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大阪高等裁判所 平成14年(ネ)3898号 判決 2003年7月04日

控訴人

兵庫県

代表者知事

井戸敏三

訴訟代理人弁護士

奥村孝

訴訟復代理人弁護士

石丸鐵太郎

堀岩夫

森有美

藤原孝洋

指定代理人

西墻佐富士

外4名

被控訴人

甲野太郎

訴訟代理人弁護士

吉井正明

辰巳裕規

内海陽子

坂井希千与

小野郁美

吉田哲也

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1  控訴の趣旨

1  原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

第2  被控訴人の請求

控訴人は,被控訴人に対し,360万円及びこれに対する平成12年6月7日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第3  事案の概要

事案の概要は,以下のとおり改めた上,原判決の「第2 事案の概要」の記載を引用する。

(1)  3頁(2)本文2行目の「以下「本件誘拐事件」という。」を「以下「本件誘拐事件」といい,同事件の被疑者を単に「被疑者」という。」と改める。

(2)  3頁(3)本文1,2行目の「現金自動預払機」の次に「(以下「ATM」,「ATM機」,「CD機」ともいう。)」を加える。

(3)  4頁2行目の「判明した。」の次に「警察官は,この際,被控訴人の写真をデジタルカメラで撮影した。」を加える。

(4)  4頁(ア)5行目の「A警察官」を「後記A巡査長」と,次行の「B警察官ら」を「後記B警部補ら」と改める。

(5)  4頁下から5行目の「抱え込み,」の次に「足払いをし,」を加える。

(6)  5頁1行目の「押し倒された」を「引き倒された」と,同1,2行目の「押し倒されている」を「引き倒されている」と改める。

(7)  5頁(イ)8行目の「B」を「後記B警部補」と改める。

(8)  5頁(イ)9行目の「CD」を「CD機」と改める。

(9)  6頁9行目の「西宮署長から名乗られたことはなく,西宮署長に」を「後記D署長から自分が西宮署長であると名乗られたことはなく,D署長が現場にいたことに」と改める。

(10)  8頁6行目末尾に以下のとおり加える。

「したがって,被控訴人は,自由な意思が制圧された中でキャッシュカード等の提示を求められたものであって,提示に応じたのも自由な意思に基づいたものではない。C巡査長は,携帯電話の発着信履歴の確認について被控訴人に承諾を求めたことはなく,被控訴人もこれを承諾したことはない。本件では,そもそも適法な職務質問が行われたのではないから,キャッシュカード等の確認行為が,それに付随した所持品検査として適法であるということはできない。被控訴人は,突如暴行を受け,倒され,身体をつかまれて駐車場隅まで連行され,そこで複数の警察官に囲まれ,壁側に押しやられた上で,前記の発問や提示要求を受けたのである。」

(11)  8頁7,8行目の「発問」を「発問等」と改める。

(12)  10頁ウの上に改行して以下のとおり加える。

「(オ) 控訴人は,最高裁判所昭和44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁が判示した要件(①現に犯罪が行われ若しくは行われた後間がないと認められ,②証拠保全の必要性,緊急性があり,③撮影が一般的に許容される限度を超えない相当な方法をもって行われるとき)を満たす場合以外にも無断の写真撮影が許されると主張する。

しかし,警察官が正当な理由もないのに個人の容貌等を写真撮影することは許されず,同判決に判示された場合でなければ,写真撮影することは許されない。本件の写真撮影時には,現行犯又は準現行犯的状況が全くなく,被控訴人が被疑者であることを疑わせる事情もなく,既にキャッシュカード等の確認は終わっており,警察官らは被控訴人が被疑者でないと確定するに十分な資料を得ていたのである。したがって,本件の写真撮影は,同判決が判示した要件を満たさない。」

(13)  10頁(イ)1行目の「名誉権の毀損」を「名誉の毀損」と改める。

(14)  14頁(エ)本文4行目冒頭の「西宮署」を「西宮署長」と改める。

(15)  17頁(エ)の上に改行して以下のとおり加える。

「(エ) C巡査長が被控訴人の名前,住所を尋ねた行為は,答弁を強要したものではなく,適法な職務質問である。

A巡査長らが被控訴人の身柄を拘束する逮捕行為に及んだ事実は全くないから,被控訴人の意思が制圧されたものと推認することはできない。

(オ) A巡査長らが被控訴人のキャッシュカード等を確認した行為は,適法な職務質問に付随して行われた所持品検査として,その許容範囲を超えない適正なものというべきである。

すなわち,所持品検査は,捜索に至らず,強制にわたらない限りにおいて,所持品検査の必要性,緊急性,法益の権衡等を考慮して,具体的状況のもとで相当と認められる場合に許されるものである。本件では,前記のとおり,①被控訴人と本件誘拐事件との関連を疑うに足りる相当の理由があり,②被疑者が被害者に振り込ませたこと,被疑者が携帯電話で被害者に連絡していたこと,誘拐された子供を早期に救出しなければならない緊迫した状況にあったことから,キャッシュカード等を確認し,携帯電話については発着信履歴を確認する必要性及び緊急性があり,提示を求められた被控訴人はこれを承諾して自ら差し出したものである。したがって,キャッシュカード等の確認行為は,前記の要件に照らし,所持品検査として許容されるものである。

(カ) 被控訴人の写真撮影は,被控訴人が被疑者であるかどうかの特定のためになされたものであるところ,任意処分として許されるものである。

すなわち,前記昭和44年最高裁大法廷判決に判示された要件を充たさない場合には,いかなる場合であっても犯罪捜査において写真撮影が許されないわけではなく,任意処分としてとらえられる写真撮影にあっては,必要性,緊急性及び撮影方法の相当性等を考慮して,具体的状況のもとで相当と認められる限度において許されるものである。本件では,被控訴人と本件誘拐事件との関連を疑うに足りる相当の理由があり,写真撮影の時点では被控訴人が被疑者でないことは判明しておらず,防犯カメラで撮影された被疑者の映像との照合を行うことが,被控訴人が被疑者であるか否かを確定する方法として最も確実であるところ,被控訴人をその場にとどめることは不可能であるから,デジタルカメラで撮影して捜査本部に送信するしか方法がなく,写真撮影の必要性及び緊急性が認められる。また,殊更に衆人環視のもとで撮影されたものではなく,枚数も2枚で必要最小限度のものといえるから,撮影方法としても相当なものである。」

(16)  17頁4行目冒頭の「(エ)」を「(キ)」と改める。

第4  当裁判所の判断

1  本件の経緯

前記争いのない事実,証拠(甲1,2,3の1ないし5,4の1ないし28,6,乙1,2の1ないし515,3の1ないし32,4ないし7,8の1ないし3,15,16,証人A,同D,被控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)  平成12年4月20日,横浜市保土ヶ谷区において,本件誘拐事件が発生し,同月24日に兵庫県警察本部に同事件の対策室が設けられ,機捜隊及び西宮署の警察官らが本件誘拐事件の捜査に当たっていた。

被控訴人は,本件誘拐事件に何らの関わりもなかった。

(2)  A巡査長は,同日,B警部補とともに捜査用自動車に乗車して西宮署等の管内を機動捜査していたところ,午後2時ころ(以下いずれも平成12年4月24日午後のことである。),「神奈川県下で誘拐事件が発生した。被疑者は,40歳前後の男,身長170センチメートル,頭髪長め,黒色ジャンパー様,白色マスク,黒色野球帽を着用し,鞄様の物を携行している。被害者の安全を第一に秘匿捜査を徹底すること。」との指令を受けた。A巡査長は,西宮市今津町付近国道43号線を西進中,3時40分ころ,「さくら銀行西宮支店で被疑者がCD機利用中。手配の男がいたら職務質問せよ。CD機は152番である。」との指令を受け,同支店に向かったが,その間に,被害者に振り込ませた現金を引き出しているのは,被疑者が偽名で開設した銀行口座からである旨の連絡を受けた。

実際には,本件誘拐事件の真犯人は,3時37分ころと3時38分ころの2回,さくら銀行西宮支店(以下「本件支店」という。)ではなくて,さくら銀行西宮支店西宮市役所出張所のATM機から現金を引き出していた。

(3)  機捜隊警視GとC巡査長は,3時41分ころに本件支店に到着し,3時42,3分に,建物外でATM機の利用客の男性数名に職務質問をし,3時44分に本件支店の入口からいったん離れた。

(4)  被控訴人は,3時43分,本件支店に赴き,被控訴人名義の預金口座から現金を引き出すために,ATM機を操作した。

C巡査長及びA巡査長は,3時44分に相次いで本件支店内に入り,番号152のATM機を発見することができなかったが,ATM機を利用している被控訴人が40歳代,身長170センチメートル位の中肉中背であり,黒色ジャンパー様上着を着用し,鞄を所持しており,指令を受けていた被疑者の年齢,身長,着衣,所持品に近いことから,被控訴人を被疑者ではないかと疑い,被控訴人の側まで近づきながらその動静を注視した。なお,被控訴人は,白色マスクや黒色野球帽を着用していなかった。

(5)  被控訴人は,3時45分ころ,現金の引出しを終えてATM機から離れ,右の方にいたA巡査長らの方に振り向き,本件支店を出ようとして出入口に向かって歩き始めた。その時にB警部補が本件支店に入ってきた。A巡査長は,被控訴人の右前方から近づき,その場で被控訴人を停止させるために,いきなり,右手で被控訴人の右腕をつかみ,「ちょっとすみません。」と声をかけたが,警察官であることは名乗らなかった。その際,被控訴人は,逃走したり,抵抗するようなことは全くしなかった。ちょうどその時,B警部補も,被控訴人の方に正面から近づき,A巡査長に対し,「被控訴人が被疑者かどうか」を尋ね,A巡査長は「分からない」と答えた。それから,A巡査長は,左腕で被控訴人の右腕を抱え,本件支店に入ってきたF巡査長やE巡査長の方を見た。被控訴人は,両足がやや「く」の字型になったところ,A巡査長は,被控訴人の右腕を抱えたまま身体を被控訴人の方に向け,B警部補は,被控訴人の左後ろに立って右腕を被控訴人の背中から右肩のあたりに回し,F巡査長は,被控訴人の前に近づいた。B警部補は,左腕を被控訴人の首に回し,被控訴人を仰向けに引き倒し,F巡査長は,被控訴人の左前方から右腕を被控訴人の背中から肩のあたりに回した。そのころに,G警視が入ってきた。ところで,被控訴人は,前記のとおり,いきなり,右腕をつかまれ,引き倒されたため,暴漢に襲われたのではないかとの恐怖感をいだいた。

(6)  A巡査長及びB警部補らは,引き倒してから約13秒後に被控訴人を引き起こし,その際に,「重大事件が起こった。」ことを告げ,被控訴人は,その言葉からようやく同人らが警察関係者であることを知ったが,警察関係者からこのような行為を受けることについて恐怖感が募った。被控訴人を引き起こしてから後,A巡査長は,被控訴人の右側から左手で被控訴人のジャンパーの後ろをつかみ,B警部補は,被控訴人の左側から右手で被控訴人のベルトをつかんで,被控訴人を本件支店の建物外に連れ出し,C巡査長は,被控訴人の前方を歩き,F巡査長は,被控訴人の後方を歩いた。

(7)  当時,本件支店内においてATM機を利用していた客7名は,被控訴人が引き倒された直後,一斉に振り返り,前記7名とその後に本件支店内に入ってきた客3名は,被控訴人が引き倒されている様子や本件支店の外に出ていく様子を見ていた。

(8)  前記警察官らは,被控訴人を本件支店南側駐車場の北西角の壁際に連れて行った。その周辺には,他にも数名の警察官がいた。

C巡査長らは,被控訴人に対し,「重大な事件があった。協力してもらえるか。」と言い,名前と住所を尋ね,被控訴人は,拒むことなく名前と住所を答えた。A巡査長は,被控訴人に対し,キャッシュカード及びATM機利用明細書,身分証明書の提示を求め,被控訴人は,嫌疑を晴らす目的もあってこれに応じ,キャッシュカード及びATM機利用明細書,身分証明書を提示し,A巡査長は,これらを確認した。C巡査長は,被控訴人に対し,発着信履歴を確認する目的を告げることなく,携帯電話の提示を求めたところ,被控訴人は,これに応じて携帯電話を渡し,C巡査長は,携帯電話の発着信履歴を確認し,相手がすべて西宮市内の電話であることがわかった。C巡査長が携帯電話の発着信履歴を確認するなどしている時に,西宮署の警察官は,被控訴人の同意を得ずに,被控訴人の容貌をデジタルカメラで撮影した。

A巡査長がキャッシュカード及びATM機利用明細書が被控訴人名義であることを確認し,また,C巡査長が携帯電話の発着信履歴から携帯電話の相手がすべて西宮市内の電話であることを確認した時点で,被控訴人が被疑者であるとの疑いはほぼ晴れていたが,被疑者が現在,被害者に電話をしているとの連絡が,その場を離れていたB警部補の携帯電話に入り,被控訴人が被疑者でないことが確実になった。しかし,被控訴人は,その場では,警察官の誰からも,帰っていいとは言われなかった。被控訴人は,このころには,怒り心頭に発するような状態になり,鞄を開けて,前記警察官らに対し,「そんなに見たいのなら何でもみろ。」と言い,さらに,「これは問題じゃないか。」などと言って,強く抗議した。

(9)  D署長は,本件支店南側駐車場において被控訴人が警察官らに抗議しているところを目撃し,様子を見ていたところ,現場にいた西宮署の警察官から,被疑者が現金を引き出した銀行はさくら銀行西宮支店西宮市役所出張所であったと聞き,被控訴人が被疑者ではないことがわかったため,被控訴人に対して説明と謝罪をする必要があると思ったが,秘匿捜査を行っている本件誘拐事件の説明をその場でするわけにもいかず,西宮署まで来てもらって説明,謝罪することにした。

B警部補は,被控訴人の右腕をつかんで被控訴人を捜査用車両のドアのところまで連れて行き,被控訴人に対し,「西宮署まで来てくれ。」と言い,同車両に乗るように促したところ,被控訴人は,その理由を尋ねたが,B警部補に「いいから乗ってください。」と言われ,同車両の後部座席に先に乗り込み,B警部補が同車両の助手席に,西宮署の警察官のHが同車両の後部座席に乗り,A巡査長が同車両を運転して,被控訴人を西宮署に連れて行った。被控訴人は,前記警察官らに対し,同車両内において,なぜ連れて行くのかを説明するように求めたが,前記警察官らは,「署で詳しい説明をする。」,「我々は,上から命令されているだけなので,何も言えない。」などと答えた。

同車両は,3時50分に本件支店を出発したが,D署長は,同車両が走り出す前に,テレビ局関係者がテレビカメラでこれを撮影しようとしていることがわかり,これを制止した。

(10)  被控訴人は,3時55分ころ,西宮署に到着し,2階の参考人応接室に通された。その際,被控訴人は,B警部補らに対し,「なぜこのようなことをしたのか。」と説明を求めたところ,B警部補から,本件誘拐事件の捜査の過程で生じた出来事であるとの説明を受けた。その後,D署長が同室に来て,被控訴人に対し,B警部補と同様の説明をするとともに,謝罪をしたが,被控訴人は,これに納得せず,「自分に暴行を振るった者をすぐにここに連れてきて,その者らに土下座して謝ってもらうぐらいのことでなければ,到底許す気になれない。」などと述べて,被控訴人に対する警察官らの行為について強く抗議をした。

(11)  被控訴人は,結局,D署長の説明に納得することができず,これ以上話をしてもらちがあかないと考え,本来は三和銀行に行く予定であったので,D署長に対し,「こんなところまで連れてきて,そのまま自分をほっぽり出すのか。」などと言って,車で三和銀行に寄ってから自宅に送ってもらいたいと申し出たところ,D署長は,これに応じ,西宮署の警察官に対し,捜査用車両で被控訴人を自宅に送るように指示し,指示を受けた警察官は,捜査用車両を運転し,三和銀行を経由して,被控訴人を自宅に送った。

2  事実経過に関する当事者双方の主張についての検討

(1)  前記1(5)のB警部補らが被控訴人を引き倒したとの点に関して,控訴人は,「A巡査長が,被控訴人に対して職務質問を実施するため,被控訴人に声をかけて被控訴人の右腕を持ったところ,被控訴人は,身体を開くような形でよろけるように後ずさりし,更にバランスを崩して腰砕けのようになって,後方に転倒しそうな状態になったため,A巡査長は,被控訴人が転倒しないようにその右腕を抱えて引き上げるようにして支え,B警部補が被控訴人の背後に回って背中あたりを支えようとし,F巡査長が被控訴人の左側に回り,被控訴人の左腕ないし背中あたりを支えようとしたが及ばず,被控訴人は,本件支店の床に尻もちをつくように座り込んでしまった。」との旨主張し,これに沿う証人Aの証言及びこれと同旨の同人作成の陳述書(乙5,15)の記載がある。

しかし,証拠のビデオ(甲2,3の2,4の6,乙1,2の357,3の11)によれば,B警部補の左手首が被控訴人の首に回っていることは明らかであり(控訴人は,B警部補の左手首と見られる部分は,被控訴人の首の付け根から下の部分であるとの可能性を指摘するが,証拠上そのようにみることはできない。),同警部補の前記動きは,尻もちをつきそうになる被控訴人を支える動きとしては,余りにも不自然であるといわざるを得ず,かえってこのようなB警部補の動きは,被控訴人を引き倒したことを推認させるものである。控訴人は,B警部補のこの時の行動について,尻もちをつきそうになる被控訴人を支えようとする行動であるとるる指摘するが,この控訴人の主張を裏付けるような的確な証拠もない。

被控訴人は,身長が約170センチメートルで中肉中背であり,被控訴人が倒れるのを防ぐためにA巡査長やB警部補らが支えていたのであれば,尻もちをつくほどまで倒れるとは考えにくい。また,A巡査長やB警部補らが尻もちをつこうとする被控訴人を支えようとしたのであれば,倒れた被控訴人を直ちに助け起こすはずであるのに,約13秒もの間,被控訴人を助け起こさないというのは不自然である。

腕を不意につかまれた場合に,後ろに退くことは特に不自然な行動ではないが,本件証拠を検討しても,被控訴人が後ずさりをしたと認めることはできず,これを認めるに足りる的確な証拠もない。前記認定のとおり,被控訴人の両足がやや「く」の字型になったが,腰砕けになったともいえず,この姿勢をもってそのまま尻もちをつくような体勢であったと認めることはできない。かえって,証拠(甲2,3の1,4の4,乙1,2の350,3の9)によれば,被控訴人は,頭が前方の斜め下を向き,上体は背中を少し丸めた状態でやや前傾していることが認められ,このような姿勢のままで,後ろに仰向けになって転倒するというのは考えにくい。

もっとも,この時点では被控訴人が被疑者と確定したわけでもなく,被控訴人はA巡査長から右腕をつかまえられても抵抗せず,逃走する様子を見せたわけでもなく,そのような状況において,多数の者がいる本件支店の中で警察官が被控訴人を引き倒すというような行為に出ることは,一般的には考えにくいところである。しかし,逆に,この段階では被控訴人が被疑者ではないとの断定もできておらず,被疑者の確保とそれによる被害者の救出等を図るあまりに,警察官がこのような挙に出る可能性も否定できない。したがって,前記の一般論をもって前記認定を左右することはできない。

ところで,当時,被控訴人が倒れた場所が滑りやすかったとか,被控訴人が何かにつまずいたなどとの事実は,本件証拠上認められず,かえって,被控訴人は身長約170センチメートル,中肉中背の40歳代の男性であって,本件支店内で何らかの強い力を加えられずに,尻もちをつくとか自ら後に倒れるということは到底考え難いことである。

結局,前記1(5)の認定を覆すに足りる証拠はないといってよい。

(2)  被控訴人は,自分が引き倒される際に,警察官らから足払いをされた旨主張する。

しかし,引き倒された際に足払いをされたのであれば覚えているはずであるのに,被控訴人は,訴状において,足を払われたとか足をかけられたとの主張をしておらず,訴え提起から9か月近く経た平成13年2月15日付け準備書面で初めて主張し,被控訴人作成の供述書(甲1)にも両腕をつかんで自分を引き倒した旨記載するが,足払い等については全く触れず,被控訴人本人尋問でも,足を払われた記憶はない旨供述する。また,証拠(甲2,3の1,4の4,乙1,2の350,3の9)を検討しても,A巡査長が足をかけたとまで断定することはできない。その他に,被控訴人がA巡査長に足を払われたとか,足をかけられたとのことを認めるに足りる的確な証拠はない。

(3)  被控訴人は,被控訴人が引き倒された隙に,C巡査長が所持品検査をしたと主張する。

証拠(甲2,3の1・2,4の8ないし14,乙1,2の367・368・372・378・379・383・389,3の13ないし19)によれば,被控訴人が倒れている際に,C巡査長が,被控訴人の右前方に立って前屈みになり,左手を被控訴人の身体に向けて伸ばしていたことが認められる。しかし,その事実があるからといって,C巡査長が所持品検査をしたものと推認することはできないし,他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(4)  前記1(9)の被控訴人が捜査用車両に乗り込んだ点について,控訴人は,「D署長が被控訴人に対して西宮署長であることを名乗り,「警察署で説明します。来てくれますか。」と申し向けたところ,被控訴人が西宮署への来署に同意し,自ら捜査用車両に乗り込んだ。」と主張し,これに沿う証人Dの証言及び同人作成の陳述書(乙7,16)の記載,証人Aの証言及び同人作成の陳述書(乙5,15)の記載がある。しかし,いずれも前記主張を認めさせる的確かつ客観的な証拠であるということはできない。

他方,被控訴人は,本人尋問でも,捜査用車両に乗る前にD署長と話をしたことはなく,西宮署で初めて会ったと明言するが,前記のような状況のもとにおいて,大勢の警察官がいる中で被控訴人がD署長と対面しなかったと断言できるかもやや疑問である。

そうすると,D署長が被控訴人に西宮署への来署を要望したことを確実に否定することもできないが,逆に,それがあったと断定することもできないといわざるを得ない。

なお,この段階では,被控訴人が被疑者でないことはB警部補らにも判明していたから,B警部補が被控訴人の腕をつかんで捜査用車両まで連れて行くということは,一般的には考えにくい。しかし,被疑者として連行したのではなくても,被控訴人と警察官らとの騒ぎが大きくなれば,事態を穏便に済ませることもできなくなり,秘匿捜査をしていた本件誘拐事件が外部に漏れる恐れもあったのであるから,被控訴人をその場から移動させるために,前記認定のような行動をとることは十分にあり得るところである。

その他に,前記1(9)の認定を覆すに足りる証拠はない。

3  被控訴人主張の違法性

(1)  本件支店建物内から駐車場までの行為(事実上の身柄拘束)について

警察官は,異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し,若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について,若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者を停止させて質問をすることができる(警職法2条1項)。

ところで,被控訴人は,そもそも本件誘拐事件と何ら関係がなかったものである。そして,A巡査長が,本件支店で被疑者が現金を引き出しているとの指令を受けてから本件支店に到着するまでに,約4分を要しているのであるから,同巡査長が到着した時に被疑者が本件支店にとどまっている可能性はそもそも大きくはない。しかも,A巡査長らが指令で聞いた番号152のATM機を見つけることができなかったものである(実際に本件誘拐事件の真犯人が現金を引き出していたのは,本件支店ではなく,さくら銀行西宮支店西宮市役所出張所のATM機であったことは前記のとおりである。)。さらに,被控訴人は,指令にあった被疑者の特徴である白色マスクや野球帽を着用していなかった。したがって,指令の内容からも,そもそも被控訴人が被疑者である可能性が大きくはなかった。証人Aは,被控訴人のキャッシュカードを持つ手が震えていた,ATM機を利用中に斜め後ろにいたA巡査長らの方を振り返ったと証言し,同人作成の陳述書(乙5)にも同旨の記載があるが,この証言等は,いずれも曖昧であり,信用し難い。なお,被控訴人がATM機から離れた際にA巡査長らの方に振り向いたことは前記認定のとおりであるが,それが特段不自然な行動であるとはいえないし,これをもって被疑者であると疑うに足りる相当な理由があるということはできない。

しかし,被控訴人は,指令に挙げられていた本件支店のATM機から現金を引き出していたところ,指令にあった被疑者の年齢,身長,着衣,所持品の点で似ているともいえ,指令が正しいとすれば,被疑者が本件支店にとどまっている可能性もないではなかったから,その時点では被控訴人が被疑者であるとみる余地もなかったわけではないことを考慮すれば,A巡査長らにおいて,職務質問をすること自体は許されるものと解される。

ところが,前記認定のとおり,A巡査長は被控訴人の右腕をつかんで停止させたにとどまらず,左腕で被控訴人の右腕を抱え,B警部補は被控訴人の左後ろに立って右腕を被控訴人の背中から右肩のあたりに回し,左腕を被控訴人の首に回して被控訴人を仰向けに引き倒したものであり,また,A巡査長及びB警部補らは被控訴人を引き起こし,A巡査長は被控訴人の右側から左手で被控訴人のジャンパーの後ろをつかみ,B警部補は被控訴人の左側から右手で被控訴人のベルトをつかんで,被控訴人を本件支店南側駐車場の北西角の壁際に連れて行ったのである。

このような行為は,一時的であったとはいえ,被控訴人の意思を制圧し,事実上の身柄拘束行為であり,被控訴人が本件誘拐事件と全く無関係であったこと,それに加え指令の内容からも,そもそも被控訴人が被疑者である可能性が大きくはなかったこと,被控訴人が,A巡査長から右腕をつかまえられて停止させられたのに対して,逃走したり,抵抗したりするようなことは全くしなかったことに照らすと,到底許されるものではなく,違法な行為であるといわざるを得ない。

(2)  質問,所持品の提示要求等について

前記認定のとおり,本件支店南側駐車場において,①C巡査長らは,被控訴人に対して名前及び住所を尋ね,被控訴人は,名前及び住所を答え,②A巡査長は,被控訴人に対してキャッシュカード及びATM機利用明細書,身分証明書の提示を求め,被控訴人は,嫌疑を晴らす目的もあってこれらを提示し,③C巡査長は,被控訴人に対して発着信履歴を確認する目的を告げることなく,携帯電話の提示を求め,被控訴人は,携帯電話を渡し,C巡査長は,携帯電話の発着信履歴を確認した。

そこで,これらの行為が警職法2条3項に違反するか否かを検討する。

C巡査長らのした職務質問及び所持品(キャッシュカード,ATM機利用明細書,身分証明書,携帯電話)の提示要求(以下これらを「本件質問等」という。)は,前記の違法な被控訴人の事実上の身柄拘束に時間的,場所的に接着して行われたものであること,被控訴人に対し,本件質問等をする前にC巡査長らは「重大な事件があった。協力してもらえるか。」と言ったにとどまり,前記の事実上の身柄拘束によって被控訴人が受けたと思われる恐怖感を取り去るような言動や措置をとったとのことは本件証拠上認められないこと,被控訴人の傍らにはC巡査長,A巡査長以外にも数人の警察官が取り囲むようにしていたことを考慮すれば,違法な事実上の身柄拘束行為があった直後のものとして,強要されたのと同視できる違法性があるものというべきである。

被控訴人が本件質問等を拒まず,むしろ嫌疑を晴らす目的もあって答弁やキャッシュカード等の提示をしたということはあるが,これは,前記のような状況の下でなされたものであるから(本件認定の事実関係及び被控訴人本人の供述によれば,被控訴人は,その時点では,いまだ恐怖感を抱いていた心理状態<以下「本件心理状態」という。>にあったと推認される。),前記認定判断を左右するものではない。

そうとすれば,C巡査長らのした本件質問等の行為は,警職法2条3項に反する違法な行為であるといわざるを得ない。

そして,前記認定判断によれば,携帯電話の提示要求は,違法であることが明らかであるから,違法な提示要求によって提示を受けた携帯電話の発着信履歴の確認をすることも違法性を帯びるものといわざるを得ない。被控訴人が携帯電話の提示要求を拒まずに提示したことはあるが,これも本件心理状態の下でなされたものであるから,提示があったからといって警察官が携帯電話の発着信履歴の確認をすることについて被控訴人が承諾していたものとみることはできない。

なお,控訴人は,本件誘拐事件の重大性を強調するが,それを考慮しても,本件質問等の行為の違法性は否定できないというべきである。

(3)  写真撮影について

前記認定のとおり,西宮署の警察官は,被控訴人の同意を得ずに,被控訴人の容貌をデジタルカメラで撮影したものである。

ところで,何人も,その承諾なしに,みだりにその容貌を撮影されない自由を有し,警察官が,正当な理由もないのに,個人の容貌を撮影することは許されないものと解されるが,現に犯罪が行われ若しくは行われた後間がないと認められる場合で,証拠保全の必要性・緊急性があり,その撮影が一般的に許容される限度を超えない相当な方法をもって行われるときには,警察官による撮影も許容されるものである。

控訴人は,これについて,写真撮影の時点では被控訴人が被疑者でないことは判明しておらず,防犯カメラで撮影された被疑者の映像との照合を行うことが被控訴人が被疑者であるか否かを確定する方法として最も確実であり,被控訴人をその場にとどめることは不可能であるから,デジタルカメラで撮影して捜査本部に送信するしか方法がなく,写真撮影の必要性及び緊急性があると主張する。

しかし,この写真撮影も,前記のとおり,違法な事実上の身柄拘束行為に時間的,場所的に接着した本件心理状態の下でなされたものであること,そもそも指令の内容からも被控訴人が被疑者である可能性は大きくなかったし,本件支店内において被控訴人が抵抗したり逃げようとしたこともなかったので,証拠保全の必要性・緊急性はなかったといえることに照らせば,違法であるといわざるを得ない。

(4)  西宮署への同行について

前記認定のとおり,B警部補は,被控訴人の右腕をつかんで被控訴人を捜査用車両のドアのところまで連れて行き,被控訴人に対し,同車両に乗るように促したところ,被控訴人は,その理由を尋ねたが,B警部補に「いいから乗ってください。」と言われ,同車両の後部座席に乗り,B警部補らが同乗して被控訴人を西宮署へ同行したものである。

しかし,被控訴人は,積極的に西宮署に向かったわけではなかったとしても,捜査用車両へ乗車するまでに既に警察官らの拘束行為に対して抗議していたにもかかわらず,乗車を拒んだとは認められないこと,西宮署において,D署長らに対して同署への同行自体を抗議したとは窺えないこと,警察官らもこの時点では被控訴人が本件誘拐事件と無関係であると分かっており,無理強いまでして同行を求める必要性もなかったことに照らすと,被控訴人の意に反して西宮署まで連行したとみることはできない。

したがって,B警部補らの前記の行為については,違法性は認められない。

4  控訴人の責任

前記警察官らが控訴人の公務員であることは,弁論の全趣旨から明らかである。前記3(1)の事実上の身柄拘束行為,(2)の本件質問等の行為,(3)の写真撮影行為は,いずれも違法な公権力の行使であり,これについて,前記警察官らに故意ないし過失が認められることは明らかである。

したがって,控訴人は,国家賠償法1条1項に基づく責任を負う。

5  損害

(1)  慰謝料

被控訴人は,本件誘拐事件と何らの関わりもなかったにもかかわらず,そして,指令からもそもそも被疑者である可能性が大きくはなかったのに,警察官らに突然引き倒され,事実上の身柄拘束をされたこと,それに引き続き質問や所持品の提示要求等を受け,承諾なく携帯電話の発着信履歴の確認をされ,承諾なく容貌を撮影されたこと,本件心理状態,その他一切の事情を考慮すると,西宮署への同行については違法性が認められないことを考慮しても,被控訴人の精神的苦痛についての慰謝料としては,300万円をもって相当と認める。

(2)  弁護士費用

本件事案の性質及び前記損害認容額等を考慮すると,控訴人に負担させるべき弁護士費用としては,30万円をもって相当と認める。

6  結論

以上によれば,被控訴人の請求は,前記5(1),(2)の合計330万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成12年6月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

よって,これと同旨の原判決は相当であるから,本件控訴を棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・中田昭孝,裁判官・竹中邦夫,裁判官・栂村明剛)

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