大阪高等裁判所 平成13年(ネ)3995号 判決 2002年6月19日
控訴人兼被控訴人(以下「第1審原告」という。)
甲野一郎
同訴訟代理人弁護士
村松昭夫
同
坂本団
控訴人兼被控訴人(以下「第1審被告」という。)
株式会社カントラ
同代表者代表取締役
乙山二郎
同訴訟代理人弁護士
山田忠史
同
川口伸也
同
浜本光浩
主文
1 第1審被告の控訴に基づき,原判決を次のとおり変更する。
(1) 第1審被告は,第1審原告に対し,389万8572円及びこれに対する平成12年7月28日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
(2) 第1審原告のその余の請求を棄却する。
2 第1審原告の控訴を棄却する。
3 訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを5分し,その3を第1審原告の負担とし,その余を第1審被告の負担とする。
4 この判決の第1項(1)は,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 第1審原告
(1) 原判決を次のとおり変更する。
第1審被告は,第1審原告に対し,994万2506円及びこれに対する平成12年7月28日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
(2) 第1審被告の控訴を棄却する。
(3) 訴訟費用は第1,2審とも第1審被告の負担とする。
(4) (1)につき仮執行の宣言
2 第1審被告
(1) 原判決中,第1審被告の敗訴部分を取り消す。
第1審原告の請求を棄却する。
(2) 第1審原告の控訴を棄却する。
(3) 訴訟費用は,第1,2審とも第1審原告の負担とする。
第2事案の概要
1 事案の要旨
(1) 第1審原告は,慢性腎不全のために第1審被告を2年近く休職していたが,平成10年6月,第1審被告に対し,就労が可能になったとして復職を申し出たところ,第1審被告はこれを拒否した。その後,第1審原告は,平成12年2月に第1審被告に復職した。
第1審原告は,第1審被告に対し,第1審原告が復職を求めた時から現実に復職するまでの間の第1審被告による就労拒否は理由がなく不当であるとして,復職が可能になった時から現実に復職するまでの間の賃金(賞与〔一時金〕を含む。)として994万2506円及びこれに対する平成12年7月28日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年6分の割合による遅延損害金の支払を求めた。
(2) 原審は,第1審被告に対し,賃金461万9550円及びこれに対する平成12年7月28日から支払済みまで年6分の割合による遅延損害金を第1審原告に支払うよう命じた(第1審原告が求めた平成10年6月16日から復職可能であったとして,その間の給与の支払を命じたが,賞与については立証がないとして棄却した。)。
(3) これに対し,第1審原告及び第1審被告の双方が控訴して,それぞれ第1のとおりの裁判を求めたものである。
2 前提事実及び争点
(1) 前提事実
本件の前提事実は,原判決2頁8行目から5頁5行目までのとおりであるから,これを引用する。
ただし,原判決3頁22行目の末尾に「しかし,第1審原告が復職するには至らなかった。その事情は,後に検討する。」を加える。
(2) 争点
第1審被告は,第1審原告に対し,平成10年6月分から平成12年1月分までの賃金を支払う義務があるか。
3 当事者の主張
当事者双方の主張は,以下のとおり補正するほか,原判決5頁13行目から18頁3行目までのとおりであるから,これを引用する。
(原判決の補正)
(1) 原判決6頁14行目の「同年7月8日」を「同年7月初めころ」に改め,16行目から17行目にかけての「同月9日」を「同月6日」に改める。
(2) 原判決15頁20行目の項番号「4」を「3」に改める。
(3) 原判決16頁17行目から17頁7行目までを次のとおり改める。
「4(一) 賃金請求権の不発生
第1審原告は,本件において,債務の本旨に従った履行の提供をしていない。その理由は,次のとおりである。
(1) 復職の要件である治癒とは,原則として「従来の職務」を「通常の程度」に行える健康状態に復したときをいうものと解すべきである。したがって,ほぼ平癒したが従前の職務を遂行する程度に回復していない場合には,復職は認められないのが原則である。
しかも,職種を限定して採用された場合には,上記原則に例外はない。
(2) 第1審原告は,第1審被告の田辺営業所(現京都支店)において,大型運転免許取得者として貨物自動車運転者の「職務限定」で採用されたものである。
第1審原告は,採用時に,就業時間は,午前8時から午後4時30分までを基本として,早朝出勤があること,1日平均2時間・月間50時間の時間外労働があること,休日は1週1休で4週4休の範囲で振替えがあることなどの説明を受けて了解している。田辺営業所における貨物自動車運転手は,グループに配属され,各グループ内でローテーションを組んで仕事をしていた。第1審原告の職務は,高速道路を10トントラックで走行するもので,その業務には高度の危険性が伴う。
第1審原告は,休職前には月60時間の残業をしており,休日・休暇は年間合計104日とされていたが,大型運転者の勤務実態として18日間公休出勤しており,第1審原告も例外ではなかった。
(3) ところで,第1審原告の復職申入れは,B診断書(<証拠略>),C診断書(<証拠略>),F診断書(<証拠略>)のいずれの診断内容をもってしても,第1審原告の「従前の職務」を「通常の程度」に行うことを許容するものとは認められない。
したがって,第1審原告の復職申入れは,債務の本旨に従った履行の提供をしようとしたものとはいえない。
よって,第1審原告には,賃金請求権は発生しない。」
(4) 原判決17頁10行目の「一環して」を「一貫して」に改める。
第3当裁判所の判断
1 本件の事実経過
証拠(<証拠・人証略>),前提事実及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 第1審被告における労働条件等
ア 第1審被告は,一般区域貨物運送業を目的とする会社であるが,従業員は,職員,運転者,作業員,整備工及びその他の職種に区別されていた(就業規則第3条)が,業務の都合によって,職種の変更又は他の業務の応援,又は職場の異動等を命ずることがあるとされていた(就業規則第21条本文)。
運転者とは,貨物自動車で配送業務を行う職種であるが,配送業務とは,荷積み,目的地への配送,荷降し後帰社というものであった。
イ 第1審被告における労働時間は原則として1日7時間30分,1週40時間以内とされ,通常の勤務時間は午前8時から午後4時30分まで(同第24条,休憩時間1時間)で,1日7時間30分を超える労働時間は超過労働として扱われていた(同規則第26条)。休日は1週1日であり,年間の休日及び休暇は104日であった(同第34条)。
ウ 業務外の傷病による休職については,業務外の傷病により引き続き6か月欠勤したときは休職としてその間賃金を支払わないものとし,休職期間は勤続年数が1年未満の者は1年半,勤続年数が1年を超える者については1年を超える1年ごとに1か月を加算し,最高2年であった(同規則第54条,55条)。また,休職期間が満了しても復帰できないときは退職扱いとされる(同規則57条3項)。
エ 第1審被告における賃金の支払は,平成10年12月以前は,毎月15日締めの当月27日払い(全手当とも),平成11年1月以降は,固定部分については毎月末日締めの当月27日払い(前払い),変動部分については毎月末日締めの翌月27日払いであった。
オ(ア) 第1審被告と組合との協定ないし確認事項として,昭和61年3月16日に最低賃金制度を定めており,その内容は以下のとおりであった。
18歳以上 月額11万5500円(臨時・嘱託・パートは除く。)
25歳女子 月額13万円
25歳男子運転者 時給870円
35歳男子運転者 時給950円
30歳男子事務員 月額15万6000円
(イ) また,平成12年4月1日以降の最低保障賃金額(保障給)は,平成12年4月1日付け賃金マニュアルによれば,大型運転者の場合は月額34万6500円であり,その適用条件については,所定労働日数以上の実労働出勤の乗務員に対してこれを保障し,個人的理由(免許停止等)により通常の職務に就けない場合や大型免許所持者であっても1か月(賃金計算期間)に大型車に一度も乗務しないときなどは保障しないとされている。
(2) 第1審原告が第1審被告を休職するまでの経緯
ア 第1審原告(昭和23年10月2日生)は,昭和63年12月16日(当時40歳),第1審被告の田辺営業所(現京都支店)において職種を運転者と特定して雇用された(採用時説明書<証拠略>の採用の条件中,採用職種が運転者とされている。なお,<証拠略>)。そして,以後,大型貨物自動車の運転手として稼働してきた。
イ(ア) 第1審原告の採用時の労働条件は,就業時間は原則として午前8時から午後4時30分までで,拘束時間8時間30分,実労働時間7時間30分,作業状況により早朝出勤,超過労働があること,休日は基本的には1週に1日,賞与は毎年7月と12月の2回であり,賃金の支払日は,毎月15日締めの当月27日支払であった(<証拠略>)。
(イ) 第1審原告の休職前の職務は,大型貨物自動車の運転手として,京都から愛知,岡山,石川・福井,浜松,香川,兵庫,大阪への主として10トントラックによる貨物配送を基本とするものであり,このほか京都から福岡,群馬,東京への10トントラックによる貨物配送も行うというものであった。休職直前である平成8年5月から同年6月まで(労働日数41日)の第1審原告の時間外労働時間は合計130.8時間であり,1日平均3.19時間であった。
ウ 第1審被告では,産業委(ママ)をC診療所のC医師としており,また,ほぼ毎年1回C診療所に委嘱して健康診断を行っていた。
第1審原告は,平成5年10月31日の健康診断では尿検査のタンパクが++,血液検査では低色素貧血症・要治療とされ,平成6年10月30日及び平成8年1月28日の健康診断では,いずれも血液検査・尿検査等の結果により腎機能障害の疑いのため要精密検査との判定・指示を受けた。
しかし,第1審原告は,その判定・指示を十分認識せず,精密検査を受けなかった。
エ 第1審原告(当時47歳)は,平成8年9月21日に配送先の愛知県内において突然腹痛に見舞われ,同県内のA医院で診察を受けたところ,尿路結石と診断されたため,同月25日まで同病院に入院した。
第1審原告は,同病院を退院した翌日の同月26日,京都府宇治市所在のB医院においてB医師の診察を受けたところ,「病名・慢性腎不全,向こう約2か月間の安静加療を要する見込みである。」と診断され(<証拠略>),食欲も体力も落ちており,また血圧も高かったので,慢性腎不全の治療のために同日から欠勤した。
第1審原告は欠勤を続け,業務外の疾病による欠勤が6か月以上続いたため,第1審被告は,平成9年3月26日から第1審原告を休職扱いとした。第1審原告の休職期間は,就業規則の規定に基づき,平成11年3月25日までの2年間であった。
オ 第1審原告は,休職中,治療のためB医院に通院し,第1審被告に対してB医師作成の診断書を提出していた。すなわち,平成8年11月26日付け(<証拠略>),平成9年1月27日付け(<証拠略>),同年3月26日付け(<証拠略>),同年7月1日付け(<証拠略>),同年10月1日付け(<証拠略>),同年12月29日付け(<証拠略>)及び平成10年4月11日付け(<証拠略>)の各診断書によれば,いずれの時期においても,慢性腎不全のため以後約2か月ないし3か月の安静加療を要すると診断されていたが,最後の平成10年4月11日付けのもの(<証拠略>)では,今後約2か月間の安静加療を要する見込みであるとされていた。
(3) 平成10年6月以降第1審原告が仮処分を申し立てるまでの経緯
ア 平成10年5月ころ,第1審原告は,主治医であるB医師から「職務に復帰してもよい。」と言われたので,同年6月1日,第1審被告に対し「運転者の職務に復職したい。」旨を申し入れた。
しかし,第1審被告は,それまでに第1審原告から提出された上記各診断書には,いずれも第1審原告は慢性腎不全のために2か月ないし3か月間の安静加療が必要である旨の記載があり,最終のものでも約2か月間(同年6月11日ころまで)の安静加療を要する見込みとされていたことから,第1審原告の申出を即座に受け入れることができなかった。第1審原告は,「運転業務に耐えられる。」旨を述べたが,第1審被告のN部長は,逆に「第1審原告は治療に専念すべきであるが,経済的に困っているのであれば,アルバイトとして週に何回か勤務したらどうか。」と提案した。第1審原告は,これを拒否した。
そして,第1審原告は,第1審被告に対し,平成10年6月13日に同月12日付けB医師の診断書(<証拠略>)を提出した。同診断書には,「病名・慢性腎不全」,「疲労の残らない仕事量から開始し,検査を行いながら,どの程度の仕事量までなら腎機能をこれ以上悪化させないかを検討しながら仕事量を考えていく必要がある。」との記載があった。
イ(ア) このような診断書の提出があったため,第1審被告は,第1審被告の産業医であるC医師の診断を復職についての判断基準にしようと考え,第1審原告に対し,C医師の診断を受けるように指示し,第1審原告は同指示に従い,同月19日,C診療所において,血液検査,尿検査,超音波検査を受けた。
(イ) 上記検査の結果,第1審原告のクレアチニン値が6.1mg/dl(基準値0.6~1.3以下。以下単位省略)で正常値の5倍から10倍という高い値であり,また,尿素窒素値が31mg/dl(基準値8~21。以下単位省略),α1マイクログロブリン値は50.0mg/l(基準値10.0~25.0,以下。以下単位省略),尿中のα1マイクログロブリン値が26.8mg/l(基準値10.0以下。以下単位省略)といずれも正常値を大きく上回っていた上,超音波検査の結果,左腎・右腎とも萎縮し,硬化症が複数認められた。
(ウ) これらの検査結果から,C医師は,いわゆるデスクワークのような肉体的疲労が少なく適宜休憩をとることが可能な業務であればともかく,運転業務は,第1審原告の症状を悪化させる可能性や交通事故惹起などの可能性があると考えられることから,長距離及び近距離の貨物自動車の運転業務への就労は危険であると判断した。
そして,6月25日付けC医師の診断書(<証拠略>)を作成し,同診断書に「慢性腎不全,慢性肝障害により就業不可。要治療である。」との記載をした。また,その際,C診療所は,第1審被告に対し「第1審原告については早急に透析等の治療を受けることを勧める。第1審原告に透析ができる病院を第1審原告に紹介していただいたらどうか。」との旨を伝えた(<証拠略>。なお,C医師がデスクワークのような作業であれば就業も可能であるかどうかの意見を第1審被告に伝えたことを認めるべき証拠はない。)。
ウ(ア) これに対し,第1審原告は,C医師の診断に納得ができなかったので,同年7月6日,D大学E病院(横浜市)で腎臓病の専門医であるF医師の診察を受け,その後F医師の診断書(<証拠略>)を第1審被告に提出し,再度第1審被告に対して就労を認めるように申し出た。同診断書には,「病名・慢性腎不全」,「上記につき当分の間治療を要す。ただし,8時間を上限とした通常業務は可とする。可能な限り軽作業が望まれる。近距離の車輌運転は可。週2回の休日が望まれる。」との記載があった。
(イ) 第1審被告は,上記F医師の診断書(<証拠略>)の提出はあったものの,6月25日付けC医師の診断書(<証拠略>)を基に,第1審原告の復職は困難であると判断した。
そして,同年7月18日,「休職に関する件」と題する書面(<証拠略>)を第1審原告に交付し,「職場復帰については,産業医の証明書(慢性腎不全により就業不可)を重く考えている。第1審原告の場合は,労働安全(衛生)法68条(病者の就業禁止)及び労働安全(衛生)規則61条3項に抵触すると考えられ,第1審被告としては就業を認めないので通知する。」旨通知した。
エ(ア) ところが,第1審原告が同年8月21日ころに出勤しようとしたため,第1審被告は,第1審原告が慢性腎不全のために入院治療が必要であることを理由に職場構内への入場を禁止し,その旨の記載のある同年8月21日付けの「職場入門禁止の件」と題する書面(<証拠略>)を第1審原告に交付した。同書面には,このような症状の第1審原告を会社として職場復帰させることは絶対ないこと,また職場復帰の可否は第1審被告の産業医であるC医師の診断によって判断するとの記載があった。
(イ) 同年9月25日,組合から第1審原告の職場復帰の交渉申入れがあり,交渉が行われた。
同年12月28日,組合との交渉の中で,第1審被告は「産業医の診断を受けてもらい,その診断結果に応じて検討する。」旨を回答した。
その後も,第1審原告は,組合を通じて復職について第1審被告と交渉を続けたが,解決には至らなかった。
オ(ア) 平成11年1月20日,第1審原告は,組合役員とともにC診療所を訪れ,C医師の診察を受けた。
C医師は,同日の検査結果ではクレアチニン値は6.3と相変わらず高い数値であり,また,尿素窒素値も前回の検査時よりはやや低かったものの,正常値よりはかなり高い28という数値であったが,同日付けで,「第1審原告は慢性腎不全のために治療を要する。ただし,長距離の運転をしない,8時間以上の労働をしない,週2日以上の休日を必要とし,軽作業(デスクワーク)の就労なら可とする。」と診断し,軽作業であれば就労可能であるとの診断をした(<証拠略>)。また,C医師は,第1審原告に対し,就労再開にあたって,G病院で診断を受け,就労再開及び今後の継続的な治療及び健康管理の指導を受けるように指示し,G病院への紹介状を渡した。
(イ) 上記診断以降,第1審原告は,組合を交えて第1審被告と復職のための交渉を行った。同交渉の中で,第1審原告の復職の条件が話し合われ,それを踏まえて,第1審被告は,平成11年1月30日ころ,「覚書」と題する合意案(<証拠略>)を用意した。覚書による第1審被告側の復職の条件は,<1>第1審原告が将来慢性腎不全が悪化した場合は休職期間満了をもって退職すること,<2>休職期間中の賃金は一切支払わないこと,<3>就労可否の判断及びその判断基準をC医師に委ねること,<4>復職の期日は同覚書への調印後とすること等であった。
第1審被告は,第1審原告が覚書に合意することが就労の条件であると主張したが,第1審原告は,覚書には,就労可否の判断をC医師のみに委ねることや,退職を約束するような条項,休職期間中の賃金を一切支払わないとの条項が含まれていたことから,覚書の内容に納得せず,同覚書は合意には至らなかった。
カ(ア) その後,第1審原告は,代理人弁護士を通じて,第1審被告と復職についての交渉を行うようになった。
第1審被告は,平成11年6月9日付け「催告書」と題する書面(<証拠略>)で,第1審原告に対し「第1審被告は覚書の内容で就労を認めたにもかかわらず,第1審原告は覚書に調印せず,出社しない。このままでは,就労の意志(ママ)がないものと判断し,休職期間満了日に遡って退職処理をせざるを得ないので,就労の打ち合わせのために出社されたい。」旨を通知した。
しかし,第1審原告は,同年6月12日付け「御通知」と題する書面(<証拠略>)で,第1審原告は就労意思を有していること,そのための話合いの用意はある旨を伝えた。
これに対し,第1審被告は,同年6月25日付け書面(<証拠略>)で,第1審原告が覚書に調印しないことは遺憾である旨を通知し,また,同年9月14日付け書面(<証拠略>)で,就労申出以降の賃金の支払を条件とする復職は応じられないこと,産業医の判断により運転手への復帰が不可とされた以上第1審被告が第1審原告の就労を拒否したことは正当であること,同書面到達後2週間以内に覚書の内容に従って無条件で就労しなければ雇用契約を解約することを通知した。
これに対し,第1審原告は,同年9月20日付けの書面(<証拠略>)で,第1審原告は就労申出以降の賃金請求権はあると考えているが,その支払がされない限り就労しないといっているわけではない,その点は引き続き協議の対象とし,とりあえず就労することを認めてほしい旨を伝えたが,第1審被告は,同年10月6日付け書面(<証拠略>)で,第1審原告が覚書に従って金銭支払を条件としないで就労するのであれば,第1審被告も就労を拒まないと回答した。
(イ) その後も,第1審被告は,覚書の内容の履行を条件とする就労を要求し,一方,第1審原告は,覚書が成立していないことを前提に,過去分の賃金については後日協議することとして,とりあえず就労させてほしい旨の要求を繰り返し,結局,平成11年11月末になっても,第1審原告の復職についての話合いは平行線をたどったままであった。
キ(ア) そこで,第1審原告は,このような状況では,復職について法的な手段をとるしかないと考え,平成11年12月6日,大阪地方裁判所に対して賃金の仮払を求める仮処分の申立て(平成11年(ヨ)第10132号事件)をした。
(イ) 上記仮処分事件において審尋期日が開かれ,平成12年1月21日の審尋期日において第1審原告と第1審被告の間に和解が成立した。
同和解の内容は,<1>第1審原告は,平成12年2月1日から和解条項で定める「復職にあたっての合意」に従って就労する,<2>第1審被告は,第1審原告が平成10年6月1日から現実に就労するまでの賃金について公正な審理において解決を求めることを妨げない等を内容とするものであった。<1>にいう「復職にあたっての合意」とは,第1審原告は毎月かかりつけの医師の診断書を提出する,第1審原告は第1審被告が必要と認めるときは,第1審被告の指定する医師の診断を受け,その診断書を第1審被告に提出する,かかりつけの医師及び第1審被告の指定する医師の診断などを総合的に判断して第1審被告が第1審原告は就労に耐えられないと判断したときは第1審原告に不就労を命じることがある,第1審原告は休職して療養しても就労できる状態まで回復できなかったときは休職期間満了をもって退職する,第1審原告は復職後は軽い庫内作業,助手,短時間の運転業務等の職種に就くものとし,この場合最低保障の適用はしない,ただし,第1審原告の病状により,第1審原告が従前従事してきた運転業務に就くことが可能であると判断された場合は運転業務に従事させる等というものであった。
(4) 第1審原告の復職後の状況
ア 第1審原告は,上記和解条項に基づいて平成12年2月1日から職務に復帰した。
復職後1か月ほどは庫内作業や助手程度の業務を行ったが,1か月ほど経過した同年3月6日からは,主としてベンダーの配送業務を1日1往復担当することになった。ベンダーの配送業務とは,関西圏の自動販売機のベンダーに対する配送業務である。もっとも,第1審原告は,現場の判断により,平成13年3月7日,9日,10日及び14日に愛知へ,同月17日には浜松への配送業務を行った。
イ 平成12年2月1日以降平成13年2月28日までの第1審原告の時間外勤務時間は,以下のとおりであった。
平成12年2月1日から同月29日 45分
3月1日から同月31日 2時間15分
4月1日から同月30日 6時間30分
5月1日から同月31日 4時間30分
6月1日から同月30日 6時間45分
7月1日から同月31日 12時間
8月1日から同月31日 14時間
9月1日から同月30日 7時間45分
10月1日から同月31日 0時間(ママ)45分
11月1日から同月30日 4時間30分
12月1日から同月31日 3時間15分
平成13年1月1日から同月31日 3時間45分
2月1日から同月28日 12時間30分
3月1日から同月31日 4時間30分
ウ 第1審原告のその後の検査結果等は証拠上明らかでないが,現在まで透析等の治療を受けるには至っていない。
2 賃金請求権の有無について
上記認定事実を前提に,第1審原告の平成10年6月分から平成12年1月分までの賃金請求権の有無について検討する。
(1) 職場復帰の基準等について
ア 第1審被告は,第1審原告は運転者として職種限定で第1審被告に雇用された者であるが,第1審被告の産業医であるC医師は第1審原告の就労を不可と判断しており,第1審原告を復帰させることによる第1審原告の病状の悪化,交通事故惹起の危険性等を考えると,第1審原告は前記時点において運転者として業務を遂行することは不可能であったから,第1審原告は債務の本旨に従った債務の履行,すなわち運転者としての労務の提供はできなかったのであり,第1審原告が平成10年6月16日からの第1審原告の復職を認めなかったことには正当な理由があると主張する。
イ 前記認定事実によれば,第1審原告は,運転者として職種を特定して第1審被告に雇用された者であると認められる。そして,労働者がその職種を特定して雇用された場合において,その労働者が従前の業務を通常の程度に遂行することができなくなった場合には,原則として,労働契約に基づく債務の本旨に従った履行の提供,すなわち特定された職種の職務に応じた労務の提供をすることはできない状況にあるものと解される(もっとも,他に現実に配置可能な部署ないし担当できる業務が存在し,会社の経営上もその業務を担当させることにそれほど問題がないときは,債務の本旨に従った履行の提供ができない状況にあるとはいえないものと考えられる。)。
ところで,第1審被告における運転者としての業務は,貨物自動車を運転して貨物を客先に配送するとともに,配送先で積荷の積み降ろし作業を行い,第1審被告の各営業所に戻るという業務であり,運転業務,積み降ろし業務のいずれをとっても肉体的疲労を多く伴う作業が含まれており,また,長距離運転の場合や交通事情になどによっては,相当の肉体疲労を伴うことが予想される業務内容である。
したがって,少なくとも,ある程度の肉体労働に耐え得る体力ないし業務遂行力が必要であるから,これを欠いた状態では運転者としての業務をさせることはできないといわざるを得ない。
しかし,他方で,前記認定事実によれば,第1審被告においては,就業規則において,従業員を従事する業務により職種の区分をしているものの,業務の都合により職種の変更もあることを予定しており(<証拠略>),その職種のうち作業員は,運転者として雇用された者であっても就労が可能と考えられる。また,運転者の業務についても,愛知,石川,福井,浜松,香川への1日1往復の運転業務と,兵庫,大阪への基本的に1日2往復の運転業務がローテーションで行われており,必ずしも長距離運転を前提とするものだけではなかった。
ウ したがって,このような状況において,第1審被告の職場の状況に即応しつつ,第1審原告が運転者としての職務をすることが全くできなかったか,あるいは第1審被告の職場の運営を考慮に入れつつも一定の業務が可能であったといえるかどうかについて検討する。
(2) 慢性腎不全について
ア 慢性腎不全は,基礎となる腎疾患により腎機能が進行性に障害され,腎機能の廃絶から死に至る不可逆的な疾患である。慢性腎不全に罹患すると,腎機能が完全に回復することはなく,ひとたび腎機能障害が発生すれば,その進行速度は人によって数か月から数十年と大きな差異はあるものの,常に増悪傾向を示し,例外はあるものの尿毒症へと進行する。
慢性腎不全の病期は,当初の代償期と,浮腫,血圧上昇,貧血などの腎機能障害に起因する症状の出現する非代償期とに大別され,非代償期が進行すると,透析療法の導入を要する尿毒症となるものである(<証拠・人証略>)。
イ 第1審原告の本件疾病の経過をみると,第1審原告は,既に平成6年10月30日の健康診断において腎機能障害があると判定されて精密検査を受けるように指示されたものの,第1審原告は,特に精密検査を受けることなく,その後2年にわたって,運転者として稼働し,その間,腎機能障害を起因として業務上支障が生じたとの事情は特段認められなかったものである。そして,平成8年9月21日に運送業務の配送先で急遽尿路結石のため入院となったが,退院直後の診断で慢性腎不全のため安静加療を要するとされて欠勤するに至ったものである。
そして,第1審原告は,欠勤,休職期間を併せて約2年間,B病(ママ)院に通院治療し,安静治療が必要とされ,その間の診断の内容はほとんど変化がなかったものの,症状が悪化したとは認められず,透析療法を受けるまでには至らなかったものであるが,平成10年6月の復帰申入れの時点でも,前記のように血液検査の結果等では,慢性腎不全の状況が改善されていない結果を示していたものである。
(3) 職場復帰可能の時期等について
ア 第1審原告が職場復帰を申し入れた時期(平成10年6月)について
(ア) 前記認定事実によれば,平成10年6月12日付けB医師の診断書では,平成10年6月時点では,前記のとおり疲労の残らない仕事量から開始すれば,就労が可能であるような診断がされていた(なお,6月12日付けB医師の診断書について,第1審被告は,同診断書は,B医師が第1審原告に懇願されて作成したものであると主張するが,そのような事実を認めるに足りる的確な証拠はない。)。
しかし,平成10年6月25日付けC医師の診断書では,第1審原告が運転者として復帰できるか否かを前提にその診断結果を記載したものではあるが,運転者としての就労は不可能であるとされていた。
これに対し,第1審原告がその後に提出したF医師の診断書(平成10年7月6日付け)では,第1審原告は従前と同内容の運転者の職務に従事することはできないが,少なくとも疲労度の低い軽作業であれば就労が可能であると診断していたものである。
(イ) ところで,C医師はその経歴に照らすと,循環器よりも消化器系に明るい医師であったとは認められ,他の循環器専門の医師の診断結果や意見をも踏まえて慎重な判断をすべきであったとはいえるが,<1>C医師は第1審被告の産業医として,第1審原告の健康診断も担当していたのであり,平素の診断結果を踏まえた上で上記の診断をしたこと,<2>C医師の診断は,第1審原告の申出を受けて相当精密な検査をした上でのものであり,その検査結果では,慢性腎不全としてなお治療を要するとの判断を裏付ける結果が出ていたこと,<3>それまでのB医師の診断でも,病状が好転していることを示すものはなかったこと,からすると,C医師の診断が誤った不当なものであったということはできない。
(ウ) 第1審被告は,B医師の従前の診断で症状の好転が見られなかったことから,産業医であるC医師の診断を受けることを求め,その検査結果や判断を重視して,平成10年6月の復職を認めなかったものであるが,その直後ころにF医師の診断書が提出されたことを考慮しても,上記C医師の判断の内容等に照らすと,第1審被告の判断は正当というべきである(なお,C医師が軽作業であれば就労可能であることを第1審被告に伝えたと認められないことは,前記のとおりである。)。
(エ) なお,第1審被告の就業規則では,業務の都合により職種の変更等を命ずることがあるとされていたところ,職種のうちで変更の現実的な可能性があるのは作業員と考えられるが,第1審原告は運転者として復帰したいと希望したものであり,第1審被告として運転者として復職の可能性があったかどうかを検討したことに誤りがあるとはいえない。
イ 平成10年7月から同年12月ころまで
同期間の推移は前記のとおりである。
この間には,出勤を求める第1審原告とこれを認めない第1審被告との折衝があり,組合を交えて交渉が行われたが,第1審原告からは前記同年7月6日のF医師の診断書以外に診断書等の提出はなかったものである。F医師の診断はC医師の診断と異なるものであるが,その後もC医師による詳細な説明の書類等が提出されたとは認められないのであるから,上記期間の間のいずれかの時点で,第1審原告が勤務できる状況になったとは認め難く,第1審被告が復職を認めなかったことにも不当な点は見いだし難い。
ウ 平成11年1月のC医師による第2回診断の後について
(ア) 前記認定のように,同時点で第1審原告は改めてC医師の診断を受け,C医師は軽作業であれば復帰可能であるとの診断をした。
この時点でも,検査結果は前回のときの結果と大差なかったが,C医師は,それまでの状況に基づき上記の診断をしたものである。
そして,慢性腎不全は前記のような疾患であるところ,腎機能障害が発生するとその後は障害の憎(ママ)悪傾向を示すものであるが,その進行速度は人によりある程度の差があり,早い場合には数か月で尿毒症に移行するが,遅い場合には尿毒症に至るまで数十年かかる例もあるとされているものである。そして,第1審原告の場合には,平成6年の健康診断以降,特段の治療を受けなかったが,2年あまり運転者として通常の勤務をしたものであり,平成8年9月に尿路結石になり,慢性腎不全のため欠勤するようになってから,平成10年6月の復職申入れまでの2年近くも大きな変化なく推移してきたものであるから,第1審原告が欠勤前のような長距離運転を含む業務に直ちに従事することは困難としても,時間を限定した近距離運転を中心とする運転業務であれば,復帰可能な健康状態にあったというべきであり,時間を限定しない作業員の業務も可能であったと認められる。
(イ) 第1審被告として,平成10年6月の復職申入れを認めなかったのは,前記のとおり正当であるが,その後第1審原告から同年7月6日付けのF医師の就労可能との診断書が提出され,同年8月からは第1審原告が強く復帰を求めていたのであるから,客観的な健康状態と就労可能かどうかについて検討すべきであったというべきである。
そして,前記のとおり平成11年1月20日の前記C医師の診断を基に検討すれば,比較的軽度の作業の運転者等として復帰を認めることが可能であったというべきである。
確かに,第1審被告としては,比較的長距離の運転業務(1日1往復)と比較的近距離の運転業務(1日2往復)とをローテーションを組んで運転者を使用しており,第1審原告を受け入れるとそのローテーションが乱れるおそれがあり,第1審被告の業務運営上,問題が生じないではない。
しかし,本人の病状悪化の可能性がそれほどでなく,運転業務の危険等もないような場合には,業務に与える不利益と就労可能性とを慎重に比較検討すべきであり,本件の場合復職を認めることが第1審被告に看過し難い不利益を与えるものであったとは認め難い。
(ウ) 現に,その後第1審被告と第1審原告とは,組合を交えて復職のための交渉を行っており,その間には交渉に伴う行き違い,あるいは組合と第1審原告との行き違いもあって,実際の復職は平成12年2月にずれ込んだものの,第1審被告も平成11年1月以降は復職を前提とした交渉に入っていたものである。
そして,復職後,作業量は限定しながらも,現在まで第1審原告は一定の業務を行ってきているのである。
(エ) 第1審被告は,C医師の平成11年1月の診断以来,第1審原告の健康状態に応じた業務を用意して就労を催告したのに,第1審原告が一方的に就労を拒否したものであると主張するが,前記の事実関係に照らすと,第1審原告が就労を拒否したとは認められない。
第1審被告の指摘する覚書は,第1審被告と組合とがほぼ合意に達したものとはうかがえるが,第1審原告がその内容を了承したとまでは認め難いし,第1審原告は覚書に調印しなかったものである。そして,第1審被告は,覚書の内容を就労の条件としたとみられるところ,第1審原告がこれに応じなかったとしても,これをもって第1審原告が一方的に就労を拒否したものと認めることはできない。
(オ) これらを総合してみるとき,第1審原告は,遅くとも平成11年2月1日には,業務を加減した運転者としての業務を遂行できる状況になっていたと認めることができ,第1審原告は,債務の本旨に従った履行の提供をしたものと認められる。
エ まとめ
以上によれば,第1審被告は,第1審原告に対し,復職が可能となった平成11年2月1日から現実に復職した前日である平成12年1月末日までの賃金支払義務がある。
オ 信義則違反・権利の濫用の主張について
第1審被告は,本件請求が信義則違反ないし権利の濫用であると主張するが,前記認定の事実関係に照らし,同主張は採用することができない。
(4) 賃金額について
ア 本人給,住宅手当,下車勤務手当
(ア) 本人給
a 平成11年2月,3月
第1審原告の本人給は12万5000円,第二本人給は3万7450円であったと認められる(前提事実)。その合計は16万2450円である。
b 平成11年4月から平成12年1月まで
第1審原告は,平成11年春闘で本人給が一律3100円引き上げられたので,本人給は,平成11年4月から12万1000円になると主張している。しかしながら,(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば,本人給が引き上げられたことは認められるものの,上記3100円のうち1000円は定期昇給分であり,第1審原告の場合,平成10年1月から同年12月までの期間中の出勤日数が所定労働日数の8割に満たないから,定期昇給の効力を受けず,昇給は停止されるのであるから,第1審原告の昇給は2100円である。したがって,平成11年4月以降の本人給は12万7100円と認められる。
第二本人給との合計は16万4550円となる。
(イ) 住宅手当 6200円(<証拠略>)
(ウ) 下車勤務手当 4万9481円
日額2275円(運転者の下車勤務手当。<証拠略>)
1か月を21.75日として(<証拠略>),1か月分で4万9481円)となる。
(エ) そうすると,以上の合計は次のとおりである。
a 平成11年2月及び3月
1か月当たり21万8131円,合計43万6262円
b 平成11年4月から平成12年1月まで
1か月当たり22万0231円,同期間計220万2310円
c 平成11年2月から平成12年1月までの合計263万8572円
イ その他の各種手当等について
(ア) 第1審原告は欠勤前の3か月間各種手当を含め平均40万円前後の支給を受けていたことが認められる。
しかしながら,平成11年2月以降の状況は前記のとおりであり,運転者としての業務は一定程度しかできない状態であったというべきである。
そうとすると,運行管理・委員手当,精勤手当,有給休暇手当,早出・時差手当,休出手当,残業手当,乗務残業手当,出来高手当,出来高残業手当,深夜手当,乗務深夜手当,出来高深夜手当,無事故手当,長距離手当の支給を受けられたとは認め難いというべきである。
(イ) 乗務手当,大型運転者乗務手当,出来高手当については,断定することは困難であるものの,第1審原告の可能な就労状況に照らすと,一定額の支給を受けられたと考えられる。その金額の認定は困難であるが,欠勤前3か月の平均の2分の1程度と認めるのが相当である。
そうすると,これらの手当の欠勤前3か月の合計は18万3330円(前提事実),1か月の平均は6万1110円となり,その2分の1は月額3万0555円となる。その1年分は36万6660円となるが,上記就労可能の状況にかんがみ,少なくとも36万円の支給を受け得たものと認める(第1審原告は,現実に復職した際は,約1か月後に運転者に戻ったことが認められるが,平成11年2月に復職していれば,平成12年2月も運転者として勤務できたはずであり,運転者としての各種手当てを受けられたはずであるから,この点を考慮して,上記平成11年2月から平成12年1月までの期間については全期間運転者として乗務手当等の支給をうける(ママ)得るものと認めるのが相当である。)。
(ウ) なお,前記認定事実によれば,第1審原告が同期間において保障給の適用要件を満たしたことについては,的確な立証がないというべきである。
(エ) 以上のとおり,ア以外の各種手当として36万円の支給を受けられたというべきである。
ウ 賞与(一時金)について
(ア) 第1審原告は,上記期間において,他の従業員は賞与を4回支給され,第1審原告も次のとおり支給されるはずであったと主張する。
平成10年年末 61万7367円
平成11年夏季 54万2696円
平成11年年末 62万2311円
平成12年夏季(差額) 16万6547円
合計 194万8921円
(イ) 確かに,前記認定事実によれば,第1審原告は労働契約に基づき年に2回第1審被告から賞与の支給を受けることになっており,また,復職後は平成12年7月に42万5417円,同年12月に62万9014円をそれぞれ賞与として支給されていることが認められる(<証拠略>)。
ところで,第1審原告が平成11年2月1日に復職したとすれば,平成11年夏季及び年末に各一時金の支給を受けることができ,また,平成12年夏季における一時金の支給額は現実の支給額(42万5417円)より多くなっていたと推認することができる。
その金額については,同期間の正確な勤務状況及び内容を想定することができないから,確定的に算出することは困難であるけれども,その全額について証明がないとすることは相当でなく,前記認定にかかる第1審原告の就労可能状況,平成12年夏季以降の一時金支給状況に弁論の全趣旨を総合すると,平成11年夏季支給分と平成12年夏季の差額とを合わせて少なくとも45万円,平成11年年末支給分として少なくとも45万円の支給を受けられたと認めるのが相当である。その合計額は90万円となる。
エ まとめ
以上の合計は,389万8572円となる。
3 結論
よって,第1審被告は,第1審原告に対し,平成11年2月1日から平成12年1月31日までの賃金(平成11年2月1日に復職することによる賃金)として,合計389万8572円及びこれに対する平成12年7月28日(支払時期以後の日で訴状送達の日の翌日)から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払義務がある。
第1審原告の請求は上記の限度で理由があるから認容すべきであるが,これを超える請求が理由がなく棄却を免れない。
よって,これと異なる原判決は相当でないから,第1審被告の控訴に基づき原判決を変更し,第1審原告の控訴は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩井俊 裁判官 水口雅資 裁判官大出晃之は,転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 岩井俊)