大阪高等裁判所 平成14年(ラ)314号 決定 2002年8月07日
抗告人(原審申立人) Aこと X
主文
1 原審判を取り消す。
2 抗告人が次のとおり就籍することを許可する。
本籍 岡山県和気郡○○町○○×××番地
筆頭者 B
父の氏名 不詳
母の氏名 B
父母との続柄 女
氏名 X
生年月日 昭和11年○月○日
3 抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
第1抗告に至る経緯
原審記録によれば、次の事実が明らかである。
1 抗告人の母B(以下「B」という。)は、大正元年○月○日、岡山県和気郡○○町において、Cを父とし、その妻Dを母として出生した日本人である。
2 Bは、日本において、中国人Eと交際するようになったが、親族からその交際を反対されたため実家を飛び出し、親からも勘当され、親族とも絶縁状態になり、逃げ隠れするように日本で暮らしていたが、昭和11年ころ以降、親族から全く消息を絶つ形でEとともに中国に渡り、Eの実家のある福建省福清市内で暮らすようになった。しかし、BとEとは、日本法による婚姻届をしておらず、抗告人の出生当時の中華民国民法の方式による正規の式に婚姻した形跡もない。
3 BとEとの間には、昭和11年○月ころ、F(第一子・女)が生まれた。
次いで、BとEが中国に渡った前後ころの昭和11年○月○日、抗告人がBの娘(第二子)として出生した(抗告人は、BとEが中国に渡ったのは昭和12年であり、抗告人は日本で出生したと主張するが、それを裏付ける資料はなく、他方で、中華人民共和国福建省福清市公証処発行の1994年10月8日付出生証明書には、中国の福建省福清県において父をEとし、母をBとして出生した旨の記載がされている。)。
その後、BとE間には、さらにG(第三子・男)、H(第四子・女)、I(第五子・女)が生まれた。
4 抗告人は、出生時からE及びBの許で養育されてきたところ、17歳から20歳ころまでのいずれかの時期に、製粉所に勤めるJと婚姻し、その夫婦間に男子4名をもうけた。
5 Bは、Eが死亡した後の平成3年、G及びその妻子らとともに日本に帰国し、抗告人も平成7年3月7日、夫のJ及び子らとともに日本で生活するため来日し、肩書住所地の市営住宅に入居している。
Bは、平成10年2月14日大阪市△△区内で死亡した。
6 抗告人は、平成13年9月20日、大阪家庭裁判所に対し、自己が日本国籍を有する者でありながら本籍がないとして、戸籍法110条に基づき、次のとおり就籍することの許可を求めた。
本籍 大阪市○○区○○×丁目××番×
筆頭者 X
父の氏名 不詳
母の氏名 B
父母との続柄 女
氏名 X
生年月日 昭和11年○月○日
7 原審裁判所は、平成14年2月18日、次の(1)ないし(4)のとおり判断して、抗告人が日本国籍を取得したことはないという理由により、抗告人の申立てを却下する旨の原審判をした。
(1) 抗告人の出生による国籍取得については、旧国籍法(明治32年法律第66号)3条の「父カ知レサル場合又ハ国籍ヲ有セサル場合ニ於テ母カ日本人ナルトキハ其子ハ之ヲ日本人トス」との規定が適用される。
(2) 抗告人は、Eの非摘出子であり、法例18条により、Eと抗告人との間の父子関係は、子の出生当時の父の本国法によることになる。
(3) Eの本国法である中華民国民法1065条は「婚生でない子であって、その生父が認知した者は、これを婚生の子とみなす。生父が養育したときは、これを認知したものとみなす。」旨定め、同法1069条では「婚生でない子の認知の効力は、出生の時に遡及する。」旨定めている。
(4) 抗告人は、出生当時から血統上の父Eに養育されており、Eの子として認知されたことになるから、旧国籍法3条所定の「父カ知レサル場合」に該当せず、同条に基づき、出生によって日本国籍を取得することはなく、他に抗告人が日本国籍を取得したと認めるに足りる資料はない。
第3当裁判所の判断
1 抗告人の国籍について
(1) 出生による国籍の取得について
ア 旧国籍法3条は、「父カ知レサル場合…ニ於テ母カ日本人ナルトキハ其子ハ之ヲ日本人トス」と定めていたが、同条にいう「父カ知レサル場合」とは、子と血縁上の父との間に法律上の親子関係が成立していない場合を含む。
ところで、BとEは、抗告人が出生する以前に婚姻したことを認めるに足りる的確な資料はない。そして、BとEは、抗告人の出生するころは、前記のとおりBの親戚から婚姻に反対され、逃げ隠れするように日本で暮らしていたか、中国へ渡った直後かであり、日本法又は中国法による適式の婚姻がされたとは容易には考え難い状況下にあったと考えるのが自然である。そうしてみると、抗告人は、その出生の時において、法律上の親子関係が成立する父がなかったものと推認すべきである。
したがって、抗告人は、旧国籍法3条により、日本人の母の子として日本国籍を取得したものである。
イ 次に、抗告人が、認知の効果により、出生時にさかのぼってEの子であるとされ、旧国籍法3条に該当しなくなるかどうかについて検討する。
わが国の国籍法(旧国籍法を含む。)は、出生によって日本国籍を取得するかどうかは出生の時点で客観的に定まるとの立場をとっており、認知などの出生後の事情いかんによって、出生時に日本国籍を取得したかどうかの判断が左右されることを予定していない。
すなわち、旧国籍法の1条が「子ハ出生ノ時其父カ日本人ナルトキハ之ヲ日本人トス」と規定し、その5条3号が「日本人タル父又ハ母ニ依リ認知セラレタルトキ」には日本国籍を取得すると規定していたことからもうかがえるように、旧国籍法は、ある者が出生時に日本国籍を取得したかどうかは、出生時に客観的に定まるという建前を貫いていることが明らかであり、我が民法上認知の効力が出生に遡るとしているからといって、国籍の関係では、認知の遡及効を前提とした規定を置いていないのである。
ウ したがって、戦前の中国の認知に関する実体法規が認知の効力を出生時にさかのぼらせることにしており、かつ、Eが抗告人を認知したと解されるとしても、その認知の結果、抗告人が出生時に取得した日本国籍を出生時にさかのぼって失うと解すべきではない(現行国籍法に関するものであるが、最判二小平9・10・17民集51巻9号3925頁参照)。以上によれば、出生後の認知の結果として、抗告人が日本国籍を取得しないことになるとは解されない。
(2) 認知による日本国籍の喪失の有無について
ア 以上のとおり、抗告人は出生によって日本国籍を取得したものであるが、旧国籍法23条本文は「日本人タル子カ認知ニ因リテ外国ノ国籍ヲ取得シタルトキハ日本ノ国籍ヲ失フ」と規定していたので、次に、抗告人が、出生時、中国人であるEに認知されることによって中国国籍を取得し、自動的に日本国籍を喪失したかどうかについて検討する。
イ 旧国籍法23条所定の「認知」があったというためには、法例(明治31年6月21日法律第100号。ただし、昭和17年法律第7号による改正前のもの)18条により、その認知は、父又は母については認知当時における父又は母の本国法により、子については子の本国法により、それぞれ有効なものでなければならないと解される。
そして、本件においては、抗告人に関し、Eが、父の本国法である中華民国民法により、権限のある中国の公官署に認知の届出行為をした事実をうかがうことはできないし、また、権限のある中国の公官署からEの子であることの裁判、審判、認証などを得た事実をうかがうことはできない。
ところで、抗告人は、幼いころからEに養育されていた事実が認められるところ、父の本国法である当時の中華民国民法には、いわゆる養育を受けたことによる認知(撫育認知)の規定があり、上記事実からすると、父の本国法である中華民国民法上は、父による認知がされたと認める余地がある。
しかし、一方、子の抗告人の本国法であるわが国の民法は、当時から今日まで届出又は裁判による認知以外の認知を認めておらず、父からその子として養育された事実のみに基づき認知の効力を発生させる旨の規定を欠いているから、前記のような事実があったとしても、わが民法上は、抗告人について認知の効力を認めることはできないというべきである(最高裁判所第三小法廷昭和44年10月21日判決民集23巻10号1835頁参照)。
ウ したがって、抗告人が出生後、父から旧国籍法23条所定の「認知」を受けて日本国籍を失ったとは認められない。
なお、原審記録によれば、抗告人は、中華人民共和国公安部出入境管理局発行の旅券を有し、日本国内では、国籍を中国とする外国人登録がされていることが認められるが、抗告人は中華人民共和国許可入籍証書を所持しておらず、抗告人が中国政府に国籍取得の申請をし、任意に中国国籍を取得したことを裏付ける資料は見当たらないから、抗告人については、旧国籍法20条(自己の志望によって外国の国籍を取得したことによって日本国籍を喪失するとの規定)によって、出生後日本国籍を失ったとも認められない。
その他、抗告人が日本国籍を失ったとうかがうべき資料はない。
(3) 以上によれば、抗告人は、出生により日本国籍を取得し、その後日本国籍を失ったとは認められないから、現在、日本国籍を有するというべきである。
2 就籍について
以上の次第で、抗告人は、日本国籍を有しながら、本籍を有しない者と認められるから、その就籍を許可するのが相当である。
ところで、Bは、抗告人の出生届をしないまま死亡しており、B以外にも出生の届出義務者が生存していない場合、抗告人は、その出生当時母が属した戸籍に就籍すべきであるが、本件においては、Bの戸籍は、昭和32年法務省令第27号に基づき昭和34年7月25日に改製されているから、この改正後のBの戸籍に就籍すべきものと解される。
3 結論
よって、以上と異なる原審判は相当でないから、これを取り消した上、家事審判規則19条2項に基づき、当裁判所が審判に代わる決定を行う趣旨で、抗告人が上記のとおり就籍することを許可することとする。
ところで、抗告人が上記戸籍に就籍すべきとすれば、岡山県和気郡○○町を管轄する家庭裁判所が本件の管轄裁判所となると考えられるが(特別家事審判規則7条)、抗告人の住所及び年齢、抗告人が大阪市での就籍を希望していたことその他本件に現れた一切の事情を考慮すれば、本件については「事件を処理するために特に必要がある」と認めるのが相当であるから(家事審判規則4条1項但し書)、当裁判所が自庁において事件処理を行うこととし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 岩井俊 裁判官 水口雅資 橋詰均)