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大阪高等裁判所 平成13年(う)748号 判決 2002年10月31日

《目次》

被告人等の表示<省略>

主文/241

理由/241

第1 本件控訴趣意等について/241

第2 控訴趣意中、理由不備ないし理由齟齬の論旨について/241

第3 控訴趣意中、法令解釈適用の誤りの論旨について/242

第4 控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の論旨について/244

1 刑訴法三二一条一項二号後段違反の主張について/244

2 刑訴法三二二条一項違反の主張について/245

3 原審弁護人の証拠調べ請求却下の違法に関する主張について/246

第5 控訴趣意中、事実誤認の論旨について/246

1 絵画事件について/246

(一) 論旨と概括的判断/246

(二) 本件絵画取引の法的性格について/247

(三) 損害発生の具体的認識について/251

(四) 任務違背の認識について/252

(五) 図利加害目的について/253

(六) 積極的な共同加功行為の有無について/253

2 さつま事件について/253

(一) 論旨と概括的判断/253

(二) 積極的な共同加功行為の有無について/254

(三) 任務違背・損害発生の認識及び図利加害目的について/255

(1) 損害発生の有無及び被告人の認識について/255

(イ) ゴルフ会員権の販売の見通しについて

(ロ) 野田産業株式の担保価値について

(ハ) さつまゴルフ場用地の担保価値について

(ニ) さつま観光の支払うべき債務等について

(ホ) 損害発生に関する被告人の認識について

(2) 被告人の任務違背の認識について/258

(3) 被告人の図利加害目的について/259

3 税法事件について/260

(一) 論旨と概括的判断/260

(二) 各論的主張に対する判断/261

(1) Pの本件への関与及び被告人のCへの確定申告指示等について/261

(2) 絵画取引に関するCの認識について/263

(3) 絵画譲渡益等に関するCの認識について/263

(4) 本件株式取引に関する被告人の認識について/265

(5) 本件株式取引に関するCの認識について/265

(イ) 株式買収代金の送金について

(ロ) パブルスへの送金について

(ハ) Sのパブルス出向と雅叙園観光復帰について

(6) Tの検察官調書の信用性について/267

(7) S供述の信用性について/267

(8) 関西コミュニティの確定申告作業について/268

(9) 決算処理状況に関するR供述の信用性について/269

(10) Dノートの有無について/270

(11) C試算表の有無について/273

(12) 虚偽申告の必要性について/275

第6 控訴趣意中、量刑不当の論旨について/277

第7 結論/280

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中七〇日を原判決の懲役刑に算入する。

理由

第1  本件控訴趣意等について

本件控訴の趣意は、弁護人下村忠利(主任)、同竹下政行、同笹山利雄共同作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官井越登茂子作成の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。以下、絵画等取引に関する商法違反事件を「絵画案件」ないし「絵画事件」、さつま観光株式会社に対する融資に関する商法違反事件を「さつま案件」ないし「さつま事件」と、法人税法違反事件を「税法事件」とそれぞれ略称することとし、関係者の氏名、法人名等についても、文脈で紛れがない限り、原則として初出以外は、断り書なく略称することがある。また、以下で「原審」とは、大阪地方裁判所第八刑事部を指し、「第一二刑事部」とは、大阪地方裁判所第一二刑事部を指す。

そこで、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討し、次のとおり判断する。

第2  控訴趣意中、理由不備ないし理由齟齬の論旨について

所論は、要するに、被告人には、旧商法(平成二年法律第六四号による改正前のものを指す。以下同じ)四八六条一項(以下「特別背任罪」という。)における身分がないから、被告人に同罪の共同正犯が成立するためには、旧刑法(平成七年法律第九一号による改正前の刑法を指す。以下同じ)六〇条所定の共謀共同正犯成立の要件とともに、これとは別に、同法六五条一項所定の「加功」したといえるか否かを判断することが不可欠であるところ、①原判決は、その法令の適用において、認定した事実について、「被告人の判示Ⅰ第二の一及び二並びに第三の各所為は、いずれも(第二の一は包括して)旧刑法六五条一項、六〇条、旧商法四八六条一項に該当する」としながら、「共謀共同正犯理論の適用という意味では、特別背任罪と他の罪とを別異に扱ういわれがない」という誤った解釈論を展開した上で、上記「加功」に該当するかどうかという被告人の罪責を決定するために必要不可欠な具体的事実について、なんら認定説示していないし、②共謀共同正犯成立のための要件である「謀議」についても、その日時、場所、具体的内容などの事実について、これを一切認定説示しないまま、被告人に特別背任罪の共同正犯が成立すると結論付けているから、これらの点において、原判決には理由不備の違法がある、というのである。

しかし、刑訴法三七八条四号にいう「判決に理由を附せず」とは、同法四四条一項、三三五条一項により要求される判決理由の全部又は一部を欠くことをいうのであり、「理由にくいちがいがある」とは、主文と理由の間又は理由相互の間にくいちがいがあり、これが理由を附さない場合と同程度の重大なものであることを要すると解されるのであって、原判決の絵画事件及びさつま事件に関する認定説示にこのような瑕疵があるとは認められず、所論が指摘するような各点は、そもそも同法三七八条四号にいう理由不備ないし理由齟齬に該当するような性質のものといえないことは明らかである。

なお、所論にかんがみ、当裁判所の見解を若干付加しておくと、①の点については、旧刑法六五条一項にいう「犯罪行為に加功した」とは、非身分者が身分者の犯罪行為に関与したことを意味し、これには、非身分者が、教唆犯、幇助犯のみならず、共謀共同正犯を含む共同正犯として、身分者の犯罪行為に関与した場合も含まれるところ、これを(共謀)共同正犯の場合についてみれば、「加功」とは、同法六〇条にいう「二人以上共同して犯罪を実行した」といえる形態で関与した場合を指し示していると解される。そして、この点において、特別背任罪の非身分者が、その身分者との共同正犯の責任を問われた場合においてのみ、「加功」の意味を他の犯罪の場合とは別異に解釈すべき文理上ないし実質的な根拠は特段認められないというべきである。原判決は、「加功」の意義につき、当裁判所と同様の見解に立脚した上で、I商法違反(特別背任)被告事件の各(犯罪事実)の項においてはもとより、絵画事件については、(補足説明)第一の三4項において、さつま事件については、同第二の三4項において、それぞれ伊藤萬株式会社(イトマン)等における特別背任罪の身分を有していない被告人が、その身分を有している甲野一郎らと謀議をなし、その者らの行為をいわば自己の手段として犯罪を行ったものとみて、被告人には特別背任罪の共謀共同正犯が成立する旨を判示するとともに、(法令の適用)の項において、旧刑法六〇条と並んで同法六五条一項を摘示することによって、被告人が、同条項における身分者の犯罪行為に「加功」したことを正当に判示していることは明らかである。また、②の点についても、原判決は、本件特別背任罪の各犯行に至る経緯、被告人らの各犯行動機、任務違背に関する認識内容、被告人と他の共犯者間の折衝状況、絵画案件及びさつま案件の各出金にかかわる犯行状況等について詳細に認定説示し、被告人が甲野らとの間で同罪の謀議を遂げたことを指し示す具体的な事実関係を明らかにすることによって、被告人と甲野ら共犯者との間に共謀関係が認められ、被告人においても、甲野ら共犯者と同様に、同人ら身分者の任務違背行為を自己の手段として本件各犯罪を行ったことをも判示していることは、その判文から明らかである。

第3  控訴趣意中、法令解釈適用の誤りの論旨について

所論は、要するに、特別背任罪に関し、非身分者において身分者との間の共同正犯が成立するためには、(1)主観的要件として、非身分者の立場に即した共同加功の意思としての任務違背、損害発生の具体的認識及び図利加害目的、(2)客観的要件として、同法六五条一項にいう積極的な共同加功行為がともに必要であると解されるところ、原判決は、上記のような解釈を踏まえることなく、同法六〇条に関する解釈理論である共謀共同正犯理論の適用だけでよいとする誤った法令解釈の下に、なんら、上記(1)及び(2)の双方を充足させる事実の認定をしないまま、特別背任罪についての非身分者である被告人に、同法六五条一項、六〇条による共同正犯の成立を認めるという極めて不当な判断をしており、これは、同法六五条一項の解釈適用を省略・看過し、あるいは、判例通説と全く異なる解釈をして、漫然と被告人に特別背任罪の共同正犯の成立を認めたもので、特別背任罪及び共同正犯の各法令解釈を誤ったばかりか、罪刑法定主義の要請にも反しており、その法令解釈適用の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで検討すると、まず、特別背任罪の主観的要件である損害発生及び任務違背の認識並びに図利加害目的に関し、非身分者の立場に即してこれを考察すべきであるとする点は、所論が指摘するとおりであると解されるところ、原判決は、絵画及びさつまの両案件について、所論が指摘するとおり、非身分者である被告人の立場に即して、損害発生に関する被告人の認識、甲野及び乙川二郎若しくは丙田三郎らの任務違背に対する被告人の各認識及び被告人自身の各図利加害目的などにつき、それぞれ具体的かつ詳細な事実を認定した上で、いずれも上記の各要件を満たしている旨説示しており、原判決のこの点の判断手法になんら誤りはない。ついで、所論がいう客観的要件の点についてみるのに、同法六五条一項にいう「犯罪行為に加功した」とは、非身分者が身分者の犯罪行為に関与したことを意味するところ、特別背任罪の非身分者が、その身分者との共同正犯の責任を問われた場合においてのみ、上記「加功」の意味を他の犯罪と別異に解釈すべき理由のないことについては、理由不備ないし理由齟齬の論旨に対する判断の項で説示したとおりである。そして、そもそも実務上確立している共謀共同正犯の理論の適用を認める以上、通常の実行共同正犯の成立に必要とされる客観的な「共同実行の事実」までは不要と解されることは、自ら直接実行行為に出ない共犯者についても共同正犯としての責任を認める必要性が高いことなどから同理論が実務上確立されてきた経緯に照らして自明の理であって、非身分者について、身分者との間で特別背任罪の共謀共同正犯が成立するというためには、前記のような主観的な要件に加えて、共謀共同正犯成立の前提となる「共謀」と「一部の者(身分者)の実行」の事実があれば足りるというべきである。この意味において、原判決が、「共謀共同正犯理論の適用という意味においては、(特別)背任罪を他の犯罪とを別異に扱ういわれはなく、身分なき者と身分ある者とが、互いに他の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、この謀議に基づいて犯罪が実行された場合には、身分ある者の行為をいわば自己の手段として犯罪を行ったと見られるのであるから、当然に共同正犯として罪責を負う」(一三四頁、二〇五頁)と説示した上、各事案毎に被告人に共謀共同正犯が成立するか否かの要件を個別的に検討を遂げ、これを肯定した判断は正当であり、所論が、原判決において、被告人の本件各所為について、共謀共同正犯を認定しながら、客観的な成立要件として、「積極的な共同加功行為」を認定していないと論難しているのは、原判決の説示内容を正解していないというべきである。

もとより、当裁判所としても、融資先等あるいはこれに所属する非身分者が、使用者である融資元等(株式会社等)の「使用人」である身分者から不正な融資等を受けたことが特別背任罪の共謀共同正犯としての責任を問われたような事例にあっては、非身分者と身分者の立場が異なる上、両者の利害関係も対立することが多いことから、非身分者について、身分者との間で共謀共同正犯の成立を認めるについては、当該事案の性質、内容に沿って、両者間で「共謀」が成立したと認定するに足りる前提事実、とりわけ、非身分者と身分者との関係、非身分者における身分者の任務違背に関する認識内容やその任務違背行為に対する働きかけの形態等を踏まえ、身分者の任務違背行為そのものに対する非身分者の関与の程度につき、それが通常の融資等の取引の在り方から明らかに逸脱しているといえるか否かについて、慎重に吟味検討をすることが必要であると考える。

しかし、この点についても、原判決は、特別背任罪についての共謀共同正犯理論の適用に関する一般的な説示(一三四頁、二〇五頁)に続けて、絵画事件について、「被告人は、甲野らの求めに応じ、Eに鑑定評価書を偽造させて、イトマン側に提出しているうえ、甲野らが、絵画取引に消極的な態度を示すと、被告人からの申込みを断りにくい状況を作り出してまで、巨額の取引を継続させるなど、自らも積極的に甲野らの任務違背行為に関与して、甲野らの行為を、資金獲得という自己の目的のための手段としたものと認められるのであって、このような被告人の行為は、社会的に許された自己の経済的利益の追求という枠を明らかに超えるものといわなければならない。」(一三五頁)と、また、さつま事件についても、「本件融資は、被告人が野田産業株購入資金を調達するため、甲野に一四〇億円の融資を依頼したことに端を発するものではあるが、さつま観光に二〇〇億円を融資したうえ、企画料等として約五〇億円を先取りしてイトマンの利益出しに充てることを計画したのは、イトマン側の丙田、甲野及び乙川の方であって、被告人が積極的主導的に持ちかけたものではない。」と説示しながらも、「実体のない企画料等を先取りして利益出しをするため巨額の金額を上乗せして融資を決定し実行することが、丙田らの任務に違背することは、健全な社会通念、常識に照らして余りにも明白であること、被告人は、さつま観光の側に確実な返済のめども担保もなく、イトマンに損害が発生することを認識認容していたこと、被告人は、イトマンの利益出しに協力しておけば、今後も同社から資金を引き出せるとの意図から、企画料等の提供に応じ、名目上の利益出しに積極的に協力したことなどに鑑みれば、丙田らの任務違背行為を手段として必要資金を獲得した被告人の行為は、社会的に許された自己の経済的利益の追求という枠を超えるものといわなければならない。」(二〇六頁ないし二〇七頁)と、それぞれ説示し、もって、非身分者について、身分者との間で共謀共同正犯の成立を認めるについて、身分者の任務違背行為に対する関与の程度につき、これが通常の融資等の取引の在り方から明らかに逸脱しているといえるか否かを吟味検討すべきであるとする、当裁判所と実質的に同様の見解に立脚した上で、所論が指摘する罪刑法定主義の要請ともいうべき、適正な処罰範囲の画定という点にも配慮しつつ、「共謀」が成立したと認定するに足りる具体的事実を指摘した上で、被告人に対し、両案件についての特別背任罪の共謀共同正犯の成立を認めているということができる(なお、原判決の法令解釈が判例の趣旨に反するとし、その根拠として所論が挙げる判例、裁判例は、いずれも本件とは事例を異にするか、あるいは所論においてその趣旨を正解していないものである。)。

原判決は、以上のような認定説示に基づいて、被告人には、甲野らとの間に特別背任罪の共謀共同正犯が成立するとみて、旧刑法六〇条、六五条一項、二項、旧商法四八六条一項を適用しているのであるから、このような判断を示している原判決の法令解釈適用になんら誤りがあるとはいえない。

第4  控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の論旨について

1  刑訴法三二一条一項二号後段違反の主張について

所論は、要するに、検察官が、刑訴法三二一条一項二号後段の該当書面として証拠請求をした丙田三郎、甲野一郎、E、A、B、Cの各検察官調書(謄本)には、いずれも特信性が認められないのに、これらを同条項の該当書面として証拠採用した上、本件各犯行の主要な事実認定の用に供した原審の訴訟手続には、同条項の解釈適用を誤った違法があり、その訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであり、仮に、これらに証拠能力を認めるとしても、同法三二一条一項二号後段によって証拠能力を取得するのは、その各原審公判供述との相反部分に限定されるべきであるのに、原判決は、この範囲を超えて、各検察官調書(謄本)全体もしくは不同意部分全体を証拠として採用しているから、この点においても、判決に影響を及ぼすべきことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで検討すると、Aの検察官調書謄本二通(原審検第2589号証、第2590号証)、Bの検察官調書一通(第一二刑事部検甲第635号証・不同意部分)及びCの検察官調書六通(第一二刑事部検乙第33号証、第34号証、第36号証、第39号証ないし第41号証・ただし乙第33号証、第34号証、第36号証、第40号証については不同意部分)については、検察官がいずれも平成一二年八月二九日付けの各証拠調べ請求書により、また、Eの検察官調書謄本三通(原審検第2562号証ないし第2564号証)、丙田三郎の検察官調書一六通(原審検第1219号証ないし第1231号証、第1234号証、第1235号証及び第1429号証)及び甲野一郎の検察官調書三三通(原審検第1257号証ないし第1266号証、第1268号証ないし第1271号証、第1275号証ないし第1283号証、第1430号証、第2372号証、第2373号証、第2375号証ないし第2377号証、第2379号証、第2542号証、第2560号証及び第2570号証、ただし最後の三通は謄本)については、検察官がいずれも同年九月二六日付けの各証拠調べ請求書により、それぞれ刑訴法三二一条一項二号後段の書面として証拠調べ請求をし、これらに対して、原審弁護人が、A、B及びCの各検察官調書(謄本を含む)については、同月二六日付けの各意見書をもって、また、E、丙田三郎及び甲野一郎の各検察官調書(謄本を含む)については、同年一〇月一八日付けの各意見書をもって、同条一項二号後段の証拠として採用することに反対する意見を述べ、これらを受けて、原審が、その第一七九回公判において、検察官の請求を認めて、前記六名の各検察官調書(謄本を含む・なお一部の調書は不同意部分のみ)を同条一項二号後段の証拠として採用する旨の決定をした経緯が認められ、前記六名の前掲各検査官調書(謄本を含む)と各自の公判等供述との間に、検察官が前記各証拠調べ請求書において指摘する相反部分等があることも明らかである。そこで、まず、その特信性についてみると、本件各事件にかかる丙田三郎、甲野一郎、E、A、B、Cの前記各検察官調書(謄本を含む)は、いずれも、その内容が具体的かつ詳細なばかりではなく、平成一〇年一〇月中に作成されたEの検察官調書謄本三通を除き、長期間の審理を要した原審及び第一二刑事部における各公判段階で各供述ないし証言がなされた時点よりも、いずれもかなり時期の早い捜査段階で、未だ各供述者の記憶が新鮮な時点において作成されており、各供述者において、被告人あるいは他の事件関係者の供述内容や応訴態度等に遠慮や気兼ね等をせずに、検察官の面前において、自由な立場で任意にその当時の記憶に基づいて供述をしたもので、その内容が録取された調書の読み聞けあるいは閲読という方法によって、その正確性を自ら十分に確認した上、署名等に応じ、これらが作成されたと解することができるものである。これらと対比して、丙田らの原審や第一二刑事部の各公判(ただし、Aについては第一二刑事部公判準備期日)における供述や証言の際には、各自の体験した出来事からかなりの時間を経過し、記憶が薄れるなどしたため、明確に供述することができなくなっていた事態が容易に考えられ、記憶がある場合においても、各公訴事実を争っている被告人を含む関係者の弁解や供述内容等を知ることによる影響を受けたり、被告人らの面前で供述を求められたために、これに気兼ねや萎縮をして、記憶に従ってありのままを供述することをさらに回避したり、被告人らや尋問者に迎合して、忠実な記憶に沿わない供述をするに至った部分、あるいは、各自の検察官調書(謄本を含む)と対比して、不合理な変遷を遂げている部分もかなり散見されるところであるから、前記各検察官調書(謄本を含む)には、その各公判供述や証言よりも、いずれについてもその信用性が高いと認めるに足りる特別の情況的な保障があると認められる。なお若干個別的に補足すると、甲野は、本件各事件以前から雅叙園観光株式会社の再建等を通じて、被告人との間で巨額資金を融通し合う密接な関係にあった外、さつま事件及び絵画事件の両事件に関して、被告人らとの共同正犯として起訴され、相当期間一緒に併合審理を受けるなどし、被告人と同様、両事件について各犯罪の成立を全面的に争っており、被告人とは相当程度利害を共通する立場にあった者であること、丙田も、さつま事件に関して、被告人らとの共同正犯として起訴され、甲野と同様被告人と相当期間併合審理を受けるなどし、被告人とともに犯罪の成立を争い、絵画事件については、起訴を免れたものの、イトマン等に巨額の損失を発生させた本件絵画取引について、その当時イトマンの代表取締役社長の職にあり、その経緯を知る立場にあったため、その民事的責任ないし道義的責任が問われる可能性があり、いずれの事件についても被告人とかなり利害を共通にする部分があった者であること、また、Aは、被告人が実権を握るCTCグループ企業の有力幹部で、被告人から自己の関係する企業に資金的援助等を受け、恩義を感じる立場にあった者であり、Cについては、CTCグループ企業の大幹部で、被告人から様々な指示を受ける直属の配下という立場にあり、税法事件については、被告人の共同正犯として起訴され、相当期間にわたる併合審理の中で、被告人と同様に激しく犯罪の成立を争っていた者であること、さらに、Bにあっては、被告人の本件公訴提起当時はもとより、第一二刑事部公判及び公判準備期日証言時においても、被告人、C及び関西コミュニティ株式会社の各利益を擁護しなければならない弁護人の立場にあった者であり、以上の五名は、それぞれ検察官から被疑者として取調べを受けたり、参考人として事情聴取がされた段階におけるよりも、被告人や関係者の面前で供述や証言を求められた公判段階において、被告人ら事件関係者に極力不利益になる供述や証言をするのを回避し、かえって、被告人ら事件関係者に有利あるいは迎合的な供述や証言をしようとする動機や傾向が十分にあったと考えられる者である。また、Eについてみても、被告人とは、百貨店の外商係と顧客という関係を超えた親密な交際を続け、被告人から個人的にも金銭その他の便宜供与も受けていた者であり、絵画の鑑定評価書の偽造・行使容疑で国際指名手配を受けて海外で長らく逃亡生活を続けていたものの、被告人が本件裁判中に逃走したことを知って、被告人が裁判を受ける気がないものと考えて帰国する決意をし、帰国の翌日には検察庁に自ら出頭し、逮捕勾留されて取調べを受け、前記検察官調書謄本三通が作成された後、有印私文書偽造、同行使の事実で起訴された自己の裁判でも、事実関係については争わず、一審で懲役一年八月の実刑判決を受けてそのまま刑に服しているのであって、このような出頭供述経過等や応訴態度に加えて、被告人との従前からの関係、被告人による偽造指示及びその口止め工作などの点を含めて絵画事件当時の状況を詳細に明らかにしている前記検察官調書謄本が、全体的にあいまいで不自然不合理な点が多々みられるEの原審公判証言との比較において、特別の信用性の情況的保障があると認めることができるのは明らかである。また、検察官調書について、刑訴法三二一条一項二号後段によって、証拠能力が認められるのは、供述全体の趣旨や供述の一体性等も加味して、当該相反部分等を含む供述調書全体(又は不同意部分全体)が、公判供述等と対比して実質的に異なる供述をしていると認めることのできる場合においては、調書全体(又は不同意部分全体)につき証拠能力を認めてこれを採用することは、なんら同条項の趣旨に反するものとはいえないところ、前記六名の各検察官調書(謄本を含む)全体(一部の調書については、その不同意部分の全体)が、上記の場合に該当することは明らかであるから、これらにつき特信性を認め、これらを刑訴法三二一条一項二号後段の該当書面として証拠採用して事実認定の用に供した原審の訴訟手続には、同条項の解釈適用を誤った違法がないことは明らかである。

2  刑訴法三二二条一項違反の主張について

所論は、要するに、被告人は、取調べ担当官の大塚清明検事から、税法事件の事実を認めれば、被告人とCについてのみを事件とし、他の関係者は逮捕しないとの取引の申入れを受けたため、これに応じざるを得ず、その意に反して、平成四年五月二五日付けの検察官調書(第一二刑事部検乙第15号証)に署名・指印をしたもので、それ以後に作成された検察官調書(第一二刑事部検乙第17号証、乙第19号証、乙第25号証[ただし、乙第17号証、乙第19号証については一部同意部分あり])も、その影響下において作成されたもので、同様に任意性を欠くか、任意性に疑いがある供述調書であるから証拠能力がないのに、これらを証拠採用した原審の訴訟手続には、刑訴法三二二条一項の解釈適用を誤った違法があり、その訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、原判決は、その(補足説明)第三の五2項「被告人による本件申告の指示状況について」において、被告人のCに対する関西コミュニティの税務申告に関する指示状況についての弁解内容、その変遷経緯等を詳細に分析し、他の関係証拠との整合性などをも検討した上、検察官から所論のいう利益誘導的な取引の申出があったがために、平成四年五月二五日付けの検察官調書(第一二刑事部検乙第15号証)等の作成に応じたとする被告人の弁解供述が信用することができないとする理由を明らかにしており、当裁判所としても、その認定判断を正当なものとして是認することができるから、所論が指摘する被告人の各検察官調書(一部はその不同意部分)に任意性を認めて、これらを証拠採用した原審の措置になんら訴訟手続の法令違反はない。若干付言をしておくと、検察官が、税法事件の事実を否認している被告人に対し、被告人とCを除く配下等の関係者を逮捕や起訴をしない約束と引き換えに、自白を迫ったとする被告人の原審及び当審における弁解内容自体が、極めて不自然なものである上、その旨の弁解が初めて出た時期は、税法事件で被告人が起訴されてから、優に四年以上を経過した第一二刑事部八四回公判における被告人質問の段階に至ってからのことであること、原審段階において、Cには、被告人と同じ弁護人が就いていたことや、Cが罪状認否において、関西コミュニティの税務申告の指示を被告人から受けたことがない旨の意見陳述をしていたことなどから、被告人は、同事件に対するCの弁解内容や応訴態度を知悉していたとみられる上、取調べや罪状認否の段階において事実に反することを言ってはいけないと原審弁護人に諭されていたというのに、Cに対する前記指示の事実をあえて認め、前記検察官調書中の供述内容によく沿う意見陳述をしていることなどは、所論に沿う被告人の弁解供述の信用性を著しく減殺させる事実というべきである。加えるに、所論が、検察官から前記取引の申出があったために被告人が作成に応じたと指摘する検察官調書(第一二刑事部検乙第15号証)をみても、その内容は、被告人が、Cに対して、関西コミュニティの税務申告をするよう指示した上、絵画取引と株式取引に関して、同人からその処理を問われた際、これらが融資であるなどと説明したことを認めたものにすぎず、被告人が、両取引につき、いずれも真実は売買取引であるにもかかわらず、その売上金を借入金であると仮装計上するなどしてあえて所得を秘匿し、虚偽内容の法人税確定申告をするようCに指示して、虚偽内容の確定申告書を提出させ、法人税を免れたことを全面的に認めるような自白調書には全くなっておらず、むしろ、ほ脱の犯意や共謀の事実を否認するかのような内容となっているのであって、その後に作成された被告人の検察官調書も、同様に全面的な自白調書というには程遠く、自己に不利益な事実を一部承認しているにすぎないのであって、これと同時に、自己の立場を正当化するための弁解もるるしているのであって、被告人が説明するように検察官から取引を持ちかけられたため、「親方として責任をとった」という内容になっているとは到底認められない。そうすると、被告人の弁解を前提としてみても、検察官が、このような不利益事実を一部承認するだけの不完全な供述で納得し、これと引き換えに他の関係者を逮捕や起訴をしないという取引に応じるなどということは到底考えられないところであるから、被告人の弁解は、それ自体で破綻しているといわざるを得ない。

3  原審弁護人の証拠調べ請求却下の違法に関する主張について

所論は、要するに、原審は、重要な証拠であり関連性も明らかな原審弁護人請求のアカラカントリー倶楽部会員証(原審弁第71ないし第75号証)のほか各証拠物(原審弁第84号証の1ないし222)の証拠調べ請求を却下し、これに対する原審弁護人の異議も棄却したが、このような訴訟手続は、必要な審理を遂げず、被告人の憲法上の権利を侵害し、裁判所の合理的裁量の範囲を著しく逸脱するもので、刑訴法一条、二九八条、三〇八条及び憲法三一条、三七条に違反するものであるから、その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

なるほど、原審は、さつま事件に関して、原審弁護人が請求した所論指摘の各証拠を第一七九回公判において却下し、これに対する原審弁護人の異議も棄却したことが認められるものの、原審は、その時点に至るまで、同事件に関して、既に当事者双方が提出した極めて多数の書証及び証人について、証拠調べを実施している上、原審弁護人請求の各証拠物が、同事件につき有する関連性及びその証拠価値、その立証趣旨等諸般の事情を総合考慮して、これらを不採用としたものと考えられ、この措置が、被告人の憲法上の権利をなんら侵害するものではなく、原審が証拠の採否について有する裁量権の範囲を逸脱するようなものでなかったことは明らかであるから、原審の訴訟手続に法令違反があるとは認められない。

第5  控訴趣意中、事実誤認の論旨について

1  絵画事件について

(一)  論旨と概括的判断

所論は、要するに、本件絵画取引は、売買ではなく、絵画等を譲渡担保とした融資取引である上、被告人は、イトマン等に対して、十分な担保を提供して前記融資の実行を受けたという認識でいたから、同社等に損害を加えるという具体的認識はなく、もとより自己又は第三者の利益を図る目的もなく、かつ、被告人は、イトマン側が、本件絵画等の価格を適正に評価した上、本件絵画取引に応じていると信じていたから、甲野及び乙川がその各任務に違反しているという認識もなく、非身分者である被告人が、甲野らの任務違反行為に積極的に共同加功した事実もないから、被告人には、特別背任罪の共同正犯が成立しないのに、被告人に対し、甲野らとの共謀による特別背任罪の成立を肯認した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

しかし、原審で取調べ済みの関係証拠によれば、本件絵画取引は、所論のような譲渡担保取引ではなく、売買であったことは明らかである上、被告人は、当時、逼迫していた自己の資金需要を満たすため、イトマン側に請求する絵画等の価格が、時価を大きく逸脱した法外なものであることを知悉し、かつそれぞれの思惑を有していた甲野及び乙川が、本件取引に応じることはその任務に違背することになることを十分認識しながら、同人らと共謀の上、自己及び甲野の利益を図り、その反面、イトマン等に損害を加えることを認識認容しながら、イトマン側をして、被告人の請求するがままの値段で多数の絵画等を次々と買い取らせて、関西コミュニティ等三社に対し、その代金の支払いをさせたことにより、イトマン等に対し、当該絵画等の時価と請求金額の差額分について、巨額の損害を与えた事実は、優に認めることができ、原判決が、(補足説明)の第一項で認定説示するところも正当として是認することができ、当審における事実取調べの結果によっても、原判決のこの認定判断は左右されないから、被告人に対し、特別背任罪の共同正犯の成立を肯認した原判決に事実誤認はない。以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明する。

(二)  本件絵画取引の法的性格について

所論は、要するに、関西コミュニティ等三社とイトマン側の本件絵画取引は、売買ではなく、絵画を譲渡担保とする融資取引であったのに、これが売買であったと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、原審で取調べ済みの関係証拠によれば、本件絵画取引に至る経緯、その客観的な取引状況等については、原判決が、(認定事実)第二及び(補足説明)第一の二項において、詳細に認定するとおりであると認められるところ、本件絵画取引に関する甲野及び乙川と被告人との間の合意内容、請求書の発行がなされて、絵画等が被告人側からイトマン側に搬入され、同社側から請求額どおりの出金がなされるという本件絵画取引の態様、本件絵画取引を開始して間もなく、被告人側から、押印のある売買契約書がイトマン側に交付され、イトマン側がその契約書の作成日付けの問題から、その作り直しを被告人側に求めていた状況、本件絵画取引については、融資取引であればその当然の前提となるべき利率や返済期間等の定めが最初から最後までなされた形跡がないこと及びその契約を解消するに当たり、いったん売買契約が締結された上、合意解約がなされるという清算態様がとられていること、イトマン側は、本件絵画取引によって手に入れた絵画を経理上、売買として取り扱っていること、イトマン側における本件絵画等の倉庫への寄託契約及び保険契約の各締結及びその費用の支払い状況並びに子会社への絵画転売実行状況、さらに被告人の配下の地位にあったD作成にかかる本件絵画取引状況が記載された帳簿(いわゆるDノート)やC作成にかかる会議用資料には、本件絵画取引が売買であることを当然の前提とする記載がなされていること等に照らすと、本件絵画取引が、絵画等を担保とした融資取引ではなく、売買であったと認められることについては、合理的な疑いを入れる余地がなく、これと同様の見解に立った原判決の認定に、なんら不当とすべきものがあるとは認められないから、所論は採用することができない。所論にかんがみ、当裁判所の説明をさらに付け加えることとする。

所論は、①原判決は、第一回目、第二回目の絵画取引は、株式会社レイから被告人側に資金を融通したものであり、その後の取引とは背景事情が異なるというが、その取引の形態(外部的様態)に変化はなく、同一当事者間の同種取引において、その形態(外部的様態)に変化がないことは、当該取引の性質も変化がないとみるのが自然で合理的であり、当事者の意思の不変を意味し、その取引の実質的内容も同一であるということを強く推認させるから、原判決の前記認定には誤りがある、②原判決は、第二回目の取引後、甲野と乙川が協議をした際に、「債権の保全上の問題」、「所有権の取得」、「決算対策用の利益計上」の各点が問題とされたと指摘した上で、これらの点を、本件絵画取引が売買であることを基礎付ける事由とするかの如くであるが、これらの点は、本件絵画取引が譲渡担保であったとしてみても、なんら矛盾するものとはいえない、③本件絵画取引が、売買、譲渡担保のいずれであったとしても、イトマンとしては、経理処理上は、売買という処理になるから、その経理処理が売買となっていることは、その判定根拠にはならない、④本件絵画取引の当事者は、被告人側では、被告人のみであり、被告人が融資だと説明したC以外の実務担当者には、売買か融資かなどと説明がされていないから、被告人側の実務担当者(D、G)によって記載されたDノートや手形受払帳などに「絵画代金」などという売買を前提とするものがあっても、この記載者自身が、被告人から本件絵画取引が売買であるという説明を受けて記載したものではないから、本件絵画取引の法的性質を判定する証拠価値はない、⑤イトマンには絵画の販売業を営むための人的・物的設備がなく、純然たる第三者へ売却したこともなかったところ、このことは、本件絵画取引が譲渡担保だったことの何よりの証左であり、この点につき、原判決が、イトマン側の独自の売却行動として指摘する(イ)「花吹雪」及び「花びら」をウイングゴルフクラブへ売却しようといていた、(ロ)平成二年四月ころ、乙川が津カントリークラブの社長であるHに対し、また、同年九月ころには、丙田がゴルフ場などの経営者Jに対して、それぞれ商談あるいはそのための打診をしていた、(ハ)子会社へ絵画を転売した、(ニ)本件絵画取引後に、八事迎賓館で開催されたビュッフェ展にビュッフェの絵画が貸与された、(ホ)子会社設立の稟議書の記載内容、という各点についても、(イ)の点は、後日被告人の知るところとなり、強く注意を受けている上、そもそも、甲野らは被告人に無断で売却を最後まで終わらせるというつもりではなかったし、(ロ)の点は、乙川がイトマン社内で売買として処理させているため、このようなことになったにすぎず、また、(ハ)の点は、乙川がその目的どおり、子会社に対して形式上転売することにより、決算対策を図っただけであるし、(ニ)の点は、被告人は、後日このことを知り、きつく苦情を言っており、そもそも、貸与自体は、処分行為とはいえず、絵画の流出ではなく、(ホ)の点も、子会社の設立とは、実際は、単に経理操作上で利益計上するためのペーパーカンパニーの設立であり、また、社内では仕入れ処理がされていたものであるから、以上の諸点は、イトマン自身が売却したという事実ではなく、せいぜい、買手がいるかどうかの打診であるにとどまるものであり、これらの行動は最終的に売却に当たり被告人の同意が必要であるということを前提としていて、終局的な処分権限が自己にあるというものではないことは明白であるから、いずれも、本件絵画取引が売買であったことを裏付けるに足りるものではない、という。

しかし、①の点については、被告人の急な資金需要のため、イトマンの出金が間に合わなかったことから、レイがイトマンに立て替えて関西コミュニティに送金をするに至った第一、第二回目の「花吹雪」、「花びら」の各取引とは異なって、第三回目的以降の絵画取引は、レイを経由せずに、イトマン側から関西コミュニティ等三社に直接金銭あるいは手形の送金や交付払いがなされているから、取引形態に何も変化がないという所論は、本件絵画取引の見方を誤っている上、第二回目の取引以降、イトマン側から被告人に対し、今後は、売買でなければ取引に応じないという意向が明確に伝えられ、被告人もこれを了承して、その後も絵画取引を求めた事実が認められるから、当事者の取引意思にも明らかな変化があったというべきである。②の点については、絵画取引が、譲渡担保であった場合には、当該絵画に対して、イトマンのみならず、被告人側の一般債権者らも、自己の債権保全のため、権利主張をしてくる可能性があるのに対し、これが売買であれば、そのような主張自体許されないことになるから、そのような意味において、両者間で「債権の保全上の問題」に大きな差異が生じ得ることは明らかであり、「所有権の取得」については、最も簡明で後日紛議が生じない取引は、売買の方であり、この点においても譲渡担保扱いする場合とはかなりの差異があると考えられる。また、「決算対策用の利益計上」においても、イトマン側が、被告人の意向を気に掛けることなく、機に応じて子会社や第三者に自由に転売することによって、利益を確保し易いのは、完全な所有権を取得する売買の方であるから、甲野と乙川がこれらの利害得失を考慮して、第三回目以降の絵画取引は、売買でなければ応じないとする方針を立てたことについては、十分な合理性があると認められる。したがって、売買と譲渡担保間にはかなりの差異があることを認めようとしない所論の批判は適切なものとはいえない。③の点については、谷島博の検察官調書(原審検第692号証、第696号証各同意部分)及び同人の第一二刑事部第六八回及び第七三回公判証言等に照らすと、本件絵画取引が、売買、譲渡担保のいずれであったとしても、イトマン側としては、会計処理上、必ず売買という処理をするなどとはいえず、当該取引の各法的性質に従って処理されることになるのは明らかであるから、所論は前提において誤りがある。④の点については、Dノートあるいは手形受払帳などに「絵画代金」などという記載がみられるのは、これらの記載をしたDやGが、その時点において、自分なりに知り得た事実認識を前提にして、本件絵画取引を売買であると判断し、その旨の記載をしたものと考えられるから、仮に、被告人自身が、前記両名に対して、本件絵画取引の法的性質について直接的な説明をしていなかったとしても、前記各記載部分が、本件絵画取引の法的性質を判断する証拠価値がないなどとみることはできない。⑤の点については、本件絵画取引当時、イトマンには絵画の販売業を営むための十分な人的・物的設備が整備されていなかったことは、所論が指摘するとおりであると認められるものの、乙川らイトマン側としては、絵画取引担当者に指名されていた甲野がこれを売ると言うのをそのまま信じていたとみられるほか、絵画コレクターであった被告人にその転売について協力をしてもらうことにもかなりの期待をしていた節がうかがわれること、イトマン側は、入手した絵画をある程度の期間手元に寝かせておき、その後値上がりしたのを見計らって転売して利益を上げることを考えていたこともあり、その販売体制の整備について、必ずしも急を要するような状況にはなかったとみられること、一部の絵画についてではあるが、丙田や乙川が、第三者へ転売する可能性があるかを探る努力をしていたことが認められるから、当時において販売体制が未整備であった点が、本件絵画取引が売買であることを否定するほどの事情であったとは考えられない。また、原判決の認定する(イ)ないし(ホ)の各点に対する批判については、イトマン側(特に、本件絵画取引の実情を熟知していたとみられる乙川を含む。)が、被告人に対し事前の了解を得ていないにもかかわらず、しかもその了解を得る必要性が社内で話題となった形跡すら認められないのに、本件絵画取引によって入手した絵画を第三者に対して売却する話を持ちかけたり、実際に子会社に転売し、あるいは展示会に貸し出すなどしていた事実は、仮に、イトマン側において、担保物であるとの認識を抱きながら、このような試みや取扱いをしたとするならば、業務上横領等の刑事責任すら問われかねない深刻な事態を招くおそれがあったのであり、このことは、取りも直さず、イトマン側において本件絵画が担保物にすぎないという認識を全く有しておらず、自社側独自の判断で自由にこれを処分し得るものであると考えて行動していた証左というべきものであるから、所論の批判はいずれも当たらないというべきである。

次いで、所論は、本件絵画取引が譲渡担保付の融資であることを裏付ける事由として、さらに、①被告人が売買契約書の調印を拒否しているにもかかわらず、イトマン側は売買契約書の締結をしないまま、計二一一点、金五三五億〇四一〇万円もの巨額の絵画取引(絵の保有者が関西コミュニティ、関西新聞社、富国産業のものを含む。)を継続して行ったのは、乙川や甲野も単純売買という認識はなく、売買の形式を借りた担保という認識だったことを強力に裏付けている、②乙川は、被告人側が、絵画が担保であると主張してその旨の書面の作成を要求しているのに、売買であることの趣旨を明らかにする行動は一切取らず、絵画取引を継続しているし、原判決は、その理由について、イトマン側で被告人の申込みを断りにくい状況にあったからというが、これは契約書の整備のないことの理由になっておらず失当である、③第一回目の取引の「花吹雪」を被告人は二〇億円と評価していたのに、請求書の金額が一四億円となったのは、絵画の担保融資であるため担保の掛け目として七掛けしたためであり、第一回目及び第二回目の取引も単純売買に切り替わったのなら、二〇億全額を支払うように被告人は要請したはずなのに、一四億円と既払額の一二億円の差額の二億円を請求しただけである、④第一回目及び第二回目ともに当初絵画担保融資であることは争いないが、第三回目以降も取引形態は従前と全く同じで、請求書を関西コミュニティがイトマンに対して送り、請求書記載の絵画が搬入され、請求書記載の金額がイトマンから振込送金されており、単純売買への切替えがされたという検察官の主張にもかかわらず、売買契約書は作成されていない、などの事情を挙げる。

そこで検討すると、①の点については、本件絵画取引の売買契約書が作成されないまま、多数かつ巨額の絵画取引が継続的に行われた事実は、原判決が指摘するように、むしろ絵画の搬入とその代金の支払いによって当該取引が完結する売買であったことを強く推認させるものというべきで、仮に、本件絵画取引が融資であったとするならば、特に、巨額の融資金が動く上、その貸借関係が継続することになるのであるから、利息、融資期間、違約の場合の処理方法等の取引条件につき、明確な取決めがなされて、これを証拠として書類上に残すことが、より強く要請されるはずである。②の点については、乙川を含むイトマン側は、被告人側が作成を要求した絵画が担保であるとする旨の書面の作成については、これを一貫して拒否する姿勢をとり続けていることが認められる上、平成二年七月上旬には、売買契約書の作成を求めて、被告人からの絵画取引の申入れを断る姿勢を示し、同年八月二三日に甲野及び乙川が、イトマン名古屋支店において、被告人との間で、本件絵画取引を巡る話合いをした際にも、甲野が、被告人に対して、改めて売買契約書の作成を求めていた事実が認められるから、乙川が本件絵画取引につき、売買であることの趣旨を明らかにする行動は一切取っていないとする所論は、前提自体に誤りがある。また、前記会談当時、乙川らが、被告人に対して、野尻湖案件でイトマンに企画料を支払ってもらうことにつき被告人の承諾を得る必要があったことや、被告人の仲介でエムアイギャラリーに対するキョートファイナンスからの八〇億円の融資を受けることが決定されていたこと、さらにはその後の絵画の販売につき、被告人の協力を得ることを期待していたことなどが、前記会談中に生じた甲野と被告人の対立を乙川がとりなし、イトマン側が、被告人の求めに応じて絵画取引を継続することとした大きな理由になっていたとみられることは、原判決が指摘するとおりであると認められ、これらの事情は、乙川らが被告人に対して売買契約書の作成をそれ以上に強く求めたり、被告人の持ちかけた絵画取引を容易に打ち切ることができない状況にあったことを十分推認させるものといえるから、所論の批判は失当である。③の点については、被告人は、平成二年一月末ころ、「花吹雪」をEの仲介で四億円で入手(なお、購入会社名はアジアニュースセンターで代金決済は同年二月一日である。)し、ほとんど間髪を入れず同年一月三一日には、これをイトマンに搬入していることが認められるから、その当時、これを自己の入手額の五倍にも上る二〇億円と自己評価したとする被告人の供述自体が不自然でそもそも相当疑わしいものといわざるを得ない上、「花びら」、「花吹雪」の価格評価を各二〇億円としたという被告人の根拠についてみても、「美術年鑑にあるその作者加山又造の一号当たりの評価額が一〇〇〇万円となっていて、一枚が一二〇号なので、四枚で四八億円だが、屏風絵仕立てを四枚に額装したので、私の独断でその値段を半分にみた」(第一二刑事部第九〇回公判被告人質問参照)などというのであって、絵画の価格評価の基本となる作品のテーマや製作年代、保存状態などという個々の作品の個性をおよそ無視し、美術年鑑における一号当たりの作者別評価額をもとに算出した価格にさらに自己の独断による大幅な修正を加えるという極めて大ざっぱな評価方法をとったというのであって、その算定方法自体、専門家の鑑定方法とは掛け離れた合理的な根拠に乏しいものといわざるを得ない。しかも、甲野の検察官調査(原審検第1276号証)によれば、同年二月中旬、甲野が、被告人との間で、「花吹雪」の取引を融資から売買に切り替える話合いをした際、被告人が、(「花吹雪」を担保に既に融資していた一二億円に加えて、)「あと二億円を払ってくれ」と言うので、同月二七日二億円を振り込んだというのであり、この二億円が売買代金の追加払いの趣旨で支払われたことは明らかで、所論は、前提に誤りがあるというべきである。④の点については、既に説示したとおり、第一、第二回目と第三回目の取引の間には、各契約成立に至るまでの経緯、その資金の流れや取引当事者の合意内容に明らかな変化があったと認められるから、所論の批判は当たらない。

また、所論は、本件絵画取引が、譲渡担保とは認められないとする原判決の説示に対する反論として、①最終取引が終わるまで、金銭消費貸借契約書、譲渡担保設定契約書あるいはこれに類する書面が作成されたことがなかったのは、イトマン内部では、利益計上の目的のため、社内処理では売買としており、絵画取引の実態を知った者は、乙川と甲野以外にはいなかったから、真正面から金銭消費貸借契約書や譲渡担保設定契約書をイトマンの判を押して作成できないということであったにすぎない、②本件絵画取引が売買であることを認めた甲野の検察官調書は、その内容が不自然不合理であるから信用性がないのに、これに信用性を認めた原判決は、同調書の証拠評価を誤っている、という。

しかし、①の点については、本件絵画取引に関する売買契約書が作成されなかったのは、本件取引の開始直後から甲野及び乙川らが、被告人に対して、繰り返し売買契約書の作成(初回分については再作成)を求めていたのに、被告人が、税金問題などが生じるとして譲渡担保であるとする裏契約書の作成を求めたり、平成二年八月二三日には、それまでの前言を翻して絵の所有権は自分側にあるなどと言い出し、一向にこれに応じようとしなかったことに主たる原因がある一方、被告人側が押印を求めた金銭消費貸借契約書や譲渡担保設定契約書の作成にイトマン側が応じなかったのは、それが紛れもなく売買であると認識していたためであると考えられるから、所論は、前提に誤りがある上、むしろ、被告人側は、当時、税務当局から、株式会社コスモスや関西コミュニティ等被告人が実権を有するCTCグループ企業の確定申告や修正申告等を早急にするよう再三促されていて、被告人の配下であるCを中心として各社の決算作業を進めていたところ、本件絵画取引によって巨額の利益を上げていたため、関西コミュニティなどの法人税の確定申告に際して、巨額の課税をされることを大いに危惧しなければならないという状況にあったもので、イトマン側の求めていた売買契約書類の作成を拒否し続け、何としても、売買以外の課税されない取引形態であったことを仮装しようとする強い動機があったものと認められる。②の点については、本件絵画取引が売買であったことを認めた甲野の検察官調書は、本件絵画取引に至る経緯、個々の取引の具体的状況、とりわけ本件絵画取引を巡る被告人と乙川らとのやりとりの状況、その合意解約に至る経緯等が具体的かつ詳細に述べられており、その中(原審検第1279号証、第1282号証参照)には、個々の絵画取引の状況をその記憶のままに詳述した自己の手書のメモまで添付されている上、本件絵画取引については、イトマン側において、もっぱら売買として社内処理がなされており、当時乙川の部下であったK、Lらも、絵画が譲渡担保であるなどとは聞かされておらず、純粋の売買であると理解して、伝票の起票、動産保険契約や倉庫保管契約の締結などの作業に従事していたこと、前述したように被告人側関係者であるDやGにおいてすら、Dノートや手形受払帳等に本件絵画取引を売買と理解していたことを示す記載をしていたこと、本件絵画取引が、売買契約書を作成した上これを合意解約する形で解消されたことなど、客観的事実とも非常によく符合していて、高い信用性を認めることができる。他方、甲野の原審公判供述は、本件絵画取引の法的性質に関して、その時々によって、これが売買であるかのような説明をする一方で、これを担保とした融資であるかのような説明をするなど首尾一貫性を欠いており、不自然不合理な変遷が多くみられるところ、これは、売買であることを強く否認して争っている被告人の立場をおもんぱかったことにより生じたものとみられ、到底信用することができず、結局、本件絵画取引が売買であったとする甲野の検察官調書に信用性を認めた原判決の証拠判断に誤りがあるとは認められない。所論は、甲野の検察官調書中の細部をとりあげてるる論難するけれども、いずれも本件絵画取引を売買であったと説明する甲野供述の信用性を左右するようなものがあるとは認められない。

所論は、検察官は、本件絵画取引の法的性格について、捜査段階や原審公判において、被告人に対し、「被告人の方も、契約形態をどっちつかずの状態においていたのではないか」などと質問して、本件絵画取引が条件や局面に応じて契約の性質が変動し得る契約形態であるかのような疑念を呈しており、これは、検察官が本件絵画取引を売買であるとする自らの論旨が根底的に覆滅するのではないかという危惧を一貫して有していることを示唆するものであり、検察官ですら本件絵画取引の法的性格に関して疑念を有しており、被告人が、その質問のとおりの取引だったと弁解するならば、これに有効に対処(反論)するだけの論拠に乏しいと考えていたことがうかがわれるのに、原審弁護人のこの点に関する指摘に対して、原判決はまともに応答していない、という。

しかし、検察官は、捜査段階や原審公判において、絵画取引の実態を解明する目的から、それぞれの時点における本件絵画取引に関する被告人の認識や弁解内容をできるだけ正確に聞き出そうとして、様々な形で質問を投げかけているにすぎないものと認められ、検察官において、本件絵画取引の法的性格に関して、契約内容が不確定であって、単純な売買ではなかったという大きな疑念を抱き、被告人が、所論指摘の質問を肯定するならば、これに反論できないことを危惧して質問をしたなどとは認められない。所論は、検察官の被告人に対する前記質問の意図につき、憶測の域を出ない誤った推論をしているというべきである。

最後に、所論は、原審弁護人が、特別背任罪の非身分者につき共同正犯の成立に必要な主観的要件が被告人には存在しないと主張したのに対し、原判決は、その主張は、本件絵画取引の法的性格を融資とすることを前提にしているから、その前提が失当であるとしてこれを排斥しているが、原審弁護人らは、本件絵画取引において、甲野及び乙川の任務違背についての被告人の認識、被告人の損害発生の具体的認識及び図利加害目的という主観的要件に関して、これらを否定するべきであるという具体的論拠をあげて主張しているのであるから、単に前提が異なるということだけで弁護人の指摘等の趣旨を汲み上げない原判決の態度は誤っている、という。

しかしながら、特別背任罪の非身分者につき共同正犯の成立に必要とされる主観的要件の具体的内容は、本件絵画取引が融資であるか、それとも売買であるかによって異なってくることは自明の理であるから、上記のとおり、本件絵画取引が売買と認定される以上、これが融資であることを前提として主観的要件がないことを論ずる被告人側の主張は失当といわざるを得ない。そして、原判決は、本件絵画取引が売買であることを前提とした上で、さらに、上記主観的要件の存否を検討していることは、(補足説明)第一の三2(二)項「損害発生に関する被告人の認識」及び同(三)項「甲野及び乙川の任務違背に関する被告人の認識」の各箇所等において、具体的な理由を挙げて説示しているところから明らかであり、所論は原判決の説示を正解しておらず、失当である。

(三)  損害発生の具体的認識について

所論は、絵画は、本件絵画取引の行われた時期である平成二年一月ころから同年七月ころまでが価格のピークであったとされるが、そのピークを予測できる者はいないから、当時においては、絵画の価格が右肩上がりで上昇を続けているというのが一般的な認識であったと考えられ、被告人、甲野及び乙川らにおいても、その担保価値は増大基調にあると考えたことは明らかで、本件融資金の借主である被告人としても、評価手法に合理的根拠があるといえる美術年鑑を本件絵画の価格評価に使用し、十分な担保を提供して融資を受けたという認識であったから、イトマンに損害が発生することを具体的に認識することなどなかったのに、原判決は、本件絵画取引当時の経済的情勢及び絵画取引の各主体がどのような価格観・相場観を持っていたと想定できるかという原審弁護人の指摘に全く答えていない上、「被告人は、本件絵画等について、購入価格及びイトマンに対する売却価格をいずれも知っており、右のとおり高額の利益を上乗せしてイトマン側に売却していたのであるから、イトマン側に少なくともその差額分相当の巨額の損害を与えていることは当然に認識していたと認められる」などと全く説得力のない説示をしており、明らかに失当である、という。

しかしながら、上記所論も、本件絵画取引が融資であることを前提としたものであるから、失当といわざるを得ないが、その趣旨とするところは、本件絵画取引が売買であることを前提としても妥当するから、この点から検討すると、なるほど本件絵画取引が開始された平成二年二月下旬当時は、未だいわゆるバブル経済の最中にあり、絵画の小売価格は、上昇基調にあり、同年七月ころにそのピークを迎え、同年夏から秋にかけて下落傾向に転じたとみられること(中宮時男の原審第一〇四回、第一〇七回、日下部裕の原審第一〇四回各公判証言、富塚茂雄及び長谷川徳七の原審裁判所の各尋問調書等)にかんがみると、被告人、甲野及び乙川は、当時は、今後も絵画価格が上昇する可能性があると考えて本件絵画取引をしていたことは、一応これを認めることができる。しかし、他方で、本件取引の対象となった絵画の価格評価につき、美術年鑑を使用したという被告人の評価手法は、自己の入手価格や前述した当該絵画の個性等を全く無視するもので、これがおよそ一般的合理的なものであるとは到底考えられず、その手法自体に説得力が認められないことは前述したとおりである上、被告人がこのような手法で本件取引にかかる絵画の価格を算出し、その価値があるものと信じていたという弁解は、被告人が、自己の絵画の取得価格及び取得時期を知悉しており、その中には入手後ほとんど間を置かずにイトマン側に、その何倍もの金額を請求したものが相当数に上ることなどに照らしても、到底信用することができないものであって、このような短期間で何倍にも価格を吊り上げる特異な絵画取引が、イトマン側に損害を与えるものであることを被告人において認識認容していたことは明らかである(被告人自身ですら、その検察官調書(原審検第1316号証)中においては、「当方の仕入額と請求額(融資額)の差があり過ぎることについては今は一寸度が過ぎたと思うし反省している」「(イトマンによる)信用貸しの部分やある程度好意ある取り計らいがあったかもしれない」旨述べている。)。また、原判決は、(補足説明)第一の三2(一)及び(二)項並びに同5(二)項において、本件当時は、バブル経済下で絵画価格が上昇していたこと、その前後における絵画価格の推移状況等をも十分に視野に入れつつ、本件絵画取引によって生じたイトマン側の損害額及びこれに関する被告人らの認識を詳細に検討していることは、その判文から明らかであるから、所論は、原判決に対する適切な批判であるとはいえない。

また、所論は、原判決は、被告人がイトマンとの本件絵画取引の売却代金で新たな絵画等を次々と購入していることをとらえ、「被告人の購入価格が高騰することも意に介さなかったと窺えることなどからすれば、被告人は、本件絵画取引をイトマンから巨額の資金を引き出すための手段として使っていたといわざるを得ない。そうすると、被告人が、イトマン等に損害を加えることを認識認容して本件絵画取引を行ったことは明らかというべきである」と説示するが、本件絵画取引当時における経済的環境を完全に度外視した判断であり、絵画等の価格が上昇する可能性があるという相場観・価格変動観に依拠している以上、被告人の行動は経済的に最も合理的であるといえるから、被告人にイトマン側に損害を発生させる具体的認識があったとはいえない、という。

しかし、この点についても、原判決は、当時の絵画価格の上昇傾向を踏まえてみても、被告人による金銭に糸目をつけないような絵画の買いあさり行為は、絵画の価格を自ら高騰させることも意に介しない特異なものであったことから、イトマン側との間で正常な取引をしようとしていたものとは認められず、同社側から巨額資金引き出しの手段としていたと評価できる旨判示しているものと解されるから、本件絵画取引当時における経済的環境を完全に度外視した判断などというものではなく、所論は原判決の趣旨を曲解しているというべきである。

(四)  任務違背の認識について

所論は、被告人は、一部上場企業であるイトマンが、本件絵画取引をするに当たって、絵画等の評価をしないなどということは全くあり得ないことだと当時は認識していた上、イトマン側においても、西武ピサの齋藤剛に対し、絵画の査定を迅速に依頼できるだけの体制がとれていたもので、仮に、イトマン社内において、任務違背と認定されるような処分があったとしても、被告人としては、その内容を具体的に認識しようがなく、イトマン内部で任務違背と認定されるような処分がなされて本件取引が実現・継続されることになったとしても、せいぜいなんらかの便宜が採られたのだろうという程度を超える認識を被告人が持てるはずはなかったから、このような抽象的なレベルの認識をもって、特別背任罪の共同正犯として必要とされる任務違背についての認識があったとはいえない、という。

なるほど、被告人は、捜査段階から、本件絵画取引をするに際し、イトマン側では、本件取引の対象となった絵画の評価をしていると思っていた旨弁解していることが認められる(原審検第1313号証、第1315号証、第1316号証、原審第一一八回、第一一九回公判等)。しかし、被告人は、購入絵画の種類やテーマも決めず、小売業者である百貨店や画廊を含めて、各方面から減額交渉もせずに絵画を買いあさり、その大半について、自己の入手価格をはるかに超える金額を上乗せした絵画取引をイトマン側に申し入れたにもかかわらず、甲野や乙川が、自己の請求額を一度も値切ったり、金経板や「三保之不二」といったわずかな例外的な場合を除いて、取引を断ったり差し替えを要求することもなく、速やかに取引に応じる意向を表明し、被告人が請求するがままの巨額の支払いに応じ続けていること、その際、イトマン側が、被告人に当該絵画の鑑定評価書の提出を求めていたものの、被告人の提出にかかる鑑定評価書の評価額には全く異論や疑義を唱えることなく、その体裁ばかりを気にして、装丁等の変更を何度も求めて来たこと、当時、被告人は、イトマン側の求めに応じて、さつま案件を始めとする企画料等による利益出しに協力したり、同社側へ融資の仲介をするなど、イトマン側の要請等に自分が積極的に協力する姿勢を示していたことなどから、イトマン側が、被告人の持ち込む絵画について、その真贋の判定、価格評価や購入の適否の判断を厳密に行うことなしに、自己の資金需要等に応じてその経済的便宜を極力図ってくれていることについても十分認識することができていたものと考えられる。また、甲野は、本件絵画取引の途中から、西武ピサの齋藤に対して、被告人が持ち込む絵画の請求書等をファックス等で送ってその価格を照会し、齋藤の回答評価額を知るようにはなってはいたものの、これは実物の絵を見せないまま、作者、号数、題名等のごく限られた資料に基づいて、回答を受けていたにとどまるものである上、ほとんどの場合、本件絵画取引価格を大幅に下回る価格回答を得ているのに、その照会結果を本件絵画取引の成否や被告人との間の値段交渉には有効に活用していなかったもので、平成二年八月二三日における被告人と甲野らとのやり取りの状況に照らして、被告人においても、甲野が、齋藤に対して価格照会をしていた事実を知っていたことが認められるものの、前述したような本件絵画取引の態様から、イトマン側が、その照会結果を本件絵画取引に積極的かつ有効に活用していないことを十分認識していたと考えられるから、甲野が齋藤に価格照会をしていた事実及びこれを被告人が知っていたことが、甲野及び乙川の任務違背及びこれに関する被告人の認識を特に左右するようなものとはいえない。

また、所論は、原判決は、本件絵画取引の形態からすると、「常識的に見て、甲野及び乙川が、イトマン等の利益を第一に考えるべき絵画取引の担当者としてあるまじき行為を行っていると十分判断できたはずである。」と説示するが、「常識」は、経済・社会情勢によって大きく変動するということを看過しており、本件当時の経済・社会情勢においては、各取引は、機動性や機敏性がもっとも尊ばれたのに、これを一顧だにしない原判決の説示には誤りがある、という。

しかし、所論が指摘する本件絵画取引当時における経済・社会情勢や、商取引には機動性や機敏性が要請されることなどを十分考慮に入れて検討しても、原判決が(補足説明)第一の三2(三)①ないし⑤項で、本件絵画取引の形態として指摘する本件取引の特異な事情に照らして、被告人が、甲野及び乙川がイトマン等の利益を第一に考えるべき取引担当者としてあるまじき行為を行っていると十分判断できたはずであると説示したことに誤りがあるとは認められない。

(五)  図利加害目的について

所論は、被告人は、自己側の企業目的を正当に追求し、有利な条件での高額の融資を実現しようという目的で本件絵画取引に臨んだのであり、また、イトマン側も、高騰する蓋然性のある担保として絵画を希望するとして本件絵画取引を提案したのであり、その目的はイトマンに利益をもたらすことにあったことは明らかであり、これらの経緯・実状に照らしても、被告人に図利加害目的が存在しないことは明らかである、という。

しかし、繰り返し説明して来たように、本件絵画取引は、売買であったと認められるから、融資を前提とする所論は、それ自体失当である上、被告人が自己側の企業利益を追求する目的で本件取引に臨んだという点も、被告人が、Eに鑑定評価書をねつ造させてまで、当時の取引相場よりもはるかに高額で本件絵画等をイトマン側に買い取らせた所為は、自分側で暴利を追求することを意図する一方で、これと引き換えにイトマン側に重大な損害を与えることを認識認容していたものといわざるを得ない。他方、甲野及び乙川にあっても、主としてイトマン側の真の企業利益を追求する目的で本件絵画取引に応じたものではなく、甲野においては、イトマン側から被告人側に支払われた本件絵画売買代金の中から自己が支配するグループに融通を受けること、乙川においては、被告人の協力によるイトマンの決算対策用利益計上あるいは被告人の紹介によるイトマン側の巨額の資金調達の思惑など、それぞれの個人的な意図や目的があり、これをイトマンの真の利益に優先させて本件絵画取引を行ったものであることは、原判決が(補足説明)第一の三3「図利加害目的について」の項で、個別具体的に指摘しているとおりであると認められるから、被告人、甲野及び乙川に図利加害目的を認めた原判決に誤りはなく、所論は、採用することができない。

(六)  積極的な共同加功行為の有無について

所論は、絵画を担保とする本件取引を開始しようと提案してきたのは、甲野、すなわちイトマン側であり、被告人側が、本件絵画取引の開始や融資を慫慂したことはないし、イトマンから融資を断られたことも、金額的な減額を言われたことは一度もなく、本件絵画取引は、イトマン側に有利な合意解約で終了するまで円滑に進行していたものであって、被告人は、融資という利益は得ているが、経済的にはノーマルな自己の利益追求であるから、特別背任罪の非身分者である被告人に、身分者の行う任務違背行為についての「積極的な加功」がないことは明らかであるのに、原判決は、被告人に「積極的な加功」がなくても、特別背任罪の共同正犯が成立するという誤った理解をした上、①被告人がEに鑑定評価書を偽造させてイトマン側に提出させたこと、②甲野らが絵画取引に消極的な態度を示すと、被告人からの申込みを断りにくい状況を作り出したことを指摘して、「自らも積極的に甲野らの任務違背行為に関与した」と説示するが、①及び②の点は、いずれも事実を誤認しているし、原判示事実を前提としても、「積極的な加功行為」の内容を充足する程度に至っていないから、原判決の判断には誤りがある、という。

しかし、この点についても、本件絵画取引が融資であることを前提とする所論に理由がないことは明らかである。また、非身分者が身分者の任務違背行為に加功したことにより、特別背任罪の共同正犯の罪責を問われるとするには、身分者の任務違背行為に対する関与の程度が、通常の取引形態の在り方から明らかに逸脱しているといえるか否かを吟味検討してこれを決すべきであることは、既に、法令解釈適用の誤りの論旨に対する判断の項で説示したとおりであり、所論は独自の前提に立脚して、原判決が「積極的な加功」を認定していないと不当に論難しているといわざるを得ない。そして、原判決が、(被告人が)「自らも積極的に甲野らの任務違背行為に関与した」と説示する根拠として認定する①及び②の各点についても、原判決挙示の関係証拠に照らして、十分認定することができ、被告人の当審公判供述も、これを揺るがすようなものとはいえず、これら認定事実によると、甲野らの任務違背行為に対する関与の程度が、通常の取引の在り方から明らかに逸脱したものであることは明白といえるから、原判決のこの点に関する事実認定になんら誤りがあるとは認められない。

2  さつま事件について

(一)  論旨と概括的判断

所論は、要するに、さつま案件の融資に当たり、被告人は、イトマンに対して、同社側の求めるまま十分な担保を提供して本件融資の実行を受けたという認識でいたから、同社に損害を加えたことも、その具体的認識もなく、もとより自己又は第三者の利益を図る目的もなく、かつ、被告人は、イトマン側が、本件担保となった野田産業株式会社の株式等の担保を適正に評価するなどの融資審査を遂げた上、本件融資取引に応じたと信じており、丙田、甲野及び乙川が、イトマンの利益出しのため企画料等欲しさからその各任務に違反して本件融資を実行したという認識もなく、非身分者である被告人が、丙田らの各任務違反行為に積極的に共同加功した事実もないから、被告人には、特別背任罪の共同正犯が成立しないのに、被告人に対し、丙田らとの共謀による特別背任罪の成立を肯認した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、原判決が挙示する関係証拠によれば、甲野を通じてイトマンに対し、野田産業の支配株式の買収資金等一四〇億円の融資を依頼していた被告人は、甲野らから、被告人が実質的に経営するさつま観光株式会社を融資の受け皿会社として、同社に対し、二〇〇億円をイトマンが融資する代りに、その融資金の中から、企画料等の名目で五〇億円をイトマンに支払うことを提案され、甲野らが、決算対策用に前記企画料等を名目上の収益として計上することによって、自分らの利益を図る一方で、被告人の資金的便宜をも図ってくれるものであることを十分認識し、かつ、被告人側が、イトマンにその担保として提供する野田産業株式八三〇万株及びさつま観光のゴルフ場(以下、「さつまゴルフ場」という。)用地や被告人の関連会社等の連帯保証、あるいはさつまゴルフ場の会員権の総販売代理権の授与が、本件融資額(その実質融資額は原判決が認定するとおり一五〇億円であると認められる。)の債権を保全するには到底不十分なものであることをも認識しながら、前記提案に応諾して、イトマンから二〇〇億円の融資を受け、その融資金の中から、五〇億円を企画料等としてイトマンに支払い、その利益出しに積極的に協力し、その結果、その融資額からこの五〇億円及びイトマンが徴求した野田産業株式の評価額を差し引いた差額である約九六億円の損害をイトマンに与えた事実は優に認めることができ、原判決が、(補足説明)の第二項で、認定説示するところも、ほぼ正当として是認することができ、原判決のこの認定判断は、当審における事実取調べの結果によっても動かないから、被告人に特別背任罪の共同正犯の成立を肯認した原判決に事実誤認はない。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を付加して説明する。

(二)  積極的な共同加功行為の有無について

所論は、イトマンの取締役等の身分を有していない同社の取引先である被告人のような立場の者が、特別背任罪の共同正犯として罪責を負うためには、身分者の任務違背行為に対する積極的な共同加功行為が必要と解されるところ、被告人は、イトマンが企画料の名目で利益出しをしていたことは知らなかったし、経営権付きの野田産業株式を取得したいと考えて、甲野に融資を打診したことがあったが、それも一度だけで、イトマン側に執拗に融資を迫ったこともなく、その後、被告人は、イトマン側からさつま観光を融資の受け皿会社とする「決して有利とは言えない融資」を提示されたことから、やむなく受け入れ、イトマン側に言われるがままの各担保を提供したにすぎないから、甲野らの任務違背行為に積極的に加功したとはいえないのに、原判決は、被告人が「企画料等の提供に応じ、名目上の利益出しに積極的に協力した」と認定しただけで、積極的な共同加功行為があったと認定しないまま、被告人につき身分のある者と同様に共同正犯が成立するとしたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、という。

そこで検討すると、非身分者が身分者の任務違背行為に加功したことにより、特別背任罪の共謀共同正犯の罪責を問われるとするには、身分者の任務違背行為に対する関与の程度が、通常の取引形態の在り方から明らかに逸脱しているといえるか否かを吟味検討してこれを決すべきであることについては、既にるる説示したとおりである。そして、関係証拠によると、なるほど被告人は、経営権付きの野田産業株式八三〇万株を取得したいと考えて、平成二年三月中旬ころ、甲野に対し、その意図を告げた上、イトマンから一四〇億円の融資を受けられないかと一度打診したにとどまり、イトマンに対して執拗にその融資を迫った形跡は見当たらないこと、被告人から前記要請を受けて、丙田や乙川らと協議を遂げた甲野から、同月二〇日ころ、本件融資額を二〇〇億円とし、その受け皿会社としてさつま観光を利用すること及びその中から企画料三〇億円及び一年分の金利二〇億円をイトマンに先に支払うことなどを提案され、これを被告人が了承したことによって、ゴルフ場開発資金の名目でさつま観光に対する合計二〇〇億円の融資が同年四月から五月にかけて実行されたもので、被告人が、本件融資を受けるに当たり、イトマンに提供した野田産業株式八三〇万株、さつまゴルフ場用地に対する根抵当権設定などの担保も、概ねイトマン側の要請に基づくものであったことなど所論の指摘に沿う事実があると認められる。しかし、原判決も説示するとおり、被告人は、雅叙園観光の簿外債務の処理等のために甲野に対して自らが提供していた京都ゴルフ場案件や野尻湖案件について、甲野側がイトマンから融資を受けるに際して、同社に対し、その利益出しのために多額の企画料を納める依頼を丙田や乙川から甲野が受けていたことについては、同人から聞いて知っており、これを自らも事前に了承していたこと(被告人は、上記各案件等につき、イトマンが利益出しに利用していることを知らなかったと弁解するが、これは、甲野の原審供述等に照らし、信用できない。)、本件融資にあっても、イトマン側が、被告人の求めていた融資額を六〇億円も上回る融資話を持ちかけると同時に、反対給付の実体を全く伴わないのに、三〇億円という巨額な企画料の支払いを求めてきたことなどから、イトマンが、従前より決算対策等のために、企画料などの名目でみせかけの利益計上をしており、本件融資においても、同様の目的で、企画料の支払いを求めてきたことを知りながらこれに応じたものであることがいずれも認められる(原審検第1306号証等参照)。また、被告人は、本件で二〇〇億円の融資を受けるにつき、さつま観光側に確実な返済のめども担保もないことについては、後記のとおり、十分認識しており、かつ、イトマンが本件融資に際して求めてきた担保についても、融資金全額の返済を確実にできるような担保価値がないことを知っており、二〇〇億円もの融資をイトマンが実行すれば、同社に担保不足の不良債権が生じて損害が発生することについても十分認識していたものと認められる。しかるに、被告人は、本件融資に際して、イトマン側の提示条件が借主である自己を厚遇する破格のものであることを幸い、同社側が求めるがままにその利益出しに協力をしておきさえすれば、当時進行中の絵画取引やその後自らが持ち込むことになる融資案件で、今後も同社から多額の資金を引き出せるという思惑の下に、三〇億円の企画料を含む全融資額二〇〇億円の四分の一に相当する五〇億円にも及ぶ前払いに応じたものと認められ、以上のような事情に照らすと、被告人は、丙田らの任務違背行為を明確に認識しながら、自己の必要とする資金を獲得するための手段としてこれを利用したというべきで、本件融資において、被告人が、形式的には、貸主であるイトマンとは経済的に対立する借主側という立場にあったことなどを考慮しても、甲野らの任務違背行為に対する上記のような被告人の関与の程度は、明らかに通常の融資取引の在り方から逸脱したものというほかはないから、これが「自己の経済的利益の追求という社会的に容認された合法的な経済活動の範囲を大きく超えるものであった」として、当裁判所と同様の見解に立って、非身分者である被告人に特別背任罪の共同正犯の成立を認めた原判決の判断に、なんら誤りはない。なお、所論は、原判決は、被告人による野田産業株式買収資金の融資依頼について、平成二年三月二〇日ころ、甲野から、さつま観光に対する二〇〇億円の融資という形にして、企画料三〇億円と利息二〇億円を先払いでイトマンに入れてもらえないかという打診を受けて、被告人がこれを了承したと認定するが、被告人が企画料等五〇億円を天引きする旨の話を聞いたのは、本件融資の第一回目の日である同年四月一一日のことであるから、原判決の前記認定自体に誤りがある、というけれども、丙田、甲野及び被告人の各検察官調書(原審検第1234号証、第1268号証、第1306号証)、甲野の原審第一一二回及び第一一六回公判供述等に照らすと、被告人が、甲野から、企画料等五〇億円を二〇〇億円の融資金から天引きする旨の話を聞いたのは、同年三月二〇日ころであった事実は、優に認めることができるから、この点に関する原判決の認定に誤りはない(この点につき、所論は、甲野の検察官調書(原審検第1268号証)は、検察官の誘導により作成されたものであり、被告人の検察官調書(原審検第1306号証)も、上記甲野の検察官調書をもとに取り調べた結果作成されたもので、いずれも信用できない、というけれども、当該各調書を含め、刑訴法三二一条一項二号後段若しくは同法三二二条一項により取り調べられた供述調書が信用に値することについては、さきに、訴訟手続の法令違反の論旨に対する判断の項で詳細に説示したとおりであり、また、上記各調書の内容を子細に検討してみても、これらが、所論がいうような捜査官の誘導により作成されたことをうかがわせる節は全く見当たらない。)。

(三)  任務違背・損害発生の認識及び図利加害目的について

所論は、要するに、被告人には、特別背任罪成立の主観的要件とされる「共同加功の意思としての任務違背・損害発生の具体的認識及び図利加害目的」があったとは認められないのに、被告人にこれらの要件があると認めた原判決には、事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、原判決が挙示する関係証拠によれば、丙田、甲野及び乙川は、イトマンがさつま観光に対し、さつまゴルフ場の開発工事資金の名目で二〇〇億円を融資するにつき、その融資の担保として徴求する約束になっていた野田産業株式八三〇万株及び同ゴルフ場用地に対する後順位の根抵当権設定等をもってしては、大幅な担保不足が生じることを知っていたのに、その各任務に違背して、融資債権の回収を保全するための確実な担保の徴求等の措置を講じることなく、イトマンの決算対策のため企画料等の見せかけの利益を計上することによって、自己保身等を図ると同時に本件融資を求めてきた被告人の利益をも図る目的で、イトマンに損害を加えることを認識認容しながら、三回にわたって合計二〇〇億円の融資を実行したこと、被告人においても、丙田らの前記任務違背の事実やその利益出しの意図等を知悉し、本件融資が、イトマンに損害を与えるものであることを同様に認識認容しながら、自己及び丙田らの利益を図る意図から、同人らの求めに応じて、イトマンに対して、同社の役務提供を伴わない企画料三〇億円を含む五〇億円の前払いをすることを承諾し、合計二〇〇億円の融資を受けた上、その中から企画料等五〇億円の前払いに応じたものであることが認められ、丙田らはもとより、被告人についても、特別背任罪成立のための主観的要件である任務違背・損害発生の認識のみならず、図利加害の目的をも有していたことは優に認めることができるから、この点に関する原判決の認定判断に誤りがあるとは認められない。以下、所論にかんがみ、さらに当裁判所の説明を若干付加する。

(1) 損害発生の有無及び被告人の認識について

(イ) ゴルフ会員権の販売の見通しについて

所論は、①原判決は、ゴルフ会員権の相場に関して、「本件融資当時は、ピークを迎える直前であり、平成二年秋前後がピークであった」と述べながら、さつま観光のゴルフ会員権の販売見込総額は、せいぜい二〇〇億円であったと認定するが、当時は、バブル経済のためゴルフ会員権の価格が青天井に向かって上昇していたという現実を見落とし、バブル崩壊後の冷めた眼でバブル期前後のゴルフ会員権の相場を分析して、さつま観光の会員権の価格を算出するという過ちを犯している、②さつま観光のゴルフ場は、最高のグレードを目指し、設計者を変更して工事を進めており、美術館併設の超豪華なクラブハウスの建設が予定された最高級のゴルフ場であったから、当時の相場では、一口三〇〇〇万円で一五〇〇口、総額四五〇億円での販売は可能であったし、少なくとも総額三〇〇億円での販売は可能であった、③原判決は、さつま観光のゴルフ会員権は、「いつでも会員権を販売し得る状態にあったのに、販売はおろか、その準備行為すら行われていない」というが、マスコミがイトマン事件として過剰報道をし出し、さつまゴルフ場もそのターゲットとなって工事継続に支障が生じたことや、平成三年七月には被告人が逮捕勾留されたこと等により、結果としてさつまゴルフ場の開発が頓挫したにすぎない、という。

しかし、原判決は、本件融資当時におけるさつまゴルフ場の会員権総販売可能額について、その価格形成の主要な要因である同ゴルフ場の立地条件、コース設計等のグレード、経営主体ないし理事等役員に対する社会的信頼度及びその周辺ゴルフ場の当時の会員権価格の相場等の各点について、詳細な検討を遂げた上、ゴルフ会員権の相場に詳しく、工事中のさつまゴルフ場を視察したり、あるいはその会員権販売額の試算をした経験を有する信川雅洋及び渡辺彰のさつまゴルフ場の会員権販売可能額等に関する各原審証言、丙田、甲野及び被告人の前記会員権販売可能額に関する各供述の信用性などについても子細に検討を加えた上、本件融資の実行が開始された平成二年四月当時、ホテルを建ててリゾート形式の高級ゴルフ場にすることを前提としても、さつまゴルフ場の会員権を総額三〇〇億円で販売することなど到底不可能であり、せいぜい二〇〇億円でしか販売することはできなかったと結論付けたところは、十分是認することができるから、この点に関する原判決の認定に誤りはない。なお、①の点については、原判決は、さつまゴルフ場の周辺地区の会員権相場の状況や、さつまゴルフ場の会員権販売可能額に関する信川雅洋及び渡辺彰の各原審証言(信川は、同会員権販売可能額を平成二年四月時点で一四〇ないし一六〇億円と、渡辺は、同年六月時点でこれを一〇〇ないし一二〇億円としている。)よりも、かなり多い目である二〇〇億円を同ゴルフ場の販売可能額の上限とみていることなどに照らして、バブル経済の最中にあった当時の経済情勢等をも十分に踏まえた上で、その会員権価格の評価をしていることが認められるから、所論の批判は理由がない。②の点については、大都市圏からは外れたさつまゴルフ場の立地条件及びコース設計等のグレード、周辺ゴルフ場の会員権相場、さつま観光という経営主体の乏しい信用力などに照らすと、所論のように、たとえ、さつまゴルフ場を高級化することを目指していたとしても、その会員権価格の上昇の可能性については、自ずから限度があると考えられ、所論のような高額で販売することが可能であったとは到底考えられない。③の点については、さつまゴルフ場は、昭和六三年三月県知事の開発許可を受け、同年五月には、鹿島建設にその造成工事が発注されて、同年八月ころから開始された工事が比較的順調に進行している状態にあり、同年九月ころからは前経営者によって、また、その後は、同年一一月末ころその経営を引継いだ被告人側によって、縁故会員等の募集が一部始められていて、本件融資が実行された平成二年四月ころまでの間に、法人・個人会員権が合計五〇口程度は販売されていたことが認められるから、会員権が販売可能な状態になったのは、イトマンのマスコミ報道が盛んになされるようになった平成二年夏ころよりも、かなり以前のことであったことが明らかであるところ、被告人が、同ゴルフ場の経営を引継いでからの会員権の販売に関しては、従前からの経緯を受けてやむを得ないものに限定するという極めて抑制的かつ消極的な対応をとり、一向にこれを大々的には売り出そうとはしてこなかった事実が認められ、当時資金繰りが潤沢とはいえない状態にあった被告人が、このような対応をとったのは、さつま観光を融資を引き出すための手段として利用するなど、別の目的を有していたためであったと推認することができ、所論が指摘するようにイトマン事件に関するマスコミ報道の悪影響や同事件の関係で被告人が逮捕勾留されたためであったとは到底考えられない。

(ロ) 野田産業株式の担保価値について

所論は、原判決が、野田産業株式八三〇万株の本件融資当時の時価は、七七億一九〇〇万円であり、その担保価値は、時価の七割相当の約五四億円程度であると認定するが、八三〇万株という株数は、野田産業の全株式の約五一%に相当し、大阪証券取引所二部上場企業である同社を支配する経営権付きの株式であって、被告人は、これを一二四億円で購入したから、同額をその評価額とみるべきで、その七割に相当する約八七億円が上記株式の担保価値と判断するのが相当であり、原判決の選択した平成二年四月三日の同株式終値一株九三〇円を基準としても、その1.5倍で計算すべきであるから、その担保価値は約八一億円とみるべきである、という。

そこで検討すると、原判決は、乙川がさつま案件融資の限度申請書等を作成した前日である平成二年四月三日の野田産業株式の証券市場における終値が一株九三〇円であったことから、この単価を評価基準として、同社の八三〇万株の時価を七七億一九〇〇万円であると認定した上、これを融資の担保とした場合の株価下落の危険も考慮に入れて、その七割程度が担保価値であると評価をして、これを約五四億円程度と認定しているところ、その計算方法は、大証二部上場株式を担保として融資をする際の担保価値の評価算定方法として、ごく一般的に行われている合理的なものということができるから、なんら不当とすべきものはない。所論は、野田産業株式八三〇万株は、同社の発行済株式総数の過半数を占める経営権付きであり、被告人がこれを一二四億円で買収していることを考慮して、その時価を同額で評価すべきであるというのであるが、イトマンは、野田産業という会社自体を自己の事業展開に利用することを考えていた被告人の買収意図とは異なり、単なる本件融資の担保として野田産業株式八三〇万株を取得しようとしたものであって、その経営権を掌握しようとしたものではない上、同株式を売却して債権回収を図ろうとする際に、経営権を取得しようとする者に一括して市場の株価よりも高く売却できるという保証はないこと、市場を通じて大量に売却しようとすれば、値崩れを起こして株価が下落するおそれが高いことなどは原判決が指摘するとおりであると認められる。加えて、イトマンでは、本件融資の担保として野田産業株式を取得することを決めるに当たって、野田産業の当時の市場株価以外に、同社の資産内容、収益性や将来性、経営陣の概要などについて、事前に具体的な調査を遂げた形跡は認められず(さつま案件の限度申請書にもその資料の添付はない。)、東証一部上場企業で総合商社であるイトマン自体が、大証二部上場企業で農機具製造などの全く異種業種である野田産業の経営権を取得するメリットを考慮して、その市場評価である株価以上にこれを特に高く評価すべきような特段の事情があったとは認められない。一般的にみても、上場企業の経営に強い意欲を有したり、その有効な利用方法を考える者(被告人もその一人であったとみられる。)にとっては、その株式を過半数取得して、経営権を掌握することはそれなりに大きな魅力があることといえるものの、当該企業の業績を図る尺度とされている株価以上にその株式の価値を高く評価し、これを超える多額の資金を投入して企業の経営権を取得することは、当然これに伴うリスクを負担することをも意味するから、上場企業の経営権付きの株式であるからといって、その時価を一律に市場価格を大幅に超える高値で評価するのが、相当な方法であるとは考えられず、所論は採用できない。

(ハ) さつまゴルフ場用地の担保価値について

所論は、原判決は、さつまゴルフ場用地の担保価値は約四〇億円であるというが、ゴルフ場用地は、単なる土地ではなく、ゴルフ場として使用できる許認可を受けて、ゴルフ場として造成されたもので、競落者は、会員に対する預託金返還債務を継承する義務はなく、ゴルフ場を経営できるものであるから、バブル経済のピーク時におけるゴルフ場用地の担保価値はそのような低額のものではない、という。

この点につき、原判決は、さつまゴルフ場用地の担保評価をするについては、その土地の購入価格にその後投下した資金を加算した金額で評価をするのが相当であるとした上、不動産鑑定士今村元秀が同手法を採用して鑑定評価をした結果によれば、平成二年四月一日時点におけるさつまゴルフ場用地の評価額が三三億五九一二万五〇〇〇円であったこと及び平成四年六月一〇日時点における同用地の実際の競落額が一五億三一〇〇万円であり、これと鹿島建設が有する留置権の被担保債権額(未払工事代金額)である二三億〇二二一万円を合計した金額が三八億三三二一万円となり、同額が、前記落札時点での同用地の一応の評価額といえるとし、これらの事情を考慮して、本件融資当時の本件用地の担保価値は四〇億円程度であったと認定した上、本件融資当時、同土地に極度額合計一三一億円の先順位根抵当権(平成二年三月末時点における被担保債権額は合計一〇一億五八〇〇万円である。)が設定されていたことから、本件融資債権を保全するに足る担保余力はなかったと結論付けているのであり、今村が、さつまゴルフ場用地の価格を開発許可を受けた造成中のゴルフ場用地として評価したもので、許認可も、その評価の中に含まれている旨原審第五〇回公判で証言していることに照らしても、同人が、所論のように、本件ゴルフ場の単なる土地の評価のみをとりあげてその用地の価値を評価したものではなく、将来これがゴルフ場として使用される価値をも十分に踏まえて鑑定評価したことは明らかであるから、原判決に対する所論の批判は、適切とはいえない。

(ニ) さつま観光の支払うべき債務等について

所論は、さつま観光は、そのゴルフ場用地に対して、大信ファイナンスに極度額五〇億円の根抵当権を設定して三八億八〇〇〇万円を借り受け、大信リースに極度額七五億円の根抵当件を設定して七三億五三〇〇万円を借り受けていたが、さつま観光で使用したのは三〇億円程度であり、被告人と当時大阪府民信用組合理事長であったMとの間には、被告人側が三〇億円程度を支払えば、大信ファイナンス及び大信リースの前記各根抵当権は抹消する旨の合意が成立していたし、また、原判決が、ゴルフ場を経営するためには、その用地に設定されたすべての抵当権を抹消しなければならないかのように認定するのは、ゴルフ業界の現実を無視した論理であって、担保権の設定はゴルフ場営業の支障になるものではない、という。

しかし、大信ファイナンス及び大信リースは、大阪府民信組のダミー会社であるが、その理事長であったMは、原審第二二回公判において、被告人との間で所論のような約束をしたことを明確に否定する証言をしているところ、当時大阪府民信組審査部長であったNも原審第四三回及び第四五回公判において、Mの前記証言によく沿う証言をしていること、Mにおいても、他の被担保債権が残っているのに、三〇億円の一部弁済を受けたのみで勝手に大信ファイナンス及び大信リースの各根抵当権を抹消するような権限があったとは考えられないこと及び前記両社がさつまゴルフ場用地の競売手続に際し、元本だけでも合計一一二億円余りの債権届を行い、これに異議申立てがなされることもなく、配当表に基づきその債権承継先会社である新千里興産株式会社にその一部配当がなされていること(原審検1702号証等参照)などに照らして、上記各証言は十分信用することのできるものであって、それ自体不自然でかつ原審供述相互間においても矛盾を含む被告人の供述及びMとの間の前記抹消約束を被告人から聞いたとする甲野の原審供述は到底信用できないから、所論は明らかに前提を欠いている。したがって、本件融資当時、さつまゴルフ場の用地には、本件融資債権を担保する余力がなかったと認定した原判決の判断になんら誤りはない。また、原判決は、一般的にゴルフ場を経営するためには、その用地に設定されたすべての(根)抵当権を抹消しなければならないなどと認定説示しているものではなく、仮に、イトマンが、さつまゴルフ場の会員権の独占販売権を取得することによって、これを総額二〇〇億円で販売することが可能であったとしても、その販売代金の中から本件融資金を回収する客観的な可能性をどの程度見込むことができたかについて検討をする過程で、イトマンが、同会員権販売代金によって、本件融資債権の返済に優先的に充てようとするならば、さつま観光の他の債権者が法的対抗措置を講じることも考えられることに言及しているにすぎないことは、その判文から明らかであり、この点に関する所論の批判は、原判決の趣旨を正解しておらず失当である。

(ホ) 損害発生に関する被告人の認識について

所論は、原判決は、被告人が、さつま観光のゴルフ会員権の販売見込総額がせいぜい二〇〇億円であることを当然認識し、さつまゴルフ場の建設状況、借入金の状況やグループ企業の資金繰り等に至るまで知悉していて、しかも二〇〇億円の返済に関する具体的な資金計画も立てていなかったから、イトマンに対して損害を加えることを十分認識していたというが、原判決は、ゴルフ会員権の販売見込額につき、バブル崩壊後の立場に立ち、その後の実勢価値を基準にして低く評価しているし、被告人が二〇〇億円の返済に関する具体的な資金計画を立てていなかったのは、被告人はさつま観光のゴルフ会員権の販売の時期をクラブハウス等すべてを完成させてからと考えていたことや、被告人は多くの事業を並行して進めていて、他の事業からの返済資金の捻出も念頭にあったからである、という。

しかし、さつまゴルフ場の会員権販売見込額が、バブル経済の最中にあったさつま案件融資時点にあっても、せいぜい二〇〇億円程度にとどまったと認められることは、前述したとおりであって、この点に関する原判決の判断に誤りがあるとは認められないし、本件のような二〇〇億円(実質額は一五〇億円)という巨額の融資を受け、その誠実な返済を考えるべき立場にある借主としては、その融資を受ける時点において、具体的な返済計画を立てておくのが、合理的な経済人の採るべき行動というべきであって、被告人が、本件融資を受ける時点において、このような返済の具体的なめどを立てていなかったことは、原判決が指摘するとおりであると認められ、この点をとらえて、被告人がイトマンに損害を発生させることを認識していたことを裏付ける一事情であるとみた原判決の判断になんら誤りは認められない。また、被告人が、さつまゴルフ場の会員権の販売が可能な状態にあったのに、あえてこれを大規模に売り出そうとしなかったのは、他意の存在がうかがわれることは前述したとおりであり、所論が指摘する被告人が他の事業をさつまゴルフ場開発と並行して進めていたなどの事情は、被告人の損害発生の認識に関する原判決の認定を左右するような性質のものとはいえない。

(2) 被告人の任務違背の認識について

所論は、原判決は、被告人の任務違背の認識につき、「被告人は、丙田らが実体のない企画料等を先取りしてイトマンの利益出しをするため、本件融資を実行しようとしていることを知ったうえで、さつま観光の信用状態、事業の採算性、融資金の返済可能性等に関する資料をイトマン側に一切提供せず、かつ、企画料の対象となるイトマン側の役務についても何ら協議することなく、本件融資を受けることとしたもので、このような融資の決定及び実行が、イトマンの利益を第一に考えるべき社長らの任務に背くことは、健全な社会常識に照らして容易に判断し得るところであり、被告人は、融資金の回収は困難でイトマンに損害を加えるであろうことも認識認容していたのであるから、丙田らの任務違背について十分認識していたものと認められる。」と認定するが、①被告人が、野田産業の株式買取り資金として、一四〇億円の融資をイトマン側に要請したのに対し、イトマンが融資額を二〇〇億円とし、企画料三〇億円及び前払金利として二〇億円、合計五〇億円を先取りすると聞いたのは、第一回目の融資が実行された平成二年四月一一日のCからの電話によるものなのに、原判決は、記憶があいまいなまま、検察官の誘導によって作成された甲野の検察官調書及びあいまいな内容の原審公判供述の信用性を肯定し、これによって、被告人が、同年三月二〇日ころ、甲野から企画料等の先取りについて聞いて知っていたと認定した誤りがある、②原判決では、「金銭消費貸借並びに根抵当権設定等契約書」及び「契約書」へ被告人側が押印したことが、被告人が事前に企画料等の先取りを知っていたとする根拠とされているが、被告人は、上記契約書の内容に目を通していなかったし、企画料等の先取りを知っていたことを認めた被告人の検察官調書は、あいまいな記憶のまま作成されたものであるから信用できない、③原判決は、「被告人は、さつま観光の信用状態、事業の採算性、融資金の返済可能性等に関する資料をイトマン側に一切提出せず」というが、被告人側は、野田産業の株式買取り資金の融資をイトマンから受けるにつき、同社から指示のあった書類(薩摩ロイヤルゴルフ倶楽部事業計画、作成日の異なる三通のサザンデールカントリークラブ事業計画案、鹿島建設との工事請負契約書等)はすべて提出し、イトマンの要請に応じ視察団を現地に案内して、ゴルフ場建設の現状等を説明しており、ことさら提出しなかった資料はないから、原判決の前記認定には誤りがある、④原判決は、被告人が、企画料の対象となるイトマン側の役務についてなんら協議していないというが、被告人は、企画料三〇億円が提示されたので、手数料としては高すぎる、おかしいと乙川に抗議しており、企画料の対象となるイトマン側の役務について協議をしなかったのは当然のことである上、企画料を三〇億円と聞いた時点でも、イトマン側に任務違背があるとは考えておらず、被告人は、丙田らの任務違背を認識認容していないし、仮に、丙田らに任務違背があることを知っていたとしても、それだけでは、(特別)背任罪の共犯とはならない、という。

そこで検討すると、①及び②の各点については、この点に関する甲野の検察官調書及び原審公判供述並びに被告人の検察官調書の各信用性につき、所論のような疑いを入れる余地はなく、これによれば、前述したように、被告人は、平成二年三月二〇日ころには、甲野から、企画料三〇億円、一年分の利息二〇億円の前支払いを求められてこれを了承していたことが認められるから、所論の批判は失当である。なお、被告人側の押印がなされている「金銭消費貸借並びに根抵当権設定等契約書」及び「契約書」の作成状況及び被告人側において、その内容を事前に十分検討した上、これに押印したと認められることについては、原判決が(補足説明)第二の二5(二)項及び第二の三2(二)(2)項で説示するとおりであると認められ、この点に関する判断にも誤りがあるとは認められない。③の点については、所論が指摘する各書面は、原判決が指摘するさつま観光の信用状態、事業の採算性、融資金の返済可能性等を的確に推知することを可能ならしめる資料とはいえない性格のものであるから、これらが被告人側からイトマンに提出されていたとしても、原判決に対する適切な批判とはいえない。また、イトマン側の現地視察も、これを指示した甲野及び乙川から、視察目的が明確に伝えられずに取り急ぎなされた形式的でおざなりのものであったことが認められるから、この点は、原判決の認定を左右するものとはいえない。④の点については、被告人は、甲野から、二〇〇億円を融資する条件として、企画料等合計五〇億円の前払いをするよう要請された際、その場でこれを了承したことが認められ、その支払いを了承する前に三〇億円の企画料が高すぎるとして乙川に対して強く抗議をしたり、そのために企画料支払いの前提となる役務の内容の詰めを行うことができなかったような事情があったとは考えられず、被告人は、三〇億円の企画料の支払いを求めた際の甲野や乙川の言動から、企画料には実体がなく、イトマンの利益出しを意図したものであることを知悉していたことが認められる(原審検第1268号証、第1306号証参照)上、被告人の融資要請に対し、担保不足であることが明らかであるにもかかわらず、丙田らが被告人の要請額を大きく超える融資に応じる姿勢を容易に示したことなどから、同人らの任務違背を知りながら、その利益出しに積極的に協力したことは明らかであるから、所論は、原判決に対する適切な批判とはいえない。

(3) 被告人の図利加害目的について

所論は、原判決は、本件当時、被告人の資金繰りが相当逼迫した状態にあり、野田産業株式の一括購入に際しても、一二四億円という巨額の資金を他から工面する金策の具体的なめどはなかった上、本件融資でイトマンに企画料等合計約五〇億円を先取りされたとしても、残額の約一五〇億円で野田産業株を一括購入して同社の経営権を掌握できるだけでなく、残額二六億円余りも自由に使用できるから、被告人にとって極めて大きな利益があり、被告人は、イトマンの利益出した協力しておけば、今後も同社から資金を引き出せるとの意図から、確実な返済のめども担保もないのに、企画料等の提供に応じ、名目上の利益出しに積極的に協力したもので、被告人自身及び丙田らの利益を図り、その反面、イトマンに損害を加えることを認識認容していた旨判示して、被告人の図利加害目的を認めているが、①被告人は、当時、さつま観光の鹿島建設に対する工事未払金一〇億円弱の支払ができないほど資金繰りに窮していたのではなく、工事は進行中で、他に工事依頼の予定があり、鹿島建設から工事代金を請求されてはおらず、多くのプロジエクトを並行して進めていて資金が必要であったことから支払いが滞っていたもので、キョートファイナンスから金策することも可能であったから、資金繰りに関する原判決の認定には誤りがある、②原判決は、本件融資が被告人に有利なものであったというが、平成二年四月九日付け金銭消費貸借並びに根抵当権設定等契約書及び同日付け契約書によれば、被告人側は、企画料等五〇億円を先取りされた上、各種担保を提供し、かつ、イトマンに会員権の独占販売権を与え、さつま観光の役員をイトマン側の者に交替させるというものであり、被告人側は、イトマンに対して、二〇〇億円を返済しなければならないことを考えると、イトマンに極端に有利な契約となっていて、被告人自身の利益を図るものとはいえないし、仮に、被告人が、事前に前記各契約書の内容を知っていたとしても、被告人は名目上の利益出しに積極的に協力したことはないから、被告人には図利加害目的は存しない、という。

しかし、関係証拠によると、本件融資取引は、資金繰りが逼迫し、十分な担保を提供することができない状態にある被告人に、野田産業の支配株八三〇万株を取得するための資金一二四億円を二六億円も上回る実質一五〇億円という巨額の資金を被告人において自由に使用を可能ならしめる破格の待遇ともいうべき有利な取引であり、かつ、これと同時に被告人が支払う企画料等五〇億円によって、イトマンにみせかけの利益出しという決算対策のための不正な経理操作を可能にする性質のものであって、被告人及び丙田らは、いずれも、正に、このような目的から、本件のような不健全な融資取引を実行したことが認められ、他方において、本件融資取引は、イトマンに二〇〇億円から先取り分の企画料等五〇億円を差し引いた実質一五〇億円という優良な現金資産と引き換えに、担保の極めて不十分な二〇〇億円の不良債権を抱え込ませたもので、被告人及び丙田らも、当時からこのことを十分認識認容していたことは明らかであるから、被告人及び丙田らに図利加害目的を認めた原判決の判断になんら誤りはない。付言すると、①の点については、被告人のグループ企業は、その多くが赤字企業で、いわゆるノンバンクからの借入金が主な事業資金となっており、本件融資当時においても、株式会社アイチ、府民信組、キョートファイナンスから巨額の借入れをしていたこと、さつまゴルフ場の造成工事代金は、平成二年一月ころから支払いがされなくなって、結局、増額後の工事代金総額約四九億円(その工事出来高は約四三億円)のうち、約二三億円を大幅に滞納させ、鹿島建設との間では、同年秋の第三回工事変更契約さえ締結できない状態に陥っていたほか、被告人は、本件融資に近接した同年一月末ころから、イトマン側との間で二度にわたり絵画を担保とした緊急の融資をしてもらったのを手初めに、前述したようにEをして百貨店の鑑定評価書をねつ造させるなどの不正な手段さえも使用して、多数回にわたり二一一点にも及ぶ絵画等を不当な高値でイトマン側に売り付けていたことなどに照らすと、本件融資取引当時、被告人において、その資金繰りが相当逼迫した状態にあったことがうかがわれると認定した原判決の判断に誤りがあるとは認められない。また、本件融資のように十分な担保の提供もなしに、キョートファイナンスから巨額の融資を容易に受けることができたとも考えられない。②の点については、本件融資を受けるに際して、被告人が、イトマンに提供した担保が、不十分なものであって、イトマンに対するゴルフ会員権の独占販売権の付与等も、その担保不足を到底埋め合わせるようなものでなかったことは前述したとおりである上、このように十分な担保も提供することなしに、信用力の乏しかった被告人のグループ企業の一つに対して、実質一五〇億円という巨額の融資取引を行うことは、一部上場の中堅商社による金融取引としては、極めて異例な措置というべきものであって、本件にみられるような被告人を含む取引当事者の特別の意図の存在を抜きにしてはにわかに想定し難い性格の取引というべきである。してみると、所論が指摘するように、たとえ、被告人が、本件融資取引によって、イトマンに対して、二〇〇億円を支払う法的義務を負ったとしても、これが、被告人にとって極めて大きな利益をもたらす取引であったという原判決の評価は動かないというべきである。また、被告人は、イトマンにおける見せかけの利益出しという丙田らの意図を知悉しながら、自らもイトマンからさらに資金を引き出すことを考えつつ、甲野を通じてなされた二〇〇億円の融資に伴う企画料等五〇億円の事前支払いの要請に対して、なんら異議を唱えることもなく、その場でこれを承諾し、その後約束どおり、イトマンから受領した小切手三通を直ちに同社に返還して五〇億円を前払いしていることが認められるから、このような被告人の認識や対応に照らすと、被告人がイトマンの名目上の利益出しに積極的に協力したというべきであるから、この点に関する原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

3  税法事件について

(一)  論旨と概括的判断

所論は、要するに、本件絵画取引は、絵画を担保とする融資であり、本件絵画取引について、被告人が関西コミュニティの平成二年三月期(平成元年四月一日から平成二年三月三一日までの事業年度を指す。以下、事業年度についてはこれと同様の例に倣う。)の法人税をほ脱した事実はなく、被告人にはこれをほ脱する犯意もなかったし、また、関西コミュニティにおける株式会社互助センター二社(各本店は岡山市と京都市、後者は平成元年六月株式会社セレマに商号変更)及び株式会社パブルスの各株式(以下、これらを「本件株式」という。)の取得及びセレマへの売却に関する具体的交渉はすべてOが行っていて、被告人は一切関与しておらず、被告人には関西コミュニティに本件株式の売却益が生じたという認識はなく、被告人にはその法人税をほ脱する犯意がなかったのに、被告人にCらとの共謀による本件法人税法違反の罪の成立を肯認した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

しかし、原審で取調べ済みの関係証拠によれば、本件絵画取引が融資ではなく売買であると優に認められることについては、絵画事件の事実誤認の論旨に対する判断中において、繰り返し説示したとおりであり、イトマンとの間で継続的かつ巨額の絵画取引を自らの判断で主導的に行い、その状況を知悉していた被告人が、これを売買であると認識し、これにより関西コミュニティが巨額の売却益を上げていた事実を熟知していたことは明らかであり、また、本件株式取引に関しても、被告人は、その指名によって取引実務を担当させていたOから、本件株式取引に接着した時点において、その取引状況等に関する報告を数度にわたって受けており、これによって同社に約六億円に上る売却益が出ていた事実を知悉していたことが優に認められることに加え、同社の実権を握っていた被告人が、その指示により同社の税務申告作業に従事させていたCTCグループの幹部であるCをして、平成二年三月期の関西コミュニティの法人税確定申告書(以下「本件確定申告書」という。)に、前記二つの売買取引に関し、相手方側から支払われた代金が、いずれも相手側からの借入金であると仮装計上させて、これらの取引に係る同社の所得の全部を秘匿させた上、これを所轄税務署に提出させることによって、三〇億円余りの法人税をほ脱した事実は優に認めることができ、当審における事実取調べの結果によっても、これと同旨の原判決の認定判断は左右されないから、被告人に対し、Cらとの共謀による本件法人税法違反の罪の成立を認めた原判決に事実誤認はない。所論は、多岐にわたるが、以下、個別的主張に対し、当裁判所の見解を付加して説明することとする。

(二)  各論的主張に対する判断

(1) Pの本件への関与及び被告人のCへの確定申告指示等について

所論は、関西コミュニティの平成二年三月期の法人税確定申告(以下「本件確定申告」という)は、被告人グループ企業の単なる顧問税理士の立場にとどまらないPのCに対する指示により行われたものであって、被告人が、関西コミュニティの平成二年三月期の法人税を免れることをCらと共謀した事実はなく、本件確定申告が行われたことを事前には了知しておらず、Cに対して、本件確定申告を指示した事実もない、という。

しかし、企業の確定申告は、当該企業の経営にとって極めて重要な事項であり、これをどのようにして行うかについて、その経営者の判断をないがしろにして行われることは、特段の事情がない限り、一般的には考えがたいことである上、関係証拠によれば、関西コミュニティを含むCTCグループ企業は、企業組織として必ずしも態勢が整備されてはおらず、その実権を握っていた被告人の個人商店的な色彩が濃厚で、被告人によるワンマン的な運営方針がとられていたのであって、Pは、被告人の依頼により、本件当時、CTCグループの税務申告について、顧問税理士の立場から、その作業を担当していたCに対して助言を与えたり、節税方法を含めた税務相談に乗ったり、あるいは同人に同行して所轄税務署側との交渉をするなどの形で関与していたものの、関西コミュニティにおいて、なんらの役職を有していなかったことはもとより、その経営活動等に参画していた者でもなく、本件絵画取引や本件株式取引にも関与していなかったため、その実態や取引の法的性格について、他者からの的確な報告なくしては、これを自ら正確に知ることができるような立場にもなかったことが認められる。そして、このような立場にあり、かつて税務署長を務めていた経歴を有するPが、確たる犯行動機も見当たらない(なお、被告人側から、CTCグループの税務顧問を受任していたPに支払われていた月額一〇〇万円の報酬が、本件の犯行動機となったとはみることはできない。)にもかかわらず、税理士としての職業倫理を踏みにじり、懲戒処分や刑事処罰の対象とさえなる危険があることも顧みずに、関西コミュニティの実権を握っていた被告人さえも差し置いて、取引の実態に明らかに反する内容虚偽の本件確定申告をするよう自己の部下でもないCらに自らの判断で指示したり、なんらかの働きかけを行うなどということはにわかに考えられないことというべきである。そして、Cの検察官調書(第一二刑事部検乙第39号証)並びにP、吉田誠徳及び岡田証次の第一二刑事部各公判及び公判準備証言、U及びRの第一二刑事部各公判証言等によれば、関西コミュニティの平成二年三月期の決算は、Rが作成した試算表にCが最終的な修正を加えてその数字を確定させ、これに基づき本件確定申告がなされたもので、Pら税理士が、その仕訳方法等の指導をCらにしたことはなく、Pら税理士の関与形態は、Cからその修正により確定した試算表を受け取って、その数字を基に本件確定申告書の別表に記入するなどしてこれを作成し、これに記名押印して完成させ、所轄税務署に提出させたというにとどまるものであったことは明らかである。この点について、所論は、本件確定申告の仕訳方法等その中身について指導したことはないとするP証言の信用性をるる論難するけれども、本件確定申告について、虚偽の税務申告をするようCに指示したことを一貫して明確に否定しているPの第一二刑事部公判及び公判準備証言部分については、吉田、岡田、U及びRの前記各証言によく沿うもので、十分に信用することができるというべきである(なお、この点に関して、所論は、Pが、本件確定申告を指示したことを否定し、修正申告への関与すら極力否定しようとしているが、その内容自体不合理なだけではなく、Pの供述は変遷を重ねており、到底信用できないとし、原判決は、Pの本件確定申告における役割を判断するに際し、P供述の変遷、その内容自体の合理性に関する原審弁護人の主張に対し、なんらの判断を行うことなく、「単なる顧問税理士にすぎない」という一言ですましているが、この判断停止が、結局は本件確定申告がPの指導によって行われたものであるという実体から眼をそらすことになり、誤った事実認定をもたらした、という。なるほど、Pの第一二刑事部の公判及び公判準備期日における各証言中には、動揺や変遷を重ねている部分がかなりみられることは所論が指摘するとおりである。しかし、原判決も、Pのこのような安定性を欠く証言状況を踏まえて、Pの原審公判証言を(証拠の標目)欄には、あえて挙示せず、(補足説明)の項においても、Pの証言を本件の事実認定に直接的に使用したことを明確に示すような説示はしていないのであって、原判決は、Pの前記証言をそのまま採用することについては極めて慎重な姿勢を示し、むしろ、これを除いた他の関係証拠によって、事実認定を行おうとする態度で臨み、原判決が(証拠の標目)欄において挙示した関係証拠によって、被告人の有罪を認定したことがうかがわれる。してみると、原判決がPの前記証言を不用意に採用したがために、税法事件に関する事実認定を誤ったとみるべき部分は見当たらないから、所論の批判は失当である。)。他方、これに反するCの第一二刑事部公判供述は、Pが本件確定申告書の別表の作成に関与したにとどまるとした自己の捜査段階の供述(第一二刑事部検乙第39号証)と大きく食い違っているばかりか、税法事件の責任を、意図的にPに転嫁させることによって、被告人や自己の責任のすり替えや軽減を図ろうとする傾向が顕著にみられ、その内容も、前述したPの立場等に照らすと、不自然不合理なものといわざるを得ず、到底信用することはできない。したがって、虚偽内容を含む本件確定申告が、Pの指示によって行われたとする所論を排斥した原判決の判断になんら誤りはない。そして、被告人も、捜査段階において、本件確定申告をするようCに指示した事実を認め、第一二刑事部第一回公判における「公訴事実についての意見書」中においても前記指示を認めているところである。

この点、所論は、被告人が、上記のように指示した事実を認めたのは、CTCグループの者多数が逮捕勾留され、その中には持病のため生命の危険すら危惧される者がいる状況下で、被告人が前記指示を行ったことを認めるならば、被告人とCの両名を起訴することにより事件を終息させる旨取調べ検察官から利益誘導を受けたことによるもので、その結果、被告人とCの両名が起訴されただけで、他の者が起訴されることなく本件が終息したことから、信義上、前言を翻すことを潔しとしない被告人が、公訴事実に対する意見書においても、原審弁護人らの反対を押し切ったからである、という。

しかし、被告人が、Cに対して、本件確定申告やその内容について指示したことを認めた被告人の検察官調書(第一二刑事部検乙第15号証、第17号証、第19号証、第25号証)が、検察官から利益誘導を受けたためになされたものとは認められないことについては、既に、訴訟手続の法令違反の論旨に対する判断の項で説示したとおりである上、その内容についてみても、これが具体的かつ詳細であるばかりか、CTCグループ企業における被告人の地位及びCとの関係、同グループ企業内において、Cが最も経理に関して明るかったこと、コスモスを含む当時のCTCグループ各社の税務申告等の状況、とりわけ、当時、税務署側からCTCグループ各社の税務申告や修正申告を強く促されており、関西コミュニティについても、コスモスの税務調査に際して、その設立届と税務申告が未了である旨係官からCが指摘され、早期申告を約束していた状況などに照らすと、当然の人選ともいえるごく自然な流れの中で、被告人からCに対する本件確定申告の指示等がなされたとみるべきであり(この点、被告人自身も、その検察官調書(第一二刑事部検乙第19号証)中において、「私のグループでC以上に経理を分かる者はおらず、私の意思に基づいてCはPと相談しながら、このテーマ(CTCグループ各企業の組織化や会計処理の明確化や電算化等を指す。)に取り組んでいた、私がCに言って、Cが関西コミュニティの平成二年三月期の申告などの税務処理をしたことなどについては、たまたまその時期にこのようなテーマにCが取り組んでいたことからCのテーマになったわけで、今回のような指摘を受けることになり、Cには気の毒なことをした。」旨述べている。)、他の関係証拠との整合性等に照らしても、この指示を認めた被告人の供述部分には、高い信用性が認められることについては、原判決が、被告人の弁解内容を分析した上で、詳細に説示するとおりであると認められる。また、被告人が、当時の弁護人と十分に打合せを遂げた上で、自己の応訴態度や今後の防御方針を決することになる罪状認否の重要性を知悉しながら、税法事件に対する陳述用に作成された「本件公訴事実についての意見書」中において、自己の検察官調書中で供述した前記指示の事実をあえて明示的に認めたのは、それがむしろ事実に沿うものであったことから、前記検察官調書中の供述と平仄を合わせ、ほ脱の犯意とCらとの共謀の点において、公訴事実を強く争う形で本件裁判と弁護を受ける方針をとったものと認められ、被告人が、取調べ検察官との信義等から、公判段階に至ってまで真実を語ることができなかったなどとは到底考えられない。したがって、所論は採用することができない。

(2)絵画取引に関するCの認識について

所論は、原判決は、Cが、Rに対して「イトマン絡みの入金は、実は絵を売った代金だ。」と述べたというRの捜査段階における供述を根拠として、「Cは、少なくとも、Rに絵画取引によるイトマン及びレイからの入金を借入金として処理するよう指示した同年(平成二年)八月下旬から九月上旬ころの時点においては、絵画取引が売買であることを認識していたものと認めることができる。」(二二四頁)と認定しているけれども、仮に、Cが、本件絵画取引が売買であると認識していたとすれば、そのことをRに対して隠しこそすれ、決して言わないはずの事柄であるし、Rは、現に起訴されておらず、起訴されないという約束のもと、あるいは検察官の利益誘導に迎合して虚偽の供述を行った疑いがあるから、前記R供述は信用することができない、という。

しかし、Rは、雅叙園観光勤務当時、その代表取締役専務をしていたCと知り合い、同社を退職した後、その勧めによって、平成元年九月ころ、CTCグループ企業の一つである株式会社ケー・ビー・エス・びわ湖教育センターに入社し、経理に明るいことから、Cの直属の部下である経理部長として本件確定申告を含むCTCグループ各社の経理、決算、申告作業等に従事し、Cの大きな信頼を得ていた者であると考えられる上、コスモス等の決算作業に従事するに際して、Rは、Cから、「預金口座の動きで、入金は、借入金か仮受金としておくように。グループ会社間の金の動きは仮受金にするように。また、出金は、貸付金か仮払金にしておくように。どれを貸付けにし、どれを仮払いにするかは、入金の場合と同じだ。」などと、あたかも脱税することをうかがわせるような不自然な指示を事前に受けていた事実が認められることに加え、Rは、関西コミュニティの決算作業中に、イトマン等に絵画代金を請求する旨の記載のある請求書を含む帳票類を目にする機会があり、Cもそのことについては知っていたと推認されるから、このような立場にあったRから、「請求書もあるので売買として計上するのですか。」などと問いただされたことから、同人に対しては、もはやあえて嘘を言う必要はないと判断して、「イトマン絡みの入金は、実は絵を売った代金だが、全部借入金で処理しておくように。」と真実を打ち明けた上、借入金として処理するよう指示をしたとしても、それがなんら不自然不合理であるとはいえない。また、Rにおいて、Cから、本件絵画取引が、真実は売買であるのに借入金で処理するよう指示されたと検察官に対して供述することは、本件法人税法違反容疑に関して、Cの責任のみならず、自らもその共犯関係にあったことを強力に裏付ける事実を明らかにすることになりかねず、Rにとっても、相当の不利益を伴う事実を認めることになるから、所論のいうように検察官に安易に迎合して供述をしたとは考えられない。このことは、Rが、検察官調書(第一二刑事部検甲第429号証)中において、その前半部分で「検事からいろいろ説得され、事実をありのまま話しする方が、Cさんの立場も分かって貰え、自分の立場も理解して貰えると諭され確かにそのとおりだと思い至りましたので、本日は改めて私の知っていることをお話ししたいと思います。」旨述べて本件の確定申告の状況につき詳しい供述をするに至った経緯や動機を明らかにするとともに、その末尾においても「Cさんの立場を分かってもらい、私の立場も理解して貰って、寛大な処分をお願いしたいと思います。」と述べて、最後までCの立場にも気遣う姿勢を維持していることや、R自身、第一二刑事部公判において、取調べ検察官から無理な調べを受けたなどとは証言していないことからも裏付けられている。また、なるほど、税法事件の起訴状によれば、Rは、被告人及びCと共犯関係にあったとされているものの、本件で起訴はされていないが、それは、本件確定申告をするに当たり、その申告内容について決定権を有していて、主導的な立場にあったとみられた被告人及びその指示を直接受けたとみられたCと、本件絵画取引及び本件株式取引の実態を十分に把握せず、Cの指示を受けて、主として決算作業等の事務的な処理を進めていたにすぎないRとの間で、本件において果たした役割や責任の点において、大きな懸隔があると最終的に検察官が判断したためであると推認され、Rが、検察官から起訴されないという約束のもと、あるいはその利益誘導に迎合して虚偽の供述を行った疑いがあるとする所論は、憶測の域を出ないものであるから、これを採用することはできない。

(3) 絵画譲渡益等に関するCの認識について

所論は、原判決は、Cが本件絵画取引を売買と認識していたことの根拠として、①Cは、被告人側がイトマンに絵画を持ち込み、請求書を出して振込送金を受けるという形態で絵画取引が行われていることを、絵画取引が開始されて間もない同年(平成二年)二月か三月ころから知っていたこと、②Cが被告人に対し、イトマンとの絵画取引が売買なのかを尋ねたところ、被告人が「あれは絵画を担保にしたファイナンスだよ。イトマンからはファイナンスの書類はいつでももらえることになっている。」と聞いていたこと、③Cにおいて、絵画取引が融資であることを確認する旨の書類がいまだ作成されていないことを知っていたこと及びCと西込弁護士が、本件絵画取引に関してやりとりをしていた状況、④平成二年一〇月五日ころ、CがKに対し、売買だと税金が大変であると言っていたこと、⑤Cが本件確定申告後に作成した書面の記載や同年一〇月末ころの会議の席上でのCの発言内容、⑥前記のとおり、CがRに対して、「イトマンがらみの入金は、実は絵を売った代金だ」と述べたこと、などの事実を挙げているけれども、①については、本件絵画取引のうち、絵画を担保とする融資であることに争いのない第一回目及び第二回目の取引も同じ形態で行われているし、②についても、被告人の説明は、正に実態に即した内容であるから、なんら、Cが本件絵画取引を売買と認識していたことの根拠とはなり得ないものであり、③については、そのこと自体、Cが本件絵画取引が融資であると認識して行動していたことを示しており、また、④については、その発言の中の「売買」とは、イトマンから関西コミュニティの再売買を指すと解され、そのような処理をすれば多額の税金が課せられることになるのは当然であり、⑤についても、もともと取引開始以降、実態は融資であるとの前提で本件絵画取引が進められていたところ、「売買契約を合意解約したことにする」との申し合わせがなされた以上、本来の性質に拘泥することなく、今後は「売買として取り扱うことに一致した」ものであり、したがって、同年一〇月末ころの会議でのCの発言は、「過去の絵画取引は売買として扱うことで関係者は了解した」ことを意味するにすぎないし、Cの書面作成についても、協和に対する債権の保全を議題とする会合において、過去の取引を「今後は売買として取り扱うことに一致した」ことを前提とした上での記載にすぎず、本件絵画取引に関する平成二年八月下旬ころまでのCの認識を反映したものと考えることはできず、⑥についても、これに沿うRの供述は信用できないから、いずれも、Cが本件絵画取引を売買であることを認識していたことを基礎付けるものとはいえない、という。

しかし、①、②の点については、原判決は、これらの事由だけをもって、Cが本件絵画取引を売買であると認識していたことの根拠としているのではなく、むしろ、①、②のような事由を、本件申告に至る経緯の中の一事情として認定した上、③以下のような、一連の絵画取引及び上記事情を含む本件申告に至る経緯の中で、Cが被告人を含む関係者から見聞した事実やCがRや西込弁護士らに対して発言した内容、協和関係の対策会議においてCが発言した内容及びそのころCが作成した書面の記載内容など、諸般の事情を総合考慮した上で、本件絵画取引について、Cが売買であると認識していたとの認定をしていることが明らかであるから、この点に関する所論の批判は失当である。そこで、③以下の点についてさらに検討するのに、③の、Cにおいて、本件絵画取引について、関西コミュニティ等からイトマン側に請求書が送られ、同社側に絵画が搬入される形態で取引が行われており、これが融資であることを確認する旨の書類がいまだ作成されていないことを知っていたことや、Cが、西込弁護士との間で、本件絵画取引が絵画を担保とする取引であることを明らかにする書類を作成しようとして盛んにやりとりをしており、その過程でCから本件絵画取引に関する説明内容を聞いた西込弁護士が、これを融資取引とみるには不自然であると感じて、「それなら売買じゃないの。」と指摘するなどしていた事実は、Cが、本件絵画取引が、融資取引ではなく売買であると認識していたか、これを容易に認識し得たことを推認させる有力な状況事実というべきである。④の点につき、同年一〇月五日ころ、CがKに対して、「売買だと税金が大変である」旨発言した趣旨は、その前後の二人のやり取りの状況に照らすと、関西コミュニティ等の各社や被告人側において、本件絵画取引を売買として取り扱うことにすると被告人側にかかる税金問題が大変なことから、解約という形にしたいという意味であったと認められることについては、原判決が(補足説明)第三の二1(二)(2)項で説示するとおりであると認められ、所論のような意味に解する余地はなく、この発言が、本件絵画取引の法的性格に関するCの事実認識及び税法事件のCの犯行動機を強く推認させるものといえることは明らかである。⑤の点については、所論が指摘する対策会議は、あえて事実を偽って説明する必要が認められない被告人側関係者とその依頼を受けた弁護士のみが参集した内輪のものであって、その場においてCが、「関西コミュニティや富国産業、関西新聞社からイトマンやエムアイギャラリーに総額約三五〇億円の絵画を売却した絵画代金のうち、イトマンから関西コミュニティに振込み入金されたものを、協和に貸し付けたが、その返済を受けていない。」などと説明(原審検第1559号証参照)した上、そのころC自身においても、本件絵画取引が売買であることを明確に指し示す内容の書面を作成していたこと(なお、同書面に関する原審検第1560号証中におけるCの弁解は著しく不自然で信用できない。)は、取りも直さず、Cが、同会議の開催からさほど日時をさかのぼらない同年九月二一日の本件確定申告書提出の際においても、同取引に関して抱いていた同様の事実認識をそのまま率直に明らかにしたものとみるのが自然であり、その中間時点である同年一〇月一二日において、本件絵画取引について、イトマン側との間で売買契約書が作成された上、これを合意解約する形式が取られたのも、むしろ本件絵画取引の実態を踏まえた処理であったと推認され、その取引の性格に関わりなく売買であると取り扱うことにされたがためになされたとは考えられず、Cの前記発言の趣旨を所論のように解するのは無理があるというべきである。⑥の点につき、Rのこの点に沿う検察官調書が信用できることは、さきに述べたとおりであり、結局、叙上のような事情を総合して、本件絵画取引につき、Cが売買であると認識していたとする原判決の認定に誤りはなく、所論は採用できない。

(4) 本件株式取引に関する被告人の認識について

所論は、本件株式の取得及び売却に関する具体的交渉は全てOが行っており、被告人はこれに一切関与しておらず、本件株式の売却によって売却益が上がったという認識は被告人にはなかったのに、原判決は、本件株式取引とは全く関係のない数通の稟議書に被告人の書込みがあることを根拠に、「被告人は、CTCグループの幹部らに対し、さ細なことについても稟議書を提出させるなどして、自己の決裁を受けさせていた」旨認定して、証拠の評価を誤ったため、前記主張を排斥している、という。

しかし、被告人は、CTCグループ各社の稟議書多数に、単に許否の決裁をしていたのではなく、その中の相当枚数にわたって、税金の支払い方法等を含むかなり細かい事項についてまで書込みを行い、あるいは決裁に際して条件を付するなどの方法によって、部下に様々な指示を出し、時には部下のやり方を批判、叱責し、これに従って部下が案件の処理をしていた事実が認められ、被告人による稟議書の決裁方法は、決して盲判を押すような形式的なものでなかったことは、原判決が、被告人の決裁のある稟議書の中から具体的な例を挙示しているとおりである(二三六〜二三七頁参照)。付言すると、査察官調査書(第一二刑事部検甲第49号証)によれば、CTCグループの稟議書(コピー)の件名欄に「税」の用語があるもの一七五通を査察官において抽出して分析検討した結果、その決裁者は、全て被告人となっている上、この中には、「関西コミュニティ(株)の法人市民税納付について」と題する稟議書(No.171・九〇年一一月一日付け)もあって、その要納税額が「三八万七六〇〇円」とされ、本件に比して極めて少額であるにもかかわらず、これについても被告人の決裁がみられることは特筆に値するということができ、被告人は、関西コミュニティを含むCTCグループ企業の納税関係については、かなり厳密な決裁を部下に上げさせて、その処理状況を掌握していた事実を十分にうかがうことができ、このことは、「固定資産税や、その他不動産取得税等の支払いについてまで、すべて、会長(被告人を指す)のコントロールを受けていましたので、グループ内の会社において、税の申告をするかどうか、あるいは申告するとして、どのような内容の申告をするか、といったことについても、すべて会長の指示に基づいてやらざるを得ませんでした。」とのTの検察官調書(第一二刑事部検甲第379号証)の記載からも裏付けられる。そして、原判決は、単に、前記稟議書にみられる被告人の決裁及び指示状況のみから、本件株式の売買についても、被告人が決裁を行い、その売却によって多額の売却益が上がったという認識を抱いていたなどと推認しているものではなく、齋藤眞一、齋藤秀市、梅原利一、O及び甲野一郎らの各検察官調書(第一二刑事部検甲第210号証ないし第212号証、第215号証、第216号証、第376号証、第377号証)等によって明らかに認定することができる事実、すなわち、本件株式の売買に関して、被告人が、Oに対し、関西コミュニティ名義を使用してその実務を担当するよう指示を出してこのテーマに取り組ませていた状況や、その交渉経過等についてOから逐次報告を受けていた状況、さらに、本件株式の売買契約が締結された当日、被告人がその取引場所である関西新聞社の建物内にかなりの時間留まっていて、契約交渉の場には直接姿を見せなかったものの、その取引条件について、Oから相談を受けて、売買益が出ても税金が高くならないような取引形態にするよう指示を出したり、その交渉の仲介者の立場にあった甲野一郎に対して、最終的な取引条件を了解したことを直接伝えていた被告人の行動状況などに照らして、被告人が、本件株式取引について、その売却益を含めて、その実態に即した正確な事実認識を有していたと認定していることは明らかであり、所論は原判決の説示を正解していないというべきである。

(5) 本件株式取引に関するCの認識について

(イ) 株式買収代金の送金について

所論は、原判決は、関西コミュニティによる本件株式の買収資金のうち、二億五〇〇〇万円については、Cが、売主名義の銀行口座に振込送金したとし、当時、富国産業、新日建設など、関東地方におけるグループ企業の資金管理を担当していたCが、送金の趣旨を知らずに、命じられるまま機械的に送金の処理に当たっていたとは考えられないと判示するが、Cが、自己の管理していた預金口座から売主側ないし仲介者の預金口座に買収資金の一部を振込送金していることと、送金した金員の趣旨をCが理解していたこととは別個のことであり、Cは、当時、上司の指示に忠実に従っていただけで、その資金の流れの趣旨を理解し得る状況にはなかったし、送金相手の齋藤忠男、増田三郎がいかなる人物であるかを知らなかったから、送金した金員の趣旨を理解していなかった、という。

しかし、Cは、CTCグループ企業内において、大幹部ともいうべき地位にあり、被告人の指示により、昭和六三年五月ころ、一部上場企業で老舗ホテルの雅叙園観光に支配人等として送り込まれ、平成元年五月ころまで、代表取締役専務としてその経営に当たっていた者であり、本件当時においても、被告人から大きな信頼を得て、代表取締役となっていた富国産業、あるいは新日建設などのCTCグループ企業の関東方面の資金管理について、その最高責任者として中心的な役割を担っており、単なる機械的な送金業務に従事していたにとどまる者ではなく、関西コミュニティが本件株式を買収する際、三回にわたり齋藤忠男名義の銀行口座へ合計二億五〇〇〇万円を振込送金をするにつき、同人がCTCグループ外の人物であることが明らかであったにもかかわらず、Cが、送金を指示して来た者に対して、その趣旨を全く確認しないまま、機械的にこのような多額の送金を行うことを了解したとはにわかに考えがたい上、当時、Oが、被告人に対して、本件株式の買収資金の送金を依頼していたことを考え併せると、Cに対してこのような多額の送金の指示を直接間接を問わずに行うことのできた人物は、被告人以外には考えられないというべきであって、Cが、被告人を通じてその送金の趣旨を知りながら、これを行ったことは、十分推認することができるから、これと同様の見方をした原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

(ロ) パブルスへの送金について

所論は、原判決は、Cが、パブルスに対して二億円を送金したのに、この送金の趣旨を知らなかったというCの供述は不自然不合理で信用できないと判示するが、二億円の送金について、雅叙園観光とパブルスとの将来の業務提携等に備えて、互助センターの会員を雅叙園観光に紹介してもらうための預託金のようなものとCが考えたとしても、それが不自然不合理であるとはいえないし、仮に「グループ内の資金援助」であったとしても、グループ企業の中には、単に被告人の資金調達力を頼ってのグループ入りもあるから、そのこと故に相手先会社の株式を保有することになったとは必ずしもいえない、という。

なるほど、Cは、第一二刑事部第八六回公判等において所論に沿う供述をしているものの、前述したように、Cが、当時、CTCグループ企業内において、極めて重要な地位を占めており、関東方面の資金管理について中心的な役割を果たしていたことに照らすと、Cが、パブルスに対して二億円もの送金をするに際して、その趣旨を確認もせずに、これを行ったことはにわかに考えがたい上、中井博文、渥美久男及び被告人の各検察官調書(第一二刑事部検甲第209号証、第220号証、検乙第12号証等)によれば、関西コミュニティがパブルスの支配株を取得し、その経営に乗り出した後である平成元年二月末日ころ、被告人は、中井博文からパブルスの前受金保全のため二億円が必要であると説明されて、資金援助方の依頼を受けたことから、雅叙園観光にいたCに電話をかけて、その翌日二億円をパブルス名義の王子信用金庫の口座に振り込むよう指示し、Cはこれに従って同年三月一日パブルスの預金口座に雅叙園観光から二億円を振込入金したものの、結局、この二億円については、すぐに別人名義の預金口座に移動されて、結局、CTCグループの事業資金のために費消されている事実が認められ、このような経緯に照らすと、Cは、二億円の趣旨について、被告人から聞くなどし、その指示により二億円の振込み等に携わり、これがCTCグループ企業の傘下に入ったパブルスに対する資金援助であることを知っていたことを十分推認することができるから、この送金関係をパブルスの経営に関するCの関わり、ひいては、本件株式取引の法的性質に関するCの認識を推知せしめる事情の一つとみた原判決の判断に誤りがあるとは認められない。

(ハ) Sのパブルス出向と雅叙園観光復帰について

所論は、原判決は、パブルスとCTCグループの関係に関するCの認識を検討するに当たっては、Sがパブルスに出向し、雅叙園観光に復帰した経緯、ことにその際のCの関わりの態様が重要な手掛かりとなる、というが、Sが雅叙園観光へ復帰する過程において、Cが、同社会長である河野利貞に対してなんらかの口添えをしたとしても、出向社員を元の会社に呼び戻すこと自体は通常行なわれることであって、そのことは、株式保有という会社の支配関係と直結するものではないから、そのことの故に、Cが、パブルス株譲渡の事実を認識していたことにはならない、という。

そこで検討すると、原判決は、単に、雅叙園観光からパブルスに出向していたSが雅叙園観光に復帰したことや、その際、Cが、河野会長に対して復帰の口添えをしたことのみをもって、関西コミュニティがパブルスの支配株をいったん取得してその経営権を獲得した後、これを売却してその経営権を失ったことについてのCの認識を推認する材料としているのではなく、Sをパブルスへ出向させることになった経緯から同人が雅叙園観光に復帰するに至るまでの一連の事実経過の流れ、とりわけOからパブルスに対する経理社員の出向要請を受けたTが、Cにこれを依頼した際の説明内容、CがSをパブルスに出向させる際、その理由を同人に説明した上、パブルスの事務所に一緒に赴き、Oらパブルス関係者に引き合わせた状況、その後のSのパブルスにおける執務状況、C自身が、Sから雅叙園観光への復帰を希望する理由を聞いて河野会長にその口添えを約束した際の状況、本件株式売却後、Cが、Tから社員(S)を出向させたことについてお礼を言われた状況などを総合して、関西コミュニティが、その保有していたパブルスの支配株を売却して、その経営から手を引いたことをCにおいて十分認識することができていたと認定しているのであるから、所論は、原判決の論旨を正解していないというべきである。付言するに、河野は、その検察官調書(第一二刑事部検甲第225号証)中において、平成元年七月中旬ころ、Cから電話があり、「パブルスに出向していたSのことなのですが、○○(被告人)がパブルスの経営から手を引いたので、Sを雅叙園に戻してもらいたいのですが。」と依頼された旨供述しているところ、その内容は、S及びTが、そのころ、Cに対して、(被告人側が)パブルスの経営から撤退した旨説明したと供述する内容によく沿うものであって、十分に信用することができるものであり、これによれば、Cは、河野に対して、単にパブルスに出向させていたSの雅叙園観光への復帰の依頼をしただけではなく、復帰の理由につき、被告人がパブルスの経営から手を引いたこと、すなわち、被告人グループ企業が同社に対する支配を失ったことを知っていたことを自ら裏付ける説明をしていた事実が認められ、この一点をとりあげてみても、Sの雅叙園観光復帰の経緯が、パブルスの支配株の移動に関するCの認識と重要な関わりを有していることは明らかである。

(6) Tの検察官調書の信用性について

所論は、Tの検察官調書につき、Tは、持病のため体の調子が悪く精神的にも落ち込んでいたところ、取調べ検察官から共犯者として起訴されることを示唆されたため、何とか起訴を免れようとして、検察官に迎合して、真実ではない内容の調書に署名押印し、その訂正の申立てにも応じて貰えなかった上、新しくグループ入りした会社に人を出向させることは世間一般では通常にあることで、Tがわざわざ人を派遣する理由として、株式買い取りという原因をCに説明する必要はなく、その検察官調書の作成段階で検察官から「押し付け」があったのは明らかで、株式を一〇億円で売ったから人(S)を戻すことになったとCに説明したというTの検察官調書も、前記調書に符合させたもので、通常の会話の感覚からすると、そのような説明は不要であるから、これらT供述の信憑性は薄い、という。

そこで検討すると、Tの検察官調書(第一二刑事部検甲第378号証ないし第385号証・ただし第378号証は同意部分)は、自己の経歴、CTCグループの組織構成、その業務内容、被告人や幹部社員の地位及びその役割、稟議書等によって被告人の決裁を受けていた状況、被告人の指示により自分がOを補助して互助センター株式等の売買に関わるようになった経緯及びその取引状況、パブルスへの社員派遣要請及び社員復帰に関してCとやり取りした状況等について、いずれも具体的でかなり詳細なものであるばかりではなく、T独自の事実認識や感想が随所に盛り込まれている上、Tは、その中で、記憶のある部分と記憶がない部分、あるいは記憶がはっきりとしない部分を、明確に区別しつつ供述しており、特に、自分のみならず被告人を含む関係者の責任が問題になりそうな事項については、自己や被告人にいたずらに不利益が及ぶことがないよう配慮した弁解を述べているとみられるほか、時には、問答体が使用されつつ調書が作成された箇所(第一二刑事部検甲第384号証参照)やTが読み聞けの後調書の訂正を求めている箇所(同検甲第385号証参照)などもみられること、また、Tは、Oを手伝う形でパブルス株式等の売買に自らも深く関わっていたことから、パブルスへの人材派遣をCに依頼する際、その必要性を訴えるため、同社等の株式を関西コミュニティで買収してその再建の仕事を始めたなどとその理由を説明することは、なんら不自然なものとはいえないし、このような説明を既にしていたことと対応して、「C君の方も聞いているかもしれんけれど、関西コミで持っていた互助センターとパブルスの株を一〇億円で売却して、うちの方は、経営から手を引くことになった。わざわざ人まで出して貰ったのに悪かったな。」(第一二刑事部検甲第382号証参照)と述べたとしても、TのCに対する人材派遣要請から、わずか四か月程度で、予期に反して大きく事情が変わったため、Cの尽力によりなされたSのパブルス派遣が不要になったことから、今後ともCと円滑に仕事を進めていく儀礼上、その経過の事情説明とともにお侘びとお礼の言葉を述べたというのであれば、当時のTとCとの関係にかんがみて、格別不自然なことであるとは考えられない。とりわけこのT発言は、TとCの間のみで交わされたやりとりであったことが認められるから、Cが、検察官に対して、そのような供述をしていない以上、Tが自ら進んで検察官に供述したのでなければ、検察官がその発言内容を推知することはできないと考えられるのみならず、この点が、Cの本件脱税の犯意を基礎付ける重要な前提事実であることは、Tにおいても知悉しながら供述したものとみられるから、これが検察官による誘導によって無理に引き出されたり、Tが検察官に安易に迎合したことによってなされたものとは考えられない。また、Tの各検察官調書の作成経過、その作成枚数、前記のように具体的で詳細な供述内容、弁護側からTの体調不良を理由とする勾留執行停止の申立てやその取調べ方法に関する特別な申入れが捜査側になされた形跡も認められないこと等に照らすと、その作成当時、Tが検察官の取調べに耐えられないほど体調が悪かったなどとは考えられないし、Tが検察官から共犯者として起訴されることを示唆されて、起訴を恐れたがためにあえて事実に反する供述したものとも認められない。

(7) S供述の信用性について

所論は、原判決が、Sのパブルスへの出向及び雅叙園観光復帰に至る経緯に関する供述を根拠にして、「Cは、CTCグループにおいて保有していたパブルスや岡山互助センターの株式が平成元年七月ころに売却されたことを、そのころから認識していたものと認めることができる。」と認定したのは明らかに事実を誤認している、すなわち、①Cに雅叙園観光への復帰を依頼したというS供述は、その依頼したとする時期には、Cは、すでに雅叙園観光の代表取締役を退任していて、自分の裁量でSを雅叙園観光復帰させることができない状況にあったから、その前提から不自然であって、信用性に疑問があるし、CとSとは、人事異動をめぐる問題等から、良好な人間関係にはなく、SがCに対して雅叙園観光への復帰を依頼し、Cがこれに応じるような信頼関係は、当時、両者の間にはなかったから、CがSの復帰のために尽力したとは考え難い、②SがCに対し、雅叙園観光への復帰を依頼したか否かに関するSの供述は、全く一貫しておらず、かかる供述の変遷について、なんら合理的な理由を見い出せない、③森口博直の業務日誌をみても、CがSの復帰を河野会長に口添えすることを約束したか否かについては、否定的に考えるほかはないし、河野が、当時渡米中であったため、Cが河野に対してSの復帰を「口添え」できるような客観的状況になかったことがうかがえる、という。

そこで検討すると、①の点については、なるほどSがCに雅叙園観光への復帰を依頼した時点においては、Cが既に雅叙園観光の代表取締役を退任していた事実が認められるものの、それまで約一年間にわたって雅叙園観光の代表取締役としてその経営に従事していたCが、従前有していた雅叙園観光側との人間関係を利用して、同社の役職者に対し、Sを復帰させるために働きかけたり口添えをすることは、十分可能なことであったと考えられるから、Sがそのような期待を抱いて、Cと連絡を取ったとしてもなんら不自然とはいえない。また、従前雅叙園観光内においては、派閥的な対立があって、Sが、Cと対立する堀源太郎側に付いたため、これを怒ったCがSを降格させるなどして、両者の人間関係が必ずしも良好といえなかったことは、所論が指摘するとおりであるが、Sは、Cからパブルスへの出向を命じられた際、特に異論を唱えることもなく素直にこれに応じたものとみられる上、出向に際しても、C本人からパブルスの事務所に案内されて、Oら同社側の人間と引き合わされていることなどに照らすと、SとCとの信頼関係が全く損なわれていたとは考えられないし、Sは、パブルスの経営が齋藤一族に移ることを知って、当初はOに雅叙園観光への復帰を依頼したところ、Cと相談してみると言われていたのに、一向にOから連絡がなかったことから、Cと直接連絡することにしたというのであるから、SがCに連絡を取ったことや、その依頼を受けたCが、Sの雅叙園観光への復帰を手助けしたとしても、同様にその経緯が不自然とはいえない。②の点については、なるほど、Sの平成四年一月三一日付け検察官調書(第一二刑事部検甲第222号証・同意部分)中には、雅叙園観光に復帰するに際して、SがCと連絡を取った旨の供述はみられないのに、同年四月七日付け検察官調書(第一二刑事部検甲第223号証・同意部分)及びSの第一二刑事部第二回公判証言中においては、Cと連絡をとって雅叙園観光への復職を依頼したことから、雅叙園観光に復帰することができた旨供述している点において変化がみられるものの、両者の供述内容は、必ずしも矛盾対立するような内容とまでは解されず、Sが雅叙園観光に復帰した経緯について、後者の方がより詳しく供述されているにすぎないとみることもできる上、この供述の変化の点については、Sが、事情聴取の対象となった雅叙園観光復帰に関する出来事(平成元年七月中旬ころ)から、平成四年一月三一日付けの検察官調書が作成されるに至るまでの間に、約二年半という時間的な経過があって、一部記憶があいまいになっていたところ、Sの前記検察官調書二通が作成されたその中間に、雅叙園観光の総務部次長である森口博直の検察官調書(第一二刑事部検甲第224号・同意部分)が平成四年三月二七日付けで作成されており、その事情聴取の過程において、当時のSとのやり取りをメモした森口作成にかかる業務日誌の存在が捜査側に判明し、これに関する森口の説明内容と併せてその具体的状況が明らかとなり、その後、Sにおいても、この業務日誌を検察官から示されたことが契機となって、当時の出来事について、新たな記憶を喚起することができ、より詳しい内容の検察官調書が作成されるに至ったものとみられ、Sの供述内容の変化については、十分首肯し得る合理的な説明が可能であるから、所論の批判は失当である。③の点については、原判決は、森口の業務日誌の記載のみからではなく、これを踏まえたS、森口及び河野の各供述(第一二刑事部検甲第223号証ないし第225号証・前者二通は同意部分、第一二刑事部第二回公判のS証言)をも総合して、Sの依頼を受けたCが、河野に対し、Sの雅叙園観光復帰を働きかけ、その了解を得てSの復帰が実現したことを認定しているのであり、所論のように、Cが、河野に対してSの復帰を「口添え」できないような客観的状況にあったとも考えられないから、この点に関する原判決の認定に誤りがあるとは認められない。

(8) 関西コミュニティの確定申告作業について

所論は、Cは、関西コミュニティの平成二年三月期の決算は、Rが組んだもので、振替伝票がコンピューターに入力されていることも知らなかったし、その決算作業に際し、入力データを見たこともなく、その修正をRらに指示したこともないから、被告人が、そのようなCと共謀の上、本件法人税をほ脱したなどということはあり得ない、という。

そこで検討すると、なるほど、Cは、第一二刑事部公判において、所論に沿う内容の供述をしていることが認められるものの、Cは、被告人の指示により、CTCグループ企業の資金管理のみならず、コスモスや関西コミュニティをはじめとする各社の経理、財務資金管理、資金繰りを担当する責任者をしていたのに対し、そもそもRは、UとともにCの下で同グループ各社の決算準備や決算作業に従事していたにすぎず、Cの意向とは無関係に、自らの判断で自由に関西コミュニティの決算の仕訳をしてこれを組んだ上、決算を確定させ、これに基づく確定申告書を所轄税務署に提出することができるような大きな権限を有していなかったことは明らかである上、CとRは、コスモスのみならず関西コミュニティの決算準備や決算作業が行われていた当時にあっても、ケー・ビー・エス・びわ湖教育センター東京事務所のさほど広くない同じ部屋において、CがRやUの執務状況をごく間近かに見渡すことのできる位置関係に各自の机を配置(第一二刑事部のUの第七回公判調書及びRの第九回公判調書各添付の同事務所配置図面参照)して、一緒に日常業務に従事していたもので、関西コミュニティの決算作業に際しては、コンピューターが導入されて、同室内の間近の机上に設置され、これが少なくとも数日以上にわたって使用されて、関西コミュニティの振替伝票等に基づき、決算用データの入力作業が行われていた(調査報告書(第一二刑事部検甲第398号証)中のいわゆる仕訳モニタによれば、最初のデータの入力作業は、平成二年九月五日から同月七日にかけて、訂正データ等の入力作業は、同月一三日にそれぞれなされたことが認められる。)ことが明らかであるから、このような極めて単純かつ明白な事実すらもCが知らなかったということは到底考えられないというべきである(Cでさえも、その検察官調書(第一二刑事部検乙第33号証)中においては、関西コミュニティの元帳等をコンピューターに入力させていたのははっきりとはしないが間違いないと思う旨供述している。)。また、Cは、平成二年三月期以前の関西コミュニティの決算作業及び確定申告書の作成については、自ら関与し、R作成の試算表等を見せられて、自らの考えに基づいて修正を加えていたことを、第一二刑事部公判(第八六回、第八七回等)においてすら認めているのに、平成二年三月期の確定申告に際してだけ、その入力データを見ておらず、その修正にも全く関与しなかったとする理由については、十分首肯することができるような説明をなし得ていない上、Cはもとより他のCTCグループ幹部からも、Rが、関西コミュニティの平成二年三月期の決算申告についてだけ、特別に最終的に決定する権限を付与されたことを示す事実やその必要性の存在に関する証跡をうかがわせる供述をしている節を一切認めることができない。しかも、R及びUは、そろって、第一二刑事部公判において、関西コミュニティの決算作業に際しては、コンピューターにいったん入力された昭和六三年三月期から平成二年三月期の決算用データを打ち出したものをCに見せたところ、その修正を命じられたことから振替伝票を追加作成し、さらにデータの修正打ち込み作業を行うなどした後、プリントアウトされたコンピューター試算表をもとにして、Rが作成した各期毎の試算表(いわゆるR試算表)にCが目を通して、Cがさらにこれに修正を入れて、いわゆるC試算表が作成されてから、決算報告書等が作成され、これに基づき本件確定申告書も作成された旨を明確に供述しており、これらの供述は、相互によく一致し、その内容も、仕訳モニタを含む決算関係書類の作成状況とも符合しているから、その信用性に疑問を差し挟む余地があるとは認められない。

そうすると、関西コミュニティの平成二年三月期の決算は、Rが組んだもので、振替伝票がコンピューターに入力されていることは知らず、その入力データを見たことも、その修正の指示をしたこともないとするCの弁解は、著しく不自然不合理なものといわざるを得ず、Rらの一致した明確な供述や関係書証等に照らして到底信用しがたいというべきである。

(9) 決算処理状況に関するR供述の信用性について

所論は、Rは、本件脱税の共犯者とされているにもかかわらず、起訴を免れており、R供述の信用性の有無について、Rが起訴を免れるために検察官に迎合的な供述をしていないかを慎重に判断しなければならないし、Rは経理マンであるから、経理手順について細かく主張することができるのは当然であり、Rが、決算作業について詳細な供述を行っているからといって、安易に同人の供述の信用性を認めるべきではなく、客観的証拠との整合性を慎重に検討しなければならないが、かかる観点から、Rの供述を検討すれば、これを到底信用することはできない、という。

なるほど、本件法人税法違反の起訴状においては、Rは、被告人らと脱税の共謀をした共犯者とされているのにもかかわらず、同事実で起訴されていないことは前述したとおりである。しかし、そのこと自体から、Rが、起訴を免れるため検察官に対して迎合的な供述をしたという事実を直ちに推認することはできず、その供述内容や被告人やCとの比較におけるRの本件への関与の形態及びその責任の重さなどを検討することが必要であると解されるところ、刑訴法三二一条一項二号書面として取り調べられたRの検察官調書(第一二刑事部検甲第429号証ないし第435号証)の内容をみると、Rは、雅叙園観光勤務当時、Cの下で簿外債務処理に従事し、その度胸の座った粘り強い仕事振り等からCを尊敬していたところ、同社を退職した後、Cの誘いでケー・ビー・エス・びわ湖教育センターに入社できたことに恩義を感じていることや、前述したようにCに不利益な供述をするのを思い悩む気持ちがあったとする供述をしている上、検察官の説得によって事実をありのままに話す決意をしたとも供述しており、Rは、自己にとって有利なことばかりではなく、本件絵画取引や本件株式取引について、Cからこれらが本当は売買であることを打ち明けられた上、これらを融資として計上するよう指示されたこと、Cの指示に従って、Uとともに関西コミュニティの決算作業を行い、自ら手書きした試算表を作成してCに提出したことなど、Cのみならず自己にとっても不利になることが明らかに分かる事柄についても率直かつ詳細に供述するとともに、決算作業に従事した執務室の配置図、集計表、R試算表及び試算表作成経過表等の各種図表の作成ないし再現にも応じており、しかも、Cが私利私欲で本件脱税をしたとは考えられない旨前置きして、同人を擁護する供述さえしている事実が認められ、本件確定申告に当たり、ことさらうそを言って、虚偽内容の決算書類及び確定申告書を作成提出した全ての責任をCや被告人に一方的に転嫁したり、自己の責任の軽減を図ろうとした供述傾向は全くうかがうことができず、かえって、その内容は、自己の実体験に基づいてなされたことを容易にうかがい知ることのできる具体的で臨場感の認められる内容となっていることは明らかである。また、被告人は、CTCグループのオーナーであり、Cは、その大幹部であって、その地位、権限は、その下で働いていたRのそれとは大きな隔たりがあったことは明らかであり、これに伴う本件への関与の程度の大きさと責任の重さは、Rのそれを大きく上回るものがあったことも前述したとおりであるから、前記起訴状で共犯関係にあるとされた三人のうち、Rのみが起訴されなかったことが、Rが検察官に対して迎合的な供述をしたためであるとみることはできない。また、原判決は、経理に明るいRが、関西コミュニティの決算状況について詳細に検察官に供述していることのみをもって、これに信用性を認めているのではなく、Rと一緒に本件決算作業等に関与したUの供述との整合性や本件決算作業に当たって使用された伝票類、預金通帳の写しなどの各種帳票類、コンピューター打出しデータあるいは確定申告書等の決算関係書類などの客観的な証拠資料ともよく照らし合わせて、本件決算に関してCから指示を受けた状況を含むR供述の信用性について、詳細な検討を遂げた上で、初めてその信用性を肯定し、これと対比して所論に沿うCの弁解供述が不自然不合理であるとしてその信用性を排斥していることが認められ、その判断手法及び認定事実になんら不合理な点があるとは認められない。そうすると、Cの本件脱税への関与を認めたRの検察官調書につき信用性を肯定した原判決の判断には誤りはないから、所論は採用できない。

(10) Dノートの有無について

所論は、R及びUは、本件確定申告作業において、その資料としてDノートが手元にあった旨供述するが、Dノートが決算資料としてUの手元に存在していたのであれば、関西コミュニティの決算段階でUが作成した「科目内訳」にはあり得ない記載がある上、仕訳モニタに登場しなければならないはずの記載が多数欠落しているから、Dノートが決算資料として存在しなかったのは明らかであるところ、この点につき、原判決は、「仕訳モニタの摘要欄に記載された仕訳は、預金通帳又はそのコピーに記載があるものについては、原則としてその記載のみに従って行われたものであって、Dノートは、預金通帳又はそのコピーだけからは仕訳ができないものについて、仕訳作業のための参考資料とされたにとどまるものと考えられる。」と判示するが、以下の点を検討すれば、原判決の上記認定の誤りは明らかである。すなわち、

①三和銀行(関西コミュニティ名義)の預金通帳コピー平成二年三月九日欄には記載がないため、仕訳モニタではコスモスへの二億円の貸付けとされているが、Dノートを見れば大阪国際フェリーへの貸付金と判明する、

②同預金通帳コピー平成二年三月九日欄には記載がないため、仕訳モニタではコスモスへの一億五〇〇〇万円の貸付けとされているが、Dノートを見れば絵画購入代金であることが判明する、

③同預金通帳コピー平成二年三月九日欄には記載がないため、仕訳モニタではコスモスへの三七四四万六五三〇円の貸付けとされているが、Dノートを見れば豊国土地への貸付金と判明する、

④同預金通帳コピー平成二年三月一六日欄に記載がないため、仕訳モニタではコスモスへの一億円の貸付けとされているが、Dノートを見れば絵画購入代金であることが判明する。

⑤相互信用金庫(関西コミュニティ名義)の預金通帳コピー平成元年七月五日欄では「(F指示現金)」との記載しかないため、仕訳モニタでは一億円の出金が仮払金となっている部分があるが、Dノートには「会長絵画レオナルド藤田『シャム双生児』」と記載されており、これは藤田画伯の絵画の購入代金であることが判明する、

⑥仕訳モニタ平成元年七月三一日欄では、三〇億円が仮受金で入金し、すぐに五口に分けて合計三〇億円が仮払金で出金したとされている部分があるが、同預金通帳コピーには、三〇億円が関西コミニュティから振込みという記帳しかなく、出金については記載がないため仮払金とされているが、Dノートの該当部分をみると、京都互助センターから借入金三〇億円の入金があり、それが五口に分かれて出金されたことが判明するから、Dノートを見れば、上記仮受金が、実は京都互助センターからの借入金であることが判明する、

⑦同預金通帳コピー平成元年九月一日欄では、関西コミュニティの府民信用組合本店口座への振込みとしか分からないため、仕訳モニタでは仮払金とされている部分があるが、Dノートを見れば、府民信用組合からの同年八月三〇日の借入れの返済の意味であることが判明する、

⑧同預金通帳コピー平成元年一〇月二日欄には、コスモスからの振込みと送金の記載しかないため、仕訳モニタでは仮払金とされている部分があるが、Dノートを見れば、西武ピサへの絵画代金の支払いと判明する、

⑨同預金通帳コピー平成元年一一月三〇日欄には、コスモスからの振込みと送金の記載しかないため、仕訳モニタではコスモスからの短期借入金で入金し、同日に仮払金で出金とされている部分があるが、Dノートを見れば、絵画代金と判明する、

⑩同預金通帳コピー平成二年一月三一日欄には「ソウキン」という記帳と「府/本(当)へ」としか記載がないため、仕訳モニタでは仮払金とされている部分があるが、Dノートを見れば、互助センターからの借入金三〇億円の後払利息半年分であることが判明する、

⑪通常はあり得ない期日経過後の未払手形という異例のものが決算報告書の支払手形明細にあげられているが、Dノートには当該手形が決済されたことの記載があり、RらがDノートを見ていれば、支払手形明細にこのような異例の記載をすることはなかった、

というのである。

しかし、関西コミュニティの平成二年三月期等の決算作業に際して、ケー・ビー・エス・びわ湖教育センター東京事務所にDらによってDノートが数度にわたり持ち込まれ、同社の決算仕訳作業に当たったRやUが、関西コミュニティ名義の預金通帳やそのコピー等の決算資料を見ても、出入金の内容が分らず、仕訳がうまくできないような場合には、必要に応じてDノートの記載を参照しながら、関西コミュニティの出入金についての仕訳作業を進めた事実が優に認められることについては、木下和政、D及びRの各検察官調書(第一二刑事部検甲第387号証、第389号証、第394号証、第395号証、第397号証、第429号証等)、R及びUの第一二刑事部各公判証言並びにこれによく符合する査察官調査書(第一二刑事部検甲第178号証)及び調査報告書(第一二刑事部検甲第324号証、第398号証)などの記載によって明らかであり、これに反するCの捜査段階からの弁解供述並びにD及び木下和政の第一二刑事部各公判証言は、不自然不合理で到底信用することができないものであるから、関西コミュニティの平成二年三月期の決算作業に際して、Dノートが存在し、Rらによって、これがその仕訳のために参照される形で使用されたとする原判決の認定に誤りがあるとは認められない。

以下、所論にかんがみ、当裁判所の見解を若干付加することとする(なお、所論が引用する預金通帳コピー五通(原審弁第362号証ないし第366号証)は、長期間に及んだ原審において、弁論期日とされていた第一八一回公判に至って、初めて原審弁護人による証拠請求がされて、取り調べられたものであるところ、これらの証拠としての提出経過やその内容については、Cを被告人とする控訴審第二回ないし第四回被告人質問調書(原審弁第354号証ないし第356号証)中において、Cによる一応の説明がなされているものの、これらにはかなりの部分にわたる手書きによる書込みがみられるのに、それがいつ誰によって記入されたものであるかや、その記載内容が、Rらが関西コミュニティの平成二年三月期の決算作業を行った際に使用した預金通帳あるいはそのコピーの記載状況と同一であるか否かについて、RやUによる直接的な確認が行われていない点で、その証拠価値には問題なしとはしないが、ここでは、ひとまず被告人に有利に解することとして、前記決算作業時の記載状況と同一であったことを前提として検討する。)。

まず、所論が、Dノートが決算資料として存在していたのであれば、関西コミュニティの決算段階でUが作成した「科目内訳」(原審検第2580号証添付)にはあり得ない記載があると指摘する点は、Uの第一二刑事部公判証言及びRの検察官調書(第一二刑事部検甲第429号証)などによると、Uは、関西コミュニティの決算に際しては、基本的に預金通帳の記載をもとに振替伝票を起票したこと、ただ、金額が多額に上っている部分については、コスモスの決算に計上されたものとの二重計上のおそれがあることなどから、その仕訳方につき、Rの指示を仰ぐことが多かったところ、本件三〇億円及び一〇億円の部分についても、Uは、その処理をRに仰ぎ、Rにおいても判断が付きかねたことから、Cに指示を求めたところ、同人より、一〇億円は借入金として、三〇億円は仮受金として、それぞれ処理するよう指示を受けたことから、その旨Uに指示をしたことが、いずれも認められ、これらの経緯に照らすと、Uが、「科目内訳」に前記のような記載をしたことと、同人が携わった決算作業に際して、Dノートが存在していたこととが、特に矛盾するものとまではいえない。

また、所論が指摘する①ないし④の各点についてみると、仕訳モニタ(第一二刑事部検甲398号証・仕訳No.268、No.270、No.271、No.274)及びDノート中の平成二年三月九日及び同月一六日の各該当欄には、なるほど所論に沿う記載部分がみられる。しかしながら、所論指摘にかかる①ないし④の当該日付け部分には、これらと同一日付けで収入金額の欄と支払金額の欄に、それぞれ同額の収入及び支出の記載が存しており、かつ、上記収入金額の摘要欄には、いずれも「関コミ」なる記載が存しているところ、上記収入欄の記載からすると、当該金額が関西コミュニティに入金されたのか、それとも関西コミュニティから出金されたのかが、客観的に必ずしも明確とはいえず、むしろ、関係証拠からうかがわれるDノートの性格等に照らすと、前記両日の収入金額欄の記載は、関西コミュニティからコスモスなどDの管理口座へ出金されたもの、支出金額欄の記載は、コスモスから各出金先へ支出されたものとの趣旨に、それぞれ解釈される可能性を否定できず、もし、Uによって、そのように解釈されたとすれば、関西コミュニティの仕訳モニタの摘要欄に、コスモスへの貸付けと記載されたのはむしろ当然といえること、また、いずれの読み方をされたとしてみても、平成元年三月期にコスモスで計上していた関西コミュニティに対する五〇億円余りの貸付金を、コスモスの平成二年三月期決算において、イトマンから関西コミュニティに入金された絵画代金で返済したという処理をしていたため、関西コミュニティの仕訳上は、Dノートの同日欄にある出金先の記載にかかわらず、Cの指示によって関西コミュニティからコスモスへいったん入金されたものとする方針で決算処理された可能性が考えられること(第一二刑事部検甲第429号証、Rの第一二刑事部第一〇回公判証言)、さらに、②及び④の各点のDノートにみられる絵画関係の出入金については、その仕入先から取り寄せた絵画リストに基づき、既に器具・備品としてまとめて計上していたため、あえて器具・備品として仕訳をしなかった可能性も考えられること(Uの第一二刑事部第七回、第八回公判証言)などは、概ね原判決が指摘するとおりであると認められる。しかも、②の点については、Dノートの平成二年三月九日欄には、「摘要」に「関コミ」、これに対応する「収入金額」に「150000000」の記載が二か所みられる一方、その下の「摘要」には「長尾社長 榎本絵画代金」、「コスモス貸 文局氏仮払」と記載され、それぞれの「支払金額」欄にはいずれも「150000000」という同額の記載がなされており、三和銀行梅田新道支店の預金通帳コピー平成二年三月九日欄の「150000000」が、そのいずれに対応したものかは、Cですら混乱していた旨の供述(原審弁第355号証参照)をしており、所論の指摘にもかかわらず、Dノートの記載をみれば、関西コミュニティ名義の三和銀行の預金通帳コピー平成二年三月九日欄の「150000000」が、絵画購入代金として一義的に明確であるなどとはいえないばかりか、客観的にはむしろ後者に対応したものであると認められる(原審検第2609号証、第2661号証)ことも、原判決が指摘するとおりである。してみると、関西コミュニティの平成二年三月期の決算に際して、Dノートが、Rらの手元にあったとしても、所論のような仕訳がなされずに、いずれも関西コミュニティからコスモスへの貸付けとして仕訳がされたことがなんら不自然不合理であるとは考えられない。

また、⑤ないし⑩の各点については、いずれも仕訳モニタ(仕訳No.349、No.362ないしNo.367、No.372、No.376ないしNo.379)の作成資料となった関西コミュニティ名義の相互信用金庫天六支店の普通預金通帳コピー(原審弁365号証)の当該入出金欄には、入出金の事由等が記載されており、このようなものについては、R及びUは、Dノートを参照することなく、Cの指示と預金通帳コピーの記載に従って、入金であれば仮受金ないし借入金として、出金であれば貸付金か仮払金とする方針で伝票の仕訳を行い、仕訳モニタの摘要欄にもその旨を記載したと認められることは、原判決が指摘するとおりと解されるから、所論指摘の仕訳モニタの各摘要欄に、これに対応するDノートの各記載内容から合理的に推認される具体的な入出金事由が記載されなかったとしても、なんら不自然とはいえない。これに加え、関西コミュニティにおいては、総勘定元帳、補助簿やこれに類するものがなかったのに、昭和六三年三月期から三期にわたる決算作業に際し、極めて多数の出入金の仕訳を短期間内に急いでしなければならなかった当時の状況及びこれに先立ちCからRに対して、前述したような不自然でかなり大雑把ともいえる仕訳方針の指示が出され、これがUにも伝えられていたことや、Dノートの記載が他人にとって必ずしも分かりやすくは記載されておらず、たとえ、RやUが、仕訳に際して疑問を抱いた箇所につき、これを参照したとしても、必ずしもそのすべてについて的確な情報を得られたとは考えられず、誤解や誤記等に基づく不正確な仕訳がされたり(Uも第一二刑事部第八回公判において、このようなものがあった旨証言する。)、Cに個別的な指示を仰いでこれに従ったこともあったことから、必ずしもDノートの記載に沿わない仕訳がなされたことも考えられる(さきにみたとおり、第一二刑事部検甲第429号証によれば、コスモスの平成二年三月期決算において、玉姫殿からの借入金として既に三〇億円が計上されていたため、関西コミュニティで互助センターからの三〇億円を借入金として二重に計上しにくかったという事情があり、仕訳No.362において、三〇億円が仮受金として仕訳がされたのも、Cが、Rに対して、仮受金として処理するよう指示をしたためであると認められる。)から、所論指摘の諸点は、関西コミュニティの平成二年三月期の決算作業時に、DノートがRらの手元になかったことの根拠とはなり得ず、Dノートの存在をいうRらの供述の信用性をなんら左右するものではないというべきである。

さらに、⑪の点については、なるほど、関西コミュニティの平成二年三月期の決算報告書(第一二刑事部検甲第1号証在中)の支払手形明細中には、西武百貨店や互助センター等を相手先とする支払期日経過後の支払手形の存在が記載(なお、U作成の「科目内訳」(原審検甲第2580号証添付)の記載もこれに一致している。)されており、他方、Dノートには、このうち、西武百貨店に対する支払期日を平成元年六月一六日とする額面五〇〇〇万円の手形については、平成元年六月二〇日の摘要欄に「関コミ府/本 西武百貨店6/16jump分」、支払金額欄に「50000000」との記載が、また、同百貨店に対する支払期日を平成元年八月二九日とする額面八〇〇〇万円の手形については、同年九月七日の摘要欄に「関コミ府/本 西武百貨店8/29¥8000万jumpの①/2」、支払金額欄に「40000000」と、同年九月二一日の摘要欄に「関コミ府/本 西武百貨店(最終回)」、支払金額欄に「40000000」との記載が、それぞれみられ、これらは、西武百貨店に対する二通の手形についてはその全額が支払われていることをうかがわせるから、前記決算報告書中の支払手形明細の記載は、この点で事実に反している可能性が高いものと考えられる。しかし、何故このような事実に反する記載がなされたのか、その原因は必ずしも判然とはしないところ、所論のように関西コミュニティの平成二年三月期の決算に際しDノートが手元になく、決算作業に従事した者が正確な事実を知り得なかったためとばかりとは解されず、関西コミュニティの決算作業に当たり、Rらが仕訳作業をした際、前記通帳やそのコピーを見ても出入金の内容が判明しないものについてDノートを参照して使用するにとどまったとするならば、前記支払手形明細を記載するに際して、Dノートを参照してその正確性を確認する作業まではしなかったためとみることも十分可能であるし、関西コミュニティの決算の最終段階で、貸借関係の帳尻を合わせる必要から、Cにおいて事実に反することを知りながら、あえてこのような記載を残させたとみる余地もあるから、前期支払手形明細の記載が一部不正確であるとしても、平成二年三月期の関西コミュニティの決算に際して、DノートがRらの手元にあったことを否定するような事情であるとは考えられない(なお、原判決書二七五頁六行目に「被告人」とあるのは、「C」の明らかな誤記と認める。)。

(11) C試算表の有無について

所論は、C作成にかかる試算表は、コスモスの決算作業の際には存在したが、関西コミュニティの決算作業の際には存在していなかったとし、その理由として、Cを被告人とする第一二刑事部第一〇二回公判被告人供述調書謄本(原審検第2578号証)添付の関西コミュニティの昭和六三年三月期から平成二年三月期にかけての試算表三枚(以下、原判決に倣い「本件試算表」ということにする。)中、昭和六三年三月期分及び平成元年三月期分のR手書きの試算表には、いずれもCが一部加筆しており、これらの各試算表の最終金額が関西コミニュティの確定申告書添付の決算報告書(第一二刑事部検甲第37号証、第38号証在中)の各金額と一致しており、これが決算報告書に直結する試算表であり、他方、平成二年三月期分のR手書きの試算表には、Cは全く加筆修正を加えておらず「最終」という文字を記入しただけで、この試算表の最終金額が本件申告書添付の決算報告書(第一二刑事部検甲第1号証在中)の金額と一致しており、これも決算報告書に直結する試算表であり、このようなそのまま決算報告書に使用できる「R試算表」が存在しているにもかかわらず、Cが改めて試算表を作成し、さらにこれをRに転記させる必要など全く存在しないから、本件試算表の存在こそが、この三期にわたる関西コミュニティの決算作業の過程でC試算表が存在しなかったことを示しているのに、原判決は、昭和六三年三月期については「C自らが全体を手書きしたもののみがC試算表であるとまで供述したものと考えることはできない」、平成元年三月期については「本件試算表は、Cの筆跡による「最終」という記載がまさにCによる修正を経て確定した最終の試算表であることを示すものと考えられるから、C試算表の一種と見ることもできる。」、平成二年三月期についても「Cは、平成元年三月期と同様、本件試算表を点検した上で決算を確定させたという意味で、自ら「最終」と記入したものと考えられ、これもまた、C試算表と呼んでおかしくないもの」と判示するが、検察官は、R試算表へのCの書き込みをもってC試算表と命名したのではなく、正に「C自らが全体を手書きした試算表」が存在していたという前提でそれをC試算表と命名し、その存在についてRを取り調べていたから、R供述にあるC試算表は、「C自らが全体を手書きした試算表」を指すことは明白であり、原判決は、原審弁護人の指摘する矛盾を説明できないが故に、R供述にあるC試算表の意味をねじまげている、という。

そこで検討すると、Rは、その検察官調書(第一二刑事部検甲第429号証ないし第431号証)及び第一二刑事部第九回、第一〇回公判証言中において、コスモスの決算作業の時のみならず、平成二年三月期を含む関西コミュニティの三期分の決算作業の際にも、Rが作成した各試算表にCが修正を加えて試算表を作成したことに間違いがなく、特に、関西コミュニティの平成二年三月期の決算作業の際には、最初にUに関西コミュニティの預貯金通帳写しを見てもらい、その全ての出入金について、預貯金通帳の摘要欄やDノートを参考に勘定科目を振替伝票に起票してもらった後、その仕訳内容をコンピューターに打ち込む作業を行わせ、そのデータをプリントアウトした総勘定元帳やコンピューター試算表をCに見せたところ、玉姫殿株引上げ二億五〇〇〇万円の反対仕訳等を含む修正仕訳を指示されたので、改めて修正伝票を起票した上、これをさらにコンピューターに入力し、そのデータをプリントアウトした総勘定元帳やコンピューター試算表等をもとに、Uとともに相手先毎の一覧表を作成したり、Rにおいて、同試算表や総勘定元帳に現れていない出版事業等の費用収益科目を付加して、手書きのR試算表の作成作業を行い、Cから大日堂の土地建物やその支払い保険料を関西コミュニティで付加するよう指示を受けたので、手書きのR試算表に付加するなどし、その試算表、集計表、預金通帳写し、総勘定元帳、Dノートなどの資料をCに引き渡したところ、Cは、A3判大の罫線入り用紙の左端に、R作成の試算表の各勘定科目残高を書き込んで行き、資料をもとに修正を加えて自分の試算表を作成して最終修正がなされ、その結果に基づき同期の決算報告書が作成されて、本件確定申告がなされた旨供述するところ、その供述する決算作業過程、とりわけR及びCによる各試算表の作成、その修正経過の状況説明は、非常に具体的かつ詳細であって、自己の記憶に基づいて、月別集計表、自ら作成した試算表や試算表作成経過表等を再現するなどした上、愛和メディカル関係の一〇億円等CがR作成の試算表を修正したとみられる部分までも特定して明らかにしているのであって、それ自体に高い信用性を認めることができることに加えて、Rと一緒に関西コミュニティの決算作業に従事しており、各試算表の作成を含む関西コミュニティの決算作業の状況については、Rと同様によく知り得る立場にあったと認められるUも、第一二刑事部第七回、第八回公判において、関西コミュニティの平成二年三月期の決算に際し、Rから試算表を受け取ったCが、これを基礎に自ら修正の増減を加えて行き自らの試算表を作成していた旨明確に供述し、その内容がRの前記供述に非常によく沿うものであることから、コスモスの決算時や関西コミュニティの昭和六三年三月期及び平成元年三月期のみならず、関西コミュニティの平成二年三月期の決算時に際しても、Cが、Rが作成した試算表に自ら大きな修正を加えた試算表を作成していた事実は優に認めることができ、これに反するCの弁解供述は、不自然不合理で到底信用することができないものであるから、この点に関する原判決の認定に誤りはない。

なお、所論にかんがみ、本件試算表三枚に関する主張につき、当裁判所の判断を示しておくと、本件試算表三枚の各記載状況、その各最終欄にある金額が、関西コミュニティの各決算期に対応する決算報告書の数字と一致していることなどは、なるほど所論が指摘するとおりであると認められる。しかし、Rが、捜査段階から供述している、Cに手渡す前にR自らが作成した「R試算表」とは、Rが、コンピューターから打ち出された試算表をもとに、コンピューターに入力されていない出版事業関係の数字等を含めて改めて計算し直したものを自らが全て手書きで作成したものを指していることは、その供述(第一二刑事部検甲第429号証、第430号証、Rの第一二刑事部第一〇回公判証言)の趣旨から明らかである。しかるに、本件試算表中、平成二年三月期のものは、左から四列目までがコピーされたものであり、七列目が鉛筆書きされたものであるというのであって、数箇所のわずかな書込み部分を除いて、その大半がRの筆跡によるとみられるものの、二列目の「絵画」欄及び三列目の「出版事業」欄にそれぞれ記載された数字の合計額は、四列目の「合計」欄に記載された数字と一致しているにもかかわらず、七列目にも別の「合計」欄が設けられ、そのかなりの箇所に、「絵画」欄及び「出版事業」欄の数字の合計額とは一致しない別の数字が記載されているのであって、このような「合計」欄が二つあり、「合計」欄同士の記載に大きな齟齬のある文書を、Rが、特段の事情もなく、当初から決算報告用に作成したとみることにはそもそも無理があるというべきであり、Rが最初に作成したとみられる一列目から四列目の手書き部分を含む文書の内容を検討した者が、四列目の「合計」欄の数字を修正する必要を感じて、その七列目の「合計」欄の記載のように訂正させるために、四列目までをコピーした上、改めて作成させた文書であることが、その形状と記載内容からしても合理的に推認されるというべきである。そうすると、このような一部コピー部分を含む形式の書面が、Rが、Cに見せる前に自ら手書きで作成したと供述している「R試算表」であるとはみることができず、Rが手書きで作成したとみられるコピーがなされる前の平成二年三月期の試算表は、本件試算表とは別個独立に存在していたものと認められる。したがって、本件試算表が、RがCに見せる前に作成していたと供述する「R試算表」そのものであって、これがそのまま本件決算の基礎となったという所論は前提自体に誤りがあるというべきである。

そこで、平成二年三月期の本件試算表が、本件確定申告との関係でどのような位置付けとなるかについて、さらに若干の検討を加えておくと、同試算表の左から四列目までと、七列目の「合計」欄の記載間において、器具備品勘定、借入金勘定、未払金を含む多数の項目について、異なる数字が書き込まれた箇所が目立つ上、七列目の鉛筆書きの記載部分は、本件確定申告書添付の決算報告書に使用された数字と同一であるから、最初にコピーで作成されていた四列目までの記載が、事後的に七列目が記載されることによって大幅に修正されたことが明らかであるところ、四列目までの記載は、Rが供述するように、基本的には、振替伝票に基づき入力されたデータに基づき作成されたコンピューター試算表及び佐藤雅光から送付を受けた出版事業収支明細表に基づいて作成されたものと考えられるから、それなりに客観的な根拠(関西コミュニティにおける振替伝票の一般的作成方針が正当なものであったか否かや、振替伝票作成の際、CがRに対して、絵画取引及び本件株式取引について、虚偽内容の仕訳をするよう指示していたか否かの問題はここではさておくことにする。)がある数字と考えられるのに、七列目に至る数字の修正過程は、同試算表中では全く明らかにされておらず、結論のみの数字が記載されていること、Rが、関西コミュニティの決算作業に従事していた業務内容や職務権限にかんがみると、器具備品勘定や借入金勘定等の金額を、客観的な根拠もなく、直属の上司であるCの意向とは無関係に、Rだけの判断によって、コンピューターデータや出版事業関係の資料を無視して自由に修正し得るとはにわかに考えられないこと(なお、昭和六三年三月期及び平成元年三月期の本件試算表については、複数人による筆跡がみられ、Rが作成したものにCが自らさらに数字を書き込んだこと及び平成元年三月期分については、さらに「最終」と上部に記載したことは、C自身が、第一二刑事部一〇二回公判被告人供述調書謄本(原審検第2578号証)中で認めるところである。)、Cは、関西コミュニティの絵画期末残高については、昭和六三年三月期を二〇億円位、平成元年三月期を五〇億円位、平成二年三月期を一〇〇億円位と想定して決算する方針をとった旨捜査段階から供述するとともに、この想定に客観的な根拠がないことは認めているところ、本件試算表の器具備品勘定欄は、昭和六三年三月期が、約三〇億円から約二一億円に、平成元年三月期が約一九億円から約五八億円に、平成二年三月期が約五五億円から約九八億円に、それぞれCが想定したとする数字と非常に近い数字に修正されていて、この修正にはCの強い意向が反映されたことが明らかであること、平成二年三月期の本件試算表は、その他にも、貸付金が約一〇四億円から約三億四〇〇〇万円に、長期借入金が約一八三億円から約九四億円へと、四列目から七列目に至るまでに大幅に減額され、四列目までに記載されていた約六七億円の仮払金、約四八億円の仮受金、約二億九〇〇〇万円の支払利息は、いずれも全て七列目においては、すべて除外されて空欄とされる一方で、記載のなかった土地建物造作、保険料が新たに書き加えられるなどしており、その修正中には、前記のようにそれなりに根拠のあるとみられる二列目から四列目記載の数字をほとんど無視あるいはないがしろにしたとしか考えられないほどの根本的な大改変が加えられていて、しかも、決算報告書中の貸借対照表等作成の必要上、貸借のバランスを取った数字が最終的に記載される必要があり、実際に七列目には、そのバランスを取ったとみられる数字が記載されているのに、その修正経過については全く明らかにされておらず、結論部分のみが七列目にいきなり記載されていること、その修正中には、本件確定申告書添付の決算報告書との対比から判明するように、大日堂の土地建物造作の取得に関わるものや、愛和メディカルからの借入金の計上など、当該取引の事情を知っていたとみられるCの強い意向が働いたことがうかがえるものもあること、Cは、勘違いをしていたと弁解するものの、第一二刑事部におけるU及びRらの証人尋問に先立って、当時の吉永弁護人に対して、R作成の平成二年三月期の試算表に当初は計上されていた二億九〇〇〇万円余りの支払利息を計上するのを止めたことなど、自らが三点に渡ってR試算表に修正を加えた旨説明していたことを認めており(原審検第2578号証参照)、同弁護人もこのようなCの説明に基づいて、U及びRに対する反対尋問を行っていることが認められる(Rの第一二刑事部第八回証人尋問調書、Rの同第一三回公判証人尋問調書等)ところ、これらの修正点が、本件試算表の七列目の修正内容によく沿うものであること、さらに、同試算表の上部には、Cの筆跡によって「最終」の文字を丸印で囲んだ記載が存在しており、その記載自体からみても、Cにおいて、七列目の「合計」欄の記載部分を含む内容を確認し、これを確定申告を行う前提となる決算の最終的な数字とする意思を書面上明らかにしたものと認められることなどの諸事実を総合すると、コンピューターデータに基づき印刷された試算表をもとに、Rによって全体が手書きされた最初の「R試算表」が作成されてから、コピー部分を含む平成二年三月期の本件試算表が作成されるまでの間に、その七列目で修正された数字の算出経過や全体の貸借関係のバランスを取る根拠となった記載のある別の試算表(これがR供述にみられる本来の意味でのC試算表であった可能性も認められる。)が存在し、その中でC自身による増減操作が行われ、同試算表七列目の「合計」欄のような数字が出てくるまで様々な修正が加えられ、本件試算表については、そこからRがCの指示を受けるなどしてその七列目の数字を転記したものに、Cが最終的なチェツクを加えて、その上部に「最終」と書き込むことによって、本件確定申告に使用する決算報告書に記載する数字を確定させたことが推認できるから、同試算表は、やはりCの意思によって作成されたものとみることができ、これと同様の結論をとる原判決の認定に誤りがあるとは認められない。なお、所論は、R供述にあるC試算表は、「C自らが全体を手書きした試算表」を指すことは明白なのに、原判決が、C試算表の意味をねじまげていると批判するが、C試算表が、所論のいうような形式の試算表のみであると明確に限定した供述は、Rの各検察官調書及び第一二刑事部公判証言のいずれをとっても見当たらないから、本件試算表をC試算表と呼んだとしてもR供述と矛盾するものではないとした原判決の判断に誤りがあるとはいえない。

(12) 虚偽申告の必要性について

所論は、平成元年四月一日から始まる会計年度においては、コスモスから関西コミュニティに対する貸付残高は一〇〇億円近く存在し、その支払利息は六億四〇〇〇万円が計上できたから、もし、Cらにおいて、本件株式取引が売買であると認識していたなら、株式売却益を上回る額の支払利息を損金として計上するという適法な節税方法を選択できたところ、本件において、そのような節税方法を選択しなかったのは、Cが、株式売却益が出ているとの認識を持たず、真実借入金であると認識していたからに外ならないのであり、この点、原判決が、上記のような損金処理をすれば、「かえって株式譲渡益よりもはるかに巨額の絵画譲渡益に対する税務調査の端緒を与えてしまうことになりかねない」「本件申告において、絵画譲渡益をいかにして秘匿するかに重点が置かれていたとすれば、Cが株式譲渡益が発生していることを認識しながら、本件で現に採られている方法を選択したとしても、なんら不自然ではない」と説示しているけれども、本件絵画取引は融資であって、それによって売却益は生じておらず、Cもそのように認識していたのであり、また、現に、コスモスの確定申告書においても、コスモスから関西コミュニティへの貸付金の処理が行われ、その返済処理もなされているのであるから、原判決の上記説示は誤っている、という。

なるほど、Cは、捜査段階(第一二刑事部検乙第35号証・同意部分)から、第一二刑事部公判(第九二回等)に至るまで、所論に沿う供述をしていることが認められる。しかし、コスモスから関西コミュニティに対しては、平成二年三月期中に、一時的に約一〇〇億円の貸付けがあったとする所論は、Cの検察官調書(第一二刑事部検乙第33号証、第35号証・同意部分)や第一二刑事部第九二回、第一〇二回(原審検第2578号証)供述等によっているところ、その根拠は、前述したようにC自身が、関西コミュニティにおける昭和六三年三月期末から平成二年三月期末までの三期末の絵画等美術品の金額を、それぞれ二〇億円位、五〇億円位、一〇〇億円位と勝手に「想定」し、これに見合う借入金を関西コミュニティのコスモスからの(長期)借入金として計上しようとしたことに基づいている(本件試算表においても、この「想定」に基づく各修正が、「器具・備品」欄に施されていることは前述したとおりであり、その金額に近い数字が最終的に記入された「長期借入金」欄の各修正も、これに概略対応していると考えられる。)ことが明らかであり、所論の前提自体が、かなり不確かなものといわざるを得ない上、所論が、平成二年三月期末決算で支払利息として六億四〇〇〇万円余りを計上できたはずであるとする算定根拠は、期中の借入金の増加割合がほぼ同じで期首から期末まで一直線に増加すると考えて、期中に増加した借入金の半額に対する金利を計算することによって、ほぼ期中に増加した借入金に対する金利を計算できたと考える(第一二刑事部検乙第35号証・同意部分参照)というのであって、その算定方法自体も、貸借取引と利払いの実態にそぐわないかなり観念的かつ便宜的なものといわざるを得ないし、この点をさておくとしても、コスモスに対する支払利息を損金として計上する方法も、本件において、現に採られた、支払利息を絵画の取得原価に算入する方法も、会計処理上は理論的に可能な方法であると考えられ、いずれの方法が、関西コミュニティにとって有利であるとも合理的であるともいえないこと、コスモスに対する関西コミュニティの借入金の支払利息を損金として計上するという弁護人指摘の方法を採用すると、これとの対応で、同社のイトマンに対する借入金の支払利息をも損金として計上する必要が出てきて、株式譲渡益よりもはるかに巨額の絵画譲渡益に対する税務調査の端緒を与える可能性が認められることなどは、原判決が、説示するとおりであると認められる。この点、所論は、本件絵画取引が融資であることを前提として、原判決の説示を論難するけれども、Cは、本件絵画取引は、売買であって、これにより関西コミュニティに売却益が生じたことを認識していたことは前述したとおりである。そして、税務当局の強い指導によって、本件確定申告がなされる約三か月前である平成二年六月に、コスモス及び株式会社トラストサービスの修正申告を余儀なくされていたCが、所論指摘の方法をとれば、関西コミュニティについても、絵画取引に関する税務調査の端緒を与える懸念を抱いていた可能性が十分にあったと認められる(なお、Cは、その検察官調書(第一二刑事部検乙第33号証)中において、平成元年三月期のコスモスの決算に絵画等を計上せず、関西コミュニティに計上し、コスモスから関西コミュニティに対する貸付金を計上することにした理由の一つとして、コスモスに税務調査をしようとしている税務署に調査の材料を提供するのを避けたかったことを挙げており、関西コミュニティの決算に際しても、Cが税務当局の動向をかなり警戒してその処理をしていたことが推認できる。)し、コスモスの確定申告書において、コスモスから関西コミュニティへの貸付金の処理及びその返済処理がなされていることをいう点についても、関西コミュニティの確定申告書中において、同社とコスモスとの関係をできるだけ目立たないようにするため、コスモスに対する借入金の支払利息を関西コミュニティの損金として計上しない方針をCが採ったとしても、それ自体はなんら不合理なこととはいえないし、かえって、Cらが、本件絵画取引については、その利益に巨額の課税をされることを恐れて、取引名目を借入れであると偽ったとするならば、本件株式取引についても、これが真実は売買であるのに、絵画取引と全く同様に、取引名目を借入れと偽る方法で課税を免れようとしたことは、その手口の類似性、犯行の容易性(所論のような細かな計算をすることによって他の節税方法をとることができるか否かを探ることは一切不要である。)に照らして首肯できるものであり、なんら異とするに足りないから、原判決の説示に対する所論の批判は失当である。

第6  控訴趣意中、量刑不当の論旨について

所論は、要するに、被告人を懲役七年六月及び罰金五億円に処した原判決の量刑は、重すぎて不当である、というのである。

そこで検討すると、本件は、(1)関西コミュニティ外二社の実質的な経営者であった被告人が、イトマンの企画監理本部長(理事ないし常務取締役)及びエムアイギャラリーの代表取締役の甲野一郎、イトマン代表取締役名古屋支店長及びエムアイギャラリーの代表取締役の乙川二郎と共謀の上、①甲野及び乙川においては、イトマンにおける各任務に背き、被告人及び甲野の利益を図り、同社に損害を加えることを認識認容しながら、平成二年二月二二日ころから同年八月末ころまでの間、前後一二回にわたり、イトマン大阪本社等において、百貨店の店頭表示価格約二四二億四〇〇〇万円相当の絵画等合計一八六点につき、イトマンが関西コミュニティ等三社からこれを買い受けるに当たり、同社等の申出売買代金価格が著しく不当に高額であることを認識しながら、その申出金額のままの合計四七二億〇四一〇万円で買い取り、同年二月二三日から同年九月四日までの間、前後一八回にわたり、イトマンから関西コミュニティ等三社に、現金合計三二五億八〇〇〇万円及びイトマン振出の約束手形二一通(額面合計一三九億七四一〇万円)によりその代金の支払いをさせ、イトマンに約二二三億一〇〇〇万円相当の財産上の損害を加え、②甲野及び乙川においては、エムアイギャラリーにおける各任務に背き、被告人及び甲野の利益を図り、同社に損害を加えることを認識認容しながら、同年七月二六日ころ、イトマン大阪本社等において、百貨店の店頭表示価格約二二億六〇〇〇万円相当の絵画合計二五点につき、エムアイギャラリーが関西新聞社からこれを買い受けるに当たり、同社が申し出た売買代金価格が著しく不当に高額であることを認識しながら、その申出金額のままの合計六三億円で買い取り、同月三一日、同社の預金口座に現金六三億円を振込送金させ、エムアイギャラリーに約四〇億四〇〇〇万円相当の財産上の損害を加えた、(2)さつま観光の実質上の経営者であった被告人が、イトマン代表取締役社長の丙田三郎、同社理事・企画監理本部長の甲野一郎、同社代表取締役名古屋支店長・名古屋開発本部長の乙川二郎と共謀の上、丙田、甲野及び乙川において、それぞれその任務に背き、被告人及び自己らの利益を図り、イトマンに損害を加えることを認識認容しながら、被告人が野田産業株式を大量に取得するための資金等を捻出するため、同年四月上旬ころ、イトマンにおいてさつま観光に対し開発途上のさつまゴルフ場の開発工事資金名目で二〇〇億円を融資するにつき、その徴求する担保だけでは大幅な担保不足が生じることが明らかなのに、その融資債権の回収を保全するに足るその余の確実な担保徴求等の措置を講じることなく、同年四月一一日から同年五月八日まで、三回にわたり、合計一二四億円をV名義の預金口座に、また、同年四月一七日、さつま観光名義の預金口座に二六億円を、イトマン名古屋支店名義の預金口座からそれぞれ振込入金したほか、同月二六日、イトマン東京本社において、甲野が、被告人配下のCに対し、小切手三通(金額合計五〇億円)を交付することによって前記二〇〇億円の貸付けを実行し、当該債権の回収を著しく困難にさせて、イトマンに対し、前記融資金二〇〇億円と企画料等の名目で直ちに返還を受けた前記小切手三通及び担保株券の担保評価額の合計約一〇四億円との差額約九六億円相当の財産上の損害を加えた、(3)関西コミュニティの実質的経営者で、同社を含むCTCグループを率いていた被告人が、同グループ幹部で、関西コミュニティを含む同グループ内の多数の会社の税務申告等の事務取りまとめをしていたC及びその部下のRと共謀の上、関西コミュニティにおける平成二年三月期における実際の所得金額が七六億五四四七万二九〇三円で、その法人税額が三〇億六〇八八万二七〇〇円であるのに、同社がイトマンに絵画を売却した代金及びセレマに互助センター等の株式を売却した代金につき、いずれも相手方側からの借入金であると仮装して計上するなどの行為により、絵画及び株式の売却に係る所得の全部を秘匿した上、申告期限を経過した同年九月二一日、所轄北税務署において、同税務署長に対し、同事業年度の欠損金額が二九五五万七四八九円で、これに対する法人税が零円である旨の内容虚偽の法人税確定申告書を提出し、不正の行為により、同期の法人税三〇億六〇八八万二七〇〇円を免れた、という商法違反(特別背任)及び法人税法違反の各事案である。

本件各犯行の罪質、動機、態様及び結果、被告人の果たした役割等、量刑に関わる事情について、原判決が、(量刑の理由)の項において認定説示するところは、原審で取調べ済みの関係証拠により、優に認めることができ、当裁判所としてもこれを正当なものとして是認することができる。以下、所論にかんがみ、当審における証拠調べの結果をも踏まえて、当裁判所の見解を若干補足することとする。

まず、絵画事件及びさつま事件の各犯行は、被告人が、資金不足の状態にある自己あるいはグループ企業の資金需要を満たすとともに、甲野らの個人的な利益を図る目的から、イトマン側に対して多額の損害を与えることを全く意に介することなくこれを認容して行ったものであり、強い利欲に基づく動機は、誠に身勝手なものであって、全く酌むべきものが認められない。犯行態様をみても、絵画事件については、被告人の経営を引き継ぐ形で雅叙園観光の経営立て直しに従事し、自己と密接な資金融通関係にあった甲野が、イトマン社長の丙田に取り入って、甲野の経営する会社の各種プロジェクトを提供してイトマンから巨額の融資金を引き出すとともに、イトマンの企画監理本部長に就任して、同社内で大きな権限や発言力を有しているのを知り、イトマンの決算対策のために、みせかけの利益を計上することによって同社に対する住友銀行(当時)の影響力を弱めようと自己保身に汲々としていた丙田あるいはその強い意向に従って行動していた甲野及び乙川の意図をも見透かして、甲野らがイトマンに対する重大な任務違背行為に出ようとしているのを、自己の都合のいいように利用して、同社から巨額の資金を引き出そうと企て、従前から自己が保有していた絵画のみならず、デパート、画廊、個人等から、価格に糸目をつけずに買いあさった多数の絵画、美術品を、その入手価格や適正な販売価格を遙かに超え、時には暴利とさえもいえるような巨額の利益を上乗せした非常識な価格で、自己の要求するがままに、約半年間に一三回にもわたって、イトマン側をして二一一点もの絵画等を次々と購入させ、この間これにより引き出した資金を利用してさらに絵画を仕入れてイトマン側に売りつけ、巨額の資金を流出させた同社側の経済的犠牲において、易々と莫大な利益を上げて、自己のグループ企業の資金繰りなどに費消しているのであり、その過程においては、イトマンの監査対策用に、同社側に納入した絵画等の価格が適正なものであることを仮装する目的で、親しい関係にある有名百貨店の外商係に依頼して、不当に高額の評価額が記載された同店名義の鑑定評価書多数をねつ造させて、これをイトマン側に提出したり、絵画取引の過程で、イトマン側の資金繰りが次第に逼迫してきているのを知るや、同社側に融資先を紹介し、その融資が得られると知るや即座に絵画取引を持ちかけて、その融資金の中から絵画代金の支払いをさせ、さらには被告人が持ちかけた巨額の絵画取引の代金を支払うために、一流商社の取引としては異例ともいえる巨額の約束手形を発行せざるを得ないような状況に追い込んでまで、同社側から思いのまま貪欲に資金を引き出し続けているのであり、正に目的のためには手段を選ばず、イトマンを食い物にした執拗かつ巧妙で悪質な犯行といえる。また、さつま事件についてみても、被告人側において、返済するための確実なめどがなく、かつ融資額に見合う確実な担保を提供することができないような状態にあるのに、被告人において、融資の受け皿会社等として利用可能な上場会社の支配株を購入する目的で、そのための資金の融資をイトマンに申し込み、この要請を受けた同社側からの決算対策用の名目的な利益出しの要望にいともたやすく乗る形で、担保余力の全くないゴルフ場用地に対する後順位根抵当権登記の設定や担保評価額が融資額にはるかに満たない株式の差入れ等の約束と引き替えに、被告人が支配するさつま観光に対し、その使途とはおよそ相容れないゴルフ場開発資金という名目で、二〇〇億円(実質額は一五〇億円)もの巨額の融資をさせ、自ら多額の金融の利益を得るとともに、融資金の中から実態の伴わない企画料を含む五〇億円もの支払いに応じて、丙田らの利益をも図ったもので、計画的で悪質な犯行である。もとより被告人は、これらの特別背任罪における「使用人」の身分を有するものではなかったが、イトマンの幹部である甲野らに言葉巧みに働きかけるなどして、経営状態が悪化していたイトマンを自己の思い通りに手玉に取って、各犯行を狡猾に遂行したものであって、被告人が、本件各商法違反事件において、重要かつ不可欠の役割を果たしたのみならず、最も大きな経済的利益を受けていることは明らかで、その実質的刑責は、イトマンに対する重大な責務を有していた共犯者のそれに匹敵するか、これを凌駕するものすらあるというべきである。両事件によってイトマン側に与えた損害額は、合計約三五九億五〇〇〇万円というこの種事犯としては容易に類例をみないほどの巨額に上っており、事件後債権の回収に務めたイトマン側が、両事件において、被告人側から回収することができたのは、わずか一〇億円余りにとどまっている上、絵画取引については、その取引の実態が著しく不明朗であることや、イトマン振出の約束手形が街金融に流れたという報道がなされて、同社の社会的信用までをも大きく損なわせ、本件商法違反事件を含む一連の事件によりイトマンが巨額の損害を蒙ったことなどから、同社はその経営基盤が揺らぎ、非上場会社である住金物産に吸収合併されて、永い歴史を有していた老舗商社が消滅するに至ったもので、本件の影響や結果は、極めて重大である。

なお、所論は、原判決の商法違反事件に関する量刑の説示について、①同事件が「社会の耳目を集めた」こと、すなわちその社会的影響を全て被告人の不利益に解しているのは不当であり、バブル崩壊という社会現象の中での象徴的な事件として取り上げたのはもっぱらマスコミである、②被告人が、丙田、甲野らの「任務違背行為を利用した」というが、もともと丙田、甲野らの犯行を誘発したわけではなく、丙田、甲野らは独自に本件犯行を行っており、被告人はこれに利用されたという面を否定できない、③巧妙、執拗といわれる点については、むしろ被告人が賢明で熱心な企業人であったことを意味しており、一連の経済取引が繰り返されているのは相手との相互関係の中で生じているのであって、犯行の執拗さとは関係がない、④損害額の大きさは、被告人自身の利得額とは無関係であり、イトマンの消滅はもっぱら経営陣の責任であって、被告人と全く関係がない、⑤原判決は、被告人が「自己の欲望を満たした」というがそのような証拠はなく、被告人には旺盛な「事業欲」があったにすぎない、という。

しかし、①の点については、本件商法違反の各犯行が社会に与えた影響は、その罪質、手口、規模等に深く根差したものであって、単にバブル崩壊との関連でマスコミにより大きく報道されたことのみによって生じたものではないから、所論の批判は当たらない。②の点については、原判決は、被告人が、丙田、甲野らの犯行を一方的に誘発したと認定しているのではなく、被告人と丙田、甲野らが、相互に利用し合う関係にあったとみている趣意であると解せられるから、所論は原判決の説示を正解していない。③の点については、本件商法違反事件の犯行態様が、巧妙、執拗とみられることについては、原判決が説示するとおりであると認められ、被告人の企業人としての姿勢や甲野ら共犯者との相互関係等によってこれがなんら正当化されるものではない。④の点については、イトマン側の損害額の大きさは、その反面において被告人の利得の大きさに結びつくから、両者に密接な関係があるといえる上、本件商法違反事件によって受けたイトマンの経済的打撃と信用失墜の影響が同社の消滅と関わりを有していることは明らかで、当然ながら被告人にもその責任があるというべきである。⑤の点については、商法違反事件における被告人の犯行動機は、被告人がワンマン体制をとってきた自己のグループ企業等の資金需要を満たすことにあったことが認められるから、対イトマンとの関係において、本件各犯行を被告人が自己の欲望を満たすために行った旨原判決が表現したことになんら誤りはない。

次に、税法事件は、被告人が、関西コミユニテイの平成二年三月期の法人税確定申告を行うに当たり、イトマン側に対する絵画譲渡益七一億円余り及びセレマに対する株式譲渡益五億六〇〇〇万円の全額を秘匿し、同期の法人税約三〇億円をほ脱したというものであって、ほ脱額が極めて巨額であり、ほ脱率は一〇〇パーセントに及んでいるのであり、我が国の課税権を著しく侵害するとともに、納税に関する国民や法人企業の公平感を大きく阻害し、国家の財政基盤を揺るがしかねない重大な犯行といえる。犯行態様についてみても、絵画及び株式の売却代金をすべて借入金として計上処理し、その所得全額に対する課税を免れるという計画的かつ大胆で悪質なものである。被告人は、関西コミユニテイの実質的経営者として、自らの差配で、イトマン側との絵画取引を継続的に行っており、その実態や収益状況等については知悉していたほか、部下に指示して本件株式取引を行わせ、これらの取引によって得た利益を自己のグループ企業の資金繰り等に使用させていた上、本件確定申告に際しては、Cに指示を与えて、両取引とも借入れであると仮装して計上させたもので、グループ企業内において圧倒的な実権を有し、部下を意のままに従わせていた被告人は、正に本件の首謀者であり、その犯行に果たした役割には決定的なものがあり、被告人の刑責は共犯者間で最も重いといわざるを得ない。しかも、本件同様の不正な決算手法は、それ以前から被告人のグループ企業において、日常的に反復継続されてきたものと認められ、本件は、このような著しく不健全な企業体質に胚胎した常習的な犯行の一環といえる。被告人の納税意識が極めて希薄であることは、関西コミユニテイの設立届や同社を含むグループ企業の確定申告期限をないがしろにしていたことや、税務署側からの強い指導を受けても、これに従ってグループ企業の修正申告になかなか応じようとはしなかったことからもうかがえる。しかも、被告人は、本件確定申告後においても、本件各取引が、あくまで融資を受けたにすぎないと部下を含む関係者を集めた席で強弁してグループ内の引き締めを図ったり、甲野やEに対しては、自らの虚偽の主張を支える証拠とすべく、その要求内容に従った説明書類を作成させるなどして、罪証隠滅工作を図っているのであって、この点でも、悪質といわざるを得ず、被告人の法規範軽視の態度は明らかである。

なお、所論は、原判決の税法事件に関する量刑の説示について、①被告人は、税務申告について、Cらにまかせきりにしており、なんら具体的な指示はしておらず、その関与の程度は薄い、②所得全額を秘匿したことが「大胆」というが、決算方法等の考え方において誤りがあったというにすぎない、③原判決のように被告人のグループ企業における過去の「不正な決算手法」を本件の量刑に考慮するのは相当ではない、④被告人に納税意識が乏しいというのは事実に反しており、本件でも修正申告に応じていることを考えれば、罰金額五億円は他の事件との均衡を害しており過重である、という。

しかし、①の点については、被告人がCに対して、本件絵画及び株式の各取引をいずれも借入れとして計上するよう直接指示を与えていたことは明らかで、その関与の程度が薄いなどとは到底いえない。②の点については、本件では、明らかに脱税することを意図して、虚偽内容の決算が組まれて、確定申告が行われており、単に、決算方法等の考え方の違いに帰着するような問題ではない。③の点については、原判決は、被告人グループ企業において、過去に不正な決算手法が採られていたことをことさら取り上げて、被告人を重く処罰しているものではなく、本件法人税法違反の常習性等を示す背景事情としてこれを取り上げていることはその判文から明らかである。④の点については、本件にみられる計画的で大胆な犯行手口や本件に至るまでの間に被告人関係グループ企業で採られていた不正な決算手法等に照らすと、原判決が被告人に納税意識が乏しいと指摘したことに誤りはなく、被告人がグループ各社の修正申告に応じたことも、税務署側の強い指導を受けたことや、刑事告発等の不利益を免れる意図に出たことによるものと推認される上、平成三年二月五日になされた関西コミュニティの平成二年三月期の修正申告も、本件各取引の実態に即した修正がなされたものではなく、その不自然な修正内容からみても、刑事告発や重加算税の支払いなどを免れる意図からなされたことが容易に推認できるから、本件の罰金額の算定に当たり、この点を特に有利に斟酌すべき事情とみることはできない。

以上に指摘した諸点に加えて、被告人は、すべての犯行について、捜査段階から原審及び当審における審理を通じて、自己の責任を頑強に否認し続け、時には牽強付会とさえいえるような不自然かつ不合理な弁解に終始し、捜査段階では認めていたCに対する本件確定申告の指示など、犯行の前提となる事実さえも公判の途中から翻して、さらに弁解を重ね、全く反省や改悛の情を示そうとはしていない。しかも、原審の保釈中に、公判期日に出頭せずにそのまま逃亡して、公判手続すらもないがしろにし、約二年間にわたって本件審理の中断を余儀なくさせ、関係者の協力によって長期を要しながらも着実に審理を続けてきた本件の裁判を一層遅らせることによって、旧弁護人らを含む関係者にも多大の迷惑を及ぼしているのであって、このような被告人の法規範を無視した挑戦的な態度は、とりわけ強い非難を免れない(なお、所論は、被告人の保釈中の逃走が、生命への具体的危険が現存した緊急避難的なものであるというが、当時、公判出席ができないほどの具体的危険が被告人に差し迫っていたような事情があったとはうかがわれないし、仮に、被告人がなんらかの危険を感じるような事情があったとしても、逃走以外に他に採るべき手段方法があったことは明らかであるから、この点がいささかも被告人の逃走を正当化するようなものとはいえない。)以上に照らすと、本件の犯情は、誠に芳しくなく、被告人の刑責は重大であるといわざるを得ない。

そうすると、さつま事件については、融資名目や最終的融資額、徴求する担保の種類、企画料及び利息の前取り等の諸点については、イトマン側から被告人に対する働きかけがみられ、被告人が、イトマン側のこのような要望に応じる形で融資話が進められたという経緯があること、被告人には、昭和四三年から昭和五七年にかけて、暴行、傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反の各罪により五回罰金刑に、昭和五八年に道路交通法違反の罪により、懲役二月、執行猶予一年に処せられた各前科があるにとどまり、これまで服役をした経験はないこと、当審証人となったW及び被告人の二女が、そろって被告人の早期社会復帰を求める旨の証言をしていること、その他在日韓国人二世としての被告人の生育歴やこれまでの事業歴、家族関係など、被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても、原判決の前記量刑は、その懲役刑の刑期及び罰金額のいずれの点についてみても、相当なものというべきであり、これが重すぎて不当であるとは認められない。

第7  結論

以上のとおりであって、各論旨はいずれも理由がないから、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を適用して、当審における未決勾留日数中七〇日を原判決の懲役刑に算入することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・那須彰、裁判官・樋口裕晃、裁判官・河原俊也)

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