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大阪高等裁判所 平成15年(う)1727号 判決 2004年2月19日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役3年に処する。

原審における未決勾留日数中120日をその刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は,弁護人市瀬義文作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから,これを引用する。

第1  控訴趣意中,事実誤認の主張について

論旨は,原判示第1の事実について,原判決は,被告人がA巡査の右腰のホルスターに装着されていたけん銃(以下「本件けん銃」という。)を抜き取った上,その銃把を握り,多数回にわたって引っ張るなどの暴行を加え,同巡査に加療約7日間の怪我を負わせたという事実を認定し,被告人に強盗致傷罪の成立を肯認したが,(1)被告人は,本件けん銃を抜き取ってはいないし,(2)そもそも,当時の被告人には,取ろうとした物がけん銃であることの認識がなく,強盗致傷の故意も認められるはずがないし,さらに,(3)A巡査の怪我の程度は加療約7日間を要するものでもなければ,その怪我は被告人の暴行から生じたものでもないから,これらいずれの点からしても,被告人には強盗致傷罪は成立せず,原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある,というのである。

そこで,記録を調査して検討するに,本件で強盗致傷罪が成立するか否かはともかくとして,原判決が,その挙示する証拠により,上記けん銃抜取り等の事実を認めたこと自体は正当であり,当審における事実取調べの結果によっても,この認定は動かない。以下,所論にかんがみ付言する。

1  けん銃を抜き取ってはいないとの主張について

所論は,A巡査の原審供述をもってしても,被告人が本件けん銃をホルスターから抜き取った事実を認定することはできない,と主張する。

しかしながら,関係証拠によれば,本件発生当時,本件けん銃はA巡査の右腰のホルスターに装着されており,そのけん銃を取り出すためには,ホルスターのカバーを開けた上で,中の止め革を外さなければならなかったこと,また,ホルスターカバーを開けただけで,まだけん銃がホルスターに装着されたままの状態では,弾倉や銃身部分はホルスターの中に収まっており,これらの部分を直接手で握るのは不可能であったこと,ところで,本件犯行の際,被告人は,ホルスターのカバー及び止め革のホックを両方とも外した上で,本件けん銃の銃把を握り,これを強い力で引っ張ったこと,そのため,A巡査は,本件けん銃を奪われまいとして,その右手で被告人の右手を鷲づかみにするようにして持ちながら,左手でけん銃本体をつかんだこと,その際,同巡査は,銃弾が発射されないように弾倉部分を手のひらで握り,親指を撃鉄に当て,その余の指で銃身部分を握っていたこと,また,同巡査は,被告人から本件けん銃を取り戻した後,これをホルスターの中に収める動作をしたことがそれぞれ認められ,これらの事実からすると,被告人が本件けん銃をホルスターから抜き取ったことは優に認定できるものといわなければならない。

2  被告人には,取ろうとした物がけん銃であることの認識がなかったとの主張について

所論は,被告人はこれまでけん銃を握ったことがなく,自分がA巡査から取ろうとした物は無線機ではないかと思っていた,と主張する。

しかしながら,関係証拠を総合すると,本件けん銃は,警察官であるA巡査の右腰部分に装着されていたのであり,それがけん銃であることは誰の目にも明らかであること,また,被告人は,上記のとおり,ホルスターカバー及び止め革を外した上で,本件けん銃の銃把を握りながら抜き取り,さらに,A巡査との間で10回くらい強い力で引っ張り合うなどして,執拗にこれを奪い取ろうとしていること,そして,被告人は,捜査段階においては,「けん銃を抜き取って放り投げ,その隙に逃げようと思った」などとも供述していたことがそれぞれ認められ,これらの事実からすると,被告人には,その取ろうとした物がけん銃であるという認識があったことも優に認定できる。

なお,所論は,被告人の上記捜査段階供述について,警察官らによる暴行脅迫や的確な通訳が行われなかった疑いがあり,任意性,信用性がない旨主張する。しかし,所論に沿う被告人の原審供述はその内容自体不自然で,到底信用できないのに対し,被告人の捜査段階供述は,不自然な弁解内容についても,問答形式を用いるなどしてそのまま録取されており,その中にあって,抜き取ろうとした物がけん銃であることを認識していた旨の供述部分は,不利益事実を任意に認めたものということができ,その限りにおいて信用に値するというべきである。

なおまた,所論は,被告人には,その取ろうとした物がけん銃であることの認識がなかったので,事後強盗罪ないし強盗致傷罪における暴行の故意もなかったと主張している。この所論の趣旨は必ずしも明らかでないところ,もし,それが,強盗の故意があるというためには自己の行為が相手方の反抗を抑圧するに足りる程度のものであることまで認識,認容する必要があるという趣旨であれば,そのような見解は到底採用できず,また,前提も欠くため,主張自体失当というべきであるが,そうではなく,被告人の行為が相手方の反抗を抑圧するようなものでないことを理由に,事後強盗罪ないし強盗致傷罪の成立を否定するという趣旨であれば,それは,法令適用の誤りの主張にほかならないから,後に改めてこの点についての判断を示すこととする。

3  A巡査の怪我を加療約7日間を要すると認定したのが誤りであるとの主張について

所論は,A巡査は本件当日病院で消毒を受けただけで,その後特段の治療も受けていないから,その怪我は加療1日程度のものにすぎない,と主張する。しかし,関係証拠によれば,A巡査は,本件犯行の際,右手の甲の人差し指及び中指の付け根付近2箇所が赤く腫れ上がる怪我を負ったこと,本件犯行から約3か月後に行われた原審証人尋問の際もその痕跡は残っていたこと,同巡査の怪我について,医師は,平成15年3月3日,病名を「右手打撲擦過創」とし,「同月2日(本件犯行の日)より向後約7日間経過観察加療見込みを要するものと認める」旨診断したことがそれぞれ認められ,原判決がこれらの証拠により,A巡査が加療約7日間を要する怪我を負った旨認定したことに誤りがあるとはいえない。

4  A巡査の怪我が被告人の暴行から生じたものではないとの主張について

所論は,A巡査の怪我は被告人の身体等が当たって生じたものではなく,被告人ともみ合いになった際に地面に当たるなどして生じたものである,と主張する。所論の趣旨は必ずしも明らかではないが,関係証拠によれば,A巡査の怪我は,被告人が同巡査に対し,本件けん銃の銃把を握り,強く引っ張る暴行を加えた際に生じたものであることが明らかであり,被告人の上記暴行と傷害の結果との間に因果関係があることも優に認められる。

5  以上の次第であって,所論はいずれも採用できず,事実誤認をいう論旨は理由がない。

第2  控訴趣意中,法令適用の誤りの主張について

論旨は,要するに,原判示第1の事実について,被告人がA巡査に加えた暴行は,その反抗を抑圧するに足りる程度のものではないから,同事実について強盗致傷罪は成立しないのに,これが成立するとした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある,というのである。

そこで,所論にかんがみ,記録を調査して検討するに,本件において,被告人が逮捕を免れる目的でA巡査に加えた暴行の内容は,原判示に従えば,(1)A巡査の胸倉等をつかんで押し,さらに,(2)同巡査が所持していた本件けん銃を,ホルスターのカバーを外すなどして抜き取った上,その銃把を握り,これを奪われまいとして被告人の右手を押さえるなどした同巡査との間で,多数回にわたって本件けん銃を強く引っ張り合うなどした,というものである。

これらのうち,(1)の暴行が相手方の反抗を抑圧するに足りる暴行といえないことは明らかである。また,(2)の暴行(以下,これを「本件暴行」という。)についても,被告人がA巡査から本件けん銃を奪い取ってこれを突きつけたり,その引き金や撃鉄に手を掛け,弾を発射させようとしたりしていたというのならともかく,実際には,被告人がけん銃の銃把を握ってホルスターから抜き取り,けん銃を奪われまいとするA巡査との間で引っ張り合いのようになったものの,結局,これを奪い取ることはできなかったというのである。そうすると,本件暴行自体は,相手方であるA巡査の生命身体を直接攻撃するものではなく,専らけん銃を奪い取る手段としての行為にとどまっているのであるから,それをもって同巡査の反抗を抑圧するに足りるような暴行と評価することはできないというべきである。

これに対し,原判決は,本件暴行について,(ア)けん銃に安全装置は付いているとしても,本件では,実包が装てんされた抜き身のけん銃を強い力で引っ張り合うなどしているもので,一歩間違えば暴発して弾が発射されるなどする可能性は十分に存したといえ,当該暴行が繁華街の往来のただなかで行われていることも勘案すれば,極めて危険な行為というほかない,また,(イ)たとえ,けん銃を奪った上で脅迫するなどの強度の暴行・脅迫を加える目的がなかったとしても,奪取目的を達成した上でこれを投げ捨てるなどすれば,警察官としては当然けん銃の確保を優先するはずであり,犯人の逃走に対応することはおよそ困難になることも容易に推察できる,また,(ウ)被告人は,A巡査が10回くらいにわたって引っ張り合いをしなければ確保できないほどの力でけん銃を奪おうとしていたのであり,手加減なく強い力を込めてけん銃に手を掛けていることからすれば,投棄目的であるにしても,当該暴行が相手方である警察官の反抗を抑圧するに足りる暴行といえることは明らかである,と判示して,被告人に対し強盗致傷罪の成立を肯認している。

確かに,本件で被告人がA巡査から奪い取ろうとした対象は殺傷力の高いけん銃であり,それを引っ張り合うという行為自体に暴発等の危険が予想されることは原判示のとおりである。しかし,それが相手方の反抗を抑圧するに足りるかどうかという観点からすると,前記のとおり,被告人がけん銃の引き金や撃鉄に手を掛け,弾を発射させようとしていたなどの状況があれば,相手方警察官が危険や恐怖感を抱き,被告人の逮捕行為を思いとどまるといったことも想定され得るところであるが,本件のようにけん銃を引っ張り合うだけの状況では,いまだ上記暴発等の危険は抽象的な可能性にとどまっており,そのことによって相手方警察官が被告人の逮捕を思いとどまるといった事態はおよそ考え難いというべきである。そもそも,警察官からけん銃を奪い取ろうとすれば,当然のことながら,相手方警察官はこれを奪われまいとして抵抗することになるのであって,その行為自体が相手方警察官の反抗を抑圧するとは想定し難いところであり,実際,本件においても,A巡査は,何らひるむことなく被告人を制圧し,けん銃の奪取を防いだ(しかも,その間,撃鉄部分を押さえるなどして,暴発防止のための措置をとる余裕もあった)というのであるから,ごく常識的に考えても,本件暴行がA巡査の反抗を抑圧するものでなかったことは明らかである。

次に,原判決が,本件暴行が相手方の反抗を抑圧するに足りるものと判断した根拠のうち,(イ)のけん銃が奪取されて投棄されれば犯人の逃走に対応することが困難になるという点については,確かに,けん銃の有する殺傷力の強さからすると,それを奪取するだけでも,相手方の反抗を抑圧するに足りると評価できる場合もあり得るところではあるが,いずれにせよ,本件ではけん銃の奪取にまで至っていないのであるから,そのような仮定に基づいて強盗致傷罪の成否を論じるのは妥当ではない。そしてまた,(ウ)の被告人が強い力でけん銃を引っ張ったという点についても,上記のとおり,それが相手方の生命身体に直接向けられていたのではなく,専らけん銃を奪い取る手段として行われていたことにかんがみると,やはり,そのことから直ちに,本件暴行が相手方の反抗を抑圧するものと評価することはできないと考えられる。

以上によれば,原判示第1の事実については,強盗致傷罪は成立せず,窃盗罪のほかに,公務執行妨害罪と傷害罪(観念的競合)が成立するにすぎないと解すべきであって,同事実について強盗致傷罪が成立するとした原判決には,法令適用の誤りがあり,かつ,この誤りが判決に影響を及ぼすことも明らかである。

この論旨は理由がある。

第3  破棄自判

そこで,量刑不当の論旨に対する判断を省略して,刑訴法397条1項,380条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により更に判決することとする。

(法令の適用)

原判決が認定した事実に,改めて次のとおり法令を適用する。

原判示第1の所為のうち,窃盗の点は刑法235条に,公務執行妨害の点は同法95条1項に,傷害の点は同法204条に,原判示第2の所為は,出入国管理及び難民認定法70条2項(同条1項1号,3条1項1号)にそれぞれ該当するが,原判示第1の公務執行妨害と傷害は1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから,刑法54条1項前段,10条により,これを1罪として重い傷害罪について定めた懲役刑で処断することとし,原判示第2の罪について所定刑中懲役刑を選択し,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により刑及び犯情の最も重い原判示第1の公務執行妨害・傷害の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役3年に処し,同法21条を適用して原審未決勾留日数中120日をその刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は,中国から本邦に不法入国した被告人が,(1)その後本邦に不法に在留し,(2)コンビニエンスストアでパン等を万引きし,さらに,(3)その犯行で現行犯逮捕された際,身柄を引き渡された警察官に対し,けん銃を奪い取ろうとするなどの暴行を加え,その職務の執行を妨害するとともに,同警察官に加療約7日間の怪我を負わせたという事案である。

これらのうち,(1)の不法在留は,専ら金儲けを目的とした犯行である上,その不法在留の期間も長く,これだけでも厳しい非難に値する。また,(3)の公務執行妨害・傷害の犯行は,被告人の身柄を確保しようとした警察官に対し,執拗な抵抗をしたばかりか,その警察官が所持していたけん銃を奪い取ろうとまでしたもので,犯行態様が甚だ良くない。しかも,同犯行が行われた場所は,多数の人々が集まる繁華街のただ中であって,場合によっては,けん銃が暴発するなどして人身に危害が及ぶおそれもあった。以上の諸点に照らすと,被告人の刑事責任はかなり重いといわざるを得ない。

そうすると,たとえ,本件では,幸いにしてけん銃が奪われたり暴発したりするなどの大事に至っておらず,窃盗の被害や警察官の受けた怪我の程度も比較的軽微にとどまっていること,また,被告人は,公務執行妨害等の犯行について一部否認をしているものの,それなりに自己の行為を反省しているものと思われること,これまで前科を有しないこと,本国に被告人の帰りを待つ家族がいることなど,被告人のために酌むべき事情が存するにしても,被告人を主文掲記の実刑に処するのはやむを得ない。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・白井万久,裁判官・的場純男,裁判官・畑山靖)

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