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大阪高等裁判所 平成13年(ネ)4151号 判決 2003年6月24日

控訴人

西田艶子

他2名

上記三名訴訟代理人弁護士

浅野省三

田渕学

齋藤朋彦

被控訴人

上記代表者法務大臣

森山眞弓

上記指定代理人

仁田裕也

他3名

主文

一  原判決を取り消す。

二  控訴人らと被控訴人との間において、別紙図面記載のP6、K6、K4、K5、K7、K8、P6の各点を順次直線で結んだ線で囲まれた範囲の土地が控訴人らの所有であることを確認する。

三  訴訟費用は、第一・二審を通じ、被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

主文同旨(当審において、主文第二項記載のとおり請求の趣旨を補正した。)

第二事案の概要

一  事案の要旨

本件は、控訴人らが被控訴人所有の里道の一部分について取得時効により所有権を取得したとして、被控訴人に対し、同部分の所有権確認を求める事案である。

二  争いのない事実等

(1)  日本国有鉄道(現東海旅客鉄道株式会社)(以下「旧国鉄」という。)は、別紙物件目録記載1、2の各土地(以下「本件土地」という。)を所有していた。

(2)  西田常治(以下「常治」という。)は、東海道新幹線の計画用地地域内にある同目録記載4ないし7の土地(以下「常治旧土地」という。)を所有し、その地上に建物を所有し、家族とともに居住していた。

(3)  旧国鉄は、東海道新幹線用地として、常治旧土地を取得する必要があり、常治と交渉の結果、昭和三七年一二月一九日、本件土地と常治旧土地とを交換した。常治旧土地は、昭和三九年一〇月一日に開通した東海道新幹線の用地となり、同日付けで鉄道用地に地目変更されている。

(4)  別紙図面記載のP6、K6、K4、K5、K7、K8、P6の各点を順次直線で結んだ線で囲まれた範囲内の土地(以下「本件係争地」という。)は、いわゆる公図上赤線で表示されていた国有の里道であり、同図面記載のとおり、本件土地のほぼ中央付近を南北に通っている。

(5)  同里道は、西成郡大道村の村道第七〇号線となり、大阪市域の拡張に伴い大正一四年四月一日付け大阪市告示第六六号により市道東淀川区第七七三号線の市道として認定されていた。

(6)  常治は、昭和三七年一二月一九日当時、本件土地及び本件係争地を一体のものとした画地(別紙図面記載のK1、K16、32、P6、K8、34、35、15、K5、K4、K1の各点を順次直線で結んだ線で囲まれた範囲の土地。以下「本件画地」という。)を敷地として、別紙物件目録3記載の建物(以下「本件建物」という。その位置は、同図面の上記画地内の斜線部分)を建築し、同画地の周囲に塀を築くなどして、本件係争地を本件土地と一体化した宅地として利用して占有しており、昭和五七年一二月一九日経過時も本件係争地を占有していた。

(7)  常治は、平成元年九月二六日死亡した。その相続人は、妻である控訴人艶子、子である上田のぶ子、井阪知子、控訴人康一及び同秀子であるが、上記相続人らは、平成五年三月八日、本件土地及び本件建物のほか、別紙物件目録記載8及び9の土地(以下「件外土地」という。)を、控訴人艶子が四分の二、同康一が四分の一、同秀子が四分の一の割合で相続するとの遺産分割協議をした。

(8)  控訴人らは、平成元年九月二六日当時、本件建物に居住して本件係争地を占有しており、平成一一年九月二六日経過時も占有していた。

(9)  本件係争地について明示に公用廃止がされたことはないが、平成元年九月二六日の時点では既に黙示的に公用が廃止されていた。

(10)  控訴人らは、被控訴人に対し、平成一二年四月三日、本件訴状において、本件係争地につき、常治の昭和三七年一二月一九日から昭和五七年一二月一九日経過時までの二〇年間の占有を原因とする長期取得時効と控訴人らの平成元年九月二六日から平成一一年九月二六日経過時までの占有を原因とする短期取得時効を援用するとの意思表示をした。

三  争点及び主張

(1)  黙示的公用廃止処分の有無(長期取得時効について)

(控訴人らの主張)

旧国鉄は、昭和三七年一二月一九日の交換以前に、本件係争地を本件土地と一体のものとして整地し、本件係争地は里道の形態・機能を完全になくしており、そのような状態にした本件画地を交換の対象土地として常治に提供した。

ところで、旧国鉄は、昭和二四年六月に日本国有鉄道法に基づいて、政府がその資本金を全額出資して設立した公法上の法人であり、その組織、機構と運営の大綱は同法に規定され、機能的には運輸大臣の下部組織を構成し、広い意味での国家行政組織の一環を構成するものである。

そして、旧国鉄が本件土地と交換することによって、常治旧土地を取得したのは、東海道新幹線開通という国家的プロジェクトの一環として行われたものである。

以上のような事実に鑑みれば、旧国鉄は、実質的には被控訴人と同一体を構成するものと認めるべきであり、被控訴人と同一視されるべき旧国鉄の積極的な行為により、本件係争地は里道の形態・機能を失ったものであるから、黙示の公用廃止処分があったというべきである。このような場合には、公用廃止を認定するために、公共用財産が長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置されたことは必要ではない。

(被控訴人の主張)

ア 里道等の公共用財産の時効取得が認められるためには、占有の当初において公共用財産が黙示的に公用廃止されていることが必要であるが、そのためには、公共用財産が長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、その物の上に他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなった場合でなければならず、かつ、上記各要件は、占有開始の時点までに存在していることを要する。

イ 本件では、少なくとも昭和三六年六月六日当時には、本件係争地は里道としての形態及び機能を有していたから、黙示の公用廃止の要件を満たしていない。

ウ 旧国鉄は、被控訴人と密接な関係が認められる公法人であるが、あくまで被控訴人とは別個独立した公法人であり、本件係争地は、旧国鉄の所有地ではなく、被控訴人が所有し、大阪市が管理していたものである以上、旧国鉄の整地行為をもって、被控訴人の行為と同視するのは妥当でなく、旧国鉄の行為を根拠として、被控訴人が所有している土地の権利を失わせることは公平を欠き妥当でないことは明らかである。

(2)  控訴人らの無過失(短期取得時効について)

(控訴人らの主張)

以下の事実からして、控訴人らには、平成元年九月二六日当時、本件係争地について控訴人らに所有権があると信ずるについて過失がなかった。

ア 常治は、昭和三七年一二月一九日当時、本件土地に本件係争地が通っていることを知らずに本件画地を国鉄との交換契約に基づいて取得し、本件建物を同画地内に建築した。常治において、本件画地の取得目的は、同画地内に自分たち家族が居住する建物を建築するためであり、本件画地の真ん中に里道(本件係争地)が通り、これにより宅地が二分されていて、一体として建物を建築することができないことを知っていたならば、常治旧土地と本件土地との交換契約に応じるはずはない。

イ 控訴人らも当然本件画地の中に里道が通っているなどとは知らなかった。

ウ 常治と一緒に生活してきた控訴人らが、自宅である土地建物を法定相続分に従って相続をするに際し、わざわざ公図等を調査することは通常ありえないことであり、そのような調査をしなかったからといって、過失があるとはいえない。

エ 本件土地の交換契約から常治が死亡した平成元年九月までの二五年間以上もの間、被控訴人から何らの異議の申出も受けていない。最近になって、大阪市から道路拡張のため本件土地の買収交渉があり、控訴人らは、初めて本件建物の敷地の一部に里道が存在することを知った。

(被控訴人の主張)

ア 東海道新幹線高架敷内には、昭和三七年当時常治が所有していた件外土地が存在し、控訴人らがこれを相続している。この事実からすると、昭和三七年当時、件外土地と本件係争地とを交換する予定であったものが、何らかの事情により実現されなかったものであることが推認される。

したがって、常治は、本件画地内に里道(本件係争地)が通っていることを知っていた。

イ 控訴人らも、昭和三七年当時常治と同居しており、当然里道の存在を知っていたのであるから、常治の死亡により本件土地建物を相続したからといって、この時点で、控訴人らが本件係争地が常治の所有であったと信ずるに至ったとは考えられない。

ウ 仮に控訴人らが本件画地内に里道が存在することを知らなかったとしても、控訴人らが相続に際し、自ら相続した本件土地の公図等を調査し、公図を一見すれば、里道(本件係争地)の存在を容易に知ることができたというべきであるから、控訴人らに過失があることは明らかである。

第三当裁判所の判断

一  争点(1)(黙示的公用廃止処分の有無)について

(1)  本件係争地は、公物であるから、時効取得が成立するためには、本件係争地について、占有の始めにおいて、公用廃止処分があったことが必要であるところ、本件係争地について明示の公用廃止処分がなされていないことは当事者間に争いがないから、同時点において、黙示の公用廃止処分が認められるかについて検討しなければならない。

しかるところ、最高裁昭和五一年一二月二四日第二小法廷判決(民集三〇巻一一号一一〇四頁)は、「公共用財産が、長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、その物のうえに他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなった場合には、同公共用財産については、黙示的に公用が廃止されたものとして、これについて取得時効の成立を妨げないものと解するのが相当である」と判示している。

(2)  前記争いのない事実等と《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

ア 昭和二三年三月二七日に米極東空軍の撮影した空中写真(甲一八)及び昭和三六年六月六日に建設省国土地理院の撮影した空中写真(乙一二)には、公図上に本件係争地が表示されている位置付近に本件係争地とそれに連なる里道(以下「本件里道」という。)が写っており、少なくとも昭和三六年六月六日時点においては、本件係争地を含む本件里道が明瞭な形態を維持して存在した。

イ 本件係争地の西側には、本件里道とほぼ平行して小松南通が通っているところ、本件里道と小松南通の間には、昭和三七年当時、現在の新幹線高架下より南側に常治旧土地があり、その更に南側に空地を経て森数美(以下「森」という。)宅、谷川薬局、宇多屋食料品店(以下「宇多屋」という。)があった。

森宅は、昭和三四年ころに建築されたものであるが、その玄関は、本件里道側に設けられており、玄関前に約一メートル幅の小道(本件里道)があったが、昭和三七年ころは、森宅の西側が小松南通まで空地になっていたため、その空地を通って西側の公道に出ていた。

ところが、新幹線開通工事に伴い、その空地に工場が建ち、森宅の北側にも住宅(奥山宅)が建築されたため、小松南道に出るためには本件里道を南下して宇多屋の南側にある道から行かなければならなくなった。

しかし、当時、本件里道は、谷川薬局や宇多屋がその敷地内に取り込んでおり、宇多屋の南側の道路には行けなかったため、森は、旧国鉄に頼んで新たにできた奥山宅の北側にある旧国鉄所有地に通路(以下「新設通路」という。)を開設してもらい、本件里道を通ってその通路を経て西側の公道へ出るようになった。

ウ 旧国鉄は、常治に交換地として引渡す本件土地について、本件係争地を含めた一体の土地として整地した状態で常治に示し、常治は、旧国鉄から提示された現地に義弟や控訴人秀子らを連れて行って、新しい家が建つ土地として本件画地を見せた。

そして、常治は、有限会社柳川道工務店に本件画地上に本件建物の建築を請け負わせたが、本件画地は建築可能な状態に整地されており、里道が存在するような形跡は全くなく、同工務店は、本件画地のほぼ中央に建物を配置した設計をし、昭和三七年八~九月ころに建築確認申請をし、同年一〇月一六日に確認通知を得て、特別な地盤整備等をすることもなく、同年内に本件建物を完成させた。その結果、本件係争地は、本件建物の中央付近を縦断することになった。

エ 本件里道は、本件係争地のすぐ南側に東海道新幹線が高架で通り、保安上の面から高架敷地に沿ってフェンスが設置されたため、通行が不可能になっており、高架敷内の里道部分については、後に明示の公用廃止処分がされ、現在は東海旅客鉄道株式会社の所有地となっている。

オ 常治が本件建物を建築して本件土地に居住後、最近に至り、大阪市による道路拡張工事に伴い、本件土地・建物が用地買収の対象となるまでの間、本件係争地の占有に関して、被控訴人からも本件里道を市道認定をして管理していた大阪市からも異議を述べられた形跡はない。

(3)ア  上記認定事実を総合すると、本件里道は、昭和三六年六月ころまではその形態を保持しており、本件係争地付近についての詳細は分からないものの、その少し南側の森宅が本件里道側に玄関を設けており、本件里道は本件係争地を経て北側の道路につながっていたこと、新設通路ができたときには、森宅前の里道を経て新設通路を通って西側の公道に達していたことから考えれば、本件係争地付近も含めて里道としての機能を喪失していたとまでは認められない。

しかし、本件係争地については、遅くとも建築確認通知がされた昭和三七年一〇月ころまでには、旧国鉄によって、本件土地とともに一体のものとして整地された結果、里道としての形態、機能を喪失したものと認めることができる。

イ そして、旧国鉄は、被控訴人と別の法主体ではあるものの、かつて被控訴人が国有鉄道事業特別会計をもって経営していた鉄道事業を経営する主体として設立された公法上の法人であり(昭和二三年法律第二五六号日本国有鉄道法一条、二条)、その役員の任命等について内閣や運輸大臣が関与するほか(同法一八条以下)、運輸大臣の監督に服する(同法五二条)など、被控訴人と密接な関係があったこと、旧国鉄と常治との間の本件土地の交換は、東海道新幹線用地の取得という、当時としては国家的なプロジェクトに従ったものであったこと、このように重要な用地買収に当たって、旧国鉄のような大規模な公法人が、現地の公図等の関係資料を調査しないということは通常あり得ず、交換の対象とする本件画地の中心部分に本件係争地(里道)が存在することは公図の記載から明らかであり、旧国鉄が当時この事実を知らなかったとは考えられないことなどからすると、旧国鉄が本件係争地を整地するに当たり、里道を所有する被控訴人やこれを市道認定して管理していた大阪市、その他の関係諸機関との間で、里道の処理について緊密な協議等をし、公用を廃止し、代替地として提供することについて被控訴人の了承を得たであろうことは容易に推認することができる。この点は、本件係争地をも敷地として本件建物の建築確認がされていることや、道路管理者である大阪市からも、また被控訴人からも、本件係争地の占有について、最近まで三〇年近くも異議が出された形跡がないことからしても、この間の事情がうかがえるところである。

ウ 加えて、上記認定のとおり、本件里道は、本件係争地のすぐ南側の新幹線高架敷に沿って設置されたフェンスによって通行が遮断され、同高架敷内の里道については後に明示の公用廃止処分がされていることからすると、新幹線建設後は新幹線高架敷より北側の里道はその必要性、存在意義を喪失したものというべきである。

エ 以上を総合考慮すると、被控訴人としては、本件里道のうち、本件係争地については、新幹線建設に伴い、新幹線高架敷が里道を横断し、これによりその南北で里道が分断されて、その北側の里道はその必要性が失われる上、旧国鉄が新幹線用地取得の代替地として本件係争地を含む本件土地(本件画地)を常治に提供する必要があったことから、本件係争地については、いずれ明示の公用廃止をする意思であり、そのために旧国鉄による本件係争地の整地を了承・容認していたものと考えるのが自然かつ合理的であり、そうであるとすると、遅くとも、控訴人らが本件係争地の占有開始時期と主張する昭和三七年一二月一九日までに本件係争地部分について黙示の公用廃止がされたものと認めるのが相当である。

(4)  被控訴人は、黙示の公用廃止の要件として、前記最高裁判決は、長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置されたことを要求していると主張しているが、同判決は、黙示の公用廃止を認めうる一例を判示したにすぎないものと解され、本件のように、公共用財産の所有者の了解の下に当該公共用財産について、その形態、機能を全く喪失させるような行為が行われた場合について、黙示の公用廃止を否定する趣旨であることまで判示したものではないと解するのが相当である。

(5)  また、被控訴人は、常治所有の件外土地が新幹線高架下に残存していることをもって、本件係争地と件外土地とを交換する予定であったものが、何らかの事情により実現されなかったものであることが推認されると主張するところ、新幹線高架下に私有地を残存させることは通常あり得ないことであり、本件係争地が一九・三三平方メートルに対し、件外土地が一八・三一平方メートルと近似した面積であることからすると、被控訴人の推認は合理的であり、首肯しうるものである。

しかし、この事実は、旧国鉄が本件係争地を買収の対象土地として予定していたことを示すものであり、被控訴人が黙示で公用を廃止したとの上記判断に反するものではない(件外土地の所有権の帰趨は別論である。)。

(6)  そうすると、常治が昭和三七年一二月一九日から昭和五七年一二月一九日までの間、本件係争地を占有していたこと、控訴人らが、被控訴人に対し、平成一二年四月三日、本件訴状において、常治の上記二〇年間の占有を原因とする長期取得時効を援用するとの意思表示をしたことは前記争いのない事実等記載のとおりであるから、他に被控訴人から特段の主張立証のない本件においては、常治は、昭和五七年一二月一九日の経過により、本件係争地を時効取得したものと認められる。

二  結論

よって、控訴人らの請求は理由があるから、これを棄却した原判決を取り消した上、主文のとおり判決する(なお、控訴人らは、当審において、請求の趣旨を主文第二項記載のとおり補正した。)。

(裁判長裁判官 井垣敏生 裁判官 髙山浩平 神山隆一)

<以下省略>

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