大阪高等裁判所 平成15年(う)1553号 判決 2004年1月30日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中100日を,原判決中の被告人Kの懲役刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人廣瀬一平作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は,検察官須藤政夫作成の答弁書に,それぞれ記載されたとおりであるから,これらを引用する。
1 控訴趣意中,訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は,原判決はその「証拠の標目」中の「判示事実全部について」の項において相被告人N(以下,「N」という。)の警察官調書(原審検察官請求証拠番号乙53)を挙示し,同証拠を被告人に関する原判示第2の事実を認定する証拠としているところ,同調書は,Nに対する関係で請求された証拠であり,被告人との関係で請求された証拠ではないから,同調書を原判示第2の事実を認定する証拠に供した原判決の訴訟手続には法令違反があり,これが判決に影響を及ぼすことも明らかである,というのである。
そこで,記録を調査して検討すると,原判決が,その「証拠の標目」中において,原判示第1及び第2の各事実に関する証拠としてNの警察官調書(原審乙53)を挙示していること,同調書は,検察官から,N及び分離前の相被告人Gに対する関係で請求された証拠であり,被告人との関係では請求されていないことは,いずれも所論指摘のとおりである。したがって,原判決には,証拠とすることができない同調書を被告人に関する原判示第2の事実の認定に供した違法があるが,後述のとおり,同調書を除いたその余の原判決挙示の証拠により,原判示第2の事実は優に認定できるから,原判決の上記違法は判決に影響を及ぼさない。結局,論旨は理由がない。
2 控訴趣意中,事実誤認の主張について
論旨は,被告人には麻薬であり輸入禁制品であるジアセチルモルヒネ塩酸塩(以下,「ヘロイン」という。)輸入の故意が認められないのに,被告人にヘロイン輸入の故意を認めて原判示第2の事実につき被告人を有罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある,というのである。
そこで,所論にかんがみ,記録を調査し,当審における事実取調べの結果も併せて検討するに,原審乙53号証を除く原判決挙示の証拠(原判示第1の事実のみに関する証拠は除く。)を総合すれば,原判示第2の事実は,所論の点を含め優に認定することができる。
すなわち,【要旨】麻薬であり,また,輸入禁制品であるヘロインの輸入罪が成立するためには,輸入に係る物品がヘロインであるとの認識を有していることが必要であるが,その認識は,当該物品がヘロインであることを確定的に認識していることまで必要とするものではなく,それが,ヘロインを含む身体に有害で違法な依存性薬物であるとの認識で足り,その認識が未必的なものであっても,故意の成立に欠けることはないというべきである。これを本件についてみるに,被告人は,原判決がその「事実認定の補足説明」の第2の1で認定するとおり,知人であるベトナム人女性H(以下,「H」という。)から,ベトナムに行ってある物を日本に持って帰ってきてくれたら,100万円の報酬を支払うという話を持ち掛けられ,これに応じてベトナムに赴き,帰国当日の早朝,共犯者であるベトナム人男性G(以下,「G」という。)から渡され,本件ヘロインが隠匿されたサンダルを履いて帰国しているところ,関係証拠によると,以下の事実が認められる。すなわち,①被告人は,覚せい剤の自己使用及び所持により,平成5年4月及び同13年6月の2度にわたって処罰されており,本件当時は,後者の執行猶予期間中であった。また,被告人は,過去に大麻及びコカインを使用した経験がある。②被告人は,ヘロインを使用した経験はなく,また,その実物を見たこともないが,薬物の密売人から話を聞き,ヘロインがベビーパウダーや小麦粉のような白い粉末状のものであり,覚せい剤よりも値段が高く,薬が切れるとひどい禁断症状が出る覚せい剤よりも数倍恐ろしい麻薬で,法律よって規制されているという知識を持っていた。③被告人は,Hからある物を日本に持ち帰るように依頼される以前に,同女から,5キログラムあるいは10キログラム単位の覚せい剤,大麻,ヘロインがいくらぐらいで手に入るかと聞かれたことがある。その際,ヘロインの方がずっと高いという話も出ていた。④被告人は,本件を含め,これまで2度ベトナムに行ったことがあり,いずれもGと行動を共にしたが,その際のGの目つき,態度,行動等から,Gが覚せい剤とは異なる薬物の中毒者であると思っていた。⑤被告人は,H一家が羽振りのいい暮らしをしていたこと,③のように日本での薬物の取引価格を聞いてきたこと,Hの関係者であるGが薬物中毒者だと思っていたこと,さらに,Hから,Gはベトナムに行って物を運んで日本に帰ってくるだけで何百万円もの金を稼いでいると聞いていたことなどから,本件当時,もしかしたら,Hが国内で薬物を扱ったり,日本国内に薬物を持ち込んだりしているのかもしれないと想像していた。⑥被告人は,上記のとおり,Hからある物を日本に持ち帰るように持ち掛けられた際,同女にそれが何かを尋ねたが,同女からは,「それは聞かない方がいい。」と言われた。なお,被告人は,同女から,その物は,検査で見つからないように,着る物か履き物に入れ,身に付けて運んでもらうと言われており,さらに,同女から,一緒にベトナムに行くことになったNが履いている靴の正確な大きさを尋ねられたことから,日本に持ち帰る品物は,履き物に隠匿できるような物であると認識しており,実際にも,本件ヘロインは,Gから渡されたサンダルの底(Nに関してはスニーカーの底)に隠匿されていた。⑦被告人がある物を日本国内に持ち込むことによる報酬は前記のとおり100万円と高額であることに加え(うち10万円は,ベトナムに出発する際,被告人に先払いされている。),ベトナムまでの往復の旅費,現地での宿泊費,さらに,現地で行った美容整形費用等も,HやGらにおいて支払っている(なお,被告人は,当審において,上記100万円は,ある物を日本に持ち込む報酬だけでなく,当時,Hとの間で進めていた日本人とベトナム人との偽装結婚の報酬も含まれていると弁解するに至ったが,被告人は,捜査段階において,偽装結婚の報酬は,偽装結婚を希望するベトナム人から支払われる300万円のうち,100万円をHが取り,残りの200万円のうち,適宜の金額を被告人において抜いた上,残額を名義を貸してくれた日本人に支払うという形で決まっており,本件で支払われる100万円は,偽装結婚の報酬とは別のものであると具体的に説明している上,原審においても,ある物を日本に持ち帰る報酬として100万円あげるとHから言われた旨の供述をしていたのであるから,合理的な理由もなく供述を変遷させた当審での上記弁解は信用できない。)。以上の事実に加え,被告人が捜査段階において,Hがベトナムから持ち帰らせようとした物は,ピストルの部品といった違法な物のほか,覚せい剤や大麻などの違法な薬物ではないかと思ったと供述していること,また,原審公判においても,持ち帰る物が違法な薬物かもしれないとの認識はあった旨の供述をしていることからすると,被告人において,未必的ではあるものの,サンダル内に隠匿された物が身体に有害で違法な依存性薬物であるとの認識を有していたことは明らかである(被告人は,当審において,サンダル内に違法な薬物が入っているという認識は全くなかったと弁解しているが,捜査段階の上記供述は,前記①ないし⑦の事実関係に裏付けられており,十分信用できることに加え,原審においても,被告人が違法な薬物かもしれないとの認識があったことを認めていることに照らし,信用できない。)。そして,被告人は,上記のとおり,ヘロインに関する知識を有しているところ,本件では,上記の身体に有害で違法な依存性薬物の中からヘロインを特に排除する積極的な意思があったとも認められないから,被告人の上記認識は,ヘロインをも含む認識であったと認められるのであって,被告人がこのような認識を未必的にでも有している以上,麻薬であり輸入禁制品であるヘロイン輸入の故意は優に認められるというべきである(もっとも,原判決は,被告人が捜査段階において,抽象的にではあるにせよ,違法な薬物の中にはヘロインも含まれることを認める供述をしていることから,被告人に本件密輸に係る物がヘロインであるとの未必的な認識もあった認定している。確かに,被告人は,日本に持ち帰ろうとしている物が違法な麻薬ではないかと思ったが,日本で規制されている違法な薬物としては,覚せい剤,マリファナ,ヘロイン,コカイン,LSDなどがあるという知識を有しており,Hから話を持ち掛けられたときに思い浮かべた違法な薬物というのも,覚せい剤,マリファナ,ヘロイン,コカイン,LSDといった物を含む違法な薬物であるなどと供述している(例えば,原審乙87の検察官調書)。しかし,被告人の捜査段階の供述は,単に違法な薬物ではないかと思ったその薬物にはヘロインも含まれるという抽象的なものであり,前記②のとおり,被告人にヘロインに関する知識があるにせよ,被告人は,これまでヘロインを使用したことも,見たこともないのであるから,このような抽象的な供述から,ただちに,被告人において,日本に持ち帰る物がヘロインかもしれないとの具体的な認識があったと認定することには躊躇せざるを得ない(これに対し,違法薬物として覚せい剤や大麻を思い浮かべたという点は,上記のとおりの使用経験や前科等に照らし,ごく自然であり,信用できる。)。したがって,被告人において,本件密輸に係る物がヘロインかもしれないとの具体的な認識を有していたとまでは認められないが,上記のとおり被告人にヘロイン輸入の故意は認められるから,この点は判決に影響を及ぼさない。)。
これに対し,所論は,ヘロイン輸入の故意が認められるためには,未必的であるにせよ,輸入に係る物がヘロインであるとの具体的な認識が必要であることを前提として,ヘロインの輸入に関しては,被告人に認識ある過失が認められるにすぎないとか,本件は,事実の錯誤の問題であり,被告人は軽い大麻輸入罪の限度で故意が認められるにすぎない,などと主張する。しかしながら,【要旨】麻薬であり輸入禁制品であるヘロイン輸入罪の故意が認められるためには,輸入に係る物が身体に有害で違法な依存性薬物であるとの認識があり,その薬物からヘロインを特に排除する意思が認められなければ十分であること前記のとおりであり,また,被告人に,輸入に係る物が大麻であるとの確定的な認識が認められるわけでもないから,所論はいずれも採用できない。結局,この論旨も理由がない。
よって,刑訴法396条,刑法21条,刑訴法181条1項ただし書を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 今井俊介 裁判官 宮崎英一 裁判官 難波宏)