及び後続の自動車に給油を指示し、自車の給油分の請求明細書に「トザキ」とカタカナで署名したことなど、原判決の「事実認定の理由」の項の第3、1(1)に記載のような内容の供述をしているが、島のこの供述の信用性が高く、一方、原判示の日時場所で本件クレジットカードが使用された際になされた上記請求明細書及び上記後続車の給油分の請求明細書の「トザキ」の署名の筆跡と被告人が書いた対照資料の筆跡とは同一筆者によるものではないとするのが妥当であるとする鑑定人馬路充英による鑑定が信用できず、島の上記供述の信用性を左右するものでないことは、原判決が同項第3、1(2)及び(3)で説示するとおりであって、島の上記供述その他の関係証拠を総合すれば、被告人が原判示の日時場所で本件クレジットカードを使用したと優に認めることができる。
所論は、馬路の鑑定手法や筆跡特徴についての原判決の判断には誤りがあり、筆跡鑑定の困難性についても、馬路鑑定の信用性を左右するほどのものではない旨主張する。確かに、馬路が原審において「真偽不明な場合は鑑定を引き受けない。」と述べるところは、原判決が説示するような、依頼を受けて資料を見たときの直感で真偽の結論を出し、不明の場合は鑑定を引き受けない、というものではなく、鑑定資料を見て真偽の判断に必要と思われるだけの資料がない場合には鑑定を引き受けない趣旨と解されるけれども、鑑定人の経験と勘に頼る部分が少なくない筆跡鑑定において、誠実に鑑定しようとすれば、それなりの資料のある場合でも、真偽不明の鑑定結果が出ることが考えられるのに、馬路は700件近い筆跡鑑定を行っていながら真偽不明と判断したことはないというのであり、このことは、同人が困難な事件では、無理矢理結論を出し、あとから理由付けをしているのではないかとの疑いを生じさせるのであって、結論において、鑑定手法の妥当性に疑問があるとした原判決の判断に誤りはない。次に、馬路鑑定の資料1(アコードの請求明細書の署名)には、所論が指摘するような「ト」の字に対して「ザキ」の字を左に寄せているといった特徴があるとまではいえないし、資料2(後続車の請求明細書の署名)の「ザキ」の字が「ト」の字よりも下方にはみ出すことは、馬路によれば筆者の配字形態の特徴であり、「ト」の字の第2筆や「ザ」の字の第1筆を右方に上げているからといって、必ずしも全体的に配字が右上がりになるとは限らないから、所論はいずれもその前提が首肯しがたいものであり、筆跡特徴についての原判決の判断に誤りがあるとはいえない。更に、馬路鑑定が対照資料として重視した被告人作成の上申書は、裁判所に提出するため丁寧に記載された筆跡によるもので、上記各伝票の署名の乱雑な筆跡とは筆記状態が大きく異なっていると考えられるし、馬路が所持する基礎資料も、鑑定をする度に蓄積され、他者と共有することはないというのであって、その分析は馬路の経験等によるところが大きいものと考えられるから、これらが本件筆跡鑑定の困難性を直ちに解消するものとはいえない。以上のとおり、所論が指摘する点は、馬路鑑定の信用性についての原判決の判断を左右するものではなく、所論は採用できない。
また、所論は、給油客が多数に及ぶことや島が初めて捜査官から供述を求められたのが本件の約3か月後であることからすると、本件クレジットカードを呈示したのが被告人であったことを島が憶えているのは不自然であり、島は無意識的に検察官に迎合して上記供述をした可能性があるから、島の上記供述は信用できない旨主張する。しかしながら、島は、アコードのナンバーが勤務するガソリンスタンドのある京都府外の「なにわ」であり、その運転手の風貌が暴力団関係者のように見えたことから、店が損害を受けることがあると困るので、気を遣って対応したため印象深かったと供述しており、本件に関する島の供述内容の具体性をも考え併せると、本件クレジットカードを呈示したのが被告人であったことについて島が記憶していたとしても特に不自然であるとはいえないし、後続車の給油分の請求明細書に署名したのが被告人なのか後続車の運転手なのかは分からないと述べるなど、島は記憶にあることとないこととを区別しながら供述しており、島のこのような供述態度に照らすと、島が捜査官に迎合して供述しているともいえないのであって、所論が指摘する事情はいずれも島の供述の信用性を左右するものとはいえず、所論は採用できない。
2 詐欺罪の成否について
クレジットカード取引は、クレジット会社、会員、加盟店の三者間で行われる信用取引で、このシステムを利用しようとする者は、入会申込書に氏名、職業、勤務先、収入等所定の事項を記入してクレジット会社に提出すると、クレジット会社により、記載された人物の実在性及び申込者との同一性について調査されるとともにカードの利用による代金支払能力の有無について審査され、これに通ればクレジット会社との間で会員契約を締結して自己名義のクレジットカードの貸与を受けられ、クレジット会社との間で加盟店契約を締結した加盟店においてこのクレジットカードを呈示して商品の購入やサービの提供を申し込むと、加盟店によりクレジットカードの有効性が確認されれば、その場で代金を支払うことなく商品の交付やサービスの提供を受けることができ、後日クレジット会社が加盟店の請求により立替払いした代金をクレジット会社に支払うという仕組みになっている。これによれば、クレジットカードのシステムは、クレジットカードの名義人である会員個人に対する信用を基礎に、クレジット会社が本人に限り無担保で一定限度内の信用を供与する制度であると考えられ、だからこそ、クレジット会社は、加盟店に対し、加盟店契約で売上票の署名とクレジットカードの裏面になされた署名と同一であるかどうか確認するなどしてクレジットカードを呈示した者がクレジットカードの名義人であるかどうかを確認するよう求めているのである。他方、加盟店は、この確認ができれば、クレジットカードを呈示した者がクレジット会社の信用調査を受けて会員契約をした会員であり、商品を販売したりサービスを提供したりしてもクレジットカードシステムによりクレジット会社から代金の立替払いを受けられるものと信頼でき、それだからこそ、クレジットカードを呈示した者の支払意思や支払能力を特に調査することなく同人との取引に応じているということができる。
そうすると、他人名義のクレジットカードを加盟店に呈示し商品の購入やサービスの提供を申し込む行為は、たとえそのクレジットカードが不正に取得されたものでないとしても、クレジットカードの使用者とその名義人との人的関係、クレジットカードの使用についての承諾の具体的内容、クレジットカードの使用状況等の諸般の事情に照らし、当該クレジットカードの名義人による使用と同視しうる特段の事情がある場合を除き、クレジットカードの正当な使用権限を偽るものとして詐欺の欺罔行為にあたり、この行為により使用権限を誤信した加盟店から商品の交付やサービスの提供を受けた場合には、加盟店に対するこれらの財物や財産上の利益についての詐欺罪が成立すると解するのが相当である(なお、原判決が他人名義のクレジットカードを使用して加盟店から商品の交付を受ける行為ついて、原則として詐欺罪に該当するが、クレジットカードの名義人が当該呈示者によるクレジットカードの使用を承諾した上、この取引から生じる代金債務を負担することも了解しており、かつ、名義人と当該呈示者との間に、このような承諾・了解が客観的にも強く推認される関係がある場合には詐欺罪が成立しないとしているのも上記と同旨の判断に出たものと考えられ、その説示に誤りがあるとは認められない。)。
これを本件についてみるに、本件クレジットカードの入手経路に関する被告人の捜査段階及び原審公判廷における供述は信用できないが、これを強盗に奪われたとする川嵜の原審公判廷における供述も信用できず、結局、公訴事実記載のように被告人が本件クレジットカードを不正に入手したとまでは認められないことは原判決が認定説示するとおりである。しかしながら、関係証拠によれば、被告人は、本件クレジットカードの名義人である登〓とは全く面識がなく、本件クレジットカードを入手した際に同人から具体的に使途や金額などを定められてその使用を承諾されていたわけでもなく、また、本件犯行の際にも登〓は臨場しておらず、同人は被告人が本件クレジットカードを本件犯行現場で使用することは全く知らなかったことが認められるのである。もっとも、本件クレジットカードを本件犯行の直前まで所持していた川嵜がこれを自発的に第三者の手に委ねた可能性が排除できないことは原判決が認定説示するとおりであるが、関係証拠によれば、登〓は川嵜と中学校の同級生で親友であったことから、本件クレジットカードを川嵜に預けていたが、川嵜がこれを使用する際には登〓が同行して売上票に署名し、その利用代金は川嵜が登〓に交付したり引落口座に振り込んでおり、これまで川嵜はこれを確実に履行していたことが認められ、これらの事実によれば、登〓は、川嵜との人的関係や確実な利用代金の支払いから川嵜を信頼して本件クレジットカードを預けた上、なお、登〓自身の目の届くところに限ってその使用を川嵜に許していたものであるから、川嵜以外の第三者が使用することまで承諾して川嵜に本件クレジットカードを預けていたとはいえない。以上によれば、被告人による本件クレジットカードの使用は、その名義人である登〓によるものと同視することはできず、被告人は本件について詐欺罪の罪責を免れないというべきである。
所論は、取引実態からすると、一定額以下の取引については、使用者とクレジットカードの名義人の同一性やそれが異なるときに原判決が説示するところの名義人の承諾・了解が客観的に推認される関係があるか否かを問題としていないというべきであるから、本件のような少額の取引において他人名義のクレジットカードを使用したとしても詐欺罪は成立しない旨主張する。確かに、関係証拠によれば、所定の金額を超える本件クレジットカードの使用については加盟店に設置された専用の端末機等によりクレジット会社の承認を得ることになっているところ、本件では上記クレジットカードの使用に際しこのような承認はなされていないことが認められる。しかしながら、クレジット会社は、少額の取引の場合であっても、加盟店契約によりクレジットカードの呈示者が正当な利用権限を有するか否かの確認義務を加盟店に免除しているわけではなく、クレジット会社が少額のクレジットカードの使用による取引について事前の承認を得なくてもよいようにしているのは、事務の繁雑を避けるためにこれを省略しているに過ぎないから、事前承認の必要のないことから直ちに名義人以外の者がクレジットカードを使用できることにはならないのであって、このような取引の場合であっても、加盟店にとってはクレジットカードの呈示者がその正当な使用権限を有するか否かに関心があることに変わりはないと考えられ、本件においても、島や張も検察官に対し本件クレジットカードの呈示者が登〓本人でなく、カードの利用代金を支払う気もないと分かっていれば、給油に応じなかったことは間違いない旨供述しているのであるから、これと見解を異にする所論は採用できない。
また、所論は、被告人には本件クレジットカードの使用について名義人である登〓の承諾がないことや同人が代金負担をすることの了解がないことの認識がなく、被告人は登〓の承諾、了解があると誤信していたものであるから、事実の錯誤があり、詐欺の故意を阻却する旨主張する。しかしながら、上記のとおり、他人名義のクレジットカードを加盟店に呈示し商品の購入やサービスの提供を申し込む行為は、たとえそのクレジットカードが不正に取得されたものでないとしても、クレジットカードの使用者とその名義人との人的関係、クレジットカードの使用についての承諾の具体的内容、クレジットカードの使用状況等の諸般の事情に照らし、当該クレジットカードの名義人による使用と同視しうる特段の事情がある場合を除き、クレジットカードの正当な使用権限を偽るものとして詐欺の欺罔行為にあたるのであるから、上記行為を行った者は、他人名義のクレジットカードを使用することについての認識がある以上、上記特段の事情があると誤信しない限り、詐欺の故意を阻却しないと解すべきである。これを本件についてみるに、上記信用性の高い島の原審公判廷における供述によれば、被告人は、本件クレジットカードを使用する際アコードの請求明細書に「トザキ」と署名していることが認められ、被告人が他人である登〓名義のクレジットカードを使用するとの認識を有していたことは明らかであるところ、被告人は登〓とは全く面識がないことなどの上記認定の事情に照らすと、同人との直接の関係で、被告人が上記特段の事情があると誤信するような状況があったとは到底考えられない。もっとも、上記のとおり、本件クレジットカードを本件犯行の直前まで所持していた川嵜がこれを自発的に第三者の手に委ねた可能性は排除できないのであるが、被告人が本件クレジットカードをいかなる経緯で入手したか詳らかではなく、本件クレジットカードの入手先や入手したときの具体的なやりとりなどが明らかではないのであって、この入手先との関係においても、上記特段の事情があると被告人が誤信するような状況にあったことは窺えない。そうすると、被告人にこのような誤信があったとは認められず、所論は採用できない。
以上のとおりであって、原判決には所論が指摘するような事実の誤認ないしは法令適用の誤りがあるとは認められない。
論旨は理由がない。
よって、刑事訴訟法396条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。