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大阪高等裁判所 平成14年(う)1073号 判決 2004年7月02日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役12年に処する。

原審における未決勾留日数中960日をその刑に算入する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は,検察官宇田川力雄作成名義の控訴趣意書に,これに対する答弁は,弁護人若松芳也,同髙野嘉雄及び同津乗宏通連名作成名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。

第1  論旨は,原判決は,甲野花子を被害者とする本件殺人の公訴事実(後記第11記載の「罪となるべき事実」と同旨)について,情況証拠によれば,被告人が本件殺人の実行犯(以下,単に「実行犯」という。)であることが推認できるようにも考えられるけれども,被告人が単独で被害者を殺害した旨の本件公訴事実が,合理的な疑いを容れない程度にまで証明されたとはいえない旨判示して,被告人に対し無罪を言い渡したが,被告人が実行犯であることを認めるに十分な情況証拠が多々存在するのであって,これらの情況証拠を有機的に関連付けて総合判断すれば,被告人が実行犯であることは明白であるのに,原判決は,個々の証拠を並列的・断片的に観察するにとどめたことにより,事実を誤認したものであり,その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである,というのである。

そこで,記録及び証拠物を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討し,以下のとおり判断する。

(以下の記述においては,項目の見出し等から年月日が明らかなものについては,年,月,日の記載を適宜省略するほか,平成9年3月20日を「本件の前日」と,同月21日を「本件当日」と,同日午後6時以降を「本件当夜」と,同日午後9時10分ころを「本件発生当時」「本件発生時刻ころ」あるいは「本件犯行当時」と,本件殺人事件のころを現在と比較して「本件当時」ともいう。原判決の「当裁判所の判断」中の記載を引用するに当たっては,「当裁判所の判断」の部分を省略する。)

第2  本件殺人事件の発生,本件犯行現場の状況,実行犯の犯行態様,実行犯の風貌及び着衣について

1  本件殺人事件の発生

関係証拠によれば,以下の事実が認められる。

被害者は,本件当日である平成9年3月21日午後6時過ぎに自宅から外出し,午後6時20分から30分ころ,被害者が使用していたベンツ(以下「被害者の車」という。)を,当時被害者が理事長をしていた学校法人○○学園が経営する京都市南区所在の○○専門学校(以下「○○学園」という。)の駐車場(以下「本件駐車場」という。)に止めて,同学校の事務員に外出する旨告げて,京都市内の百貨店へ行き,その後,友人と食事をして,午後8時40分ころ,同市下京区の百貨店高島屋の近くで,「高島屋の前から乗るわ。」と言って友人と別れた。

その後,被害者は,午後9時13分ころ,○○学園から約15メートル南側の飲食店の入口付近で,胸部,上腹部等に刺切創を負っているところを発見され,警察に通報された。被害者の所持金品が奪われた形跡はない。

間もなく,被害者は,救急車で病院に搬送され,治療を受けたが,翌22日午前零時27分ころ,肝臓刺切創に基づく失血により死亡した。

被害者の遺体には,左右の手に防御創があるほか,右胸部上部から上腹部にかけて鋭利な刃物によるものと推定される7か所の刺切創があった。刺切創の詳細は,原判決「第1 本件殺人事件の発生 2」に記載されているとおりであるが,複数の刺切創が内臓器官に到達しており,最も深い創は,深さ約14センチメートルで,肝臓右葉下部を切離した上,門脈や右肝動脈,右肝静脈を離断していた。

2  本件犯行現場の状況

本件犯行現場の状況については,原判決「第2 本件犯行現場の状況」に記載されたとおりであるが,関係証拠により補足して要点をまとめると,以下のとおりである。

事件発生直後,本件駐車場には,被害者の車がドアの鍵が開いた状態で駐車してあり,その車の周囲に,血痕があり,ブローチ,ネックレス等が散乱していた。

本件駐車場の西側は,歩道があって片側2車線の交通量の多い烏丸通りという大通りに接しており,南側は,幅員約2.75メートルの交通量が少ない無名の道路に接している。

本件当時,本件駐車場には,その南側の無名の道路との境付近に,人がまたげるくらいの高さの鎖が張ってあった。

実行犯が本件犯行に用いた鋭利な刃物は発見されていない。

3  実行犯の犯行態様

実行犯の犯行態様について,被害者及び目撃者は以下のとおり供述している。

(1)  原審証人S及び同Nが聞き取った被害者の供述

被害者は,息を引き取る前に,警察官のSや息子のNに対し,被害状況について供述し,被害者の車に乗ろうとしたら,いきなり男が後ろから来て,「プリンスホテルに台湾の人が来ている。一緒に来てくれ。」と言い,被害者がこれを断ると,いきなり,刺してきた,刺したときに,車の鍵を取ろうとしたから,車の鍵の指紋を調べてくれ,春男やと思う,あんた(N)も気をつけて,夜は車は絶対に学校には置かないように,などと供述している。

なお,被害者の供述と警察官作成の実況見分調書(原審検(書)12)によって認められる本件駐車場の状況を照らし合わせると,上記被害者が供述する被害者の後方は北方に当たることが認められる。

(2)  原審証人Yの供述

Yは,本件当日午後9時10分ころ,「助けて」という女性の悲鳴を何度か聞き,本件駐車場を見ると,本件駐車場からその南側に張ってあった鎖をまたいで,白っぽいハーフコートを着た男性が本件駐車場の南側の道路を東方に走り去り,女性が立ち上がって,「助けて」と言いながら歩き出した旨供述している。

(3)  原審証人Iの供述

Iは,本件当日午後9時過ぎころ,若い男性がふざけたときに発するような声が聞こえたので,声がする方を見たところ,本件駐車場の南側でベージュ色で膝くらいまでの丈のコートを着た男性が何かを飛び越えて,本件駐車場の南側の道路を東方に走り去り,本件駐車場で女性がむくっと立ち上がって歩き出したのを見た旨供述している。

以上の被害者及び目撃者の供述は,その供述内容の細部のずれについては,観察条件や観察する人間の観察力や記憶力,表現力の相異によって生じたものとして合理的に説明できる範囲内であって,ほぼ符合しており,Y及びIが目撃した白系統の色の丈の長くないコートを着た男性は本件殺人の実行犯と認めることができる。

そこで,被害者及び目撃者の供述と,本件殺人事件の前記発生状況及び本件犯行現場の状況とを総合すると,実行犯の犯行態様として,次のような事実を認めることができる。

すなわち,本件は単なる物盗りの犯行ではなく,実行犯は,白系統の色の丈の長くないコートを着た男性であって,被害者が台湾の関係者と何らかのつながりがあることを予め知っており,本件当日の3月21日,被害者が本件駐車場に駐車してある被害者の車に帰ってくるのを,本件駐車場付近で待ち受け,午後9時10分ころ,被害者の車の鍵を解錠して車に乗ろうとした被害者に北方から接近して,「プリンスホテルに台湾の人が来ている。一緒に来てくれ。」などと言い,被害者がこれを断ると,被害者を,携帯していた鋭利な刃物を用いて刺し,被害者の車の鍵を取ろうとし,「助けて」などと何度も悲鳴をあげて抵抗する被害者の胸部から上腹部にかけて鋭利な刃物で何度も刺して致命傷を与えて,被害者が倒れた後,本件駐車場南側の鎖を飛び越えて,本件駐車場南側の人通りの少ない道路を東方に走って逃げ去ったこと,その後,被害者は犯行現場から立ち上がって,助けを求めて歩き出し,近くの飲食店の入口付近で発見され,病院に搬送されたが死亡したことが認められる。

また,実行犯は,「助けて」などと悲鳴をあげて抵抗する被害者の胸部から上腹部にかけて身体枢要部を,携帯していた鋭利な刃物を用いて,何度も突き刺しており,刺切創も深いことなどから,実行犯は,確定的殺意をもっていたものと推認できる。

4  実行犯の風貌及び着衣

実行犯の風貌及び着衣に関する被害者及び目撃者の供述は,以下のとおりである。

(1)  S及びNが聞き取った被害者の供述

被害者は,被害後間もなく,被害者が発見された現場に駆けつけた警察官のSに対し,救急車内及び病院において実行犯の風貌について,知らない人,男,50歳くらい,頭五分刈り,白髪交じり,丸顔,小太り,眼鏡をかけている,プロだと思うなどと供述し,その一部は警察官の手でマイクロカセットテープに録音されている。また,被害者は,病院で息子のNに対し同様の実行犯の風貌を供述している。

(2)  Yの供述

Yは,女性の悲鳴を聞いたため乗っていた原動機付自転車を止めて,本件駐車場からその西側道路を挟んで20メートル余り離れた地点から,本件犯行状況を目撃し,男性の特徴について,長さが膝よりちょっと上くらいの白っぽいハーフコートを着ており,その髪型や眼鏡をかけていたかどうかは分からない,身長は,約165センチメートルのYよりは高く,体格は,中肉中背で普通で,大体しか分からなかったので,太っているとか,やせているとかまで見えなかった,走り去っていくところが,機敏な感じだったから30歳くらいと思った,公判廷で見た被告人はぽっちゃりしており,イメージが違う,被告人が本件当日にATMを操作していたときの写真の中で着ていたコートは,目撃した男性が着ていたコートと似ているかもしれないが,体格はイメージと違うような感じがする,被告人の体格については,走る動きで自分が想像したもので,太っていたらのそのそと動くというイメージがある,などと供述する。

(3)  Iの供述

Iは,本件駐車場西側道路上で赤信号待ちのため停車した軽四輪自動車の車内で,10メートル余り離れた地点から,男性の後ろ姿を目撃し,男性の首が見えたので,髪は短かった,白髪であったかは分からない,眼鏡をかけていたかは分からない,身長は170センチメートルくらい,体型はやせ型ではないが,はっきりと分からず,Iの夫と同じ中肉中背ではないかと言われれば大体そうである,膝くらいまでの丈のコートを着て,コートの色は,白ではなくベージュで,アイボリーというのか,白と肌色の間みたいな色であった,被告人が本件当日にATMを操作していたときの写真に写っている被告人は白髪っぽいので自分が見た男性とは違うと思ったが,断定できない,写真に写っているコートと目撃した男性が着ていたコートの色は同じような色であるが形は分からない,法廷内にいる被告人の後ろ姿を見ても目撃した男性と同じ人物かどうか分からない,などと供述する。

第3  被害者,乙山春男,丙原夏男,被告人の関係について

1  被害者と乙山春男の関係について

原審証人Nの供述,Hの検察官調書(当審検(書)9)などの関係証拠によれば,以下の事実が認められる。

(1)  ○○学園は,昭和6年に,被害者の亡夫Tの父親が理容美容学校の経営を目的として設立した学園が前身であって,その後Tが経営を引き継ぎ,一時,Tの弟である乙山春男(以下「春男」という。)が経営に携わったが,昭和40年代に学園の名称を○○学園と変更して再びTが経営するようになり,平成6年にTが死亡したことから,被害者が理事長に就任して経営していた。なお,春男は,皇族の関係者であると自称しており,△△△△△と名乗っていた。

(2)  被害者は,平成7年ころ,春男の紹介で,兵馬俑等を取り扱っている台湾の美術商であるKと知り合った。平成8年3月ころから,被害者と春男は,岐阜にある美術館に保管されていたKがかかわりをもっている兵馬俑等(以下「岐阜の兵馬俑」という。)を回収して売却するなどして,その利益を被害者と春男らで分配しようという話をし,春男とその知人がKから岐阜の兵馬俑の取引に関して代理人たる地位を委任された。

(3)  また,岐阜の兵馬俑の話が出てからやや遅れて,春男は,Kを通じて大阪にある始皇帝俑1体(以下,単に「始皇帝俑」ともいう。)とマカオにある兵馬俑28体(以下「マカオの兵馬俑」ともいう。)を購入しようとし,被害者にその手付金の借用を申し込んだが,被害者はこれを断った。

(4)  被害者は,平成9年2月26日,春男らに告げずに,Nとともに,台湾に行ってKと交渉し,岐阜の兵馬俑の取引に関する春男らの代理人たる地位を解任させ,Kから被害者に対して岐阜の兵馬俑に関する代理権を与える旨の委任状を取りつけた。また,このとき,被害者は,春男らを抜きにして,Kを通じて,被害者の経営する会社名義で,始皇帝俑を1000万円で,マカオの兵馬俑を8000万円で購入し,始皇帝俑の代金1000万円と,マカオの兵馬俑の代金の一部1000万円を支払った。被害者は帰国後,マカオの兵馬俑の代金の一部として更に1000万円を支払った。

(5)  春男は,被害者を差出人とする,岐阜の兵馬俑の取引について春男らの代理人たる地位を解任する旨のK名義の平成9年3月5日付けの通知書を受け取り,そのころ,Nに対し抗議した。

(6)  春男は,Kと連絡を取ろうとしたが,取れなかったことから,兵馬俑等の所有者であるというRと会うことにし,平成9年3月18日,H,M,暴力団員のDと台湾へ渡り,Rと会って,Rから岐阜の兵馬俑に関する代理権の委任状を取り付けた。しかし,Rは,マカオの兵馬俑については,既に被害者からKを介して約1000万円を受け取って被害者の経営する会社宛に発送しており,船荷証券の宛先を変えることはできない旨述べて,春男に対して売るのを拒み,逆に別の兵馬俑を売る旨申し出たが,春男は,マカオの兵馬俑を春男側で手に入れる可能性が全くなくなったわけではないなどと言って,新たな兵馬俑の取引についてそれ以上の話はしなかった。

(7)  春男は,既に発送されたマカオの兵馬俑を春男のものとするためRと再度交渉するよう,Hに対し依頼して,同月20日帰国した。

(8)  本件当日である同月21日,Hは,Rに被害者の経営する会社宛になっているマカオの兵馬俑の船荷証券を失効させるよう依頼したが,Rに拒絶され,帰国し,同日午後6時ころ春男に電話で交渉が成立しなかったことを告げ,同日午後8時20分ころから午後9時ころまでの間,○○学園からそれほど遠くない京都市伏見区所在の喫茶店で春男に会って交渉が成立しなかったことについて改めて報告した。

(9)  被害者が購入したマカオの兵馬俑は,同年3月10日に船便で発送されており,同月22日に大阪港に到着した。

(10)  Hは,被害者が殺害されたことを春男に聞いて知り,被害者が死んだためNがマカオから発送された兵馬俑を要らないと言うのではないかと思って,同月22日の夕方Nに電話をした。

(11)  同年4月1日,マカオの兵馬俑の船荷証券が運送会社に渡され,その後,マカオの兵馬俑はNが保管しているが,残代金は支払っておらず,KからもNに対し残代金の請求はない。

(12)  被害者は,本件被害後,病院で,息を引き取る前に,Nらに対し,「春男やと思う。」「あんたも気をつけや。」「夜は車は絶対に学校には置かんように。」「身辺警護。」「ばれたかな。」などと述べた。

2  被告人と,被害者や丙原夏男及び春男との関係について

被告人と,被害者らとの関係に関する証拠は乏しいが,被告人の供述などの関係証拠によれば,以下の事実が認められる。

被告人は,平成7年5月ころから,世間からは事件屋と呼ばれているという××××こと丙原夏男(以下「丙原」という。)の下で働いていた。

丙原は,京都市北区所在の株式会社F(以下「F」という。)を経営しており,被告人は平成8年の途中からは,Fの事務所兼住居に住んで,主として丙原の運転手をしていた。

被告人は,平成8年5月ころから,F関係者が入手していたツートンベンツ(メルセデスベンツ300CE。2ドア。車両登録番号に京都34を含む。色は上部がガンメタリックで,バンパー以下がシルバーのツートンカラー。以下「ツートンベンツ」という。)を使用していた。

被告人は,平成8年の3月から5月の間に,丙原を通して△△△と名乗る春男と知り合った。被告人は,平成8年の秋くらいに,丙原及び春男とともに,被害者方へ,被害者方に置いてある中国の古美術品を買うという客を連れて行ったときに,被害者と初めて会った。被告人は,結局,4,5回くらい,そのような客を連れて被害者方に行ったことがあるが,被害者とは被害者の記憶に残っていないかもしれないという程度の会話しか交わしたことはない。

第4  本件当日前後の被告人の言動について

原審証人Wの供述に,同人の検察官調書(原審検(書)30,31,34,いずれも不同意部分を除く),被告人の携帯電話の通話状況に関する警察官作成の捜査報告書(原審検(書)29),銀行のATMの防犯ビデオの映像等に関する警察官作成の捜査報告書(原審検(書)28)などの関係証拠を総合すると,以下のとおり認められる。

なお,Wの供述は,原判決が説示するとおり,電話の通話記録等の関係証拠と符合し,自然であって,虚偽の供述をする動機も窺われないことから,信用することができる。

1  Wは,平成9年3月16日,知人から,被告人が,運転手をしてくれる人物を,日当2万円,宿泊代や食費も被告人が負担するという条件で,探しているのでしないかなどと誘われた。翌17日,Wは,その直前に勤務先を退職して仕事をしておらず,退職前の勤務先で被告人が3か月くらい同僚として勤務していたことがあったことなどから,これを引き受けた。

2  Wは,同月18日,被告人と京都市中京区所在の京都国際ホテルで会い,被告人から,同日から同月20日までの宿泊が予約されていたG名義で住所は適当に書くよう指示されて,同ホテルにチェックインした。Wは,チェックインした後,被告人から,同ホテルの喫茶店で,まず5万円を渡された上で,学校のおばちゃんを捕まえて,その車に乗り込んで話をするので,その時にはツートンベンツはいらないからWが持って帰るようになどと指示を受けた。被告人から被害者と話をする目的等詳しい内容については話がなかったが,Wは何となくやばいなと思った。このとき,被告人は,Wに対し,被害者を捕まえるとは言っているが,被害者を連れて行くとは言っていない(なお,このとき,被告人がWに告げた内容について,検察官は,被告人は,Wに対し被害者を捕まえて連れて行くと言った旨主張し,一方,原判決は,「その際,被告人からWに対し,被害者を捕まえてどこかに連れて行くという話はなかった。」と認定している。そこで,Wの原審公判調書中の供述部分を検討すると,被告人は,Wに対し,被害者を捕まえるとは言っているが,被害者を連れて行くとまでは言っていないことが認められるので,上記のとおり認定した。)。

3  Wは,このときの被告人の風貌等について,年齢は50歳くらいに見え,身長は175センチくらい,体格は大柄で腹が出ておりぽっちゃり型,眼鏡をかけ,頭髪は丸坊主気味の短い角刈りの状態で,白髪がたくさん交じっていたと供述している。

Wは,本件当時は,24歳で,髪をいわゆる茶髪にしており,原審に証人として出頭した当時は,身長約167センチメートル,体重約57キログラムであった。

4  Wと,被告人は,同月18日から20日まで,被害者の自宅や○○学園付近で被害者を探したが,発見できなかった。Wと被告人が○○学園付近で被害者を探すときには,概ね本件駐車場から北へ数十メートル離れた路上にツートンベンツを止めて○○学園の様子を窺っていた。被告人は,Wに対し,台湾マフィアより先に被害者を見つけなくてはならないなどと話していた。被告人は,被害者を探す際に警察官に発見されることを警戒していた。被告人は,被害者を探す間に,Fに立ち寄ったり,Fの関係者に電話をしたりしていた。

5  同月21日の本件当日,被告人は,午前9時ころ,銀行でATMを操作し,その姿を防犯ビデオに録画されたが,その際,被告人は,白っぽい卵色で膝上くらいの丈のハーフコートを着ており(警察官作成の捜査報告書(原審検(書)28)),その日の夕方Wと別れたときもそのコートを着ていた。

6  本件当日は,Wが京都国際ホテルからチェックアウトする予定日であったので,被告人は京都市中京区所在のホテル・ギンモンド京都にWを1泊させることとしたが,その後の予定は決まっておらず,Wには翌日一旦大阪に帰る旨伝えていた。新しく泊まるホテルのチェックイン手続は被告人が行い,氏名をGと名乗り,宿泊カードの住所には丙原の住所を記載した。後に宿泊代等の決済は丙原の知人の女性名義のクレジットカードでなされた。

7  本件当日,被告人は,携帯電話で,午前10時3分ころと,午前10時10分ころにFに電話をした。春男も,本件当日午前11時11分ころと午後1時21分ころにFに電話をしている。

8  本件当日,Wと被告人は,昼ころから,それまでと同様にツートンベンツを○○学園付近の路上に駐車して○○学園の様子を窺ったが,同日午後1時半ころ本件駐車場で被害者の車を発見し,同日午後2時か3時ころ,被害者が○○学園から出てその車に乗り込んで,発進すると,被告人とWもツートンベンツでこれを40分程追跡し,その車内で,被告人は,運転をするWに対し,被害者に気付かれないように間に一台車を入れるよう指示した。このときも,被告人は,Wに対し,「俺がええとこ来たら出ていって,おばちゃんと話するから,おばちゃんの車に乗り込むから,おまえ,車持って帰っといてくれ。」などと指示した。

しかし,Wが赤信号のため,ツートンベンツを停車した際,被害者の車が急に発進したため,Wと被告人は被害者の車を見失った。Wと被告人はその後も被害者を探したが,発見することができなかった。

ここで,Wの供述によれば,被害者の車を見失った後,被告人は,携帯電話で,何者かに「逃げられてもうたわ。」などと報告していたが,これを被告人の携帯電話の通話明細(警察官作成の捜査報告書(原審検(書)29))と照らし合わせると,被告人はFに電話した後,Fの関係者にこの電話をしていたものと認められる。

9  本件当日午後5時20分ころ,Wと被告人はツートンベンツでホテルに帰り,部屋に入った。同日午後6時過ぎころ,被告人は,帰りがてらにもう一度○○学園に寄り,被害者が帰っていないか見る旨告げて,Wを残して,朝着ていたのと同じハーフコートを着てホテルを出た。

10  本件当日午後7時8分ころ,被告人は,Wの携帯電話に電話をかけて,「おばちゃん帰ってきてるから,また何かあったら電話するから,俺,もうちょっと見とくわ。待っといてくれ。」などと言い,Wはホテルで待機することとした。なお,その前後の会話等の趣旨からすると,被告人は,本件駐車場に被害者の車が戻ってきているので,被害者がその車に戻ってくるのをその付近で待つという趣旨で,Wに話したものと認められる。

11  本件当日午後9時22分ころ,被告人は,Wの携帯電話に電話をかけ,「今日はもうええ。寝てくれたらええわ。」などと告げた。

12  被告人は,翌22日午前零時19分ころ,大阪市内のホテルに宿泊し,同日午前零時57分ころ,Fに電話をした。

13  翌22日午前7時47分ころ,被告人は,Wの携帯電話に電話をかけ,「やばいことになった。ややこしいことになった。もうええし帰って。」などと告げた。

第5  本件後の被告人とその関係者の言動

1  本件後の被告人の生活状況

関係証拠によれば,以下のとおり認められる。

被告人は,本件犯行のころまでは,京都市所在のFの事務所兼住居に居住していたが,本件犯行後,同所を離れて,愛知県内の知人の住むマンションに泊めてもらったり,大阪市内のFの関係者が手配したマンションで暮らすなど住居を転々としていた。

被告人の銀行口座には,本件以前から丙原あるいはその知人の女性名義で振り込み入金されることがあったが,本件後,平成9年5月から平成10年5月までの間に合計300万円以上の金額が上記女性あるいはF関係者から振り込み入金されている。なお,被告人は,平成9年2月末か3月初めに仕事上の対立からFを出た旨供述しており(原審検(書)112),被告人の供述によっても,本件発生後,被告人が,Fにどのように具体的な貢献をしているのか明らかでない。

2  ツートンベンツの処分状況

関係証拠によれば,以下のとおり認められる。

被告人は,平成9年3月25日ころ,Jに,ツートンベンツを預かって欲しいと頼み,同月27日,同人にツートンベンツを渡した。その後,Jは,被告人からツートンベンツを20万円で買って欲しいと言われて,これに応じ,同年4月9日ころ20万円を支払った。しかし,同年5月ころ,被告人は,Jの下にツートンベンツを置いておくと迷惑をかけるので返して欲しいと説明して,ツートンベンツをJ方から回収した。

同月,春男は,Dにツートンベンツを処分するよう依頼し,Dは,春男を乗せてツートンベンツを運転して愛媛県松山市に運び,Dにおいて松山市に住む知人に対し「事件ものの金融流れやからあがらんようにしてくれよ。」などと言ってその自動車の処分を依頼して,松山市にツートンベンツを置いてきたが,同年9月,ツートンベンツは警察に押収された。

3  本件後の被告人のWに対する言動

原審証人Wの供述によれば,以下のとおり認められる。

(1)  平成9年3月27日ころ,被告人は,Wに電話で,「京都に行ったことは,誰にも言わんといてくれ。わしも隠れとるから。」などと告げた。

(2)  同年7月か8月ころ,被告人は,Wに電話をして,被告人は隠れており,大分やばいことになって,Wの所にも警察が行くかもわからんから,警察がもし来たら,京都までは行ったことにしておいて,でも,そこから大阪に帰ったと言ってくれ,それがうまくいったらまたお金を払うからなどと告げた。

4  本件後の被告人のL,Uに対する言動

本件後の被告人のL,Uに対する言動の内容は,原判決「第8 本件後の被告人の言動に関する第三者の供述」に記載されているとおりであるから,これを引用する。

弁護人は,原審証人Lの供述及び検察官調書(原審検(書)40)の信用性,並びに,証人Uに対する原審裁判所の尋問調書及びUの検察官調書(原審検(書)41)の信用性を争うが,これらが信用できることは原判決の上記項目に説示されているとおりである。

第6  本件に関する被告人の供述

本件に関する被告人の供述は,原判決「第9 本件に関する被告人の供述」に記載されているとおりであるから,これを引用する。

被告人の供述は著しく変遷しているが,その要旨を最終的にまとめると,被告人は,原審公判廷において,本件発生時刻ころ,本件駐車場に被害者の車が駐車しており,本件駐車場の北方の烏丸通り南向き車線にツートンベンツを駐車してその車内で,○○学園の様子を見ていたところ,タクシーが○○学園の北西角に止まって被害者が降りてきて被害者の車に向かった,すると,ツートンベンツの前に止まっていた車から男が降りて,被害者に声をかけ,被害者も立ち止まって,その男と話をしていた,そして,被害者は被害者の車のドアを開けて運転席に座り,窓越しにこの男と話してから,再び降りて,被害者の車の左前部付近で壁にもたれるようにして,男と向き合い,2人が抱き合っているように見えた,被告人はツートンベンツを運転してその場から去ったなどと供述している。

犯行を否認する被告人の供述の信用性については,後に検討するが,被告人が本件発生時刻ころ,本件駐車場の北方の路上にツートンベンツを駐車して,○○学園の様子を見ていたところ,被害者がタクシーから降りてきて被害者の車に向かったところを見たという部分の供述に限っては,被告人が,Wに対し,本件当夜○○学園に被害者の車が戻ってきているので被害者を待つ旨告げてWに待機するよう述べていること,被告人が被害者を目撃した後間もなく,Wに待機を解除するよう述べていることなどと符合することや,被告人が本件犯行を否認しつつも被告人に不利な事実を公判廷で述べていることなどから,信用することができる。

第7  本件当日○○学園付近で目撃された不審車両について

1  原判決の認定及び検察官の主張

原判決は,被告人とWが乗車していたツートンベンツとは異なるベンツが本件当日○○学園付近で目撃され(以下「Vの目撃したベンツ」「Pの目撃した自動車」などともいう。)ており,被告人以外に○○学園の様子を窺っていた者がいたのではないかとも考えられると判示する。

検察官は,原判決は,V及びPの警察官調書中の供述によって,同人らが目撃した自動車を特定しているが,V及びPの供述を十分吟味すれば,Vが目撃した自動車はツートンベンツと推定でき,Pの目撃した自動車は本件と関係がないから,原判決は事実を誤認している,という。

2  Vの供述について

Vは,その警察官調書(原審弁(書)3)において,○○学園近くの建物に居住し,その建物1階にある飲食店に勤務しているところ,本件当日,○○学園より北方の路上に駐車している,○○学園を窺うようにしながら見ている男2人が乗った不審な車を見た,その車は,黒色のベンツでSE又はSELというグレードの4ドアベンツである,しかし,この車のフロントグリルはSECというグレードのSクラスベンツの中のスポーツモデルである2ドアクーペのスポーティなフロントグリルに交換改造されており,更にフロントグリルの通常メッキ塗装されている部分が全て黒色のボディと同色に塗装されているもので大変珍しい改造がされているものである,この車は旧型のベンツで,Vはカーマニアなので昔からカー雑誌等はよく読んで車のことについてはよく知っていると自認しているが,ベンツでセダンにクーペのスポーティなフロントグリルを取り付けるという改造はバブルのころ流行した改造で今ではほとんど見られない改造である,通常セダンのベンツであれば,ベンツマークがマスコットとしてボンネットの先端に付いているものが,クーペ型の特徴となっているフロントグリルに組み込まれたものとなっている,運転席に17歳から25歳くらいのいわゆる茶髪でやせ形の男,助手席には50歳前後の白髪(少し黒い毛も残っている),四角くてごつい感じの顔でやくざっぽい感じの男が乗車していた,車のナンバーについては,京都ナンバーだったかなあと思うくらいしか覚えていない,1回目にその車を見たのは本件当日午後零時から零時半ころの間に店から出前に出るときで,配達から戻った後も1,2時間は駐車していた,その後,2回目にその車を見たのは午後7時半ころである,その時も昼に見た男2人が乗っていた,2回目に止まっていた場所は1回目に見たところよりも○○学園に近い場所である,店の常連客であるQという男性も本件当日午後8時過ぎころ,同じ場所付近に黒色Sクラス4ドアベンツが止まっていたと言っていたがVが記憶している特徴以外にバンパーの一部がメッキになっていたとのことであった旨供述している。

ところで,被告人とWは,本件当日昼ころと午後1時30分ころから午後3時ころまでの間,○○学園の北方路上にツートンベンツを駐車して被害者を発見しようとし,被告人の供述によれば,被告人は,午後7時過ぎころ一人でツートンベンツを運転して○○学園付近へ行き,被害者を発見しようとしていたものである。

そうすると,Vに目撃されたベンツについて,目撃された時間と場所が,ツートンベンツが○○学園の北方路上に駐車されていた時間と場所に概ね一致している。Vに目撃されたベンツとツートンベンツは,車体の色が黒系統である点でも一致している。Vが不審なベンツを目撃したという時間と場所に近接して,ツートンベンツが長時間駐車していたにもかかわらず,Vは,その目撃したというベンツの他に,ツートンベンツを目撃したことを供述していない。Wも,同じく近接した時間と場所で○○学園を監視していたにもかかわらず,Vが供述するような不審なベンツを目撃したことを供述していない。また,Vが供述するベンツの運転席と助手席に乗っていた男の風体はWと被告人の風体と似ている。しかも,Qという男性の話すベンツの特徴は,車体下側がシルバーになっているツートンベンツの特徴と合致する。これらの事情は,Vが目撃したベンツがツートンベンツであることを示唆するものといえる。

もっとも,ツートンベンツと,Vの供述するベンツの特徴は,2ドアクーペか4ドアセダンかという点などにおいて異なる。また,Vは,2回目に午後7時半ころそのベンツを見た時も昼に見た男2人が乗っていた旨供述しており,これは,午後6時過ぎに被告人が一人でツートンベンツを運転して出ていった旨のWの供述と矛盾する。

しかし,Vが,ベンツを目撃したのは,本件殺人事件の発生をVが知る前であるから,Vが目撃したベンツの観察及び記憶状況は,それほど正確ではなく,特徴的な部分についてのVの観察及び記憶は信用できるものの,記憶の細部については思い込みなどによる誤認が入っているものと考えるのが自然である。

すなわち,Vの目撃したベンツは,フロントグリルにベンツマークが組み込まれた2ドアクーペ用の黒のフロントグリルが装着されていた点で珍しく通常と異なるベンツであることが特徴的であったため,その特徴がVの関心を引いて記憶に残ったと考えるのが合理的である。Vの供述は,2ドアクーペのベンツが珍しく,Vが,2ドアクーペに用いられる黒のフロントグリルにベンツマークが組み込まれたSクラスの4ドアセダンの改造車があるという知識を有したことから,2ドアクーペを誤って改造車と思いこんでしまったものとして,理解することができる。

また,Vが午後7時半ころそのベンツを見た時も昼に見た男2人が乗っていた旨供述している点についても,Vの供述を子細に検討するとVは本件当日の日中に数回同じベンツを目撃していることが認められるのであって,Vが複数回ベンツを目撃した際の記憶が混乱している可能性があることを考慮すると,この点に関するVの供述にかかわらず,Vの目撃したベンツが,ツートンベンツと異なるとすべき根拠とはいえない。

そうすると,Vが目撃したベンツは,被告人が乗車していたツートンベンツと認めるのが相当である。

3  Pの供述について

Pは,その警察官調書(原審弁(書)2)において,○○学園のすぐ北方に居住しているところ,本件当日の午後零時ころから午後2時ころに,犬を散歩させていたところ,○○学園の北方の路上に黒色の大型の高級車が停車しており,そのナンバーが35で33でなかったので珍しく思った,付近歩道を年齢50ないし60歳くらいで,白髪交じりの身長160センチメートルから170センチメートルくらいで,小太りで恰幅のいい男が歩いているのを見た,2回目にその車を見たのが本件当日の午後4時ころだったと思うが,犬の散歩に出かけた時に見た,2回目に止まっていた場所は1回目に見たところよりも○○学園に近い場所である,この黒い大きな車のナンバープレートを33かなと思いふと見ると,35だったのでよく覚えている,その時も昼に見た男が○○学園の前を歩いていて,なぜ1回目に見たときから2時間位もうろうろしているのかと不審に思った旨供述する。なお,Pは目撃した高級車がベンツであるとまでは供述していない。

ところで,ツートンベンツのナンバーは34であることが認められる。

Pが,自動車を目撃したのは,本件殺人事件の発生をPが知る前であるから,Pが目撃した自動車の観察及び記憶状況は,それほど正確ではなく,特徴的な部分についてのPの観察及び記憶は信用できるものの,記憶の細部については思い込みなどによる誤認が入っているものと考えるのが自然である。

すなわち,Pの目撃した自動車の特徴について,大型車であるのにナンバーが通常と異なるという点については,特徴的で記憶に残った可能性があるが,ナンバーの詳細についてまで事件前に単に犬の散歩で通りかかっただけで記憶に残るのかについては疑問があり,ナンバーの詳細についてはPの記憶が曖昧になっている可能性がある。そうすると,ツートンベンツのナンバーは33でないという点において,Pの目撃した自動車と共通しており,Pの目撃した自動車がツートンベンツである可能性がある。

Pが自動車を目撃した時間について,Pは本件当日の午後零時ころから午後2時ころと午後4時ころの時間帯と供述しているところ,午後4時ころ自動車を目撃したという点においては,被告人らが午後3時ころ○○学園付近を離れたと供述してることと一致しないが,時間の把握及び記憶の誤差,記憶の減退を考慮すると,その時間差が大きくかけ離れているとまではいえず,Pの目撃した自動車がツートンベンツである可能性も否定できない。

Pが目撃した高級車とツートンベンツは,車体の色が黒系統である点で一致しており,Pの目撃した人物の風体は被告人の風体と似ている。Pが不審な高級車を目撃したという時間と場所に近接して,ツートンベンツが長時間駐車していたにもかかわらず,Pは,その目撃した自動車の他に,ツートンベンツを目撃したことを供述していない。Wも,同じく近接した時間と場所で○○学園を監視していたにもかかわらず,Pが供述するような不審な高級車を目撃したとは供述していない。

そうすると,Pの目撃した高級車が,被告人とWの乗ったツートンベンツであった可能性が高い。

4  以上によれば,被告人が乗車していたツートンベンツとは異なるベンツが本件当日○○学園付近で目撃されたとする原判決には前提事実に関して事実の誤認があり,この誤った事実を前提として原判決が,被告人以外に○○学園の様子を窺っていた者がいたのではないかとも考えられるとした点についても判断を誤ったものと認められる。また,その他,被告人以外に○○学園の様子を窺っていた者がいたことを前提として原判決ないし弁護人が縷々説示し又は主張する見解も,前提を欠いており,採用できない。

第8  被告人が実行犯であることを認定するのに積極に働く情況証拠について

検察官は,被告人が実行犯であることを認めるのに十分な情況証拠が多々存在するのであって,これら情況証拠を有機的に関連付けて総合判断すれば,被告人が実行犯であることは明白である旨主張する。そこで,これまでに認定した事実を前提に,以下,被告人が実行犯であることを認定するのに積極に働く情況証拠について検討する。

1  本件殺人事件の発生した時間と場所が被告人の行動と合致し,また,実行犯の犯行態様が,被告人のWに対する言動と合致すること

前記認定事実によれば,実行犯は,本件当日午後9時10分ころ,本件駐車場において,被害者が,被害者の車の施錠を外して車に乗り込もうとしたところ,その北方から被害者に接近し,台湾の人がホテルで待っているなどと言って同行を求めたが被害者がこれを拒否すると,被害者を刺すとともに被害者の車の鍵を取り上げようとし,被害者に致命傷を負わせたが,車の鍵を取り上げないまま逃走している。

一方,被告人は,Wに対し,台湾マフィアより先に被害者を見つけなくてはならないなどと話しており,本件当日の昼間に被害者の車を追跡した際に,Wに対し,適当なところで被告人が被害者の車に乗り込んで話をするので,Wはツートンベンツを運転して帰るように告げていたところ,被告人は,本件当日午後6時過ぎころ,Wに対し,帰りがてらにもう一度○○学園に寄って,被害者が帰っていないか見る旨告げて,Wを残してホテルを去り,本件当日午後7時8分ころ,Wに電話をかけて被害者の車を発見したので待機するよう指示し,その2時間後である本件発生時刻ころ,被告人は,本件駐車場の北方の路上にツートンベンツを止めて被害者がその車に戻ってくるのを待っていると,被害者がタクシーから降りるところを目撃し,実行犯が逃走した後間もない本件当日午後9時22分ころWに電話をかけて待機を解除している。

上記の実行犯の行動と被告人の言動を対比すると,実行犯が被害者に北方から接近して本件殺人を犯した時間と場所が,被告人が被害者を探して被害者を待っていた時間と場所に合致することが認められる。また,実行犯が,被害者の車の施錠を外して車に乗り込もうとする被害者に対し,面談を示唆して同行を求め,被害者の車の鍵を取り上げようとしたが果たせず,逃走している点において,被告人が,被害者の車に乗り込んで話をするのでツートンベンツを運転して帰るよう,Wに対して告げ,本件当夜Wを待機させ,本件発生時刻直後にWの待機を解除していたことと符合することが認められる。また,実行犯は,被害者に「プリンスホテルに台湾の人が来ている。一緒に来てくれ。」などと話しかけており,これは通常の会話として思いつかないような特殊な内容であって,実行犯は,その口実を使えば,被害者がそれを信用して同行に応じる可能性があると認識していたものと認められ,実行犯は台湾の者との取引に関連する者であると考えるのが自然であるところ,被告人は,Wに対して台湾マフィアよりも先に被害者と話をしなくてはならない旨述べており,台湾「マフィア」という言葉の点はさておき,被告人が台湾に関する話が本件発生当時被害者にかかわりのあることを知っていたと認められる点においても,一致点が認められる。これらの事実は,被告人が実行犯であると推測する根拠となる有力な情況証拠である。

2  被告人は,本件が発生した時刻ころ,○○学園付近にいて,被害者が被害者の車に戻ってくるのを待っていたところ,実行犯の風貌や着衣などは,当時の被告人のそれと合致すること

被告人は,本件発生当時56歳(原判決が被告人を当時57歳とするのは明らかな誤記と認める。)で身長172から173センチメートル前後,体重95から100キログラム程度で腹の出た体格であり,白髪交じりで丸坊主気味の短い角刈りという髪型に,眼鏡をかけており,本件発生当日である3月21日は,白っぽい卵色で膝上丈のハーフコートを着ていたものと認められる。そして,これらの特徴は,年齢,髪型,体格,眼鏡の使用及び着用していたハーフコートの形状,色彩の点で前記の被害者及び目撃者が供述する実行犯の人物像とほぼ合致し,相違点についても観察状況や認識,記憶,表現の相違として理解できる範囲内にある。

特に,被害者の実行犯の風貌に関する供述は,被害者が被害後間もなく供述したものであることや,救急車内で警察官が聞き取った供述内容と,病院において警察官の手でマイクロカセットテープに録音されている供述内容,更に親族に対する供述内容とが概ね一致していることなどから信頼性が高いものと認められるところ,その供述する,男,50歳くらい,頭五分刈り,白髪交じり,丸顔,小太り,眼鏡をかけているなどという形容は,被告人の風貌と極めてよく合致している。

これらの事実は,被告人が実行犯であると推測する根拠となる有力な情況証拠である。

3  実行犯が兵馬俑の取引に関連して何者かの依頼を受けて本件犯行に及んだものと考える合理的理由があり,一方,被告人は,兵馬俑を巡る対立を解決するために,何者かの依頼により,被害者を探し,被害者の車に乗り込んでなんらかの非日常的な強引な行為をしようとしていたものと推認できること

(1)  検察官は,本件犯行は,被害者が春男らに内密に兵馬俑の購入契約を結ぶなどして同人らを兵馬俑取引から排除したことに伴う双方の対立関係が原因となって発生したものと推認でき,実行犯は兵馬俑の取引に関連して何者かの依頼を受けて被害者をつけねらい,本件犯行に及んだものと認められる,という。

検討すると,被害者は,実行犯を「知らない人」と表現しており,実行犯は,被害者と面識がないか,被害者の記憶に残らないような会い方しかしていない者であると認められるにもかかわらず,鋭利な刃物を直ちに取り出せるような形で携帯し,被害者に同行を求め,断られると殺害していることや,所持金品が盗まれていないことなどから,本件犯行が,実行犯の被害者に対する個人的怨恨あるいは物盗りによるものとは考えられないこと,実行犯は本件駐車場で車に乗ろうとする被害者に「プリンスホテルに台湾の人が来ている。一緒に来てくれ。」などと話しかけており,これは通常の会話として思いつかないような特殊な内容であって,実行犯は,その口実を使えば,被害者がそれを信用して同行に応じる可能性があると認識していたものと認められ,実行犯は台湾の者との取引に関連する者と考えるのが自然であること,兵馬俑取引に関して,被害者と春男らが対立しており,本件が発生したのは,春男らとHが兵馬俑について台湾の者と交渉して台湾から帰国した直後であり,マカオの兵馬俑が大阪港に到着するころであったこと,被害者自身が春男の企図した犯行であると推測していたこと,他に実行犯が被害者を殺害する動機が窺われないことなどに照らすと,これらの事実のみで検察官が主張する事実が認められるとまではいえないけれども,本件犯行が,被害者が春男らに告げずに兵馬俑の購入契約を結ぶなどして春男らを兵馬俑取引から排除したことに伴う被害者と春男らの対立関係が原因となって発生したものであると推測することは自然であって,実行犯は兵馬俑の取引に関連して何者かの依頼を受けて本件犯行に及んだものと考える合理的理由は十分に認められる。

(2)  検察官は,被告人は,何者かから被害者を拉致するように指示を受けており,被害者に抵抗されるなどして拉致できない場合には被害者を殺害するように指示があったか,あるいは殺害することを認容されていたと認められる,という。

検討すると,被告人が本件当時Fを経営する丙原の下で働いていて,春男及び丙原らとともに中国の古美術品の取引に関連して被害者宅に行ったことがあったこと,被告人は被害者と数回会ったことがあるにせよ,被告人の供述によっても,その際の被告人の立場等に照らせば,被告人は,被害者の記憶に残らない程度の面識関係であったと認められること,兵馬俑取引に関して,被害者と春男らが対立していたこと,その取引に関して春男とHらが台湾に行って台湾の者と交渉を試みはじめた平成9年3月18日の数日前に被告人は運転手を募集し,同月18日から被告人はWを雇い,最初からWに対し,被害者を捕まえて車に乗り込んで話をするので,ツートンベンツを運転して帰るように指示していること,春男らは同月20日に帰国し,Hが翌21日に帰国したが,岐阜の兵馬俑については春男に対する委任状と被害者に対する委任状が並存し,マカオの兵馬俑についてはこれを春男のものとすることに失敗したこと,春男とHは本件発生の直前に○○学園からそれほど遠くない喫茶店にいたこと,本件発生当日は,マカオの兵馬俑が大阪港に到着するころであったこと,被告人は,被害者を見つけられなかったとき,被害者は台湾に行っていたのではないかと思っていたが,誰からそのような話を聞いたのかは言えない旨述べていること,被告人は,Wに対して台湾マフィアよりも先に被害者と話をしなくてはならない旨述べており,台湾「マフィア」という言葉の点はさておき,被告人が台湾に関する話が被害者にかかわりのあることを知っていたと認められること,被告人は,被害者を探す間,Fに立ち寄ったり,Fの関係者に何度も電話をかけたりし,被害者を見失った際にも,Fに電話した後にFの関係者に電話をして被害者に逃げられた旨連絡したこと,被告人は丙原の知人女性のクレジットカードで宿泊代等を決済していること,被告人が本件発生のころFを離れて愛知県に行くなどして住居を転々としている間F関係者から送金を受けていたことなどの事実に照らすと,これらの事実のみで検察官が主張する事実が認められるとまではいえないけれども,被告人が被害者を探し被害者の車に乗りこもうとしていたのは,Fとかかわりを有する何者かの依頼により兵馬俑を巡る対立を解決するためであると考えるのが自然である。

ここで,仮に,被告人が,被害者と,被害者の自由な意思に基づく常識的な範囲内の会話をしたいのであれば,被告人は,春男及び丙原らとともに被害者の自宅を数回訪問して被害者と会ったことがあるというのであるから,被害者の自宅あるいは勤務先である○○学園に電話をかけたり,あるいは,直接訪問すればよいと考えられる。

しかし,実際は,被告人は,平成9年3月18日の当初からWに対し被害者の車に乗り込んで話す旨述べ,被害者の自宅や○○学園に被害者を探しに行きながら,被害者方や○○学園を平穏に訪問して被害者と話をするつもりがなかったこと,被告人は,被害者を探す際に警察官に発見されることを警戒しており,被害者の車を追跡する際には,被害者に気付かれないよう間に一台車を入れるようWに指示して,被告人のいう適当な場所で被害者の車に乗り込もうとしていたことなどからすると,被告人は被害者の車に乗り込んでなんらかの非日常的な強引な行為をしようとしていたものと考えられる。

そうすると,被告人が同月18日以降していた行動は単なる被害者方等の監視行動ではなく,被告人は,兵馬俑を巡る対立を解決するために,Fとかかわりを有する何者かの依頼により,被害者を探し,被害者の車に乗り込んでなんらかの非日常的な強引な行為をしようとしていたものであると推認することができる。

(3)  以上,実行犯が兵馬俑の取引に関連して何者かの依頼を受けて本件犯行に及んだものと考える合理的理由があり,一方,被告人は,兵馬俑の取引を巡る対立を解決するために,Fとかかわりを有する何者かの依頼により,被害者を探し,被害者の車に乗り込んでなんらかの非日常的な強引な行為をしようとしていたものであると推認できることは,それのみでは被告人を実行犯と推認できるとまではいえなくとも,他の情況証拠と総合することにより,被告人を実行犯と推測する根拠となるものである。

4  本件発生後の被告人が特異な言動をしていること

(1)  被告人が本件発生のころからFで寝泊まりをしていたのをやめて住居を転々とし,Fの関係者から送金を受けたり,住居の援助を受けていること

被告人が,本件発生のころから,Fで寝泊まりをしていたのをやめて,愛知県に行くなどして住居を転々とし,Fの関係者から送金を受けたり,住居の援助を受けていたことは,被告人及びFの関係者が本件犯行になんらかのかかわりを持っていることを推測させる事実であるといえる。

(2)  被告人が春男らを通してツートンベンツを処分していること

被告人が,被害者を探すために使用していたツートンベンツを本件の数日後に知人に預け,その後これを20万円で売却しながら,平成9年5月にはこれを取り戻して,春男とその知人の暴力団員が事件ものの自動車として発見されないように処分していることなどのツートンベンツの処分状況は,被告人がツートンベンツを利用して本件犯行にかかわりを持ち,春男あるいはその関係者もこれにかかわっていることを推測させる事実であるといえる。

(3)  被告人がWに対して口止めしていること

被告人は,本件発生の数日後と,平成9年7月か8月ころに,Wに対し,被告人が隠れており,警察がWの下へ行くかも知れないが,京都における行動を警察に話さないよう口止めし,うまくいけばまた金を払うなどと述べており,これは,被告人が本件について警察の追及を恐れるようなかかわりをしていたことを推測させる事実であるといえる。

(4)  被告人がLに対して本件発生の数日後に人生を悲観する電話をかけたり,本件発生の数か月後に,「助けて」という悲鳴を聞いた殺人犯人の心境を語ったりしていること

Lは,被告人が,Lに対し,本件発生の数日後,泣きながら「別な人のせいで」「人生終わり」などという電話をかけ,平成9年6月から8月の間に,「人を殺すことはお金になる。でも,人を殺すことはとても気持ちが悪い。普通の気持ちではとてもできない。『助けて』という悲鳴が耳から離れない。夜も夢に出てきて,うなされて汗びっしょりになる。」「殺しの世界はビジネスだ。」「邪魔になったやつはペンや。」などと言って右手の人差指で小さな虫を弾く動作をするなどした旨原審公判廷及び検察官調書において供述しており,これが信用できることは,前記のとおり原判決が述べるとおりである。

被告人が,Lに対して,本件の数日後に人生を悲観する電話をかけたり,本件の数か月後に,「助けて」という悲鳴を聞いた殺人犯人の心境を語ったりしていることは,それのみでは被告人を実行犯と推認できるとまではいえなくとも,他の情況証拠と総合することにより,被告人を実行犯と推認する根拠となるといえる。

(5)  被告人が自首について話していたこと

Uは,平成9年3月の終わりから4月終わりころまでの間のある日,Xのマンションで,被告人が,Xから「おまえ,そんなことしたんやったら自首せえ。」と言われて,「うたえへんのや。わしはその人を表に出すわけにはいかんのや。」と答えるのを聞いた旨,検察官調書において,供述している。この供述内容が信用できることは,前記のとおり原判決が述べるとおりであって,この供述内容は,被告人が本件が発生したころ,何者かのために何らかの重大な結果を伴う犯罪を犯したことを推測させる事実であるといえる。

5  被告人が,本件発生時刻ころ,本件駐車場の北方の路上にツートンベンツを駐車して,○○学園の様子を見ていたところ,被害者がタクシーから降りてきて被害者の車に向かったことを目撃しながら,その後の出来事について虚偽の供述をしていること,捜査段階において虚偽のアリバイを供述しており,その後の公判においても著しく供述を変遷させていること,被害者を探してその車に乗り込もうとしていた理由などを合理的に説明できないこと

前記のとおり,被告人は,原審公判廷において,本件発生時刻ころ,本件駐車場に被害者の車が駐車していたことから,被告人が本件駐車場の北方の烏丸通り南向き車線にツートンベンツを駐車してその車内で,○○学園の様子を見ていたところ,タクシーが○○学園の北西角に止まって被害者が降りてきて被害者の車に向かった,すると,ツートンベンツの前に止まっていた車から男が降りて,被害者に声をかけ,被害者も立ち止まって,その男と話をしていた,そして,被害者は被害者の車のドアを開けて運転席に座り,窓越しにこの男と話してから,再び降りて,被害者の車の左前部付近で壁にもたれるようにして,男と向き合い,2人が抱き合っているように見えた,被告人はツートンベンツを運転してその場から去ったなどと供述している。

上記供述のうち,被告人が本件発生時刻ころ,本件駐車場の北方の路上にツートンベンツを駐車して,○○学園の様子を見ていたところ,被害者がタクシーから降りてきて被害者の車に向かったところを見たという部分の供述に限っては,信用することができることは前記のとおりである。

しかし,警察官作成の実況見分調書(原審検(書)125)によれば,被告人が供述する目撃位置からは被害者の車の運転席側は死角に入ってしまうため,被告人が,被害者と男が被害者の車の窓越しに話したり,被害者の車の左前部付近で抱き合っているように見える光景を目撃することがあり得ないことなどに照らすと,被害者がタクシーから降りて来て,被害者の車の方に向かった後のことについて,被告人は虚偽の内容を供述しているものと認められる。

また,被告人は,原判決が述べるとおり,捜査段階において虚偽のアリバイを供述しており,その後の公判においても著しく供述を変遷させている。

さらに,これまでに検討したところによれば,被告人は,平成9年3月18日の当初からWに対し被害者を捕まえて被害者の車に乗り込むからツートンベンツを運転して帰るよう指示し,本件当日の日中も,被害者の車を追跡している最中,Wに対し適当なところで被害者の車に乗り込むからツートンベンツを運転して帰るよう指示しており,本件当夜,本件駐車場に被害者の車を発見して,被害者を待つ間,Wに電話してWをホテルに待機させ,本件殺人事件が発生し,実行犯が被害者の車の鍵を奪えなかった後間もなくWに電話してWの待機を解除していることが認められるのに,これらの言動について被告人は合理的な説明をすることができない。

被告人が,Wを雇った当初から被害者を捕まえて被害者の車に乗り込むという一貫した計画を有しており,本件当日になってようやく被害者の車を発見し,一旦逃げられたものの,本件当夜,再び被害者を探しに出かけ,本件駐車場の北方路上で,被害者が被害者の車に戻ってくるのを,Wをホテルに待機させて待っていたことからすれば,本件発生時刻ころ被告人が被害者の車に向かう被害者を発見した際,被告人が供述するようにツートンベンツを運転してそのまま走り去るというのはいかにも不自然である。

以上のような,被告人の供述状況は,本件殺人事件の発生した時間と場所が被告人の行動と合致し,また,実行犯の犯行態様が,被告人のWに対する言動と合致することなどの,外形的に被告人が実行犯であることを推測させる他の情況証拠と照らし合わせると,被告人が被害者を殺害したのではないかと推測させる事実といえる。

6  まとめ

被告人が犯行を否認し,被害者を探していた背景事情についてすら語ろうとしないことから本件の全貌は不明であるにしても,以上に検討したとおり,本件殺人事件の発生した時間と場所が被告人の行動と合致し,また,実行犯の犯行態様が,被告人のWに対する言動と合致すること,被告人は,本件が発生した時刻ころ,○○学園付近にいて,被害者が被害者の車に戻ってくるのを待っていたところ,実行犯の風貌や着衣などは,当時の被告人のそれと合致すること,実行犯が兵馬俑の取引に関連して何者かの依頼を受けて本件犯行に及んだものと考える合理的理由があり,一方,被告人は,兵馬俑の取引を巡る対立を解決するために,Fとかかわりを有する何者かの依頼により,被害者を探し,被害者の車に乗り込んでなんらかの非日常的な強引な行為をしようとしていたものであると推認できること,被告人が本件発生のころからFで寝泊まりをしていたのをやめて住居を転々とし,Fの関係者から送金を受けたり,住居の援助を受けていること,被告人が春男らを通してツートンベンツを処分していること,被告人がWに対して口止めしていること,被告人がLに対して本件発生の数日後に人生を悲観する電話をかけたり,本件発生の数か月後に,「助けて」という悲鳴を聞いた殺人犯人の心境を語ったりしていること,被告人が自首について話していたこと,被告人が,本件発生時刻ころ,本件駐車場の北方の路上にツートンベンツを駐車して,○○学園の様子を見ていたところ,被害者がタクシーから降りてきて被害者の車に向かったことを目撃しながら,その後の出来事について虚偽の供述をしていること,捜査段階において虚偽のアリバイを供述しており,その後の公判においても著しく供述を変遷させていること,被害者を探してその車に乗り込もうとしていた理由などを合理的に説明できないことなど,被告人が実行犯であることを示唆する情況証拠が積み重なっていることからすると,これらの情況証拠の存在が偶然の一致であるとは考えられない。これらの情況証拠を総合すると,被告人は,実行犯であって,兵馬俑の取引に関連して何者かの依頼で,被害者を発見し,被害者の車に乗り込んで何らかの行動をすべく,本件当夜,本件駐車場付近で被害者がその車に戻ってくるのを待ち,被害者を発見すると,被害者に近づいて,台湾の人がホテルで待っているなどと言って同行を求めたが,被害者がこれを拒否すると,殺意をもって被害者を刺して致命傷を負わせて逃走したものと推認することができる。

第9  被告人が実行犯であることを認定するのに消極に働く事情として原判決あるいは弁護人が指摘する点について

1  被告人がしていた被害者方等の監視行動は,被害者の殺傷等を意図したものとは認められないのではないか,という点について

原判決は,「第10 検察官の主張の検討 1 被害者方等の監視行動をしていた点について」において,被告人が運転手の選定に配慮を払っていないこと,Wに対し事前に口止めをしていないこと,被告人は本件当日以外は昼間のみ被害者方等を監視していること,ホテルの宿泊手続においてWに偽名を使わせてはいるものの,その住所については虚偽を書かせようとしていないこと,ホテル・ギンモンド京都では,丙原の住所,電話番号を記載し,丙原の愛人名義のクレジットカードで宿泊代を決済していることなどから,被告人が被害者の殺傷等を目的として監視行動をしていたと考えることは困難であるといわざるを得ない,と判断している。さらに,原判決は,「前述のとおり,被告人の監視行動が,当初から被害者の殺傷等を目的としたものであったとは認め難い」「前述のとおり,被告人がしていた監視行動は,被害者の殺傷等を意図したものとは認められない」として,被告人に殺傷等の意図がなかったことを前提としてその後の議論を展開している。弁護人も,被告人が,Wを拉致,殺人等の違法な行為に用いたというのは不自然であって,被告人には被害者を拉致ないし殺害する意図がなかったなどとして,原判決と同様の主張をする。

しかしながら,仮に被告人が実行犯であったとしても,被告人にはWに被害者の車に乗り込む行為自体や殺人行為を幇助させる目的がなかったことは明らかであり,Wは,被告人の元同僚であって,運転手として雇用するのに特に問題点が窺われないこと,被告人は,Wに対し,被害者の車に乗り込むため被告人がツートンベンツを降りた後はW一人でツートンベンツを運転して帰るよう指示し,○○学園の北側路上に止めたツートンベンツのWが座っていた運転席からは本件犯行現場が見渡せない上に,被告人がツートンベンツを降りたら,Wには,その場を立ち去らせて被告人のその後の行動を目撃されないようにし,被告人が何のために何をするのか説明していないなど,Wに対し必要最小限度の情報しか与えておらず,事前に口止めする必要がないこと,被告人は本件発生後Wに京都に行ったことなどについて口止めをしていること,被告人は,本件当日初めて被害者を発見することに成功し,本件当夜はWを待機させて一人で本件駐車場付近へ赴いていること,前記認定のとおり被告人はWに対し京都国際ホテルの宿泊手続において住所も適当に書くよう指示していたのであって,この点につき原判決には前提事実の誤認があること,ホテル・ギンモンド京都の予約手続やクレジットカード決済の成り行きから丙原の素性を明らかにせざるを得なかった可能性も考えられることなどに照らすと,原判決ないし弁護人の論拠はいずれも理由がなく,被告人が被害者の殺傷等を目的として監視行動をしていたと考えることは困難である,あるいは,殺傷等を意図したものとは認められない,などと断定することはできない。

被告人が,Wを雇った平成9年3月18日当初から,Wに対し被害者を捕まえて車に乗り込んで話をするので,ツートンベンツを運転して帰るように指示していたこと,被告人らの行動を警察に発見されないようにしていたこと,本件当日の日中も被害者の車を追跡中に,被害者に発見されないようにし,適当なところに来たら被害者の車に乗り込んで被害者と話をするので,Wにツートンベンツを運転して帰るよう指示していたこと,本件当夜も被告人自ら被害者が被害者の車に戻ってくるのを待ちながら,Wを待機させていたことなどに照らせば,被告人の同月18日から本件当夜に至る行動が,被害者に対する単なる監視行動のみを目的とするのではなかったことは明らかであり,被告人に被害者を拉致ないし殺害する意図があった可能性も否定できない。

原判決ないし弁護人の見解は採用できない。また,その他,被告人に被害者殺傷等の意図がないことを前提として原判決ないし弁護人が縷々説示し又は主張する見解も,前提を欠いており,採用できない。

2  被害者や目撃者の供述からは,実行犯を被告人であると特定できないのではないか,という点について

実行犯の体格について,原判決は,被害者が実行犯の体格を小太りとのみ形容している点については,果たして大柄の被告人を見て,その体格を形容したものか,いささか疑問を差しはさむ余地があることも否定できず,本件犯行を目撃したY及びIの両名とも実行犯の体格を中肉中背と述べていることも併せ考えると,被告人が体格の点で果たして実行犯の人物像と合致するのか疑問が残る,という。弁護人も,同様の主張をする。

しかし,体格については,観察状況や表現する個々人によって,認識,言葉に対する観念,表現の仕方が相違するのは当然であって,被害者が実行犯を小太りと表現していることについては,前記のような身長,体重の被告人を,大柄というか小太りと表現するかは通常の表現の相異の範囲内として理解でき,体格の点を含めて被害者の供述する犯人像は,全体として,極めて,被告人に似ているといえる。目撃者らは,夜間,若干離れた地点から,鎖を飛び越えて走り去る実行犯を目撃しているのであるから,実行犯を俊敏な動きのできる体格であったとして記憶したとしてもおかしくなく,体格について中肉中背と表現しているからといって,実行犯の体格が被告人の上記体格と異なるとまではいえない。原判決ないし弁護人の見解は採用できない。

また,原判決は,前記合致点のうち,例えば,白っぽい卵色で膝上丈のハーフコートは多く市販されているものであるなど,いずれも他の者から区別できる程度に決定的な特徴を示す要素とはいえず,これら全ての要素を充足する人物が,被告人以外にいたとしても特に不自然ではない,という。

しかし,本件発生時刻ころ,台湾マフィアについて云々し,被害者を発見し,被害者の車に乗り込んで話をすべく○○学園付近で被害者を待っていた被告人が,タクシーから降りてきて被害者の車に向かう被害者を発見したところ,偶々,その時に,被告人と風貌や着衣の合致する別人がその場に居合わせて,被害者に台湾の人が待っているなどと言って被害者の車に乗り込もうとしたというような偶然が起きる可能性は小さいものと考えられる。本件は直接証拠がないことから情況証拠を総合して判断せざるを得ない事件であって,もとより,ハーフコートの色彩,形状のみから被告人を実行犯と推認することができるわけではないけれども,関連性が認められる限り,情況証拠を総合してその意味を検討すべきところ,原判決の議論は,他の情況証拠と総合してはじめて価値のある情況証拠を,個別に断片的に検討し,排斥するもので,情況証拠による認定の方法として相当でない。原判決の見解は採用できない。

3  被告人とWが乗車していたツートンベンツとは異なるベンツが本件当日○○学園付近で目撃されており,被告人以外に○○学園の様子を窺っていた者がいたのではないかと考えられるのではないか,という点について

原判決は,被告人とWが乗車していたツートンベンツとは異なるベンツが本件当日○○学園付近で目撃されており,被告人以外に○○学園の様子を窺っていた者がいたのではないかと考えられる,という。弁護人も同旨の主張をする。

しかし,前記のとおり,被告人とWが乗車していたツートンベンツとは異なるベンツが本件当日○○学園付近で目撃されたとする原判決には前提事実に関して事実の誤認があり,この誤った事実を前提として原判決が,被告人以外に○○学園の様子を窺っていた者がいたのではないかとも考えられるとした点についても判断を誤ったものと認められる。また,その他,被告人以外に○○学園の様子を窺っていた者がいたことを前提として原判決ないし弁護人が縷々説示し又は主張する見解も,前提を欠いており,採用できない。

4  春男に,被害者を殺害する動機がないのではないか,という点について

弁護人は,春男は,本件犯行の前日までに台湾の関係者との間で話し合って念書をもらい,被害者に対して決定的に有利な立場に立っており,春男に被害者を殺す必要性ないし動機はなかった,という。

Hの検察官調書などの関係証拠によれば,春男は,Kと連絡が取れなかったことから,本件発生の直前に台湾へ行って,Rから岐阜の兵馬俑に関する委任状をもらったが,Kは被害者に岐阜の兵馬俑に関する委任状を渡しており,春男に対する委任状と被害者に対する委任状が併存する状況になっていたこと,Rは,春男やHの要請にもかかわらず,マカオの兵馬俑を引き取りたいという春男らの依頼を断り,マカオの兵馬俑を被害者に渡す予定を変えようとせず,本件当日ころマカオの兵馬俑が大阪港に到着する予定であったことなどが認められることからすれば,弁護人がいうように,春男が被害者に対して決定的に有利な立場に立っていたとは認め難い。

被害者は,本件が春男の依頼に基づくものと推測しており,前記のような春男と被害者の対立状況からすれば,被害者が春男を排除して兵馬俑の取引を行う意思を持ち続けるならば春男が兵馬俑の取引を行うのに支障となるのであるから,春男に被害者を殺害する動機がなかったともいいきれない。弁護人の見解は採用できない。

5  実行犯は,Rの意向を受けて被害者を殺害したのではないか,という点について

弁護人は,実行犯が被害者に対し「プリンスホテルに台湾の人が来ている。一緒に来てくれ。」などと述べていること,被害者から台湾の関係者に対しマカオの兵馬俑の残代金が支払われていないこと,RとKとの間で対立があったことなどから,Rの意向を受けた実行犯により被害者が殺害されたのではないか,という。

まず,実行犯の上記言葉について検討すると,当審証人Yの供述によれば,プリンスホテルに該当する台湾人の宿泊者はいなかったことが認められ,上記実行犯の言葉は被害者を誘い出すための口実にすぎないと考えられるから,実行犯の上記言葉が,本件をRの意向を受けた実行犯の犯行と考える根拠となるとはいえない。

次に,マカオの兵馬俑の残代金が支払われていない点について検討すると,被害者は,頭金を支払い,台湾の関係者は,兵馬俑を被害者宛に発送し,本件発生当時は兵馬俑が大阪港に到着する直前であって,残代金の支払期限が到来していたと考えるべき根拠はないこと,当審証人Yの供述などによれば,本件の後も被害者の息子が兵馬俑を保管しているが台湾側から残代金の請求はなく,マカオの兵馬俑の台湾ないし中国における元々の値段は既払いの2000万円を大幅に下まわっていることが窺われることなどから,残代金が支払われていない理由としては種々のものが考えられ,むしろ,残代金の支払時期が到来する前に被害者が殺害されたことにより台湾の関係者は残代金が手に入らなくなったばかりか,兵馬俑という台湾ないし中国にとって歴史的,国家的価値があって私的取引になじまない物を日本に輸出したことが明らかになってしまったとも考えられ,台湾の関係者が被害者を殺害することにより得る利益はないと考えられることなどに照らすと,残代金が支払われていないことが,本件をRの意向を受けた実行犯の犯行と考える根拠となるとはいえない。

弁護人が指摘するRとKとの間の対立について検討すると,仮にRとKとの間で対立があったとしても,その対立について被害者は第三者であるから被害者を殺害するまでの強い動機となるとまではいえない上に,被害者を殺害するとRにも金が入らなくなってしまう危険性があるのであるから,その対立が,Rにおいて被害者を殺害すべき合理的な理由となるとは考え難く,弁護人が指摘する対立が,本件をRの意向を受けた実行犯の犯行と考える根拠となるとはいえない。

また,被告人は,Wに対し台湾マフィアより先に被害者を見つけないといけないと言っていたというのであるけれども,被告人がWとともに被害者を捕まえてその車に乗り込んで話をしようとし始めたのは,平成9年3月18日からで,春男らが台湾に出発した日と一致しており,春男としては,被害者が台湾側と折衝して春男抜きでまとめた契約に対抗して,春男自身がこれから台湾へ渡って台湾側と交渉しようとするのに際して,台湾側から被害者に対し連絡を取り,春男でなく被害者と契約することを再確認されるのを恐れていたとも考えられ,台湾側が被害者と連絡する前に被告人が被害者を発見しようとしていたとしても,これをもって,台湾側が被害者と連絡しようとする可能性があったというのにとどまらず,殺害すべく探していたことを示唆する言葉と考えるべき必然性はない。また,被告人自身,被告人がWに対して被害者を台湾マフィアより先に見つけなければならないと話した理由を合理的に説明できない。被告人がWに対し台湾マフィアより先に被害者を見つけないといけないと言っていたことから,被害者が台湾マフィアに殺害されるおそれがあったとまでいうことはできない。

その他,Rの意向を受けた実行犯により被害者が殺害されたのではないかと考える合理的根拠はなく,弁護人の見解は採用できない。

6  仮に,被告人が実行犯であるとすると,被告人がWに対し,本件当日午後7時8分,本件発生の約10分後である本件当日午後9時22分,及び,翌22日午前7時47分に電話をかけるのは,被告人が犯人であるとの嫌疑を招くものであるから,なぜそのような電話をかけたのか疑問が残るといわざるを得ないのではないか,という点について

原判決及び弁護人は,上記のような疑問を呈する。

しかし,被告人は,被害者を発見したら適当な場所で被害者の車に乗り込み,Wにはツートンベンツを運転させてその場を去らせる予定であって,実行犯は,被害者が車に乗ろうとして車の施錠を外した後に,被害者に一緒に来るように告げたが,拒絶されたことから,被害者を刺して被害者の車の鍵を奪おうとしたのである。そうすると,被告人を実行犯と解した場合,被告人は,優先順位の高い計画として,被害者に同行を求め,被害者の車に乗り込んで被害者からその車の鍵を奪うことに成功すれば,被害者を被害者の車に乗せてその場を立ち去り,待機させていたWにツートンベンツを回収するよう電話で指示をすることにより,Wや世人の疑念を招くこともなく目的を達成でき,また,被害者が同行を拒否し,被害者の車の鍵を奪うことに失敗した場合には,やむを得ない選択肢として,被害者が抵抗し悲鳴を上げたことから,大通りの通行者らに目撃されるのを避けるため,一旦脇道に逃げ込んで迂回してツートンベンツに戻ってその場を立ち去って,Wに待機を解除する連絡をすればよいのであって,いずれも被告人がWに犯行を目撃される可能性はなく,また,優先順位の高い被害者の車を奪う計画に成功した場合に備えて雇って待機を命じていたWに対して,その後連絡しなければ,Wに不審がられるのは明らかであるから,被告人が被害者の車を発見してWに待機を命じ,本件発生の約10分後にWに待機を解除する旨の電話をかけ,また翌日Wの仕事が終わった旨告げたことは,やむをえないリスクであると合理的に理解することができる。被告人のWに対する本件当夜及びその翌日の電話は,被告人を実行犯と解するのに妨げとなるものではない。

原判決及び弁護人の見解は採用できない。

7  実行犯が乗ってきた自動車を運転して帰った者や,実行犯の逃走を手助けした者などがいたことも十分考えられるのではないか,という点について

原判決は,「実行犯は,本件当時,雨天の中で被害者の帰還を待っていたはずであるから,自動車で○○学園付近まで来て,駐車した車内で被害者を待っていたとも考えられるところ,被害者と接触した際に,ホテルへ来るよう求めて被害者の車の鍵を奪おうとし,殺害後は,本件駐車場南側の道路を走って逃げていることからすると,実行犯が乗ってきた自動車を運転して帰った者や,実行犯の逃走を手助けした者などがいたことも十分考えられる。」として,被告人を実行犯と認めるのに疑問を呈する。

しかし,被告人は,被害者の車に乗り込むことが成功した場合に備えて,ツートンベンツを回収すべくWを待機させており,被害者の車に乗り込むことに失敗すれば,大通りを進行してくる車両に対面してツートンベンツに戻って,通行車両のライトに顔面を照らされて目撃される危険を冒すより,人気のない裏道を通って,自らツートンベンツを回収すればよいと考えられることに照らすと,原判決が指摘する実行犯の用いた自動車とその逃走方法の点は,被告人を実行犯と認める上で,何ら差し支えとなるものではない。原判決の見解は採用できない。

8  Lの供述する被告人の言動は,本件と関連がないのではないか,という点について

原判決は,Lの供述は,被告人が何者かから殺人を依頼され,これを実行したため多額の報酬を受け取ったという内容であると解されるところ,実行犯が,その場で被害者を殺害することを予め決意していたとは認め難く,被告人の監視行動が,当初から被害者の殺傷等を目的としたものとは認め難いことから,被告人が報酬目的で殺害を依頼されたというには疑問があり,Lの供述が本件を念頭に置いてなされたものであると断じることは,いささか躊躇せざるを得ない,などとという。

しかし,Lの供述内容は,前記のとおりであって,被告人が殺人を依頼されて多額の報酬を受け取ったとまでいっているわけではなく,金銭的支援を得ているという趣旨としても理解できるものであって,原判決がLの供述を限定して解釈するのは相当とはいえない。また,実行犯は,被害者に怨恨があるとか物盗りの目的があるわけでもないのに,鋭利な刃物を直ちに取り出せるよう用意して被害者がその車に戻ってくるのを待っていたと考えられ,被害者に同行を断られて,抵抗し救助を求めて悲鳴を上げる被害者の身体枢要部を執拗に刺突して致命傷を負わせているのであって,実行犯に同行を断られた場合に被害者を殺害する意図がなかったとはいいきれない。被告人の監視行動が,当初から被害者の殺傷等を目的としたものとは認め難いという,原判決の見解が採用できないことは,前記のとおりである。したがって,Lの供述が本件を念頭に置いてなされたものであると断じることは,いささか躊躇せざるを得ない,などとという原判決の論拠は理由がない。

Lの供述する被告人の言動が,本件と時期的に符合し,内容的にも被告人が聞いたという「助けて」という悲鳴は,被害者が実行犯に本件駐車場で襲われた際に「助けて」と悲鳴をあげていたことと符合しており,これに対し,被告人は,本件の他に被告人がLに対して上記のような言動をする合理的な理由を説明することができないことからすれば,これが本件と関連性がないとはいえない。本件は直接証拠がないことから情況証拠を総合して判断せざるを得ない事件であって,もとより,Lの供述のみから被告人を実行犯と推認することができるわけではないけれども,関連性が認められる限り,情況証拠を総合してその意味を検討すべきところ,原判決の議論は,他の情況証拠と総合してはじめて価値のある情況証拠を,個別に断片的に検討し,排斥するもので,情況証拠による認定の方法として相当でない。原判決の見解は採用できない。

9  本件の背後関係や動機に関する立証はほとんどなされていないのではないか,という点について

原判決及び弁護人は,上記のとおり説示し又は主張する。

検討すると,被告人や関係者らが本件の背後関係や動機を明らかにしない以上,背後関係及び動機を詳細に認定する的確な証拠がないのはやむを得ないことであって,本件の背後関係や犯行動機を詳細に認定することはできない。

しかし,前記のとおり,被告人は,兵馬俑を巡る対立を解決するために,Fとかかわりを有する何者かの依頼により,被害者を探し,被害者の車に乗り込んでなんらかの非日常的な強引な行為をしようとしていたものであると推認することができ,これに情況証拠を総合すると,被告人は,兵馬俑の取引に関連して何者かの依頼で被害者を発見し,被害者の車に乗り込んで何らかの行動をすべく,本件当夜,本件駐車場付近で被害者がその車に戻ってくるのを待ち,被害者を発見すると,被害者に近づいて,台湾の人がホテルで待っているなどと言って同行を求めたが,被害者がこれを拒否すると,殺意をもって被害者を刺して致命傷を負わせたことを推認することができる。したがって,背後関係に関する立証のみによって,被告人を実行犯と断定することはできないが,他の情況証拠と総合することにより,被告人を実行犯と推認する根拠となる程度には背後関係が判明しているから,背後関係及び動機を詳細に認定する的確な証拠がないからといって,被告人を実行犯と認定することの妨げにはならない。原判決ないし弁護人の見解は採用できない。

10  原判決は,「本件犯行には,実行犯以外にも複数の者が関わっていた可能性が高いところ,本件犯行当時,その現場付近には,被告人のほかにも,本件に関係しているのではないかとの疑いを払拭できない人物がいた。」という。

しかし,本件犯行は,被告人が被害者の車の鍵を奪うことに成功して被害者の車を利用した場合には,事後にWにツートンベンツを回収させることで,また,被害者の車の鍵を奪うことに失敗した場合には,被告人自らツートンベンツを回収することで,いずれにしても単独で実行できると考えられること,また,付近住民が目撃したベンツはツートンベンツと考えられることは前記のとおりであることに照らして,原判決の見解は採用できない。

11  その他,原判決あるいは弁護人が指摘する被告人の犯人性を認めるのに消極に働くとされる事情について,逐一検討しても,これらが合理的な根拠に基づくものとは認め難く,原判決あるいは弁護人の見解は,いずれも採用することができない。

第10  結論

以上の次第で,情況証拠を総合すると,被告人が本件犯行の実行犯であると認めることができる。被害者が死亡し,被告人が不自然,不合理な弁解に終始していることから,犯行の背後関係や,動機の詳細を認定するのは困難であるが,被告人が本件殺人の実行犯であることを認めるのに合理的な疑いを容れる余地はない。

したがって,原判決が被告人について殺人罪の成立を認めなかったのは,事実を誤認したものであり,その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。事実誤認をいう論旨は理由がある。

第11  自判の裁判

よって,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により更に次のとおり判決をする。

(罪となるべき事実)

被告人は,平成9年3月21日午後9時10分ころ,京都市南区××町××番地所在の学校法人○○学園○○専門学校駐車場において,甲野花子(当時66歳)に対し,殺意をもって,同女の胸部など数か所を刃物で突き刺し,よって,同月22日午前零時27分ころ,同市左京区聖護院川原町54番地所在の京都大学医学部付属病院において,肝臓刺切創に基づく失血により同女を死亡させたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

判示所為は,刑法199条に該当するところ,所定刑中有期懲役刑を選択し,その刑期の範囲内で被告人を懲役12年に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中960日をその刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用については,刑訴法181条1項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,殺意をもって,学校法人の理事長である被害女性の胸部など数か所を刃物で突き刺し,よって,肝臓刺切創に基づく失血により同女を死亡させたという殺人の事案である。

殺人の犯行に至る経緯及び動機については,被告人が犯行を否認していることから,細部について明らかでないが,何者かの依頼を受けて被害者を待ち伏せして殺害に及んだものと考えられ,身勝手というほかなく,酌量すべき事情は認められない。犯行態様は,「助けて」と悲鳴を上げて両手を使って抵抗する66歳の被害女性の胸部等を鋭利な刃物で執拗に7回程度突き刺すというもので,本件は,確定的殺意に基づく凶悪な犯行である。犯行の結果は誠に重大であり,「死んでも死にきれん。」などと言いながら息を引き取った被害者の無念は察するに余りあり,その遺族が厳罰を求めているのは当然である。被告人は,被害者が死亡しているのをよいことに,不合理な弁解に終始しており,反省の態度も認められない。これらに照らすと,被告人の刑事責任は重大である。

しかし,被告人には,前科がないことなど,被告人のために斟酌すべき事情もあるので,これらをも考慮して主文の刑を定めた。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・近江清勝,裁判官・渡邊壯,裁判官・西﨑健児)

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