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大阪高等裁判所 平成13年(ネ)3950号 判決 2005年1月25日

第一審原告

X1

ほか三名

第一審被告

Y1

ほか二名

主文

一  第一審被告美原町の控訴に基づき、原判決中同第一審被告敗訴の部分を取り消す。

二  前記第一項の部分につき、第一審原告X1及び同X2の各請求をいずれも棄却する。

三  第一審原告らの各控訴をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、第一審被告美原町と第一審原告X1及び同X2との間では、第一、二審を通じ、同第一審原告らの負担とし、第一審被告美原町と第一審原告X3及び同X4の間では、控訴費用を同第一審原告らの、第一審被告Y1及び同Y2と第一審原告らとの間では、控訴費用を第一審原告らの各負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  第一審原告ら

(1)  原判決を次のとおり変更する。

ア 第一審被告らは、連帯して、第一審原告X1及び同X2に対し、それぞれ四四七五万七二三一円及び内四三〇一万八八七五円に対する平成八年五月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

イ 第一審被告らは、連帯して、第一審原告X3及び同X4に対し、それぞれ三四〇万円及びこれに対する平成八年五月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  第一審被告美原町の控訴を棄却する(第一審原告X1及び同X2)。

(3)  訴訟費用は、第一、二審を通じ、第一審被告らの負担とする。

(4)  仮執行宣言

二  第一審被告Y1及び同Y2(以下、この二名を「第一審被告Y1ら」ともいう。)

(1)  第一審原告らの各控訴を棄却する。

(2)  控訴費用は第一審原告らの負担とする。

三  第一審被告美原町

(1)  原判決中第一審被告美原町敗訴部分を取り消す。

(2)  前記(1)の部分につき、第一審原告X1及び同X2の各請求をいずれも棄却する。

(3)  第一審原告らの各控訴をいずれも棄却する。

(4)  訴訟費用は、第一、二審を通じ、第一審原告らの負担とする。

第二事案の概要

一  本件は、平成八年五月に大阪府南河内郡美原町の交差点で発生した交通事故により死亡したAの両親及び姉である第一審原告らが、加害車両を運転していた第一審被告Y1に対し、不法行為に基づき、加害車両の所有者である第一審被告Y2に対し、運行供用者責任に基づき、道路管理者である第一審被告美原町に対し、国家賠償法二条に基づき、それぞれ損害賠償を求めた事案である。

二  原判決は、第一審原告らの請求のうち、第一審原告X1及び同X2の第一審被告美原町に対する請求の一部を認容し、その余の各請求をいずれも棄却した。これに対して、第一審原告らは、その棄却部分について控訴し、第一審被告美原町は、その敗訴部分について控訴した。

三  当事者間に争いのない事実及び証拠により容易に認定される事実、争点、争点についての当事者の主張は、次のとおり付加、補足するほか、原判決の「事実及び理由」中の第二の一及び二、第三(原判決二頁二一行目から一〇頁二五行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決二頁二二行目の「「被害者」という。」を「「被害者」又は「A」という。)と改める。

四  第一審原告らの補足主張

(1)  三少年(B、C及びD)の各証言やその実況見分の際の説明、甲一八、甲二四(以下「本件報告書」という。)等によれば、本件事故発生当時、Aが進行していた本件横断歩道の歩行者信号は赤色であったか、又は赤であった可能性が高いが(Aの本件交差点進入時は青色点滅終了から赤になる変わり目の可能性もある。)、第一審被告Y1が進行していた南北方向の車両信号も赤色であった。本件事故は、三少年が、自転車で、本件横断歩道の中央付近から、更に本件横断歩道を東進して本件町道東側の歩道を左折して進行し、本件横断歩道の中央付近から約三〇メートル進行した時に発生したもので、それは、本件横断歩道の歩行者信号が青色点滅を開始してから一〇秒ないし一二秒経過した時点であり、当時の本件交差点の信号機の表示周期によれば、東西方向の車両信号が黄色から赤色になってから四秒以内であり、そうすると、第一審被告Y1の対面信号である南北方向の車両信号も、赤色から青色に変わる前で、依然として赤色であったことが明らかである。

中央分離帯の植樹によって見通しが完全に遮られている本件交差点において東西方向も南北方向もいずれも信号が赤色表示の場合、運転者の注意義務が当然に加重されるべきであり、第一審被告Y1には著しい過失があったもので、Aには一切の過失はないと考えるべきである。

(2)  本件事故の刑事事件の捜査は、検察における交通事故事件の非犯罪化政策と不起訴事件の記録の非公開の原則の背景の下に、捜査機関によって、組織ぐるみで、目撃者潰しをするなどして第一審被告Y1に不利な目撃者等の証拠を違法に徹底的に排除し、また有利な証拠を次々にねつ造するなどして行われた。三少年を立会人とする実況見分は、平成八年七月四日に実施され、その調書(甲四)は、同月一一日に作成された。同実況見分調書中の南進方向の第二車線にa車が停車していたとの立会人の指示記載、それと同趣旨のD及びBの警察官に対する供述調書(甲八五、八六)の各記載部分は、いずれも捜査機関のねつ造によるものである。三少年の検面調書(甲九一ないし九三)も、E副検事が、本件事故の現場にも行かず、三少年に任意の供述の撤回と虚偽の供述の強要を迫って脅迫した結果、作成されたものである。司法警察員Fの「被害者友人からの聞き取り結果について」と題する報告書(甲九〇)も、捜査機関によってねつ造された虚偽公文書である。更に、捜査機関は、目撃者Gによる情報も、その供述に変遷があるとして、調書さえ作成しなかったが、警察はGの取調べに際して意図的に車高の高い車両を用意し、目撃時どおりに証言ができないようにして証拠隠滅を図った。更に、Hの警察官に対する供述調書(甲八三)中の停止後一〇~二〇秒たって前方でガシャという音がしたとの記載部分も、同人はその旨を言っておらず虚偽であることが判明した(甲一〇七)。

(3)  なお、I警察官は、本件事故当日に本件交差点の信号周期を測定していたもので(甲九四の別件訴訟の大阪府の主張)、本件報告書の記載は、本件交差点のものも、他の交差点のものも、いずれも本件事故発生当時のものである。

(4)  第一審被告美原町の補足主張は争う。他の自治体の道路においても、甲四一の一を含む中央分離帯の植樹の基準は、信号機の設置の有無によって異ならない。

五  第一審被告美原町の補足主張

(1)  本件交差点において、その信号機を見通すことの妨げとなるものは存在しない。本件事故当時、本件交差点の北側の本件町道やその中央分離帯の植栽の状態は、通常有すべき安全性に欠けるところはなかった。本件交差点は、信号機により交通整理がされている交差点であり、Aは、対面の赤信号を無視して本件横断歩道を横断中に本件交通事故に遭ったものである。

(2)  本件事故の発生と本件町道の中央分離帯の植栽木の存在とは因果関係がない。

六  第一審被告Y1らの補足主張

(1)  本件事故当時、本件交差点の東詰と西詰で、いずれも、東西方向の車両信号が赤色表示のため信号待ちをして停車していたJ、K及びHの各証言等によれば、本件事故発生当時、本件交差点の南北方向の車両信号は青色表示で、東西方向の車両信号及び歩行者信号は赤色表示であったことが明らかである。

(2)  乙三の一、二の回答等からも、本件事故当時の信号周期秒数の記録はないのであって、本件報告書は、平成八年一〇月二四日作成されたもので、本件事故当日のものと同一かどうかも不明である。本件交差点の信号機は、多段系統、連動式のもので、信号機内の時計に予め設定されたプログラムに基づいて、曜日、時刻によって信号表示の秒数が変化するものである。本件報告書の基になった各信号機の表示秒数を測定したのは、本件事故当時の曜日(日曜日)と異なる曜日であり、その時刻も不明であり、結局、本件報告書は、本件事故当時の信号表示の周期等を正確に表しているものではない。また、原審の証人Iの証言では、各信号機の時刻は正午に修正されると聞いていたとあるが、当時、本件交差点の信号機は、一日一回一九時に時刻修正を行うことができる信号機であった(乙一一の二)。

第三当裁判所の判断

一  前記の当事者間に争いのない事実及び証拠により容易に認定される事実、それに、甲一ないし七、一〇ないし三一、四一ないし四七、四九ないし八二、八四、八七ないし八九、九四ないし一一三(枝番を含む。なお、甲四の停止車両aに関する部分を除く。)、乙一ないし一一(枝番を含む。)、丙一ないし八、原審証人C(二回)、同D、同B(二回)、同K、同J、同H、同I、同F及び同Lの各証言、当審証人E、同M、同N、同O、同P及び同Qの各証言、原審における第一審原告X1、同X2及び第一審被告Y1の各本人尋問の結果、当審における第一審原告X1、同X2の各本人尋問の結果(以上の各証拠を以下「本件各証拠」という。)並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

(1)  本件交差点は、さつき野中央交差点と呼ばれ、大阪府南河内郡美原町さつき野東三丁目<以下省略>先に所在し、本件交差点付近において、ほぼ南北に通じる本件町道とほぼ東西に通じる本件府道とが交差する交差点である。本件町道には本件交差点から北方約四四〇メートルにさつき野東一丁目交差点(以下、「一丁目交差点」という。)が、本件府道には、本件交差点の東方約一五〇メートルにさつき野東二丁目交差点(以下、「二丁目交差点」という。)が、同交差点からさらに東方約二七〇メートルにさつき野東三丁目交差点(以下、「三丁目交差点」という。)がそれぞれある。本件町道は、都市計画道路八尾富田林線の一部で、一丁目交差点の北約七六メートルの地点が北端で、本件交差点の南約一六二メートルの地点が南端で、両地点をほぼ直線的に結んでおり、その先はいずれも道路が途絶えている。本件府道は、三丁目交差点において南に折れ、PL学園方面に通じている。

本件町道の制限速度は、時速五〇キロメートルであり、本件府道の制限速度は、本件交差点の東側で時速五〇キロメートル、西側で時速四〇キロメートルである。本件交差点付近は、ほぼ平坦な地形であるが、本件町道は、北に向かってやや上り勾配、本件府道は、西に向かって緩やかな下り勾配である。

(2)  本件交差点付近において、本件町道は、歩車道が分離され、中央分離帯を有する片側二車線のアスファルト舖装の道路で、東側から順に幅約四・五メートルの歩道、幅約三・八メートルの南行第一車線(路側帯を含む。)、幅約三・五メートルの南行第二車線、幅約一・五メートルの中央分離帯、幅約三・五メートルの北行第二車線、幅約三・八メートルの北行第一車線(路側帯を含む。)、幅約四・五メートルの歩道がある。本件府道は、歩車道が分離された片側一車線の舖装道路で、本件交差点の西側においては、北側から順に幅約二・四メートルの歩道、幅約三・六メートルの東行車線、幅約三・五メートルの西行車線、幅約二・四メートルの歩道があり、東側においては、北側から順に幅約三・五メートルの歩道、幅約三・二メートルの東行車線、幅約三・二メートルの西行車線、幅約三・四メートルの歩道がある。

本件交差点の四方の交差点出口付近には、それぞれ横断歩道及び自転車横断帯があり、本件横断歩道は、本件交差点北側出口にあり、交差点中央側にある幅約二メートルの自転車横断帯とその外側にある幅約四・一五メートルの歩行者横断帯とで構成されている。この歩行者横断帯の外側約二・八五メートルの地点に南行車線の停止線がある。

本件横断歩道の北端付近から北方約三〇・一メートルの本件町道東側歩道には、同歩道から住宅地に上る階段(以下「本件階段」という。)があり、その何メートルか南方の同歩道上にはマンホール(以下「本件マンホール」という。)がある。また、本件横断歩道北端付近から、北方約一〇六・一メートル地点の本件町道東側に歩道橋(以下「本件歩道橋」という。)がある。また、本件交差点の西方約一二〇~一三〇メートルの本件府道南側にさくら公園がある。

(3)  本件中央分離帯は、本件事故当時、その南端から約一・九メートル北の地点から北側に路面からの高さ約一・三メートルのアベリアが隙間なく植栽され、また、その南端から北側の約二・三メートルの地点に路面からの高さ約三・五メートルのカイヅカイブキが植栽され、その北方に約二メートル間隔で同程度の高さのカイヅカイブキが並んで植栽されていた。

なお、本件事故後、本件中央分離帯の南端から約一五・五メートルにわたってアベリアの路面からの高さが約一・一ないし一・二メートルに刈られ、また、南端から七本のカイヅカイブキが伐採され、南端から約一六・五五メートルにわたって高木がない状態となった。

(4)  本件交差点には、本件町道及び本件府道用にそれぞれ車両信号機が設置され、また、各横断歩道に歩行者信号機が設置されていた。

(5)  本件事故当時、本件交差点の信号機は、多段系統、連動式のもので、一丁目交差点、二丁目交差点及び三丁目交差点の各信号機と連動して制御され、信号機内の時計に予め設定されたプログラムに基づいて、曜日、時刻によって信号の秒数を変化させることができる機能を有するものであった。

(6)  本件事故当日の平成八年五月一九日(日曜日)、A(昭和○年○月生)と三少年、すなわちB(昭和○年○月生)、C(同年○月生)及びD(昭和○年○月生)は、同日午後〇時二〇分ころまで四人でさつき野町内の自然公園でエアガンで一緒に遊ぶなどし、そのうち、サンプラザでジュースを購入して飲もうということになり、それぞれが自転車に乗って進行するようになり、さくら公園の更に西方付近から本件府道を本件交差点西詰に向かって東進するようになった。四人は、いずれも、美原町立b中学校の生徒で、同中学校のバレーボール部に所属し、AとB及びCは当時二年生、Dは一年生であった。AとC及びBは、同学年の友人であり、幼稚園や小学校のころから、それぞれの母親同士も知り合いであった。

(7)  前記四人は、本件交差点西詰に至るまでに、Cが先頭で、次に、D、Bが続くようになり、Aは、この三少年から遅れをとって後から続く状態になった。

(8)  三少年は、更に、それぞれ、自転車に乗って本件交差点に入り、本件横断歩道を東へ横断し、本件町道東側の歩道を左折して北に向かった。サンプラザは、同歩道の北方の本件歩道橋の更に北方にあった。

(9)  Aは、自転車に乗って、三少年の後から、本件交差点に進入して本件横断歩道を東進して横断しようとしたが、横断中、同日午後〇時四五分ころ、本件町道南行の第二車線を南進してきた第一審被告Y1運転の加害車両にはねられる本件交通事故に遭った。Aは、加害車両にはねられて約一五・二メートル南方向に飛ばされて転倒し、頭蓋骨骨折、脳挫傷等の傷害でそのころ死亡した。その自転車は約二七・五メートル南方向に飛ばされた。加害車両は、衝突地点から約三二・二メートル南付近に停車した。

(10)  本件事故の発生当時、本件交差点の西詰の本件府道上の停止線付近にH運転の車両(以下「H車」という。)が、東詰の停止線付近にJ運転の車両(以下「J車」という。)が、いずれも、本件交差点の東西方向の車両信号が赤色表示の状態で停車中であったもので、J車の後方(東方)からは、更に、K運転の車両(以下「K車」という。)が停車しようとしていた。このように、本件事故発生当時は、少なくとも、本件交差点の東西方向の車両信号、そして、本件横断歩道の歩行者信号も赤色表示であった。

(11)  三少年は、本件事故の衝撃音を聞き、本件交差点に引き返し、C及びBがAの自宅に電話連絡するなどした。

(12)  本件事故発生の後、同日(平成八年五月一九日)午後一時一五分ころから、本件交差点で、第一審被告Y1及びJの立会いによる警察による実況見分が実施され、その調書(乙一の三)は同月二五日に作成された。また、同月二一日にHの立会いによる実況見分が実施され、同日その調書(乙一の二)が作成され、第一審被告Y1の業務上過失致死等の刑事事件の捜査が進められた。その後、平成八年七月四日、三少年の立会いによる実況見分も実施され、その調書(甲四)は同月一一日に作成され、その後、同月二三日から同月二九日までの間に三少年の警察官に対する各供述調書(甲八五ないし八七)が作成された。また、平成八年一〇月二四日、Kを立会人とする実況見分が実施され、その調書(乙一の一)が作成されるなどした。そして、平成一〇年三月一四日から一七日までに三少年の検察官に対する供述調書(甲九一ないし九三)が作成され、その後、平成一〇年三月末ころ、第一審被告Y1は不起訴処分になった。

その捜査の過程で、平成八年一〇月二四日、黒山警察署の警察官Iにより、本件交差点の信号と一丁目交差点、二丁目交差点及び三丁目交差点の各信号表示の周期、表示秒数及び各信号機の表示時間の関係を記載した本件報告書(甲二四)が作成された。そのうちの各信号機の周期は、原判決別紙の信号周期表一のとおりであった。それによると、本件交差点の東西方向の車両信号の赤色表示は四〇秒であるが、そのうち最初の四秒間と最後の三秒間は、南北方向の車両信号も同時に赤色表示の状態(いわゆる両赤状態)となる。

二  争点(1)の加害車両の速度についての判断については、当裁判所は、概ね時速六〇キロメートル前後であったものと認める。その理由は、次のとおり訂正するほか、原判決一三頁九行目から一四頁一四行目までの説示と同様であるから、これを引用する。

(1)  原判決一三頁二三行目の「前記a)認定の証拠」を「前記認定事実や第一審被告Y1の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨」と改める。

(2)  原判決一四頁一二行目から一四行目までを「本件町道の状況や衝突地点と加害車両の停止した位置関係等の前記認定事実を総合すると、加害車両の速度は、概ね、時速六〇キロメートル前後であったものと認めるのが相当である。」と改める。

三  争点(1)の本件交差点の信号の色については、すでに前記認定のとおり、本件事故時、本件交差点の東西方向の歩行者信号も車両信号も赤色であったと認められるが、更に、証拠上、第一審被告Y1の対面信号、すなわち南北方向の車両信号は青色であったものと推認せざるを得ない。その理由は、以下のとおりである。

(1)  第一審原告らは、三少年が本件横断歩道を横断する際、東西方向の歩行者信号は当初は青色であったが、本件中央分離帯を通過する付近で青色点滅を開始した、三少年は、横断した後、本件町道東側の歩道を左折して北方向に進行し、本件横断歩道の中央付近から約三〇メートル進行した付近、すなわち、本件階段の手前の歩道上にある本件マンホール付近で、本件事故の衝撃音を聞いた、第一審原告ら訴訟代理人や三少年によってその後に実施された再現実験により、その経過時間を計測したところ、前記の歩行者信号が青色点滅を開始してから一〇秒ないし一二秒経過した時点で本件事故が発生したことになり(甲一八)、これを本件交差点の信号の本件報告書の内容に当てはめると、本件事故は、東西方向の車両信号が黄色から赤色になってから四秒以内に発生したもので、その時点では、第一審被告Y1の対面信号である南北方向の信号も、赤色から青色に変わる前で、依然として赤色であったことになる、したがって、第一審被告Y1には、赤色信号を無視して進行して本件事故を発生させた著しい過失がある、以上のとおり主張する。なお、第一審原告らは、本件事故時の本件横断歩道の歩行者信号が赤色であった「可能性が高い」とも主張するが、第一審原告らの主張を前提としても、赤色であったことになると解される(平成一四年三月二九日付け第一審原告ら準備書面、同年五月八日付け同準備書面ほか)。

(2)  そして、三少年、すなわち、原審で証人となったB(二回)、C(二回)及びDは、いずれも、本件横断歩道を横断する際、東西方向の歩行者信号は当初は青色であったが、本件中央分離帯を通過する付近で青色点滅を開始した、その後、本件町道東側の歩道を左折して北方向に進行し、本件横断歩道の中央付近から約三〇メートル進行した付近、すなわち、本件階段の手前の歩道上にある本件マンホール付近で本件事故の衝撃音を聞いた旨の証言をし、平成八年七月四日に実施された実況見分調書(甲四)の三少年の指示説明にも同趣旨の記載がある。そして、更に、三少年の警察官に対する各供述調書(甲八五ないし八七)にもほぼ同趣旨の記載があり、この点は、三少年ともほぼ一貫しているといえる(以下、上記各証言、各指示説明及び各供述調書の内容を一括して「三少年の各証言等」ともいう。これには、後記で判示する三少年の検察官に対する各供述調書は含まれない。)。そして、第一審原告ら訴訟代理人らが作成した報告書(甲一八、以下「本件再現報告」という。)によれば、本件事故から二年五か月後の平成一〇年一〇月一九日に三少年が自転車に乗って本件横断歩道を横断して本件町道東側の歩道を本件マンホールまで進行する再現実験をし、その経過時間を測定したところ、横断歩道中央から本件マンホールを通過するまでの時間は一〇秒ないし一二秒であったとある。また、刑事事件の捜査過程で作成された本件報告書(甲二四)の本件交差点の信号機の周期表には、確かに、東西方向の車両信号が赤色表示である四〇秒の間のうち、その最初の四秒間と最後の三秒間は、南北方向の車両信号も赤色表示になるものとされている。

(3)  しかしながら、前記認定事実のとおり、本件事故当時、本件交差点の東詰にはJ車とK車が、西詰にはH車がいずれも赤信号により停車中又は停車しようとしていたのであり(この点は本件各証拠により明らかに認められる。)、これらの停車中の車両を運転していたJ、K及びHがした原審における各証言や実況見分の際の指示説明、それに同人らの警察官に対する各供述調書の内容は、本件交差点に至る進行経過等の細部には不確かな点も窺われるものの、概ね、いずれも、東西方向の車両信号が赤色表示になってからすぐに本件事故が発生したものではなく、むしろその間には若干の時の経過があり、本件事故が発生したのは赤色表示になってから四秒以内ではなかったことを示しているといわざるを得ない。

ア 東西方向の車両信号の表示と本件事故の一部を目撃し又はその衝撃音を聞いた時期との関係について、Jの警察官に対する供述調書(甲八二)には、「信号待ちをしてちょっとの間とまっているとき」に本件事故を一部目撃し、その衝撃音を聞いた、事故直後対面信号を見るとまだ赤色であったが、救護のためにJ車を本件交差点内に左に寄せて前進させた旨の記載があり、Jは、その証人尋問で、停止してから衝突音を聞くまで何秒か分からないが止まってすぐではないとの趣旨の証言もしている。また、Kの警察官に対する供述調書(甲八四)では、本件交差点東詰にさしかかった時信号が赤色で、手前にすでに一台の車両(J車と認められる。)が停車中であった、その後方に停車するため減速してその車両の後方約四ないし五メートルにさしかかったとき本件事故の衝撃音を聞いた旨の記載があり、Kは、その証人尋問で、ほぼ同趣旨の証言をすると共に、本件事故の衝撃音を聞いて助手席の同乗者にその音を聞いたかどうか尋ね、停車して間もなく前方の車両(J車)が左寄りに前進したのが見え、前方の信号を確認したら青色に変わっていたとの証言もしている。同人の警察官に対する別の供述調書(甲八八)では、本件事故の衝撃音を聞いてから対面信号が青色に変わっているのを見た時までの経過時間を推測して時計で計ってみると約九秒となったが、実際は更に長くかかっていると思うとの記載もある。更に、Hの警察官に対する供述調書(甲八三)には、本件交差点の西詰にさしかかった時、対面信号は赤色であったのでブレーキをかけて西詰付近に停車した、停車してちょっとしたとき、この間を秒数にして一〇秒から二〇秒位と思うが、前方で、衝撃音がして、人が車両にはね飛ばされる様子を目撃した、事故を起こした車両が停止してから、救護のため自車を移動させようと思ったが、まだ対面信号は赤色であったとの記載があり、Hは、その証人尋問で、本件交差点の西詰で停車するずっと手前、少なくともさくら公園付近からは対面信号は赤色で、徐行して西詰付近で停車した、降車して被害者のところに行ったが、対面信号は降車した時は赤色であったが、被害者のところに走り寄って見た時には青色になっていた等と証言している。

イ これらの三名の各証言やその供述調書の内容は、その中には、Kの本件事故の衝撃音を聞いてから約九秒後に対面信号が青色に変わったとの前記部分やHの停車してから一〇秒から二〇秒位で本件事故を目撃したとの前記部分のように直ちにそのままの秒単位の時間経過であるとの証拠としては採用し難い部分もあるものの、いずれも、本件事故当時、自ら赤信号に従って停車したり、停車しようとした別々の三名の運転者によるもので、本件事故当時の本件交差点の状況等に関するその基本的な部分についての内容は、概ね整合するもので、しかも、少なくともHは、本件事故の状況の一部を正に目撃しており、基本的には、それらの証拠価値は高いものといわざるを得ない。

ウ 第一審原告らは、Hの警察官に対する供述調書の停車してから一〇秒から二〇秒して本件事故の衝撃音を聞いたとの前記の記載部分は、警察官らによるねつ造であると主張して、Hから第一審原告ら訴訟代理人らが聴取した内容を記載した書面(甲一〇七の一、二)を提出するが、同書面で、Hは、前記の内容は「自分からは答えた覚えはありません。」(甲一〇七の二の記載、なお、甲一〇七の一では、自分から答えた覚えはありません、と記載されている。)、一〇秒ないし二〇秒というのは「警察官が言いました」と答えたことになっており、同書面から直ちに前記の供述調書の記載部分がねつ造であるとは認められず、また、前記書面があるからといって、当裁判所の上記の判断や後記の判断を左右するものではない。

(4)  また、三少年の前記の各証言等の前記の内容は、基本的に、本件事故直後に警察官に事情を説明した時から、本件での証人尋問時まで、概ね、三名ともほぼ一貫した内容ではあるものの、三少年のこれらの各証言等から第一審原告ら主張のような推論をするには、なお、いくつかの問題点・疑問点が残るというべきである。

ア まず、三少年は、その各証言等によっても、本件事故を直接目撃したわけではなく、事故時の信号表示を確認したわけでもなく、本件事故の発生現場を三名で自転車に乗って通過した後に、本件マンホール付近で本件事故の衝撃音を聞いたというものであり、本件事故の衝撃音を聞いた時も、その各証言等からも、Aがどの程度遅れていたのか明確な認識がなかったのではないかとも窺われ、本件横断歩道上で歩行者信号機の青色点滅を見た正確な場所、それを見てから本件事故の衝撃音を聞くまでの時間経過、その間、三名が会話をしたのか、どの程度したのか、各自転車の進行速度はどの程度であったのか等について、明確な認識があったのかどうかは必ずしも明らかではないものといわざるを得ない。三少年の実況見分の際の指示説明(甲四)の記載も、本件横断歩道を横断するときは、三名が縦に少し間隔を置いて進行し、その後、本件町道東側の歩道を左折して、本件マンホール付近まで北に進行したときは、横一列に並んで進行したようになっている。

イ 第一審原告らは、三少年は、本件横断歩道を横断するまでにさくら公園の更に西方の本件府道の北側歩道付近で当時小学校五年生であったR(当時一一歳)と会って、DがRと会話しており、Rは、自転車に乗って、本件交差点の東詰で東西方向の歩行者信号が赤色に変わって本件横断歩道を横断し、本件府道北側歩道をさくら公園よりも更に西方付近まで行ったときに三少年と会ったもので、Rが本件交差点の東詰から三少年と会った地点に達するまでの時間が四三秒、三少年と会話した時間が六秒、その後、三少年が本件交差点まで東進し、本件横断歩道を横断してその中央付近までに達するまでの時間が約四一秒で、その経過時間の合計は約九〇秒であるから、これを本件報告書の本件交差点の信号機の周期表に当てはめると、三少年が本件横断歩道の中央付近に達する時点で、東西方向の歩行者信号がちょうど青色点滅になることになり、この結果によって、三少年の各証言等は信用できるとの趣旨の主張もする。しかし、前記認定のとおり、本件交差点の西詰からさくら公園までは約一二〇~一三〇メートルであり、更に甲五によれば、Rが三少年と会ったという地点までは約一七八メートル離れていることになり、その間の本件府道は西に向かってやや緩やかな下り勾配であったもので、当時のRの自転車による進行速度や三少年の自転車による進行速度もその正確な再現は必ずしも容易ではないと考えられ、Rが三少年に会うまでの時間の経過、三少年とRが話した時間、三少年が本件交差点東詰までに至る経過時間を三少年やRの各供述や現場の距離等から正確に推認することは困難であり、この観点から三少年の証言等の証拠価値について一定の判断をすることも、困難であるというべきである。第一審原告らのこの点に関する主張は直ちに採用できない。

ウ 更に、三少年が立会人となって実施された実況見分調書(甲四)には、Cの指示説明として、Cが本件横断歩道を横断しようとした時、本件町道の南行の第二車線の本件交差点の北詰付近に停止車両aがあったとの記載があり、Cは、この記載について、その証人尋問では、実況見分の際にそれを言った記憶がないとか、渡りきって戻ってくるときに事故をした車がその辺にあったと思う、多分僕はそれで言ったと思うんですと証言しているが(第一回の二、一六、二二頁)、Cの警察官に対する供述調書(甲八七)では、a車の記載は自分の説明ではなく、他の二人の説明と思う、自分自身この車があって白色の車であったことは覚えていますが、止まっていた位置についてはわかりません、ただあったというだけですと述べたことになっている。また、このa車についての記載について、Bの警察官に対する供述調書(甲八六)には、実況見分調書の記載の位置にいたかどうかは覚えていませんが、信号待ちして停まっていた車があったのは覚えています、その車に僕が気付いたのは道を渡り始める前です、と述べたこととされ、Dの警察官に対する供述調書(甲八五)には、本件横断歩道を渡る直前にa車が停まっているのを見た、白色か白っぽいワゴン車であったと思う、と供述したこととされている。このa車についての三少年の証言等は、不明確でしかも変遷しているが、仮に実況見分調書のCの指示説明の前記記載のようにその位置にa車が停車していたのであれば、それは赤信号で停車していたもので、その後南北方向の車両信号が赤色のままの状態で第一審被告Y1が運転する加害車両がほぼ同じ場所を南進して通過することはまずあり得ないことになり、第一審原告らの主張内容とは相容れないものとなる。

エ のみならず、Dの検察官に対する供述調書(甲九二)では、それまでの三少年の警察官に対する各供述調書の内容や本件での三少年の各証言とは異なり、本件事故の衝撃音を聞いたのは、三少年が本件歩道橋付近まで行った時であると述べたとの記載になっており、更に、本件事故の直後にその旨を三少年が警察官に述べたこと、警察の実況見分の際の説明と異なるのは、Aと三少年が一〇〇メートルも離れたのが自転車による競争をしたためであることを言わなければならなくなるなどして、結局第一審原告X2に「おこられる」かもしれないと思ったこと等をDが述べた旨が記載されている。

オ 第一審原告らは、実況見分調書や供述調書のa車に関する前記の各記載が捜査機関のねつ造であり、前記のDの検察官に対する供述調書も、他のC及びBの検察官に対する各供述調書(甲九一、九三)も、検察官の強引な誤導や強迫によるものであるなどと主張するが、検察官に対する三少年の各供述調書については、後記説示のとおりの事情があるとしても、前記のa車についての実況見分調書の記載や警察官に対する各供述調書のそれに関する部分について、それらがねつ造されたものであることを認めるに足りる証拠はない。三少年の各証言等には、やはり、上記のような疑問点・問題点が残るものといわざるを得ない。

(5)  更に、甲一八の本件再現報告の結果も、当時の状況をそのまま再現したものかどうかの問題が残る。再現実験といっても、それは、本件事故から二年五か月の後に三少年によって実施されて時間測定されたもので、三少年が本件マンホールに至るまでの時間経過、特に、本件横断歩道上で歩行者信号機の青色点滅を見た正確な場所、それを見てから本件事故の衝撃音を聞くまでの事実経過、その間、三名が会話をしたのか、どの程度したのか、各自転車の進行速度はどの程度であったのか等について、三少年としても、相当程度記憶が薄くなっているのではないかと考えられる。その上、本件事故当時中学一年生や中学二年生であった三少年も、すでに中学三年生や高校一年生となって成長しており、事故当時から体力も変化していた可能性があるし、本件各証拠によれば、本件事故当日は、三少年は、本件横断歩道を横断するまでに、すでに自然公園で遊んだり、自転車に乗って一定の距離を走行するなどしたことが認められ、疲れていた可能性もある。いずれにしても、本件再現報告の内容も、本件事故当時の三少年が本件事故の衝撃音を聞くまでの時間の経過を正確に再現した結果によるものかどうかは問題が残るといわなければならない。

(6)  第一審原告らは、本件報告書の本件交差点と二丁目交差点及び三丁目交差点の各信号周期の時間差の関係についての記載を前提として、各信号機の時間の進行に従った各周期表を作成し、それを前提として、三丁目交差点を左折し、二丁目交差点を経て、本件交差点の東詰で赤信号で停止しようとした際に本件事故の衝撃音を聞いたなどとするKの証言の信用性を問題とし、むしろ、同証言からは、第一審原告らの主張が裏付けられるなどとして、コンピューターグラフィックによる画像も援用する。

しかし、前記の第一審原告らの主張の基になった本件報告書の記載、特に、その中の信号交差点見取図(各交差点信号の関連性)においては、二丁目交差点と本件交差点との関係は、二丁目交差点の車両信号が赤から青に変化した時点から本件交差点の車両信号が赤から青に変化する時点までの経過時間を計測すると三回とも約一五秒であった、二丁目交差点と三丁目交差点との関係は、二丁目交差点の車両信号が赤から青に変化した時点から三丁目交差点の車両信号が青から黄に変化する時点までの経過時間を計測すると三回とも約一二秒であったとの各記載等があるが、これらの記載部分について、各信号機を測定した日及び時刻の記載がなく、証人Iは、本件報告書の記載について、本件交差点の信号周期は、本件事故当時のものであるが、他の交差点の信号表示は、本件報告書を作成した平成八年一〇月二四日に測定したとの趣旨に解される証言もする。そして、前記認定事実と乙三の一、二、一〇の一、二、一一の一、二、証人Iの証言によれば、本件事故当時、本件交差点の信号機は、曜日及び時間帯によって秒数を変更することができる機能のもので、本件交差点の信号機の時刻の誤差は一九時に修正することができる機能を有していたこと、しかし、本件報告書作成当時、捜査機関においては、本件事故について本件交差点の信号機や一丁目交差点、二丁目交差点及び三丁目交差点の各信号機の周期と関係者の各供述等の関係を検討する必要があるとの認識が乏しかったことが認められ、これらの事実や本件報告書が作成された平成八年一〇月二四日は木曜日で、本件事故当日(日曜日)とは曜日が異なることに照らしても、本件事故当時、本件交差点の信号機の周期と他の信号機の周期との関係が甲二四の本件報告書の前記記載部分のとおりであったのかどうかは必ずしも明らかではないといわざるを得ない。また、前記認定のとおり、本件交差点と他の各信号機の時刻の誤差は一九時に修正されることになっていたもので、この点も証人Iの証言は誤解に基づくものである可能性もある。いずれにしても、二丁目交差点及び三丁目交差点の各信号周期と本件交差点のそれとの時間差についての本件報告書の前記の記載を前提として、直ちに第一審原告らの主張のように推認することはできないというほかなく、これを前提としたコンピューターグラフィックによる画像を援用する第一審原告らの主張は、採用することができない。

(7)  以上のとおり、三少年の証言等や、これに基づく第一審原告らの主張には、前記のとおりの問題点、疑問点があり、他方、J、K及びHの各証言等は、本件交差点の本件事故前後の状況としては、いずれも、自ら、赤信号で停車又は停車直前に前方で本件事故の衝撃音を聞いたり、事故現場に赴いて通報するなどした者の証言等であって、更に、少なくともHは、本件事故によってAが加害車両にはねられる状況の一部を目撃したもので(同人の証言、甲八三、なお、Jも、その証言では「衝突、車はこう走っていくのは見えた見えたんですけど、何が当たったのかは全然わかりません。」と述べるなど曖昧ではあるが、警察官に対する供述調書(甲八二)では、Aが加害車両にはねられる状況の一部を目撃したとの記載があり、少なくとも事故状況の一部は目撃したものと認められる。)、これら三名の各証言や警察官に対する供述調書は、その内容の基本的な部分で相互に整合性があり、その内容や証言等の過程等にも特に不合理な点は見当たらない。

(8)  このような検討を前提として、第一審被告Y1が、衝突地点から約一〇〇メートル手前付近から本件事故発生に至るまで、対面信号は青色であったことを、当初から一貫して主張し、その本人尋問でも供述していることに照らすと、仮に三少年の検察官に対する前記の各供述調書(甲九一ないし九三)をひとまず除外した上で検討しても、なお、本件事故は、東西方向の車両信号が黄色から赤色になってから四秒以内に発生したものとは認められず(なお、むろん赤色の最後の三秒間とも認められない。)、むしろ、第一審被告Y1の前記供述を採用して、本件事故発生当時、第一審被告Y1の対面信号、すなわち南北方向の車両信号は青色であったものと認めざるを得ないというべきである。

四  第一審原告らは、本件事故の刑事事件の捜査は、捜査機関によって、組織ぐるみで、第一審被告Y1に不利な目撃者等の証拠を違法に徹底的に排除し、有利な証拠を次々にねつ造して行われたなどと主張する。

確かに、前記の認定事実、甲九〇ないし九三と本件各証拠、特に、当審の証人M、同N、同E、同O、同P及び同Qの各証言と弁論の全趣旨に照らすと、本件事故の刑事事件の捜査において、本件事故の直後から、三少年が当時Aと一緒に行動していたことが捜査担当者に分かっていたものと認められるから、事故後もっと早期に、捜査機関側から、三少年から詳細な事情聴取をしたり、立ち会わせて本件横断歩道からの進行状況を再現させるなどの実況見分をするなどし、それらの調書を作成するなどしておくのが本件事故の真相の解明のために相当であったもので、更に、第一審原告ら被害者側の言い分等にも十分配慮した形で捜査が進められるのが望ましかったとも考えられる。また、当審証人O、同P及び同Qの各証言や甲五三(枝番を含む。)や他の本件各証拠によれば、捜査機関においては、三少年が本件事故の衝撃音を聞いたのは本件歩道橋付近であるのではないかとの疑いを持っていたこと、三少年の検察官による事情聴取のうち、BとCの事情聴取においては、その取調べ自体は同行していたそれぞれの母親の立会いもさせずに、またDの事情聴取においては途中から母親を立ち会わせて、いずれも数時間にわたって行われ、BとCに関しては、取調べの最後にそれぞれの母親も立ち会わせて読み聞けがされたこと、三少年は、J、H及びKの各供述等との関係を相当厳しく追及され、それによって、恐怖感や不信感を抱いたことが認められる。なお、Dの検察官に対する供述調書(甲九二)には、立会人としてその母親の署名押印はなく、B及びCの検察官に対する各供述調書(甲九一、甲九三)には、立会人としてそれぞれの母親の署名押印がある。

しかし、当審証人O、同P及び同Qの各証言や甲八五ないし八七によっても、三少年の警察官に対する各供述調書の取調べの際には、DとBについてはそれぞれの自宅で事情聴取が行われ、Cについては警察署で事情聴取がされているが、いずれも、それぞれの母親も同席の上で、三少年が任意に供述したところに従って各供述調書が作成されたものと認められ、同各供述調書の作成過程について、特に圧力や誘導等があったとも認められない。また、本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、第一審原告らが主張するように、警察や検察の担当者等の捜査機関が第一審被告Y1に不利な証拠を故意に排除したり、有利な証拠を故意にねつ造したことは、認めるに足りる証拠はない。更に、本件事故についての捜査の過程で、前記の認定判断を左右するような事情があったとも、認められない。

なお、第一審原告らは、本件町道の本件交差点から約四四〇メートル北方に所在する一丁目交差点の西詰で自動車を運転して赤信号で停車中に本件事故の衝突音を聞き、その後一丁目交差点を右折して本件町道を南進して本件交差点に向かったGが、右折してすぐに本件交差点の南北方向の信号が赤色から青色に変わるのを見たと言っているのを第一審原告X1らが確認しており、Gは警察でも同趣旨を述べたと言っているのに、警察の担当者らは、故意にGの供述調書やその立会いによる実況見分調書等の記録を残さず、あるいは一旦作成した供述調書等を破棄するなどし、証拠隠蔽を図ったなどとも主張する。

しかし、本件記録によれば、原審において、Gは、第一審原告らの申請によって証人として採用され、平成一二年六月一日の期日の呼出状の送達を受けたが、土日曜日以外は出頭できない、何年も前のことで責任をもった証言はできない等の内容の電話連絡を原審裁判所にし(原審記録の第三分類参照)、同期日には出頭せず、同年七月一三日の二回目の期日の呼出状の送達についても、その受領を自ら拒否して差置送達され、同期日にも出頭せず、結局、同人の証人尋問の採用は取り消されたことが認められる。そして、Gが警察に述べた情報について、捜査担当者が供述調書等を破棄したとの証拠もないし、捜査機関が故意に証拠隠滅を図ったとの証拠もなく、むしろ、本件各証拠と弁論の全趣旨によれば、Gは、捜査機関に対して本件交差点の信号の目撃地点や目撃状況を的確に指示できなかったのではないかとも窺われる。いずれにしても、Gが前記の趣旨を述べたことを証拠として採用することはできないというほかなく、第一審原告らのこの点に関する主張も採用できない。

五  争点(2)について

(1)  前記認定事実と本件各証拠及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

ア 本件中央分離帯を含む本件町道の管理者は、第一審被告美原町であり、本件交差点は、比較的交通量の多い本件府道と比較的交通量の少ない本件町道とが交差する交差点であり、さつき野の住宅街の中心部に位置していた。

イ 本件事故当時、本件中央分離帯は、その幅が約一・五メートルで、その南端が本件横断歩道の北端の線から約四・九メートルの距離にあり、前記認定のとおり、その南端から約一・九メートル北の地点から路面からの高さが約一・三メートルのアベリアが北方向に間隙なく植栽され、更に同南端から約二・三メートル北の地点付近に路面からの高さが約三・五メートルのカイズカイブキが植栽され、その北方に約二メートル間隔でほぼ同じ高さのカイズカイブキが並んで植栽されていた。

ウ 本件横断歩道は、歩行者横断帯が幅約四・一五メートル、自転車横断帯の幅が約二メートルで、その全長は約一六メートルであった。

エ 旧建設省の道路緑化技術基準では、分離帯については、その幅員が原則として一・五メートルある場合には、交通視距の確保に障害とならない範囲で植栽地を設置することができるものとされ、一般的に、交差点付近の中央分離帯には、信号機が設置されている場合でも、樹木は植栽されないか金網などが設置されることも多く、樹木が植栽される場合でも、大阪市の道路工事の設計基準等におけるように、横断歩道の側端線又は交差点の中心線から二〇メートルの範囲内を樹高制限区域とし、その区域内の植樹帯の高さを六〇センチメートル以下とすること等を定め、また、中央分離帯の先端から五メートルの範囲についてはその高さを六〇センチメートルに制限するなどし、その付近の見通しを確保し、交通の安全を図っている例もある。

オ 本件事故当時、本件町道の南行車線を南に走行して本件交差点の北詰に至る車両にとっては、前記の植栽があったため、南進を続けて本件中央分離帯が途絶える直前まで、西側の視界を確保すること、すなわち、本件中央分離帯より西側の本件横断歩道及び横断歩道直近の歩道付近の状況を見通すことは、ほぼ不可能な状況であった(乙一の三添付の各写真参照)。それと同時に、本件横断歩道を東進しようとする歩行者にとっても、前記の植栽があったため、前記南行車線を車両が走行するかどうかを確認することが困難な状況になっており、このような状況は、本件事故の相当以前から継続していた。

カ 本件事故当時、前記認定のとおり、第一審被告Y1は、青信号に従って本件交差点に進入したものであったが、本件交差点の西側の視界が前記の植栽によってこのように遮られていなければ、西方向の見通しができたことから、運転操作等により本件事故の発生を回避したり、その結果を軽減したりすることが可能となり、また、本件横断歩道を自転車で横断したAの方も、本件町道の南行車線を走行してくる加害車両を発見することができ、本件事故を回避できた可能性が十分にあった。

(2)  一般に、信号機によって交通整理が行われている交差点においても、交差点の周囲の一定範囲内の見通しはできる限り確保すべきものというべきであり、前記認定事実によれば、本件事故当時、本件交差点においては、信号機によって交通整理がされていたものではあるが、本件中央分離帯に植栽された樹木が前記のような状態であったため、そのような植栽が、本件町道を北から南に走行して本件交差点に進入する車両の本件交差点の西方向の視界を極度に遮り、また、本件中央分離帯の西側の本件横断歩道からも、その東北方向の南行車線への視界をも相当程度遮っていたというべきで、しかも、このような状態であることは、道路管理者側にも一見して明らかな状態が継続していたというべきである。そうすると、本件中央分離帯の植栽が前記のような状態にあったことは、すなわち本件町道が通常有すべき安全性を欠いていたものといわざるを得ない。道路管理者としては、少なくとも、植栽木の高さについては、最も通行量が多いと考えられる普通乗用自動車の車高や大きさ、平均的な幼稚園児の年長者や小学生の身長等に照らして、その植栽を道路面から約六〇ないし七〇センチメートル程度以下に制限し、植栽木の範囲については、時速五〇キロメートルの制動距離等に照らして、本件横断歩道の外縁から約二五メートルの範囲において、本件中央分離帯に高木を植栽すべきではなく、低木については前記の範囲内になるように剪定する必要があったというべきである。

このように、本件町道の管理には瑕疵があり、本件事故は、それに起因して発生したものというべきである。

(3)  第一審被告美原町は、本件交差点のように、信号機によって交通整理がされている以上、道路管理者としては、罰則もある信号表示に従うべき法規上の義務に違反して通行する車両や歩行者があることまで予想して道路管理をしなければならないものではなく、本件中央分離帯の植栽が前記のとおりの状態であったとしても、本件中央分離帯は、通常有すべき安全性に欠けるところはなかったというべきで、この点をもって道路管理の瑕疵であるとはいえないとの趣旨に解される主張をする。しかし、交差点において、一方向の車両通行が赤信号で規制されていても、そのような規制の遵守を期待できない幼児が飛び出したり、緊急自動車や事故に起因する車両が走行したり、災害等によって障害物が移動することもあり得るし、また、信号表示を遵守せずに車両を走行させた者に対しても、法的にいかなる保護も与えないというのは明らかに行き過ぎであって、事故が発生した場合には損害の公平な分担の観点を考慮しつつも(一定の要件の下に過失相殺がされる可能性があるのは当然である。)、その生命、身体の保護を図るべきであるから、道路管理者の責務としては、第一審被告美原町の前記の主張のようにはいえないというべきである。前記の認定・判断に反する第一審被告美原町の主張は、後記の過失相殺の点を除き、いずれも採用できない。

六  争点(3)について

(1)  本件事故によるAの損害は、本件各証拠と弁論の全趣旨により、次のとおりと認められる。

ア 逸失利益

本件事故の年である平成八年の大学卒業者の平均年収である六八〇万九六〇〇円に五〇パーセントの生活費控除をした上、年五パーセントの中間利息控除をして大学卒業後就労可能年齢までの逸失利益を計算すると、三九〇〇万九八一五円となる。

680万9600円×(1-0.5)×(18.5651-7.1078)

第一審原告らは、いわゆるバブル経済崩壊後の金利動向等を根拠として中間利息控除の際の利率を三パーセントとすべきである旨主張する。しかし、将来の請求権の現価評価にあたっては、法的安定性及び統一的処理の見地から、一律に法定利率により中間利息の控除をするのが相当であり、逸失利益の中間利息控除についても、民事法定利率によるのが相当である。

イ Aの慰謝料

本件に表れた一切の事情、特に将来性豊かな人生そのものを奪われたAの精神的苦痛、愛する息子を突然奪われた両親や家族の心情等を総合すると、慰謝料は、二五〇〇万円とするのが相当である。

ウ 葬儀費用について

葬儀費用は、一四〇万円が相当である。

(2)  第一審原告ら固有の慰謝料について

第一審原告ら固有の慰謝料は、原則として、Aの前記認定の慰謝料の算定でその事情が斟酌されているものと認められ、更に、それ以上に第一審原告ら固有の慰謝料を肯認し得る事情は認められない。

第一審原告X3及び同X4の各慰謝料請求は、理由がなく、更に、各弁護士費用相当の損害も認められないから、第一審原告X3及び同X4らの各請求は、理由がない。

七  争点(4)(過失相殺)について

(1)  前記の認定事実及び判断によれば、本件事故は、Aが赤色信号を表示しているのに本件横断歩道を横断し、第一審被告Y1が青色信号の表示に従って本件交差点に進入して発生したものであるが、第一審被告美原町が管理する本件町道の管理の瑕疵にも起因するものであり、更に、第一審被告Y1にも前記認定のとおり速度違反の落ち度がある。これらの事情を総合して、第一審被告美原町、第一審被告Y1ら及びAの各過失割合(第一審被告美原町については、国家賠償法二条の責任割合)は、第一審被告美原町と第一審被告Y1らの共同不法行為に準じて、いわゆる絶対的過失割合として、それぞれ二割、一割、七割の割合(ただし、第一審被告Y1と同Y2は、前記一割について、その内部では同割合)と解するのが相当である。そうすると、Aは、第一審被告ら各自に、その損害額の一〇分の三を請求できることになるものと解される(最二小判平成一五年七月一一日・判例時報一八三四号三七頁参照)。

なお、第一審被告美原町は、過失相殺の主張を明示的にはしていないが、Aが信号の赤色表示に違反して本件交差点に進入したことを指摘し、その関係で道路管理に瑕疵がなかったとも主張しているから、弁論主義の観点からも、明示的な主張がないことは、上記のように認定・判断する妨げとはならないと解される。

(2)  そうすると、第一審被告らは、連帯して、Aに対し、前記六の(1)の合計金額である六五四〇万九八一五円の一〇分の三である一九六二万二九四四円の損害賠償義務を負うことになる。

(3)  第一審原告X1及び同X2は、前記(2)のAの損害賠償債権を各二分の一の割合で相続したもので、それぞれの弁護士費用相当の損害が各二〇〇万円と認められるから、同第一審原告二名は、それぞれ、第一審被告ら各自に対し、一一八一万一四七二円の損害賠償請求権を有することになる。そして、前記のとおり、平成一〇年九月一一日、同第一審原告二名は、自賠責保険から合計三〇〇〇万円の支払を受けたので、これによって、同第一審原告二名について、本件事故の日から平成一〇年九月一一日までの遅延損害金分(各一三六万八八三六円)も含めて、第一審原告X1と同X2の各損害賠償請求権は、すでに填補されて消滅したものというべきである。

八  結論

以上のとおりであり、第一審原告らの本件請求はいずれも理由がないことに帰するから、これらをいずれも棄却すべきである。そうすると、第一審被告美原町の控訴に基づいて原判決中、同第一審被告敗訴の部分を取り消し、同部分について第一審原告X1及び同X2の各請求をいずれも棄却し、第一審原告らの各控訴はいずれもこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 八木良一 三木昌之 島村雅之)

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