大阪高等裁判所 平成14年(う)811号 判決 2002年11月26日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は検察官遠藤太嘉男作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は主任弁護人宗藤泰而、弁護人白子雅人及び同吉田保之共同作成の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、原判決の量刑が軽過ぎる、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討すると、本件は、中学校の教諭をしていた被告人が、テレホンクラブを通じて知り合った女性との遍歴を重ね、また、いわゆるレイプ物のアダルトビデオにも耽るうちに、そのビデオのように女子中高生に手錠を掛けるなどして強姦等に及びたいとの欲望をふくらませ、これを抑え切れなくなって、伝言ダイヤルを通じて知り合った当時一六歳の女性に対し、いわゆる援助交際の代償として三万円を支払うことを約束してホテルに赴き、性行為に及ぶに際して、その顔面にいきなり催涙スプレーを噴射し、さらに、片方の手首に手錠を掛け、同女をテーブルの金属製パイプにつなぐなどして、その反抗を抑圧した上、同女所有の現金約三万円を強取したという強盗(原判示第一)と、これとは別に、テレホンクラブを通じて知り合った当時一二歳の女子中学生に対し、前同様の代償として二万円を支払うことを約束して同女を自己の運転する普通乗用自動車に乗せ、ホテルに向かう途中、同車内でその顔面に催涙スプレーを噴射し、両手錠を掛けるなどの暴行を加えた上、同車を発進、疾走させて、同女の脱出を著しく困難にして不法に監禁するとともに、畏怖した同女をして、両手錠のまま高速道路を走行中の同車から飛び降りさせ、その際に負った脳挫傷等に基づく意識障害により起居不能の状態に陥らせて、間もなく、その左脚部を後続車両に轢過させ、よって、同女に左大腿骨複雑骨折等の傷害を負わせて失血死させたという監禁致死(原判示第二)からなる事案である。
これらの犯行は、未熟な少年少女を指導し育成する立場の教職にありながら、そのような少女の性を自己の性欲を満足させるためにもてあそんだもので、その破廉恥な動機に酌量の余地がないのはもちろんのこと、周到な準備をした上で、かつ、被害者らの人格を無視した卑劣な手段、方法で敢行されてもおり、犯情悪質というほかない。これにより被害者らが受けた恐怖感、屈辱感は大きく、殊に、監禁され高速走行中の自動車から飛び降りることを決意するまでに追い詰められ、無惨にも、春秋に富む人生をわずか一二歳の若さで絶たれた原判示第二の被害者の無念さは察するに余りあり、その結果は重大であって、同女の遺族らの被害感情が厳しいのも当然のことといえる。加えて、被告人は、同犯行の際、飛び降りた被害者を救助するための措置を何ら執ることなく現場から逃走したばかりか、その後、同女が遺留した携帯電話や犯行に供した催涙スプレー等を分散投棄するなどの罪証隠滅工作をし、また、同女の死を知って日が経たないうちから、新たな女性との性行為を期待してツーショットダイヤル等に電話をかけ、更には、再び本件と同様の犯行を企図して催涙スプレーやアイマスク等の購入までもしているのであって、犯行後の情状もまことに芳しくない。これらの事情に照らすと、確かに、被告人の刑責は重く、その処罰には厳罰をもって臨むべしとの考え方にも、一応の理由はある。
しかしながら、他方、被告人は、逮捕後遅まきながらも、本件の捜査、公判を通じて徐々に反省を深めており、被害者及びその遺族らに対し謝罪の気持ちを表すとともに、父母の協力を得て、原判示第一の被害者に弁償金として五万円を支払い、同第二の遺族に対しては、自己の全財産を含め、損害賠償として一八〇〇万円を支払ったこと、なお、同遺族に対しては、轢過した後続車両の自賠責保険からも三〇〇〇万円余りが支払われていること、被害者らは、不特定多数の男性を対象として、社会的に是認できないいわゆる援助交際を繰り返し、その結果、本件被害に遭っているところ、そのような関係には往々にして犯罪に巻き込まれる危険性をはらんでいるといえるのであって、たとえ、その年齢等からして十分な思慮分別に欠ける面があったとしても、そうした危険に自ら身を投じたという点で、やはり被害者らにも多少の落ち度があったことは否めないこと、原判示第一の財産的被害は多額とはいえないこと、また、同第二の被害者は、時速約八〇キロメートルもの高速で走行中の自動車から、しかも、座席ヘッドレストの支柱を挟むようにして両手錠で拘束されていたのに、そのヘッドレストを外して、両手錠の状態のまま飛び降りているのであるが、このような同女の行動は、その後に起きた後続車両による同女轢過とともに、被告人にとって全く予想外の事態であったこと、加えて、被告人には前科がないこと、そして、教諭の職を懲戒免職となった上、本件が大きく報道され社会の耳目を引いたことで、家族ともども相応の社会的制裁も受けていること、更には、父母、兄弟や原審で証人として出廷した友人らが今後の被告人の更生への助力を約束していることなどの、被告人のために酌むべき事情も少なからず存するのであって、これらをも十分考慮するならば、被告人を懲役六年に処した原判決の量刑がいまだ破棄しなければならないほど軽過ぎるとはいえない。
なお付言するに、本件は、先にも触れたように、中学校教諭であった被告人がその担任する生徒とほぼ同じ年頃の少女たちを対象に行った犯罪という点に特異性があり、いわば教師の犯罪が問われている事案でもある。そして、原審で検察官が懲役一二年という殺人罪の刑にも比肩する厳しい科刑を求めた理由も、主としてそこにあったと思われる。確かに、本件各犯行は破廉恥極まりないもので、その結果の重大性と相まって、これが社会に与えた衝撃は大きく、殊に、学校教育の現場におけるそれが深刻なものであったことは、想像するに難くない。したがって、その分、被告人に対する世人の非難が厳しくなるのは当然のことであるが、しかし、その非難は多分に社会的・道義的な色合いの濃いものであって、刑事責任として考えてみるとき、そこには自ずと一定の限度があり、弁護人も答弁で反論するように、被告人が教師であったことを捉え、そのことの故をもって一般人の場合と比して余りに重罰に処するのは、刑の均衡という観点からみて相当ではない。
所論は、原判決はその「量刑の理由」の項で、(1)被害者らには、「素性も分からない見ず知らずの男性を相手にいわゆる援助交際をしようとしていたもので、このような被害に遭うとは思っていなかったにせよ、いかなる危険が存在しているかも知れないところに自ら身を投じたというべきであるから、落ち度が全くなかったということはできない。」旨説示しているが、被害者らが被告人との援助交際を了承したのは、被告人が被害者らの思慮分別の不十分さを認識しながら、同女らにとって多額の報酬を支払うかのように装い罠を仕掛けたためであって、責められるべきは被告人のみである、(2)原判示第一の犯行について、「強取した金額は多額とまではいえず、被害者が被告人の手元に残して逃げた現金以外の物品は、おおむね被告人から被害者に返還されている。」と説示しているが、当時一六歳で、家出を繰り返して不安定な生活状況にあった被害者にとってみれば、被害金額は明らかに多額であるし、所持金すべてを奪い取られたのであるから、その被害を矮小化することは許されない上、物品についていう点も、被告人に不要であったからにすぎず、このことを被告人に有利な事情とする理由はない、(3)同第二の犯行について、被害者の死が「被告人の監禁行為あるいはそのための手段としての暴行脅迫行為自体から生じたものではないことは明らかである。」とした上で、「被害者が飛び降りた際に実際に殺害される危険が生じていたわけではないことや、逃げる機会は後でも見つけられたはずであると思われることからすると、被害者が年少の故に飛び降りることの危険性を過小に考えて同車から飛び降りたのではないかと考えることも、あながち不合理であるとはいえない。そして、車内での監禁状況や同車から飛び降りることの危険性などに照らすと、被告人にとっては被害者がこのような行動に出たのは全く予想もしない事態であったとの、弁護人の主張もそれなりに合理性がある。」とする一方、「検察官は、被告人の責任が殺人罪に比肩するほど重大であると主張するが、そのようにいうのは失当である。」と説示するが、外部と遮断された車内で、強力な催涙スプレーの薬液を顔面に噴射した上、両手錠を掛けてヘッドレストに固定し、被害者に死を覚悟せざるを得ないような脅迫をして、同女をして生きる望みを託して高速走行中の自動車から飛び降りさせて死に至らしめたのであって、同女にこのような行為を余儀なくさせるまでに追い詰めた被告人の責任は極めて重く、同女の無思慮を難じ、その死が自業自得であるように評価することは許されないものである、(4)被告人が被害者らに損害賠償金を支払ったこと、懲戒免職処分を受けたこと、あるいは前科がないことは、ある意味当然のことで、これらの点を被告人に有利な事情として過大に評価することはできないのに、有利に評価しているのは相当でない上、被告人に反省の情は認められないのにこれを認め、また、母親や友人がいう今後の被告人の更生への助力も単に心情を述べたにすぎず、これを被告人に有利な情状として考慮すべきでないのに、有利に斟酌したのも相当でないなどとして、これらの点に関する原判決の説示がいずれも失当であると論難する。
しかし、まず、(1)の点については、もとより責めらるべきは被告人であるが、前記のとおり、被害者らにも自ら危険に身を投じたことに多少とも落ち度というべきものがあるから、この点に関する原判決の説示は相当である。次に、(2)の点についても、社会通念として三万円という金額はそれほど多額とはいえない上、現に一六歳の被害者が所持していた金額でもあるし、また、強盗罪も財産犯であるから、被害額の多寡、その回復の有無等が情状として考慮されるのは当然のことであって、原判決の説示は誤っていない。次に、(3)の点については、本件監禁行為と被害者の死亡との間に因果関係があることは明らかであるが、その死亡という結果は、被告人が支配することが可能な行為、すなわち自己の「監禁行為あるいはそのための手段としての暴行脅迫行為」自体から生じたものではなく、高速走行中の自動車からの被害者の飛び降り、そして、後続車両による同女轢過という、被告人が支配できない行為が介在して生じたものであって、関係証拠により認められる被告人の暴行脅迫の内容・程度、監禁の態様、特に被害者に対する拘束の程度及び同女の年齢に照らすと、この事実関係の違いは、被告人の責任の軽重を判断するに当たっては自ずと異なる評価を受けるもので、やはり量刑に少なからず影響するから、この点に関する原判断は相当として是認することができる(もちろん、上記事実関係の違いがあるからといって、被害者の死を自業自得であるように評価することは許されるものではないが、原判文上、原判決がそのような評価をしたものとまでは読み取れない。)。さらに、(4)の点についても、所論が挙示する事情はいずれも被告人に有利な情状として考慮されるべきものであり、また、前記のとおり、被告人には反省の情も認められるから、これらを量刑に斟酌した原判決は誤っていない。したがって、所論はいずれも採用できない。
論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 白井万久 裁判官 大西良孝 磯貝祐一)