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大阪高等裁判所 平成14年(ネ)1531号 判決 2004年2月19日

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

第2被控訴人の請求

1  控訴人は、被控訴人に対し、5250万円及び内金5000万円に対する平成9年3月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  仮執行宣言

第3事案の概要

以下のとおり訂正するほかは、原判決の「第2 事案の概要」の記載を引用する(なお、「厚生省」は現在「厚生労働省」となっているが、以下単に「厚生省」ということとする。また、「貝割れ大根」を「カイワレ大根」と表示する。)。

1  8頁オ2行目の「198食」を「190食」と、同3行目の「15件」を「23件」と改める。

2  15頁イの上に改行して以下のとおり加える。

「 本件各報告の公表は、講学上の行政行為ではないし、国民に法的義務を負わせるものでもないが、白書や統計資料等の記載のような一般的な行政情報の提供とは全く異なり、被控訴人に対し、その信用名誉を毀損するという直接的不利益を与え、実質的に被控訴人が間接強制や制裁を課されたのと同様の効果のある行為である。

国民に対して不利益を与える行政活動については、行政行為でなくても、法律上の根拠が必要であるとするのが法治主義の原則である。本件各報告の公表では、被控訴人が食中毒の原因食材の生産者であるとの断定的表現は言葉の上ではなされていなくても、事実上は断定されたのと同じである。制裁としての公表は法律上の根拠に基づくものであり、この場合ですら対象者には弁解の機会が与えられるのであるから、本件のように、制裁を受ける場合でもなく行政指導に従わないなどの落度もない場合には、被控訴人には、制裁としての公表の場合と同等あるいはそれ以上に法的保護が与えられるはずである。

食品取扱業者の権利には、食中毒事故が起これば法律の授権もなく、いかなる情報が公表されても甘受しなければならないなどという内在的制約はない。食品衛生法は取締法規であり、類推拡大解釈は許されない。同法22条が定める「食品衛生上の危害を除去するために必要な処置」をとることを命じるための要件は、同法4条3号に該当することであるところ、本件においては、その該当性は検討されておらず、その該当性はない。また、同法22条は、本件各報告の公表のような方法を黙示的にも許容していない。食品衛生法が食中毒事故拡大防止のための措置として定めている食品の販売、使用の禁止、停止という方法をとるだけの根拠があれば、そのような行政処分をとるべきであったのであって、それをしないで、控訴人が拡大防止の目的をもって本件各報告の公表という方法をとったのであれば、それは同法の脱法行為である。」

3  16頁下から12行目末尾に以下のとおり加える。

「国や地方公共団体が表現活動の対象者となったときには、名誉毀損法理の下に表現者に対する責任を法的に追及できるのに、反対に国や地方公共団体が表現活動の主体であるときには、名誉毀損法理の適用を受けないとすることは、均衡を欠く。」

4  16頁下から10行目の「7号1512頁」を「4号919頁」と改める。

5  17頁1行目の次に改行して以下のとおり加える。

「 控訴人の主張する職務行為基準説を採用し、その違法の本質を行為規範違反性にあると解するとしても、その違法性の有無は「行政処分の法的要件充足性」、「被侵害利益の種類、性質」、「侵害行為の態様及び原因」、「行政処分の発動に対する被害者側の関与の有無、程度」及び「損害の程度」等の総合判断によるから、民法上の不法行為の場合の相関関係説との差は実質的にはない。違いは、「行政処分の発動に対する被害者側の関与の有無、程度」という観点が加わるだけである。総合判断とは、考慮要素の羅列をすることではなく、公表によって得られる利益と損なわれる利益とを衡量してなされる判断である。

公表内容は事実の摘示あるいは事実に基づく論評を構成要素とするものであるから、内容の真実性を考慮の対象から捨象することは誤りであるし、公表方法の相当性を考慮要素として掲げる以上、公表方法に裁量を認めることは矛盾である。

公務員は表現の自由の権利主体ではないし、その公表行為の重大性や公務員の調査判断能力からすれば、一般私人による名誉毀損行為の場合よりも、より厳格な要件によるべきである。国民が知る権利を行使した場合ですら、対象者には行政機関情報公開法による保護がある。具体的な知る権利の行使のない本件の場合には、より対象者の利益が保護されるべきである。

本件各報告の公表は、調査の専門性を尊重しない情緒的なものである。過渡的情報をテレビ中継付き記者会見で公表することは、公表方法の選択が政策的判断であるという見地に立つとしても、その判断には逸脱があり違法である。控訴人は、被控訴人の被侵害利益を考慮する必要はないと主張しているに等しいし、現に何ら考慮していない。

行政活動によって不利益を被ることがある者に対して、手続保障の精神を尊重するのは当然である。」

6  17頁ウの上に改行して以下のとおり加える。

「 中間報告公表当時、厚生大臣は、「特定の生産施設」に迷惑をかけることになってもかまわない旨の発言をしているのであるから、「特定の生産施設」が被控訴人であることが特定されることを認識、容認していたことは明らかである。

そのほか、控訴人が、報道機関の調査能力や取材意欲を知らないということはあり得ず、中間報告の公表の直前に、被控訴人に対し、大阪府のA保健所の担当者から電話連絡があったこと、公表直後に多くのマスコミが被控訴人の農園に集まったことからみても、被控訴人を容易に特定できたことは明らかである。実名や具体的住所を掲げなくても、公表された情報を総合して特定の個人であることが識別可能であるならば、実名を掲げたのと等価同等である。」

7  18頁下から3行目の「処理要領に基づく」を「処理要領の趣旨に沿う」と、同2行目の「仕組み」を「趣旨や仕組み」と改める。

8  19頁2行目冒頭の「国賠法1条1項」を「本件各報告の公表は、国賠法1条1項の「公権力の行使」に当たるところ、同条項」と改める。

9  19頁下から12行目末尾に以下のとおり加える。

「公務員の職務行為の性質に応じて、国賠法上の違法性の判断基準を検討する必要がある。また、事実的行為については、その職務上の法的義務違反があったというためには、当該公務員が「職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と」当該行為を行ったことが必要である(最高裁平成11年1月21日第1小法廷判決・判例時報1675号48頁)。」

10  19頁下から2行目の次に改行して以下のとおり加える。

「 当該公務員が職務上尽くすべき注意義務を尽くしたか否かを判断するに当たっては、被侵害利益の種類、性質、侵害行為の態様及びその原因、行政処分の発動に対する被害者側の関与の有無、程度並びに損害の程度等の諸般の事情を考慮してその義務内容を確定すべきである。本件に則していえば、<1>公表内容の合理性(本件各報告は科学的専門的知見に基づく総合的判断がなされている。)、<2>公表目的の正当性、<3>公表によって得られる利益ないし必要性、<4>公表によって予想される利益侵害の内容(被控訴人のような食品生産業者の営業利益は、もともと取り扱う商品の安全性が確認されない限り、販売してはならないとの内在的制約がある。)、<5>公表方法の相当性(予防の観点から、国民に対する情報提供と食中毒事故の拡大・再発の防止のために、原因調査の結果を公表することは、食品衛生法〔平成9年法律第105号による改正前のもの〕、食中毒処理要領〔乙7、460頁下段〕の「趣旨」に則ったものである。侵害留保の対象とならない行為について、侵害留保の原則以外に「法律」による行政の原則の制約を考えるとしても、行為の種類によって、必要とされる規範に差がある。食中毒事故の処理に当たりとるべき措置は食品衛生法22条の措置だけに限るものではない。具体的方法は、高度の政策的判断を要する行為であり、厚生大臣が、許容されるいくつかの選択肢の中から、選んだのであれば、事後的にみて最良の選択肢でなくても、職務上の法的義務を果たしたといえる。)などが考慮の対象になり、特に<1>と<2>が重要である。

さらに、そのうえで、当該公務員がその職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為を行ったか否かを判断すべきである。利益衡量によって、理想的な職務のあり方を検討し、それに照らし不十分なことがあれば、直ちに違法であると解することは誤りである。

なお、本件各報告の公表は、被控訴人の名誉・信用を毀損しないようにしつつ行われた。本件各報告や記者会見の内容だけでは「特定の生産施設」が被控訴人であるとの個人識別ができないように、言葉も慎重に選んだ。被控訴人が打撃を受けたとすれば、それは、報道機関が特別の能力をもって入手した情報を利用して特定の個人を識別して報道し、これに社会が過剰反応した結果である。」

11  20頁(2)の上に改行して以下のとおり加える。

「エ 情報公開及び手続保障について

非権力的事実行為に手続保障を要求する法令上の根拠はない。本件各報告の公表のような行為に手続保障を認めるか否かは立法政策の問題であるから、明文の規定がない場合に手続保障をしないことによって違法になることはあり得ない。本件各報告の公表は、被控訴人に対して不利益を課すことを目的とする手続ではないから、手続保障は問題とならない。行政手続法にも公表に関する手続保障の規定はなく、行政指導に従わなかったことを理由とした公表(間接強制又は制裁の目的)でない限り、同法32条2項の「不利益な取扱い」に該当しない。

平成13年4月1日に施行された行政機関の保有する情報の公開に関する法律の目的は、政府の諸活動を国民に説明する義務を果たし、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することであるから、何人にも等しく開示請求を認める一方で、その利害を調整する必要から第三者に意見書を提出させる機会を与えたり、執行停止や不服申立ての手続を可能としている。本件各報告の公表のように、国民が自ら食中毒事故を防ぎ生命・身体を守るために必要な情報を国が積極的に提供する場合とは、全く異なる。本件では、情報開示の請求があった場合と同様の手続保障は必要でない。

仮に、手続保障が必要であったとしても、そのことと被控訴人の損害との間には因果関係がない。」

12  24頁1行目の次に改行して以下のとおり加える。

「 本件でとられた疫学的手法は、後記(イ)で詳述するとおりである。本件で、地域別、学校別の発生状況の調査、有症者に関する調査及び入院者に関する調査、給食の献立や輸送、調理状況の調査、喫食状況に関する調査などの生態学的研究により、本件集団下痢症の発生状況(流行の有無と規模)を認知し、流行像を記述するとともに、入院者及び有症者に関する客観的状況の的確な把握に努めた。そして、喫食状況調査の解析にあたり、入院者と健康者及び有症者と健康者の喫食状況について比較検討するという症例対照研究を行った。この調査は我が国の最高権威である専門家の助言によってなされたもので、標準的な疫学調査手法に沿うものである。また、本件の調査内容については、米国疾病管理センター(CDC)の専門家からも非常に高く評価されている。」

13  24頁(イ)の上1行目の「対象するもの」を「対象とするもの」と改める。

14  24頁(イ)の上に改行して以下のとおり加える。

「 なお、疫学調査の方法は、対象となる症例数や調査の緊急性等の諸状況に応じてその方法が決定されるのが通常であり、本件調査においては適切な方法が決定されている。本件では、調査対象者が多数であったこと、調査の専門家ではない小学校の学級担任等が調査を担当せざるを得なかったこと、調査対象者が年少者の学童あるいは間接的にしか事情を知らない保護者であったこと、緊急に調査を行う必要があったことから、教科書などに記載された方法を逐一実行したものではないが、そのことによって本件調査の価値が低くなるものではない。」

15  32頁下から6行目末尾の「統計的分析を」を「統計学的分析を」と改める。

16  34頁10行目の「1日」を「同月1日」と改める。

17  51頁(原告の主張)の上に改行して以下のとおり加える。

「 本件は、不法行為に基づく損害賠償義務を認める要件としての因果関係の高度の蓋然性の立証に当たって、疫学調査を証拠としている事案ではない。本件は、控訴人が、疫学の目的そのものである食中毒を予防するとの観点から、疫学調査等によって、本件集団下痢症の原因食材として特定の生産施設から特定の日に出荷されたカイワレ大根の可能性が最も高いと考えられるとしたことに合理性があるか否かを判断するものである。

疫学調査は、各種調査について多方面から考察を加え、総合的に検討することによって真実を見つけるという視点に立つものであり、個々の調査を切り離してその不備を指摘しても、疫学調査の合理性を否定することにはならない。」

18  52頁3行目の「乙129」を「甲129」と、同頁下から6行目の「被爆路集団」を「被曝露集団」と改める。

19  55頁(エ)3行目末尾の「は検出されていないから、」を「の検出の作業がなされていないから、」と改める。

20  57頁(キ)4行目冒頭の「同月4日が5名、」の次に「同月5日が11名、」を加える。

21  59頁b6、7行目及び10行目の「4日もある」を「4日間もある」と改める。

22  60頁(ケ)b2行目の「約100名程度」を「約200名程度」と改める。

23  61頁3行目の「原告ら」を「被控訴人」と、同行の「以前の」を「以前の、」と、同頁下から7行目の「中地区」を「堺地区」と改める。

24  66頁(オ)1行目の「検討対象からの除外」を「検討対象から除外」と改める。

25  68頁(イ)本文6行目から8行目までを以下のとおり改める。

「 しかし、これもまた、抽象的な可能性の指摘にとどまっており、当時の調理状況を明らかにする資料は存在しない。控訴人の勝手に作り上げた推測に基づく調理経過によって実験を行っても、事実を再現したことにはならない。」

26  68頁下から2行目冒頭の「グラム、」を「グラムと」と改める。

27  69頁a5行目末尾の「大阪市保育所」を「大阪市内の保育所」と改める。

28  70頁(イ)1行目の「京都内」を「京都市内」と、同10行目の「以外が」を「以外のカイワレ大根が」と、同頁下から4行目の「11日」を「同月11日」と改める。

29  71頁2行目の「B給食」を「B給食センター」と改める。

30  72頁5行目の「結論が出たが」を「結論が一旦出たが」と改める。

31  73頁(ウ)a1、2行目及び3行目の「原告周辺」を「被控訴人の農園の周辺」と改め、同頁末行の「検査を行ったときに」を削除する。

32  75頁(3)の上に改行して以下のとおり加える。

「コ 本件調査は、法的判断ではなくて、自然科学的調査である。本件調査は科学的手法に則って行われることを要し、その内容は自然科学的批判に耐え得る科学的証明が必要である。食中毒の原因食材の調査においては、一律に疫学調査の信用性や質の高さが、不法行為における因果関係を認定する資料とする場合より低くてよいとするのは失当である。

食中毒における原因食材の疫学調査方法は、確立されている。

その方法は、まず、患者、回復者に対する質問調査により、症状、発症日等の臨床情報及び喫食情報を収集し、次に臨床情報から症例を定義した上で症例発生の時間、場所、属性を丁寧に抽出し、原因食材の仮説を立て、続いてこの仮説をコホート調査、症例対照調査によって評価するというものである。本件調査は、基本的な方法を誤っており、疫学調査の体をなしていない。特に、症例の定義が明確にされていないこと、マスターテーブルが作成されていないこと、仮説の検証がなされていないこと、喫食状況の聞き取りに問題があり疫学データとしての価値がないことを問題点として指摘することができる。この意見を述べているPは食中毒の疫学調査についての第1人者である。

生態学的研究と症例対照研究を併用し、そのうち、生態学的研究を重視するという控訴人主張の方法は、明らかに間違いである。そのうえ、控訴人は、生態学的研究の意味を取り違えている。生態学的研究は、集団全体の疾病傾向を観察するものであって、本件調査のように、個々人の健康情報を利用する場合は、これに当たらない。」

33  75頁ア1行目の「本件各報告」を「本件各報告公表(以下、単に「本件各公表」ともいう。)」と改める。

34  76頁イの上に改行して以下のとおり加える。

「(ウ) 控訴人が本件訴訟で主張する公表目的は、本件各公表当時に控訴人のもっていた目的ではない。控訴人の主張するような目的に触れた部分は報告書にも記者会見の発言にも一切ない。8月9日付けの厚生省食品保健課長の「堺市学童集団下痢症の原因究明の中間報告について」と題する通知(乙60)でも「特定のカイワレ」にだけ言及したものとしており、中間報告の公表が、カイワレ大根一般の調理についての注意喚起であったとのことは全く窺えない。

控訴人が、本件訴訟において、目的を主張することに難渋して、主張を変遷させていることからみれば、控訴人の主張する目的は訴訟のために後から考え出されたものであることが分かる。目的も定まらない公表行為について、公表の態様や公表の時期の相当性を検討することはできないから、本件各報告の公表当時に、これらについての検討はなされていないことが明らかである。

被控訴人が衛生指導に従っていなかった事実も、被控訴人が調査に協力的でなかった等の事情もないから、被控訴人には制裁や間接強制を受けなければならない事情は全くない。

原因食材と断定できないものを原因食材であると名指しして、国民の不安を沈静化しようとするのは、誤った情報を流して国民を幻惑しようとするものであって、危機管理ではなく情報操作であり許されない。

他の食中毒の事例において、行政処分も行われず、「他の食材である可能性も否定できない」といった調査結果しかない場合に、わざわざテレビ中継付き記者会見で調査結果が公表されるというような例は今までにない。本件各報告の公表が違法でないというのであれば、本件には特別の必要性が存しなければならないはずである。」

35  76頁末行末尾に以下のとおり加える。

「Cの発言について、これは厚生省の見解と異なるという説明が特になされなかった以上、同人の発言は厚生省の見解を専門家として裏付けたものと受け止めるのが自然である。したがって、この発言内容が違法性の判断において考慮されるべきことは当然である。」

36  79頁(オ)全部を以下のとおり改める。

「(オ) 本件各報告の公表の目的及び公表によって得られる利益

本件各公表の目的は、<1>O-157が常在しないカイワレ大根であっても、O-157の付着によって汚染され、食中毒の原因となり得るものであり、注意が必要であることを一般消費者や食品生産関係者に対し広範に注意喚起し、それによってO-157による食中毒事故の拡大防止や再発防止をし、国民の生命・身体を守ることと、<2>本件集団下痢症のような社会的に影響が大きな事件では、調査結果が出た以上これを公表して、広く国民に情報を提供し国民の不安感を解消することにあり、その目的は正当である。

中間報告の公表の時点で、食中毒が終息しつつあったとの事実はなく(その後、食中毒が続発しなかったのは結果論にすぎない。)、この時点でも、拡大・再発防止策が必要であった。これまで、一般に食中毒の原因食材として注目されることのなかったカイワレ大根が原因である可能性を示せば、O-157が加熱により死滅することはよく知られていたから、一般消費者が加熱処理を励行するなどの調理に留意する等の自衛手段をとることによって、カイワレ大根の出荷停止等の厳しい処分をとらなくても、食中毒事故の予防対策を立てることが十分可能であった。厚生大臣の記者会見における質問に対する回答中に「食中毒事故の拡大防止、再発防止」という言葉がないのは、その質問が、本件各報告公表行為の目的を端的に問うものではなかったからである。厚生大臣は、その著作でも「予防的な見地からみれば、100パーセントではなくても、可能性が高いと判明したのならば発表すべきだと考えた」と記述しており、食中毒被害の拡大防止や再発防止の目的をもっていたことは明らかである。

また、完全に原因が解明されたとはいえなくても、一定水準の調査検討の結果が得られたときは、これを情報として提供することにより、国民の当面する不安の程度が減少し、その情報を一助として、国民は生活上の行動を選択し、判断をすることができるようにもなるし、社会的混乱も未然に回避し得る。

生命、健康への緊急の危害が問題になっている場面では、「不安を与えることをおそれて公表を差し控える」のではなく、むしろ、ある意味での拙速が要求されることも十分あり得る。むしろ公表しないことによって権利侵害の結果が発生するかもしれないことを重視すべきである。

当時、控訴人は、既に都道府県に資料を交付して、食品関係営業施設等の監視、指導の徹底と万全の予防対策を指示し、国民一般にはO-157の性質などを知らせるパンフレットを配布していた。しかし、給食の再開や食品全体への信頼回復は、原因食材の究明とその公表なしには進まない状況にあった。8月上旬から中旬に行われた調査や衛生指導は、中間報告の公表抜きにしては、行い得ない。翌年のアルファルファによる食中毒調査に本件各報告が参考にされたことからみても、その公表の必要性があった。

控訴人の本件訴訟における主張は一貫しており変遷はない。」

37  79頁下から3行目から81頁3行目までを以下のとおり改める。

「イ 本件各報告の公表方法

厚生大臣は、中間報告の公表においては、「カイワレ大根については、原因食材と断定できないが、その可能性も否定できない」とし、最終報告の公表においては、「本件集団下痢症の原因食材としては、特定の生産施設から7月7日、8日及び9日に出荷されたカイワレ大根が最も可能性が高いと考えられる」とした内容を、正確に公表し、断定することは避けた。正確に伝わることを期して、各報告書や概要文書を報道機関に配付した。

中間報告の公表に際しては、特定の生産施設の固有名詞を公表することはできない段階にあること、特定の生産施設以外のカイワレ大根全般に関して影響の及ぶことのないように、報道の仕方に配慮して欲しい旨も述べた。中間報告の報道後に、カイワレ大根に対する過剰な反応が起きたことから、それを鎮静化させるために、8月9日に厚生省食品保健課長が、「堺市学童集団下痢症の原因究明の中間報告について」と題する通知を出し、中間報告においては、対象としたのはあくまで特定のカイワレ大根生産施設で生産された特定のカイワレ大根であり、カイワレ大根全般について言及したものではないとして、冷静な対応を求めた。

特定の生産施設の井戸水や種子等からO-157が検出されなかった事実、中・南地区で1校だけ非発生校があった事実等は、結論を導く過程で十分考慮されているし、そのことは、各報告書にありのままに記載されているのであって、これらの事実を隠したり、無視したりしたことはない。

本件集団下痢症については、O-157対策関係閣僚会議が立ち上げられており、その会議後には会議で話題となった事項について記者会見で述べるのが通常であることから、本件でも記者会見が行われたものである。記者会見によって、各報告書の内容よりも一歩進んだ内容を国民に印象づけた事実はない。

最終報告の記者会見には、我が国の疫学の権威である専門家のC及びDの両名が同席していたが、両名は、厚生大臣の行った公表の後に豊かな専門的知識経験に基づいて、自分の意見を述べたものである。両名は、公務員ではないから、公権力の行使に当たらない。両名の発言を、厚生大臣の発言と同視したり、両名の発言を公表行為の一部とみることはできない。

中間報告の公表の時期には、既に、「最も可能性が高い」といえるだけの裏付けがあったし、食中毒事故は、直接人の生命・健康に重大な影響を及ぼすもので、その対応は、迅速かつ的確に行う必要があることや本件集団下痢症の被害の重大性や国民の不安の大きさからみて、中間報告の時期に、公表の緊急性、必要性があったことは明らかである。大阪市や堺市の意見を聞くべき法的義務は厚生大臣にはない。

公表方法の相当性を判断するに当たって、公衆衛生上の高度の政策的判断が必要であり、厚生大臣の広範な裁量に委ねられていたという点を考慮する必要がある。他により良い公表方法があったとしても、そのことだけでは、直ちに違法であるとはいえない。本件は、大規模な食中毒で、学童を中心に数千人規模の患者が発生し重症患者が多数出ただけではなく、死者まで出たことや、近畿圏で同種事例が発生し、社会不安も高まっていたという当時の情勢を考慮すると、平成8年8月7日の時点で中間報告の公表に踏み切り、また、被控訴人に告知、聴聞などの手続保障をしなかったことなどの本件各報告の公表方法について、厚生大臣が、その裁量の範囲を逸脱し又は濫用したと認められるような事情はない。」

38  81頁ウ1行目から8行目までを以下のとおり改める。

「ウ まとめ

以上のとおりであって、争点(1)で主張した違法性の判断基準に基づいて、諸要素を判断すべきである。

本件各公表の内容は合理的であって、高度な科学的、専門技術的知見に基づく総合判断であるから、専門的技術、裁量を尊重して、これをもとにしてなされた行政庁の判断に不合理な点はないかを検討すべきである。その公表目的は正当であり、公表によって得られる利益があり、公表方法も相当である。」

39  81頁下から8行目冒頭の「職務上」から同7行目冒頭の「上の義務違反は存しない。」までを以下のとおり改める。

「合理的かつ適法なものであるというべきであるし、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と行ったとは認められず、職務上の義務違反は存在しない。」

40  82頁ア本文3、4行目及び6行目末尾の「本件中間報告」を「中間報告」と改め、同頁イの上に改行して以下のとおり加える。

「 他のカイワレ大根生産業者の平成8年の売上げは、平成5年ないし7年の8月から9月の平均売上げと平成8年8月から10月の売上げとを比較すると、激減しているものの2割9分を維持している。ところが、被控訴人の売上げを同様に比較すると1割3分となっている。したがって、被控訴人は、カイワレ大根生産業者一般が受けたよりも、大きな損害を被ったことは明らかであり、少なくとも売上高の1割6分(上記の2割9分と1割3分の差)は、損害として認められるべきである。」

41  83頁4行目末尾に以下のとおり加える。

「仮に、本件各報告が、いずれかの時点で公表されるべきものであったとしても、その方法や態様が異なれば、精神的損害は同じであったとはいえない。」

42  83頁末行末尾に以下のとおり加える。

「被控訴人の主張する財産的損害には証拠がない。また、少なくとも、いずれかの時点で、最終報告の結論部分が公表されるべきであった以上、その場合と、本件の実際の結果との間には異なるところはないから、被控訴人の主張する損害と本件各報告の公表行為との間には因果関係がない。」

第4当裁判所の判断

1  当裁判所の判断の要旨

(1)  はじめに

本件は、患者数が6000人以上にのぼり、2人の児童が死亡するという病原性大腸菌O-157による重大な食中毒であり、当時の国民の不安は強く、その原因究明や予防対策等は国民の最大の関心事であった。このような本件集団下痢症に対し、関係機関及び関係者が短期間のうちに限られた人的物的手段のもとで原因究明のための調査を行い、疫学調査をもとに仮説を立てて報告書を作成したという多大の労苦に対しては多とされてよい。また、国民にとって重要かつ必要な情報を隠さずに早期に国民に対し公開するために厚生大臣が調査の結果を公表するということ自体は、国民にとって望ましいことである。

しかし、下記(本判決23頁2以下)で認定判断するとおり、本件調査、本件各報告書、本件各公表のいずれにも問題がないとはいえず、結局、控訴人は、カイワレ大根生産業者である被控訴人に対し、国家賠償法1条1項による損害賠償責任を免れないものである。

以下、当裁判所の判断の要旨を述べる。

(2)  本件各報告公表についての違法性判断基準について

本件各報告公表(中間報告・最終報告の各公表)が違法であるかどうかを判断するに当たっては、公表の目的の正当性、公表内容の性質、その真実性、公表方法・態様、公表の必要性と緊急性等を踏まえて、公表することが真に必要であったか否かを検討し、その際、公表することによる利益と公表することによる不利益とを比較衡量し、その公表が正当な目的のための相当な手段といえるかどうかを検討すべきである。そして、公表によってもたらされる利益があっても、生じる不利益を犠牲にすることについて正当化できる相当な理由がなければ、違法であると判断せざるを得ない。

(3)  本件集団下痢症の原因調査の合理性及び原因推定の妥当性について

<1> 本件集団下痢症の原因は、水道水ではなく、学校給食であるとした本件調査は、合理的であり誤りはない。また、原因食喫食日について、O-157の潜伏期間及び発症日との関係並びに入院者に対する欠食調査の結果を総合すると、堺市の北・東地区では7月8日、同市の中・南地区では7月9日が喫食日である可能性が最も高いとした本件各報告の内容には合理性がある。

<2> しかし、本件調査には、次のような問題点がある。

原因食材の特定についてであるが、喫食調査によれば、カイワレ大根以外の食材のうち、牛乳、レタス、キュウリが原因食材である可能性を完全に否定することはできない。そして、喫食調査については、集計方法自体が正確性に欠けるところがあり、集計結果も、原因食材であると疑われた献立(カイワレ大根を含む。)が本件集団下痢症と関連性があることを積極的に裏付けるものではなく、せいぜい、矛盾しないという程度のことを示すにとどまる。

<3> 同時期に羽曳野市の老人ホームと京都市の事業所で発生した集団下痢症の原因となったO-157と本件集団下痢症の原因となったO-157のDNAパターンが一致したという事実はあるが、しかし、それは、同一の菌株に由来する可能性を有することを示すものとまでは認めることができるが、それを超えて、被控訴人の出荷したカイワレ大根と上記老人ホーム等における集団下痢症の発症との間の関連性を示すものとまではいえない。

<4> 被控訴人の施設等からO-157が検出されなかったこと、検食(保存されていた給食)のどの食材からもO-157が検出されなかったこと、被控訴人が出荷した他のカイワレ大根からは集団下痢症が発生しているとはいえないこと、堺市の北・東地区では集団下痢症の発生校と非発生校とが明確に分かれていること、同市の中・南地区ではE小学校が非発生校であること、同一調理場で調理したにもかかわらずF小学校が発生校となりG小学校が非発生校となっていることなどからすると、カイワレ大根が原因食材であるとすることに疑問を差し挟む余地のある事実が存在する。

<5> 本件調査に基づき定立された「被控訴人が出荷したカイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材である」との仮説は、もともとの症例の定義があいまいなままであり、喫食調査の仕方にも問題がある等、後の検証を要しないほどの強い証明が存在するものとはいえない(なお、後の検証は十分にされていないといえる。)。

結局、本件集団下痢症の原因調査の合理性及び原因推定の妥当性については、疑問がないとはいえない。

(4)  本件各報告公表の違法性について

<1> 本件各報告公表の目的

本件各報告公表の目的は、O-157による食中毒が多発している状況下で、社会の関心が高かった本件集団下痢症について、原因食材究明の努力が行政によって行われており、その原因食材もほぼ絞られてきているということを社会一般に明らかにし、食品全般の安全性に対する国民の不安を解消することであって、情報公開それ自体が主な目的であったと認められる。したがって、本件各報告公表自体には、国民のための情報提供という面では正当な目的があったと認めることができる。しかし、控訴人が主張するような食中毒の拡大防止・再発防止が主な目的であったとは認められない。

<2> 本件各報告の内容

本件各報告の内容をみるのに、結論部分において、中間報告では「カイワレ大根については、原因食材とは断定できないが、その可能性も否定できないと思料される」とされ、最終報告では「本件集団下痢症の原因食材としては、特定の生産施設から7月7日、8日及び9日に出荷されたカイワレ大根が最も可能性が高いと考えられる」とされている。

まず、中間報告の結論部分についてであるが、本件調査の途中である中間報告の時点においては、カイワレ大根が原因食材である可能性は否定されていなかったと評価することができるのであるから、中間報告の結論部分は、それ自体としては、問題のない表現であると解することができる。

次に、最終報告の結論部分についてであるが、最終報告までの間に事案の解明が一定程度進んだからといって、カイワレ大根が原因食材であることの決定的な証拠も現れていないのであり、逆に、カイワレ大根が原因食材であるとすることに消極に作用する事実も否定されていなかったのであるから、調査が進んだことによってカイワレ大根が原因食材であるという事実が真実である確率が高まったというのは早計である。したがって、最終報告の結論部分において中間報告の結論部分よりも進んだ「最も可能性が高い」という表現を用いたことは相当でない。

さらに、本件各報告書の論述の仕方について検討するのに、本件各報告(特に最終報告)は、カイワレ大根だけが原因食材である可能性がある(ないし可能性が高い)という判断を導き出すのに性急で、そのことについて特段の検証もされていない。特に、最終報告においては、調査結果において現れたカイワレ大根を原因食材とすることに疑問を差し挟む余地のある事実を重視しておらず、そこで行われている説明も科学的に十分な根拠のあるものとはいい難く、カイワレ大根が原因食材であると推定することに妨げにならないように論述されていると評せざるを得ないものである。

<3> 本件各報告公表の時期

中間報告の公表の時期についてであるが、まだ調査の結論が出ていない時点で、カイワレ大根が原因食材であると疑われているとの事実を公表しなければ守れなかった具体的利益は、国民が調査の経過内容を知る利益以上にはほとんどなかったといわざるを得ない。中間報告で開示できる情報の内容に照らし、公表することによって被控訴人が被る打撃や不利益に思いを至せば、その時点では、公表すべき緊急性、必要性があったものということはできない。なお、控訴人は、O-157による食中毒の拡大防止・再発防止を目的としていたから公表する必要性があったと主張するが、それが主な目的であったと認められないことは上記のとおりである。

しかし、最終報告の段階においては、本件集団下痢症の原因究明について調査検討を終了していたのであり、行政の側で行った原因究明の結果を公表することは、厚生大臣に求められる説明責任に応えるものであったといえるから、カイワレ大根が原因食材であることが疑われたものの、本件集団下痢症の原因食材を確定することはできなかったという限度においては、その調査結果を公表する時期として相当であったといえる。

<4> 本件各報告公表の方法・態様

厚生省は、本件各報告書及びその概要文書を報道機関に配付するとともに、厚生大臣と厚生省職員が(最終報告の際には疫学等の専門家が加わり)記者会見を行い、本件各報告の内容を口頭で伝えるとともに報道機関の質問に答えるという公表方法を採った。このような方法を採る場合には、その表現方法や情報の正確性については細心の注意を払い、それによって第三者の名誉や信用を害することのないようにする注意義務があるというべきである。

それにもかかわらず、厚生大臣や、特に厚生大臣と一緒に記者会見に臨んだ専門家は、上記の注意義務に反し、本件各報告書の内容を超えて、特定の生産施設(この施設が被控訴人を指すものであることは容易に判明する。)のカイワレ大根が原因である可能性が95パーセント程度であると言及したものであり、これにより、専門家の判断としては、あたかも被控訴人の出荷したカイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材であることは確定的な事実であるかのような印象を与える結果となったものであって相当でない。なお、本件における専門家の記者会見での発言は、厚生大臣の公表行為を補助するものとして厚生大臣の公表行為の一部であるとみることができるものであり、これに反する控訴人の主張は採用することができない。

<5> 違法性についての結論

本件集団下痢症についてされた本件調査は、その基礎データの信頼性に限界があるなどの問題がある。そして、本件調査は、原因食材を大まかな範囲で絞り込み、「被控訴人が出荷したカイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材である」との仮説を立てたものの、それ以上に、原因食材を特定するというところまでの正確性、信頼性を有するものとは認められない。

中間報告書については、その時点で、厚生大臣が記者会見まで行って積極的に公表しなければならないような緊急性、必要性は認められず、中間報告の公表は相当性を欠くものといわざるを得ない。

最終報告書については、調査終了後に作成されたものであり、その時点は、調査結果を公表する時期としては相当であったといえる。しかし、最終報告書の内容は、必ずしも標準的な疫学調査の手法に則ったものであるといえるかについて疑問があるし、「被控訴人が出荷したカイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材である」との仮説に矛盾しない事実をことさら取り上げ、他方、この仮説に合理的な疑問を差し挟む事実については、十分な科学的根拠のない説明によりこれを退ける処理をするなどしている。最終報告書は、カイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材であるとのことが解明されたかの如き誤解を招きかねない不十分な内容であって相当でない。さらに、最終報告書の公表の際に同席した専門家が特定の生産施設(上記のとおり被控訴人を指すことは容易に判明する。)で生産されたカイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材である可能性は95パーセント程度であると、ほぼ断定した判断を示したことは、上記のとおり相当でない。したがって、最終報告の公表も相当性を欠くものといわざるを得ない。

以上によれば、本件各報告公表は、上記の違法性判断基準に照らしてみれば、情報公開という正当な目的があったとしても、被控訴人の名誉、信用を害する違法な行為であるといわざるを得ず、これにより生じた被控訴人の損害について、控訴人には、国家賠償法1条1項による損害賠償責任があるというべきである。

(5)  被控訴人の損害額について

次の合計600万円が被控訴人の損害である。

<1> 財産的損害は300万円を認める。

被控訴人の財産的損害は、それが生じたことは認められるが、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときに該当するというべきであるから、民訴法248条により、口頭弁論の全趣旨及び本件認定の諸事情を総合考慮して、300万円と認定する。

<2> 精神的損害(慰謝料)は200万円を認める。

<3> 弁護士費用は100万円を認める。

2  争点(1)(違法性判断基準)について

以下のとおり訂正するほかは、原判決の第3の1(84頁2行目から94頁下から12行目まで)の記載を引用する。

(1)  88頁下から5行目の「7号1512頁」を「4号919頁」と改める。

(2)  89頁ウ2行目の次に改行して以下のとおり加える。

「 国賠法1条1項は、国又は地方公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときには、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定したものであり、上記の違法は職務上の法的義務違反であるということができる。

法令の規定等があり、行為規範が明示されているときは、その規定された要件と手続に従えば、その結果国民の権利が侵害されても、それは許容されているものであるということができる。また、行為規範の明示がなくても、行為規範となるべき手掛かりがあれば、そこから法的義務を検討することができる。本件のように、当該職務が非権力的事実行為で、法令の規定等が存在しない場合には、組織法上の規定等から職務の性質や範囲等を検討したうえで、具体的な職務執行に際しての個別の諸事情を考慮すべきである。

また、明示の法律の根拠がない場合に、具体的行為を離れて、法的義務を確定したうえで、さらに、改めて、通常尽くすべき注意義務を尽くさず漫然と行為をしたか否かを判断することは不可能である。控訴人の引用する最高裁平成11年1月21日判決(判例時報1675号48頁)は、事実的行為に関する国賠法上の違法が問題となった事例であるが、ここで問題とされた事実行為は、住民票に世帯主との続柄を記載するという住民基本台帳法に基づくよく行われる行為であって、本件の場合とは明らかに事案を異にするというべきである。」

(3)  91頁下から6行目の「情報公開法」を「行政機関情報公開法」と改める。

(4)  93頁7、8行目の「行政機関情報公開基準」を「行政情報公開基準」と改め、同頁下から3行目の次に改行して以下のとおり加える。

「 公表に法律上の根拠があるといえない以上、公表によってもたらされる利益がいくらかでもあれば、結果として、どのような権利侵害が生じても違法の問題は生じないなどということはできない。公表によってもたらされる利益があっても、生じる不利益を犠牲にすることについて正当化できる相当な理由がなければ、違法であると判断せざるを得ない。」

3  争点(2)(原因調査の合理性及び原因推定の妥当性)について

以下のとおり訂正するほかは、原判決第3の2(94頁下から11行目から137頁3行目まで)の記載を引用する。

(1)  97頁ウ4行目の「h浄水場」を「H浄水場」と改める。

(2)  100頁<1>2行目の「県境衛生課職員」を「環境衛生課職員」と改める。

(3)  101頁(エ)6行目の「DNAパターン」を「DNAパターン分析」と改める。

(4)  106頁2行目の「羽曳野市及び」を「羽曳野市と京都市の集団給食施設におけるO-157感染事例の疫学調査結果及び」と改める。

(5)  107頁2、3行目の「平成8年度食中毒事件録」を「平成8年全国食中毒事件録」と、同頁7行目冒頭の「断定に」を「断定には」と改める。

(6)  111頁3、4行目の「被告は対象者を意識的に選別したわけではないから、」を「控訴人は、対象者を喫食状況や欠席日など、特定のルールに従って除いたものではないし、」と改める。

(7)  111頁bの上3行目の「限らない。」を「限らないし、北・東地区で7月8日以前の発症者、中・南地区で7月9日以前の発症者が相当数いないとも限らない。」と改める。

(8)  111頁b本文4行目の「12校」を「11校」と、同頁下から2行目の「28日」を「27日」と改める。

(9)  112頁2行目の「できない」を「できない。大きく偏って混入しているということもできないが、消化器症状の程度もさまざまであるし、有症者であるとの判断に統一性があるかも疑問であり、常に一定の割合でO-157感染者以外の者が混入しているということもできないから、基礎データとしての信頼性には限界があるというべきである。」と改める。

(10)  117頁12行目末尾に以下のとおり加える。

「また、牛乳の納入業者は乳処理業者であるとしても(乙36の144頁)、流通過程の中で直前に位置する者であって生産者とはいい難いのに、カイワレ大根については、生産者(生産者は被控訴人であるが、納入業者はI青果とJ青果である。〔乙68〕)を問題にして、直前の納入業者を問題にせず、牛乳については納入業者だけを問題にする(乙33の61頁)のは一貫性がないといえる。そして、牛乳について1業者の納入先に発生校と非発生校が混在していることはカイワレ大根の場合と同じである。」

(11)  117頁下から11行目の「レタス」から同頁下から7行目までを以下のとおり改める。

「堺市の学校給食に係る生食野菜の仕入先及び調査内容(乙68)によれば、キュウリとレタスの産地は異なるが、レタスの納入業者は、キュウリのうちの一部の納入業者と同一であることが認められるから、流通の過程で同時に原因菌に接触する機会があった可能性がないとはいえず、レタスとキュウリが原因食材である可能性を完全に否定することはできない。」

(12)  118頁6、7行目の「危険率1パーセント」を「危険率5パーセント」と改める。

(13)  119頁11行目の「北・南地区」を「北・東地区」と改める。

(14)  120頁c11行目の末尾に以下のとおり加える。

「ところで、この調査は、過去の給食を喫食したか欠食したかについて、年少者である学童に毎日食べている給食についての記憶を喚起させる調査をするのであるから、もともと正確な記憶が全部について残っていることは期待できないのに、回答の仕方を二者択一で食べたか食べなかったかを○×で答えさせるものとしたため、多くの空欄がある事態を招いてしまったものといえる。」

(15)  122頁a4行目の「7月6日」を「7月7日」と改める。

(16)  122頁下から9行目から同頁下から5行目までの記載を以下のとおり改める。

「 ただし、統計学的分析によって、原因食として老人ホームの調理場で調理された昼食のうち7月5日のみそ汁と7月9日のカイワレ菜サラダが疑われたところ、カイワレ菜サラダには被控訴人の出荷したカイワレ大根が使用されていた。みそ汁は加熱食品であるので、カイワレ菜サラダが原因食である可能性が高いともいえるが、最初の発症者は、7月9日のカイワレ菜サラダより前の7月7日に発症したと認められる(甲154、乙69)が、その初期症状がO-157に感染した結果でないとはいえない。」

(17)  124頁下から9行目の「しかし、」から同頁末行までを以下のとおり改める。

「しかし、そのパック数からみて、7月11日にK給食センターに納入された80パックはすべて他社からのものであって、被控訴人が出荷したカイワレ大根が全く含まれていないということも、あり得ないことではない。

京都市衛生局から大阪府環境保健部食品衛生課に送信された書面(甲172の2、乙61)によれば、L食品が7月11日にK給食センターに売った80パックは、7月9日に入荷したMからの53パックと他社からの40パックであると断定的に図示した記載がなされているが、L食品の仕入れ・出荷状況(甲118、119、172の1)には、出荷についていずれの仕入れ品を出荷したかは不明であると明記されているのであり、各搬入時間も不明であるから、上記書面を作成した者がそのように判断したというにすぎず、記載どおりに断定することはできない。」

(18)  125頁下から10行目の「59、」の次に「76、」を加え、127頁dの上3、2行目の「DNAの塩基配列が極めてよく似たものが多数存在しうるため、」を削除する。

(19)  127頁下から2行目を「オ 被控訴人の施設等に対するO-157の検出調査」と改め、128頁(b)3行目の「8月10日」を「8月9日」と改める。

(20)  129頁(b)5行目の「が維持されていたほか」を「を維持するようにしていたほか(ただし、井戸Bについては、7月24日昼に残留塩素がなかったことを保健所は確認している。しかし、残留塩素がない状態でも、検査結果は陰性であった。前日に投入した塩素の影響のない水を新たに汲み上げ検査されたことが窺えるが、井戸については、塩素投入後時間が経てば塩素の影響はなくなることから、常時塩素濃度が維持されていたとは認められない。)」と改め、同(b)11行目の「200」を「200cc」と改め、同(b)末行末尾に「ただし、塩素化合物については、有機物の混入でその効力が低下することが一般的には認められるが(乙70の1・2)、被控訴人の施設において、有機物の混入状況がどのようであったかは、明らかではない。」を加え、同頁下から2行目の「汚染されている可能性は極めて低いことが」を「本件集団下痢症発生直前の出荷当時に汚染されていた可能性は低く、7月24日以降の検査時には汚染の事実はないことが」と改める。

(21)  130頁2行目の次に改行して以下のとおり加える。

「 控訴人は、細菌検査で陰性であっても、原因食材であることを否定するものではなく、当該検査結果は、何ら情報を提供しないというだけであると主張する。なるほど、検査で陰性であるとのことからだけで原因食材であることを直ちに否定することはできないことはそのとおりである。

しかし、このように、本件は、細菌検査では、原因食材の究明はできなかった事例であるから、原因究明の疫学調査は、質の高いものが求められているといえるのである。」

(22)  130頁7行目の次に「カ カイワレ大根が原因食材であることに消極に作用する事実」を加え、同頁8行目の(ウ)を(ア)と改め、131頁6行目から11行目までを以下のとおり改める。

「 O-157に感染しても、健康な成人の場合はほとんど症状が出ないとされることや学校給食よりも一般家庭の方が食中毒が起こりにくいことを考慮しても、本件集団下痢症においては、成人である相当数の教職員も発症していること、一般家庭で食事をする者には、健康な成人だけではなく幼児や老人も含まれていることや、生食野菜の保存状態については一般家庭の方が給食の場合よりも一概によいともいえないことから、被控訴人が出荷したカイワレ大根が原因であるとすれば、実際に発生した本件集団下痢症以外の事例が少なすぎると考えることには十分合理的な理由がある。」

(23)  131頁下から11行目末尾に以下のとおり加え、同頁(エ)を(イ)と改める。

「また、不均一に種子が汚染されていたとしても、その汚染されたものが偏って学校給食用に出荷されたとすることは、あまりにも偶然すぎるといわざるを得ない。」

(24)  132頁7行目冒頭の「説明する」を「説明をする」と改め、同行末尾に以下のとおり加え、同頁(オ)を(ウ)と、同頁(カ)を(エ)と改める。

「控訴人は、カイワレ大根の種子が不均一に汚染されていた結果であるとも主張するが、単なる憶測にすぎないし、そうであれば、カイワレ大根に限らず他の食材でも、不均一に汚染されるという説明をすることができる。中・南地区では、非発生校はわずか1校であり、発生校と非発生校の混在する北・東地区との違いを合理的に説明することが困難である。また、被控訴人が7月5日に出荷した分については汚染されておらず、それが非発生校に納入されたとの推測(乙5、16頁)は、7月5日に出荷した分は、各小学校に納入したカイワレ大根のうち、納入数量が1キログラム未満の端数となっている部分の調整用に使用されたものである(甲151、152、被控訴人本人)から、7月5日分が非発生校に偏って納入された事実は認められず、誤りである。

さらに、控訴人は、中・南地区の冷やしうどんでは、調理過程からみてカイワレ大根が、加熱されたり、加熱直後のものと混ぜ合わされる可能性がないが、北・東地区のとり肉とレタスの甘酢あえでは、煮立てたたれがどの程度冷めた状態でカイワレ大根とあえられたかが、各校の調理の進み具合によって区々になる(乙3、乙17の資料1-5、1-6、〔原判決211、212頁〕)ことから、北・東地区は、発生がまだらになったとの主張をする。しかし、各校の調理状況の違いは、9校ぐらいを抽出して調査しただけで、全体からいえば一部であるし、(乙17、36)、それが発生、非発生と対応しているかどうかも具体的に検討されていない。上記の調査結果や献立の調理手順からだけでは、その前提となる個別の具体的な調理過程が控訴人の主張どおりであったとのことを認めることはできない。」

(25)  132頁下から8行目の「証拠はなく、」から同4行目末尾までを「証拠はない。」と改める。

(26)  133頁9行目の「証拠はなく、」から同13行目までを「証拠はない。」と、同頁(キ)を(オ)と改める。

(27)  135頁下から7行目末尾に以下のとおり加える。

「特に上記の実験の際、カイワレ大根の根のあるマットの部分を4つに切断しているので、マット全体に広がっていた根が切断されたカイワレ大根が実験で使用されている。植物の細胞中の間隔の大きさと菌の大きさからみて、根から内部を通って可食部まで菌が移動することはあり得ないことはR証人も認めるところであり、根が切断されて傷ついていた場合か、毛細管現象によって、可食部に移行することがあり得るにすぎない。」

(28)  136頁下から3行目冒頭の「したがって、」を以下のとおり改める。「 そして、また、被控訴人が7月1日から同月15日までの間に出荷したカイワレ大根は、24.6トンで、2府5県にわたる967か所の販売施設で販売されたのであるし(甲154、乙5)、カイワレ大根生産業者はさほどの多数ではない(乙67)から、羽曳野市や京都市で食材としてカイワレ大根を使用すれば、それが被控訴人が出荷したものであることは、とりたてて偶然のこととはいえない。

したがって、控訴人の主張どおりに、本件集団下痢症と羽曳野市の老人ホームや京都市の事業所において発生した食中毒が、同じ菌が原因で起こったことを前提にしても、」

(29)  137頁3の上に改行して以下のとおり加える。

「(4) 本件調査の手法と本件各報告に対する専門的評価について

控訴人は、本件調査は、生態学的研究と症例対照研究を併用し、そのうち生態学的研究を重視する手法によったものであると主張するが、どの調査や検討がそれに該当するものといえるのか、明確とはいえない。また、控訴人は、本件調査は、多数の専門家が関与して、進められた妥当性の担保されたものであり、米国疾病管理センター(CDC)の専門家からも非常に高く評価されているという。

しかし、当初の調査方法についてどのような専門的検討がなされたのかは、不明であるといわざるを得ない。本件においては、患者数が6000人以上にものぼる大規模なものであったことや、欠食率の低い給食が原因食として疑われた食中毒であったから、どのような者を調査の対象とし、どのような内容の質問をして、どのような形式で回答を求めるのかといった基礎データの収集方法についても、当然専門的検討がなされるべきであったはずであるのに、本件で使用された「食中毒調査票」は、もともと厚生省が各自治体に示していた様式を堺市において修正したものである(乙33)というだけであって、この点についてどのような検討がなされたのか不明である。

確かに、本件各報告を公表する前に、それぞれ疫学等に関する各方面の専門家に対する意見聴取を行っているが、控訴人の主張によっても、多くの専門家に意見等を聴取したのは、大半の調査データの収集後のことであって、基礎資料や個別の調査結果等をどのようにまとめてどの程度開示したのかは、明らかではないし、また、具体的な説明や検討の時間をそれほど多くはかけていないものと思われる。7月中の3人の専門家に対する意見聴取については、報告書やメモはなく(証人N)、中間報告前に開かれた専門家会議は、8月5日の夕方から午後8時頃までの時間しかかけておらず(乙48、乙72)、その内容についての会議録やメモ等も残っていない(乙36)。最終報告前に開かれた専門家会議は、座長であるCに対してすら、資料は9月13日当日に初めて渡されたものであって、専門家11人が約3時間議論をしたというにすぎないし、コンセンサス方式であった(乙33、48、75)から、その時間内に積極的に発言しなければ、同意したものとみなされたのではないかと思われる。それらの専門家は、基礎資料の収集方法について助言や指導をしていないし、中間報告書の起案、作成に関与していない。

以上の事実によれば、報告書をまとめる段階で多くの専門家の意見を聞いたとのことをもって、各報告書の妥当性が十分に担保されているとの結論を導くことは到底できない。

また、本件調査は、米国疾病管理センター(CDC)の専門家による評価を受けているとの控訴人の主張に沿う証拠は、証人Sの抽象的な証言(別件の証人調書である乙44と本件訴訟での証言)のみであって、本件調査や本件各報告が、どのような評価を受けたかについて知ることのできる文献等は証拠として提出されていない。アメリカの疫学雑誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・エピオデミオロジー」の平成11年10月号に本件調査についての発表がされたとの事実は乙32、33及び上記Sの証言や証人Nの証言から認められるが、どのような形式による発表がなされたのかは明らかでない。甲135の1・2、乙32、33から認められるシンポジウム等での報告では、本件調査の疫学的手法について専門的な見地からの評価があったとは認められない。乙34は、発芽野菜からの食中毒の危険性が高いことを注意喚起するアメリカ厚生省のプレスリリースであって、本件調査の手法の評価に関連するものとはいえない。乙35には、単に「1996年、日本では、カイワレダイコンと大規模なO-157感染との関連性が指摘された」との記載があるだけで、本件調査の手法の評価にかかわるものではないことは明らかである。したがって、控訴人の上記主張を認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。

食中毒における原因食材の疫学調査方法としては、患者、回復者に対する質問調査により、症状、発症日等の臨床情報及び喫食情報を収集し、次に臨床情報から症例を定義した上で、症例発生の時間、場所、属性を丁寧に描出し、原因食材の仮説を立て、続いてこの仮説をコホート調査、症例対照調査によって評価するとの方法が、米国疾病管理センター(CDC)のテキストに記載されているほか、多くの文献にもこの方法が紹介されている(甲3、124、125、140、145、146、163、176、177の1、乙74)し、証人S(及び同人の陳述書である乙43)も一般論としてはこの方法を認めている。

本件調査を、この観点から検討すれば、本件調査において、被控訴人が出荷したカイワレ大根が原因食材であるとの仮説が定立されたが、この仮説は、以下の問題点に照らせば、後の検証を要しないほどの強い証明が存在するものとはいえないということができる。

問題点は、もともとの症例の定義があいまいなままであること(本件調査は、全数調査にこだわり、有症者の定義については医師の診断もない何らかの消化管症状があったものとするあいまいなものである。また、軽度の消化管症状は食中毒とは関係なくても珍しくなく、周囲がいわゆるパニック状態になっていた中にいれば、それだけで体調を崩す者も多くいた可能性がある。)、喫食調査の仕方に問題があること(ある献立を食べたか食べていないかの二者択一の回答欄しかなかったため、記憶のない場合等の回答の仕方が明らかでなく、空欄〔無回答〕の回答が多く出るような調査をしたこと、調査対象範囲が適切でないこと、調査担当者は学級担任等で、この種の調査の専門家ではないこと等)、マスターテーブル(ある食品を食べた人、食べない人、症状のある人、ない人の人数等を記載する2×2表)の重要さに対する認識が乏しく、中間報告ではそれに基づく判断をしているとはいえないこと、統計的有意性を判断するためのオッズの記載がないことである。

そして、仮説の定立後に、その仮説がどのように検証されたといえるかについて不明であり、むしろ十分な検証はされていないものといわざるを得ない(甲177の1)。

なお、喫食調査に基づく症例対照研究では原因食材が特定できない場合でも、原因食材を特定した調査(乙26、28)はあるが、これらは、関連のある食品のパッケージやサンプルからO-157が検出された事例(乙26、28)である。原因食材の特定にあたり、O-157の検出が大きな意味を有していることは明らかであって、どこからも検出がされなかった本件と同列に論じることはできない。

控訴人は、一つ一つの調査を切り離して取り上げ、個々の不備を指摘することは、各種調査について多方面から考察を加え総合的に検討することによって真実を見つけるという疫学調査における視点からは、誤りであるというが、調査の不備や問題点を指摘することは、検証を要しないほど強い証明があるかどうかの判断をするに際し、不要なものであるということはできない。

本件集団下痢症は、極めて規模が大きかっただけでなく、欠食率の少ない小学校の給食が原因食であると疑われた食中毒であるから、その原因調査については、これまで経験した食中毒とは異なり、調査方法について特に検討工夫をする必要があったのに、その緊急の初期情報の調査の担当者に、質的、量的に人材を揃えることが困難であったことは不幸であったといえる。

本件集団下痢症の原因究明の調査をしたところ、給食の保存検食からも、被控訴人の施設等からも、細菌検査では原因菌を検出できなかったものである。そうすると、本件は、疫学的手法を用いて、その原因を究明するしかない事案であったといえるので、本件調査は、標準的な疫学調査の手法によるものであるとして、多くの専門家の支持を得られるものである必要があることはいうまでもない。しかるに、以上の事実からは、本件調査をそのように評価することは困難であるといわざるを得ない。

ところで、本件調査は、不法行為による損害賠償請求の要件としての因果関係を立証するための証拠の収集ではなく、食中毒の原因究明のためになされたものであることは、控訴人の主張のとおりである。

しかしながら、食中毒の原因究明は、それ自体で完結するものではなく、今後の予防ないし再発防止等の対策や公衆衛生一般の対策の基となるべきものであるし、不法行為による損害賠償請求の要件としての因果関係を立証するための証拠となる場合と比べても、直ちに異なるということはできない。」

4  争点(3)(違法性)について

以下のとおり訂正するほかは、原判決第3の3(137頁4行目から158頁下から9行目まで)の記載を引用する。

(1)  137頁ア3行目冒頭の「62」の次に「、71、72」を加え、同頁(ア)4、5行目の「同月12日に広島県a町及び愛知県春日井市、」を「同月11日に広島県a町、同月12日に愛知県春日井市、」と改め、同頁下から2行目の「2名」の次に「(7月23日1名、8月16日1名)」を加える。

(2)  139頁下から4行目の「厚生省食品衛生課」を「厚生省食品保健課」と改める。

(3)  140頁2行目の「微生物」を「微生物課」と改める。

(4)  143頁下から10行目の「情況証拠」を「状況証拠」と改める。

(5)  145頁7行目の「食中毒事故防止」から同行末尾までを以下のとおり改める。

「食中毒事故防止のための具体的対策を示したものということはできない。中間報告の内容を知っても、それを知った者が何に注意し、どのような行動をすればよいのかについては、全く分からないといわざるを得ない。

控訴人は、既にO-157が加熱により死滅することはよく知られていたから、一般消費者が加熱処理を励行して調理方法に留意するなどの自衛手段をとることによって、出荷停止等の厳しい処分をとらなくても、食中毒事故の予防対策を立てることは十分可能であったと主張する。確かに、当時、食中毒が続発し、厚生省は、O-157の性質等を知らせるパンフレットを配布したりしていた(乙9)が、一般的にO-157が加熱により死滅することがよく知られていたとまでいえるかは明らかではない。仮にその事実が知られていたからといって、カイワレ大根は、加熱調理しない生食が普通の食べ方であるから、一般の消費者は、原因食材の可能性があることを知れば、カイワレ大根を加熱調理して食べるということは期待できない。汚染のおそれのある物の購入を避けるということは、容易に予測できる事態であるといえる。一般消費者がカイワレ大根を加熱調理して食べるようになることが期待できたとの控訴人の主張は、およそ採用し難い主張である。

また、控訴人のこの主張は、8月15日に厚生大臣がカイワレ大根を加熱調理せずに生のままで食べたことと明らかに矛盾するものであり、厚生大臣は、一般消費者のすべきでない食べ方を国民に示したことになる。」

(6)  145頁10行目の「7月」を「6月」と改め、同頁下から3行目末尾に以下のとおり加える。

「厚生省は、カイワレ大根の出荷を停止させるつもりがなかったことからすれば、被控訴人が特定の日以外に出荷したカイワレ大根以外のカイワレ大根について、国民がこれを食べることによる本件集団下痢症の被害が拡大したり、本件集団下痢症とは別のO-157による食中毒事故が発生するおそれを感じていたとも認められない。」

(7)  146頁(ウ)2、3行目の「これらが」を「そこには、食中毒の原因食材の究明が予防対策につながるとの漠然とした抽象的一般論から導かれること以上の実質的内容を見い出すことができず、拡大防止、再発防止が」と改める。

(8)  146頁下から5行目の「入れるとを」を「入れることを」と改め、同頁下から2行目冒頭に以下のとおり加える。

「 上記社会状況と本件各報告公表までの経緯(原判決137頁3の(1))によれば、中間報告書は、調査がある程度進んだことから調査担当者において自発的に作成され、これを厚生大臣がまず閣僚会議で報告し、閣僚会議の結果報告として記者会見をしたという経過をたどったものではない。厚生省において、8月6日に、大阪府や堺市とは同一歩調をとらないまま早急に調査状況の公表の必要性があるとの判断をして、公表の日を翌日と決定し、それに間に合わせて8月7日の未明に完成された中間報告書を予定どおり同日昼には公表したのであって、中間報告書の作成そのものが当面の公表以外に何らかの具体的目的を予定したものとは認められない。中間報告書をまとめて公表しなくては、その後の調査や衛生指導が継続できなかったとか、他の食中毒調査に支障を来たしたと認めることのできる的確な証拠もない。」

(9)  149頁下から8行目冒頭の「最終報告」から次行の「しかし、」までを「次に、最終報告の結論部分について検討する。」と改める。

(10)  150頁12行目の「早計であるが」から16行目までを以下のとおり改める。

「早計である。したがって、最終報告において中間報告よりも進んだ「最も可能性が高い」という表現を用いたことは相当でなかったということができる。」

(11)  150頁(イ)1行目から152頁5行目までを以下のとおり改める。

「(イ) 本件各報告書の論述の仕方等について

本件集団下痢症の原因食材が被控訴人の出荷したカイワレ大根であるとの仮説は、上記争点(2)で判断したとおり、仮説に至る本件調査の仕方が必ずしも標準的な疫学的手法によっていたとの評価はできないし、基礎データの信頼性も十分なものであるとはいえないから、あくまで、仮説の一つとしての意味があるというにすぎないといわざるを得ない。

それにもかかわらず、本件各報告(特に最終報告において)は、カイワレ大根だけが原因食材である可能性がある(ないし可能性が高い)という判断を導き出すのに性急で、特段の検証もなされていないし、これらの判断を導くのに消極に作用する事実に対しても、合理的な説明ができているとはいえない。特に、最終報告においては、調査結果において現れたカイワレ大根を原因食材とするのに疑問を差し挟む余地のある事実、例えば、中・南地区と北・東地区とで発生差があること、同じ調理施設で調理したのにF小学校では有症者が発生し、G小学校では有症者が発生しなかったこと、中・南地区でE小学校のみが唯一非発生校であること、中・南地区の入院者のうち4名が7月9日の冷やしうどんを食べていないことなどについても言及はされている。しかし、最終報告では、これらを重視せず、そこで行われている説明は、科学的に十分な根拠があるものとはいい難く、カイワレ大根が原因食材であると推定することに妨げにならないように論述されていると評せざるを得ないものである。また、中間報告以降、最終報告までの間においては、カイワレ大根が原因食材であるか否かについての調査にほとんど終始しており、喫食調査の結果を再度見直して、他の食材についても原因食材であるとの仮説が成り立たないかどうかについての検討をしたり、専門家の意見を聞いたりする等の作業がされたとのことは認められない。

また、被控訴人の農園及びその周辺からO-157が検出されなかったこと以外に、被控訴人の農園でのカイワレ大根の生産過程がどのようなものであるかについて、本件各報告では触れられていない。上記のとおり、被控訴人の農園においては、使用されるカイワレ大根の種子も、井戸水も、殺菌が行われていたのであり、その施設が不衛生であったといえるような事情は認められない。特定の生産施設の出荷したカイワレ大根がO-157に汚染されていた可能性があるという報道がされれば、一般消費者は、被控訴人のカイワレ大根の生産過程に問題があり、被控訴人が今後生産するものについても汚染の危険があるとの認識をもつことが容易に予想される。したがって、この点について何の言及もせずに、ただ、原因食材が特定の生産施設(この施設が被控訴人を指すものであることは容易に判明する。)から出荷されたカイワレ大根であるとの公表をすれば、被控訴人の今後の生産分についても不衛生であるとの疑いを抱かれることになるから、被控訴人の社会的評価は、単に、本件集団下痢症の原因食材を出荷したと疑われる以上に、大きく低下することになることは明らかであるといってよい。被控訴人としては、被控訴人の農園及びその周辺からO-157が検出されていないのみならず、被控訴人の生産施設に衛生上の問題はなかったことを指摘して反論したかったと考えられるが、厚生大臣は、被控訴人にそのような反論をする機会を一切与えることなく、本件各報告を公表したものである。その意味で、本件各報告公表は、それによって被控訴人の被るであろう打撃や不利益に対する配慮が十分であったとはいい難い。」

(12)  153頁(エ)本文1行目の「原因食材」から次行の「なっているものの、」までを削除し、同頁ウの上4行目の「本件中間報告」を「中間報告」と改める。

(13)  154頁末行から155頁(イ)の末行までを以下のとおり改める。

「 一般に、調査途中においても、調査の経過報告をする必要がある場合も存するし、本件の場合も、本件集団下痢症の原因については、国民の重大な関心事であったから、適当な時期に調査の途中経過を報告することも必要なものではあったということができる。当時の調査において、特定の生産施設から出荷されたカイワレ大根が原因食材であると疑われていたことは事実であって、この点について報告書の内容に誤りはない。そして、厚生大臣が、専門家の意見を聞いて、特定の生産施設から出荷されたカイワレ大根が原因食材であることはほぼ間違いないと解するのもやむを得ないことといえよう。しかし、当時の調査は、その内容に合理性があったか疑わしいだけでなく、できあがった中間報告書の結論部分だけをみれば、疑いのある食材の一つとしてカイワレ大根が上がったというにすぎず、他の食材である可能性もあると解されるものである。さらに、中間報告公表の時点で、カイワレ大根が原因食材であると疑われているとの事実を公表しなければ守れなかった具体的利益は、国民が調査の経過内容を知る利益以上にはほとんどなかったといわざるを得ない。もっとも、この利益も十分に尊重すべきであることは論を待たないが、この時点で、被控訴人の農園やその周辺もカイワレの種子も汚染されていないことは検査済みであったのであるから、薬害エイズの事例等とは異なり、出荷停止等の処分をしなくても、被害が拡大する具体的なおそれがあるといえないことは、厚生省において十分判断できたものといえる。

ところで、情報を開示しない場合に開示しなかったことによる不利益と、情報を開示することによって発生する被控訴人の不利益(開示された情報の中に、被控訴人であると容易に分かる特定の生産施設のカイワレ大根が疑われているとの表現があれば、被控訴人の取引先や一般消費者は、被控訴人が今後生産するカイワレ大根を購入しないとの行動に走ることは、容易に予測できる事態である。)とを比較するのに、公表することによって被控訴人が被る不利益は余りにも具体的で大きく、開示しなかったことによる不利益は抽象的なものであるといわざるを得ない。

公表したことは、国民の知る権利に抽象的に応えるものとはいえても、一方で、被控訴人に対し多大の不利益を与えることになったものであるといえる。結果的にも、原因食材と確定できないものに疑いをかけただけであって、かえって混乱を招いたというほかない。すなわち、中間報告で開示できる情報の内容に照らすと、公表することによって生ずる被控訴人が被る打撃や不利益に思いを至せば、その時点では、公表すべき緊急性、必要性があったものということはできない。

(イ) 最終報告の段階においては、厚生省として、中間報告公表の後も調査を進め、また、専門家からも意見を聴取して、本件集団下痢症の原因究明について、調査検討を終了していたと認めることができる。そして、当時の状況においては、行政の側で行った原因究明の結果を公表することは、厚生大臣に求められる説明責任に応えるものであったといえる。したがって、カイワレ大根が原因食材であることが疑われたが、本件集団下痢症の原因食材を確定することはできなかったという限度においては、調査結果を公表する時期として相当であったということができる。」

(14)  156頁オの上末尾に以下のとおり加える。

「 控訴人は、専門家のC及びD両名の発言について、両名が公務員ではないから公権力の行使に当たらないとか、両名は厚生省とは独立した立場で自分の意見を述べたものであって、両名の発言を厚生大臣の発言と同視したり、公表行為の一部とみることはできないと主張する。しかし、記者会見で、両名が厚生大臣と同席したのは、最終報告書に専門家として賛同し最終報告書を説明するためであるから、両名の発言が厚生省と異なる見解として述べられているものであると理解することは到底できない。厚生省から同省の見解とは異なるとの特段の説明もなかった以上、両名の発言は、厚生大臣の公表行為を補助して行ったものということができ、厚生大臣の公表行為の一部であるということができる。」

(15)  156頁オ1行目から158頁4の上までを以下のとおり改める。

「オ まとめ

本件集団下痢症についてされた本件調査は、入院者の欠食調査にあたっては、早期発症の入院者99名が調査の対象から漏れていること、その喫食調査結果の集計にあたっては、空欄(無回答)のままの食品についてもすべて喫食しているものとして集計していること、有症者の定義があいまいであり、有症者や入院者にO-157感染者でない者も含まれている可能性があることなど、その基礎データの信頼性に限界があるなどの問題がある。そして、本件調査は、原因食材を大まかな範囲で絞り込み、「被控訴人が出荷したカイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材である」とする仮説の一つを立てたものの、それ以上に、原因食材を特定するというところまでの正確性、信頼性を有するものとは認められない。本件調査は、本件各報告を公表する前に、それぞれ疫学等に関する各方面の複数の専門家に対する意見聴取を行っているが、それらの専門家に対し、基礎資料や個別の調査結果等について十分に説明をした上で検討することのできる時間をかけたものとは思われないから、単に専門家が本件各報告書に異議を述べていないことをもって、本件各報告の公表が相当なものであったとは直ちにいい得ないことは明らかである。

厚生省が関わって調査したものである以上、客観的、事後的にみて、調査内容に合理性がなければ、厚生大臣が個人的に本件各報告書が合理性のあるものであると信用していたとしても、それに基づく行為の正当性を根拠づけることはできない。食中毒の原因究明は、専門的な知見に基づく手法によるものではあるが、専門的評価ではなくて事実の究明である。カイワレ大根は原因食材であるかないかのどちらかしか事実はあり得ず、専門的見地に基づく先端技術の安全性の程度等の評価の加わる判断とは全く異なるものである。

中間報告書は、調査途中の時点で明らかになった事柄を短時間でまとめただけのものであって、その内容は、単にカイワレ大根が原因食材である可能性を否定できないという程度のことである。中間報告が、その結論部分においてその時点における判断として合理性がないとはいえないとしても、さらに検証、調査を重ねなければならない過渡的な情報であって、それだけをわざわざ取り出して公表するほどの内容であるとまではいえない。また、上記の調査についての合理性に照らして、結果的に誤りである危険性があり、その内容において公表する情報たるにふさわしいものであったとはいえない。そして、それが一旦公表されれば、どのようにその公表の態様を工夫しようと、その段階では、カイワレ大根だけが原因食材として疑われているという以上、一般の人が、カイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材であるとの印象をもつことは避けられず、対象者の利益を、何の反論の機会も与えないまま、著しく害するおそれがあることは容易に予測できたはずのものである。この公表によって、一時的に国民の不安感が解消した感が仮にあったとしても、それは、国民の不安感を解消する手段として相当なものであるということはできない。

そうすると、中間報告書については、この時期に、厚生大臣が記者会見まで行って、積極的に公表しなければならないような緊急性、必要性は認められなかったといわざるを得ず、その公表は相当性を欠くものと判断せざるを得ない。

次に、厚生省が、本件集団下痢症に関する調査をすべて終了した場合においては、その調査結果を最終報告として公表することは、その目的において、行政機関が取得した社会的関心事に関する情報を、広く国民に公表することによって、国民の知る権利に奉仕するという正当性を有するものと認められる。

そこで、検討するのに、最終報告書は、調査終了後に作成されたものと認められるが、そこでの調査内容や論述の方法は、必ずしも標準的な疫学調査の手法に則ったものであるといえるか疑問であるし、被控訴人が生産したカイワレ大根が原因食材であるとの仮説に矛盾しない事実をことさら取り上げ、他方、上記仮説に合理的な疑問を差し挟む事実については、十分な科学的根拠のない説明によりこれを退ける処理をするなどしている。そして、最終報告書は、その情報を受け取る者に対し、カイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材であるとのことが解明されたかの如き誤解を招きかねない不十分な内容になっており、相当とはいい難いことは上記のとおりである。

さらに、上記のような誤解を招きかねない不十分な内容の情報を公表し、かつ、その記者会見の席上で、同席した専門家が、被控訴人と容易に分かる特定の生産施設で生産されたカイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材である可能性は95パーセント程度であると、ほぼ断定した判断を示した場合には、かかる情報を受領した者は、被控訴人の農園で生産されたカイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材であると厚生省が判断したものと理解してもやむを得ないものであって、これが相当でないことは明らかである。

したがって、最終報告の公表も、また、相当性を欠くものと判断せざるを得ない。

以上の結果、厚生大臣による本件各報告の公表は、控訴人の意図するところではなかったにせよ、上記の違法性判断基準に照らしてみれば、情報公開という正当な目的があったとしても、結果的に、被控訴人の名誉、信用を害する違法な行為であるといわざるを得ない。

よって、国家賠償法1条1項により、控訴人は、被控訴人の被った損害について賠償する責任を負うものというべきである。」

5  争点(4)(損害額)について

(1)  事業利益の損失及び信用回復費用

控訴人は、本件各報告の公表により、平成8年8月から平成9年7月までの1年間で少なくとも前年同期と同様の収益を得られたはずであるのに実際には多額の損失を計上する結果となったとして、前年同期と当年同期の損益の差額5870万7758円の損害を被ったとし、また、他のカイワレ生産業者の売上げ減少率と比較して、それよりも被控訴人の売上げ減少率の大きい部分についてはその差額が損害であると主張する。さらに、被控訴人の名誉・信用を回復するためには200万円の費用を要し、これも損害になると主張する。

ア そこで、検討するのに、上記認定のとおり、被控訴人は中間報告公表後すぐに取引業者の多くから取引停止を通告され、カイワレ大根だけでなく豆苗等の他の生産品の出荷もすべて断念せざるを得なくなったものであり、被控訴人の事業利益の損失額は、客観的かつ的確な立証がないので被控訴人主張どおりの損害を認めることはできないが、相当多額であったものと考えられる。

しかしながら、平成8年においては、O-157による食中毒事故が多発し、かつ、7月には本件集団下痢症が発生したこともあって、消費者の間に食品の安全性一般に対する不安が広がっていた。ところで、カイワレ大根は、比較的最近一般の家庭や普通の飲食店で使用されるようになった新しい食材であり、かつ、嗜好的要素が強く、それ自体で独立した食材とは必ずしもなり難く、調理方法も限られていることから、未だ国民の食生活上不可欠のものとして根付いていたものとまではいえない。7月当時、消費者の間に既に食品一般の安全性に対する不安が広がり、特に生ものを食べることは強く不安視されていたのであるから、生食が普通であるカイワレ大根については、仮に本件各報告の公表がなくても、本件集団下痢症等の影響などにより相当程度消費が控えられていたことが考えられる。

また、本件集団下痢症の原因究明の結果は、いずれかの時点では公表されるべきものであったといえるし、最終報告において、被控訴人が特定の日に出荷したカイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材として最も可能性が高いとされた事実自体は、いずれにしても早晩明らかになっていたと考えられる。そのような場合、やはり、消費者が一般的にカイワレ大根の購入を控えるであろうことは十分予想されるところであり、被控訴人のカイワレ大根の出荷にも相当大きな影響が及んだものと推定される。

さらに、仮に中間報告が公表されることなく、また最終報告が本件において行われたような態様での公表ではなく、最終報告書作成以後の時点において、被控訴人に対する配慮をも十分にして調査内容の公表の仕方や表現を慎重に考慮した上で適正にされた公表(以下、これを「適正な公表」という。)であったとしても、被控訴人の販売が相当の打撃を受けたであろうことは想像に難くないということができる。

しかし、最終報告書が作成されたのは9月26日であるから、最終報告の公表がそれよりも前であることはあり得ないところ、その時点においては、本件集団下痢症による入院者や有症者も概ね症状を回復していたものと考えられるし、季節も既に夏から秋に推移していて一般的には食中毒の危険性が低下している時期である。この時点で、本件調査による本件集団下痢症の原因究明の結果についての公表が、上記のような適正な公表であったとすれば、一般の国民が受けた印象及び採ったであろう行動は、本件で現実に起こったような過敏・過剰な反応ではなかったものと考えられる。

したがって、被控訴人に生じた事業利益の損失は、本件各報告公表によって生ずる損失の方が、上記のような適正な公表がされた場合に生ずる損失よりも多いことは明らかであると推認される。そうすると、被控訴人には、本件各報告公表によって上記の差額に相当する営業損害が生じたことは認められるが、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときに該当するというべきである。

なお、被控訴人は、他のカイワレ大根生産業者の売上げ減少率と比較した上での損害額を主張するが、上記のとおり、最終報告書において、特定の生産施設(被控訴人の施設)の生産したカイワレ大根が原因食材として疑われた旨の記載があること及びこの事実は早晩公表されるに至ったであろうと考えられるから、被控訴人の売上げ減少率が他の業者よりも大きくなることは避けられなかったということができる。したがって、被控訴人の上記主張は採用することができない。

よって、民訴法248条(同法297条で準用)により、本件口頭弁論の全趣旨及び上記認定の諸事情を総合考慮して、被控訴人の財産的損害を300万円と認定する。

イ 被控訴人主張の信用回復費用の点についてであるが、名誉・信用毀損が行われた場合、被害者の受けた被害を回復するための手段は、第1次的には、その被った損害を金銭的に賠償することである。民法723条は、名誉を毀損した者に対して、損害賠償と共に名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができると規定するが、ここで規定されているのは金銭賠償以外の救済方法であるから、被控訴人は、この規定を根拠として、名誉・信用を回復するのに必要な費用を損害として請求することはできないものというべきである。もっとも、被控訴人は、名誉・信用を毀損されたことに基づく損害の一環としてこのような主張をしているものと解されるから、この点は次の慰謝料の認定において考慮することにする。

(2)  慰謝料

被控訴人は、本件調査や本件各報告の内容を全く知らされず、また反論の機会も与えられないまま、被控訴人の出荷したカイワレ大根が本件集団下痢症の原因食材であるという誤解を与えるような本件各報告を公表された結果、カイワレ大根等の農作物の生産業者として、その名誉・信用を毀損され、大きな精神的苦痛を受けたものと認めることができる。

そこで、検討するのに、厚生大臣としては、国民の重大な関心事であった本件集団下痢症についての調査結果を広く国民に知らせるという正当な目的で本件各報告の公表を行ったものであること(本件各報告公表の目的)、本件各報告書の公表にとどまらず、厚生大臣による記者会見、テレビ中継等により、全国的に事実が知れ渡ってしまったこと(公表の方法・態様)、本件各公表によって被控訴人が受けた打撃等本件に顕れたすべての事情を総合考慮すると、慰謝料として200万円を認めるのが相当である。

(3)  弁護士費用

本件事案の性質・内容、審理の経過、認容額等本件に顕れたすべての事情を総合考慮すると、控訴人の違法行為と相当因果関係のある弁護士費用として、100万円を認めるのが相当である。

6  結論

以上の次第で、被控訴人の本件請求は、国家賠償法1条1項に基づき、上記損害合計600万円及びうち弁護士費用を除く500万円に対する訴状送達の日の翌日である平成9年3月29日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却すべきである。

よって、原判決は、結局、相当であり、本件控訴は理由がないから、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する(なお、仮執行宣言は不必要と認めるので、これを付さない。)。

(裁判長裁判官 中田昭孝 裁判官 竹中邦夫 裁判官 稻葉重子)

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