大阪高等裁判所 平成14年(行コ)90号 判決 2003年7月17日
主文
1 原判決中,控訴人に関する部分を次のとおり変更する。
(1) 控訴人が,平成13年1月4日付けで被控訴人に対してした公文書一部開示決定のうち,別紙3の〔A〕欄の④,⑤及び⑥の情報を開示しないとした部分を取り消す。
(2) 被控訴人のその余の請求を棄却する。
2 訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを2分し,その1を控訴人の負担とし,その余を被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1) 原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。
(2) 被控訴人の控訴人に対する請求を棄却する。
(3) 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
(1) 本件控訴を棄却する。
(2) 控訴費用は控訴人の負担とする。
第2事案の概要
被控訴人は,奈良県情報公開条例(平成13年3月奈良県条例第38号による改正前のもの。以下「本件条例」という。)に基づき,控訴人に対し,奈良県の用地買収に関する文書の開示を請求したところ,控訴人が開示対象文書の一部を開示する処分をしたので,被控訴人が,その処分のうち非開示部分の取消しを求める本件訴訟を提起した。
原審裁判所は,別紙1に記載の情報又は文書が開示されなかったと認定した上,そのうちゴシック体太字の部分は開示されるべき情報又は文書であるから,その部分に関する控訴人の処分(非開示処分)が違法であると判断し,これを取り消す旨の判決をした。
控訴人は,原判決を不服として本件控訴を提起した(被控訴人は敗訴部分に対する控訴を提起していない。)。
なお,被控訴人は,原審においては,国家賠償法1条1項に基づき,奈良県に対し,控訴人の上記処分によって精神的苦痛を受けたとして損害賠償も求めており,原判決はこれを棄却したが,控訴を提起していない。
第3前提となる事実
次の事実は,争点に対する判断の前提となる事実であり,いずれも,当事者間に争いがないか,当事者が争うことを明らかにしない事実である(以下,単に「県」「県職員」という場合の「県」とは奈良県を指し,単に「公社」という場合は奈良県土地開発公社を指す。)。
1 本件条例について
(1) 本件条例の目的や解釈指針
本件条例は,その第1条において「この条例は,県民の公文書の開示を求める権利を明らかにするとともに,情報公開の総合的な推進に関し必要な事項を定めることにより,県政に対する県民の理解と信頼を深め,県民の県政への参加を促進し,もって公正で開かれた県民本位の県政を一層推進することを目的とする。」と定め,その第3条で「実施機関は,この条例の解釈及び運用に当たっては,県民の公文書の開示を求める権利を十分に尊重するものとする。この場合において,実施機関は,個人に関する情報がみだりに公にされることがないよう最大限の配慮をしなければならない。」と定め,本件条例の目的や運用方針に関する総則的な規定を置いている。
(2) 開示対象文書
本件条例が開示の対象としている文書は,県(又は県の独立行政委員会)の職員が職務上作成した文書のみならず,それら職員が職務上取得した文書をも含む(本件条例2条2項)。すなわち,本件条例による開示対象文書には,県以外の公務員が作成した公文書や私文書も含まれる。
(3) 非開示情報
本件条例10条は,その1号から8号まで非開示情報を定め,その非開示情報が含まれる文書を開示しないことができるとしている。本件に関係する非開示情報に関する定めは下記のとおりである。
記
(10条2号)
個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって,特定の個人が識別され,又は識別され得るもの。ただし,次に掲げる情報を除く。
ア 法令等の規定により何人でも閲覧することができる情報
イ 公表することを目的として実施機関が作成し,又は取得した情報
ウ 法令等の規定による許可,免許,届出等の際に実施機関が作成し,又は取得した情報であって,開示することが公益上必要であると認められるもの
(10条3号)
法人(国及び地方公共団体を除く。)その他の団体(以下「法人等」という。)に関する情報又は事業を営む個人の当該事業に関する情報であって,開示することにより,当該法人等又は当該事業を営む個人の競争上又は事業運営上の地位,社会的信用その他正当な利益が損なわれると認められるもの。ただし,次に掲げる情報を除く。
ア 事業活動によって生じ,又は生ずるおそれがある危害から人の生命,身体又は健康を保護するために,開示することが必要であると認められる情報
イ 違法又は不当な事業活動によって生じ,又は生ずるおそれがある支障から人の財産又は生活を保護するために,開示することが必要であると認められる情報
ウ ア又はイに掲げる情報に準ずる情報であって,開示することが公益上必要であると認められるもの
(10条7号)
県又は国等の事務事業に係る意思形成過程において,県の機関内部若しくは機関相互間又は県と国等との間における審議,協議,検討,調査研究等に関し,実施機関が作成し,又は取得した情報であって,開示することにより当該事務事業又は将来の同種の事務事業に係る意思形成に著しい支障が生ずるおそれがあるもの
(10条8号)
県又は国等が行う取締り,監査,検査,許可,認可,試験,入札,交渉,渉外,争訟,人事その他の事務事業に関する情報であって,開示することにより,当該事務事業の目的が損なわれるおそれがあるもの,特定のものに不当な利益若しくは不利益が生ずるおそれがあるもの,関係当事者間の信頼関係若しくは協力関係が損なわれると認められるもの又は当該事務事業若しくは将来の同種の事務事業の公正かつ円滑な執行に著しい支障が生ずるおそれがあるもの
(4) 一部開示
本件条例は,10条各号所定の非開示情報が記載されている文書であっても,非開示情報とそれ以外の部分とを「容易に分離することができ」,かつ,分離によって「開示の請求の趣旨が損なわれることがない」ときは,非開示情報を除いて文書の一部を開示することとしている(本件条例11条)。
2 被控訴人は,平成12年12月20日,本件条例2条1項所定の実施機関である控訴人に対し,開示請求をする公文書の件名又は内容を「平成12年度の用地先行取得に係る県土地開発公社との契約書,依頼文,土地鑑定書,地権者との土地売買契約書等関係書類」と記載した文書(甲第1号証。以下「本件請求書」という。)により,公文書の開示を請求した(以下「本件開示請求」という。)。
3 本件開示請求は,公有地の拡大の促進に関する法律(以下「公拡法」という。)に基づき,県が公社に先行取得を依頼し,公社が民間の権利者から当該土地を買収した案件に関するものである。これに該当する案件(以下「該当案件」という。)は,いずれも,県が施行する道路建設事業用地の先行取得に関する次の6件であった。これら事業用地として取得が計画されている土地の買収は未だに完了していない。
(1) 国道α線改良工事-宇陀郡βの土地1件
(2) 国道γ線改良工事-奈良市δの土地2件
(3) 県道ε線改良工事-奈良市ζの土地1件
(4) 県道η線改良工事-奈良市θの土地1件
(5) 国道ι線改良工事-κλの土地1件
4 控訴人は,平成13年1月4日,本件開示請求に対し,開示しない部分として別紙1のとおりの記載がされた公文書一部開示決定通知書(以下「本件通知書」という。)により,本件開示請求の対象文書の一部を開示する決定(以下「本件処分」という。)をした。
第4本件開示請求及び本件処分について
1 甲第3号証及び弁論の全趣旨によれば,該当案件に関する県の保管書類群は,ある文書の写しが別の文書の添付書類として綴られていたり,様々な種類の多数の文書が含まれているため,案件ごとにかなり部数の多いものとなっていることが認められる。しかしながら,本件請求書の記載内容と甲第3号証及び弁論の全趣旨によって認められる保管書類群の内容とを勘案すれば,本件開示請求に係る対象文書となる文書は,別紙2の文書であることが認められる(以下,別紙2の文書の呼称として,その括弧内の略称を用いる。)。
なお,該当案件の保管書類群の一例である甲第3号証の中には,補償対象の物又は権利(以下「補償対象物等」という。また,ある買収予定地の所有者と当該土地の上の補償対象物等の権利者をあわせて,単に「地権者」という。)を特定するための調書というものが存在しないが,乙第11号証及び原審証人Aの証言によれば,土地取得調書と同様の,補償対象物等を特定するための補償調書が作成され,保管されていることは明らかである。
2 本件通知書には,個人地権者の住民票や印鑑登録証明書,法人地権者の議事録(乙第15号証の1及び2及び弁論の全趣旨によれば,これは宗教法人の財産処分に関する議決がされた際の議事録であることが認められる。)の全部を開示しない旨の記載があるが,本件請求書の記載内容(前記第3の2)に照らせば,被控訴人が,本件開示請求により,それら文書の開示を求めていたとは解されない。
本件通知書には個別的に列記されていないが,同様に,甲第3号証中の委任状(地権者が,売買代金や補償金の受領を他人に委任する場合の委任状)のような文書についても,同様に,本件開示請求の対象文書であるとは認められない。
3 また,本件通知書には,登記簿謄本(不動産登記簿謄本を意味するものと認められる。)の全部を開示しない旨の記載があるが,被控訴人は,本件条例によらなければ閲覧ができない文書の開示を求めて本件開示請求をしたことが明らかなのであって,法務局において何人にも公開されている不動産登記簿謄本が本件開示請求の対象文書に含まれているとは解されない。同様に,法務局で公開されている土地所在図,地積測量図,建物図面及び各階平面図も本件開示請求の対象文書とは解されない。
したがって,住民票,印鑑登録証明書,法人の議事録,権利者の委任状,不動産登記簿謄本,不動産登記簿の附属書類として法務局で公開されている土地所在図,地積測量図,建物図面及び各階平面図は,本件開示請求の対象文書とは認められないから,本件通知書のうち,これら文書を非開示とする部分の記載は,申請拒否処分としての行政庁の処分の記述と認めることができない。
4 そして,弁論の全趣旨によれば,別紙2の文書についてされたと認められる本件処分により,開示しないとされた情報及びこれを開示しない本件条例上の根拠は別紙3のとおりであることが認められる(以下,別紙3に整理した非開示情報を記載順に「①情報」などといい,本件条例10条の各号を号数により単に「2号」などという。)。
第5争点及び争点に関する当事者の主張
本件の争点は,①ないし⑦の情報が本件条例10条所定の非開示情報に該当するかどうかである。
①ないし⑦情報の2号該当性に関する当事者の主張は,原判決6頁14行目から8頁19行目までに記載のとおりであり,②ないし⑥情報の3号該当性に関する当事者の主張は,原判決8頁21行目から9頁12行目までに記載のとおりであり,⑦情報の7号該当性に関する当事者の主張は,原判決9頁14行目から10頁14行目までに記載のとおりであり,①ないし⑦情報の8号該当性に関する当事者の主張は,原判決10頁16行目から12頁21行目までに記載のとおりであるから,それぞれを引用する。
第6当裁判所の判断
1 道路建設事業の用地の買収作業の概要について
甲第3号証,乙第11,第12,第20号証,原審証人A,同Bの各証言によれば,次の事実が認められる。
(1) 公共事業に伴う県の用地取得は,買収対象地の地権者や地元住民等を対象として事業概要や用地取得計画に関する説明会を開催した後,個々の地権者との間での買収・補償交渉を経て,私法上の契約を行うのが原則であり,土地収用法による収用手続が行われるのは,通常は,取得予定地の概ね8割の買収が完了した後とする取扱いがされている。該当案件は,いずれも土地収用法の適用事業に関するものである。
(2) 公有地の買収を行う場合,地価公示法6条の規定による公示価格を規準として算定した価格をもって買収価格としなければならず,当該土地が,同法2条1項の都市計画区域以外の区域内に所在するときは,近傍類地の取引価格等を考慮して算定した当該土地の相当な価格をもって買収価格としなければならない(公拡法7条。同条所定の土地価格を「法所定価格」という。)。すなわち,県は,地権者が法所定価格と異なる価格での買収を求めても,これに応じて売買契約を締結することはない。
したがって,県は,内部的な意思決定として法所定価格の認定を行い,その認定した法所定価格を地権者に提示し,これが買収価格となるのであって,買収価格には交渉の余地がない。
(3) 法所定価格(買収価格)は,買収対象地の近隣に適当な標準地(地価公示がされた土地)があれば,その標準地と買収対象地の個別的要因(位置,形状,地積等)の違いを比較し,公示地価を補正して買収対象地の単価(比準単価)を算出し,その単価を乗じて求めることになる。比準単価の認定作業は,一般に通用している「不動産鑑定基準」に基づいて行われる。
買収対象地の近隣に適当な標準地がない場合,不動産鑑定士に依頼して標準地となるべき土地の価格の鑑定評価が行われることもある。
県職員は,買収価格の算出過程で,まず不動産登記簿謄本や土地所在図・地積測量図を取り寄せ,買収対象地を特定するための測量図面を作成し,土地に関する調書を作成する。そして,比準単価を定めるための参考資料として,土地調査表,評定表,比準総括表,事例カードなどを作成し,あるいは収集する。
なお,標準地の価格ではなく,買収対象地そのものの価格の鑑定評価が行われる場合もあるが,その例は少ない。
このようにして,取りそろえられた各種の資料や不動産鑑定評価書に基づき,県内部で法所定価格(買収価格)が決定され,地権者に提示される。
(4) 買収対象地上の補償対象物等に対する補償は,「奈良県の公共用地の取得に伴う損失補償基準」に基づいて算出される価格(以下「基準価格」という。)によって行うことになっており,補償価格についても,県又は公社と地権者との交渉によって任意に決定することはできず,県が決定してこれを地権者に提示することになる。
(5) 基準価格(補償価格)の決定作業は,県職員による補償対象物等の特定作業から始まる(補償対象物等を特定するための調書が作成される。)。
そのうえで,補償価格算定の根拠となる各種図面その他の資料(積算根拠資料)が作成され,補償価格は,それら資料に基づいて県内部で決定され,補償権利者に提示される。
積算根拠資料の作成は,かなり詳細にわたるものである。すなわち,建物や工作物については,縮尺100分の1の建物平面図の作成と求積が行われ,それら補償対象物の築年数や使用部材の等級の調査が行われる。屋外の植栽については,所在,本数,樹齢,管理状況などの調査も行われる。建物や工作物の内部の使用状況,つまり,居住状況(居住者の人数,氏名,年齢等),営業状況(営業用動産,営業収支,従業員数),動産の配置状況も詳細に調査がされ,その他,賃借権等の権利関係の調査が行われる。
このように,積算根拠資料は,補償対象物内部での生活や営業の詳細,補償権利者の保有資産の多寡を推知させる多数の情報が含まれている。
(6) 買収価格や補償価格が法所定価格や基準価格でなければならないとしても,地権者は,できるだけ有利な買収・補償を求めるのが通常であり,県や提示額に理解を示さないことも多いが,県は,必要な範囲で,県が提示した価格の算定根拠を説明し,公拡法による買収には課税面での優遇措置(租税特別措置法34条の2第2項4号)があることなども説明し,事業への協力を求めることになる。
(7) 当然のことながら,地権者は,通常,自分に支払われる買収価格・補償価格が他に漏れることを嫌がる。誰しも,自分の収入を無関係の他人に知られたくはないからである。そして,これまでの,県の用地買収実務も,買収価格や補償価格を他に開示しないことを当然の前提として行われていた。
しかし,他方で,地権者は,先に買収を終えた土地の買収価格や補償価格には関心があり,しばしば,独自に入手した情報や過去の取引実例などを元にし,それとの比較で意見を述べることも多く,近隣の土地であっても比準単価に違いが生じることに理解を示さない地権者もある。
このような場合,県の担当職員は,県の提示額が正当な価格であることをわかりやすく説明し,地権者と根気強く交渉する必要が生じる。
(8) 県職員と地権者との間で買収・補償に関する合意ができた場合,県と公社とは用地先行取得に関する契約を締結し,その後,公社と地権者は売買契約や補償契約を締結し,公社は,県の依頼を受けて買収価格及び補償価格に相当する金員を地権者に支払うことになる。
公社の支払資金は,基本的には,県の債務保証(公拡法25条)に基づく金融機関からの借入金によって賄われる(公社が公金を支出するわけではない。)。県は,予算措置を講じることができた段階で,公社から当該公有地を取得する。
(9) 以上の買収・補償の過程で,地権者が住所氏名を記載し押印する文書は,買収・補償に関する契約書,売買代金や補償金の請求書,それら金員を代理人に受領させる場合の委任状などである。
2 ①情報について
ある買収対象地を公社に売り渡した個人地権者の住所及び氏名は,2号の「個人に関する情報であって,特定の個人が識別され,又は識別され得るもの。」に該当することが明らかである。
個人地権者の住所及び氏名は,常に当該土地の不動産登記簿の甲区欄に記載されているとは限らず(相続登記未了のまま買収がされた場合,補償対象物等が登記されていない,あるいは登記対象でない場合),①情報が,一般に,法令等の規定により何人でも閲覧することができる情報(2号アの情報)に該当するということはできない。
3 ②及び③情報について
ある買収対象地を公社に売り渡した地権者が,契約書等に押捺した印章の印影,当該地権者の取引金融機関(売買代金の振込口座)に関する情報は,個人地権者の場合には2号に該当し,法人地権者の場合には3号所定の「法人に関する情報‥‥であって,開示することにより,当該法人‥‥の正当な利益が損なわれる」情報に該当する。
また,この情報は,8号所定の「県‥‥が行う‥‥交渉に関する情報であって,開示することにより,‥‥関係当事者間の信頼関係若しくは協力関係が損なわれる」情報であることが明らかである。
4 ④⑤⑥情報の8号該当性について
(1) ④⑥情報は,公社が,どのような土地をいくらで買収したのかという情報であり,⑤⑥情報は,公社が,どのような補償対象物に対しいくらの補償をしたのかという情報であり,それ自体では,匿名の情報である。
しかし,これらの情報が開示された場合,開示請求者は,別途に法務局から入手した不動産登記簿に記載された情報と照合することにより,かなり高い確率で,誰が,いつ,いくらの売買代金又は補償金を取得したのかを推知することができることになると思われ(ただし,不動産登記簿に現れない地権者についてはこの限りではない。),したがって,これら情報は,買収対象地の地権者からすればむやみに他人に知られたくないと考える情報である。そこで,これら情報が,8号情報に該当するのかどうかを検討する。
(2) 8号は,県が行う事務事業に関する情報全般に関する非開示情報を定めた規定であるが,非開示情報となるものとして次の4つの種類を定めている。
第1段「当該事務事業の目的が損なわれるおそれがある」
情報第2段「特定のものに不当な利益若しくは不利益が生ずるおそれがある」情報
第3段「関係当事者間の信頼関係若しくは協力関係が損なわれる」情報
第4段「当該事務事業若しくは将来の同種の事務事業の公正かつ円滑な執行に著しい支障が生ずるおそれがある」情報
(3) 8号第1段は,開示すれば,当該事務事業の目的に沿った成果が得られない,あるいは,当該事務事業を実施する意味を喪失するおそれがある情報を,第2段は,開示すれば,情報を得たものと得ていないものとの間に不公平が生じたり,特定のものに対し不当な利益又は不利益が生ずるおそれがある情報を,第3段は,公にしないことを条件に任意に提供された情報のように,開示すれば,それ以降における情報収集や相手方の理解協力を得ることが困難になったり,あるいは,約束違反の責任が追及される類の情報を,それぞれ意味するものと解される(乙第19号証参照)。
そうすると,④⑤⑥情報が8号第1段又は第3段のいずれかに該当するということはできない。
また,前記のとおり,買収価格・補償価格が法所定価格・基準価格であるとして地権者に提示される価格であって,交渉の余地がない価格であるとすれば,④⑤⑥情報を得たから買収や補償に関する交渉を有利に進めることができ,これを知らなければ何らかの不利益が生ずるということも起こりそうにないから,④⑤⑥情報が8号第2段に該当するということはできない。
(4) ところが,④⑤⑥情報は,地権者がむやみに他人に知られたくないと考える情報であるから,このような情報が本件条例を通じて開示される可能性があるとすれば,今後,県が公拡法に基づく用地買収を行う場合,自分が取得する売買代金や補償金の額が他人に知られる可能性があるのなら,最初から買収・補償契約など締結しないとする強硬な地権者が出現する可能性があることは否定できず,ひいては,任意の買収が困難となって土地収用の方法による割合が増えるという可能性は否定できない。
そして,実際に,県職員として用地買収交渉を担当した経験があるA,B及びCは,いずれも,地権者がいかに買収価格や補償価格を他人に知られるのを嫌がるかを述べる陳述書を提出しており(乙第11,第12,第20号証),上記A及びBは原審法廷でも同旨の証言をしているが,同人らが,④⑤⑥情報が本件条例を通じて開示されることになれば,過去の経験から様々な不安要因が買収事務に発生することを指摘するのはそれなりに首肯できるところである。
したがって,④⑤⑥情報の開示によって,今後の県の用地買収事務の円滑な執行に支障が生じるおそれがあることは,抽象的には肯定してよい。
(5) ただし,現在までの用地買収事務は,買収価格や補償価格を秘密にしたまま行われており,④⑤⑥情報が本件条例を通じて開示され得る状況下で行われたことはないから,その状況下において実際に交渉拒否の姿勢を頑なに貫く地権者がどの程度現れるのか,そして,そのことによって円滑な用地買収事務がどの程度阻害されるのかを,具体的事例を元にして認定することは極めて困難である。
また,甲第8号証の1によれば,鎌倉市土地開発公社は,平成6年4月ころから平成10年6月までの間,任意の情報提供として,その保有する土地の所在地と取得価格の情報を,誰でも自由に閲覧できる状態にしていたが,平成10年6月時点で,その情報公開によって用地買収事務に支障が生じていないことが認められるし,甲第8号証の4によれば,川崎市は,公有地の所在地及び取得価格を一覧できる文書を作成しており,平成9年2月以降これを開示しているが,この情報公開後平成10年7月の時点までに,川崎市において用地買収交渉がとん挫するなどの事例が生じていないことも認められるから,上記陳述書や証言から,④⑤⑥情報が開示され得る状況下では,県の用地買収事務の円滑な執行に深刻な障害が発生するとまでいうことは困難である。
(6) 以上のとおり,④⑤⑥情報の開示によって,今後の県の用地買収事務の円滑な執行に支障が生じるおそれは,現段階では,多分に抽象的なものであるといわざるをえない。そして,将来の用地買収事務の円滑な執行が阻害される抽象的なおそれがあるというだけでは,いまだ,④⑤⑥情報が8号第4段に該当する非開示情報であると認めることができない。その理由は次のとおりである。
ある情報が8号の第4段に該当する非開示情報であるかどうかは,当該情報が開示されることによって県の事務事業の執行を阻害するおそれがどの程度具体的で深刻なものか,当該情報を開示することの必要性・重要性がどの程度のものか,当該情報を開示しないことによって個人のプライバシーを守ることにどの程度の重みを置くべきかといった様々な利害を比較考量し,本件条例の目的や他の法制度との整合性にも配慮してこれを決するのが相当である。
公拡法に基づく買収事務は,多額の県の公金を少数の地権者に投入する事務であり,その公金支出は,県民の批判に堪えられる適正なものでなければならず,本件条例の目的が「県政に対する県民の理解と信頼を深め」ることにあるとすれば(本件条例1条),本件条例は,その多額の公金支出の適正を担保するよう解釈運用されることが望ましいことはいうまでもない。
仮に,法所定価格又は基準価格と大きく異なる違法な価格で買収・補償がされ,これに基づいて県が土地を取得したとすれば,その取得の際の公金支出は法令に違反していることになるのであって,当然のことながら,地方自治法242条所定の住民監査請求の対象ともなり得るが,いつ,どの土地がいくらで買収され,どの補償対象物にいくらの補償がされたかという最も基本的な情報が一切開示されないとすれば,住民監査請求によって買収事務に係る公金支出の違法を是正する機会が著しく制限され,本件条例の理念を著しく損なう結果となる。
また,用地買収に伴って地権者がどれほどの金員を得たかという情報は,普通は他人に知られたくないし,他人に知られないことにつき地権者に正当な利益がある情報といえるが,地権者に支払われる金員が最終的には税負担となること,租税特別措置法によって一般の取引よりも地権者には課税上の有利な取扱いもされることからすれば,収入を他人に知られないとの地権者側の利益に対する配慮は,ある程度までは後退することもやむをえないことであろうと思われる。
買収事務が多額の公金支出を伴うとしても,買収事務に関するあらゆる情報を開示することは,「個人に関する情報がみだりに公にされることがないよう最大限の配慮をしなければならない。」とする,本件条例3条の精神にも反するであろうが,少なくとも,買収事務に関する最も基本的な情報である④⑤⑥情報については,これを開示対象とした場合に,将来の用地買収事務の円滑な執行が阻害される抽象的なおそれがあるというだけでは,やはり,これを8号第4段所定の非開示情報と解すべきではない。
(7) したがって,本件処分のうち,④⑤⑥情報を開示しないとした部分は本件条例に違反している。
5 ④⑤情報の2号又は3号該当性について
④⑤情報は,個人保有の不動産その他の権利を特定する情報であるが,それ自体では匿名情報である。ただ,④⑤情報の中に,土地の所在や建物の所在及び家屋番号が含まれている場合,その情報は,不動産登記簿の記載と結びつけることにより,買収対象地又は補償対象建物の所有者として不動産登記簿に記載された個人の住所・氏名を識別させ得る情報である(登記されていない地権者の住所・氏名を識別させ得る情報であるとはいい難い。)。
しかし,不動産登記簿に記載された個人の住所・氏名は,2号アに該当するから,④⑤情報が2号所定の非開示情報であるとすることはできない。
また,同様に,④⑤情報は,不動産登記簿の記載と結びつけることにより,法人に関する情報ともなり得るが,開示することにより,当該法人の「競争上又は事業運営上の地位,社会的信用その他正当な利益が損なわれる」情報ということはできない。
6 ⑥情報の2号又は3号該当性について
⑥情報は,投機的思惑や収益見込みを念頭に置く交渉によって合意された価格情報ではなく,要するに,県が地権者に提示すべき価格として認定した法所定価格又は基準価格であり,公金支出が適法となる公共性を有する情報である。したがって,⑥情報は,地権者が取得した金員(地権者の収入金額)を明らかにする面があるとしても,2号にいう「個人に関する情報」又は3号にいう「法人に関する情報」に該当するものと解すべきではない。
7 ⑦情報の7号該当性について
⑦情報は,県が,買収価格又は補償価格として地権者に提示する価格を決定するという意思形成過程で取得した情報である。
⑦情報は,前記認定のとおり,買収対象地については,比準単価を認定するための情報又は不動産鑑定士に依頼して提出させた不動産鑑定評価書に記載の情報であり,補償対象物については,買収対象地上における地権者の生活や営業に関する相当詳細な情報である。これら情報については,公にすることを予定しないという前提で調査や資料収集を行うのでなければ,買収価格や補償価格を適正に決定するための有益な情報が獲得できないことが多いといわざるをえない。
したがって,⑦情報は7号に該当する非開示情報と認めるのが相当である。
8 結論
以上のとおりであって,原判決は,本件処分が登記簿謄本及び登記簿に附属する各種図面を開示しなかったものと認定してその非開示を違法とした点,本件処分が①情報及び⑦情報を開示しなかったことを違法であるとした点において相当ではないから,その部分に関する本件控訴は理由があるが,原判決のその余の判断は相当である。
よって,原判決を主文のとおり変更することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下方元子 裁判官 水口雅資 裁判官 橋詰均)
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