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大阪高等裁判所 平成13年(ネ)3928号 判決 2002年11月15日

控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

安黒治

他1名

上記二名訴訟代理人弁護士

宿敏幸

被控訴人兼附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)

平田拓雄

他2名

上記三名訴訟代理人弁護士

向田誠宏

国枝俊宏

主文

一  控訴人らの控訴に基づき、原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。

二  上記取消部分にかかる被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  被控訴人らの附帯控訴により当審で拡張された請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求める裁判

一  控訴人ら

主文と同旨

二  被控訴人ら

(1)  本件控訴を棄却する(ただし、被控訴人泉谷紀子は、当審において、差し止め請求の訴えを取り下げた。)。

(附帯控訴の趣旨)

(2)  控訴人らは、連帯して、被控訴人平田拓雄、同大上實に対し、それぞれ一〇万円及びこれに対する平成一四年二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(3)  控訴人らは、連帯して、被控訴人泉谷紀子に対し、六万円及びこれに対する平成一三年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  事案の概要は、当審における主張を後記二のとおり付加するほかは、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決三頁二二行目の「原告」を「被控訴人ら」と、同四頁一一行目の「被告」を「控訴人ら」とそれぞれ改める。)。

二  当審における主張

(1)  控訴人ら

① 臭気濃度は臭気物質の濃度であり、排出口における臭気濃度が神戸市の規制基準の約三倍弱であるとしても、人間の感覚に似せた臭気指数にすると、一・一五倍になっているに過ぎない。

② 排出口における臭気濃度が規制基準を上回っているとしても、本件では、一階の排気ダクト内で採取していて、三階の屋根の上の排出口までに濃度は落ちているし、屋根の上の排出口は被控訴人ら宅とは反対側を向いていて、臭気は拡散される。実際に被控訴人ら宅の敷地内では、臭気濃度は、規制基準をずっと下まわっている。

③ 本件焼き鳥店では、二台のグリルが満杯になることはほとんどない。

④ よって、本件臭気は、被控訴人らの受忍限度を超えていない。

(2)  被控訴人ら

① 控訴人らは、臭気濃度と臭気指数の関係を主張するが、臭気の感覚量からいえば、〇・一五の差が非常に大きい。

② 神戸市悪臭防止暫定指導細目(以下「神戸市指針」という。)の規制基準は、低濃度多成分の複合臭気は敷地境界での測定が非常に困難あるいは不可能であることを考慮して、敷地境界での規制基準と発生源の規制基準が実質的に同質のものとして設定されている。本件臭気の受忍限度となる発生源での臭気指数は二五~二七であると考えられるが、神戸市指針の発生源での臭気濃度六〇〇、臭気指数二七・八を超える場合には、短時間であっても、受忍限度を超えるといえる。

③ 本件臭気の成分はほとんどが空気より比重が重く、高さ九・九五五メートルでは拡散が十分でないことが明らかである。また、排気ダクト内と排出口の臭気濃度は同一である。

④ 控訴人らは、現在も、有効な臭気対策措置をとらず、臭気濃度六〇〇以上の臭気を発生させている。そのため、被控訴人らは、平成一三年四月以降も被害を受けている。その精神的苦痛に対する慰謝料は、一か月一万円が相当である。

⑤ よって、被控訴人らは、当審において請求を拡張し、控訴人らに対し、連帯して、不法行為に基づく損害賠償として、被控訴人平田拓雄及び同大上實については、それぞれ平成一三年四月一日から平成一四年一月末日までの一〇か月間の損害合計一〇万円及びこれに対する不法行為の後である平成一四年二月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、被控訴人泉谷紀子については、平成一三年四月一日から同年九月末日までの六か月間の損害合計六万円及びこれに対する不法行為の後である平成一三年一〇月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

なお、被控訴人泉谷紀子は、平成一三年一〇月一日、転居したので、当審において、差し止め請求の訴えを取り下げた。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所は、被控訴人らの本件請求はいずれも理由がないものと判断する。その理由は以下のとおりである。

二  引用にかかる争いのない事実等と《証拠省略》を総合すると以下の事実が認められる。

(1)  本件焼き鳥店の構造及び同店と被控訴人ら宅との位置関係

① 控訴人安黒治は、訴外株式会社アート・ホームズが所有する原判決別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の一階の南側を賃借して、平成一〇年三月下旬、控訴人ダイキチシステム株式会社のフランチャイズチェーン店として「大吉新多聞店」(本件焼き鳥店)を開店し、営業している。

② 本件焼き鳥店は、面積が七・六五メートル×約四メートルで、カウンター席に約一〇名、テーブル席に約一〇名の客が入ることができる。営業時間は午後五時ころから午前〇時ころまでである。

本件焼き鳥店のカウンター席の向かい側に二台の焼き鳥用のグリルが設置されていて、一つのグリルで約一八本の焼き鳥を同時に焼くことができる。同グリルの真上の天井部分には排気ファンと油分を除去するためのフィルターがついた集気口が備え付けられていて、同集気口から延びた排気ダクトは壁を突き抜けて外に出ている。

③ 被控訴人らの居宅(被控訴人泉谷紀子については、転居前の居宅)及び本件焼き鳥店は、神戸市垂水区の住宅地(第二種住居地域)の中にあり、本件焼き鳥店と被控訴人ら居宅との位置関係は、原判決別紙図面記載のとおりであり、被控訴人ら宅の敷地は、いずれも、本件焼き鳥店の敷地とは接していない。

被控訴人平田拓雄(以下「被控訴人平田」という。)の居宅は、本件焼き鳥店の西側の隣接建物を挟んで西側に位置していて、窓などの主な開口部は南向きであり、敷地の南側は庭になっている。被控訴人泉谷紀子(以下「被控訴人泉谷」という。)の居宅は、被控訴人平田宅の西側に隣接している。被控訴人大上實(以下「被控訴人大上」という。)の居宅は、本件焼き鳥店の南側の隣接建物の西側、被控訴人平田宅の南側に隣接していて、窓などの主な開口部は南向きである。

(2)  交渉の経緯

① 本件焼き鳥店開店後、被控訴人らと同店の南側に隣接する居宅に居住する住民から、控訴人らに対し、本件臭気被害についての苦情と臭気対策をするようにとの要求があった。

② そこで、控訴人らは、一階の店舗の壁を突き抜けたところで終わっていた排気ダクトを本件建物の屋上部分まで延長することとし、建物所有者の同意を得た上で、平成一〇年七月下旬、排気ダクトを本件建物の壁をつたわせて三階の屋根の上まで延長する工事をした。

その結果、現状では、排気ダクトの排気口は、地表から高さ約九・九五五メートルの位置にあり、屋根の稜線を越えて、被控訴人ら宅と反対側の東向きになっている。

③ その後、本件焼き鳥店の南側に隣接する居宅の居住者からの苦情はなくなり、被控訴人ら宅における臭気の程度も、従前よりは改善された。

しかし、被控訴人らは、風が弱いときなどは、本件臭気がひどいときがあるとして、平成一一年四月ころ、控訴人らに対し、さらに有効な臭気対策を採ることを求めて調停を申し立てたが、控訴人らが、これ以上の対策はとれないとしてこれに応じなかったため、平成一一年七月、本件訴えを提起した。

(3)  本件鑑定の結果

① 本件鑑定は、本件焼き鳥店から発生した臭気について、悪臭防止法の特定悪臭物質である硫化水素、メチルメルカプタン、硫化メチル、二硫化メチル、アセトアルデヒド、プロピオンアルデヒドの六項目の物質を測定・分析するとともに、本件臭気が神戸市指針の規制基準以下であるか否かについて、三点比較式臭袋法により臭気濃度を測定し、臭気指数を算定したものである。

② 悪臭防止法は、工場その他の事業場から発する悪臭について必要な規制を行い、悪臭問題の早急な改善とその防止対策の徹底を期することにより、生活環境を保全し、国民の健康の保護に資することを目的として制定された法律であり、悪臭の原因物質のうち、政令で定める二二の物質を特定悪臭物質として指定して、工場その他の事業場からのこれらの物質の排出を規制している。

特定悪臭物質の排出を規制する地域や規制基準は、地域の実情に応じて、都道府県知事が定めることとなっていて、神戸市では、全市域をA地域(神戸市の全地域のうち、B地域として指定された地域を除いた地域)と、B地域(①都市計画法に掲げる工業地域(ただし、東部埋立地第三工区に限る。)、②工業専用地域、③臨港地区、④農業振興地域の整備に関する法律に規定する農業振興地域)の二つの区域に分けて、それぞれの区域について、原判決別紙「神戸市における悪臭防止法規制基準」記載のとおり、二二の特定悪臭物質について工場その他の事業場の敷地境界線の地表における規制基準として、敷地境界での基準値が設定されるとともに(本件は、A地域に該当する。)、煙突その他の気体排出施設から排出される特定悪臭物質のうち一三の物質について、悪臭が拡散、希釈されることを考慮して、敷地外に着地して悪臭を発する場合の最大濃度が前記の敷地境界での基準値と等しくなるように、排出口での流量の許容限度が設けられている。

また、神戸市では、多くの臭いが低濃度の多成分の物質の混合体(複合臭気)であり、悪臭防止法に基づく物質ごとの規制だけでは不十分であるとの考えのもと、原判決別紙「神戸市悪臭防止暫定指導細目」記載のとおり、官能試験法の一つである三点比較式臭袋法(正常な臭覚を有するパネル六名に、無臭空気を二袋、希釈した悪臭試料一袋について、臭覚により袋を区別させ、無臭空気と悪臭試料が区別できなくなった時点の希釈倍数を臭気濃度とする。)により測定された臭気濃度(臭気を何倍に希釈すれば感じられなくなるかを示した数字)を用いた目標値が定められていて、対策指導の目標とされている。

本件焼き鳥店の臭気は、特定の臭気物質によるものではなく、種々の臭気物質から構成される複合臭気であるから、悪臭防止法による規制だけではなく、神戸市指針による規制がより適合すると考えられる。

③ 本件鑑定の結果

本件鑑定の対象となる臭気を採取した当日、風量はほとんどなかった。そして、本件焼き鳥店の二台のグリルに焼き鳥をいっぱい並べて焼き、排出口ないし発生源における基準については、一階の排気ダクト内で採取された臭気を測定し、敷地境界における基準については、本件焼き鳥店の敷地境界線での採取が困難であったため、当初、被控訴人平田宅の敷地内で採取することが予定されていたが、当日、被控訴人平田宅よりも被控訴人大上宅の方が臭気が強いとする被控訴人ら側の要望で、被控訴人大上宅の敷地内に変更され、原判決別紙測定位置図表示の二箇所で採取された臭気を測定した。

ア 神戸市における悪臭防止法による敷地境界における規制基準との関係では、以下のとおりであり、基準値を大きく下回っている。

特定悪臭物質 規制基準 敷地内一 敷地内二(単位はppm)

硫化水素 〇・〇二 〇・〇〇二未満 〇・〇〇二未満

メチルメルカプタン 〇・〇〇二 〇・〇〇〇二未満 〇・〇〇〇二未満

硫化メチル 〇・〇一 〇・〇〇一未満 〇・〇〇一未満

二硫化メチル 〇・〇〇九 〇・〇〇〇九未満 〇・〇〇〇九未満

アセトアルデヒド 〇・〇五 〇・〇〇五未満 〇・〇〇五

プロピオンアルデヒド 〇・〇五 〇・〇〇五未満 〇・〇〇五未満

イ また、神戸市の悪臭防止法による気体排出施設からの流量規制との関係では、本件焼き鳥店の排出口の高さ(約九・九五五メートル)や排気ダクトの換気扇の風量を考慮して流量を算定すると、規制基準及び測定値に基づく算定結果は以下のとおりであり、規制基準を大きく下回っている。

特定悪臭物質 流量の規制基準 算定結果(単位はm3N/h)

硫化水素 〇・二一 〇・〇〇〇〇七八

プロピオンアルデヒド 〇・五三 〇・〇〇〇〇六六

ウ 神戸市指針による規制基準との関係では、本件焼き鳥店の一階の排気ダクト内で採取した臭気について、三点比較式臭袋法により、三〇〇倍、一〇〇〇倍、三〇〇〇倍に希釈して臭気濃度を測定した結果、臭気濃度は一七〇〇と測定され、これを臭気指数に換算すると、三二になり、発生源における規制基準である臭気濃度六〇〇、臭気指数二七・八を上回っている。

被控訴人大上宅敷地内で採取した臭気については、臭気濃度も臭気指数も敷地境界における規制基準値である一〇未満であり、規制基準を下まわっている。

三  本件臭気が、被控訴人らに対する違法な侵害になるか否かについて検討する。

本件臭気が、被控訴人らに対する関係において、違法な侵害になるか否かは、侵害行為の態様、侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、地域性、侵害行為開始後の当事者間の交渉経緯、公法上の基準の遵守などの諸事情を総合的に考察し、被害が一般社会生活上受忍すべき程度を超えるものか否かによって決すべきである。

そこで本件について検討するに、前記認定のとおり、本件臭気は、悪臭防止法における規制基準は遵守しているものの、神戸市指針の定める排出口における臭気濃度は同指針の規制基準を上回っており、神戸市指針に違反している。そして、神戸市指針による臭気濃度による規制は、悪臭防止法が敷地境界線における規制基準値を基礎にして、大気拡散理論に基づいて排出口の悪息物質の流量を規制しているのと同様に、敷地境界線における望ましい臭気濃度を基礎にして、排出口の臭気濃度が敷地境界線の臭気濃度の何倍になるかという統計上の数値に基づき、規制基準を設けているから、排出口における臭気濃度が規制基準を超えている場合には、周辺地域における臭気濃度も、敷地境界線の規制基準を上回るおそれがあるといえる。控訴人らは、一階の排気ダクト内での臭気の濃度は屋上の排出口から排出されるまでに薄まっている旨主張するところ、証人大野は、排出口の臭気濃度はダクト内で吸着されなければダクト内の臭気濃度と同一である旨証言し、ダクト内でその内壁等に臭気が吸着すれば排出口での臭気濃度が低下することがあるとしており、乙一三号証によれば、控訴人らが実施した本件焼き鳥店におけるダクト内と排出口におけるそれぞれの臭気濃度の調査においては、排出口ではダクト内より臭気濃度が低下したというのである。しかし、その調査結果が正しいとしても、この調査における条件は、鑑定時における条件とは異なっているのであり、鑑定時と同様の条件下で測定した場合の排出口における臭気濃度が、神戸市指針による臭気濃度を下回ると認めることはできない。

しかし、臭気は拡散すること、神戸市指針は、行政の指導目標を定めたものに過ぎず、違反した場合でも罰則等はないことなどからすると、排出口における臭気濃度が神戸市指針の規制基準を上回っていることのみをもって、ただちに被控訴人らに対する関係において受忍限度を超えていると断定することはできない。

そこでさらに検討するに、前記認定事実によれば、本件臭気の排出口は、高さ約九・九五五メートルにあり、被控訴人ら宅とは反対側を向いていて、本件鑑定時の測定結果によると、風量がほとんどない状況においても、被控訴人ら宅の敷地内においては、悪臭防止法が指定する特定悪臭物質の測定結果も臭気濃度も非常に低い数値にとどまっている。本件焼き鳥店の営業時間は夕方五時ころから午前〇時ころまでであって常時本件臭気が排出されるのではなく、しかも、被控訴人ら宅で本件臭気が特にひどく感じられるのは、風が弱いときなどに限られていて、臭気の強い場所も、被控訴人平田の供述によると、被控訴人平田宅の敷地南側の庭の付近や被控訴人大上宅の敷地の北側付近であり、被控訴人大上宅の主要な開口部がある南側ではないし、被控訴人平田宅についても窓を閉めれば防ぐことができないわけではない。本件鑑定時の排出口における臭気濃度を人の感覚的数値に近い臭気指数に換算すると、約一・一五倍にとどまっていて、必ずしも著しい違いがあるとは認められない。控訴人らは、被控訴人ら周辺住民から臭気被害の苦情があったことから、本件焼き鳥店の排気ダクトを本件建物の屋上部分まで延長し、被控訴人ら宅とは反対方向に排気口を向ける工事をするなどの改善策を講じ、その後、被控訴人ら以外の隣接地の居住者からの苦情はなく、被控訴人ら宅においても被害の程度は改善されている。

これらの諸事情に照らすと、排出口における臭気濃度が神戸市指針の規制基準を上回っていることを考慮しても、いまだ、本件臭気が被控訴人らに対する関係において、受忍限度を超えていると認めることはできない。他に、被控訴人らに対する関係において、受忍限度を超える被害があることを認めるに足りる証拠はない。

四  よって、被控訴人らの本件請求はいずれも理由がないから、原判決中これを認容した部分は相当でないから取り消し、取消部分にかかる被控訴人らの請求を棄却し、被控訴人らの附帯控訴により当審において拡張された請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法六七条、六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉原耕平 裁判官 小見山進 大竹優子)

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