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大阪高等裁判所 平成13年(う)566号 判決 2004年2月24日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六年に処する。

原審における未決勾留日数中二四〇日をその刑に算入する。

原審及び当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は検察官大塚清明作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は主任弁護人浦功、弁護人石松竹雄、同横井大三、同寺尾正二、同竹澤哲夫、同渡部保夫、同山田有宏、同永山忠彦、同松本和英、同小林照佳、同岡靖彦、同後藤貞人、同原田紀敏及び同谷野哲夫共同作成の答弁書並びに主任弁護人浦功作成の「答弁書の正誤表の提出について」と題する書面に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、「被告人は、五代目山口組若頭補佐兼A野会会長であるが、法定の除外事由がないのに、(1)同会会長秘書Kと共謀の上、平成九年九月二〇日午前一〇時四〇分ころ、大阪市北区所在のD本ホテル(以下「本件ホテル」という。)一階南側出入口前通路上において、回転弾倉式けん銃一丁を、これに適合する実包六発と共に携帯して所持し、(2)同会B山組組員Mと共謀の上、上記日時ころ、同ホテル一階メインロビーにおいて、自動装てん式けん銃一丁を、これに適合する実包五発と共に携帯して所持した」旨の本件各公訴事実はいずれも証拠上明確に認定できるのに、被告人とK及びMとの各共謀の事実の証明が不十分であるとして被告人を無罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、上記各共謀の事実は関係証拠によって優に認められるというべきであるから、原判決が本件各公訴事実のいずれについても被告人を無罪としたのは是認できず、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるといわなければならない。その理由は、以下のとおりである。

第一本件各公訴事実及び両当事者の主張

一  公訴事実及び事案の概要

本件各公訴事実の要旨は、上記のとおりである。その客観的側面及び被告人の地位については、当事者間に争いがなく、証拠上も明らかに認められる。争点は、被告人とK及びMとの各共謀の存否、換言すれば、被告人に本件の共謀共同正犯が成立するかどうかということである(なお、本件ホテルの名称は、平成一〇年六月二六日に「D本ホテル」から「D海」に変更されている。また、以下で年度を明示しない場合は、平成九年を意味する。)。

当事者間に争いがなく、証拠上も明らかに認められる範囲で、あらかじめ事案の客観的側面を概観すると、本件は、神戸市に本拠を置く山口組の若頭補佐で、名古屋市に本拠を置くA野会の会長でもある被告人が、配下組員と共に大阪市内の本件ホテルに宿泊した翌朝、山口組総本部で開かれる定例幹部会に出席するため、大阪市に本拠を置く傘下組織が用意した自動車で同ホテルを出発しようとして、宿泊していた二八階から一階までエレベーターで降り、メインロビーを経て南側出入口に向かった際、一斉職務質問に伴う所持品検査により、A野会会長秘書の肩書を有する同会幹部のK及び同会若頭が率いるB山組若中のMがそれぞれけん銃等を携帯所持しているのが発見され、銃砲刀剣類所持等取締法違反の被疑事実により現行犯逮捕されたことから、両名に対し、それぞれ単独犯行に係る同法違反の事実により公訴が提起されたほか、その後、被告人に対しても、両名との各共謀に係る同法違反の事実により公訴が提起されたという事案である。また、両名がけん銃等を携帯所持した目的が、けん銃による襲撃から被告人の生命、身体を守るというものであったことも、当事者間に争いがなく、証拠上も明らかに認められる。

なお、上記二八階には、同じく山口組若頭補佐で、静岡県浜松市に本拠を置くE田会の会長でもあるTも、配下組員と共に宿泊しており、被告人と同様、定例幹部会に出席するため、被告人と同じエレベーターで一階まで降りて南側出入口に向かったが、その配下組員であるG1及びE1がそれぞれけん銃等を携帯所持しているのを発見されて現行犯逮捕され、これら両名に対し、それぞれ単独犯行に係る同法違反の事実により公訴が提起されたほか、その後、Tが長期間逃亡していたため、被告人よりかなり遅れたとはいえ、Tに対しても、これら両名との共謀に係る同法違反の事実により公訴が提起され、現に大阪地方裁判所で審理中である。

二  原審検察官の主張

原審で検察官は、被告人につき、配下組員がけん銃等を携帯して自己の警護をしていることを暗黙のうちに認識、認容していたという事実が認められれば、前記各共謀の存在を認定できるとした上、本件では、直接証拠はないものの、間接事実(いわゆる情況証拠)の積み重ねにより、上記各共謀の存在が立証できている、と主張した。

すなわち、原審検察官は、本件当時の情勢について、「八月二八日、神戸市にあるC海ホテル内のティーラウンジにおいて、山口組若頭兼B野組組長のAが何者かにけん銃で射殺されるという事件が起こり、山口組執行部は、これを同組C川会関係者による犯行と考え、同会会長のBに対し、同月三一日に破門処分を、次いで、同年九月三日には絶縁処分をそれぞれ告知したが、山口組及びC川会の関係者間においては、上記各処分はいずれも山口組若頭補佐である被告人及びTの意向が反映されたものと認識されており、本件当時、山口組とC川会とは対立抗争状態にあって、特に京阪神方面では山口組幹部の生命、身体に危険が及ぶ状態であり、被告人も同様の認識を有していた」などとした上、証拠上認められる種々の間接事実や、配下組員の間には、親分から指示されるまでもなく、けん銃等を携帯所持して親分を警護するという行動原理が存在することにかんがみると、A射殺事件の直後である本件当時は、その犯人と目されたC川会関係者による被告人襲撃の危険性が阪神方面では特に高く、被告人の生命、身体に対する侵害を防ぐ具体的な必要性があったし、また、被告人としても、K及びMが本件けん銃等を携帯所持して自己を警護していることを知りながら、両名を利用してその身の安全を図る意図を有していたのであるから、被告人には前記の認識、認容が存したと認定できる、と主張した。

三  原審弁護人の主張

これに対し、原審弁護人は、検察官が主張する被告人に不利な間接事実の存在を逐一争うとともに、被告人に有利な間接事実の存在を主張した上、Kの地位及び来阪の経緯に関し、本件当時、Kには会長秘書の肩書のみが残っていただけで、既にその地位にはなく、本件ホテルでKが逮捕されたのは、被告人の身を案じたKがけん銃等を携帯所持し、被告人の知らないところで勝手に付いてきた結果であり、MもKの指示でけん銃等を携帯所持して勝手に付いてきたものである、などとして、被告人には前記の認識、認容など全くなかった、と主張した。

第二本件公訴事実に対する原判決の判断

これに対し、原判決は、まず、K及びMが、一貫して被告人との共謀を否定しながらも、原審公判で、けん銃等の携帯所持の目的は被告人を護衛するためであった旨述べていること等にかんがみると、仮に、被告人につき、自分を警護するためにKらがけん銃等を携帯所持していることを明示的又は黙示的に認識し、これを容認(許容)していたと認めることができるのであれば、被告人は自己の犯罪としてKらと共謀してけん銃等を所持したと評価でき、共謀の事実が認定できる、と説示した上、証拠上どのような事実を認定できるかを検討し、次いで、検察官の主張する暴力団の行動原理についても検討し、対立組織等による銃撃の現実的可能性があり、これに備える必要がある場合は格別、そこまでの事情がない場合に、親分が処罰される危険を冒してまでけん銃等で親分を警護する必要性は高いとはいえないから、検察官が主張するような暴力団の行動原理が経験則あるいは公知の事実として妥当しているとはいえない、と説示した上、さらに、共謀の存否の検討に入り、

①  Kは、「会長秘書」として、雑用をすることも兼ねて同行しており、Mも、Kの指示を受け、補助としてけん銃を携えて同行していたこと、被告人自身も、「会長秘書」及びその補助者が同行していることを認識していたこと、E田会関係者もTを警護するためにけん銃等を携帯所持していたこと、被告人を始めとするA野会関係者(以下、単に「A野会関係者」というときは、被告人を含む。)が、いずれも共謀に関し、被告人に罪責が及ばないよう虚偽の供述をしていること、本件事件後、KらはA野会から一切処分されておらず、かえって、多額の見舞金が集められて差し入れられるなど、功労者として扱われているといえること等に照らすと、被告人が、K及びMがけん銃等を所持して被告人を警護するのを承知の上で、両名を同行させていたと認める余地がないわけではなく、その意味で、被告人がK及びMと共謀して本件けん銃等を所持していたという嫌疑も相応に存在する、としたが、

②  他方で、反社会的な暴力団組織といえども、親分の近くでこれを警護していると思われる子分がけん銃等を所持していたという一事をもって、暴力団の行動原理からして親分との意思疎通があったものと推認するのは、論理に飛躍があり、むしろ、身近にいる子分のけん銃等の所持が警察に発覚したとき、その累が親分に及ぶおそれのあることが予想されることから、暴力団組織としては、けん銃等を所持して親分を警護することがあるとしても、できるだけその危険が小さい方向で警護態勢を組むのが通常であり、親分が常にその一部始終を認識しているとは考え難く、せいぜいけん銃等を所持する者が周囲にいるかもしれないという程度の漠然とした未必的認識(意思連絡の基礎となる認識としてはかなり薄弱なもの)を持つにすぎないのではないかとの疑問もある、

③  これに加え、Aの通夜に被告人が出席した際、近くにいたKらも所持品検査を受けたが、けん銃等は発見されなかったことから、本件の際もけん銃等を持ってきていないと考えていたということもあり得ないではないし、Kの一存又はA野会幹部の指示でけん銃等を所持し、そのことを被告人が関知していなかった可能性も否定できず、しかも、被告人がMの存在を認識していたと認めるに足りる証拠もない。

④  さらに、A射殺事件後、C川会関係者がB野組関係者から一方的に攻撃を受けていたが、反撃に出た形跡もないこと、被告人は、本件前日、自動車に比較して防御がより難しい新幹線で移動しており、名古屋駅で新幹線に乗車する際も、殊更被告人を厳重に警護するような隊形がとられたともうかがわれない上、山口組総本部からの帰路、被告人がT及びO(注:山口組組長秘書で、会津若松市に本拠を置く山口組A林一家の総長、被告人の舎弟分でもあるという。)とふぐ料理店で夕食を共にし、食事後も人通りの多い地下街を歩くなどしていた可能性もあるなど、被告人らが襲われるのではないかという不安を持っていたとはいえない行動をとっていたことからすると、被告人らが、C川会関係者による襲撃を受ける現実的危険性がほとんどなく、この危険性につきいまだ漠然とした抽象的なものにとどまっていたと判断していたことを否定しきれず、被告人がけん銃等で警護される必要性を感じていたかについても疑問がある、

⑤  しかも、本件当時の現実の被告人に対する警護態勢を見ても、A射殺事件の起こる前よりは厳重になったとはいえ、本件当日の朝も三々五々エレベーターから出てくるなど、被告人を取り囲むなどの緊迫感のある警護を行っていた形跡はなく、また、被告人の周りには親衛隊のように見える一団(付き人)がいないではないが、被告人のボディーガードに専従する組織の存在をうかがわせる証拠もない、

と説示した上、以上の事情を総合すると、被告人において、K及びMがけん銃等を所持して被告人を警護していたことを認識し、これを容認(許容)していたとするには、なお合理的な疑いが残るといわざるを得ないとして、いずれの公訴事実についても被告人に無罪を言い渡した。

第三当審における攻防

一  検察官の主張及び立証

検察官の所論は多岐にわたるが、その骨子は、本件において共謀を推認する根拠となる間接事実についての原判決の認定・評価には誤りがあり、被告人とKらとの共謀は優に推認できる一方、原判決が共謀の事実を否定するに当たって挙げた諸点は、いずれも前提となる事実を誤認したか、共謀の存在を否定する根拠となり得ないものであるとして、共謀の存在を否定した判断の誤りを主張するものである。

検察官は、当審における立証として、多数の証拠の取調べを請求したが、その中で、とりわけ適否が争われたのは、「親衛隊の存在及び活動実態、被告人に対する身辺警護の状況(けん銃を所持するなどしてボディーガードしていたこと)、被告人において同ボディーガードらがけん銃を所持しているものと認識し得る状況にあったこと等」を立証趣旨とするS1の検察官調書である。当裁判所は、同調書が不同意とされたことから、証人尋問請求のあったS1を証人として採用したが、同行予定とされていた同人と検察官との連絡が取れなくなり、同人が二回にわたり公判期日に出頭しなかったことから、同人の所在に関する書証多数を同意書面として、また、同人を取り調べるに至った経緯、その後の連絡ないし接触状況及び同人の所在等を立証趣旨とする警察官羽田勝を証人として取り調べた後、S1の検察官調書を刑訴法三二一条一項二号前段(供述者の所在不明)書面として取り調べた。これについては、後述する。

他方、それ以外の人証として、当裁判所は、S1の上記供述調書を取り調べるなどした後に証人尋問請求があったK(双方申請)及びMを証人に採用したが、公判廷に出頭して証言したのはKだけであり、不出頭に終わったMについては、請求が撤回されたのに伴い、採用決定を取り消した。また、その余の証人については、いずれも請求を却下した。

したがって、当審において取り調べた検察官請求証拠は、①人証としては、羽田及びKの二人、②書証としては、S1の上記検察官調書のほか、その居住関係に関する書証、K及びMに対する没収判決確定後におけるけん銃の保管状況に関する書証、Kが自分の住居であると供述したマンション室内の状況及びKのクレジットカードの契約内容等に関する書証等、③物証としては、K及びMが所持していた各けん銃である。

二  弁護人の主張及び立証

これに対し、弁護人は、無罪判決に対する検察官控訴が違憲、違法であると主張するほか、控訴提起後における検察官の証拠収集や控訴審における主張・立証が違法であると主張し、控訴趣意書中、控訴審における新立証を前提とする部分の削除を命じるよう求めるなどするとともに、原判決がKの地位や来阪の経緯に関する関係者の供述は虚偽であると説示した点を強く争い、さらに、S1の上記供述調書については、証拠能力を欠くと主張するとともに、供述内容の信用性を争うため、A野会傘下の組員であるT2ことT1及びU1の証人尋問を請求した。なおまた、検察官請求証人として採用されたKについても、双方申請証人として取り調べるよう請求したほか、Kの住居とされていた居室の実際の居住者等に関して、書証の取調べ及びA野会組員V1の証人尋問も請求した。

当裁判所は、控訴趣意書の一部の削除を検察官に命じるなどの措置は執らず、上記のとおり、S1の検察官調書の証拠能力を肯定したほか、弁護人請求に係る証人四人については、T1及びKのみを取り調べ、残りの二人についての請求を却下し、さらに、同意のあった書証を取り調べた。

第四前提的問題及び事実認定に当たり特に留意すべき点

一  検察官の当審における主張及び立証等の適否について

弁護人は、①無罪判決に対する検察官控訴は憲法三九条に違反する、②仮にそうでないとしても、被告人に不利益な検察官の控訴は、当該判決に重要かつ明白な誤りがある場合又は事実認定に用いた採証法則の適用に重大な誤りがある場合に限り、例外的に許されるものであるところ、原判決にはそのような誤りがあるとはいえないから、検察官の本件控訴の申立ては上訴権の濫用に当たる、と主張する。しかしながら、①については、そのような検察官控訴が憲法三九条に違反するとは解されず(最高裁判所昭和二五年九月七日大法廷判決。刑集四巻九号一八〇五頁参照)、②についても、弁護人の主張は独自の見解であって、採用することができない。

弁護人は更に、検察官の控訴趣意及び当審における証拠調請求に対し、③無罪判決後の検察官の捜査はなりふり構わぬ違法不当なものである、④当審における新主張及び立証は控訴審の事後審性に反する上、刑訴法三八二条の二第三項が要求する疎明資料の添付もないから、同法三八六条一項二号、三号により、決定で控訴を棄却すべきであり、仮にしからずとするも、少なくとも、控訴趣意書中の新事実に基づく部分の弁論は許されないから、当該部分は削除されるべきであり、⑤仮に、疎明については、証拠等関係カードの記載及び弁護人に開示された各証拠の内容を考慮に入れるべきものとしても、同条項が要求するような疎明がなされているとはいえない、と主張する。

しかしながら、③については、原判決の説示に接した結果、過去の捜査で詰め切れていなかった部分について補充捜査の必要が生じたとしても、それ自体が特段異とすべきものとまではいえない上、本件にあっては、被告人と同一の機会に配下組員がけん銃等を携帯所持しているのを発見されたTが、被告人の逮捕後も長く逃亡生活を続けた結果、原判決宣告後にようやく逮捕されるに至っており、その関係でなされた捜査結果を本件に反映させようとしたとしても、それが許されないとはいえない。また、本件当時A野会にあって親衛隊に属したと自称し、原判決後に捜査機関に接触を図ってきたというS1についても、その取調べを行って真相を解明しようとすること自体は当然の対応といわざるを得ないから、検察官の主張及び立証が制約されるべきではない。次に、④については、控訴趣意書の大部分においては、刑訴法三八二条に従った具体的な事実の援用がなされているのであるから、決定で控訴を棄却すべき場合には当たらないし、新事実に基づく部分の弁論を許さず、その削除を命じるべきだとする明文上の根拠もない上、そもそも、弁護人が新事実ないし新証拠として非難するところについては、新証拠により立証する旨が控訴趣意書中で明示されているほか、その後に提出された証拠等関係カードにおける記載等をも併せ考慮すれば、同法三八二条の二第三項が要求する「疎明資料の添付」があったのと同視できる状態にあるというべきであり、⑤についても、本件における程度の記載があれば、同条項が要求する疎明義務は尽くされているというべきである。したがって、弁護人の主張はいずれも採用できない。

もっとも、検察官が新証拠により立証しようとする各事実は、S1の供述により立証しようとした親衛隊の実態を除けば、いずれも事実誤認の決め手とはなりにくい周辺的な間接事実であるにとどまるか、旧来の証拠により一応認められるところと実質的に重複するところが大きいものであって、本件における証拠構造全体からすれば、これら多数の証人を次々と取り調べることが控訴趣意に対する判断を行う上で不可欠であるとか、同法三九三条一項ただし書にいう「事実の誤認を証明するために欠くことのできない場合」に当たるとまではいえない。そこで、当裁判所は、S1を取り調べるに至った経緯等に関する証人羽田を取り調べた上、S1の検察官調書を採用するとともに、弁護人請求の証人T1を取り調べることにより、上記供述調書の信用性に対する反論の機会を与え、さらに、事案の全体に関与しており、真相に最も深くかかわっていると認められるKを双方申請証人として直接取り調べることを通じ、主として旧証拠の更なる検討によって、論旨に対する判断を行うこととした次第である。

二  S1の検察官調書の証拠能力及び信用性

同調書の証拠能力についての当裁判所の判断は、平成一五年三月二〇日付け決定書に記載したとおりであり、現在においても、これを変更する要を見ない。

その要点を述べると、刑訴法三二一条一項二号前段は、同法三二〇条の伝聞法則の例外を定めたものであり、また、憲法三七条二項が被告人に証人審問権を保障している趣旨にもかんがみると、所在不明の要件が備わってさえいれば、常にその供述調書の証拠能力が付与されるというものではなく、当該調書が作成され証拠請求されるに至った事情や、供述者が所在不明になった事由のいかんによっては、その証拠能力が付与されないこともあり得ると解される(最高裁判所平成七年六月二〇日第三小法廷判決。刑集四九巻六号七四一頁参照)が、本件では、検察官が、本件検察官調書作成の時点において、S1がいずれ所在不明になり公判準備又は公判期日に供述することができなくなることを認識しながら、殊更にそのような事態を利用しようとしたとか、裁判所がS1について証人尋問の決定をしているにもかかわらず、同人が所在不明となることをあえて容認したなどといった、手続的正義の観点から公正さを欠くような事情は認められないから、同調書を事実認定の証拠とすることが許されない場合とはいえない。そしてまた、刑訴法三二一条一項二号によれば、その証拠能力を認める要件として信用性の情況的保障の存在を要求していないことも法文上明らかであり、また、このように解しても、何ら憲法三七条二項に違反するものではない(最高裁判所昭和二七年四月九日大法廷判決。刑集六巻四号五八四頁参照)。

ところで、検察官側に、手続的正義の観点から公正さを欠くような事情がないとしても、供述者であるS1側に、その供述の信用性を否定すべき事情がないか否かについては、別途慎重な検討が必要である。ちなみに、その内容は、おおむね、「①A野会には、以前から親衛隊という組織が存在し、会長秘書のKの指揮の下に、うち数名が常時けん銃等を携帯所持して被告人のボディーガードに当たっており、本件当時、自分もその一員であった、②A射殺事件以降は、警護態勢が一層強化されて、親衛隊員の人数及びけん銃の丁数が増やされた、③本件におけるK及びMのけん銃等の各携帯所持は、上記親衛隊による警護の一環としてなされたものであり、被告人としても、けん銃等を携帯所持する親衛隊員による警護を受けていることを知った上で、これを認容していたはずである」などと述べるほか、日ごろの親衛隊員の活動ぶりを詳細に述べるものであって、これが信用できるとすれば、被告人の前記認識等を肯認する有力な根拠となる。しかも、Kが捜査機関や裁判所に自己の住居であると申告しており、クレジットカード会社に対する届出連絡先ともしていた名古屋市中村区内のビルの居室からは、S1名義の預金通帳類やS1の父名義の国民健康保険被保険者証が発見されていることに照らしても、S1がA野会内でそれなりの活動実態を有していたことがうかがわれ、供述調書の内容についても、少なくとも周辺部に関しては、それなりに信用に値する部分をも含んでいるであろうことが予想される。

しかしながら、弁護人も指摘するように、①S1は、自己の住所について当初から虚偽を述べている上、その後の警察官及び検察官との連絡状況等をも併せ考慮すると、当初から公判における証言を回避しようという強固な意図の下に、警察官や検察官を手玉に取ったといわざるを得ないこと、②S1は、A野会を出奔して被告人の失脚をねらっていると目されるグループと行動を共にしており、被告人を有罪に陥れるため、あえて虚偽の供述をしている可能性を否定できないこと、しかも、③上記の供述内容は、原審で取り調べられた各証拠や、T2ことT1の当審証言のいずれとも大きく食い違っていること等からすると、反対尋問による吟味を経ることなしにS1の検察官調書の信用性をたやすく肯定するのは危険というべきで、今直ちにこれを被告人の前記認識等の有無に結び付けて判断することには、少なからぬためらいを覚える。したがって、本件では、以下に述べるとおり、多岐にわたる間接事実の地道な検討と吟味を通じて、被告人の前記認識等の有無を判断することとせざるを得ない。

とはいえ、他の証拠によって確定される事実が増えれば増えるほど、上記調書の信用性を吟味することが容易になることも明らかであるから、他の証拠により認められる事実と合致する範囲では、これに信用性を認めることが許されないとする理由もない上、周辺部においては、それなりに信用に値する部分も含んでいると思われる。要は、個々の間接事実の認定に当たり、S1の検察官調書の存在に不当に影響されてはならないということに帰着すると考えられる。

三  事実認定に当たり特に留意すべき点

本件では、共謀の直接証拠がないため、多岐にわたる積極・消極の間接事実の検討を通じて、共謀の存否ないし被告人の前記認識等の有無を検討せざるを得ないところ、これらの間接事実の存否に関するA野会関係者の供述は、既にA野会を離れている者や敵対関係に入ったとされる者らの供述を除いて、上記のような共謀や認識の存在を否定する方向で細部までよく一致しており、一見、相互に信用性を大きく補強し合っているように見える。

しかし、本件で問題となっているのは、山口組の二次団体の中でも有数の組織であるA野会の会長と同会幹部や傘下組織組員との間の共謀の存否ということであるから、特段の事情がない限り、被告人に不利な証拠が出てこようはずもないのは、もともと当然のことといえる。また、実行行為者たるK及びMにあっては、官憲に発覚すれば長期服役を余儀なくされることをいとわず、被告人の生命、身体を守るためにけん銃等を携帯所持したというのであるから、それが原因で組長が服役する事態に至ることを極力回避するであろうことも容易に推察できる。

しかも、本件にあっては、山口組若頭補佐兼三代目C原組組長のQの事案(最高裁判所平成一五年五月一日第一小法廷決定。刑集五七巻五号五〇七頁参照)と異なり、事前の尾行や監視活動等によって客観的証拠が積み上げられているとか、捜索差押許可状が用意され、配下組員多数が現行犯逮捕されるなどして、警護活動の実態等に関する多数の者の供述が得られているとかの事情はなく、職務質問に伴う所持品検査によりけん銃等の携帯所持が発見されたことがきっかけで捜査が開始されたにすぎないため、A野会における被告人の警護態勢や前日来の被告人らの行動の細部等に関し、A野会関係者の供述の信用性を吟味するに足りる客観的証拠の蓄積が乏しく、虚偽供述が混入するのを排除し難い状態にあることを否定できない。

したがって、共謀の有無ないし被告人の前記認識等に関する間接事実について、A野会関係者の供述の信用性を判断するに当たっては、虚偽供述がなされる可能性に配慮し、乏しいながらも確実に認定できる客観的事実との整合性に特に意を用いつつ、経験則と常識に従って慎重に判断することが要求されるというべきであり、単にA野会関係者の供述が一致しているからという理由だけで、安易にその信用性を肯定するようなことがあってはならない。とりわけ、原判決も説示するように、共謀の有無に関し、A野会関係者が被告人に罪責が及ばないように虚偽の供述をしているというのであれば、核心部分に虚偽を内包している以上、A野会関係者の供述のうち、客観的な裏付けが存在しない部分については、そもそも信用性を認める余地があるといえるかという問題意識を念頭に置いて、それらの信用性の有無を慎重に検討する必要がある。

また、A野会関係者の供述内容の真否がいずれとも判断できず、信用性を積極的に肯定するに至らない場合には、被告人に有利であれ、不利であれ、いかなる間接事実の存在も認定すべきではないのであって、関係者の一致した供述を排斥するに足りる事情が存しないからといって、個々に、「疑わしきは被告人の利益に」の原則を安易に適用し、不合理な内容を含む関係者の供述内容どおりの間接事実が存在したと認定することは、要証事実の存否に関する最終的判断を誤らせる危険が大きく、許されないというべきである。

第五原判決の検討

前述の留意点を踏まえて、所論にかんがみ、原判決がその理由中に摘示した主要な間接事実の存否とこれに対する原判決の判断の当否を検討する。

一  被告人を警護する組織に関する所論について(控訴趣意書第二の四項)

所論は、A野会においては、本件以前から、けん銃等を携帯所持し、抗争があったときなどに、対立組織等を攻撃するとともに、被告人を警護するボディーガードの役割を担わせるため、配下組員の一団により「D原会」という組織を設けていたほか、会長秘書の肩書を持つ組員が統率役となって、被告人に同行して警護する役割を担う配下組員らの一団により「親衛隊」という組織を設けており、本件当時もD原会及び親衛隊が存在していたのに、原判決が、D原会について、それが被告人の警護を担当する組織であったか否かは明らかではない上、本件当時、組織的活動を行っていたとまでは認められず、また、親衛隊という被告人の警護に専従する組織があったと認めることもできないとしたのは失当であり、さらに、D原会の構成員がけん銃等を携帯所持することがあることに触れていない点も首肯し難い、と主張する。

そこで検討するに、D原会に関する原判決の判断それ自体には誤りがないが、けん銃等を携帯所持する攻撃部隊が組織されていたことについて、原判決がその意味を掘り下げて検討した形跡の見られない点は、不十分とのそしりを免れない。そしてまた、親衛隊に関する原判決の判断も、被告人の身辺にいる組員の一団が親衛隊と呼ばれることもあった上、その一団が単に被告人の身の回りの世話だけでなく、被告人の警護をも担当していたとみるのが自然であることに照らすと、やはり是認できない。以下、順次補足する。

(1)  D原会に関する所論について

D原会の存在及び活動について、原判決が、所論に沿うWの原審証言の信用性を否定し、組織形態、構成員及び任務内容等の重要部分でこれと異なるXの原審証言の信用性を肯定する一方、本件当時は、D原会は実態のないいわゆるのれんだけの存在であり、名目上の会長及び副会長が定められていたにすぎないとする被告人の原審供述及びKの原審証言の信用性を排斥した上で、前記のとおり説示したのは相当である。所論は採用できない。

ア Wの原審証言の信用性

Wの原審証言の信用性を検討するに、その信用性を肯定すべき事情としては、原判決が指摘するところのほか、弁護人に暴言を吐く最中にあっても、何度か「すみません、会長」「会長さん、すんません」などと口にするなど、被告人に対する遠慮を示していること、本件で証言するということは自分自身の命にかかわることであり、妻や身内もいるが、命がけで出ている、などとその心境を述べるところも、無理からぬものがあると考えられること、などが挙げられる。しかし、他方で、その信用性を否定すべき事情としては、原判決が正当に指摘する諸点のほか、そもそも、WがD原会の構成員に選ばれたということ自体、本人も自認するように、A野会におけるD原会の位置付けやWの経歴等に照らし、いささか納得し難いものが残ることが挙げられるのであって、これらの事情を総合考慮すると、Wの原審証言のうち、少なくとも、D原会の組織形態及び活動内容に関する部分であって、Xの原審証言と矛盾するものについては、その信用性を肯定することはできない。したがって、Xの原審証言の信用性を肯定する一方、これと異なるWの原審証言の信用性を否定した原判決の上記判断に誤りはない。

イ D原会に関するその他の所論

所論は、Wの原審証言の信用性を肯定すべき根拠の一つとして、暴力団の行動原理や暴力団組織の在り方を挙げ、けん銃等の携帯所持を当然のこととして行動する集団を組織化し、対立組織に対する攻撃のみならず、組長の警護にも当たらせるということは、その行動原理や組織の在り方からして必然的であり、D原会が警護をも担当していたことは明らかである、と主張する。確かに、対立組織に対しけん銃による攻撃を行う集団を組織化する以上、逆に、対立組織からけん銃による攻撃を受ける事態も想定されるのが通常であろうが、どういう場合にどの程度の対応を行うかについては、襲撃の危険性の大小、官憲に発覚する危険性の大小、更には、組織の実情等に応じてさまざまな対応があり得るところであり、D原会の実際の役割についても、いわゆる親衛隊との関係も含め、証拠によって認められるA野会の組織の実情を前提として決せざるを得ないのは当然である。所論は採用できない。

所論はまた、K及びMの行動は、けん銃等を携帯所持して被告人の警護に当たるD原会の役割に従ったものである、とも主張する。しかし、これは、親衛隊及びKの地位に関する主張と唐突に矛盾するものである上、そのような事実をうかがわせるような事情も存在しない。この所論も採用できない。

所論は更に、原判決が、D原会の構成員がけん銃等を携帯所持することがあることを説示していないのは、W及びXの供述間の細部の食い違いにこだわって、両者の供述に共通する基本的部分まで排斥する誤りを犯している、とも主張する。確かに、原判決の結論的な説示部分では、D原会が抗争時の攻撃部隊等として組織されていたとするにとどまり、上記の点への明示的な言及はなされていないが、この説示は、W及びXがけん銃等を携帯所持して活動した旨供述していることを前提としているから、けん銃等の携帯所持をも当然含めて説示したものと解される。この所論も採用できない。

もっとも、D原会の存否やその活動内容いかんという問題は、その活動内容が被告人の警護にまで及んでいないとしても、本件における被告人の認識の有無を判断する前提として、けん銃等の携帯所持を当然のこととして行動する集団がA野会内部で組織化されたということ自体に意味があるところ、原判決では、上記のような集団が組織化されていることの意味について、それ以上に、その意味を掘り下げて検討した形跡は見られない。そうすると、原判決は、この事実の意味するところを過小評価し、けん銃等を携帯所持して攻撃を行う集団を組織していたのであれば、逆に、対立組織からけん銃による攻撃を受ける事態も想定されないはずがなく、その危険性の程度によっては、組員がけん銃等を携帯所持して被告人の警護に当たることも予定されていた可能性のあり得ることを、十分に考慮しなかったという点で、不十分とのそしりを免れない。

ウ D原会に関する弁護人の主張

これに対し、弁護人は、Xの原審証言はせいぜい平成二年夏ころまでの状況を述べているにすぎず、それ以降D原会が名目的な存在にすぎなくなっていることは、Xの原審証言及び被告人の原審供述に照らして明らかであるから、本件当時もD原会という組織があり、必要に応じて活動していたとする原判決の認定は誤っている、と主張する。しかし、原判決は、本件当時、それが組織的活動を行っていたと認めるに足りる証拠はない、と説示しているものである上、Kの原審証言及び被告人の原審供述の信用性を排斥した原判決の説示にも、誤りはない。弁護人の主張は採用できない。

(2)  親衛隊に関する所論について

後述するとおり、被告人の身辺にいる組員の一団が親衛隊と呼ばれることもあった上、被告人の警護をも担当していたとみるのが当然と考えられることに照らし、原判決の説示のうち、①親衛隊という被告人の警護に専従する組織があったとは認定できない、としている部分については、それ自体が誤りであるとはいえないにしても、他方、②被告人の傍らにいる会長秘書又は会長付と呼ばれる者に指揮されて被告人の世話をするとともに、万が一の場合には身を挺して被告人を防御する補助者数名が被告人の周囲にいるため、外部からは親衛隊という組織があるように見られるところがあった、としている部分については、警護という要素と通称名を有する一団という要素とをいずれも否定する趣旨と解されることに照らし、是認することができない。以下、補足する。

まず、S1の検察官調書は、同人自身が親衛隊の一員であったことを肯定するものであるが、前述したように、反対尋問による吟味を経ることなしに、その信用性を肯定して、他の証拠に先駆け、これを被告人の前記認識等の有無に結び付けることには、ためらいを禁じ得ない。

次に、Wの原審証言は、「親衛隊は、被告人の近くで身の回りの世話をするのが役目で、会長秘書であるKが指揮をしており、D及びMもその一員であった。親衛隊がけん銃等を持つことは原則としてなかったが、本件当時は、D原会と親衛隊とのいずれを問わず、けん銃を持たされた時期であったから、Kらがけん銃等を持たされても、当然である」とするものであるところ、原判決も指摘するように、もともとWの証言態度には大きな疑問がある上、同人は本件発生の九か月前にA野会の傘下組織を離れているから、本件当時の状況、とりわけ、けん銃等の携帯所持に関する供述は事後的な推測にすぎないというほかない。しかし、平素の親衛隊に関する供述部分については、身の回りの世話のみに言及している点などで、若干の疑問が残らないではないものの、他の供述と一致する限りにおいては、その基本的な信用性に疑問を差し挟むほどの事情があるとは認められない。

次に、Xの原審証言は、「自分がD原会の一員として活動する間、被告人を守るボディーガード、世話係及び運転手が親衛隊と呼ばれるのを何回か見聞きした。会長秘書がその責任者と思っていたが、それ以上の詳しいことは分からない」とするものであるところ、運転手を含めている点はともかくとして、会長秘書が指揮しているとする点や、親衛隊という呼び名が用いられていたとする点は、Wの原審証言と共通している。また、世話係とボディーガードとを区別している点は、少なくとも世話係に関し、被告人の原審供述(第二七回公判)が、「会長付の補助者のうち、Dについては、付きの者の中の一名を自分の身の回りの世話をできる待遇にしていたもので、会長秘書のKと、また、KがCと交代した後は、Cと一緒に直参待遇みたいな形でやっていた」としており、Dとそれ以外の者とを区別していることとほぼ符合する。そしてまた、D以外の補助者については、被告人の身の回りの世話を直接行うことが許されていないとなれば、その任務は、会長秘書及びDの周辺にあって、随時二人を手伝うほか、周囲の様子に目を配って警戒し、不審者による攻撃やトラブルを未然に防ぐとともに、攻撃を仕掛けられた場合には身を挺して被告人を護衛するという意味で、被告人の警護に当たることを含んでいたとみるのが当然であって、これをボディーガードと呼んでも、何ら不自然とはいえない(もっとも、そのこと自体は、けん銃等の携帯所持と当然に結び付くものではない。)。加えて、Mの原審証言も、「親衛隊という名称は聞いたことがあり、会長秘書の手伝いをする三、四人あるいは四、五人のことではないかと思うが、詳しいことは分からない」としていること、Cの原審証言も、「親衛隊という組織はないが、傘下組織の組員が、会長付の自分とその手伝い者をそう呼ぶことはある」としていることをも併せ考えると、Xの前記原審証言は、運転手を親衛隊に含めている点はともかくとして、十分に信用性が高いといえる。これに対し、「親衛隊という名称は聞いたこともない」と述べるT2ことT1の当審証言は、にわかに信用できない。

以上によれば、A野会にあっては、本件当時、会長秘書に指揮され親衛隊と呼ばれることもある一団の組員(以下、これら組員の一団を「いわゆる親衛隊」という。)が、被告人の身の回りの世話とともに、その警護にも当たっていたものと認められる。

二  Kらの地位及び来阪の経緯について(被告人のMに対する認識の有無に関する控訴趣意書第二の六項の一部を含む。)

原判決は、K、M及び本件当時会長秘書ないし会長付の役職をKと交代していたと弁護人が主張するCの各地位並びにK及びMの来阪の経緯について、被告人に内緒でKとMが勝手に付いてきたとのKらの供述は、到底信用することができないとしつつ、①本件当時、Kは、A野会の会長秘書の立場にあり、常に被告人に同行していたわけではないにせよ、必要に応じて被告人に同行するなどして、雑用等の任務を遂行していた、②本件当日も、Kは会長秘書として同行しており、被告人も、会長秘書及びその補助者が同行していることを認識していた、③本件当日、Mも、会長秘書であったKの補助者として同行していたが、被告人がMの存在を認識していたか否かは必ずしも明白ではない、④被告人を始めとするA野会関係者は、Kの地位及び来阪の経緯に関して虚偽の供述をしている、⑤Cは、Kがいない場合には、被告人の付き人の責任者の立場にあったが、被告人が遠方に行く際は、会長秘書であるKの補助者的役割を演じ、あるいは、会長秘書ないし会長付の仕事をKと共同して行っていた可能性を否定できない、と説示している。

これに対し、所論は、上記③のMに関する説示の後半部分について、それが誤りであると主張する。Mをどのように位置付けるかということは、本件時の具体的な警護の状況やこれに対する被告人の認識の有無を判断する重要な前提事情であり、他の所論の背景事情となっているともいえるところ、後述するとおり、本件の際、Mはいわゆる親衛部の一員として同行したとみるほかなく、被告人がその同行を知らなかった可能性などないと認められるから、所論は理由がある。

他方、弁護人は、上記説示のうち①、②、④及び⑤を強く争い、Kは、平成八年一二月に会長付の仕事をCと交代し、本件当時は引継ぎが完全に終わっていたもので、会長秘書の肩書だけが一年間残っていたにすぎず、本件の際も、Kが会長秘書として被告人に随行した事実はなく、被告人に隠れたところで勝手に付いていったにすぎない、と主張する。しかし、これらの点に関して原判決が「第二 当裁判所の判断」中の二(2)エの「KとCの地位・立場」の項及び二(4)ウの「本件の際の同行者に関する被告人の認識」の項で説示するところは、経験の浅いCが会長付に抜てきされた理由が不明であるとする点及び被告人がMの存在を認識していたかは明白ではないとした点を除き、いずれも、おおむね正当であって、弁護人の主張は採用できず、しかも、その判断は、当審における事実取調べの結果によっても、動かない。

以下、まずK及びC、次にMの順に、補足する。

(1)  K及びCの各地位並びにKの来阪の経緯

これらの点に関する原判決の説示は、上記した二点を除き、おおむね正当である。若干付言すると、被告人の原審供述(第二五回)は、「会長秘書という役職は、平成五、六年ころ、それまで若頭補佐が担当していた会長付の役職にKを就けた際、平の直参であったKに対外的な貫禄を付けるため、そのような役職名を新たに与えただけで、仕事の内容そのものについては、会長付と呼ぶのが正しい」としており、Kの原審証言もほぼこれに沿う内容となっている。しかし、平成四年に実刑判決を受けてA野会二代目D山会を離れ、その後絶縁されたというXの原審供述中でも、特段の説明や断わりなしに、会長秘書という役職名が親衛隊の責任者に関して用いられていること、Kはその前後に幹部に昇格しているところ、Kに対外的な貫禄を付けるのが目的であれば、会長秘書という名称を新設するまでもなく、同人を幹部に昇格させるだけで足りたのではないかとも考えられること、さらに、Kの警察官調書(原審検察官請求証拠甲三〇二号証。以下、単に番号のみを表記する。刑訴法三二八条該当書面)中には、その原審供述と異なり、「被告人の外出時には、会長秘書の自分と共に、若衆二人を連れた舎弟以下の真参組員が、一五日に一回の割合で、会長付としてガードに当たる」とする供述も見られ、前記Xの原審供述中にも、これと似た内容の部分があること等にかんがみると、会長付という役職の意味、役割が弁護人の主張するところとは全く異なるものであった可能性もないではない。もっとも、Cの地位については、原判決の前記⑤の説示のとおり認めざるを得ないことも確かである。

また、仮に、Cが会長付の役職をKと交代したとしても、その場合には、被告人の警察官調書(乙三号)でも、会長秘書として服役中のKを含む二人の名前が挙げられているように、会長秘書を二人とした上で、正副の順を定めるとか、会長秘書と会長付を並立させた上、少なくとも内部的には両者の分担を定め、会長秘書には対外的な役割を肯定するとか、より明快な取扱いが十分考えられたはずである。とりわけ、会長秘書の肩書を残すことが、Kに対する温情を意味したというのであれば、肩書に加えて対外的な役割も残しておくのが当然ではなかったかと思われる。したがって、会長秘書をCと交代させる旨の正式発表を何ら行わないまま、引継ぎの時期以降は、会長秘書の肩書だけはKに残すが、対内的にも対外的にも、一切の職責、権限がKにないものとして取り扱い、被告人への随行すら許さないというのは、半年余りの引継ぎ期間を置いたということや、上記の温情という要素とは裏腹に、Kが会長秘書の仕事を投げ出したことに対する報いという面もないではなかったことを考慮しても、いたずらに事柄を複雑にするばかりの人事といわざるを得ず、不自然である。

しかも、原判決も指摘するように、K自身、逮捕当日に作成された警察官調書(甲三〇一号、刑訴法三二八条該当書面)においては、「自分は、会長秘書として側近で被告人を守る立場にある。山口組総本部で執行部会があるため、前日から被告人、D及びMと本件ホテルに宿泊しており、執行部会に行くべくホテルを出ようとした時に捕まった」などと述べていた上、その四日後に作成された前記警察官調書(甲三〇二号)においても、「一年くらい前まではぶっ通しで被告人と行動を共にしていたが、それでは飯が食えないことから、被告人の許しを得て、遠方に行く時だけ行動を共にするようにさせてもらっている。被告人の一番側近にいる会長秘書の自分としては、被告人に身の危険が及べば、自分の命に代えてでも被告人を守る」旨述べるなど、身柄拘束の初期段階では、会長秘書として被告人に随行して来阪したことを当然の前提としていたのであるから、これを翻した上でのKの原審及び当審証言に信用性を認める余地が乏しいことは、もともと明らかといえる。加えて、被告人自身、逮捕の九日後の警察官調書(乙三号)においては、「Kは私の秘書である。(中略)Dは若頭補佐W1の若衆でA沢会組員であるが、二、三年前からA野会本部付き直参待遇で、秘書のKと行動を共にしていた」旨述べるにとどまり、逮捕の一九日後の検察官調書(乙四号)におけるのとは異なって、Kが同行していたことを否定したり、Kが本件ホテルにいたことを知らなかったと述べたりするには至っていなかった。これらの諸点を併せ考慮すれば、やはり、Kの地位及び来阪の経緯に関する原判決の説示は正当である。

また、原判決が前記⑤で説示するCの地位及び本件時におけるCの同行の有無について付言するに、原判決が説示するように、Cの存在は、捜査段階では明確に現れておらず、本件公判に至って初めて主張されたものである上、Kの前記警察官調書(甲三〇二号)に前記のような供述が存在すること等に照らすと、既に説示したように、会長付の意義に関するA野会関係者の一連の供述の信用性には、疑問を差し挟む余地があるともいえる。しかし、原判決が指摘する諸事情に加え、後記のとおり、Cが会長付に抜てきされたとしても不自然ではない経歴を有していることをも併せ考慮すると、結局、原判決の上記説示は、結論において誤りはないというべきである。

なお、原判決が、経験の浅いCが会長付に抜てきされた理由が不明であるとする点については、Cは、昭和六一年三月に、A野会D谷組組員であった当時、四代目山口組組長のX1射殺事件に端を発した抗争の過程で、D谷組若頭補佐らと共謀の上、一和会系暴力団幹部ら二人を自動車内に監禁した上、両名にけん銃を発射して、うち一人を殺害するなどした事件で、監禁、殺人、同未遂罪等により懲役一〇年に処せられた前科などを有しており、平成七年九月に出所後は、A野会直参に取り立てられるとともに、D谷組の一部を引き継いでC興業を起こし、その組長となっていたものであるから、組織のためにけん銃事犯を犯して服役した後に、抜てきを受けて地位の昇格にあずかったA野会関係者の典型例といえる。したがって、原判決がその抜てきの理由が不明であるとする点には、賛同し難い。

(2)  K及びCの各地位等に関する弁護人の主張

以下、弁護人の主張のうち、主要なものについて、補足説明する。

まず、弁護人は、Kの前記警察官調書(甲三〇二号)の前記引用部分の一部をとらえ、Kが会長付を外してもらった趣旨の供述をしていることは疑いを入れない、と主張するが、これは、上記調書中の「親分が遠方に行く時だけ行動を共にする」という部分や「一番側近にいる会長秘書の自分」という部分を無視するものといえる。また、Kの原審証言中には、上記調書中の「遠方に行く」とは山口組総本部に行く場合を含まないとする供述も見られるが、当該調書中の供述の流れからすると、遠方に行く時はなお会長付の仕事をしており、本件の際もそのような立場で来阪したことを前提とする供述がなされていたものと認められる。また、弁護人は、上記供述部分は、KがD本ホテルにいたことの説明に窮した結果である、とも主張するが、Kとしては、来阪目的や同行者の有無などを端的に黙秘すれば足りたのであって、言うに事欠いて、無関係であるはずの被告人を巻き込みかねない方向で虚偽の供述をしたとは到底考え難い。弁護人の主張は採用できない。

次いで、弁護人は、八月三〇日のAの通夜の際のビデオでは、被告人の周辺にKの姿が写っていることについて、当時、Kは、山口組中部ブロックの直参組長らの案内役として別行動をとっていたが、たまたま被告人が入口付近に現れたことから案内したにすぎず、他方、被告人に随行してきたCは、大阪市内に本拠を置くB林組組長でA野会舎弟頭補佐でもあるY1がJR新大阪駅まで迎えに来たため、遠慮して被告人とは別の自動車に乗り、会場付近に到着後も、自動車を止める場所を指示するなどしていたため、被告人の傍らを離れる結果になったにすぎない、と主張する。しかし、ビデオ中の被告人の周辺には、K、Y1、大阪府門真市に本拠を置く三代目D山会の会長でA野会若中のZ1のほか、Dの姿も見られるというのに、Dの上に立つはずのCの姿は見えないこと、会長付として名古屋から随行してきたCがB林組差し回しの自動車に停止場所を指示するというのも不自然であること、さらに、Kが、案内してきたはずの山口組直参組長らを放り出したまま、Y1、Z1及びDらが付いている被告人を案内したというのも不自然であることなどに照らすと、弁護人の主張に沿うK及びCの各原審証言並びに被告人の原審供述は信用できないから、原判決が上記の事実を前記認定の根拠としたことに誤りはない。弁護人の主張は採用できない。また、弁護人は、Kの当審供述及び当審で取り調べたKのクレジットカードのご利用明細(当審検察官請求証拠一〇二号の添付資料)によれば、通夜の当日、Kは自己名義のクレジットカードを用いて本件ホテルに宿泊し、名古屋に帰ったはずの被告人とは別行動をとっていることがうかがわれるから、この点からも、Kが被告人に同行してきたものでないことは明らかである、と主張するが、通夜に出席した後の行動が仮に弁護人主張のとおりであったとしても、通夜会場における被告人への付添い状況の不自然さは変わらないから、上記の判断は動かない。

次いで、弁護人は、原判決が、名古屋駅でのKの行動には、隠れて付いていくというにしては不自然な状況が見られると指摘した点について、Kは、被告人から隠れようとしただけであって、会長付であるCに対しては、被告人に隠れて付いていく旨を告げていた上、ビデオにKが写っている時点では、被告人は既に一足先にホームに上がっていたから、被告人の目を気にする必要はなかった、などと主張する。しかし、被告人に隠れて付いていこうというKが、午前一〇時五八分二〇秒から四八秒までの間にまたがってビデオに姿を見せているA野会関係者六人の中で、真ん中からやや後ろ寄りの三六秒から三八秒付近の画面に、前から三人目として登場しており、しかも、Kの七秒前にはMが、また、Kの一秒ないし四秒後にはDやCが続いているというのは、やはり不自然といわざるを得ない。この点については、後に詳しく検討するとおり、Kは会長秘書として被告人に同行しており、被告人はビデオで死角となっているKの左手側ないし左後部付近の階段を歩いていたと考えた場合に、初めて上記ビデオにおける各人の位置関係の意味するところが了解できるといえる。また、後にも述べるように、原判決が、被告人が先に一人でホームに上がったということも否定できないと説示した点は、誤っているといわなければならないが、少なくとも、Kが会長秘書として同行したと認定する根拠の一つとして、隠れて付いていくというにしては不自然な状況があると指摘した上記説示は正当である。この弁護人の主張も採用できない。

次いで、弁護人は、その主張のとおりであれば、会長付であるCが持っていることになるはずの物品であるホテルの利用明細書や山口組総本部の事務所当番等を記載したメモ紙を、Kが所持していたことについて、ホテルのチェックアウト及び精算の手続をCが行ったことを前提とした上で、その後、Cは、Kの客室を訪れて宿泊料金や山口組総本部の当番の話などをし、その際、利用明細書やメモ紙を取り出したが、被告人が出発するという知らせがあり、急いで客室を出る際にこれらを置き忘れて行ったため、Kが後でCに渡すためポケットに入れて部屋を出たものであるから、これらをKが所持していても、不自然ではない、と主張する。確かに、K及びCの各原審証言は弁護人の主張に沿うものである上、利用明細書におけるD名義の署名は、Dのものであることが明らかな他の署名と等蹟がやや異なり、しかも、本名の「D」とは一字違いの「D'」と署名されていることに照らすと、自分がチェックアウトの手続をした際にDの名前を間違えて署名した旨のCの原審証言の信用性を否定するのは困難なようにも見える。しかし、ホテルフロント係のA2の原審証言は、チェックアウト及び精算を行ったのはDであるとして、自分との身長差やその服装を交えて具体的に供述しており、その信用性には一概に否定しにくいものがあること、仮に、Cが会長付として同行していたとしても、チェックイン手続をしたDに上記手続も行うよう指示すれば足りるのに、Cが一階に下りて自分で手続をしたというのは、にわかに信用し難いこと、しかも、被告人の出発を控えた時間帯に、被告人に隠れて付いてきたというKの客室内に立ち寄ったばかりか、これらの二つの書類を取り出した上で置き忘れて行ったというのも、いかにも間延びした感を免れず、にわかに納得し難いこと、さらに、上記メモ紙は九月一九日の山口組総本部の当番などを記載したものであり、Cの原審証言も肯定するように、同月二〇日になってしまえば、普通なら必要とはいえないメモであること等を併せ考慮すると、この点に関するC及びKの各原審証言は到底信用できないというべきである。したがって、原判決も指摘するとおり、チェックアウトの手続を行ったのがだれであったかを確定することはできないにせよ、これらの書類をKが所持していたことを前記認定の根拠に挙げた原判決の説示は正当である。この弁護人の主張も採用できない。

さらに、弁護人は、本件当時、CがKに代わって会長付に就いていたことの根拠として、①CがAの通夜会場入口付近でビデオに写っている、②平成九年度事始めのビデオでも、Kの斜め後ろに着席している様子が写っている、③本件当日、本件ホテルでチェックアウト及び精算の手続をしたのはCである、④Cが述べる同ホテルへの予約の際の状況は、その結果作成された宿泊カードに到着予定時間の記入がないことによって裏付けられている、⑤各部屋のチェックインが一七時三七分であるのに、各部屋の電話の最も早い使用が一八時四一分であることは、被告人らがふぐ料理店で食事中にDにチェックイン手続をさせたというCの原審証言と符合する、⑥同ホテルの従業員らの供述調書や原審証言中には、特徴的な風貌を有するKを見たという供述が出ていないが、そのことは、Kが会長付として行動していなかったことを意味する、また、⑦Kの原審証言中に、Cの携帯電話につながらない時間帯があったという供述が見られる点も、その時間帯に被告人らが地下街のふぐ料理店で食事をしていたことと符合する、などと主張する。しかしながら、①及び②の各点は、Cの供述と矛盾しないというにとどまり、いずれのビデオでもKの姿が見られる以上、Cが完全にKと交代していたことの積極的根拠になるとはいえない。③の点については、前述したとおり、チェックアウト及び精算の手続をだれがしたのか、そもそも特定することはできない。④、⑤及び⑦の各点も、さまざまな可能性があり得るため、いずれもCの供述と矛盾しないというにとどまり、Cが完全にKと交代していたことや、被告人らが地下街のふぐ料理店で食事をしたことの積極的根拠となるとまではいえない。さらに、⑥の点については、もともと会長秘書ないし会長付の立場にある者が、複数名の補助者が随行しているにもかかわらず、ホテルのチェックイン及びチェックアウトやルームサービスの受領等の手続を自ら行うものとはにわかに考え難いところである上、E田会の一行が、T以下の宿泊者の個人名を明らかにしていたのと異なり、A野会にあっては、もともとDだけの名前で予約やチェックインの手続を行っていたのであるから、弁護人主張のような推認をすることはできない。したがって、これらの弁護人の主張も採用できない。

(3)  Mの地位及び被告人の認識について

原判決は、①「Mについては、『会長秘書』であったKの補助者として同行していたが、補助者が常に被告人の身の回りの世話をする者として付き従うとは限らないこと等にかんがみると、被告人がMの存在を認識していたかは必ずしも明白ではない」と説示し、あるいは、②「Mも、Kの指示を受け、補助としてけん銃等を携帯所持して同行していたが、被告人がMの同行を認識していたと認めるに足りる証拠はない」と説示しているところ、所論は、これらの説示の各後半部分が誤りである、と主張する。

そこで検討するに、Mは、本件の際、原判決も①の前半部分で説示するように、会長秘書であったKの補助者として、換言すると、いわゆる親衛隊の一員として同行していたものと認められるところ、それを前提とすれば、被告人がその同行を知らなかった可能性などないといわざるを得ず、原判決が、上記各説示の後半部分において、被告人が認識していたか否かは必ずしも明白ではないと説示したのは、誤りといわなければならない上、補助者が常に被告人の身の回りの世話をする者として付き従うとは限らないとする理由付けにも、賛同できない。また、上記したところを前提とすれば、Mと被告人とは、Kを媒介とするまでもなく、直接に、かつ暗黙のうちに、意思を相通じることのできるような関係にあったと認められる。他方、原判決が②でKの指示に言及した趣旨は、必ずしも明らかでないが、①での説示も併せ考えれば、MがKの個人的に手配した臨時の補助者であるとか、その同行及びけん銃等の携帯所持がKの個別的な指示なしにはなされ得なかったという趣旨を含むとまでは解されないから、原判決の説示に特段の矛盾ないしは誤りがあるとはいえない。以下、順次補足する。

まず、本件の際、Kが被告人に隠れて付いてきたことを前提として組み立てられているA野会関係者の供述は、その核心部分に虚偽を含んでいるから、Mの地位及び来阪の経緯や、Mについての被告人の認識の有無に関する同関係者の供述の信用性を検討するに当たっても、そのことを十分念頭に置くことが肝要であり、たやすくその信用性を肯定することはできない。他方で、①Mは、名古屋駅新幹線ホームのビデオに姿が残されているA野会関係者中では、その二番手として登場しており、Kの場合と同様、隠れて付いてきたというには不自然な状況が見られる上、その後は、被告人らの一行が本件ホテルで取って、代金も支払った三室のうちの一室に宿泊しており、翌朝にはメインロビーに先行して警戒しているところを逮捕されてもいるのであるから、いわゆる親衛隊の一員というのと何ら異ならない行動をとっていること、②A野会においては、会長秘書のKがいわゆる親衛隊の構成員となるべき者をその一存で勧誘するとか、傘下組織の若中を勝手にいわゆる親衛隊に同行させるとかいうことが許されていたとは考え難いことにかんがみると、Mの上記のような行動は、いわゆる親衛隊の一員であったからこそ可能であったとみるのが自然であること、また、③Mは、A野会若頭が率いるB山組の若中であるところ、いわゆる親衛隊の構成員とされている者の中にはB山組に属する者が他にいないから、いわばB山組代表としていわゆる親衛隊に加わっていた可能性が高いこと、④M自身の公判における同人の供述においても、KやMが被告人に隠れて付いてきたとか、Mがいわゆる親衛隊と行動を共にしたのが初めてであるとかの事情をうかがわせるようなものは見られないこと、⑤前述したように、Wの原審証言やS1の前記検察官調書は、その供述の核心部分の信用性について多分に疑問を差し挟む余地があり、ここでも慎重な検討が必要といえるものの、そのいずれにあっても、Mはいわゆる親衛隊の一員であったとされていること、⑥Mは、九月三日から四日にかけて、A野会関係者が、本件時と同様にD名義で三部屋を取って本件ホテルに宿泊した際にも、一階メインロビーに先行して警戒に当たっているところを、同ホテル従業員Z2(元警察官で人事部保安担当課長)に目撃されており(曽根崎警察署刑事課の総括係長岩元英貴の原審証言中で、伝聞証言に黙示の同意があったと解される部分)、本件当日も、Z2が、職務質問を指揮した岩元に対し、「ロビーのソファに座っている男(M)はA野会の先乗り警戒要員であり、いつもの場所に私服警察官が立っているため、今日はソファに座っている」旨説明するなどした結果、職務質問の開始前の時点において、他の警察官からも不審者の一人と目されていたこと、等を併せ考慮すると、結局、Mは、最短でも前同日ころにさかのぼって、いわゆる親衛隊の一員として被告人に同行していたものとみるほかなく、自動車への乗り降り等の際に被告人の目に触れないはずがないと考えられる上、本件前日の名古屋駅のホームにおける状況からしても、被告人がMの存在を認識していなかった可能性などないと認められるとともに、Mと被告人とは、Kを媒介とするまでもなく、直接に、かつ暗黙のうちに、意思を相通じることのできるような関係にあったと認められる。

したがって、被告人がMの同行を認識していたと認めるに足りる証拠はないとする原判決の説示は誤りであって、是認できない。

三  被告人の警護態勢に関する所論について(控訴趣意書第二の五項)

所論は、原判決は、本件当時の情勢について、「①八月二八日のA射殺事件後、本件当日である九月二〇日までの間、C川会関係者を標的とするけん銃発砲事件が一六件発生していたところ、②C川会側の反撃等は明確には確認されていなかったものの、C川会が武闘派として知られる攻撃的で過激な暴力団組織であることから、山口組はもとより、警察においても、いつC川会側による反撃がなされるか分からないとして警戒を強め、緊迫した事態になっており、③A野会においても、本部事務所当番の申し送り帳にうかがわれるように、被告人の出迎え時の警護態勢の強化、防弾チョッキ着用の指示、事務所周辺巡回時の防弾車使用の指示がなされるなど、警戒ないし警護を厳重にして緊迫した状態にあった上、④現にけん銃等を携帯所持していたKの原審証言や、E田会のE1の捜査段階供述によっても、C川会関係者による襲撃の現実的危険性があると認識されていたことは明らかである」という原審検察官の主張とおおむね同様の事実を認定した上、いかにも安穏とできたとする被告人の原審供述は容易に信用できないと説示したにもかかわらず、他方で、⑤A射殺事件後、C川会関係者はB野組関係者から一方的に攻撃を受けていたが、反撃に出た形跡はない、⑥本件前日、名古屋からの移動に、自動車に比べて防御がより難しい新幹線を利用している、⑦名古屋駅においても、被告人を取り囲むなど、殊更厳重に警護するような隊形はとられていない、⑧被告人は、本件ホテルに赴く途中、Tらとふぐ料理店で夕食を共にし、その後人通りの多い地下街を歩くなどしており、警戒の色が薄かった、などと指摘した上、⑨C川会関係者による襲撃の危険性について、被告人と配下組員の認識には差異があり、被告人にしてみれば、C川会関係者による襲撃を受ける現実的危険性がほとんどなく、いまだ漠然とした抽象的危険性にとどまると判断していたとしても不自然ではない、と判断したのは、証拠の評価を誤り、事実を誤認したものである、と主張する。

そこで検討するに、所論が当時の背景事情として指摘する①ないし④の各事実は、C川会が攻撃的で過激な暴力団組織とする点及び山口組における警戒の有無、程度をいう点を除いて、いずれも証拠上肯認するに足りるところであり、そこからは、確かに原判決のような推認ができないのであって、原判決には、その前提事実についての評価の誤りがあるといわざるを得ない。以下、順次補足する。

(1)  所論指摘の①ないし④について

まず、所論指摘の①ないし④について補足すると、①については、九月二日から同月一七日までの間に、全国各地で、C川会の傘下組織の事務所又は関係者の居宅に対するけん銃発砲事件一五件が続発しただけでなく、同月一九日午後七時三〇分には、C川会傘下組織の相談役が高松市の路上で射殺されるという事件も起こるに至っていたこと、②については、C川会が実際に攻撃的で過激な暴力団組織であるか否か、また、山口組内部、殊に幹部における警戒の有無、程度の点はともかくとして、警察においても、武闘派として知られているC川会による反撃を懸念するとともに、これに対応して、山口組傘下組織におけるけん銃等の携帯所持を懸念していたことは、本件職務質問を実施した曽根崎警察署警察官らの原審証言によっても明らかである上、後者の懸念が正に現実化したのが本件であること、③については、A野会本部事務所の当番が記載していた「申し送り帳」と題されたノート(物一号、当庁平成一三年押第六六号の一)の九月一日付け分から、いずれも赤色ボールペンで、被告人が事務所に入る連絡が入ったら、監事(注:A野会本部の当番となる資格を有する傘下組織組員をいう。)二人ずつを事務所の左右の道路に警備に立たせることや、直参者当番一人が一階で寝ることなどの警戒・警護態勢強化の指示が、また、同月六日付け分からは、これに加えて、上記の監事四人や車で巡回を行う監事に防弾チョッキ着用の指示が、それぞれ申し送り事項として毎日記載されているほか、監事四人による出迎えについての申し送りはその後記載されなくなったものの、同月一五日付け分からは、更に加えて、監事の巡回の際の防弾車使用の指示が申し送り事項として記載されているなど、けん銃による襲撃に備えたとみられる警戒・警護態勢の強化措置が執られていたことが明らかであり、被告人がこれら警戒・警護態勢の強化に全く気付かなかったとは到底考え難いこと、④については、A野会及びE田会において、合計四人の者がけん銃を携帯所持して会長の警護に当たる必要があると判断していた事実の重みを軽視することはできない上、K及びMが会長秘書及びいわゆる親衛隊の構成員の地位にあって、被告人の身辺に控えていたことも併せ考慮すれば、被告人が配下組員らの危惧や懸念に全く気付かなかったとは到底考え難いこと、さらに、⑨にいう被告人と配下組員の認識の差異についても、確かに、被告人が山口組若頭補佐の地位にあり、C川会に関する最新情報に接する機会があったことにかんがみると、弁護人が主張するように、C川会関係者による襲撃の危険性の有無、程度につき、被告人と配下組員とで認識が全く同一であったとは考え難い上、日々のA野会の運営については、若頭以下で構成される執行部に任せていたという事情もあったにせよ、配下組員の危惧や懸念に気付きながら、その心得違いを正したり、警戒・警護態勢の見直し等を指示するなどの措置に出ていない以上、配下組員の危惧や懸念を肯定した上で、それに基づく自己の身辺の厳重な警護という利益を享受していたものと評価せざるを得ないこと、等の事情を指摘できる。

(2)  C川会からは反撃がなかったことについて

次に、所論指摘の⑤について検討するに、確かに、C川会が反撃に出た形跡はなかったが、被告人の原審供述(第二六回公判)によれば、山口組執行部がC川会に対する襲撃ないし軽挙妄動を禁止する通達を出すなどしたというのに、B野組関係者によるC川会に対する襲撃事件がいまだ収まらず、本件前日にはかえって射殺事件にまでエスカレートするなど、なお騒然とした情勢にあったことは否定できず、C川会関係者による襲撃に対する配下組員の危惧や懸念が強まりこそすれ、それらが解消されるような特段の出来事は何ら生じていなかったものと認められるから、C川会から反撃がなかったことをさほど大きく評価することはできないといわざるを得ない。

(3)  名古屋からの移動に新幹線を利用したことについて

次に、所論指摘の⑥について検討するに、被告人はひかり号の二階建てグリーン車の二階部分に乗車しているところ、この車両にあっては、デッキ部分に配下組員が立つなどすれば、不審者の有無等を十分に監視することが可能であり、さほど警護が困難であるとは考えられない。なお、当時のグリーン車内では、Tが被告人の隣の席に座っていたところ、このグリーン車の客室内や前後のデッキには二団体で合計一〇人前後の配下組員が詰めており、しかも、うち四人がけん銃等を携帯所持していたことになる。また、駅のホームや構内においても、配下組員が前後に広がって警戒するなどして、不審者を早めに発見することに意を用いれば、人垣を作って被告人を取り囲むなど、人目に付くばかりで、不審者が近付くのを防止できないような警護態勢をとらずとも、射程の短いけん銃に対する有効な警護が可能であると考えられるところ、次項で詳しく検討するように、A野会関係者においても、配下組員六人が前後に広がって階段を上がる中で、三番手の位置にあったKの左手側又は左後方に被告人がいたと認められるから、正に有効かつ厳重な警護態勢がとられていたといって差し支えない。また、新神戸駅においても、自動車を用意したB林組関係者による出迎えがあったと考えられることをも併せ考慮すれば、新幹線を利用したからといって、襲撃の危険性についての認識がなかったなどと認めることにはならない。

(4)  名古屋駅ホームにおける警護の有無・程度

次に、所論の⑦について検討するに、本件の際、Kが被告人に隠れて付いてきたというA野会関係者の供述が虚偽であることを踏まえて、ビデオからうかがわれるA野会関係者の行動状況、とりわけ、午前一〇時五八分二〇秒から四八秒までの間に、同関係者六人が前後に広がって階段を上っており、エスカレーター上には部外者の姿が散見されるものの、階段上の六人の間には部外者の姿が見られない上、けん銃等を携帯所持し、防弾チョッキを着込んでいるMが二番手の位置、けん銃等を携帯所持しているKが三番手の位置にあり、ビデオの死角に当たる左手側ないし左後方を向いているKの背後には、被告人の世話を直接行うことが唯一許されており、防弾チョッキを着込んでもいるD、更にはCが続いていること、そして、ビデオには被告人の姿が全く写っていないことから、被告人は、いずれかの時点で、ビデオの死角に当たる画面右側の階段端付近を歩いてホームに上がったと認めざるを得ないこと等の事情を総合考慮すれば、結局、被告人は、Kの左手側ないし左後方の階段の端付近を歩いており、その前後に三人ずつの配下組員が広がっていたことによって、有効かつ厳重な警護が行われていたものと認めざるを得ない。

これに対し、A野会関係者は、被告人は平素から、付きの者に先導されたり、取り囲まりたりするような形で移動することを嫌い、一人足早に歩いて、後ろも見ずに先行するのが常であり、名古屋駅ホームにおいても、ビデオに映っているA野会関係者のはるか前方を一人で先行していたと供述しているところ、原判決は、これら供述の信用性を排斥するに至らず、Kの左横に被告人がいたとの疑いがないではないが、さりとて確たる根拠もなく、被告人が言うようにさっさと先に一人でホームに上がったということも否定できない、と説示している。

しかしながら、被告人の当時の警護状況を見ると、①本部事務所や自宅などにおいては、平素から、複数名のいわゆる部屋住み組員や当番組員が二四時間態勢で詰めており、外出時には、会長秘書及び複数名のいわゆる親衛隊構成員が随行していたこと、②Aの通夜の際も、周囲を警察官が警戒しているため、特段の危険があるとは考えられなかったにもかかわらず、被告人の身近にはK始め四人のA野会関係者が姿を見せていること、③九月一日ころ以降は、これらに加えて、本部事務所においても、前記のとおり、けん銃による襲撃に備えたといえる警戒・警護態勢の強化措置が執られていること、④新幹線グリーン車内における警護の状況も、同車の前後にA野会及びE田会の双方で一〇人前後の配下組員が詰めるというものであったこと、⑤本件ホテルにおいても、いったん三三階の部屋に投宿の手続をしたものの、その後Tの一行と同じ二八階に部屋替えしているほか、被告人が自分の部屋から出歩いた形跡もないこと、⑥本件当日の朝、ルームサービス係が朝食を運んできた際も、廊下に控えていたDらがこれを受け取り、ホテル従業員を客室内に入れなかったこと、⑦本件ホテルを出発する際も、Tの一行やOと同一のエレベーターで一階に降りるなど、同一歩調を取っていること、などの事情が認められるところ、これらの諸事情に照らすと、とりわけ、A射殺事件からさほどの日時が経っておらず、C川会関係者等に対する襲撃事件もなお収まっていなかった本件の時期にあって、往来する公衆の中にどのような人物が潜んでいるかもしれない新幹線ホームや駅構内において、被告人がA野会関係者の供述するような行動に出たとは到底考え難い上、けん銃等を携帯所持していたK及びMのみならず、その他の随行者や見送り者の側にあっても、あらかじめホームに先行して周囲の様子を確認するとか、目立たない程度に被告人の前後に広がるなど、それぞれの状況認識や役割に応じた工夫を何ら行うことなく、被告人のはるか後方を三々五々と歩いていたとは到底考え難い。その可能性を排斥できないとした原判決の説示は、誤りというほかない。

以上によれば、被告人はKの左手側又は左後方の死角部分を歩いていたと認めざるを得ないところ、上記のような配下組員の広がり状況や、ホームに上がるに際しても、Tとは異なって、万一の場合に機敏な対応が困難と思われるエスカレーターを利用せず、前後に配下組員を従えつつ階段を利用していたことなどにかんがみると、被告人の周囲を人垣で囲むような警護態勢がとられていなかったからといって、特段の警護が行われていなかったとか、襲撃の危険性についての認識がなかったと認めるべきものとは到底いえず、かえって、十分に有効かつ厳重な警護がなされていたと認められる。

(5)  ふぐ料理店「E沢」における飲食の有無等

さらに、所論の⑧について検討するに、判決書中の三か所における原判決の説示にはやや明確さを欠く面があるが、被告人らに警戒の色が薄く、襲撃の不安を持っているとはいえない行動をとったと認定していることにかんがみると、原判決は、被告人が大阪駅前第二ビル地下のふぐ料理店「E沢」において飲食した事実があったと認定したものと考えられる。

しかしながら、仮に、同店における飲食が事実であったとしても、被告人が山口組総本部を出てから本件ホテルに到着するまでの間、K及びMが被告人の所在を見失っていたとするA野会関係者の供述は、Kが被告人に隠れて付いてきたという供述と一体不可分の関係にあることに照らし、にわかに信用できないから、前述した当時の状況や被告人の警護の態勢をも併せ考慮すると、特段の事情がない限り、K及びMも被告人に随行していた可能性が高い上、E田会側にあっても、けん銃等を携帯所持していた二人の組員が同行しなかったという理由は乏しい。また、同関係者の供述によっても、T及びOの各秘書並びにC及びDの合計四人が店外の通路に控えていたというのである。したがって、警戒の色が薄かったなどとたやすく結論付けることはできない。

しかも、①所論も指摘するように、被告人(乙四号)及びE1(甲二四一号)の各捜査段階供述は、いずれも、山口組総本部での用事が済んでから、自動車で直接本件ホテルに入ったとしていること、②午後四時半ころ山口組総本部を出て、午後五時半ころ本件ホテルに着いた旨のE1の上記捜査段階供述は、Tが当日使用していた自動車(黒色プレジデント、和泉《省略》)が山口組総本部駐車場を出たのが午後四時二八分と確認されていること、本件ホテルの宿泊者データ表によれば、本件ホテルへのチェックインの時間が、被告人らにあっては三部屋とも午後五時三七分、Tらにあっては三部屋とも午後五時五〇分であったことともおおむね符合している上、当日が金曜日の夕方であったことにかんがみると、阪神高速を利用しての自動車の所要時間がE1の述べるところより少なかった可能性も乏しいこと、③同店で飲食したという話は、原審第一九回公判におけるKの原審証言中で、抽象的に触れられているものの、具体的な話としては、原審第二三回公判における弁護人の冒頭陳述並びにC及びOの各原審証言の中で初めて出たものであって、その経過には多分に不自然なものが残ること、④弁護人らが同店から取り寄せたという九月一九日付けの御勘定書の写しは、二番テーブルの客三人がビール七本、ウーロン茶三本及びふぐ料理等を飲食して、その飲食代金が合計八万五〇〇〇円余りになったことを記載しているにすぎず、飲食時間や飲食客を特定するに足りる手掛かりはないこと、⑤上記御勘定書の内容は、五〇代半ば以上の暴力団組長三人がわずか一時間余りで飲食した内容としては、いささか量が多すぎる嫌いがあり、別人がある程度の時間を掛けて飲食した結果に係るものではないかという疑いが濃いこと、⑥しかも、被告人の原審供述(第二六回公判)に従えば、「午後五時半か六時に車を降りて地下に入り、一時間ちょっとくらい飲食して、けっこう飲んだ。その後、地下商店街や地上を歩き、E沢から本件ホテルに入るまで一〇分か一五分くらいかかった」というのであるが、本件ホテルに入った後も、投宿の手続をしてあった三三階の三室をTらと同じ二八階に変更するようフロント係に申し入れ、その変更手続を経てようやく二八階の客室に入るという手順を踏んでいるところ、これら三室の最初の電話利用が午後六時四一分であることに照らすと、食事に割くことの可能な時間は一時間を大きく割り込む可能性が高く、上記勘定書の内容と飲食時間との不整合が一層増大すること、などの事情にかんがみると、被告人が同店で飲食したという関係者の供述の信用性には多分に疑問を差し挟む余地があり、たやすくこれに沿う事実を認定することはできない。なお、同店における飲食の事実を認定できないとなると、被告人が夕食をどうしたのかは証拠上不明ということにならざるを得ないが、だからといって、上記のような不自然さを伴う同店での夕食を事実として認めるべきものといえないことも、また明らかである。

そうすると、この点に関する原判決の判断は、A野会関係者の供述には多分に疑問を差し挟む余地があるのに、たやすく供述どおりの飲食の事実を認めたばかりか、丸腰の者ばかりが随行していたという誤った前提に立って、被告人らには警戒の色が薄く、襲撃の不安を持っているともいえない行動をとったと認定したものであって、その誤りであることは明らかである。

四  本件前日の被告人の警護態勢に関する所論について(控訴趣意書第二の六項)

所論は、本件前日から当日朝までの被告人らの行動に照らすと、けん銃による襲撃の切迫した危険性に備えて厳重な警護態勢がとられていたことが明らかであるのに、原判決が、①名古屋駅新幹線ホーム付近で、Kらから取り囲むようにして警護を受けていた状況はないとし、②被告人がふぐ料理店「E沢」で飲食した後、歩いて本件ホテルに向かったとし、③被告人がMの同行を認識していたかは明白でないとし、さらに、④被告人が本件ホテルに滞在中厳重な警護を受けていたことを否定したのは、いずれも証拠の評価を誤って事実を誤認したものである、と主張する。これらのうち、①については、第五の三項の(4)において検討したとおり、②については、同項の(5)において検討したとおり、③については、同二項の(3)において検討したとおり、いずれも所論は理由がある。また、④については、既に「(4)名古屋駅ホームにおける警護の有無・程度」の項において、その内容となっている事実関係にある程度触れたところであるが、ここで重ねて検討することとする。

所論の④は、原判決が、同ホテルにおける部屋替えに関連して、「部屋替え後、相互に行き来した形跡はないこと、被告人の部屋の前付近には組関係者が佇立していたこと、Tと同じ新幹線で神戸に行ったこと等に照らすと、緊迫感の程度は別として、警護のしやすさも理由の一つであったことは否定できない」と説示するにとどまっていることからすると、同ホテル内での警護は厳重なものではなく、被告人にもこのような警護を受けている認識がなかったと判断したものと考えられる、とした上で、(a)部屋替えの事実は、ホテル内で襲撃される危険に対し、A野会側とE田会側とが共同して警護に当たろうとしたことを物語っている上、(b)夜間も、エレベーターホールや廊下に配下組員が立つなどして、警戒していたのみならず、(c)ホテル従業員が朝食を運んできた際にも、通路にやくざ風の男が数名おり、周囲を警戒するような様子を示していたばかりか、Dが通路上で朝食を受け取って、ホテル従業員を被告人の部屋に入らせていないこと、また、(d)被告人が自己の部屋から出歩いた様子もないことなども併せ考慮すれば、被告人が同ホテル内においても厳重に警護されており、また、被告人もそのような警護を受けていることの認識を有していたことは明らかであるから、これを否定した原判決の判断は誤りというほかない、と主張する(なお、(b)の点については、当裁判所が証人請求を却下したため、新証拠による追加立証の機会がないままに終わった。)。

これに対し、弁護人は、(a)の点は、単に人なつこいTの誘いに応じたものにすぎず、仮に、警護のしやすさをいうのであれば、ホテルの予約時点で何らかの事前打合せがあってしかるべきであるのに、そのような事実は何ら認められない上、(c)のうち、ルームサービスのホテル従業員を客室内に入らせなかった点は、日ごろからの被告人に対する給仕方法にすぎず、(d)の点も、その後Tがマッサージを呼んだことや、被告人の平素の習慣の結果にすぎない、さらに、原判決が「被告人の部屋の前付近には組関係者が佇立していた」と説示している点は、本件当日の朝食を運んだホテル従業員B2の原審証言に従ったものと思われるが、C及びDだけでなく、合計五、六人が通路に立っていたとする上記証言は信用できない、などと主張している。

そこで検討するに、原判決が本件ホテルにおける警護状況について説示するところは、所論に引用されている部分のほか、「ルームサービスを利用して朝食を届けてもらった際にも、Dら配下組員が同室付近の廊下で被告人を警護し、Dがワゴンを受け取って被告人に渡した」とする部分もあるから、結局、原判決は、立証がなされるに至らなかった上記(b)の点を除き、上記(a)、(c)及び(d)の各点について、一応の指摘をしていることになる。そして、上記(a)の関係で、被告人らの行動の一つの理由に警護のしやすさがあったことを指摘する点は、おおむね正当である。この点、弁護人は、それぞれの事情を個別に見れば、それなりの理由があるから、これらを警護の程度等と結び付けることはできない、と主張するけれども、原判決が指摘しているところのほか、Tがマッサージ係を客室に呼んでいることとの対比、翌朝もTの一行やOらと行動を共にしていること等をも併せ考慮すると、やはり所論のいうように、これらの各事情が、警護の厳重さやそれに対する被告人の認識等を肯認するための間接事実となり得ることは否定できない。なお、弁護人が指摘する原判決の説示部分については、その内容が簡潔であるため、B2の上記原審証言をそのまま信用したのか、捜査段階供述と合致する範囲でしか信用しなかったのか、趣旨が判然としないが、仮に、それが後者の趣旨であったとしても、事情は異ならないというべきである。しかるに、原判決は、その四項において、共謀の有無を検討するに当たり、これらの事実には何ら言及していないほか、他の部分を含め、被告人に有利な結論を導くに当たり、特に考慮の対象に入れたようでもない。そうすると、原判決は、これらの事情を十分考慮することなく、被告人の上記認識を否定したものといわざるを得ない。結局、この点の所論にも理由がある。

五  本件当日の警護態勢及びその後の状況に関する所論について(控訴趣意書第二の七項)

所論は、本件当日、被告人は、メインロビーに先行したMがソファに座って周囲を警戒する中で、Kが被告人の身近を固めながら進行するなど、けん銃による襲撃の危険性に備えて緊迫した警護を受けていた上、職務質問が開始されたころ、Tらの一団から離れるように移動して玄関前車寄せに出て、配下組員らと共に白色の普通乗用自動車に乗り込み、急発進して立ち去ったものであるのに、原判決が、被告人がメインロビーにおいてKらの警護を受けていなかったとし、さらに、Tと一緒にその自動車に乗って本件ホテルを去ったもので、一目散に逃げようとしたものではないと説示したのは、関係証拠の評価を誤ったものというほかない、と主張する。

そこで検討するに、メインロビーにおける警護の状況について、原判決は、警察官六人の原審証言の信用性を否定(もっとも、原判決の立場からすると、信用性を否定したのは、後述する梅津公平を除く五人の原審証言であることになる。)した上、A野会関係者が供述するとおり、「被告人やTらが同じエレベーターから出て三々五々(先頭と後尾がかなり開いていたと認めざるを得ない。)南側出入口に向かって歩いているうちに、職務質問が開始された(被告人の後方で開始された)」と被告人に有利に認定した旨説示するとともに、「Kが被告人と同じエレベーターに乗っていたかは、明らかでない」とも説示している。

しかしながら、所論に沿う上記警察官六人の原審証言は、エレベーターホールから南側出入口に向かって移動中の一団を、それぞれ異なる位置及び時点で目撃した証言内容として、いずれも十分に具体的かつ迫真的であり、風貌や着衣に特徴のあった被告人やKの姿を見誤ったという可能性も考え難い上、Mも、原審証言では、被告人やD、Kらを見たことすら否定しているのに対し、それに先立つ自分の刑事事件の公判においては、被告人が集団の中、しかも、新幹線の車中で見た他団体の者(E田会関係者)の中に位置して移動していたことを認めていたことと合致することに照らし、その信用性は十分に高いというべきである。他方、Kの原審及び当審証言は、被告人と同じエレベーターに乗ったこと及び被告人の身近で警護していたことを否定しているが、被告人に隠れて付いてきたという供述の根幹部分が否定されれば、Kがホテルを出発しようとする被告人に随行しない理由は何ら存しない上、その供述するとおりであれば、Kが職務質問の対象とされる理由もなかったことになること等に照らし、到底信用できない。また、自分の後方で職務質問が開始されたとする被告人の原審供述及びこれに沿うOの原審証言についても、梅津を除く他の警察官ら、とりわけ、寺倉粂男及び上田勝隆の各原審証言と矛盾するものであって、到底信用できない。この所論にも理由がある。

なお、被告人が同ホテルを去った際の状況については、上記のいずれとも断定し難いが、南側出入口前通路付近の当時の状況にかんがみると、そのいずれであったにせよ、それをもって、被告人が一目散に逃げ出したとか、Kらのけん銃等の携帯所持を認識していた証左であるとかの評価をすることはできないから、この点の原判決の誤りはさほど意味のあるものではない。

以下、順次補足する。

(1)  メインロビーにおける警護の状況

警察官六人の原審証言に信用性が認められることは前記のとおりであり、これらによれば、被告人は、エレベーターを降りた付近では、Tと共に一〇人から十数人の集団の中央付近にいたが、その後メインロビーを南側出入口に向かって進んだ結果、Tに対する職務質問が開始された時点では、一団の先頭付近でTの左手側、Kは、被告人の左手側ないし前方付近を歩いており、寺倉が前方正面(ロビー南側)から近寄ってTに質問を開始するや、被告人は、寺倉の左手側をすり抜けて南側出入口から通路に出る一方、Kは、自分の左手側(ロビー南東側)から近付いてきた上田から職務質問を受け、黒い手提げかばんを振り回すなどして抵抗したが、上田らに通路に出されたところでけん銃等を携帯所持しているのが発見されて、現行犯逮捕されるに至ったもの、また、Mは、メインロビーに先行しソファに座って周囲を警戒していたところ、その状態のまま松山和久から職務質問を受けて、現行犯逮捕されるに至ったものと認められる。そしてまた、これらの一団を魚鱗隊形であるとか、警護隊形であるとか表現する警察官らの証言については、警護ないし警備用語に安易に依存した嫌いや、必要以上に小さく固まっていたことを強調している嫌いがないではないにせよ、原判決が説示するように、これらの集団が三々五々歩いていたとか、先頭と後尾がかなり開いていたと認めるべきほどの事情はなく、一つの集団ないし固まりとして認識されておかしくない程度のものであったと認められる。

ア 原判決が指摘する疑問点について

これに対し、原判決は、まず、これら証言の信用性を否定すべき根拠として、曽根崎警察署刑事課長で職務質問の総責任者でもあった梅津公平の原審証言を挙げ、同人が「立ち止まってそこで話し込んだとか、態勢を組んだとかということは感じられず、出てきた人は順次歩いていくという状況だった」などと供述しているとした上、他の警察官らの供述とは明らかに矛盾するその供述内容には高度の信用性がある、と説示する。確かに、同人の反対尋問における応答中には、そのような供述部分が存するが、所論も指摘するように、その大前提として、「エレベーターの中からどどっと出てきた一二人ないし一五人又は一三人くらいの中央部にTがいた。一つの集団が降りてきたと感じた。全員が皆さん同じ仲間という直感がして、一つの固まりに見えた。その進んでいく先に、寺倉の姿が見え、職務質問開始の合図である略帽をかぶったのが見えた」という主尋問における供述自体は何ら動揺していないのであるから、他の警察官の供述と食い違っているわけではなく、むしろこれらと合致するものである上、もとより、A野会関係者らが供述するように、被告人が一団と離れて先頭を歩いていたとするものでもない。したがって、原判決は、梅津証言の趣旨を取り違えた結果、評価を誤ったものというほかない。

次いで、原判決は、捜査関係書類の多くは、ロビーを歩いていた集団の人数を「数名連れ」と記載している上、被告人がいたとする捜査報告書も作成されていないことに照らし、④集団の人数及び②当時被告人の存在に気付いたという点に関する警察官らの各原審証言(②については、被告人に気付かなかったという梅津を除く。)は信用できず、③メインロビーに現れた組員の人数も七人程度であった、と説示する。しかし、①については、所論も指摘するように、これらの書類は、けん銃等を携帯していた被疑者の逮捕手続に関する書面であるから、周辺の人物の様子や行動も含め、現認した状況を詳細にわたって明らかにすることを目的として作成されたものとまではいえず、争いの余地がない明白な事実のみを切り取って、概略的な記載をしたにすぎないとみる余地が大きい。また、現に「十数名」と記載した捜査報告書(書一三号、謄本)も存することは、そのような理解を支持するものといえる。また、②について、被告人の存在に言及したものがない点も、確かに、捜査関係書類の作成の在り方という観点から見た場合、多分に疑問を禁じ得ないところである。しかし、もともと想定されていたのはTの一行に対する職務質問であった上、上記の人数の点と同様、けん銃等を携帯所持する犯人を現行犯逮捕したことで一件落着と気を許し、一団の集団をひとまずTで代表させたとしても、事実に即した正確な捜査書類の作成を怠って手を抜いたという批判は免れないにせよ、この点に関する警察官らの原審証言を否定せねばならないほどに著しく不自然であるとまではいえない。さらに、③については、T及びO、その秘書各一人並びにけん銃等を携帯所持していたG1及びE1だけでも六人となる上、仮に、被告人、C、D及びKを加えれば、それだけで一〇人となるのであるから、警察官らのいう人数が殊更誇張されたものとまではいえない。

次いで、原判決は、警察官らが証言するような警護の状況を撮影した現場写真がなく、Kが警察官に取り囲まれている場面の写真でも、Kの周囲には暴力団関係者らしい者が写っていない、などと説示する。しかし、所論も指摘するように、これらは、職務質問開始前の状況が撮影されておらず、しかも、Kが警察官に取り囲まれている段階では、A野会関係者が散らばっていたことの当然の結果といえる。前者について、これを捜査の不手際と批判する余地はあるにしても、撮影行為を相手方に気付かれて、職務質問の円滑な着手が妨げられることのないよう、撮影に及ばなかったという可能性もあり得る上、職務質問開始前の状況が撮影されていないからといって、開始前の状況に関する警察官らの供述の信用性がおよそ否定されるべきものとまでいえないことも明らかである。

次いで、原判決は、TやKらの位置に関する警察官らの供述が一致しておらず、これらを正確に把握した上で証言したものといえるか否かという点で、疑いを差し挟む余地が大きい、と説示する。しかし、所論も指摘するように、広大なメインロビーの各所に配備されていた警察官らは、メインロビーの西北端に位置するエレベーターホールに降り立った後、南側出入口に向かって歩いていく一団を、互いに異なる位置から目撃していたのであるから、目撃した位置や時点の違い、更には、職務質問の対象として注目していた相手方が異なるのに応じて、その供述内容が異なることとなっても、それ自体は何ら不自然とはいえないし、供述内容に違いがあること自体、各警察官が自分の記憶に基づいて現認状況を供述している証左ともいえる。しかも、被告人やKの風貌や着衣には特徴があったから、これを見誤ったという可能性も考え難い。

次いで、原判決は、山口組最高幹部の一人としてTとほぼ同格の被告人がいたにもかかわらず、被告人に職務質問をしようとしなかったのは不自然であるとも説示する。しかし、所論も指摘するように、Tに対する職務質問を実施しようとした寺倉以外の警察官は、けん銃等の発見、押収を第一目的として、ボディーガードと目される組員に職務質問を行うのを主たる任務と考えていたと認められる上、寺倉の原審証言に照らすと、被告人が本件ホテルを去るまでの間、Kや公務執行妨害の被疑事実で現行犯逮捕されたDが抵抗を続けていたため、その対応に人手が取られたこともうかがわれるから、被告人に職務質問がなされないままに終わったとしても、それ自体が不自然とはいえない。

次いで、原判決は、警察官らが自分の心理状態や集団を見た感想を過度に表現する傾向がうかがわれ、供述者の主観面に関する供述の信用性には問題がある、と説示する。しかし、Kに対する職務質問を行った上田が、今回の職務質問に加わるよう命じられ、死ぬ危険も覚悟したなどと述べている点については、不用意に職務質問を行えば、襲撃ありと誤信した相手方から発砲される事態も予想されないではないことに照らし、そのこと自体が特段不自然とまではいえないし、そのような感概の吐露があるからといって、供述全体の信用性に疑いを差し挟むべきものとまでは考え難い、また、被告人らの集団が緊張した表情であったとされている点についても、確かに、警察官側の緊張が投影されている可能性がないではないが、所論も指摘するように、移動中の集団の中にはけん銃等を携帯所持する者が三人おり、ソファにはけん銃等を携帯所持するMが座っていた上、前夜には、C川会傘下組織の相談役が射殺される事件も発生していたことなど、前日来の状況をも併せ考慮すれば、警察官らが供述するところが実際の印象とかけ離れているとか、表現が大げさとまでいうほどの事情はなかったと考えられる。

次いで、原判決は、寺倉が、主尋問においては、被告人が本件ホテルにいたこと自体が意外であったと述べていたにもかかわらず、反対尋問以降においては、主尋問後に岩元と話した結果、A野会関係者の宿泊情報を本件前日に得ていたことを思い出したと述べているのは、両名の口裏合わせという疑いを否定できない上、岩元にあっても、あらかじめA野会関係者の宿泊の情報に接していたというのに、それに伴う職務質問の対象者の倍増に備えて、捜査態勢の見直しを検討した形跡がない上、集団を見た際の自分の位置に関する供述を不自然に変遷させていること等にかんがみると、警察官らにあっては、そもそも被告人を始めとするA野会関係者の宿泊情報を得ておらず、本件当日被告人の存在に気付いた者もいなかったというほかない、と説示する。しかし、①A野会関係者のチェックインを担当した本件ホテルのフロント係のC2子の原審証言は、Dがチェックイン手続をした時点までの間に、上司からDが暴力団関係者である旨を聞いていたと供述しているところ、その証言内容に疑いを差し挟むべき事情は特段認められないこと、②岩元の原審証言は、本件ホテルの人事部保安担当課長Z2からの連絡を通じて、八月三〇日及び九月四日にB林組関係の自動車が本件ホテルの車寄せ付近に駐車していたことを把握していた上、同月一九日についても、A野会関係者として把握されていたDの名前が出たことから、A野会関係者も宿泊している可能性があると考えたが、被告人までもが宿泊しているとの確認は取れていなかったことから、Tを取締りの対象にしたと供述しているところ、その供述内容は十分に具体的である上、E田会と異なり、A野会の一行にあっては、Dの名義だけを用いて宿泊の手続をしていたこととも符合しており、不自然なところもないこと、③岩元が、本件当日が土曜日であったため、人を集め難いという事情があったとする点も、それなりに説得力があり、捜査態勢の見直しをしなかったことが不自然ともいえないこと、④集団を見た際の位置に関する岩元の供述の変遷は、単なる目撃位置の変遷にとどまり、そのことを岩元が自発的に供述したからといって、その原審証言全体の信用性が左右されるものとはいえないこと、などの事情にかんがみると、原判決の指摘は、いずれも当を得ないものといわざるを得ない。

イ Kの行動について

原判決は、Kの行動について、被告人と同じエレベーターだったのかは必ずしも明らかではないとした上、被告人の後方で、メインロビーを足早に歩いているところを、上田から職務質問を受けるに至った、と説示する。しかし、被告人と同じエレベーターで降りたことを否定した上、職務質問時の状況を上記のとおりであるとするKの原審証言は、被告人に隠れて付いてきたことを前提とし、さらに、客室内におけるCとの雑談をも踏まえた上で成り立っている供述であるから、その前提部分やCとの雑談に関する部分の信用性が否定されることとなれば、上記部分についても、その信用性を肯定することは困難といわざるを得ない。そもそも、会長秘書として付いてきており、被告人を警護するためけん銃等も携帯所持してきたというKが、特段の理由もないのに、被告人と別のエレベーターで降りるというような事態は、にわかに想定し難い上、Kが職務質問の対象とされて現行犯逮捕されたこと自体、正にボディーガードと目される位置にKがいたことを物語るものといえる。したがって、職務質問開始時におけるKの位置に関する上田及び寺倉の各原審証言は、十分に信用できると考えられる。

(2)  被告人が本件ホテルを立ち去った際の状況について

所論は、Tに職務質問をした寺倉及び当時車寄せにタクシーを停車させていたタクシー乗務員M1の各原審証言によれば、被告人がT車とは別の白色の乗用自動車に配下組員らと共に乗り込み、急発進して立ち去った事実が認められ、そのことは、被告人が配下組員のけん銃等の携帯所持を認識していたため、その場から一刻も早く離れようとしたものにほかならない、というのである。

所論が依拠するM1の原審証言は、要するに、「乱闘のような騒ぎがあり、それが収まった後くらいに、車寄せにタクシーを止めて客待ちをしているM1車の右前方に停車していた白色の自動車に、白っぽい背広姿の人物がパタパタッと乗り込み、急発進して行った」というものである。その人物が被告人であるか否かについては、似ている感じがないではないが、断定はできないというにとどまるところ、原判決も指摘するように、その目撃に係る場面は一瞬のものにすぎない上、前後の状況の記憶にはあいまいな部分が多く、事情聴取も事件の約一〇か月後のことであったこと等を併せ考慮すれば、その原審証言にさほどの重きを置くことはできず、寺倉の原審証言の信用性を補強し得るにとどまる程度のものといわなければならない。

他方、所論に沿う寺倉の原審証言について、原判決は、職務質問の状況を含め、信用性が低いとして切り捨てているが、前述したように、その判断には疑問があり、ここでも、具体的にその信用性を吟味する必要がある。この点に関する同証言の要旨は、「Tに声を掛けた後、同道して南側出入口に向かい、通路に出た付近でTのボディーチェックを行った上、Tにそのまま待ってくれるように頼んだところ、Tは黒い自動車に乗り込み、ドアを開けた状態で座ったが、そのうち、Kがけん銃等を携帯所持しているのが発見され、『チャカや』という声が聞こえた瞬間、被告人がT車の向こう側にあった自動車に乗り込み、その自動車が急発進した後、Tの自動車にも一人が乗り込んで急発進し、それと同時に公務執行妨害で逮捕されたDの抵抗も収まった」というものである。当時、B林組が被告人のために自動車を用意していたのであるから、被告人がTの自動車に乗り込んで本件ホテルを出発する必然性は乏しかった上、上記の証言内容には臨場感もあるといえる。しかし他方で、M1によれば、白い自動車の発車は騒ぎが収まった後くらいのこととされており、寺倉の供述するところと若干の時間差がある上、寺倉の供述によっても、「チャカや」という声が聞こえるまでの被告人の様子は不明のままである。また、Tが自動車に乗り込もうとしている右横で、寺倉がその様子を眺め、さらに、Tの後方に被告人が立つとともに、その手前側では、Kが四人くらいの警察官ともみ合っている状況を撮影した写真(甲四七号の写真四号、なお、書一号の写真四号はその拡大版)では、Tの向こう側に、Aの通夜の際にも被告人の身辺に姿を見せたZ1らしき者の顔がわずかに写っており、B林組の自動車に被告人が乗るのを待っていたと推測することができないではないが、上記写真だけではそれがZ1であるとは断定できない一方で、上記写真の被告人の様子からすると、Tに続いてその自動車に乗り込もうとしていると考えても、さほど不自然とまではいえないとも考えられる。

そして、これら諸般の事情を検討すると、被告人がいずれの自動車に乗ったかについては、証拠上確定できないというほかないから、結局、原判決が被告人の原審供述の信用性を肯定したのは誤りといわざるを得ない。もっとも、被告人が本件ホテルを離れるまでには、通路付近で上記写真のほか二枚の写真が撮影されるなど、ある程度の時間が経過していたことが明らかであるから、仮に、現場を離れる瞬間の状況が寺倉の原審証言のとおりであったとしても、それをもって、被告人が一目散に現場を逃げ出したとか、それがKらのけん銃等の携帯所持を認識していた証左であるとか評価することはできないと考えられる。

また、仮に、被告人にKらのけん銃等の携帯所持の認識があったとしても、検察官が想定するように、一目散にその場から逃げ出すなど、自分に対する嫌疑をいたずらに強め、あるいは他から胆力の無さを指摘されかねないような行為に出るとは、にわかに考え難いところであって、被告人のような立場にある者としては、虚勢を張ってでも、その場を悠然と取り繕うのではないかという疑問がある。他方で、自分も拘束される危険が生じた場合には、その場を一目散に逃げ出したとしても、それ自体が直ちに認識を肯定する根拠となるとまでは解し難いとも考えられるのであって、現場における態度が悠然としていたか否かということ自体に、さほどの重きを置くことはできないというべきである。

そうすると、この点に関する原判決の説示は、A野会関係者の供述の信用性をたやすく肯定した点に誤りがあるが、最終的な要証事実との関係では、特段の影響がないというべきである。

六  被告人が配下組員のけん銃等の携帯所持を容認していたことに関する所論について(控訴趣意書第二の八項)

所論は、A野会にあっては、組員が必要に応じてけん銃等を携帯所持し、統率者である被告人がこれを積極的に容認、賞賛してきた実態があり、被告人は、配下組員が組のためにけん銃等を携帯所持したり発砲したりして検挙された場合には、これを賞賛してその地位を昇格させてきたのに、原判決は、このような実態を十分直視することなく、共謀の存在を否定したものであり、その誤りであることは明らかである、と主張する。

そこで、検討するに、①A野会には、その前身であるE原組の当時から、抗争の際の攻撃部隊等としてD原会という組織があり、けん銃等を携帯所持する構成員が殺傷目的で抗争の相手方に発砲するなどの活動を行った実績があること、②A野会では、同じくE原組の当時から、組織のために、けん銃を所持したり発砲したりして検挙された場合には、その後に地位が昇格する実態があり、そのことは、被告人、K及びCのほか、Kによる殺人未遂事件の共犯者であって、当時のD原会の実質的責任者と判決で認定されており、その後は、Kの前任の会長付兼若頭補佐であったとされるD3ことD2の例などに照らしても明らかであること、③Kにあっては、かつてE原組C林興業の組員であった当時、D原会の鉄砲玉として抗争の相手方に対しけん銃を発射し、殺人未遂罪等により懲役六年に処せられたほか、その後もけん銃等の所持罪で服役した前科を有しており、その後、直参に、次いで幹部兼会長秘書に取り立てられた経歴を有していること、また、④被告人自身も、けん銃事犯こそ犯していないものの、抗争の相手方組員を日本刀で殺害し、殺人罪により懲役一三年に処せられた前科などを有しており、その後服役を終えてから、E原組組長が引退した跡目を継いで、A野会の会長となった経歴を有していること、⑤本件に関しても、KやMに対しては、何らの処分が行われておらず、かえって、合計六六〇万円という多額の見舞金が集められたほか、各自の弁護士費用についても、B山組又はA野会が負担していること、等の事実がそれぞれ認められる。

そして、これらの事実に照らせば、Kの原審証言も、けん銃等を携帯所持して被告人に付いていくことは禁止されていたが、いったん事があって、被告人の警護の役に立った場合には、抜駆けの功名となると思ったとして、その思いの一端を述べているように、配下組員の側においては、組織のためにけん銃等を所持する等の行為に出た場合には、その行為が被告人により正当に評価されて、抜てきや昇格等にあずかり得るという信頼があり、被告人側においても、その信頼を裏切ることなく今日に至ったものと認められる。

そうすると、これらの事情に特段の配慮をしなかった原判決は、共謀の存否ないし認識の有無を判断する根拠となり得る間接事実の評価を誤ったものといわざるを得ない。所論は理由がある。

七  対立組織から銃撃が予想される場合には当たらないとしたことに関する所論について(控訴趣意書第二の九項)

所論は、原判決は、検察官が主張する暴力団の行動原理が常に存在するとまではいえないとしつつも、一般論として、対立組織からの銃撃が十分予想され、けん銃等を所持しなければ親分警護の目的を十分に達し得ない場合には、親分の指示・命令がなくても、暗黙の了解として、けん銃等を所持して親分の警護に当たることもあると説示しているところ、①K及びMやE田会の二人がけん銃等を携帯所持したのは、正にそのような場合であると考えたからにほかならないから、上記一般論を適用しなかったのは不当であり、他方、②前記Qの事案における第一審判決(東京地方裁判所平成一二年三月六日判決)は、親分から指示されるまでもなく、けん銃を抱いて親分を警護するのが付き人たるべき者の行動であるという暴力団の行動原理が存在することから、C川会との対立抗争には何ら触れないまま、Qと配下組員の間の黙示的な共謀を肯認しているところ、そのような行動原理は本件でも存在する上、本件にあっては、被告人自身が銃撃される具体的な危険性も認識していたのであるから、上記判決と同様の視点に立てば、容易に共謀の事実を認定できるのに、このような判断を行わなかった原判決は不当である、と主張する。

そこで検討するに、まず、①の点については、実行行為者が上記のような場合であると考えたことは否定できないところであるが、本件で問題となっているのは、被告人がどのような認識であったかということであるから、実行行為者の認識のみをもってしては、当然に上記一般論を適用できることとはならない。次に、②の点については、冒頭でも指摘したように、Qの事案と本件とでは、事前における客観的証拠の蓄積や関係者多数の供述の獲得の有無という点で大きな違いがあるのみならず、Q自身が所論指摘のような行動原理が自分自身の行動原理であったことを肯定していたという点で、そのような事情がない本件と同一に論じることができないと考えられる。したがって、所論は採用できない。

八  共謀の有無に関する原判決の判断の誤りに関する所論について(控訴趣意書第二の一〇項)

所論は、原判決が、先に「第二 本件公訴事実に対する原審裁判所の判断」の①ないし⑤に要約したとおり、本件にあっては、被告人とK及びMが共謀してけん銃等を所持していたという嫌疑も相応に存在するとしながら、六つの疑問点を挙げて共謀の事実が認められないとした点について、原判決が疑問とするところは、いずれも共謀の事実の存在に疑いを差し挟む理由とはならない、と主張する。しかし、その多くは既に検討したところと重複するので、以下では、これらと重複しない部分についてのみ触れる。

まず、原判決が、①「暴力団組織としては、けん銃等を所持して親分の警護をすることがあるとしても、できるだけその危険(注:累が親分にまで及ぶこと)の小さい方向で警備態勢を組むのが通常であり、親分が常にこれを一部始終認識していることは考え難い」としている点は、所論も指摘するように、本件当時懸念された襲撃の危険性の実際の警戒・警護態勢を捨象したまま、一般論を展開したものにほかならない。また、②Aの通夜の際に、所持品検査を受けたKらからけん銃等が発見されなかったとしても、所論が指摘するように、当時の会場付近は警察官による警戒や所持品検査が当然予想される状態にあり、C川会関係者による攻撃の危険性が乏しい一方で、携帯所持しているけん銃等が発見される可能性は極めて大きかったのであるから、同会場でけん銃等が発見されなかったからといって、その後、C川会に対する攻撃が始まり、A野会本部事務所の警戒・警護態勢も強化されつつあった状況下において、本件の際も上記と同じ事情であったとはいい難い。また、③原判決が、Kの一存あるいはA野会幹部による指示によってKがけん銃等を携帯し、これが被告人の関知するところではなかった可能性もあるとする点も、これまで検討した諸点にかんがみると、単なる抽象的な一般論を展開したものにほかならない。所論はいずれも理由がある。

九  共謀の成否について

以上のとおり、間接事実の存否に関し、A野会関係者の供述の信用性を排斥できないとして原判決が種々説示するところは、その多くが首肯することのできないものである。そして、A野会関係者の虚偽供述を排した上、関係証拠をつぶさに検討すれば、以下に述べる間接事実を総合することにより、本件各公訴事実を優に認めることができる。

(1)  本件で認められる事実

被告人とK及びMとの各共謀の存否を検討すると、本件で考慮すべき間接事実としては、①A野会では、その前身のE原組の当時から、抗争の際にけん銃等で相手方を殺傷する攻撃部隊として、D原会という組織が設けられており、必要に応じて活動していたほか、被告人の周辺には、傘下組織から抜てきされて、会長秘書の指揮の下で、被告人の身の回りの世話と警護とに当たる一団の組員がおり、それが親衛隊と呼ばれることもあったこと、②A野会では、D原会の活動に従事した組員の例に見られるように、組員が組織のためにけん銃等を所持し、更には発砲するなどして検挙された場合には、その後に地位が昇格する実態があり、被告人自身がこの種行為を容認、賞賛してきたといえること、③被告人やK自身も、かつて組織のために殺人罪や殺人未遂罪を犯すなどして服役した後、抜てきされて地位の昇格にあずかった経歴を有すること、④Kは、本件当時も会長秘書の地位にあって、少なくとも遠方に出掛ける場合などには、いわゆる親衛隊の指揮者として被告人に同行しており、本件の際も、そのような立場で被告人に同行していたこと、⑤Mも、いわゆる親衛隊の一員であり、被告人の身の回りの世話を直接担当するDの周辺にあって、KやDの補助をするとともに、被告人の警護に携わっていたものであり、本件の際も、そのような立場で被告人に同行していたこと、⑥八月二八日にAの射殺事件が発生して以降、九月二日から同月一七日までの間に、C川会傘下組織の事務所等に対するけん銃発砲事件一五件が続発しただけでなく、同月一九日には、C川会傘下組織の相談役が路上で射殺される事件も起こるに至っており、警察や、少なくとも山口組の二次団体の幹部以下の組員にあっては、武闘派として知られるC川会による反撃が懸念されていたこと、⑦A野会においては、日ごろから、名古屋市中村区宿跡町の本部事務所や被告人の自宅がある同市中区上前津のB谷ビルに複数の部屋住み組員や当番組員が詰め、二四時間態勢で警戒を行っていたほか、被告人の移動時には、会長秘書及びいわゆる親衛隊の構成員複数名が同行してその世話及び警護に当たっていたところ、同年九月一日ころ以降は、これに加えて、本部事務所において、被告人が事務所に入る際の出迎え態勢の強化、出迎えや自動車での巡回を担当する者の防弾チョッキ着用、巡回時の防弾車の使用等を指示するなど、けん銃による襲撃を想定したとみられる警戒・警護態勢の強化措置が執られており、被告人もその一端に気付いていたが、その解除や緩和の措置は何ら命じていなかったこと、⑧同月三日に被告人らが本件ホテルに宿泊した際も、本件時と同様、Mがメインロビーに先行して警戒に当たっていたこと、⑨本件前日の名古屋駅ホームにおいては、けん銃等を携帯所持するK、けん銃等を携帯所持し、防弾チョッキを着用しているM及び防弾チョッキを着用しているDを含む少なくとも六人の配下組員が、階段を上る被告人の前後に三人ずつ広がって、その警護に当たっていたこと、⑩名古屋駅から新神戸駅に向かう新幹線の二階建てグリーン車内では、被告人はTと隣合わせに座っていたが、客室内や前後のデッキには双方で合計一〇人前後の配下組員が詰めていたこと、⑪本件ホテルにおいても、いったん三三階の部屋に投宿の手続をしたものの、特段の必要性がうかがわれないのに、その後Tの一行と同じ二八階に部屋替えしているほか、本件当日も、Tの一行やOらと同じエレベーターで一階に降りた上、同時にホテルを出発しようとしていたこと、⑫宿泊中、被告人が部屋を出歩いた形跡はない上、ルームサービス係が朝食を運んできた際も、廊下に控えていたDらがこれを受け取り、係員を客室内に入れなかったこと、⑬出発時には、Mがメインロビーに先行して周囲を警戒する中で、Kが被告人の直近を固めながら進行し、防弾チョッキを着用したDやCも同行していたほか、Tの一行やOらと同一行動を取ることによって、警護効果を一層高めようとしていたこと、⑭K及びMにあっては、実包の装填されたけん銃を、裸のままで右腰に差し込み、あるいはズボンの左ポケットに入れるなど、直ちに発射できる状態で携帯所持していたこと、⑮E田会側においても、Tを警護するため、二人の配下組員がほぼ同様の状態でけん銃等を携帯所持していたこと、などの事実が認められる。

(2)  被告人の認識・認容

そして、これらの各事実を総合考慮すれば、被告人は、いわゆる親衛隊の構成員やその指揮者であるKらに対し、けん銃等を携帯所持して警護するように直接指示を下さなくても、本件当時の情勢下において阪神方面に出掛ける被告人に同行するに当たっては、これらの者の一部が被告人を警護するため自発的にけん銃等を携帯所持していることを、少なくとも概括的とはいえ確定的に認識しながら、それを当然のこととして受け入れて認容していたものであり、他方、K及びMも、被告人のこのような意思を察していたと認められる。仮に、被告人やA野会若頭のSが、被告人の身辺に付く場合にはけん銃を持つなという指示をしていたとしても、上記認定事実にかんがみると、それは、被告人がけん銃等の不法所持等の罪に問われることのないよう、官憲に発覚する危険がある場合や、特段の必要がない場合には、けん銃等の携帯所持を控えるよう求めるとともに、万一発覚した場合にも、自分の独断でけん銃等を携帯所持したものであり、被告人とはかかわりがない旨供述するよう求めていたにすぎないものとしか認められない。

(3)  共謀共同正犯の成否

そして、以上の事実関係によれば、被告人とK及びMとの間には、各自のけん銃等の携帯所持につき、それぞれ黙示的な意思の連絡があったといえる。また、被告人とMとの間においても、Kを媒介とする順次共謀を殊更観念せずとも、直接的な意思の連絡があったといえる。さらに、上記両名は、被告人の警護のためけん銃等を携帯所持しながら、役職の違いに応じた若干の距離の違いはあれ、そのことによって警護の効果を高めながら、いずれも被告人の近辺にいて被告人と行動を共にしていたものであり、両名に対する指揮命令の権限を有する被告人の地位及び両名による警護を受けるという被告人の立場を併せ考えれば、実質的には、正に被告人が両名に本件けん銃等をそれぞれ所持させていたと評し得る(最高裁判所平成一五年五月一日第一小法廷決定。刑集五七巻五号五〇七頁参照)。したがって、被告人には、本件けん銃等の各携帯所持について、両名との間にそれぞれ共謀共同正犯が成立するといわなければならない。

一〇  小結

そうすると、論旨は理由があり、刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決は破棄を免れない。

第六自判

そこで、事案の全体に関与しており、真相に最も深くかかわっていると認められるKを双方申請証人として直接取り調べた本件審理の経過等にもかんがみ、同法四〇〇条ただし書を適用して、当該裁判所において、直ちに自判することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は、五代目山口組若頭補佐兼A野会会長であるが、法定の除外事由がないのに

一  同会会長秘書Kと共謀の上、平成九年九月二〇日午前一〇時四〇分ころ、大阪市北区梅田《番地省略》D本ホテル(その後、「D海」に改称)一階南側出入口前通路上において、口径〇・三八インチ回転弾倉式けん銃一丁(当庁平成一五年押第一七一号の一)を、これに適合する実包六発と共に携帯して所持し

二  同会B山組組員Mと共謀の上、上記日時ころ、上記ホテル一階メインロビーにおいて、口径〇・二五インチ自動装てん式けん銃一丁(同号の二)を、これに適合する実包五発と共に携帯して所持し

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも刑法六〇条、銃砲刀剣類所持等取締法三一条の三第二項、一項、三条一項に該当するが、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役六年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中二四〇日をその刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、指定暴力団五代目山口組の若頭補佐であり、同組内で有数の二次団体であるA野会の会長でもある被告人が、山口組の定例幹部会に出席するため、前日来宿泊していた大阪市内のホテルを出発するに際し、自己の身辺警護の目的から、会長秘書のK及び配下組員のMと各共謀の上、それぞれ、けん銃一丁をこれに適合する実包六発又は五発と共に携帯所持したという銃砲刀剣類所持等取締法違反二件の事案である。

いずれの犯行においても、その実行行為者は共犯者であるが、その犯行態様は、実包を装てんしたけん銃を、裸のままで右腰に差し、あるいは同じく裸のままでズボン左ポケットに入れるなど、いつでも発射可能な状態でけん銃等を携帯所持したという危険で、なりふり構わぬ緊迫感を感じさせるものである。また、それらが、前日名古屋市を出発してから翠朝上記ホテルで検挙されるまでの間、新幹線の車両やホーム等の駅構内、ホテルのメインロビー等、一般市民が多数往来する公共の場を舞台としながら、かなりの時間にわたって続けられてきた末の犯行であることからすると、法秩序の無視も甚だしいものがあったといえる。そして、本件のように、けん銃等を携帯所持する者を含む暴力団員多数が周囲を警戒しながら行動する威圧感にはかなりのものがあり、その犯行が周囲の一般市民に与えた不安感にも大きなものがあったと考えられる。もとより、被告人らが本件犯行に及んだ動機、目的は、他の暴力団からのけん銃等による襲撃の危険性に備えるためではあるが、A野会自身、これまでけん銃等を用いた抗争事件を引き起こしつつ、今日に至っているのであって、上記のような危険性は、被告人らが暴力団組織に身を置いていることの当然の結果ともいえるから、上記の動機、目的の点が、刑の量定に当たって特に酌量すべき事情とまではなり難い。しかも、原審及び当審においては、被告人を含むA野会関係者が徹底した虚偽供述を重ねているといわざるを得ず、反省の情もうかがわれない。加えて、被告人は、A野会会長として、本件犯行をいかようにも指揮できる立場にあった。これらの諸点に照らすと、その刑事責任は重いといわざるを得ない。

そうすると、他方で、本件各所持に係るけん銃は二丁にとどまる上、被告人とK及びMとの間の意思の連絡も暗黙のものにとどまり、被告人の方から積極的に指示や命令を下したものではないこと、前科はあっても、古いものであることなど、被告人のために酌むべき事情が存するにしても、主文掲記の刑は免れない。よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白井万久 裁判官 的場純男 磯貝祐一)

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